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おれは天國の住人なのか それとも地獄に堕ちる身なのか わからぬ
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば  この現物と引き替えに 天國は君にやるよ
Omar Khayyam

 2014.0430(水) 有効利用

処分したい服がある。タンスの奥に忘れ去られたようにしてあった服だ。

その中には、高校生のときに買ったシャツが、汚れも擦り切れもせず、いつの間にか40年を経てしまった、という古いものもあれば、ある大会に参加費を振り込んだら記念品として送られてきたセーター、売り上げ金の一部が社会のための寄付になると言われて買ったTシャツ、仲間内のユニフォームとして注文したスウェットシャツなど、手を触れないままの新品も半分ほどは含まれている。

これらについては、南の国への旅のついでに持参して「すべて清潔です。どうぞお使いください」と、メイド宛の手紙を付けて部屋に残そうと、今年の初めまでは考えていた。しかし服は100リットルのスーツケースにも入りきらない量である。それと共に、旅の荷物はできるだけ少なくしたい。

そういう次第にて検索エンジンに頼るとすぐに、不要の服を有効に使ってくれる団体が見つかった。よって即、指定された大きさ以内の段ボール箱を社内に探し、これに当該の服を詰めていく。すると125リットルほどの容量の箱には、いまだすこしの余裕ができた。

団体はバッグの類いも引き取るという。そういうものも、実はたくさんあるのだ。「だったらこの際、それも出しちゃうか」と考える


朝飯 大根おろしを薬味にした納豆、鯵の干物、刺身湯波とウルイの淡味炊き、ほうれん草のソテー、トマトのスクランブルドエッグ、豆腐と揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 きつねうどん

晩飯 マカロニサラダ、刻みキャベツを添えた里芋のコロッケ、昆布の沖縄風炒め、お多福豆、"Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1995"


 2014.0429(火) 苦境

「ユニクロのヒートテックとユニクロのフリースセーター」による長袖2着の組み合わせを、きのうからはおなじ長袖でも「ユニクロのヒートテックと木綿のTシャツ」に替えた。ヒートテックを残しているのは、いまだすこし寒いせいだ。

気温が上がってくれば、長袖のヒートテックを半袖のポロシャツに替え、そこに長袖のTシャツを重ねる。更に気温が上がれば半袖のポロシャツ1枚になる。これが僕の仕事着の、冬から夏への移り変わりである。

ところで先日「レコーディングダイエット」ではなく「レコーディングショッピング」というものをテレビで観た。痩せることのみならず、金銭の節約においても記録することが効果を発揮するらしい

自分のあまりの金遣いの荒さから、とはいえ金色のブレゲや黒塗りのマイバッハを買うわけではない、メシと酒と本くらいがせいぜいだが、とにかく金が貯まらないので小遣い帳をつけることにした。2006年6月のことだ。

それで金が貯まるようになったかといえば貯まらない。なぜ貯まらないか、使うから貯まらない。なぜ使うか、こらえ性がないから使う。今月も初日にワイン24本を買って一気に苦しくなった。

そういう次第にて、先週末の「郡上八幡、白川郷の旅」で自分のために使ったお金は、お茶2本と古民家への入場料1回の計602円だった。

「この苦境を乗り切れば、来月の1日からは、また消費活動ができる」と考えてしまうところが僕の甘さである。5月には、小遣いの半分くらいは貯金に回したい。


朝飯 茄子の味噌炒り、鰯の丸干し、牛蒡と人参のきんぴら、ひじきの炊き物、切り干し大根とカキ菜と人参の漬物、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 ハンバーグサンドシフォンケーキ、ミルクティー

晩飯 トマトとレタスと胡瓜のサラダ、ポテトと人参とブロッコリーを添えたビーフステーキ、"Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1995"


 2014.0428(月) 体重

朝にかなりの量を食べても昼が近づけばひどく腹が減っている。昼飯を食べても夕刻に至ればやはり、晩飯が随分と待ち遠しい。僕の食べ物の好みが、カロリーの低いものに偏っているせいだろうか。しかしそのようには決して思われない。

僕の体重は昨年まで長く63キロを保っていた。これが64キロに増えれば少しく狼狽し、何とか元に戻そうと頭を巡らせた。

それが、今年に入ってからのこの日記を遡ってみれば、1月30日に61.5キロ、2月13日に60.5キロ、3月11日に60.1キロと漸減をしている。そしておととい下呂温泉の展望風呂で計ったそれは60.0キロだった。

64キロから4キロの減といえば、痩せた分は6.2パーセントだから、決して小さな数字ではない。そして2月27日に受けた胃カメラの検査では、異常は認められなかった。僕の現在のBMIは21.3で、これは標準の範囲だという。

1982年、南の国へ出かける直前の2週間に「グリル富士」のサーロインステーキを2回、「とんかつあづま」のロースカツを2回食べたら体重が2キロ増えた。いま同じことをしたら、体重はやはり2キロ増えるのだろうか。増えても今の僕なら直ぐにまた減ってしまうような気もする。


朝飯 野沢菜漬け、刺身湯波とウルイの淡味炊き、昆布の沖縄風炒め、納豆、鰯の丸干し、メシ、若布と厚揚げ豆腐と万能葱の味噌汁

昼飯 ソース焼きそば

晩飯 トマトとレタスのサラダ岩魚のソテー鶏のグラタンフランスパンチーズ"Chablis BILLAUD-SIMON 2012""Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1995"


 2014.0427(日) 郡上八幡、白川郷の旅(2日目)

畳の部屋に複数で泊まるときには、夜明け前でも明るく、且つ寒くない場所を、部屋の外に予め探しておく。本やコンピュータや通信端末をひとつの袋にまとめ、枕元に置くことも忘れない。そして案の定、午前3時50分に目を覚ます。

大浴場の入口に置かれたガラスの丸テーブルとスツールが、コンピュータを使うにちょうど良い関係の高さにあることは、きのう風呂に入ったときに調査済みである。そしてここで4時30分より、おとといの日記を書いてサーバに転送する

脱衣所の、すべての衣類入れに扉と鍵のあることもまた、きのうから知っている。日記を書き終えて後はこのロッカーにコンピュータを格納し、明けていく空と山の様子を露天風呂につかりながら眺める

07:55 「ホテルくさかべアルメリア」を出発
08:55 岐阜県高山市街を通過
09:08 道の駅「ななもり清美」着
09:22 高山西I.C.から高山清美道路に入る。
09:56 白川郷着

町内役員の親睦旅行では、以前にも白川郷に来たことがあるらしい。しかし周囲の景色に見覚えはない。狐につままれたような気分でバスを降り、広い川に架かった吊り橋を、ガイドや添乗員に導かれるまま渡っていく

そして対岸にある白川郷の集落に入って初めて、今は展望台行きシャトルバスの乗降所になっている狭い場所が、5年前の駐車場だったことに気づく。行政はこの5年のあいだに、この地域にかなりの情熱を投入したらしい

白川郷には中国人の観光客が目立った。ソニーの"NEX-7"にライカの古いレンズを合わせている「ツー」は、中国系とはいえ台湾人のような気もする。白川郷のような「奥地」に来る外国人は、京都や札幌や日光などの有名どころには既に来てしまった人か、あるいは、すこし毛色の変わった場所を好む、いわゆる少数派と思われるがどうだろう

