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戀する者と酒飲みは地獄に行くという  根も葉もないたわごとに過ぎぬ
戀する者と酒飲みが地獄に墜ちたら  天國は人影もなくさびれよう
Omar Khayyam

 2004.0731(土) レッテル鑑別法

目を覚ますと3時だった。玉ネギと牛肉を交互に串に刺したシュラスコが食べたいとき、卓の上には空豆を裏ごしした上品なムースがある、それと同じような感じで、どうも床に置いた川本三郎の 「私の東京町歩き」 には手が伸びづらい。6月26日に小林紀晴の 「写真学生」 を読み始めて以来、カメラか写真家についてか、あるいは写真家による本しか読む気にならない。ムック本の 「M型ライカのすべて」 を開き眺め、3時45分に起床する。

4時に蔵へ入り、ちょっとした仕事をして事務室へ戻る。5時に蔵へ行ってもういちど仕事をしてふたたび事務室へ戻る。ウェブショップの受注を確認する。7月は苦戦にて、前年同月比で微増の成績しか残せないだろう。きのうの日記を作成して7時に居間へ戻る。

朝飯は、菜の花の塩漬け、塩鮭、納豆、メカブの酢の物、にんにくのたまり漬、しょうがのたまり漬、プティトマトのオリーヴオイル和え、なめこのたまり漬、メシ、豆腐と胡瓜と万能ネギの味噌汁

「上澤梅太郎商店が紹介されました」 のペイジに載せる本の表紙や、また 「上澤写真館」 に展示する写真のスキャニングは、外注SEカトーノさんのスキャナが壊れて以降、すべて街の写真屋で行ってきた。ところが最近、本のスキャニングについては 「著作権がからむから」 と、写真屋のオジサンがその作業に難色を示すようになった。「世間に何年も遅れたけれど、そろそろスキャナを入れる時期かなぁ」 と考え、"kakaku.com" で調べた先の "PC Trust" に "EPSON GT-X700" を発注する。同じ商品を同じ価格で売る店は他にもあったが、運送業者にヤマト運輸が指定できる点においてここを選んだ。

ついでにということもないが "amazon" や、書籍も販売するカメラ屋のペイジへ行き、カメラ、写真、写真家について、あるいは写真家による本を何冊か注文する。

やがて夕刻になる。高いところの大気の複雑さをあらわすように、北西の空には様々な色の、様々な形の雲があって、そのなかでも下の方にある雲は高い速度で南西から北東へと流れていく。

京都宝塚劇場奥の安価な鮨屋 「金兵衛」 で突きだし代わりに出してくれるそれを真似たノビノビキュウリ茄子とチタケの炒りつけプティトマトのオリーヴオイル和え、オニオンスライスにて、麦焼酎 「山之守」 を飲む。

僕の短くない飲酒歴によればすべてのお酒は、その箱やレッテルのデザインが高度に趣味が良いか、あるいは特に凝ったところがどこにも見られない昔ながらのものか、そのどちらかの場合において美味い。前者の代表が良寛の詩 「東山月出 楼上正徘徊 思君君不見 琴酒誰為携」 を巡らせた菊姫山廃の箱ならば、後者の代表が、この長崎県壱岐郡郷ノ浦町にある 「山之守酒造場」 によるレッテルということになる。そしてこの無名にちかい麦焼酎が、本当に本当に美味い。なお余談ながら、レッテルに 「○○賞受賞」 などと麗々しくある酒瓶には大抵、あまり感心のできる中身は詰まっていない。

遠い弱火で焼くためなかなか仕上がらなかったノドグロがようやく食卓へ運ばれる。次男はまるで未開人のように食べ物には慎重で、見慣れないものには決して手を出さない。パリッと焼けた皮とその奥のフワフワと柔らかく脂ののった白い身を次男の皿へ置きつつ 「まぁ食べろよ」 とうながすと、次男は不承ぶしょう口へ運ぶなり 「美味い!」 と言った。そしてその後、幾きれものお代わり求めた。

豚のフィレ肉を薄くそぎ切りにしたフライをメシに載せ、この上品なソースカツ丼にて晩飯を締める。それにしてもサイトウトシコさんちの田んぼの米は美味い。

入浴して寝室へ行くが、日本対ヨルダンのサッカーを居間のテレビで見ている家内の声がうるさくて寝付けない。それも10時をすぎてようやく静かになり就寝する。


 2004.0730(金) 立派なアル中

4時30分に起きて 「私の東京町歩き」 を読み、5時15分に起床する。あらためて階段室へ行き、ハードカヴァーと文庫と2冊あるはずの 「私説東京繁盛記」 を探すがやはり見つからない。事務室へ降りていつものよしなしごとをする。

6時20分に次男が降りてきたので一緒に外へ出る。今月21日から行われている町内のラジオ体操も今日が最終日になった。6時45分、子どもたちに駄菓子や覚醒剤防止キャンペインのバンドエイドなどのおみやげが配られる。タチバナコウキ君は今日も、体操が終了してから7時までのあいだ事務室でブラウジングをして帰った。

朝飯は、ウリの塩漬け、納豆、メカブの酢の物、生のプティトマト、茄子の炒りつけ、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁

午前中、所要にて宇都宮へ行く。雨が降ったり止んだりする。白く光る巨大な入道雲を覆いかくすように、いつのまにか黒い雨雲が現れたりする。天気雨の杉並木を遡上し、10時30分に帰社する。

すぐにしなければいけないことを後回しにして、いくら遅れても誰の迷惑にもならないような仕事をついしてしまう。今月3日に豊島園のプールで手ひどく日焼けをした肩にはソバカスができてしまった。特に右の肩からはかゆみが去らない。「ひょっとして、これは一生かゆいのだろうか?」 などということを考える。

空が急に暗くなり激しい驟雨がある10分も経てばあたりはまた先ほどまでの明るさを取り戻して地面だけが濡れている

夕刻になって、北西の空に濃い灰色の雲がわき上がる。上空では南西から北東へ強い風が吹いているらしい。

晩飯は、プティトマトのオリーヴオイル和え冷や奴菜の花の塩漬けとサツマイモの甘煮。豚の冷やししゃぶしゃぶは、半生のまま氷水へ投入すると固くならずに美味い。この豚肉を薄くそぎ切りにした胡瓜に巻き、にんにくのたまり漬と生姜のたまり漬の刻んだものをソースにする

このおかずにて酒は飲まずメシを食べるのだから僕もずいぶんと優秀になったものだと思う。すべては 「1週間に7日も酒を飲むなんて、あなたすでに立派なアル中ですよ」 と吐き捨てるように言った、どこかの大学病院から岡村外科にたまに来る内科の医者のおかげだ。 「そのお医者さん、お父さんが酒乱だったとか、そういう理由でお酒が嫌いになったんじゃないかしら?」 と推理をした飲み屋の内儀もいるが真相は知らない。あるいはその医者自身が1週間に7日も酒を飲む立派なアル中、ということもあり得ないわけではない。

入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。


 2004.0729(木) 電池の切れた電動自転車

3時に目を覚ます。「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」 を5時に読み終えて起床する。事務室にていつものよしなしごとをし、6時30分に次男と外へ出てラジオ体操をする。きのうに続いてタチバナコウキ君が次男と事務室へ入り、各々が別のコンピュータでブラウジングを始める。7時に居間へ戻る。

朝飯は、胡瓜とワカメの酢の物、ベイコン、メカブの酢の物、胡瓜の塩漬け、茄子の油炒め、納豆、メシ、蕪と万能ネギの味噌汁

「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」 を読み終えて、しかしまだ写真や写真家、あるいはカメラの関係する本を読みたいという欲求は去らない。それで昼に本棚を探すが、どうも気分に合ったものがない。小林信彦の 「私説東京繁盛記」 の写真はたしか荒木経惟だったと思うが見つからず、また同じ荒木経惟による別の本は、今は食指を伸ばしがたい内容だ。

「南ヴェトナム従軍記」  岡村昭彦著、写真  筑摩書房  \2,600
「戦場カメラマン」  石川文洋著、写真  朝日文庫  \1,600

の2冊を次男の勉強机に運んで開いてみるが、いまだこれらは本棚で熟成をさせた方が良さそうだ。床まで本の散乱する階段室へふたたび戻り

「私の東京町歩き」  川本三郎著  武田花写真  ちくま文庫  \630

を選んで寝室へ運ぶ。先の 「私説東京繁盛記」 もそうだが、この本もハードカヴァーと文庫の2冊を持っていて、それはハードカヴァーで買ったことを忘れて後に文庫も買ってしまうためだ。僕の本読みは飲み屋のカウンターか寝転がってかに限定をされるから、本棚から取り出されるのはかならず持ち運びの便利な文庫の方で、だからハードカヴァーはいつまでも開かれずに馬鹿ばかしい限りだ。

旧市街より南へ2キロ下ったレストラン 「バンマリー」 へ行くため、7時すぎに家内の電動自転車で日光街道を下る。ハンドルについた赤いランプが点滅をしているのは、そろそろバッテリーの残量が少ないということだろうか。第134回本酒会に出席をする

一時は 「たまごっち」 を3個も腰から下げていたヤギサワカツミ会員の携帯電話が、またまた新しいものに変わっている。そのヤギサワ会員は一方、意外なことに山歩きが好きだ。8月の末までに、日光の光徳牧場から切り込み刈り込み湖への道案内を頼んで了承を得る。一方カトーノマコト会員には "WORKS" の新しい企画への協力を願い出る。ペイジの作成は自分でもできるが、カトーノ会員の力を借りなくては格好の良いものはできない。

中禅寺湖に降った大雨のため夕方から急遽、現地に派遣をされた関東電気保安協会のサイトウマサキ会員が、 9時をまわってようやく到着する。中禅寺での仕事について質問をしてみるが、当方はすでにして酔っているため説明を受けてもハナから理解できない。

電動自転車のバッテリーは遂に枯渇した。まるでスポーツジムにある動かない自転車のそれのように重いペダルを踏んで例弊使街道、続いて日光街道を上っていく。このあたりのタンジェントは3.75/100という説もあり、2キロの道のりは結構きつい。「こんなことなら普通の自転車で家を出れば良かった」 と悔やんでみても仕方がない。

9時30分に帰宅して入浴し、「私の東京町歩き」 をすこし読んで10時30分に就寝する。


 2004.0728(水) メシの逆転?

4時に起床し、帽子をかぶって蔵に入る。5時に事務室へ戻っていつものよしなしごとをする。6時20分に次男が来て外へ出て行く。気がつくとラジオ体操は終わっていた。今市小学校5年生のタチバナコウキ君が事務室にて任天堂のウェブペイジをブラウジングし、7時に帰る。

朝飯は、ウリの塩漬け、納豆、茄子とシシトウの油炒め、トマト入りスクランブルドエッグ、メカブの酢の物、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁

閉店直前より柴田鉄鋼と左官屋が店舗へ入り、顧客用給茶器の露出配水管を黒い御影石で覆う作業を始める。石はあらかじめ長さ1間幅5寸の直線に整えられているが、これを20数年を経て狂いの生じたケヤキの格子に添わせようとして左官屋が悪戦苦闘をしている。その様子をときどき見に行っては自分の席へ戻り、17年前に作成した写真集 「侘助たちの午後」 以外の何もない "WORKS" の、新しい企画のスケッチを描く

店舗の改装作業は午後8時に至ってようやく完了した。店舗や事務室を施錠して居間へ戻る。

晩飯は、「進々堂」 のブドウパン、メイプルシロップをかけまわしたヨーグルト、牛乳。本日のメシに限っては、普通の家の朝飯と晩飯が逆転したようなあんばいになる。

8時30分に入浴して 「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」 をすこし読み、9時30分に就寝する。

と、ここまで書いて本日の日記の文字数は665だった。文字を飛ばさずに読める他人の文章はこのくらいの長さがせいぜいではないかと考え、しかしその範囲に日記を収めることのできた日はほとんどない。


 2004.0727(火) 十割蕎麦の大盛りが2枚だって?

