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一壺の紅の酒 一巻の歌さえあれば それにただ命をつなぐ糧さえあれば
君とともにたとえ荒屋に住もうとも 心は王侯の榮華にまさるたのしさ
Omar Khayyam

 2004.1031(日) ダブルだよ

5時に目を覚ます。「日本名作写真59+1」 を読んで6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、ほうれん草の油炒め、納豆、ジャコ、メシ、きのうのキノコと長ネギの味噌汁。上段に2皿、中段に3皿、下段にメシと味噌汁を置くと朝飯の画像はおさまりが良いが、そのおさまりの良いところから今朝は1皿が少ない

開店の30分前に、あらかじめ準備をしておいた商品と試食を販売係のハセガワタツヤ君が三菱デリカへ積む。同じく販売係のトチギチカさんと3名で 「そばまつり」 の会場へ入る。飾り付けなどがあった初日とくらべれば2日目以降は気楽なものだ。荷物を降ろし終えると同時に 「後はよろしく」 と帰社する。

店は今日も混み合っている。突然のように火事を報せるサイレンが街に鳴り響く。これが3回だと市街地には遠い場所での火事ということになるが、今日のそれは4回鳴った。店の前からも見える煙の出所を特定しようと屋上へ上がってみるが、直線距離で1キロ以上は離れているだろう火元は分からなかった

11時に家内とサイトウトシコさんと次男を 「そばまつり」 の会場へ送る。サイトウトシコさんと次男は蕎麦を食べた後、2.5キロの道を歩いて帰るという。ふたたび帰社して売り場に復帰するが、家内より商品の一部に売り切れの恐れがあると電話があり、またまた商品を積んだクルマを走らせる。

1時すぎに出前のハンバーグ弁当を食べ、午後4時まで販売に従事して、今日で4回目となるクルマの運転席に座る。「そばまつり」 の会場外でこのクルマを家内に渡し、家内はこれにて帰社する。僕は売り場の後かたづけを手伝い、現地に置いた三菱デリカに乗って社員と共に帰る。今日は雨の予報だったが朝9時には早々と太陽が顔を出し、ずいぶんと得をした気分だ。

22インチの自転車に乗っていた小学校低学年のころには到底、行きつけない世界だった我が町の芹沼地区が数年前から急速に開発をされて、いまでは "JUSCO" をはじめ大きな店がいくつもできている。そのちかくの "Katarina" へ晩飯を食べに出かける。

この店には初めて来たが、明るく清潔なテイブルにメニュを開くと、洋食屋にもかかわらず焼酎や燗酒も置いてある。そのためか近所の寄り合いらしい年配の男女もいて、その人たちの使う言葉はまちなかのそれとは少し違う。

アマゾン川の流域では、川を挟んで言葉の通じない場所があると、子供のころに本で読んだことがある。それ以来、ごく狭い地域に異なる言語が存在するという文化人類学上の興味を持ち続けているが、僕は別段、学者ではないからこれを突きつめて研究するというわけではない。ただ、上野駅の雑踏にまぎれた石川啄木がふるさとの言葉を懐かしんだように、僕も普段は聞き慣れない会話を耳にして 「いいなぁ」 と思う。

むかしは家から数キロほども離れると、もう相手の話していることが理解できないということがしばしばあった。これは、田舎の持つ面白さのひとつだ。そういう面白さも、生まれたときからテレビに触れてきた人たちが老人になるころには、すっかり失われていることだろう。

グリーンアスパラガスのサラダ、鉄鍋の中でハンバーグステーキをシチューにしたような料理にて、生ビールの中ジョッキと赤ワインの小瓶を空ける。1日にハンバーグを2回食べるのは、生まれてこのかた経験しえなかったことのひとつだと思う

帰宅して入浴をする。ウイスキーはなく、コニャックとアルマニャックはワイン蔵にあるだろうが勿体なくて飲む気がしない。安い泡盛を猪口に1杯だけ飲んで9時に就寝する。


 2004.1030(土) 「そばまつり」 の初日

4時30分に目を覚まして 「日本名作写真59+1」 を読む。5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、にんにくのたまり漬、生玉子、チンゲンサイの油炒め、納豆、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁

7時50分に、販売係のヤマダカオリさん、サイトウシンイチ君との3人で2台の車に分乗し、大谷川沿いの公園内に大規模に展開した 「今市そばまつり」 の会場へ出かける。初日とあって、出店が並ぶ遊歩道には準備のためのワゴン車が密集していた。割り当てられたテント脇にようやく三菱デリカを停め、商品や用度品を降ろす。またノレンや看板にて飾り付けをする。

9時に帰社して以降は店舗での販売に忙殺されるが、雨が降り始めたために 「そばまつり」 の会場で必要になった簀の子などの備品を運び、また 「売り場がひとりになると思うと不安で弁当も食いに行けない」 という緊急の要請により家内を送り込むなど、会社と会場の2.5Kmを、夕刻4時の撤収までに5往復もする。

帰社して本日のアイテム別販売数量と売上金額の集計を済ませたヤマダさんとサイトウ君には、終業時間を待たずに帰宅してもかまわないと伝えたが、彼らは結局、店が閉まるまで会社にいて、なにやかやと仕事をした。

今日も知り合いより、何だか分からないキノコをもらったそのキノコとニンニクのスパゲティトマトとルッコラとベイコンのサラダを肴にして、バキュバンで栓をしておいた "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を飲む。金谷ホテルのパンドカンパーニュは美味いけれども本来のそれとは異なり入れ歯の人にも楽に食べられるほどのフワフワだから、フランス人に食べさせたら 「なんだこれは?」 と目を剥くかも知れない

冷蔵庫の中に忘れ去られ食べごろをとうに過ぎた、匂いの強いカマンベールチーズにて今夜のメシを締める

4日ぶりに入浴をし、「日本名作写真59+1」 をすこし読んで10時に就寝する。


 2004.1029(金) ツキヨタケ調理師免許

昨夜10時に就寝したにもかかわらず、5時30分になってようやく目を覚ます。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、ツナとブロッコリーのサラダ、茄子の油炒め、ジャコ、納豆、茄子の塩水漬け、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁

本を発注して数時間後に届いた 「閑古堂」 のメイルには、注文の中の 「荒木経惟写真全集6 東京小説」 のカバーにはスレとふたつの穴があるため、1,800円のところを1,000円に値引きをする。なお気に入らない場合には返品して欲しい旨の一節が読めた。午前中に注文品の4冊が到着したため問題の本をあらためると、なるほどスレと穴はあるが、僕にはどうということもないものだ。古書店の客とは、本を舐めまわして喜んでいるような偏執狂がほとんどなのだろうか。

午後、明日から来月の3日まで続く 「今市そばまつり」 への出店準備を、これまでの計画に従って行う。必要と思われるものすべてを三菱デリカに積み終えたのは、夕刻の6時前だった。

タイラガイの刺身、あの牧野富太郎が 「味は松茸に勝る」 と図鑑に書いたクリタケ、エノキダケ、豚肉、豆腐、長ネギなどを投入した鍋を食べる。いまだからだの中、その部位を特定すれば気管支のあたりに炎症のある気配がする。だから飲酒は為さない。

今夜のクリタケは知り合いからのもらい物だが、そういえば1ヶ月ほど前に別の知り合いからスギヒラタケをもらい、ウチではこれを天ぷらなどにしてずいぶんと楽しんだ。それがここへきて、このスギヒラタケを食べた人が急性脳症を起こして死ぬ事件が多く新聞に載るようになった。先日の 「本酒会」 席上で耳にしたところによれば、腎臓を病んだ経験のある人にこの例が目立つという。

「ツキヨタケは大量の流水にさらすことにより毒が抜け、しかも美味い」 と言う人がいる。「ツキヨタケ調理師免許制度」 などというものができて、そういう美味いものを、フグのように万人が食えるようになればよいと思う。フグが食べたくて食べたくて、しかし入江相政に止められこれを食することのできなかった昭和天皇はつくづく可哀想だ。昭和天皇は万人の範疇には入らない。

なんと4日も続けて飲酒と入浴を避ける。「日本名作写真59+1」 をすこし読んで10時に就寝する。


 2004.1028(木) 能弁家

きのうと同じく何時に目を覚ましたかの記憶はない。これまで拾い読みしかしていなかった

「田中長徳と読者が選ぶベストカメラ」 カメラジャーナルブック アルファベータ \1,200
「田中長徳の私の趣味カメラ」 カメラジャーナルブック アルファベータ  \700

の2冊を始めからしまいまですべて読んで、6時に起床する。

それにしても、いまから10年前とはいえ1994年という現代において、カメラジャーナルの読者が選んだベストカメラの第1位がライカのエムサン、第2位はニコンF、そして第3位がニコンF3である。"LEICA M3" は1954年、"NIKON F" は1959年に世に出ているから、当時からしてもそれぞれ40年もむかしのカメラだ。投票をした者の懐古趣味によってこれらが高い点数を得たわけではない。これらはいまだに現役の機種である。源流は常に新しいということを、この結果は示唆している。

「それでは、1985年に発表されたオートフォーカス一眼レフの源流 "MINOLTA α-7000" の名が、この読者投票の中に一向に見えてこないのはどういうことか?」 と追求をされても困る。「そういう難しいことは、もっとえらい人に訊いてください」 と答えるほかはない。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、生玉子、茄子の塩水漬け、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、大根おろし、鰹のハラス焼き、納豆、メシ、けんちん汁

日光街道と会津西街道が交わる春日町交差点に設けられた、むかしの灯台のような形をした 「安全の灯」 を支える石が、このところの地震によるものか道路に転げ落ちている。今市市役所の大代表に電話をすると、交換手は道路河川課につないでくれた。しごく愛想の良い相手にことの次第を説明する。

午前中、ズミタールの50ミリライツの35ミリファインダーが持ち込まれる。僕は写真は撮るがカメラのコレクターではない。2基の古い光学機器は即、持ち主に返却をする。

燈刻、算数の宿題を済ませた次男の更に漢字練習を督励する

茄子の塩水漬け、湯波を混ぜ込んだ笊豆腐による冷や奴エリンギとブロッコリーを付け合わせにした和風ハンバーグにて米のメシを食い、今夜も飲酒は避ける。「こういうときに採血をすれば、γGTPもすこしは下がっているだろうになぁ」 というようなことを考える。

入浴はせず冷たいお茶も飲まず、

「日本名作写真59+1」  田中長徳著  アルファベータ  \1,890

を読んで10時に就寝する。


 2004.1027(水) 取り残し

何時に目を覚ましたかの記憶はないが、きのう処方された抗生物質によりのどの痛みは去った。枕頭に読むべき活字がないため本棚のある階段室へ行き

「東京は、秋」  荒木経惟  三省堂  \1,500

を持ち帰る。これは1984年の初版だが、いままでに何度読み返したことだろう。自身の写真集の数が何百に及ぶかについては荒木もはっきりは掴んでいないだろうが、この 「東京は、秋」 は間違いなく歴史に残る傑作だ。また、撮影後10年を経て、撮影者が妻を相手に個々の写真について解説をしているその会話が添えられることにより、格好の写真の教科書にもなっている。

