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大空に月と日が姿を現してこのかた  紅の美酒にまさるものは無かった
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと このよきものを売って何に替えようとか
Omar Khayyam

 2004.1130(火) 名簿の空白

風邪で寝込んだ翌朝に目覚めると、熱は既にして平時のそれに戻り、たとえようもなく爽快な気分を感じたとは子供のころのことにて、おとなになってからはただの1回しかその経験をしていない。しかし今朝はそれに近い心地の良さをもって目を覚ます。

やがて6時を知らせる街のオルゴールが鳴る。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、玉子と万能ネギの雑炊、刻み塩昆布、胡瓜と蕪のぬか漬

雨が降っている。熱は下がったけれども念のため関根耳鼻科へ行く。帰りに銀行と郵便局に寄る。停めたクルマからそのつど雨に濡れつつ各々の入口まで走っていく。きのう38度3分の熱を出した人間が、そういう不用心なことをする。自分の短所を数え上げれば際限もないが、このような行為もそのうちのひとつである。

終業時間がちかくなって、製造現場で火災報知器が誤作動を起こす。あちらこちらと走り回る。そう狭くもない場所を走り回れるのだから、風邪はほとんど治ったのだろう。火災報知器の点検をすべく当方へ向かいつつある防災会社の人に、閉店後に到着したら呼び出すよう携帯電話の番号を教える。

終業の時間になっても本日受注分の伝票処理が終わらない。「いよいよ暮の繁忙が来たか」 と安心をする。ウチはブルーカラー系の会社のため、終業時間をすぎても社員が職場になんとなく居残っているということはない。居残るのは仕事のあるときのみで、その場合は精密に残業時間が記録される。事務係のコマバカナエさんは8時をすぎてようやく退社をした。一方、防災会社の人はいまだ現場で点検調査に余念がない。

正月3日に開かれる同窓会の案内を、今市小学校の6年4組でいっしょだったセトグチタカシ君がきのうわざわざ持参してくれた。名簿に残った空白のいくつかは自分が埋めるべく努めると、そのとき僕はセトグチ君に述べた。防災会社の仕事が長引くあいだ、空白のひとつスズキノリユキ君を検索エンジンにて探し、目星をつけた人物に宛てて 「もしも人違いでしたら申し訳ございませんが」 と身元調査のメイルを発射する。

普段よりもずいぶんと遅れて居間へ戻る。ジャガイモと鶏肉の味噌炒め、お多福豆、ブロッコリーの胡麻マヨネーズ和え、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉と椎茸の炊き物炊きたての新米とサイトウトシコさんにもらったけんちん汁とで晩飯にする。きのうに続いて飲酒を避けたから、ノルマの8回を超えて9回の断酒をした月は、8月と10月に続き今月で3月目となった。

入浴はせずに牛乳を300CCほども飲み、10時ちかくに就寝する。


 2004.1129(月) 頻度高し

4時に目を覚まし、「カメラコラム300」 を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。北西の空は晴れ渡って旧暦10月18日の月が真正面に見える

以前の、おかずが5品も6品もある朝飯ではどうしても栄養過多になるため、メシと味噌汁以外はせいぜい3品にしようと思い定めたが、納豆、水菜と油揚げのおひたし、笹かまぼこ、メカブの酢の物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁と、今朝はまたおかずが4品になっている。放っておくと、またまた朝に食う量が増えてしまうかも知れない。

始業をすぎて 「どうもオレは風邪ひきではないか?」 という感触をかすかに感じる。昼前より体がだるく、腰も痛くなってくる。昼飯は普通に食べられたが、賞与の算定マクロを今年の状況にあわせて整えおえた2時には 「ちょっとこれはマズイぞ」 という状況になったため、自室へ戻って横になる。確か先月の末にも風邪で伏せったはずだが、どうもこのところこういうことが頻繁である。

2時間後に熱を測ると38度3分で便所へ行くのも億劫なほどだったが、意を決して服を着、ホンダフィットを運転して関根耳鼻咽喉科へ行く。体温は高いが、からだのどこにも炎症のある気配を自分では感じない。しかしセキネケイイチ医師は僕の口の奥を覗き込み 「ノドが真っ赤だよ」 と言った。セキネケイイチ医師は注射や強い薬をあまり好まないため、無理を言って注射を打ってもらう。

晩飯は、食卓に置いた電気鍋で調理する式の鍋焼きうどんだった。平打ちの太いうどんも美味いがかき揚げの小海老も美味い。しかしなにぶんにも3時間前には38度3分の熱を発していた身であるため、量はそれほど進まない。無理をしてこれをお椀に3杯こなし、牛乳を300CCほども飲む。

イチゴを5個ほども食べて9時に就寝する。


 2004.1128(日) 朝飯の少量化

いまだ日付の変わらない午後11時に目を覚ます。1時15分まで待って眠気が訪れないため起床して事務室へ降りる。

ジャパンネット銀行からメイルで知らせてきた新しいサービス "JNB-J振" を、ウェブショップのトップと 「ご注文方法」 のふたつのペイジに設定して2時30分、"WORKS" に来月1日更新分の計14ペイジを作成して4時30分、きのうの日記を書きサーヴァーへ転送して5時になる。

自室へ戻って30分ほど仮眠をし、ふたたび起床して熱いお茶を飲む。きのうは二日酔いの効用から朝飯を少なくするすべを発見した。メカブの酢の物、納豆、刻み塩昆布、大根の葉と油揚げの炒め煮びたし、蕪の葉とエノキダケの味噌汁という、おとといより以前にくらべて種類も量も少ないおかずにて茶碗に1杯と3分の1のメシを食べる。

「見ているお湯は沸かない」 という言葉がある。朝から昼まで事務室と店舗のあいだを頻繁に往復して 「数えているゼニは溜まらない」 という格言を思いつく。店舗には客足が繁く社員たちも忙しく立ち働いているが、レジスターには遅々としてお金が溜まらない。

それでも午後を過ぎると徐々に売上も上がって、終業後にふたりの社員が作成した週間粗利ミックス表の数字は前年度の記録を超えた。あるいは今週は、土日と祭日との配分が良い方に影響したのかも知れない。この検討を済ませ次第、栃木県知事の選挙に投票をするため、家内と今市小学校へ行く。

税理士のスズキトール先生にいただいた鹿の刺身豚肉ダンゴと白菜と春雨のスープにて泡盛 「与那国」 を飲む。どれもこれも美味い。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1127(土) 「幻想のヒマラヤ」

きのうと同じく朝4時に目を覚ます。きのうと同じく軽い二日酔いである。「カメラコラム300」 を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。2日続いての二日酔いに合わせ、朝飯のおかずは家内に頼んで少なくしてもらう。大根おろし、油揚げと大根の葉の炒め煮びたし、刻み塩昆布、シジミと万能ネギの味噌汁にて2杯のメシを食べる。ことによると僕の朝飯は、これくらいの量でちょうど良いのかも知れない。

昼が近くなって、自分宛の茶封筒がどこからか届いていることに気づく。開封をするとそれは何日か前に "amazon" へ古書を出品している人に発注した

「東京装置」  小林紀晴  幻冬舎  \1,680

だった。「どんな不潔な家にあったか知れない」 とか 「とにかく古書は気味が悪くて触れない」 という潔癖な人がいる。僕のオフクロもその部類にて、子供のころ近所の駄菓子屋 「まんきん」 で新聞紙の袋に入ったマンガをクジで引き当て喜んで持ち帰ったところ、ひどく叱られた覚えがある。

しかしこの、小林紀晴による上質の写文集の価格はたったの1円である。商品の価格が定価に対して1680分の1になったとしても、潔癖性の人はまだ不潔だの不気味だのと言うのだろうか。この本を背後の棚へ格納して仕事に復帰する。

先週末の2日間に撮った写真はぜんぶで75枚を数えたが、コンタクトプリントを見る限り出来の良いものは少なかった。しかしその中に僕の目を惹いた写真が3枚あって、しかもそれらはみな撮った記憶のないものばかりだった。20日の夜、北千住の焼肉屋でボトルに半分残った焼酎をすべて飲み、酔って甘木庵へ帰る途中に撮ったこれらの写真はなかなかに良さそうで、早速かみじょうカメラに引き伸ばしを頼んだ。

「幻想のヒマラヤ」 という本がある。ヒマラヤを登山中、高山病により長く意識の混濁した村井葵が、やがて救出された後に自身の記憶の闇を探りつつ書いたものだが、これは山岳史に残る名著になった。僕の写真もあるいは無意識の領域において撮影をした方が、良いものができるのかも知れない

今月はあと2回、断酒をする必要がある。きのう家内と次男はマグロ丼を食べたという。その残りのマグロによるマグロ丼、いただきものの自然薯を擂ったとろろ、ヒジキと大豆の炊き物、シジミの潮汁を晩飯として飲酒は避ける。山の芋によるとろろは箸でちぎれないほどの固さでさすがにアクも強く、しかしそれだけ野趣に富んで美味かった。

隣で次男が食べるカレーライスにも魅力を感じたため、マグロ丼に引き続きこちらも食べようとしたが、既にして腹も膨れたために断念をする

入浴して本は読まず、9時に就寝する。


 2004.1126(金) どっちの店も美味いんだよ

酒の前にスープを飲ませるスタイルの飲み屋の意図は 「客に悪酔いをさせない」 というところにあるのだろう。しかしスープによって保護された胃壁がアルコールの吸収を遅らせ、そのためにかえってたくさんの酒を飲んでしまうということは大いに考えられる。きのう飲酒の前にワンタンスープを飲んだにもかかわらず、4時に目を覚ますと軽い二日酔いである。

「カメラコラム300」 を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、きのうあまったモヤシと豚挽肉の炒め煮びたし、ほうれん草の油炒め、メカブの酢の物、ヒジキと大豆の炊き物、納豆、メシ、油揚げと長ネギの味噌汁。この、油をたっぷりと含んだ味噌汁が非常に美味い。

昼が近づき家内に 「ラーメンが食いてぇな」 と言うと生麺の買い置きがないと返される。「食べに行ったら?」 と薦められるがひとりは行く気がしない。むしろお蕎麦が食べたいという家内の意見を容れてうどんと蕎麦の 「ねもと」 へ行く。今月上旬の日記にも書いたが、デザイナーとかプランナーとかマーケッターとかコーディネイターとか、そういう 「ケツにerがつく系の人」 によって作られた店の対極に 「ねもと」 はある