5時に目を覚ます。5時30分をすぎて 「いよいよ起きなくては」 と思うが 「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」 のペイジから目を離すことができず、結局6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをする間もなく次男があらわれ外へ出て行く。ラジオ体操の歌、ラジオ体操第1、合間の首の運動、ラジオ体操第2のすべてにつきあうのは面倒なため、僕は6時38分ころにドアを開け町内の老若男女に合流する。

朝飯は、メカブの酢の物、ベイコンエッグ、茹でたオクラのかつお節かけ、納豆、大根と胡瓜の漬物、メシ、炒めた茄子と万能ネギの味噌汁

何年か前に会社の健康診断で高脂血症といわれ病院に行くと 「玉子などは数日に1個以上を食べてはダメだ」 と、あてになるのかならないのかは知らないが食生活について指示を受けた。以降、ベイコンエッグを自宅の食卓で目にすることはほとんどなくなった。ペイコンを思う存分に咀嚼し、その脂を口中に行き渡らせる。炒めた茄子の味噌汁も、その表面に張った油の膜がとても美味い。もちろんオクラも納豆も美味い。

午前中、ホンダフィットにて鹿沼市のちょっと贅沢な施設へ行き、ちょっとした会合に出席をする帰りに例弊使街道を北西へ向かって戻りつつあるとき、よほど動体視力に優れた者以外は見落としそうな 「野点庵」 という小さな看板に目が留まる。「人間が行動をするとき、脳には必ず言葉があって、その言葉が体に指示を出す」 と言った人がいたが、僕にそれは当てはまらない。「野点庵」 という文字が目から入って足がブレイキペダルを踏むまで、僕の脳の中に一切の言葉はなかった。

杉の巨木の隙間から並木の外へ出る。夏の日差しが乾いた砂利を白く乾かし熱している道を100メートルほど歩くといきなり広葉樹の緑陰があって、その中に丸太の柱と漆喰の壁を持つ小さな建物が見えた。案内されるままに席へ着き、壁の黒板を読んでいくと、そこに 「十割蕎麦 1日20食限定」 の文字がある。女の人にこれの大盛りと天ぷらの 「小」 を頼む。

厨房のオヤジは蕎麦を茹でながら常に客席に目を配っている。客が自分の蕎麦をどのような顔つきで食べているか、そのフィードバックを自分の糧にしようとの真面目さを強く感じる。ややあって、そば粉を練る鉢を模した朱塗りの器に盛られた黒めの蕎麦と、野菜の天ぷらが運ばれる。

薬味は用いず多めの蕎麦をつゆへ投入して一気にすすり込む。僕に蕎麦の美味さは分からない。それはどういうことかというと、金原亭馬生の噺を聴いても美味いのかへたなのかさっぱり分からない、あるいは笠智衆の芝居を見てこの人が怜悧な演技者なのかあるいはただのボンクラなのかさっぱり分からない、それと同じような意味において、僕は蕎麦の美味さが分からない。ただし誰かに 「野点庵の蕎麦って、美味いの?」 と訊かれたら 「美味いっ!」 と僕は答えるだろう。僕には蕎麦の美味さは分からないが 「これがいわゆる美味いとされる蕎麦の味だ」 という、その味を理解することはできる。

今月のなかばごろ、家内は実家の父と長男と共に母親の墓参りをした。それを済ませて後に麻布の山を下り子どものころから好きで行きつけている有名な蕎麦屋でせいろを食べたところ、これがさっぱり美味く感じられなかったという。「私、今市のお蕎麦に慣れちゃったのかしら?」 とは家内のことばだが、僕もそのようなことを思わないではない。ただし僕は、藪や砂場や更科のつゆで我が町の蕎麦を食べてみたい。トゥールダルジャンで携帯用のワサビを取り出した魯山人に倣って、更科のつゆの缶を蕎麦屋で取り出したらどうなる? 粉ワサビを使う蕎麦屋に生わさびと鮫皮のおろし金を持ち込んで使ったことはあるが、つゆについてはちと店の人に対する刺激が強いだろうか?

それはさておき 「野点庵」 の天ぷらは茄子もピーマンも人参もマイタケもフワフワと揚がってとても美味い。「どうやったらこんなに野菜がフワフワになるんだろう?」 と一瞬のあいだだけ考えるが別段、天ぷら屋になるわけでもないので考えることは早々に止め、またフワフワとアゴを動かしてその不思議な天ぷらを食べる。

それにしても 「小」 とはいえ東京の蕎麦屋であれば立派な一品になる量の天ぷらが、ただの250円である。山の中の蕎麦屋の漬物はできあいではなく働きに来ているオバチャンたちの自前だから、いささか育ちすぎの胡瓜を用いてあっても不味いわけはない。

「こんどは二八の盛りを1枚、食おうかなぁ」 という考えも浮かぶが 「そば湯を飲めば、満腹になっちゃうんだよな」 と思い直す。その蕎麦湯は器の底に行くほど濃く、最後の1杯には微細な黒い粉白い粉がポタージュのような濃度の中にビッシリとあって大いに僕は感心をした。やはり、ここへ至って満腹になる。隣の席のオジサンが 「十割蕎麦の大盛り、2枚ね」 と、女の人に声をかける。蕎麦ならいくら食っても高脂血症になることはないだろう。

あれやこれやとして夕刻に至り、2年前のボジョレヌーヴォーを抜栓するオイルサーディンの缶詰から直接に中身を食べていると、まるで米軍の酒保で飲酒を為している気分になる。"neu frank" のコーンビーフの薄切りを軟口蓋と硬口蓋のあいだで圧縮し、溶けた脂をチューチューと吸う。ほぐれた肉の線維をグジャリグジャリと噛む。籐椅子に座って胸を反らしワインを飲んで、白いポロシャツの胸にバラバラッとワインをこぼす。あわててそれを脱ぎ洗面所にてもみ洗いをする。

トマトとオクラとモツァレラチーズとベイジルの冷たいスパゲティは、すぐになくなるともったいないのでチビチビと食べる。トム・クルーズが "The Last Samurai" の撮影中に「チョコの入ったクロワッサンが食べたいなぁ」 とわがままを言い、「進々堂」 がそれに応えて作ったチョコ入りのクロワッサンをデザートにする

同級生のコバヤシヒロシ君はクロワッサンにバターをつけて食べているところをお姉さんに見つかり、「クロワッサンはなにもつけずに食べるものなのよ」 と叱られたという。やはり同級生のハセガワヒデオ君はピアノを弾いていて、音楽の先生に 「ピアノは打楽器ではありません」 と叱られた。「正統」 とか "orthodox" という言葉を僕は好むが、しかしチョコ入りのクロワッサンもまた美味い。

入浴してなにも飲まず、9時30分に就寝する。


 2004.0726(月) 麦焼酎 「山之守」

4時30分に目を覚まして 「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」 を読み5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをするうちに次男があらわれ、勝手を知った様子で外へ出て行く。きのうの画像を整理しながら6時30分に始まるラジオ体操への出席を忘れる。

7時に居間へ戻る。朝飯は、tomato egg drop soup、カスピ海ヨーグルト、メロン進々堂の巨大な食パン、牛乳。

1991年の春にカトマンドゥで高熱を発しベッドに伏せったが、なにも食べないわけにもいかず、泊まっていた中級ホテルの屋上にあるレストランを訪ねて発見したのが "tomato egg drop soup" の文字だった。シューシューと音を立てつつ青い火を吐くケロシンランプで調理されたトマト入りコンソメスープの玉子とじは美味かった。そして今朝のそれも美味い。

滝田ゆうの描く寺島町の女の人が進々堂の食パンを食べたら、その頭の脇の吹き出しにはどんな絵が当てはめられるだろうか。空に浮かぶ白い雲をちぎり取って作ったパイ、というおもむきの厚く大きな食パンを2枚食べて満腹になる。

昼になにげなく外を眺めると、今朝まで気づかなかった紅い色が隠居の庭に見える。昼飯を早めに切り上げ、数ヶ月ぶりに小さな鉄の扉を開いて敷石を踏む。

しだれ桜、金木犀、桃、イチョウなどの葉が茂りに茂って、まるで熱帯の植物園に紛れ込んだ気分になる。夏に咲く花なのだろうか、名を知らない木がたくさんのつぼみをつけている。藤のツルと葉が、まるで爆発したように藤棚からあふれ垂れている。その藤の豆のさやに小さな昆虫がとりついてさかんに動いている。井戸から水を引いたせせらぎの底が間断なく泥を巻き上げるのは、その下に大きなオタマジャクシが隠れているのだろう。

カレンダーを見ているだけでは自然の移り変わりを知ることはできない。昨年は5月の初めに隠居の隅で卵を産んだばかりの大きなカエルを見つけギョッとしたことがある。今年もカエルは5月に産卵し、その子どもがいまオタマジャクシになっているのだろうか? あるいは複数種のカエルがこの庭にはいるのだろう。今日は蛇の姿は目につかなかった。

初更、枝についたままのプティトマトを黒い皿に横たえる。同じ皿に地中海のどこかでとれたという塩を盛り上げる。そのひとつをちぎって厚い皮を噛みつぶすと、青く甘く濃い香りが口の中に満ちていく。「山之守酒造場」 の麦焼酎 「山之守」 を飲むと、これがまるで芋焼酎のようなクセの強さで、つまり美味い。

「ひぐらしが鳴き始めると山にチタケが出る」 とは誰の言ったことだっただろうか。今年はひぐらしもチタケも昨年にくらべて1週間早いという。そのチタケと豆腐の炊き物を食べる。本日、吉田床屋のはす向かいに開店した 「宇都宮にらねぎ餃子」 からのテイクアウト品は、その名の通り強烈なネギ系の匂いを食卓に充満させて悪くない

入浴して 「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」 をすこし読み、9時30分に就寝する。


 2004.0725(日) 美味しいフライ

漆喰の壁に四角く切られた窓から夏の田園を臨む部屋の、これまた四角い何の変哲もない机に玉村豊男とふたりで座っている。お互いの前には一辺が8寸くらいの白く上品な四角い皿があり、その上に胡瓜を半分に切ったほどの大きさのフライが3本載っている。僕と同じハゲアタマの玉村が、これは羊の胎児を丸ごと揚げたもので、フランスではごく普通に食べられているものだと説明をする。

僕に食べ物の好き嫌いはなく、たいていの人よりは多くのものを食べていると思うが、羊の胎児の丸揚げにはどうも食指が伸びない。とはいえ 「さすがにこれは食えません」 と泣きを入れるのもシャクなため、その細かいパン粉の表面を軽くフォークで押さえナイフを入れると、衣の下でひっそりと目を閉じているらしい胎児はググッと背を反らせた。意外に硬い背骨を、ナイフを持つ手に力を入れて切断する。パックリと開いた腹部からは、サザエの肝臓の頂部のように渦を巻いた腸がこぼれだした。

カニクリームコロッケのような白い断面から細い腸のぶら下がったひと切れを口に運び咀嚼する。味は生クリームやマスカルポーネ、生湯波や温泉玉子、タラの白子や羊の脳みそをミキサーで混ぜ裏ごししたようなもので、だから非常に美味いが、しかしその舌で感じる美味さは脳が感じる薄気味悪さに完全に打ち消されて、僕はただ3匹の胎児を早く食べきってしまおうと、それだけを考えている。

1匹目の頭蓋骨をバリバリと噛み砕きつつあるとき目を覚ます。灯りを点け枕頭の時計を見ると3時30分だった。5時30分まで 「ライカを買う理由」 を読み、起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをし、次男とラジオ体操に参加をして7時に居間へ戻る。

朝飯は、メカブの酢の物、生のトマト、シシトウと茄子の油炒め黒酢がけ、白瓜と胡瓜と大根の塩漬け、細切り昆布の薄味煮、納豆、メシ、豆腐と胡瓜の味噌汁

事務室から店舗駐車場、製造現場から店舗、袋詰め部門、製造現場とまわって夕刻に至る。

3分の1ほど飲んだままバキュバンで栓をしてワイン蔵へしまってあった "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" をグラスへ注ぐ。その脇に2種のチーズを置く進々堂のパンは歯で噛み舌の上に乗せて美味いが、ノドの奥を通って食道へ落ちていくキワもまた美味い。カプレーゼ今年の秋刀魚のオリーヴオイル焼きバルサミコソースにて、先日から持ち越したシャブリの残りほとんどを飲む。

ハードカヴァー 「ライカを買う理由」 を読みつつ、外出先では同じ田中長徳による文庫本

「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」  田中長徳著  光文社文庫  \780

を愉しもうと考えていたが、前者はすでにして読み終えてしまった。入浴して 「カメラはライカ 金属魔境へのご招待」 をすこし読み、9時30分に就寝する。


 2004.0724(土) ライカは売ってもストラップは売るな?

5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをしているうちに次男が来るので外へ出て町内のラジオ体操に参加をする。1学期の理科の授業で種を蒔いたホウセンカを次男とサイトウトシコさんが学校へ取りに行ったところ、とてもではないが育つ見込みのない脆弱さのため、サイトウさんはどこかのホームセンターで同じく紅いホウセンカを購入してきた。その、いわば 「アウトソーシング」 の教材に次男が水をやる

7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、厚揚げ豆腐とコマツナの炊き物、生のトマト、白瓜の塩漬け、細切り昆布の薄味煮、納豆、胡瓜のぬか漬、メシ、厚揚げ豆腐と万能ネギの味噌汁。次男の前には、ヴェランダの鉢にあっていよいよ枯れかけてきた枝豆を茹でたものが置かれる

午前中、3日前より松原公園にある市営プールで遊びたがっていた次男を連れて現地へおもむく。僕はマロニエの木陰にタオルを敷いて 「写真の読み方」 を読む。この本にも、また 「わがままいっぱい名取洋之助」 にも頻繁に名の出る三木淳には、1970年代に家内の家でよく顔を合わせた。いま家内にそのことを訊くと、吉田茂の写真で "LIFE" の表紙を飾ったこの写真家とは近所づきあいの間柄だったという。

昼に帰宅する。知り合いのお祝いのためにサイトウトシコさんの家でついた餅のお裾分けを、なめこのたまり漬と大根おろしにて食べる。蒸し暑い戸外から戻ったばかりのからだに辛い大根はとても美味い。

「写真の読み方」 は午前中にプールサイドで読み終えた。いまだ明るい夕刻に

「ライカを買う理由」  田中長徳著  東京書籍  \1,600

を開く。その序文において、1964年、いまだ高校生だった田中長徳が 「二本のライツ社純正の革製ストラップ」 を購入したとき、それを手渡しながら 「こういう革のストラップはねぇ・・・・・・数年使いこんで本当の味が出るんだよ」 と言った 「鎌倉河岸のシュミット商会」 の 「明石さん」 とは、自由学園の3年先輩で, 現在は婦人之友社でカメラマンを勤めるアカシタカヒト君のお父さんではないだろうか?

