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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.4.20(金) 何でも本職に頼る

きのうの自転車による転倒は、サドルの位置が高すぎるところにその一因がある。サドルが高すぎることは、この自転車を買った数年前から感じていた。それをなぜ適当と思われる位置に調整しなかったか。それは僕の、何でも本職に頼る性格による。

壁に釘1本を打つにも、できれば職人を頼みたい。それは、自分の不器用さを熟知しているということと、もうひとつは「本職に任せておけば間違いはない」という、職人礼賛の気持ちが強いからだ。

自転車のサドルを下げるについても、できれば市本サイクルのイチモトケンイチさんに家まで来てもらいたい。しかしそれくらいのことで人を呼びつけるのはいかがなものか、という気持ちもある。「仕方がない、自分でやってみるか」と考える。

どのくらいの大きさのモンキースパナなら自転車のサドルの下に差し込めるか、それを調べるため外へ出る。そして腰をかがめて見てみれば、当該の場所にはボルトとナットではなく、素手でもサドルの位置を調整できるよう、折りたたみ式のレバーがあった。よってこれをゆるめ、サドルの位置を適当と思われるところまで下げ、また締め上げる。

数年のあいだ不便な思いをしてきた問題は、ほんの1分ほどで解消した。”do it yourself”は得意でもなく好きでもないが、これからは、とにかく「自分でできるかできないか」くらいは、とりあえず確認をしようと思う。


朝飯 揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ、ほうれん草のおひたし、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「とんかつ一彦」の「おみや」による弁当
晩飯 刺身湯波、ほうれん草のおひたし、トマトと大根のサラダ、鶏もも肉の網焼き「ひしお」添え、お多福豆、稲荷寿司、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)


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2018.4.19(木) 酔いと老いにより

「飲んじゃ日本酒が一番だわな」を標準語にすれば「酒は日本酒が一番、美味い」となる。僕の周りの老若男女に、この言葉を口にする人は少なくない。

日本酒と焼酎をくらべれば、日本酒の美味さは断然、分かりやすい。しかし僕は、日本酒は鮨を食べるとき、それから日本酒に特化した飲み会「本酒会」の、月に一度の例会くらいにしか飲まず、和食のときは大抵、焼酎を飲む。より美味いと感じる日本酒ではなく、なぜ焼酎を飲むか、それが自分でも分からない。

今月の本酒会の会場は、日光街道から二宮神社に延びる道にむかしからあるとんかつ屋である。急な階段を上がった2階の座敷は、隠れ家や閉所を好む僕には、とても喜ばしい空間だ。ここで本日は4本の日本酒を飲んだ。もっとも美味く感じたのは「山本合名」の「七合酵母」だった。

本酒会は19時30分から21時までと定められているものの、僕が時間いっぱいまでそこにいることは少ない。今日も定時前に会場を出て自転車にまたがる。そのとき何の拍子か、否、拍子も何もない、明らかに酔いと老いにより平衡を保てなくなって、石畳の上で右側に転んだ。地面に打ち付けたのは、右膝の外側、腰の右側、胸の右側、右の掌、そして右の眉尻である。

家に帰ってズボンの裾をまくり上げると、右膝の外側には軽い擦過傷があった。右の眉尻は、ごく軽く地面に触れる程度の打ち方で幸いだった。自分がつまらない事故で死ぬ予感はあるものの、61歳では、ちと早すぎる。

そして包んでもらった豚カツの一部に電気炊飯器のゴハンを添え、それらを肴にドライシェリーのソーダ割りを飲む。


朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンとトマトのソテーを添えた目玉焼き、茹でたブロッコリー、揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ、ごぼうのたまり漬らっきょうのたまり漬、めんたいこ、メシ、揚げ湯波と椎茸とピーマンの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 「とんかつ一彦」の酒肴あれこれ、4酒の日本酒(冷や)、「とんかつ一彦」の「おみや」の豚カツの一部、メシ、“TIO PEPE”(ソーダ割り)


