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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

2018年4月の日記30本

2018.4.30(月) 意味の無いことは分かっている

胸の痛み、とはいえ良心の呵責を意味するものではない、今月19日の夜に、自転車にまたがったまま右側に転んだ、そのときどこかに打ちつけた胸の状態についてである。

2日を経ても痛みは去らない。普段は意識することもしないから気づかないでいたけれど、鼻をかむには先ず息を大きく吸い込む、それが胸の痛みによりできない。咳払いも胸の痛みによりできず、くしゃみを催せば、その直後に襲い来る痛みに怯えてどうにか誤魔化そうとするうち鼻孔の違和感はいよいよ漸進し、却ってより大きなくしゃみが出て、その直後は思わず胸を押さえて前かがみになるなどを繰り返した。

このことにより、21日にオカムラ外科を訪ねた。診察の結果、医師は胸に簡便なギプスを巻くことを僕に命じた。

うんざりするような傷みは転倒から7日を経て「すこし楽になったかも知れない」と感じるところまで回復をした。8日目には、ほんの少しではあるけれど、更に楽になった。そして9日目を迎えると、痛みはほぼまったく意識に上らなくなった。

今年の冬に社員と雪かきをしていて、数十年も履いて底のすり減った長靴が滑ったのだろう、歩道と車道のあいだで背中から転んだ。この転倒も先日の自転車での転倒も、振り返ってみれば、地面に手をつくでもなく、被害を最小限に留めるべく体を反転させるでもなく、まるで全面降伏をするように、為す術も無く地面に落ちた。その姿を客観的に眺めてみれば、まさに老人そのものである。

「これからは気をつけよう」などと心に決めても意味の無いことは分かっている。転ぼうとして転ぶ人はいないのだ。オフクロは2013年の10月に東京大学の構内で転倒し、それが直接の原因ではなかったものの、2014年の10月に亡くなった。それを他山の石としようとしても意味の無いことは分かっている。転ぼうとして転ぶ人はいないのだ。


朝飯 納豆、生のトマト、茹でたブロッコリー、らっきょうのたまり漬、ほうれん草のソテーを添えたベーコンエッグ、山椒の佃煮、千枚漬け、メシ、豆腐とトマトと大根の葉の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 若布スープ春雨サラダ葱餅肉饅頭油淋鶏“TIO PEPE”、白酒

2018.4.29(日) 第三回清楽亭寄席

目を覚まし、枕の下のiPhoneを取り出し見ると、時刻は4時30分だった。即、起床して食堂に出る。いつもなら、ここで仏壇に上げるための生花とお茶を整えるところだ。しかし今朝はそのまま1階に降り、事務室にて白衣と帽子とマスクを身につける。そして奥の研究開発室に入り、味噌汁の出汁を引く。今日の「清楽亭寄席」のための出汁である。

4階の食堂に戻ると食器棚の電波時計は4時58分を指していた。秋の日は釣瓶落としというけれど、時間とは、いつ、どこにあっても、大抵は素早く過ぎていくものだ。

コンピュータを起動して、ほとんど完成していた一昨日の日記に少々の手直しを加えて「公開」ボタンをクリックする。途中までしか書けていないきのうの日記は取りあえず脇へ置き、今日の日記のここまでを書く。

母屋と隠居のあいだはおよそ100メートルほどのものだが、出汁の寸胴鍋や17世紀のものと思われる木製の銭函など重いものは、手間を省き安全を考えて、朝のうちにホンダフィットで運んでおく。10時に改めて隠居へ行くと、長男は庭に水を撒いていた。

噺家の滝川鯉白、太神楽の鏡味よし乃が到着したところで「上澤」の印半纏を着る。以降は、次々といらっしゃるお客様を名簿と照合し、木戸銭をいただく。

受付以外の僕の仕事は味噌汁作りだ。落語をお聴きになり、あるいは太神楽をご覧になるお客様の雰囲気を背中に感じつつ、台所で鍋に向かう。そうしていよいよ中入りになると、家内が握ったおむすびに「らっきょうのたまり漬」を添えたお盆に、出来たての味噌汁のお椀を載せることを繰り返す。

清楽亭寄席は昼席と午後席のふた席だから、中入りも2回ある。昼席にしたことを午後席でも繰り返し、何とか味噌汁づくりを乗り切る。お客様がお帰りになる際には、下足番も務める。お客様の晴れ晴れとしたお顔が、何よりの、自分への栄養剤である。

事務室に戻ると17時が近かった。木戸銭を集計して店のキャッシュレジスターに入れる。定時を過ぎてもお客様は途切れず、いつもより遅れて店を閉める。黄金週間は、いまだ始まったばかりだ。

18時35分に食堂に戻る。19時からは町内の公民館で役員会議が開かれる。のんびりしているひまは無いものの「ちょっと待ってくれ」とばかりにドライシェリーのソーダ割りを飲む。そして町内会計の、2017年度の仮決算書10部を小脇に抱えて外へ出る。


朝飯 生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、冷や奴の「なめこのたまりだき」かけ、油揚げの網焼き、茹でたブロッコリー、らっきょうのたまり漬、じゃこ、メシ、椎茸とカキ菜の味噌汁
昼飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」のおむすび、「清楽亭寄席」の中入りにお客様にお出しした揚げ湯波とズッキーニの味噌汁の、揚げ湯波だけが残った最後のところ
晩飯 カスレトマトとカキ菜のスパゲティ、”TIO PEPE”

2018.4.28(土) 庭の緑

朝、如来寺に墓参りに行く。否、そうではない。

人は死ねば、火葬をされて灰になる、土葬をされて土になる、鳥葬をされて鳥の血肉になる、それですべてお終いと考える僕は宗教心に欠けた人間だ。だから僕は、お墓へ行ってもお参りをしているのではない、有り体に言えば、お墓の掃除をし、花と線香を供え、ただ帰ってくる、それだけのことだ。しかし少なくとも、お墓が綺麗になれば、気持ちは軽くなる、あるいは爽快になる。今日のように晴れて空気が乾いていれば、尚更のことだ。

明日は味噌蔵のある庭の隠居で、噺家は滝川鯉白、太神楽には鏡味よし乃を迎えての「清楽亭寄席」が開かれる。その準備のほとんどは長男がしているものの、僕も何かを手伝わなければ気が引ける。午前は楽屋に置く姿見を母屋から運んだ。そして午後は、無造作に置かれた座布団を、襖の敷居や畳の縁に合わせて整える。

名残のシダレザクラは流石に散り、今は藤の花が盛りだ。ご来場のお客様には、落語と太神楽以外にも、庭の散策などを、お楽しみいただければ幸いである。


朝飯 カキ菜のソテー、マカロニサラダ、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、生のトマト、納豆、じゃこ、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と椎茸と三つ葉の味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 “TIO PEPE”茹でたブロッコリーとマッシュドポテトとラタトゥイユを添えたローストビーフ“GEVREY CHAMBERTINE 1er CRU AUX COMBOTTES DOMAINE DUJAC 1985”無花果を使った2種のケーキ、”Old Parr”(生)

2018.4.27(金) 裏

「ウワサワさんは、いつもおなじ服を着て、感心ねぇ」と、40年ほど前に、ある女の人に褒められた。「感心ねぇ」とは、着るものについての質素さに対してのものだろう。

子供のころアトピー性皮膚炎に悩まされたこともあって、服はほとんど木綿のものしか持たない。着づらさを感じないかぎり、生地は厚い方が好きだ。厚いほど穴が開きづらく、長く保つからだ。

それはさておき「いつもおなじ服を着て」いるについては「裏」がある。いま着ているものが古びると、また同じものを買うのだ。

どれほど前に買ったか覚えていないシャツが古びてきた。袖口はすり減って、何年ものあいだ毛羽立っている。いよいよ新しくしなければならないが、色や形の異なるものは欲しくない。

