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大空に月と日が姿を現してこのかた 紅の美酒にまさるものは無かった
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと このよきものを売って何に替えようとか
Omar Khayyam

 2015.0731(金) カレンダー

この秋に改版するパンフレットの写真については、今月前半の2日間を商品の撮影に充てた。そしてきのうと今日は、東京からおなじディレクター、デザイナー、カメラマンの3名が来て、ウチの内外のあれこれを撮っている。

今朝は4時に起きて冷蔵庫に入り、本日蔵出しのうち「らっきょうのたまり漬」と「だんらん7種刻み合わせ」を、それぞれ仕込み桶からすこしずつ抜き取る。そして撮影まで冷えた状態を保てるよう工夫する。

撮影隊は人数分の弁当を持って、朝5時10分にウチの駐車場を出発した。きのうは午後にときおり雨が降ったけれど、今日は晴天が続きそうだ。撮影には長男が付き添い、僕は会社に居残った。

撮影隊は午後一番に戻ってきた。すべての仕事は完了したという。そして機材と共にワゴン車に収まり、日光宇都宮道路の今市I.C.を目指して去った。

事務机の左に提げたカレンダーは8月を表に出したいところだけれど、今日はいまだ7月の晦日であれば、今月分をめくるのは明日の朝にしようと思う。


朝飯 ほうれん草の胡麻和え、昆布の沖縄風炒め、茄子の油炒めの「みょうがのたまり漬」和え、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、厚焼き玉子、「しその実のたまり漬」を薬味にした納豆、万願寺唐辛子の炒め煮びたし、胡瓜のたまり浅漬け、メシ、蓴菜の味噌汁

昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬

晩飯 胡瓜のたまり浅漬け、牛蒡と人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、茄子の油炒めの「みょうがのたまり漬」和え、蓴菜の酢の物、鶏の甘辛煮、鯛のかぶと煮、「高清水純米大吟醸」(冷や)


 2015.0730(木) 夏太郎(改)

6月2日に社員が高根沢町の畑に出向し、収穫したらっきょうは塩と酢のみで調製され、25日の後に「旬しあげ生、夏太郎」として蔵出しされた。このいわゆる「塩らっきょう」は、漏れ聞くところによればある会社では「製造に携わる社員のつまみ食い率トップ」とのことで、それは僕にも何となく分かる。

その「夏太郎」が売り切れたのは先週末のことだ。そして1日を置いたおととい28日からは、これまでの「夏太郎」にたまりをサラリと加えた「夏太郎(改)」が漬かり上がり、店頭に並び始めた

塩と酢のみの「夏太郎」と、たまりを加えた「夏太郎(改)」の双方を、時期をずらしてお買い上げくださったお客様がある。このお客様のfacebookに今日は「傑作」の文字を見つけて嬉しかった。

伊丹十三の「たんぽぽ」に、大滝秀治の運転手兼料理人を務める桜金造が「みなさんに嗤ろうてもらお思いまして」とか「いたずらさせていただきまして」とか言いながら、自分がちょっとした工夫を加えた料理を出す場面があったような気がする。「夏太郎」は正に、そのような位置づけの商品なのだ。

来年の「夏太郎」をどのような形でお出しするかは、いまだ決めていない。


朝飯 納豆、トマトのバターソテーを添えた目玉焼き、昆布の沖縄風炒め、油揚げと小松菜の淡味炊き、すぐき、メシ、厚揚げ豆腐と三つ葉の味噌汁

昼飯 「なめこのたまりだき」の卵とじ、胡瓜のたまり浅漬け、茄子の油炒めの「茗荷のたまり漬」和え、他あれこれ、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

晩飯 「和光」のポテトサラダ胡瓜のぬか漬け茄子とピーマンの味噌炒め、サービスのひじきの炊き物、麦焼酎「吉四六」(オンザロックス)、「ニジコ食堂」のラーメン


 2015.0729(水) ジュンサイ

映画やテレビドラマの使い古された演出に、老人が仏壇に向かって死者に話しかける、というものがある。違和感を禁じ得ない。空中に言葉を発して何になるか。

ここしばらく、朝、仏壇に花とお茶と水と線香を供えるとき、水の器には氷をひとつ入れている。水は冷たい方が美味かろうという気遣いである。手を合わせつつ仏壇に話しかける老人と僕は、ことによるとおなじたぐいの人間なのかも知れない。

「好物は胡麻」と色川武大が書いたものを読んで不思議に感じた。胡麻は、わざわざ好物として挙げるものでもないような気がしたからだ。

きのう秋田県の能代から蓴菜が届いた。蓴菜は僕の好物である。そしてよくよく考えてみれば、蓴菜が好きというより胡麻が好きという方がよほどまともというか、よほど人の理解を得られそうな気がする。

神楽坂の、どうにも変わった店で、凝りに凝った蓴菜の料理を食べたことがある。この日記に検索をかけると、それは2001年6月12日のことと知れた。凝りに凝った料理を家で食べることはできない。家で食べる蓴菜は僕の場合、味噌汁が随一である。

薬味の入らない味噌汁は「坊主汁」と呼ばれてむかしから馬鹿にされてきた。しかし蓴菜の味噌汁だけは、僕は薬味は入れない方が好きだ。蓴菜の味噌汁には、蔵の長いあいだの諸々を凝縮したような赤味噌が似合う。


朝飯 油揚げと小松菜の淡味炊き、ベーコンエッグ、生のトマト、昆布の沖縄風炒め、納豆、すぐき、メシ、蓴菜の味噌汁

昼飯 カノーガエーコさんの焼きそば

晩飯 枝豆、茹でたトウモロコシ、春雨サラダ水餃子、茄子の塩漬け、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)"Chez Akabane"の杏仁豆腐


 2015.0728(火) 蒸気だか瘴気だか

朝4時34分の空を見た限りでは、今日の天気が良い方へ向かうのか、あるいは悪い方へ転ぶのかの判断はつかない。廊下から食堂へ戻り、メーラーを回す。

「TAKUYAさん メーチャンへ行きませんか?」という表題のメールがこのところ頻繁に届く。メーチャンとはチェンライ県の北方に位置する郡の名前である。ビルマにも、またラオスにも、すこしばかり根性を出せば歩いて行くことも可能な、タイの最北端にちかい。

「メーチャンへ行きませんか?」という表題のメールが頻繁に届くとは、僕がそのあたりの情報を集めていることを、インターネット上の何かが自動記録、あるいは自動記憶しているからだろう。

メーチャンには山に山のところもあれば、また水田の広がる盆地もある。水田は白人にこそ人気のある景色だけれど、日本人の僕には見慣れたもので、惹かれるのはやはり熱帯樹の森である。

だったら今年はメーチャンまで足を延ばすかといえば、それは無いような気がする。山は好きだけれど街もまた離れがたく、そしてチェンライの街は、行ってみれば分かることだけれど、あるいは行っても分からないかも知れないけれど、何もしないで過ごすには好適なところなのだ。

午後からの雨が上がり、琴平山から鶏鳴山まで続く谷には蒸気が吹き上がっている。蒸気に満ちた谷を歩くことは、2011年のチェンライ奥地でたっぷりと経験をした。今後は眺めるだけにしたい


朝飯 昆布の沖縄風炒め、2種のトマト、スクランブルドエッグ、ソーセージのソテー、茄子とピーマンのソテー、納豆、油揚げと小松菜の淡味炊き、メシ、豆腐と茗荷と万能葱の味噌汁

昼飯 梅干しを薬味にした冷や素麺

晩飯 ラタトゥイユとマッシュドポテトを添えた鯛のバターソテートマトソース、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"


