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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.6.30(土) 祭の準備

物忘れの激しいたちにより「8:00 神社」とサインペンで書いたポストイットを、きのうのうちにエレベータの中に貼っておいた。貼ってはみたものの、本日、その時間に瀧尾神社へ行くことは難しいと考えていたところ、神社へは長男が向かったと家内から聞き、安心して朝の仕事に従う。今朝は、これから7月の15日まで大御輿を安置する御仮屋を、一の鳥居の前に建てるのだ。

9時を過ぎてから自転車で神社へ行くと、その御仮屋は、当番町の春日町1丁目、そして次年度当番町である春日町2丁目が見守る中、コバヤシ営繕により着々と組み上げられつつあった。僕はその集団には加わらず、宮司や春日町1丁目自治会長との打合せに当たる。

13時すぎからふたたび神社へおもむく。大御輿は、春日町1丁目、2丁目、そして各町内から2名ずつ出てもらった人たちの手により倉庫から運び出されようとしていた。大御輿はここで春以来の埃が払われ、椿油で磨かれる。僕はまたしても、各方面への連絡に走る。

15時に、今度は町内の公民館へ行く。子供みこしはほとんど組み上がり、祭壇も、榊と供物が揃えば準備完了のところまで整っていた。15時30分より10人ほどが手分けをして、町内に荒縄を張り巡らす。気温は30℃を2、3℃上回っていただろうか。

公民館に戻ると、その荒縄から提げる幣束を、他の仕事から上がった面々が、町内の各組の戸数に合わせて数えているところだった。首から提げるための紐を木札に通す仕事も、既にして完了していた。「今日、全部おわしちゃって良かったなぁ」と、ウカジシンイチ自治会長が息を漏らす。時刻は17時45分。今の時間、店に家の者は家内ひとりのため、いとまを告げて会社に戻る。全身、汗まみれである。


朝飯 胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、巻湯波と小松菜の炊き合わせ、茄子の炒め煮びたし、納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁、さんらんぼ
昼飯 きのう「玄蕎麦河童」から持ち帰った天ぷら「竹美荘」の蕎麦による盛り蕎麦
晩飯 「大昌園」のあれやこれやテグタンラーメン麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)


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2018.6.29(金) 梅雨明け

今月の上旬に、栃木県味噌工業協同組合の親睦旅行で訪れたハノイは暑かった。「38℃くらいですか」と訊く僕に「37℃くらいでしょうか」と、ガイドのヅァンさんはこともなげに答えた。その気温にもかかわらず、現地の女の人は多く、強い日差しを避けるために長袖のパーカを着ていた。

ハノイよりはるか南にあるバンコクの気温は、これは計ったわけではない、僕の感覚によるものだが、せいぜい30℃ほどに思われた。そして今日の日光の気温も、それとおなじほどに感じられる。そして湿度が低いだけ、バンコクより日光の方が、幾分かは快適である。

トンローのローカルスーパーマーケット「杜泰興」で買った乾麺を昼に茹でる。そのひとかたまりはいかにも小さかったため、鍋にはふたつを投入した。そうしたところ、意外にかさがふくれてびっくりする。黄色かった麺が、茹でると白く変わったのも不思議だった。これは汁麺ではなく炒麺にするためのもの、という気もする。

関東甲信越で梅雨の上がったことを、昼のテレビのニュースで知る。6月に梅雨が明けるのは、1951年の観測開始以来、初めてのことだという。梅雨明けは嬉しいけれど、雨を好む生姜、そして米は無事に育つだろうか。それにしても、南西に向いた窓から望む、重畳と続く萬緑の向こうの鶏鳴山は、薄青い空と白い雲を背にして、いかにも爽やかだ。


朝飯 胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、山芋のすり下ろし、納豆、茄子の炒りつけ、生のトマトと茹でたブロッコリー、温泉玉子、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「杜泰興」で買った麺による汁麺
晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴其の一其の二天ぷら盛り合わせ冷やしたぬき蕎麦、4種の日本酒(冷や)


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2018.6.28(木) 現地食

応接間のソファに着の身着のままで眠っているところを家内に発見される。時刻は午前2時。それから入浴をし、パジャマに着替えて、しかし寝室の灯りは点けたまま眠っているところを、またまた家内に発見をされる。このときの時刻は不明。そして朝は6時にようやく目を覚ます。

きのう夕食を済ませて後、食堂から隣の応接間に移ってソファに横になったとすれば、その時刻は22時ころだっただろう。それから朝の6時まで、入浴に費やした30分間を除けば眠っていた時間は7時間30分。バンコクで午前1時台や2時台に目を覚ましたことによる睡眠不足を、からだが急速に取り戻そうとしているのかも知れない。

10時より12時すぎまで、取引先とスカイプを介して会議を行う。13時すぎからは、新しい機械の置き場所について、その機械を売る商社の社長と打合せをする。終業後は本日出社の社員たちと、ミーティングを行う。

今朝の味噌汁は、8日ぶりの味噌汁だった。夕食は、9日ぶりの家の洋食だった。タイでは現地食で一向に苦にならない。それはタイのメシが美味いということもあるけれど、自分の食べたいものを自分で選べているということが、なにより効いているのだと思う。


朝飯 納豆、牛蒡と人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンと塩昆布の炒りつけ、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、シジミと万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 ジャガイモのグラタン茹でたブロッコリーとラタトゥイユを添えたビーフステーキチーズ“Bourgogne Hautes Cotes de Nuits Vicomte Bernard de Romanet 1988”


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2018.6.27(水) 帰国

目を覚ます。機内の灯りは落ちている。そこではじめて、離陸をする前に眠ってしまったことを知る。後ろの席を確かめてから、椅子の背もたれを最大に倒す。目の前にテーブルが引き出され、何かが置いてある。手で探ると、それはペットボトルの水とサンドイッチだった。タイ航空の機内で、眠っているあいだに深夜食を供されたのは初めてのことだ。灯りを点けることは憚られる。その、中身の知れないサンドイッチを闇の中で咀嚼し、水を飲む。時刻は1時30分。そしていつの間にか、また眠りに落ちる。