合掌造りの長瀬家を見学して後は、満開の桜の花びらの散る道を、町内の人たちと離れたり、あるいはまた合流したりしながら歩く。随分と暖かいにもかかわらず、日陰には雪の残るところもあった。

11時15分に白川郷の駐車場を出ると、これから駐車場に入ろうとするクルマによる渋滞が発生していた。その渋滞は目測ではあるけれど、およそ2キロもの長さに及んでいたように思われる。我々がこの渋滞に巻き込まれなかったのは、きのうのうちから参加者に相談しつつ今朝の出発を早めた添乗員の手柄である。

12:20 「高山らーめん処板蔵」着
13:10 「赤かぶの里」着
14:20 上高地の目と鼻の先で安房峠道路を降りる。
15:10 松本市内を通過
15:27 長野自動車道の梓川S.A.着

16:01 車内ビンゴ大会でクオカードを当てる
17:08 妙義山付近を通過
17:10 上信越自動車道の横川S.A.着
17:40 下仁田市付近を通過
17:58 藤岡JKT.から関越自動車道に入る。

18:02 高崎JKT.から北関東自動車道に入る。
18:36 佐野田沼I.C.で北関東自動車道を降りる。
19:20 東武日光線の栃木駅北口着
20:07 「関東バス旅行社」鹿沼車庫着
20:59 日光市春日町交差点着

限られた時間内に、できるだけ遠くの、できるだけ多くの場所に立ち寄ろうとするのが、日本の団体旅行の特徴だ。往復1,000キロ以上を移動し、日本の奥地である飛騨高山まで達しながら、旅程は1泊だから、あちらこちらの名所を少しずつつまみ食いして、今回も前回とおなじく慌ただしく帰って来た。

「限られた時間内に、できるだけ遠くの、できるだけ多くの場所に立ち寄ろうとする」から旅は忙しくなる。その逆に、時間を限らず、できるだけ近くに出かけ、そこに腰を据えてしまえば、旅はのんびりしたものになる。次の狙い目は、そのあたりではないか。


朝飯 「ホテルくさかべアルメリア」の朝のブッフェ

昼飯 「赤かぶの里」の「飛騨牛豆乳しゃぶしゃぶ御膳」

晩飯 お多福豆、豚肉と人参と牛蒡の煮物、厚揚げ豆腐とカキ菜の炊き物、刺身湯波と三つ葉の酢の物、鮪の刺身、「齋彌酒造」の「ナンバリング純米大吟醸」(冷や)


 2014.0426(土) 郡上八幡、白川郷の旅(1日目)

町内役員の今年の親睦旅行は郡上八幡に白川郷である。毎月の積立金を預かる僕は、各自に小遣いを還付するという重責を、今朝は担っている。寝過ごすことは決して許されない。よってiPhoneには、きのう寝る前に4時15分のアラームを設定した。そして今朝はそのアラームより30分ちかく早い3時48分に目を覚ます。

05:28 日光市春日町の「いち縁ひろば」から「関東バス旅行社」のバスにて出発。
06:26 鹿沼市街通過
06:52 都賀町合戦場付近を通過。このあたりには瓦の立派な家が目立つ。
07:01 東武日光線の栃木駅北口着
07:43 佐野S.A.から東北自動車道に入る。

07:47 岩舟JKT.から北関東自動車道に入る。
08:01 朝食支給
08:23 高崎JKT.より上信越自動車道に入る。
08:50 妙義山付近を通過
08:55 上信越自動車道の横川S.A.着

09:15 シバザキトシカズさんが添乗員から僕に2度目の朝食をもらってくれる。
10:30 長野自動車道の梓川P.A.着
11:20 長野県伊那市付近を通過
11:55 中央自動車道の阿智P.A.着
12:10 昼食支給

13:30 東海北陸自動車道の瓢ヶ岳P.A.付近を通過
13:47 郡上八幡I.C.で東海北陸自動車道を降りる。
13:55 「郡上八幡博覧館」着
14:00 「郡上八幡博覧館」にて郡上おどりを見学
14:20 郡上市八幡地区を散策

14:30 「宗祇水」を試飲
15:00 郡上八幡を出発
16:20 JR東海高山本線の下呂駅を通過。
16:25 下呂温泉「ホテルくさかべアルメリア」着

聞くところによれば、バスの運転手は、日に400キロを超えて運転してはいけない決まりだという。今回のバスにはふたりの運転手が乗っている。そして本日の走行距離は530キロだったと、同じツアーの参加者は教えてくれた。

18:30 宴会開始
20:00 ホテル内でニューハーフショーを見学
21:30 就寝


朝飯 「関東バス旅行社」支給のおむすび同2回目のおむすび

昼飯 「関東バス旅行社」支給の「秘境弁当」

晩飯 「ホテルくさかべアルメリア」のお膳、燗酒、ビール


 2014.0425(金) 不思議な感じ

このところ何やら仕事をしている実感がある。

以前から薄々、否、薄々ではなく、はっきりと認識をしていたことだ、ウチには僕よりも頭の良い社員が何人もいる。あるいは「すべての社員は僕よりも優秀」と言い換えても誤りではないかも知れない。

事の発端は長年の勉強と経験にあり、その蓄積に、2合と少々の日本酒が触媒となって頭に浮かんだフォーマットを、製造部長のフクダナオブミさんは夜の食卓ですかさずメモに残した。

メモは翌日、長男の手を経て僕に届けられた。フクダさんのひらめきをコンピュータ上に具現化してくれ、ということだ。フォーマットはすぐにできた。しかしフクダさんのひらめきを実行する計算式が、僕の実力では導き出せない。

facebook上で助けを求めると、すぐにふたりの人が現れ、僕の話を更に聴き、数時間のあいだに答えを示してくれた。

それから数日後には、そのフォーマットは社内各所のコンピュータに配られ、そこに集められ計算された数字により、2014年4月以前にくらべれば、遙かに精密な仕事が実現されつつある。

仕事とは、頭、肉体、神経あるいは心など、からだの各部署を動かしてするものだ。しかし僕がこのところ覚えている「仕事をしている実感」とは、頭や体や神経を使ってのものではない。どうにも不思議な感覚である。


朝飯 たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、小松菜のソテー、カペリンの網焼き、若竹煮、牛蒡と人参のきんぴら、納豆、昆布の沖縄風炒め、メシ、豆腐となめこと万能葱の味噌汁

昼飯 焼きうどん

晩飯 「元気寿司」のあれこれ


 2014.0424(木) ピストル

高原の沼沢から発して音もなく湿地帯を蛇行していく底の見えない瀞とか、ゴム長靴の底の、数十もの突起からそれぞれ5本ずつ突き出た針を岩に食い込ませなくては立つことさえできない荒磯とか、そういうところで竿を振ることなく書斎でただただ釣りの本をひもとく、そういう人を西洋では"armchair fisherman"と呼ぶのだという。

とすれば、カメラといえば食堂のテーブルでそれについての本に目を通すばかりで写真は一向に撮らない、そういう僕は"stool cameraman"と揶揄されるのだろうか

フィルムの時代には、否、写真がアナログからデジタルの時代へと完全に移り変わっても、僕は未練たらしく"LEICA"を使っていた。それは美しい写真を撮るためではない。デジタルカメラには求めるべくもない速写性を、古くて小さな"LEICA"は持ち合わせていたからだ。