 2015.0727(月) お盆はすっきり

電話はほとんどかかってこない、人は訪ねてきようがない、という贅沢を金、土、日と3日も続けてできたのだから、就寝が今日の午前1時だったにもかかわらず、朝の5時から仕事があったとしても、どうということはない。

開店に先だって、三季用の茶色いのれんを夏用の白麻のものに替える。直ぐに乾いてしまうことは分かっているけれど、打ち水をする

玄関前の竹が、ずいぶんと伸びてしまった。この場所は風が通り抜けるため、そのたびしなって暴れる竹は伐りたくて仕方がなかったけれど、オフクロがそれを許さなかった。整理が下手、あるいは整理を嫌う人は、部屋をモノだらけにするに留まらず、庭の草木も伸び放題にしつつ、更に木を増やそうとするから始末が悪い。

「生け垣は剪定しても、その中から育った南天だけは、残さなくちゃだめだよ」などとも言ったオフクロの、今年は初盆である。明日から入る植木屋には「竹も生け垣も、遠慮なく、一気に短くしてください」と頼むつもりでいる。


朝飯 ほうれん草とベーコンのソテー、「みょうがのたまり漬」をのせた冷や奴、納豆、昆布の沖縄風炒め、生のトマト、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁

昼飯 トマトと牛挽き肉のつゆで食べる素麺

晩飯 枝豆梅干しとしその葉を薬味にした冷や奴、柿の葉鮨、油揚げと小松菜の淡味炊き、鯛しゃぶ、「高清水純米大吟醸」(冷や)


 2015.0726(日) あと10分、あと5分

ウチは週末にこそ忙しい仕事だから、土日、特に日曜日に出張は入れない。データベストソフト"My Tool"の実践報告会にfacebookのイベントを介して誘われてはいたけれど、日曜日の開催であれば、特に意思表示はしなかった。

その「イベント」を数日前に見直すと、参加者はいまだ十数名しかいない。パイは、大勢で食べるより少人数で食べた方が自分の取り分は多くなる。「なんだ、だったら出よう」と考え「参加予定」のボタンをクリックした。場所はきのうおなじ「薬樹」である。

午前中の発表はタナカノブコさん、午後はヌマオアキヒロさんそして双方の完了したところでサトーマサヒデさんによる講義に移る。少人数による研修の、空気の濃い感じが好きだ。空気などというあやふやなものを除いても、参加者がすくなければ自分の意見はすぐに相手に達し、質問に対しては瞬時にヒントを与えられ、課題はより的確に掴むことができる。

研修が済めば可及的速やかにひとりになりたい性分ではあるけれど、今夜は珍しく交流会に参加をする。そうして「ウワサワさん、あと10分でリミットです」とのヌマオさんの声に驚いて席を立ち、ヌマオさんの先導にて北千住に至る。21:13発の下り最終スペーシアには「あと5分」のところで間に合い、帰宅の途に就く。


朝飯 秋刀魚の干物、納豆、きんぴら牛蒡、メシ、油揚げと長葱の味噌汁

昼飯 「なか卯」の山わさびそば

晩飯 「銀座ライオン青山店一丁目店」のあれやこれやそれや。2種の赤ワイン、生ビール


 2015.0725(土) 性格、性分

9時から歯科診療の予約を入れていた。場所は大井町。その大井町には8時すぎに着いていたけれど、駅前の「モスカフェ」で仕事がらみのメールの送受信、またフェイスブック活動などしながら時計を見ると8時50分になっていた。

コンピュータやiPhone、またそれらの電源コードをザックに仕舞って会計を済ますと8時54分。目指すソーマ歯科室までは1キロちかくの距離があり、6分では到着できない。よって「かならず行くから心配しないように」とフロントに電話を入れる。

ソーマ歯科室のウェブページには大井町から徒歩で13分との記述がある。そこを8分で歩ききって9時2分に待合室にすべり込む。

診療を終えて、また大井町までの道を歩く。天気は晴れ。気温は多分34度くらいのところだろう。そして京浜東北線を新橋で銀座線に乗り換え表参道に出る。

僕の持病のひとつに「物を運ぶための袋の大きさは、その内容量に合致していないと気が済まない」というものがある。「大は小を兼ねる」つまり「大きなザックがひとつあれば、1ヶ月の海外旅行にも、リンゴ1個の買い物にも対応できる」とは考えられないのだ。

そして前々から考えていた「A4のクリアファイルが余裕を以て収まり、厚みは10センチの、限りなく簡素なショルダーバッグ」というものをオーダーすべく、青山通りを渋谷に向かって歩く

何年か前に既製品を買うとき親切にしてくれたカバン屋"HERTZ"のオーダー部門"RESO."は、シアターイメージフォーラムちかくに直ぐに見つかった。予約はきのう電話で入れておいた。係のネヅさんには紙で自作した模型を見せ、それを元に細部を詰めていく。質疑応答は小一時間に及んだ。そして内金を支払い、店を出る。完成は10月なかばになるらしい。待つことは平気な性格である。

午後からは外苑東通りに面したビルの「薬樹」に勉強仲間と集まり、数時間ほどを話し合いに充てる。その会場に来た長男と、話し合いが完了してのち乃木坂を下って赤坂まで歩く。そして鮒鮨やトマトの和風ファルシや鰻の蒲焼きを肴に冷えた日本酒を飲む

ショルダーバッグを"bespoke"で誂えることはできても、タクシーには乗れないケチな性分である。今日は多分、炎天の下を5キロは歩いたのではないか。酔っていたから定かではないけれど、20時前には就寝したように思う。


朝飯 「モスカフェ」のモーニングプレート、アイスコーヒー

昼飯 「ドトールコーヒー」のクロックムッシュ、アイスロイヤルマサラチャイ

晩飯 「津やま」のあれこれ、〆張り鶴(冷や)


 2015.0724(金) ライカ、コンドル、暁斎

2時台の終わりころに目を覚まし、3時台の終わりころに起床する。夜が明けると同時に蝉の声が止む。そして今度は鳥が啼き始める。4時30分になりかかるころ本棚の奥の窓を開け、東の空に向けて"NIKON D610"のシャッターを切る。そして製造現場に入る。

午後もなかばに差しかかるころ、泰明小学校ちかくのライカショップのドアを押す。そして新製品の"Q"をしげしげと観察する。ボディは"M"の幅を狭め、背を高くした感じだ。

白人の女店員にうながされ、それを手に取ってみる。「重さは600グラムです。ちょうど良い重さです」と彼女が言うので何だかおかしかった。「ちょうど良い重さ」かどうかは、僕の決めることである。合焦の速度は非常に高い。

「よろしければ、ご予約も承ります」と言われて「えぇ、まぁ」と、あやふやな返事をする。「レンズ、まさかフォクトレンダー製ではないですよね?」という質問を用意していたけれど、訊き忘れてしまった。

「自分のSDカードを"Q"に入れて、撮った画像を後から確認するようなことはできるでしょうか?」と訊いてみれば良かったとは、店を出てから気づいたことだ

夕立を喫茶店でやり過ごし、晴れ間の戻ったところで三菱一号館美術館まで歩いていく。

明治初期の日本の建築界に大きな足跡を残した英国人ジョサイア・コンドルは、当時のスター絵師河鍋暁斎に弟子入りし、師の作品を広く海外に紹介した。このふたりの関係、作品の展覧会が「画鬼暁斎」である。

明治18年、師弟は上野駅から鉄道で写生旅行に出る。日光に滞在したのは8月1日から9日。その9日にふたりは今市まで下り、旅館の縁側で酒など楽しんでいる。暁斎の絵日記に目を近づけつつ「この旅館は、蔦屋さんだろうか、それとも木村屋さんだろうか」と想像をする。

