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こころよい日和 寒くなく 暑くない  空に雲 花の面の埃を流し
薔薇に浮かれた鶯はパハラヴィ語で  酒のめと聲ふりしぼることしきり
Omar Khayyam

 2006.0331(金) たった1杯で

6時前に目を覚まして起床する。台所の流し台に牛乳のパックが置いてあるのでてっきり空のものと思って持ち上げたら中身が入っている。きのうの風呂上がりに飲んで、しかし冷蔵庫に戻さなかったのだろう。その100CCほどの残りを飲んでダイニングの椅子に座る。

なにもすることがない。しばらくしてちかくのコンビニエンスストアへ行き、牛乳を2リットル買って戻る。そしてそのうちの300CCほどを飲む。早く起きて手持ちぶさたでいるとはまるで老人と同じだが、退屈なので先ず便所の掃除をし、続いてきのう使ったバスタブを掃除し、風呂のお湯を張ったままフタをせずに眠ってしまったため結露してしまったあたりの壁を拭く。

6時30分すぎに玄関を出て本郷龍岡町の裏道を歩き、切通坂を下る。天神下から千代田線にて北千住へ達する。きのう飲み過ぎたから朝飯を食べる気はせず、駅構内の "Starbucks Coffee" にてラテ系のコーヒーを飲みつつ 「夜間飛行」 を30分ほど読む。

7:40発の下り特急スペーシアに乗り、9時すぎに帰社する。春日町1丁目の役員5名で10時に今市警察署へおもむき、例大祭に屋台を巡行させる際の道路使用許可証を申請する。昨年の暮に大沢地区で起きた女児誘拐殺人事件が解決していないため、報道機関が自社の縄張り確保として残した写真撮影用の脚立が、警察の玄関前にはいまだ30本も立てられたままになっていた。

初更、じゃこ、茄子の塩水漬け、椎茸とほうれん草の炊き物、黒豆にて芋焼酎 「白金乃露・黒」 のお湯割りを飲むホタテ貝の刺身同じくその卵とヒモの薄味炊き、次男だけに焼いたステーキのその切れ端とクレソンのサラダにても同じものを飲むが、たった1杯でアルコールへの欲求が霧消し、その後は牛乳を300CCほども飲む。食後にメロンを食べる。

いささか疲れているため8時前に入浴をする。牛乳を250CCほども飲んで9時前に就寝する。


 2006.0330(木) 春宵一夕

3時30分に目を覚まして 「夜間飛行」 を読み、5時30分に事務室へ降りる。天気の様子を見ようと外へ出ると、昨夜の強風に吹き寄せられた落ち葉を閉じこめて駐車場の水たまりが凍っている。「もう4月だってのに氷点下かよ」 と呆れつつ事務机へ戻り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯は納豆、じゃこ、笹かまぼこ、生のトマト、きのうの晩飯の残りらしいグリーンアスパラガスの油炒めとジャガイモのグラタン、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁

下今市駅16:04発の上り特急スペーシアに乗る。浅草から新橋へは営団銀座線よりも都営浅草線の方が早い。その乗り換えのため吾妻橋の西詰めを歩く。墨堤の桜は満開だった。新橋の地下街を歩いて地上への階段を上がる。出たところはビルの谷間の狭い道だったが、そのあたりには僕はまるでドブネズミのように土地勘があるから右に左にと折れて外堀通りへ出る。驚いたのはその後のことで、なんと十仁病院が消え失せて更地になっていたから 「オレもこのあたりにはずいぶんと来ていなかったんだなぁ」 との感慨にふける

悪酔いを防ぐには果糖を充分に摂取しておく必要があると、コリドー街のバー "Stonefish" でマルガリータとソルティドッグを1杯ずつ飲み、また歩き出す。これから行われる、同学会本部委員会の広報室とホームページ運営室の打ち上げを段取りしたゴールドロベルト君に電話を入れて現在位置を知らせると、嘆息を含んだ苦笑い、といったニュアンスの返事があって 「で、場所は分かりますか?」 と訊くので 「それは大丈夫です」 と答える。

中央通りを北へ向かうと、今度は5丁目に "UNIQLO" ができていたから 「いやぁ、オレはホントに銀座には来ていなかったんだ」 と感心しつつ 「で、ここ、前はなんだったかな、靴のアメリカ屋だったか?」 などと考えるが確信はない

"RICOH GR DIGITAL" をモノクロモードにしたり、またカラーモードに戻したりして写真を撮り続け、歌舞伎座の前で晴海通りを渡る

自由学園で僕よりも22年後輩のタケダダイサク君が経営する店 「薩摩」 に着いたのは、7時10分のころだっただろうか。ここでばら寿司や香辛料を効かせて炊いた鶏手羽などを肴によりどりみどりの芋焼酎をお湯割りにして飲む。「酒は概ね、レッテルがダサイものほど美味い」 との認識は、僕とタケダ君に共通のものだった。計10人ほどで今年の労をねぎらい次の年度についてのあれこれを語り、10時30分に散会する。

西武池袋線で帰宅する3人と共に地下鉄丸の内線に乗り、僕だけは本郷三丁目で降りる。かなり酩酊してはいるが写真を撮る元気はいまだあり、しかし普段は発光させないストロボがシャッターボタンを押し込むたびに飛び出しても、やはり頭がパーになっているからワケも分からず指でそれを押し戻しつつ甘木庵に着く。

入浴して牛乳を200CCほども飲む。生意気にも枕元に灯りを運び、しかし本は読めずに0時30分に就寝する。


 2006.0329(水) "Latin de gogo"

3時30分に目を覚まして枕頭の灯りを点け、「夜間飛行」 を開く。

「監督がためらいながら、ペルランの方を振返った。彼ののどぼとけが上下に動いた。だが彼はもの言わなかった」

における 「彼」 は誰を指す人称代名詞か、とは中学校の国語の試験問題が思い出されることだが、僕はこの一節で 「彼」 が誰かを誤解し、そこから2ペイジを読み進んでワケが分からなくなったから、今度は6ペイジを遡ってようやくその 「彼」 が誰かを特定する。遅読癖のある人間がこういうことをしているから僕が本を読む速度はますます落ちる。それにしても僕の誤解は堀口大學の不親切によるものだろうか、あるいは自らの頭の悪さによるものだろうか。

二度寝をして6時前に起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。シャッターは上げたが格子のはまったガラス扉までは解錠しない。その扉が 「ゴンッ、ゴンッ」 と音を立てるため椅子から立ち上がって様子を見に行くと、お顔は覚えているがお名前までは存じないお客様が立っていらして始業前から7,500円を売り上げる。

7時すぎに居間へ戻る。朝飯は納豆、豆腐とトマト入りスクランブルドエッグ、じゃこ、きのうの晩にあまったグリーンアスパラガスのオリーヴオイル炒め、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁

本日ウチでなにがしかの仕事をすることになっている3社のうちの2社が、連絡もなく来ない。この2社は以前にも同じことをしたから 「あそこの社長って、ラテン系だったか?」 という考えが頭をよぎる。しかしたとえコロンビアやプエルトリコにおいても、取引先と交わした来訪の約束を、2度も無断で取り消す例は多くないと思う。

午後7時30分、第154回本酒会に出席をするため、洋食の 「金長」 へ行く。秋田県のお酒7本と福島県のお酒1本を飲んで9時に帰宅する。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、10時前に就寝する。


 2006.0328(火) 受験番号 "4440"

3時に目を覚まして枕頭の灯りを点け、「夜間飛行」 をすこし読んで30分後に起床する。事務室へ降りてコンピュータを起動し、きのうオノグチショーイチ頭に頼まれて 「じゃぁ、明日の朝までに作っときます」 と約束をした、春の例大祭に町内の屋台を巡行させる際のマニュアルを作成する

7時に居間へ上がる。朝飯はきのうのあまりの昆布巻き、鰆と野菜の南蛮漬け、納豆、メシ、筍の天ぷらとつまみ菜の味噌汁

むかし 「公害防止管理者」 という国家試験を受けたことがあった。オヤジに言われて予備講習のようなものに行くと、厚めの問題集を手渡されて 「これで正答率8割まで持っていけば合格は確実です」 と、黒いスーツを着た長髪の男が自信たっぷりに宣言をした。「正答率8割」 とは言われたがそれでは不安なので正答率10割ちかくまで自らを鍛えて本番に臨んだら、配られた試験用紙には、先の問題集にあったものとはまったく違う設問が並んでいる。

狼狽して 「他のヤツはどうなんだ?」 と、ななめ前に座った同年代の男の答案用紙を見ると、これが間違いだらけだったから 「ダメだ、人はアテにはならねぇ」 と必死に数式を書き連ね、しかし 「あー、この試験には落っこった」 と、当時は茗荷谷にあった、どこかの大学の校舎を借りた試験会場を後にした。

ところが数ヶ月後に30日ほどの旅行を終えて日本に帰ってくると、オフクロが 「労働省だかどっかから何かの試験に合格したって通知が来てたよ」 と言うから 「あっ、あの公害の? へー、受かったのか」 と、まるで狐につままれたような気がした。

なぜこのようなことを書いたかといえば、最近 「公害防止協会」 というところから盛んに 「公害防止管理者」 の資格を若い人に取らせないかとの勧誘の電話がかかり、うるさくて仕方がないから 「オタクではないかも知れないけど」 とむかしの経験を述べたところ、数日経って 「ウワサワタクヤ様は確かに、私共の講習を受けていらっしゃいます。昭和54年でしたね、受験番号 "4440" で合格をされていますが、その節には大変にご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」 と言ってきたからだ。