写真の世界がデジタル一色になった現在、求めるものが速写性のみという自分には、もはや"LEICA"は使いがたい。もっとも僕の"Ic"と"Snapshot-Scoper"の組み合わせにデジタルの撮像素子を埋め込んでくれる人がいたとすれば、話は別である。

"LEICA Ic"は、たとえて言えば小さなピストルだ。これがデジタル化できれば、僕にとって、これ以上のカメラは無くなるかも知れない


朝飯 人参と牛蒡のきんぴら、蕪と蕪の葉と油揚げの炊き物、若竹煮、野沢菜漬け、竹の子ごはん、あれこれの天ぷらと三つ葉の味噌汁

昼飯 たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、生玉子、竹の子ごはん、にゅうめん

晩飯 生ハムとツナのサラダシェパードパイナンチーズ、"Chablis BILLAUD-SIMON 2012"


 2014.0423(水) 当たりくじ

ここしばらく晴天が続いて有り難い。山の雪は随分と少なくなった。しかし気温は低い。数日前などは日中でも5℃までしか上がらなかったという。5月が目の前に迫っているというのに、僕はいまだ真冬と同じく、上半身には"UNIQLO"のヒートテックにフリースのセーターを重ねている。

夜に至って"mont bell"のダウンベストに袖を通す。"Patagonia"の"Men's Houdini Jacket"を外皮として着る。ヘルメットは次男にやってしまったから、やはり"mont bell"の毛糸の帽子をかぶる。そして自転車に乗って国道121号線すなわち会津西街道を下る。

日本酒に特化した飲み会「本酒会」は現在14名の会員を擁するが、実際に出てくるのは6名くらいのものだ。その6名に対して供されるお酒は1升瓶に3本だから飲みきれる量ではない。よっていつも会の始まる前には、余ったお酒を持ち帰る権利を獲得するためのくじ引きがある。

僕はそのクジを当てても大抵は、その権利を放棄して早めに帰る。しかし今夜は「齋彌酒造」の「ナンバリング純米大吟醸」を引き当ててしまった。

よって体内のアルコール濃度が適量に達したと思われる20時以降は余生のようにして過ごし、お開きの21時に至ってようやく、当該の一升瓶を自転車に載せて来た道を戻る。


朝飯 納豆、薩摩揚げと小松菜の炊き物、カペリンの網焼き、胡瓜のナムル風、生のトマト、メシ、豆腐とナメコと三つ葉の味噌汁

昼飯 スパゲティミートソース"Chez Akabane"のチョコレートケーキ

晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴あれやこれや冷やしたぬき蕎麦、3種の日本酒(冷や)


 2014.0422(火) 冒険譚

ガルシア・マルケスが死んだ。その記事を日本経済新聞の朝刊36面に見て先ず感じたのは「まだ生きていたのか」という驚きだった。「百年の孤独」から50年ちかくも、それを書いた作家の生きながらえるわけがない、という思い込みによる「まだ生きていたのか」だったのだろう。

僕は幻想文学、あるいはたとえそれが表現の一方法に過ぎないとしても、幻想的感興を読む者に与える文章については、内田百鬼園のものだろうと稲垣足穂によるものだろうと、そしてガルシア・マルケスの書いたものだろうと受けつけない。性に合わないのだ。

試しにこの日記を検索してみれば、マルケスの「エレンディア」を、僕は2004年11月から2005年2月までかかって読み終えていない。ドラッカーやゴールドラットに対すると変わらない苦行ぶりである。

そのマルケスの作品のうちの、しかし「戒厳令下チリ潜入期」だけは別だ。これは小説ではなく、背中や二の腕が泡立つほどの興奮を与えてくれる冒険の記録だからだ。

階段室の、いまだ整理を終えていない本棚に「戒厳令下チリ潜入期」を確認して、ホッと息をつく


朝飯 めんたいこ、すぐき、若竹煮、焼き鮭、納豆、竹の子ごはん、豆腐と揚げ湯波と大根葉の味噌汁

昼飯 サンドイッチ

晩飯 薩摩揚げと蕪の葉の炒め煮、鶏物肉の味噌炒め、若竹煮、油揚げと小松菜の酢の物、豆腐と長葱の味噌汁、「清開純米大吟醸」(冷や)


 2014.0421(月) 歯止め

昨年の秋から師走にかけて、自宅を大規模に片付けた。片付けに参加をしたのは家内と手伝いの人と専門の業者で、僕はほとんど関わらなかった。関わらずにこんなことを言うのも何だが、片付いた家は本当に気持ちが良い。そして「これからはモノよりも空間を大切にして生きていきたい」とFACEBOOKには書いた。

せっかく片付いた家にふたたびモノを増やすことは、厳に慎まなければならない。そのためにはどのような方法を用いるべきか。僕は1980年と82年の、旅の準備を思い出した。

この場合の準備とは持ち物についてのものだ。先ずは旅に持参すべき、あるいは持参したいモノをすべて書き出す。そして「これが無ければ旅ができないモノ」に◎、「あれば便利なモノ」に△、「無くても困らないモノ」に×を付けていく。

そして先ずは×印の付けられたすべてを除く。△の中からも、その半分ほどは除く。△を吟味しないと荷物はいつまでも減らせない。

△に石鹸、洗剤、シャンプーとあれば、シャンプーは真っ先に外された。髪を坊主にしておけば、シャンプーなど要らないのだ。それに対してゴム草履とシュラフカバーは必携で、このふたつを欠くと南アジアの安宿には泊まりづらい。

アタックザックで数ヶ月の旅をするほどの厳密さを以て、自分の物欲の歯止めとしたい。七分丈のズボンが欲しいときには、普通のズボンの裾を折り返せば良いのだ。


朝飯 納豆、グリーンアスパラガスのソテー、目玉焼き、すぐき、生のトマト、鰯の丸干し、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 油揚げの網焼き、野沢菜漬け、めんたいこ、メシ、鶏皮と豚バラ肉と大根のスープ

晩飯 烏賊の塩辛、ホッケの粕漬け、若竹煮、冷や奴、カキ菜のおひたし、長芋の梅酢漬け、竹の子ごはん、「渡邊佐平商店」の「清開純米大吟醸」(冷や)、ゼリー菓子、"CAMUS NAPOLEON"(生)


 2014.0420(日) 怠け者

目を覚ましてしばらく後に確かめた時刻が5時を過ぎていると「寝過ごした」という気分になる。ただし「いまだ真っ暗なうちに仏壇にお供えを済ませてしまったら、先祖は戸惑うに違いない」という後ろめたさは感じずに済む。

僕が子供のころの茶の間には毎日、火鉢に炭が熾きていた。湯は鉄瓶に煮えたぎっている。お茶を淹れるときには先ず、湯冷まし用の器で熱湯を冷ます。そしてしかるべき後に、その湯を急須に注いだ。

その湯冷まし用の器は、家を改築し火鉢を使わなくなって以降は目にしなくなった。

「箸置きも使えないような忙しい生活はしたくない」という理由から仕事をやめた人がいるという。当方は、湯冷まし用の器も使えないほど忙しいわけではないけれど、今はそのようなものは特に用意はせず、湯は湯飲み茶碗で冷ましている。

