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一壺の紅の酒 一巻の歌さえあれば  それにただ命をつなぐ糧さえあれば
君とともにたとえ荒屋に住もうとも  心は王侯の榮華にまさるたのしさ
Omar Khayyam

 2001.1031(水) 社内ミニOA大会

朝6時に起床する。

オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を途中まで作成する。

朝飯は、カブとキュウリのぬか漬け、ジャコと大根おろし、納豆、甘塩鮭、メシ、けんちん汁

日記を完成させ、サーヴァーに転送する。

年末ギフトのDMを、郵便局に取りに来てもらう。今年は僕の都合から、少し投函が遅れてしまった。

@tochigi のナカジマタケシさんが来社をする。今夏、前任者のワタナベマスミさんが組み上げつつあったウチのオンラインショップは、とりあえずその計画を白紙に戻すという報告があった。

これは、すでに独自にオンラインショップを運営している会社に対して、それとは別のシステムを@tochigiで展開しても、出店者の受注作業や管理が煩雑になるだけで、それほどのメリットはないだろうとの理由によるものだ。

今後は、@tochigiにバナーを設け、既存の各ショップへリンクするよう、システムを改めるという。

しかしこの路線変更の最も大きな理由は、システム開発にかかる膨大な経費を、出店者側から集める「場所代」では、とてもまかないきれないということだろう。

「楽天」 の成功に追随した多くのショッピングモールは、ほとんどその開業当初から、累々たる死屍を築き上げつつある。

もともと 「おつきあいできるのは、出店費用が無料の最初の3ヶ月だけ」 と、お断りをした上で乗った企画のため、ふたつ返事で了承をする。バナーの設置にも消極的なことを申し添える。

昼飯は、糸屋蕎麦屋にて 「カレーうどん定食」 を食べる。カレーうどんが単品で900円のところ、この昼の定食は750円だ。食いきれるかどうか心配だったが、カレーは天ぷら系よりも、はるかに腹に収まりやすい。

僕はこの店ではいつも、カレー南蛮は蕎麦にて頼んでいた。ところが以前はオプションに応じてくれた 「カレー蕎麦」 は、出さないことにしたという。あくまでもカレー南蛮は 「うどんのみ」 としたそうだ。

それはどのような考えによるものなのか、店主に質問をするような性格を、僕は持ち合わせていない。「うどんしかできない」 と言われれば、うどんを食うのみだ。あるいはその店へ行くことをやめるのみだ。

きのう、"Computer Lib" にて根幹部の設定をした 社員用の ThinkPad1124 2台に、最後の細かい設定をほどこす

僕がこれまで使っていた ThinkPad240X を、店舗に設置する。6年間動き続けた ThinkPad530 は、引き出しに格納する

本日は 「ミニOA大会」 があるため、僕が発表する分の資料を作成する

終業後、「ミニOA大会」 が始まる。社員が各自のコンピュータを持って、事務室へ集まる。発表内容は

 1.「アイテム別粗利総額対前年度比表」 の作成
 2.マイツール のスケデュール管理を、patioにアップして共有する
 3.どの商品が会社を儲けさせているのか?

若い社員は恐れずコンピュータをいじくり回すため、思わぬ裏技を発見して使いこなしていることがある。各自が自分のコンピュータにて、それを検証する。実際に顔を合わせて、お互いのしていることを見せあうメリットは、こういうところにある。

僕はおのおのの発表を見て感じたことをそのつど述べ、また 「こうすればもっとスマートに使えるぜ」 という工夫を参加者に示す

7時ころから、宅配のピッツァを食べる。僕は赤ワインを飲む。

「ミニOA大会」 や「ミニコンピュータ教室」 は、これからも随時、行っていく考えだ。7時30分に散会する。

自室へ戻り、入浴をする。ビールは飲まず、9時に就寝する。


 2001.1030(火) 本郷、神保町、東十条

朝6時に起床する。

オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を途中まで作成する。

8時30分に甘木庵を出る。湯島天神の参道へ出ようと、手近なところで春日通りを渡る。春日通りを湯島天神の大鳥居まで歩けばよいものを、無精をして却って歩行距離を伸ばす。

11月1日に更新をする文章のために、実盛坂の撮影をする。初めて気づいたことだが、この坂は、湯島の坂下から本郷の高台へ出勤をする人の、裏道になっているようだ。

清水坂湯島坂上聖橋と歩く。お茶の水駅に沿った、食べ物屋ばかりが並ぶ細い道を抜け、駿河台上へ出る。駿河台下までは行かずに途中で右へ折れ、錦華通りから靖国通りへ至る。

ハンバーガーショップには、ハロウィンの飾り付けが見られる

矢野ビルのすぐ近くに 大戸屋ができている。昼食の需要に対して徹底的に食べ物屋が不足しているこの場所へ大戸屋が出店をすれば、大繁盛は間違いなしだ。

甘木庵から2Kmほどの距離に1時間ほどもかけ、神保町の矢野ビルへ到着する。矢野ビルの階段を4階まで上がり、"Computer Lib" に入る。

イノウエタケシさんとクワサワミカコさんが 2台のThinkPad1124に、nifterm といくつかの patio を設定する

次に、僕が1ヶ月前まで使っていた ThinkPad240X の nifterm を更新し、新たに取得した @nifty の ID にて、会社の patio ひとつ増設する。

このとき、LAN 経由ではどうしても nifterm がインストールできないため、イノウエタケシさんの ThinkPad からハードディスクを外しThinkPad240X に直結するという荒技にて、問題を解決する。

僕は求められた質問に答えるだけで、あとはすべてイノウエタケシさんとクワサワミカコさんが作業をしてくれる。僕はオンラインショップからの受注を会社の patio へ転送し、昨日の日記を完成させる。

設定を終えた2台のコンピュータは、明日の午前中までにウチへ送ってくれるよう、お願いをする。

ふたたび、普段使いの ThinkPad s30 と、一代前の ThinkPad240X をザックへ入れ、"Computer Lib" を後にする。

夕刻、東十条の 「埼玉屋」 を訪なう。僕が本日、最初の客だ。オヤジはまだいない。

白衣の息子に 「焼酎、オンザロックスで」 と言うと、愛想のない早口で 「そういうものは一切、ありません」 と答える。僕は、自分の昔の姿を思い出す。

生ホッピーを注文する。ホッピーを飲むのは、1981年ころ三田駅前の 「飲みた屋」 以来のことだから、20年ぶりのことになる。

「埼玉漬け」 と言うと、息子はすかさず近眼の大きな目で僕を直視して 「オシンコじゃないですよ」 と返す。「うん、知ってる」 と、答える。「埼玉漬け」 とは、茹でたガツをニンニク醤油に漬けたものだ。

「ナンコツ」 「子袋」 「ホルモン」 を注文する。息子はまたもすかさずギョロリと僕を見て 「ホルモンはタマですよ」 と返す。「うん、大丈夫」 と、答える。

結局、今日はホルモンの入荷が無く、チレに換えて焼いてもらう

しばらくして、オヤジが焼き台の前に出てくる。備長炭による焼き台は、驚くほど小さくて簡素だ。焼き台の上の換気ダクトは、ピカピカに磨き上げられている。

オヤジが2番目の客に 「このレヴァ、見てみなよ、いいぜぇ、これ。あと、やっぱり秋はシイタケだよ」 と、言っている。僕もレヴァとシイタケを注文する。

この店の串焼きは、1種あたり2本で供される。「あ、シイタケのうち1本は、石突きにしてください」 「はいよー、あと野菜、食べない?」 「うん、お願いします」

野菜とは、ダイコンとクレソンのサラダだった。「ダイコンは消化の助け、クレソンはカラダん中の脂を流すからさ」 と、オヤジは講釈をする。

シイタケが焼き上がる。オヤジは 「裏技、教えちゃうよ」 と言いつつ、調理場に 「バター持ってきてー」 と声をかける。オヤジはパセリを練り込んだバターを、熱いシイタケの上に載せてくれた。

頭を剃り上げた父親と10歳くらいの女の子、それに叔父らしき人が入ってくる。女の子はポカリスウェットの500cc缶を持っている。オヤジはジョッキを出し 「これに入れちゃえー」 と言う。

3人組がレヴァを注文する。「レヴァはヴェリーレア? ミディアムレア?」 女の子は「わたし、ミディアムレア」 オヤジは 「最近の子供は英語が通じて楽だねぇ」

僕は普段、なれなれしい接客をあまり好まない。しかしここのオヤジには愛嬌があるのだろう、ツボにはまって心地よい。

「シロ、埼玉漬けの汁につけて食うとうまいよ」 「うん、じゃぁ、シロね。あと生ワカメ」
「ワカメはどうやって食べる?」 「どうやって? うーん」 「土佐酢にしようか」 「うん」

この生ワカメが本当にうまい。小鉢に酢を残すと 「それも飲んじゃいなよ、土佐酢は酔いを覚ますからさ」 「酔いを覚まして、また飲んじゃったりして」 「ハハハ、そうだよなぁ」

ホッピーの次に 「純米酒」 を注文すると、「仁勇・米水人」 という一升瓶から小さなグラスに酒が注がれる。こういう店は、得てして酒に神経を使わないことが多いが、これはとても美味い。

「美味いね、これ」 「当たり前だよ、お客さんに不味いもん出せねぇよ。ウチは美味めぇもんならあるんだよ、ねぇのはカネだけだな」

かくして東十条のオッチョコチョイな夕べは過ぎていく。勘定を頼み、「また来るね」 と言って店を出る。

東十条から西日暮里を経由して、北千住へ至る。いまだ時刻は6時前だ。6:11発の下り特急スペーシアに乗る。今日の日記の途中までを書く。

8時前に帰宅する。次男@5歳と入浴をし、ビールの350cc缶を飲む。寝室の次男に呼ばれ、彼が眠るまで横にいる。僕も10時に就寝する。


 2001.1029(月) 酒亭の読書

朝5時に起床する。オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書く。昨日の日記は長文のため、朝飯前には完成させられなかった。

朝飯は、烏骨鶏の玉子焼き、ホウレンソウのゴマ和え、納豆、ジャコと大根おろし、キュウリのぬか漬け、メシ、厚揚げ豆腐と豆モヤシの味噌汁

厚揚げ豆腐と豆モヤシといえば、5年前に香港の上海料理屋で食べた、厚揚げ豆腐と豆モヤシを炒め煮浸しにした総菜の美味さが忘れられない。

開店からしばらく、店舗は静かだった。売場の全員で、風に飛んだ落ち葉を掃除する。

ようやく10時ころから、日光や鬼怒川の旅館をゆっくり出発した観光客やバスのお客様によって、売場は混みあってくる。この紅葉見物の繁忙は、11月4日までは続くだろう。