コンピュータの開ける場所に移動して検索エンジン回すと、彼らが日光を訪ねる僅々2週間前に、東北本線は宇都宮まで延びていた。宇都宮と日光のあいだを彼らは馬車ででも往復したのだろうか。旅費については、コンドルが負担したような気がする


朝飯 5種のおむすび

昼飯 「明月庵田中」のつけとろ蕎麦

晩飯 「鮨よしき」のあれやこれやそれや「山本合名」の「白瀑美郷錦純米吟醸」(冷や)、「山の壽酒造」の"CrazY LemoN"(オンザロックス)


 2015.0723(木) 作り手の思想、買い手の好み

夏休みに入ってから自動車の教習所に通い始めた次男は仮免許を取得し、おとといからは路上での教習に入ったという。ずいぶんと進みの早い気がする。あるいは合宿とは、そんなものなのだろうか。

次男に聞くところによれば、同級生のあいだでも、よほどのクルマ好き、よほどの運転好きでもない限り、自動車運転免許証はいわゆる「オートマ限定」なのだという。そして次男の取ろうとしている免許も、それである。

自動車の雑誌を買うことは滅多に無いので、僕の、クルマに対する知識は時代に追いついていない。否、雑誌など買わなくても新しい情報に触れることは簡単だ。要は、僕が今のクルマに興味を持たないだけなのだ。

とにかく検索エンジンを回してみれば、フェラーリもランボルギーニも、そしてポルシェもメルセデスも、もう何年も前からマニュアルシフトは廃止、あるいは廃止の方向で動いていた。

そこでまたまた検索エンジンに、今度は「マツダ ロードスター MT」と入れてみる。するとこの会社では、いまだマニュアルシフトのスポーツカーを作っていることが分かった。

「作り手の思想の違い」と言ってしまえばいかにも格好が良いけれど、企業の使命が利益の追求にあるとすれば、欧州の高級スポーツカーとマツダのロードスターとでは「それを買おうとする人の、クルマに対する好みがそれぞれ違い、各メーカーは、それに合わせている」ということなのだろう。


朝飯 茄子の油炒めの「みょうがのたまり漬」和え、トマトとキャベツとハムのサラダ、ほうれん草のソテー、「なめこのたまりだき」の卵とじ、納豆、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 夏の野菜の薬味で食べる素麺

晩飯 海老とサーモンとトマトとルッコラのサラダ3種のパンマッシュポテトとラタトゥイユを添えた"neu frank"のソーセージの網焼き"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"、"Chez Akabane"のマンゴーのケーキ、"Bas Armagnac Duc de Loussac XO"


 2015.0722(水) 紅茶のみ飲んで

朝日の中に鶏鳴山が浮かんでいる。夏を厭う人であれば「今日は暑くなりそうだ」と、うんざりしそうな空だけれど、僕にはとても涼やかな景色に感じられる

食堂に置いたプレイヤーで、朝飯の前に"cool,tropical,ukulele"をかける。聞くところによればこのCDは、1990年代のはじめに家内が宇都宮のパルコで何気なく買ったものだという。そしてそれはその後、いまだ2歳くらいだった次男が、おもちゃの乗り物の荷台に無理矢理押し込もうとして真っ二つに割った。

爾来数年を経たある日、次男より10歳上の長男が、おなじものを東京のどこかで探してきた。"amazon"など日本にはあるやなしやの時代のことだ。今朝のCDは、その2枚目である。

"cool,tropical,ukulele"は、僕の知る限り、そして僕の好みに照らせばハーブオータの最高傑作である。今なら"amazon"で中古が1,000円で買える。

午前の上り特急スペーシアで東京に出る。そしてかなり中身の濃い仕事をして北千住に戻ると時刻は17時を過ぎていた。通常であれば飲酒活動に励むところ、同行の長男は帰るという。よって駅の中で紅茶のみ飲んで、僕もおなじ下り特急スペーシアに乗る。


朝飯 納豆、厚焼き玉子、ほうれん草のソテー、生のトマト、「なめこのたまりだき」、茄子の油炒めの「茗荷のたまり漬」和え、メシ、豆腐と揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 「小諸そば」のたぬき蕎麦、ライス

晩飯 カツサンド、"Corton Pougets Louis Jadot 1985"


 2015.0721(火) 求む、壊れないカメラ

昨年の7月に購入して以来、故障と修理を繰り返してきた"RICOH CX6"が、5度目の今回に限っては2週間という、これまでにない長い修理期間を経て戻ったのは今月16日のことだった。5度の故障はすべて、合焦あるいはレンズ動作の不良である。

僕の"CX6"に現れるレンズの動作不良とは、本来、電源スイッチ切れば格納されるはずのレンズが素直に収まらず、2度3度と伸び縮みを繰り返すものだ。その現象が、修理を終えて戻ってきた16日の夜に早速、現れた。僕は大して驚くこともせず「あぁ、またか」と恬淡としていた。

"CX6"がおなじ挙動を示したのは、それから3日後の19日だった。このときには更にひどく、レンズは延び縮みを繰り返しつつようやくボディに格納され、しかし以降は電源スイッチを入れてもウンともスンとも言わなくなった。

そのまま放置をすると翌朝には復旧したから「また何かありましたら、私にご連絡ください」と電話で名を教えてくれた、リコーイメージング東京サービスセンターの担当者とは、いまだ接触はしていない。

ズームレンズの付いたコンパクトカメラは、特に外出先では便利なものだけれど、秋にタイへ行くときのカメラをこれにするには不安が残る。とはいえ荷物を減らしたい僕としては、予備のカメラを持つ気にはならない。

「だったらiPhone作戦か」とも考えるけれど、現在の"5c"は光量不足にからきし弱い。だからといって10万円ちかい"6 Plus"を買う気はしない。

「求む、壊れないリコーのカメラ!」である


朝飯 茄子とピーマンのソテー、トマトとレタスとツナのサラダ、納豆、ハムエッグ、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、メシ、茄子と万能葱の味噌汁

昼飯 「みょうがのたまり漬」、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、明太子、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、「夏太郎らっきょう(改A)」、「夏太郎らっきょう(改B)」によるお茶漬け

晩飯 トマトと赤ピーマンの冷たいスープタコとトマトとベビーリーフのサラダ茄子の油炒めの「みょうがのたまり漬」和えエリンギのソテーを添えた牛肉のたまり漬の網焼き、「高清水純米大吟醸」(冷や)


 2015.0720(月) 梅雨明け

すべての社員が昼休みから上がった13時30分より僕の昼飯は始まる。日曜祭日にはなぜか、その1時間ほどあとに客足の繁くなる傾向がある。よってその繁忙の訪れる前に店に戻る。

晴れていた空が徐々に曇り、やがて薄暗くさえなってくる。太陽の直射にさらされ熱く乾ききった地面にポツリ、またポツリと雨の粒が落ちてくる。その雨はそれからいくらも経たないうち驟雨に変わった。

派手に雷が鳴り始める。お客様のうちの何組かは濡れることを避け、犬走りにクルマを横付けされた。社内にあって、しかし使われていない傘のすべてを店の外に出すよう、販売係のハセガワタツヤ君に言う。「傘、自由にお持ちください」キャンペーンである

きのう関東甲信越に出された梅雨明け宣言を、僕は信じなかった。ウチの近くでは「梅雨は雷に始まり、雷に終わる」と言われている。本日午後の激しい雷雨はまさに、本当の梅雨明けを告げるものではないか。