天盛り蕎麦をうっかり大盛りにして、目の前に届いたその見た目に圧倒される。現在の標準からすればすこし太めに打たれた蕎麦を口へ含めば、新蕎麦なのだろうか、高い香りが鼻腔を直撃する。家内は普通盛りを注文したが、それでも室町砂場のせいろ3枚ほどの量を四苦八苦してようやくこなす。

「美味しいけど内装と器が惜しい」 と家内は言うが、間違えても 「るるぶ」 などには紹介されないこの店は、それゆえに 「蕎麦のまち今市」 の市民や安全靴を履いた仕事途中の人たちに愛されていつも賑やかだ。

午後、かみじょうカメラから、月曜日にあずかったフィルムの現像が上がったと電話がある。夕刻に訪ねて72枚分のコンタクトプリントを受け取る。

盆暮れの繁忙前にはいつも社員があつまり食事会をする。6時前に 「ねもと」 はす向かいにあるとんかつ 「あづま」 に社員が揃う。僕はA4の紙3枚による昨年同時期の資料を配り、しかし酒飲みの気持ちは分かっているから、諸般の説明に先んじて乾杯をする。

若い者の大方は 「ロース大」 や 「盛り合わせ大」 の注文たが、僕は牡蠣フライにて焼酎のオンザロックスを飲む。やがて挨拶のためかこの店のおやじさんが入れ込みヘ上がる。その姿を "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" にてズームアップすると、オヤジさんは当方を狙い撃とうと手にしたサイバーショットから、まるで赤外線追尾システムのようなオートフォーカスの補助光を発射した

メシのために牡蠣フライ2個を残したが、そのメシがひどく美味くてお代わりをしたい。この店はメシは食べ放題だが、すでにして牡蠣フライの残は尽きた。となりのオオシマトキオさんより海老フライ1本をもらい、これをおかずに2杯目のメシを食べる

帰宅して入浴し、9時に就寝する。


 2004.1125(木) 年賀状

目覚めてしばらくは闇の中で静かにしている。何十分後かに枕頭の灯りを点けると4時だった。はじめ

「東京写真」  飯沢耕太郎  INAX  \2,678

を開き、未読の部分を読んでいくが、やがて大判のこの本に手を疲れさせて

「カメラコラム300」  田中長徳  アルファベータ  \1,470

に交換をする。5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、明太子、納豆、メカブの酢の物、茹でたソーセージとほうれん草の油炒め、きのうの残り中華風玉子炒め、メシ、豆腐と水菜の味噌汁

いよいよ始まりつつある暮の繁忙に備えて事務机の周辺を片付けなくてはいけない。暗窓不浄机での仕事は明窓浄机でのそれにくらべて行き違いの発生する確率が高くなる。椅子に腰かけふと右手を見ると、今年の1月に受け取った年賀状のうち返事の書けなかったものと、返信用にと準備したまっさらのハガキが重ね合わされ輪ゴムで留めてある。

年賀ハガキにタックシールによる宛名をポンと貼り付けただけの義理の年賀状にも僕は万年筆で先方の住所氏名をしたため、また短くない文章を書く。しかしそんなことをしているから、遂に返事の書けない年賀状が発生してしまうのだ。ことし撮った銀塩写真から1枚を選び、これを2005年の年賀状にしたらどうかと考える。宛先は手で書くにしても、自作の写真に免じて文章は入れないことにする。これなら受け取った年賀状のすべてに返信を送ることができるのではないか? と皮算用をする。

秋口より店先へ置いたモミジバゼラニウムはずいぶんと長持ちをしたが、「そろそろ新しいものと交換をしてください」 とファクシミリで弓手農園に頼んだところ午後になって、まるで赤いカラスが羽を広げたような巨大なポインセチアが届いた。脚つきの鉢に植えられてはいるとはいえ、その高さは優に1メートル以上もある。「いや、こんなすげぇのは見たことがねぇな」 と感嘆すると、ユミテマサミさんはここに書くこともはばかられるようなことをその理由に挙げて 「ハーッハーッハーッ」 と笑った。

新聞を読んで思わず膝を打つという経験を過去にしたことがあったかどうかは定かではないが、今日の朝日新聞に 「ブルーノートを聴け!」 という文字を見たときには思わず 「その通り!」 と膝を打った。もっともそれは記事ではなく雑誌の宣伝だから、「新聞を読んで」 の範疇には入らないかも知れない

酒の前にスープを飲ますスタイルのバーや飲み屋にときおり遭遇する。「お酒を飲むなら後にする?」 と家内に訊かれたが、まずワンタンスープを飲む蓮のキンピラモヤシと豚挽肉の炒め煮びたしブロッコリーとツナのサラダにて泡盛 「与那国」 を飲み、かつメシを食べる。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1124(水) メシと酒

目を覚ますと隣室からテレビの音が聞こえる。いまだ日付は変わっていないのかも知れない。いつの間にか二度寝に入り、5時30分に起床する。

事務室へ降りてコンピュータを立ち上げメイラーを回すと、大量の注文がサーヴァーから舞い降りてフォルダに溜まっていく。これまでメイルマガジンの文案は何日もかけて練り上げ満を持して発行してきたが、今回の、4度書き直したとはいえ夕刻の数十分間で作成した文章への反響がもっとも大きいとは、どういうことなのだろう。「これはとにかく、始業時からコマバカナエさんとのふたりで高速稼働しなくてはいけない」 と気持ちを引き締める。

いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、明太子、メカブの酢の物、蕪と胡瓜のぬか漬、茹でたソーセージとピーマンの油炒め、納豆、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

ブラウザからの受注は事務係のコマバカナエさんに任せ、僕はメイルや、そのメイルにお客様ご自身の住所録を添付したたぐいの注文を処理していく。不得要領なご注文、無理なご要望については電話で問い合わせ、ご不在の方へは質問ご相談のメイルを送付する。

ウェブショップの受注作業は昼ごろにようやく一段落をしたが、以降の散発的なご注文には逐一、僕が対処をする。朝のうちに完成させられなかったきのうの日記をその合間に作成してサーヴァーへ転送する。

燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する。デジタルゲイムについては何時間これをしつづけても一向に疲れを見せないくせに、漢字の書き取りとなると1行目の終わりあたりから首をグルグルと回し、年寄り臭くこぶしで肩をトントンと叩いたりするのが次男の不思議である。

長ネギと椎茸と玉子の中華風炒め、ヒジキと大豆の炊き物茹でたブロッコリーサイトウトシコさんが 「おひまち」 で作った芋串の串を抜き取ったもの。「おひまち」 とは農家が秋に行う収穫祭で、アメリカならこれが "thanks giving" ということになる。「あをき」 の鯵の干物大根おろし。これらにて日本酒でも焼酎でもなく米のメシを食べる。

炊きたてのメシは酒よりも美味い。そして酒を伴わないからといって、中華風の玉子料理やユズ味噌の里芋や干物の味が引き立たないかといえば、そのようなことはない。それではなぜ普段は米のメシを食べずに酒を飲むのか?

「酒が飲みたいと感じるだけで、既にしてその人はアルコール中毒患者である」 と断定をした医者がいて、多分このようなことを言うのだから本人は酒を毛嫌いしているものと思われる。「米のメシは明らかに酒よりも美味い」 と認識しつつ米は食べずに酒を飲むという事実から推せば、僕もアルコール中毒患者の範疇に含まれるのだろうか。

「どんなに偉い人間であっても、酒とタバコをたしなむ限り自分は尊敬しない」 とおっしゃったのは自由学園の高等科時代に生物を教えて下さっていた講師オカヤマ先生だ。鯵の干物は頭から骨から尻尾までそのすべてを食べた

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1123(火) 文脈

目を覚まして枕頭の灯りを点け、時計に目をやると初めそれは0時15分と見えたが、よくよくその針を凝視すると3時だった。このところ電車の中や飲み屋にて開いている

「エレンディラ」  ガルシア・マルケス  鼓直・木村榮一訳  ちくま文庫  \480

を床から拾い上げ、これをすこし読んで二度寝に入る。5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、キャベツの油炒め、納豆、ひとくち鯵の干物、メカブの酢の物、生のトマト、蕪のぬか漬、メシ、豆腐と椎茸とワカメと長ネギの味噌汁

商家の子供は休みの日にも遊びに行けず可哀想だとはよく耳にすることだが、次男は朝から事務室で宿題をし、その後は空いているコンピュータでブラウジングをしつつ倦怠の色を濃くしている。「公園に行って自転車に乗りたい」 と言うので、それは昼飯を食べてからにしようと、とりあえずはとりなしておく。

これまで3キロほど離れた松原公園へはクルマで自転車を運んでいたが、今日は家から直接、自転車に乗っていく。次男のマウンテンバイクはタイヤの空気が甘かったが、特殊なバルブにて普通のポンプは使えなかった。公園脇のいちもとサイクルへ立ち寄り、ここで軽く整備をしてもらう。また、修理場の奥よりガサガサと拾い出した食品会社のノヴェルティなどを例によりいくつかもらい、かつこれを入れるためのやはりノヴェルティの袋をもらって次男は大いに喜ぶ。

帰りに大谷川沿いの遊歩道から茶臼山を眺めると、その山肌のほぼすべてが紅葉している。山にはいまだたくさんの紅葉があるのに、公園や街路にある広葉樹のほとんどがすでにして落ちてしまっているとは、どのような理由によるものだろうか。

次男は意外と早くに満足をし、2時30分に帰社する。

ある商品が売り切れそうなとき、これを顧客には知らせずできるだけその在庫を長く保とうとする考えがある。一方、売り切れにより購買の機会を逃す顧客をできるだけ少なくするため、払底しそうな商品については広くそのことを周知しようとする考えもある。すぐに売り切れそうな商品と、昨年度よりはかなり早くに売り切れそうな商品の2点につきメイルマガジンを作成する。そしてこれを4度書き直して終業後に発行する。