僕以外のすべての人たちは既にして起きている、あるいは働いている、そのような空気を半覚半睡のなかで感じてはいるものの、できるだけ長く眠っていたい。しかしそういうわけにもいかないだろうと諦めて目を開く。すぐ前の席まで朝食が配られてきている。時刻は3時35分。

「なんとかと、なんとかの、どちらがよろしいでしょう」と朝食の中身について客室乗務員に訊かれても、僕は目を覚ましたばかりだ。一瞬、ことばを失ってから「隣の人と同じもの」と、素早く答える。目の前のディスプレイのスイッチを入れて航路図を選ぶと、機は九州の南部沖を北西に向かっているところだった。

“BOEING 747-400″を機材とする”TG682″はタイ時間04:49、日本時間06:49に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

07:15 パスポートコントロールを抜ける。
07:29 回転台からスーツケースを拾い上げる。

「スーツケースを小さくしない限り荷物は減らせない」と、それまでの大きなゼロハリバートンを機内持込サイズのリモアに変えたのは、2014年9月のことだ。以来、荷物を空港まで、あるいは空港から宅急便で送ることはしなくなった。しかし今日は東京での仕事を控えている。スーツケースを曳いて歩くことは避けたい。

そういう次第にて、到着ロビーで宅急便を扱う場所へ向かって歩いて行く。途中で見覚えのある顔に遭遇して、じっと見る。先方も僕の視線に気づく。おたがいに「あっ」と声を発して立ち止まる。バンコクMGの第4期に同卓で勝負をしたチクラコージさんだった。二言三言を交わして右と左に分かれる。

宅急便を扱う場所にはJAL系のABCとANA系の、ふたつの窓口があった。JAL系には10名ほどの列。ANA系にはひとりの待ち客もいない。過去に使っていたのはABCの方だ。そして料金表はABCの方にのみ掲げられている。ANA系の料金を確かめるのは面倒だ。即、ABCの列に並ぶ。僕の番が来るまで3分もかからなかった。20kg以下の荷物の栃木県までの送料は1,910円だった。

08:05 京急線の車両が羽田空港国際線ターミナルを発車。

ふと気になってプラットフォームの駅名を見ると京急川崎だった。「川崎ということは、反対方向に乗ってしまったのだろうか」という曖昧な疑問が確信に変わる。即、ザックを抱えて出口へと向かう。プラットフォームに降りる直前に「すいません、すいません」と、背後から声をかけられる。ボックス型シートの窓枠に置き忘れた僕のメガネケースに気づき、それを持って追いかけてくれた人の声だった。

品川、渋谷を経て表参道には9時5分に着いた。取引先と約束した時間は10時。骨董通りのドトールコーヒーに入り、facebookのアルバム「2018.06 タイ」に画像1枚を上げる。

仕事場で落ち合った長男と、地下鉄千代田線で北千住まで来る。13:12発の下り特急に間に合うと計算しつつ切符売り場まで来ると、何やら大きな立て札がある。それは大袋駅での人身事故を報せるものだった。

13:12発は運休。その次の13:42発は運行するかどうかを近くに立つ駅員に訊くと、確約はできないという。それはそうだろう。そそくさと昼食を済ませて常磐線に乗る。新幹線を使っても使わなくても、帰社できる時間は大して変わらない。上野から宇都宮線に乗り、JR今市には16時すこし過ぎに着く。駅には家内がクルマで迎えに来てくれていた。

終業後、レジを締めて18時40分に食堂に上がる。そそくさとハイボールを作り、これで喉を潤す。19時前に町内の公民館に入る。そして10日後に迫った八坂祭の、大御輿の運行についての話し合いを持つ。21時すぎに帰宅してようやく夕食を摂る。以降のことはよく覚えていない。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「小諸蕎麦」のたぬきそば
晩飯 焼売、山芋のすり下ろし、鶏肉と夏野菜の揚げ浸し、小松菜のおひたし、芋焼酎「愛子」(ソーダ割り)


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2018.6.26(火) タイ日記(6日目)

このホテルに着いたとき、チェックアウトの時間は13時と教えられた。それを18時まで延ばすといくらかかるかと訊くと、1,500バーツと言われた。マッサージ5時間分より高い。

午前中は屋上のプールサイドで本を読む。部屋には余裕を見て11時30分に降りた。荷造りは朝のうちにあらかた済ませておいた。そのスーツケースの隙間にPatagoniaのバギーショーツとKEENのゴム草履をねじ込む。12時30分にチェックアウトすると同時に、荷物ふたつをクロークに預ける。

トンローのsoi9とsoi11のあいだで赤バスを降りる。昼食を済ませてから”Sumalai”そして”Tiger”と、2軒のマッサージ屋をはしごする。

来たときとは逆にトンローの通りを南下する赤バスは、トンローsoi1に右折をする。突き当たりのスクムビットsoi53を左に折れる。南に進んでスクムビット通りに出たら、それを左折して終点に至る。しかし夕刻が迫るスクムビット通りは大変な渋滞にて、バスはそのsoi53からいつまでも抜け出せない。

痺れを切らせた乗客たちが、次々とバスを降りていく。いまやバスの中には、運転手と車掌を除けば、客は僕も含めて4人しか残っていない。僕が席を立たないのは「別段、急ぐ旅でもあんめぇし」と、時間に余裕があるからだ。

バンコクは、世界でもっとも渋滞のひどい街といわれている。soi53に閉じ込められたバスの中で、そのわけを考えてみる

タイ人は歩くことを嫌う。もうひとつ、これは僕の観察によることだが、タイ人は階級や収入に応じて自家用車や社用車を使う。自分の地位や収入に自信のある向きは「私は公共の交通機関を使うような身分ではございません」と密かに、あるいは堂々と胸を張る。タイ人だけでなく外国人も、この国に暮らすうち、そのようなタイ人の気質に染まっていく。

