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清閑 PERSONAL DIARY

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2019.6.23(日) タイ日記(4日目)

酔って騒ぐ男の声がする。「またファランか」と耳を澄ます。酔っ払いは白人ではなくタイ人らしい。時刻は1時30分。今度は窓のすぐ外で、発情した複数の猫が声を上げ始める。更にはこれも猫なのか何なのか、軟らかいものが庇の上に墜落したような音がする。ふたたびiPhoneを見る。時刻は3時。しかたなく起きてきのうの日記を書く。安宿でもwifiは速い。

バンコクMGに参加をする、タイ人やロシア人も含む初心者の、頭脳の運動能力の高さには本当に驚かされる。きのうMGを始めた人が、早い人はきのうのうちから、ゲーム運びの上手さで僕を追い抜いているのだ。その優秀さは何に因るものだろう。第5期の決算は16時30分までに全員が終わり、17時には表彰式、講師であるタナカタカシさん、主催者のひとりスズキタカノリさんの挨拶も完了してしまった。

今日の交流会は、エカマイのガイヤーン屋で開かれる。こちらには僕も加わることとして、夕刻の激しい雨が上がったばかりの、いまだ乾いていないトンローsoi10にスーツケースを曳く。

MG仲間と交流会で交わす会話には感じ入るものが多い。今日は、島根県で老人介護施設を営むウダヒデノリさんの「タイには、家族や老人を、日本人よりはるかに大切にする文化がある。そのようなところに日本の介護のしかたを持ち込むべきではない。タイにはタイの文化に沿った、介護のあるべき姿がある」とのことばがもっとも印象に残った。

さて僕は今夜からサパーンタクシンに移る。雨はとうに上がったというのに「200バーツ」と判で押したようにおなじ価格を提示する運転手ふたりをいなし、主催者のひとりタイラマサキさんは「もちろんメーターで行くよ」と運転手の答えた3台目のタクシーを僕のために拾ってくれた。

声をかけられ目を覚ますと、運転手はホテル1階に入るロビンソン百貨店を指していた。朝が極端に早いため、夜になると居眠りばかりだ。111バーツを示すメーターに対して運転手には120バーツを払う。ほとんど定宿のようなセンターポイントシーロムに着いたのは、何時ごろのことだっただろう。フロント係にもベル係にも顔見知りがいて、愛想はしごく良い。部屋までスーツケースを運んでくれたベルボーには、50バーツのチップを手渡した。以降の記憶は、蓮の葉をかたどった皿の上の石鹸、それだけである。


朝飯 “Nantra de Comfort”のトースト、アイスミルク、日本から持ち込んだコンソメスープ
昼飯 バンコクMGのお弁当
晩飯 “Sabaijai Restaurant”のソムタムサイクロークイサーン鶏卵と青菜の炒め物ガイヤーンラープムー、カオニャオ、カオスアイ、トムヤムクンゲーンキヨワーンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.6.22(土) タイ日記(3日目)

女の妙な声で目を覚ます。時刻は3時50分。即、起きて服を着て荷物の整理に取りかかる。

30分ほどして隣の部屋のドアの開く音がする。僕も部屋から廊下に出る。エレベータの前には、髪を銀色に染めた韓国人のオニーチャンと、中々すっきりした姿の、”a gogo”で働いていると思われる女の子がいた。エレベータに乗ると、オニーチャンはグランドフロアのボタンを押した。僕はロビー階のボタンを押す。韓国人はおしなべて日本人より英語が上手い。朝鮮語は英語を身につけやすい言語なのだろうか。あるいは韓国の英会話教育が、日本のそれより優れているのだろうか。

ロビーのカウンターには不寝番のオネーサンと警備のオジサンがいた。彼らと朝の挨拶を交わして部屋に戻り、コンピュータとカメラと手帳を持って、ふたたびロビーに降りる。既にして明かりが点されていれば、ロビーに続く朝食の会場で日記が書ける。先の日記にも書いたように、僕のいる406号室には机が無い。また部屋のwifiは遅くて話にならないのだ

今日と明日はバンコクMGにて、日中はホテルにいない。ということは、快適なホテルに泊まり続ける意味は無い。7時にチェックアウトをして外へ出る。現在のsoi25の中級ホテルからsoi5ちかくの安ホテルに移動をすべく、路上で赤バスを待つ。この赤バスは日中は5分きざみで、朝と夜は10分きざみで運行をしている。ほとんど10分を立ち尽くしてようやく北から近づいてきた赤バスは、昇降口の外まで乗客が鈴なりで、僕の目の前を、速度を落としただけで停まらずに通過した。そしてその10分後に来た赤バスも、またおなじだった。しかたなくタクシーを停め、1.5キロほどを乗ってsoi5に達する。料金は初乗りの35バーツで済んだ。

