2025.7.11(金) 素麺のつゆ
起床は4時23分。窓2枚を開け放つと、角部屋の食堂は、7月の朝とは思えないほど、あるいは足温器が欲しくなるほど涼しくなった。
「フィルターを掃除せよ」と、きのう警告灯の点いた天井の空気調和機から、脚立に昇って2枚のフィルターを外す。そしてこれを、流しの蛇口をシャワーに切り替えて洗う。からだが思うように動かなくなった独居老人は、このようなときには、さぞかし不便だろう。
ところで先月19日に作った麺つゆ1,600ccが「あと1回分」のところまで減ったため、昨晩より昆布と干し椎茸を鍋の水に沈めておいた。5時よりその鍋を加熱し、沸騰させないまま一定時間を煮る。昆布と干し椎茸を除いて後は2種の鰹節を加え、やはり沸騰させないまま一定時間を煮る。
麺つゆは、朝食をはさんで7時30分に完成した。備蓄は人の心を豊かにする。前回の分は、3週のあいだ保った。とすれば今回の分は、来月の頭まで保つ計算になる。麺つゆは、作るより既製品を買ってしまった方がよほど安い。手間は勿論かからない。それでも自分で作るのは、まぁ、趣味のようなものだ。
きのうの日記に書いた雷は、残念なことに、今日は鳴らなかった。7月6日から翌7日にかけてのたかだか半日のあいだに「関東甲信の梅雨明けは当分無し?」と「梅雨明け秒読み」の予報が入り乱れたことを振り返れば、この先の天気も気にするだけ無駄、という気はする。
朝飯 切り昆布の炒り煮、茄子の揚げびたし、菠薐草のソテーを添えた目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、舞茸の天ぷらとズッキーニの味噌汁
昼飯 納豆と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 豚薄切り肉と小松菜の鍋、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、「出羽桜酒造」の「つや姫純米吟醸」(冷や)、ロシアケーキ、Old Parr(生)
2025.7.10(木) カミナリ三日
きのうは早く寝に就いたものの、今朝の起床は4時12分だった。からだが眠りを必要としていたのだろう。
既にしてほとんど書けていたおとといの日記を完成させて公開し、きのうの日記を完成させたところで、きのう事務室から持ち来た「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様にお書き戴いた感想カードの束をコンピュータの手前に、また10キーはコンピュータの右側に置く。そしておもむろに、カードの内容の入力にとりかかる。人と交わらなくてもできる仕事は早朝のうちに済ませておく。昼にはまた別の仕事があるからだ。
13時30分にご予約の団体様は、ほぼ時間どおりに来てくださった。店とは国道121号線を隔てて向かい側の駐車場にバスをお駐めになった運転手さんには、にわかに暗くなった空模様をお伝えし、店の駐車場の真ん中に駐められたクルマの去ったところで、バスを店の前に回していただく。
少なくない買い物をして下さった団体様をお見送りしてから4階の食堂に上がり、遅い昼食を用意し始めたそのとき、遂に雨が降り始める。雷も盛大に鳴り始める。その「驟雨沛然」の様子を眺めつつ「これで梅雨も明けるだろうか」と考える。
しかし「このあたり」では雷が三日のあいだ続けば梅雨明けと言われていることを、数時間の後に家内より教えられた。だったら雷には、明日も明後日も続いて欲しいと思う。
朝飯 菠薐草のソテー、スペイン風目玉焼き、揚げ湯波の甘辛煮、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 納豆と万能葱と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 天ぷらあれこれ、らっきょうのたまり漬「つぶより」、「出羽桜酒造」の「つや姫純米吟醸」(冷や)、水羊羹、TIO PEPE
2025.7.9(水) 悩んでいるうちに
