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一汁三菜のルーツは千利休にあった!?

一汁三菜のルーツは千利休にあった!?

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上澤佑基

コラム2 上澤佑基
一汁三菜コラム

「一汁三菜」は汁物1品とおかず3品(主菜1品+副菜2品)で構成された献立で、日本の食卓に伝統的に根付いている食事スタイルです。ごはんでエネルギー源となる炭水化物を、汁もので水分を、おかずでその他の栄養をバランスよくとることができます。

平安時代から室町時代まで、食事の正統な形式は「本膳料理」と呼ばれていました。基本的に三膳の料理から成り、食事や酒宴を合わせた、わりと大掛かりなものだったようです。とくに室町時代は家臣が将軍や大名を自宅に招いてもてなす「御成」が流行し、三膳だった料理が五膳になり七膳になり、宴会は夕方から翌朝まで延々と続くのが習わしになっていました。しまいには菓子を刺す串に金箔銀箔の飾りをつけるなど、とにかく豪華で贅沢なものが主流となっていきました。家臣から大名や将軍への接待合戦ともなれば、エスカレートするのは当然です。

質の良いものをきちんと使いつつ、
粗末に見えるようにする気配り

この文化に、明確に異を唱えたのが千利休に代表される「わび茶」の思想です。利休は、秀吉の茶頭だった時代にわび茶における料理を体系化しました。  この頃から、利休が主催する茶会で出される料理は本膳料理と明確に区別され、「会席」と表現されるようになっていきます。茶の席に会することから「会席」と表現されました。この「会席」の内容は一汁二菜、一汁三菜、一汁四菜が全体の90%近くを占めているという調査もあります。利休の弟子が記したとされる茶道の指南書『南方録』によれば、利休は「小座敷ノ料理ハ、汁一ツ、サイ二カ・三ツカ、酒モカロクスベシ、ワビ座敷の料理ダテ不相應ナリ、勿論取合ノコク・ウスキコトハ茶湯同前ノ心得也」と述べています。一汁二菜か三菜で、酒は軽めに、「伊達」は不相応、質素なくらいがちょうどいいというという意味です。

しかしながら、粗末でいいというわけではもちろん なく、むしろ、一品の「質」については、当然気を配っていたのも事実です。「物を入れて、そそうにみゆる様にするが専らなり」という言葉がそれを表しています。質の良いものをきちんと使って、粗末に見えるようにするのが良いというわけです。

利休は、本膳料理から様々な装飾をそぎ落としていき、「和食の本質」を研ぎ澄ましていきました。その行き着いた先には一汁三菜という「和食のフォーマット」があり、それは現代日本の食卓にも、力強く息づいているのです。

本コラムは大岡響子さんの学位論文「千利休の懐石とその二重性:『やつし』のもてなし」にその多くを拠っています。
ここに感謝の意を表します。

【参考文献】
・熊倉功夫『日本料理文化史ー懐石を中心に』(人文書院、2002)
・熊倉功夫『現代語訳 南方録』(中央公論新社、2009)
・石毛直道「食事文化の変容」『石毛直道自選著作集』第5巻(ドメス出版、2012)
・岩村暢子『<現代家族>の誕生ー幻想系家族論の死』(勁草書房、2005)
・阿古真理『小林カツ代と栗原はるみー料理研究家とその時代』(新潮新書、2015)