「天網恢々疎にして洩らさず」の本来の意味とはまったく異なることは承知をしつつ、しかしその「天網」とは、いまや検索エンジンのことを指すのではないかとさえ思われる。どれほど前に買ったか覚えていないシャツとおなじものを、僕は遂にインターネットの大海に見つけた。即、注文したことは言うまでもない。

しかし以来1年と3ヶ月のあいだ、この真新しいシャツは箪笥の中に眠り続けている。すり減った旧い方を、いまだに着続けているからだ。旅先に持参して、いちど着たら捨ててしまうことも考える。しかし多分、捨てる段になれば惜しくなって持ち帰り、ふたたび洗濯屋に出してしまう気がする。僕の選ぶシャツは生地が分厚くて、袖口以外はなかなかすり減らないのだ。


朝飯 じゃこ、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、目玉焼き、厚揚げ豆腐の網焼き、ほうれん草のソテー、らっきょうのたまり漬ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と椎茸と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 マカロニサラダ、コールスロー、串カツ、ほうれん草のソテー、ミートローフ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2018.4.26(木) 読みさしの本

今日は麻布のお寺で、家内の父の一周忌の法要がある。当方は活字中毒であるから、たとえ読まないにしても、本を持たなければ落ち着かない。

ところが読みさしの文庫本は「あとがき」と「解説」を含めても、未読の部分は14ページしか残っていないから、下今市を発車した特急スペーシアが次の新鹿沼に着くころには読み終えてしまうだろう。以降は邪魔になるばかりである。

読みさしの本は、他に単行本もある。しかし手荷物を最小限に留めようと準備した”ISUKA”のギヤバッグにそれは入らない。だったらどうするか。心は乱れるばかりだ。

とにかく、その”ISUKA”のギヤバッグを提げ、下今市07:45発の上り特急スペーシアに家内と乗る。広尾には10時すこし過ぎに着いた。南部坂を、ドイツ大使館のコンクリート塀が作る日影に隠れるようにして登る。ネクタイを締め、スーツを着ているものの、空気が乾いているせいか、汗はかかない。山の上の禅寺に入る前に、先ずは墓地に回る。そして閼伽桶に水を汲み、お墓の前に置く。

親戚が次々と控えの間に集まってくる。クルマで向かっていた長男と嫁と孫の姿は、11時をすこし過ぎてようやく見えた。いつになく首都高速道路が混んでいたという。

家内の父の一周忌の法要は、予定通り昼すぎに完了した。便利この上ない場所にある料亭では、ついひと月ほど前に訪ねたという、ラオスの南部の遺跡のことなどを住職から聴けて楽しかった。

長男は仕事につき、その会食を中座した。10数名の親戚とも、また叔母の家に寄る家内たちとも別れて、ひとり南部坂を下る。ドイツ大使館の塀に換わって、午後は有栖川公園の欅の大木が、まるで初夏のそれのような日の光を和らげている。

ハッとして日比谷線の車両から降り、ちかくの階段を上がる。しかしどうも、まわりの景色が違う。駅員に訊ねると、そこはいまだ東銀座だった。昼の酒が効いているのだ。ふたたびプラットフォームに降り、今度は無事に北千住に至る。

閉店の10分前に帰社する。4階に上がり、即、着替えて店に降りる。3台のキャッシュレジスターを締めることに30分を費やす。あちらこちらに鍵をかけ、ふたたび4階に戻る。そして入浴をして多めの水を飲み、早々に就寝する。


朝飯 5つのおむすび、らっきょうのたまり漬揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「有栖川清水」の其の一其の二其の三其の四其の五其の六其の七

2018.4.25(水) 1日が始まる前にしかできない仕事

目を覚ましてしばらくしてから枕元のiPhoneを取り上げ、見ると時刻は3時22分だった。ここでニュースのアプリケーションなどを開いたり、あるいは検索エンジンで何ごとかを調べたりすれば、たちまち数十分、悪くすれば小一時間を無駄にしてしまうことは分かっている。よって即、起床して食堂へ行く。

そしてコンピュータを立ち上げ、きのうの就業時に事務係のコンピュータから吸い上げた、最新の顧客名簿に向かう。そして同じくきのうの修業時に印刷した自製のマニュアルに従って、夏の贈答のための、資料のお送り先を特定する。

毎年2月には日本橋のタカシマヤで出張販売をさせていただく。9月には新宿のタカシマヤで、やはり出張販売をさせていただく。その催しのご案内にくらべれば、盆暮れのお知らせのお送り先の特定はよほど単純で、それほどの手間は要さない。

昨年の覚え書きには「24分で作業終了」の記録があった。それが今朝は20分で完了した。このデータは始業と同時に事務係3名のコンピュータへと移し、今度は彼女たちが、目視により最後の選別をするのだ。すべて、予定通りである。


朝飯 「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、トマトとキウイのサラダ、納豆、ごぼうのたまり漬、しもつかり、メシ、揚げ湯波とキヌサヤの味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 しもつかりキムチ鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(ソーダ割り)、イチゴの杏仁豆腐

2018.4.24(火) 一念発起

仏壇の掃除を最後にしたのはいつだったかと振り返り、それは昨年のお盆前のことだったと、頭の中で確かめる。以降、8ヶ月以上も手を着けなかったとは、恥ずかしい限りだ。もちろん、目に付いた灰や埃などはそのつど拭いたり払ったりしてきた。しかしすべての位牌を取り出して、というようなことについては、8ヶ月の無沙汰である。

今朝はようやく意を決し、まぁ、それほど大げさなことでもないけれど、先ずは布巾や小さなはたきを用意する。次は中のものを次々と取り出し、部屋の真ん中のテーブルに並べていく。最後は線香立ての灰をふるいにかけ、固まったところは捨てて、柔らかいところのみふたたび線香立てに戻す。

この、線香立ての灰を”refresh”していく最中にはいつも、南の国の線香立てのことが頭をよぎる。南の国の線香は僕の知る限り、その中心は棒になっている。その竹ひごのような棒は細く鋭いため、すこしばかり固くなった灰にも難なく立てられる。

それを知らずに僕は南の国に日本の線香を持参し、線香立てに立てようとして、しかし固い灰は頑としてそれを受けつけないから、僕は寺の中でひとり焦燥したりするのだ。

仏壇は30分と少々ですっかり綺麗になった。これから海外においては、線香はその土地で、その土地のものを買おうと思う。


朝飯 生のトマト、しもつかり、ハムエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、茄子とピーマンの味噌炒り、ごぼうのたまり漬らっきょうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とうるいの味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 「ふじや」の焼き餃子、冷やしトマト、キムチ豆腐、ほうれん草の振り分け味噌炒め、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、「鶴屋安芸」の「利休饅頭」、”Old Parr”(生)

2018.4.23(月) 間食

「その歳で太らないって、大したものですね、スポーツ、何かされているんですか」などと訊かれるたび「何もしていません。太らないのは、間食をしないせいでしょうか」などと、何年か前までは答えてきた。しかし今は間食をする。

朝食は6時30分から、昼食は13時30分から、夕食は19時30分からで、それぞれの間隔は開いている。おまけに僕のからだは代謝が良いらしく、メシを食べても3、4時間ほどで飢えてくる。間食をしないことには腹が保たないのだ。

先般の大祭の折、町内の祭壇にお酒を奉献してくれた家々にお返しとして配ったのは「久埜」の最中だった。ウチもお酒を上げたから、僕もその最中は食べられるはずだ。午後、それを食堂に探す。しかしどこにも見あたらない。家内に確かめると、長男や嫁に配って既に無いと言われた。