これをペロリと読み終え、同時に枕元へ運んだ

「私が写真だ」  荒木経惟+高橋勝視+西井一夫  群出版  \1,800

も最後まで読み通す。なにより昼間に眠っているから、目を覚ましてから明るくなるまでがとても長い。

6時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、きのうの鯵の南蛮漬け、茄子の油炒め、茄子の塩水漬け、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、メシ、けんちん汁

開店前より普段の仕事をし、10時30分に寝室へ戻る。自分が風邪で床へ伏せ、しかし家内は元気に立ち働くその姿を見るたびに、ハナ肇とザ・ピーナッツによるしゃぼん玉ホリデーのコントを思い出す。

昼に、家内の作った牛肉入りの平打ちウドンを食べる。病人のくせに 「この三つ葉がパクチーだったら、もっと良かったなぁ」 と考える。そして更に 「唐辛子を漬け込んだ酢とかナムプラーなんてのもあったら、途中からまたスープの感じを変えられたなぁ」 と考える。

眠って目を覚ますと、眠る前よりも体が疲れているような気がする。また眠ってまた覚醒する。これを繰り返して燈刻を迎える。自分だけが社会から取り残されたような気分になる。

タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、ポテトサラダ鰹のはらすと大根おろしにんにくのたまり漬としょうがのたまり漬を散らした鰹の刺身とは格好の酒肴だが、もちろん飲酒は為さない。

入浴は避けて9時30分に就寝する。


 2004.1026(火) ビー玉

4時に目を覚ますとノドの奥右上に、痛みというビー玉を貼り付けたような不快感がある。唾を飲み込むことを躊躇しているうちに、どんどん口の中にグジュグジュとした液体が溜まり始める。洗面所へ行きイソジンでうがいをしてベッドへ戻る。「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」 を読んで5時30分に起床する。

事務室へ降りてシャッターを上げる。きのうの本酒会の会報を書く。鶴岡市の酒蔵による純米大吟醸 「祇王祇女」 を、僕のワードプロセッサは変換してくれない。メイルアドレスを持つ会員に会報を送付し、ウェブショップの注文を確認するなどいつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

家内には、ノドが痛むため朝飯は生玉子のぶっかけメシにしてくれるよう頼んだが、生憎と玉子は切らしているとの答えだった。じゃこ、刻み昆布、納豆、メシ、大根と三つ葉と豚肉の味噌汁を朝飯とする

1990年ごろまでは2ヶ月に1度の割合で扁桃腺を腫らし、39℃を超える熱を発して4、5日は寝ていたが、その後は取り憑いた 「もののけ」 がストンと落ちるように丈夫になった。これは僕という人間が、急速にだらしなくなることによって得られた健康だと思う。最近になって数ヶ月に1度の風邪ひきが復活したのは、そのだらしなさが払拭されたせいだろうか、あるいは単に体力が失われてきたせいだろうか。

朝1番で関根耳鼻科へ行き、ノドの様子を診てもらう。古書の 「閑古堂」 に4冊の本を発注する。夕刻に事務室を離れて自宅へ戻り横になる。そのまま晩飯の時間まで眠り続ける。

次男のはしゃいだり拗ねたりする声に目を覚まして居間へ行くと、床の間に十三夜のお供えがある。サイトウトシコさんが自宅で作ってきてくれたその十三夜のためのけんちん汁、湯波を混ぜ込んだ笊豆腐による冷や奴、茄子の塩水漬け、メシ鯵の南蛮漬けにて晩飯にする。体調は悪いが食欲はすこぶる旺盛である。

入浴は避け、「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」 を読みながら10時30分に就寝する。


 2004.1025(月) 「こっちの方がいい」

3時に目を覚ます。「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」 を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。

土曜日の夜の地震は新潟県に大きな災厄をもたらした。脱線して傾いた上越新幹線の映像は、小松左京が書いた 「日本沈没」 の一場面を彷彿させてあまりある。栃木県の日光地方は、1949年の今市地震を除いてはこれといった災害を記録していない恵まれた場所だ。いま自分が住むところに今回の新潟県と同じ事態が発生したら、自分にはなにができるだろうかと考え、多分、宮沢賢治の書いた 「オロオロアルキ」 がせいぜいだろうと結論する。

朝飯は、ツナとサラダ菜のサラダ、納豆、メカブの酢の物、生のトマト、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

10月のなかごろまで上半身は半袖シャツ1枚ですごしていたが、それによりひいた鼻風邪がすこし発展をしたらしく、燈刻よりノドの右奥に小さな痛みを感じるようになった。今夕は7時30分より 「本酒会」 がある。繁忙によりいまだできていなかった投票用紙を作成し、会場の 「やぶ定」 へ 「あと3分ほどで行けます」 との電話を入れる。

本酒会では通常、秋田、新潟、山形といった北の淡麗辛口が好まれる傾向にあるが、今回の得点上位3本は、福島県の1本を除けば、京都府から1本、愛媛県から1本という珍しい結果になった。

年間を通じて茶蕎麦しか出さない 「やぶ定」 が、今回は新蕎麦が入ったばかりとのことで、締めには普通の蕎麦を出してきた。そして、池之端 「藪」 のざるの倍ほどの量のそれは美味かった

「ヤブ、これから店でこれ出せ」 と誰かが言う。「いや、町内の連中に食わしたら 『こっちの方がいい』 つうんだよ、悩んじった」 と店主のワガツマカズヨシ会員がぼやいてみせる。新蕎麦の季節だけでも、すこし値段を上げてこれを売ればよいのではないかと僕も思うが、商売のしかたはそれぞれの店が決めることだ。

大きな蕎麦猪口にたっぷりの蕎麦湯を飲み、すこし休んで帰宅する。入浴して10時30分に就寝する。


 2004.1024(日) 方法と時間

「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」 はいつの間にか階段室の本棚から消えてしまったが、この原作をロバート・レッドフォードが映画化したという記事を週刊誌に見つけ、そのペイジを破り取って長男に送ったのは数日前のことだ。きのう日本橋で長男に会うと、早速この映画を恵比寿で見てきたと、ガーデンシネマで買ったらしい同じ本の新しい版を取り出して見せる。

映画は見のがしても、このゲバラの日記はまた読みたい。オートバイと旅を知らない人生はつまらない人生だ。それはさておき、ことしは一般の服の市場にライダース系のデザインが目立つ。流行というものの作り出される過程にはいろいろな偶然や必然があるけれど、「ただの洋服屋が作ったライダーズ・ジャケットは着たくねぇよなぁ」 と思う。それは、エルメスのチロリアン・シューズを履きたくないのと同じことだ。

6時前に目を覚ます。キッチンでお湯を沸かしていると長男が自室から出てきて2冊の本を示し、「これ、知ってる?」 と訊く。見ればそれは荒木経惟の 「写真ノ方法」 と 「写真ノ時間」 で、だから 「ついこの10日のあいだに買って読んじゃったよー」 と答える。長男はこれをおととしから持っているという。まーた重複して本を買ってしまった。

朝飯は、だし巻き玉子、茄子のぬか漬、五目おこわ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と大根と小松菜の味噌汁

今日は麻布の天真寺で家内の母の一周忌がある。準備のため家内はひとあし先に玄関を出た。僕とオフクロと長男、次男はそれに1時間ほど遅れて同じ道をたどる。途中、あちらこちらのグラウンドに運動会の風景を見る。麻布の山の上の野球場でも、そこで行われていたのは野球ではなく運動会だった。

一周忌には個人の遺徳もあって大勢の人たちが集まった。説話の後に東京プリンスホテルへ移動をして、午餐のひとときを持つ

夕刻の下り特急スペーシアにて帰宅する。次男の日記の宿題は書くことが豊富なためノート3ペイジに及んだ。軽い夕食を取り、入浴して9時に就寝する。


 2004.1023(土) 両方とも無いんだよ。

目を覚まして枕頭の灯りを点けると1時30分だった。「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」 を読み、また眠り、これを繰り返して6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、玉子と鶏肉の雑炊、しその実のたまり漬、じゃこ

コンピュータを使う仕事のなかで最も好きなのは、新しい仕事に即してマクロを組みことだ。その反対に最も気の進まないのは、こう言っては叱られるが、ウェブショップにご注文をくださったお客様のメイルアドレスをアドレス帳に登録していくことだ。

ウェブショップの注文をひとつずつ開き、そこにあるメイルアドレスをコピーして、アドレス帳の検索セルにペイストして検索ボタンをクリックする。そのお名前を記憶してしまうほどリピートして下さるお客様についても、メイルアドレスが変更されていない保証はないから、これもアドレス帳に検索をして、以前のものと変わっていれば新規のものも登録する。間を開けずに毎日こなしていればどうということもないのだが、これをつい1ヶ月ほども滞らせると、まるで賽の河原に石を積むような果てしもない単純作業に自らを従事させることになる。

午後の1時間をこの石積み作業に費やしている最中、外から子供の激しい泣き声と共に "stuff it!" という叱責が聞こえてくる。事務室のドアを開けて外を見ると、顧客用のベンチに3歳くらいの白人の男の子がいて、それを、映画のマイケル・ムーア監督のような体格の男が大仰な身振りを以て叱りつけている。「いやだなぁ」 と思うが、ハタから止めに入るとますます激高する親は少なくない。手を上げでもしたら出て行こうと考えていたが、そのうち幸いにも子供は泣くことをやめた。

オフクロとタクシーに乗って下今市駅へ行く。16:03発の上り特急スペーシアに乗り、6時すこしすぎに日本橋へ達する。僕よりも数時間前のスペーシアに乗った家内と次男、学校から来た長男と行き会う。

高島屋の一角にある無料のロッカーに荷物をあずけ、"Canon IXY DIGITAL Li" を上着のポケットに、"LEICA ?C" は首から提げる。ここへ至ってようやく、"?C" 用の露出計とファインダーを事務机の引き出しに置き忘れてきたことを思い出す。このカメラが露出計とファインダーを欠くとはとんだ二重苦だが、ヘレン・ケラーは三重苦にして常人の及びもつかない高みまで上りつめた。僕の実力を以てすれば、この二重苦にして最新の "EOS" よりも良い写真が撮れるだろう。

手紙の冒頭に 「秋冷の候」 などと置くいまの季節は初更の散歩にちょうど良い。白木屋、否、東急百貨店、否、コレド日本橋の裏手を歩いて 「たいめいけん」 の前まで行くと10メートルほどの行列がある。待たなくても席のある2階へ上がる。僕は発泡の白ワインに生ガキ、セロリのサラダ、ハムのオムレツ。他の各々も好きなものを頼んでこれを夕食とする。途中1度、ゆーらりゆーらりと大きめの地震がある。