食堂で90℃に保温された湯をポットから仏壇用の湯飲み茶碗に注ぎつつ食器棚の時計に目を遣ると、時刻は5時29分だった。そして湯の冷めるあいだに、きのうの夕食後に洗って籠に伏せてあった食器を棚にしまう。

仏壇用の湯飲み茶碗のお湯を、今度は僕の湯飲み茶碗に移し、更にお湯の温度を下げる。応接間のカーテンは既に開けてある。応接間にある仏壇の扉も開けてある。湯飲み茶碗の、いよいよ適温になったと想像されるお湯を、茶葉の入った急須に注ぐ。

仏壇の花瓶は、夜のあいだは食堂の流しのちかくに移してある。その花瓶の、きのうの夜に替えた水を、また新しいものに替える。そしてそれを仏壇に運び、食堂に戻る。今度は味や香りを葉から充分に抽き出したと想像されるお茶を湯飲み茶碗に注ぎ、水を満たした別の器と共にお盆に載せて仏壇に上げる。線香も上げる。

この、家にいる限り僕が毎朝する務めを完了して食堂に戻り、時計を見ると時刻は5時40分になっていた。更に30分を費やせば仏壇を丸ごと綺麗にすることもできる。しかし生来の怠け者ゆえ、そこまではしない。


朝飯 トマトとレタスとマカロニのサラダ、鰯の丸干し、春雨サラダ、納豆、若竹煮、メシ、すいとん

昼飯 朝鮮風丼「久埜」の最中

晩飯 レタスと人参とコンビーフのサラダムール貝の蒸し焼きオリーヴイルのパン、「共働学舎新得農場」のチーズ「桜」、"Chablis BILLAUD-SIMON 2012"


 2014.0419(土) 罰金の使い道

今週の月曜日に行った本棚の整理に当たっては、読んで字のごとく、それが本のための棚であるにも拘わらず、つい置いてしまった本以外のものの片付けに手間取った。

その、つい置いてしまったものの中には貨幣も含まれる。紙幣はさすがに少なかったが硬貨はかなりの数に上った。硬貨のうちの半分は、おじいちゃんが海外に旅した際に持ち帰ったと思われる外国の小銭である。あるいはその小銭を用いて作ったキーホルダーである。

外国の小銭と、小銭を枠に収めて鎖を付けたキーホルダーは、僕には使い道がない。外国人が自国の通貨を投じることも少なくないという浅草寺の賽銭箱に、ザラザラとまとめて流し込んだら、寺の職員は迷惑をするだろうか。

さてもう一方の、日本の硬貨については、いくら古くでも右から左へと使えるものだから、先ずは金種別に整理をした。その結果、総額は5,659円と算出をされた

それにしても、一体全体この硬貨は何を以て集められたものだったか。家内によればそれは多分、次男が言葉を覚える時期に「バカ」と口から発した大人たちから徴収した罰金とのことだった。

であれば学校の寮から次男が帰宅した折にでもパーッと使ってしまうのが良いかも知れない。5,659円を家族5人で使える対象は何だろう。回転鮨の「魚べい」であれば、足りて余りあること確実である。


朝飯 春雨サラダ、鰯の丸干し、納豆、若竹煮、メシ、油揚げと万能葱の味噌汁

昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬

晩飯 ジャガイモとピーマンのサラダ、マカロニサラダ、木須肉、焼き餃子、白菜キムチ、鶏皮と豚バラ肉と大根のスープ、イチゴ、芋焼酎「白金乃露黒」(お湯割り)


 2014.0418(金) 花見

朝、始業して間もなく強めの地震があって、事務室がガツンと揺れる。店舗と事務室の収まる棟は、以前は地震のときにもほどんと揺れを感じることはなかった。

2011.0311に起きた大地震の後で、これを建てた建設会社の人を呼び、建物の強度について確認をしたところ、返事は「ビクともしない」というようなものではあった。しかし「あの地震以来、ウチの建っている土地の地盤が緩んだとか、建物のタガが外れたとか、そんなことはないのだろか」と不安に感じることはある。

終業後に事務室であれこれした後で自宅に戻り、仏壇に目を遣ると、早朝に供えた水とお茶が、お盆の上にこぼれている。朝の地震によるものだろう。

そのお盆を手に食堂に入ると、定時で上がった社員たちが丸テーブルを囲んで餃子を包んでいた。バットの上に並べられた餃子は当然のことかも知れないが、作った人の癖が表れていて面白い

そうして、その餃子と共に、家内と長男による自家製のおかず、また社員の持ち寄ったおかずにて、社員たちと花見をする。花見であれば3種の桜の咲く、味噌蔵の建つ庭でするのが常道だろう。しかし台所のちかくで行う便利さに負けたのだ。

桜は、庭のそれから伐りとった枝を壺に活けて良しとした。花より団子、である


朝飯 菜の花と人参のおひたし、トマトとマカロニのサラダ、若竹煮、鶉の卵の淡味炊き、切り干し大根の煮物、メシ、シジミと万能葱の味噌汁

昼飯 肉うどん柏餅

晩飯 胡瓜と若布のサラダジャガイモとピーマンのサラダモツ煮小海老とパンの揚げものグリーンアスパラガスの豚三枚肉巻き焼きスパゲティサラダ、水餃子、大根葉炒め油淋鶏春雨サラダ酢豚辣子鶏3種のきのこのすいとん桃の杏仁豆腐イチゴ胡麻団子マーラーカオ、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)


 2014.0417(木) 高い靴は安い靴

1976年から持ち続けた、甘木庵の"03-3816-3518"の電話番号を解約したのは今月3日のことだ。「38年前の電話機でもNTTは外しに来るのだろうか」と疑問に感じていたところ、後日そのNTTから連絡があって、電話機は返してもらう決まりだという。

電話機を返すためだけに上京はしづらい。回収係が訪ねてくるまで甘木庵で待つのも時間の無駄だ。そして先方には、ついでのある本日の日付と、電話機は玄関の外に、袋に入れて提げておくことを伝えた。

38年前には家庭用としては最先端だった電話機と、今のiPhoneを並べて写真に収めようとして、今回はデジタルカメラを持参していなかったことに気づく。今月10日に秋葉原の「赤津加」で、iPhoneで撮った画像が存外に良かったため「デジカメは、特別な場合を除いては、もう持つ必要はねぇわな」と感じたからだ。

電話機の入った袋を玄関のドアノブに提げて後は、地下鉄を乗り継ぎ8時20分に恵比寿に至る。そうしてウェブショップに関わる仕事を"Vector H"にて行う。

午後もおそくなってから、代官山に近い"trippen"まで歩く。そして先般、靴底の交換を頼んでおいた"sheet pull"を受け取る。この靴は買って今年で11年になる。底が新品になれば、これからまた11年は履ける勘定である

"trippen"の内底は、使ううち体重で凹んで、間もなく持ち主の足の裏と同じ形になる。次男はこの春に、10年物の"trippen yen"を長男から譲り受けた。今回、次男には内底の新品を買った。これを使えばお古の靴も、間もなく次男の足に吸い付くほどになるだろう