「その代わり」と、仏壇から下げてくれたのが「鶴屋安芸」の利休饅頭だ。用あってこれをあるところに送り、しかし代引き着払いで決済をするため、自宅にも届けてもらったのだという。よってこの、年に数度は口にする饅頭を煎茶と共にいただく。そして2個目を食べたい気分を抑えてふたたび仕事場へと降りる。


朝飯 切り昆布の炒り煮、巻湯波の淡味炊き、しもつかり、カキ菜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、納豆、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、きのうの宴会から持ち帰った天ぷらに万能葱を薬味とした味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 炒り豆腐、冷やしトマト、マカロニサラダ、茄子とピーマンの味噌炒り、ハムカツ、鶏のフリット、ごぼうのたまり漬、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)

2018.4.22(日) 傘抜き

隠居が建てられてからどれほど経つかは知らない。「子供のころは、玄関を上がってすぐ右の6畳で、よく遊んでいたんだよ」と、2013年に102歳で亡くなったおばあちゃんから聞いたことがある。とすれば、百数十年前の建物であることは確かだ。

この、味噌蔵のある庭の隠居で、月にいちど朝食の会を催している。今日は東京や埼玉からの、5名のお客様に恵まれた。その「伝統家屋でいただく、なんでもない日の食卓。」において、僕のする仕事は味噌汁の出汁を引くことのみだ。それ以外はすべて、長男と家内が手を尽くす。

土曜日は平日の2倍、日曜日は平日の3倍、店は賑わう。そのため僕は事務室や製造現場からなかなか抜け出せず、10時をすぎてようやく、朝食のお客様にご挨拶をすることができた。以降はしばらくのあいだ、この旧い建物や、たまり漬の黎明期のことにつき、お話をさせていただく。庭の枝垂れ桜には、わずかに花が残っている。晴天の下に障子を開け放たれた家屋は、現代の住まいに慣れた身には、どこか知らない土地のものにも見えるから不思議だ

午後一番で、義理のある人の告別式に列する。その帰りに回転鮨で昼食を済ませ、駐車場でクルマに乗り込んだところで「しまった、今日は17時から宴会だったじゃねぇか、昼はむしろ、抜いた方が良かった」と気づいても、もう遅い。

しばらく日常の仕事に戻って後は、先ほどまでの黒いスーツではなく、紺色のパンツにおなじく紺色の替え上着を合わせる。初夏とも感じられる気温の中を歩いて小倉町の竹美荘に至る。

17時から始まったのは傘抜きである。傘抜きとは、春の大祭では神として渡御を先導した金棒曳きが、傘を脱ぐことによって人間に戻る、その儀式を指す。普段は責任役員として定時の少し前に着くところ、今回は当番町の一員として、会場にはすこし早めに入った。

募集を始めたときにはひとりしか希望者のいなかった金棒曳きに、もう一人が加わって「対」になってくれたのは幸いだった。また、目立たないところで力を出し続けてくれた婦人会の人たちが、今日は客としてゆっくり過ごすことができた、それも僕には嬉しかった。

なお、これは余談ではあるけれど、竹美荘の締めの蕎麦は、いわゆる「ツウ」がうんちくを傾けるようなたぐいのものではないものの、大層、美味い。


朝飯 しもつかり、切り昆布の炒り煮、納豆、油揚げの網焼き、カキ菜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とうるいの味噌汁
昼飯 「はま寿司」のあれやこれやそれや
晩飯 「竹美荘」の其の一其の二盛り蕎麦

2018.4.21(土) 会社の花見

おとといの、自転車による転倒の際に打撲した右の胸が痛む。咳やくしゃみを催した際には、胸の痛みを恐れる気持ちが勝り、その咳やくしゃみが収まってしまったりもしている。今日は土曜日だから、今のそれより痛みが亢進しても、明日は病院はにかかれない。

そういう次第にて、9時すぎにオカムラ外科へ行く。ようやく呼び出され、医師による問診を受け、レントゲンを撮り、ふたたび診察室に入って、骨にひびが入っている様子は見られないものの、簡便なギプスを胸に巻くことを命じられ、しばらく待つうちギプスの巻き方を看護師に教えてもらい、またまた呼び出されて診察料およびギプスの代金を支払う。時刻は正午を過ぎていた。

さて、これからが忙しい。昼食を摂り、社員との面談をふたつこなす。それから自転車のカゴに「久埜」の最中14箱を乗せ、先般の大祭の際、町内の祭壇にお酒を奉献してくれた家々に、そのお返しを配って回る。そうして急いで会社に戻って、今度は包装係のサイトーヨシコさんと、明日、蔵出しすべき商品の数量を予想する。

それはさておき、社員とする催しの中に花見というものがある。「花より団子」で、街の料理屋でこれを開いた時代もあった。しかしこのところは雨でも降らない限り、味噌蔵のある庭に建つ隠居で一夕、家内の作った諸々による食事を楽しむ。

花見の日にはまた、永年勤続者の表彰も行う。販売係として入社し、後に事務係に転じたカワタユキさんは、この3月に勤続10年を迎えた。そのカワタさんには表彰状を手渡し、この10年間の働きを、社員と共にねぎらう。


朝飯 カキ菜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、切り昆布の炒り煮、目玉焼き、納豆、生のトマト、ごぼうのたまり漬、めんたいこ、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 小鯛の手鞠鮨厚焼き卵ごぼうのたまり漬カキ菜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け大根と豚三枚肉の煮つけたまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき冷やしトマト鶏の松かさ焼き胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け「宇都宮酒造」の「四季桜大吟醸」(冷や)イチゴのババロア

2018.4.20(金) 何でも本職に頼る

きのうの自転車による転倒は、サドルの位置が高すぎるところにその一因がある。サドルが高すぎることは、この自転車を買った数年前から感じていた。それをなぜ適当と思われる位置に調整しなかったか。それは僕の、何でも本職に頼る性格による。

壁に釘1本を打つにも、できれば職人を頼みたい。それは、自分の不器用さを熟知しているということと、もうひとつは「本職に任せておけば間違いはない」という、職人礼賛の気持ちが強いからだ。

自転車のサドルを下げるについても、できれば市本サイクルのイチモトケンイチさんに家まで来てもらいたい。しかしそれくらいのことで人を呼びつけるのはいかがなものか、という気持ちもある。「仕方がない、自分でやってみるか」と考える。

どのくらいの大きさのモンキースパナなら自転車のサドルの下に差し込めるか、それを調べるため外へ出る。そして腰をかがめて見てみれば、当該の場所にはボルトとナットではなく、素手でもサドルの位置を調整できるよう、折りたたみ式のレバーがあった。よってこれをゆるめ、サドルの位置を適当と思われるところまで下げ、また締め上げる。

数年のあいだ不便な思いをしてきた問題は、ほんの1分ほどで解消した。”do it yourself”は得意でもなく好きでもないが、これからは、とにかく「自分でできるかできないか」くらいは、とりあえず確認をしようと思う。


朝飯 揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ、ほうれん草のおひたし、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「とんかつ一彦」の「おみや」による弁当
晩飯 刺身湯波、ほうれん草のおひたし、トマトと大根のサラダ、鶏もも肉の網焼き「ひしお」添え、お多福豆、稲荷寿司、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)

2018.4.19(木) 酔いと老いにより

「飲んじゃ日本酒が一番だわな」を標準語にすれば「酒は日本酒が一番、美味い」となる。僕の周りの老若男女に、この言葉を口にする人は少なくない。

日本酒と焼酎をくらべれば、日本酒の美味さは断然、分かりやすい。しかし僕は、日本酒は鮨を食べるとき、それから日本酒に特化した飲み会「本酒会」の、月に一度の例会くらいにしか飲まず、和食のときは大抵、焼酎を飲む。より美味いと感じる日本酒ではなく、なぜ焼酎を飲むか、それが自分でも分からない。