昨日の日記を完成させ、サーヴァーに転送する。僕の同級生である自由学園男子部35回生に同報メイルを送り、日記の中に誤りがあったら教えてくれるよう頼む。

3時すぎ、カリマーの20リットルザックに "Think Pad s30" と "Think Pad 240X" を入れる。自室へ戻り、きのう那須農場で芋掘りをしたときと同じスモックに着替える。

いまだ忙しい会社を離脱する。下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。北千住から地下鉄千代田線にて湯島へ至る。

「鶴亭」 にて飲酒を為す。吉四六のオンザロックスと莫久来、それにメカブの三杯酢を注文する

「われらの時代・男だけの世界」  ヘミングウェイ  新潮文庫  \705

の、133ペイジから173ペイジまでを読む。

生ガキと鴨焼きを注文する。生ガキは、味と色合いは岩牡蠣でありながら、大きさは普通の冬のカキという、不思議なものだった。

IBMのコンピュータも、ずいぶんと軽くなったものだ。2台をザックへ入れて運んでも、重さはあまり感じない。湯島の切り通し坂を上がり、甘木庵へ至る。

荷物を置き、本郷三丁目方面へ散歩に出る。三原堂のディスプレイは、七五三のものだった東京大学の龍岡門に停められた特殊車両を横目に、甘木庵へ帰着する。

午前0時に就寝する。


 2001.1028(日) 那須農場開場60周年

朝、3時30分に起床する。

毎年この時期になると、塩谷郡高根沢町主催の、同町から日光までの数十Kmを、夜間に歩き通すイヴェントがある。ウチはいつも、トイレ休憩の場所を提供することになっている。トイレはあらかじめ昨日の閉店前に、係りが清掃を済ませておいた。

3時45分ころ事務室のシャッターを開けると、既に一行は集結していた。オフィシャルカーに乗っている人、地面にしゃがみ込んでいる人、ベンチで寝ている人、地面に寝袋を敷いて眠っている人など、休み方は様々だ。

オフィシャルカーの人と 「トイレは正常に使えましたか?」 などと、言葉を交わす。

ここから日光までは徒歩で1時間少々の距離だ。明るくなるころには、全員がゴールに到着するだろう。

現場にて本日の作業に必要な準備をし、外まわりの掃除を済ませる。

7時30分、anne@家内と今市インターから日光宇都宮道路へ上がる。宇都宮インターで東北道へ乗り継ぎ、西那須野インターにて降りる。東北道の側道を北へ数Km走り、地方道へ出て東に1Km走ると、自由学園那須農場入り口を示す看板が現れる。

紅葉の渋滞を懸念して充分に時間の余裕を持ったが、それにしてもウチから僅々50分で到着するとは、予想もしなかった。

今日はここで午前10時から、「那須農場開場60周年記念の集い」 が開かれる。

那須農場を訪ねるのは、僕がここへ労働に来た高等科1年生の夏以来のことだから、30年ぶりということになる。

南側の広大な牧草地 を見るにつけ、抜いても抜いてもきりのなかった、深い根を持つ雑草スイバのことを思い出す。

ひとりあたり、学校のグラウンドほどもある区域を与えられ、朝からスイバの根を掘る。いい加減飽きてきたころに、牧場員のイチジュウさんがトラクターでやってきて 「他で仕事をしたい者はいるか?」 と訊く。勇んで手を挙げ、トラクターに乗る。

連れて行かれたところはやはり牧草地で、待っていた仕事は、同じスイバの根堀りだった。

牧草地の中を1Kmほども進み、建物の点在する地域に入る。事務棟はむかしのままだった。中に、僕が労働に来たときの主任でいらしたオオツカハジメ先生の姿を認める。昨日できたばかりの写真をお渡しする。

遊亀@長男のいる男子部高等科1年生43名は昨日からこの農場へ泊まり込んで、本日の式典の準備をしている。そのクラスの駐車場係が案内する場所へクルマを停める。

式典が始まるまでは、いまだ1時間30分もある。散策をして過ごす。

事務棟から北へ向かうと、金工場がある。建物の古さからして30年前にもあったはずだが、僕の記憶には残っていない。

牛舎は、まったく変わっていなかった。15歳の僕たちは荒縄を丸めたものを使い、ここで牛の尻を洗った。

牛の糞は床の隙間から地下の樋を伝い、はるか南の牧草地へ導かれる。樋の先で消防ホースを使い、牛の糞を牧草地に撒いたのが、スズキヒロヨシ君だ。作業前にはたしか、雨合羽が支給された。

干し草を食む10頭ほどの牛を横に見ながら、雑木の小径をたどるこれを抜けた北の土地で、僕たちは飼料用のトウモロコシを収穫した。トウモロコシはその場で断裁機にかけ、長さ20Cmほどに細かくした。

トウモロコシのサイロ詰め は、楽しい作業だった。最上部の扉からベルトコンベアによって落とされるトウモロコシを、サイロの中で待機する僕、コモトリケイ君、セキグチヒロシ君が、フォークを振るって平らにならしていく。

セキグチヒロシ君は那須農場へ来る前、学生のデモ隊が機動隊に蹴散らされて落としていったヘルメットを、いくつか路上にて拾い集めていた。僕たちはこれをかぶって、落下するトウモロコシから頭を守った。

夜のミーティングのとき、オオツカハジメ先生から 「人の思想を横からかすめるようなことはするな」 と、叱られた。

腹を空かせたイシガキヨシト君以下数名が、飼料用のトウモロコシをくすねて台所で煮た。堅くて食えないシロモノだった。牧場員のヤマグチさんに 「これは人の食べるものではない」 と笑われた。

再び牛舎前へ戻ると、霧降高原の大笹牧場から牛乳運搬車が到着したところだった。ドライヴァーは 運搬車から牛乳タンクへホースを延ばし、慣れた手つきで作業を始めた。大笹牧場が那須農場の牛乳を使っていることは、今日まで知らなかった。

牛舎の近くでは、生徒たちが旧い農機具を展示していた。その中で最も目立ったものは、1955年にアメリカから輸入された ファーガソンのトラクターだろう

ナンバープレイトは、これが栃木県に始めて導入されたトラクター であることを示している。

10時から、中央棟にて式典が始まる。この中央棟は30年前よりも大きくなっているように感じられるが、しかし増築の跡は認められない。

1972年8月、上野駅での集合にすこし遅れたアクタアキオ君に気づく者は、だれひとりいなかった。僕たちは予定通り東北本線に乗り、西那須野駅で降りた。

車内で 「奥の細道」 をお配りになったヤマグチヒカル先生も、アクタアキオ君の不在にはお気づきにならなかった。「1冊余ったが、これは僕の分だ。人数に間違いはないな」 と、先生はにこやかだった。

アクタアキオ君はその夜、中央棟の食堂で晩飯を食べている僕たちの前に 「みんな、ひでぇよ」 とボヤきながら現れた。

午前中の式が終わり、参加者たちは見学のため場内各地へ散った。雨が降り始めた。

展示室では、1941年に那須野が原の開墾が始まった当初の、苦闘そのものの記録から、後に農場の牛が獲得した無数のトロフィーが、所狭しと置かれていた。

何十年ものあいだ、労働のために滞在をする生徒たちが使っていた宿舎は、昨年に取り壊された。

僕たちがここへ来たときには、障子紙をほとんど破いてしまう、牛の糞を窓から室内に投げ込むなど、主任のオオツカハジメ先生の奥様には、ずいぶんとご迷惑をおかけした。

今年、同じ場所に新しい宿舎が2棟、建てられた。外張りはスギ、床材はカラマツ で、風呂場のタイルには、自由学園初等部の生徒による絵が焼き付けられている

夏の平均気温が22℃という冷涼な土地のため冷房は無いが、天井付近の暖かい空気を床下に循環させる暖房システムが備えてあった。自由学園関係者以外の宿泊者をも、視野に入れた施設だろう。

それにしても15歳の僕は、いったい何に夢中になり、何を見ていたのだろう。宿舎のすぐ近くにある創立者の寓居は、今回、はじめて目にするものだった

東の畑で芋掘りが行われること、またその芋は参加者へのおみやげとして供される旨のアナウンスがあった。anne@家内に 「芋掘りはやめて、土産だけもらおうぜ」 と言って叱られる。

高等科1年生の生徒と共に、芋掘りに参加する。靴と手がひどく汚れた人ほど、まじめな人だ

そういえば1972年の夏休み、イリヤノブオ君は間の悪いことに、自転車で転んで腕を骨折した。夏休み明けの那須農場で彼に与えられた仕事は、この畑におけるカブの間引きだった。

1週間連続のカブの間引きにくらべれば、スイバの根堀りも天国のダンスに思われる。

本日の 「那須農場開場60周年記念の集い」 への参加者は、 教師関係者41名、高等科1年生43名を含めて計300名と、 大変な盛会になった

当初、外で行われる予定だった昼食会は急遽、雨のため室内に場所を移された。

テイブルの上には、那須農場で収穫されたお米と梅干しによるオニギリ、やはりここで穫れた野菜による豚汁 が並べられた。

また、ブドウや農場で収穫されたカキ共働学舎新得農場 のモツァレラチーズ、カマンベールチーズ、宇都宮友の会の方々によるケイキも、豊かに食卓を彩った。

生徒の手になるオニギリは大きく堅くて無骨なため、1個で腹が満たされた。

食事係りのアマガイ君の報告によれば、豚汁には数日前に僕が寄付をした、ウチの味噌を使ってくれたそうだ。

午後は、招待された3名の先生方の講演を聴き、3時15分に無事、散会となった。参加者は三々五々、雨の中に家路をたどった

僕のオヤジの少し上の年代が第二次世界大戦中に掘った井戸の写真を撮り、僕も30年ぶりの那須農場にいとまを告げる。

農場内の長い砂利道を抜ける。東北道を側道から見上げると、上り方面の渋滞がひどい。一般道を走り、予想よりも早く午後5時に帰社する。

終業後、社員が 「アイテム別粗利総額対前年度比表」 を作成する。昨年の同じ週よりも、1.4%の増を示す。

晩飯は、インチキコンソメスープの中に、鶏肉、生ソーセージ、エノキダケ、ハクサイを放り込んで煮たもの と、ベイコンパン。飲み物は、はじめ紅乙女のオンザロックス、後に Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999。