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬきそば、わかめトッピング

昼飯 「つるまる」のわかめうどん、竹の子の天ぷら

晩飯 「鮨よしき」のあれこれ、「一ノ蔵」の「石井稔栽培ひとめぼれ特別純米酒アルコール15%原酒」


 2014.0416(水) 歴史の勉強

「フランス語じゃあんめぇし」と、キーボードを打ちながら不審に感じた。ハ行の文字や言葉がときどきア行のそれになってしまうのだ。それは"Let's note"の"H"キーの反応したりしなかったりが原因と、直ぐに知れた。

キーボードは秋葉原の「LUMIX & Let'snote修理工房」で先月7日に新品に換えたばかりだ。1ヶ月と少々でおかしくなるわけがない。それでも今日はたまたまついでがあった。いまだ人のほとんど歩いていない早い時刻に秋葉原に至り、開店したばかりの「修理工房」に実機を預ける。

高等学校の2年か3年のとき以来だから、およそ40年ぶりに訪ねようとした「根津美術館」は生憎と休館の期間に当たっていた。よって恵比寿の「東京写真美術館」に方向を転ずる。

「101年目のロバートキャパ」を観ながらつくづく感じたのは、自分の歴史に対する無知さ加減だ。戦争とは、単一の国と国、単一の地域と地域が起こすだけでもややこしいところ、世界大戦ともなれば複雑さは幾何級数的に増して余計にワケが分からなくなる。薄暗い展示室で思い知らされたことについては本を見つけ、できるだけ早くに勉強をしたい

午後は大井町から秋葉原を経て湯島の天神下に至るそして冷やの樽酒を銚子に3本ほども飲み、切り通し坂を上がって甘木庵に入る。


朝飯 5種のおむすび

昼飯 "GLOSS"の肉蕎麦

晩飯 「シンスケ」のあれこれ、タルヒヤ


 2014.0415(火) 桜

先週の水曜日にはいまだつぼみだった枝垂れ桜の、花弁もそろそろほぐれる頃だろうかと、味噌蔵のある庭へ朝のうちに行ってみる。

柴折り戸を開き、むかしの飛び石からすれば風情も無くなったコンクリートを踏んで一歩を踏み入れると、先ず、染井吉野が満開を迎えていた。地面にはその花びらが控え目に落ちている。

「子供のころは、玄関脇の狭い部屋で、よーく遊んでいたんだよ」と、おととし102歳で亡くなったおばあちゃんから昔話を聞いたことのある小さな建物の脇を抜けたところで「おぉ」と思わず声を上げる。枝垂れ桜が、ステーキなら「ミディアムレアのすこしレア寄り」といった絶妙の塩梅で花を開いていたからだ

僕は知らなかったが桜の生命力は存外に強いらしい。この庭には数年前まで、実生から育ったと思われる染井吉野が他家に迫る勢いで、あるいは既にしてあった松と干渉する形で伸びていた。その2本については「このままにしておくと、弱って朽ちそうになったとききにはコンクリートの塀を壊して重機を入れないと手に負えなくなるかも」などと植木屋に脅かさたこともあり、根元から伐り倒した。

高いところで広く八方に枝を伸ばしていた山桜は、やはり植木屋の手により枝を大胆に落とされ、今年はごく少量の花しか見ることはできない。しかし青空を背にして見上げる葉の勝りがちな大木は、それはそれで山桜の涼しさ爽やかさを感じさせて悪くない

染井吉野、枝垂れ、山の、3種の桜はそれぞれがそれぞれの味を以て誰に頼まれたわけでもなく咲く。当方はそれを目に映して、ただただ呆けているばかりである。


朝飯 大豆と昆布と人参の炒め煮、鰯の丸干し、納豆、明太子、春菊と蛸の天ぷら、水茄子のぬか漬け、メシ、豆腐とほうれん草の味噌汁

昼飯 「玄蕎麦河童」のせいろ(大盛り田舎)

晩飯 しらすおろし、豚薄切り肉と胡瓜とレタスのサラダ、南瓜のマッシュ、明太子、豆腐と椎茸とほうれん草の吸い物2種のババロア、芋焼酎「白金乃露黒」(お湯割り)


 2014.0414(月) 棚割

早朝の仕事を終えて食堂に戻ると、既に日が昇っていた。日の出の方角は更に東に寄って、食卓の、僕の座る位置からは見えなくなった。天文に詳しい人に訊けば、その説明は専門的すぎて却って分からなくなるから敢えて訊かないが、夏至の日に太陽の昇る位置が真東、ということでもないのだろう、多分。

家のあちらこちらはおろか会社の領域にまではみ出し散らばった本をまとめるべく、昨年末に設けた空間に本を移すことを朝から長男とふたりでする。大したことも無かろうと思われた作業は、しかし当方の想像力の欠如から、最初から難航した

先ずは、これが本のために作った棚であるにも拘わらず、その便利さに負けて、ここに本以外の雑物を置いた、その雑物の片付けに時間を取られた。

雑物とは、例えば写真がデジタル化される前に撮られた紙焼きの写真である。あるいは知らぬ間に増えて行き場所を失ったトートバッグなどの布類である。更には、かつては長男の勉強机にあった地球儀であり、次男の幼いころのオモチャである。未使用の封筒であり、懐紙であり、祝儀袋である。

そのような諸々をまとめて捨ててしまえば話は早いが、中には結構な貴重品も含まれるため、それはできない。

いよいよ本の整理に入ると、しかし「フレッド・ブラッシー自伝」と志ん生の「なめくじ艦隊」と同じ場所に「ヴィクトリア朝の下層社会」は置けるのだろうか、とか「イエスの生涯」と「カモメのジョナサン」に「超能力を演出したショウマン・フーディーニ」を並べてバチは当たらないのか、などと考え始めて棚割がなかなか進まない。

羊歯や蔓草をかき分けつつ密林を進むような作業を続け、外も暗くなったところで、とりあえずは晩飯を食べることにする


朝飯 ほうれん草のおひたし、肉団子のトマト煮、冷や奴、メシ、若布とエノキダケと長葱の味噌汁

昼飯 「フジヤ」のタンメンバター

晩飯 大豆と昆布と人参の炒め煮、鰤の照り焼き、肉じゃが、ワカメと玉葱の酢の物、豆腐と芹の味噌汁イチゴ2種のババロア、芋焼酎「白金乃露黒」(お湯割り)


 2014.0413(日) ナホラヒ

霧降高原の雪が少なくなってきた。今は日光の山々も霞んでいるけれど、夏になれば緑の山が澄んだ空気の中に静かに、おっとりと、しかし鮮やかに在るところが見られるのだ。

東武日光線の下り特急スペーシアに乗りながら「窓の外の風景は、新緑から万緑に変わりつつある」と書いた記録が、おととし5月14日の日記にある。もう1ヶ月もすれば、本当にそのような日が現れるのだろうか。

小倉町5丁目の彫刻屋台がお囃子の人たちを乗せて日光街道を遡上していく。曳くのは当番町と小倉町5丁目の人たちだ。午後にはその屋台が会津西街道を仲町から春日町の交差点を目指し、そこから日光街道を下っていった。この2日間は春にふさわし日が続いて幸運だった