9時に甘木庵へ帰着する。入浴して焼酎の水割りを飲み、10時30分に就寝する。


 2004.1022(金) 靴下を買う

2時30分に目を覚まし、「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」 を読んで4時15分に二度寝に入る。5時に気がついて同じ本を開き、5時30分に起床して事務室へ降りる。シャッターが開くに連れ、床から壁へと朝の光が徐々にせり上がる。あしたからの週末は、晴れたまま過ぎるのだろうか。

7時に居間へ戻る。朝飯は、生ハムとサラミ、ほうれん草の油炒め、メカブの酢の物、納豆、生のトマト、メシ、恵比寿講の鯛と長ネギの味噌汁

伊集院静の紀行文 「アホー鳥が行く」 にたしか、次に博打で当てたら靴下を買おうと思うというような一文があって、「しゃれた人だな」 と僕は思った。

ライカをときに2台もショルダーバッグへ入れて僕は街を歩くことがある。しかしてその足許の靴下には大抵、穴が開いている。僕は賭け事をしないから、靴下を買うには身銭を切る以外に方法がない。手塚工房、成文社印刷とまわった足で "UNIQLO" へ行き、靴下の棚の前で財布を開くと2千数百円がある。3足990円の靴下を6足買って帰社する。

コンピュータが仕事をしているあいだ、ただ黙って静かにしているということができない。「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」 を開き、1973年のアサヒカメラが初出の、森山大道、深瀬昌久、荒木経惟の対談を読む。批判の多い森山、深瀬とは異なり、荒木はここでエロ話やヨタ話を盛んに飛ばしているが、現在の僕の視点からするとこの荒木の発言がもっとも洗練されて普遍性を備えているように感じられるのは面白い。

燈刻に次男の算数の宿題を督励する。それに目鼻がついたあたりで席を離れ晩飯を作る家内に 「今日はオレ、酒のまないよ」 と告げると 「え、飲まないの?」 と驚いた顔をする。僕が酒を飲まないことを決めて、しかし家内に 「飲まないの?」 と言われ、断酒を断念するとはよくあることだ。

バキュバンで栓をしておいた "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" をグラスに注ぐ。生ハムとサラミ茹でたグリーンアスパラガスと生のトマト小エビとマカロニとマッシュルームのグラタン2種のピクルスとカマンベールチーズ3種のパン

入浴してビールを300CCほども飲み、10時に就寝する。


 2004.1021(木) 季節

目を覚ますと部屋は既に薄明るく、雨の音は聞こえない。居間へ行きテレビをつけると時刻は5時20分だった。四国から上陸した台風は日本海へ抜けることなく本州の上空を北東へ進み、今しがた銚子沖に抜けたところだった。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯は、ほうれん草のおひたし、スクランブルドエッグ、メカブの酢の物、納豆、昨晩のなますにオリーヴオイルを加えたもの、メシ、けんちん汁

会社のパンフレットに載っている店内写真が気にくわないため、"LEICA ?C" に "Voigtlender " の "Snap Shot Skopar" というアマチュアの装備でこれを撮り直したのは日曜日のことだった。そのリヴァーサル・フィルムの現像が上がったとの電話が上條カメラから入る。ニコマートのバッテリーとそのアダプターも届いているという。

ニコマート用の水銀電池はとうのむかしに製造が中止されたため、このカメラには現在のボタン電池と、これを電池室に合致させるためのアダプターが必要になる。持参したニコマートにこれを収め、カミジョーさん愛用の50ミリF1.2のレンズを装着して絞りを調整すると、ファインダーの針はそれを察知して敏感に振れた。39年前の露出計はいまだ生きていた。恐るべしニコマート

台風は完全に去って、空には晴れ間さえあらわれた。終業後の手慰みに古書の 「高原書店」 の検索窓へ 「荒木経惟」 と入れてみると、数ヶ月前に長男へ持たせた「写真への旅」 に1万円の値段がついている。思わず目を疑ったが間違いはない。もっともこの本は後にマガジンハウスで復刻されたから、蒐集家を除いてこれをこの金額で買う人はいないだろう。

燈刻、次男の勉強机に

「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」  森山大道  青弓社  \3,150

を置く。目次から1ペイジをめくると 「写真という言葉をなくせ」 と題された1969年が初出の、中平卓馬と森山大道の対談がある。ここでふたりは 「写真に理屈を持ち込むな」 ということを、理屈を尽くして語っている。中平も森山も頭の良い人である。1969年といえば、議論をしない人間は人ではないという風潮のあった時代だ。頭の良い人間が延々と繰り広げる、政治の季節に為された対談。「この本がずっとこの調子だったら参るな」 と考えつつ文字を追う。

厚揚げ豆腐の炊き物、なますのオリーヴオル和え、ほうれん草のおひたしにて、芋焼酎 「西海の薫」 のお湯割りを飲む。茶碗蒸し秋刀魚の塩焼きにても、同じものを飲み進む。

入浴してなにも飲まず、また本も読まず、9時30分に就寝する。


 2004.1020(水) 要求するもの

5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。連なる山々は弱い雨により、遠くへ行くにしたがって一段ずつ階調を薄くしておだやかに霞んでいるが、テレビによれば、とても大きな台風が刻々と近づいているらしい。

朝飯は、玉子と椎茸とほうれん草の雑炊、しその実のたまり漬、大豆とヒジキの炊き物

書店でなくてもシロウトでも、"amazon" を通じて古書を売ることができる。そしてこの古書を購入するとしばらく後に、この出品者による商品説明、届けられるまでの時間、梱包の具合などにつき評価を問うメイルが届く。僕はほとんどの場合、5段階評価の最高点をつけ、コメントを入力するためのセルに 「す」 と入れると、前回入力した 「すべてにつき問題ありません。完璧です」 の文字がプルダウン式に降りてくるので、それを左クリックで確定する。

古書といえば神保町の、靖国通りの塵芥にさらされたワゴンセイルを思い出す僕からすれば、"amazon" のこの評価システムは 「稀覯本オタク」 の市場を連想させるが、古書を買う人とはそれほど神経質なものだろうか。

25年以上前に1960年代の安いイタリア車を買った。車庫に届いたそれのドアを開けるとルームミラーに仕込まれた室内灯が点いて、僕は思わず 「あっ、デンキが点く!」 と言った。当時はまだ元気だった "Bugatteque" のバンノーさんは横で 「ヒヒヒ、卓ちゃん、クルマに要求するものが少ないね」 と笑った。

確かに、僕がクルマに要求するものはそう多くはない。その設計思想やデザインが好きであれば、室内灯への配線がフロントピラーの途中で切れていようがリアクォーターの窓に跳ね石によるヒビが入っていようがどうということはない。それと同じ理屈で古書についても 「字が読めればいいじゃねぇか」 と思う。どうせそれをバーや料理屋へ持ち込めば、すぐに汚してしまうのだ。

夕刻が近づくに連れて雨が激しくなる。僕と家内とサイトウトシコさんとの3人で、恵比寿講の準備を整える。恵比寿講とは商家や農家に伝わるお祭りで、商売繁盛や五穀豊穣を願うものだ。ひと息ついて、次男の算数の宿題を督励するまた国語の音読も督励する

ほうれん草のおひたし、カジキマグロの煮魚、なます、大豆とヒジキの炊き物、メシ、けんちん汁という、恵比寿大黒へのお供えと多く重複する晩飯を食べて、飲酒は避ける。

入浴して牛乳を300CCほども飲む。堰のない太い水路をドウドウと流れる水の、その水平移動を垂直移動に画像回転させたような雨が降っている。「天才アラーキー写真ノ時間」 を読み終えて11時に就寝する。


 2004.1019(火) 目立たないショルダーバッグ

記憶に残る最後のひどい二日酔いは、シドニーオリンピックの女子マラソンが中継された朝のことで、僕は藤沢のホテルにいた。とりあえず時間を知るためにテレビをつけたが、とてもではないが目を開ける気力はなく、ただそのマラソンの実況を伝える音声だけを聞き、しかしアナウンサーの 「高橋尚子がトップに躍り出ました」 という言葉は信用しなかった。

このひどい二日酔いが去って後、僕は 「音は聞けても目が開けられないとは、目は耳よりも速いクロックを要求する器官なんだな」 ということと 「目で見れば信じるのに耳で聞いただけでは信用しない。百聞は一見にしかずとは本当なんだな」 ということのふたつを確信した。最もこの確信の前者について、それが正しいかどうかは知らない。

きのう最後に飲んだ350CCのビールが余計だったらしく、目を覚ましても灯りを点ける気力がない。そのまま静かに横になっている。JR日光線を走る列車の音で、だいたいの時間は分かる。やがて吉田床屋の近くにあるオルゴールが鳴る。これは6時を報せるものだっただろうか。6時50分にようやく起床して事務室へ降り、あちらこちらの鍵を開けるのみにて居間へ戻る。

朝飯は二日酔いの朝にふさわしく、白粥、鮭の乾燥フレイク、厚揚げ豆腐と大根の炊き物、しその実のたまり漬、じゃこ

何週間か前にショルダーバッグの作成を頼んだ "KAZAMIDORI" のオーナーからは数日前に、それが完成したとの電話を受け取っていた。昼前にホンダフィットに乗り、高速道路を使えば次のインターチェンジにあたる我が町の大沢地区まで一般道を走る。

「1台のM型ライカとせいぜい1、2本のフィルムを入れるだけの大きさの、夜の闇に浸透してしまうほどに地味な皮のショルダーバッグが欲しい」 と思っていたところに、腰から革袋をぶら下げたコバヤシハルオ本酒会員がちょうどあらわれ 「オレ、作ってくれる人、知ってますよ」 と教えてくれたのは9月末のことだった。

"KAZAMIDORI" の、コンラン卿が作った海の家といった風情の店内に足を踏み入れると、オーナーは僕の姿を認めて笑顔を作り、お母さんはコーフィーを入れるためカウンターへ去った

やがて奥の工房からショルダーバッグが運ばれる。「1台のM型ライカとせいぜい1、2本のフィルムを入れるだけの大きさ」 という意図を忠実になぞったそれは、しかし 「夜の闇に浸透してしまうほどに地味な」 という絵図にはほど遠い、「テンガロンハットをかぶった荒木一郎が青山通りをクルーズするエルカミーノの助手席に置いたら似合いそうな」 怪しい燐光を放っていた。

「いまある皮は白いのだけで、新たに黒を1頭分仕入れると、それだけで何万円もかかってしまうんで」 と言われて色を黒から白に変更し、「鹿皮で幅の広い肩ひもを作ると、多分、ガワが反り返ってくると思うんですよね、ショルダーの部分だけサドルレザーにしたらどうでしょう?」 とすすめられて同意をしたのはこの僕である。

「すげぇものができたけど、どうしよう」 と考える。僕の杞憂をさておけば確かに、これはある種のマニアには堪らない質感とデザインのバッグで、平井製作所の速写ケイス入りエムロクの重さに耐えるべく考え抜かれた細部の作りも丁寧だ。

午後の遅いころになってネット上に、"booby-bookstall" という洒落た本屋を見つける。マルセル・ムルージの 「エンリコ」 から山口瞳の 「草野球必勝法」 まで揃っている。「困ったな、金がねぇんだよ」 と逡巡しつつ3冊のみを注文する。

