4時30分に目を覚まし、「カメラが欲しい」 を読み終えて5時30分に起床する。
事務室へ降りてコンピュータを起動する。メイラーを回すといつもの数倍の注文がサーヴァーより降りてくる。小さな天孫光臨を見るような気分になる。その中に、今朝の午前0時すぎに九州から発したらしい中島マヒマヒ社長の注文を発見する。通信欄に 「テストではありません、送ってください」 とのただし書きがある。マヒマヒ社長は電話やメイルでこそ愛想が悪いけれども、こういうところの気配りには見習うべきものがある。
朝飯は、ソーセージをはさんだパイやドーナッツ、カスピ海ヨーグルト、レタスとトマトのサラダ。
オヤジより試運転を頼まれた "LEICA ?" には、4日前に入れたフィルムがいまだ残っている。これを撮りつくしてしまおうと、幼稚園児のカバンのようにカメラを斜めがけして外に出る。台風一過の空には入道雲がわき上がって気温はひどく高い。近所の駐車場に咲くコスモスと隠居の木を撮って、しかしフィルムはまだ無くならない。銀行の用事にカメラを携行し、東町付近にてようやくフィルムの巻き上げノブが停まる。そのまま自転車を走らせて上條カメラへ行くと、月曜日に出したベタ焼きがちょうど完成したところだった。
帰社してそれを確認すれば 「70年前のカメラと沈胴式の暗いレンズでここまで写りゃぁ、文句はねぇわな」 という出来だが、しかしパーフォレイションつまりフィルムの上下に穿たれた四角い穴が画面下に映り込んでいる。フィルムがレンズの中心に対してすこし上にずれて走るのだろう。また1枚目の写真はフィルムのコマ番号「0」よりも更に前の「00」に、左隅が露光した状態で写っている。「これからは、フィルムを入れた後にすくなくとも4枚は空撮りをした方が安全だな」 と考える。
それにしてもバルナック型のライカを使うと、それより重さも大きさも3割ほど増すM形のライカを携帯することに気の重さを感じるようになってくる。これは危険な兆候だ。エムニやエムロクを死蔵するわけにはいかない。次の外出時には、またエムロクを持ち出そうと考える。
燈刻、けんちん汁、山芋の梅酢和え、梅花はんぺんにて泡盛を飲む。秋刀魚とゴボウとピーマンとプティトマトの素揚げ、蓮の海老すり身揚げ、五目おこわ、松茸おこわにて、更にすこしの泡盛を飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、おとといYahoo!オークションで落札したばかりでもう届いた
5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして6時40分に居間へ戻る。家内が作ったおにぎりを持って6時50分に家を出る。コンピュータ1台、銀塩カメラ1台、デジタルカメラ1台、携帯電話1台、折りたたみ傘1本をザックへ入れると、いま読んでいる尾辻克彦のハードカヴァーまでは運搬をする気にならない。
下今市駅7:03発の上り特急スペーシアに乗り、北千住を経由して9時15分に神保町の "Computer Lib" へ達する。
ジャパンネット銀行に口座を持つ者なら52円の手数料にてリアルタイムに送金が完了するシステムをぜひ導入せよとの顧客の要望を受け、同銀行に口座を設けたのは今から4ヶ月も前のことだ。しかし種々の繁忙に取りまぎれてこれに対応するペイジの作成が遅くなった。またこの新しいペイジが完成しても、次にはウェブショップの顧客がこの送金方法をお選びになった際に自動送信する第1の受注確認書、また受注係がその一部に手を加えて送付する第2の受注確認書のテンプレイトを書き直さなくてはいけない。本日の仕事は、この "put mail" のシステムを更新することにある。
"Computer Lib" の中島マヒマヒ社長は、僕が訪ねていくときには必ず、何年か前に進呈したウチのロゴ入りポロシャツを着て待機をしている。マヒマヒ社長は電話やメイルでこそ愛想が悪いけれども、こういうところの気配りには見習うべきものがある。
テンプレイトの書き換えは当初すぐに終わると思われたが、僕の持ち前のパラノイア気質によってすみずみまで点検をされ、
「支払い方法に代引き着払いを選んだときの自宅あて」 「支払い方法に代引き着払いを選んだときの他所あて」
「支払い方法にカード決済を選んだときの自宅あて」 「支払い方法にカード決済を選んだときの他所あて」
「支払い方法に銀行振込を選んだときの自宅あて」 「支払い方法に銀行振込を選んだときの他所あて」
の6通りのダミー注文を発して、各々に自動送信される第一の受注確認書、受注係がその一部に手を加えて送付する第2の受注確認書つまり12通の受注確認書に当方がプログラミングした通りの文章が配列されるか否かを点検する。ここに問題があれば、その部分を修正してふたたびダミー注文を繰り返す。「いやぁ、気が狂いそうだ」 「こんなこと、ウチは毎日やってんすから」 そして実に午後4時をすぎてようやく 「これから数ヶ月はこの形で行きましょう」 というものが完成する。
一方、この新しい口座を顧客に周知するための原稿を、僕は1週間ほど前に作ってコンピュータに保存しておいた。そそくさとメイルマガジン発行の準備をし、しかしどこかに間違いがないか、いまいちど最初に戻りこれまでの手順を確認しようとして、マヒマヒ社長に 「ウワサワさんも結構、ビクビク者ですねー」 と笑われる。宛先の氏名に敬称を添付し忘れ数十分後に詫び状を送ってくるようなメイルマガジンもあるのだから僕としてはいやでも慎重にならざるを得ないところだが、マヒマヒ社長は 「ヘーキっすよ、送信ボタン、押しまっしょー」 と先を急がせる。
そういえばマヒマヒ社長は今夜の飛行機で九州へ飛ぶのだという。九州には折しも台風21号があるのではないか。航空会社のウェブペイジによれば、その便には 「出発予定」 の文字があるから大したものだ。
シマンテック社のウィルススキャンを透過して、大量のメイルマガジンが "uwasawa@tamarizuke.co.jp" のアドレスから発射され始め、これからしばらくはなにもすることがない。「最近は銀塩ばっかりですよ」 というマヒマヒ社長に "LEICA ?" を見せたりしているうち、これまで何年も異常の無かったシステムが、今日に限っては無通信タイムアウトにより停止をする。そのたびに残る顧客へ送信を繰り返すこと計3回にて、ようやく作業が完了する。
「浅草5時発の電車に乗れますかね? 半蔵門線で日本橋、三越前から銀座線だけど」
「いやぁ、無理無理。あ、タクシーで行ったら?」 マヒマヒ社長は僕のオヤジや家内と同じく、地下鉄の上をタクシーで走って何の精神的な痛みを憶えない景気鼓舞型の人間だ。赤坂見附から浅草までとか、浅草から新橋までとか、銀座から本郷三丁目までとか、そういう地下鉄の上をタクシーで移動するということは、ケチな僕にはできかねる。
「だったら北千住に5時10分ならどうかな、新宿線と千代田線を使って」 「あぁ、それなら間に合うかもしんない」
果たして千代田線の車両は5時8分に北千住へすべり込んだが、地下のプラットフォームから東武日光線への乗り換えを2分間で行うとは、陸上400メートルの選手にも無理な離れ業だろう。おとなしく外へ出て雨の降る中を傘も差さずに飲み屋の 「大升」 へ行く。1杯目のチューハイはゆっくりと、2杯目のそれは大急ぎで飲んで3種の肴をこなし、18:10発の下り特急スペーシアに乗る。
8時前に帰宅してあるもので簡単に食事を済ませ、入浴して9時に就寝する。
4時30分に目を覚まし、「カメラが欲しい」 を読んで5時30分に起床する。今日は検査のための採血があるので朝飯は食べない。熱いお茶を飲んで事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。朝のうち濃かった霧はやがてどこかへ消えた。射し始めた日の光を見て春先のカトマンドゥを思い出す。
9時前にオカムラ外科へ行って採血を済ませる。歯医者で口の中をガリガリやられるのは平気だが、血管への注射はひどく怖い。手術を受ける人は脊髄に麻酔の注射を打たれるということだが、それを嫌ってストレッチャーから飛び降り遁走する夢を、僕はこれまで幾度も見たことがある。脊髄への注射は血管へのそれの100倍は怖い。
昼になってようやく、なめこのたまり漬の玉子とじ丼、大根と茗荷の味噌汁、大根と胡瓜のぬか漬にありつく。僕の胴回りは、空腹時と満腹時とでベルトの穴4個分ほども変化をする。このベルトの穴4個分を定規で測ると9センチにもなる。僕のズボンのサイズはこの満腹時の値に合わせてあるので至極格好が悪い。