15時より町内の注連縄を外す仕事に従う。町内役員の、17時からの直会では"KIRIN FREE"を飲んでアルコールは避ける。そして早めに会社に戻る。

春の大祭が過ぎれば神社の社有林を視察する「山見」が待っている。そして閉店と共に提灯を下げ、赤柱を仕舞う。


朝飯 なめこおろし、トマトとレタスとハムのサラダ、納豆、明太子、背黒鰯の網焼き、メシ、"!Gracias pata negra!"に豆腐と三つ葉を追加した味噌汁

昼飯 担々麺

晩飯 胡瓜と若布とエノキダケの酢の物、肉団子のトマト煮、直会から持ち帰った弁当に入っていた白身魚のフライ、麦焼酎「いいちこ」(お湯割り)


 2014.0412(土) 春の大祭

小倉町3丁目、小倉町4丁目、桜木町、二宮町からなる4町の連合を当番町とする春の例大祭に責任役員として参列をするため、8時45分に瀧尾神社へ行く

この神社のお祭りは春季小祭、大祭、夏の八坂祭、そして秋季小祭と続く。そのうちの祭祀の部分は春の大祭がもっとも正式と思われる。その、「開扉」から始まり「撤饌」で終わる本殿の儀式は1時間を要して完了をした。

このお祭に際して、責任役員の半数は、神社に残って来賓と共に直会の席に着く。そしてもう半数は行列に加わり、各町の会所を回る。僕は過去ずっと神社での留守居役に当たってきた。ところが今年は渡御の一向に加わるよう責任役員のコミネシゲアキさんから要請され、承諾をした経緯があった。

渡御の行列は10時05分に宮出しをされた。そして春日町2丁目、春日町1丁目、住吉町、相生町、朝日町、河原町、大谷向町、清住町、東郷町、小倉町三丁目、二宮町、東町、小倉町5丁目、小倉町1・2丁目、小倉町4丁目、桜木町、平町、仲町の19町を、昼食を挟んで回る

快晴にして微風。その風が午後は強くなるひとときもあったが概ね爽やかな陽気にて、日差しに汗ばむこともなく一行は15時すぎにに宮入を果たした。行列の歩いた距離は8キロほどになるだろう。境内に張ったテントでの直会では飲酒は程ほどに留め、早めに帰社する。

閉店の少し前に事務室にいると、お囃子の音が聞こえる。日光街道まで出てみると、このお祭に協力する小倉町5丁目の屋台に着いて、当番町の一行が神社へと上がって行くところだった

春の例大祭は明日まで続く。これを無事に乗り切れば、当番町はひとつ肩の荷を降ろすだろう。


朝飯 ニラともやしのナムル、トマトとレタスのサラダ、納豆、蕪のスープ炊き、背黒鰯の網焼き、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁

昼飯 「つたや」の弁当

晩飯 神社の直会から持ち帰ったお膳、芋焼酎「白金乃露黒」(お湯割り)


 2014.0411(金) 経費をかけて経費を減らす

きのうの、日本橋から神保町への移動は仕事によるものではない。

神保町では先ず「さかいやスポーツシューズ館」で"KEEN"の靴の、自分の足にはどのサイズが適正かを調べた。次にやはり「さかいやスポーツ」の、しかし今度は「モンベルルーム」を訪ね、"montbell"の、センチ表示ではなく"S、M、L"表示のニッカーボッカーについて、自分の胴回りにはどれがちょうど良いかを確かめた。

その結果、"KEEN"の靴はサイズ8、"montbell"のニッカーボッカーは"M"を選べば間違いのないことが分かった。すべて、これらをウェブショップに注文するための下準備である。

ところでその下見の結果、"KEEN"の"Bleecker Lace CNX"は"trippen"の2足がある限り特に必要ではないことに気づいた。"montbell"のニッカーボッカーも、いま穿いている"UNIQLO"のズボンで充分に代用ができる。

「だったら、どっちも買うことねぇじゃん」ということが分かっただけでも、神保町への寄り道は意義があった。310円の交通費をかけて22,734円を節約。首尾は上々である。


朝飯 生のトマト、ほうれん草のソテー、明太子、厚揚げ豆腐の炊き物、背黒鰯の網焼き、納豆、「なめこのたまり炊」によるなめこおろし、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁

昼飯 キムチチャーハン

晩飯 明太子、人参とキャベツのサラダ、ニラともやしのナムル、鶏モモ肉の蒸し焼き、蕪のスープ炊き、メシ、麦焼酎「いいちこ」(お湯割り)


 2014.0410(木) 赤津加

枕の下からiPhoneを取り出し時間を確かめると午前2時10分だった。目を覚ましたときは1時台だったに違いない。早寝早起きも度が過ぎれば昼夜逆転である。起床して二度寝はせず、そのまま朝を迎える

きのう「花弁のほどけ具合が尋常でないほどに疾い」と書いた染井吉野は遠目にも花の開き始めたことが認められた。よって味噌蔵のある庭の塀ぎわまで行って、その様子を仰ぎ見る。

「歩行者に万一のことがあってはいけない」と、歩道に張り出した太い枝を伐り落としたのは昨初春のことだっただろうか。よって花吹雪の量も昨年と同じく、それほど多くはならないような気がする

所用にて長男と江戸川を越え千葉県まで行くそこから日本橋に出たろころで長男とは別れる神保町、水道橋と辿って秋葉原にてふたたび長男と合流をする。

1990年代からの勉強仲間だったムロハシタダシさんが、昨年末に病を得て今年の3月に亡くなった。秋葉原の名店「赤津加」は、家業を継ぐためムロハシさんが修業をしたところだ。ムロハシさんは、いまだ子供だった長男のことも何かと応援をしてくれていた。

17時の開店を待って「赤津加」の引き戸を開ける。そして正面にあるコの字型のカウンターの左角に長男と着く。そうして春のあれやこれや、またこの店の名物を肴に飲酒活動をしながらムロハシさんを偲ぶ


朝飯 肉じゃが、厚揚げ豆腐と春菊の炊き物、野沢菜漬け、トマトとレタスとスクランブルドエッグのサラダ、背黒鰯の網焼き、メシ、ナメコと揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦ワカメトッピング

晩飯 「赤津加」の突き出しの温泉玉子カンパチの木の芽焼き鶏モツ煮込み、他あれこれ、菊正宗樽酒(冷や)


 2014.0409(水) 3月4月

きのうに引き続いて味噌蔵のある庭へ行く。

満開を過ぎた白梅が、いまだ健気に咲いている。枝垂れ桜は、つぼみは固いものの、しかし明らかに、若緑より紅色の方が勝ってきた。染井吉野はきのうから今朝にかけての、花弁のほどけ具合が尋常でないほどに疾い。

桃のつぼみは何だか猫柳のそれに似ている。梅はどうだったか。キウィはそれを支える棚まで植木屋にこしらえてもらったけれど、庭を丹精する趣味はないので太い蔓が伸び放題になっている。梢の高すぎる山桜については一瞥もしなかった。

春夏秋冬のうち、いちばん好きな季節は夏だ。二番目は以前は冬だった。今は春の方が好きになった。

「春の弥生は」は、高橋義孝の書いた文章のうち僕の記憶にもっとも残るものだ。それを階段室の本棚に探しに行くと、無事に残っていたので安心をして、食堂に持ち来てそのページを開いてみたりする