「自分の不利になることを開けっぴろげちゃって、公害防止協会ってのは、案外まじめな団体だったんだな」 と見直したが、しかし現在の予備講習の受講料は20万円を超える。これを受けての合格率は、営業係に訊いたところでは7割とのことだった。まぁ 「受かってしまえば安いもの」 なのかも知れない。

午後遅く、観桜会の案内を同学会ホームペイジへ出すよう、アルガヒロシ明日館長より画像付きのメイルが入る。早速にペイジを整え、サーヴァーへ転送する。次いで先日、一夕の酒席を共にした同級生コモトリケイ君より、無事バンコックに着任した旨のメイルが届く。「噂に違わず暑いですね」 とは、下見も含めて彼の地には1度も足を踏み入れていない者の、いつわりのない感想だろう。

初更、グリーンアスパラガスのオリーヴオイル炒め、ほうれん草のグラタン、煮込みハンバーグをおかずとしてメシ1杯半を食べ、飲酒は避ける。

8時前より入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時すぎに就寝する。


 2006.0327(月) "Sanba de gogo"

6時に起床して事務室へ行き、いつものよしなしごとをしてそのまま事務室にいる。給与の支払日は就業規則では毎月の28日になっているが、なぜかウチでは昔からこれを27日に出す習わしがあり、だから7時40分をすぎて出勤する社員に次々とこの封筒を手渡す。

年長の友人ヨコタジュウドーのお母さんが亡くなって今日はそのお葬式があるため、ホンダフィットの助手席にオフクロを乗せて 「菊屋ホール」 へ行く。ヨコタジュードーは柔道整復師で、僕は子供のころから関節のどこかをひねるたび、このお母さんに包帯を巻いてもらった。列席者には、日ごろの患者らしい姿も多く見られる。

10時をすぎて導師のクワカドシューコーさんが読経をする中、満席の式場に携帯電話が鳴り出す。

ヨーロッパのどこかの列車について、乗客の持つ携帯電話の呼び出し音がすべてデフォールトの電子音のため、日本とは異なりそれが鳴ってもさほど気にはならないと、チューリッヒの保険会社に勤める下級生のゴーダタカシ君がむかし、卒業生のメイリングリストに書いていたことを思い出す。それに比しての今日の呼び出し音は 「ブンブカブカブッ、タタッタ、ブンブカブカブッ」 という大音量のサンバだったから 「こいつは凄げぇや」 と感心をする。

昼に銀行や郵便局をまわる途中に 「糸屋」 蕎麦屋の前を通りかかると、外に立てかけた黒板に 「生わかめ蕎麦」 の文字がある。「うーん、これは温ったかい汁蕎麦なんだろうなぁ」 と考えつつのれんをくぐり、それを注文してみる。やがて席へ運ばれた器には 「これでもか」 というほどのワカメが盛られ、その下にはほどよく煮えたぶつ切りの長葱、そして一片のかまぼこが清潔な風情を感じさせる。ひとくち食べて 「美味いなぁ」 と思う。「山葵を散らしても美味めぇだろうなぁ、原価は上がるけど」 とも考える。

夕刻に 「今日は有意義な事務仕事と無意味な事務仕事の両方をしたな」 という感想があって、その無意味な方については明瞭に記憶をしているものの、有意義な方については 「はて、何だったっけ」 と、これを記憶から呼び戻すことができないのはなぜだろう。

東坡肉、鰆と野菜の南蛮漬け、筍の天ぷら、昆布巻き、2種のおこわにて芋焼酎 「白金乃露・黒」 のお湯割りを飲む。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0326(日) ヘイタン

5時に目を覚ます。洗面所の窓を開けたのはそれから30分くらい後のことだっただろうか。東北東から西南西にかけての数十キロに及ぶ日光連山は雲に覆われて、たとえその一部でも目にすることはできない。ところが事務室へ降りていつものよしなしごとをし、6時30分にふたたび外に目を遣ると、今度はカラリと晴れ上がった空を背景に山々のすべてが露わになっているから、まるで鮮やかな手品でも見せられたような気分になる。

朝飯は2種のおにぎり大根と油揚げとつまみ菜の味噌汁

新聞は主に、昼の食休みの際に腹這いで読む。その書評には毎日のように、読んでみたいと思う本がある。書名を記憶に留めてエレヴェイターに乗り、しかし1階に降りたころには頭は午後の仕事に飛んでいるから、つまり数分前に興味を惹かれた本が実際に注文されることはほとんどない。

それではいけないと何度かメモにしたことがあって、首尾良く届いた本を読むと、情けないことにこれがどうも面白くない。書評に取り上げらている本は、むかし少年雑誌の裏表紙にあった通信販売の 「空中で自在に方向を変える手裏剣」 とか 「カーテンの先が見える透視メガネ」 などと同じく、届いたところでガッカリする決まりになっているのかも知れない。

終業後に社員たちとのミーティングを済ませ、各自に "Vanilla Meringue Cookie" をひとつずつ手渡し、僕もそのヴァニラメレンゲクッキーを肴に事務机で "Macallan 12 Years old" のお湯割りをとり急ぎ飲む。なぜ急ぐかといえば町内の会議が控えているからで、初更6時に春日町1丁目公民館へ行く。

町内の役員が揃っての、春季例大祭についての会議は今回が最終のものとなる。来月の頭からは否応なしに皆が実戦に配備されるわけで、いま実戦と書いて思い出したがお祭も戦争と同じく、兵站をおろそかにすることはできない。それどころか兵站に齟齬が生じるようでは、お祭の成功は望めない。「主計衛生が兵隊ならば、蝶やトンボも鳥のうち」 などという戯れ歌を歌っているから日本は戦争に負けたのである。

8時に会議を終えてちかくの洋食屋 「金長」 へ移動をする。大方は生ビール、僕は燗酒を飲み、カツライスにて締める。ふと時計を見ると10時を20分も過ぎているから、酔った頭であれやこれやと世間話をしていたのだろう。

帰宅して入浴し、牛乳を150CCほども飲む。いつの間にかソファで眠っていたらしく、時刻はあと20分で日付が変わるところまで来ている。即、就寝する。


 2006.0325(土) "NewYork 1954.55"

4時30分に目を覚ます。きのうのことをあれこれと思い起こしてみれば、激しく肉体を使ってなにかをしたということはない。にもかかわらずからだ全体が疲れていて、枕頭の灯りに手を伸ばす気もしない。二度寝をして6時30分に起床する。

事務室を経由して店舗へ行き、本日の釣り銭を確認するくらいの簡単なよしなしごとをして7時に居間へ戻る。目を覚ましたときからさかんに 「疲れた」 を連発していたからだろう、オムレツを食べる元気はあるかと家内が訊く。オムレツを食べるほどの体力気力なら僕は1年中これを養っている。

したがって朝飯は生のトマト、べったら漬、プレーンオムレツ、メカブの酢の物、納豆、メシ、アサリと万能葱の味噌汁

"TO DO" のメモにあるうち、昨年までは僕がしていた仕事の一部を事務係のコマバカナエさんに任せてしまう。その他にもあれやこれやの仕事を諸方へ振って、「だったらオレはなにをするのか?」 というところが問題である。

月の断酒ノルマ8回のうちの7回を、今月は早くも23日に達成してしまった。つまり今月はあと1回だけ酒を抜けば良いわけで、これは楽なスケデュールだ。というわけで初更に "Chablis BILLAUD-SIMON 2004" を抜栓し、ウイリアム・クラインの写真集 "NewYork 1954.55" を開く。一見して分かることだが、この写真集の中には荒木経惟もいるし森山大道もいるし、また金村修もいる。

鯛のバター揚、グリーンアスパラガス、レタス、トマトによるサラダ、エノキダケとたらことつまみ菜のスパゲティにて同じワインをボトル半分ほどにまで減らす。

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0324(金) なにかの要請

4時30分に目を覚まして 「ツァイス紀行」 を開く。

田中長徳が愛用の各種M型ライカとコシナ製の最新ツァイスレンズを携え訪れたニューヨークで撮った写真、またこの街に自身が1年間を学んだ1980年代初頭の回想を織り交ぜつつ書いた文章から成るこの本は写真の色調も美しく、リヴァーサルフィルムの露出を勘だけで決めていく写真家の腕にはただ感嘆するしかない。

ただし文章は相変わらずのチョートク節で、「文法に照らしてもおかしいですよね」 などという生やさしさではない書き間違えや、ひとつのセンテンスのなかでの言葉の重複が多い。ワードプロセッサの変換違いをそのまま活字にしてしまった誤植も僕が気づいただけで5個所あり、枻文庫の編集者はしっかりせよと言いたい。

まぁ、僕がチョートクの書くものをどれほど貶しても、一方では同じ人物による写真集 「東京ニコン日記」 を愛してやまないのだから、ヴァランスはとれているだろう。

これを5時30分に読み終え、あるいは見終えて事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は蓮のきんぴら胡麻和え、納豆、メカブの酢の物、べったら漬、ハムエッグ、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。朝飯の画像はいつもメシばかりが白く飛ぶため露出補正をマイナスにしようと反省し、しかし次の日になるとしっかり忘れている

初更、自転車に乗って 「かみじょうカメラ」 へ行く。2月から3月にかけての東京で、ライカの 「エムニ」 で撮った中から選んだ数枚の紙焼きを受けとり、今度は飲み屋の 「和光」 へ行く。「春日町1丁目青年会新年会」 という名目の、しかし実質上は春の例大祭へ向けての打ち合わせに出席をする