オヤジが田中長徳の 「くさってもライカ2」 を示して 「この本は何度読んでも面白いね、この『1』ってのはないんだろうか?」 と訊く。「くさってもライカ」 シリーズの 「1」 とは実は題名の後ろに何もつかない 「くさってもライカ」 で、これはどこの本屋をネット上に探しても絶版在庫切れである。しかし 「何度読んでも面白い」 と言われてしばしインターネットの海を徘徊し、これが沖縄の古書店 「さりい」 にあることを発見する。早速に注文をして他の在庫も見れば、ここはなかなかに優れた古本屋だ。
それとは別に、やはり田中長徳の 「使うバルナックライカ」 も欲しいとオヤジは言う。この本も、どこを探しても絶版在庫切れだったところ本日、Yahoo!オークションにこれが出品されていることを知る。入札締め切りは本日の午後3時13分だから、僕の生活時間帯からはみ出すことはない。定価1,700円のこの本の現在の最高入札額は900円で、試みにそれより10円高い値を入力すると、敵のつけた 「ここまでなら出しても良いよ」 という価格は1,260円だということをブラウザは示した。僕はそれよりも更に高い値を入力して、結局、現在価格は敵のつけた1,460円に落ち着いた。
3時10分になってふたたびYahoo!オークションを開くと、先ほどまでは3時13分と示されていた入札締め切りが10分延びて3時23分になっている。しばらく経つと更に2時間延びて締め切りは5時23分になった。このあたりの仕組みが僕には分からない。
5時22分30秒に1,560円の値を入力し、僕は遂に 「使うバルナックライカ」 を競り落とした。体の中に炎症を起こし、急激に熱の上がる直前にあるときのからだの感じを思い出す。本当に、これから自分は高熱を発して寝込んでしまうのではないかいう心配さえした。たかだか1,560円の買物にこれほど興奮をするとは、どういうことなのだろう。「趣味はYahoo!オークションです」 という人を何人か知っている。今回の経験で、僕は彼らの気持ちを理解した。
燈刻、学校でのテストの間違えた個所に正答を書いていくという次男の宿題を督励する。床の間に、ススキが飾られダンゴが置かれ、やがて湯気の立つけんちん汁が運ばれた。今夜はお月見なのだという。
そのけんちん汁のみを食べて外へ出る。9月の 「本酒会」 が開かれる近所の洋食屋 「金長」 へ行く。天寿酒造の、撫子の花から採取した酵母を酒造好適米 「美山錦」 に用いた純米吟醸 「鳥海」 のすっきりとした爽やかさが特に印象に残った。10種のお酒を飲んで後、店内のカウンターで 「生ビールの1番ちいさいの」 と頼みこれを飲む。帰宅して高粱酒を小さな器で2杯飲む。
入浴して冷たいお茶を飲み、11時30分に就寝する。
5時に目を覚まして 「カメラが欲しい」 を読む。5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、ピーマンとキャベツの油炒め、納豆、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、大豆とヒジキの炊き物、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
この夏より撮り始めた銀塩写真のネガは家から最も近い、知る限りでは最も新しい写真屋に現像とベタ焼きを頼んできた。現像については外注に出すから問題はないにしても、ベタ焼きはとりあえずその方法だけを教わったらしい10代の女の子が店の機械で作るため、ネガのホコリをそのまま焼き込んだりして不満があった。
そこで、きのうおととい "LEICA ?" で撮った写真のネガは、このペイジに "WORKS" を新設した1999年に、それよりも更に13年前の1986年に撮った写真を丁寧に焼いてくれた上條カメラで処理してもらおうと、ホンダフィットにて小倉町の店を訪ねる。上條カメラは道路拡張に伴って、同じ町内のすこし離れたところに新築をされていた。
店に入って驚いたことに、写真を趣味にしている人なのかあるいは工事関係者でもあるのか、老人やオジサンが次々に来店してフィルムをあずけていく。カミジョーさんはいちいち相手の名を訊くことなく 「はい」 「はい」 とそれをこれまた次々に受け取っていく。当方は急ぎの身でもないので一歩うしろに引いて店内のガラスケイスを眺めれば、そこにリンホフテヒニカがあって 「果たして我が町にこれを買う人がいるのだろうか」 と余計な心配をする。
昼前にイチモトケンイチ本酒会長が来て、僕のオフクロには浅草の 「松屋」 で買ったお粥のセット、社員と次男には大量のお菓子をくれた。訊けば日曜日は 「鷹匠」 より甘木庵へ戻り、そこで昼まですごした後に浅草の場外馬券場へ行って、そこで何と中山11レースの104,490円の勝ち馬投票券を的中させたという。
その後、イチモト会長はコバヤシ会員を伴って 「今半」 へ行き、すき焼きとステーキの二段がさねの弁当を食べたらしい。そしてなお 「鮨も食いたいですね」 と言うコバヤシ会員にうながされて鮨屋へも行ったらしい。「今半」 の弁当も鮨も、もちろんイチモト会長のおごりである。お粥のセットをもらったオフクロは大いに喜んだ。
燈刻、次男が宿題ででもあるのだろうか、国語の教科書を音読している。その内容は戦争で子供が死ぬものらしい。脇で督励をしていたサイトウトシコさんが「ダメだ」 と言って涙を拭く。
そのサイトウトシコさんの家を日曜日に訪ねた次男がもらって帰ったカレーをカレーライスにする。明日は検査のための採血があるので2日続けての断酒としたが、たかだか2日ばかりの酒抜きでγGTPの値が簡単に落ちるものではない。トマトとレタスとほうれん草と豆腐と胡麻のサラダを食べて熱いお茶を飲む。血液への影響を懸念しつつ、玉子の殻に入ったプリンを家内につきあって摂取する。
入浴して冷たいお茶を飲み、「アサヒカメラ 10月号」 に新しいフォクトレンダーの記事を読みつつ10時に就寝する。
目を覚ましてダイニングキッチンへ行くと4時30分だった。「ライカはエライ」 を読むうち6時になる。長男が起きだしてフランスパンによるフレンチトーストを作り、ミルでコーフィー豆を砕き始める。和室のイチモトケンイチ会長とコバヤシハルオ会員に声をかけるとまずイチモト会長が布団をはい出してきて 「わりーなー、オレの分も作ってくれて」 と言う。長男は 「あ、僕の分だけです」 とそれに答える。
予定よりもすこし遅れて7時15分に玄関を出る。湯島より地下鉄にひと駅だけ乗って根津に至る。蕎麦屋の 「鷹匠」 には予約の電話を入れてあったが、日曜日に雨が止んだばかりの天気が重なって先客は3人だけだった。
今日と明日は断酒日にするため飲酒を避ける。しかしコバヤシハルオ会員はビールを頼んだ。お運びのオバサンが、新蕎麦が出たが蕎麦がきはどうか? と我々に勧める。僕は蕎麦がきを好まない。むかしは分厚い小判形や葉の形に整え釜揚げうどんのように湯に浮かべた蕎麦がきが多かった。今は丼の中で練っただけの意匠を多く見かけるが、いずれにしても好きではない。しかし他のふたりについてはいざ知らず、一人前に留めてこれを注文する。
オバサンは先ず焼き海苔を持ってきた。そしてこれを、脇のあんどんに入れて温めておいてくれと言う。もちろん 「鷹匠」 が雇用したオバサンだから上品な人で、だから実際には 「温めておいてくれ」 という意味の丁寧なことばにうながされて僕は皿の焼き海苔をあんどん上部の引き出しへ格納した。
やがて運ばれた、すり鉢のなかにこんもりと丸まった蕎麦がきは蕎麦の実の中心のみを挽いた粉によるものらしく、白く艶やかだった。「実力のある者の物憂さ」 を帯びた手つきだったかどうかは不明だが木と和紙による引き出しから焼き海苔を出し、このふんわりと柔らかい蕎麦がきを包み皿の濃い出汁をすこし付けて口へ運べば、これは 「生まれて初めて食べた正体不明の、何だか分からない、しかしべらぼうに美味いモチモチの物体」 だった。
「これは美味いよ」 「なんだ、これ」 「こんな蕎麦がき、食ったことある?」 「その辛味大根、付けるとまた美味いけど、でもちょっと勿体ねぇな」 などと口々に発しながら、またたく間にこの、一人前としてはとても量の多い蕎麦がきを食い尽くす。
コバヤシハルオ会員はビールを飲んだ上に鴨せいろの大盛りを注文した。僕とイチモト会長は淡々とせいろの大盛りを頼んだ。自分が人一倍飲んで食うときのワリカンには何の痛痒も感じないが今朝ばかりはコバヤシハルオ会員になにがしか余分に払わせようと考える。そしてせいろの大盛りも美味かった。