上記のような中間層から富裕層が漸増する一方で、この都市に特有のsoiと呼ばれる袋小路を含めて、交通の流れを良くするための開発や工事は進捗しない。よって動かない車列はますます長くなる。その、フェラーリやランボルギーニの混じる糞詰まりを、僕はゴム草履を履いて、南の国に特有の、敷石の割れた歩道を歩きつつ眺めているのだ。

「タクシーをお呼びしましょうか」と声をかけてくれたベル係に「歩いて行くよ」と答えてホテルから目の前のsoi49に出る。道路の端には雨水を逃がすための浅い窪みがあり、その外側の、本来は歩道として使われるべき空間には隙間なくクルマが駐められている。soiを南下するクルマと北上するクルマはひしめき合って、スーツケースを曳く幅も、路上には残っていない。

ホテルからトンローのパクソイまでは、歩きで10分かかった。道を渡って「55ポーチャナー」の前まで来ると、店は真っ暗だった。時刻は18時を1分だけ過ぎている。平日は18時30分からと、ガラスのドアにシールが貼ってある。

店の外の、土曜日に僕が使ったテーブルには既にして、良く言えば気楽な、悪く言えば気楽すぎる服を着たオヤジが座って、店の人にもらった、しかし客に出す品とは明らかに異なるものを食べている。「この手のオヤジは、銀座あたりにも結構、いるよな」と通り過ぎ、そのオヤジとは最も離れて、しかしそのオヤジと向き合う形で席に着く。開店までの20数分は、本を読んで過ごす。

店にいきなり灯りが点る。時刻は18時30分。オネーサンが近づいてくる。ソーダと氷と牡蠣の卵とじを注文する。「ソーダと氷と」の「と」にあたるタイ語をカタカナで表記することはできない。僕の「と」も単独で発音したら、オネーサンには通じない可能性が高いだろう。

今夜の牡蠣の卵とじは、土曜日のそれより油が少なくて食べやすかった。他の料理も試してみたいものの、ひとりではどうにもならない。

金色に染めた髪を風変わりにまとめた、いや、それをまとめたと言って良いかどうかは分からないが、ツボネのようなそのオネーサンに100バーツ札3枚を手渡しつつ勘定を頼む。注文は土曜日と同じだから、代金は分かっているのだ。

釣り銭の中から20バーツ札1枚をオネーサンに戻して「用を足してくるから荷物、見ていて」と頼んで店に入る。便所の扉の前で振り向くと、オネーサンは僕のスーツケースとザックから目を離さずガラスの向こうに立っていた。

19:28 店を出る。
19:48 モーチット行きの車両がようやくトンローを発車
20:21 エアポートレールリンクの車両がパヤタイを発車。いつの間に雨が、それも豪雨が降り始めている。

21:01 スワンナプーム空港の駅から出発ロビーまはエスカレーターで上がる。「55ポーチャナー」でペットボトルに残したラオカーオを、途中で処分されないよう一気に飲み干す。”BANGYIKHAN”は、やはり美味い。
21:07 タイ航空のカウンターでチェックインを完了。
21:17 保安検査場を通過。
21:30 パスポートコントロールを通過。

21:40 僕の手持ちのカードでも使えるラウンジの前まで来たものの、肝心のカードが見あたらない。直ぐに取り出せるよう、貴重品を保管するためのポーチからズボンのポケットにでも移し替えて、空港内のどこかで紛失をしたのだろう。「本来の場所から移動させることによりモノを失くす」ということが、僕にはとても多い。

22:18 ボーディングが始まる。
22:37 飛行機にはバスで運ばれる。豪雨は幸いにも止んだ
22:48 ペットボトルの水を買い忘れて、客室乗務員に紙コップの水をもらう。それを手に持ったまま離陸はできないから、デパスとハルシオンは、その場で飲んでしまう。以降の記憶は無い。


朝飯 スクムビットsoi49のパクソイから北上してすぐ左手のセブンイレブン右側のクイティオ屋のセンレックナム“ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェのコーヒー、ヨーグルト
昼飯 トンローのsoi9とsoi11のあいだの屋台のバミーヘン(大盛り)
晩飯 「55ポーチャナー」のオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2018.6.25(月) タイ日記(5日目)

ホテルで朝食を摂る限り、お金を使うことはない。しかしホテルの朝食だけでは物足りなさを感じて、今朝は外へ出る。ホテルのあるsoi49からスクムビット通りに出て右に曲がると、数軒目に古い食堂がある。今朝はここで、汁麺を食べる。

9時30分より屋上のプールに上がる。寝椅子で本を読むうち、中国人の太ったオバチャンふたりが水着で登場する。ホテルのプールに水着で来る東洋人を、僕はこれまでほとんど目にしたことが無かった。彼女たちは、僕が見る稀少な例外である。次は西洋人とタイ人のカップルで、彼らは最初から水に入り、小さなプールを数十分も往復し続けた。そのカップルが階下に降りてから僕は一往復だけ泳ぎ、他の時間はずっと、寝椅子で本を読む。

正午がちかくなったことをiPhoneで確認し、シャワーを浴びて部屋に戻る。ここでもう一度、シャワーを浴びる。

赤バスに乗って、トンローの通りをsoi9の手前まで北上する。そして初日にも来たガオラオ屋で、今日はガオラオの普通盛りを注文する。「カーオ」とオバチャンが訊くので「マイカーオ」と答えると、オバチャンはにっこりと笑った。店を出る際にはオヤジに礼を言われた。どうやら僕の顔を覚えてくれたらしい