前期は青年会長だったが今期は屋台巡行の裏方へまわる者に、今期の青年会長がなにかの要請をする。前期の青年会長はそれを受けて早速に壁へ向かい、段取りのための連絡をどちらかへ入れる

飲み会の最中に眠ってしまうことの多い僕だが今夜は9時30分まで正気を保ち、しかしながら皆はまだ座敷にいるからひとり中座して外へ出る。

10時に充分の余裕を残して帰宅し、入浴して牛乳を200CCほども飲む。

「夜間飛行」  サン・テグジュペリ著  堀口大學訳  新潮文庫  \520

をすこし読んで11時前に就寝する。


 2006.0323(木) そういう定食屋

障子の外が青く明るくなってきていることは知っていたがそのまま横になっている。台所兼居間で充電をしていた携帯電話が6時を報せる音を発したのを潮に起き出して着替えをする。

きのう仕事の合間に神保町交差点角の本屋で買った 「自転車泥棒」 のDVDは、なにしろ新品で500円だったからまともに見えるのかどうなのか、字幕はついているのかついていないのかなど不明だが、とりあえずこれを長男のために残置して玄関を出る。岩崎の屋敷の裏手を回り、鉤の手に折れた細い道を抜けて切通坂を下る

ここから下り特急スペーシアに乗るもっとも合理的な手は天神下から千代田線を使うもので、今朝はこれに従い7時前に北千住へ達する。"RICOH GR DIGITAL" をモノクロモードにして2枚の写真を撮った後、駅構内の回転鮨屋 「海鮮三崎港」 で納豆定食を食べる。

作り置きした料理を皿へ盛り、これにサランラップをかけて冷蔵のオープンケイスに並べる式の定食屋は、その商売の形態から味の良さには限度がある。いったん焼いて冷えた干物を電子レンジで温めても美味くないからそういう総菜はあっさり除外し、ケイスには冷や奴や納豆やポテトサラダなどはじめから冷たいもののみを置く、おかずはオムレツや野菜炒めなど素早く調理できるものを注文のあるたびに作る、他には湯煎しておける煮物を日替わりで準備する、夜はその総菜を肴として酒を飲ます、そういう定食屋が自分の行動範囲にあったら良いなぁと思う。

9時すぎに帰社して仕事に復帰する。午後、法務局を経由してちかくの銀行へおもむき、ここで70分ほどの滞在をする。あっという間に夕方になる。

外で飲む機会がこれから月末までたびたびあるため 「今日は飲まないよ」 と初更、家内に伝える。蓮のきんぴら胡麻和え、長葱を添えた鶏の付け焼き、鮪の刺身、豆腐の柳川風という飲み屋メニュ、および大根のべったら漬にてメシ1杯半を食べ、焼酎のお湯割りは我慢する。

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0322(水) 雨と桜

深夜0時30分に目が覚めてさほどの眠気も感じないため、枕頭の灯りを点けて 「ツァイス紀行」 を読む、あるいは見る。いささか疲れて時間を調べると1時30分だったため、灯りを落としてひと休みする。しばらくしてまた灯りを点けて本を開き、これを3度くりかえす。4時30分ごろに二度寝に入って6時に起床する。

下今市駅発7:04発の上り特急スペーシアに乗る。家内の作ったおにぎり5個を食べ、きのうの日記を作成する。

9時すこし過ぎに神保町の "Computer Lib" へ着く。我が今市市は周辺市町村との合併により今月20日から日光市になった。これにともない、ウェブショップの何十個所にあるか知れない会社の住所も更新することとなった。自分でできるところにおいては自分で更新してサーヴァーへ転送したが、注文ボタンがクリックされると同時に顧客へ送られる受注確認書や、事務係がブラウザから必要事項を打ち込み同じく顧客へ送付する礼状などのテンプレイトは、僕の知識では書き換えることができない。

これらの仕事、およびこの2年のあいだにウェブショップへ載せた新商品についての、誰も気づかないだろうが僕には気になって仕方がない部分の修正などをマハルジャン・プラニッシュさんにしていただき、先ずサーヴァーへ転送した後、僕のコンピュータも書き換える。

きのう自由学園を卒業した面々を同学会に招き入れる歓迎会の運営は今年、我々35回生が行うことになっているから夕刻5時30分に竹橋まで歩き、パレスサイドビル9階にあるレストラン 「アラスカ」 へ入る。僕に振られた役割は 「新卒業生接待」 というものだったが気がつけばひとつ後輩のキノシタカンジ君がそれを代行してくれている。だから僕は受付に留まり、知った顔が見えるたびに頭を下げるくらいのことをする

「自由学園同学会新会員歓迎会」 の儀式的な前半部分は予定どおり8時に完了した。その後は立食のパーティとなり、茹でた伊勢エビのマヨネーズ和えから始めて数皿の後にローストビーフへ至る。今夜の赤ワインは "Mouton Cadet Baron Philippe Rothschild " で、これは 「アラスカ」 のかなり良心的な、あるいは出血的な選択である

コーヒーとマカロンで締め、周囲と雑談をするうちに会はお開きとなって、宴会場の人影もまばらになってきた。時刻は9時30分が近い。何とはなしに1階のビヤホールへ移動し、35回生の打ち上げを行う

数十分後、パレスサイドビル東側にある小さな口から白山通りへ出ると小雨が降っている。財布には1万円札しかないからタクシーに乗るのははばかられる。幸い、チロリアンジャケットとハゲ頭を覆うベレー帽、それにオフクロがエールフランスの機内からもらってきた毛布を首に巻いているから今夜の雨量であれば傘は必要ない。携帯電話を開くと時刻は11時を1分過ぎていた。神保町の大きなマンションの桜が開きかけているその色を眺めながら駿河台下、御茶ノ水、本郷と歩き続け、11時31分に甘木庵へ帰着する。

それほど寒くもない晩だから入浴はせずシャワーだけを浴び、0時30分に就寝する。


 2006.0321(火) 寿命

5時に起床する。冬至と夏至の中ほどまで来たとはいえ、いまだこの時間の室内は水族館のように青く暗い。枕頭の灯りを点けて 「ツァイス紀行」 を開く。これを読んで、あるいは見て6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯は柴漬け、ほうれん草の油炒め、蕗味噌、納豆、メシ、豆腐と万能葱ときのうのかき揚げの味噌汁

午前、如来寺のお墓を訪ない、水、花、線香をお供えする。帰社して間もなく、オヤジの初彼岸にお線香を上げに来てくださる方が相次ぐ。その応対の合間を縫って当方も、オヤジに2週間遅れて亡くなった組内のタノイハカル先生の家へ、お線香を上げに行く。先日は町内のヌマオヨサブローさんも亡くなったから、我が春日町1丁目の顧問4名のうち3名は、指を折って数えられる月数のうちに失われたことになる。

終業後、本日出勤した社員たちがオヤジの写真を飾った祭壇の前へ集まり、次々に線香を上げてくれる。線香の煙は 「従業員一同」 と木札のある大きな生花の上を撫でて、換気扇の方へと薄れていった。

「今日は飲まないよ」 と言うと、家内は大抵 「えっ、飲まないの?」 と驚いたような顔をする。その 「えっ、飲まないの?」 ということばには常に 「飲めば良いのに」 というニュアンスが含まれているように感じられるから 「ふんじゃぁ飲むか」 と決心を翻すことも、月のうち1度くらいはある。

好き勝手に飲み食いをした人が亡くなったとき、もういちどタイムマシンで生まれたときに戻り、こんどはまるで清教徒のような食生活を送ったら前よりも長生きできるか、ということは試しようもないことなのだから、人は好きなものを食べ、好きなものを飲むべきだ、というのが家内の考えだ。

「タバコはたまにフランス料理を食ったりした後に1本だけ。晩飯が和食なら日本酒1合、洋食ならビールの小瓶1本。運動もそこそこして、しかしオレのオヤジは57歳で死んだんだぜ」 とは、いつか同級生が言ったことで、僕のオヤジも同じく、節制には熱心な人だった。

知り合いに健康オタクがいて、僕から見れば却ってからだに悪いようなことばかりをしているから 「そんなことしても、長生きできるかどうか分かんないよ」 と言ったところ 「オレは長生きをしたいんじゃないんだよ、自分が考えるところの健康的な生活ってやつを実践することが好きなんだな」 と返したから、それはそれで理屈は通っている。

こういうことを縷々述べてきて、なぜ僕は今夜、今月6度目の断酒をするか。それはやはり、病が怖いからである。病が怖いというよりも、病を得てからだのあちらこちらを切られたり針を刺されたりと、そういう医者にされる諸々が怖い。だから、果たしてその行為に効果があるのかどうかは未知数ながら、月に8度は断酒をする。

初更、オヤジのご仏前としていただいたかまぼこ、オヤジのいとこが作ってきてくれたちらし寿司、昼どきにお線香を上げに来てくださった方のために用意した寿司折のあまり、次男のための鶏の唐揚げ、シジミと三つ葉のお吸い物を晩飯とする。

入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0320(月) 区間快速

4時30分に目を覚まして 「目利きのヒミツ」 を読み、6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。

朝飯は、とここまで書いて後が続かないのは、いまこの日記は3月21日の朝に書いているわけだが、おととい19日の晩飯からきのうの朝飯までの画像がすべて無いため、その内容が思い出せないことによる。そして 「画像がすべて無い」 とは、カメラにカードを入れ忘れたことによる。