寝室から次男@5歳に呼ばれ、9時に就寝する。


 2001.1027(土) 朝のしごと

朝3時30分に起床する。事務室へ降り、ADSLを繋ごうとするが、昨日と同じ不具合にて繋がらない。繋がらなければオンラインショップからの受注もこなせない。

普通の電話回線から、我が町のOCNのアクセスポイントに入る。eメイルの送受信とpatioの巡回をし、作成した昨日の日記をサーヴァーに転送する。

僕がある夏、池袋北口の喫茶店「伯爵」の大テイブルにて、マイツール による 「ヤマト運輸伝票印刷システム」 を自作してから、もう7年ほどになるだろうか。

数ヶ月前より事務のタカハシアツコさんから、このシステムにおいて特定の顧客を捜す手間が、もう少し省けないものだろうかと、相談を受けていた。

ブラウジングもできないし、ヒマはありあまっている。わずか5行の短いマクロを書く。5行で済むならもっと早くに対処しておけば良いものを、なんでもズルズル延ばしにする悪癖が、僕にはある。

これにて、過去に商品を発送した数万件の中から、特定顧客のギフト送付先情報が、15秒で検索できるようになった。あとは彼女が出勤後に操作をし、使い勝手などにつきすりあわせをすることになるだろう。

6時30分に、お客様が僕の携帯電話を鳴らす。本日、鬼怒川のホテルへ配達することになっている商品のお支払いを、このような早朝にしていただけるとは、しごく有り難い。

シャッターを開けると、足立ナンバーのトヨタ車から、お客様が降りていらっしゃった。お代をいただき、数分間、お話をする。トヨタ車は朝日が斜めに差す中を、そのまま鬼怒川温泉方面へ走り去った。

朝飯は、生のトマト、キュウリとカブのぬか漬け、納豆、ジャコ、甘塩鮭、メシ、肉団子と豆モヤシの味噌汁

朝、僕の日記を読んだカトーノさんが、ADSLの不調を心配して、出勤前に寄ってくれる。2、3の有意義な示唆を受ける。

9時30分、次男@5歳を連れて、住吉町の加藤床屋へ行く。次男のオーダーは 「坊主1番短いの」。子供の丸刈りは、直ぐに済んでしまう。僕はいまだ散髪中のため、加藤床屋のオバサンが、次男を家まで送ってくれる。

昨日、ウチの旧いアルバム を小倉町のミヤギ写真へ預け、その中の1枚を複写して額装するよう頼んだ。引きのばすには日数がかかるとのことで、原版と同じキャビネ判で作ることにした。出来上がりは、満足のいくものだった。

これは戦時中の、自由学園那須農場の写真だ。僕は明日、那須農場へ行く。額装をしたのは、これを現場の先生にお渡しするためだ。

日光宇都宮道路は、今日も渋滞をしている国道119号線と121号線の交差点も渋滞をしているが、クルマの流れが渋くなると、お客様は店舗駐車場に入りづらくなる。来年のこの時期には、交通整理の係りを外注すべきだろうか。

午後、今朝6時30分にお代をいただいたお客様の注文品を、鬼怒川温泉のホテルまでお届けする。渋滞をしていたのは、ウチの前の春日町交差点と、日光江戸村 へ入る栗原交差点の2ヶ所のみだった。

15Km離れた鬼怒川温泉へは予想よりも早く、25分で到着した。

帰途、大瀞橋から山の具合を眺める。鬼怒川温泉の紅葉は、11月以降にその最盛期を迎えるようだ。

店舗駐車場は、閉店まぎわまで混雑を見せた。おそらく明日の10月最終日曜日が、今月、最も売り上げの多い1日になるだろう。

終業後、水回りの整備をしている柴田鉄工の残業につきあう。工事には顧客用トイレも含まれるため、営業時間中には、作業ができない。

いつもより遅れて帰宅し、Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999 をデキャンティングする

ここ数年、目録から自分の好きなものを選ぶ形式の贈り物が増えてきた。お中元にいただいたギフトの中からステーキ肉を指定したものが、今朝、届いたところだ。

というわけで 晩飯は、近江牛のステーキになる。普段、200gで数百円のステーキ肉しか食べないため、高級な牛肉の脂に頭がクラクラする。

メシ代わりにサラダを食べ、力の強いポッテリとしたワインを口に含んで、そのクラクラから復帰する。

9時過ぎに就寝する。


 2001.1026(金) ADSLの不具合

朝6時に起床する。

事務室にて外部とアクセスをしようとするが、接続ツールのアイコンをクリックすると 「サーバにコンタクトします」 という表示のあと、ややあって 「ネットワーク接続中にタイムアウト」 とエラーメッセイジが出て、どうしても繋がらない。

仕方なく、自分のコンピュータの中だけでできる仕事をする。

朝飯は、甘塩鮭、次男@5歳が昨夜食べ残した鶏レヴァによるオムレツ、カリフラワーとブロッコリーの油炒め、納豆、ジャコ、キュウリのぬか漬け、メシ、カブと油揚げの味噌汁

"FSE" のシバタサトシさんに電話をし、ADSLの不具合につき説明をする。

昨日、この不具合が出たとき、シバタさんは 「ThinkPad s30の内蔵無線LANカードとicomの無線LANカードが干渉しているためで、再立ち上げにより復旧する」 と言っていた。

しかし今朝は、事務室にある計4台の異なるコンピュータにて、同じ症状が出ている。LANカードの相互干渉によるトラブルでないことは、明らかだ。

11時ころ、シバタさんが来る。結局のところ、独立したサーヴァ機を持たずにLANを結んでいる今のウチのネットワーク構造により、この問題が発生しているのではないか、という結論に落ち着く。早期のサーヴァ機導入を検討する。

日中は、ADSLも問題なくサクサクと繋がった。夕方以降は、再びアクセス不能に陥る。

晩飯は、明神水産カツオのたたき豆腐、鶏肉ダンゴ、ハクサイ、エノキダケの鍋。明神水産のカツオのたたきを食べるたびに 「どうしてこんなに美味いのだろう」 と、感心をする。

カツオのたたきを食べ終わった皿に熱い豆腐を乗せて食べるという下品なイディオム は、銀座のオデン屋 「おぐ羅」 の定番だ。

紅乙女のオンザロックスを飲む。1杯目は、グラスの縁まで氷を入れ、これに焼酎を満たす。2杯目は、氷が溶けてグラスの半分以下になったところへ焼酎を満たす。最近は、この2杯が 「夕食時の充分な量」 となった。

入浴後、ビールを飲もうとしていると、寝室から次男@5歳が僕を呼ぶ。昨夜も呼ばれたが、「ビールを飲むから待っているように」 と言ってそのままにしていたら、いつの間にか次男はひとりで眠っていた。

こういう姿勢は、親として不実なのではないかと、反省をしていたところだ。ビールは飲まずに寝室へ入り、次男と一緒に9時に就寝する。


 2001.1025(木) ADSLの開通

朝2時30分に起床する。

オンラインショップ からの受注をこなし、会社のpatioに転送する。数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。

朝飯は、レタスとキュウリのサラダ、ハムエッグ、納豆、メシ、豆モヤシと油揚げの味噌汁。いりこのダシによる味噌汁が、非常に美味い。

9時30分から10時15分までかかって、年末ギフトDMのタックシールを印刷する。

50音順に打ち出されたタックシールは、更にヴェテランのシミズサチエさんがひとつひとつ目で追い、コンピュータには判定しきれない 「このお客様へは、DMは不要だよね」 というものを外していく。

今月の上旬に、"FSE" のシバタサトシさんへ、ISDNからADSLへの変更を希望した。NTTのタダコウゾウさんとも、連絡を取り合ってきた。

今朝になっていきなり、シバタサトシさんから 「10時に工事を行っても良いか?」 との電話が入る。即、承諾をする。

11時に、NTTのオオイデヒロミさんが、いまある無線LANのルーターにADSLのモデムを取り付ける。シバタサトシさんが種々の設定を行う。速度は1.2GBが計測された。

導入初期の不安定さはいくつか見られるが、画像が落ちてくる迅さはISDNのそれにくらべて 「超速」 の一語につきる。

しかし、これまで画像もないのに重くてイライラさせられてきた アスクユー・レストランガイド は、回線をADSLに変えても、どうしようもなく表示速度は遅い。種々の制約や転送ロスが影響しているのだろうか。

夜7時から春日町公民館にて、今市市長以下、部長級を集めた 「地区懇談会」 が開かれる。イワモト区長から出席を要請されていたため、6時20分から 「すぐに食い終わるメシ」 を食べる。

Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999 と、鶏レヴァとエリンギのスパゲティ

地区懇談会には多くの住民が集まり、活発な意見が交わされた。

中でも、街の樹木を剪定する際には、「作業」 ではなく愛情を持って、木の実やそこへ集まる鳥たちのことも考えて手入れをして欲しいとの、コンノシチシロウさんの要望が、集まる者の共感を広く得て優れていた。

帰宅して入浴し、アサヒスーパードライの350cc缶を1本飲む。10時に就寝する。


 2001.1024(水) マリア祭

早起きのクセが復活した。朝4時に起床する。この日の来ることを待っていた。「年末ギフトご案内DMの送付先抽出」 という、日中にはできない仕事をするためだ。

顧客名簿から、いくつかの条件によって抜き出したものを、元デイタを壊さないよう、別のファイルに保存する。そこからまた、新たな条件式によって、更に件数を絞り込む。

複雑な作業ではないが、ミスをすると初めからやり直しとなるため、電話や来客のある昼間には、したくない作業だ。

4時30分から5時15分までかけて、DMの送付先を特定する。

朝飯は、温泉玉子、ピーマンの油炒め、納豆、甘塩鮭、ジャコ、メシ、ハクサイと油揚げの味噌汁

10時30分から、次男@5歳の通う聖ヨゼフ幼稚園で 「マリア祭」 というものが行われる。なぜこの時期にこのお祭りが持たれるのか、僕は知らない。

マリア像の前にて神父先生の説教を聴き、何曲かの歌を歌う。次に、御輿に乗せた小振りのマリア像を、飾り立てられた園内の一角へ運ぶ

いくつかの歌を歌い、園児たちが考えたマリア様への約束を、クラスごとに唱和する。

空は晴れ、空気は乾いている。

再びマリア像の前へ戻り、また歌を歌う。女の子の代表数名が紙吹雪をマリア像へ浴びせ、また神父先生は法善寺横町の水かけ不動尊へ参った日本人がそうするのと同じく、マリア像へ聖水を振りかける