路地裏にある安宿の戸を押すと、しかしカウンターに人はいなかった。ベルを鳴らしても、誰も出てこない。警備と雑用を兼ねているらしいオジサンに勧められるまま、狭いロビーの一角にある朝食会場でコーヒーを飲む

日本から持参した新聞を読むうち、コンビニエンスストアで調達したような軽食を持って、ようやくオネーサンが来た。パスポートと予約票を出して予約してある旨を伝えると「チェックインは14時から。スーツケースはそこに置いてください」と、目の前の一角を指して姿を消した。カウンターの上には、僕のパスポートと予約票が置かれたままだ。しばらくしてロビーの奥をのぞき込みと、オネーサンは厨房で個人的な料理に取りかかっていた。日中にスーツケースが消えても「私は知りません」でお終いだろう。

いつものガオラオ屋で朝食を済ませて安宿に戻る。そしてザックのみ背負って、これまた目と鼻の先の、センターポイントトンローのロビーに入る。ソファには、おとといバンコクMGへの参加を決め、僕とおなじTG661で今早朝にバンコクに着いたタダジュンさんの姿が見えた。タダさんは明日の深夜便で帰国をするという。僕のようなナマケ者には、とても真似のできない行動である。

タナカタカシさんを講師とするバンコクMGは、1996年6月に始められ、今日と明日は、その16回目になる。今回の参加者は30名。メジャータワー10階の研修室に収まる卓は5客。つまり「5卓フル」の満席で、冷房も心なし強めに設定されているようだ。

各自が自分の会社をもち、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGは、30名中の10名が初心者ということもあって、時間の延びる心配があった。しかしタイで起業をしたり、あるいは日本の本社から大きな責任を背負って赴任してきた初心者たちは、年齢が低いこともあり、想像を絶する優秀さにて、第3期の決算は19時前に全員か完了した。

交流会のためエカマイの北海道料理屋へ向かう一行と別れ、19時06分に「パイ、トンロー、パクソイ」と、停めたバイタクの運転手に告げる。バイタクは渋滞をくぐり抜けて、soi10からスクムビット通りの際まで僅々3分で達した。BTSトンロー駅の自動販売機は札が使えない。窓口の列に並んでようようサラデーンまでの切符を44バーツで買う。BTSの車両は19時18分に発車。サイアムで乗り換え、サラデーンには19時38分に着いた。きのうまでのルンピニーからサラデーンに、待ち合わせの場所が変更されたのだ。

コモトリケー君に土産の「おばあちゃんのホロホロふりかけ」と「辛ひしお」と「しその実のたまり漬」を渡す。コモトリ君からは、現地での仕立てを頼んであったタイパンツを受け取る。これで所有するタイパンツは6本になった。多分、一生のあいだ保つ数だと思う。

サラデーンからトンローまでは、すこし距離がある。コモトリ君の会社の運転手は、混み合うラマ4世通りから、まるでサイゴンの並木道のように美しいスクムビットsoi26に入った。そしてこれまた混み合うスクムビット通りに出ると、すぐにまた裏道へとハンドルを切り、トンローsoi10を奥から抜けてトンローの大通りに達した。「良い仕事」とタイ語で褒めると運転手は後席の僕を振り向き笑った。チップは100バーツ。

安宿のカウンターには朝のオネーサンに替わって、いかにも仕事のできそうなオバチャンがいた。チェックインを済ませ、エレベータで2階に上がる。明かりを点すと大きなゴキブリが壁から床に逃げようとしている。それを鼻紙で捕まえて便器に流す。数千円を節約するためのホテルの移動ではあったけれど、それにかかる労力を計算に入れれば、次回は控えるだろう、多分。


朝飯 トンローsoi8ちかくのガオラオ屋のガオラオ(大盛り)、日本から持ち込んだ百德食品公司の豆板醤に卓上の酢とナムプラーを加えたナムチム
昼飯 バンコクMGのお弁当
晩飯 “Banana House”のホーイラーイ当方の注文がうまく通らなかったために届いた不明のひと皿、トードマンクン、麦焼酎「いいちこ」(ソーダ割り)


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2019.6.21(金) タイ日記(2日目)

泊まっている”The Residence on Thonglor”は、どうも壁が薄いらしい。ファランの騒ぐ声で目を覚ます。時刻は3時10分。僕は素っ裸で、しかもベッドの中ではなく、シーツでくるまれた掛け布団の上で寝ていた。このような、風邪の元になるようなことは、厳に慎まなくてはならない。

朝の散歩は、ホテルのあるsoi25付近から北へ進み、センセーブ運河に架かる橋を渡ってトンローの通りの北端まで行く。突き当たったところはペッブリーの大通りだった。そこできびすを返し、トンローの桟橋からふたたび橋の上に昇って南へ戻る。その途中、先ほどまで行列のできていた路上のぶっかけメシ屋で朝食を摂る