燈刻、次男の算数の宿題を督励する。勉強をしているときの青菜に塩の風情と、それから開放されたときののびのびした自己表現とのあいだに、これほど差のある人間も珍しいのではないかと思う。

ワケギ、セリ、エノキダケ、厚揚げ豆腐を煮た薄味の鍋に、豚肉を投入してしゃぶしゃぶにする。朝は二日酔いでも、それから12時間も経てば大抵は大丈夫だ。芋焼酎 「西海の薫」 をお湯割りにする

入浴して牛乳を300CCほども飲み

「天才アラーキー写真ノ時間」  荒木経惟著  集英社新書  \798

をすこし読んで9時30分に就寝する。


 2004.1018(月) 植民地と異邦人

5時30分に起床して事務室へ降りる。ここ数ヶ月のあいだに撮った写真から12枚を選び、"EPSON" のフィルムスキャナでコンピュータに取り込む。作業には1時間を要したから1枚あたりの平均は5分ということになる。

ウェブショップの受注を確認していくと、季節商品のためいまは品切れをしている 「ふきのとうのたまり漬」 をご注文の方がいらっしゃる。商品説明に添えた 「ただいま品切れ中です」 の行頭の丸印を、より目立つ星印にかえて更新する。

朝飯は、豆モヤシとニラの油炒め、ほうれん草の胡麻和え、メカブの酢の物、納豆、胡瓜の古漬け、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

開店前の店舗で販売係のケンモクマリさんが冷蔵ショウケイスの掃除をしているため、これを手伝う。天気はまた下り坂を転げ落ちるような気配にて、空はどんよりと暗い。

1940年代前半の中国で少年時代を過ごした人を知っている。圧制下の植民地に暮らすうち、人はたいてい無政府主義的な考えを身につけていくとは、その人から聞いたことだ。年金を払わない、自分が学んだ学校の卒業生会の会費を払わない、公衆電話に鋭い金属で落書きをする、ガムを口から直に路上へ吐き出す。ことの軽重はあっても、これらは僕の目には十分すぎるほど無政府主義的な現象として映る。今の日本を植民化したのはいったい誰だ?

お祭りはその一部を除いて、住民が喜び勇んで参加をするものではなくなりつつある。既に回覧板で回したと同じ内容の紙を配りつつ、11月の杉並木祭への参加をうながすため、今夜は7時より町内のめぼしい家を訪問することになっている。それに先立ち、6時30分より取り急ぎ、厚揚げ豆腐と大根の炊き物、ジャガイモとレタスとツナのサラダを肴に芋焼酎 「西海の薫」 のお湯割りを飲むまた牛肉とピーマンと筍の細切り炒めをメシに載せ、これを食べる。

日光街道を挟んで東側と西側の家々を、青年会の面々と手分けしてまわる。8時30分に帰宅する。冷蔵庫に笹かまぼこを物色し、これにてまた焼酎のお湯割りを飲む。

週に2度の断酒は常に免罪符のように感じられる。「きのうは酒を抜いたから」 となにやら開放的な気分になって、入浴後に350CCの缶ビール1本を飲む。10時に就寝する。


 2004.1017(日) かけあわせ

5時に目を覚まし、「天才アラーキー写真ノ方法」 を読んで5時30分に事務室へ降りる。

会社のパンフレットが現在のかたちになってから、既にして25年は経つだろうか。そのあいだ年に2度ほどは小さな改訂を行ってきたが、店舗内の写真は10年以上も前のものがいまだに使われていて、そこには北欧風のセーターを着たお客様の姿がある。別段セーターに恨みはないが、1年を通じて使うパンフレット中の人物が冬の格好では、ちと面白くない。「モデルを使わない限り、こういう写真は春か秋に撮るべきだわなぁ」 と考えつつ10年以上もの時が過ぎた。

自前のカメラのファインダーにパンフレットの写真と同じ構図を組み立ててみると、どうも当時のカメラマンは28ミリのレンズを使ったらしい。"LEICA ?C" に "Voigtlender " の "Snap Shot Skopar" をつけ、三脚に固定する。このレンズは25ミリだから広角の度合いに不足はない。カメラにはきのうのうちからISO400のリヴァーサルフィルムを入れておいた。

このセットを事務室内の店舗よりに立てて7時に自宅へ戻る。日光地方の上空が晴れ上がったのは、ほぼ2週間ぶりのことではないだろうか。朝飯は、豚肉と椎茸と長ネギの雑炊、胡瓜の古漬け、じゃこ

あまりひとけがなくても寂しいため、10時を過ぎてより店舗へカメラを持ち込むが、有り難いことにこんどはお客様が思うよりも多く、頭に描いたとおりの場面が得られない。三脚を立てシャッターレリーズに指を当てたまま何時間か椅子に座っていれば良い機会もあるだろうが、それはさすがにできかねる。「もう1度、出直す必要があるわなぁ」 と考えつつシャッターを24回切って引き上げる。

どうも最近、腹が出すぎているのではないかと考え、白粥、胡瓜の古漬け、じゃこを晩飯として飲酒は避ける。きのうに引き続き、イチモトケンイチ本酒会長にもらった洋梨を食べる。よく分からないから洋梨を書いているが、正しくは洋梨となにかをかけあわせたものらしい。また、このかけあわせが非常に美味い。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1016(土) 洋梨

4時に目を覚まし、「天才アラーキー写真ノ方法」 を読んで5時30分に起床する。今日に限って事務室へは降りず居間でお茶を飲んでいると6時19分に、パリにいるオフクロから電話が入る。事務室へ電話をしたけれど誰もいないと言うので 「まだ6時19分だよ」 と答える。時差の計算を2時間も間違え、だからもう始業の8時15分を過ぎたと考えて会社に電話を入れたのだろう。

オフクロが持つ受話器のむこうから 「あら、そういえば日本もまだサマータイムなのね」 という声が聞こえるが、GHQの提案により始められた日本のサマータイムは確か1952年に廃止をされている。いまオフクロと同じ部屋にいる人は、1952年以前に日本を離れて後、1度も母国の土を踏んでいないのかも知れない。電話は 「パパにもよろしく伝えてください」 と言って切れた。

僕の生返事を聞きとがめた家内が 「お父さんはいま旅行中なのよ」 と言う。「そういえばそうだったか」 とようやく気づく。

朝飯は、生のトマト、胡瓜の古漬け、納豆、レタスとツナのサラダ、メカブの酢の物、大根おろし、メシ、マイタケの天ぷらとほうれん草の味噌汁。前の晩に残った天ぷらを味噌汁に入れて煮込むとはしごく貧乏くさいことだが、これが実に美味い。そしてその貧乏くささは、なにかしら緑の葉を合わせることによりかなり払拭される。

夕刻、引き出しの中ではなくめずらしく机に置いたままの携帯電話が鳴る。ディスプレイには長男の名が示されている。「いま上野のコリアンパブにいるんだけどさ」 と言うのでなにかのトラブルに巻き込まれたのかと緊張して耳を澄ますと、コリアンパブと聞こえたのは 「コリアン街」 の誤りだった。単位を上手に組み、留年せずに韓国へ1年ほど行っていた先輩が帰ってみれば、まるで韓国人のように朝鮮語をあやつるようになっていたとは、数ヶ月前に長男から聞いたことだ。

今夜はその先輩と晩飯を食べることになっているが、先日、一緒に行ったところが満員で入れなかった焼肉屋はどこだったか? というのが電話の内容だった。「京城苑」 と答えると 「あぁ、だったらいまその前にいるんだよ」 というので 「まだ来てない先輩とは連絡を密にした方が良いぞ」 と答える。ひとり長男が何も食わずに先輩が来るのを待っていては、そのうち店員から追い出しを食らいかねない。「京城苑」 は、開高健の 「日本三文オペラ」 に出てくるような店だ。

晩飯前に、バキュバンで栓をしておいた "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を飲みつつ 「天才アラーキー写真ノ方法」 を読む

トマトとモツァレラチーズのサラダマイタケとベイコンのリングイネ那須の "Penny Lane" のソーセージパン洋梨。子供のころはその柔らかい食感が嫌いで、僕は洋梨を食べることができなかった。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1015(金) ひとつシラフで

5時30分に目を覚ます。季節がいまだ夏にあるときほどではないが、窓は薄く開けてある。そこからの青い光が畳の目に細い陰影を刻んでいる。起きてダイニングキッチンへ行くと間もなく長男も自室から出てくる。朝飯を作る長男に熱いお茶を入れてもらい、それを飲んで6時30分に玄関を出る。

空は晴れていた。岩崎の屋敷裏から切通坂を経て上野広小路に至る。東武日光線の浅草駅には早くも6時50分に着いてしまった。特急スペーシアの切符を売る自動販売機は、7時になってようやく開くシャッターの奥にある。降りたシャッターの前で10分を過ごすことは、気の短い僕にはできない。あたりを散歩して7時1分前に元の場所へ戻る。

臭くて汚い地下道にあるトンカツ屋 「会津」 のカウンターでよくよく考え、ベイコンエッグは避けて目玉焼きの定食を注文する。ベイコンが減った分をシラスおろしにて補う。からだに取り込む脂分はできるだけ減らそうとの魂胆だが、僕がかかっている医師によれば玉子などもっとも良くないとのことにて、しかし納豆とシラスおろしの朝飯というのも寂しい。

浅草駅7:30発の下り特急スペーシアに乗る。北千住から、見覚えのある男が僕の隣に座る。見覚えがあるのは男の顔ではなくジーンズの方だ。そのジーンズは左脚いっぱいにブリーチングで川の流れと桜花が描かれている。「自分は一体いつこれを見たのか?」 と考えて、それが今月7日のやはり同じ電車内でのことだったと思い出す。

9時20分に帰社して仕事へ復帰する。きのうベタ焼きから選んでプリントを頼んだ40枚ほどの写真を 「かみじょうカメラ」 へ取りに行く。先月末に撮ったカラーフィルムでは、全48枚のうち気に入ったものがノーファインダーによる1枚だけとは困ったことだ。この事実が何を示唆しているかといえば、ファインダーなど覗かずに撮った方が写真はよほど上手くいくのではないか? ということだ。

初更、きのうトール先生にいただいたマイタケによる天ぷらカボチャのサラダ、胡瓜の古漬けマイタケ飯、大根と豚肉の味噌汁を晩飯にして飲酒は避ける。主に次男のために、小エビの天ぷらニラと豚肉の炒め物も並べられる

今夜のマイタケ飯は、あらかじめダシで煮ておいたマイタケを炊きたての飯に混ぜるというウチのやり方ではなく、生のマイタケを味つけせずに米と混ぜて炊き、炊きあがった際に生醤油をかけまわしながら攪拌するという、トール先生の家の方法に従った。家内が 「どうしてニラ、食べないの?」 と不審そうな顔をするが、マイタケ飯が美味すぎて、他の器には到底、箸を伸ばすヒマがない。いくら酒を飲まなくてもこういう美味いものを食べていては、腹は出るばかりだ。

