弊・上澤梅太郎商店は、来年(2020年)3月末の飲食店開業を目指し準備に入りましたこと、ここにご報告申し上げます。


店名は「汁飯香の店 隠居うわさわ」



蔵と同じ敷地内にある築150年の伝統家屋(隠居)を改装して店舗といたします。





そして、汁・飯・香の物、すなわち「ごはん、味噌汁、漬物」を「和食の基本ユニット」であると定義し、基本的には朝食メニューを中心として、これらが持つ豊かさを高く宣揚してまいりたいと考えています。




なぜ「汁飯香」なのか?



なぜ「汁飯香」が和食の基本ユニットであると考えるか。すこし想像してみてください。


・チキンステーキ
・麻婆豆腐
・鯖の味噌煮


これらのなかで、明らかに「和食」と言える料理は鯖の味噌煮くらいでしょう。では、ここに「ごはん、味噌汁、漬物」が追加されたらどうなるでしょうか。
それぞれ


・チキンステーキ定食
・麻婆豆腐定食
・鯖の味噌煮定食


と、現代のわれわれ、日本の食事に慣れたものにとって、ふだんの食卓にまったく違和感のないものになるはずです。


「ごはん、味噌汁、漬物」が加わることで、チキンステーキや麻婆豆腐は、鯖の味噌煮と等価のものになります。それぞれの出自が西洋料理、中華料理であるにもかかわらず、です。それら個別の歴史や文化的背景などはいっさい気にせず「ごはん、味噌汁、漬物」というユニットに組み込まれたら、それはすでに「日本の食事」として体系化された、といってもいい状態になってしまうのです。このとりとめのなさ、あるいはユルさ、といって語弊があるならば、文化的寛容さ。これこそが「和食の真骨頂」ではないかと考えるのです。


そのように考えたとき、「和食」の可能性は大きく拡張されます。と同時に、日本の食べものの歴史を考えたときに、これは当然なことであるようにも感じるのです。中国西南部からもたらされたナレズシが日本化された結果が握り寿司であり、ポルトガルからもたらされた衣揚げが日本化された結果が天ぷらである、というような例を持ち出すまでもなく、様々な文脈をもった料理そのものを、自らのなかに貪欲に取り込んでいくことで日本料理は日本料理たりえてきました。それを各家庭レベルで可能にする基本構成要素が「汁飯香」なのです。

「汁飯香」のルーツ



汁飯香におかずが1品加われば、それは「一汁一菜」と呼ばれます。3品加われば「一汁三菜」です。「一汁三菜」は、一説によれば、千利休によって、茶会席の料理の理想形として構想されたものです。長い時間の淘汰を経て、また、茶の湯という高度に思索的な実践の練磨を経て、いまもなお、われわれの家庭には「一汁三菜」のもつ実利性(ある程度の手軽さ)、合理性(栄養バランス)、そして美しさが息づいているのだ、と言い切るのは大げさに過ぎるでしょうか。


簡素かつ健全。これこそわれわれが理想とするところです。利休に言わせれば「物を入れて、そそうにみゆる様にするが専らなり」。質の高いものをきちんと使った上で、質素に見えるくらいがちょうどいいのだ、というわけです。

いま・ここを生き抜くために



おそらく、飽食の時代に生きるわれわれが、三度三度決まった時間に食事をとることに、何らの切迫した事情はないといっていいでしょう。むしろ、社会は、食べたいと思った時に、いつでも、手軽に食べたいものが食べられる、という方向に進歩してきたと言えます。その象徴的存在がコンビニエンスストアやファミリーレストラン、まさに「ファスト・フード」です。飢餓に苦しんできた人類にとって、これは福音と言わなければなりません。朝食を食べなくても昼食がふんだんに手に入る、昼食をたべそびれたとしても、おやつが食べられればいい。それを支えうるだけの社会的なインフラは、すでに張り巡らされています。


社会情勢も変化しています。もはや共働きはあたりまえ。都心では通勤に片道2時間かかるという人も珍しくありません。食事よりも休息が欲しいと感じるのは人情というものです。日本においては、飢餓の問題はほぼ克服されているとはいえ、またちがった形の辛苦がそこにはあるのです。


それだけに、というべきか、「朝食」は、まっとうな生活の象徴にすらなっているようにさえ感じます。もし朝食がまっとうな生活を表象するのだとすれば、そこで食べられるべき食事とは、やはり「汁飯香」を基本ユニットとした「一汁三菜」型の献立なのではないかと思うのです。その理由はすでに述べたとおりです。