ここで田中長徳はまた 「ライカは売ってもストラップは売るな」 ということばを 「ライカの諺」 として紹介している。そうは言われても、僕はカメラのストラップはやはり、登山用のザイルとシュリンゲ用の中空テイプで自作する方が好きだ。

春雨サラダ厚揚げ豆腐とコマツナの炊き物ブリブリとした大きな海老と黄ニラの詰まった春巻きにて炊きたてのメシを食べる。世に酒というものがなくなったら僕は非常に困るが、しかしそうは言いながら炊きたてのメシは酒よりもはるかに美味い。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、「ライカを買う理由」 を読んで9時45分に就寝する。


 2004.0723(金) エムロクとエムサン

4時30分に目を覚まして5時30分まで 「写真の読み方」 を読む。世の中のほとんどのメディアに情報操作や扇動はつきものだ。名取洋之助はこの 「写真の読み方」 の中で良いとも悪いとも言わず、そのための技術をひとつひとつ例を挙げながら淡々と説明していく。思想性を排除した技術だけの読み物というものが、僕は嫌いではない。

事務室へ降りていつものよしなしごとをしているうちに次男が来るので、共に外へ出てラジオ体操を行う。朝飯は、茄子の炒りつけ、メカブの酢の物、タシロケンボウんちのお徳用湯波とコマツナの炊き物、胡瓜のぬか漬、細切り昆布の薄味煮、納豆、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁

午前、かねてより 「平井製作所」 に注文してあった "LEICA M6" 用の皮ケイスが届く。僕は精密機械を大切にするあまり腫れものにさわるようにそれを扱い、却って手を滑らせ床に落とすことが少なくない。これからこの上出来のカメラを使うとしたら、せいぜい機動性を損なわない枠の中で防備をする必要がある。事務机からエムロクを取り出し、これに届いたばかりのケイスを取り付ける。細いザイルを利用したストラップは、もうすこしどうにかなったものに交換をしようと思う。

そんなことをしている折もおり、ひょんなことから "LEICA M3" を手に入れる。軍艦部の製造番号は1096681だから東京オリンピックのあった1964年製のボディで、沈胴式のズミクロン50ミリがついている。ピントリングを回すと "M6" のズミクロン35ミリよりもその動きははるかに滑らかだ。西ドイツの生んだ宝石である。エムロクにさえ恐る恐るふれる僕にはとうてい扱えるものではない。柔らかな布に包んで早々に引き出しへ格納する。

夏が過ぎてウェールズ製の青いスモックが着られる季節になったら、黒いエムロクを街へ連れ出そうと思う。

9時に入浴して9時30分に就寝する。


 2004.0722(木) ニラそばの画像

1時50分に目を覚まして 「わがままいっぱい名取洋之助」 を開き、3時10分にこれを読み終える。枕頭の灯りを落として闇の中で静かにしているが眠れないため4時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをしていると6時25分に次男が来る。6時30分より町内のラジオ体操に参加をする。

朝飯は、茄子とシシトウの油炒め黒酢がけ、トマト入りスクランブルドエッグ、メカブの酢の物、かまぼこ、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と玉ネギの味噌汁

百貨店が1週間に1度の定休日をいまだ設けていた優雅な時代、日本橋高島屋前の歩道には毎週水曜日に古本の市が立った。15年ほど前のある冬の日だったと記憶するが、僕はここで吉井良三の 「洞穴学ことはじめ」 と同じ岩波新書の

「写真の読み方」  名取洋之助著  岩波新書 青版505  \693

を手に入れた。「洞穴学ことはじめ」 には学生のときに興味深く接し、しかしいつの間にか紛失をしていたため、思いがけない場所で見つけて大いに喜び再度の購入となった。いま 「写真の読み方」 のハトロン紙のカヴァーを見ると 「100円」 のシールがあって、これも掘り出し物だった。

下今市駅発9:02発の上り特急スペーシアに乗り、冷房の効いた車内にてこの本を読む。利根川を渡り荒川を過ぎて北千住に着く。地下鉄日比谷線にて広尾へ至り、スーパーマーケット "National" の前から南部坂を上がる。自治大学校の廃墟を右手に見ながら坂を上るにつれ、左手の有栖川公園の蝉の声がかまびすしくなる

麻布の山の上の禅寺に家内の母の墓参りをする。ステンレス製の花生けの水は炎天に蒸発して空だったが、何日か前に手向けられたらしい白い花を触るといまだいくらかの潤いがある。水場にて閼伽桶に水を満たし花生けにこれを注ぎ入れる。残りの水を墓石にかけまわし基石も冷やす。楠の巨木の先に六本木ヒルズが暑熱に霞んでいる。

仙台坂上から適当に選んだ坂を下り、麻布十番の商店街を歩く。「登龍」 にてニラそばを食べる。スープの表面に浮いた大量の油がなんともいえず美味い。外出先の食べ物の画像が極端に少なくなったのは、携帯用として使っていた "Minolta DiMAGE X" を長男に譲り、"Canon IXY DIGITAL Li" を使い出して以降のことだ。あちらこちらの設定をいじりすぎるのが悪いのか、光量の少ない場所での近接撮影という、僕がもっとも必要とするほとんどの場面において失敗をするので始末に負えない。

南北線と千代田線を乗り継ぎ、日比谷公園を見おろす霞ヶ関の取引先へ移動する。これまでの電話やファクシミリによる受発注をインターネットを用いたものに換える件につき、出入りの業者すべてを集めての説明会は先月に行われたが、今日はより具体的な使い方の説明に入る。業者の取り引き内容が多岐にわたるため、「ありもん」 のシステムにはつきものの 「例外の部分」 についての質問が多く、予定の時間をずいぶんと過ぎて散会する。

霞ヶ関から北千住までは地下鉄千代田線で僅々21分の距離だ。東武伊勢崎線のプラットフォームに上がると、キヨスクの壁に 「無添加タバコ」 の文字が見える。「無添加ということは、体に良いタバコなのだろうか?」 と考える。「んなわけねぇだぇだろう」 と考え直す。無添加タバコとは、混ぜ物で増量をしていない覚醒剤のようなものだろうか?

北千住駅18:11発の下り特急スペーシアに乗る。地平線まで続く屋根の重なりの向こうに夕日が落ちていく。「写真の読み方」 のペイジを繰りつつ8時前に帰宅する。

午後から何度も着信のあった、"Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長に電話を入れると、すかさずその受話器が誰かの手に渡って 「ご無沙汰してます、カワイです」 と博多なまりの声が聞こえてくる。マヒマヒ社長は博多の河合製氷に出張中だった。そこでようやく、やはり今日の午後の着信記録にいくつも残っていた未知の番号がカワイナデシコさんのものだったことに気づく。

てっきりウェブショップのシステムについてのものと思っていた話の内容は案に相違して、ウェブショップでより多く売るための方法を問うものだった。

いわゆるウェブショップ評論家が 「こうすれば売れる」 と麗々しく本に書く法則を忠実になぞっても、あるいは繁盛店の店長が講演会で述べるノウハウを真似ても売れるわけではない。つまり売れる法則などはどこにもない。だったら 「こうすれば失敗する」 という法則の逆を突けば売れるかといえばそのようなこともない。すべてはケイスバイケイスだ。それはさておき、このような話は電話ではむりなので、積極的に機会を設けてお会いしましょうと言って受話器を置く。

茄子の炒りつけ、温泉玉子にて麦焼酎 「やばの古城」 を飲む白胡麻と胡瓜と万能ネギを薬味にした素麺にて締める

入浴して 「写真の読み方」 をすこし読み、10時に就寝する。


 2004.0721(水) 2÷3

きのうの日記はずいぶんと短くしたつもりだが、あれでいまだ770文字もある。600文字の日記とはどのようなものかを、今日は試しに書いてみようと思う。

5時30分に起床して事務室へ降りる。6時20分、外注SEカトーノさん設計の、EXCELを利用した注文書を添付した顧客のメイルから製造現場へ回す発送伝票を作成しているところに次男が現れる。10分後、店舗駐車場に春日町1丁目の親子が集まり、夏休みに入って初めてのラジオ体操を行う

朝飯は、焼きピーマンのかつお節のせ、マグロと玉ネギのオムレツ、ブロッコリーのバター炒め、メカブの酢の物、納豆、メシ、豆腐とタシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁

遅い午後に家内が 「今日は丑の日だからステーキを食べよう」 と提案すると次男が大喜びをする。「オレは今日は酒を抜くから晩飯は小川軒のレーズンウィッチと牛乳でいいよ」 と言うと 「そういう人の横でこっちだけがステーキ食べるのイヤじゃない」 と家内がなじる。酒を抜くならワイン抜きでステーキを食べれば良いだけのことだとは家内の意見だが、そういうおかしなことはできない。

終業後、自転車に乗ってスーパーマーケット 「かましん」 へ行く途中で鰻屋 「魚登久」 に近づくと、その駐車場には仮設の焼き台があって、職人が蒲焼きを焼いている。臨時やといの交通整理もふたりいる。「丑の日ってのは本当だったんだなぁ」 と思いつつ 「かましん」 の肉売り場へ行くとステーキ用の肉が2枚しかない。家に電話を入れるとこれがつながらないためいったん帰って事務室の館内電話で家内を呼び出し 「だからこれからクルマでジャスコに行ってくるわ」 と言うと 「それを分けて食べればいいじゃない」 とのことにて、子どもの使いのようにふたたび 「かましん」 へ戻る。念のため豚のタンも買う。帰りに洋食屋の 「金長」 に寄ってステーキのたれを買う。

"Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999" を抜栓したところですこし強い夕立がある。念のため1階へ降り、蔵を歩いて雨樋などを点検する。

トマトのオリーヴオイル和えマッシュドポテト、ブロッコリーとトウモロコシのバター炒めを付け合わせたステーキ豚タン焼き。家内と次男が1枚の肉を分け合って食べているため、僕の肉の半分ほどを家内の皿へ載せる。それを見た次男が 「それ、こっちにちょうだい」 と言う。次男はマグロとステーキに限り、おとな以上の量こなす。近藤紘一のヴィエトナム人の奥さんが日本に来たばかりのころ、マグロと牛肉の美味さに驚倒して毎日こればかりを買い、近藤が家計の破綻を心配した話を思い出す。

入浴して牛乳を150CCほども飲む。「わがままいっぱい名取洋之助」 をすこし読んで10時前に就寝する。

と、ここまで書けば文字数は600に収まるわけはなく、エディタにペイストして調べてみればその数は1,120まで伸びていた。


 2004.0720(火) 新記録?

2時30分に目を覚まし、3時30分まで 「わがままいっぱい名取洋之助」 を読む。名取洋之助は写真家というよりも、写真と文章を有機的に組み合わせることによりそれまでにない報道の方法を編み出した才人だ。この名取洋之助が、岩波が映像の世界に乗り出す前段階として企図した岩波写真文庫の総責任者となったとき、この革新的なしかし小さな工房に羽仁進、羽田澄子、そしてオヤジの同級生の犬伏英之という3人の自由学園卒業生が集ったことは興味深い。

5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、茄子とシシトウの油炒め、かまぼこ、モロヘイヤの叩き、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。湯波の油分さえあれば、あとは漬物あるいは生野菜だけでも焦燥せずにメシが食えるように思う。

僕は電話が嫌いだがオヤジは逆に電話が好きだ。長男に持たせた携帯電話をオヤジが呼び出すと雑音の向こうから、現在ノルマンディーに向かう列車の中にいる旨の説明があったという。羊の腎臓でも食べに行くのだろうか。

燈刻、日光宇都宮道路・今市インターチェンジの向こうの空が紅く染まる。東京都心部では本日の昼下がりに39.5度の気温を記録したとの話もある。僕が子どものころはせいぜい30度を超えただけで 「うわー」 という感じだったが、実にそれより10度ちかくも高い。蚊取り線香を焚く。

茹でただけのブロッコリーを義理で1本だけ食べるトウモロコシのバター炒めはそれよりもすこし多く食べるタコとトマトのスパゲティはたっぷりと食べる。そして飲酒は避ける。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。


 2004.0719(月) そこんとこはオレが

5時30分に目を覚まして 「わがままいっぱい名取洋之助」 を読む。6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、納豆、モロヘイヤの叩き、ジャコ、塩鮭、胡瓜のぬか漬、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁

蒸し暑い1日にて、店に立っていると帽子の中で額に汗をかき、それが内側の縁まで流れて落ちて止まる。この季節、このあたりにある夕立は、先々週の土曜日を最後に以降は無い。

初更、バキュバンで栓をした "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" と、いまだ抜栓していないそれとの2本を洗面所の流水にて冷やす。山は西からの光を背に受けて徐々にその色を失い、空の高いところにはウロコのような雲があって夕日に映えている。蚊取り線香を焚いてくれと、思いついたように次男が言う。アルミニウム製の洗濯ばさみを何本か組み合わせて緑色の渦巻きを固定する。昨年の蚊取り線香には難なく火が点いた。夏の香りが廊下に流れていく。

「料理屋がグラスワインにこの器を使ったら、多分、底から1センチくらいのところで止められちゃうんだろうなぁ」 と考えつつ、巨大な風船グラスの底から3センチほどのところまで白くて辛いワインを注ぐカリッと焼けたブドウパンを囓る。2ヶ月ほど前に不安を感じたため歯医者を訪ねたところ、なまじ歯が良いために、固いものを常人より強く噛むクセがあるのではないか? と診断された左上の奥歯が痛む。 

マグロと3種の野菜のサラダが美味い。鶏とリガトーニのグラタンをパイレックスの器から次男の皿へ取り分ける際に、鶏肉よりもパスタを多くスプーンに載せてしまう。「しまった、そこんとこはオレが食いたかったんだよ」 と思うが既にして遅い

そのまま食卓の近くで眠ってしまう。8時30分に目を覚まして入浴し、9時に就寝する。


 2004.0718(日) 歌はヒトのナカミを映す

きのう朝露に裾を濡らしながらヤマユリを剪っているとき、ことし初めて蝉の声を聞いた。いつもよりその出現は遅く感じられたが、別段、毎年の初鳴きを記録しているわけではない。