新橋の弥生は暖かくても、日光は卯月にならなければ寒さから逃れることはできない。晩飯は、およそ38年前に瓶詰めされたコニャックで締める。


朝飯 昆布の沖縄風炒め、背黒鰯の丸干し、納豆、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の炊き物、野沢菜漬け、メシ、豆腐と春菊の味噌汁

昼飯 肉うどん

晩飯 生ハムのサラダグリーンアスパラガスを添えた鯛のクリーム煮、パン、「共働学舎新得農場」のチーズ「桜」胡桃と果物のタルト"Chablis BILLAUD-SIMON 2012"、"CAMUS NAPOLEON"(生)


 2014.0408(火) 赤子同然

暖房をつければ暑い。しかし停めると寒い。このところそういう日が続いている。おととい日曜日夕方の、ウチのちかくの気温は5度だった。僕は家の中や仕事場では、いまだ真冬と変わらない格好、すなわち"UNIQLO"による長袖のヒートテックに長袖のフリースを重ね、更に"montbell"のダウンベストを着ている。

ダウンベストは着ていても、4月ともなれば花も咲き始めているうだろうと、味噌蔵のある庭に柴折り戸から入る。

3月上旬に伊勢神宮を訪ねた折、鹿野山東照宮で盛りだった黄水仙が、ここではひと月おくれで開いている。染井吉野の根元には、スミレと、もうひとつ見慣れない花が咲いている

見慣れない花の名も知らないまま、その画像を会社の"facebook"に上げると間もなく「やっぱり、さくらではないでしょうか」というコメントが付いた。更には「(桜は)生命力が強く、剪定した後などに、沢山脇芽が出てきます」という別のコメントも続いた。

4月1日には八重の紅梅について「桃」と、やはり会社の"facebook"に書いてしまった。植物に関しての僕は、台本の「兎に角」を「ウサギニツノ」と読んだ俳優と同じほどの「赤子同然」である


朝飯 沢庵、「なめこのたまり炊」のフワフワ玉子、昆布の沖縄風炒め、レタスのソテー、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁

昼飯 コンビーフと小松菜とブラックオリーブのスパゲティ

晩飯 ポテトサラダとマカロニサラダを添えたハンバーグステーキ、野沢菜漬け、メシ、ナメコと万能葱の味噌汁、芋焼酎「白金乃露黒」(お湯割り)


 2014.0407(月) こればかりは先走って

「早朝の仕事を終えて食堂に戻ると」などと書けば、何やら勤勉な人間のように感じられるかも知れない。しかし僕は、早いときには夜は20時台に寝てしまうのだ。そして早寝をするたび何やら自分が怠惰な人間のように思われる。

5時20分の東の空には筋状の雲がある。その、雲と雲の重なったわずかな隙間からオレンジ色の光が漏れてくる。朝の景色に常に接していると、この時間の雲の動きが何となく予測できるようになる。そしてその予測の通り、ほんの数分後には、雲を押しのけるようにして丸く大きく朝日が出てきた。

瀧尾神社の春の例大祭は、今週の12日と13日に催される。提灯や紙垂は、普通は祭礼の日にのみ飾る。しかしウチに限っては、今朝からその両者を整えてしまった。和紙の白と墨の黒、そして赤という日本的な彩りが多分、僕は好きなのだ。

日光宇都宮道路の今市インターから鬼怒川温泉へ向かう人が、たとえ横目であっても、これを旅の一風景として眺めてくれれば幸いである

夜はきのうよりは遅い、21時台に就寝をする


朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き物、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、グリーンアスパラガスのオリーブオイル焼きと目玉焼き、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

昼飯 「玄蕎麦河童」のせいろ(田舎の大盛り)

晩飯 黒豆煮、若布と三つ葉の酢の物、肉じゃが、ミニキンキと牛蒡の煮つけ、烏賊の塩辛、沢庵、メシ、麦焼酎「いいちこ」(お湯割り)


 2014.0406(日) シデ

総鎮守瀧尾神社の、来週末に催行される春の例大祭に先立ち、町内に注連縄を張り巡らせる。春日町1丁目には東、中央、西の各地区がある。僕は中央の一員として、オノグチショーイチ頭、タノベタカオ地区委員長と共に、日光街道沿いを担当する。

縄張りを終えると、この作業に従った者は今度は、イワモトミツトシ自治会長が祭壇を整えた公民館に集まる。そして張ったばかりの縄から提げる「紙垂」を、自分の住む地区の戸数に合わせた数だけ受け取り、解散をする。

「紙垂」はウチの方では「カイダレ」と言い習わされているけれど、それより僕は「シデ」と呼ぶ方が何となく綺麗で好きだ。

明日は次男が寮に帰る。よって今夜はオフクロのおごりにてオーイデナオト君のメシ屋へ行く。冬から春にかけてはデザートにイチゴのパイが加わる。そしてそれが品書きにある限り、僕はこればかりを注文する。

「来月はもうねぇんだろうな」と心配することはない。来月は来月で、また何か美味いものが出てくるのだ。必ず。


朝飯 納豆、なめこおろし、沢庵、揚げ湯波と小松菜の炊き物、牛蒡と人参のきんぴら、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁

昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬、"Chez Akabane"の杏仁豆腐

晩飯 "Finbec Naoto"の其の一、其の二、其の三其の四其の五其の六其の七何だか出してくれたケーキ、"Languedoc"の安い白ワイン、ひとり1杯と少々を飲ませてもらった赤ワイン


 2014.0405(土) 超絶技法

むかし勉強仲間に「チョーヤさん」という、僕より随分と若い人がいた。その人の髪型はバリカンによる坊主だった。チョーヤさんの言う床屋へのかかりどきは「髪に寝癖ができるようになったら」というものだった。

僕の髪型はバリカンではなくハサミによる坊主だ。「バリカンでやっちゃってもいいんじゃないの」と、行きつけの「加藤理容所」で提案すると「まだ早かんべぇ」と即、オヤジさんに却下をされた。本職からすれば、バリカンによる坊主とハサミによるそれとのあいだには譲れない隔たりがあるのだろう。

ところで話をチョーヤさんに戻せば、数日前より寝癖が気になっていた。そしてようやく本日、加藤のオヤジさんに坊主にしてもらう。

昨年の9月は忙しくて床屋へ行けなかった。仕方なく寝癖ができるほど伸びた髪のままチェンライへ飛んだ。数日を経て陸路チェンマイまで南下したところで床屋を見つけ、髪を切ると同時に予期せず超絶技法の耳掃除を受けた。

そのオバチャンには今年も、耳の内外を綺麗にしてもらおうと思う


朝飯 人参と牛蒡のきんぴら、支那竹とこんにゃくの炒め煮、冷や奴、水茄子のぬか漬け、生のトマト、納豆、メシ、大根と油揚げと万能葱の味噌汁

昼飯 タラコとアンチョビと三つ葉のスパゲティ葡萄とナッツとドライフルーツのパン

晩飯 「バーミヤン」の火鍋、他あれこれ、「三和酒類」の麦焼酎「いいちこ」(オンザロックス)


 2014.0404(金) 捨てるには惜しい

先月の31日、消費税の上がる前にオフクロの買っておきたかったもののひとつに電気毛布がある。

乞われて電気製品の量販店に同伴すると、暖房絨毯には売れ残りがあったものの、電気毛布は目に付かなかった。店員を呼んで訊いても「無いですねー」とのことで、こと季節商品に関しては「あるものを買ってくれ」ということなのだろう。