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2018.4.18(水) これから良い時間

先月のタイ旅行は家内とふたりだったから、あれこれの代金については僕が出したり家内が出したりで、小遣い帳は特に記さなかった。しかし今、そのときの日記をざっと眺めて僕がチップに費やしただろう金額を合計すると、それは5,100バーツ強、日本円で17,000円を超えた。僕は祝儀については、割と鷹揚である。というか、これを出し渋ることには強い抵抗がある。一方、使うに際してひどく躊躇う金もある。その代表が、仕方なく買う傘の代金だ。

きのうの朝の天気予報では、きのうから今日にかけて、関東南部に断続的に雨の降ることが伝えられていた。しかし荷物はできるだけ少なくしたい。「何とかなるだろう」と、傘は持たずに家を出た。きのうこそ何とかなったものの、そして今朝も、どうにか傘を差さずに移動することを考えたけれど、それはやはり無理との結論に至った。そして泣く泣く、698円のビニール傘をコンビニエンスストアで買った。

昼を過ぎると雨は止み、恵比寿ガーデンプレイスの上空からは、日がいきなり差してきた。「数時間後には無用となって、以降は邪魔になるばかり」ということが分かっていながら傘を買うことのバカバカしさは、どうにもならない。

閉じた傘を持って日比谷線に乗り、北千住に至る。駅から見おろす街は、これから良い時間になりかかるところではあるけれど、その街に出て行くことはせず、下りの特急スペーシアに乗る。


朝飯 「大戸屋」の朝定食
昼飯 「つるまる」のわかめうどん、昆布のおむすび
晩飯 マカロニサラダ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”茹でたブロッコリーと人参のグラッセを添えたハンバーグステーキ“GEVREY CHAMBERTINE 1er CRU AUX COMBOTTES DOMAINE DUJAC 1985”パウンドケーキ、”Old Parr”(生)


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2018.4.17(火) oral history

「おたくの会社については、いろいろと昔のことを知っている。機会があれば、ぜひ話したい」との手紙をお客様からいただいたのは、先月の下旬のことだった。このような機会は滅多にあるものではない、ご自宅までおうかがいする旨を長男は二つ返事でお送りし、待ち合わせは4月17日の13時と決められた。

お客様宅の最寄り駅は、柏から船橋を目指して南下したところにある。「先ずは東京に用事がある」と、長男は下今市09:04発の上り特急に乗った。僕はすこし遅れて10:35発の、やはり上り特急に乗る。

当該の駅で、お客様は当方の姿をすぐに認めてくださった。挨拶もそこそこに、駅前に駐めた青いホンダ車に案内をされる。

僕は1972年に15歳で東京に出て、家に帰った1982年におじいちゃんは亡くなった。よって昔のことはほとんど聞いていない。オヤジは無口だったから、これまた昔のことはほとんど聞いていない。

お客様のお宅の、午後の淡い光が障子ごしに差し込む和室で伺ったお話は、とても興味深いものだった。次はお客様のお兄様から更に補足をいただくこととして、またまた駅までお送りいただく。本日および後日にお聴かせいただいたことは、いずれウェブページで紹介させていただくことになるだろう。

次男の予定は1週間ほど前に確認をしておいた。そして秋葉原にて待ち合わせをし、長男との3人で早めの夕食を摂る。


朝飯 揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ、納豆、グリーンアスパラガスのソテー、ベーコンエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬らっきょうのたまり漬、メシ、豆腐と水菜の味噌汁
昼飯 セブンイレブンの2種のおむすび
晩飯 「ビーフキッチンスタンド秋葉原店」のあれやこれやそれや赤ワイン


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2018.4.16(月) 春季大祭の片づけ

きのう、今まさに直会が始まろうとしている公民館で、お祭の片づけは明日の何時にどこへ行けば良いのかと、オノグチショーイチ祭典委員長に訊いた。「9時に神社」というのが、そのときの答えだった。