7時前に春日町1丁目の公民館へ行き、11月はじめに行われる杉並木祭りについての話し合いを持つ。町内に江戸時代より伝わる彫刻屋台の組み立ては今月24日に行われるが、それに際してカワナゴヨシノリ青年会長は一同を見渡し遠慮がちに 「あのー、組み立てんときは皆さん、ひとつシラフでっつーことでー」 と言う。しかしてその日の集合時間は午前8時30分だ。いくらお祭りの準備とはいえ、朝から酒気を帯びて町内の用事に来る馬鹿がいるだろうか? あるいは過去に、そういう例があったのかも知れない。

10時に帰宅し、入浴して冷たいお茶を飲む。

天才アラーキー写真ノ方法  荒木経惟著  集英社新書  \777

をすこし読んで11時に就寝する。


 2004.1014(木) 子供の使い

目を覚ましてしばらくはじっとしているが、ずっとそうしているのも馬鹿ばかしいため枕頭の灯りを点けて時計を見ると2時10分だった。どうも就寝から5時間を経たあたりで眠りが浅くなるらしい。とはきのうの日記の冒頭からの引き写しだが、今日も同じような状況にて時計の針は2時10分を指している。

「ライカ講話 田中長徳講演集」を1時間30分ほど読んで二度寝に入り、5時30分に起きて事務室へ降りる。というところもきのうの朝と変わらない。

いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、トマト入りスクランブルドエッグ、ほうれん草の薄味炊き、メカブの酢の物、納豆、ホタルイカの沖漬け、メシ、大根の味噌汁

開店直後に 「半分はオレんちで取ったから」 と言いつつ鈴木税務会計事務所のトール先生がマイタケを持ってきてくれる。それは1個の半分にもかかわらず片手で持つには重すぎるほど密なもので、その根もとはマイタケ飯に、先の薄い部分は天ぷらにすると良いとトール先生が教えてくれる。とはいえ今夜、残念ながら僕は家にいない。

日中、この夏から撮り溜めたフィルムを持って「かみじょうカメラ」 へ行き、プリントして欲しい写真のリストを手渡す。カミジョーさんは 「ライカですか、味、ありますよね」 と如才なく笑顔を見せるが、「味がある」 とは1970年代前半のファッション界で多用された "eccentric" と同じく、褒めようのないものに対する褒め言葉としては重宝だ。

下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。列車が駅に停まるたびに写真を撮りたくなるのは、プラットフォームと屋根とが作る2本の平行線を階段が斜めに横切り、そこに多くの人々が点々と配置されるその風景を、僕が無意識のうちに好んでいるためと思われる

西日暮里駅で買った切符がどうしても自動改札に引っかかる。3回おなじことを繰り返してらちがあかず、窓口へ引き返そうとするとそこには長蛇の列がある。「油麻地で売ってるエジプト航空の切符じゃあんめぇし」 と、4回目も警報を発する改札口を強引に突っ切って山手線に乗る。池袋駅の自動改札はこの切符をすんなりと受け入れた。

明日館で毎月第2木曜日に開かれる同学会本部委員会に出席をする

10時すぎに甘木庵へ戻ると、おととい送ったニコンFがダイニングキッチンのテイブルに載っていた。いわゆる会議というものに出席をすると、僕はいつでも、自分がまるで子供の使いになったような気になる。Aという人が意見を述べると 「なるほど、筋が通っている」 と感心をする。Bという人がその反対意見を述べると 「そうか、そういう考え方もあったか」 と得心をする。そして 「オレには定まった考えがない」 と大いに焦燥する。ところがそういう僕にも 「これだけは人に譲れない」 という意見はあって、その随一は 「ありとあらゆるペンタプリズム中のベストデザインはニコンFのそれだ」 というものだ。

そのニコンFに長男が24枚撮りのフィルムを入れる。使い方の基本を教えながらフィルムのインディケイターを合わせようとして、1976年以前には20枚撮りのフィルムはあっても24枚撮りのそれはなかったことを思い出す

入浴して350CCの缶ビール1本を飲む。「ライカ講話 田中長徳講演集」 をすこし読んで0時30分に就寝する。


 2004.1013(水) 「アンダーパーフォレーション」

目を覚ましてしばらくはじっとしているが、ずっとそうしているのも馬鹿ばかしいため枕頭の灯りを点けて時計を見ると2時10分だった。どうも就寝から5時間を経たあたりで眠りが浅くなるらしい。

「ライカ講話 田中長徳講演集」  田中長徳  アルファベータ  \1,470

を1時間30分ほど読んで二度寝に入り、5時30分に起きて事務室へ降りる。

"NTT" の営業係に、キャリアをADSLから光(FTTH)に換えたらどうかと勧められたことを外注SEのカトーノさんに知らせたところ、アップロードの速度は上がるがダウンロードについては体感上、それほどの性能向上は認められないから見送った方が良いとの示唆を受けた。それを無視する形で先日、Bフレッツの工事をした。結果はカトーノさんの言うとおり、自分のコンピュータの中身をサーヴァーに転送するときこそ通信速度は非常に向上したが、普段のブラウジングについては何の変化もない。

ADSLから光(FTTH)への変更で年間通信費が7万円も上がるならむしろ、シグマリオンを常時接続可能の状態で持つことにその経費を振り向けた方が良かったかと後悔をする。

7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草の油炒め、ホタルイカの沖漬け、納豆、生のトマト、メカブの酢の物、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁

"LEICA ?" で撮る写真の下部にことごとくパーフォレイション、つまりフィルムに穿たれた四角い穴が映り込むことについて修理の必要があると先月までは考えていた。ところが今日になってオヤジが2冊の本を示し、ライカは?Fの製造番号590680まではフィルムを安定させるための円盤を底蓋に備えないため、それ以前のライカにより 「アンダーパーフォレーション」 現象が起きることはやむを得いことで、それは有名な写真家ロバート・フランクの作品にも普通に見られるものだと教えてくれる。

僕はあらゆる本を物語を読むように読む。あるいは活字を目で撫でるようにして読む。そしてその内容の多くは忘れてしまう。オヤジは同じ本を図鑑や資料のようにして読む。だから僕が見のがしていた情報に気がついたのだろう。10月10日に使った "?C" にも、この 「アンダーパーフォレーション」 は発生するだろうか。

燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する

今夜は断酒をしようと考えていたが、タコとキュウリとワカメの酢の物、ホタルイカの沖漬けが食卓に運ばれて、その予定をひるがえす。大量の芹を投入したきりたんぽ鍋にて芋焼酎 「西海の薫」 のお湯割りを飲む

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1012(火) そんなにゆがんだか?

2時に目を覚まし、「カメラは病気」 を読み終えて二度寝に入る。5時30分に起きて事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、じゃこ、ホタルイカの沖漬け、水菜のおひたし、納豆、メカブの酢の物、メシ、甘エビの頭と長ネギの味噌汁。

日中に長男より、露出計の壊れたオリンパスOM-1をそろそろ修理に出したいとのメイルが入る。その後、30年以上も前のカメラに数万円の修理代を使うくらいなら程度の良い中古を買えとか、いっそのこと新品の "EOS" でも買えとかオヤジが電話で言ったところ、長男は 「そういうカメラはいらない」 と答えたという。

内蔵露出計の壊れた一眼レフを、長男は現在セコニックの露出計を別に用いて使っているが、いよいよこの "OM-1" を修理に出すこととして、その代替機を送るとメイルすると、長男が代替機は何になるのか? と返信をよこす。「それはニコンF」 だとまた返信をする。

ごく初期のニコンFと43~86ミリのズームレンズのセット、田中長徳の 「東京ニコン日記」、その他諸々を荷造りする。「東京ニコン日記」 は700ペイジを超える分厚いもので、1960年代と1990年代の東京の風景を混ぜて並べたその構成も面白く、好きな写真集だ。ここで著者は、僕が10代の中ごろから使っている 「ヨンサンハチロク」 ズームに言及し、これほどゆがみのひどいレンズをよくもニコンは商品化したものだと述べているが、当時の僕には窓枠や額縁を画面一杯に撮す趣味はなかったから、この欠点には気づかなかった。

燈刻、"Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を抜栓する。同じく1999年のムック本 「カメラバッグ年鑑 1999」 を読み返す。登場する29名の写真家の中でもっとも怪しげな雰囲気を漂わせているのは、やはり森山大道だ

甘エビとタコと水菜のサラダジャガイモと玉ネギとコーンビーフのザクザク混ぜ焼きソーセージ。ジャガイモの脇からコーンビーフを拾い上げ、これをジャコと一緒に飯に混ぜて仕上げとする。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1011(月) 2冊の本と2本のボトル

6時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子とピーマンの油炒め、メカブの酢の物、栗の甘煮、生のトマト、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の味噌汁

本のほとんどは "amazon" で買う。求めようとしている本に新品と古書があれば、そして送料を加えた古書の価格が新品よりも安ければ、僕は迷わず古書の方を選ぶ。先日、荒木経惟による 「天才アラーキーの眼を磨け」 を古書で注文したら 「品切れ」 の表示が出たため、同じものを "amazon" からリンクする別の古書店に発注した。

本日、2つの封筒が届いて、その双方に 「天才アラーキーの眼を磨け」 が入っている。「品切れ」 の表示は僕がこの本を買ったために発生したもので、しかし当方の指さばきがあまりに早かったためか、あるいは当方のオッチョコチョイのためかそのことに気づかず、同じ本に対して2度の発注をしてしまったことにようやく気づく。このうちの1冊は、露出計の動かない "OM-1" を修理に出したいとメイルをよこした長男へ送ることにする。

終業後、家内と次男との3人で "CASA LINGO" へ行く。はす向かいの焼肉屋 「大昌園」 が9月のなかばから休んでいることについてこの店のヨシハラさんに訊くと、オヤジが病を得て静養しているための休業で、じきに再開するだろうとのことだった。「大昌園」 が廃業しては大いに困る。あの店には僕のボトルが2本もあるのだ。

同じ本を2冊も発注したり、既にして入っていることを忘れてまたボトルを入れてしまったり、どうも僕には脚下照顧というか、慎重さというか、しつこさが欠けている。

白ワインをカラフでとる。鯛のカルパッチョポテトフライのアンチョビソーススモークトサーモンと玉ネギとルッコラのピッツァベイコンとニンニクのスパゲティ鶏肉と野菜のトマト煮込み。この煮込みを食べ終えたあとのソースを、コーンビーフを混ぜ込んだ熱い飯の上の目玉焼きにダラダラッとかけて食ったら美味かろうと思うが、もちろん 「これ、ビニール袋に入れてもらえますか?」 とは頼まなかった。

家内は2種のデザートとエスプレッソ、次男は妙な色の付いた液体、僕はグラッパにて締める

帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。


 2004.1010(日) 風雪

台風一過の快晴と思われた空は厚い雲に覆われている。「仕事があるかも知れない」 と長男が玄関を出たのは6時だった。僕は7時をすこし過ぎて靴を履いた。ひばりが丘の駅に着いたのは8時を回ったころだった。正門通りを行くとグラウンドのフェンス際には、さすがに昨年のそれよりは短いが開門を待つ人の列があった。受付を済ませ、学園長旧宅ちかくの梅林にて待機をし、係の案内にしたがって8時30分すぎにけやき坂を下る。

