小遣い帳のススメ

1998年の春に、僕の長男は自由学園の中等科に入学しました。全寮制の学校なので、机の上の勉強以外についても多くの指導が行き届いていて、 「お知らせ」 のプリントの中には「生活の記録にもなる小遣い帳は、ぜひつけるように」 というものもありました。

「金銭出納帳が、生活の記録になるや否や?」 これがなるんですね。予期せず発見された1981年の小遣い帳について、僕が自由学園卒業生のメイリングリスト PDN ( Primary Dougakunotomo Network ) に書いた文章が、以下です。


5 INET GATE uwasawa.takuya@nifty.ne.jp 1998/08/27 23:47
題名:[GEN:01726] 1981年の小遣い帳(長文)

皆さん、こんにちは

>皆さんの夏季休暇はいかがでしたでしょう。楽しいお話がありまし
>たら、ぜひGEN会議室でお聞かせ下さい。

28回生のワタナベさんが、息子さんと常念から蝶ヶ岳まで歩かれたということで、僕も中等科1年生の息子と、秋葉原から神田明神の男坂を登り、明治大学まで歩きました。とても比較になりません。
これが、8月20日のこと。

8月21日は、この息子と一緒に、神保町のヤノさん宅で行われました "Computer Lib" の 「eメイル中級教室」 に出席しました。参加条件のひとつに 「コンピュータは持参のこと」 という個所がありましたので、僕はIBM535、息子は僕のお下がりのIBM530を持参しました。

吸収は、息子の方が早いです。以前、カトータケルさんが 「遠足の装備と同じく、パソコンも教材として購入したら?」 とおっしゃいましたが、募集要項に予め記載すれば、父母の抵抗もないでしょう。

教室も無事に済んで、神保町 「新世界飯店」 から湯島 「太昌園」 をハシゴするという荒技の夕食も終わり、湯島天神横の切り通し坂を上がって、僕が学部時代から5年間住んだ本郷の家へ入りました。

古いクーラーの室外機が大きな音を発し、夏風邪防止のために開け放った窓から響いて、深夜にときおり目をさますようなありさまでしたが、10数年ぶりに泊まったこの家の一室は、まるでアリババの洞窟のようでした。

僕の勉強机や本棚に触れると、いちいち手を洗いに行かなくてはいけないくらいのホコリでしたが、その中から発見したもののうち一番楽しめた品物が、1981年の小遣い帳です。

1981年、僕は当時山の手線内に唯一残存した造り味噌屋である、港区三田4丁目の田中味噌醸造所に勤めていました。

自由学園のオフィシャルな小遣い帳ではなく、裏表紙に "tomiyasu" とサインのあるノートの表紙に 「古典・上澤卓哉」 と書かれたもので、この "tomiyasu" とは、現在、内科医になっている36回生のトミヤス君でしょう。

裏表紙にサインを入れたけれども使わない、そんな下級生のノートを安く買って、それをヤマグチヒカル先生の古典の授業に使おうとしたが、どういういきさつによるものなのか、使わずに終わってしまった。それを後に、小遣い帳に転用したものと思われます。 古典は好きな授業で成績も良かったため、サボッてノートをとらなかったワケでもないのでしょうが、どうもこのあたりがナゾといえばナゾです。

・ ・ ・ うー、前置きだけで疲れてきました。ここで51行。

この田中味噌醸造所は、別段社員も不要だったところ、同業のよしみでむりやり頼んで入社させてもらったこともあり、給料は当時の水準としても低い日給3,000円でした。

普段は、江戸時代の蔵びとと変わらない半裸体による味噌の仕込みと、都内や近郊への配達。 1ヶ月に1度、日曜日を利用して百キロ以上離れた遠方に配達に行くと、この手当が5,000円。 つまり月に8万円台のお金で、つつがなく暮らしていたことになります。