5時30分に目を覚まして6時まで 「わがままいっぱい名取洋之助」 を読む。昨夕9時30分より今朝5時30分まで、よくもまぁ8時間も眠れたものだと感心をする。酒を飲まない人間、睡眠が短くて済む人間は、一生の長さで比較する限り、僕のような者よりも数十年は長く生きたことになるのではないか。

事務室へ降りて朝のよしなしごとをする。ウェブショップやメイルによる注文のうち特に注意を要するものについては、出勤して後に受注作業をする事務係へメモを残す。日本時間で今朝の0時すぎに長男とパリへ着いたオフクロから、荷物が無事に税関を通った旨のファクシミリが届いている。荷物とは長男の勉強机との名目で買った安物のライティング・ビューローだ。いくら大きな冷蔵庫を買っても、やがて食べかけの缶詰やしなびた野菜で満杯にしてしまう人がいる。オフクロは常に部屋を家具や置物で満杯にする。

7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子とチタケの炒りつけ、豆腐の柳川風、胡瓜のぬか漬、納豆、モロヘイヤの叩き、メカブの酢の物、メシ、胡瓜の味噌汁。

「自由学園にいるとき、胡瓜の味噌汁なんて飲まされたもんね」 と、オヤジは自分の子どものころを振り返ってイヤな顔をしたことがある。日本が戦争に負けたときオヤジは14歳だったから、食べ盛りとしては確かに辛かっただろう。ところが先日、八坂祭の直会で長老たちとヨタ話をしていたときに、育ちすぎた胡瓜を味噌汁の具にすると美味いという話を聞いた。猪の子の背中のように縞模様に皮をむき薄く輪切りにした胡瓜をあまり煮ずに仕上げた味噌汁は涼しく青い香りがして、確かに美味かった。

本日は今市小学校5、6年のときの同窓会がある。担任のエダタダシ先生には僕が4年、妹が2年の計6年間もお世話になったためシャワーにて斎戒沐浴をする。仕事着を "patagonia" のクライミングパンツとアロハシャツに着替え自転車に乗る。JR今市駅ちかくの料理屋 「石和」 に定刻の5時すこし前に着くと、座敷には既にしてほとんどの出席者が集まっていた

何よりも昭和6年早生まれのエダ先生がお元気そうなことは喜ばしい。地道に同窓会名簿を整えた今宮神社禰宜のセトグチタカシ君が先ず、この会を開くに至った経緯その他を説明する。「小学校卒業以来ことしで35年」 という言葉を聞くまで、自分がそれほど年をとったとはうかつにも思わなかった。「少年易老学難成」 とはこのことだ。

サイトウトモヒサ君とは一時期、机を共にしていたことがある。むかしの学校の机はふたりで1卓だった。授業中、何かの折に僕はサイトウ君に鼻水をくっつけた。サイトウ君はすかさず 「センセー、卓ちゃんが鼻くそくっつけんだわー」 と助けを求めた。エダ先生はすかさず僕たちに 「帰れ!」 と言った。教師に 「帰れ」 と言われるほど嬉しいことはない。僕はさっさとサイトウ君をうながし昇降口から校庭に出た。目の前にはつかの間の自由があった。しかしサイトウ君の心は晴れないらしい。遂にサイトウ君はプールの横まで来てランドセルを降ろし、中から教科書とノートを出して宿題を始めた。「ここで勉強することもねぇだろう」 と10歳の僕は不思議に思った。

むかしの教師は悪さをした子どもには盛大にビンタをくらわせた。他の者が3発やられる場面で、僕とヌマオシゲオ君はなぜか常に4発のビンタをくらった。エダ先生はビンタをくらわせながら、各人に対する数を数えてはいなかったのだろうか。

今回、もっとも顔の分からなかったのがヤスハラノブアキ君だ。ヤスハラ君のあだなはキューピーで、それはそれは可愛い少年だった。ところが今では建築現場の監督業が板につき、太って顔色も黒く、まるで下町でお祭りを仕切るオヤヂのような風情になってしまった。今でいえば "TSUTAYA" の近くになるヤスハラ君の家には1度、遊びに行ったことがある。むかしむかしのことを思い出す。

ヤスハラ君とは対照的に、ナイトウハルヨシ君の顔は35年前とちっとも変わらない。内藤君はマリンバと絵が得意だった。マリンバの演奏を終えたときの困ったような照れた顔を僕はよく憶えている。ナイトウ君はいま栃木県内でもっとも偏差値の高い宇都宮高等学校で英語の教師を務めているという。

サイトウスミコさんが看護婦をしていたとは知らなかった。旦那の両親の介護を経てふたりを見送り、ようやくこのような集まりにも出てこられるようになったと話す。「スミコ、すげぇな」 と声をかけると 「そんなことないよ、みんな同じだよ」 と答えるが、「みんな同じ」 などということはない。「スミコに比べれば、オレなんて甘めぇもんだ」 と思う。

ゴトウユミコさんはむかしから、静かにコツコツと事を為す優れた人だった。「静かにコツコツと」 とは、自分にはしようとしてもできないことのひとつだ。ゴトウさんのような人を見るにつけ 「真面目に勝る効率無し」 という箴言が浮かぶ。

オオハシユウコさんは5年のときにどこかから転校してきた。誰かが 「あんときはどこから越してきたの?」 と訊くと 「学校は入谷、家は竹の塚」 と答える。入谷と竹の塚はちと離れているが、越境入学でもしたのだろうか。オオハシさんの弁当の卵焼きはいつも分厚かった。

サトウタカノブ君は勉強ができた。あるときの授業で普段よりも高級な算数の問題が提出された。僕にはチンプンカンプンのその問題を、サトウ君はまったく数学的なひらめきを以てまたたく間に解いた。サトウ君は長じて京都大学へ進んだが、そこで 「湯川秀樹や朝永振一郎と自分はまったく違う」 ということに気づき、しばらく落ち込んだこともあったがその後よく考えをまとめ、教師になる道を選んだという。サトウ君に僕がひとつだけ勝てるとすれば、それはサトウ君がタバコを吸い、僕は吸わないというところだ。「京都大学まで出た人がタバコを吸っちゃぁまずいだろう」 と思う。

小学校5、6年の2年間、ヤギサワエイイチ君とはほぼ毎日のように遊んだ。「一歩間違えたら絶対に死ぬ」 という屋根の上や建物の隙間に、ヤギサワ君はいつも僕を連れて行ってくれた。僕とヤギサワ君は2B弾で遊ぶのも好きだった。マッチ箱でこすれば火が無くても使えるこの爆薬で殺した昆虫やカエルの数がどれほどになるかは知らない。

シバタミノル君の 「きのうジイサンに牛のキンタマを食べさせてもらった」 とう話ほど羨ましく感じたことはない。「オレも牛のキンタマを食ってみたい」 と切実に思った。牛のキンタマについて訊ねると 「赤くてバナナのような形をしていて、中にはツブツブがぎっしり詰まっていた」 とシバタ君は教えてくれた。そのツブツブとはどのような食感なのだろうかと、僕は胸をわくわくさせた。シバタ君によれば牛のキンタマは 「すっごくしょっぱかった」 とのことだった。今から考えてみれば、シバタ君のジイサンは、タラコを牛のキンタマと偽って孫に食べさせた疑いがある。

エノモトタカコさんには昨年の夏、ウチの店で買物をして出てきたところにばったりと出くわしたのが34年ぶりの邂逅だった。エノモトさんの体型は小学校のときとまったく変わらず、だから僕はすぐに気がついた。エノモトさんはクラスで最も小さかったが、エダ先生によれば当時7クラスあった同級生中、もっとも遠くまでソフトボールを投げた記録を持っていたという。先生が教師をするあいだに何人の子どもを受け持ったかは知らないが 「いやよく憶えているもんだなぁ」 と感心をする。

アイハラトモコさんもサトウタカノブ君におとらず勉強ができた。作文になると鉛筆を持つ手が止まらず、何枚も何枚も教壇に原稿用紙を取りに行くその後ろ姿を 「どんなネタがあってそんなに書けるんだろう?」 と僕はボンヤリ眺めていた。アイハラさんが宇都宮へ引っ越した夏、僕は同級生たちと一緒にアイハラさんの家へ遊びに行った。アイハラさんの家のテレビはそのとき、アポロ11号の月面着陸のニュースを流し続けていた。中天にかかる太陽に炙られ土の道が白く乾いた日のことだった。

今市市大沢地区に住みながら大沢小学校よりも下野大沢駅にちかい子どもは、あのころJR日光線に乗って今市小学校へ通うということが行われていた。ホシノヒデロウ君は、そうやって大沢地区から通う、クラスで3人のうちのひとりだった。ホシノ君はサッカーではゴールキーパーを務めていた。当時はあまり見ることのできなかった歯の矯正をしていたような気がする。自らが売るマルカンの健康食品で体重を15キロも落としながら 「だからオマエも買え」 と言わない奥ゆかしさは、小学校のころからいささかも変わってはいない。

ウチヤマトオル君は春日町1丁目で食料品店を経営している。多分小学校の6年間はずっと、同じ登校班で学校へ通ったのだろう。普段のウチヤマ君はとても勤勉に見える。今日も携帯電話が鳴ると座敷の外へ出て仕事の話をしていた。僕の弁当箱を入れた赤い手提げ袋を見てウチヤマ君が 「オンナ」 と言ったためその弁当箱入りの手提げ袋をハンマーのように振り回して顔を直撃したらウチヤマ君が鼻血を出してしまった思い出話はしないでおく。

ヨシオカズヒコ君といえば、相手を指さして背を反らし 「ムヒヒヒヒヒ」 と笑う姿をいまでも思い出す。当たり前のことだが 「むかしはみんなガキだったんだなぁ」 と思う。青いキルティングの帽子をかぶって笑っていたヨシオ君が、いまでは 「吉尾構造設計事務所」 という会社を構えて独立しているという。「きっと、オレの不得意そうなむずかしい仕事に違いない」 と考える。

「石和」 で最後にメシを食べたのは次男が生まれる前だからもうずいぶんと前のことになる。それでもここの名物料理 「鯛の岩塩包み焼き」 は相変わらず美味かった。

皆はタクシーで、僕は自転車でヨシハラノリコさんの経営する洒落た飲み屋 "Candle" へ移動する。アカサワチアキさんはピアノの家庭教師をしているが、発表会が近いため仕事は休めないと、二次会からの参加になった。アカサワさんもヤスハラノブアキ君と同じく、子どものころにくらべて容顔がいちじるしく変化した人だ。いぶかしそうに目を見開くエダ先生に 「先生、アカサワさんです」 と紹介をする

店主のヨシハラノリコさんは男のような性格で、かつ笑いのツボも合うところから、いつもふたり躁状態でゲラゲラ笑いながら遊んでいたような気がする。ヨシハラさんのお父さんは畳屋でお母さんは鯛焼き屋だった。その鯛焼きが美味いので買いに行くと 「ウワサワさんですか? いつも娘がお世話になっています」 と代金を取らないため、しまいには 「ウワサワさんですか?」 と訊かれても 「違います」 と嘘をついてお金を払うようになった。

総じて同窓会へ出ると、皆が自分よりも偉く見える。そしてサイトウスミコさんの歌は僕にエラ・フィッツジェラルドの "Mack the knife" を思い出させた。「みんなすげぇなぁ」 と思う。カウンターの中でバーテンダーのようなことをしていたヤギサワエイイチ君がいつの間にか僕の隣に座って 「だけどなんじゃかんじゃいっても、この中でおめぇが1番大変だろ?」 と言う。「そんなこたぁねぇ、自分なんて甘めぇもんだ」 とふたたび思う。

例弊使街道に街灯は1本もなく、杉の大木にさえぎられて家々の明かりも届かない。路肩に引かれた白い線を頼りに自転車を走らせ旧市街へ至る。帰宅して時計を見ると11時30分だった。家内に今日の集まりについてすこし話し、入浴 して0時30分に就寝する。


 2004.0717(土) 山百合と乳茸

5時30分に起床し、事務室へ降りて朝のよしなしごとをする。6時にホンダフィットで山に入る。「清閑」 の名入りの植木ばさみを手に持ち野生のヤマユリを数十本ほども剪って7時前に帰る。とりあえず店舗前の手水鉢にそのユリの茎を沈める

朝飯は、「はれま」 の 「やさい」、「丸赤」 の 「極辛塩鮭」、胡瓜のぬか漬、ふきのとうのたまり漬、「味芳」 のジャコ、きのうの残りの肝吸いによる雑炊

よそからチタケをいただく。茄子と炒めてだしへ投入し、それで素麺を食べたら美味かろうと考える。時速100キロで走るクルマの窓からも容易に視認できるヤマユリはともかく、キノコの採取は僕には無理だ。魚釣りやゴルフの要諦はキノコ採りのそれに酷似している。工夫と観察と想像と忍耐を必要とする作業は僕にはできかねるから魚釣りもゴルフも僕にはできない。

いつの時代のどこのものとも知れないくすんだ緑色の壺に家内がヤマユリを生けて店舗へ飾る。「花粉がお客様の服に付いたら大変だから」 と家内は開いた花のすべてから雄しべを除いた。円谷プロの考え出した異星人の耳のように大きくそして毒々しい朱茶色の雄しべを欠いたヤマユリは、まるで去勢された雄牛のようだ。

このところ夜半に雨が降っても朝方には必ず止んで昼には青空が広がる。そして夕刻になるとふたたびあたりは湿り気を帯びて四囲の山は水墨画のように霞む

胡瓜のぬか漬、生のトマト、今朝いただいたチタケと茄子の炒りつけにて麦焼酎 「やばの古城」 のお湯割りを飲む豚のヒレ肉、ピーマン、茄子、ジャガイモのフライにも、温かい焼酎はよく似合う。メシの代わりに刻みキャベツを食べる