和服の現在形、、、



しかしながら、本邦におけるお米、味噌、漬物の消費量は右肩下がりに下がり続けており、とどまるところを知りません。弊社のお客様のなかにも「けっきょく、漬物ってどうやって食べるんですか?」「味噌汁って嫌いなんだよね」「コメは食べない派なので」とおっしゃる方が多くいらっしゃいます(ウチは味噌と漬物の店なのに!)。これらには複合的な社会的原因があるように思いますが、本題とは外れるためここでは分析はしないこととします。ただ、このままでは「和服」がたどった道を「和食」もたどることとなってしまうような危機感を抱いています。つまり、日本文化の象徴のように認識されているにもかかわらず、日常ではもはやほとんどの人が利用していないし、できない。ハレの日だけに、専門業者の手を借りることでようやく手に入れられるもの、それもレンタルで。というふうに。それはあまりに寂しい光景のように思えますが、すでに現実です。われわれ、和食材に関わるものはみなすべてこの問題に対峙し、誠実に、また時代に即した自由さで、こたえを導きださなければなりません。


400年前、日光東照宮が創建され、江戸日本橋から日光東照宮を結ぶ日光街道が開削されました。時を同じくして、上澤商店は、東照宮の年貢米預かり業として創業。のち、味噌醤油醸造卸を兼ねるようになり、戦後からは、当代梅太郎の「日光に冠たる名産品を作る」という志のもと、味噌醤油醸造技術を生かした漬物の製造販売を生業としてきました。そのわれわれが、「ごはん、味噌汁、漬物」の揃った食卓の豊かさを確固たるものとして伝え広める場をつくること。これを以て、困難な時代に対するわれわれのひとつの回答としたいと希っています。

「朝ごはん」ツーリズム



また、弊社がこの場所(日光市・今市地区/伝統家屋)で、朝食に特化した飲食店を開業することについては、地域の旅行・観光価値を底上げする役割を果たすこともできるのではないかと、僭越ながら考えています。


自分が観光客となったときのことを振り返ってみれば、その地方に根付いたものに触れたいと思うのは日中の観光だけに限りません。朝起きてから夜眠るまでのすべての時間、日常から離れた体験をしたいと思う気持ちが旅行の本質のようにも思います。観光でみえるお客様のなかには、手軽なものを求めているかたもいらっしゃるでしょうし、また、地元でたべられている地域性の高い料理を味わい、より密な観光体験をしたいと思っている方もいらっしゃるでしょう。


その一方、早朝から移動を開始する観光客、あるいは素泊まりや道の駅での車中泊の宿泊者に、宿泊施設以外で朝食を提供できる施設が、今市地区には、まだわずかしかありません。このギャップを埋める一助を、「汁飯香の店 隠居うわさわ」が成し遂げられれば、幸甚この上ないことです。


われわれが位置する「今市」はもとより日光街道(日光〜江戸)と会津西街道・例幣使街道(会津若松〜京都)を結ぶ街道の結節点として栄えてきた「宿場町」です。県北地域における物流や商業の中心として、ヒトとモノとの行き交ってきた町です。弊社も例外なく、その歴史のうつろいとともに歩んでまいりました。この「宿場町」という歴史的機能が、いま、観光旅行のスタイルが多様化してきた現代にあって、再び脚光をあびることになるでしょう。今市に宿を取り、ここから日光や鬼怒川温泉にバウンディングしていくようなプランは、一部の旅行客の間ではすでに常識となっています。

ローカルな価値の再発見



今市においては、夜の飲食店街もまだまだネオンの輝きを失っていません。ローカルな価値観の発信という意味において、また、日光と鬼怒川温泉のハブ(繋ぎ目)という意味においての今市は、地域の他の観光地に負けず劣らず魅力的です。なぜならそれは、歴史的な必然性をもっているからなのです。ここにさらに「朝食専門店」を作ることによって、今市固有の観光価値、ひいては日光・鬼怒川温泉を含む日光市域全体の観光価値を、さらに向上させられるのではないかと考えています。


とはいえ、これらはまだまだ机上の空論でしかありません。


2020年春以降、これらの価値観を現実・具体のものとするために、弊・上澤梅太郎商店は一層の努力と実行を続ける所存です。弊社にしかできないこと、弊社であればできること、弊社がぜひやらなければならないことを考え抜いた末の決断です。まさに「背水の陣」の心持ちでおります。





今後ともより一層のご支援を賜りたく存じます。何卒宜しくお願い申し上げます。