自宅へ戻ると、次男が風呂の掃除をしている。次男はこの仕事が好きだから、宿題とは異なりそばで督励をする必要はない。

家内に 「今夜は酒を飲まないよ」 と伝えると 「だったらカレー鍋にしよう」 と言う。しかしこれはいささかおかしな文脈のやりとりにて、晩飯がカレー南蛮鍋だったらむしろ、飲酒を避けることは難しい。いまや 「よっちハウス」 の奥に埋没した茶箪笥より好みの器を取り出して、これは鍋の中身を食べるものとする。泡盛 「与那国」 を飲み始める

いわゆるカレー南蛮蕎麦の汁で厚揚げ豆腐、エノキダケ、椎茸、長ネギを煮た鍋に 豚肉と水菜を投入して酒肴とする。鉢に盛られているときには目に多すぎたうどんも、食べてみればまたたく間になくなった

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1122(月) 「ニュー」 のつく飲み屋

外出の際に銀塩カメラ1台を携帯しようとすると、それに押し出されるようにしてコンピュータが持ち物リストから落ちる。だから現在は週末2日分の日記が滞っている。5時に起床して事務室へ降り、とりあえず土曜日の日記を作成してサーヴァーへ転送する。日曜日の日記については画像を処理したのみにて、残りの時間はいつものよしなしごとに充てる。

自宅へ戻り家内に言われてはじめて、日光の山が冠雪したことを知る。朝飯は、茹でたソーセージとほうれん草の油炒め、納豆、メカブの酢の物、ひとくち鯵の干物、胡瓜と蕪のぬか漬、メシ、お麩とワカメと長ネギの味噌汁

日光MGは年に2回の開催で、ここ数年は紙の広告を作成していたが、印刷屋の求める最低ロットを1年のあいだに配りきれず、いつも大量に余らせていた。そこで来年については広告をウェブ上へ置こうと考え、そのペイジを作成する。申込書の形式をエクセルにしようかマイツールにしようか迷ったが、とりあえずはMG仲間が常用するマイツールにしておく。

燈刻、家内と次男が食べるタラコのリングイネを眺めているうち7時20分がちかくなる。今日の 「本酒会」 は鬼怒川方面に坂を下った 「ニュー和加奈」 で開かれる。帰路を考え電動自転車を3分はしらせて会場に着く。

僕の学生時代、「和加奈」 は洒落た小料理屋だったが、後にいまのオーナーがこれを買い取り飲み屋として店名に 「ニュー」 を加えた。僕がここへ来るのは10年ぶりほどになるかも知れない。店は料理の油煙や客の紫煙を壁や天井に付着させて、八代亜紀の歌を彷彿させる良い雰囲気になっていた

第138回目の本酒会が始まる。本日は9本9リットル総計28,000円の出品だった。終盤に近くなって来月の日取りを決める。1月から規定の出席数をこなした会員に限り12月の豪華例会は無料となる。メンバーごとの今年の出席状況をイチモトケンイチ会長がカトーノマコト会員に求める。カトーノ会員は股のあいだに置いた携帯端末を調べて即、有料となる者はワガツマカズヨシ会員ただひとりであることを会長に伝えた

すべての料理を出し終えた主がホッとひと息をついて笑う。今日はじめて気がついたが、ここの主は心から楽しそうに仕事をしている。客のために料理を作ることが好きなのだろう。「どうしてオレはこの店に10年以上も来なかったかなぁ」 と不思議に思う。

電動自転車のペダルを軽く踏んで帰宅する。入浴して冷たいお茶を飲み10時30分に就寝する。


 2004.1121(日) 無言の前衛

目を覚ましてダイニングキッチンへ行くと6時だった。東京大学の銀杏が青い空へ向けて大きく枯れ枝を広げている。お湯を沸かして熱いお茶を飲み、テイブルの上の活字を拾い読みする。

朝飯はお雑煮だった。そういえば昨夜、明朝のメシはお雑煮だと長男から伝えられて次男が喜んでいたことを思い出す。長男の作るお雑煮の味は、九州の北部と広島の沿海部のそれとを折衷したような家内のそれに似ている。

長男はいち早く学校へ向かった。僕と次男、それから我々が寝入った後に来た家内の3人は9時ちかくに玄関を出て数十分後に自由学園へ着く。我々は4年に1度ひらかれる、この学校の美術工芸展を見に来た

学部男子部女子部と、広い学園内を上り下りして様々な展示品を見ていく。、一坪の茶室を造った学部生は、果たして赤瀬川原平による 「千利休 無言の前衛」 を読んだことはあるだろうか。

いくつもの中から自分の作りたいものを、生徒の指導を受けつつ制作するワークショップには子供たちが群がっている初等部の展示を見た後にけやき坂を下り女子部の食堂で昼食を兼ねたお茶をゆっくりと取る

旗竿の脇に炭焼き窯の設営を申し出る生徒、それを許す教師の関係こそは男子部の真骨頂である。僕のエムロクは計72枚のフィルムを費消した。正門を出て、最後に幼児生活団の展示を見る

自由学園に学んだ人、自由学園で子供を学ばせている人、自由学園で子供を学ばせようと考えている人、自由学園に興味のある人は条件が許す限り、この美術工芸展を見に来るべきだ。見に行った人からの伝聞をもって、この優れた催しの中身や学園内のそこここで販売されている印刷物や工芸品のすばらしさ面白さ、また要所要所で機敏に立ち働く生徒の姿勢を知ることはできない。

暗くなったころに下今市駅へ着くと弱い雨が降っていた。帰宅して、次男がし残した教科書音読の宿題を督励する

ボジョレヌーヴォーは義理で買うから、本当に飲みたい他のワインを優先しているうちに2年前のものまでがワイン蔵に滞留することになる。その在庫もこのところようやく少なくなった。今夜こそはことしのヌーヴォーを開け浅草の総菜屋で求めた生ハムと玉ネギのマリネ、大根と胡瓜とキャベツと人参のざく切りをドレッシングで揉んだものスパゲティとシメジのマヨネーズ和えポテトフライをその肴とする。別途、甘くないラスクといったおもむきのパンとカマンベールチーズも食べる

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1120(土) 記号化された店

朝4時に目を覚まし 「老人とカメラ」 を読み終えて二度寝に入る。6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。北西の空にある雲はそのあたりの大気の不安定さを感じさせるが、週末の天気が大きく崩れるようなことはないらしい。朝飯は、メカブの酢の物、胡瓜と蕪のぬか漬、ほうれん草の油炒め、きのうの豚大根、納豆、これまたきのうの朝に残したホタルイカの沖漬け、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

午前中、日光の渓流沿いにある旅館を所用にて訪ねる。高く上がらない初冬の日に照らされて、辺り一面のススキが金色に光って揺れている。日光市内まで戻り信号待ちのあいだに窓の外を眺めれば、金谷ホテルが建つ崖の上に、文字通り懸崖の紅葉がひときわ色濃くあった。

サイトウトシコさんのクルマで次男と下今市駅まで送ってもらう。15:03発の上り特急スペーシアの禁煙席を求めると、駅員から隣り合った席は取れないがそれでもかまわないかと許可を求められ即、了承する。「お父さんと一緒の席じゃないよ」 と言うと次男は 「これでゆっくりプログレスペットができるぞー」 と笑った。次男は小遣いがあるところまで貯まると、まるでそれをイニシャライズするようにオモチャを買う。このプログレスペットというある種のゲイム機は、1週間ほど前に入手したものだろうか。

北千住に着き駅ビルで次男に本を1冊買い、西口の待ち合わせ場所で長男と落ち合う。ちかくの路地に入りそこからまた更に細い路地へ折れると、いまだ開店前であるはずの焼肉 「京城」 には少なくない待ち客があった。「しまった、開店時間を間違えたのだろうか? 既にして中は満員で、もう行列?」 と心配をしたが、それは開店の5時に合わせて来た少なくない客を、それぞれを適当な席へ割り振ることにより発生した一時的な渋滞にすぎなかった。

なにより僕はここで、7月3日に入れ、来年の1月3日に期限の切れる真露のボトルを消化する必要がある。趣味を同じくするらしいオジサンの団体、家族連れ、仕事仲間らしいオバサンの団体、町内会の小集団にて週末の店内はひときわ賑やかだ。この店は、人が北千住と焼肉を結びつける際のひとつの記号になっているらしい。北千住、焼肉とくれば 「京城」 と続く連想あるいはデフォールトな流れが人々に擦り込まれているのだろう。

2種の漬物、6種の肉と内臓にて黄色いラヴェルのビンをめでたく空にする。そして長男と次男は石焼きビビンバで晩飯を締めくくった

地下鉄千代田線にて湯島天神下へ移動する。切通坂を上がりたぶん切通公園の脇を歩いたのだろう、そのあたりの記憶は曖昧だが、甘木庵の裏手にある不審者よけの鎖を次男が外したことは憶えている。そして甘木庵の玄関を入り、数ヶ月前に本富士警察前の角にできたラーメン屋の出来について長男に質問をした記憶もある。

そのラーメン屋へ出かけていき、もっとも普通のラーメンと、よせばいいのにウーロンハイを頼んだことも憶えている。自家製の麺はこれみよがしの奇をてらったものではなかった。そしてスープにはかなりの工夫があった。出しなに製麺室にいた若い主に名刺をもらい、「神勢。」 というこの店の名を知る。

それ以降の記憶はまたまた曖昧である。


 2004.1119(金) 比較

4時に目を覚まして 「老人とカメラ」 を読む。しばらくしてから二度寝に入り、6時30分に起床して事務室へ降りる。穏やかな雨のせいか気温は低くない。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯は、細切りピーマンの油炒め、きのうあまった厚揚げ豆腐とチンゲンサイのトロトロ煮、蕪のぬか漬、納豆、ホタルイカの沖漬け、メカブの酢の物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。「豆腐屋でできる豆腐、厚揚げ豆腐、油揚げ、湯波のうち、味噌汁の具にして圧倒的に美味いのは湯波だな」 と決めかかり、「いや、やっぱりそれぞれが美味いわな」 と考え直す。

きのう上がってきたコンタクトプリントの中から 「これなんか、まぁまぁだよね」 と思われるもの20枚ほどを選び、かみじょうカメラにプリントを頼む。終業後、それをとりに行って蛇腹式のアルバムに挿入する。この夏より使っている3台のライカによる写真をひとことで表せば以下になる。