このとき次男は 「マリア様へのお約束」 を暗唱する4人のうちのひとりに選ばれていたが、無事に大役を務めた。

11時30分に会社へ戻ると、日光宇都宮道路の「今市」から終点の「清滝」まで渋滞の情報が出ている。これから11月4日までは、紅葉見物による混雑が続くだろう。

晩飯は、暗唱の大役を果たした次男へのご褒美として、ステーキが奢られる。"JUSCO" にて 「2割引」 「半額」 のシールが貼られていたタスマニア産の牛肉だが、そこいらの料理屋のステーキよりも、はるかに美味い。

トマトとレタスとキュウリのサラダ。少し前に抜栓しておいた Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999 を、入念にデキャンタする

お中元でいただいて、そのままワイン蔵へ入れておいたアサヒスーパードライの350cc缶を1本飲み、9時30分に就寝する。


 2001.1023(火) それほどでもないワイン

朝6時に起床する。eメイルの受信とpatioの巡回をする。

朝飯は、ジャコと大根おろし、甘塩鮭、烏骨鶏の玉子、納豆、ホウレンソウの油炒め、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁

昼間、配達された印刷物の出来上がり具合について、印刷会社に再度の打ち合わせを持ちたい旨、連絡をする。

税理士と面談をする。

社員ふたりのコンピュータのセットアップにつき、"Computer Lib" の桑沢美佳子さんと、連絡をとりあう。

晩飯にはステーキを食べるか、という話もあったが、僕は魚を食べながらワインが飲みたかった。終業後、"JUSCO" にてイワシを5尾、買ってくる。

サーモンペイストを載せたフランスパントマトとルッコラのスパゲティイワシのオリーヴオイル焼きバルサミコソース

オンラインショップで1ダース購入した "Joseph et Christian Binner Riesling 1993" は、美味いワインとは言い難かった。今日、その12本目を空けて、在庫はゼロになる。

入浴後、いただき物のアサヒスーパードライを350cc飲む。どうも最近、早寝が出来ない。10時30分に就寝する。


 2001.1022(月) 外泊4日

甘木庵にて、朝7時に起床する。思い返してみれば、外で4泊もしていたことになる。数通のeメイルを書き、昨日の日記をサーヴァーに転送する。

浅草駅9:00発の東武日光線スペーシアに乗る。会社のpatioに返信を書く。

乗り物で移動する時間が30分以内のときには、僕は本を読む。移動が45分以上におよぶときには、大抵、コンピュータを机上に出す。車窓を眺めるとか物思いに耽るということはない。それならば眠った方が、ずっと得をした気分になる。

10時前に裏道から日光街道へ出ると、店舗の駐車場にはお客様のクルマが多く停まっていた。今週の月曜日もまた、来客数は多いようだ。

コンピュータを新規購入した社員2名のnifty-IDが、アット・ニフティから封書にて届いている。今月中に設定を完了したい。それが済んだら、次は社内のコンピュータ教室となる。

アット・ニフティの法人担当へ連絡をし、patioをひとつ増設するために、僕の名前で新たにIDを取得することにする。社員2名のIDと同時に登録申請を出しておけば良かった。少々時間を無駄にしたが、大した失敗ではない。

自由学園の東天寮では、朝飯は寮生の自炊によって供される。僕が最も好きなメニュは、ワンタンスープだった。

大鍋で豚の挽肉を炒め、水で満たして加熱をする。そこで刻んだ白菜を煮る。業務用のコンソメを加え、卵を溶き入れて、最後にワンタンの皮を1枚ずつ放り込む。

暖房のない冬の東天寮で、朝食の係でもないのに鍋の周りに群がってワンタンの皮を投入していた寮生の、僕はひとりだ。

夕刻、そのワンタンスープを再現する。数ヶ月に1度は作るメニュだ。

挽肉はニンニクのたまり漬を混ぜ込んだ肉団子に姿を変え、エノキダケを入れるなど、少しは高級になってはいるが、コストの低い料理ということに、変わりはない。

飲み物は、紅乙女のオンザロックス。最後に、残ったスープにて ぶっかけ飯を作る

いつも飲んでいるキリン一番絞りの135cc缶が、在庫切れを起こしている。ワイン蔵から350ccの缶を見つけ、これを1本、飲む。

案に相違して、早寝は出来なかった。11時ころに就寝する。


 2001.1021(日) 一宮MG2日目

目が覚めて、一瞬、どこにいるのか分からなかった。外はいまだ暗い。うつらうつらしていると、誰か早起きの人が、挨拶をしながら枕元を通り過ぎた。散歩へでも行くのだろう。

しばらくして寝室の外に置いた携帯電話に手を伸ばし、見ると朝6時30分だった。服を着て洗顔をする。

ログハウスのある 「国見の丘山荘」 に付帯した喫茶店は、開くのが8時30分だという。

オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記をサーヴァーへ転送する。朝、2時間あれば、自分のルーティンが楽々こなせることを知る。

9時前に一宮MGの会場へ着き、昨夜立てた 「第4期経営計画」 に基づく 第4期のゲイムが始まる

製造能力よりも販売能力の勝った会社に何ができるか? 他社よりも高い販売能力を生かし、各市場に販売攻勢をかける。競合各社に価格力では負けていても、隙間を選んで自社の製品が高値で売れていく。

第4期の中間決算前に、僕は豊富なキャッシュに恵まれた。このまま地味な会社で、あまり整わないバランスをだましながら会社を維持するか、あるいは販売能力に見合った設備投資をするか?

第4期の後半期において、僕が最初に下した意志決定は、大型の設備投資だった。しかし結局はこれが、裏目に出ることになる。

MGにおいて、後半期の持ち時間は、市場の動向、競合各社の動きによって千変万化する。設備投資のために消えたキャッシュを取り戻す前に、第4期は終了した。僕は期末の経費を支払うために、資本金よりも高い短期借り入れを起こさざるを得なかった。

第一期初に300円あった自己資本は、68円まで落ちた。

自己資本は下げても、PQ(売上高)は上がった。ルールに従ってE卓を離れ、より上のC卓へ移動する。

新たな5名のメンバーと、第5期のゲイムが始まる。第4期末の短期借り入れだけでは資金が足りず、更に長期借り入れを起こす。極端な債務超過に陥る。

第5期の初めは、キャッシュ不足により思った行動がとれない。少しずつ、"Make Money" に対して効率の良い形を作っていく

第5期の前半は経営計画どおり、平均プライス32.0円の高値販売が維持できた。しかし後半は、競合他社も販売能力や価格競争力を高めてくる。スキミングプライスというにはあまりに極端な、平均プライス23.0円の販売によって、懸命に期末資金を稼ぐ。

第5期の決算にて、▲34円という自己資本が確定する。自己資本がゼロを割り込むことを、倒産と呼ぶ。第4期のキャッシュが豊富な時期にも、地味な経営を維持すべきだったかと、反省をする。

僕にはまだまだ、「機」 と 「場」 を見る力に欠けている。

最優秀経営者賞は、自己資本365円のナカムラハルヒコさん、優秀経営者賞は、自己資本348円のニシオカタカヤ さんと、自己資本342円のアヤマカズヒコさん の頭上に輝いた。

西順一郎先生の2時間にわたる講義を聴き、感想文を書いて、一宮MGのすべてのカリキュラムを修了する。「一宮精工」 および 「ハリマテクノ」 社長のカキオヒデオさんにお礼を述べ、参加者のみなさんに挨拶をする。

自社にMGを根付かせて7年を経た一宮MGを肌で感じ、今年1月に始まった日光MGの良き糧にすべく、今後の3ヶ月を意識して送ろうと思う。

一宮町のMG会場からから姫路駅まで、弱い雨の中をクルマにて移動する。姫路駅18:56発の、ひかり172号に乗る。

車内にて、今日の日記の大部分と14通のeメイルを書く

東京駅には22:33に到着する。そのまま御徒町までJRを乗り継ぐ。

11時過ぎに甘木庵へ帰着し、0時に就寝する。


 2001.1020(土) 一宮MG1日目

目が覚めると午前3時で、着の身着のまま、ベッドカヴァーの上で眠っていた。入念にシャワーを浴びる。

部屋の電話から7時30分にアラームを鳴らすべく目覚ましをセットしようとして、別の部屋の電話を鳴らしてしまう。不機嫌そうな男の声が出る。慌てて受話器を置く。

再び目を覚ますと同時に、電話機の音が7時30分を報せる。

既に昨日の夜に完成していた日記をサーヴァーに転送し、niftyのpatioを巡回する。

出先にて朝、顧客とのeメイルの送受信や、ウェブ日記の更新をするには、1時間の持ち時間では少なすぎる。フロントから、朝食をうながす旨の電話が入る。

朝食を済ませ、9時前にフロントへ行く。昨夜からこのホテルに泊まっていて、しかし僕とは顔を合わせることのなかった西順一郎先生ご夫妻や、「一宮精工」 の主催による一宮MGへ参加する面々と遭遇する。

一宮MGは朝10時に、「一宮精工」 と 「ハリマテクノ」 の社員さん33名、外部から19名、計52名の参加者を以て始まった

社員研修に MG(マネジメントゲーム) を取り入れてから6年が経ち、いまやこの関連2社は、知的ワーカーの集合体となった。

西順一郎先生のインストラクション に参加者もよく応えて、有意義な時間が過ぎていく。

第3期末、ゲイム運びの下手な僕の会社盤は、販売能力のみが突出した、奇妙な形に落ち着いた。明日の第5期終了時まで、このコンセプトのまま経営を続けるか、あるいはガラリと手法を変えていくか、思案のしどころだ。

MG会場にて夕食をとり、第4期の経営計画を立てる。僕のMGが経営計画の通りに進むことは、しかしほとんど無い。

7時30分に、今夜の宿泊場所 「国見の丘山荘」 へ移動する。外国産の材料を用いたログハウスに荷物を置き、よく整備された小径を歩き、交流会場へ入る。

普通の研修では、講義が終われば人は三々五々、そのまま言葉も交わさずに散っていく。MGではこの交流会にて、「もうひとつの勉強」 が始まる

夜を徹して続くかも知れない交流会から、僕は10時においとまをする。普段が極端に早寝早起きのため、この時間でも、まるで子供のように眠くなる。

ログハウスへ戻り、今日の日記を完成させる。11時30分に就寝する。


 2001.1019(金) 兵庫県宍粟郡一宮町へ行く

目覚まし時計によって起きることはほとんどないが、昨夜は大事をとって、2台のアラームをセットした。そのうちの壊れ加減の1台が立てる、ごく小さな電子音によって、朝6時30分に起床する。

eメイルの送受信をし、昨日の日記をサーヴァーに転送する

8時に甘木庵を出る。朝日を浴びる湯島ハイタウンが目にまぶしい。岩崎の屋敷を左手に見ながら、切り通し坂を降りる。

今日は兵庫県宍粟郡という、読めない地名の場所まで行く。

御徒町から東京駅へ、山手線にて移動をする。列車の出発時間より1時間も前に駅へ来ているなどということは、何事にもギリギリを好む僕にとっては、とても珍しいことだ。

地下のコンコースへ降りる。「コメが食いてぇな」 と思ったが、ある店の前に出されているベイコンエッグスの写真につられて、パンによる朝飯を食べることにする

僕は海外では、来る日も来る日も現地食にて、いっこうに困らない。しかし日本にいるときには、殆どコメによる朝飯しか受け付けない。

いい年をして 「朝にはカフェオレとクロワッサンしか、ノドを通らないの」 などと言う人間がいた場合、僕はその人間の顔を、しげしげと眺めることになる。

朝飯を食べ終わっても、ひかり147号が東京駅を出る9時46分までは、いまだ45分もある。"BOOK GARDEN"にて、立ち読みをする。

自分の、詰めて詰めて、最後にポカミスをするクセを思い出す。列車の発車時刻まで30分を残して、プラットフォームに上がる。僕としては異例に準備よく、昼飯まで購入する。