すぐそばの、バンコクMGに参加するたびに寄る、そして今回も先週の金曜日にかかったマッサージ屋で、いつもの2時間のコースを受ける。

15時がちかくなるころ、赤バスでトンローの駅まで戻る。そして初日にラオカーオを買った小さなスーパーマーケット「杜泰興」で、社員への土産を買う。買い物を苦手とする僕は、土産の調達には常に、小さな蛮勇を必要とする。肩の荷を降ろした気分で部屋に戻り、シャワーを浴びる。さて、ここからが忙しい。

これまでよりはすこし見ばえのするシャツを着て、トンローの駅に急ぐ。多分、15:50発と思われる赤バスに辛うじて間に合う。その赤バスを降りて、soi11の突き当たりまで歩いて行く。コモトリ君と約束した時間は16時。その16時ちょうどに「てしまSEITAI」に近づくと、コモトリ君は既に着いていて、外で待っていた。

オネーサンとオバチャンのふたりが一緒になって、僕が問診票に記入した左肩と右脚を強く揉む。右脚の内側に、腿からふくらはぎにかけて延びる筋肉を、揉むというよりはつねられひねられされている感じのときには、遠慮なく「痛い、痛い」をタイ語で言わせていただく。最後はテシマ先生が、これまた僕の体を押したり引いたりひねったりする。今日の、およそ80分間にわたる施術に効果があったなら、来年のバンコクMGのときには、初日と最終日に来ようと思う。

トンローsoi11からスクムビットsoi39までは、コモトリ君の会社のクルマで移動をする。そして夕食を摂りながら、先週の金曜日の続きのような情報交換をする。

ホテルまで送り届けてもらったときの時刻は20時28分。部屋に入って即、着ているものすべてを脱ぐ。そして洗えるものすべてを洗濯機に入れる。備えつけのSUMSONGの洗濯機は、ダイヤルには英語とタイ語の表記しか無いものの、とても使いやすい。

バスタブに張った湯にゆっくりと浸かる。バスローブに着替えてベッドに横になったのは、多分、21時をすこし過ぎたころだったと思う。


朝飯 「東明」のバミーナム“ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェのコーヒー、ヨーグルト
昼飯 エイトトンロー向かいのセブンイレブン右にある店のガオラオ
晩飯 “MY PORCH”の蛸のカルパッチョトマトとレタスのサラダコールドカット鶏のパテモッツァレラチーズとベビーリーフのサラダムール貝のバターソテー鮭とトマトのクリームスパゲティ鮭とキャベツのクリームスパゲティ“SANTA CAROLINA CHARDONNAY 2015”“JIM BEAM”(ソーダ割り)プリン


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2018.6.24(日) タイ日記(4日目)

iPhoneの時刻表示は3時41分だった。この時間まで眠れれば、僕としては上出来である。お湯を沸かして粉末のスープを飲んだり、あるいはきのうの日記を書くうち夜が明けてくる

MGの、9時の開場に遅刻をするわけにはいかないから、8時10分に部屋を出る。トンローの赤バスは、曜日や時間帯により出発が5分おきから10分おきに変わる。その赤バスをsoi7のすこし先で降りる。時間の余裕は充分にある。soi19のあたりまで歩きながら、MGについていろいろと考える

MG2日目の朝の講義は決まって、利益感度分析についてのものだ。イツジリュースケさんの、まるでインストラクターの意を汲んだような質問が、参加者の意欲の増進と理解を助ける

短い休憩を挟んで、いよいよ第4期のゲームが近づいてくる。きのうの第3期に赤字を覚悟しつつ次期繰り越しした教育チップ1枚と研究開発チップ3枚を虎の子にして、今期は凌いでいかなければならない。

その第4期の成績は、損益分岐点比率64パーセントで自己資本は327円。ここまで持ち上げれば、来期の長期借り入れが楽になる。次期繰越チップは、教育チップが1枚と研究開発チップが5枚。同卓のオーサトテツヤさんが、期末の資金ショートにより材料を売りたがっていた。その材料6個を1個あたり12円で買って、在庫を20個にする。また、アタッチメント付き小型機械を、やはり同卓のスズキタカノリさんに期首簿価の58円で売却する。

泣いても笑ってもMGではこれが最後の第5期が始まる。226円の長期借り入れをして無災害倉庫ふたつを揃えると、現金残高は161円。

親を決めるジャンケンで勝って、1手目は32円で5個の販売。
2手目は「セールスマン退職」のリスクカードでセールスマンが1人になる。
3手目で大型機械を買う。
4手目は仕掛品4個と材料6個を完成投入。
5手目はセールスマンを採用。

6手目は広告宣伝チップを購入。
7手目は「セールスマン退職」のリスクカードで、セールスマンはふたたび1人。
8手目は12円の材料4個を買う。
9手目は「研究開発成功」のリスクカードで、32円で2個の販売。

10手目は仕掛品6個と材料4個を完成投入。
11手目は、ふたたびセールスマンを採用。
12手目は「各社共通」で12円の材料3個を買う。
13手目は、32円の市場に6個と28円の市場に1個を販売。ここから広告宣伝チップが活きてくる。

43手目で第5期のゲームを終了。成績は、365円という、僕としては大きめの経常利益を上げて、損益分岐点比率は58パーセント。自己資本は504円、次期繰越在庫は10個、次期繰越戦略チップは3個で、成績はSの++

MGは、第5期が終わったときに、10個以上の在庫と3個以上の戦略チップを第6期に繰り越しつつ、且つ自己資本の高かった人が勝ちとなる。勝った人が偉いという考えはMGには無いものの、勝敗はゲームに緊張と面白さを生む。

今回の最優秀経営者賞は、九州から参加のヤマモトダイスケさんで、到達自己資本は642万バーツ。優秀経営者賞は島根県から参加のウエダヒデノリさんで、到達自己資本は529万バーツ。もうひとりの優秀経営者賞は、広島県から参加のイツジリュースケさんで、自己資本は518万バーツだった。1位のヤマモトダイスケさんの巧者ぶりはグラフを見れば明らかなように、MGでは実質的な創業年にあたる第2期から一度も赤字に陥っていない