「インターネットで探した方が話は早いよ」とオフクロを説得してその場は収まった。

この昼の出来事を夜の食卓の話題に出すと、甘木庵のダイニングキッチンを除くすべての部屋には電気毛布が買い置いてあり、しかもそれらは一度も使われていないと、僕の知らない事実を長男が述べた。買いそろえたのはオフクロで、しかもオフクロはそのことを忘れていた。

「あんたらは戦争を知らないから、物が無くなるってことも知らないんだ」とは、オフクロの口癖のひとつだ。オフクロはまた、先月31日には布団カバーも欲しがっていた。しかし布団カバーなどは、それこそ戦争が3回来ても不足しないほどの量が、家のどこかに眠っているはずだ。

現在、製造現場で大規模な環境整備を行っている。環境整備とは有り体に言えば「使わないものはどんどん捨てる」ということだ。

その環境整備の最中にサルノコシカケが発見された。製造現場には、過去の研究開発の遺物がいくつも存在する。僕のおじいちゃんはこのサルノコシカケで、何かを作ろうとしていたのかも知れない。

「捨てるのは惜しい」と現場は言うが、ためらいがあっては環境整備は進まない。サルノコシカケは明日にでも、よその誰かに譲ってしまおうと思う


朝飯 納豆、支那竹とこんにゃくの炒め煮、ほうれん草の胡麻和え、トマトのスクランブルドエッグ、人参と牛蒡のきんぴら、メシ、若布と揚げ湯波と長葱の味噌汁

昼飯 ソース焼きそば

晩飯 豆モヤシのナムル、チャプチェ、鮟鱇の朝鮮風鍋、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)


 2014.0403(木) 有線電話

自由学園の学部寮から文京区の「甘木庵」に移ったのは1976年の初秋と記憶する。ここには1982年の年明けまで住み、同年の春から日光の自宅へと戻った。

丸ノ内線の本郷三丁目から600メートル、千代田線の湯島まで800メートルほどのところにある「甘木庵」については、オフクロは以降も上京をするたび使っていたが、僕はほとんど寄りつかなかった。

2000年代に入ってからのことだっただろうか、リフォームをすると「甘木庵」はまるで新築のときのように綺麗になった。2004年、長男は学部寮ではなく「甘木庵」から学校に通うようになった。そのころからは僕も、それまでのホテルに替えて、出張をした際などにはここを使うようになった。

「甘木庵」の、それを手に持ったまま部屋のあちらこちらへ行けるよう特に電線を長くした電話機は、しかしこのところはほとんど、ここに滞在中のオフクロがたまに使うだけのものになっていた。

そして本日ようやく、38年のあいだ持ち続けた"03-3816-3518"の電話番号を解約する

40年ちかく前の電話機でも、NTTは外しに来るのだろうか。とすれば僕はその現場に立ち会うため「甘木庵」まで出かけなくてはならない。


朝飯 支那竹とこんにゃくの炒め煮、生のトマト、ほうれん草のソテー、すぐき、納豆、水茄子のぬか漬け、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 焼きうどん

晩飯 ほうれん草の胡麻和え、牛蒡と人参のきんぴら、冷や奴、胡瓜と若布と蛍烏賊の酢の物、銀鱈の粕漬け、いちご、芋焼酎「白金乃露黒」(お湯割り)


 2014.0402(水) "amazon"の荷札

「東京はうっすらと明るくなってきました」と"NHK"のアナウンサーが言うので食器棚の時計を見たら4時40分だった。それから20分ほどもすると、日光から見る東の地平線も赤味を帯びてくる。地平線をかたどっている山の名前は知らない。そしてやがて日が昇る

午前の中ごろに味噌蔵の庭を訪ねると、桃の花が咲いていた。次にここに来る頃には、桃の実は鳥に食べ尽くされているに違いない

"amazon"からオフクロに荷物が届いた。長男にでも頼んだものだろうかと考えつつ、それをオフクロの部屋に持っていく。昼を過ぎるとその荷物は開封されないまま長男の手を経て事務室に戻ってきた。頼んだ覚えのない荷物は気持ちが悪くて開けられないと、オフクロが言ったという。

"amazon"独特の、クロックムッシュのような形の厚紙による封筒を開けると、中には日本の今や古典と言っても良い小説の、CDによるオーディオブック2冊が入っていた。とにかく中身は分かったので、今度はオフクロも、これを受け取るだろう

そういえばきのうオフクロは、僕の連れて行った病院の待合室で顔見知りと話すうち「私はナマケモノだから、座って本を読んでいるのがいちばん好き」と口に出した。それを耳にして「なるほど、オレの怠け癖はオフクロからの遺伝か」と僕は得心をした。

それにしても、"amazon"の荷札には常に、差出人の住所氏名は記されないのだろうか。頂き物をしても、贈り主にお礼のできないことは困る。


朝飯 茹でたソーセージ、スクランブルドエッグとトマトとレタスのサラダ、納豆、昆布の沖縄風炒め、炒めた沢庵、すぐき、メシ、里芋と舞茸とセリの味噌汁

昼飯 「大貫屋」の塩チャンポン

晩飯 セロリとレタスのサラダペンネアラビアータ、ロールキャベツ、"Vieux Cru Xavier David"ロールケーキ"Chablis BILLAUD-SIMON 2012"


 2014.0401(火) 増税

「春眠不覚暁」とは「春の心地よさに、夜が明けたことにも気づかず眠り続けてしまった」ということだろうか。

寒さの厳しいときこそ早く目覚めていたのに、このところは正に「不覚暁」のありさまだった。しかしそれは春の眠りが心地よかったからではない。大したことをしていないにもかかわらず体が疲れ、長く眠らないと目が覚めないことが原因だった。

今朝は珍しく、いまだ暗いうちに目が開いた。枕の下からiPhoneを取り出しホームボタンを押すと、時刻はしかし午前1時33分だった。起床するには早すぎる。そこで何とか二度寝をしようと試みるも、眠気は一向に訪れない。

「こんなことをしていては時間の無駄だ」と起き出し、顔を洗って食堂に入ると、目覚めてから既にして90分が経っていた。こういう時間の使い方が一番もったいない気がする。

店舗のレジは4月1日の午前0時を以て5パーセントの消費税が8パーセントで計算されるよう、販売係のハセガワタツヤ君が設定をしてくれていた。とはいえウチはきのうまでと変わらず税込み価格を維持して値上げもしない。

そしてその旨を記したメールマガジンを作成し、自社ショップとYahoo!ショップの顧客に送付する。

優れた原材料を安定した価格で仕入れること、熟練の技術を集中して高い品質を保ったまま製造工程を合理化すること、そして販売数量をできるだけ上げるべく智恵を凝らすこと。この3点に留意をしながら、これからも業務に励んでいきたい。


朝飯 昆布の沖縄風炒め、鰯の丸干し、生のトマト、炒めた沢庵、納豆、里芋の味噌焼き、メシ、シジミと万能葱の味噌汁

昼飯 「魚べい」のあれこれ

晩飯 蛸と海老とレタスのサラダ牛肉の赤ワイン煮イチゴ、"Predicador tinto crianza Bodega Contador 2009"