今月の本酒会の会場は、日光街道から二宮神社に延びる道にむかしからあるとんかつ屋である。急な階段を上がった2階の座敷は、隠れ家や閉所を好む僕には、とても喜ばしい空間だ。ここで本日は4本の日本酒を飲んだ。もっとも美味く感じたのは「山本合名」の「七合酵母」だった。

本酒会は19時30分から21時までと定められているものの、僕が時間いっぱいまでそこにいることは少ない。今日も定時前に会場を出て自転車にまたがる。そのとき何の拍子か、否、拍子も何もない、明らかに酔いと老いにより平衡を保てなくなって、石畳の上で右側に転んだ。地面に打ち付けたのは、右膝の外側、腰の右側、胸の右側、右の掌、そして右の眉尻である。

家に帰ってズボンの裾をまくり上げると、右膝の外側には軽い擦過傷があった。右の眉尻は、ごく軽く地面に触れる程度の打ち方で幸いだった。自分がつまらない事故で死ぬ予感はあるものの、61歳では、ちと早すぎる。

そして包んでもらった豚カツの一部に電気炊飯器のゴハンを添え、それらを肴にドライシェリーのソーダ割りを飲む。


朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンとトマトのソテーを添えた目玉焼き、茹でたブロッコリー、揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ、ごぼうのたまり漬らっきょうのたまり漬、めんたいこ、メシ、揚げ湯波と椎茸とピーマンの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 「とんかつ一彦」の酒肴あれこれ、4酒の日本酒(冷や)、「とんかつ一彦」の「おみや」の豚カツの一部、メシ、“TIO PEPE”(ソーダ割り)

2018.4.18(水) これから良い時間

先月のタイ旅行は家内とふたりだったから、あれこれの代金については僕が出したり家内が出したりで、小遣い帳は特に記さなかった。しかし今、そのときの日記をざっと眺めて僕がチップに費やしただろう金額を合計すると、それは5,100バーツ強、日本円で17,000円を超えた。僕は祝儀については、割と鷹揚である。というか、これを出し渋ることには強い抵抗がある。一方、使うに際してひどく躊躇う金もある。その代表が、仕方なく買う傘の代金だ。

きのうの朝の天気予報では、きのうから今日にかけて、関東南部に断続的に雨の降ることが伝えられていた。しかし荷物はできるだけ少なくしたい。「何とかなるだろう」と、傘は持たずに家を出た。きのうこそ何とかなったものの、そして今朝も、どうにか傘を差さずに移動することを考えたけれど、それはやはり無理との結論に至った。そして泣く泣く、698円のビニール傘をコンビニエンスストアで買った。

昼を過ぎると雨は止み、恵比寿ガーデンプレイスの上空からは、日がいきなり差してきた。「数時間後には無用となって、以降は邪魔になるばかり」ということが分かっていながら傘を買うことのバカバカしさは、どうにもならない。

閉じた傘を持って日比谷線に乗り、北千住に至る。駅から見おろす街は、これから良い時間になりかかるところではあるけれど、その街に出て行くことはせず、下りの特急スペーシアに乗る。


朝飯 「大戸屋」の朝定食
昼飯 「つるまる」のわかめうどん、昆布のおむすび
晩飯 マカロニサラダ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”茹でたブロッコリーと人参のグラッセを添えたハンバーグステーキ“GEVREY CHAMBERTINE 1er CRU AUX COMBOTTES DOMAINE DUJAC 1985”パウンドケーキ、”Old Parr”(生)

2018.4.17(火) oral history

「おたくの会社については、いろいろと昔のことを知っている。機会があれば、ぜひ話したい」との手紙をお客様からいただいたのは、先月の下旬のことだった。このような機会は滅多にあるものではない、ご自宅までおうかがいする旨を長男は二つ返事でお送りし、待ち合わせは4月17日の13時と決められた。

お客様宅の最寄り駅は、柏から船橋を目指して南下したところにある。「先ずは東京に用事がある」と、長男は下今市09:04発の上り特急に乗った。僕はすこし遅れて10:35発の、やはり上り特急に乗る。

当該の駅で、お客様は当方の姿をすぐに認めてくださった。挨拶もそこそこに、駅前に駐めた青いホンダ車に案内をされる。

僕は1972年に15歳で東京に出て、家に帰った1982年におじいちゃんは亡くなった。よって昔のことはほとんど聞いていない。オヤジは無口だったから、これまた昔のことはほとんど聞いていない。

お客様のお宅の、午後の淡い光が障子ごしに差し込む和室で伺ったお話は、とても興味深いものだった。次はお客様のお兄様から更に補足をいただくこととして、またまた駅までお送りいただく。本日および後日にお聴かせいただいたことは、いずれウェブページで紹介させていただくことになるだろう。

次男の予定は1週間ほど前に確認をしておいた。そして秋葉原にて待ち合わせをし、長男との3人で早めの夕食を摂る。


朝飯 揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ、納豆、グリーンアスパラガスのソテー、ベーコンエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬らっきょうのたまり漬、メシ、豆腐と水菜の味噌汁
昼飯 セブンイレブンの2種のおむすび
晩飯 「ビーフキッチンスタンド秋葉原店」のあれやこれやそれや赤ワイン

2018.4.16(月) 春季大祭の片づけ

きのう、今まさに直会が始まろうとしている公民館で、お祭の片づけは明日の何時にどこへ行けば良いのかと、オノグチショーイチ祭典委員長に訊いた。「9時に神社」というのが、そのときの答えだった。

朝の仕事に没頭しつつ、ふと時計を見ると8時55分になっていた。よって慌ててそのことを長男に伝え、ふたりで瀧尾神社へと向かう。午前中の仕事は以下の通り。

山車の御輿部分を台車から降ろし、それぞれを所定の倉庫に格納する。
拝殿前の飾りを分解して倉庫に格納する。
子ども相撲の土俵の俵を次年度当番町・春日町2丁目のトラックに載せる。
余興のために張ったテントを畳む。
おなじく机、椅子、境内各所で使ったブルーシートなどを畳む。
それらを軽トラックで町内の倉庫と蔵に運んで格納する。
町内の東地区と中央地区に張り渡された荒縄を外し、ゴミ袋に入れる。

昼食を挟んで今度は町内の公民館に集合し、以下の仕事をする。

きのうの直会で出たゴミを仕分ける。
提灯台を分解して倉庫に格納する。
床の間の祭壇を片づけ、道具類を押入に格納する。
1双の屏風を畳んで専用の木箱に格納する。
瀧尾神社の御札を各組の戸数に合わせて数え、各地区の役員に手渡す。

会社には15時前に戻ることができた。そして以降は日常の仕事に復帰する。


朝飯 めんたいこ、ごぼうのたまり漬、納豆、スクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、らっきょうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 富貴豆、揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ水菜と厚揚げ豆腐と豚薄切り肉の鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)

2018.4.15(日) 春季大祭(2日目)

「週末は春の嵐」などと天気予報には脅かされたものの、きのうはなんとか曇りのまま凌ぎきった。今日は今日で、夜半からの雨は早々に上がり、8時30分からは薄日も差しはじめた。大いに有り難い。

販売担当の社員ふたりが出社したところで家内とホンダフィットに乗り、今市小学校での、日光市議会議員と市長の選挙の投票を済ませる。帰途、小学校と隣りあう瀧尾神社で僕のみクルマから降り、社務所へと向かう。そこには既にして、春日町1丁目の自治会長、神社世話人、大膳委員長、総務委員長が揃っていた

きのうの夕刻、神社から町内の倉庫、あるいは屋台庫に戻すべきものを軽トラックで運んだのは僕だ。それは、本来の役を担った者が、直会の乾杯で酒を口にしたことに拠る。ほんの2、30ccとはいえ、法律は法律である。そのとき使ったトラックの鍵を自治会長に戻す。本日、これ以降の、お祭に関わる僕の仕事は多分、無い。