必要があって、この日記を大きく遡って読み返すことがある。今朝もおなじことをしていて気づいたのは、20年、あるいはそれ以前の日記は今よりよほど、あれこれについて具体的に書いている、ということだ。その具体性がなぜ徐々に失われていったかと考えてみれば、情報をウェブに上げるに当たっては、以前よりよほど注意を要する時代になったからではないか、そして自分も薄々とそのことに気づき、いつの間にか、意識するしないにかかわらず、書くことに規制をかけるようになったからではないか、という結論に達した。
「物いへば唇寒し穐の風」の昨今「沈黙は金」ではあるけれど、沈黙をしていてはウェブログにならないから、よほど注意をしながら、たとえばどこかへ行くにしても「○○をするため」ではなく「所用にて」という書き方になる。そして上記の世の傾向がますます強くなれば、この日記もますます具体性から離れ、しまいには花鳥風月を愛でるのみ、あるいは永井荷風による大正10年1月10日の日記の「晴」のようなひと文字のみ、になってしまう可能性も皆無とは言えない。
と、ここまで書いて、昨年から出始めた岩波の「断腸亭日常」は全冊を揃えたい気持ちがあるものの、ルビが振られていない。1987年に出た摘録にはルビが振られている。しかし摘録は好まない。買おうか買うまいか悩んでいるうち活字を追えない視力になるか、あるいは頭が呆けてしまうかも知れない。
朝飯 温泉玉子、冷や奴、鮭の焼きほぐし、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 納豆と万能葱のつゆで食べる素麺
晩飯 水茄子のサラダ、焼き鳥其の一、焼き鳥其の二、鰻の蒲焼き、メシ、「出羽桜酒造」の「つや姫純米吟醸」(冷や)、わらび餅
2025.7.8(火) 稀少な景色
「ウワサワさんも知っている〇〇さんが、現在の場所から○○へ店を移したがっている。ウワサワさんが間に入ってくれれば話はすぐにまとまる。ここはひとつ手を貸してもらえないだろうか。○○さんはこのところなぜかいきなり商売に積極的になって、港区のオイル○○ストリートにも土地を取得しようとしている」と、不動産屋から頼まれごとをしている夢を見ながら目を覚ます。
僕に欠けているものは星の数ほどある。周旋の才などはその最たるところで、だからなぜ今朝のような夢を見たかは分からない。枕頭のスマートフォンを引き寄せ見れば時刻は4時13分。それほど急がず起きて食堂に出る。食器棚の電波時計は4時18分を指していた。
先月までは、晴れさえすれば、鮮やかな夜明けが望めた。しかしこのところの朝はなぜか、ぼんやりとしたまま明るくなっていく。まるで1982年の春にバンコクの安宿で、人の形に凹んだ寝台から窓の鉄格子ごしに見上げた空のようだ。
日光の山々が夏の湿気をしっとりとまとって、その青や緑をひときわ深くする朝がある。そのような景色も、年に何度も見られるものではない。
いずれにしても、朝の鮮やかな空も、また緑の濃い山も、朝にはやく起きなければ拝めない。夏のあいだはせいぜい早寝をして、美しい空や山を、できるだけ多く眺めたいと思う。
朝飯 スクランブルドエッグ、切り昆布の炒り煮、大根おろしを添えた茄子の揚げびたし、隠元豆の胡麻和え、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とズッキーニと万能葱の味噌汁
昼飯 玉葱と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 ブロッコリーのソテーを添えた鶏のトマト煮、クロワッサン、Chablis Billaud Simon 2018
2025.7.7(月) 今年に入って3回目
早起きとはまったく以て素晴らしい。既にして書けていたおとといの日記を公開し、きのうの日記を完成させても、いまだ5時までは随分と間があるのだ。
早朝の空は概ね晴れている。本日、取引先に持参を求められたものは自動車運転免許証と認め印。それくらいなら小さなポーチに収まるものの、書類などを渡されても困らないよう、IKEAのトートバッグを用意する。
服は仕事着のまま、しかし足元を見られてはいけないから普段履きのジャングルモックは避けてtrippenのショートブーツの紐を固く締める。そして10時20分に会社を出て下今市10:34発のスペーシアX2号に乗る。