小遣い帳は会計の基礎で、 「前期繰り越し」 「今期イン」 「今期アウト」 「次期繰り越し」 をあらわす文字と数字のみの情報ですが、この1981年の小遣い帳については、膨大に広い行間を持つ物語を読んでいる気分でした。

ちょっとしつこい感じもしますが、内容から抜粋します。

1981.0110(土)
シンスケ 1,900
この 「シンスケ」 とは東京の居酒屋の雄で、湯島天神下に今でもあります。1,900円とは、銚子1本と料理2品くらいのものでしょうか。あの時分には 「高いなぁ」 と感じました。

1981.0111(日)
草の家 3,000
昨日シンスケ、今日は麻布の焼肉屋 「草の家」 とは豪勢ですね。支払った料金がピッタリなのは、誰かと一緒に食べてのワリカンだった模様です。

1981.0114(水)
麗郷 1,150
これは、渋谷の狭い横町に今もある台湾料理屋でしょう。この出金だと、食べた物は多分、二品です。 あるいは ・ ・ ・
紹興酒1合と五目焼きそば、とか。

1981.0115(木)
煉瓦亭 2,900
しかし贅沢な労働者です。あるいは独り者とは、こんなものなのでしょうか。セロリのサラダがとても美味しかったことを覚えています。またこの日は家内と共に銀座8丁目の博品館で春風亭小朝、三遊亭円丈たちの落語を聴いたはずで、この記憶も鮮明。

1981.0131(土)
呑太 2,700
ここはバブル時代に地上げされましたが、新橋のヤクルトホールの西側に、共同便所を持つ怪しげな飲屋街があり、その一角に位置した店です。自由学園から慶應義塾大学応援指導部に進んだ35回生のコモトリケー君が、僕に呼び出しをかけてくるのは、多くここからでした。

1981.0215(日)
大黒屋 1,300
相撲 2,000
浅草で、天丼を食べながらビールの小瓶でも飲んだのでしょう。そこから当時は蔵前にあった国技館へ行き、天井桟敷で相撲見物をしました。これは35回生のサカイマサキ君と一緒でしたが、サカイ君の連れていたのが女子部55回生の ・ ・ ・ えぇっと、ナカジマモトコちゃんという可愛い人。危ないね、どうも。

まぁ、何月何日にどの店で何を食べたという記録を、いちいち書き出していくとキリがありません。

しかしこういう相撲見物、落語鑑賞、ジャズクラブ、映画、コンサートなどに気楽な生活を送りながらも、赤字の月はこの1981年の1月のみ(-59円)で、同年の大晦日には、1年間で148,972円の累積黒字を計上しています。基本的には、僕の自炊好きのためでしょう。

1981.0309(土)
赤貝1Kg 1,200
鯖1本   400
ほたるいか1皿   450
やりいか1杯   200
中トロさく 2,400

これは明らかに、本郷の自宅から三田の会社へ出勤する途上、築地の場外で仕入れた物で、夕刻には、当時港区白金にあった家内の家で、ワイワイ言いながら調理したものと思われます。

また、女子部57回生のモリレーコちゃんの家が自宅から至近にあり、ここでもたびたび夕食をご馳走していただいている記録があります。

それからこれは、みっともない話ですが、現在は男子部35回生のヨネイテツロー君の奥さんになっている女子部56回生のトームラモモコちゃんに20円をもらって、新宿から地下鉄丸の内線で本郷三丁目まで、帰宅の途についた記述もあります。財布がスッカラカンになるまで遊んでしまったのでしょう。

上記以外にも、書ききれないほどの人たちに、特に食事の面ではお世話になった場面が随時メモされ 「オレもこれからは、人の世話をする番だなぁ」 などという感慨も、また湧いてきた夏の午後でした。

いやぁ、できることなら1981年の小遣い帳1年分の記録を、ここに掲載したかったです。しかし明らかに僕は、露出狂でしょうね、ある種の。

1998.0827(Thu) 16:08 上澤卓哉(35回生) uwasawa.takuya@nifty.ne.jp


小遣い帳のススメ
1998.0827