"RICOH GR DIGITAL" のマニュアルを調べると、カードを入れ忘れたときには 「カードがありません」 というメッセイジが出るとあるが、僕のカメラにその警告は無かった。カードを抜き差ししながらディスプレイを調べてみると、カードが入っているときには 「記録先」 をあらわす部分に "SD" と表示され、カードを欠いたときには同じところに "IN" の文字が浮かぶ。これは、カードの無いときには画像は内蔵メモリに記録されますよ、ということなのだろうか。

だったら 「カードがありません」 とは、どのような場合に表示されるのか。そしてもしもおとといの晩からきのうの朝にかけての画像が内蔵メモリに記録してあるとすれば、それはどのような方法により取り出すことができるのか。

と、またまたここまで書いてマニュアルを調べるとその117ペイジに、内蔵メモリからカードへのデイタの移し方が載っていた。結局、きのうの朝飯の内容は納豆、炒り卵とレタスのサラダ、柴漬け、納豆、ジャコと大根おろし、メシ、シジミと万能葱の味噌汁であったことを知る。ここで内蔵メモリを初期化する。

午前、如来寺のお墓を訪ない、水、花、線香をお供えする。その足で目と鼻の先の下今市駅へ行く。

新宿と日光あるいは鬼怒川を直に結ぶ新特急が今月18日より運行を始めたことに伴い、浅草までの所要時間こそスペーシアとそう変わりはないが料金は半額という快速がずいぶんと減り、その対策として、区間によっては各駅停車となる区間快速が増えた。この区間快速に乗り、これまでよりも25パーセントほど多い所要時間を以て新栃木駅に着く。用事を済ませてまたまた区間快速に乗り、「目利きのヒミツ」 を読み終えて午後の早い時間に帰社する。

初更、長葱、厚揚げ豆腐、油揚げ、椎茸、エノキダケなどを煮込んだカレー風味の鍋にほうれん草、大人用の脂身の少ない豚肉、子供用の三枚肉などを投入し、これを酒肴として芋焼酎 「白金乃露・黒」 のお湯割りを飲む。町内で 「金谷ホテル」 のパンを売る 「塚田屋」 さんからいただいたウドンは鍋に投入せず、盛りうどんとする。モグモグと噛んで食う良く締まったうどんは非常に美味い

すいぶんと風の音が強いので洗面所の窓を開けると、暗い日光の山には薄く雲がかかっているらしく、しかし中天には星が光っている。風上に向けて見開いた目はみるみる乾いてそのうち、ほこりらしきものも飛び込んでくる。あわてて窓を閉め、入浴して牛乳を200CCほども飲む。

「ツァイス紀行」  田中長徳写真・文  枻文庫  \714

をすこし読んで、あるいは見て10時前に就寝する。


 2006.0319(日) マカロン2個を酒肴として

深夜1時30分に目を覚まして 「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」 を読み終える。二度寝をして4時30分にふたたび目を覚ます。こんどは 「目利きのヒミツ」 を読んで6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。

朝飯はべったら漬、メカブの酢の物、タシロケンボウんちのお徳用湯波とほうれん草の炊き物、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。

毎日おなじ面積に置かれた朝飯の画像を撮って、しかしその合焦の具合がひとつに定まらないのは、どのような理由によるものだろうか。今朝の写真はメシにピントが合って、その向こうのおかずはぼけている。"RICOH GR DIGITAL" のレンズを絞り込んで三脚を使えば画像の歩留まりは良くなるだろうが、そこまでするのも大げさである。

きのうと変わらず日光の山々には雪雲があり、そこから強い寒風が吹き下ろしている。ただし天気は徐々に快方へ向かっているらしい。

事務机の脇へ置いたカレンダーにふと目をやると、今日のところに 「19:00 公民館」 とある。「瀧尾神社」 の1年間の諸行事に責任を持つ当番町には今年、我が春日町1丁目が当たっているため、春の例大祭までひと月を切ったこのところは、週に2度はそれについての会議が開かれているような気がする。それにしても今夜の会議は何のためのモノだろうかと考え、が、それが一体なにの会議なのかが分からない。

イワモトミツトシ区長へ確認の電話を入れると 「ウーン、そう言われるとオレも自信が、、、」 と言いよどんで何かを調べる気配があり、やがて 「今日は会議はありません」 という明確な答えがあった。

「だったら酒だ」 と考えつつ初更に居間へ戻る。

ほうれん草の辛子和え、「鯛の仲間らしい」 と家内の言う魚の塩焼き、同じくその頭とアラの煮物、小さな海老、薩摩芋の天ぷら、玉葱と舞茸と三つ葉のかき揚げにて 芋焼酎 「白金乃露・黒」 のお湯割りを飲む。その後、マカロン2個を酒肴として "Macallan 12 Years old" を生で少し飲む。

入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0318(土) 「目利きのヒミツ」

5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。7時が近づいて新聞を取るため外へ出てみれば、彼岸の飛び石連休への第1日目としてはなんとも頼りない、薄ら寒くて曇った空が見える。

朝飯は細い大根の漬物、きのうの夜に食べ残した和風ハンバーグとほうれん草のソテー、納豆、若筍漬け、 メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。

午後、所用により東武日光線に乗って栃木市まで南下をする。車中にて 「目利きのヒミツ」 を読む。

久我美子、原節子、山本富士子と、その時代を代表する美人が今はいないから誰を用いようか、たとえば吉永小百合が和服を着て立っている。普通の人は、その美人の姿の表面を見て 「綺麗だな」 とか 「品があるな」 と思うわけだが赤瀬川原平という人はたとえば、その美人の口から胃袋までグイッと腕を差し入れ、その肉体を、まるでゴム手袋のようにベロリと裏返してポンとその場へ置き、すました顔をして我々の前に呈示する、というようなことをする。

すると我々フツーの人々は、その美人の心の中を覗くなどといった陳腐なことではなく、まったく奇想天外な、常識からすれば到底想像もつかなかった物の見方を教えられたわけだから 「ハーッ、なるほど、そういう頭の働かせ方もあったか」 と驚き、あるいは感心する。

「目利きのヒミツ」 は赤瀬川の、そうした才能を濃くあらわした1冊で、これは同じ著者による 「千利休 無言の前衛」 に匹敵する面白さだ。

夕刻、栃木からこんどは東武日光線を北上して下今市駅へ至り、家内が運転するホンダフィットに乗って瀧尾神社へ直行する。6時30分からの余興委員会では、僕は枯れ木も山の賑わいの一部だから座敷の端に座り、ほかの役員と雑談などをする。会議の後にはビールやお酒が出るけれどそれには手を延ばさず、日本茶のみを飲む。

この直会を8時にお開きとして春日町1丁目の役員7名にて 「とんかつあづまの隣の中華料理屋」 と言い習わしていつまでもその名前を覚えられないでいる店へ行き、各自が海鮮焼そばあるいは海鮮湯麺の晩飯をとる。僕はここでも飲酒を為さず、首尾良く2日つづいての断酒となる。

9時すぎに帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。


 2006.0317(金) 実に困ったカメラ

6時に目を覚ます。きのうの午後、事務室のスツールに何気なく腰かけようとして軽いギックリ腰になったから思うように素早くは起きあがれず、また顔を洗うために腰をかがめることもできない。

冷たい牛乳を飲んで6時25分に甘木庵を出る。いつもの時間よりも早いのは、左のポケットに入れた "RICOH GR1v" で写真を撮ろうと思うからである。切通坂には進まず湯島天神の境内に入る。女坂から天神下へ向かおうとしたが間違えて男坂の上に出る。腰の具合も良くないからそのまま男坂を下り、シャッターを押しつつ上野広小路へ至る。

7時前に浅草へ着いてしまったから切符売り場のシャッターはいまだ開いていない。駅のまわりを1周して2枚の写真を撮り、始発の切符を買ってから "STARBUCKS COFFEE" へ行く。ハムとチーズのホットサンド、コーヒーの朝飯を食べる。

下今市駅から家内の運転するホンダフィットにて如来寺のお墓へ行き、お彼岸前の掃除と言いたいところだが僕は腰痛にてほとんど何の役にも立たない。強風の下で線香に火を点けるくらいのことをし、帰社して仕事に復帰する。

終業後、きのう神楽坂や湯島で "RICOH GR DIGITAL" により撮った画像をコンピュータへ取り込む。僕がかねがねライカで撮りたいと考え、しかし特に夜や室内では光の不足からものにできずにいた風景を、ISO800に増感したこの小さなデジタルカメラはいとも簡単に捉えてしまう。

「レンズはエルマーにズマールの50ミリが好きだったな、というより、僕の写真はスナップだからレンズには凝らないんだ」 という桑原甲子雄と同じく僕もレンズには凝らない。ではなぜライカを使うか、それはライカが好きだからだ。ではなぜ "RICOH GR DIGITAL" を使うか、使ってみれば分かるがこのカメラの操作性の良さは他に求めがたい。

「脳力開発」 という勉強がある。いつかこの講師が 「困難を楽しめるようになったらしめたもの。碁や将棋も簡単に勝てたらつまらないでしょ」 と言ったことがある。碁も将棋も、簡単には勝てないから僕はこれを好まない。ただし寝転がって活字を追うことには何の困難もないから、碁打ちや将棋指しについての本を読むことは好きである。物事は何でも簡単に運んだ方が楽で良い。

ただし今夕、自分の "RICOH GR DIGITAL" による写真を見たときには 「このカメラを使いさえすれば "WORKS" の更新なんてのはお茶の子さいさいじゃねぇか、しかし写真に限っちゃ、あんまり簡単なのも面白くねぇな」 と感じた。 "RICOH GR DIGITAL" とは、実に困ったカメラである。