朝の仕事に没頭しつつ、ふと時計を見ると8時55分になっていた。よって慌ててそのことを長男に伝え、ふたりで瀧尾神社へと向かう。午前中の仕事は以下の通り。

山車の御輿部分を台車から降ろし、それぞれを所定の倉庫に格納する。
拝殿前の飾りを分解して倉庫に格納する。
子ども相撲の土俵の俵を次年度当番町・春日町2丁目のトラックに載せる。
余興のために張ったテントを畳む。
おなじく机、椅子、境内各所で使ったブルーシートなどを畳む。
それらを軽トラックで町内の倉庫と蔵に運んで格納する。
町内の東地区と中央地区に張り渡された荒縄を外し、ゴミ袋に入れる。

昼食を挟んで今度は町内の公民館に集合し、以下の仕事をする。

きのうの直会で出たゴミを仕分ける。
提灯台を分解して倉庫に格納する。
床の間の祭壇を片づけ、道具類を押入に格納する。
1双の屏風を畳んで専用の木箱に格納する。
瀧尾神社の御札を各組の戸数に合わせて数え、各地区の役員に手渡す。

会社には15時前に戻ることができた。そして以降は日常の仕事に復帰する。


朝飯 めんたいこ、ごぼうのたまり漬、納豆、スクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、らっきょうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 富貴豆、揚げ湯波とパパイヤの炊き合わせ水菜と厚揚げ豆腐と豚薄切り肉の鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)


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2018.4.15(日) 春季大祭(2日目)

「週末は春の嵐」などと天気予報には脅かされたものの、きのうはなんとか曇りのまま凌ぎきった。今日は今日で、夜半からの雨は早々に上がり、8時30分からは薄日も差しはじめた。大いに有り難い。

販売担当の社員ふたりが出社したところで家内とホンダフィットに乗り、今市小学校での、日光市議会議員と市長の選挙の投票を済ませる。帰途、小学校と隣りあう瀧尾神社で僕のみクルマから降り、社務所へと向かう。そこには既にして、春日町1丁目の自治会長、神社世話人、大膳委員長、総務委員長が揃っていた

きのうの夕刻、神社から町内の倉庫、あるいは屋台庫に戻すべきものを軽トラックで運んだのは僕だ。それは、本来の役を担った者が、直会の乾杯で酒を口にしたことに拠る。ほんの2、30ccとはいえ、法律は法律である。そのとき使ったトラックの鍵を自治会長に戻す。本日、これ以降の、お祭に関わる僕の仕事は多分、無い。

春季大祭の余興のひとつとして、今年は今市小学校のブラスバンドに来てもらうことになった。この妙案を思いついたのはシバザキトシカズ大膳委員長である。自転車に乗って10時30分に神社へ行く。僕が在学をした、1960年代の今市小学校にあったのは、ブラスバンドではなく鼓笛隊だった。そして彼女たちの演奏を何曲も聴くうち、小学生の技術でも、人を感動させられることを知る

「直会準備できます。集合願います。」との、ユザワツネオ頭によるコメントが、16時46分に町内役員の同報ラインに上がった。これから準備であれば、手伝いをしないわけにはいかない。そう考えて公民館へ急行すると、しかし先のコメントは「直会の準備ができたから、役員は集合せよ」という意味だったことを知る。

僕は瀧尾神社の責任役員になって以降、というか、ギックリ腰を何度か経験した20年ほど前から現在に至るまで、お祭の実行部隊からは遠ざかっている。そして直会にはほとんど出ない。帰社して閉店後はキャッシュレジスターを締め、自宅で夕食を摂る。


朝飯 ほうれん草のソテー、生のトマト、ハムエッグ、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、納豆、らっきょうのたまり漬、めんたいこ、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 トマトとグリーンアスパラガスと鶏肉のソテーマカロニとマッシュルームのクリームソース“Petit Chablis Billaud Simon 2015”いちご