・エムロクにズミクロンの35ミリ
非常に鮮やかな写真と共に、空気の透明さを感じさせる写真もときどき撮れる。いわゆる 「歩留まり」 は悪くない。

・?にエルマーの50ミリ
幽玄を感じさせる味のある写真がしばしば撮れる。歩留まりは普通。

・?Cにフォクトレンダーのスナップショットスコパー25ミリ
たまにすごく面白い写真が撮れる。歩留まりは良くない。

これらの写真の違いはカメラの性能がつくるものではなく、それぞれのライカがそれを持つ者を導いていくところの風景がそもそも異なるのではないか? というのは僕の妄想である。

燈刻、明日より外出をする次男をせきたて、週末の宿題のうち先ず日記を片付けさせる。日記などは簡単なものにて、目覚まし時計にまつわる説明だけで1ペイジは軽くはかどってしまう。次男は3ペイジをこなして鉛筆を置き、右手の指を揉みほぐしてくれと僕にせがんだ。

茶碗蒸し、ほうれん草の胡麻和え鯛、平目、ハマチ、鮪、甘エビ、イカの刺身豚と大根の炊き物にて泡盛 「与那国」 のお湯割りを飲む明太子とメシにて締める。イカと魚卵は、僕の体には最も良くないものの双璧ではなかったか。

もうひとりの自分をクローンで作り、そちらには医者に言われた通りの暮らしをさせる。そして当方は放埒無頼の生活を送る。双方のどちらが長生きするかをくらべてみたら面白かろうと思う。

入浴してビールを少々飲み、10時に就寝する。


 2004.1118(木) 美味すぎる米

3時45分に目を覚まして 「老人とカメラ」 を読む。1時間後か90分後に枕頭の灯りを落として二度寝に入る。気がつくと6時30分になっている。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、茄子の炒りつけ、明太子、蕪のぬか漬、納豆、メシ、これまたタシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉となめこの味噌汁。朝飯を食べながら 「今夜はなにを食べようかなぁ」 と考えるクセも、僕の短所のひとつらしい。

先週の木曜日より撮った写真の現像が上がったと、午後2時すぎにかみじょうカメラから電話が入る。燈刻、社員が帰宅した後の事務室でそのコンタクトプリントをルーペでのぞき込めば、「これなんか、まぁまぁだよね」 と思われる写真の歩留まりがひどく悪い。

もっとも森山大道は上着の左ポケットにフィルム15本を入れ、これ撮り終えるごとに右ポケットへ移していくというから、1度にこなす枚数は36枚×15本で540枚になる。それを何ヶ月も続けてようやく1冊の写真集を完成させるとすれば、こちらもひどくその歩留まりは悪い。あるいは荒木経惟は 「質のよい写真を撮る秘訣は?」 と訊かれて 「たった一つ、量だね」 と答えている。だからといって、たとえ何百本のフィルムを消化しても、僕に倉田精二や金村修のような写真が撮れるわけではない。

初更、次男の教科書音読の宿題を督励する続いて漢字の練習も督励する

春雨サラダ海老焼売厚揚げ豆腐とチンゲンサイのトロトロ煮にて、泡盛 「与那国」 のお湯割りを飲む。「ちょっとメシも食べてみようか」 と茶碗に軽く炊きたての新米をよそってもらい、目の前の中華風総菜をすこしずつおかずにしてそれを食べてみると、メシの美味さが圧倒的で、おかずの味はこう言っては何だがとても邪魔なものに感じられる。

この米は次男が 「牛屋のおじちゃん」 と呼ぶ今市市沢又地区の農家の人にもらったものだが、「美味いメシはおかずを拒絶する」 ということを今夜はじめて知った。このような美味すぎる米には、どこか南の国の白砂の浜とか、遠くヨーロッパの断崖絶壁とか、中央アジアの高地にあって人を寄せつけない湖とか、そういうところで採れた極上の塩しかおかずとしての選択肢はないのではないか? というようなことを考える。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1117(水) 米の欠点

4時前に目を覚まし、「老人とカメラ」 を読んだりまた眠ったりを繰り返して6時に起床する。東南の窓からおばあちゃんの居間を経由して、廊下にまで朝日が差し込んでいる。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯は、胡瓜と蕪のぬか漬、ひとくち鯵の干物、納豆、茄子の油炒め、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

"patagonia" は研究開発型の企業だが、このような日々進化する会社には、ある季節に購入して気に入った商品を次のシーズンに注文しようとすると既にしてカタログから落ちている、という欠点がつきまとう。昨年の末に買ったシンチラのセーターが超弩級に優れたもので、まるで紙風船のように軽くそして極地用羽毛服のように暖かい。これをもう1着買おうとして今冬のカタログにある質感のおぼつかない写真を頼りに発注をしたところ、別の商品が届いてしまった。

"patagonia" の係員に電話を入れ、手元にあるセーターのタグをルーペで覗き込み消えかかった商品番号を伝えるうち先方は当方の求める商品を把握したらしく、本日の午前にようやくその "M'S MICRO D-LUXE CREW" が届く。人よりも寒さを感じない僕であれば、素肌に着たシャツとこのセーターの計2枚にて、関東地方の市街地においては越冬が可能になる。

「私はユニクロの1,000円のフリースでも充分に暖かいわよ」 と家内は言うが、ユニクロのフリースと "patagonia" のシンチラのセーターとのあいだには、三菱のジープとメルセデスのゲレンデワーゲンほどのひらきがある。優れた品物には常に 「他の天体から来た何か別のもの」 という印象が明らかである。

燈刻、次男が 「もしも自分が透明人間になったら」 という主題の文章を書く正面で 「老人とカメラ」 を読む。できあがった作文の内容がなかなか面白いので 「大きくなったら子供の本を書く人になったら?」 と言うと 「おもちゃ屋にしかならない」 と答える。「広義に考えれば、世の中に流通する商品のほとんどはおもちゃの範疇に入るのではないか?」 というようなことを妄想する。

ウズラ豆、冷や奴、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、茄子の炒りつけ「あをき」 のカマスの干物にて飲酒は為さず、炊きたての新米を食べる。

「日本の主食つまり米を他の国の主食と比較しての欠点は美味すぎるところにある」 とは、名は忘れたがある食物学者がどこかに書いていたことだ。正論すぎるほどの正論だと思う。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時45分に就寝する。


 2004.1116(火) ワインの変更

目を覚まし、枕頭の灯りを点けるといまだ4時に至っていない。「私説東京繁昌記」 を読み終え6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、先週末より1日遅れで更新していた日記を復旧させる。

7時に自宅へ戻り洗面所の窓を開けると、正面には青く澄んだ空がある。初秋以来の長雨と台風は完全に去ったように思われる。朝飯は、大根おろし、「あをき」 のひとくち鯵、メカブの酢の物、ブロッコリーの油炒め、胡瓜と蕪のぬか漬、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁

この朝飯の席で次男が 「夜はステーキが食べたい」 と言うので即座に 「やだよ」 と答える。今夜は白ワインを飲みたい。

登校する次男を自宅のあるブロックの端まで送っていくと、いつの間に立てられたのか今月28日の栃木県知事選挙への投票を呼びかけるノボリが街灯に縛りつけられて、宇都宮方面から来るクルマについての安全確認ができなくなっている。会社へ戻り、ハサミをポケットに入れて引き返す。そしてこのノボリを街灯から外しじゃまにならない場所に移動させる。このような看板を置くことはそもそも法律違反ではないか? もっとも僕もしばしば赤信号を無視して道を横断したりするから偉そうなことは言えない。

暮のギフト注文が徐々に増えてきたため、普段は事務係のする仕事を手伝ったりして燈刻を迎える。どこからともなく、次男が生まれて初めて算数のテストで100点を取ってきた、というような声が聞こえてくる。「だったらステーキだわなぁ」 と、白ワインをあきらめる。

次男の漢字練習の宿題を督励しつつ

「老人とカメラ」  赤瀬川原平著  ちくま文庫  \780

を開く。そして、廊下に置いた昨年のボジョレヌーヴォーのバキュバンを外す。

クレソンにんにくのたまり漬ポテトと人参とエリンギを添えたステーキカマンベールチーズをひとちぎりしてこれが最後の酒肴と思ったが、「そういえば白ワインが飲みたかったのは、それを飲みながらマカロンを食べようとしていたからではないか」 ということに遅ればせながら気づく。泡雪のような3種のマカロンをゆっくりと咀嚼し、薄口のワインを飲む。

入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。


 2004.1115(月) 湯波のお茶漬け

6時30分に起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとして7時に居間へ戻る。朝飯は、明太子、タシロケンボウんちのお徳用湯波、刻み塩昆布、しょうがのたまり漬、しその実のたまり漬によるお茶漬け。お茶漬けに細切れの揚げ湯波を入れると、これが中華粥の油条(ユウティアオ)のようなコクを醸して非常に悪くない。

熱海で撮ったトライXをかみじょうカメラに持参する。先週の金曜日に出したフィルムのコンタクトプリントはいまだできてきていない。自分で現像焼き付けをすればこの数日の待ち時間はなくなるが、そこまではしない。

僕は一体に、突き詰めて事に当たるということをしない。クルマは好きだがビス1本からこれを組み立てるなどということはしない。美味いものは好きだが料理人にどこで採れた材料をどのように調理したのかと訊くこともない。好みのワインについて、その畑の平均斜度や地下の岩石組成、年間降水量や日照時間を知ることにも興味はない。本は読むそばから忘れていく。

と、こう書き連ねていくうちに、自分がますますダメな人間に思われてくる。

本日は断酒をしようとしていたが、冷やし豚しゃぶと水菜とトマトのサラダ茹でたブロッコリー湯豆腐「あをき」 から届いたヤナギガレイの干物という晩飯の内容を見てそれをあきらめ、福田酒造の 「長崎美人」 を読む。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。


 2004.1114(日) 海と隧道

早起きの習性とは悲しいものにて、わずか3時間の睡眠にもかかわらず6時に目が覚める。同室のアリカワケンタロウ君とアクタアキオ君は風呂へ行ったものとみえて既にしていない。温泉場のホテルに特有の、畳の部屋と戸外に面した窓とのあいだにある細長い空間に向かい合ったソファに座り、アカギシンジ君とあれこれ話をしているうちに暗い海から初島が見えてくる。