きのう17時51分のウェブニュースには「関東甲信の梅雨明けは当分無し? オホーツク海高気圧の出現で梅雨前線が復活も?」の文字があった。しかし今朝7時11分のそれは一転して「7日も関東甲信は猛暑日続出。梅雨明け秒読み」と伝えている。
今日の東京の気温は35℃まで上がるという。しかし湯島天神下から切り通し坂を上がって本郷まで歩いても、汗はかかない。取引先に自動車運転免許証の写真を撮られたり、あるいは用意された書類の複数個所に自分の住所、氏名、電話番号を記入し、判を捺すうち午後の日が高くなる。
本郷の龍岡町から御徒町の駅までは1,500メートルほどだろうか。その距離を歩くと流石に額に汗が噴き出してくる。それを拭いたハンカチは尻のポケットには戻さず、頭頂部と帽子のあいだに挟む。
かかりつけの皮膚科は神田の、医療機関ばかりが入居しているビルにある。その入口の「当施設は医療機関です。(コロナが)5類になっても! 引き続きマスク着用にご協力をお願いします」という張り紙を思い出すのはいつも神田の駅から出るころで、しかし僕はマスクは持たない。よって最寄りのコンビニエンスストアでマスクを買うことを繰り返している。
そのマスクをしてエレベータに乗り、皮膚科の待合室に入ってみれば、マスクをしているのは十数名のうちの1名のみだった。「だったらマスク代の327円は要らなかったじゃねぇか」と後悔をしても、後戻りはできない。
皮膚科が混み合っていたため、北千住に着くと時刻は19時がちかかった。そうして飲酒喫飯をしながら20:13発の下り特急の切符をスマートフォンで買う。
東武線の下りプラットフォームに入ったのは20時をすこし過ぎたころだっただろうか。ベンチでTikTokの動画に見入り、ふと顔を上げると20:13発の下り特急が走り出していた。つまり乗り遅れ、である。こうして1,450円の特急料金を無駄にするのは、今年に入って3回目のような気がする。その場で21:13発の特急券を、改めて買う。そうして23時前に帰宅を果たす。
朝飯 納豆、生玉子、塩鮭の焼きほぐし、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニと揚げ玉の味噌汁
昼飯 「香港傳奇」の「猪手撈麺ランチ」、アイスウーロン茶
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、他あれこれ、チューハイ、それを濃くするための「ナカ」
2025.7.6(日) 冷や汁
TikTokに「梅太郎」というチャンネルを持ち、主に僕の朝食を配信している。そのアカウントに先日「季節柄、冷や汁を作っていただけませんか」というDMが届いた。
僕は味噌屋に育ったにもかかわらず、味噌を使った料理には好き嫌いがある。アレルギーなど医学上の理由を除く偏食には強い偏見を持っているから「食べられない」とは口が裂けても言えない。出されれば食べる。食べるけれども苦手なそれは「熱くないもの」だ。思いつくまま挙げていけば、生の味噌をのせて食べる谷中生姜やもろきゅう、味噌おむすび、酢味噌、ぬた、なめろうで、それらに進んで箸を伸ばすことはしない。冷や汁ももちろん味噌を用いた冷たい料理だから好まない。しかし視聴者の希望にはどうにかして応えたい。考えた結果、味噌のつゆで食べる素麺が浮かんだ。それなら僕も、美味さを感じつつ食べることができる。
上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の厨房に家内が早朝より入る土日月の朝食はすべて、自分で用意をする。このところその三日間は、お茶漬け、具だくさんの味噌汁による一汁ゼロ菜、調理をしなくても済む納豆、冷や奴、生玉子による一汁三菜で凌ぐことが多くなった。そして今朝は、具だくさんの味噌汁を作る途中に一部を取り分け、こちらには味噌を多めに溶いて冷蔵庫へ入れた。
昼に茄子とピーマンを炒め、それを冷たい味噌汁に合わせて素麺のつゆとした。動画も準備編、調理編、食べる編と3本を撮影した。食べた結果、美味いことは美味い。しかしつゆが熱ければ、僕にとっては更に美味くなっただろう。
次にまた冷や汁のリクエストがあったときには「以前に撮影したものをご覧ください」と返信をしようと思う。