春季大祭の余興のひとつとして、今年は今市小学校のブラスバンドに来てもらうことになった。この妙案を思いついたのはシバザキトシカズ大膳委員長である。自転車に乗って10時30分に神社へ行く。僕が在学をした、1960年代の今市小学校にあったのは、ブラスバンドではなく鼓笛隊だった。そして彼女たちの演奏を何曲も聴くうち、小学生の技術でも、人を感動させられることを知る

「直会準備できます。集合願います。」との、ユザワツネオ頭によるコメントが、16時46分に町内役員の同報ラインに上がった。これから準備であれば、手伝いをしないわけにはいかない。そう考えて公民館へ急行すると、しかし先のコメントは「直会の準備ができたから、役員は集合せよ」という意味だったことを知る。

僕は瀧尾神社の責任役員になって以降、というか、ギックリ腰を何度か経験した20年ほど前から現在に至るまで、お祭の実行部隊からは遠ざかっている。そして直会にはほとんど出ない。帰社して閉店後はキャッシュレジスターを締め、自宅で夕食を摂る。


朝飯 ほうれん草のソテー、生のトマト、ハムエッグ、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、納豆、らっきょうのたまり漬、めんたいこ、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 トマトとグリーンアスパラガスと鶏肉のソテーマカロニとマッシュルームのクリームソース“Petit Chablis Billaud Simon 2015”いちご

2018.4.14(土) 春季大祭(1日目)

早くに起きなくてはならないときでも、目覚ましは大抵、かけない。起きるべき時間より早く目が覚めるからだ。しかし今朝は、目を覚ますと4時16分だったから、いささか慌てた。瀧尾神社に集合する時間は5時と言われていたからだ。

徒歩で向かうという長男とは別に、ホンダフィットにて瀧尾神社へ行く。そこでオノグチイッセー君と長男は白張りの衣裳に着替えをする。ふたりはユザワツネオ頭のクルマで追分地蔵尊まで送ってもらう。僕はレンタルの軽トラックにてその後を追う。

6時ちょうどに花火が上がる。それを合図として、二人は榊を曳く荒縄を手に日光街道を走って遡上し始めた。先導はユザワ頭のクルマ、そして後衛は僕の運転する軽トラックである。追分地蔵尊から瀧尾神社までの800メートルを彼らは5分で走りきり、更に参道を100メートル走って拝殿に至った。これがいわゆる「露払い」である。町内の公民館で朝食を摂る長男とは、そこで別れた。

嫁のモモ君は早朝から美容院のカットシンで和服を着せてもらう。一方、孫のリコは稚児の着付けをしてもらうため、家内が公民館へと連れて行った。僕はひとり食堂に残り、家内の作ったおむすびに、自分の作った味噌汁を添えて朝食とする。

出勤した販売係ハセガワタツヤ君にあれこれ言い置いて、徒歩で神社へと向かう。時刻は7時25分。僕の恰好は、白いシャツに銀色のネクタイ、黒いスーツに革靴である。

08:15 稚児と金棒曳き、その保護者の記念写真撮影
08:25 宮司、神官、役員などの記念写真撮影
08:48 オノグチショーイチ祭典委員長による白張りへの役割の説明
08:55 責任役員、各町内の三役が整列
09:00 神事開始
10:00 渡御行列出発

渡御が神社を出ると同時に来賓と責任役員は社務所にて直会を開始。僕は乾杯の発声役。1時間ほどで直会が完了すると、僕は一旦、会社に戻って普段着に着替える。

午後、昼食を終えようとしている長男が二宮神社会館から電話をよこす。きのう奥に畳んであった机と椅子の画像を納めたiPadを持って、至急、会館まで来るようにとのことだ。よって即、iPadを緩衝袋に納めて自転車に乗る。

渡御の一行や交通整理の警察官たちが昼食を摂った二宮神社会館は、主に婦人会の人海戦術により、既にしてあらたか片付けられていた。僕は乞われてiPadのディスプレイにきのうの画像を出し、机や椅子の、ほとんど元通りに格納されていることを確認する。僕だけ楽な仕事で気が引ける。

15:15 婦人会による、瀧尾神社での直会の準備
15:39 渡御の宮入
15:58 タナカノリフミ宮司挨拶
15:59 ウカジシンイチ当番町自治会長挨拶
16:00 タノベタカオ総務委員長による奉献品の報告
16:06 直会

少子高齢化の波を受け、各町内の三役による「当番町を考える会」は、瀧尾神社のお祭の大幅な簡略化を方向づけた。今年度当番町の春日町1丁目は、その「当番町を考える会」が決めた「略式」でお祭を執行する最初の町内である。昨年まで、直会は境内に建てられたテントの中で開かれていた。今年はテントは張らず、乾杯は日本酒少々のみ。弁当を配ってお開きである。

16:16 大幟の貢納
16:29 拝殿前の飾りの片づけ
16:36 山車を雨よけで覆う
16:55 ユザワツネオ頭の拍子木に合わせて三本締め

とにかくこれで、当番町が越えるべき最も高い壁である春季大祭の半分を、無事に終えることができた。婦人会は19時から明日の赤飯を仕込むという。頭の下がる仕事ぶりである。


朝飯 5個のおむすび、ごぼうのたまり漬トマトとピーマンの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 カキ菜のおひたし、島津揚げの網焼き、豚肉と白菜のソテー、富貴豆、真鯛の味噌漬け、胡麻焼酎「紅乙女」(ソーダ割り)、“Chez Akabane”のイチゴのショートケーキ、”Old Parr”(生)

2018.4.13(金) お天気祭

今日の日本経済新聞の朝刊14面に「居酒屋全席禁煙の波」の見出しがある。物を食べる場所でタバコの煙にうんざりさせられ続けている僕にとっては大いなる福音だ。しかしこの「禁煙の波」が酒にも押し寄せたらどうするか。

全面禁酒の鮨屋、全面禁酒の洋食屋、全面禁酒の中華屋、全面禁酒のモツ焼き屋、全面禁酒のワインバー、果ては全面禁酒の居酒屋。世情は、変わるときには一気に変わる可能性がある。世の中がそうなったら、僕は、特に夜の外食は一切、できなくなるだろう。

それはさておき、春季大祭の好天を祈るお天気祭である。瀧尾神社のお天気祭というものを、僕は知らない。24年前の当番町のときには、いまだ若くて声はかからなかった。12年前は当番町会計を命じられ、やはり声はかからなかった。今回はようやく招集を受けた。裏方として、である。

宮司と共に明日、明後日の好天を祈るのは、自治会長、神社総代、神社世話人の3名のみだ。この神事が済むと、これら3名と他に1、2名が、明日の大祭における「献饌」の練習を、拝殿にて宮司から習う。

僕は長男と共に先ずは瀧尾神社で諸々の準備に当たり、14時から二宮町の二宮神社に移動をした。こちらでは明日の渡御の一行が、昼食を摂ることになっている。僕と長男が神社の会館に入ると、婦人会の面々が総出で床のモップがけをしてくれていた。有り難い限りだ。

先ずは机や椅子が格納されている状態を、長男がiPadで撮る。片づけの際、元の状態に精密に戻すためだ。それをしておいてから、町内から手渡されていた見取り図に従って机を並べ、更に椅子を並べる。人が揃っていたこともあって、それほど長くかからず作業は完了した

今後はそこから町内の公民館へ行く。このようなジグザクの移動は予想していたから、当方は最初から自転車に乗っている。先ほど二宮神社会館の掃除をしていた婦人会のうち3名は、いつの間にか公民館に来て、押し入れに仕舞ってあった手拭いを出し、その包装を解いていてくれた。

僕と長男は婦人会の方々に教えていただきながら、大祭の参加者が襟に沿って身につけられるよう、その手拭いを折り、その一部に安全ピンを取り付ける。不器用な僕も、やればできるものである