居間へ戻ると、次男が食卓の上でボウルに入った挽肉をこねている。「それ、なににするの?」 と訊くと 「和風ハンバーグ」 と、僕の方を振り向かないままに答える。

マカロニサラダ、しもつかり、若筍漬け、ほうれん草のソテーを添えた和風ハンバーグにてメシ1杯半を食べ、しかし肉のかたまりはずいぶんと大きかったから3分の1ほどを残す。今夜は久しぶりに飲酒は為さない。

入浴して牛乳を飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0316(木) マールにしよう。

目を覚ましてそのまま闇の中にいるうち、部屋の中がすこしずつ青みを帯びてくる。「寝過ごしちゃいけねぇ」 と頃合いを見計らって起床し、洗面所へ行くと、100円ショップにでも売っていそうな小さな時計が5時を指している。事務室へ降りて 「今日、会社が動き始めたらオレは何をすべきだったか」 と考え、それをメモにする。また、きのうの日記を書くなどのよしなしごとをする。

7時に居間へ戻る。朝飯は納豆、細い大根の漬物、ほうれん草の胡麻和え、メカブの酢の物、しもつかり、メシ、ワカメと万能葱の味噌汁

下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。車中では

「目利きのヒミツ」  赤瀬川原平著  知恵の森文庫  \560

を読む。「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」 はいまだ読み終えていないが本日はバッグを持たないから、表紙の厚いあの本はマウンテンパーカのポケットにかさばりすぎる。

北千住から大手町を経由して飯田橋へ至る。駅から地上へ出ると雨が降っている。小雨ではあるが、傘をささずに済むほどのものではない。神楽坂で傘を買うとその直後に雨は止む、というジンクスの僕は持ち主だが、背に腹は替えられないから坂を上がっていく途中の化粧品屋で真っ赤な傘を1,000円にて購う。

3月下旬より新日本石油のタイ法人に社長としておもむく同級生コモトリケイ君は、肉まん屋 「五十番」 のすこし手前の喫茶店にいた。本多横町から更に細い路地へ足を踏み入れ、焼鳥の 「鳥しづ」 でふたりだけの送別会を行う。7時30分に店を出ると案の定、先ほどまでの雨は霧のように細かくなっていたから傘を開くことはない。そのかわりに台風を思わせる、生暖かくて強い風が吹いている。

目と鼻の先のバー "Salon de Bar" に移動して1杯目はダイキリ、2杯目はソルティドッグ、3杯目は "Hospices de Beaune" のマールを飲む。今年はじめての "Davidoff mini cigarillos" を吸う。三次会は湯島天神下のグラタン屋 「すいせん」 で、ペンネのグラタンを肴に赤ワインを飲む。

11時30分に甘木庵へ帰着する。入浴して 「目利きのヒミツ」 をすこし読み、0時30分に就寝する。


 2006.0315(水) 「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」

6時に目を覚まして 「あぁ、ここは甘木庵か」 と気づく。ゆるゆると起床してお湯を沸かし、熱いお茶を飲むともう6時30分がちかい。外へ出て、新築されて何年も経たない東大病院の、朝日を盛んにはね返している壁に目を遣る。今や廃屋のような旧棟も、またほとんど高層ビルのような新棟も、この病院はその壁の色を大昔のタイルの茶色に統一している。

切通公園のある細い裏道から春日通りに出て切通坂を下る。天神下から最近はカラスだけではなく鳩までもが残飯をあさる湯島の繁華街を抜け、上野広小路で地下鉄銀座線に乗る

質の良い米による炊きたてのメシ、大根と人参と牛蒡を具にしたいつも熱い味噌汁、ベーコンエッグは大好きだが血中の脂肪濃度を勘案して最近は納豆や冷や奴やポテトサラダばかりを選んでいたおかずの美味さ。そういう朝定食を出した 「とんかつ会津」 が浅草の地下道から消えてしまったから仕方なく外へ出て短い散歩をする。7時を過ぎたところで "STARBUCKS COFFEE" へ入り、サンドウィッチとコーヒーの朝飯を食べる。

7:30発の下り特急スペーシアに乗る。車中、野見山暁治の 「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」 を読む。これは、時代に恵まれなかった美校生たちの小さな展覧会であり、また野見山から彼らへ宛てた弔辞でもある。

希代の不良だった佐々木四郎が召集され、北へ向かうべき上野駅に級友たちは彼を見送る。当時の美校生たちが愛した猥歌 「チャカホイ」 が高唱される中、佐々木四郎はリュックサックを放り投げ、下駄を脱いで踊り始める。

「佐々木は踊りながら階段を一段ずつ上がっていき、手前の低い天井に遮られて、上半身から少しずつ見えなくなり、ついに踊っている裸足の足先が白く残像のように浮いて、私たちの視野から消えていった」

終戦を知っていたか知らなかったか、とにかくその佐々木は1945年の8月24日、フィリピンのミンダナオ島で殺される。「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」 は、桑原甲子雄と児玉隆也の共作 「一銭五厘たちの横町」 に並ぶ、後世に残すべき本のひとつだ。

初更、富貴豆、ほうれん草の胡麻和え、しもつかりにて芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。仙台から人の送ってくれた牛タンを、卓上にてモヤシやキャベツと共に炒める。長芋の浅漬け、大根の浅漬けにも箸を伸ばすが米のメシへ至る前に満腹になる。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0314(火) 猿酒と口噛み酒

深夜1時30分に目を覚まして 「東京ニコン日記」 を開き、文章も多いこの写真集を見終えて、あるいは読み終えて3時前に起床する。事務室へ降り、はからずも早起きができたときに行うこととしている顧客名簿の更新に手を着ける。この仕事は神経の集中を必要とし、だからあれやこれやとうるさい日中にはできない。明け方より製造現場へ入って小一時間ほどの作業に従い、事務室へ戻って後はきのうの日記を書くなどのよしなしごとをする。

7時に居間へ戻る。朝飯はタクアン、納豆、ピーマンの油炒め、しもつかり、メシ、豆腐とワカメと万能葱の味噌汁

午前中より所用にて宇都宮へ行き、昼過ぎに戻って仕事へ復帰する。ドタバタと忙しくして下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。車中では

「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」 野見山暁治著 平凡社ライブラリーoffシリーズ \1,575

を読む。僕が知る限り、乗車中にコンピュータを使ったり本を読んだりする際の最も楽なテイブルは、東武日光線スペーシアのそれである。

北千住より千代田線に乗る。新御茶ノ水を経由して神保町へ達する。6時すぎにA2出口を上がっていくと、空にはいまだ夕刻の青味が残っていた。ずいぶんと日の延びた気がする

「三鷹会」 とは、かつて東京大学三鷹寮に住んだ人たちの団体で、数ヶ月にいちど竹橋の 「学士会館」 へ集まり、その道の権威を招いた教養講座を持つ。僕は東大三鷹寮ではなく自由学園東天寮の出身だが、三鷹寮へは1957年に入られた西順一郎先生のご紹介にて、今夜はこの席に連なることができた。

今回の講師は、1956年の入寮にして日本醸造協会長の蓼沼誠先生が担当をされる。ウチが日本醸造協会員であること、また蓼沼先生が我が栃木県今市市のご出身であることから、西先生は僕にお声をかけてくださったのだろう。 「日本酒の甘辛はどのようにして決まるか」 「猿酒と口噛み酒」 「江戸期の経済と酒の消費量」 というような今夜の話題は僕の大好きな部類のものだ。また講義の後には資料で取り上げられたお酒の試飲会もあり、初春の一夕は大いに楽しかった。

西先生と共に9時すぎに外へ出る。数百メートルを歩いて 「さぼうる」 へ至り、ジンベイスやウォッカベイスのお酒にて二次会を行う。半蔵門線の改札口まで西先生をお送りした後に地上へ上がり、駿河台、御茶ノ水、本郷と歩いて11時ちかくに甘木庵へ帰着する。

入浴して布団に入れば時刻はもはや0時にて、ということは本日は23時間ほどは起きて活動をしていたことになる。枕頭の灯りで 「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」 をすこし読み、30分後に就寝する。


 2006.0313(月) 「こんなに上手くてどうするの」

3時30分に目を覚まして 「東京ニコン日記」 を見る、あるいは読む。4時30分に二度寝に入って6時30分に起床する。起きるのがこれほど遅くては仕事などできないから、居間や仏間などを往復して、あれやこれやする。

朝飯はしもつかり、大根の浅漬け、生のトマト、ほうれん草の油炒め、ワカメの鰹節かけ、メシ、まだある豚汁

事務係は自転車に乗って毎朝9時ちょうどに郵便局へ入り、郵便物を取って戻る。今朝はイリエチヒロさんが、まるで穀物でも入れるような頑丈で大きな袋を持ち帰ったから、なにかと思って中から段ボール箱を取りだし、更にそれを開けると、中身は "Lee Friedlander " の写真集 "Friedlander" だった。1辺が33センチの正方形、厚さ5センチほどの大部で、重さは4キロを超えるのではないか。自転車のカゴにこれを入れて走るのは、楽ではなかっただろう。

初更、この写真集を居間へ抱え上げ、はじめの数ペイジを見ただけで 「こんなに写真が上手くてどうするの」 と、大いに呆れる。本日の終業後はウェブショップの顧客名簿を更新していたため、帰宅が遅くなった。だから晩飯までの時間はそうはなく、いましも食卓には何かの届きそうな気配がする。写真の汚れることを恐れて早々にペイジを閉じる。

レタスとツナとトマトのサラダでは、バキュバンで栓をしておいた "Chablis BILLAUD-SIMON 2004" を、ステーキ用には新たに "MontGras Cabernet Sauvignon Chile Colchagua 1996" を抜栓し、これを飲む。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0312(日) 見飽きない写真集