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2018.4.14(土) 春季大祭(1日目)

早くに起きなくてはならないときでも、目覚ましは大抵、かけない。起きるべき時間より早く目が覚めるからだ。しかし今朝は、目を覚ますと4時16分だったから、いささか慌てた。瀧尾神社に集合する時間は5時と言われていたからだ。

徒歩で向かうという長男とは別に、ホンダフィットにて瀧尾神社へ行く。そこでオノグチイッセー君と長男は白張りの衣裳に着替えをする。ふたりはユザワツネオ頭のクルマで追分地蔵尊まで送ってもらう。僕はレンタルの軽トラックにてその後を追う。

6時ちょうどに花火が上がる。それを合図として、二人は榊を曳く荒縄を手に日光街道を走って遡上し始めた。先導はユザワ頭のクルマ、そして後衛は僕の運転する軽トラックである。追分地蔵尊から瀧尾神社までの800メートルを彼らは5分で走りきり、更に参道を100メートル走って拝殿に至った。これがいわゆる「露払い」である。町内の公民館で朝食を摂る長男とは、そこで別れた。

嫁のモモ君は早朝から美容院のカットシンで和服を着せてもらう。一方、孫のリコは稚児の着付けをしてもらうため、家内が公民館へと連れて行った。僕はひとり食堂に残り、家内の作ったおむすびに、自分の作った味噌汁を添えて朝食とする。

出勤した販売係ハセガワタツヤ君にあれこれ言い置いて、徒歩で神社へと向かう。時刻は7時25分。僕の恰好は、白いシャツに銀色のネクタイ、黒いスーツに革靴である。

08:15 稚児と金棒曳き、その保護者の記念写真撮影
08:25 宮司、神官、役員などの記念写真撮影
08:48 オノグチショーイチ祭典委員長による白張りへの役割の説明
08:55 責任役員、各町内の三役が整列
09:00 神事開始
10:00 渡御行列出発

渡御が神社を出ると同時に来賓と責任役員は社務所にて直会を開始。僕は乾杯の発声役。1時間ほどで直会が完了すると、僕は一旦、会社に戻って普段着に着替える。

午後、昼食を終えようとしている長男が二宮神社会館から電話をよこす。きのう奥に畳んであった机と椅子の画像を納めたiPadを持って、至急、会館まで来るようにとのことだ。よって即、iPadを緩衝袋に納めて自転車に乗る。

渡御の一行や交通整理の警察官たちが昼食を摂った二宮神社会館は、主に婦人会の人海戦術により、既にしてあらたか片付けられていた。僕は乞われてiPadのディスプレイにきのうの画像を出し、机や椅子の、ほとんど元通りに格納されていることを確認する。僕だけ楽な仕事で気が引ける。

15:15 婦人会による、瀧尾神社での直会の準備
15:39 渡御の宮入
15:58 タナカノリフミ宮司挨拶
15:59 ウカジシンイチ当番町自治会長挨拶
16:00 タノベタカオ総務委員長による奉献品の報告
16:06 直会

少子高齢化の波を受け、各町内の三役による「当番町を考える会」は、瀧尾神社のお祭の大幅な簡略化を方向づけた。今年度当番町の春日町1丁目は、その「当番町を考える会」が決めた「略式」でお祭を執行する最初の町内である。昨年まで、直会は境内に建てられたテントの中で開かれていた。今年はテントは張らず、乾杯は日本酒少々のみ。弁当を配ってお開きである。

16:16 大幟の貢納
16:29 拝殿前の飾りの片づけ
16:36 山車を雨よけで覆う
16:55 ユザワツネオ頭の拍子木に合わせて三本締め

とにかくこれで、当番町が越えるべき最も高い壁である春季大祭の半分を、無事に終えることができた。婦人会は19時から明日の赤飯を仕込むという。頭の下がる仕事ぶりである。