早々と席に着く。それにしても、「前へならえ」 のように手を伸ばさないと、その上に載せたコンピュータのキーボードに指が届かない新幹線のテイブル は、なんとかならないものだろうか。

京都へ達するまでに、諸方へeメイルを書く。

京都駅停車直前からアクセスの準備をし、
停車中にdocomoから東京のアクセスポイントを呼び出す。東京のアクセスポイントが混雑でもしていたか、"ThinkPad s30" は首尾良く、次の07で始まる兵庫県のアクセスポイントを自ら探し出して繋がった。

12時46分に、新幹線は新大阪駅に達する。東京駅で購った 「深川めし」 を食べる。深川めしといいながら、アナゴも入る大盤振る舞いで、すこぶる美味い。

忘れ物は、常にあわただしい騒乱に端を発する。西明石だか新明石の駅を出ると同時に、降車の準備を始める。13時23分に、姫路駅に到着する。

ハリマテクノのヤマモトマサヒコさんの出迎えを受け、ヤギさんの運転するクルマに乗る。

40分ほど走り、兵庫県宍粟郡安富町の 「ハリマテクノ」 に達する。1/100mmまで精度を高めた タービンブレイド切削用の 大型機械を見学する

更に60分ほどクルマで走り、宍粟郡一宮町にある、「ハリマテクノ」 の親会社 「一宮精工」 へ到着する。

工場に踏み込むと、ランケイブルのジャックを豊富に用意した一角があり、ひとり1台体制のモーバイルコンピュータが十数台ほども、持ち主の指先を求めて待機していた

午後6時、一宮精工社長のカキオヒデオさん、取締役のヤマモトさん、社員のシミズさん、ニシオカさん、クサカベさんと共に、上出来の店で3時間ほども飲酒と歓談を為す。有意義な会話の内容は忘れないうちに、仲間内のpatioへアップすることにしよう。

タクシーで宍粟郡山崎町のホテルまでお送りいただいたのは、10時前のことだったろうか。本日の日記を書き、eメイルの送受信をする

0時に就寝する。


 2001.1018(木) 岩崎の屋敷

またも起床は朝6時だった。9時間30分も寝ている。anne@家内に言わせれば 「それだけ疲れている証拠だ」 とのことだが、疲れることなど何もしてはいない。

事務室へ下り、eメイルの送受信をする。

朝飯は、キュウリのぬか漬け、温泉玉子、納豆、ホウレンソウの油炒め、エボダイの干物、メシ、アサリと長ネギの味噌汁

邪魔が入るとミスをすること必定のため、深夜から明け方にかけて行う 「お歳暮DM宛先抽出」 が、暁を覚えない睡眠のために、いつになっても行えないでいる。

今日は事務室に欠員がいないため、いっそのこと就業時間中にその作業を強行してしまおうかと考えた。電話に出さえしなければ、かなり集中して仕事に臨めるだろうと考えたゆえだ。

しかし実際には、昨日に引き続き水道工事をしている柴田鉄工の社長が 「工場裏手に出る扉の鍵を貸せ」 だの、社員が 「ショウケイスの蛍光灯が切れたから交換してくれ」 だのと言ってきて、ハナッから机の前には座っていられない。

よってこの仕事は、更に後日まわしとすることに決める。とはいえ昨年この仕事を行ったのは10月20日のことだ。まだ遅れているわけではない。

ウチでは、顧客が街なかのサーヴィス施設や飲食店を利用するための 「いまいちタウンマップ」 を作り、店舗にて配布をしている。数年前の改版から、街の様子はまたまた変わってしまった。

数週間前からの調査を本日の午前に終え、ボールペンにて真っ黒に書き換えられた現行の 「いまいちタウンマップ」 を、昼前に成文社印刷へ持ち込む。

午後、「日光わんわんの森」 に、外注SEのカトーノさんを訪ねる

240X から s30 に ThinkPad を乗り換えてから出てきた問題につき、箇条書きにしたコピーを渡す。多くは、Windows2000に対応していないアプリケイションが引き起こす不具合で、それらのヴァージョンを上げれば解決することのように思われる。

明日から数日のあいだ、丹波篠山の更に奥へ行く。その場所からアクセスをするための、ダイヤルアップネットワークの設定方法を教えてもらう。Windows2000におけるこれは、98のときよりも、ずいぶんと簡単になった。

終業後、親戚の中学生、anne@家内、次男、僕の4人で "Casa Lingo" へ行く

デキャンタで赤を頼むタコとそのときある野菜満載のサラダ牛肉のカルパッツィオキノコのラザニア

ワタリガニのスパゲティ を食べたあとに、ソースがかなり残った。まさか替え玉を頼むわけにもいかない。ガーリックトーストを注文しそれにソースを載せて食べる

マルゲリータのピッツァ と、同じ石釜にてローストした鶏のハーブ焼き

なんとかチーズの何とか焼き にて締める。

"Casa Lingo" から下今市駅へ直行する。19時52分発の上り最終スペーシアに乗り、北千住経由で湯島天神下へ至る。

岩崎の屋敷が一般に公開されはじめたことは知っていたが、その入り口がどこにあるかは不明だった。湯島駅の案内に従って歩くと、湯島天神下の鳥鍋屋 「鳥栄」 から無縁坂下へ向かう途中に、それはあった

無縁坂を上がり、10時前に甘木庵へ達する。

普段とは異なり、寝入ることに苦労をする。推定で午前1時30分ころに就寝する。


 2001.1017(水) クルマの中に6年

昨夜7時20分に次男@5歳と入浴をして、次男は7時30分に寝た。僕は遅れて8時30分に就寝した。夜中の3時に目を覚まし、次に目を覚ましたら朝6時だった。

大のオトナが9時間30分も、よく眠れるものだと感心をする。

事務室へ降り、eメイルの送受信をし、昨日の日記を完成させる。

朝飯は、キュウリのぬか漬け、甘塩鮭、納豆、ルッコラのゴマ和え、ジャコ、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

午前中、会社敷地内の、工場を除くすべての水道が出なくなる。出入りの柴田鉄工を呼んで調べるも、原因は分からない。応急処置として、配管の根元から特殊なホースにてバイパスを設け、末端に給水をする。

断水によって最も困るのは、顧客用のトイレだ。いくつかある個室のうち、特に水量の弱いところを使用禁止とする。

午後、鳥取県倉吉市の岡野富ちゃんから、ファクシミリにて紙が2葉、届く。僕が1995年の初夏に、倉吉OA大会という催しで銀賞を獲ったときの、配布資料の一部だった。

紙には、岡野富ちゃんの筆跡で 「クルマの中を整理していたら出てきた」 という但し書きがあった。

クルマの中に6年というのも、なにやらすごい感じがする。まるで地方自治体が、子供たちの絵などを納めて地中に埋めるタイムカプセルのようではないか。

終業後、きょう1日の諸々をThinkPad s30に打ち込み、自宅へ戻って飲酒を為す。紅乙女のオンザロックスに、ジャコとキュウリのぬか漬けと、らっきょうのたまり漬

遊びに来ている親戚の中学生も含めて、みなでブタシャブを食べる。

脂身の多い子供用の肉 と、脂身の少ないオトナ用の肉 は、あらかじめ異なる皿に分けられていた。肉と 水菜 を、豆腐とエノキダケが煮える鍋に投入する

氷が溶け加減のグラスに2杯目の紅乙女をたっぷりと注いだら、飲み干すまでに、はなはだ手間取った。

次男@5歳と入浴をし、8時30分に就寝する。


 2001.1016(火) 都市の隙間

朝6時に起床する。10月に入って早起きができたのは、2、3日くらいのものだろう。

eメイルの送受信をし、途中まで書いてあった昨日の日記を完成させる。

朝飯は、ズッキーニの素揚げ、エボダイの開き、納豆、温泉玉子、キュウリのぬか漬け、メシ、豆腐とミツバの味噌汁

今日は、会社から7Km離れた日光の二荒山神社と、28Km離れた宇都宮市に配達があるという。日光へは現場のフクダナオちゃんに行ってもらい、宇都宮へはついでの用事もある僕が行くことにする。

昨年、宇都宮市の中心に位置する上野百貨店が倒産をしたため、この地域に人の影はめっきり少なくなった。コジマデンキが上野百貨店の跡地を買うという話も、新聞発表から1日か2日のうちに消えた。

知り合いの マイタイさん

「繁華街の繁とは人の数、華とは人間の業に訴求する不真面目な施設だ」

と言う。繁華街が消えるのは寂しい。

僕が好む場所は、ゴキブリが好んで入り込むような都市の隙間だ。日本の街の美質は、清潔なビルの目と鼻の先に、こういう隙間が多く存在していることだろう。

"UNIQLO" で購入した作業着のロゴ入れを頼んでおいた "XEBIO" にて、できあがった品を営業車に積み込む。

午後、今年の8月下旬から3度目になる、唇のしびれとしこりと腫れが現れる。毎日飲む酒のために脳が軽い梗塞を起こし、それがしびれに繋がっているのではないかと、シロウト考えをする。