計数力、昇り竜、自己資本、PQ区間賞の「ことがら表彰」で驚いたのは、島根県から参加したブラジル人サトールシアーノさんの計数力第1位だ。サトーさんは漢字が読めない。マトリックス決算書のどこにどの数字を入れるかは、マスの位置で覚えているという。まさに異能の人である。

計数力次点のタダジュンさんの成績は自己資本マイナス244円の大型倒産だが、これは実際の会社では試すことのできない荒唐無稽な経営を、MGを使って図上演習した結果である。学びは非常に大きなものだっただろう。

原稿用紙に2枚ほどの感想文を書き上げると時刻は17時。記念写真を撮って、急いでエレベータに乗る。

僕は夜には極端い弱い。翌日にもMGを控えた1日目の交流会に出ないのは、そのことが関係しているところもある。しかし今日の交流会には参加ができる。トンローのsoi10を東に進み、エカマイの通りに出たら南に下る。そうして気楽なタイ食堂で歓談を交わしつつ、ペットボトルに詰めて持ち込んだラオカーオをソーダで割って飲む

交流会はいまだたけなわだったものの、眠気を覚えて19時15分にいとまを告げる。来た道を戻り、トンローの通りに出て赤バスを停める。裏道に入って終点に向かうバスが、その裏道からスクムビット通りに出る直前で降りる。

酔っているせいか、ホテルのあるsoi49のパクソイを見つけることができない。スクムビット通りを往って帰ってまた戻り、ようやくホテルのドアを押す。時刻は19時51分になっていた。

きのうに続いて風呂に湯を張り、からだを休める。そして足を石鹸で丁寧に洗う。以降のことはよく覚えていない。


朝飯 “ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェの目玉焼きとサラダトースト、コーヒー
昼飯 MG会場のお弁当
晩飯 「サバーイジャイ」のソムタムとカオニャオとガイヤーンのセットコームーヤーンラープモォプーパッポンカリーパックブンファイデーントムヤムクンカオパッオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2018.6.23(土) タイ日記(3日目)

きのうは2時42分に目が覚めた。今朝は何と、1時34分の目覚めである。今日はバンコクMGの1日目で、昼寝をしている閑などあろうはずが無い。夜まで目を開いていることができるだろうか。

南の国では、日本のように、季節によって日の出や日の入りの時間が大きく変わることがない。空はおおむね、朝の6時ごろに明るくなってくる。5階の部屋より7階のプールの方が眺めが良かろうと考えエレベータに乗る。プールサイドから階段を伝って更にその上まで昇ると、しかし建物の構造上、東の空は望めなかった。

08:10 ホテルを出てトンローのパクソイ、つまりトンローの大通りの入口を目指す
08:30 トンローsoi9で赤バスを降りる。
08:35 トンローsoi12に飲物屋台を見つけ、ここでアイスコーヒーを飲みつつ時間を調整する。タイのアイスコーヒーは「レック」と小さいカップを頼んでも、僕には大きく感じられてならない
08:50 開場を待ちきれず、トンローsoi10にあるメジャータワーのロビーに入る。
09:00 相次いで到着した参加者の中にカードキーを持つ人がいた。皆でエレベータに乗り、10階で降りる

バンコクMGは、僕のように日本から来る者もいれば、現地から参加をする人たちもいる。「なぜ来たか」の理由は勿論、人により異なる。現地から参加の人たちの中には、異国で裸一貫から起業をした人もいれば、本社から大きな期待とともに送り出され、孤軍奮闘をしている人もいる。MGは、日本でしても、海外でしても、極めて刺激的な勉強である。

資本金300円の会社を各自が与えられ、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGの、タナカタカシさんのインストラクションによる第1期はルール説明。僕としては珍しく「ころがり計算」の用紙やマトリックス決算書に赤ペンで結構な文字数のメモを残す。第2期の成績は、損益分岐点比率124パーセントで自己資本は247円第3期は損益分岐点比率130パーセントで自己資本は179円

「明日は東京に出て行くからは、何が何でも勝たねばならぬ」といったところだが「空に灯がつく通天閣に、おれの闘志がまた燃える」となるかどうか。「なるかどうか」などと呑気に構えているところが、僕の最大の欠点である。

バンコクMGの交流会は1日目の夜、そして2日目の夜と、2回ある。今夜のそれは遠慮をして、ひとりトンローのsoi10を去る。MGは”tough”な研修だ。そして今朝の起床は1時34分だった。しかし疲れは感じていない。トンローのパクソイまでの1キロほどを、今日は赤バスに乗らずに歩き通す

きのうのオースワンは美味かった。今夜もそれを食べたい気分だ。「55ポーチャナー」には思いがけず、店の外にもテーブルがあった。ウェートレスに声をかけて、そのステンレス製の席に着く。油の弾けるオースワンを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。スクムビット通りを突進するトゥクトゥクの排気ガスさえ香しい。メガネを取り出し、持参した文庫本を開く。至福の時間である。


朝飯 “ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェの目玉焼きとサラダクロワッサン、コーヒー
昼飯 MG会場のお弁当
晩飯 「55ポーチャナー」のオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2018.6.22(金) タイ日記(2日目)

気づくと枕元の灯りを点けたまま眠っていた。サイドボードに置かれた腕時計は2時42分を指している。バスローブに着替えているところからすれば、シャワーは浴びたようだ。寝室から主室に移ると、洗濯機が洗濯を完了している。昨夜の記憶には定かでないところがある。しかし部屋に戻ってからも、実はいろいろと、細々としたことをしたらしい。

持参した粉末スープを明け方に飲んだものの、6時を回ると空腹は耐えがたいほどになった。きのうフロントで手渡された食事券を見ると、朝食は5時30分から10時とある。よってそれまでのバスローブを服に着替えて1階に降りる。