朝飯 5個のおむすび、ごぼうのたまり漬トマトとピーマンの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 カキ菜のおひたし、島津揚げの網焼き、豚肉と白菜のソテー、富貴豆、真鯛の味噌漬け、胡麻焼酎「紅乙女」(ソーダ割り)、“Chez Akabane”のイチゴのショートケーキ、”Old Parr”(生)


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2018.4.13(金) お天気祭

今日の日本経済新聞の朝刊14面に「居酒屋全席禁煙の波」の見出しがある。物を食べる場所でタバコの煙にうんざりさせられ続けている僕にとっては大いなる福音だ。しかしこの「禁煙の波」が酒にも押し寄せたらどうするか。

全面禁酒の鮨屋、全面禁酒の洋食屋、全面禁酒の中華屋、全面禁酒のモツ焼き屋、全面禁酒のワインバー、果ては全面禁酒の居酒屋。世情は、変わるときには一気に変わる可能性がある。世の中がそうなったら、僕は、特に夜の外食は一切、できなくなるだろう。

それはさておき、春季大祭の好天を祈るお天気祭である。瀧尾神社のお天気祭というものを、僕は知らない。24年前の当番町のときには、いまだ若くて声はかからなかった。12年前は当番町会計を命じられ、やはり声はかからなかった。今回はようやく招集を受けた。裏方として、である。

宮司と共に明日、明後日の好天を祈るのは、自治会長、神社総代、神社世話人の3名のみだ。この神事が済むと、これら3名と他に1、2名が、明日の大祭における「献饌」の練習を、拝殿にて宮司から習う。

僕は長男と共に先ずは瀧尾神社で諸々の準備に当たり、14時から二宮町の二宮神社に移動をした。こちらでは明日の渡御の一行が、昼食を摂ることになっている。僕と長男が神社の会館に入ると、婦人会の面々が総出で床のモップがけをしてくれていた。有り難い限りだ。

先ずは机や椅子が格納されている状態を、長男がiPadで撮る。片づけの際、元の状態に精密に戻すためだ。それをしておいてから、町内から手渡されていた見取り図に従って机を並べ、更に椅子を並べる。人が揃っていたこともあって、それほど長くかからず作業は完了した

今後はそこから町内の公民館へ行く。このようなジグザクの移動は予想していたから、当方は最初から自転車に乗っている。先ほど二宮神社会館の掃除をしていた婦人会のうち3名は、いつの間にか公民館に来て、押し入れに仕舞ってあった手拭いを出し、その包装を解いていてくれた。

僕と長男は婦人会の方々に教えていただきながら、大祭の参加者が襟に沿って身につけられるよう、その手拭いを折り、その一部に安全ピンを取り付ける。不器用な僕も、やればできるものである

会社に戻ると時刻は16時を過ぎていた。以降は閉店の時間まで、普段の仕事に就く。


朝飯 島津揚げの網焼き、納豆、卵とチーズのオーブン焼き、ほうれん草のおひたし、明太子、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、メシ、油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライスらっきょうのたまり漬
晩飯 ポテトサラダ、人参サラダ、トマトとグリーンアスパラガスとズッキーニのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”


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2018.4.12(木) 大祭の広告

総鎮守瀧尾神社の春の大祭における余興委員は、我が春日町1丁目においてはイケダツトムさんが、長年に亘ってその任を担い続けている。そのイケダさんが知恵を出した大祭の広告は、きのうの地元朝刊紙に折り込まれた。別途、おなじ広告はまとまった枚数が、町内の要所に配られた。

今朝は、この広告をウチの隠居の塀に貼っても構わないかとのメッセージが、大膳委員長のシバザキトシカズさんからラインにより届けられた。快諾をしたことは言うまでも無い。シバザキさんはその塀の前を登下校する小学生の目線に合わせ、低い位置に複数枚を並べて貼った。「小学生の目線に合わせ」などは、僕の頭には到底、浮かばないことである。