入浴して 「わがままいっぱい名取洋之助」 を読み9時30分に就寝する。


 2004.0716(金) そういう食べ物があったら

3時30分に目を覚まして「わがままいっぱい名取洋之助」 を開く。「ダメだこの豆、硬くってよー」 「こらぁ高値はつかねぇよ」 自分が落花生の仲買人になった夢を見る。目を開いてふたたび文字を追う。牛糞燃料の煙が薄くたなびいて、遠くに揺れる菜の花が見える。太鼓の音が聞こえる。カトマンドゥの夕暮れに土の道を歩いている夢を見る。みたび目覚めてペイジを繰る。視線の先に自分の吐き出した無数の泡があって頭上の水面から青い光が差し込んでいる。深いプールの底から浮かび上がろうとしている夢を見る。本を読むことを諦め二度寝に入る。

4時30分からの1時間はまともに本を読む。5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、モロヘイヤのたたき、メカブの酢の物、大根のぬか漬、茄子の油炒め黒酢がけ、納豆、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁

ギフトの受注はずいぶんと落ち着いてきた。ふたりの事務係がそろって出勤したこともあり、久しぶりの定時退社となる。おばあちゃんの部屋へ行き広い窓から南西の方角を見れば、そのあたりには霧か雨があるのだろうか、山の重なり合いが色調を変えて古い伊万里の文様に見える

家内が 「そういえば鰻が食べたい」 と言う。僕は今夜はちまちまとしたもので飲酒を為したい気分だったが、鰻がイヤというわけではない。夏風邪からほぼ1週間ぶりに復帰した次男も 「ウナギ、ウナギ」 と切ない顔をする。6時30分にホンダフィットにて 「魚登久」 へ行き、予約をしておいた鰻重3人前と肝吸いのポットを受け取る。

茄子とマイタケの炒りつけ、大根のぬか漬、グリーンアスパラガスの胡麻マヨネーズ和え、笹かまぼこと胡瓜の酢の物にて、麦焼酎 「やばの古城」 のお湯割りを飲む。「夏のお湯割りも悪かぁねぇなぁ」 と思う。

僕はケチだから鰻重をガツガツと食べることはしない。スフレのようなウナギとメシとを少しずつ口へ運ぶ。絞りたてのミルクにも似たコクを口の中へ満たし、ゆるゆると焼酎を飲む。「魚登久」 の鰻重はおとといも町内の会所で食べたが、あのときは酒がなかった。ウナギは明らかに、酒と共に食べた方が美味い。というか、酒抜きで食べた方が美味いという食べ物があったら教えて欲しい。熱い肝吸いにて締める

入浴してなにも飲まず、9時30分に就寝する。


 2004.0715(木) 君は酒を欠いて直会ができるか?

3時30分に目を覚まして「わがままいっぱい名取洋之助」 を開くが、1行を読んだだけで眠ってしまう。この場合の眠るとは夢を見るということだ。1行進んでは眠りに落ちて浅い夢を見る。すぐに目を開けて次の1行を読むとまたいつの間にか目を閉じて夢を見ている。とうとう活字を追うことを諦め二度寝に入る。

家内に声をかけられて気づくと6時10分前だった。6時から会所の後かたづけをしなくてはいけない。そそくさと着替えて社員通用口より外に出る。春日町1丁目の会所へ近づくと白い軍手をはめたカミムラヒロシさんが 「誰もいねぇ」 と戻ってくる。解体しないまま子ども御輿をしまった倉庫の鍵はタケダ会計の家にある。日光街道を渡ってタケダ宅の引き戸を開こうとするが内側から施錠されてびくともしない。「だーめだこりゃ。夜の直会の前に片づけっぺー」 とカミムラさんが言う。「そうですね」 と答え帰社する。

いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。次男はきのうの御神輿担ぎと入浴がたたってふたたび熱を出し、今日も学校は休むことになった。朝飯は、ハムエッグ、胡瓜と大根のぬか漬、茄子とシシトウの炒りつけ、納豆、細切り昆布の炊き物、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

先日 「イマナビ」 という情報サイトから、リンクをさせてもらった旨のメイルが入った。フッタのURLをクリックしてペイジを訪ねてみるとそれは個人作成のものとは思われないほどの出来の良さで、僕は心底感心をした。掲載希望のフォーマットがあったので必要事項を入力すると数日後に管理者のスズキさんが取材に来て、早くもその2日後にはウチの紹介ペイジが完成した

「ヴォランティアでここまで手を尽くすのはすごいよなぁ」 と思うが、再来年に今市市が周辺の市町村と合併して日光市になったら 「イマナビ」 の名はどうするつもりだろう? 「日光の今を伝えるイマナビ」 とする手もあるが、そうするとカヴァーする地域や情報は膨大なものになる。管理者のマメな性格を反映して、今年5月1日のオープン以来 「イマナビ」 の更新頻度はとても高い。制作技術も驚くほどの水準で、だから管理者の気力さえ続けば、ゆくゆくは日光地区の素晴らしいデイタベイスになるだろう。

マメでない人、気力の続かない人、ズボラな人は継続的な更新を身上としたペイジの管理者には不向きだ。もっとも 「だったらマメで気力に満ちて几帳面な人であれば必ず優れたウェブペイジが作れるか?」 と問われれば、そんなこともない。それはさておき 「優れたウェブペイジ」 とは、どのようなペイジを指すのだろう?

夕刻に黒い雲がわき上がったが、大した雨には至らず夜が近づく。八坂祭はきのうで終わった。春日町1丁目役員の直会に出席すべく公民館へ行く。今朝6時からの会所の片づけには人が集まらず倉庫の鍵も開かなかったため、時間どおりに来た僕とカミムラヒロシさんはなすすべもなく帰宅をしたが、その後、定刻に5分10分おくれて集まった遅刻組により子ども御輿は綺麗に片づけられていた。

町内の役員をつとめるようなお人好しは消防団など他の組織でも何がしかの役目を持っている。そういう他所の集まりを優先した者もいたため今夜の直会の出席者はわずか6名だった。奴寿司より届けられたすし桶ふたつを見て 「こんなに食えないでしょう、とりあえずひとつだけ開けましょう」 と言うとタケダ会計が 「いいからふたつ開けちゃいな、頑張って食べるんだよ」 と、桶を覆ったサランラップを一気に外すよう僕をうながす。

直会があろうがあるまいが、今夜は断酒をしようと決めていた。酒はいっさい口にしないタケダ会計の持ち込んだ冷たいウーロン茶にて寿司を食べる。タケダ会計奥さんが差し入れたサラダや果物、漬け物なども食べる。

9時前に帰宅して入浴をする。「わがままいっぱい名取洋之助」 を読んで10時に就寝する。


 2004.0714(水) 本の熟成

きのうの日記はずいぶんと短く済んだ。しかし字数をかぞえれば875文字で、理想の600文字よりはいまだ5割も長い。朝夕のメシと日中のできごとひとつにその内容を限定すれば600文字に収まりそうだが、それもなかなかに難しい。

4時30分に目を覚まして 「M型ライカの全貌」 を5時30分まで読む。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。よしなしごととは文字通りのよしなしごとにて、6時40分に "LEICA M6" を玩弄しているとガラス格子の戸がガタガタと音を立てる。目を上げるとそこには見覚えのあるお客様がいらっしゃった。始業90分前に7,500円を売り上げる。

朝飯は、メカブの酢の物、茄子とシシトウの油炒め、細切り昆布の炊き物、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。味噌汁が美味くてお椀の縁から口を離すことができない。即1杯目を飲み干して2杯目に取りかかる。「二日酔いの朝は熱いコーヒーに限る」 と言った友人がいたが 「やっぱり味噌汁だろう」 と思う。これが外国のまともなホテルではオレンジジュースに変わる。バンコックのチャイナタウンなら熱いお粥だが、お粥が食えるほどの二日酔いならまだどうということはない。

9時すぎに春日町1丁目のタケダ会計から早く来てくれとの電話が入る。八坂祭はいまだ終わってはいない。台車に載せた大御輿を白張りが町中を引いてまわる今日の催しに際して、日光街道に貫かれる春日町1丁目の北端から南端まで、金棒を引いて一行を先導する役目を申しつけられていたことを思い出す。会所へ行き背中に 「頭」 と刺繍のある紗の羽織を着、金棒を持って道路際に立つ。

役目を終えて帰社し、事務室奥の狭い応接室にて社員ひとりひとりに賞与を手渡す。僕が港区三田の田中味噌醸造所でもらった初めての賞与は5万円だった。聖坂上からバスで銀座に出て 「鳥ぎん本店」 のとなりにあったオデン屋 「三平」 でその10分の1を費消した。あのときはたしか大瓶で3本のビールを飲んだ。そのころの胃袋は今よりもかなり大きかった。

数百メートルの道を鉄製の錫杖を持って歩くという軽い奉仕にもかかわらず、3名の長老たちと会所で鰻重の昼飯にありつくタケダ会計の奥さんによるキュウリの浅漬けをつまみ、雑談をして1時すぎに帰社する。

白張りに引かれた大御輿は遠く大谷川の左岸まで行き、また旧市街に戻るから移動する距離はかなりのものになる。2時30分に芝崎新道の南端で一行を迎え、北上して春日町1丁目の北端まで金棒の飾りを鳴らしながらそれを先導するという午後の役目もあったが、繁忙にて会社を抜け出す時宜を逸する。取り急ぎ芝崎新道に面する芝崎米店へ行き行列の動向を訊ねると 「もう行きました」 との答えが戻る。鰻重の半分は、ただ食いをしたことになる。

土曜日から上がった次男の熱は夕刻になってようやく平常の値まで落ちた。そうなったらそうなったで本人は落ち着いていられるものではない。窓の外から御神輿のかけ声や笛の音が聞こえてくると事務室まで降りてきて 「おみこしに行く」 と言う。ウチの前で近所の子どもたちと合流し、会所までの短い道を小さな御神輿と共に行く。駄菓子と炭酸系の缶ジュースをもらって帰宅する。

本日は断酒をすることとしてオムライスを食べる。僕はケチャップを好まない。料理屋でオムライスを注文する際には 「ケチャップは要りません」 と断りを入れる。ところが先日家内の父よりお中元にもらったビン入りのケチャップは過剰な甘さもなく色もどぎつくなく粘度も低くだから美味い。今夜のオムライスにはこれをポッテリと盛ってみる

次男は昼食に残したカレーうどんの温め直しをすべて平らげ、早速にも会所でもらった駄菓子に手をつける。そしてやはり会所でもらった炭酸系の缶ジュースを両手に握り満足そうに飲んでいる。

「わがままいっぱい名取洋之助」  三神真彦著  筑摩書房  \2,200

は16年も本棚に寝かせておいたものだが、開いて読み始めるとこれが実に興味深い内容で文章も上手い。本棚というワイン蔵の中で、本は読み手に面白さを感じるさせるまで確実に熟成を続けるものだ。入浴して9時30分に就寝する。


 2004.0713(火) 断酒断念

5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、煮玉子、胡瓜のぬか漬、細切り昆布の炊き物、メカブの酢の物、納豆、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

本日は14歳で亡くなった妹の祥月命日にて、家内と長男との3人で墓参りに行く。次男はいまだ熱が引かず留守番をする。引き続き家内の母の墓参りのため麻布へ行く家内と長男を下今市駅に送る。

夕刻、きのうと同じく外から子ども御輿のかけ声と笛の音が聞こえてくる。次男の熱は上がったり下がったりだから夏のお祭り 「お天王さん」 へは行きたくても行けない。残業をする社員につきあい事務室にいると携帯電話が鳴るので出ると隣のユザワクニヒロさんだった。社員通用門を開けると次女のヨーちゃんが御神輿を担いだ子どもに支給される駄菓子と缶ジュースを持っている。これを受け取り居間へ戻って次男にそれを手渡す。

晩飯は台所に置かれた鍋のカレーをメシへかけて食べるものとばかり考え 「だったら今日は断酒だ」 と決めていたところ、予想外に早く家内は帰宅した。食卓に置かれた、何年経っても名前の覚えられないアールなんとかという総菜屋の、鰯と色とりどりの野菜の素揚げを見て 「やっぱり飲もう」 と思う。

モロヘイヤの叩き、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、生の小さなトマトにて、麦焼酎 「やばの古城」 を飲み始める。五目おこわを食べウズラ豆を数個つまむ

入浴して、晩飯の前に階段室の本棚から引き抜きベッドの下に準備しておいた

「M型ライカの全貌」  中村信一著  現代カメラ新書  \650

を読む。僕は小学生のころからのカメラ小僧だが、カメラや写真や写真家についての、あるいは写真家による本でいまだ手を着けていないものは多い。9時30分に就寝する。


 2004.0712(月) オールドデリーのタンドリ屋

窓から廊下を通り洗面所の窓から抜けていく朝の涼しさに気づいて目を覚ますと4時30分だった。熱い日本茶を入れ窓際の小さな灯りを点ける。脇息を使うように次男の勉強机に肘をついて

「東京日和」  荒木陽子+荒木経惟  筑摩書房  \2,900

を開く。これはきのうから読み始めたものだが、5時に読み終えて事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、茄子の炒りつけ、胡瓜のぬか漬、納豆、細切り昆布の炊き物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁

長男の夏休みの旅行に際して貸し出す "Olympus OM-1" については、むかしの水銀電池が死んでいたため新しい電池とそのアダプターを通信販売にて購入した。ところがこれをセットしても露出計の針はピクリともしない。多分、露出計そのものが壊れているのだろう。検索エンジンであちらこちらを探しまわり、"Fantastic Camera Gallery" という洒落たサイトの 「とても適当なスナップショット講座・露出編」 というペイジに行き当たる。