会社に戻ると時刻は16時を過ぎていた。以降は閉店の時間まで、普段の仕事に就く。


朝飯 島津揚げの網焼き、納豆、卵とチーズのオーブン焼き、ほうれん草のおひたし、明太子、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、メシ、油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライスらっきょうのたまり漬
晩飯 ポテトサラダ、人参サラダ、トマトとグリーンアスパラガスとズッキーニのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2018.4.12(木) 大祭の広告

総鎮守瀧尾神社の春の大祭における余興委員は、我が春日町1丁目においてはイケダツトムさんが、長年に亘ってその任を担い続けている。そのイケダさんが知恵を出した大祭の広告は、きのうの地元朝刊紙に折り込まれた。別途、おなじ広告はまとまった枚数が、町内の要所に配られた。

今朝は、この広告をウチの隠居の塀に貼っても構わないかとのメッセージが、大膳委員長のシバザキトシカズさんからラインにより届けられた。快諾をしたことは言うまでも無い。シバザキさんはその塀の前を登下校する小学生の目線に合わせ、低い位置に複数枚を並べて貼った。「小学生の目線に合わせ」などは、僕の頭には到底、浮かばないことである。

ウチはウチでその広告を、店舗のドアからお客様用トイレに至る経路に並べて貼った。春の大祭の余興には、できるだけ多くの方々に来ていただきたい

僕が子供のころ、このお祭の余興で楽しみにしていたのは腹話術だ。他については覚えていない。とにかく腹話術の印象は強烈だった。子ども相撲では僕は勝ったためしがなく、参加賞はいつも「ワタナベの粉ジュース」1袋のみだった。

相撲で勝ったことは無かったけれど、この余興に今市小学校の剣道部が一肌脱いだことがあった。そのときには、僕は何かが憑依したように勝ちを重ね、表彰状をもらったことを覚えている。

買い食いでは、手水舎の脇に決まって店を出したアイスキャンディー屋が好きだった。そのアイスキャンディーは梅の花の形で、色は紅白の2色があった。子供のころの僕が、どちらの色を選んだかは、今となっては思い出せない。

明日は大祭の好天を祈るお天気祭があり、また諸々の準備も控えている。どうにかこの大祭を乗り切って、夏の八坂祭につなげたい。風邪などひかないよう、風呂から上がったら即、寝ることに勉めようと思う。


朝飯 湯けむりまごころの宿「一心舘」の朝のお膳
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 トマトとレタスとブラックオリーブのサラダたまり漬「青森県田子町産のにんにくです。」を刻み込んだバターライス青森県田子町産のにんにくです。」と人参のグラッセとほうれん草のソテーを添えたビーフステーキ“GEVREY CHAMBERTINE DOMAINE DUJAC 1985”

2018.4.11(水) 夜桜大宴会2018

facebookへの誰かのコメントを契機として経済活動、有り体に言えばお金を使うということが、このところ2度、続いた。1度目は先月のフアヒン行き、そして2度目が今日の「夜桜大宴会2018」への参加である。

この夜の観桜会については、鬼怒川温泉の旅館「一心舘」の女将マリコさんによる、facebookへの書き込みにより知った。会場となる護国神社では、季節ごとに様々な催しが開かれている。何年か前の秋に、やはりマリコさんに案内されて遊んだのは、何の企画だっただろう。

兎に角、定時の18時に店を閉め、キャッシュレジスターも締めて、家内と慌ただしくホンダフィットに乗る。一心舘に着いたのは19時すこし前だった。部屋に荷物を置き、フロントに降りると、若い人が我々をクルマで神社まで送ってくれた。一の鳥居から二の鳥居の先まで続く桜は満開を微妙に過ぎた最高のところで、その美しさを、ぼんぼりや提灯をはじめとする人工の灯りが更に際立たせている。

夜に入ると同時に降り始めた雨により、食事の場所は境内の緋毛氈を敷いた桟敷ではなく、社務所に移されていた。我々は、ロシアから来たカップルとの相席だった。出しものは、琴の演奏と、経験豊富な芸者によるお座敷遊び。雨のお陰と言っては何だけれど、それらを間近に見て、特に、新しい「拳」を覚えられたのは収穫だった

弁当を肴に酒を飲み、酔ったところで外へ出てみれば、桜は益々美しく、その下の石段を踏んで拝殿に上がる。そうして先ほどのカップルに続いて投扇興の場に着くと、我々が最後の競技者となった。

雨は上がった。温泉街を縫う道は黒く光っている。滑って転ばないよう気をつけながらその道を歩いて下り、一心舘に戻って即、入浴をする。そして冷たいお茶を飲んで即、布団に横になる。時刻はいまだ、22時は回っていなかったような気がする。


朝飯 ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、ハムと玉葱のサラダ、スペイン風目玉焼き、ピーマンのソテー、納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「つく政」の特製お花見弁当、柏盛(燗)、清開(燗)、ハイボール

2018.4.10(火) 山の景色

北西に面した窓から望めるのは日光連山で、そこに連なる山々の名は、男体山をはじめとして割と知られている。しかし僕が惹かれるのはむしろ南東の眺望で、そこにあるのは、もっとも手前の琴平山からいくつもの山の畝のむこうに位置する鶏鳴山のそれだ。今朝の鶏鳴山は、晴れた空を背にして春の日の光を浴び、穏やかな様子をしている。

ウチの会社では会議というものをほとんどしない。今朝は珍しく事務係の3名が集まって、DM会議を開くという。そして予期せず、そこに僕も加わることとなった。DMとはお客様にお送りする手紙のことで、今年の夏に向けて、その内容や投函の時期が決められた。それに費やした時間はごく短いもので、会議というよりは、摺り合わせとでも呼ぶべきものかも知れない。

僕に割り当てられた仕事はDMのお送り先の特定で、その結果は、今月25日に事務係に手渡すことと決まった。24日の夕方までに情報を自分のコンピュータに集め、25日の朝はやくに起きれば、作業は数十分で完了するだろう。

ひと息を入れて、朝に撮った鶏鳴山の写真を見る。庭の、左手のソメイヨシノは散り加減だ。右手奥の山桜は、ほとんど葉ばかりになった。シダレザクラは、味噌蔵の影に隠れて見えない。


朝飯 納豆、しその実のたまり漬を薬味に「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた冷や奴、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 豆腐と溶き卵の吸い物、ひじきと人参と大豆の炊き合わせ、ほうれん草のおひたし、胡瓜と若布と玉葱の酢の物、鯖の味噌煮、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)

2018.4.9(月) 奉祝の提灯

総鎮守・瀧尾神社の春の大祭は、今週の土曜日から日曜日にかけて催行をされる。よって提灯やカキダレは、その直前までに飾れば問題はない。しかし提灯のための赤柱は、先週の金曜日から店の前に立ててある。縄は僕も係に加わって、先週の土曜日に、町内に張り渡した。「そうであれば」と、提灯はきのうから出すことにした。カキダレを垂らさないのは、雨を恐れてのことである。

今月に入って以降、列島の気温は場所によっては夏日を記録するところもあらわれた。しかしそれもつかの間、ここ数日は、4月としては寒い日が続いている。そのことによるものかどうかは不明ながら、両手の複数の指には、今朝から一斉にアカギレが切れた。バンドエイドを貼れば、また別の指にアカギレが切れと、まるでモグラ叩きである。

寒いとはいえ、それはあくまでも「4月としては」であって、3月の上旬にくらべれば暖かい。にもかかわらず、3月の上旬には消えていたアカギレが今の時期にぶり返すとは、どのような理由によるものだろう。不思議といえば、不思議である。


朝飯 カレーライスたまり漬「浅太郎らっきょう」
昼飯 ラーメン
晩飯 レタスとポンカンとグリーンアスパラガスのサラダチョリソーと人参とキャベツのスープトマトとプティベールとチーズのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2018.4.8(日) 山から降りる