ウチはウチでその広告を、店舗のドアからお客様用トイレに至る経路に並べて貼った。春の大祭の余興には、できるだけ多くの方々に来ていただきたい

僕が子供のころ、このお祭の余興で楽しみにしていたのは腹話術だ。他については覚えていない。とにかく腹話術の印象は強烈だった。子ども相撲では僕は勝ったためしがなく、参加賞はいつも「ワタナベの粉ジュース」1袋のみだった。

相撲で勝ったことは無かったけれど、この余興に今市小学校の剣道部が一肌脱いだことがあった。そのときには、僕は何かが憑依したように勝ちを重ね、表彰状をもらったことを覚えている。

買い食いでは、手水舎の脇に決まって店を出したアイスキャンディー屋が好きだった。そのアイスキャンディーは梅の花の形で、色は紅白の2色があった。子供のころの僕が、どちらの色を選んだかは、今となっては思い出せない。

明日は大祭の好天を祈るお天気祭があり、また諸々の準備も控えている。どうにかこの大祭を乗り切って、夏の八坂祭につなげたい。風邪などひかないよう、風呂から上がったら即、寝ることに勉めようと思う。


朝飯 湯けむりまごころの宿「一心舘」の朝のお膳
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 トマトとレタスとブラックオリーブのサラダたまり漬「青森県田子町産のにんにくです。」を刻み込んだバターライス青森県田子町産のにんにくです。」と人参のグラッセとほうれん草のソテーを添えたビーフステーキ“GEVREY CHAMBERTINE DOMAINE DUJAC 1985”


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2018.4.11(水) 夜桜大宴会2018

facebookへの誰かのコメントを契機として経済活動、有り体に言えばお金を使うということが、このところ2度、続いた。1度目は先月のフアヒン行き、そして2度目が今日の「夜桜大宴会2018」への参加である。

この夜の観桜会については、鬼怒川温泉の旅館「一心舘」の女将マリコさんによる、facebookへの書き込みにより知った。会場となる護国神社では、季節ごとに様々な催しが開かれている。何年か前の秋に、やはりマリコさんに案内されて遊んだのは、何の企画だっただろう。

兎に角、定時の18時に店を閉め、キャッシュレジスターも締めて、家内と慌ただしくホンダフィットに乗る。一心舘に着いたのは19時すこし前だった。部屋に荷物を置き、フロントに降りると、若い人が我々をクルマで神社まで送ってくれた。一の鳥居から二の鳥居の先まで続く桜は満開を微妙に過ぎた最高のところで、その美しさを、ぼんぼりや提灯をはじめとする人工の灯りが更に際立たせている。

夜に入ると同時に降り始めた雨により、食事の場所は境内の緋毛氈を敷いた桟敷ではなく、社務所に移されていた。我々は、ロシアから来たカップルとの相席だった。出しものは、琴の演奏と、経験豊富な芸者によるお座敷遊び。雨のお陰と言っては何だけれど、それらを間近に見て、特に、新しい「拳」を覚えられたのは収穫だった

弁当を肴に酒を飲み、酔ったところで外へ出てみれば、桜は益々美しく、その下の石段を踏んで拝殿に上がる。そうして先ほどのカップルに続いて投扇興の場に着くと、我々が最後の競技者となった。

雨は上がった。温泉街を縫う道は黒く光っている。滑って転ばないよう気をつけながらその道を歩いて下り、一心舘に戻って即、入浴をする。そして冷たいお茶を飲んで即、布団に横になる。時刻はいまだ、22時は回っていなかったような気がする。


朝飯 ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、ハムと玉葱のサラダ、スペイン風目玉焼き、ピーマンのソテー、納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「つく政」の特製お花見弁当、柏盛(燗)、清開(燗)、ハイボール


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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