食べ物、特に野菜からは季節感が失われて久しい。しかし気温についてはむしろ逆に、むかしからすれば異常なほどの猛暑が今は続く。四季のある日本では望むべくもないけれど、来年の梅雨明けまで夏が続けば、それが僕の理想である。


朝飯 納豆、茄子とピーマンのソテー、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、「なめこのたまりだき」によるなめこおろし、蓮根の薩摩揚げの甘辛煮、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁、キウィ

昼飯 トマトとズッキーニのつゆで食べる素麺

晩飯 鶏の衣揚げとトマトとズッキーニとレタスのサラダドリア"Corton Pougets Louis Jadot 1985"


 2015.0719(日) 制御の力

7月の3分の2が過ぎようとしているとき、小遣い帳を見れば、いまだ予算の35パーセントしか使っていない。今のところは余裕のよっちゃんだ。しかし残りのほとんどは来週末に消える予定である。あるいはそこで赤字に転落するやも知れない。

おととい青山通りでポルシェのショールームに出くわした。ガラスの奥の方に目を遣ると、右ハンドルのものもちらほら見えた。日本で乗るならクルマは断然、右ハンドルだ。それに加えて僕は赤ん坊のころに左利きだったせいか、ギヤレバーは右手より左手の方がよほど楽に操作できる。

よってポルシェだろうがフェラーリだろうが持つなら右ハンドルだ。と書きつつしかし、ポルシェやフェラーリを持つ気があるかと問われれば、それは皆無である。

僕はもともと物欲はそう強くない人間だったけれど、おととしの秋に自宅4階のほどんどのモノを捨て、リフォームをして以降、その物欲は更に、そして極端に弱まった。

ダイエットに成功した人は「折角落ちた体重ならば、これを維持しよう」と考える。それとおなじく「折角片付いた家ならば、これを維持しよう」という制御が働いているのだろう。この、制御の力が死ぬまで続けば有り難い

ところで来週末に消える予定のお金はすべて、見舞金やメシに投入される。良いことか悪いことかは判じがたいけれど、僕はモノに変換されないお金、消えて無くなるお金については割と、平気なたちである。


朝飯 厚焼き玉子、トマトとツナとレタスのサラダ、ソーセージのソテー、納豆、茹でたグリーンアスパラガス、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁

昼飯 梅干し、塩鮭、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、同「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、「夏太郎らっきょう(改A)」、「夏太郎らっきょう(改B)」によるお茶漬け

晩飯 "THE FLYING GARDEN"のトマトサラダ鶏のグリル胡麻ソース、ライス、"MONTE BELLO NERO D'AVOLA TERRE SICILIANE"


 2015.0718(土) のようなもの

07:30 浅草から特急スペーシア発車
07:48 急停車。しばらく後に「異臭発生のため」とアナウンスあり
08:02 発車
08:04 草加に非常停車
08:16 現場検証のため乗客は荷物を持って外へ出るようアナウンスあり
08:18 運転打ち切りのアナウンスあり

プラットフォームに空いているベンチは見あたらない。仕方なく階下のコンコースに降りてベンチで本を読む。しかしそうするあいだに代替の車両など来て取り残されてもいけないと考え、ふたたびプラットフォームに上がる。

僕は普段は野次馬的な行為は一切しない。しかし今回は自分も関係していることだ。よってプラットフォームの半分しか塞いでいない非常線をすり抜け、消防と警察が現場検証をしている、スペーシアの最後尾に近づいてみる

ブルーシートの上に規則正しく並べられ、写真など撮られている物は、焦げたスマートフォンのようなもの、そしてスマートフォンのそれにしては大きすぎるけれど、バッテリーのようなものに見えた。

09:08 臨時特急きりふり号が5番線に入線
09:45 春日部着
10:59 下今市着

きりふり号の座席はスペーシアのそれにくらべれば窮屈だけれど、三連休初日の朝に座って移動できれば御の字だ。そしておよそ東京から新大阪へ行くほどの時間をかけてようやく、列車は下今市に着いた。「萬緑」を英語では"full of green"といったと思う。とにかくそのような景色を眺めつつ本が読めて良かった。

15時より、おとといは欠勤だった社員たちひとりひとりと面談をしながら賞与を渡す。この仕事は今日で完了。週末は晴れるらしい。


朝飯 「吉野家」の牛丼、生玉子、おしんこ、味噌汁

昼飯 「大貫屋」のキムチラーメン

晩飯 グリーンアスパラガスとコンビーフのスパゲティ"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"


 2015.0717(金) とろろ芋は後から届いた

太平洋上から九州、四国、中国地方を北西に向けて横切ろうとしている大型台風について、テレビの天気予報が警戒を呼びかけている。僕の天気への心配はあれこれあるけれど、もっとも卑近なものは、今朝の上り特急スペーシアは運行するだろうか、ということだった。きのうのうちに甘木庵に入ってしまうことも考えた。しかし昨晩は僕が書記を務める、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会日に当たっていたため断念をした経緯があった。

今朝になって外を見てみると、雨は降っているかいないか分からないところまで弱まっていた。8日には傘を持たずに藤沢へ行って失敗をした。よって「今日こそは」と"Eddy Bauer"の黒いスリーウェイパックに"montbell"のオレンジ色の折りたたみ傘を納めて会社の通用口を出る。

止んでいるかに思われた雨は、いまだ上がっていなかった。「それならば」と自転車を諦め、ザックに納めたばかりの傘を取り出し開き、それを差して駅へと向かう。

表参道に出たところで左腕の時計を見て「始発ではなく、次の07:35発でも間にあったな」と、ようやく気づく。そして青山通りを東に歩き、南青山の住宅街へと入って行く。

その住宅街での仕事は夜まで及んだ。仕事のあとはビールやら、以前から冷蔵庫にあった日本酒などを飲むうち22時になってしまった。僕はそこで集団から離れ、洒落た街にしては前近代的な袋小路の多い地域を抜ける。そして表参道から銀座線に乗る。


朝飯 5種のおむすび

昼飯 「料理倶楽部」のまぐろ山かけ弁当(入れ忘れたとろろ芋は後から届いた) 


 2015.0716(木) ほぼ満足すべき水準で

きのうとは異なり、今日は仕事が順調に進む。

社員ひとりひとりと面談をしながら賞与を手渡す件については10時からこれを開始し、13時30分に一区切りをつける。それから税理士事務所を含む要所2ヶ所をまわり、14時30分に帰社する。

15時には所用にてふたたび外へ出なければならないため、昼飯は抜くつもりでいたけれど「それではからだに悪い」と、家内は急ごしらえのものを用意した。僕はそれをほんの数分で平らげる。

社員との面談は16時20分から再開し、17時前に、本日出勤の者に限ってではあるけれど、とにかく終える。ポストイットにメモして事務机に貼った8つの"to do"のうち、今日は7つまでを、ほぼ満足すべき水準で完了できた。残りのひとつは明日以降に延ばしても問題はない。

ところで昨年の7月に購入して以来、以下の故障を繰り返してきた"RICOH CX6"についてはきのう、今月1日から修理に出してあるリコーイメージング東京サービスセンターの担当者から説明の電話があった。今回は特に、故障を発生させる疑いのある部品はすべて交換し、また、これは故障ではないけれど、外装部においても交換できるところは新品にし、すり減って地金の出た軍艦部には再塗装を施したという。

2014.1024(金) 無限遠で合焦せず(新宿のリコーに持ち込み)
2015.0209(月) マクロでしか合焦せず(新宿のリコーに持ち込み)
2015.0325(水) レンズ動作不良(浮間舟渡のリコーに持ち込み)
2015.0603(水) マクロでしか合焦せず(ピックアップリペアサービスを利用)
2015.0628(日) マクロでしか合焦せず(ピックアップリペアサービスを利用)