ISO400のフィルムにおける露出表をマイツールへ書き写してプリントし長男に渡す。それを長男が "Olympus OM-1" の背面にセロテイプで貼り付ける。「これでアジェになれますね」 と言うと長男は 「アハハ」 と笑った。OM-1の黒いボディがライカ用の首ヒモの金具で傷つき早くも真鍮色の地肌が見え始めている。その金具を中空になったシュリンゲ用のテイプで覆い、これ以上ボディの傷を深くしないよう工夫する。露出計の壊れた古いカメラは、まるで東南アジアの赤土に添わせたら似合いそうな風格を帯びた

昆布とかつお節と鶏挽肉で取った出汁を冷蔵庫で冷やし、茹でてよく水洗いした素麺をここへ沈める。その上に茗荷、シソの葉、胡瓜の千切り、万能ネギのみじん切りをこんもりと盛る。この、ウチの夏の食卓に幾度となく上がる麺が非常に美味い。「これ、シンスケだったら1,500円で売れるな」 と家内に言う。

夕刻、外から子ども御輿のかけ声と笛の音が聞こえてくる。次男は夏風邪の熱が下がらず部屋で静かにしているばかりだ。「おとうさん、代わりに行って」 と言うので 「オレが行ってもお菓子はもらえないよ。はやく治して自分で行きなさい」 と答える。

"Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を抜栓する金谷ホテルのクロワッサンカプレーゼふかしたジャガイモに混ぜ込んだ "neu frank" のコーンビーフ

学生のころ、渋谷の公園通りを上がりきると右に小さな森が見えた。その森の中に "Chez journey" というフランス料理屋があった。僕はここでカバブを注文をした。筒型の上品なミンチはロワールの軽い赤によく似合った。それから数年後にオールドデリーの "Moti Mahal Restaurant" へ行った。招き入れられた厨房の床には戦場で兵士が掘るタコ壺ほどのタンドールがいくつも並んでゴーゴーと音を立て、その縁は底の炎を映して黄色と朱色に輝いていた。僕は床にコンクリートを打ち放した広い客席へ戻り、若鶏を半身とカバブ2本を食べた。そしてそれからの2日間、羊の匂いのする屁を垂れ続けた。

パリッと焼けた "neu frank" の羊のソーセージに長男が噛みつき 「美味いっ!」 と言う。僕もその内部のムニュッと柔らかい肉に混じるコリコリとした部分を噛みしめながら 「これは美味いよ」 と賛嘆しつつ、かつてあった質素で洒落たフランス料理屋やオールドデリーの土釜を思い出す。同じソーセージをキャベツ、玉ネギ、ジャガイモ、人参と共にスープにもする。もちろんこちらも美味い。いつもより少し多く白ワインを飲む。

ベッドへ横になった次男が 「だれか来て」 と呼ぶ。風呂にも入らずパンツ1枚になって添い寝をする。そのまま就寝する。


 2004.0711(日) 小旅行

5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。7時35分に家内の運転するホンダフィットで下今市駅まで送ってもらい、7:46発の上り特急スペーシアに乗る。

スペーシアを降りた北千住駅のプラットフォームにて、次に来た浅草行き準急に乗る。準急とはいえここから先は各駅に停まる。ひと駅乗れば、そこは東武伊勢崎線の牛田駅と京成本線の京成関屋駅が目と鼻の先に接する面白い場所で、僕は昔からここへ来たかった。京成本線に乗り換えて荒川と綾瀬川を渡る

小さな所用を済ませて堀切菖蒲園駅のプラットフォームに戻る。いまだ10時をすぎたばかりだが、駅まで来る途中の酒屋には角打ちをする優雅な男たちが5、6人ほどもいた。この時間からビールをチェイサーに焼酎のグラスを握りしめて、いったい何時まで飲み続けるつもりだろうか。

日が中天にかかるのはこれから数時間の後のことかも知れないがとても暑い。暑いことは暑いが僕は暑さには強い。際限なく顔から汗が吹き出すがウンザリした気分にはならない。京成関屋駅よりつい1時間ほど前に渡った短い道を逆行して牛田駅へ入る。ふと線路を隔てた向かい側を見ると 「日本奥地紀行を歩こう」 というポスターが見える。辺境への旅にすこしでも興味のある者はイザベラ・バードの 「日本奥地紀行」 を読むべきだ。地下の横断路で上りのプラットフォームへ移動し、そのポスターを "Canon IXY DIGITAL Li" に記録する

北千住から下り特急スペーシアに乗車する。高架下に連なる家々は次第にまばらになり、70分の後には匂い立つような夏の緑と青い空、そして入道雲に車窓は占領された。1時前に帰社する。長男に大勝軒のつけ麺を作ってもらい、これを遅い昼食とする。

夕刻、北西の山の上空を覆っていた黒い雲に1個所ポッカリと穴が開き、その向こうに薄い夕焼けが見える。長男が帰省したにもかかわらず、次男は僕と行ったプールの疲れが出たか、1週間後のきのうから熱を出して寝ている。

胡瓜のぬか漬銀座の料理屋で供されるそれよりも美味い明神水産の鰹のたたきにて焼酎 「やばの古城」 を飲む。別途スキヤキも食卓へ上ったが、次男は僕がつまんだ10倍以上の肉を平らげた

入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.0710(土) 八坂祭

4時30分に目を覚まし、5時30分までの1時間で 「愛情旅行」 を読み終える。起床していつものよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。朝飯は、キャベツとベイコンの油炒め、スクランブルドエッグ、ほうれん草のゴマ和え、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁

10時より春日町1丁目公民館へ行き、会所の準備、子ども御輿の組み立てなどを行う。11時30分にオカムラ外科へ行き、何週間か前の採血の結果を聞く。中性脂肪は基準値内だがγGTPが高いと言われる。午前中に町内の仕事をした人には昼食が出る。喫茶店でありながら焼きうどんが名物の 「びしゃもん」 へ12時ちょうどに行くと、既にして長老たち若い衆とりまぜて食事の最中だった。もっとも調理時間が短そうなカレーライスを注文し、これをビールの肴とする。

午後3時に盛大な夕立があり、道を往くクルマがヘッドランプを点灯させなければいけないほどに空が暗くなる。道向こうの駐車場へクルマを停めたお客様に傘を貸してお送りする。店へ戻るまでに濡れ鼠になる。汗をかいたり雨に打たれたりして、本日3着目のポロシャツを着る。

昨年の八坂祭では、僕は警備と記録を勤めた。今年は記録だけで良いとのことにて、6時の宮出しを待ちつつ仕事をしていると 「はやく来てくれ」 と町内のユザワツネオさんより電話が入る。128メガのスマートメディアを収めた "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" を首から下げて瀧尾神社へ向かう。呼ばれたのは、町内の御輿とその担ぎ手の記念写真を撮るためだった

当番町青年会長の挨拶、神主の祝詞奏上などがあって6時の花火が上がる。建造されてから今年でちょうど100年目の大御輿が、いよいよ宮出しをされる。僕は要所要所で写真を撮ればよいため一時帰宅をする。夏休みで帰省する長男を下今市駅へ迎えに出た家内が6時5分に戻る。モロヘイヤのたたき、ほうれん草のゴマ和え、豚の生姜焼きにてごく少量のメシを食べ、麦焼酎 「やばの古城」 を120CCほども飲む。

外にはふたたびの驟雨がある。大きなビニール袋の3個所に切り込みを入れて臨時の雨合羽を作る。小さなビニール袋の1個所に穴を開けてカメラの水よけとする。外へ出ると、旧市街の南端・追分地蔵尊より折り返した大御輿が、まさにウチの駐車場へ入ろうとしているところだった

それから30分を経て、大御輿は無事に宮入りをした。熱狂の終焉を惜しむようにいつまでも御輿を揉み続ける群衆の肩からまるで蜃気楼のような汗が立ち上り、老杉の梢へと消えていく。当番町青年会長の挨拶があり御輿の屋根から鳳凰が降ろされる

9時30分に 「市之蔵」 へ集合し、本日の打ち上げを行う。1時間後にこれを長男と共に辞去して帰宅する。入浴して11時すぎに就寝する。


 2004.0709(金) 「エーのお客さん」

目を覚ますと外は既にして薄明るい。ダイニングキッチンへ行き時計を見ると4時だった。眠っていのは3時間30分にすぎないが起床する。いつものよしなしごとを1時間ほどで終わる。二度寝をすると下り特急スペーシアの始発に乗り遅れる可能性もあるため、それを封じる目的で散歩に出る。医療機器屋の多い湯島の裏通りから湯島聖堂の裏口を臨むあたりまで歩く。甘木庵へ戻って玄関に置いたザックを背負い、岩崎の屋敷裏から切り通し坂へ出てこれを下る。

地下鉄千代田線の車内に0円週刊誌 「アールニジュウゴ」 の吊り広告があり、そこに 「電車男」 の文字が見える。2ちゃんねるに電車男のスレッドが発生してからわずか3ヶ月3週間後のメジャーデビューだ。掃きだめのような掲示板から生まれたこの美しく絵に描いたような紋切り型の物語は、ことによるとテレビドラマにまでなるかも知れない。

千代田線の町屋寄り改札を抜け北千住駅西口ロータリーに出る上り階段は、1970年代の夜の暗さを僕によく思い出させてくれる。この階段下にある 「食堂コーワ」 のガラス製ショウケイスに目玉焼きの定食が見えたため、自動販売機で450円の食券を買い店へ入るとカウンターの厚紙に 「A定食 玉子焼き+ベジタブル」 とある。これが目玉焼き定食なのだろうと、中で働くオバサンに食券を差し出しつつ 「エーね」 と注文をする。

「エーのお客さん」 と呼ばれて取りに行ったお盆には、しかし目玉焼き定食とは似てもにつかないスクランブルドエッグとハム、茹でたブロッコリー、細切り昆布とちくわの炊き物、ダイコンの漬物とメシとモヤシの味噌汁があった。初心者らしく 「目玉焼き定食、お願いします」 と言えば良いものを、つい知ったかぶりをしてしまうのが僕の悪い癖だ。

9時すぎに下今市駅へ着き、家内の運転するホンダフィットにて帰社する。その足で三菱シャリオに乗り換えひとりで宇都宮へ行く。所用を済ませて昼前に戻る。

燈刻に激しい雷雨があり、2度も3度も停電がある。1度は閉めた事務室を開け、ルーターやコンピュータに繋がるコンセントを外す。また製造現場も見回る。「4階へ戻るエレヴェイターに自分が乗っている最中には停電は起こらないだろう、多分」 と考えてしまうところが僕のダメなところだ。無事に4階へ帰着する。そしてまた停電。窓の外にはカルカッタ郊外のような深い闇がある。

やがて雨のいきおいもおさまり、電気の供給も途切れなくなってきた。今月2度目の断酒をすべく、ピーマン、茄子、グリーンアスパラガスのオリーヴオイル焼きミートソースのスパゲティをワイン抜きにて食べる

入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.0708(木) 酸っぱい汁にはトマトだね

目を覚まして枕頭の灯りを点け、時計を見ると2時30分だった。きのうの夜に階段室の本棚から選び出し寝室の床へ置いた

「愛情旅行」  荒木経惟×荒木陽子  マガジンハウス  \1,100

を3時50分まで読む。ずいぶんと以前に買ってそのままになっているアラーキーの本が、階段室の本棚にはまだまだある。それらを1冊ずつ抜き出して奥付を見るとみな初版本だ。出版されるそばから購入したわけではないから、むかしは彼の写真集も、そうは売れなかったということだろう。小林紀晴、荒木経惟、大島洋、荒木経惟・陽子、荒木経惟・陽子と、これで写真家の本は連続で5冊目だ。

二度寝をして5時30分に起床する。ふといまだ痛む右肩を触ると水ぶくれが消えている。視線をシーツへ移すとそこに、肩からの漿液が作った丸いシミができている。縁の部分がすこし盛り上がったそのシミはカラカラに乾いていた。

事務室へ降りていつものよしなしごとをする。外へ出て今日も暑くなりそうな空を見上げる。「きれいな夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ」 と笠智衆がひとりごとを言った映画は小津のなんだっただろうか。7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜のぬか漬、茄子とピーマンの炒りつけ、刻みオクラのかつお節かけ、メカブの酢の物、納豆、メシ、お麩と三つ葉の味噌汁

午前中にイチモトケンイチ本酒会長の来訪を受ける。「おおかた、6月25日に行われた第133回本酒会の会報の催促だろう」 と思っていたらその通りだった。このところ早く目覚めても事務室へ降りずに本を読んでしまうので、その手の雑務が滞っていた。「なるべく早く書きますから」 と、とりあえずは答えておく。

ある俳人が 「早起きをすれば朝食までに1編の随筆を書くことができる」 とどこかで言っていた。ある日光彫の作り手は自身のウェブペイジに 「職人に必要なのは技術とスピード」 と書いていた。早起きをしただけで随筆が書けるとは、いつも頭の中に書くべきこどがあるのか、あるいは無から有を生む才能に恵まれているのだろう。技術とスピードについては、まったくその通りだ。そして先月の本酒会報がいつできあがるのかは知らない。

昨夏、10人前だか20人前をまとめて買った冷麺のつゆがいまだ大量に残っている。これに熟したトマトをジュブジュブとつぶし入れ、冷たい稲庭ウドンを沈めて食ったら美味かろうと考え、家内にそれを作ってもらう。実際に出されたものは僕の想像よりもずっと上品な姿をしていたが、美味さについては予想に違わなかった。