昨日に引き続き、関根耳鼻科へ行く。経過を訊かれたため、薬を飲んだ後の数時間は良好だが、朝方にはノドの痛みが強くなることを訴える。

ついでに唇の腫れを触診してもらう。先生の見立てでは、特定の食べ物によるアレルギー性の浮腫ではないかという。

「唇が腫れる前に食べた食物に共通性があったか?」 と訊かれる。僕に覚えはない。僕にはこれまで、食物アレルギーが出ることは無かった。抗アレルギー剤をもらって帰る。

夕刻、鎌倉の親戚から中学生が遊びに来る。2期制の学校で、今は1学期と2学期の間の秋休みだという。

親戚の中学生を連れて、うなぎの 「魚登久」 へ行く。燗酒の2合徳利を注文する

普通 「うざく」 とは、ぶつ切りのウナギが薄切りキュウリとあらかじめ混ぜ合わされている。この店の 「うざく」 はそれよりも優れて、キュウリの酢の物の上に、焼きたての蒲焼きが惜しげもなく載っている。

ひと皿の 「うざく」 に子供たちと箸をのばし、どんどん食べ進む。写真を撮り忘れたことに気づいたとき、皿の上には既に一片のウナギが残るばかりだった

若主人のアイガ君に、この 「うざく」 の意匠を褒めると、「自分が習ったのは、この方法だけだ」 と、答える。以降、この店へ来るたびに、この 「うざく」 を頼むことにしよう。

大振りの器に盛られた 鰻丼肝吸い にて締める。

帰宅し、8時30分に就寝する。


 2001.1015(月) ドライヴァの送付

朝3時30分に起床する。本来の起床時間に戻った感じだ。

オンラインショップ からの受注をこなし、夜のうちに届いたeメイルに返信を書き、昨日の日記を作成する。

朝飯は、3種類のオニギリ卵焼きとピーマンの油炒め筑前煮

anne@家内は7時30分に用事のため出かけた。9時すぎに次男@5歳を幼稚園へ送る。同じクラスの女の子と一緒に歩く。次男と女の子は双方とも自分の言いたいことを言い、双方の発言はかみ合わない。おとな同士の会話にも、よく見られる風景だ。

CD-ROMによる10キーのドライヴァをインストールできずに困っていた。昨日、外注SEのカトーノさんがメイルに添付してドライヴァを送ってくれた。3度か4度のクリックにて、諸事が整う。10キーを使い始める。

ノドが痛いため、午後2時から関根耳鼻科へ行く。ノドが赤くはれているという。患部に薬を噴霧し、クスリをもらって帰る。

終業後、社員が 「アイテム別粗利総額対前年度比表」 を作成する。これは毎週1度ずつ巡ってくる仕事だ。やはり10月の成績は良い。

晩飯は、トマトとモツァレラチーズのサラダルッコラとゴマのスパゲティ鶏の蒸し焼きレモンソース、ズッキーニのオリーヴオイル揚げ

飲み物は、"Joseph et Christian Binner Riesling 1993"。食後に チョコレートを1個

10時に就寝する。


 2001.1014(日) 朝市で買う野菜

朝6時に起床する。花火が鳴っている。今日は何の日かと思いを巡らし、多分 「市民朝市」 の日ではなかろうかと思い至る。

事務室へ降り、数通のeメイルを書く。オンラインショップ からの受注と昨日の日記作成は後回しにして、外へ出る。

日光街道を東京方向へ数十メートル歩き、反対側へ渡る。anne@家内からパンを買ってくるよう頼まれたが、そのお店は出ていない。ルッコラとズッキーニを買う

本酒会員にして今市市役所職員のサイトウマサヒロさんが 杉並木娘といっしょに、11月3日に行われる 「杉並木まつり」 のビラを配っている僕も1枚、分けてもらう

朝飯は、塩鮭、焼き厚揚げ、インゲンのゴマ和え、ソーセージとホウレンソウの油炒め、納豆、メシ、豆腐と長ネギの味噌汁

日光の諸々が世界遺産に登録され、NHKの大河ドラマが徳川家光を採り上げ、東照宮にあるその廟が300年ぶりに公開されて当地がにぎわった昨年よりも、このところの売り上げは良い。

テロリズムの関係で海外旅行を控えた人たちが、遊びの行き先を日光など国内の観光地に移しているのだろうか。

夕刻、オヤジとオフクロが明日、anne@家内に用を言いつけるお礼としてか、"Fin Bec Naoto" へ誘ってくれる。

ドライシェリーツブ貝とホタテ貝のアミューズ

白のグラスワイン、カキのカレークリームソースハモとマツタケのコンソメ

赤のグラスワイン、牛の柔らかいロースト

イチジクのコンポートとバニラアイスクリーム、コーフィー

このところ起床時間が遅いせいか、早くからは眠気を覚えない。11時に至ってようやく就寝する。


 2001.1013(土) ABC分析

朝5時30分に起床する。オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。

朝飯は、温泉玉子、ジャガイモのサラダ、納豆、ピーマンの油炒め、エボダイの干物、メシ、アサリと長ネギの味噌汁

今日の昼飯は、郊外の 「湧水庵」 で蕎麦を食べることになっている。家内がワサビを買いに行くという。次男@5歳に "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" を預け、「晃麓わさび園」 の画像を撮ってくるよう頼む。

次男は写真を撮る技術に優れている。人間はどこかしらに、長所を持つものだ。

11時ころ、西研究所 の西順一郎先生と西佳恵先生がお見えになる。

「立っている者は親でも使え」 という。僕は自社のデイタを元にした 「商品別粗利総額ABC分析」 を、ちゃっかり西順一郎先生にデモンストレイトしていただく

西先生ご夫妻と家内、次男と共に、「湧水庵」へ行く

テイブルの下で、午前中に買ったワサビをコッソリとおろす。「神は細部に宿る」 というが、蕎麦や鮨におけるワサビは、決して細部のたぐいには入らない。

そばがきをひとつ、総菜屋のそれよりも安い天ぷらをふたつ、それに 五合蕎麦 を注文する。店の外には、待ち客の数が増えつつある。

西順一郎先生ご夫妻は午後1時ころ、日光方面を目指して出発された。霧降高原経由で奥鬼怒へ至り、徒歩にて山間の温泉宿へ達して2泊をされるそうだ。

夕刻、コジマデンキから電話があり、昨日注文したUSBハブを備えた10キーが、早くも届いたことを知らされる。

早速、本体に取り付けてみる。この10キーは、CD-ROMによるドライヴァをインストールする必要がある。僕の手持ちのPDドライヴは、Windows2000に対応していない。本日からの使用は、見送らざるを得ない。

夜、生湯波と筑前煮にて、紅乙女のオンザロックスを飲む豆腐と油揚げとミズナを追加投入した、キノコ鍋を食べる

10時前に就寝する。


 2001.1012(金) 「とりあえずビール」

朝5時に起床する。オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。

前夜9時に寝て翌朝5時の起床とは、いかにも眠りすぎだ。このところ、短い睡眠時間で満足をすることがない。

朝飯は、冷や奴、卵焼き、ホウレンソウの油炒め、納豆、鮭の粕漬け、ジャコ、メシ、ミズナとシイタケの味噌汁

社員ふたり分のアドレスをniftyに申請する。10月中にこなさなければいけない出張がいくつもある。できれば複数の用事を一度に済ませたいが、先方の返事を待って、というようなこともあるため、それはままならない。

FSEの柴田さんがフラリと現れる。昨日、NTTのタダさんからADSLについての連絡があったことを話す。今月中の導入を要請する。

"ThinkPad s30" の10キーが届くまでに、10日ほどはかかるらしい。左手で受話器を持ちながら右手で数字を入力する作業が、1日に何度となくある。ギクシャクしながら、これを行う。

晩方、生湯波、ブタの生姜焼き、ニンジン、インゲン、山伏茸のバター炒め、ジャガイモのサラダ を食べながら、梅津酒造ジゲの酒・うまいがな(濃醇) を飲む。

僕は飲み屋や食べ物屋で 「とりあえずビール」 とは、言ったことがない。なぜ 「とりあえずビール」 を飲むのかが、理解できない。飯を食べながらビールを飲むことも、ほとんどない。

入浴後にキリン一番絞りを135cc飲み、10時に就寝する。


 2001.1011(木) 蠣皇鮮竹巻

朝5時に起床する。オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。

朝飯は、鮭の粕漬け、目玉焼き、ほうれん草の油炒め、納豆、ジャガイモのサラダ、ジャコ、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

"ThinkPad s30" のアウトプット端子は、USBになっている。いままでの10キーは使えないため、コジマデンキにてIBMの純正品を注文する。純正品でなくても動作に支障はないが、デザインの齟齬を、僕はあまり好まない。

困ったのは、プリンタケイブルについてだ。

コンピュータ側がUSBで、プリンタ側が25ピンというケイブルが、どこにも見つからない。いまとのところ "ThinkPad s30" では、USBのバスを備えるプリンタしか、使うことはできないようだ。

午後、NTTのタダさんから、ADSLの導入につき電話が入る。FSEのシバタさんと連携をとりながら作業をすすめるよう、これを頼む。

晩方、久しぶりに日光の中華料理屋 「翠園」 へ行く。

紹興酒酥炸蝦球香煎鍋貼蠣皇鮮竹巻蠣油豆腐八珍湯麺

ブタの挽肉を水で戻した乾燥湯波にて巻いた 「蠣皇鮮竹巻」 が、今夜のメニュの中ではもっとも僕の好みに合った。

帰宅し、9時すぎに就寝する。


 2001.1010(水) 祭日のデフォールト化

朝5時に起床する。オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書く。

コンピュータの入れ替えにつき、一昨日の日記のアップが遅れた。昨日の日記はすでに作成済みだが、ローカルからサーヴァーへの転送は、少し遅らせることにする。

朝飯は、らっきょうのたまり漬、キャベツの油炒め、マヨネーズ入りのスクランブルドエッグ、納豆、鮭の粕漬け、ジャコ、メシ、アサリとお麩と万能ネギの味噌汁

昨日の晴天とは打って変わって、朝から少し強めの雨が降り続いている。客足も鈍い。

10年以上も前の氷雨の降る晩に、赤坂のある大型レストランへ行ったことがある。レジ係は精算の際に、雨の日の来店を感謝する商品券をくれた。予期していなかったこととはいえ、大したサーヴィスだと感じ入った。

店舗の責任者に、クルマから降りるお客様には、できるだけ傘をさしかけるよう伝える。

ふと気がつくと今日は10月10日で、数年前までは体育の日だった。

最近、祭日を○月の第○月曜日とする例が目立ってきた。祭日なら10月10日とデフォールト化すべきというのが、僕の考えだ。理由は、憶えるのが面倒くさいから。

晩飯は アラ鍋。プルプルのゼラチン質にはポン酢だけではなく、ときに塩こしょうをして食べる。梅津酒造「うまいがな(軽快)」 を飲む

キリン一番絞りを135cc飲み、10時に就寝する。


 2001.1009(火) ThinkPad s30 への移行

朝6時に起床する。家々が朝日を受けて光っている事務室の中にも朝日が射し込む

"ThinkPad240X" は昨夕、外注SEのカトーノさん が持ち帰った。事務室にある他のコンピュータにディスケットを差し込む。昨日の日記のテキストのみを作成する。