その、5回目の修理を終えた"RICOH CX6"が午前に届いたことは知っていたけれど、夕刻に至ってようやく箱を開ける。

今回の修理で保証期間は切れた。しかし「今度また何かあれば、私にお電話ください」と、リコーの担当者はきのうの電話で自身の名を告げた。僕は「頼むぜホント」と心で唱えつつ、見た目こそ新品同様に戻った"RICOH CX6"を、ネオプレーンの赤いケースに戻す。


朝飯 納豆、生のトマト、ハムエッグ、蓮根の天ぷらの炊き物、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、ひじきと人参と揚げ湯波の炊き物、昆布の沖縄風炒め、茹でた小松菜の明太子和え、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁

昼飯 「なめこのたまりだき」の卵とじ丼、「夏太郎らっきょう」(改造版)

晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ、盛り蕎麦、3種の日本酒(冷や)


 2015.0715(水) メシの最中に鳴る電話

準備を整え、朝からきちんきちんとひとつずつ片付けていくと、仕事の能率は驚くほど上がる。その「きちんきちんとひとつずつ」がほころびると、それが後のすべてに影響してグズグズになる。「リスクをチャンスに変えられないのは、オマエの実力不足だ」と言われればそれまでかも知れないけど、リスクはやはりリスクだ。

本日は午前より、社員ひとりひとりと面談をしながら賞与を手渡す予定だったけれど、人手不足によりそれができなかった。午後もなにかと忙しく、賞与の説明は、やはりできなかった。社員にも都合というものがあるのだ。

そこに更に「本部から専門の者が来ておりますので、これからおじゃましてもよろしいでしょうか」という電話が銀行から入ったので「これからとか、今日たまたまとか、そういうことは、僕はいつでも無理です」と答える。

ところで、メシの最中に鳴る電話ほどゲンナリするものもない。しかし今日の昼飯のあいだに入った2本の電話には感謝を捧げたい。それらの電話の相手には、それぞれ「そうだったのか、どうも有り難う」と「了解しました、有り難うございます」と答えたような気がする。


朝飯 蓮根の天ぷらの炊き物、納豆、茄子の炒りつけ、ほうれん草のおひたし、胡瓜のたまり浅漬け、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、昆布の沖縄風炒め、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁

昼飯 茄子と隠元豆のカレーライス、「夏太郎らっきょう」(改造版)

晩飯 冷や奴、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、巻湯波の淡味炊き、胡瓜のたまり浅漬け鶏もも肉の網焼き、「高清水純米大吟醸」(冷や)、エクレア、"Bas Armagnac Duc de Loussac XO"


 2015.0714(火) 夏はいつから

上は半袖のTシャツ1枚、下は短めのタイパンツに素足に草履。その姿で新橋の、機関車のある広場を横切っていく。ビルの上の空は晴れている。猛暑は約束されたようなものだ。ただし朝のうちはただ暖かいのみにて、心地はこの上なく良い。

10時の来客面談については、下り特急スペーシアの始発に乗れば問題は無い。きのうのカウンター活動中「あとがき」に達した文庫本の、今朝は解説を読んだり、あるいはうつらうつらしながら下今市駅に着く。

15時より町内の公民館へ行き、倉庫に格納してあった東と西の子供みこしを、集まった役員たちと東の蔵まで運ぶ。そしてそれらを解体し、蔵の中の箱へと収める。公民館の神饌台は、いつものことながらイワモトミツトシ自治会長がひとりで片付けてくれた

18時からと決められていた直会にはすこし遅れて合流した。八坂祭が終われば、瀧尾神社のお祭りは秋季小祭を残すのみだ。町内の夏の催しは、今月21日から30日までのラジオ体操、そして8月2日の納涼祭で一段落をする。

夏は始まったばかりだ。あるいはいまだ梅雨の明けていないところからすれば、夏はこれからなのかも知れない。夏の、1日でも長く続くことを僕は望んでいる。


朝飯 「ポンヌッフ」のカレーライス(大盛り)、スープ(特注)

昼飯 夏の薬味冷や素麺

晩飯 「甚平」のあれやこれや、生ビール、「霧島酒造」の芋焼酎「黒霧島」(オンザロックス)


 2015.0713(月) 夏の朝

とても気持ちの良い夏の朝だ。微風は乾いて温かい。防湿庫からカメラを取り出し、そのすぐそばにある窓を開けて、午前4時28分の東の空を撮る。コモトリ君はいつの間にか起き出し、外へ散歩に出たらしい。

ウチに来たら何が食べたいかと、いまだバンコクを発つ前のコモトリ君に訊いたところ「オマエんちの朝飯、それにビール」と言ってきた。そういう次第にて今朝の家内は普段より多めのおかずを整えた。高橋義孝が言ったか池田弥三郎が言ったかは忘れたけれど、朝飯のおかずこそ、酒には合うのだ。

本日は中学2年生のとき病を得て亡くなった妹の祥月命日にて、朝のうちに家内と次男との3人で墓参りをする。ウチのお墓は小さい作りで石柱を外すことができる。妹のお墓についてはその石柱を抜き、外からは見えないところを水で洗う。

そうこうするうち「9時16分だよ」と家内が教えてくれる。僕の乗るべき上り特急スペーシアは下今市駅09:35発だから残り時間は19分。地面に横たえた石柱の砂を水で流し、注意深く基壇に戻す。

特急スペーシアが隅田川を渡る浅草から地下鉄銀座線で表参道に出る。facebookによればコモトリ君はひとり電車で日光へ行き、東照宮からは更にバスで奥日光まで足を延ばしている。午後に今市へ戻って蕎麦を食べれば、あとは羽田からバンコク行きの深夜便に乗る手はずだ。

当方は南青山の一角で夕刻を迎え、遂には東武日光線の最終に間に合わない時間になる。良いものを作るためならどうということもない。仕事が完了してのちは新橋に移動してカウンター活動を行い、ひと息をつく。


朝飯 昆布の沖縄風炒め、目刺しの網焼き、納豆、万願寺唐辛子の網焼き、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、「なめこのたまりだき」によるなめこおろし、生のトマト、冷や奴、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、メシ、シジミと万能葱の味噌汁

昼飯 「ふーみん」の牛肉煮焼き茄子定食

晩飯 「三政」のあれやこれや、チューハイ


 2015.0712(日) よく覚えていない

日本列島の北から南までくまなく、かどうかは不明ながら、僕の知る限りでは、先週の金曜日から晴れの日が続いている。雨の朝に鳥は啼かない。人も等しく、天気の快方へ向かうにつれて行動を活発にする。店も忙しくなって、とても有り難い

夕刻、春日町1丁目の青年みこしと子供みこしが、町内まわりをしながらウチに寄ってくれる。正に"Fortune is splashed out for our company from portable shrine"である。

八坂祭については、僕は町内の会計係として金銭の出納を行うことがもっぱらで、労働を供出するとしても、ぜいぜい子供みこしの準備と片づけくらいのものだ。よっておみこしを実際に担いでくれる人たちについては、本当に感謝に堪えない

僕はタイでは、往路のスワンナプーム空港からいきなり北へ飛ぶ。バンコクは帰りに2泊ほどを過ごすのみだ。その2泊のあいだはいつも例外なく会う同級生コモトリケー君が7月の初めから10日間の帰国をすることを知り、横浜から日光まで足を延ばさないかとfacebook経由で訊いたところ、来るという。