9時2分にようやくきのうの日記を書き終える。「こんなに長い日記を誰が読むか」とは思うものの、書かずにはいられないのだ。その代わり、今日の日記は短くなるだろう。

9時35分、Patagoniaの青いバギーショーツの上に白いポロシャツを着て屋上のプールに上がる。屋上より更に高いところに留まった、少なくとも3種類の鳥が盛んに啼き交わしている。”Dusit Island Resort”の、中国人の客が来るとすかさず中国の音楽を流すプールよりも、耳への心地は格段に良い。鳥が多いのは、このあたりに点在する邸宅の緑陰のお陰だと思う。

プールの寝椅子に仰向けになって、3時間ほども本を読む。朝食を食べ過ぎたためか、腹が一向に減らない。昼食は抜くことにする。

午後はトンローのsoi7とsoi9のあいだにある、何度か使ったことのあるマッサージ屋へ赤バスでおもむき、昨年もフロントのオバチャンに勧められた2時間のコースを受ける。きのう30分ものあいだ強く揉み続けられた左の肩は、今日は萬金油を塗って撫でるだけにしてもらった。

ホテルに戻ってからは、ふたたびプールに上がることも考えたけれど、結局のところは部屋にいて、きのうの日記をサーバに上げたり、今日の日記の途中までを書いたり、あるいは窓際のソファに寝転んで、このホテルの7階より高く育った巨木を眺めたりして過ごす。

17時26分にコモトリケー君からメッセンジャーの電話が入る。渋滞がそれほどでもなかったので、もうアソークに着きそうだという。「渋滞がそれほどでもなかったので」ということは、会社のあるチョノンシーからはタクシーで来たのだろう。本来の待ち合わせは、ジャスミンシティの1階に18時20分だった。

そそくさと服を着て靴を履く。コモトリ君に頼まれた辛ひしおの大瓶を冷蔵庫から取り出し、ショッピングバッグに入れる。そしてsoi49のホテルから急ぎ足で、いや、それは嘘だ、タイに来れば誰でも歩く速度は落ちる、とにかくトンローの駅へと向かう。

「バンコクの中心はどこか」と問われたときの答えは、人によって違う。タイ人なら「王宮に決まっているではないか」という意見が多数かも知れない。バンコクの中心はアソークと、僕は漠然と感じている。アソークは僕の感覚からすると新宿のような街で、自分から近づくことはない。

コモトリ君と落ち合って10分も経たないうちに、ちかくの会社で仕事を終えた後輩アズマリョータロー君が合流する。そしてタイ中華の店で食事をしつつ、種々の情報を交換する

帰りはアズマ君が、会社のクルマでホテルまで送ってくれた。時刻は20時17分だった。バスタブに湯を張って、からだを休める。そして21時18分にベッドに入る。


朝飯 “ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェのサラダ、トースト、コーヒー、オムレツヨーグルト
晩飯 「堂記酒楼」のヤムウンセンオースワングリーンアスパラガスとエリンギの炒め焼叉香港焼きそばラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

2018.6.21(木) タイ日記(1日目)

羽田空港国際線ターミナル105番ゲートちかくに、異常にうるさい姉弟がいた。両親に連れられたこの二人はどこへ行こうとしているのか。「クアラルンプールなら有り難い」と考えていたところ、家族はやがて、僕が乗るとおなじ、タイ航空機への列に並んだ。

飛行機の中に入って最後尾を目指す。ここまで来てなお姉弟の、特に弟の騒ぐ声が間近に聞こえる。「間近ということは、真ん中あたりだな、助かった」と胸をなでおろしつつ最後尾よりひとつ手前の自分の席に近づくと、驚くべきことに、家族は僕の席の真後ろ、つまり最後尾に陣取っていた。機の真ん中あたりで騒いでいると感じられたのは、その子供の声があまりに大きかったからだ。

乗客が頭上の荷物棚にスーツケースを入れるなどしているうちに用を足すためトイレに入る。便器の蓋を開けると、どこかから羽田に飛んで来た際の乗客のものらしい吐瀉物が、洗いきれず便器にこびりついている。うるさい子供といい便所の汚れといい、上々の、旅の出だしである。

“AIR BUS A350-900″を機材とする”TG661″は、定刻に13分おくれて00:33に羽田空港を離陸した。

00:43 ベルト着用のサインが消えると同時にデパスとハルシオン各1錠を飲み、座席の背もたれを最大に倒す。後ろの席は子供だから、遠慮をすることはない。それにしても、この機の客室乗務員は、仕事熱心なことは分かるが、離陸後の飲物を出すにしても、1秒も無駄にしまいと機内を走る。その制服の袖が通路側に座る僕の二の腕をこする。後ろの子供はいまだ声を出している。普段とは異なって、なかなか眠りに入ることができない。

03:55 目を覚ます。
04:36 熱いおしぼりが配られる。
04:42 朝食の配膳が始まる。
04:55 ダナンに近づきつつある。バンコクまで1時間の目安の地点である
05:55 機体から車輪の降りる音がする。

“TG661″は、定刻より48分も早い日本時間06:02、タイ時間04:02にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:21 機から出て空港ビルに入ると、目の前にパスポートコントロールへの坂があった。この広大な空港で歩く必要がほとんど無いとは、初めてのことだ。
04:28 パスポートコントロールを抜ける。
04:39 10番の回転台からスーツケースを拾い上げる
04:50 地下1階のエアポートレールリンクの乗り場に降りてベンチに落ち着く。

さて、ここまではとんとん拍子できたものの、エアポートレールリンクの始発は6時。それまではここで、大人しく過ごさなければならない。日本から持参した新聞を開く。

05:25 予期せずエアポートレールリンクの構内の明かりが点く。利用客が次々と、改札口へのゆるい坂を下り始める。僕も遅れまいと、その後に続く。ガラス張りの窓口は開いていない。いつもはここで、1,000バーツ札で切符を買って細かいお金を作るのだが、仕方がない。マッカサンまでの運賃35バーツを自動券売機に入れる。