風呂場へ行くと、脱衣所を透かしてみる海の様子が悪くない。部屋へ引き返し 「エムロク」 を取って戻る。そして空に露出を合わせシャッターを切る。「おい、やめろよ」 とオギノヒロツグ君が言う。「顔まで写りゃしねぇよ」 と答える。そのままカメラをタオルで包み、風呂場から湯船にジャブジャブと入ってもう1度シャッターを切る。

自分の短所を数え上げれば際限もないが、そのうちのひとつに 「浴衣の下には何も穿かない」 というものがある。正面に座るクロダヒロユキ君に不快な思いをさせないよう配慮をしつつ朝飯の膳に着く。ちかくの席に座った面々とあれこれ話しつつメシを食ううち、9時にゴルフをスタートさせる組がすみやかに去っていく

着替えて荷物をまとめフロントへ降りると、残る同級生はまばらだった。何人かの求めに応じ、記念写真の撮影役をする。先の台風で大きな被害を負った、学校の演習林がある三重県尾鷲市への義援金を入れる袋には、数万円の浄財が集まっていた。

ホテルを出てきのう下った隧道を今日は上がり、駅ちかくから曲がりくねった坂を今度は下る。目につくあれこれに向けてシャッターを切る。高島屋東京店の特選会へ出品をする折には必ず顔を合わせるのが干物の 「あをき」 である。ひなびた煙草屋でガムを買い、この店への道を訊く。銀座の 「あをき」 はすぐに見つかった。お内儀さんや跡継ぎの息子さんと短い会話を交わし、鯵、ひとくち鯵、かます、柳鰈などの発送を頼む。そしてなお、写真を撮り歩く。

東京、神田を経由して浅草に達する。15:00発の下り特急スペーシアの切符を買い、ちかくの喫茶店でおよそ30時間ぶりのコーフィーを飲む。

「オレ、普段はローライ35、使ってんの」
はす向かいの席にいる、白いTシャツにグレイのスウェットシャツを重ね着し、ヴェイジュの作業ズボンに黒いサンダル履きのオヤジにいきなり話しかけられる。ボディの白文字をマットブラックで消した、まるで武器のような僕のエムロクを見てのことだろう。見ず知らずの人に話しかけられるとは、下町ではよくあることだ。オヤジはすこし震える手でビールを飲みながら 「クワバラって写真家、知ってる?」 と更に続けた。

「桑原甲子雄ですか?」 「そう。あれの写真って、いいよね」
「写真もいいけど、およそ写真家の中で、あれほど格好いい人を僕は知りません」 「あぁ、そうかな」

訊くともなしに訊けばオヤジは、このちかくにあって知る人ぞ知る、文字通り汗牛充棟の松阪牛を冷蔵庫に熟成させる優れた肉屋の社長だった。「昼間から酔っぱらって大丈夫なのだろうか? まぁ日曜日だしな」 と考えつつ挨拶をして店を出る。

5時前に帰社して仕事に復帰する。終業後に社員たちと週間粗利ミックス表の検討をして、今週の成績が対前年度比でとても良かったことを知る。

晩飯は次男の好きなきりたんぽ鍋だったが、僕は睡眠不足がたたってかあまりたくさんは食べられなかった。入浴して 「私説東京繁昌記」 をいくらも読まず、9時30分に就寝する。


 2004.1113(土) 25時間

目を覚まし、枕頭の灯りを点けると2時だった。短い眠りをはさみながら 「私説東京繁昌記」 を読み6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯は、メカブの酢の物、大根おろし、納豆、厚揚げ豆腐と三つ葉の炊き物、メシ、豆腐とナメコと長ネギの味噌汁。本日は黒いスーツを着なくてはならないため、腹が膨れないよう朝飯のおかずは少なめにしてもらった。

家内とホンダフィットに乗り、30分後に宇都宮の結婚式場へ着く。1995年から今年の4月まで事務係として勤務してくれたタカハシアツコさんの結婚式に出席をする。自分の短所を数え上げれば際限もないが、そのうちのひとつに 「すぐに泣く」 というものがある。元社員の晴れ姿を目の当たりにして、思わず感涙にむせびそうになる。この調子では自分の子供の結婚式へなど、到底その出席はおぼつかない。

新郎側の主賓に続き新婦側の主賓として祝辞を述べる。それほど真剣に聴いていただく話ではないにもかかわらず、かすんで見えるほど遠くの席の人までが真面目に聴き入って、笑いをとるところへ至っても会場にはしわぶきひとつない。タカハシアツコさんはいくら褒めても褒めたりない人物だが、存分にそれをしていては日が暮れてしまうため、適当なところで切り上げる。

2時間30分の披露宴は飽きの来ない構成にて、あっという間に結びになった。クロークの人に着替えの場所を訊き、ドミニクフランスのネクタイを外して黒い木綿のセーターを着る。黒いリーヴァイス501を履き、スウェーデン陸軍の戦車兵が着る上着に袖を通す。

家内の運転にてJR宇都宮駅まで送ってもらい、東京を経由して既に日の暮れた熱海へ達する

卒業して25年目と50年目のOBに対し、自由学園はホームカミングデーという催しを開く。これは卒業生を学園に招き、学園側は現在の状況を述べ、卒業生たちは現役の学生たちと食事を共にし、自己紹介をし、また選ばれた者が講演をするという内容のものだが、本日は前述のように結婚式があったため、僕はこれには出席をしなかった。

聞くところによれば我が男子部35回生の出席率は前例を見ないほど高いものにて、このイヴェントは予定の時間を大幅にすぎて終了したという。彼らは学園正門前で待ちくたびれたバスに乗り同窓会場の熱海へ向かったが、僕が東京駅からクラス委員のサカイマサキ君へ電話を入れたときには、いまだバスは四面道の渋滞にあった。

ウェブペイジの地図によればホテルの場所は駅からそう遠くなかったため、迷わず徒歩にて夜の熱海に一歩を踏み出してみれば、未来的なリゾートマンションやいつの間にかレトロになってしまったモダンデザインのホテルが明媚な風光に林立し、またその陰にはうらぶれた小店もあって、大いに写真を撮ろうとする欲を刺激される。「いまからじゃぁもう暗くてダメだ、あしたにしよう」 と考えつつも、何度かシャッターを押しつつ屈曲した道を下り隧道を抜ける。

我々に与えられた6階のフロアへ上がると、今朝になって痛風が発生したため学園へは行かず熱海に直行したツナシマショーゾー君がいて

「過去」  荒木経惟  白夜書房  \4,800

を手渡してくれる。大判かつ分厚い写真集を熱海まで運んでくれたツナシマ君には感謝のことばもない。「約束の2冊を持ったら重くてさ。もう1冊はまたあとで上げる」 とのことにて大いに期待をする。

宴会の開始が7時にもかかわらず、バスの一行が到着したのは7時30分だった。今夜の出席者数は33名だが、自由学園は1学年1クラスの小さな学校だから、これでも大した人数だ。宴会場には1ヶ月前に見た顔もあれば卒業以来はじめて見る顔もある

ひとりひとりが立っての近況報告があり、またクラス委員からの必要事項の伝達がある。我々は10時にちかくなってようやく飲酒喫飯談笑を終え、6階の二次会部屋へ移った。ここから風呂へ行く者もいれば、麻雀にとりかかる者もいる。何よりも僕は今朝の2時よりほとんど眠っていない。喧噪から離れそろそろ寝ようと考えていた矢先に3つ目の雀卓が用意され、ヨネイテツロウ君が 「ウワサワ、ヤルゾ」 と言う。

ひとりの喫煙者もいない、どちらかといえば真面目なメンバーの揃った指定の寝室にたどり着いたときには午前3時が近かった。布団に身を横たえ2分後に就寝する。


 2004.1112(金) 銀杏を剥く

雨の音がする。そばに置いた携帯電話のディスプレイを開くと4時30分だった。そのまま二度寝に入り、隣室の長男がダイニングキッチンへ行く音に気づいてふたたび時間を確かめると6時25分になっている。起床して熱いお茶を飲み、きのうの日記をサーヴァーへ転送しようとすると、ダイヤルアップの接続がうまくいかない。ADSL をBフレッツ光に替えるにあたってOCNのプランを変更したが、それに伴いなにか新しい設定が必要だったのだろうか。

玄関にある安い傘を持って外へ出る。"LEICA ?C" には今朝の分として10枚分のフィルムを残してあったが、晩秋の朝の暗さに加えてこの雨模様では、ほとんど何もまともには写らないだろう。浅草駅7:30発の下り特急スペーシアに乗り、9時すぎに帰社する。

いまの小学校は週休2日制だから、金曜日に出た宿題については 「あしたでもあさってでもできるじゃないか」 という気にどうしても子供はなる。まわりのおとなはそれをなだめ、週末までにできるだけそれをさせようとする。そしてこれは、金曜日ごとにめぐってくる風物詩のようなものだ。

本日、学校の見学で訪れたシクラメン農家への手紙を次男が書いている。余白が3分の2もあるのにそれを終わらせようとしたため言葉を添えて、残りの部分を文字で埋めさせる。次男は引き続いて割り算のプリントを完了させた。

秋刀魚の干物と大根おろしポテトサラダ、厚揚げ豆腐と三つ葉の炊き物鶏のフライと水菜と胡瓜のサラダにて米のメシを食べ、飲酒は避ける。今月はいまだ12日にして、1ヶ月の断酒義務8日のうち早くも4日目を達成してしまった。

「したたかと言われて久し」 で始まるのは中曽根康弘の句だが、彼が別荘の囲炉裏端で剥いたのは栗だった。僕は栗ではなしに銀杏を剥き、これを食べる

入浴して冷たいお茶を飲み、「私説東京繁昌記」 を読んで9時30分に就寝する。


 2004.1111(木) 40分の1秒

4時から枕頭の灯りを点け 「私説東京繁昌記」 を開く。やがて唐突に、6時を報せるオルゴールが仲町のどこかの屋根で鳴る。「えっ、もう6時?」 とキツネにつままれたような気がしたのは、読点の多すぎる小林信彦の文章を、自分の頭の中で整えながら無心に読んでいたせいだろう。それはさておき、防災放送のようなオルゴールを朝の6時に鳴らしてどこからも文句が出ないとは、やはり我が町は田舎である。そしてもちろん、これは我が町への褒め言葉である。