止んでいた雨がいつの間にかぶり返している。根津の交差点から言問通りを1キロ半ほど北東にたどると上野桜木町を経て根岸に至る。スナップ写真を撮りつつこれを歩いて鶯谷からは山手線にて日暮里へ移動し 「フォトメンテナンス・ヤスダ」 へ行こうとした当初の計画を白紙に戻して地下鉄千代田線への階段を降りる。イチモト会長とコバヤシ会員は甘木庵へ引き返すべく、近づいてきたタクシーに手を挙げた。
雨はますますその勢いを強めている。、日暮里駅前の雑居ビルへ入りエレヴェイターに乗る。扉を押して店内に足を踏み入れてもひとことも声をかけてもらえないのは 「フォトメンテナンス・ヤスダ」 の常でどうということもないが、赤瀬川原平のような芥川賞を獲った人間でさえも、ここに来るといきなりオドオドとしてしまうのは彼の著作 「ライカ同盟」 にも明らかだ。
ガラス越しに見える金庫はその右側を客に向けている。金庫の扉は通常その右側にちょうつがいを持つ。だからこの店の客は開いた扉に阻まれて金庫の内部を窺うことはできない。しかし念には念を入れるのだろう、ヤスダさんは金庫の上面より垂らしたた白い布に潜り込み、まるで8×10インチのガラス乾板のカメラを使うアジェのような格好で、修理を終えた僕の "M2" をそこから取り出した。
白い紙に包まれたエムニを緑色のゴム板の上に置いてヤスダさんは 「見てください」 と言う。包みを解いてそのシルヴァークロームのボディをしげしげと見る。「よーく見てください」 とヤスダさんは重ねて言う。そんなことを言われても、どこをどう見たら良いのか分からない。ファインダーを覗くと、以前とはくらべものにならないほど鮮やかなブライトフレイムがそこにはあった。
72,450円を支払い、「オーバーホール」 「ブレーキ部品2点、シンクロ絶縁板1点、中間ギヤー1点交換」 「ファインダー用遮光2点取付け」 と書かれた修理明細書を受け取ってふたたびエレヴェイターに乗る。いろいろなことを書いたが、この店の誠実さはそのウェブペイジを見ればすぐに分かる。
北千住駅10:10発の下り特急スペーシアに乗る。昼前に帰社して仕事に復帰する。
燈刻、次男の漢字練習を督励する。プティトマト、黄色いパプリカ、玉ネギ、コーンビーフのリングイネを食べワインは飲まず、7時より今秋のお祭りについての話し合いのため春日町1丁目公民館へ行く。8時前に帰宅して入浴し、冷たいお茶を飲む。「ライカはエライ」 は読み終えた。20年ちかくも本棚に寝かせてきた
目を覚まし、しばらくは闇の中で静かにしている。その闇の中に1匹の蚊が飛んでいる。枕頭の灯りを点けると、きのう僕の右手が灯りのスイッチをひねったときと同じく時計は3時50分を指している。「ライカはエライ」 を読んで5時30分に起床する。
事務室へ降りてシャッターを上げると、目の前の店舗駐車場に、夜間に捨てられたとおぼしき紙くずが点々とある。雨上がりのいまだ濡れたアスファルトにそれらを拾い歩いて遂に日光街道沿いの歩道まで至る。目に付いた雑草のうち大きなものだけをわしづかみにして抜く。
朝飯は、ピーマンの油炒め、メカブの酢の物、大豆とヒジキの炊き物、鰊の山椒漬け、納豆、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。
10時にイチモトケンイチ本酒会長より電話が入り、今夜の店には半ズボンで行っても平気か? との質問がある。「大丈夫です」 と答えて受話器を置く。「あなたのために、そういう店を選んであります」 とまでは言わなかった。もっとも我が身を振り返れば、ひとのことなど言えた義理ではない。
下今市駅15:03発の上り特急スペーシアに乗る。車両が利根川の鉄橋を越え栗橋の駅を過ぎると間もなく、庭から玄関先まですべての敷地に白いゴミ袋を積み上げた家が見えてくる。この通称 「ゴミの家」 を何とかカメラに保存できないか? というのが我々のここ数年の悲願だが、問題の家はあまりに線路に近く、また特急スペーシアの速度はあまりに高い。望みは今回も叶えられることはなかった。
北千住から地下鉄千代田線にて新御茶ノ水に至る。駅構内をずっと歩くよりは外へ出て聖橋のたもとより坂を下った方が、たとえ回り道でも気持ちは良い。土曜日の夕刻、人通りの少ない御茶ノ水より神田に足を踏み入れ 「みますや」 の縄のれんをくぐって入れ込みの一画に座を占める。
僕の1本目は神亀、2本目は伝心、それ以降はイチモトケンイチ会長やコバヤシハルオ会員の頼んで飲みきれないものを飲む。なぜか我々が注文するお酒は未開封のものが多く、コバヤシハルオ会員の機嫌もすこぶる良い。
厚焼き玉子に箸を付けたイチモトケンイチ会長がこれを非常に美味いと称揚し、二人前を1皿に盛るようお代わりを要求し、しかし3度目のお代わりはさすがに一人前に留めた。
「オニーチャン」 ブルージーンズに白い上っ張りという、東京の古い料理屋でよく見かけるお仕着せの若者にイチモト会長が声をかける。「モノは相談だけど、白いご飯、くれますか?」 と頼んで届いた茶碗のメシにイチモト会長は最後の厚焼き玉子を載せた。そして二人前の串カツ、一人前の鶏の唐揚げをおかずにこれを食べて 「もう食えねぇ」 と一段落をする。
ローライフレックスの2.8FにしてもハッセルブラッドのSWCにしてもライカのM4にしても、僕のオヤジがカメラを手に入れるとフィルムを装填して1枚か2枚の写真を撮る。残余のフィルムは気にせず巻き上げてこれを現像焼き付けに出し、出来上がったプリントを見れば気が済んで、カメラはどこかにしまい込まれたままになる。これがオヤジのカメラ趣味の外観上の特徴だが、馬主が馬を買ってしかしこれを調教するのは調教師で乗るのは騎手であるということを考えれば、また乾山の向付10客を求めてチラリとこれを眺め、その後は桐箱へ収めたまま幾十年という例を引けば、あながち奇異なものでもない。
馬主が騎手に馬の試し乗りを依頼するごとく、本日、オヤジは僕に "LEICA ?" を預けた。いわゆる試写を頼まれたわけだが、出がけに 「このエルマーじゃ、まともに写んねぇんじゃねぇかなぁ」 と言ったら 「撮ってみなきゃわかんねぇだろう」 と返されて、それはまぁその通りだ。「海辺に住む料理の上手なオバサンが亭主や子供の晩飯のおかずとして煮た穴子」 といった風情の煮穴子を食べつつ、ここへ来るあいだ既に何回かシャッターボタンを押した70年前のカメラに目を遣る。
店内にあるすべての卓の埋まったのをしおに精算を頼む。記憶しきれないほどの料理をこなしたが、代金はひとりあたり4,500円に達しなかった。
「根性を出せば歩けますよ」 「いや、根性は出す気しねぇなぁ」 などと言い合っているうちに駿河台の坂を上り御茶ノ水橋を渡れば電柱の表示に本郷の文字が見え始め、「なんだ、もうすぐか」 と誰かがつぶやく。目の前はもう本富士警察だ。
8時30分に甘木庵へ帰着し、途中のコンビニエンスストアで求めたビールなどを飲んで入浴する。僕は10時ころに就寝したが、イチモト会長とコバヤシ会員がいつごろ布団に入ったのかは知らない。
3時50分に目を覚まし、「ライカの謎 謎のライカ」 を開いて5時30分にこれを読み終える。
事務室へ降りてコンピュータを起動しメイラーを回すと、お得意様から、複数あてに商品を送付せよとのご注文がメイルにて届いている。これを整形し印刷して事務係イリエチヒロさんの机上へ置く。きのうからファクシミリにてやりとりをしている顧客から新しい指示が届いている。これに返事を書いてまたファクシミリで送付する。
朝飯は、鰊の山椒漬、胡瓜のぬか漬、ほうれん草の油炒め、大豆とヒジキの炊き物、納豆、メカブの酢の物、メシ、きのうの夜の中華風スープ。
ウェブショップを用いて複数の相手に商品を送付する場合、ブラウザのフォームにいちいち入力をするよりもメイルを使う方が労力ははるかに少ない。しかし顧客からのメイルはいっさい受け付けないというウェブショップもあって、それは高度にシステム化されたところか、または非常に遅れたところという両極端に見ることができる。前者においては面倒でもシステムに従わざるを得ず、また後者においてはウェブショップでは商品一覧のみを見て注文は電話かファクシミリを利用することになる。
ウチのウェブショップは高度にシステム化されているわけでもなく、また非常に遅れているわけでもないから、注文とあればメイルだろうがエクセルのファイルだろうがPDFだろうが何でも呑み込んで処理をしてしまうが、これは考えてみれば、新聞ちらしの裏に赤鉛筆で書いた注文書でも受け付けてしまうウチの長年の受注システムを、デジタル上にも引き継いでいるということだろう。
初更、ほうれん草の胡麻和えと黒豆の納豆にて 「琉球泡盛」 を飲む。プティトマトのオリーヴオイル和え、煮奴を添えた鯛の炊き物。サイトウトシコさんが炊き込みご飯をくれたのは、今日がお彼岸の中日のためだろうか?