朝飯 生のトマト、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、じゃがいもと玉葱とズッキーニとウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 茄子とピーマンの油炒めを具にした味噌の冷たいつゆで食べる素麺
晩飯 スパゲティプッタネスカ、Chablis Billaud Simon 2018、シュークリーム、Old Parr(生)
2025.7.5(土) 祭の準備
「祭の準備」と書けば日本映画ばかりを観ていた学生のころを思い出す。しかし黒木和雄監督による「祭りの準備」を観たかどうかの記憶は無い。1年間に75本も観ていれば、記憶からすっかり失われる作品があっても不思議ではない。そして映画に限らず、記憶から消える芸術作品が、記憶に残るそれより劣っているとも思わない。
総鎮守瀧尾神社が催行する八坂祭に際しての町内の飾り付けは、10時に公民館に集合して行うことになっていた。しかし僕は運ぶものもあったため、9時45分に会社を出た。公民館では自治会長をはじめ役員の数名が、既にして床の掃除や祭壇の飾り付けに取りかかっていた。
町内に巡らせる注連縄は、午後に張る予定になっていた。しかし天気も不安定であれば、午前の内に済ませてしまおうという雰囲気が諸々の作業のあいだに何となくできあがり、それは混み合う店を後にして来た僕にとっても願ってもないことだったから、すぐに賛意を示した。
仕事を休めるのは日曜日のみ、という役員がいたため、本日土曜日の人員は、いつもより少なかった。それに伴って、普段は三人でする日光街道沿いの縄張りを、今日はオノグチショーイチ頭総代と二人ですることとなった。そしてその頭の指導により上澤梅太郎商店の軒下にも、しっかりと美しく縄が渡された。
お祭が行われるのは来週末でも、提灯は明日から出すこととする。店の入口が、それだけ賑やかになるからである。
朝飯 切り昆布の炒り煮、擂り胡麻、塩鮭、梅干、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦(大盛り)
晩飯 “Parrot”のチキンカントリー、“evodia 2021”
2025.7.4(金) 朝のしごと
釣銭を作るという仕事はしごく非生産的だ。と書きながら「本当にそうだろうか」と考える。
テレビや新聞は、消費税率の1パーセント2パーセントに大騒ぎをする。しかしお客様がカードやスマートフォンでお支払いをすることによる、店側が負担しなければならない決済手数料についてはとんと報じない。現金での取引に決済手数料はかからない。だからその取り扱いが面倒とされる昨今ではあるけれど、現金によるお支払いは、やはり有り難い。そしてその際に必要となる釣銭を作ることは、僕にとっては楽しい仕事、あるいは少なくとも嫌いでない仕事には違いない。
今朝は4時30分に釣り銭用の金庫を開き、封筒に溜まった種銭を数える。それを元にして、コンピュータに自作した専用の計算機にて、本日銀行に頼むべき両替の、金種別の内訳を決める。前回の釣銭つくりは先月の16日だった。先月より今月の方が忙しくなることは、経験の上から知っている。だから今日つくる釣銭は、先月のそれより早く枯渇するだろう。
5時30分に通用口から出て玄関を見ると、きのう水で洗った場所には早くもツバメが糞を落としていた。よって今朝はホースから盛大に、ではなくジョウロから少量の水を撒きつつその部分をタワシで洗う。そこにまた糞を落とされては堪らないから、敷石が乾く前に段ボール紙を敷き、それを粘着テープで壁に固定する。
「ツバメは夏を象徴する鳥」ときのうの日記には書いた。しかし実際にはいまだ寒いころに来て、意外なほど早く去ってしまう。僕は、ツバメができるだけ長く見られることを望んでいる。
朝飯 ミズと薩摩揚げの炊き合わせ、グリーンアスパラガスのソテーを添えた目玉焼き、納豆、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、Old Parr(ソーダ割り)、ドリームケーキ、Old Parr(生)
2025.7.3(木) 脚下照顧