下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。車内にて何とか 「第133回本酒会報」 をひねり出す。明朝は忙しいから、本日の日記も予想のつくところまでは仕上げておく。北千住と西日暮里を経由して池袋に至る

自由学園明日館における同学会本部委員の会議へ出席をする。ハゲは顔と頭の境界がはっきりしないから喫茶店ではタオルで顔を拭きつつ頭まできれいにできて便利だとは、田中小実昌の生前のことばだ。僕の場合、日焼けをしたハゲ頭の皮膚が今朝から剥け始め、剥けようとする皮とその下の新しい皮との境目のひび割れが額にまで稲妻状にその範囲を広げてひどく気味が悪い。その頭と顔とのファジーな境界を指でこすると、ボロボロと汚い皮膚が会議資料の上に落ちる。右隣のヤハタジュンイチ君に気づかれないよう、手の平をスクレイパーのように使ってそれを床へ落とす。

明日館からの帰途、中華料理屋に35回生の8名が集まり来期の諸々について話し合いを持つ

甘木庵に帰ってシャワーを浴びる。日焼けにより赤くただれた胸に、いつの間にか数え切れないほどの小さな水ぶくれが広がっている。ものの本によれば水泡はひどい日焼けをした24時間後から72時間後にあらわれるとのことだが、僕のそれは120時間経って後の遅咲きということになる。

ダイニングキッチンの丸テイブルにコンピュータを置き、今日の日記の後半部分を書く。同じテイブルで勉強をしている長男にその内容を訊くと、16、7世紀の宗教政治史だという。担当の講師はヒライマサキ先生とのことで、ヒライ先生には僕も自由学園高等科のときに西洋史を、卒業勉強では 「イベリア半島のイスラム」 で顧問になっていただいた。授業中にクリスティの小説を隠れ読んで叱られたこともあった。それから既にして31年が経つ。

冷たいお茶を飲み、大切にチビチビと楽しんでいるアンソニー・ボーディンの 「世界を食いつくせ!」 をすこし読んで0時30分に就寝する。


 2004.0707(水) スミルノフを凍らせて

目を覚ますと家内はいまだ居間で起きていた。時計は見なかったが0時ころなのかも知れない。先週の土曜日に日焼けをした肩が痛い。その痛さという物理的なものと、「このつらさは一体いつまで続くのか?」 という焦燥感とが交互に僕を攻撃して睡眠の継続を妨げる。水シャワーで肩の炎症を冷やしたいが、水はからだの他の部分にも流れるから寒さに耐えられなくなるだろう。刺激は弱いが冷房の風に背中をさらして気休めとする。一向に熱の去らない右肩を触ると、いつの間にか水ぶくれができている。

ようようベッドに身を横たえて眠る。5時に目を覚まし 「10年目のセンチメンタルな旅」 を開いて、30分後にこれを読み終える。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。ウェブショップに注文がコッテリと入っている。メイルによる注文もいつもより多い。多くの人がコンピュータで商品を注文したくなるような日のめぐり、あるいは気象の条件でもあるのだろうかと考える。7時に居間へ戻る。

本日、今市小学校では次男の学年3年生が、社会科の勉強としてグループに分かれ街を歩く。そのひとつに家内が付き添うため、朝飯は簡素にする必要があるらしい。3種のおにぎり胡瓜のぬか漬豆腐とワカメとオクラの味噌汁による朝飯を僕はさっさと終えるが、次男は登校の時間になっても1個のおにぎりを食べ終わらず、米粒の充満した口をタコのように突き出し気楽な顔をしている。メシを充分に摂取しないまま炎天を歩かせることは避けたい。家内が同じ登校班のユザワさんに電話をし、先に学校へ行ってくれるよう伝える。

本来の時間よりも10分ほど遅れ、次男と手を繋いで登校路を歩く。次男のグループが訪ねる先は生涯学習センターだという。担任の先生からは、そこにいる人たちに将来の夢をインターヴューするよう示唆されたというので 「だったら」 と次男の夢を訊くと 「無い」 と答える。質問の意味が分からないのかと、夢というのはこの場合、おとなになったら何をしたいか、何になりたいかということだと説明すると次男は 「なんにもしない、ボンヤリする」 と答えるので思わず 「いいねぇ」 と賛嘆する。

なにやかやと忙しく、昼飯を食べる機会を逸したまま午後一番でホンダフィットに乗り宇都宮へ行く。帰社して間もなく終業の時間になる。事務係は発送伝票の処理に今日も1時間の残業をした。

居間へ戻ると次男はもう漢字練習の宿題を終えていた。今日返されたテストは95点だったという。28点だろうが95点だろうが、本人はそのようなものにはハナから興味がないらしい。ポロシャツを脱いで肩の水ぶくれを見せ、この写真を撮ってもらう。次男はカメラの扱いが上手い。

バキュバンで栓をした飲みかけのワイン2本を洗面所の水で冷やす。同時に、シェイカーに入れ昼から冷凍庫へ保存しておいたスミルノフを机上へ取り出す。そのスミルノフには "neu frank" のスモークトレヴァーがめっぽう似合う

冷たいトマトのオリーヴオイル和えエリンギとブロッコリーのオリーヴオイル炒め茄子とトマトのグラタン炙ったバゲットにて洗面所のワインを飲む

入浴してなにも飲まず、9時に就寝する。


 2004.0706(火) これは美味いぞ

深夜1時20分に目を覚まし、3時40分までに 「10年目のセンチメンタルな旅」 を中ほどまで読み進む。途中2時35分にカッコウの声が聞こえる。気まぐれに鳴いたのかそれきり後が続かない。二度寝をして6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、キャベツとハムの油炒め、塩鮭、納豆、刻みオクラのかつお節かけ、メシ、ほうれん草の味噌汁

午前中のかなり早い時間に、かねてより注文してあったベイコンやコーンビーフが国立市の "neu frank" より届く。このベイコンを使った料理を頭の中で組み立てレシピを紙に書いて家内へ渡す。自分は考えるだけで作らないのだから気楽なものだ。

事務係と共に1時間の残業をして居間へ上がると、このところ100点や95点という漢字のテストを持ち帰っていた次男が、28点という懐かしい点数の、しかし最新のものを机上に広げている。この答案の手直しにつきあうが、次男は例のごとく青菜に塩のように元気をなくしていく。僕はかたわらにあった 「10年目のセンチメンタルな旅」 をおもむろに開き、レ・アールちかくで撮影されたらしい壁の落書きなどを見せて彼を慰撫する。「夏休みになったらひと文字100回の復習だ!」 などと、とたんに次男はいつものいきおいを取り戻した。

ワイン蔵へ降りて "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を取って戻る。これを洗面所に噴出する井戸水に沈めて更に冷やす。空はいまだ明るく、夕刻の雲がうっすらと青とピンクに染まっている。辛くて苦い白ワインを注がれた風船グラスがたちまちのうちに霜を帯びる

茹でたブロッコリーの美味さを知る人が、世の中にどれほどいるだろうか。ちなみに僕は、これを美味いと思ったことは一度もない。サラダ菜とレタスとトマトとオクラのサラダ金谷ホテルのバゲット。電子レンジで蒸した熱いジャガイモに "neu frank" のコーンビーフを混ぜ込むと、ジャガイモの表面はやがて溶けた脂で黄金色に光り始めた

同じく "neu frank" のベイコンとグリーンアスパラガスをオリーヴオイルで炒め、その上に半熟の目玉焼きを載せ、更におろし金で粗く粉にしたパルミジャーノレッジャーノを振りかける。これが本日の昼に家内へ渡したレシピの料理だ。その目玉焼きの黄身をつぶしてベイコンやアスパラガスとグジャグジャに混ぜフォークで口へ運ぶ。「うまいじゃーん」 とひと声あげて巨大なグラスの脚をつかむ。

結局、いつもより多くの白ワインを飲む。入浴してすこし休憩し、10時に就寝する。


 2004.0705(月) ふつうに撮った写真

からだが寝返りを求めるたびに目を覚ます。日焼けした肩の痛みに耐えつつ横を向く。次に目を覚ませば、今度は背中の痛みに耐えつつまた上を向く。そのようなことを繰り返したのち3時30分から5時30分までの2時間で 「アジェのパリ」 を読み終える。

起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、モヤシとニラの台湾風オムレツ、塩鮭、佃煮、生姜のたまり漬、納豆、刻みオクラのゴマ和え、ほうれん草の油炒め、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁

きのう届いた、"Olympus OM-1" の水銀電池の代わりに用いる新たな電池と、それを "Olympus OM-1" のバッテリー室に合致させるためのアダプターを子細に眺める。「こんなに小さな部品が2,900円かい?」 と驚いたが、説明書によればそれは変圧器も兼ねているのだという。

事務係と共に残業ののち階段室へ行く。小林紀晴、荒木経惟、大島洋と、写真家の文章をたてつづけに3冊読んで、まだ読み足りない。ずいぶんと以前に買ったまま読んでいなかった

「10年目のセンチメンタルな旅」  荒木経惟+陽子  筑摩書房  \2,400

を本棚より取り出す。荒木経惟と荒木陽子によるフランスからスペイン、そしてアルゼンチンへの旅を記録したこの写文集の文章は、しかし写真家アラーキーによるものではなく妻の荒木陽子によって書かれた旅日記だった。それでもその文章は悪くない。

先日すべて飲みきれずにバキュバンで栓をしておいた "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を洗面所の水に沈めて冷やす。風呂のお湯が溜まったころを見計らってこの白ワインを水から引き上げ、それを飲みつつ 「10年目のセンチメンタルな旅」 を読む。アラーキーはただ普通に写真を撮っている。しかしてその写真は、アラーキーの写真以外のなにものでもない。荒木経惟は売れて当然の写真家だ。これで売れなかったらゴッホやモディリアーニと同じになってしまう。

タコとトマトのスパゲティが美味いマグロとレタスのサラダも美味い。白ワインを飲み干して、やはりバキュバンで栓をしておいたおととしのボジョレヌーヴォーを飲む。そのワインを飲みながら、干しぶどうやリキュールで煮たリンゴがギッチリ詰まったパンの薄切りを食べる

入浴してスミルノフを生で1杯だけ飲み、9時30分に就寝する。


 2004.0704(日) 日焼け

肩や胸や腹の日焼けがヒリヒリして目を覚ます。水ぶくれができるほどではないが皮膚にはかなりの不快感がある。パジャマの上着を首までまくり上げ、薄く開いた窓から玄関へ抜けていく夜気にからだの前半分をさらして冷やす。寝入ったかとおもえばまたすぐに目を覚ます。なにやら二日酔いの気配もある。何度目かに起きだしてダイニングキッチンへ行き時計を見ると5時20分だった。起床して冷たいお茶を飲みコンピュータを起動する。

メイルによる注文を昨晩は確認していたが、酔っていたこともあってそれを処理したか否かの記憶がない。Becky!とNiftermのふたつのメイラーを立ち上げ調べると、長すぎる行が乱れて見づらくなっていた注文メイルはきれいに整形され、事務係イリエチハルさん宛のメイルとして会社のpatioに収まっていた。その他、現在の脳の状況では処理したくないメイルもあるが、これは帰社して後の仕事として残置する。

6時30分に洗濯機から衣類を取り出して畳む。次男のザックにきのう日暮里の駄菓子屋街で求めた諸々を詰め込む。7時すこし前に次男を起こし、冷たいお茶を飲ませる。その後に長男を起こし、今日の朝飯は必要ない旨を伝える。

7時25分に次男とふたりで甘木庵を出て切り通し坂を下る。次男にこの坂を歩くのは何度目かと訊く。次男は 「3回」 と答えたがおとといから今朝までに我々はこの坂を4回歩いている。湯島駅の1番入り口へ向かう路地を過ぎようとしているときに次男が 「コンビニに寄らないの?」 と言う。電車に乗る際の弁当は駅で買うものと決めてかかっていたが、次男にその頭はない。「そうか、ここで買っちゃう手があったか」 と、湯島天神下のコンビニエンスストアにてお茶やおにぎりを購う。

北千住駅8:10発の下り特急スペーシアに乗る。遊び疲れたらしい次男はメシを食べると座席に体を丸めて眠ってしまった。僕も 「アジェのパリ」 を読みながらうとうととする。気がつくと列車は下今市駅に停車中で乗客がぞろぞろと降りていく。プラットフォームからは日光方面への乗り換えを案内する駅員のアナウンスが聞こえている。

取り急ぎ靴を履き次男を起こし網棚から2つのザックを降ろし左腕に抱え、机上の携帯電話とデジタルカメラを右手に握りしめ、更に右手の指にゴミ袋を引っかけて出口へ向かう。途中でカメラを落としそれを拾い上げる。次男が靴に足を突っ込もうとしてマゴマゴしている。「靴は手に持って裸足で降りろ」 と言う。次男は靴下のまま車外へ出て 「間に合ったー」 と安堵の声を上げた。家内が運転するホンダフィットにて帰社する。

不在のあいだ机上に溜まった "Must to do" のメモを処理していく。7月の第1日曜は多分、夏のギフト受注が最も繁忙になる日だ。接客をしつつでは応対のできない大口の顧客を販売係が事務室へご案内する。事情を心得たお得意さんは案内を待たずに自ら事務室へいらっしゃる。店舗へ呼ばれ、包装現場へ行き、製造現場へ行き、運送途中で破損した商品を再発送する。帰社してすぐに事務机へ置いたコンピュータはその後6時間、繁忙に紛れて電源を入れることができなかった。

終業後、次男の漢字練習の宿題を督励する。また、日中に次男が書いたという 「一学期を振り返って」 という作文を読む。いかにも担任の先生が喜びそうな内容の整った文章にて 「お母さんに教わったの?」 と質問すると、遠くでそれを聞きとがめた家内が、一節一節を口に出して並べたのは本人だと、次男に代わり弁明をする。