入浴して冷たいお茶を飲み
何かの物音で目を覚ます。枕頭の灯りを点け時計を見るといまだ0時を2分すぎたところだった。「ライカの謎 謎のライカ」 を開き眠くなるまでこれを読んで二度寝に入る。4時30分にふたたび目を覚まし、同じ本を5時まで読んで起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、レタスとツナのサラダ、生のトマト、炒めたベイコン、スクランブルドエッグ、何種類かのパン、カスピ海ヨーグルトとコーフィー。バターを塗ったパンを食べると、とたんに自分のからだが白人のような匂いを発し始めることを、普段こういうものを食べつけない僕には明瞭に分かる。
匂いといえば啓徳空港は特殊な消毒液の香るのが好きだったが、現在のチェックラップコック空港にはその楽しみがない。成田空港が生魚くさいと主張して止まない外国人は少なくないらしい。そしてベングリオン空港には理屈の匂いが充満しているという。
本日の晩飯はよそへ出かけるはずだったが、諸処の理由により中止となる。僕は早々に断酒を決めて、大学芋、お彼岸で親戚から届いたちらし鮨、肉団子と春雨の中華風スープ、胡瓜のぬか漬を夕食とする。
入浴して冷たいお茶を飲み、「ライカの謎 謎のライカ」 をすこし読んで9時30分に就寝する。
4時30分に目を覚まし、「銘機礼賛2 語り出すディテール」 を読んで5時30分に起床する。この数ヶ月で田中長徳の本を何冊読んだかは憶えていないが、この 「銘機礼賛」 シリーズ2冊の文章は、その中でもっとも優れている。これにくらべると最近は、噺家を褒める特殊用語のひとつ 「フラがある」 という言葉で評価することができる反面、「脱力しすぎじゃないですか?」 との感を持たざるを得ないものもすくなくない。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜のぬか漬、鰊の山椒漬、納豆、ほうれん草の胡麻和え、メカブの酢の物、たぐり湯波の炊き物、メシ、水菜とベイコンの味噌汁。前の晩にサラダが余ったとき、これを翌朝の味噌汁かオムレツの具にすると精神衛生上の負担が無い。その水菜とベイコンの味噌汁は美味かった。
実家の墓参りへ行く家内を下今市駅まで送るついでに、今週の土曜日に迫った本酒会・東京ツアーの切符をまとめ買いする。
燈刻、黒豆の納豆、柴漬け、だし巻き玉子、胡瓜のぬか漬、松茸ご飯、「菊乃井」 の穴子鮨、4種の天ぷらにて長崎美人を飲む。そして 「もうずいぶんとおぐ羅に行ってねぇなぁ、だから島美人も飲んでねぇや」 と考える。
入浴して冷たいお茶を飲み
何時かは知らないが暗いうちに目を覚まして 「銘機礼賛2 語り出すディテール」 を読む。60分だか90分だかして枕元の時計に目を遣ると5時が確認できたため起床する。事務室へ降りてThinkPadを起動し、メイルの送受信をするとブラウザからではなくメイルによる注文が届いている。これを読みやすく整形して会社のpatioに転送する。
きのうの日記を書くなどのよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、玉子の雑炊、白菜キムチ、胡瓜のぬか漬。我が家ではなぜか夏が過ぎるとぬか漬をしなくなってしまうが、秋から冬にかけてもこの漬物に適した野菜は次から次へと収穫をされるのだから、僕はこれを年間を通して食べたい。
大きなお椀にたっぷり2杯の雑炊を食べるうち次男の登校時間が迫る。2杯目はいまだお椀の中にずいぶんと残っているため、いつもの僕に代わり家内が次男を事務室まで降ろし学校へ送り出す。「お米のためならファシストになっても良い」 と言ったのは野坂昭如だが、僕もたとえば駅弁などを食べるとき、その蓋に付着した米粒のひとつもこれを残すことはない。
きれいに雑炊を食べ終え1階へ降りて外に出ると、なにかの交通安全運動だろうか、店舗の駐車場にはたくさんの警察車両ほかがあり、国道121号線と119号線を行き交うクルマの運転手にビラと記念品が配られていた。僕もそのおこぼれにあずかって、傘やカバンにつける黄色い反射板をもらう。
僕のオートバイ "HONDA TLR" を譲ってくれないかという人が数ヶ月前にあったが、「譲ってくれないか」 とはいえ順当な価格は1万円ほどのものだろう。そういうはした金で自分の思い出を手放すよりはこれを貸与した方が得策と考え 「保険だけはきっちり入れて、それで自由に乗ってください」 と言ったが、その人がこれを車庫より持ち出す気配はない。
その 「せいぜい1万円か2万円」 という価格を導き出すため訪ねたオートバイ好きの年長の友人オノグチショーちゃんに 「僕の子どもはオートバイには興味がないので」 と言うと、ショーちゃんは 「子どもってのは、親の趣味には一切、興味は持たないかんね」 と目を剥き右手の人差し指をまっすぐに上げて自分の説を強調した。
「オートバイを知らない人生はつまらない人生だ」 とは僕が長男にしばしば言っていることだが、しかしことカメラや写真についての趣味は僕のおじいちゃんから長男まで4代続いているから、機材を残してもこれは次代に受け継がれることになるだろう。もっとも長男は時間を停める写真よりも動く映像の方がいまのところは好きらしい。また次代に受け継ぐとはいえ、かつておじいちゃんが使ったツァイスイコンタなどは防湿庫に保管をしてあるだけで、もはや蛇腹は硬化して伸びないかも知れない。
燈刻、次男の漢字練習を督励する。これが7時30分すぎまで続いたため晩飯の開始はいつもよりもずいぶんと遅くなった。胡瓜のぬか漬、大豆とヒジキの炊き物、タシロケンボウんちのお徳用湯波ではなくたぐり湯波の炊き物にて 「琉球泡盛」 を飲む。水菜と蓮とベイコンのサラダ、秋刀魚と3色のピーマンとエリンギの素揚げにて、更にこの泡盛を飲み進む。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
隣の部屋の物音によりいまだ日付の変わらない11時に目を覚まし、本日の0時30分まで 「銘機礼賛2 語り出すディテール」 を読む。二度寝に入って5時から同じ本を読み5時30分に起床する。朝飯は、 胡瓜の古漬け、白菜キムチ、「丸赤」 の 「極辛塩鮭」、「はれま」 の 「やさい」 によるお茶漬け。
今日は連休の2日目、土曜日から数えれば3連休の3日目にあたり、開店直後からなにかと忙しい。その間隙を縫って9時30分、本酒会のクワカドシューコー会員が住職を務める古刹 「如来寺」 へ墓参りに行く。いくつかの墓地の砂利からいきなり太い茎を屹立させ赤く細い花弁を広げている彼岸花は、まるで墓参の客のためにタイマーで開花時期を設定されたような人工美を感じさせた。
午後3時30分に至って製造現場のオオシマトキオさんが、今日受けて今日出荷するという地方発送はもう停めてくれと言いに来る。包装係りのアオキマチコさんが、今朝から包装を始めたらっきょうのたまり漬の在庫が遂に底を突いたと言いに来る。これを僕は 「在庫の自転車操業」 と呼んでいるが、売り切れは何とか回避できるだろうと予想してハナから安心をしている。
マネジメントゲームでは機会損失を避けるための在庫は必須と教えられるが、常に新鮮な物を売りたいと考える僕はこの勉強を知って10数年になるにもかかわらず、相変わらず、限りなく売り切れに近いスレスレの在庫を好む。
燈刻、次男の漢字練習を督励する。次男があしたの学校の用意を終えたところで、冷や奴とほうれん草の胡麻和えを肴に 「琉球泡盛」 という名の泡盛を飲み始める。ペンネのサラダ、「しょうがのたまり漬」 を使った豚の生姜焼き、レタスの細切りにて更に泡盛を飲み進むが、なぜか今日は9勺ほどをこなしたところでそれ以上は入らない。グラスの残りをビンへ戻し晩飯を終了する。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
2時に目を覚まして 「銘機礼賛2 語り出すディテール」 を読み、3時に二度寝に入る。5時から5時30分まで同じ本を読んで起床する。事務室へ降りてメイラーを回すと、土曜日の午前中必着で商品の配送を頼んだがそれが夜まで届かなかったため、待っている身からすれば休日をフイにしたとのクレイムのメイルが入っている。およそ800字の詫び状を書き送付する。また当方よりヤマト運輸にクレイムを発する資料としてこの詫び状を印刷する。まぁこういうことも、僕の朝のよしなしごとのひとつだ。
きのうライカのあちらこちらを面相筆による黒いエナメルで塗りつぶした件について、それが自分の提案によるものにもかかわらず、"Leits" の赤丸の周辺に地の色が出ているなどのぞんざいな仕事に嫌気が差し、オヤジは僕に 「どっかでやり直しが利かねぇかな?」 と言う。追って 「日暮里のヤスダに行って相談してみたら?」 などとも言葉を加えるが、ヤスダではそのようなバカバカしい仕事は受けないだろうし、僕もみすみす恥をかくのはイヤだ。
「いいじゃない、もうこのままで」 と受け流すも、オヤジのイライラがこのような些細なことで昂じてもいけないと考え、試みに業務用のシンナーを用いて入念に綿棒で問題の個所を拭いていくうち、黒い塗料は綺麗に消え去った。ついでにストラップの丸管がボディに傷を及ぼさないよう工夫をされた皮のガードも、そのあたりの外観を簡素にするためハサミで切り取ってしまう。まぁこういうことも、僕の朝のよしなしごとのひとつだ
朝飯は、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、ソーセージとピーマンの油炒め、胡瓜の古漬け、生のトマト、納豆、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
始業前、ボディの目立つ部分を黒塗りにされ、しかし24時間を経ずして旧に復したエムロクを示しながら 「ぜんぶ取れたよ。これでオヤジの心も平安になったでしょう」 と言うとオヤジは 「ハハ」 と声を出して笑った。