昼食は大抵、当日の日本経済新聞朝刊の第32面を読みつつ摂る。今日の文化欄の、村田喜代子による「春の四次元空間より」で特に目を留め、二度三度と文字をなぞったのは、ドイツ文学者の池内紀について「池内さんは退職をすると悠々自適のために生活を縮小し、仕事を選んだ。」というところだった。

世の中ではほとんどの場合において、縮小ではなく拡大こそ賞賛をされる。しかし僕には拡大を良しとする意識も、また拡大に対する欲求も、ほぼ無い。

1982年にタイ、スリランカ、モルジブと飛び石のように移動をしてマドラスからインドに入った。そして鉄道でヴァラナシまで北上し、その巡礼の街にしばらくのあいだ留まった。

ガンジス川の、雨季にも乾季にも、つまり水位が低くても高くても沐浴ができるよう階段状に作られた川岸を歩いて死んだ人を焼く風景を間近に見たとき、僕の頭に浮かんだのは「人間、所詮、起きて半畳、寝て一畳」ということだった。もっともその経験が、閑居や独行を好む僕の性癖に影響を及ぼしたかどうかは知らない。

「人と違った時間に違った使い方をするのは気分がいい。」と村田喜代子は書く。時間だけではない、他のあれこれについても、人と違ったことをすると、からだも気分も楽である。

「禅とは、山を降りること」と、20年ほども前にある禅僧から聞いた。その禅僧はアメリカン・モーターズのチェロキーを所有していたから、自身は山から降りてはいなかったと思う。しかし村田喜代子や池内紀は明らかに、山から降りつつある。楽だと思う。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しその実のたまり漬を薬味にし朝露をかけた冷や奴、ごぼうのたまり漬、生のトマト、赤飯、油揚と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン
晩飯 生のトマト空心菜のナムプラー炒めタイ産にんにく風味焼き餃子スペアリブと大根のスープ「紅星」の「二鍋頭酒」(生)バナナのプディング

2018.4.7(土) 大祭の準備

総鎮守瀧尾神社の春季大祭が1週間後に迫っている。我が春日町1丁目は今年度の、この神社のお祭一切を仕切る当番町である。これまでの話し合いにより決められた準備日は本日。集合時間は8時だ。よって事務係と販売係には言い置き、書き置きを残して神社へと向かう。

自治会長の挨拶の後は、二手、三手に別れて、それぞれの仕事に就く。それらの各組は、あらかじめ決められていた、あるいは自然に発生したリーダーの差配により黙々と、あるいは和気藹々と仕事を進めていく。

オノグチショーイチ祭典委員長の指導による大幟のための柱立て
子ども相撲のための土俵作り
倉庫から台車と御輿を運び出しての山車作り
倉庫から飾り物を出しての拝殿外の飾りつけ
余興のための用具を保管するためのテント設置

渡御の行列に参加する白張りの衣裳の確認
休憩
元植木屋まーちゃんの指導による一の鳥居への笹竹の設置
二の鳥居への笹竹の設置
本殿の注連縄張り

社務所の注連縄張り
手水舎および参道の清掃
山車の御輿部分の椿油による磨き
山車の屋根の鳳凰を段ボールで保護した上での雨よけシートのまき付け

ここまでこなして時刻は12時45分。シバザキトシカズ大膳委員長が弁当を用意した春日町1丁目公民館へと移動をする。14時まで休んで倉庫から荒縄を出し、町内の東、中央、西に別れて各地区にその縄を張り巡らせる。一方、ウカジシンイチ自治会長とクロスカオル神社総代は公民館に残り、屏風と祭壇を飾る。

各地区に分かれていた人員がふたたび公民館に集まり、その一部は提灯台の組み立て、一部は先ほど町内に張り巡らした縄から垂らすカキダレを、各組の戸数に合わせて数える。それが済んだところでツカハラノリコ婦人会長の淹れてくれたお茶を飲む。

会社には予想より1時間おくれて16時に戻る。そして着替えて日常の業務に復帰する。雨が降らなかったのは幸いだった。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、温泉卵、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とブロッコリーの味噌汁
昼飯 町内支給の弁当
晩飯 シジミと三つ葉の吸い物、胡瓜と玉葱と若布の酢の物、タラの芽とグリーンアスパラガスの天ぷら、鰤の煮魚、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、いちご

2018.4.6(金) 根を詰めて

「いつも」というわけではない。今朝に限っては目を覚まして即、枕の下からiPhoneを取り出し時刻を確かめる。2時05分。それを見て「グズグズするうち、1時間半くらいはたちまち経つんだよな」と、普段の経験から分かっていることが頭をよぎる。

しばらくして起きて服を着る。寝室からドアひとつを隔てた洗面所へ行き、棚の時計に何気なく目を遣ると、時刻は3時35分だった。今日も、またおなじ経験を重ねてしまった。時間を無駄にした感覚はほとんど無いにもかかわらず、である。

食堂のテーブルに着き、根を詰めて文字を書く。これをするために、きのうは早寝をしたのだ。こういうことは、誰も訪ねて来ない、誰も電話をかけてこないときにしか、僕にはできない。そしてその仕事を終えて筆記用具を片付けると、6時は目と鼻の先に迫っていた。「1時間30分の無駄がなければ、好き勝手をできる時間がそれだけ延びていたのに」と惜しんでも、後悔先に立たず、である。


朝飯 茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、油揚の網焼き、切り昆布の炒り煮、温泉卵、納豆、揚げ湯波と筍とほうれん草の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとレタスのサラダパン鶏とマカロニのグラタン“Petit Chablis Billaud Simon 2015”イチゴとホイップクリームを添えたケーキ

2018.4.5(木) 訳ありシート

6月の最初の週末に、鳥取県智頭町の同級生ヨネイテツロー君の家で同窓会がある。この幹事を僕がするよう、先般、クラス委員のアカギシンジ君に頼まれたので「切符の購入や宿の手配まではできないが、それ以前のところまでなら」と、その仕事を引き受けた。

以降は同級生のメイリングリストで意見や希望を募り、A君は往きは飛行機で帰りは電車、B君は往復とも電車、C君とD君はひとりで来て復路はE君のクルマに同乗、またF君は東京と智頭のあいだを自家用車で往復しつつ往路はG君とK君を乗せ、2日目はL君およびM君と共にゴルフをしてから帰京など、その交通手段のみを明らかにした。

ところで自分はどうするか。パッと行ってパッと帰りではつまらない。僕は昔から、どこかへ行く場合、目的地でのあれこれとおなじくらい、そこまで達する道中が楽しみだった。そしてその性向は、いまだに残っている。

「乗り換え案内」は、僕の好むところの不合理な経路は教えてくれない。ところが今日は、青春18切符に特化した経路検索のサイトを発見した。そしてこれで今市駅から智頭駅までの行き方を調べてみると、その所要時間は30時間を超えた。

僕が最も長いあいだ鉄道に乗り続けたのは多分、インドのマドラスからヴァラナシまでで、所要時間は36時間ほどだっただろうか。しかしそのときにはマドラス駅のポーターに座席の頭上にある荷物棚を確保させ、そこに寝ていったから、窓外の景色は望めないものの、体力的な苦労は無かった。しかし座りっぱなしの30時間超、しかも現在の年齢でのそれはいささかきつい。

ふと思いついて、夜行のバスを調べてみた。すると東京駅を21:30に出て、翌朝07:30に姫路駅に着く、3列独立シートでトイレ付きの便が見つかった。そこで早速これを予約すべく、ブラウザに向かう。価格は通常が10,300円のところ「訳ありシート」は10,100円というので、その「訳あり」を選んだ。