朝飯は、ホウレンソウの胡麻よごし、アジの干物、納豆、野菜の佃煮、ジャコ、メシ、アサリと万能ネギのみそ汁

日中、ウチの商用ペイジ が、ちょうど55555カウントを記録 するところに遭遇する。

夕刻になってやっとカトーノさんが、1週間前に預かった "ThinkPad s30" と 昨夜からデイタを吸い上げ続けた "ThinkPad240X" を持って来る。

カトーノさんは、僕のコンピュータには、主にバックアップの必要なデイタだけで1.2GBもあると、その内訳を見せてくれた。

  Web Page   約 120MB
  Becky!   約 200MB
  Nifterm   約 540MB
  マイツール   約 350MB
  ---------- ------------
  計   約 1210MB

テキストも、積もり積もれば山になる。

2分ほどで食べ終わってしまうような 小さなポーションのカレーライス を食べながら、細密な個所の整合性を高めていく。マイツール のファイル移動のみは、僕が行う。

昨年の8月から使い続けた "ThinkPad240X" から "ThinkPad s30" に 中身を移し替える作業は、足かけ数日をかけて、夜11時30分にようやく終わった。カトーノさんに感謝しつつ、カトーノさんが好むウチの漬物をおみやげに渡し、通用口から送り出す。

いまこのときから、"ThinkPad s30" が僕の常用マシンになった。このコンピュータを何に使うのか? 「金儲け」 と 「人助け」 であることは、論を待たない。

0時30分に就寝する。


 2001.1008(月) 損得の斟酌

朝5時に起床する。オンラインショップからの注文が多すぎて処理しきれない。始業後の仕事として後まわしにする。数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。

朝飯は、キュウリの古漬け、スペイン風目玉焼き、ゼンマイと油揚げの炒め煮、ジャコ、納豆、メシ、ジャガイモと万能ネギのみそ汁

昨日の日曜日よりも今日の月曜日の方が、すべてのアイテムにおいて多く売れている。日曜日から月曜日にかけて遊びに見えるお客様が、近年は少なくない。

9月25日に行われた 本酒会 の会報を、まだ送付していなかったことに気づく。メイルマガジンの形では、本酒会の直後に、eメイルアドレスを持つすべての会員に送付をした。ウェブペイジ も、とうのむかしに作成済みだ。

デイタベイスを作ることも、文章を書くことも、メイルマガジンを送ることも、またウェブペイジを作成することも、気楽な作業だ。ただ、紙の印刷物を作って郵便局から送付するという行為だけが、ひどく面倒くさい。

終業後45分かかって 25名分の本酒会報を印刷し、綴じ、折り、封筒に詰め、タックシールを印刷し、それを貼り、封をする

我が社には、社員に対する 「コンピュータ購入支援制度」 がある。

ThinkPad1124の出物を探していたが、先日、"Computer Lib" の社長マヒマヒ氏が秋葉原から 「2台だけ見つけたが、どうするか?」 と、電話をしてきた。即それを押さえるよう頼んだことは、言うまでもない。

すべての社員が退社した後、購入を希望する人へのお知らせを、社員用通路の掲示板に張り出す

アメリカとイギリスによる、アフガニスタンへの空爆が始まった。

大国の矛盾は一度その姿を消し、辺境の地を選んで間欠泉のように噴出する。アメリカを支持する多くの国は、アメリカの言い分が正しいから支持をしているわけではない。国家は大儀によって動くのではなく、損得のバランスシートに基づいて行動する。

晩飯は、鮭の粕漬け、ゼンマイと油揚げの炒め煮、ホウレンソウの胡麻よごし水餃子梅津酒造「うまいがな(軽快)」 を飲む

そのままカウチにて、11時30分まで眠ってしまう。入浴し、キリンの一番絞りを270cc飲む。

0時すぎから、自由学園体操会のヴィデオを見る。この80分間のヴィデオを10月6日以来、何度繰り返し見たことだろう。映画1本分の時間が、あっという間に過ぎる。

2時に就寝する。


 2001.1007(日) 子供と遊ぶこと

朝7時に起床する。今年1番の遅い目覚めかも知れない。朝食をとる前に店を開け、道路の掃除を済ませる。

朝飯は、キュウリの古漬け、キンピラ、牛肉の佃煮、コンニャクの甘辛煮、納豆、湯波、ゼンマイと油揚げの炒め煮、ホウレンソウの油炒め、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁

10時から次男@5歳を仮面ライダーショウへ連れていくよう、anne@家内に頼まれる。

家から歩いて15分ほどの文化会館へ行く。駐車場には、大小のテントが幾十となく張られている。模擬店、ゲイム、書籍の販売、種々のヴォランティア活動の報告などが、オレンジ色のTシャツを着た人たちによって運営されている。

会場へ来てはじめて、仮面ライダーショウは、「ボランティアフェスタ2001」 というイヴェントの、出し物のひとつであることを知った。

次男の幼稚園の同級生ひとりと合流し、会場内に設けられたゲイムやスポーツのコーナーを巡る。同級生の女の子はひとりで遊んでいるらしく、ゲイムの申込書は僕が親に代わって記入する。

空気で膨らませたトランポリンのところにいるオジサンに、今日のこのイヴェントについて質問をするが、「ボランティアをする人の集まりです」 という説明だけでは、なにも分からない。僕の社会的な知識が不足しているためだ。

11時から仮面ライダーショウが始まる。気がつくと、次男と女の子は自分たちで折り畳み式の椅子を見つけて座っていた。ショウがもっとよく見えるよう、ステイジ前の桟敷に連れていく。

悪者が桟敷に乱入したところで次男は後ずさって立ち上がり、僕の姿を探し始めた。手を挙げて所在を知らせると、裸足のまま走って逃げてきた。そのまま抱き上げて折り畳み式の椅子へ座り、ショウの最後までを見届ける。

同級生の女の子には、会場内で活動をしているらしいお母さんのところへ戻るように伝える。昼に帰宅する。僕が次男とふたりだけで何時間も遊ぶのは、極めて希なことだ。

夕刻、ゼンマイと油揚げの炒め煮、キュウリの古漬け、牛肉の佃煮 にて、梅津酒造ジゲの酒・うまいがな(軽快) を飲む。この酒名で不味かったらどうするのかと思うが、それは杞憂に過ぎない。

オデン を肴に、更に 「うまいがな(軽快)」 を飲み進む。

9時に就寝する。


 2001.1006(土) 自由学園の体操会

朝6時前に起床する。顧客からの問い合わせに返信を書き、コピーをして会社のpatioにアップする。

オフクロと甘木庵を出て、8時に池袋へ達する。8時40分ころ、自由学園 の正門受けつけにて、体操会の入場券を差し出す。

大芝生を見ながら、けやき坂を下る

今年は長男@15歳と次男@5歳の運動会が、同じ日に重なった。家内が次男の運動会へまわり、僕とオフクロが長男の体操会に来た。

僕は長男の出る全種目を、8ミリヴィデオに納めて帰らなければいけない。大芝生の最前列に銀マットを敷き、三脚をセットする。

長男は筆まめではないため、入場行進 については、何も知らせてこなかった。ウインドオーケストラを "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" にてズームアップすると、果たして長男はトランペットの最後列に参加をしていた

中等科3年間の下積みを経て高等科1年生の今年から、選抜ティームに加われるようになったらしい。

今日はさいわい天候にも恵まれ、しかし照りすぎないために、暑さも感じない。ただ爽やかなばかりの1日を、ありがたく思う。

ヴィデオカメラのディスプレイを覗きながら撮影をすることは、つまらない行為だ。目の前の実際には目もくれず、小さなテレビを通してそれを見ていることと同じだ。

大芝生の角に三脚を立てて、カメラの電源を入れる。自分はそのまま会場のあちらこちらを歩いて、知った顔と話し込む。

オフクロとふたりで男子部の石垣に座って昼飯を食べていると、長男が現れて 「このあとウインドオーケストラの演奏があるため、いっしょにメシは食べられない」 旨のことを述べる。「そのようなことは気にしなくて良い」 という意味のことを答える。

昼飯を済ませ、大芝生に荷物を置いてから、三脚につけたままのビデオカメラを持って、記念講堂へ移動する。

記念講堂にて、ウインドオーケストラの演奏が始まる。僕の在学中には決して選ばれなかっただろうポピュラーな曲も、今日の演目には含まれている。

オリンピックの野球よりも見ていて面白いのが、自分の子供の参加している野球だ。どんなに優れたオーケストラの演奏よりも聴く気にさせるのが、自分の子供がラッパを吹いているバンドの音楽だ

男子部の体操はすべて良好な構図を求めて会場を移動するため、ヴィデオは撮れても写真を写すヒマはない。ヴィデオを撮る必要のない 女子部の綺麗な映像のみ が、デジタルカメラに蓄積されていく。

植え込みの陰から真鍮の金色を木漏れ日のように光らせて、ウインドオーケストラが大芝生に姿をあらわす。マーチと共にフィナーレが始まる。小さな学年から大きな学年までが、体操会のなごりを惜しむように、1分間ほどの短い演技を繰り出していく。

やがてウインドオーケストラが賛美歌380番を吹奏し始める。僕はこれ以上に好きな賛美歌を持たない。僕の葬式には、如来寺のクワカドシュウコウ君に頼んで、この賛美歌を流してもらうことにしよう。

やがてすべての生徒は隊列を整え、大芝生の奥へ消えていった。

創立80年目の体操会は二千数百名の参観者を得て、午後3時に無事、終了した。


 2001.1005(金) 大型から小型へ

朝5時30分に起床する。

オンラインショップ からの受注で記載事項の不十分な顧客への質問など、数通のeメイルを書く。

下今市駅7:03発の、上り特急スペーシアの始発に乗る。全294の座席のうち、14席のみが埋まっている。自分の運営するpatioに数通のレスポンスを書き、昨日の日記を作成する。春日部にて、一気に乗客の数が増える。