4時45分に目を覚まして5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動してからはウェブショップの受注を確認する、夜のあいだにファクシミリで届いた紙、否、ファクシミリで届くのは紙ではない、だったら何だろう、とにかく重なった紙をその内容に応じてあちらこちらの机上へ置く、またきのうの日記を作成するなどのよしなしごとをする。

7時に居間へ戻る。朝飯は胡瓜の古漬け、大根の浅漬け、味芳のジャコ、しもつかり、昨夕のすき焼きの残りと水菜のおひたし、納豆、メシ、まだある豚汁。甘いことを主な理由として僕はすき焼きをあまり好まないから、家族は僕の不在に狙いを定め、これを食べるらしい。

きのうは晴天に恵まれたが日曜日の今日は朝からうすら寒く、昼に小雨、夕刻にはあられと思われる冷たいものが降った。

社員とのミーティングを済ませて初更、エレヴェイターを2階で停めてワイン蔵から "Chablis BILLAUD-SIMON 2004" を取り出す。4階の居間へ上がってこれを抜栓し、グラスをかたわらに置いて 「東京ニコン日記」 を見る、あるいは読む。春のお祭りについての話し合いが7時より春日町1丁目の公民館で開かれるため、普段よりも高い速度でこの出来の良いワインを飲む。

プリーツレタスとクレソンとトマトと水菜と鮪のサラダ菜の花と生ハムのスパゲティにても、その速度を落とすことなく同じものを飲み続け、瓶の残量を200CCほどにする。

公民館へ出かけて1時間後に帰宅する

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0311(土) 詭弁

3時30分に目を覚ます。僕が製造現場で仕事をするときにするマスクと同じものをして、やはりなにか食品を作っている男の姿がまぶたに残っているが、これは実際に目で見たものではなく、夢に出てきたものだろうかと考える。そういえば立ち飲みのもっきり屋に入ろうとしてその引き戸へ手をかけ、しかし 「ダメだ、今日は断酒の日だった」 と、きびすを返したのも、今朝の夢の中でのことらしい。

枕頭の灯りを点け 「東京ニコン日記」 を見る、あるいは読む。携帯電話は事務室へ置きっぱなしだから、5時にセットしたアラームが鳴り続けるといけないと考え、4時45分に起床してエレヴェイターを降りる。事務室から製造現場へ移動して小一時間ほどの作業に従い、事務室へ戻ってからはいつものよしなしごとをする。

朝飯はしもつかり、大藤の千枚漬、味芳のジャコ、納豆、メシ、まだある豚汁

ウェブショップについて、この10日ほどのあいだに完了したいことを箇条書きにし、"Computer Lib" のマハルジャン・プラニッシュさんに宛ててメイルで送付する。同じくウェブショップについて、できればこの40日ほどのあいだに完了したいことを箇条書きにし、こちらはデスクトップに保存する。

初更6時30分に瀧尾神社へおもむき、春季例大祭の余興について話し合う会議へ出席をする。出席はしても僕は余興委員ではないから座敷の端に座り、出席者の頭数を数えて今夜の会議費の割り振りをするくらいしか仕事はない。会議の直会にはお酒が出たが、僕は家から神社までの僅々400メートルをホンダフィットにて移動していたからもちろんその器には手を延ばさず、熱いお茶を飲む。2合、3合と杯を重ねるうちしっかり腰の落ち着く人もいて、すべての客が去ったのは8時すぎだった。

町内の役員4名にて我が町の繁盛店 「びしゃもん」 へ行く。3名は名物の焼きうどんを注文したが、僕の家の昼飯は焼きうどんだった。従って僕だけは野菜サラダカレーライスに載せたチーズをこんがりと焼いたカレードリアを食べ、熱いコーヒーにて締める。

「びしゃもん」 が旧店舗から数十メートル離れたところに新店舗を作り、全席禁煙としたのは立派だが、同時にすべてのお酒をメニュから外したのは大英断だ。ウェブペイジやメニュや店内に掲示したものなどで、僕の感覚からすれば仰々しいほどに健康というものを謳い上げている店がある。そういう店はすべからく、酒の提供を止めたらどうか。「酒も適量を飲めば体に良い」 などは詭弁である。

帰宅して入浴し、牛乳を150CCほども飲む。「東京ニコン日記」 を見る、あるいは読んで9時30分に就寝する。


 2006.0310(金) 「一日不作、一日不食」

遅寝の人にとってはいまだ深夜にも至らない午前0時台に目を覚ます。。「笑伝 林家三平」 を読み終えて他に活字はない。居間へ行って 「東京ニコン日記」 を手探りで探し、ベッドへ戻ってこの分厚い写真集を見る、あるいは読む。

二度寝をして5時に起床する。製造現場にて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動して後はきのうの日記を書くなどのよしなしごとをする。社員旅行中にいただいたウェブショップへのご注文には、正式の受注確認書は10日にお送りする旨のメイルを逐一、お客様にはお送りしてきた。これの処理については今朝から事務係のコマバカナエさんが従うだろう。ファクシミリによるご注文には、同じくイリエチヒロさんをこれに当てるべく、その紙を当人の机上に重ねる。

7時に居間へ戻る。朝飯は胡瓜のぬか漬、はれまの 「やさい」、味芳のジャコ、しもつかり、玉子と万能葱の雑炊。

「一日不作、一日不食」 とは、子供のころ勉強を教えていただいていたナガシマリサブロー先生の家に貼ってあった標語だ。他に 「今、自分は何をするべきか」 というものもあった。こうして日記を書きながら 「きのう、オレは一体、なにをしたんだろう」 と考えて思い出せないことがずいぶんとある。ナガシマ先生のお宅では 「一日不作」 であれば 「一日不食」 だったのかも知れないが、僕は1日なにも作らなくてもメシは食べる。

初更、鰻の 「魚登久」 へ出かけて杉板の壁を見ると、そこに 「春きゃべつサラダ525円」 という品書きがあって 「相変わらずアイガ君は商売が上手いなぁ」 と感心をする。「商売が上手い」 とはこの場合 「思わず当方が食べたくなるようなものを次々と繰り出してくる」 という意味である。「思わず食べたくなる」 のではあるけれど、あれこれ胃に入れると肝心の鰻の段になって腹が苦しくなるため、あえて注文はしない。

鞘に入ったまま炭火で焼いた空豆肝焼き、うざくを酒肴として 「片山酒造」 のカストリ焼酎 「粕華」 を生で飲む。「焼酎も生なら1合で充分だわな」 と考えつつ鰻丼にて更に1合を飲む。牡蠣が海のミルクなら、「魚登久」 の鰻は湖沼のミルクである。

帰宅して入浴する。腹が満杯のためなにも飲まず、9時30分に就寝する。


 2006.0309(木) 小名木川周辺

目を覚ましてしばらく後に携帯電話を開くと時刻は3時30分だった。「笑伝 林家三平」 を読んで4時に二度寝に入り、いつもより遅い6時に起床する。きのうと同じく、留守居役とはなかなかに疲れるものらしい。仏壇その他に水やお茶、また花や線香を供え、居間へ置いたコンピュータにてきのうの日記を作成する。

次男の朝飯はきのうと同じくカレーライス、僕の朝飯はきのうの鮪のたたきのあまり、同じく牛蒡と人参のきんぴら、蕗味噌、メシ、豚汁。

きのうと同じく8時すぎに顧客用トイレの改装業者を、9時すぎに冷蔵室の改修業者を社内に入れ、次いで郵便局へ出かけて郵便物を取って戻る。その後は電話番をする。

午後、かつて荷風も逍遙した小名木川のあたりまで所用にておもむく。この川は僕の渡った小松橋から3キロ下流で旧中川に注ぎ、その直後にこんどは荒川と合流する。断腸亭に倣って当方もこの街に2キロと少々の杖を曳き、押上を経由して北千住より下り特急スペーシアに乗る。

今夜は外でメシを食べることにしていたから、下今市駅にはサイトウトシコさんと次男とがトヨタカローラに乗って待っていた。次男の希望は訊かなくても分かっている回転鮨で、だから "JUSCO" の先の 「元気寿司」 へ行き、3人で3,000円弱の食事をして店舗駐車場へと戻る。折しも、僕より1時間遅れのスペーシアに乗った社員たちが続々と帰ってきたところにて、彼らを見送ってから家へ入る。

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0308(水) なんとも泣きたくなるような

目を覚ましていくらも経たないうちに携帯電話で時間を調べると4時前だった。「話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓」 を読み終えて5時になるが、留守居役の意外な繁忙に疲れたのか床を離れる気がせず、6時に至ってようやく起床する。

僕よりも先に死んだ人たちに水などを供え、きのうの日記を完成させると7時が近い。僕に声をかけられ飛び起きた次男の朝飯はカレーライス、僕の朝飯は胡瓜の古漬け、蕗味噌、丸赤の極辛塩鮭、メシ、豚汁。3月も8日に入ったとはいえ、家々の屋根にはいまだ厚く霜が降りている

8時すぎに顧客用トイレの改装業者を、9時すぎに冷蔵室の改修業者を社内に入れ、次いで普段は事務係のしているあれこれをこなす。その後は電話番をする。

1時30分に瀧尾神社の社務所へ行く。2時より始まる 「春季例大祭執行準備会議」 という名の、ものものしい会議に出席をして3時に帰社する。スーツから普段着に着替えて仕事に復帰する。