起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、キャベツとベイコンの油炒め黒酢がけ、炒り卵、明太子、納豆、しその実のたまり漬で味つけをした薄切りの胡瓜、メシ、ナメコと三つ葉の味噌汁

初更に池袋へ達して上着の右ポケットから古いライカを取り出す。それを首から提げて駅の外へ出る。南南西へ歩きながら25ミリのファインダーを覗きつつ、ときおりシャッターを切る。絞りは開放のF4でシャッター速度は40分の1秒。暗い通りで明るい角店にレンズを向けているところに同級生のヤハタジュンイチ君が追いついてくる。

自由学園の明日館にて同学会の本部委員会へ出席をする。持参した資料を配り、人の資料をもらい、寄せられた質疑に対して応答をする。9時をすぎて外へ出る。空には地上の灯りに照らされた明るい雲がある。

本郷 「三原堂」 のショウウインドウには栗の飾りつけがあった。そして甘木庵へは10時すぎに帰着した。ビールの350CC缶1本を飲んでシャワーを浴び、読むべき本もないため本日の日記を書く。700文字で終えるとは上出来だ。11時に就寝する。


 2004.1110(水) 分度器

目を覚ましてしばらくはふたたび訪れそうな眠気を待って静かにしているが、その数分か数十分がすぎて頭が冴えるばかりのときには枕頭の灯りを点ける。床に手を伸ばして

「眼を磨け」  荒木経惟  平凡社  \1,575

を拾い上げ、これを途中まで読んで5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、茹でたソーセージ2本、昨夕のサラダ、納豆、明太子、大根おろし、メシ、豆腐とナメコと長ネギの味噌汁。「ちょっと食べ過ぎですね」 と、この日記を読んだある内科の医師に言われたことがあるが、たとえば今朝の明太子のようなものは特に、出されたすべてを食べるわけではない。

これまで続いた秋の雨はようやくその峠を越えたらしい。日差しは強くないが空は薄く青く、来店客数も平日としては悪くない。昼までは多く事務室ではなく店舗で仕事をする。

デザイナーとかプランナーとかマーケッターとかコーディネイターとか、そういう 「ケツにerがつく系の人」 によって作られた店に僕の足が向きづらいのは、どのような理由によるものだろうか。この 「er系の店」 に分度器を当ててクルリと180°視線を転ずると、そこにあるのが蕎麦の 「ねもと」 だ

「ねもと」 には演出をされた田舎ではなく本当の田舎がある。盛り蕎麦の器はプラスティック製である。その蕎麦の上にはまるでスーパーマーケットの総菜売り場にあるような天ぷらが載る。小皿には炒めたタクアンがある。しかしてその蕎麦は美味いのかと問われれば、それは美味い。昼どきに自転車で3分ほど走ってこの 「ねもと」 へ行き、天盛り蕎麦を食べて帰社する

仕事を終えて居間へ戻る。今日も次男の同級生ヨッチが遊びに来たらしく、段ボール製の 「よっちはうす」 は幾分かの進化を遂げていた。聞くところによればヨッチはこれを、ソロバン教室を経由して自宅へ持ち帰ろうとしたという。だがその大きさはミカン箱3個分よりも更に大きい。これはいずれ、僕がヨッチの自宅まで送り届けることになるだろう。

今夜は飲酒を避けてカレーライスにしようとは、朝から決めていたことだ。次男は家内の作るカレーライスよりもサイトウトシコさんによるそれを好む。サイトウトシコさんによるカレーとは、小田実が 「何でも見てやろう」 の旅の途上に 「日本の学生は何を食べるか?」 と訊かれて 「日本の学生はカレーを食べる」 と答えたところの、正しいニッポンのカレーである。

待望のカレーができあがると次男は 「味見をする」 と言って、味見とはいえない量のそれを先ず食べた。やがて僕の前に届けられたカレーライスにらっきょうのたまり漬の薄切りを載せ、これを食べる。また家内の作った豆のサラダも食べる。そして熱いお茶を飲む。

「眼を磨け」 は夕刻のうちに読み終えた。これは良い本だ。そして徐々に、写真についての、あるいは写真家についての、はたまた写真家による本の未読分が減っていく。「私説東京繁昌記」 についてはハードカヴァーを買った後に重ねて文庫本を買ってしまった記憶があるが、小林信彦の文章がどうも自分には読みやすくないため、本棚に置いたままずいぶんと長い年月が経ったような気がする。

階段室にようやくこれを探しだし、奥付を見ると昭和59年の初版だった。入浴して冷たいお茶を飲み、この

「私説東京繁昌記」  小林信彦著  荒木経惟写真  中央公論社  \1,800

をすこし読んで9時に就寝する。


 2004.1109(火) どうよ、Bフレッツ

4時に目を覚まし、ベッドの下に積み重なった活字をあさって5時30分に起床する。6時に事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、ブロッコリーの油炒め、鮭の昆布巻き、メカブの酢の物、納豆、大根のぬか漬、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

通信回線をこれまでのADSLからBフレッツ光に変えたのは2週間ほど前のことだっただろうか。ところが 「アップロードは速くなりますけど、ダウンロードにはほとんど変わりありませんよ」 と外注SEのカトーノさんが言っていたとおり、ブラウジングにおいては以前と何の体感上の変化もない。むしろレンタルされた新しいルーターが安定せず、1日のうちかなりの時間あるいは回数において回線切断を起こすようになったのが痛い。それでいて通信料はこれまでの数倍である。

「損切りは急げ」 とばかりにこれを売り込みに来たNTTの営業担当に電話をし、元のADSLへ戻すよう要請をする。「クレームで火だるまになりますから、あんまり熱心に営業して歩かない方がいいですよ」 と言ったらテキは屈託なく笑った。敷設した光回線はいずれ使えるときも来るだろうから、もちろん今のままにしておく。

途切れた回線の復旧を待つあいだに "LEICA ?C" へフィルムを装填する。"M6"、"?"、"?C" と3台のライカを使ってみて、撮った写真の中で 「これはまぁまぁだな」 と思われるいわゆる歩留まりは、やはりTTLの露出計を備えたエムロクが最も高いが、いざ使う段になるとバルナック型の、露出計はおろかファインダーも内蔵しない、だから測距システムもない原始的な "?C" を取り出してしまうのは、どのような理由によるものだろうか

Bフレッツ光の回線はまだまだ復旧しない。初秋からの1ヶ月間に撮った写真の紙焼きを眺めながら 「そういえば同級生のツナシマショーゾー君が9月に池袋の飲み屋で、オレにアラーキーの写真集を2冊くれるって言ってたなぁ、いったいいつくれるんだろう」 と考える。人にモノをやる約束は忘れても、「こんどやるよ」 と言われたことは、忘れようにも忘れられるものではない。

終業後に居間へ戻ると、次男の同級生ヨッチが夕方あそびに来て作った段ボールハウスがある。「ジャマだから」 と折りたたんで捨ててしまうわけにはいかない。この紙の家を背に感じつつ、バキュバンで栓をしておいた "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を飲む。

なんだかちょっと美味いピッツァ、相次ぐ台風に畑を水浸しにされ価格が高騰したためしばらく食べられなかったレタス、ジャガイモ、ツナのサラダトマトとブロッコリーとベイコンのスパゲティにて白ワインを空にする。そして更に、昨年のボジョレヌーヴォーを半分ほども飲む。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。


 2004.1108(月) このうどんは美味いぞ

1時に目を覚まし、2時に 「荒木! 天才アラーキーの軌跡」 を読み終える。いつまでたっても眠気を覚えないため 「なにか仕事はねぇかなぁ」 と考え、資材置き場でのそれを思いつく。しかし朝の2時からそのようなところで単独の作業はしたくない。事務室へ降りて机のまわりに積み重なった不要の物を捨て、さらにその周辺に範囲を広げて整理をする。

ウェブショップからの注文のうち、CGIにて自動送信される受注確認書につき誤解をされてお問い合わせを下さったお客様、ご入力になったカード番号が4桁不足しているお客様、お歳暮ののしを付けるよう附記しながら納期の指定がないお客様、「品切れ中」 の表示がある商品をご注文されたお客様へ、それぞれ質問のメイルを送付する。

きのう来たハニ君からは義理堅く、昨夜のうちに帰宅を報告するメイルが届いていた。そこで彼のウェブペイジへ行き "Weblog" へ飛ぶと、仕事の前夜から我が町のホテルに泊まっていたと書いてある。「ちゃんと連絡をくれりゃぁ、一緒に晩飯が食えたじゃねぇか」 と返信を送る。

6時に居間へ戻ってあれやこれやする。朝飯は、茹でたソーセージ、ほうれん草の油炒め、メカブの酢の物、納豆、メシ、お麩とワカメと長ネギの味噌汁。

本日は予想外の忙しさにて、包装係の仕事は自転車操業となった。午後には一部の商品に売り切れの心配もあったが、危ういところでそれを免れる。新鮮な食べごろのものを常に売っていこうとすれば、このような綱渡りは日常茶飯事のものになる。

終業後、表紙に桑原甲子雄の写真を用いた10年前の "Deja-vu" を開く

書評とは文字で書かれたものを文字で批評するものだから、それがたとえ提灯記事でも内容を理解することはできる。ところが写真や絵画についての批評は、これを繰り返し読んでもチンプンカンプンということがとても多い。僕の頭がパーなせいだろうか? しかしむかしある画家の個展へ呼ばれ、立派なパンフレットにあるその画家についての批評家の文章を指して 「これ、読んで理解できる?」 と訊いたところ 「分かんない」 と、当の画家の答えたことがあった。美術批評の意義とは那辺にあるのだろう?