終業後 「疲れたな、メシは外で食おうぜ」 と家内にもちかけ鰻屋の 「魚登久」 へ行く。親子3人で四畳半の個室へ案内をされると、机上に鰻以外の品書きが散らしてある。店主アイガテルジ君の策略に乗る形にて、しめ鯖と片山酒造のカストリ焼酎 「粕華」 を注文する。グラスにたっぷり1合の焼酎はそれを持つ手に心地良い。しめ鯖はグジャリグジャリと入念に咀嚼をして、その脂を口の中に充満させる。
土瓶蒸しは家内と次男に任せる。肝焼きのおおかたは僕が食べる。この店の蒲焼きは備長炭の煙りに燻されて、ところによりユーコン河畔の石の上にスライスして置かれたキングサーモンの薫製や、サリーナスの平原で串焼きにされたベイコンの香りを感じさせる、ような気がする。
帰宅して入浴し、「アサヒカメラ10月号」 に新しいフォクトレンダーの記事を読みつつ9時に就寝する。
3時に目を覚まして 「銘機礼賛2 語り出すディテール」 を読み4時30分に起床する。部屋を歩いていると家内も気づいて現在の時刻を問う。それを報せると彼女は運動会の弁当を準備するためやはり起きた。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、茄子の炒りつけ、納豆、ちくわ天、胡瓜のぬか漬、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。これだけのものが食卓にありながら家内と次男は連日ホットドッグを食べている。ランチア・ラムダとシボレー・カマロを目の前に並べられ 「どっちが欲しい?」 と訊かれたとき 「カマロ」 と答える人がいたら不思議だが、家内と次男の朝食行動はそれと同じくらいに不思議だ。
LEICA "M6" の軍艦部正面にこれ見よがしにある "Leitz" の赤丸について、オヤジはこれが家に来た1986年よりずっと 「気に食わねぇ」 と言い続けてきたが、最近、僕がこれを机上に置いたまま仕事をしていることが多いためか、2度3度ならず 「黒く塗っちゃうか」 と提案をするようになった。僕としてはこの 「西ドイツ製の日の丸」 などどうでもよいが、オヤジのイライラがそのような些細なことで昂じてもいけないと考え、今朝にいたって 「器用なヤツを知っているんですよ」 というオヤジの友人にこのエムロクをあずける。
運動会で使うテイブルや椅子は仕事が忙しくなる前に小学校の校庭へ運んだが、昼前に家内より電話で呼ばれてふたたび校庭へ行き、昼飯を食べて帰社する。
エムロクは予想に反して早くも夕刻には戻ってきた。見ると 「このくれぇの仕事なら不器用なオレにもできそうだぜ」 という筆のはみ出しをブラッククロームの肌に露わにしている。ただし赤く大きな丸だけでなく "LEICA M6" の白いゴシック文字もフィルム巻き上げレヴァーの "R" も、またレンズ脱着ボタンの赤点も黒く塗りつぶされたエムロクは、まるで闇に潜むサブマシンガンの風を帯びた。なぜか 「もう後戻りはできない」 ということばが頭に浮かぶ。
運動会の日の晩飯は弁当のあまりと相場が決まっている。数日前より僕はこの日の断酒を決め、揚げ焼売、冷や奴、父母の売店で買った鶏の唐揚げ、同じく売店で買った焼そば、胡瓜の古漬け、厚焼き玉子、カボチャの炊き物、筑前煮、ウインナーソーセージとピーマンの油炒めにて米のメシを食べる。
田舎の運動会では校庭に露天商が出る。そこにビーダマンの新しいシリーズを発見した次男は 「こういうとこで買うと高けぇんだ」 との親の言葉にようやく瞬間の欲望は抑え込んだが、下校してのち自分の貯金箱よりお金を取り出し、"JUSCO" へ行って同じものを35パーセント安い価格で手に入れてきた。その組み立ての、次男の手に負えない部分を引き受ける。「ビー玉なんか指ではじいたらいいじゃねぇか、こんなもの、とんだ子供だましだ」 と思うが、しかしこれが子供だましのオモチャならライカは大人だましのオモチャだから、あまり強いことは言えない。
落ち着いたところで、ヴィデオで本日の運動会を振り返る。
入浴して冷たいお茶を飲み、「銘機礼賛2 語り出すディテール」 をすこし読んで9時に就寝する。
深夜1時に目を覚まし、何時までか知らないが 「銘機礼賛 愛すべき写真機たちの肖像」 を読んで二度寝に入る。5時30分にふたたび目を覚まして同じ本を読み6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に4階まで戻って洗面所の窓を開けると、いくつかの種類の雲が北西の薄青い空に浮かんでいた。
朝飯は、生のトマト、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、胡瓜のぬか漬、ちくわ天、納豆、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
午後より明日の運動会に備えて、今市小学校へテントや万国旗を張りに行く。自転車にて帰路をたどりながら、今月末に予定している本酒会の東京ツアーにつき、その飲み場所をどこにするかを考える。
参加者は当初7人ほどもいたが、彼らが設定した曜日が日曜のため、「美味い酒は飲みたいは、日曜日に行きたいわという考えはおかしいですよ」 と僕は意見をした。日曜日に営業をしている飲み屋もないではないが、その選択肢は極端に狭くなる。飲み屋にはできれば平日の開店直後に入りたい。僕も妥協をしてツアーの日取りは25日の土曜日となったが、これで参加者は半分以下になった。
そのうちのひとりイチモトケンイチ会長は普段、酒を飲まない。酒を飲まないだけに飲み屋へ行っても、いかにも酒肴に向いているようなものは取らない。湯島天神下の 「シンスケ」 において彼が初っぱなに注文したのはにゅうめんだった。「にゅーめんですか?」 と眉をひそめる僕にイチモト会長は 「なにか悪いことでもあるんけ?」 と訊いたが別段、悪いことはない。悪いことはないがしかしものごとには順序というものがあるだろう。
もうひとりの参加者コバヤシハルオ会員は、その店のオヤジがくわえタバコで仕事をしていようものならこめかみに青筋を立てて静かになる。
「初っぱなにトンカツとおにぎりを注文しても店に不審がられず、なお店主や内儀やお運びの人がしっかりとしていて、かつ上出来の日本酒が数多く置いてあり、そして今までに本酒会ツアーで行ったことのない店、なおかつ甘木庵にそう遠くないところ」 を選ぶ義務はこの僕にある。「困りましたね」 と考えているうちに会社へ着いて仕事に復帰する。
北西の空は晴れているから、あしたの天気は何とかもつだろう。燈刻に
紹興酒が無くなったため、別の小振りなグラスに高粱酒を注ぐ。おととし秋に行ったシンガポールではホーカーズにこれを持ち込んだが、「62度もあるのに、こんなに美味く、こんなにお代わりが進んで不思議だな」 と感じつつプラスティックのボウルを器に飲んでいたら案の定、いやそこまで予測し得たわけではないが、ホテルの自室へ戻る前によそで朝まで眠ってしまうということがあった。だからこれは危険なお酒だ。「丸赤」 の 「極辛塩鮭」 をおかずに米のメシを1杯のみ食べる。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
部屋の明るさからして4時30分ころかと思ったが、洗面所へ行き時計を見ると5時だった。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、ピーマンの油炒めとトマト入りスクランブルドエッグ、納豆、ゴボウ天とちくわ天、胡瓜のぬか漬、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
8時30分に家内と小倉町の 「つたやホテル」 へ行く。来春の入社を希望する高校新卒予定者の選考試験は9時開始の予定だったが、全員が早く集まったため8時45分より始めて約4時間後に終了する。
午後より帰社して試験の結果を精査し、各人の採否の結論を出す。合格の人よりもむしろ不合格の人のために、通知は素早く送付する必要がある。明日の投函に備えて書式を整備する。
「ライカとデジカメ、どっちがよく写るの?」
「そりゃデジカメだよ」
「だったらどうしてライカなんか使うの?」
「いまオレはライカで写真を撮っているんだという、抽象的な喜びのためにライカを使うんだよ」
とはつい先日、同級生のナカムラサカエ君と池袋の割烹料理屋で交わした会話だ。ライカという正三角形の中に「10,000人」と書いてみる。頂点の1人が 「ライカでなくては得られない写真を仕事のために撮る」 人、その下の499人が 「いまオレはライカで写真を撮っているんだという、抽象的な喜びのためにライカを使う」 人。その下の9,500人は 「防湿庫にライカを保管し、ときどき取り出しては空シャッターを切って密やかな愉悦を憶える」 人ではないかと僕は推測をする。
僕の48年の人生で、街で出会ったライカとは地下鉄丸ノ内線の車内で若い大男の右手に握られていた梨地の "M3" ただ1台きりで、これは街でフェラーリに出くわす確率のおよそ1,000分の1にも満たない。
きのうベタ焼きから選んだ写真のフィルムをスキャナでコンピュータに取り込み、"Photoshop" で少々の香辛料を振りかけフォルダへ保存する。撮った写真にはこのようにデジタル処理をほどこすのだから、なにもライカのエムロクとズミクロンなど使うこともないようなものだが、「湯島天神の大鳥居から朝日を背に浴びつつ突然あらわれた、小さな台車に数千本の空き缶を載せてどこかへ運んでいく、空き缶に埋もれて姿の見えないオジサン」 とか 「早朝6時30分に上野広小路の裏路地でワケの分からない品物と紙幣とを等価交換する中国女と日本男」 などを風景から切り取る作業は、やはりデジタルカメラには無理だ。あるいは銀塩カメラでも "Rollei 35" などには種々の理由により荷が重い。
燈刻、長男がこの夏 「ポンピドーセンター」 で買ってきたエスプレッソ用の茶碗に 「長崎美人」 を注ぐ。豚の角煮、グリーンアスパラガスの胡麻和え、大学芋、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、鰹のたたきをその酒肴とする。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