浅草駅構内のドトールコーヒーにて朝食をとり、新橋からゆりかもめに乗る。いつも気になるコルビジェ風の集合住宅 を左手に見ながら、10時に東京ビッグサイトへ至る

傘を差さなくても済むほどの、弱い雨が降っている。

このところの景気を映してか、会場に人の姿は、あまり多くない

東5ホール に取引先を訪ね、包材について2、3の打ち合わせをする

東1ホール へも取引先を訪れ、先方が何年も前から納入したがっている包装用機械の成熟度合いを確かめる

会場をくまなく回り、面白いもの、興味を惹かれるもの、すぐに役立ちそうなもの、役には立ちそうにないが、どこか引っかかるものなどを観察する。

今回の "JAPAN PACK" の顕著な特長は、大型機械よりも小ロット生産のための小型機械に、人が集まっていることだ。

会場の外へ出ると、雨は上がっていた。急速に乾きつつあるコンクリートから、夏を思わせる湿気が発生している。

夕刻5時に甘木庵へ戻ったところで携帯電話が鳴る。会社からだった。一旦切り、甘木庵の電話番号にかけ直してもらう。

丸の内線にて池袋へ至り、上出来の焼鳥屋 「母屋」 にて飲酒を為す

若い男の店員が 「きのう、ノグチ様がお見えになりました」 と言う。僕は 「あぁ、そうですか」 と答える。もとよりノグチなどという人物については、知るよしもない。僕に似た常連がいるのだろう。

9時20分に甘木庵へ帰着し、今日の日記を書いて10時30分に就寝する。


 2001.1004(木) 繁盛している店

朝5時に起床する。オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。5時の起床は、朝飯前にこれらすべての作業をするには遅すぎる。

朝飯は、マグロのそぼろ、トマト、ニンニクのたまり漬、コンビーフとキャベツとピーマンの油炒め、ジャコ、納豆、メシ、ナメコとマイタケと豆腐の味噌汁

朝飯前に処理しきれなかったオンラインショップからの注文を、引き続き始業後に行う。

何年か前に 「繁盛しているオンラインショップとは、店主が睡眠時間を削って努力している店だ」 という発言を、ある教室で聞いたことがある。当たっているところもあれば、そうとは言い切れないところもある。

9月22日、下今市から乗った上り特急スペーシアで、隣席のコヤナギヒロシ君に、「繁盛しているオンラインショップに共通していることはなにか?」 と訊かれた。僕がいくつかの特長を上げると 「なんだ、普通の商売と同じか」 と言う。要は、そういうことだ。

家族のほとんどが夕食時間の直前まで、種々の用事にて拘束される。外で夕食をとることにする。行き先は僕以外の皆で決めてくれと頼む。みとや鮨へ行くことになる。

燗酒2合と赤貝のワタ濃厚さよりも清涼さを感じさせる岩ガキカマスの塩焼き

前の晩にイタリア料理を食っていてこんなことを言うのも何だが、血中の脂分を増やさないために、締めは キュウリ巻きと納豆巻き にする。結局は、満腹以上に食べ過ぎる。

帰宅し、9時に就寝する。


 2001.1003(水) ミラノ食堂のデザート

朝4時に起床する。数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。6時前に事務室のシャッターを開けて外へ出る。社屋に朝日が射す

朝飯は、ナスの塩水漬け、ジャコの大根おろし和え、納豆、卵焼き、アジの開き、メシ、カブとナメコの味噌汁

午後、所用のため 営業車で5Kmを走り、日光市へ至る

JR日光駅は1890年の開業で、貴賓室も備える駅舎は1912年に建てられた日光観光協会 は、この駅舎について 「フランク・ロイド・ライトの設計といわれている」 と記しているが、僕はこれをライトの設計とは思わない。ひとめ見ればわかることだ。

今市市から日光市まで、たった5Kmを移動しただけで、男体山は自宅の窓から よりも、かなりその大きさを増している

終業後、クルマで28Kmを走り、宇都宮市へ至る。"UNIQLO" でことし入社した新人の冬物作業着を買い、はす向かいの "XEBIO" にて、会社のロゴ入れを頼む。

今年の7月に我が町の "Right-on" で、リーヴァイスの白い501があるかと訊くと、店員は 「明日にならないと、取り寄せができるかどうか分からない」 と答えた。というわけでここを諦め、検索エンジンにて秋田市の "JOE" という店を見つけた。

1日に700もアクセスがあるし、SSLも備えたオンラインショップなので、対応もしっかりしているだろうと同じ商品を発注すると

「現在は在庫切れだが、予約も可能である。もし待てるなら、eメイルにて返事をくれ」 と返信があった。「待っているから、入荷次第、送って欲しい」 と返して3ヶ月、ついに何も届かない。

この店もまた、あてにはならなかった。

ところがつい先日、宇都宮市のオリオン通りにあるファンキーこの上ない "SHOP 110" にて、開店準備中の店員に 「リーヴァイスの白い501なんて、無いよね?」 と訊くと、即座に 「あります、サイズ、いくつですか?」 と答える。

そのときには僕のサイズが無かったため内金を置いて帰ったが、早くも翌日には、僕の注文品は入荷した。

"XEBIO" から "SHOP 110" へまわり、リーヴァイスの白い501を受け取る。

街のジーンズ屋が1日で取り寄せられるものを、"Right-on" や1日に700もアクセスのある秋田市のオンラインショップは、一体なにをしているのだろう?

オリオン通りから 二荒山神社前の交差点に出る。これを左折して競輪場通りへ出る。

ミラノ食堂へ行く。カジュアルという言葉を二乗した感じのイタリア料理屋だ

ハーフのデキャンタが1000円なので、この赤を注文して直後に、「本日のお薦めワイン」 がフルボトルで1200円だということを、メニュに発見する。

「自分の注文は速やかに決定しなければならない」 「注文をとりに来た人を待たせてはいけない」 という僕の信条が、いつもこういう結果を生む。

桃太郎トマトのサラダシーフードサラダ、胡麻のドレッシングマグロのカルパッツィオアンチョビとルッコラのスパゲティ

そしてこの店で1番人気の、パルミジアーノレジアーノに穿った穴で撹拌して作るチーズとキノコのリゾット

羊のローストは、肉が厚くてなかなかに美味い。あらかじめパセリを刻み込んだオリーヴオイルによる、緑色のソースも上出来だ。

デザートは、僕が バナナのプリン、anne@家内が イチジクのシャーベット、次男@5歳が 焼きリンゴとバニラアイスクリーム

熱い器に丸ごとの焼きリンゴとアイスクリームを盛ったこのデザートの価格は、わずかに300円だ。この店がいつも若いお客によって満たされている理由は、こういうところにもあるのだろう。

帰宅し、10時に就寝する。


 2001.1002(火) 澤野工房への注文

朝6時に起床する。ThinkPad240Xは昨夜、カトーノさんが持ち帰って手元には無い。社員のThinkPad2611にディスケットを差し込み、昨日の日記のテキストを作る。

朝飯は、豆腐の卵とじ、コンビーフとピーマンの油炒め、カブと油揚げの炊きもの、メシ、ナスの塩水漬け、豆腐と油揚げと長ネギの味噌汁、納豆

7時すこし前までは軽く雨も残った、9時ちかくになって空は晴れ上がる。北西北東南東南西 と眺め渡す。我が町では、北西の日光連山が晴れれば、翌日は好天になることが多い。

昼前にカトーノさんが来社する。昨夜2台のコンピュータと共に渡したPDドライヴが、ThinkPad s30のOSであるwindows2000に対応しないため、作業が滞っているという。

カトーノさんは、アプリケイションの吸い上げが終わったThinkPad240Xを 「とりあえず、これを使っていてください」 と、置いて帰った。

今朝ディスケットに書き込んだ昨日の日記をウェブペイジにコピーし、カメラの画像をコンピュータに移す。ファイルをサーヴァーに転送する。

きのう "MY FAVORITE" に書いた 「Jos Van Beest のピアノ」 について少し曖昧なところがあるため、澤野工房 から同級生のヨネイテツロウ君に

 "Because of you"  Jos Van Beest Trio  AS006  \2,500

を送る算段をし、銀行へ代金を振り込みに行く。

追いかけるようにして澤野工房から、商品は明日到着させる旨のeメイルが入る。ヨネイテツロウ君に向けて、質問のeメイルを送る。

スティールドラムを自作するほどの彼なら、僕のリズムについての質問には、軽々と答えてくれるだろう。

晩飯は、春雨サラダ鳥の唐揚げ中華ソース「竹葉の露 大吟醸」 を、僕がこよなく愛する、牛乳瓶のように分厚い大衆酒場のグラスにて飲む。

9時に就寝する。


 2001.1001(月) 馬生と志ん朝

午前0時30分に目が覚める。1時30分に起床する。

オンラインショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。毎月1日に更新する文章今月分 を整え、サーヴァーに転送する。

朝5時ころから眠くなるが、ここで眠るわけにもいかない。コーフィーを飲む。深更から強く降っていた雨が、空が明るくなるにつれて、徐々に弱くなる。

朝飯は、ナスの塩水漬け、コンビーフとキャベツの油炒め、納豆、めんたいこ、ジャコ、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

10月20日と21日に行われる 一宮精工 のMG(マネジメントゲーム)に、ファクシミリにて申し込みをする。折り返し、社長のカキオヒデオさんからeメイルにて、東京と姫路の往復に使うべき新幹線の列車番号や宿泊場所についての案内が届く。

昼のテレビニュースが、志ん朝の肝臓ガンによる63歳の死を伝えている。兄の馬生ともども、彼らの寿命を縮めたのは酒だろう。僕は談志、三平には間に合ったが、志ん朝の落語はついに、生で聴くことはなかった。

午後、所用にて、鬼怒川ゴルフ倶楽部へ出かける。会社を出て30分後に戻る。

9月17日に行われた入社選考試験の合格者へ、スケデュール管理表を送付する。これは、今年10月から来年3月までの特殊なカレンダーで、相手の日程と社員研修などを同じ日に重ねないための準備だ。

夕刻、原材料、仕掛品、貯蔵品、製品、用度品の在庫一覧をプリントアウトする。

終業後にカトーノさんから電話が入る。通用口から招じ入れ、いま使っているThinkPad240Xと、9月29日にComputer Libから届いたThinkPad s30を手渡す。カト-ノさんは今夜、寝ずの設定作業をするのだろうか。

早ければ明日から、ThinkPad s30の使用が始まる。

カトーノさんが来たついでに、オンラインショップ から注文書を転送してくるアドレスのみを、携帯電話に設定してもらう。ブラウザから試験注文を出すと、果たして10秒後に着信があった。

1日に30通ほどもあった迷惑メイルが、今後は一切、無くなることになる。

晩飯は、トマト、レタス、キュウリのサラダ と、狂牛病騒ぎで最近とみに安い牛肉を用いたステーキ。飲み物は、Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO

食後に チョコレイトを1個、食べる

9時に就寝する。