そのようなことを考えつつ次男の算数の宿題を督励する

昼間、店でお客様の相手をしているところに 「糸屋」 のお使いの人が来て 「これ、タクヤさんにとことづかってきました」 と紙の箱を手渡してくれた。蕎麦屋から紙の箱が届けばその中身は蕎麦に違いない。さっそく家内に 「今夜は蕎麦だ、オレは酒を抜く」 と伝えた。

家内が大鍋に湯を沸かし紙の箱を開けると、しかしそこには蕎麦ではなくうどんと蕎麦焼酎の小瓶が入っていた。「糸屋」 は我が町の日光街道沿いに古くからある蕎麦屋だがうどんも美味い。「うどん? ヨシッ、うどんに変更!」 と、そうなればそうなったで 「糸屋」 のうどんが待ち遠しい。

海苔、大葉、舞茸、小エビの天ぷら、イカと長ネギのかき揚げ茹でて冷水で締めた平打ちのウドン、そして熱いつゆ。これを 「美味い、美味い」 と大量に食べ、しかしさすがにすべては食べきれずに明日へ持ち越す。

入浴してなにも飲まず、9時に就寝する。


 2004.1107(日) "It don't mean a thing"

2時に目を覚まして3時まで 「荒木! 天才アラーキーの軌跡」 を読み二度寝に入る。大いに寝過ごして6時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。既に準備のできている朝飯を見て 「オッ」 という無意識の声を出す。そこにはベイコンエッグがあった。ほかには大根おろし、メカブの酢の物、納豆、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

午前中、自由学園で4年ほど後輩のハニトモハル君から、いま今市市の文化会館に仕事に来ている、裏の楽屋口から控え室までは目と鼻の先だ、というような電話が入る。とりあえず携帯電話の番号を訊いてメモをするが、いまだ紅葉の季節にて店は忙しく、とても抜け出せるような状況にはない。

夕刻になって徐々に客足がまばらになるかと思えば、何かの拍子でまた増えてきたりもする。日光宇都宮道路は今市インターから大沢インターのあいだに渋滞の表示が出ている。「紅葉見物の渋滞は、いつもは11月3日で終わるんじゃなかったっけなぁ」 と過去を思い出そうとするが判然としない。

「いくつもの大型台風で広葉樹の葉が吹き飛び、だから今年の紅葉は全滅だ」 という、いかにも信憑性の高そうなうわさ話もあったが、どうもこれはウソだったらしい。

ハニ君は結局5時を過ぎてから、今日の 「音楽フェスティバル in 杉の街」 というコンサートを終えて、仕事仲間と共に店へ来てくれた。このコンサートにはおととし次男が行き、ふてくされて帰ってきた経緯がある。次男はハニ君が演奏をするようなリズム性の高い音楽は好きだが、同時に出演をする市民コーラスの、たとえば 「シズカナオゼー、トーイソラー」 というようなものを耳にするととたんに 「こういうのは好きじゃないんだよ」 とぐずり始める。以降、市が主催するこのコンサートへ次男は行っていない。次男がこのところ気に入って聴いているのは "FRIED PRIDE" である。

終業後、本日出勤の社員たちと、この1週間を振り返るミーティングをする。週間ミックス表の数値が前年度のそれを上回るのは久しぶりのことだ。とにかく今日は雨が降らなくて良かった。

燈刻、次男の日記の宿題を督励する。泡盛 「与那国」 を飲みながら 「荒木! 天才アラーキーの軌跡」 を読む。

晩飯は湯波を混ぜ込んだ豆腐の冷や奴とウズラ豆カレイの煮付けきのうのオデン茹でたブロッコリーは家内のみが食べるそのあとに出てきたどこか南方の果物は僕も食べる

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。


 2004.1106(土) 屋台の解体

夜中の何時だったかは不明だが、目を覚まして 「荒木! 天才アラーキーの軌跡」 を読み、また何時かに二度寝に入る。6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、厚揚げ豆腐と水菜の炊き物、大根のぬか漬、マヨネーズ入りスクランブルドエッグ、メカブの酢の物、生のトマト、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

杉並木祭りに出した町内の屋台を片付けるため、これの置いてある 「市縁ひろば」 へ8時30分に行く

その裏側に 「鬼」 と墨書された破風の大きな彫刻は太い2本の鉄棒にて固定をされているが、その鉄の棒には 「安政未六年六月吉日拝」 とある。これは実に、桜田門外で井伊直弼が暗殺をされる9ヶ月前の日付である。細心の注意を以て、巨大な寄せ木細工というおもむきの屋台を解体していく。それと同時に、戦前は甲子町と呼ばれた春日町1丁目東部の土蔵の2階を整頓し1階にある余分なものを外へ運び出す

屋台はようやく土台と柱だけになった。いったん帰社して店舗の様子などを見る。あるいは製造現場に必要なことを伝えに行ったりもする。社員が昼食のため手薄になった事務室で番をしていると、武田線香のタケダさんが、町内より支給された弁当を持ってきてくれた。

午後、「市縁ひろば」 よりトラックのピストン輸送にて運ばれた大量の彫刻を土蔵の2階へ上げていく。手に職があるとは大いなる力にて、壊れた木箱をその場で補修する人がいる。最後の大物を安置して、ようやくひと息をつく。台車を解体して土蔵の1階へ無事に収め、今日の仕事がお開きになったのは3時45分のことだった。帰社して仕事に復帰する。

燈刻、瓶の底に残った 芋焼酎「西海の薫」 を茶碗にあつめると結構な分量になったため、これをお湯割りにする。鮪の刺身とほうれん草の胡麻和えを、その肴とする。食べるものがオデンに移って以降は飲むものを泡盛 「与那国」 に換える。オデンは和辛子ではなく、石垣島の 「島とうがらし」 にて食べる

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時すこし過ぎに就寝する。


 2004.1105(金) 覚え書き

何時に起きたかの記憶はないが、枕頭の灯りを点け 「天才になる!」 を5時30分まで読んで起床する。事務室へ行く途中、社員通用口の隙間から朝日が差して、通路に置かれた諸々を細く照らしている。「今日も晴れたか」 と、なんとはなしの嬉しさを感じる。

いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯はきのう残した鯛のフリットのサラダ、同じくツナとカボチャのサラダ。納豆、にんにくのたまり漬、メカブの酢の物、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

「中身はどうせ下らないものだ」 と分かっていて、しかしこれを捨てると小さくない問題に発展するたぐいの封筒が事務机の左手に重なっている。これらをことごとく開封し、それぞれに処理をする。他にもあれこれと仕事をする。必要なところへ電話をし、新しい注文に対して見積書を送ってきた取引先に納期を訊き、これからすべきことをメモに残す。

いわゆる職人と呼ばれる人の中に、決してメモを取らない複数の人物を知っている。「これを間違えたら損害は数百万だぜ」 というようなことについても彼らはメモを取らない。「大丈夫?」 と心配をしても 「大丈夫」 と彼らは当方を軽くいなす。あるいは修業時代に親方から 「覚え書きをしようなんて根性だから、かえって頭にへぇらねぇんだ」 というような教育を受けたのかも知れない。

僕は今しがた聞いたことでも3歩あるけば忘れてしまう人間だから、メモがなければ話にならない。きのうの夜中に書いたメモを、いましがた書いたメモとまとめてホッチキスで留める。

燈刻に焼酎のお湯割りを飲みたく思うが家内は今夜、イタリアっぽいメシを作るというので 「だったら焼酎はおあずけか」 などと思いながら

「荒木! 天才アラーキーの軌跡」  飯沢耕太郎著  小学館文庫  \630

を読む。そのうち廊下の先の炊飯器から、シューシューと湯気の噴き出す音が聞こえてくる。「おかしいな」 と考えているうちに家内が買物より帰ったため 「メシが炊けてるぜ」 と言うと 「えー、困った、どうしよう」 と言うので、いまある材料を訊いて 「だったらトマト味のミートボールでメシを食おう」 と提案をする。洋風の肉料理で米のメシを食うとは、僕の十代のころのもっとも好きな組み合わせだ。

次男がミートボールの材料をかき混ぜ始める。酒の置き場を見ると焼酎の在庫は払底しているが泡盛ならある。崎元酒蔵の 「与那国」 を、皿の上の八勺グラスに注ぐ赤ピーマンと水菜とベイコンのサラダジャガイモのグラタン、自分のための特大サイズを含む、次男の作ったミートボールにて泡盛を飲み、また米のメシを食べる。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1104(木) 便利なクルマ

3時に目を覚まして枕頭の灯りを点け、「日本名作写真59+1」 を開いて4時にこれを読み終える。未読の写真本は多く仕事机ちかくの棚にあるから取りに行くのはおっくうだ。床に重ねた本を適当にあさって5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。洗面所の窓を開ければ、週末や祭日が去ったとたんの快晴である

映画 「リストランテの夜」 には、主人公一家が重大な悩みを抱えて迎えた朝に、長男が調理場で卵焼きを作る場面がある。それはオムレツでもスクランブルドエッグでもない雑ぱくな卵焼きで、僕はそれを見ながら 「いやしくも料理人があのようにいい加減な調理をするものだろうか」 といぶかしんだが、なにしろそれを作っている本人は重大な悩みを抱えているわけだから、その行動もすこしく精彩を欠いて当たり前なのだろうと考え直した。

一方僕はまた映画館の暗がりでそのシーンを眺めながら 「フライパンに落とした油はサラダオイルではなくオリーヴオイルに違いない」 という、裏付けのない確信を持った。そしてその思い出話をきのう家内にして、しかしそれは酔っぱらっている最中のことだったらしく、すっかり忘れていた。

朝飯を目にすると、ほうれん草の油炒め、生のトマト、メカブの酢の物、納豆、卵焼き、京都でよく見かけるような大きな唐辛子の炒め物、メシ、ナメコと長ネギの味噌汁という8客の器の真ん中に卵焼きが置かれている。その一片を口へ入れ咀嚼をすると、オリーヴオイルの香りが立ち上った。「やっぱりあの映画の中のフライパンには、サラダオイルではなくオリーヴオイルがあったに違いない」 と、またまた裏付けのない確信を持つ。

日中、ひとりのお客様が販売係のオオシマヒサコさんに伴われて事務室へ入っていらっしゃる。「カーナビにお宅の電話番号入れたんだけど、変なとこに案内されちゃって、とんでもないことになっちゃったわよ」 とのことではあるが、お客様は多分、カーナビの会社に上澤梅太郎商店が住所の登録を申請したところが、その内容が誤っていたため自分に迷惑が及んだと、そういう解釈において憤っていらっしゃるものと思われる。