そのコモトリ君を、夕刻に下今市駅で迎える。そしてウチであれこれを食べ、飲みながら、しかしどのような話をしたかは、よく覚えていない。


朝飯 茄子のソテー、生のトマト、冷や奴、納豆、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、メシ、豆腐とズッキーニの味噌汁

昼飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、梅干し、「夏太郎らっきょう」(改造版)、塩鮭、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮によるお茶漬け

晩飯 ガスパチョタコとトマトとベビーリーフのサラダナコンサワンだかどこかのオバサンが作ったというミックスナッツ(コモトリ君のお土産)"neufrank"のコンビーフにほうれん草のソテーのせ巻湯波の淡味炊き牛ヒレ肉のたまり漬オーブン焼き冷やつゆ素麺、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"、"AUXEY DURESSES LOUIS JADOT 1985"、"Chivas Regal Royal Salute 21 Year Old"


 2015.0711(土) 撮影係

朝、仏壇に供える花を整えつつ、ふと南西の空に目を遣ると、幾重もの谷に雲を沈めた鶏鳴山が、青い空を背にして緑に浮かんでいる。きのうからの好天に「梅雨は明けたのではないか」と口にする人もいるけれど、僕はそれは信じない

「梅雨は雷に始まり、雷に終わる」という言葉がこのあたりにはある。それは確かに毎年、繰り返されてきたことだ。そして今年は、梅雨の入りにこそ雷は鳴ったけれど、その後ひと月ばかりはとんと耳にしない。梅雨は、いまだしばらくは続くはずだ。

午後、集団の息を合わせるための、規則正しい笛の音が聞こえてくる。外へ出てみると、当番町住吉町のみこしが総鎮守瀧尾神社に上がっていくところだった。全町のみこしが境内に参集する時間は14時と決められている。そして僕は春日町1丁目の写真撮影を頼まれていた。

そういう次第にて「ニーヨンハチゴー」のズームレンズを付けた"NIKON D610"を肩から斜めがけし、自転車で神社へと向かう。

問題の写真は、ヴェトナムから日光に働きに来ている、そして我が町内のお祭にはなにかと協力をしてくれているヴェトナムの人たちが特に良く写っていて、胸をなでおろした。紙焼きは無論のこと、データの形でも彼らに手渡せれば、彼らは即、異国で頑張るみずからの姿を親や兄弟に送ることができるだろう。便利な世の中になったものである

夜は特に蒸し暑く、食堂のエアコンディショナーを除湿にして回す。そしていつものお湯割りをオンザロックスに替えて焼酎を飲む。


朝飯 茄子のソテー、生のトマト、冷や奴、納豆、大根の味噌漬け、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン

晩飯 豚のシャブシャブ「山元酒造」の芋焼酎「さつま五代」(オンザロックス)


 2015.0710(金) 湘南MG(2日目)

潮騒はきのうの夜にくらべて静かになった。トンビが盛んに啼き交わしている。ベッドの脇に垂れるレースのカーテンを引き、べランダに出ると、左右にちぎられる綿のように雲は薄くなりつつあって、青い空が透けている。僕は部屋にひとつだけある事務机を占領してきのうの日記を書く。

揚陸されたヨットの集合を眺めつつ朝食を摂る。そして階下の研修室に入ると、海は窓一面に晴れていたそしてニシジュンイチロー先生による"Strategy Account"の講義から2日目が始まる

きのうカワナベコージンさんから受けたある提案とは、製造能力に優れ、しかし販売能力はまったく弱いカワナベさんの会社から、24円の商品を毎度7個ずつ買わないか、というものだった。

この提案に乗れば、カワナベさんはそこそこの値段でしか商品を売ることができないけれど、入札の苦労からは解放される。一方の僕は、商品の原価は高くなるけれど、原材料を仕入れて商品を作るまでの手間からは解放される。

自分でも商品を作りつつ、カワナベさんからも商品を仕入れる。その割合は5対5、という計画を僕は立てた。そしてその計画を何が何でも実行すべく、資金繰り表の最上部に覚え書きを残す。そして第4期に臨む。

11:10 第4期終了時の会社盤(自己資本375円)
12:30 知的散策
13:05 ビジネスパワー分析

先ほどのカワナベさんは4期で僕より上の売上高を記録し、B卓からA卓へと去った。おなじ作戦はもはや採れない。第5期は静かに始まったかのように思われた。しかし徐々に熱を帯び、その熱は更に高まっていった。ヌマオアキヒロさんの指は、興奮で震えている。大型機械を買い増した僕は、しかし17円しか自己資本を上げることができなかった

マネジメントゲームには様々な取り組み方があり、またその効果には様々な形がある。よって勝った人のみが偉いというわけではないけれど、ゲームと名のつく以上は数字に基づいた表彰のあった方が面白い。

そのような理由から設けられている最優秀経営者賞は、川崎から参加のイチカワアイさんが自己資本817円で、優秀経営者賞は、日光から参加のヌマオアキヒロさんが自己資本748円でそしてもうひとつの優秀経営者賞は伊豆から参加のタケシトーセーさんが672円で、それぞれ獲得をした。第1期開始時の資本金300円を、彼らは揃って5年後に倍増あるいは3倍ちかくに増やしたことになる。

先生の講義に引き続き原稿用紙に2枚ほどの感想文を書き、今年の湘南MGは17時すこし過ぎに完了した。

僕とヌマオアキヒロさんは、ムラカミノブオさんの運転するクルマにタケシトーセーさんと共に乗り込み、逗子まで送っていただく。そして僕とヌマオさんのみ横須賀線の上りに乗る。

北千住には19時03分という微妙な時間に着いた。酒飲みとしては、北千住は素通りできない土地である。友人と待ち合わせているというヌマオさんとは駅の構内で別れた。そして飲酒活動の前に帰りの切符を確保しようと券売機のある東武線のプラットフォームに降りると、時刻は19時05分だった。

僕には余裕を嫌い、ギリギリ、スレスレを好むところがある。これほど絶好の時間に北千住に着いたなら、そのまま帰宅するのが自分としてのあらまほしき姿ではないか、そう考えていさぎよく19時13分発の切符を買う。

切符に指定された場所は車両最前部の、ここをあてがわれるたび「半額にしてもらいてぇよ」と感じる、いわゆるダルマ席だった。そして21時前に帰宅する。


朝飯 「佐島マリーナ」の朝の定食

昼飯 「佐島マリーナ」のしらす丼

晩飯 夏野菜のスパゲティ"AUXEY DURESSES LOUIS JADOT 1985"


 2015.0709(木) 湘南MG(1日目)

参加者ひとりひとりが経営者となり、2日間で5期分の経営を盤上に展開するマネジメントゲームは、開発者のニシジュンイチロー先生や、その教えを受けた人たちが、膝元の品川をはじめ、全国各地で開催をしている。

そのうちの湘南MGは、中でも僕の好きなものだったけれど、どういうわけか一度、途切れた。それを復活させたのが溝の口のLR小川会計である。その会場はしばらく葉山だった。そして昨年は江の島、今年は佐島でを開催される。

08:40 イチカワアイさんのクルマにタケシトーセーさんと共に乗ってホテルを出る。
09:35 佐島マリーナ着
10:10 ニシジュンイチロー先生のインストラクションにより第1期開始

マネジメントゲームの1期はルールと決算の説明を兼ねるもので、5、6人がひとつ卓、つまり市場を形成はしても、勝負を競うことはしない。その1期を完了して昼食を摂ると、いよいよゲームが始まる

14:10 第2期終了時の会社盤(自己資本269円)
16:15 第3期終了時の会社盤(自己資本289円)