3時に目を覚まし、「銘機礼賛 愛すべき写真機たちの肖像」 を読んで5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをして7時に居間へ上がる。朝飯は、なめこのたまり漬、めんたいこ、胡瓜のぬか漬、「はれま」 の 「やさい」 によるお茶漬け。
このウェブペイジを作った1998年の秋より翌年の暮まではかためて頻繁に、2000年の初夏よりは毎月1日に文章によるペイジを更新してきた。人間が備える右脳と左脳のうち、主に論理を司るという左脳は僕の場合ほとんど動いていない。自分は右脳のみにて生きているのではないかと思うこともしばしばだ。だからこの秋からは自分の生理に従い右脳だけを使って、言語など介在させる必要もない写真のペイジを毎月1日には更新していこうと考えている。
燈刻に "Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を飲みながら、この数週間で撮った数十枚のベタ焼きを詳細に見ていく。すべての写真はネガ番号、コマ番号、撮影した対象、その対象は男なのか女なのか男女なのか、はたまたモノ植物動物なのか、撮影した場所、撮影した年月日、フィルム名の7項目がマイツールによりデイタベイス化してあるから、検索条件を入力すればたちどころに自分の求める写真が集積されることになる。
甘木庵のちかくつまり本郷と湯島で撮影した写真をルーペの中に覗きつつ、紙にプリントしたデイタひとつひとつの、ウェブペイジへ積極的に載せられるものには○、悪くはないがそれほど意味のないものやペイジの簡素さを損ねるようなものには△、不要のものには×をつけていく。
次男が英語の教室から戻ったところで台所に立ち、黒い皿にトマトとピーマンとを無造作に載せてサラダとする。今日は家内が急な用事で出かけた。次男とふたりで外食をするにふさわしい店を夕刻より考えたが思い浮かばなかった。だから晩飯は自分で作ろうと考えた。
2枚の皿を熱し、次男の皿にはバターと刻んだコーンビーフを、僕の皿にはコーンビーフのみを載せる。バターとコーンビーフの脂が徐々に溶けていく。大鍋に湯を沸かして塩を投入しリングイネを茹でる。柔らかくなる直前と思われる頃合いに湯を切ってオリーヴオイルをかけまわす。それを先ほどの皿へ盛ると、湯気と共に良い香りが盛んに立ち上る。
「オレの作るサラダはカッコイイだろう」 とか 「オレの作るパスタは美味いだろう」 などと同意を強制しつつ、へたを切り落とし種を除いただけのピーマンを次男に食べさせる。
ビンに半分ほどの白ワインを飲み、入浴して9時に就寝する。
5時に目を覚まし、枕頭の灯りを点けて木村伊兵衛の 「僕とライカ」 から、著者がウェルナー・ビショフやカルティエ・ブレッソン、ロベール・ドアノーと邂逅したときの思い出を語った部分を繰り返し読む。6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
洗面所の窓を開けると日光の山の上には様々な形の厚い雲があるが、その一ヶ所だけに小さくない穴が開いて青空が覗いている。朝飯は、胡瓜のぬか漬、刻みオクラのかつお節かけ、納豆、ピーマンの油炒め黒酢がけ、生のトマト、メカブの酢の物、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
「東京大学教養学部超域文化科学科文化人類学科文化3年」 と名刺にある学生が訪ねてきて、今市市の商店街について話を聞かせて欲しいと言う。自分の知る範囲のことを、あるいは自分には何も分からないということを30分ほど話す。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。また国語の教科書の音読も督励する。
お茶うけの菓子などを伴わないお茶を空茶と呼ぶらしい。とすれば肴を伴わない酒は空酒というのだろうか。福田酒造の 「長崎美人」 を、「ライカ通信 No.8 M2のすべて」 を読みつつ酒肴抜きにて飲む。
厚揚げ豆腐、シイタケ、エノキダケ、白菜キムチ、牛肉、ニラ、モヤシの鍋を食べても顔に1滴の汗も浮かばない季節になった。食べつくした鍋にラーメンを投入して締めとする。
食後、きのうに続いて "UNO" をする。自分はカードも麻雀もテレビゲームもパチンコもゴルフも好まない、いわゆるゲイムに興味の無い人間だが、この "UNO" は単純で勝負も早いから好もしい。むかし 「ゲイムが得意な者ほどビジネスに優れる」 という理論の流行ったことがあったが、僕はほとんどあらゆるドグマを否定する。そういえば僕は街でスナップ写真を撮ることを好むが、あの行為は考えてみれば、狩猟という意味のゲイムに似ている。とすれば僕は、完全なゲイム嫌いということでもない。
入浴して冷たいお茶を飲み、
9時30分に就寝する。
きのう一昨日の疲れがあるためか、7時にようやく目覚めて起床する。事務室入り口の警報装置を解除したのみにて居間へ戻る。朝飯は、オクラの胡麻和え、メカブの酢の物、納豆、生のトマト、白菜キムチ、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
今週末の土曜日には今市小学校の運動会がある。その代休なのだろう、次男は土曜日から3連休になった。昼に家内と次男との3人で水無地区にある蕎麦屋 「湧水庵」 へ行く。「水無」 とはいにしえに田の水が枯れて苦労をしたなごりなのだろうが、それでも一部には豊かな水があって、だからこの地にできた割合に新しい蕎麦屋の名には湧水の文字が用いられた。
入り口に短い行列があったため置かれた名簿に名を記し、10分ほどを泉から水を引いたニジマスの泳ぐ池にて遊ぶ。やがて席に着き、お運びの女の人に、おとなふたり子どもひとりに5合の蕎麦は食べきれるかと訊くと、小首をかしげて難しそうな顔をする。それはそうだろう、他人の胃袋の容量を精密に計測できる人はいない。それでも 「五合蕎麦」 とひとつ100円のかき揚げを注文して待機する。
それにしても、できたてのかき揚げが僅々100円とは有り難い。やがて運ばれた5合の蕎麦はなかなか手強く思われたが、蕎麦好きの次男にも助けられて無理なく平らげることができた。
今の世になれば我が今市市も 「蕎麦の町」 などと売り出しているが、この土地に住む中年以上の、特に農家育ちの人には意外や蕎麦嫌いが多い。それは、モソモソジャリジャリとした食感の太い蕎麦を幼児期にイヤというほど食べさせられたことが原因と思われる。いま蕎麦好きを任じている多くの人に山間部で伝統的に食べられてきた 「本来の」 蕎麦を食べさせたら、その大部分はそれをふたたび食することを拒むだろう。
「湧水庵」 の蕎麦も、手打ちでこれ以上は無理と思われるほど細く規則正しい正方形の断面を持つ洗練されたものにて、この町の蕎麦嫌いも、子どものころからこういう蕎麦を食べさせられていれば、これを嫌いになることもなかったと想像される。
「今日は酒、飲まないよ」 と言うと家内は決まって 「えっ、どうして?」 と驚くが、しかし僕は1ヶ月に8度は酒を抜く義務がある。今夕も酒を飲まないと伝えると、家内は 「お酒に合うものなのに」 と幾枚かの皿に作ったものを盛りつけつつ言う。
キュウリとワカメの酢の物、焼き茄子の胡麻和え、焼いた厚揚げ豆腐と大根おろし、鮪の刺身、サツマイモの天ぷらにてメシを食べる。
「サシミでメシ食ってるヤツ見るたびに 『よくも刺身なんかおかずにメシが食えるな』 と思うけど、いざ自分がやってみると美味めぇもんだな」 と言うと次男がすかさず 「おとうさん、マグロ丼、食べたことないの?」 と返す。そう言われてみれば、マグロ丼についてはいざ知らず、25年ほど前に自作した鯖丼は美味かった。一体に、魚は醤油と酒を混ぜた汁の中で野蛮にこね回すと美味くなる。
食後に家族3人で "UNO" をする。那須農場のキャンプ大会で次男はどこかの子どもからこの遊びを教わり、その面白さを知って本日、家内にねだってカードを買ってもらったのだという。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
「おとうさーん」 という聞き慣れたイントネイションの声が聞こえ、ギクリとして飛び起きる。枕元に置いた携帯電話を開いてディスプレイを見ると明け方の4時8分で、あたりはいまだ闇に閉ざされている。周囲のテントの住民を目覚めさせてもいけないと考え、控えめな声で返事をする。
三菱デリカの荷室の灯りを点け長靴を履こうとするが、心ばかりがせわしなく、右と左を間違えたりする。サッカー場の芝の上をコテイジへ向かって走る。きのう枯れ枝が落ちていた場所、平地からいきなり土手がせり上がる場所は頭の中にあるから、それらがあるらしい場所にさしかかるたび足の裏に神経を配る。コテイジの中ではなにか騒ぎになっているのではないかと心配しつつ調理場や集会室のある中央棟の近くまで行くと、自由学園で1年先輩のアンドウリョウジ君がいきなりあらわれて、子供がひとりで出て行ったので、心配になって自分も見に来たと言う。
次男はてっきりコテイジの窓際で僕を呼んだものとばかり思っていた。あたりに気を配りつつその名を声に出すと、果たして近くの闇の中から 「寒かったの」 と、寝袋を抱えた次男が出てきた。「寒いわけはねぇだろう」 と答えつつアンドウ君に詫びと礼を述べてクルマへ戻る。
先ほどまで僕が使っていた、だからいまだぬくもりの残るシュラフに次男を寝かせてチャックを上げてやる。僕はもう眠る必要もない。上げたままのテイルゲイトにランタンを吊り、
やがて夜が明け、子供たちは牛舎へ乳搾りに行った。自分でコーフィーを入れる者、キャッチボールを始める者、井戸で顔を洗う者、牛の声。1年先輩のシノトウイズミ君が朝風呂の窓を開けて、朝飯のおかずをひと品ふやせと言う。カボチャを煮ることとして、調理場の外のカゴにあったカボチャを洗い、これを切って種を抜く。
やはり1年先輩のササガワタダシ君がきのうの晩に作ったソーセージとベイコンとキャベツのスープ、カボチャの煮物、ロールパン、たったいま絞ったばかりの牛乳による朝飯にありついたのは、8時もずいぶんとすぎたころだっただろうか。