玄関の頭上には、いつの頃からか来るようになったツバメの巣がある。ツバメは夏を象徴する鳥で、嬉しいことではあるけれど、糞を落とす。その糞は家族の誰かが掃除をする。掃除をしても相手は生き物で、いまだ巣にいるから糞はその後も落ち続ける。
今日はその掃除を僕がした。玄関には外から内まで黒い御影石が貼られている。糞の落ちている外の部分を水で洗えば、水はドアの下の隙間から玄関の内側にまで流れ込む。だから今日は玄関の靴をすべて片づけ、その黒い石を外から中まで洗い流した。乗りかかった舟であれば途中で脚立も持ち来て、ジャイアント馬場の背丈より高いドアの、上から下までこれまた水で洗い流す。その水を浴びて、アルミニウム製の脚立も濡れた。よってその最上段からは、非常な慎重さを以て降りた。
シリコンバレーで巨億の年収を稼ぐビジネスマンも、熱帯の密林で弓矢を使う半裸体の人たちも、死に至るもっとも多い原因は転ぶこと、と聞いたことがある。僕のオフクロは2013年の秋のある日、台風が去ったことを喜んで料理屋へ出かけてその帰りに転び、以降はそれまでの生活を取り戻すことなく翌年に亡くなった。周囲を見まわせば「そういえばウチのおじいちゃんも…」などと言う人は少なくない。「脚下照顧」は、別の意味においてもおろそかにすべきでないのだ。
そして玄関はすっかり綺麗になった。明日の朝は糞が落ちる前に、その部分に厚紙を敷こうと思う。
朝飯 生のトマト、目玉焼き、納豆、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダ、細切りじゃがいもと細切り人参とグリーンアスパラガスのソテーを添えたハンバーグステーキ、Old Parr(ソーダ割り)、ドリームケーキ、Old Parr(生)
2025.7.2(水) たこぶつ
早朝にきのうの日記を書き上げ、その表題を「半夏生」として「下書き保存」のボタンをクリックする。それからおもむろに、検索エンジンに「半夏生」と入れてみる。すると「仕事から離れて疲れを癒し、滋養のあるものを摂ることにより英気を養うべき日」という意味のことが出てきたから「そんな境遇じゃねぇんだよ」と、腹の中で苦く笑う。しかしてまたその「滋養のあるもの」が気になって更に調べると、半夏生に蛸を食べる理由が出てきた。
僕は歯ごたえや食感に特徴のある食べものを好む。蛸も例外ではない。先月25日の「シンスケ」の壁の短冊には「たこぶつ」の文字もあったものの、注文はしなかった。「この店のたこぶつは、自分の好みからすれば上品すぎるものではなかったか」という曖昧な記憶が頭をよぎったからだ。
自分ごのみのたこぶつはどのようなものかと考えれば、蛸の、特に脚をぶっきらぼうにぶつ切りにしたもので、味付けには本わさびとレモン、そして贅沢を言わせてもらえば醤油ではなく「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」が欲しい。そしてこんなことを書いているうち、蛸が食べたくなってきた。孫のリコは僕に似て食感ヲタクだから、食卓に載せれば喜んで食べるかも知れない。
夜、リコの妹のカコに催促をされて、ヨーグルトとカレー粉に漬けて焼いた鶏肉とブロッコリーのソテーを小さな木皿に取り分ける。すると彼女は先ず、ブロッコリーに箸を伸ばした。肉より先に野菜を食べようとする二歳児は珍しい。しばらく見ていると彼女は柔らかい頭の部分のみを咀嚼して飲み込み、残った茎は僕にくれるという。よって僕は自分の皿を差し出し、そこにポトリと落とされた固いところをハイボールの肴にする。
窓の外はいまだ夜になっていない。そのことが、食事の楽しさを倍加させているような気がする。夏にはできるだけ長く続いてもらいたい。
朝飯 スクランブルドエッグ、菠薐草のソテー、生のトマト、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ズッキーニと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 ズッキーニのチーズ焼き、豚薄切り肉とキャベツのソテー、ブロッコリーとニンニクのソテー、ヨーグルトとカレー粉で風味漬けした鶏肉のソテー、Old Parr(ソーダ割り)