僕が資金繰り表の齟齬を探するあいだに、早い人は既にして決算書を提出している。そして第3期が終了すると、そのような「早い人」の中には、これまた早くも酒を飲み出す人が現れてくる。そのうちの、第4期からは同じ卓に着くカワナベコージンさんから、ある提案を受ける。

17:00 LR小川会計オガワユーゾー会長のお話
18:00 夕食および本日の感想の発表
20:15 研修会場に戻っての交流会から抜け出し、ひとりで入浴
21:00 研修会場でのサトーマサヒデさんによるマイツール教室に合流
22:20 明朝まで続くだろう教室から抜け出し部屋に戻る。

佐島の岩礁に打ち付ける、今日の相模湾の波は荒い。その音を聞くともなく耳にしながら眠りに落ちる。


朝飯 「ホテルウイングインターナショナル湘南藤沢」の朝のブッフェ

昼飯 「佐島マリーナ」のハンバーグ定食

晩飯 「佐島マリーナ」の夜のお膳、菊正宗(お燗)


 2015.0708(水) 傘を巡る問題

7月とはいえ、いまだ分厚いセーターを仕舞うことができない。起床して半袖のポロシャツ1枚で食堂に入るといささか寒い。エアコンディショナーによる暖房のスイッチに手を伸ばし、流石に思いとどまる。そしてきのうに引き続きセーターに袖を通す

荷物はできるだけ減らしたいから傘は持たず、傘が必要ないほどの雨の降る中を、自転車で下今市駅へと向かう。そして12時35分発の上り特急スペーシアに乗る。

藤沢の駅から外に出ると、傘は欲しいけれど、しかし持っていなくても特段の問題は無いほどの雨が降っていた。そして昨年も泊まったホテルにチェックインをする。

17時がちかくなったため、部屋から出てレベータの下りボタンを押す。上から降りてきたその扉が開くと、夕方から飲む約束をしていたイチカワアイさんが乗っていた。

フロントには綺麗な折りたたみ傘が600円で売っていたけれど、買わなかった。持ち物を増やすことがイヤなのだ。これがたとえば100円のレンタル傘なら間違いなく借りていただろう。

イチカワさんの持つ傘に半身を入れて歩き始めると、間もなく、やはり約束をしていたタケシトーセーさんが駅の方から歩いてきた。自身が予約した店には遅刻せず入りたいイチカワさんは、我々ふたりのみ先に行くことを決め、そして小雨の中を駅の反対側に回る。

タケシさんは我々に遅れること数分で店に入ってきた。そして僕としては割と長時間に亘る、5時間ちかくの飲酒活動に従う。雨は、傘がなくては凌げないほどに強くなっていた。


朝飯 生のトマト、目刺し、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、ハムエッグ、茄子のソテー、大根の味噌漬け、揚げ湯波とセロリの炒め煮、納豆、メシ、茄子と万能葱の味噌汁

昼飯 「美彩たむら」の日替わり弁当

晩飯 「久昇」のあれやこれやそれや。麦焼酎(オンザロックス)、日本酒(冷や)


 2015.0707(火) 熱風

4時すぎに洗面所の遮光カーテンをすこしずらして北の方を眺めると、空はいくらか晴れていた。しかしその、青とオレンジの重なり合いは間もなく、鉛色の雲に覆われ見えなくなった。梅雨がいつまで続くのは困る。

「2015年 梅雨 長期予報」と検索エンジンに入れてみると「2015年の関東の梅雨明けは、7月15日ころから7月23日ころのあいだ」と、あるページにはあった。

東南アジアでは雨期の最中にも毎日、青い空と白い雲、そして太陽の直射が約束される。雨は午後や夕方や明け方に一気に襲ってきて、しかしすぐに上がる。それに比しての日本の雨期は、いつまでも降ったり曇ったりするところがいただけない。

きのう道を歩きながら気づいた、味噌蔵の塀に作られた蜂の巣を夕刻に見に行く。普通の蜜蜂だから刺されても大したことにはならないだろう。しかしおととい使った薬がいまだ余っている。蜂には気の毒ながら、明日にも駆除することを決める

アスファルトの上を熱風が駆け抜ける夏の待ち遠しい、今日この頃である。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、目刺し、島豆腐と2種のピーマンのチャンプルー、納豆、とろろ、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 ラーメン

晩飯 トマトとレタスとセロリのサラダ南瓜とジャガイモのグラタン隠元のソテーを添えたミートローフチーズケーキ"AUXEY DURESSES LOUIS JADOT 1985"


 2015.0706(月) 記憶

きのう、おとといと日記にハワイアンのことを書いて、2階の倉庫に置き放したウクレレに思いが至る。用事があって2階へ行くたびそれは目にしていたけれど、いつまで手を伸ばさずにいた。それを今日は遂に、4階の食堂まで運ぶ。

さぞかし埃にまみれていただろうケースにアルコールを噴霧し、ティッシュペーパーで拭くと、しかし人の出入りのほとんどない場所に置かれていたそれは、意外や汚れていなかった。そしてウクレレを取り出し、調弦する。

驚いたことに僕は、中学高校のころからつい十数年前まで覚えていたコードを、まったくと言って良いほどに忘れていた。一体全体、人間とは、このようなことまで簡単に忘失してしまうものだろうか。

「体で覚える」という言葉があるけれど、とすれば僕はウクレレのコードについては体で覚えていなかったことになる。

知っている人がふたりばかり、目黒不動尊のちかくのウクレレ教室に通っている。僕も習いたい気持ちはあるけれど、今の忙しさでは、まぁ、無理だろう


朝飯 目刺し、らっきょうのたまり漬(試作品)、ラタトゥイユ、目玉焼き、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、とろろ、納豆、メシ、ジャガイモと万能葱の味噌汁

昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬(試作品)

晩飯 サーモンとポテトのグラタントマトとアボカドのサラダ南瓜のスープ茄子とズッキーニのソテーを添えたミートローフ"AUXEY DURESSES LOUIS JADOT 1985"


 2015.0705(日) にしひがし

きのうの日記には小錦の歌うハワイアンについて書いた。そして今朝、テレビを点けると偶然その小錦が、浪曲師の国本武春と対談をしている番組が映し出された。番組はふたりが自身のウクレレと三味線に合わせて歌う「カイマナヒラ」で締めくくられた。朝から大いに得をした気分になった

15時すこし前に店を抜け出し、八坂祭の準備をするため、春日町1丁目の公民館へ向かう。そしてそこから「東の蔵」へと回る。

春日町1丁目は日本橋を背にして日光街道に立ち、東照宮を向くと右手が東、左手が西となる。町内に1基の青年みこしに対して、子供みこしは東と西がそれぞれ1基ずつ持っている。おととしまで西の倉庫に置かれていた西の子供みこしは、昨年から東の蔵に収められることになった。

集まった人員は、公民館の飾り付けをしているイワモトミツトシ自治会長を除けば、はじめは僕を含めて3人だった。その3人で西の子供みこしを東の蔵から出し、西にある公民館まで運ぶ。

そこにオノグチショーイチ頭が加わってそのみこしを組み立て、また八坂祭の最中には会所となる公民館の入口に提灯台を置く。

ふたたび東の蔵へおもむくと、人数は5人に増えた。そこで東の子供みこしを蔵から出し、今度はその場で組み立てる。このみこしの完成したのは、その底部の記録によれば昭和10年6月7日総工費は68円とあった

東の子供みこしも先ほどと同じく西へと運ぶ。それを西の子供みこしと共に西の倉庫に収める。そしてその頭上にある公民館への階段を上がる。

公民館は自治会長の手により14日の渡御を待つばかりに整えられていた。そこでしばしお茶を飲む。

終業後は製造係のマキシマトモカズ君と販売係のハセガワタツヤ君が、店の軒先から蜂の巣を取り除く作業を見守る


朝飯 島豆腐とピーマンのチャンプルー、目刺し、ほうれん草のおひたし、納豆、胡瓜のたまり浅漬け、豆腐と揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 焼きそば