生のトマト、ニラとモヤシの油炒め焼いた厚揚げ豆腐餃子にて焼酎ではなくメシを食う

風呂から上がった次男がピンク色の肩をさらして 「まだ痛いよ」 と言う。その肩から背中に家内が 「アロエジェル」 という真緑色の怪しげなドロドロを塗る。僕の腹や肩から背中にかけてはピンク色などという生やさしいものではなく、歌舞伎に出てくる鬼の肉襦袢のような、濃い桃色と朱色の中間のような色に染まっている。僕も痛さに耐えてアロエジェルを塗る。

頭の表皮が痛いため 「頭から何回も飛び込んだせいだな」 と手のひらで頭頂部を叩くと家内が、それは飛び込みのせいではなくハゲ頭が太陽の直射を受けて火傷をしたのだと言う。胸を張ると胸の皮膚が伸びる反面、肩と肩胛骨のあいだの皮膚は縮む。この、伸びると縮むという正反対の動きをしているにもかかわらず、胸も背中も等しくヒリヒリとする。背中を丸め両手をだらりと前へ垂らし、できるだけ痛みを感じない姿勢で寝室へ向かう。肩と背中をかばってソロリソロリとシーツに横たわる。そして9時30分に就寝する。


 2004.0703(土) 遊び

いつも6時前に音を立て始める長男の部屋はいまだ静かだ。しかし開けはなった窓から見える空はもう充分に明るい。ダイニングキッチンへ移動して時計を見るといまだ4時30分だった。布団へ戻って 「アジェのパリ」 を読み5時に起床してコンピュータを起動する。

顧客からの問い合わせに返信を書き、メイルによる注文を会社のpatioへ転送する。きのうの午後4時すぎに会社を出たときには未処理の発送伝票が事務室内のあちらこちらにあって、とてもではないが事務係が定時に帰れる状況ではなかった。あのあと仕事は一体、どうなっただろうか。映画 「無能の人」 の、ゴンチチのギターとウクレレの音が幻聴のように聞こえる。

「羊って、煮込むと美味いの?」
「美味いよ、オレはインドじゃぁ、ほとんどマトンカレーばっかり食ってたぜ」

「鶏は?」
「鶏は高級品だから、そうは食わねぇ」

「今日カレー作るのに羊買ったんだけどさ、ホントに安いんだよ」
「鮭の頭とかゾーモツとか羊は、いつまでも安くあってほしいよなぁ」

とは昨夕、湯島天神の切り通し坂を下りながら交わした長男との会話だ。長男は羊を、オーヴンや焚き火で焼いたものしか食べたことがないらしい。きのうの晩から電器鍋で煮込まれ続けたその羊のカレーライスを、長男と次男との3人で食べる。バンコックのマレーシアホテル近くにある一膳飯屋のゲーンにそれは似ていた。もちろん美味い。

長男は7時すぎに学校へと向かった。次男は子ども向きの番組を見ている。僕は 「アジェのパリ」 を読む。また新たに入ったメイルによる注文を会社のpatioへ転送する。8時40分に次男がしびれを切らして 「もう行こう」 と言う。「はやく着いたら門の外で待ってるようじゃねぇか」 と思いつつもプール遊びに必要なものを持ち本郷三丁目まで歩く。

地下鉄大江戸線の入り口に、参議院選挙のポスターがある。見るともなしに横目で眺めながら通り過ぎようとして、唯一神である自分に投票しない有権者は地獄の火中に投じてやると明言する候補者に目が留まる。

「この人、自分で自分を神様だって言ってるんだよ」
「そういう風には見えないなぁ」

という会話を交わしつつ視線を動かすと、そこにはなんと上田哲のポスターもあった。「君、まだいたのか!?」 と驚いた衝撃の強さは、神様・又吉イエスの檄文など遠く及ぶところのものではない。上田哲の目は、むかしよりもすこし小さくなっていた

豊島園に至れば、開園時間前にもかかわらず人の波はどんどんプールの方へと移動をしていく。「せかす次男に従って正解だったな」 と広い園内を歩き、午後2時30分までの4時間30分にすべてのプールで遊ぶ。次男がもっとも好んだのは意外や深さ4メートルのプールでの飛び込みだった。

豊島園から練馬までの西武線に乗るのは多分、33年ぶりのことだ。池袋より日暮里へ移動し、この秋には地上げをされてしまうらしい駄菓子屋街へ行く。「欲しいものがあったらいくらでも買っていいよ」 と言われた次男はここで2,670円を僕の財布から吐き出させた。

長男とは北千住の西口にて4時55分に待ち合わせた。いまだその時間までに余裕はあるが電話をすると、山手線にて巣鴨を通過中という。「うーん、大丈夫だろうか」 と考えつつすぐ脇にあるマクドナルドへ入り、次男とアイスティーを飲む。気温も湿度も高いが汗をかくほどではない。

「お茶をこぼしちゃった。ハンカチちょうだい」 という次男にハンカチを手渡すと、彼はそれでなんと濡れた床を拭き始めた。「それはおりこうなことだけど、そこまですることはないよ」 とかたわらにあった紙ナプキンを差し出し 「これで拭けばいい」 とふたたびテイブルの下へ潜らせる。

5時5分に長男と落ち合い、まことに情操教育には適した感じの路地へ足を踏み入れる。ノレンの下から長靴や地下足袋ばかりが見える立ち食い串カツ屋の角から更に細い路地へと浸透する。焼き肉の 「京城」 は開店よりわずか7分後にもかかわらず、既にして8割の席が埋まっていた。豊島園で予想以上のお金を使ってしまっていたため、とんだ恥をかかないよう、長男が手帳に品名とその価格、注文した金額の累計を書き込みつつ料理の追加をする。

1時間10分後に食べ終え店を出ると、外には長い行列ができていた。千代田線にて湯島へ至り、切り通し坂を上がって甘木庵へ帰着してもいまだ外は明るい。なにやら得をした気分になる。

次男が日暮里での買物をテイブルに広げ、それらにつき逐一長男に自慢をしている。その中の喧嘩ゴマを長男が取り上げ、次男に回し方の説明を始める。風呂へ入ろうと素っ裸になった次男ははじめそれに素直に従っていたが、徐々に宿題をしているときのような、青菜に塩の表情を顔に浮かべ始めた

次男の気持ちはよく分かる。買えば即あそべるとばかり考えていたオモチャが、実は修練を要とするものだったと気が付いたときの落胆は大きい。だから僕はゴルフのような、あるいは魚釣りのような、研究と試行錯誤がなければどうにもならない遊びには一切、興味がない。「そこいくと本を読むなんてのは楽な遊びだわなぁ、たーだ字ぃ読んでればいいんだから」 と長男に言う。

次男を修練より解放しシャワーに入れる。僕も 「アジェのパリ」 を読んで8時30分に就寝する。


 2004.0702(金) 普通のマグロ

1時30分に目を覚ます。「アジェのパリ」 を読んだり二度寝をしたりして5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをする。きのうの日記がなかなか書き終わらず7時を過ぎる。「今村ステンレスが7時30分に来るから早くメシを食わなくちゃ」 と思っているうちに何分かが過ぎる。

外光を入れるためシャッターを上げた事務室の入り口が、突然ガッガッという音を立てる。見ると柴田鉄鋼の社長と専務がガラス格子のドアを開けようとしている。職人は一体に早寝早起きだが、7時10分の来訪とは恐れ入る。ふたりを社内へ請じ入れ、僕は4階の居間へ上がる。朝飯は、ジャコ、しょうがのたまり漬、昆布とゴボウとハスの佃煮、ふきのとうのたまり漬、塩鮭によるお茶漬け

20年以上も 「もうちょっとカッコ良くしてぇなぁ」 と考えていた店舗内の給茶器まわりを、この数週間の段取りに即して柴田鉄鋼と今村ステンレスが整えていく。むき出しになった排水パイプを御影石風のタイルで覆う工事は、2週間ほど後のことになるという。これまでの見た目の悪さを考えれば、半月の待ち時間などどうということもない。

午後4時を過ぎて、習字の墨で両太ももを黒くした次男が学校より帰宅する。シャワーでそれを家内が洗い流し着替えをさせる。下今市駅16:33発の上り特急スペーシアに次男とふたりで乗る。 「目が疲れるとマグロが食えなくなっちゃうから適当なところでヤメロ」 とゲームボーイアドバンスを続ける次男に言う。東武日光線の冷房は伝統的にきつい。寝入った次男にザックから取り出した僕のポロシャツをかける。北千住から湯島へ至り、徒歩にて切り通し坂を上がる。甘木庵に靴を脱いで壁の時計を見ると6時40分だった。

それより10分の後に長男が学校より帰宅する。休む間もなく3人で切り通し坂を下り御徒町までの1キロを歩く。都会と田舎とでは、明らかに都会の人の方が日々長距離歩行をしている。我が町で同じ道のりを行こうとすれば、人は大抵、自転車か内燃機関の助けを借りるだろう。

鮨の大衆店 「寿司幸」 は金曜日の夜7時20分にてカウンターのすべてが埋まっていた。男女のふたり連れが出た場所に3人分の席を作ってもらう。生酒を飲む僕と熱いお茶を飲む長男は思い思いのものを頼むが、次男はマグロ8貫に続いて中トロ4貫を注文した。「普通のマグロにしとけ」 と一応は言ったが無理だった。いくら大衆店とはいえ中トロは安くない

それでも 「3人でこれだけ食って、それだけでいいんですか?」 という額の支払いを済ませ店を出る。湯島天神下の 「大喜」 には8時を過ぎても11人の行列があった。

僕は風呂にお湯を溜める。長男は次男のためにカレーを作る。次男はゲームボーイアドバンスをしながら、長男の玉ネギを刻む速度が遅いと文句をつけている。「評論家とは、すべての分野における二流の人」 という決めつけがあるが、そういうものでもないだろう。ただし食べ物に限っては、作る者と食べる者のどちらが偉いかといえば、それは作る者の方が断然偉い。

9時に次男を風呂へ入れ寝かせる。湯島天神下のコンビニエンスストアで買い求めた缶のエビスビールを飲み、「アジェのパリ」 を読んで10時に就寝する。


 2004.0701(木) 岩牡蠣

カッコウが鳴いている。「ということは、もう朝か」 と考え枕頭の灯りを点けて時計を見ると3時30分だった。「アジェのパリ」 を4時30分まで読んで起床する。きのうの昼に自転車で郵便局へ向かうときカッコウの声を聴いた。カッコウは瀧尾神社ちかくの杉並木のどこかにいるらしかった。しかし今朝のカッコウは今市小学校の裏手から聞こえる。このちかくにカッコウが何羽いるのかは知らない。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子の油炒め黒酢がけ、ほうれん草のゴマ和え、納豆、生のトマト、メカブの酢の物、メシ、お麩と三つ葉の味噌汁

長男が夏休みに一眼レフを貸してくれと言った件につき、"Olympus OM-1" の古い電池を取り出し近所の山栄無線に持ち込む。店主で僕の同級生のミウラさんはしばらくコンピュータであれこれ検索をした後、この水銀電池は既にして製造中止にて代替品も無い、ただし 「関東カメラサービス」 という会社であれば対応は可能だろうと親切に教えてくれた。

帰社して検索エンジンに 「関東カメラサービス」 と入れると立派なウェブペイジが見つかる。さぞかし大きな会社なのだろうと電話を入れると出てきた女の子は交換手ではなく、MR9というアダプターとSR43という電池をメイル便で送るので着荷後に代金を振り込んでくれと、とても気持ちの良い速度で言う。「それはもう、すぐに振り込みます」 と答えて受話器を置く。

このオリンパスの電池が使えなかったときのために保管箱から "Nikomat" と "LEICA M6" を取り出し手元へ置いたが、もとよりニコマートはオリンパスよりもずっと古いカメラだし、治安の悪い場所におけるライカはニシキヘビの目の前に置いたウサギのようなものだろう。とにかく僕のかつての愛機 "Olympus OM-1" が使えることになって良かった。

ギフトの受注は多いが神経がいらだつほどではない。いらだつことは避けたいが、しかしあまり平和でも心配になる。家内にそのことを言うと 「お中元はお歳暮と違って長く平たく続くのよ」 と返される。「あー、イリエが泣くほど注文が来ねぇかなぁ」 と言うと 「もう社会人なんだから泣きません」 と事務係のイリエチヒロさんは歯を見せずに笑う。

6月のウェブショップの売上はメイルマガジンが功を奏したか前年同月比で87パーセントの増だったが、いまだ満足のできる数字ではない。それよりも7月はどうなるか、気持ちは早くもそちらの方へ飛んでいる。

本日は断酒をしようとしていたところに東北地方の太平洋沿岸から岩牡蠣が届く。酒を欠いて岩牡蠣を食べる方法を僕は知らない。「何を飲もうかなぁ」 と考えつつ4階の自宅へ戻ると廊下にオリーヴオイルとニンニクの香りがする。2階へ降りてワイン蔵から "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を取り出し居間にて抜栓する。北の空に、富山県側から見る北アルプスのような、まるで屏風のような雲が出ている

岩牡蠣にレモンを搾り入れズルリと呑み込む。内臓のあたりやまたそれを包む半透明の膜や、あるいはまわりのビラビラを入念に咀嚼する。夏の海の香りが口いっぱいに充満する。ポテトのグラタンサーモンのバター焼きとグリーンアスパラガスのオリーヴオイル焼きガーリックトーストにて普段よりも多めの白ワインを飲む

そのままソファでうたた寝をした後に入浴し、10時に就寝する。