前夜の強風に引きちぎられそうになった木の枝を落とす生徒がいる。きのうスズキマサカズ君が 「あしたもやるかも知れないよ」 と言った、大芝生の水をスクレイパーで容器へ掻き込み、また雑巾で吸い取る作業が生徒たちにより行われている。寮に住む男子部の生徒は4時から、同じく女子部の生徒は5時30分から学園内の要所で各々の仕事を始めたという。きのうの晩から寝ていない生徒もいるという。普通の学校であれば、会場の状況をひとめ見るなり1日延ばされた今日の体操会も中止にしているだろう。

サッカー場ほどの広さを持つ大芝生の三辺に穿たれた溝にはいまだ大量の雨水があるそれを芝生の下の水路に誘導する集団がいる。並行して、その溝の水をポンプで汲み出す者もいる。実に今年の体操会の見所は、本番よりも生徒たちのこうした底力の発露にあるのではないか。

予定の10時に30分おくれて体操会は始まった。昨年12月に亡くなった同級生ハセガワヒデオ君が学部1年の1975年に作曲をしたファンファーレが、つい数分前までは大勢が水取りに奔走していた大芝生の上を渡っていく

本日の白眉は意外なほど早くに訪れた。それは、踏まれるごとにまた地下からしみ出す雨水に、額の半分ほどまで沈めて三点倒立をする男子部の体操だった。会場から無意識の歎声が漏れそれがひとつに縒りあわさって徐々に大きなどよめきに変わる。拍手がわき上がる。体操のひと区切りを終えて走る生徒の背や腹や脚が、泥水に濡れて黒く光っている。

男子部の芝生で昼食をとるころにほんの少しの雨があったが、広げた諸々をまとめて逃げるほどもなくそれはすぐに収まった。記念講堂でウインドオーケストラの演奏を聴き、大芝生に戻る。濡れた体で行うには危険の過ぎる男子部の 「組み立て」 の一部が省かれるなどの変更はあったが、スケデュール表にある演技のすべては行われた

空が急に暗くなる。ウインドオーケストラが 「掲げよ旗を」 を演奏する。すべての生徒が大芝生を去っていく

15歳のとき自由学園の遠足で吉田口の馬返しから富士山に登った。ミヤジマシンイチロウ先生はそのときの礼拝で 「風ももっと吹いたら良かった。雪ももっと降ったら良かった」 とおっしゃった。ことしの体操会は台風という 「風雪」 に恵まれた。生徒の自力は晴れた日よりもさらに大きく発揮された。すごい1日だった。もっともこのような 「恵み」 は10年に1回ほどもあれば充分だ。

帰宅して見たヴィデオはすぐに終わってしまった。家内にテイプの長さを訊くと60分だという。その60分が30分に感じられるほどの、それは素晴らしいものだった。繰り返して見たい思いを振り切って11時に就寝する。


 2004.1009(土) 大芝生の面積は

目を覚ますと雨の音が聞こえる。それはそれほど強くもなく、台風はいまだ遠くにあるのだろう。枕頭の灯りを点けて4時から 「カメラは病気」 を読む。この光文社文庫のペイジの紙はひどく上質に感じられるが、それはところどころに挿入される写真のために、あえて文章のペイジまで良い紙を使っているのだろうか。むかしの、まるでザラ紙のような文庫本も読みにくいが、ここまで紙質が良いと、僕のようなケチはつい 「もうすこし紙を落として、その分、本の値段を下げてくれ」 と言いたくなる。

ホテルのランドリーでクイックサーヴィスを求めると、それに応じて高い費用が必要になる。むかしバンコックのオリエンタルホテルで 「クイックサーヴィスは必要ないんだけれど、でも明朝10時までには届けて欲しいんだよ」 と、客室係に洗濯物を手渡しながら言って笑われたことがある。それほどケチならオリエンタルホテルになど泊まらなければよいところだが、どんな人にも矛盾というものはある。

気が付くと6時になっている。慌てて起床して事務室へ降りる。今日は台風の中を東京へ行き、しかも何キロかは歩かなくてはいけない。ドロミテの登山靴 「クリスタロ」 を新聞紙の上へ置き、ミンクオイルをコッテリと塗る。僕に山のことを教えたのは年長の友人ヨコタジュードーだが、その言葉のとおりに保革油は指で塗る。そしてその余分をタオルで拭き取っていく。

朝飯は、大根のたまり漬、塩鮭、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜と椎茸の炊き物、白粥玉子と三つ葉の味噌汁

12:36発の上り特急スペーシアに乗る。日記を溜めるのはイヤだから、ザックには "ThinkPad X30" が入っている。通信機能もエクセルもワードも要らない、ただ文字だけが書けてそのデイタを小さなメディアを介して母艦に供給する、キーボードを備えたワードプロセッサが欲しいなぁと思う。

僕だけが北千住で降りる。家内と次男とサイトウトシコさんは終点の浅草からどこかへ行くのだろう。地下鉄千代田線を湯島で降りて3番出口の階段を上り始めると、外の雨が霧のように吹き込んでくる。歩道に出て中華料理屋の軒先に立ちタクシーを停める。甘木庵にあしたの昼飯の材料などを置き、丸ノ内線の駅まで歩く。そのあいだに膝から下がびしょ濡れになる。風はそれほどにも強くはない。

天井からの雨漏りを床のバケツに導くためのビニールチューブが、池袋駅の地下コンコースには数十本も垂れ下がっていた。集まる者の利便性を考え体操会の日の夕刻に設定されていた同窓会の開始は4時だが、いまだ時間に余裕があるため北口のビックカメラへ行くと、これが携帯電話屋になっている。JR線下のトンネルをくぐって東口の本店へ移動し、トライXとネオパンプレストを買う。

西武池袋線でひばりが丘へ移動し、アケミツシ君の店 「ポポラマーマ」 へ行く。集まった者は30人ほどもいただろうか。「俺たちより1級下の奴らがむかし、体操会の前に濡れた大芝生の水をモップで吸い取ったってはなしがあるけど、そんなのウソだろ?」 と周囲に言うと、斜め後ろから 「本当だよ」 という声が聞こえる。「しかしそれは、自衛隊がするような仕事だろう?」 とただすと 「あしたもやるかも知れないよ」 と、自由学園教師のスズキマサカズ君は答えた

外へ出るとようやく強さを増した風に、街路樹の枝は斜めにたわみ、すべての葉は小さな吹き流しのように真横を向いてふるえている。大芝生の面積はロマネコンティの畑ほどもあるのだ。ここにどうやってモップをかけるというのか。

納豆とキムチの入ったスパゲティは、ゲテモノといえばゲテモノだが僕はこの店のそれが好きだ。「ちょっとくれよ」 というヨネイテツロウ君にこれを半分も食べられ、その不足をおぎなうためグラスの生ビールを3杯ほども飲む。台風はいつの間にか去ったらしく、外には濡れて光る歩道があるばかりだった

甘木庵の玄関を開けると、みなは既に帰っていた。入浴して冷たいお茶を飲み、11時に就寝する。


 2004.1008(金) どっちを持ってく?

4時30分に目を覚まし、本は読まずに起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る、朝飯は、ヒジキと大豆の炊き物、ゆで玉子半分、納豆、生のトマト、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜と椎茸の炊き物、大根のたまり漬、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

自由学園の体操会は明日の予定で、だから僕たちは本日の夕刻に家を出て甘木庵に1泊しようと考えていたが、いま台湾の東沖にある強力な台風が明日は本州を縦断するとの予報から、早くも午前中には翌日に延期の報があった。これを受けて諸方にその連絡をし、また体操会にあわせて同窓会を開く予定にしている同級生たちと諸々につき協議をする。

落ち着いて、体操会に持参する、否、体操会の行き帰りも含めて使う予定の持ち物を紙に書き出してみる。このところライカのエムロクを待機させてもっぱらバルナック型のライカばかりを使っているのは、オヤジにその試用を頼まれているということもあるが、その大きさの差によるところも少なくない。バルナック型のライカは重さも体積も総じてM型の7割ほどにすぎず、だから取り回しはとても楽だ。エムロクはまたまた引き出しにしまわれたまま留守番ということになる。

燈刻、次男の算数の宿題を督励する。督励とはいえほとんどは、次男のとなりで

「カメラは病気」  和久俊三・田中長徳  光文社文庫  \500

を読んでいるだけのことだ。

今週は渋谷のダーツバーへ行った日に断酒をしたが、本日も酒を抜くこととして、レタスと水菜とダイコンとグリーンアスパラガスとベイコンのサラダジャガイモと玉ネギとコーンビーフのザクザク混ぜたらこスパゲティという、すべてオードブルのようなものを晩飯にする。

入浴して冷たいお茶を飲み、10時に就寝する。


 2004.1007(木) この食堂はすげぇな

目を覚ますと窓の外は既に明るかった。枕元の携帯電話を開き時間を見ると5時30分になっている。静かなバー、静かな寝室、静かな山の中、その場所がどこであるにしろ、静かな場所に響く、折りたたみ式の携帯電話を閉じるカチャリという音は好きでない。好きではないが今朝の枕元には時計がないので仕方がない。

15分後に起きてキッチンへ行くと、同じく起きだした長男が朝飯の準備に取りかかる。僕は熱いお茶を入れてもらい、それを飲んで6時すこし過ぎに玄関を出る。東大病院の新しく大きな病室の外壁に朝日が差してオレンジ色に光っている。

湯島天神下から地下鉄千代田線でひと駅となりの根津へ移動し、6時20分より言問通りを北東に歩き始める。言問通りは根岸の先からは広くなるが、このあたりではいまだ片側1車線の細い道だ。きのうの夜のうちに "KODAK TMAX 400" を入れておいた "?" で写真を撮っていく。早くも家を出た私立の制服を着た小学生、大小2匹の犬を連れて散歩をする壮年の男、コンビニエンスストアで牛乳1リットルを買って帰る途中の老人、その若い年齢に似合わず道の掃除をしている女の人。

上野桜木町を過ぎると、寛永寺陸橋がJRの線路を跨ぎつつ右に大きくカーヴする。根岸から浅草まで続く平たい風景が目の前に広がるこの場所が僕は好きだ。やがて歩道は車道と別れて階段になる。これを下って鶯谷駅の北口に至る。

ふと路地へ足を踏み入れると、たくさんのメニュの書かれた大きな白い看板がある。「洋食屋だろうか?」 と考えつつ近づくとそこは定食屋というか大衆食堂の裏口で、開け放たれたドアからは6分どおり客の入った店の中が伺える。そして目に見える範囲の半数は、この時間からビールや酒を飲んでいる。「こいつはすげぇや」 と即、店の表側すなわち鶯谷駅前に移動をして、まるで千駄木のへび道のように屈曲した細長い店へ入る。