晩飯 ラタトゥイユ、ハンバーグステーキ、スパゲティ、ワインあれこれ、フルーツケーキ、"Bas Armagnac Duc de Loussac XO"


 2015.0704(土) "HAWAII"

早朝の仕事のあるときには、4時45分にアラームが鳴るよう、前夜のうちにiPhoneに設定を施しておく。しかし実際には、その時間が来る前に目を覚ます。そして製造現場から自宅の食堂に戻って、以前は小錦八十吉、現在は"KONISHIKI"の、いまだ全曲を聴いたわけではないアルバム"Nanakuli"をBOSEのプレイヤーに差し入れる。

7曲目のアップテンポのサンバが、ロマンティックでありながらヤケにカッコイイ。ケースからライナーノーツを引き出し見てみると、曲名は"HAWAII"、作曲をしたのは"Herb Ohta"とあったから「ったくしょーがねぇなぁ」と溜息をつく。

ハワイアンの曲に「ハワイ」とは、面倒くさがりハーブオオタの真骨頂である。"Undecided"だの"No title"としてくれた方が、まだマシだった。ハワイアンの曲に「ハワイ」では、googleも空振り必至ではないか。

それでもようやくこの曲を含むハーブオータのアルバム、その名はこれまた"HAWAII"を見つけ、amazonに発注する。


朝飯 大根の味噌漬け、胡瓜のたまり浅漬け、空心菜のソテー、冷や奴、納豆、メシ、茄子とズッキーニの味噌汁

昼飯 茄子とピーマンのつゆによる素麺

晩飯 トマトとアボカドのサラダ隠元豆とマッシュルームのソテーを添えたビーフステーキ、たまり漬「青森県田子町産のにんにくです。」、"ALOXE CORTON LOUIS JADOT 1984"


 2015.0703(金) 人に金を出させるということ

おなじ町内に育ち、しかし今は独立して他所で暮らしているひーちゃんと、行きつけの飲み屋で隣り合ったことがある。「ここに来ること、あるんだね」と話しかける僕に「えぇ、ずいぶんと前から飲ませていただいているんです」とひーちゃんは、子供のころから変わらない笑顔で答えた。

金を払いながら「飲ませていただいている」とはずいぶんと奥ゆかしいものだと、僕は大いに感心をした。

ネパールで大震災が起きたとき「せめて寄付くらいしなければ」と、いてもたってもいられない気持ちになった。それは僕がネパールで「ずいぶんと前から遊ばせていただいた」からに他ならない。

晩飯の最中に電話が入る。それは、名簿に広告を出してくれないか、という頼みだった。「ウワサワさんは、もっと宣伝をしても良いと思うんですね」と言うので「どうしてですか」と訊くと「ウワサワさんに興味を持っている人がたくさんいますから」と、相手は続けた。

名簿に出す広告は、実際は寄付に他ならない。効果の望めない広告に金を出させようとするとき効果を謳っては、それこそ逆効果だ。「あなたにとっては迷惑だろうけれど、ひとつ我々のために金を捨ててくれないか」とでも言ってくれれば「しょうがねぇな」と苦笑いをしながら僕はお金を出したかも知れない。

そうして食卓に戻って「オレに金を出させる気にさせる人とは、どのような人だろう」と考える。あるいはまた「オレが金を出したくなる状況とは、どのような状況だろう」と考える。

あれこれ頭を巡らせて「単純なもんじゃねぇな」ということを改めて知る。「人に金を出させる気にさせる」とは、なかなかに難しく、奥の深いものと、改めて知る。


朝飯 ほうれん草のおひたし、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、茄子とピーマンのソテー、冷や奴、メシ、ズッキーニの味噌汁

昼飯 「大貫屋」のタンメン

晩飯 トマトと茄子とズッキーニのスパゲティ、"Domaine Hamelin Petit Chablis 2014"


 2015.0702(木) 引き締め

8時55分に会社を出て9時から複数の銀行その他を回ろうと考えていた、その出鼻を狙い澄ましたように「朝のうちに行っていいですか」と、僕に用事のあるらしい人から電話が入る。

5以上の数字はすべて「たくさん」と表現する未開の部族がいると、どこかで読んだことがある。当方を訪問する時間について「朝のうち」とか「午前中」とか言う人は、その部族に似ている。「朝のうち」とか「午前中」とは、一体全体、何時何分を指すのだろう。

そうこうするうち「直ぐに行きます」という別の人から電話が入る。その人が実際に来たのは電話から1時間後のことだった。

8時55分に会社を出て9時から複数の銀行その他を回ろうと考えていた僕の計画は、朝から丸崩れである。そしてそれが脳に過重な圧力を与えたのだろう、数秒前のことをポッカリ忘れ、風景や状況をまったく取り違えて信じ込む、ということが突然、発生した。

脳がかなり衰えている証拠である。引き締めなければいけない。


朝飯 茄子のソテー、万願寺唐辛子の網焼き、納豆、大根の味噌漬け、生のトマト、昆布の沖縄風炒め、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁

昼飯 「蕎粋庵」のわさび葉蕎麦(大盛り)

晩飯 春雨サラダパックブンファイデーンムースーロー「紅星」の「二鍋頭酒」(生)杏仁豆腐


 2015.0701(水) だからどうした?

ソニーの"RX1"を手に入れようとして、今年の3月から小遣いを節約しはじめた。ところがその後「商売にも使うなら、つぶしが利くのは一眼レフだ」との助言を各方面から受け、5月に会社の経費でニコンの"D610"とレンズ"NIKKOR AF-S 50mm F1.8/G"を買った。

3月と4月の節約により貯まったお金は「ここに頼めば途中で抜かれることもないだろう」と考えられる団体を通じて震災に見舞われたネパールに寄付をした。

そして今般、僕を急襲したのが"Leica Q"の発表である。

銀塩の時代にはライカを愛用した僕だけれど、デジタルになってからは、それを欲しいという気持ちはまったく起きなかった。それは以下の理由による。

1.接近戦の好きな自分に最適なカメラは"RICOH GR DIGITAL"である。
2.食べ物をちかくから撮ることの多い自分にレンジファインダーは向かない。

それでは"M"および一連のデジタルライカに興味の無かった僕が、なぜ"Q"には強く惹かれるのか、理由はひとつやふたつではない。すなわち

1.レンズ交換式よりレンズ一体型のカメラの方が衛生的で好き。
2.ズームレンズの便利さよりも、単焦点の簡素さが好き。
3.好きな画角は35ミリだけれど、28ミリも使い慣れている。
4.ズミクロンでも良かったけれど、ズミルクスなら、より明るい。
5.EVF(electric viewfinder)内蔵。
6.マクロ機能付き
7.手ブレ補正機能付き
8.ストロボ非搭載(使わない機能は要らない)
9.シャッター速度は軍艦部のダイヤルで設定。(銀塩ライカと同じ)
10.絞りはレンズのリングで設定。(銀塩ライカと同じ)

価格は税込58万6,440円。「だからどうした?」というライカ側の顔が目に浮かぶ。


朝飯 揚げ湯波と玉子の雑炊、大根の味噌漬け、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、昆布の沖縄風炒め、らっきょうのたまり漬

昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン

晩飯 茄子とズッキーニと赤ピーマンのオリーブオイル焼きハムと夏野菜のスパゲティ、ワインあれこれ