2週間ほど前にまとめて注文してあった "Macallan 12 Years old" が届いたと、森友地区にあるディスカウンターから夕刻に電話が入り、早速に出かけて持ち帰る。これは、オヤジの死去に際してお世話になった方々のうち、特にアルコール中毒患者に近い方々へお配りをするためのものである

初更に次男の漢字練習を督励する。次に国語の教科書の音読を聴き、ノートに貼り付けた表に 「よくできました」 の二重丸を書き入れる。先ほど練習した漢字をすべて覚えたかテストをし、晩飯の席へ着く。

鮪のたたき、牛蒡と人参のきんぴら、しもつかり、冬菜の胡麻和えにて芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。米のメシは食べず、イチゴにて締める。

入浴して牛乳を200CCほども飲んだところに家内から電話が入る。

昨年の11月22日、オヤジの通夜にヨシダゲンゾーさんの姿を見つけて僕は恐懼した。ヨシダさんは僕の友人だが大阪の居酒屋の社長だから 「わざわざ来ることないのに」 と思った。翌朝、本人に電話で礼を述べたところ、当夜はたまたま東京に出張中だったとのことだったが、ヨシダさんの行動は僕の身に深くしみた。

春の社員旅行先を京都に定めると同時に翌日は大阪へ移動することとし、当日の晩飯はヨシダさんの 「八角梅田店」 でお世話になることを決めた。「くれぐれもご損の無いように」 との僕のメイルに対するヨシダさんの返信は、ちなみに 「心配ゴム要」 というものだった。

そして午後9時10分現在、ヨシダさんは家内の携帯電話を借り受け 「非情事用の携帯電話ですが、奥様とは間接耳接触をしてしまいました」 と、相変わらずの、なんとも泣きたくなるような、現在の日本語でいうところのオヤヂギャグを飛ばした。本日の晩飯の開始は5時30分だから、既にして3時間以上も宴会をしているわけで、みな大した体力である。

「笑伝 林家三平」  神津友好著  新潮文庫  \500

をすこし読んで9時30分に就寝する。


 2006.0307(火) 禁忌

目を覚ましてしばらく後、闇に携帯電話を開いてディスプレイを見ると3時45分だった。枕頭の灯りを点けて 「話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓」 を読む。この本の切ないところは 「話し言葉で読む」 というところだろう。現代の、それも平易な口語文と原文とのあいだに翻訳者の恣意的な解釈が発生することは否めない。

5時に起床する。仏壇に水やお茶や花や線香を、居間に飾ったおじいちゃんや家内の母の写真に水を上げることなく自らがお茶を飲むことははばかられる。仏間のカーテンを開けたりコップを洗ったり蝋燭に火を灯したりと歩き回ってようやく、熱い日本茶を飲む。ところで僕のこのような行動は、信仰心によるものではない。無理に説明をすれば、目に見えないものを恐れ、生活の中に多くの禁忌を作り上げていった古代人の営みに似ている。

事務室へは降りず、居間のコンピュータにてきのうの日記を作成する。「家には父親しかいないとなれば、自分がボヤボヤするわけにはいかない」 とでも無意識の領域で緊張しているのか、声をかける前から次男は起きて着替えを始めた。次男の朝飯はきのうの唐揚げとメシと豚汁、それにふりかけ。僕の朝飯はきのうのトマトサラダと丸赤の極辛塩鮭、メシ、それに豚汁

社員旅行の日程に合わせ、冷蔵室および顧客用トイレの大規模な改装が本日より始まる。店舗には清掃業者が入り、だから本日は無人の社内で下請けも含めれば多くの業者が仕事をしていることになる。僕は事務室で電話番をしているが、ウチの商品を商売にお使いの会社から急ぎのご注文が入ることもあり、そのつど製造現場へ行って荷造りをする。

そのような最中に取引先から家族の不幸を伝える電話が入る。お葬式は明日の午後とのことだがその時間には瀧尾神社で会議があるから今夜のお通夜へ出席をすることとし、今日だけは仕事の終了時間を早めるよう、冷蔵室の工事をしている業者に頼む。店舗の清掃は午前中に完了した

花粉を防ぐカラス天狗のようなマスクをする人も目立つ街を歩いて蕎麦の 「糸屋」 へ行き、新蕎麦粉による十割蕎麦の大盛りを食べる。「ホトトギス季寄せ」 によれば 「新蕎麦」 は秋10月の季語だが、蕎麦が新物と呼ばれるのは実際には、いつごろまでのことなのだろうか。1時前に帰社して仕事に復帰する。

すべての業者を送り出した夕刻5時10分、ホンダフィットはこれまた社員旅行に合わせて修理中だから三菱シャリオに乗り、30分後に宇都宮の葬祭ホール 「はまつ斎苑」 へ着く。禅宗の読経を聞き焼香をして、7時35分に家の駐車場へ帰着する。

玄関の前まで来てオフクロは会葬御礼の封筒に入った塩の袋を破き、その中身を自らの白髪に振りかけている。葬式帰りに塩で身を清めるなどは生まれてこの方ただの一度もしたことのない僕は、その姿を見て 「そんなことしたら、アタマがしょっぱくなっちゃうぜ」 と言う。

着替えて胡瓜の古漬けにて "Macallan 12 Years old" のお湯割りを飲む。サイトウトシコさんと次男が食べているうちは横目で見ていたカレーライスを皿へ盛り、これにても同じものを飲む。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0306(月) 留守居役

0時をすこし過ぎたころと思われるが一度目を覚ます。「いまから眠れねぇとしたら穏やかじゃねぇな」 と思うがほどなくして二度寝に入り、5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動してからはきのうの日記を書くなどのよしなしごとをする。

7時前に居間へ戻り、今日は学校で漢字のテストがあるらしい次男の、それに備えた復習の手伝いをする。「ホケン」 の 「ケン」 とか 「ジッセキ」 の 「セキ」 などは僕でもしばしば書き間違えるが、これは小学生のころにしっかりその字を覚えておかなかった後遺症である。

朝飯は生玉子、しもつかり、白菜漬け、納豆、ほうれん草のおひたし、メシ、きのうの鶏レヴァのあまりと万能葱の味噌汁

毎年3月に行われる社員旅行は2000年より近場の外国ばかりへ行っているが、今回のそれについては 「社長が死んで海外でもあるめぇ」 と早くから考え、またオヤジの遺骨の一部を知恩院へ収めることは規定のことだったから、その行き先は京都に決めた。今日はその出発の日に当たる。

終業後、製造係の有志も含めた10人ほどが店舗に参集する。即、冷蔵ショウケイスの機械部分の掃除、また明日の清掃会社の仕事に備えての陳列棚や顧客用ベンチの片付けなどに取りかかり、30分後に作業を完了する。彼らはあらかじめ希望を出しておいた各々のホカホカ弁当を受け取り、自宅あるいは同僚の家へと向かった。

6時30分に居間へ上がり、弁当屋で買ったポテトサラダ、同じく鶏の唐揚げ、こちらは自家製のトマトサラダ、いただき物の焼き鳥をおかずにメシ1杯を食べ、豚汁を飲んで飲酒は避ける。

京都へ行くに当たっては、夜9時30分に宇都宮駅を発ち、翌朝6時30分に京都駅へ着く夜行バスが、時間を有効に利用する点においては最も有利だ。僕は7年前にこれを使い、たかだか数十メートルでも歩いて体をほぐすことのできる飛行機とは異なりほとんど座席に着いていなくてはならないこと、他の乗客への配慮から読書灯を使えないことの2点により辟易した覚えがある。しかし前述のとおりとにかく時間管理の有利さから往路はこの方法を選び、社員たちは7時30分に会社へ集合した。

社員の荷物を載せた三菱シャリオを運転し、徒歩でJR今市駅へ向かう彼らの後を追う。昨年の社員旅行には僕が付き添ったが、今回は家内が同行する。そして僕は留守居役を務める。

8時に帰宅する。入浴して牛乳を150CCほども飲み、「話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓」 をすこし読んで9時すぎに就寝する。


 2006.0305(日) あのメシ屋はどこへ行ったのか。

6時に目を覚まし、「話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓」 をすこし読んで起床する。6時30分すぎに甘木庵を出る。写真を撮りながら切通坂を降りて天神下交差点を渡る。空にはカラス、地上には浮浪者が飲食店のゴミをあさる繁華街を抜けて上野広小路へと達する。

浅草の地下街から 「とんかつ会津」 が消えたことは、知り合いのクロダアキラさんから数日前に知らされていた。銀座線を降りて問題の場所へ行ってみると、やはり 「会津」 の看板に灯りはなく、のれんも出ていない。そしてむかしは立ち食い蕎麦屋のカウンター、その後は板を打ち付けただけの壁だったところにいつの間にか低料金の床屋が出て、見慣れた風景に違和感を与えている

「オレがここで最後にメシ食ったのはいつだっただろう」 と思い出そうとしても明瞭な記憶はない。とにかく、甘木庵から朝帰りをするときのメシとして、ここ以上のものを出す店は浅草にも北千住にも発見できていない。「会津、どこに行っちゃったのかなぁ」 と考えつつ地上へ出て "Starbucks Coffee" の前を通りすぎ、「吉野家」 にて半熟玉子入りカレーと豚汁を食べる。

浅草駅7:30発の下り特急スペーシアに乗り、隅田川を渡る。9時すぎに帰社して仕事に復帰する。

終業後に居間へ戻り、次男の勉強机を借りて 「東京ニコン日記」 を見る、あるいは読む。お湯割りでは量が過ぎてしまうため、芋焼酎 「さつま島美人」 はガラスの馬上杯にて生で飲む