そうしてしばらく進んで目を凝らすと、その「訳ありシート」とは最前列の真ん中で、衝突安全装置により足元が狭いとの説明があった。この席には過去に一度、東京から京都まで乗って辟易した覚えがある。よって尻尾を巻くようにして元に戻り、通常の席を10,300円で確保する。

ここで、姫路駅から智頭駅までの、青春18切符による経路検索をしてみる。すると素直に「スーパーはくと」を使えば1時間03分で行ける距離に5時間以上もかかって料金は却って高い。安い経路を見てみれば、こちらは8時間もかかる。ここは素直に「スーパーはくと」に乗る手だろう。当日の集合時間は「午後の中ごろ」だから、時間の余裕は充分である。


朝飯 茹でたブロッコリー、切り昆布の炒り煮、スクランブルドエッグ、茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、納豆、みょうがのたまり漬、生のトマト、揚げ湯波と茄子と万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、茄子とピーマンのカリカリソテー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ほうれん草の胡麻和え、お多福豆、鶏肉の松かさ焼き、たけのこごはん、豆腐と三つ葉の吸い物、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、夏みかん

2018.4.4(水) 3本の桜

朝、食堂の窓から見える庭の桜が、いよいよ開いてきた。「いますぐその真下に行かなければ最盛期の姿は撮れないのではないか」と考え、仕事場に降りる際には、カメラの保管庫からニコンD610を取り出すことを忘れなかった。

そして先ずは、味噌蔵を背にして、国道121号線の歩道に張り出すようにして咲くソメイヨシノを見上げる。これは七分咲きなのか八分咲きなのか、いまだ数日は、花吹雪を散らすことなく咲き続けるように思われる

「桜伐る馬鹿」と言われるものの、先のソメイヨシノは歩道に張り出した太い枝を数年前に落とした。2005年に亡くなったオヤジは、それが折れて歩行者を傷付けることを恐れていた。その後、10年ちかくもそのままにしていたのは「まだ大丈夫」という植木屋の言葉を信じたからだ。

「これ以上、大きくなって枯れたときには、塀を壊して重機を入れるしかない」と、おなじ植木屋に脅かされたことにより、仕方なく剪定を任せたのは山桜だ。本居宣長が「朝日に匂ふ」と詠んだその匂いはもちろん、鼻で感じるものではないだろう。あるいは鼻で感じようとしても、山桜の花は高いところにあって、手折るなどは到底、できない。

味噌蔵のある庭でもっとも遅くまで花を残すのは枝垂れ桜で、これはいまだ五分咲きといったところだった。しかしまぁ、この庭に建つ古い家で朝食を供する今月22日までは、残念ながら保たないような気がする

ところで今日は、1歳5ヶ月になる孫のリコの、保育園の初登園日だった。いまだ慣らし運転で1時間の在園だが、泣かずに戻ってきたので「おりこー」と褒める。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、トマトのソテーを添えた目玉焼き、カキ菜のたまり浅漬け、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、メシ、揚げ湯波とカキ菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 グリーンアスパラガスの胡麻和え、うずら豆、みょうがのたまり漬を薬味に「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた冷や奴、カキ菜のおひたし、肉じゃが、銀鱈の西京焼き、「須藤本家」の「郷乃譽純米吟醸」(冷や)、スポンジケーキ、”Old Parr”(生)

2018.4.3(火) コロモガヘ

仕事着に限れば、僕は年間で、以下8回の衣替えをしている。

春:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
晩春:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初夏:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
盛夏:半袖ポロシャツ
初秋:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
秋:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
真冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト

昨年はゴールデンウィークまで、上記の「春」の組み合わせを着ていた。ところが今年は本日より「晩春」の組み合わせにした。一方、現在はまた、花粉が盛んに舞っているときでもある。外出の際に用いていた裏地付きのジャンパーは、今朝、クリーニングに出してしまった。しかし何かを羽織らなければ、木綿のTシャツが花粉にまみれるかも知れない。

そういう次第にて、夜はほとんど非常用の、薄くて小さなPatagoniaのウィンドブレーカーを着て、日光街道を自転車で下る。


朝飯 3種のおむすび
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しのスパゲティサラダ皮蛋豆腐あんかけ焼きそば、麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)

2018.4.2(月) おなじ行動

朝、この4月から有料となったゴミを、日光市が指定した袋で外に出す。ゴミをきちんと分別し、その処理を有料で行政に依託する、その風景は、人が美しく老いていく姿を僕には連想させる。思いがけず、ことし初めてのツバメを見る。

下今市15:33発の上り特急スペーシアに乗る。僕としては珍しく常磐線のプラットフォームに降りる。しばらくして来たのは品川行きの快速だった。よってこれに乗って17時43分に品川に至る。

勉強仲間との交流会は、18時30分からの予定だ。会場の名をiPhoneのgoogleで検索し、その地図に示された方へと歩いて行く。途中、港南口から中央改札に向かう、仕事を終えたばかりと思われる人の量に圧倒をされる

品川の、港南口の近辺に来るのは、およそ35年ぶりのことになる。今や大きく綺麗なビルが林立し、僕はまるで浦島太郎である。

ニシジュンイチロー先生を囲む会には、およそ30名が集まった。席は、同じ顔ぶれが最後まで固まらないよう、ときどき移動をした。最後の小一時間ほどは、両脇をひとまわりかふたまわりほど若い人に挟まれて、非常に有意義な話を聞く。その話は家に帰ったら家族に伝えるべく、しっかりと頭に納める。

僕は夜に弱い。夜の集まりからは素早く抜け出し、早く眠りたい。周囲に別れを告げればどうしても目立つ。デザートを食べ終え、参加者が腰を上げ始めるか否かのあたりでショルダーバッグを手に持ち、黙って共用の廊下に出る。しばらく歩いて下りのエスカレータに乗ろうとして、不意に声をかけられる。僕とおなじ行動をとる人が、ひとりだけいたのだ。

そのサトーマサヒデさんとは品川駅の北改札まで共に歩き、そこで西と東とに別れる。


朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ほうれん草のソテーを添えた目玉焼き、切り昆布の炒り煮、焼きトマト、しその実のたまり漬、メシ、玉葱と三つ葉の味噌汁
昼飯 蕎麦
晩飯 「はなたれ品川店」のあれやこれやそれや。たくさんの種類の日本酒(冷や)

2018.4.1(日) 桜

早朝に製造現場に降りる。彼岸前にはダウンベストの上に白衣を羽織っていた。そのダウンベストを今朝は着ていない。意識してそうしたわけではない、なにも考えることなく薄着になったのだ。

朝食を済ませ、4階の応接間から味噌蔵のある庭を何気なく眺めると、左手東側のソメイヨシノと右手西側の山桜がピンクに色づいていた。そのことに今朝まで気づかなかったのは、多分、きのうまでは幹の黒や葉の緑の方が目立っていたからだ。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と検品のため、自転車で日光街道を下る。彼岸前まではダウンベストの上に裏地つきのジャンパーを重ね、手袋を嵌めていた。今朝はダウンベストもジャンパーも、また手袋も、その必要はなかった。一気に春が来たらしい。

「あしたの晩ごはんはカスレだよ」と、きのうの夕食時に長男から聞いて喜んだ。肉や臓物を煮込んだものは大抵、好物である。しかしその直後に、日曜日の夜は、総鎮守瀧尾神社の春の大祭へ向けての町内の話し合いがあったことに気づく。

その話し合いは、春日町1丁目公民館にて19時から23時すぎまで続いた。そして帰宅してようやく、カスレとパンと白ワインにありつく。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、温泉卵、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、切り昆布の炒り煮、しその実のたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「美彩たむら」の日替わり弁当「日光のひみつ豚」のフリーズドライ豚汁
晩飯 パン、カスレ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、「マンダリンオリエンタルホテルの」バトラーが部屋に置いてくれたチョコレート、”Old Parr”(生)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学