食後、参加者のほとんどがゾロゾロと畑へ移動し、サツマイモと枝豆を収穫する。コテイジ前の芝生へ戻って、今度はペットボトルを使ったバター作りが始まる。牛乳の入ったペットボトルを30分も激しく振り続けるとは、これを遊びと解釈する人には楽しいが、労働と解釈する者にはなかなかに辛い作業だ。
無事に完成したバターの上に茹で上がったばかりのサツマイモを載せる。朝飯が済んでからいまだ90分ほどしか経っていないが、子供はこういうものについては喜んで食べる。僕は甘いサツマイモは避けてジャガイモばかりを食べる。
じゃんけん大会を経て、ウブカタエイジロウ那須農場主任のスピーチなども織り交ぜた閉会式は、予定よりも1時間はやい午前11時に行われた。「ますます良い農場にしますので、中学生になっても高校生になってもまた来てください」 とウブカタ主任は言うが、それよりも自由学園に入学をしてしまえば、牛のからだも洗い放題なら、東京ドームよりも広い場所で朝から晩までひとり黙然とスイバの根を掘ることも自由にできる。「みんな、自由学園に来ればいいんだな」 と考える。
11時25分に農場を去る。12時20分に帰宅する。次男と昼飯を食べて仕事に復帰する。
燈刻、"Chablis 1er.Cru Montee de Tonnerre William Fevre 1999" を抜栓する。秋刀魚のオリーヴオイル焼きバルサミコソース、未精白粉によるニンニクと唐辛子のスパゲティを、その肴とする。精白していない粉によるスパゲティはむかしの田舎の蕎麦のようにジャリジャリとして、あまり舌触りは良くない。"Chez Akabane" のコルネにて締める。
入浴して冷たいお茶を飲み、読もうとした本2冊を腹の上に載せたまま9時に就寝する。
自由学園の同学会が主催する 「那須農場キャンプ大会」 は本来、本日の昼すぎには始まっているはずだ。しかし当方には諸々の都合があって、夕刻4時30分、三菱デリカの助手席に次男を乗せて家を出る。50分後に 「那須農場」 へ到着し、フットサルよりもすこし広めの芝のサッカー場にクルマを停める。即、荷台に段ボールを敷きつめシュラフを広げて就寝の準備をする。
このキャンプ大会は今年の同学会本部委員会の主要メンバーで、僕よりも1年先輩のクラスが運営するものにて、ちょうど晩飯が始める時刻に紛れ込むのはいささか心苦しいが、楽といえばこれほど楽なこともない。コテイジ前の芝生には既にして飲みものサーヴァーとそれを覆う大きなタープがあって、早くから来ている参加者たちは各々が気楽にくつろいだり軽いスポーツに興じている。
持参した軽めの赤ワインを開け、ウチダヒトシ同学会委員長の作る鶏肉の薫製をつまみながら飲酒を開始する。
この農場の作物も利用したバーベキュー、子供たちを対象としたくじ引き、花火、キャンプファイヤーと、盛りだくさんの企画がテンポよくこなされていく。このキャンプファイアーの時間に、昼間に行った焚き火おこし大会の表彰式があった。周囲の樹木の観察から始まるこの焚き火おこしは、技術というよりも教養の範疇に分類できそうな高級な行為だ。出席者数は今夜のうちに帰る者も含めた瞬間最大で100名を超えた。
次男は子供たちの中に昨年の同じキャンプ大会で知り合った顔を見つけ、彼らが宿泊するコテイジに自分も泊まって良いかと訊く。こどもひとりをここへ泊め、自分だけはクルマの中で寝るというのもいささか無責任な気がしたが、「どうにかなるだろう」 と了承をする。
9時をすぎたため、バーベキューやキャンプファイヤーの行われた、そしていまだ談笑を続ける者も多いコテイジ前の芝生を離れ、サッカー場に停めた三菱デリカへ戻る。そして荷室へ乗り込み、テイルゲイトは開いたまま厳冬期用のシュラフに入って就寝する。
目を覚ますとあたりはいまだ暗かったが、しかしその暗さの中には夜明けの薄明るさも幾分かは含まれていた。起きてダイニングキッチンへ行き灯りを点けると、壁の時計はいまだ4時30分を指している。顔を洗い布団に戻り、枕頭の灯りを点けて 「犬の記憶 終章」 を手元に引き寄せる。
半分ほど開けた窓から冷たい空気が室内へ流れ込み、玄関の扉の隙間から抜けていく。隣の部屋で長男の携帯電話が発していると思われる目覚ましの音が聞こえる。それは5時30分を報せるものだった。10分ほどして起床し、服を着て冷たいお茶を飲む。長男は起きたままの格好でコンピュータ2台を起動し、何ごとかをしていた。この時間からの勉強とはいかにも真面目に思われるが、ことによると夏休みの宿題がいまだ終わっていないのかも知れない。
岩崎の屋敷裏から切通坂へ抜ける途中の公園を、毎朝、掃除しているオジサンがいる。そのためこの時間この空間には紙くずひとつなく、土の上には竹ぼうきによる筋が幾重にもできている。「おはようございます」 と声をかけたがオジサンは口をモゴモゴとすこし動かしただけで明瞭な返事はなかった。この公園で暮らしている人だろうか。
浅草発7:30発の下り特急スペーシアに乗る。北千住、春日部。利根川を渡って栃木。新鹿沼を経て下今市へ至る。9時20分に帰宅してその10分後に仕事へ復帰する。
先月はいろいろな人と晩飯を食べる都合により種々の調整をした結果、月に8度を義務としている断酒を9度も行った。ということは今月の断酒は7度に減らしても良さそうなものだが、早くも今夕、9月に入って3度目の断酒を決めてカレーライスを食べる。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時に就寝する。
夜中の2時に目を覚まし、「犬の記憶」 をほとんど最後のペイジまで読むうち部屋の中が紺色から徐々に濃い青へと変わる。5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、キャベツのおひたし、生のトマト、白菜キムチ、メカブの酢の物、納豆、茄子とピーマンの油炒め、メシ、ワカメと万能ネギの味噌汁。
昼までは穏やかだった空模様が午後2時をすぎて怪しくなる。南西の山には、北東の青空と対抗するように逆巻く雲があった。これから秋の雨が何日も続くのかどうかは知らない。
下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。いつもは進行方向左側の席に当たることが多いが、今日は右の窓際を指定された。南下する列車の右側はすなわち西で、風景は夕日を背後から浴びて逆光に沈みつつある。魅力的な景色があらわれるたびにデジタルカメラの電源を入れそちらへと向けるが、小さなディスプレイの中に見えるそれはなぜか色あせて、だからシャッターボタンは押さない。
北千住から地下鉄千代田線と山手線を乗り継いで池袋に至る。自由学園明日館にて毎月おこなわれる同学会の本部委員会へ出席をする。定刻の9時をすぎてようやく会議は終わった。メンバーの一部と近くの中華料理屋へ入り、引き続いてあれやこれやの情報を交換する。
本郷三丁目で地上へ上がると、ここから地下鉄に乗ろうとする人々のほとんどが傘の雨滴を落としつつ改札口を抜けてくる。家を出るときに雨が降っていない限り傘を持たない僕は濡れたまま甘木庵まで歩き、服を干してシャワーを浴びる。
いまだ9月7日の夜10時30分にとなりの部屋の物音で目を覚ます。二度寝に入って次は日付の変わった0時30分にとなりの部屋の灯りで目を覚ます。今度は易々と眠ることができずに 「女王陛下のロンドン」 を読み始める。
ハービー山口の文章には硬くぎくしゃくして使い古された言い回しが目立つけれども、その写真には深く感心をする。ハービー山口は、淡い幸福や美しい人々や湿り気のある抒情ばかりを写真にする。これは簡単そうに感じられて本当は難しいことだ。
街には醜いものがあふれている。醜いものは目立つし衝撃的だしこれを撮せばなんだか高級な写真になりそうな錯覚をカメラを持つ者に与える。しかし街にあふれている汚いものは、実のところ誰にでも撮せるものではないか? 美しいものをサラリと撮ることは、決して楽なことではない。そのようなことを考えながら2時に 「女王陛下のロンドン」 を読み終え、また眠って次に気がつくと5時30分だった。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子の油炒め、オニオンスライスとワカメ、グリーンアスパラガスの胡麻マヨネーズ和え、納豆、生のトマト、胡瓜と茄子のぬか漬、メシ、ゴボウと油揚げとワカメの味噌汁。
大きな台風が去った後のフェーン現象か、昼より北東から熱風が吹きつのる。気温は1ヶ月前のそれに逆戻りをし、1年が夏ばかりなら良いと思う僕は大いに嬉しくなる。
燈刻、事務机の背後にある本棚より
晩飯は、レタスとトマトのサラダ、大根おろしを添えたハンバーグ、サヤインゲン、細切りポテトと人参のバター炒め。これにてメシを食べ飲酒は避ける。
入浴して 「犬の記憶」 を読み9時30分に就寝する。
5時30分に目を覚まし、「女王陛下のロンドン」 を読んで6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをする。新聞を取るためシャッターを上げると、これから晴れるのか降るのかの予想をハナから否定するような雲が空にはあった。
朝飯は、胡瓜と茄子のぬか漬、トマト入りスクランブルドエッグ、刻みオクラの胡麻和え、メカブの酢の物、納豆、メシ、大根と油揚げの味噌汁。
小学校に入学して初めての作文で、僕は原稿用紙に2行の文章しか書けなかった。400字を埋めて先生に2枚目の原稿用紙をもらいにいく級友を、僕は呆然と見送った。作文が2行しか書けない日々は3年生まで続いた。そんなある日、同級生サイトウタカオ君の作文を見て 「作文とは、余計なことを書けば長くなるんだな」 ということを知った。
この清閑日記は時として2,000字を超えることもあった。「日記はせめて600字には収めたいよなぁ」 と考えつつ、どうしてもそれができなかった。しかし9月に入って 「日記とは、余計なことを書かなければ短くなるんだな」 ということを知った。これからはできるだけ、余計なことは書かずに日記を短くしたい。もっとも余計なことを書かなければ本当は、僕の日記の文字数はゼロになるはずである。
燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する。それに引き続いて教科書音読の宿題も督励する。
"Maururu" と筆書きをされたぐい飲みにて福田酒造の 「長崎美人」 を飲む。キャベツのおひたし、冷や奴、肉じゃがを酒肴とする。「魚久」 のカジキマグロと鮭とイカも肴にする。強くて甘めの優れたお酒は2合ほどで止め、海苔のお茶漬けにて締める。
入浴して 「女王陛下のロンドン」 を読み、9時に就寝する。
4時30分に目を覚まし、「女王陛下のロンドン」 を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りシャッターを上げると、店舗前の石畳にちょうど雀がエサを見つけて飛んできたところだった。そのエサはずいぶんと大きいらしく、"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" の電源を入れてから撮影可能になるまでの長いあいだ、雀は難渋しつつそれを呑み込んでいる。
いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜のぬか漬、納豆、刻みオクラの胡麻和え、ベイコンとほうれん草の油炒め、メカブの酢の物、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
終業後、先般の日光MGに参加をした社員が 「市之蔵」 へ集まり打ち上げをする。MGは第5期終了時の自己資本の高さとそれまでの戦歴、6期へ向けての準備態勢によって上位3名が表彰をされるが、僕個人の思い入れから、第5期の決算が最も速かった者に係数力第1位賞を出している。今回の係数力第1位は常連のサイトウエリコさんだった。
7時30分に散会して店の外へ出ると、茄子や唐辛子の植えられた小さな菜園の奥から虫の声がする。いわゆる秋の虫なのだろうが、その鳴き声から種類を特定することはできなかった。虫かごに入れて売られているものではなく、自然の虫の声を聞くのはこの秋で初めてのことだ。
帰宅して次男の教科書音読の宿題を督励する。入浴して 「女王陛下のロンドン」 を読み、9時30分に就寝する。
前夜の就寝が遅かったため6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子の味噌炒り、メカブの酢の物、納豆、ジャガイモ入りスクランブルドエッグ、胡瓜のぬか漬、メシ、ワカメと万能ネギの味噌汁。
真夏の雨は多く夜半に降り始めて明け方に止んでいたが、このところは日中も降り続けることが増えてきた。商売のことを考えれば日曜日の降雨は辛い。起き抜けにメモした箇条書きに従ってなすべきことをする。仕事なのかそうでないのか判然としないものもそこには含まれる。
燈刻、次男の勉強机に森山大道の本3冊を集める。しかしどうもすぐに読むのは勿体ない気がして本棚へ他の本を探しに行く。「森山大道の本が勿体なくて、こちらなら平気で読み飛ばせるのか?」 と訊かれても困るが
銀だらの粕漬、揚げ出し豆腐、茄子とグリーンアスパラガスの素揚げ、ほうれん草の胡麻和えにて吟醸酒 「高尾」 を飲む。
入浴して冷たいお茶を飲み、「女王陛下のロンドン」 を読んで9時30分に就寝する。
不意に目覚まし時計が鳴る。数日前に次男がたわむれにした設定が、いまだ生きていたのだろう。暗闇の中の手探りではアラームを切るスイッチが見つからないため、時刻合わせのダイヤルを回して部屋中にとどろくベルの音を止める。以降、1時間ほど横になっていたが一向に眠れない。起床して洗面台の脇に置いた時計を見ると4時30分だった。
これは怪我の功名と、事務室へ降りて顧客名簿の更新をする。事務室内の各コンピュータからデイタを集め重複するものは捨て、ある一定の条件下に並べ替える作業はひとつのミスがあればまた振り出しに戻ってし直さなくてはならない。電話で頻繁に呼び出されたり、あるいは 「近くに参りましたので、ちょっとお寄りしました」 というような約束のない来客のある日中にはとうてい行えないたぐいの仕事である。
難しい局面をすぎ、コンピュータが勝手に動き始めるに至って
朝飯は、メカブの酢の物、キャベツとベイコンの油炒め、納豆、茄子の味噌炒り、メシ、大根と万能ネギの味噌汁。
燈刻、次男の勉強机にて
トマトのオリーヴオイル和え、キャベツとベイコンのペンネ、ジャガイモと玉ネギのコーンビーフまぶしと揃えて白ワインを我慢する自分を褒めてやりたい。
入浴して 「リコーGRシリーズのすべて」 を読み、11時に就寝する。
6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、ベイコンとグリーンアスパラガスの油炒め、サラダ菜とコーンビーフ、ほうれん草の胡麻和え、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
2日間の休みの間に溜まった仕事、同じく2日間の留守番電話に耐えてくださったお客様からの注文に忙しい1日を送る。
今月1日から新学期が始まったため、宿題のために飼っていたカブトムシとクワガタムシを、モンキーバナナ1本の餞別をつけて顧客用駐車場のモミジの下に放す。はじめ3匹いたカブトムシは8月の末に2匹が相次いで死に、つまり残りは1匹のみになっていた。午後6時30分の暗さの中で、虫たちは早速どこかへ飛んでいくだろうか。
居間へ戻り、ようやくベタ焼きの上がってきた、8月に撮り溜めた写真をルーペで子細に見ていく。「いいカメラだなぁ」 「やっぱりすげぇレンズだ」 という写真はあるが、「上手いじゃーん」 という写真については、そうそうあるものではない。
冷や奴、茄子の味噌炒りにて焼酎 「山之守」 を飲む。モヤシとニラと豚肉の油炒め、秋刀魚の塩焼きにて、残り少ない焼酎を調整しつつ飲む。ブドウは家内と次男に任せて僕は食べない。
入浴して寝室へ行くがどうにも眠気か訪れない。枕頭の活字を拾い読みして11時にようやく就寝する。
5時に目を覚ます。今回あてがわれた部屋は携帯電話の電波の届きにくい場所にあるため、本来ならメイルの送受信をするところ、枕頭の灯りを点け 「GR読本2 21ミリ欧州大決戦編」 を読む。電波の具合がどうだろうときのうの日記を書くことの差し支えにはならないが、どうもその気力は湧かない。7時30分のアラームをセットして7時に二度寝に入る。
7時30分に起床して身支度を調え、8時に高いガラス天井を持つ大食堂へ降りる。ヴァイキングによる朝飯は、大根おろしを加えた納豆、レタスと大根とトマトと人参のサラダ、塩鮭、白菜の浅漬け、スクランブルドエッグ、ベイコン2枚、メシ、ワカメとお麩と三つ葉の味噌汁。食後にヨーグルトを食べミルクコーフィーを飲む。きのうの晴天とはうって変わり、外にはこの土地の名にふさわしく深い霧がある。
9時にMGの第4期が始まる。きのうからの大混戦にて、成績の乱高下する者が全体の3割ほどはいる。そしてそれは、全体としてみれば決して悪いことでなない。MGは世の中のほとんどすべての例に違わず、どちらかというと年齢の高い者よりも若い者の方がのみこみははやく行動も機敏だ。しかしながら今回は年齢の高い者も自己資本では充分に若い者に対抗し、成績の高い卓に居続けることが複数期にわたって見られた。
第5期の途中、所用で抜けた家内の場所に西順一郎先生が入りゲイムを続行する。「先生の入札は安いですからね」 と牽制すると 「いいえ、私は高いですよー」 と答えつつ24円の札を出して 「16円」 とコールする。僕がMGを続けられる理由のひとつは明らかに、このような先生の天然の愛嬌による。
戦い済んで最優秀経営者賞に輝いたのは、自己資本を449まで積み上げた販売係のヤマダカオリさんだった。その下には、経常利益だけを評価すれば何人かの成績優秀者がいたが、それらは諸々の点で規定に達せず表彰には至らなかった。そして自己資本こそ323とそう高くなかったが、優秀経営者賞は定められた基準を超えたやはり販売係のイシオカミワさんが獲得した。
燈刻、研修会場メルモンテ日光の玄関前にて記念写真を撮り、各々が山を下る。
軽い夕食を済ませて後、東京へ帰る西順一郎先生とカワニシイチロウさんを東武日光線の下今市駅へお送りする。帰宅して入浴し、ビールとウォッカの変形ボイラーメイカーを飲んで9時30分に就寝する。
暗闇の中で目を覚ます。頭をもたげ首をねじ曲げベッドのヘッドボードを見ると、青いデジタル文字は "AM 2:30" と読めた。夜が明ければ忙しくなるのは必定にて、顔を洗いデスクの灯りを点けコンピュータを起動する。ポットで湯を沸かし熱いお茶を飲みながらきのうの日記を作成するなどいつものよしなしごとをして4時に二度寝に入る。
この施設のほとんどすべての部屋が正面より朝日を浴びることは、そこから南南西に8キロ離れたウチの洗面所からいつも望見している。きのうの夜、愚かにもカーテンを全開にして眠ったため、睡眠不足にもかかわらず太陽のまぶしさにより6時前に目を覚ます。
きのうからの前泊組に今朝から参加の社員も加わり、8時30分より会場の準備を整える。第8回目の日光MGは地方からのゲストも迎えて9時30分に始められた。MGはひとりひとりが会社を持って、2日間で5期の経営を盤上に展開する。第1期、昼食をはさんで2期。寸暇を惜しんでウェブショップの注文に受注確認書を送付する。
3期を終えれば早くも窓外の雑木林に夕日が迫る。西順一郎先生による "strategy accounting" の講義は予定よりも早く6時に終了した。決算書の広がる机にて晩飯を食べ、いったん解散する。
寝室2間とキッチン付きダイニングにジャグジーを備えた、我々に与えられたうちのもっとも大きな部屋に全員が集まったのは、それより1時間後の7時45分だった。その後の3時間あまりを有意義な交流会に充てる。
屋上の露天風呂へ行き、部屋へ戻って 「GR読本2 21ミリ欧州大決戦編」 を読んで11時に就寝する。