問題のカーナビは新車を購入した際の純正品とのことにて、「わかりました、それではそのクルマの製造元に確認しておきます」 とは答えたものの、車名や年式はお訊きしていないから、これはその場しのぎのクレイム処理、ということになる。あるいは最初から 「ウチは一切、そのようなものには関与していません。クルマを売った会社に直接お問い合わせください」 と言うべきだっただろうか。

10日ほど前にも書いたことだが、僕がクルマに要求することは少ない。走って曲がって止まって、ランプとウインカーが点灯してワイパーが動いて、ペダルとギヤレヴァーの感触がカチリとしていて内外のデザインが良ければクーラーさえいらない。「確かにカーナビは便利だけどなぁ」 とは思うが、かつてカーナヴィゲイションシステムを積んだクルマを持ったことはないし、会社にもそのようなクルマはない。

「そのイカれたカーナビ、せっかくだから見ときゃ良かったなぁ」 と、お客様がお帰りになってから後悔をする。

燈刻に居間へ戻り

「天才になる!」  荒木経惟  講談社現代新書  \660

を開く。ひとりで飲み屋へ行くときにはかならず本を持参する。本のないときには先ず本屋へ寄る。読むべき本が見つからないうちは飲み屋に入れない。この、飯沢耕太郎による荒木経惟への聞き書きでできている本を読みつつ焼酎のお湯割りを飲みたく思うが、今日は断酒をしようと考えている。

毎月8回の断酒の予定が8月と10月はそれぞれ9回ずつこれを行っているから、断酒に貯金が利くとすれば11月は6日だけ酒を遠ざければ良いという解釈が成り立つ。成り立つけれどもこれはからだにはあまり良くないことだろう。

焼いた厚揚げ豆腐、ウズラ豆カボチャとツナのサラダ鯛のフリット、水菜、シメジ、赤と緑のピーマン、茄子のサラダにて米のメシを食べる

入浴して冷たいお茶を飲み、「天才になる!」 を読んで10時前に就寝する。


 2004.1103(水) 名人の蕎麦

3時30分に目を覚まして 「日本名作写真59+1」 を読む。雨の音がときに強くなり、また弱くなる。週末や祭日をねらい打ちにしているような今年の秋雨だ。5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。玉子と三つ葉の雑炊にもそろそろ飽きてきたため、これが鍋にあるうちに胡麻油を滴下して味をすこし変える

今日が最終日となる 「今市そばまつり」 の会場へ、販売係のケンモクマリさんとサイトウシンイチ君のふたりと商品を運び込んで帰社する。雨はいつの間にか上がった。9時にこんどは家内を 「そばまつり」 の会場へ送り届けて帰社する。

11月3日に 「杉並木祭」 という行事が行われるようになってから何年が経つだろう。ことしは我が今市市が市制50周年ということもあり、屋台を持っている町内はこれを繰り出すことになった。僕にはお祭りの写真を撮る趣味はないが、町内から写真の撮影係を言いつかっている。屋台曳きに参加をする次男をサイトウトシコさんに任せ、繁忙の店を抜け出す。

姉妹都市の小田原からは提灯踊りの一行が来ているまたお囃子連も来ている。我が町からは、参勤交代を模した大名行列に大規模な参加がある。もちろん僕は、春日町の屋台を中心に写真を撮ることになる。屋台の屋根に上がり棒で電線を避ける任には、長男の同級生のユザワ君とオノグチ君のふたりが当たっている。12年前に同じ屋台上にあって、目の前の電線を鷲づかみにしてしまったキミジマ君は、そういえば今どこで何をしているのだろう。電線が実は電話線だったために、キミジマ君が黒こげになって路上へ転落することはなかった。

瀧尾神社前で屋台の底にダルマジャッキをかまして方向転換する場面その中で太鼓を叩き続けるお囃子の人たちなど1時間で二百数十枚の写真を撮って帰社する

「そばまつり」 にはおとといより「翁達磨」 の高橋邦弘が来ている。とんかつ 「あづま」 のオヤジさんはきのう息子に並ばせること90分にて、この 「名人」 の蕎麦にありついたという。家内が言うには 「名人」 にサインをもらおうとするファンの数も、また少なくはなかったらしい。

いま検索エンジンを回してみれば、高橋名人の振り出しは宇都宮の 「一茶庵」 とある。昭和50年に南長崎の「翁」を開店しているからこれは僕が19歳のときのことにて、そのころであればこの名人の蕎麦も待たずに食べられただろうか。もっとも当時は蕎麦など食べる気もしなかった。

既にしてボトルが入っているのにそれが無いと勘違いをして2本目のボトルを入れたところが、初秋より長く休業をして僕をやきもきさせていた焼肉の 「大昌園」 がようやく商売を再開した模様にて、夜7時に家族と家を出る。

先ず、2本のうち安い方の真露をオンザロックスにするオイキムチ、モヤシナムルレヴァ刺しタン塩子袋、ホルモンカルビ。焼酎のボトルを 「田苑」 に切り替えて、石焼きビビンバテグタンラーメン。カルビの皿にあった、脂身だけの切り身2枚を残したら、それを見たオバサンが 「ここが1番おいしいんだよー、これ食べなかったらオトーサンに言われちゃうよー」 と言うので、これを焼いて2枚とも僕が食べる。

帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。


 2004.1102(火) 疎林の蕎麦屋

目を覚ますと布団の中に違和感がある。手で探るとそれは昨夜、読もうとして読めなかった 「日本名作写真59+1」 だった。この、著者を含めて60名の写真家の仕事を解説した本を2時間ほど読んで6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。空は久しぶりに晴れた。

朝飯は、生玉子、ほうれん草の油炒め、メカブの酢の物、納豆、ジャコ、メシ、ナメコと三つ葉の味噌汁

販売係のハセガワタツヤ君、イシオカミワさんと共に 「今市そばまつり」 の会場へ8時前に入る。この時間から既にして、大谷川河畔に特設された駐車場や無料の送迎バスは稼働を始めている。

ウチに割り当てられた売り場に商品その他を降ろし、指定の場所へ三菱デリカを停める。そこからふたたび売り場へ戻る途中の疎林の風景は秋たけなわである。オートキャンプ場に沿った大谷川の堤防へ上ってみると、その土塁のような盛り上がりはまっすぐ日光まで達しているらしい

初日から最終日までの5日間を、このキャンプ場に設置されたアメリカ製のキャンピングカーに寝泊まりして働く遠方からの蕎麦屋さんがある。大勢の職人が、それぞれの持ち場でそば粉をこね始めている蕎麦屋さんもある。蕎麦道具の店が、今日も品物を並べ始める。あしたの最終日が晴れれば、それはこの5日間でもっとも賑わう日になるだろう。

昼に 「そばまつり」 の現場へ家内を送ったその足で、少々まとまった注文品を鬼怒川温泉の旅館まで配達する。鬼怒川の山々もまた、秋たけなわである。帰途、西の空にはまるでムスターグタワーのような雲がわき上がった

燈刻、次男の算数の宿題を督励する。また 「日本名作写真59+1」 を読む。

生のトマト「そばまつり」 の会場で買った芋串できあいの焼き鳥、湯豆腐にて 芋焼酎 「西海の薫」 のお湯割りを飲む

入浴して、ワイン蔵で発見した350CCの缶入りチューハイを1本飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1101(月) まぁ、飲もう。

暗闇の中で目を覚まし、4、5分後に枕頭の灯りを点けると夜中の1時50分だった。脳内時計の精妙さに感心をする。僕は目覚まし時計に起こされることを好まない。着替えて洗面所へ行くと、ここの時計は2時を指していた。鍵を3回つかって事務室へ入り、コンピュータを起動する。

顧客名簿の更新を終えて3時15分、暮のギフトのDM送付先を抽出して4時。コンピュータが勝手に動く間隙を縫って

「荒木経惟写真全集6 東京小説」  荒木経惟  平凡社  \2,500

を読む、あるいは見る。メイルマガジン 「ウェブショップ6周年・記念感謝号」 を発行して4時40分、「今市そばまつり」 のアイテム別売上管理表のマクロを "SOBA" というコマンドに組んで5時20分。いまだ夜中と同じ暗さの戸外に出て酸素欠乏を起こした脳に酸素を送り込む。その闇の中から自転車に乗った女の人が近づいて新聞を手渡してくれる

6時に居間へ戻ってすこし休み、熱いお茶を飲む。朝飯は、玉子の雑炊、しその実のたまり漬、塩昆布、ジャコ。大きな木のお椀に2杯の雑炊を食べれば、それは九龍半島尖沙咀漢口街にあるなんとか粥麺店の、ラーメンドンブリにすり切り1杯の臓物粥と同じ量になる。

7時50分、「そばまつり」 のための商品その他を販売係のサイトウシンイチ君が三菱デリカに積み込む。三菱シャリオは同じく販売係のクロサワセイコさんが運転をする。そして今日も3人で 「日光だいや川公園オートキャンプ場」 内の 「そばまつり」 会場へおもむく。僕のつま先は2杯のお粥の効力にていまだ温かい。

このキャンプ場は、地元の我々には荒れ果てた雑木林にしか見えなかった、大谷川の堤防に沿った細長い土地を拓いたもので、赤松と広葉樹のあいだにせせらぎの流れるその趣は、まるで谷間の白百合のように素晴らしい。そういう環境においてトラックの中身をそそくさと降ろし、8時30分に帰社する。

きのうに引き続いて会社と 「そばまつり」 の会場を何往復かする。普段の仕事に従事し、普段の仕事以外のこともして夕刻に至る。

朝から忙しくしていた家内は、簡単なメシしか作る気がしないと言う。自転車に乗ってスーパーマーケット 「かましん」 へ行き、ホタテ貝とトマトとピーマンを買って戻る。最初の12本がついに最後の1本になった "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を抜栓する。それを飲みながら田中長徳の 「日本名作写真59+1」 を読む

"Pain Grille" という商品名の、甘くなくてもラスクと呼ぶのだろうか、カリカリに焼き上がった薄いパンを皿へ置く。これに、皮ごとオーヴンで焼いたカマンベールチーズを載せて食べる。もちろん美味い。ホタテ貝とトマトとピーマンのスパゲティにて、瓶のワインは残り半分になった。

入浴して泡盛を猪口に1杯だけ飲み、9時30分に就寝する。