05:30 エアポートレールリンクがスワンナプーム空港を発車。マッカサンで下車し、アソークディンデン通りにかかる歩道橋を東へ渡る。エスカレーターで地下に降りてペッブリーからMRTに乗る。スクムビットで下車して隣接する駅アソークからBTSに乗り換え、6時24分にトンローに着く。運賃の総額は74バーツ、所要時間は54分だった。

昨年の日記を見てみると、空港からエアポートレールリンクでパヤタイ、そこからBTSでトンローという、遠回りでも乗り換えは1回のみという経路を使って、トンローまで53分で着いている。このときの運賃合計は99バーツ。乗り換えの手間を考えれば、どちらが得かと計算するほどのことでもない。

今回のホテル”ADELPGI FORTY-NINE”は、バンコクMGの会場からそれほど遠くないホテルをウェブ上に物色していて見つけた。規模は駿河台の山の上ホテルほどで、こぢんまりとしている。屋上には小さいながらインフィニティプールを備え、宿泊した人のレビューはほとんど良好なものばかりだった。

トンローの駅からスーツケースを曳きつつ4分ほど歩いて、その”ADELPGI FORTY-NINE”に至る。フロントの若い男の人によれば、チェックインは14時だが、10時30分には部屋が用意できるという。

スーツケースからゴム草履を取り出し、脱いだ靴と靴下は持参したショッピングバッグに納める。そしてザックと供にベルボーイに預ける。人の良さそうなベル係には40バーツのチップを手渡しておく。良い仕事をしてくれそうな人、良い仕事をしてくれた人には、祝儀を切らなくては気が済まないのだ。

本日、したいことは以下の4つ。すべてできるか否かは不明である。

1.明後日におばあちゃんの祥月命日を控えて、お寺にお参りがしたい。
2.バンコクでは手に入りづらいラオカーオを、オンヌット駅前のテスコロータスで買いたい。
3.髪と髭を刈りたい。
4.足裏の角質取りと、脚と肩と背中のマッサージを受けたい。

先ずはトンローの大通りに出て北へと歩く。機内食から4時間を経て腹が減っている。トンローsoi8のちかくまで来てようやく、向かい側の歩道に飲物屋台を見つける。道を渡って席に着き、タイ語で注文を通すと、オネーサンは鶏卵を指して何ごとか言う。タイでは玉子入りのコーヒーがあるらしい。それは断って、砂糖とミルクを加えるよう頼む。蒸し暑いバンコクの路上で飲む甘くて熱いコーヒーには、何とも言えない味わいがある。

メニュに熱いコーヒーは書かれていなかったため、アイスコーヒーと同じ25バーツを差し出すと、オネーサンはそこから15バーツのみつまみ上げた

ふたたび西側の歩道に戻り、トンローの大通りの北詰、つまり終点まで赤バスに乗る。その終点はセンセーブ運河にかかる橋の下にある。橋を渡って水上バスの船着場ソイトンローに降りる。通勤の時間にかかっているのか、来た舟は満員にちかい。それを見送って、次の舟に乗る。

舟はすれ違う舟の立てる波を乗り越え、盛んにしぶきを上げる。そしてそのしぶきは容赦なく当方の顔に霧となって吹きつける。ただのしぶきではない、排泄物も吐瀉物も生活排水も屋台の残飯汁も、何もかも入り交じった泥水のしぶきである。すぐ脇に垂れ下がったロープを引いて、しぶき除けのビニールシートを持ち上げる

プラトゥーナムの船着場から西は運河の幅が狭いため、舟を乗り換える必要がある。昨年はソイトンローからプラトゥーナム、プラトゥーナムから終点のパンファーリーラードまでの切符を、それぞれ買った。しかしバンコクを旅する人のウェブログにて、切符は通しで買えることを知った。ソイトンローからパンファーリーラードまでの乗船代は13バーツだった。

パンファーリーラードからワットサケーットまでの道は簡単だ。船着場の上にかかる白い橋を渡りつつ左手を見上げれば、即、金色の尖塔が目に入ってくる。

どこまでも平地と湿地の続くバンコクには珍しく、ワットサケーットは小山の上にある。というか、寺自体が小山の体を為している。外国人の入場料は20バーツから50バーツに値上がりをしてた。

344段の階段は段差が低いため、すこしも苦にならない。売店で蓮の花と線香3本と仏像に貼るための金箔のタンブンセットを買う。価格は僅々20バーツだった。そうして幾体もある仏像の前でいちいちひざまずき、頭を床まで近づけお祈りをする。ワットサケーットの本堂を吹き抜ける風は、とても爽やかだ。

寺から降りて先ほどの白い橋を渡る。時刻はいまだ、9時をすこし回ったに過ぎない。

実はここへ来る途中、舟の終点が近づきつつあるとき右手に、ボブ・マレーの顔を「バカじゃねーの」と驚くほど大きくプリントした服ばかりを売る店が目に飛び込んできた。直後に着いた船着き場には”TALAD BOBEE”の文字があった。あのボーベー市場とは関係ないものの、そこには服屋がたくさん並んでいた。その「バカじゃねーの」という服屋を探して東へ歩いてみることにする。通りの名は”Thanon Damrong Rak”だったかも知れない

通りの右側には建具の材料屋が軒を連ねている。大きめの道をひとつ渡って更に往く。建具の材料屋の奥には運河があるはずだ。20分ほど歩き続けて建物と建物の隙間から運河沿いに出てみる。すこし先には果たして先ほどの、服屋の連なりが見えてきた。そして目指す「バカじゃねーの」という服屋で遂に、「バカじゃねーの」という色柄のシャツ1着を買う。仕入れ値は30バーツほどと思われるけれど、言い値の150バーツは値切らなかった。ここで時刻はようやく9時45分。今日は隨分と長い1日になりそうだ。