15分ほど後に食卓へ戻り、しもつかりを酒肴として今度は同じ焼酎をお湯割りにする。やがて豚と鶏の肉団子、エリンギ、エノキダケ、椎茸、油揚げを煮た鍋が運ばれるこれに水菜を投入する

「鶏モツをトロトロの生煮えで食ったら美味そうだ」 とは本日の夕刻に考えついたことにて、生のまま投入するとダシが濁るため一瞬だけ湯通しした鶏モツをそろりと鍋に沈め、頃合いを見計らって小鉢へ取りポン酢あるいは豆板醤にて食べると予想した通りにとても美味かった。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0304(土) 桜餅

目を覚ましてからどれほどの時間を闇の中で過ごしたかは知らない。じっとしていることにも飽きて洗面所へ行き、小さな時計を見ると4時になりかかるところだった。部屋へ戻って枕頭の灯りを点け、「代表的日本人」 開いて5時に最後のペイジへ至る。1894年に内村鑑三が英文で書き、多くの日本人は翻訳で読むことになるこの本は大変に面白いものだった。

起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は納豆、味芳のジャコ、大根と豚肉の炊き物、ほうれん草のおひたし、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁

旧暦の初午は3月6日だが、お稲荷さんのお祭りは瀧尾神社の都合にて本日になった。お稲荷さんに 「久埜」 の赤飯、しもつかり、清酒をお供えしたところにタナカ禰宜がみえる。僕はいまだ喪中にあるから事務室へ引っ込み、祝詞の奏上には立ち会わなかった。

2台のリコー製カメラ "GR1v" と "GRD" を左右のポケットに振り分ける。下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗って6時1分前に池袋駅のプラットフォームに足を着く。下今市駅から新宿へ直行するスペーシアが今月18日より運行し、その途中駅には池袋も含まれるが、所要時間、運賃、運行本数の3点により、当分のあいだ自分はこの線は使わない。

街の写真を撮り歩いているうち、古本屋にラルティーグの写真集が500円で売っているのを見つけ、しかし生来の荷物嫌いのため購入は避ける。6時30分に北口近くの居酒屋 「鞍」 へ行く。出席を表明していた計18名はほどなくして集まった。その完成から数ヶ月を経てようやく、「自由学園音楽集」 の制作と販売に関わる打ち上げを行う

10時に中締めとなり外へ出る。今夜はなにやら街に人の少ない気がする。丸の内線を本郷三丁目まで乗る。交差点角の 「三原堂」 には桜餅と共に、漱石の 「坊ちゃん」 にも出てくる 「大學最中」 のディスプレイがあった

甘木庵に帰着してシャワーを浴び、牛乳を飲もうとして冷蔵庫を開くとこれがない。そのまま布団へ横になり

「話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓」  長尾剛著  PHP文庫  \540

をすこし読む。灯りを落としてしばらくしたころに長男が帰宅する。推定で0時に就寝する。


 2006.0303(金) 露払いの人選

毎日のことながら、目を覚ましてしばらく、あるいは数十分経ってから枕頭の携帯電話を開くと、ディスプレイには4時前の時刻があった。「代表的日本人」 を読んで5時に起床する。事務室へ降りてウェブショップの受注確認やきのうの日記を作成するなどのよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。

着替えを終えつつあった次男をせかし、漢字練習の督励をする。その後の朝飯は白菜漬け、味芳のジャコ、はれまの佃煮、玉子と万能葱の雑炊

僕はほとんどブルーカラー系の仕事をしているから、スーツは持っていてもこれを日常に着る習慣はない。礼服は昨年の暮より葬式などが相次ぎ多く使ったため、またブレザーとパンツの組み合わせも、年に何度も着ないことからいつ洗ったかの記憶がなく、だからこの2着は洗濯屋へ出した。

本日はオヤジの百ヶ日が無事に済んだことを何軒かに報告する用事があり、しかし前述の2着はいまだ洗濯屋にある。しかたなく白いシャツにチャコールグレイのネクタイを締め、パンツは黒い安物を履き、黒いジャケットの替えは無いから同じく黒の、しかし冬に麻のコートを着てホンダフィットに乗る。10キロには満たない距離をこなして昼前に帰社する。

終業後間もなく、ほうれん草の胡麻和え、大根と豚肉の炊き物を自分の分のみ食卓へ持ち込み、「東京ニコン日記」 を読みつつ芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲み始める。やがて家族が集まって、目の前に鯛、平目、ヤリイカ、甘海老の刺身が運ばれる。今夜は僕が断酒をするとばかり考えた家内が茶碗へ盛ってしまったメシを、チンジャオロースーから最後の「(スー)」 のみを抜いた、つまり細切りにはしていない牛肉とピーマンの甘辛炒めをおかずに食べる

7時に春日町一丁目の公民館へ行き、当番町として臨む春の例大祭についての、青年会の話し合いに出席をする。下町の追分地蔵から上町の瀧尾神社まで、榊の大枝を引いて早朝5時30分に走り上がる露払いの人選には僕も関われて良かった。

8時すぎに帰宅し、入浴して牛乳を飲む。9時30分に就寝する。


 2006.0302(木) NIFTY-IDの解約

目を覚ましてしばらく、あるいは数十分経って時計を見ると3時になりかかるところだった。「代表的日本人」 を読んで4時30分に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動して後はきのうの日記を作成するなどのよしなしごとをする。

6時30分に居間へ戻る。朝飯はメカブの酢の物、大根と豚肉の炊き物、生のトマト、白菜漬け、味芳のジャコ、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の味噌汁

オヤジの死去に伴い昨年の12月に本人の携帯電話を解約したら、"docomo" からの請求は止んだが同じ番号による請求書が "KDDI" からは変わらず届く。問い合わせてみればこの契約は携帯電話で海外と通話をするためのもので、"docomo" と "KDDI" は契約においては連携していないから、こちらはこちらで別に解約申請をしてくれと言われた。

以来、銀行や法人カードから引き落とされていくあれこれを精査し始め、本日は遂に、1995年から使っていた自分の "NIFTY-ID" を解約する。電子メイルによる会議室の仕組みが優れていたためのこれは "ID" だったから、そのサーヴィスが無くなった今となっては必要がない。"NIFTY" によるインターネット上の閉鎖会議室をときおり訪ねることもあるが、こちらは法人として取得した別の "ID" があるから問題はない。同時に社員の "NIFTY-ID" もまとめて解約をする。

夕刻にインターネットのニュースで、久世光彦が死んだことを知る。何年か前の週刊新潮では、山口瞳と山本夏彦の文章のみを読んでいた。山口瞳が死んでからは山本夏彦の文章のみを読んだ。久世光彦がこの、あまり上品とはいえない週刊誌に連載を持つようになってからは久世光彦と山本夏彦の文章のみを読み、山本夏彦が死んでからは久世光彦の文章のみを読んでいた。つい先日の最新号まで連載の途切れていない久世光彦の文章は、森繁久弥の家を訪ねての聞き書きである。

1990年代の中頃だっただろうか、美しく幻想的な昔話を森繁久弥が週刊朝日に連載していたことがあった。当時モリシゲは80代で、いくら怪物とはいえその歳でこの文章は上手すぎると思った。「あれは実は、久世光彦が相当に手助けをしたものではなかったか」 というのが僕の想像だが、これは下司の勘ぐりだろうか。

終業後に紙の本酒会報を作成し、明日の投函分として整える

大根とキュウリとハムのサラダ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、鶏の唐揚げの南蛮漬け風白菜漬けにてメシ1杯半を食べ、飲酒は避ける。

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0301(水) 「東京ニコン日記」

5時に目を覚まして起床し、製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従う。事務室へ移動してからは毎月1日に更新する分の、今回は "WORKS" をサーヴァーへ転送する。

"WORKS" の写真は、1986年の正月に撮った 「侘助たちの午後」 以外はみな12枚の組写真である。それぞれに使ったカメラやレンズは最後の写真の次にあらわれる。ひと組12枚を1台のカメラ1本のレンズで撮ることを僕は理想としているが、現実はそう甘くない。

おととしの11月1日に更新した 「エルマーの秋」 は自分でも気に入っているもので、これは "Leica ?" と "Elmar 50mm F3.5" という古色蒼然とした組み合わせを用い、わずか4日の延べ日数で撮り終えた。そこへいくと最新の 「春雪」 などは5台のカメラと5本のレンズを使ってようやく12枚を揃えたわけだから、これは悪あがきといっても過言ではない。12枚の写真くらいサクサクッと撮れるようになりたいものだと望み、しかしそれがなかなか叶わない。

外では走るクルマのタイヤが水を切る音がするため雨とばかり思っていたが、4階へ戻って洗面所の窓を開けると家々の屋根には雪があった。「雪かきの道具も、もう必要ねぇだろう」 と考えてこれを片付けた途端に雪が降る、というのがこの季節の特徴かも知れない。

朝飯はメカブの酢の物、カキ菜の胡麻和え、納豆、味芳のジャコ、メシ、豆腐とワカメと万能葱の味噌汁

初更、次男の勉強机にて田中長徳の 「東京ニコン日記」 を読む、あるいは見る。これは本当に好きな本、あるいは写真集だ。その理由を探してみれば、「抒情性」 の一点に尽きるだろうか。"Macallan 12 Years old" のお湯割りを飲む

夕食の大根と豚肉の炊き物、鯛と鮪の刺身、水菜とトマトのサラダにては芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。白菜の漬物にてメシ1杯を食べる。

入浴して牛乳を飲んだか飲まなかったかは覚えていず、多分9時30分に就寝する。