近づいてきたオバサンは中国人だった。ベイコンエッグ定食を注文する。値段は500何十円かでそう安くはないが、小鉢には大根とイカの足の炊き物があった。それにしても、となりの黒スーツに真剣な目つきで大瓶のビールをお酌しているヴェルサーチ風セーターの男とか、冷や奴を肴に恬淡とお燗の2合徳利を傾けている作業服の老人とか、カモフラージュのTシャツにカーゴパンツ、そしてピンクラメのミュールをつっかけた金髪女とか、そういったこの店の客たちは、いったい何者なのか。

「ここには、また来なくちゃいけねぇなぁ」 と思う。本酒会のイチモト会長やコバヤシ会員が浅草の場外馬券場へ行くとき、この店はまさに絶好の起点となるのではないか。

京浜東北線で西日暮里へ、そこから地下鉄千代田線で北千住に出る。これだけの旅をしても、時間はいまだ7時30分にならない。7:40発の下り特急スペーシアに乗り、9時すぎに帰社する。

1934年製のエルマーによるカラーのベタ焼きは午後1時に上がった。その発色は予想していたとおり極端に黄色味が強かった。このレンズにはやはりモノクロームのフィルムが妥当だろう。

夕刻にちかくなって、数日前より "mapcamera" に頼んでおいたレンズ "Voigtlander Snapshot-Skopar 25mm F4" が届く。定価は45,000円だが、外付けファインダー付きで35,100円とは 「ホントにそれで良いんですか?」 と聞きたくなるほどの安さだ。これをオヤジの "?C" に取り付ければ、いや、なかなかに渋い。例によって試し撮りは僕の仕事になるだろう。

6時30分に居間へ戻る。白菜キムチ、牛肉、エノキダケ、椎茸、キャベツ、ニラ、モヤシ、豆腐、タシロケンボウんちのお徳用湯波の鍋を食べつつ芋焼酎 「西海の薫」 をお湯割りにして飲む。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1006(水) エルマーの秋

目を覚ましてしばらくは闇の中でじっとしている。すぐには眠れそうもないため枕頭の灯りを点け時計を見ると1時30分だった。「ライカ同盟」 をきりの良いところまで読んで灯りを落とす。3時にふたたび目を覚まして同じ本を4時まで読む。5時30分にみたび目を覚まして今度こそは起床する。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。4時には洗面所の窓から霧降高原のリゾートホテルが望遠できたが今はまた、あたりは霧の中に沈んでしまった。朝飯は、ピーマンの油炒め、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、ヒジキと大豆の炊き物、メカブの酢の物、メシ、きのうの晩のキノコ汁

午後、ショルダーバッグにバルナック型のライカ2台ほかを詰め終えたそのとき、同級生のサカイマサキ君が電話をしてきて 「ひしお2個、持ってきて」 と言う。いかにも 「ひしお」 は発送部外品で、宅急便でもこれを送ることはしない。精密に中身を配置したショルダーバッグからすべてを取り出し、それよりも容量の大きなエディバウアーのザックに 「ひしお」 ほかのものをあらためて精密に配置する。

下今市駅15:03発の上り特急スペーシアに乗る。春日部駅に停車をすると目の前に古い木造の階段とキヨスクがあり、その風景が面白いためデジタルカメラに収めようと電源スイッチを押すが何の反応もない。バッテリーは事務室の奥の部屋のコンセントで充電中だったが、そのことを何日も忘れてしまっていた。意味のないことだが、走り出した列車の窓から携帯電話で写真を撮りこれを自分のメイルアドレスに送付する。カメラ付きの携帯電話を買って何年になるかは知らないが、これがその初めての画像となる

浅草から京橋へ移動をする。地下鉄銀座線の6番出口から上を見上げると細い矩形の暮れゆく空があって、そこに古い形の街灯が、まるで僕の眼球が21ミリのレンズになってしまったように、斜めに突き刺さっている。「歩道からこの階段にズボンをはいた女の人が降りてきたら、いい写真になるだろうな」 と考え、階段最上部にある蛍光灯にピントを合わせる。絞りはF4.5でシャッター速度は60分の1秒。

ところが実際には、階段を上がっていく人、階段を降りてくる人、これが錯綜して上手い具合にズボンをはいた女の人がひとりで、という状況は訪れない。また、いくらズボンをはいた女の人でも、ブリーチトジーンズにミキハウスのスエットシャツとなると、これは対象外だ。

ある場所を発見し、ピントと露出を定め、あとは自分の思い描いた状況を待つとはまことに釣りや狩猟に似ているが、釣りや狩猟はまたとても長い時間を必要とするゲイムにて、僕はそれほど長い時間を持ち合わせていない。ズボンではなくスカートをはいた女の人に向けて妥協のシャッターを押し、その6番出口より地上へ出る。

「山形屋」 の角から裏道へ入り、「カメラヒラタ」 でオヤジの "LEICA ?C" に合う速写ケイスを入手する。さきほど地下から夕刻の空をねらったもう1台のライカは先日から使っている"?" だが、これに附属のエルマーでカラー写真を撮ってみてくれと先日オヤジに言われたため、自分で撮ったらどうかと返すと返事をしない。僕は今日、"Kodak new MAX beauty 800" を48枚は消化しようと考えている。

渋谷に近づきつつある地下鉄銀座線の中でザックからふたたび "?" を取り出し、これを首にかける。すり鉢の底のような渋谷の駅前からセンター街、道玄坂、百軒店とたどりつつ、1934年製のレンズ "Elmar" を色とりどりのものへ向けてシャッターを切っていく。

ナカムラサカエ君が経営するダーツバー "souls" は渋谷よりもむしろ神泉に近い。ここに同級生が10名ほども集まり、来期いよいよ卒業生会の責任を持つクラスとしての話し合いをする

みなで道玄坂を下り渋谷の駅まで来ると10時30分だった。地下鉄銀座線に乗って上野広小路で降りる。2本目のフィルムを消化しつつ甘木庵に帰着すると、玄関の外までニンニクが香っている。入ると長男が遅い晩飯を食べているところだった。

入浴して冷たい水を飲み、「ライカ同盟」 をすこし読んで0時30分に就寝する。


 2004.1005(火) 猛烈な勢いで

目を覚ましていつものように枕頭の灯りを点け、時計を見ると今日もまた起床するには常識はずれの午前2時だった。きのうからベッドの下に準備しておいた

「ライカ同盟」  赤瀬川原平  ちくま文庫  \630

を開く。すると目次には 「カメラ小説集」 「天体観測小説集」 という2行のゴシック文字があって、各々の下に小説の題名がいくつか並んでいる。「またしても 『ライカ』 という3文字のカタカナに騙されて、実はライカとはほとんど関係のない本を買ってしまったか」 とほぞを噛む。

この半年のあいだずっと写真かカメラについて、あるいは写真家による本だけを読み続けてきたため、ある種の慣性のようなものが脳に働いて、いまや小説を読む気にはまったくならない。ダグラス・マグレガーやPF.ドラッカーは読むけれど、小説には生まれてこのかた学校の教科書にあるもの以外ただの一度も触れたことがないという知り合いがいて以前は不思議に感じていたが、いまやその気持ちはよく分かる。

それでも気を取り直して最初の 「コンチュラ物語」 のペイジを繰ると、これは僕の分類からすればくだけた報告書あるいは長い日記のようなもので、赤瀬川原平の粘度の高い文体との相乗効果もあってすこぶる面白い。3時までこれを読み二度寝に入って5時30分に起床する。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜のぬか漬、納豆、ヒジキと大豆の炊き物、メカブの酢の物、生のトマト、小判揚げとちくわと水菜のオデン、メシ、厚揚げ豆腐と長ネギの味噌汁。

きのうの午後よりルーターが故障して、コンピュータがインターネットに繋がらない。NTTは来る予定になっているが、その時間は確定していない。携帯電話を見ればきのうの午後から深夜にかけてのウェブショップの注文が目白押しに転送されている。しかしこれは受注があったことを報せるだけのもので、ここから受注作業をすることはできない

そのような折に上條カメラから、先日あずかったフィルムのベタ焼きが上がったとの電話が入る。それを受け取って戻ると店舗の駐車場にはNTTのクルマがあって、レンタルのルーターは新品と交換をされていた。もちろん接続も復旧している。猛烈な勢いでウェブショップの注文の受注作業をする。

先月26日に "LEICA ?" で撮った写真にはやはりパーフォレイションの、画面へのはみ出しが確認できた。ラボの機械でプリントする限りこれが写り込むことはないが、やはりカメラは修理をすべきだろうか? しかしこれだけのことに数万円の経費をかけるのもちと馬鹿ばかしい気がする。念のため、もう1本だけこのカメラで試写をしてみようと考える。

燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する

雲仙焼きの小さなビールジョッキにお湯を注ぎ、これを芋焼酎 「西海の薫」 で満たす。ひとくち含んで 「いいねぇ」 と思う。茄子の炒りつけと、胡瓜とワカメの酢の物をその酒肴にするイナダの照り焼き山で採れたばかりのキノコと厚揚げ豆腐の味噌汁も、その酒肴にする。普段は食べない大学芋だが、今夜のそれは何だか美味い

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1004(月) キョンセームって知ってた?

目を覚まし、「もう4時くらいにはなっているだろうか」 と灯りを点けて時計を見るといまだ1時30分だった。眠気を憶えないため 「くさっても、ライカ」 を4時まで読んで起床する。

事務室へ降りて先日の第136回本酒会の会報を書き、これをメイルアドレスを持つ会員へ向けて送る準備をする。中には携帯電話への転送を設定されているアドレスもあるから、この時間に送信ボタンをクリックすると闇の中で飛び起きる者もいるだろう。その会報の文章を引用して 「本酒会」 のペイジを更新する。最後に紙の会報を印刷し、綴じてこれを封筒に詰める

朝飯は、玉子と三つ葉の雑炊、塩鮭、胡瓜の古漬け、しその実のたまり漬

先日、人に乞われるまま "LEICA ?" を見せたら軍艦部にべったりを指紋を付けられたため、これをシリコンクロスで拭いたら黒い光沢のブラックペイントがまるで曇りガラスのような艶消しになってしまった。そこであちらこちらのカメラ屋に、このような際の汚れの落とし方を訊いてみたところ、そのカメラ屋ごとに 「セーム皮がよい」 とか 「セーム皮はダメだ」 とまるで正反対の意見が出てきて不思議に思った。

そこで 「本物のセーム皮」 と検索エンジンに入れてみると、「ルネッサンス春日」 という会社の人による、ある掲示板への書き込みが見つかった。そこにはセーム皮の定義として 「鹿皮を使用したもの(鹿の中でもキョンが最高級です)」 「アルカリ膨潤ナメシを施した後、鱈肝油を主成分に鱈油で魚油還元を施したもの」 「カニカマボコを食べてカニは美味しいの不味いのと言ってもしょうがないです。本物を一度お試し下さい」 などという文字があって、僕は即、発注のメイルを送付した。