タラートボーベーからソイトンローまで舟に乗る、ひと桟橋すくない距離にもかかわらず、運賃は往路より2バーツ高い15バーツだった。センセーブ運河の船賃は、時として桟橋に表示されている数字より安く済むこともある。その理由については分からない。

橋の下から乗った赤バスがセンターポイントトンローを過ぎたあたりで降りて道を渡る。パンの”PAUL”や小籠包の「鼎泰豐」が入る高級ショッピングモール「エイトトンロー」の、大通りを隔てた向かい側のセブンイレブンに向かって右に、そのガオラオ屋はある

歩道から数段の階段を上がりつつ「ガオラオは大盛り、ゴハンは不要」とオバチャンに伝えて、建物と建物の隙間に並べられたテーブルに着く。豚の腎臓、肝臓、脾臓、小腸、肺、血のにこごりなどが澄んだスープから盛り上がるこのモツ煮は僕の大好物で、トンローに来ることがあれば、とてもではないけれど、素通りはできない。時刻は10時30分だったが、これが今日の昼食になるだろう。

トンローの通りであれば、どこでも停まってくれてどこでも降ろしてくれて7バーツの赤バスにふたたび乗り、スクムビット通りの終点で降りる。そこからホテルのあるソイ49に向かって西に歩きつつ、小さなローカールスーパーマーケットの前で足を止める。セブンイレブンとは異なって、タイの食品の、それも生の匂いが漂っている。店の名は「杜泰興」。興味を惹かれて中に入ると、その酒売り場には何と3種のラオカーオと、他にラオカーオらしい酒があった。店主らしいオバチャンに訊くと、そのラオカーオらしい酒もラオカーオだという。

ラオカーオは、これまで飲んでもっとも美味いと感じている”BANGYIKHAN”を3月のフアヒンで余分に買い、今回は、それをペットボトルに詰め替え持参してきている。しかしこの店で初めて目にした”LION KING”という銘柄のものも、予備として買っておくこととする。価格は145バーツ。

「ラオカーオは私の母も、毎日すこしずつ飲むんですよ。それにしても、あなたは静かで綺麗なタイ語を話しますね」とオバチャンは英語で褒めてくれた。しかし自分の発言を振り返ってみれば、この店で僕の使ったタイ語は「ラオカーオ」のみである。まぁ、それでも褒められて悪い気はしない。

部屋に戻ってシャワーを浴び、新しいポロシャツに着替えて外へ出る。トンローから隣のプロンポンまでBTSで移動し、駅近くのワットポーマッサージに入る。そして足裏の角質取り30分、脚のマッサージ60分、肩と背中のマッサージ30分のセットを頼む。価格は630バーツ。僕はタイに入った途端に現地の通貨に慣れて、この630バーツが6,300円に感じられる。

この店のマッサージ師は、おおむね太ったオバチャンだ。僕に付いた、その中でもひときわ大きなオバチャンは「ここが凝ってる」の「エーウ」の発音を直してくれた。そして30分のあいだずっと、僕の左肩ばかりを「ケン」と言いつつ強く揉み続けた。「ケン」とは「固い」という意味だろうか。オバチャンには100バーツのチップを渡して店を出る。

時刻は16時を5分だけ過ぎている。今週末に開かれるバンコクMGの講師タナカタカシさんからは先ほど、スワンナプーム空港に着いた旨の電話があった。待ち合わせの18時30分までは充分な時間がある。天気は曇りに転じて歩道に太陽の直射は無い。「歩いてホテルまで帰れるんじゃねぇか」と考え、スクムビット通りの北側の歩道を東へ進む。

7分ほど歩いて床屋の前を通り過ぎる。店の中では店主らしい中年男が年配客の耳を掃除している。「なるほど耳掃除か」と引き返して、その床屋”NIN BARBER”に入る。待ち客用の椅子に座っていると、奥からオネーサンが出てきて笑いかける。そして店の入口にいちばん近い鏡の前に僕を呼んだ。

椅子に着く前に鏡の前のバリカンを指す。そして「ソーン」と言いつつ髪と髭を触る。タイの床屋では、これだけで注文は完了である。「ソーン」は「2」を意味するタイ語で、僕の髪と髭は、その「2」の下駄を履かせたバリカンで刈ると、ちょうど良いらしい。料金は看板のとおり、散髪は200バーツ、耳掃除は80バーツだった

オンヌットのテスコロータスに行かなければ手に入らないと考えていたラオカーオがホテルの近くで買え、またどの店に入ろうか迷っていた散髪が、これまた通りすがりの店で完了した。今日は驚くほど効率の良い日だ。ホテルには、床屋を出てから5分で着いた。

本日2度目か3度目かのシャワーを浴び、18時10分にホテルを出る。トンローのマンゴー屋ちかくの停留所から赤バスに乗ったのが18時20分。待ち合わせの18時30分には充分に間に合うと計算していたものの、夕刻の渋滞に阻まれて、センターポイントトンローのロビーには、数分遅れて着いた。待っていてくれたタナカタカシさん、そしてオーサトテツヤさんと挨拶を交わして即、外へ出る。そして反対側に渡る。

トンローsoi9にあるイサーン料理屋「セープスッチャーイ」は、バンコクMGのたびに寄る好きな店だ。ここで楽しく飲み食いをして、旅の初日を締める

ふたたび東側の歩道に渡り、折良く近づいて来た赤バスに乗る。車掌に10バーツを渡して3バーツの釣りを受け取ったところまでは覚えている。しかしそれ以降の記憶はどうも、定かでない


朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 エイトトンロー向かいのセブンイレブン右にある店のガオラオ(大盛り)
晩飯 「セープスッチャーイ」のソムタムヤムプラムックガイヤーンコームーヤーンチムジュムラオカーオ”LION KING”(ソーダ割り)


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上澤卓哉

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