昼前にポストを見るとヤマトのメイル便にてこれが届いている。丁寧な梱包を解くと、そこにはまるで鹿は鹿でも母親の胎内にいる腹子を感じさせるほどに小さな1頭分のセーム皮がある。 山上たつひこの 「ガキデカ」 というマンガは僕が10代のころに大はやりしたものだが、その中で主人公が妙なポーズと共に 「八丈島のキョン!」 と叫ぶ場面があって、なるほど 「世界最小の鹿キョン使用」 と袋の説明にあるのはあのキョンのことだったかと思い至る。

ところでこのセーム皮の手触りをどう表現したらよいだろう。「木村伊兵衛が使ってたセーム皮も、きっとこんなヤツだったんだろうな」 と確証のない想像をたくましくする。早速にエムロクをこれで包み事務机の引き出しに格納する

先日カメラ用ショルダーバッグの制作を頼んだ "KAZAMIDORI" のオーナーから午後に電話が入り、大鹿の裏革で作る袋のストラップだけは、耐久性の保持と型くずれ防止のためサドルレザーを使ったらどうかと示唆を受ける。「それでお願いします」 と答えたが、肩かけ部分にサドルレザーつまり厚い牛革を用いた、レンジファインダーカメラ1台分の容量のみを持つ鹿の裏革のバッグとは、一体どのようなものになるのだろう。

終業後、焼き肉の 「板門店」 へ行き、タン塩、カルビから晩飯を開始する。途中でデジタルカメラのバッテリーが切れたため、以降の画像はない。

帰宅して、いまだ終えていない次男の計算問題の宿題を督励するつもりが、勉強机脇の籐椅子に腰かけ眠ってしまう。宿題が終わった頃に目覚め、入浴して9時30分に就寝する。


 2004.1003(日) 温め酒

4時に目を覚まし、5時30分まで 「くさっても、ライカ」 を読んで起床する。

オヤジが 「くさってもライカ2」 を示して 「この本は何度読んでも面白いね、この『1』ってのはないんだろうか?」 とまで言うので、検索エンジンにヒットした沖縄の古書店から取り寄せをしたが、こちらについてのオヤジの評価は 「詐欺みてぇなもんだ」 で、これは既出の文章の採録や、カメラの話題といえばライカ以外のものがほとんどというその内容を指してのことだろう。

大きな書店に入り 「趣味・写真」 などと書かれた札の下がる一角へ足を運ぶと、そこには表題に 「ライカ」 の3文字を持つ本が非常に多い。で、目についた1冊を手にとって開き、どこにライカの話題があるのかとペイジを繰るとこれがなかなか見つからない、ということをこの10年ほどのあいだに何度経験しただろうか。木村伊兵衛の 「僕とライカ」 は悪くない本だが、しかしこの表題にして、ライカを語った部分は全186ペイジ中の30ペイジに過ぎない。

物を買うという行為はある種の博打で、本もまた例外ではないが、しかし僕にはこの 「くさっても、ライカ」 は、そうつまらない本でもない。

事務室へ降りていつものよしなしごとをする。紅葉にはいまだ早いがなにより観光シーズンの10月が始まった。しかしてその最初の日曜日が雨降りである。朝飯は、ほうれん草の胡麻和え、茄子とピーマンの油炒め、胡瓜のぬか漬、鰊の山椒漬け、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

そういえばきのう 「コシナ」 から妙にふくらんだ封筒が届いた。中身はフォクトレンダーのカメラストラップだった。添えられた手紙には、アンケートに答えてくれた方の中からの当選者というようなことが書いてあった。1ヶ月ほど前にオヤジがフォクトレンダーのパンケイキ型広角レンズを1本買い、そこにあった愛用者カードに僕が商品の感想を書いて投函したことを思い出す。定価で買えば3,200円のストラップはオヤジに渡した。オマケをもらったから言うわけではないが、「コシナ」 は良い会社だ。

燈刻、原口酒造の芋焼酎 「西海の薫」 を抜栓してひとくち飲むと、お湯割りにこそ向いていそうな穏やかさを感じる。早速に器をとりかえこれをお湯割りにする。暑さ寒さも彼岸までと言われるが、今年は台風のせいか彼岸を過ぎても暑い日が何度かあった。それも落ち着いてあとは涼しくなるばかりだろう。ふと 「温め酒」 とはいつの季語だっただろうかと 「ホトトギス季寄せ」 の索引を見れば、やはりこれは秋十月のものだった。

茶碗蒸し、ほうれん草の胡麻和え、ウズラ豆にてその温め酒を飲む。上出来の味噌汁が湯気を立てていてもそれは避けてインスタントのコンソメスープを選ぶようなところが次男にはあって大いに心配をしているが、今夕はイナダの塩焼きに箸をつけるなり 「うまーい」 と言って、すこし安心をするオデンもまた、お湯割りの焼酎によく似合う。

入浴して冷たいお茶を飲み、「くさっても、ライカ」 をすこし読んで10時に就寝する。


 2004.1002(土) サイトウ会員じゃぁないですか。

夜中にいちど目を覚まして 「くさっても、ライカ」 を読み二度寝に入る。4時30分にまた目を覚まして同じ本を5時30分まで読み起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをする。7時ちょうどに電話が鳴る。留守番機能が働く前に素早く受話器を取ると、それは今朝一番の注文だった。

朝飯は、山芋の梅酢和え、納豆、ほうれん草の油炒め、胡瓜のぬか漬、トマト入りスクランブルドエッグ、メカブの酢の物、メシ、豆腐と長ネギの味噌汁

先月の採血の結果をオカムラ外科に訊きに行く。かかりつけの内科の医師が 「たまにホームページ見させてもらいますけど、ちょっと美味いもの食べ過ぎですね」 と、血液検査の数値から目を逸らさずに言う。「いや、美味いものったって、動物性タンパク質とか脂はあまり摂ってないでしょ?」 と返すと 「しかしたくさんものを食べればそれだけ塩分を摂取しますよね?」 と、こんどは僕を見ながら言う。「まぁ、それはありますね」 と返事をしながら、「しかし塩分の摂取量と血圧の間にはなんの因果関係もないというのがもっとも新しい学説ではなかったか?」 と考える。

数日前に携帯電話が鳴って、二つ折りのそれを開くとディスプレイには 「原田俊太郎」 という文字があった。「こんどそっちの方に行くんですよ」 と原田さんが言うので 「はい、街でポスターを見ました。いずれ参ります」 と答えたが、きのうになってようやく市役所の市民サービスへ電話をし、"ALBATROSS" という地元のアマテュアバンドと原田俊太郎五重奏団のコンサートの切符をどこで手に入れたらよいかを訊ねて、小倉町のレコード屋 「天誠堂」 でそれを求めた。

終業後、洋食の 「金長」 に作っておくよう頼んだメンチカツサンドを取りに行く。居間へ戻ってそれを皿へ載せ、これだけを食べてはノドが詰まるので冷蔵庫から "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を出しバキュバンのゴム栓を抜く

きのう 「天誠堂」 のオヤジさんの手の中にはいまだ厚さ1センチほどは入場券が余っていたため 「入りが悪かったらどうしよう」 と考えつつ親子3人でホンダフィットに乗り市の文化会館へ行くと、駐車場に空いた場所を見つけるのに苦労するほどの盛況だった。

ステイジの幕が開いて一瞬、目を疑う。サックスの左から3番目にいるのは 「本酒会」 のサイトウマサヒロ会員ではないか? サイトウ会員が 「本酒会」 に入ってから既にして6年や7年は経つはずだ。その間 「オレ、ビッグバンドでサックス吹いてんですよ」 などとはひとことも耳にしたことはない。いつも座敷の片隅でひっそりと飲んでいる男が、こともあろうに第1部の最後の曲 "THE WIND MACHINE" ではなんとステイジ中央まで出てきてソロを吹いている。「かっこいいじゃんオフビートでさぁ。こんどの本酒会では褒めまくってあげよう」 と考える。

「原田俊太郎五重奏団」 はプロだから上手で当たり前で、この「上手で当たり前」 というところがプロについて回る気の毒さである。バンドには僕の知らない顔がふたりいて、それはウッドベイスの斉藤草平とパーカッションの畠山裕子だが、彼らは本当に見た目の良い音楽家だ。もちろん技術も高い。原田俊太郎には優れた才能を使う人柄や無意識の技術があるのだろう。

9時すぎに帰宅して "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" のあまりをすべて飲む。入浴して 「くさっても、ライカ」 をすこし読み10時30分に就寝する。


 2004.1001(金) 大鹿の厚い皮で袋を作る話

2時からの1時間と5時からの30分で 「使うバルナックライカ」 を読み終える。5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、山芋の梅酢和え、クレソンのおひたし、納豆、秋刀魚とプティトマトの素揚げ、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁

このところ出かけた先で銀塩写真を撮るようになり、しかしいつも使う "Eddie Bauer" のザックに "ThinkPad X31" とライカのエムロクを詰め込むのは辛い。カメラ1台がちょうど収まるほどのショルダーバッグが欲しいと思っていた矢先の先日、コバヤシハルオ本酒会員が自分の腰に下げた革袋を指して 「友達に作ってもらったんですよ」 と言った。

僕はできることなら着る服から乗るクルマまですべてオーダーメイドにしたいが1920年代の富豪でもないのでそれはできない。コバヤシ会員に訊ねると、その友達は同級生で、カフェを営むかたわらインディアンジュエリーと革製品を作り売っているという。

夜7時前に家内と次男との3人でホンダフィットに乗り、15分ほど走って大沢駅前に目指すカフェ "KAZAMIDORI" を見つける。それは奇しくも僕の今市小学校の同級生ホシノヒデロウ君のお店 「ほしのや」 の隣にあった。

「コンラン卿の作った海の家」 という感じの店内に入り、「そう、やっぱりこのくらい濃くなくちゃさぁ」 と嬉しくなるほど強いジン&トニックを飲みながらトマトとレタスと玉ネギのサラダを食べる。家族それぞれが好きなものを注文し、そしてそれを各々の皿に分ける。まわりのお客のオーダーが落ち着いたころを見計らって、オーナーと革袋のデザインについて検討を始める。

僕は数日前のよしなしごとの際に方眼用紙を用いて2種の模型を作っておいた。色は目立たないよう黒を希望したが現在は白の在庫しかないという。デザインの大きな部分も先方の提案を受け入れどんどん変わる。「着る服から乗るクルマまですべてオーダーメイドにしたい」 などと大口を叩く割に僕はプロの意見に弱い。結局、自分の希望が受け入れられたのは、大鹿の厚い皮の裏を表にして使うこととサイズの2点のみに留まった。

僕のことだから多分、これが完成した暁には 「白い方は夏用にしますので、黒い皮が入ったら同じ形で冬用のもひとつ、お願いします」 などと言ってしまうに違いない。

帰宅して入浴し、きのう沖縄の古書店 「さりい」 から届いたばかりの

「くさっても、ライカ」  田中長徳著  カメラジャーナル新書  \1,236

をすこし読んで10時に就寝する。