3月の訪タイ時に持ち帰ったバーツは4,666.5バーツ。僕は旅先では、日本にいるときよりもお金は使わない。行き先が田舎であれば、これで1週間は充分に持ちこたえられるだろう。しかし冷静に考えてみれば、今回は、これだけではとても足りない。午前のうちに舟でプラトゥーナムへ行きカオマンガイの繁盛店が並ぶ界隈を歩いて運河の太鼓橋を渡る。その先にかたまってある3軒の両替屋スーパーリッチのレートを調べると、2軒が1万円あたり2,860バーツ、1軒が2,855バーツ。よってレートの良い2軒のうちの1軒で10万円をタイバーツに替える。帰りの舟は大型の急行で、これには初めて乗った

さて、明日はバンコク在住の同級生コモトリケー君と夕食を共にすべく待ち合わせをしている。場所はルンピニーのQハウスにあるホーキッチンの前。僕にとっては未知の場所にて、土壇場で齟齬を来してはいけない。日が中天にさしかかるころに赤バス、BTS、MRTを乗り継いで、ルンピニーまで行ってみる。しかし当該のホーキッチンは見あたらない。馬蹄形のカウンターの案内で訊ねても、オネーサンは知らないと言う。取りあえずは撤収である。

MRTでスクムビットまで戻ったところで空腹に耐えられなくなる。時刻は13時40分。すこし歩いて昨年の6月に来た中華料理屋に行ってみる。オジサンは入口の常温の席ではなく、冷房の効いた奥へのガラスの戸を引いて僕に手招きをした。メニュで選んだ香港炒麺はできないとのことで「こちらならある」とオジサンが勧めた福建炒麺で胃を満たす。

トンローに滞在をすると、この、南北に延びる総延長2.5キロの通りのどこからでも乗れてどこででも降りられる赤バスには、数え切れないほど世話になる。始発から乗った赤バスの右はす向かいに「歩くバンコク」のところどころに付箋を貼った中年の女の人が座って、不安そうに窓から左右を見ている。声をかけると、グランドセンターポイントで人と待ち合わせをしているという。そこはsoi9の真ん前だ。ちょうどそこに差しかかったところで僕は昇降口の上のボタンを押し、女の人には右手を指さし、黒と金色の、そのホテルを教えて上げる。女の人は僕と車掌に礼を述べて降りていった。

午後はほとんどプールサイドで本を読む。きのうの日記にも書いたことだが、ここのプールには日傘が無い。仰向けで本を読んでいると、顔も胸も腹も、ごく短い時間で焼けるように熱くなる。そのたび水に入ってからだを冷ます。

日が西に傾くころに、ようやくシャワーを浴びて部屋へ戻る。充電中のiPhoneを取り上げ見ると、バンコクMGの前夜祭は19時からの予定だったものの、18時ころから三々五々、集まりはじめる旨の知らせがタナカタカシさんから届いていた。急がなくてはならない。

家族が使おうとすれば間違いなく「止めろ」と反対をするだろうバイタクを捉まえて「トンロー、パクソイ」と告げる。バイタクの運転手はヘルメットをかぶり、手袋までしている。それに対して客は丸腰というかなんというか、身を守るものは何も無い。バイタクは混み合うバスやクルマの間をすり抜け、最後は反対車線を時速50キロで飛ばして、またたく間にスクムヴィットの大通りに達した

バンコクMGの前夜祭には実に15名が集まった。会話を交わしながらの飲み食いは楽しいものの、僕は夜には極端に弱い。21時がちかくなると、席に着いたまま幾度も眠りに落ちた。

横断歩道の見あたらないスクムヴィットの大通りは、BTSの駅を歩道橋のようにして南側から北側に渡る。そして始発で客を待っていた赤バスに乗る。その赤バスの中でも眠って、車掌に起こされる。2度目は隣の乗客と車掌に起こされる。最初に起こされたときに「自分の行き先はsoi25」とでも告げていたのだろう、赤バスはホテルの前にぴたりと着けられていた。盗人がいれば身ぐるみを剥がれていても不思議でない状況である。親切なタイ人には大いに感謝をしたい。


朝飯 トンローsoi25をすこし北に上がった路上のぶっかけメシ屋のパックブンファイデーンとカイダーオをのせたごはん
昼飯 「堂記酒楼」の福建炒麺
晩飯 「スクンビットシャークフィン」のヤムウンセンプラムーククンオップウンセンプーパッポンカリーカオパップーフカヒレスープ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.6.20(木) タイ日記(1日目)

00:42 “BOEING 747-400″を機材とする”TG661″が定刻に22分遅れて離陸する。
00:49 ベルト着用のサインが消えると同時に後席の人を確かめた上で背もたれを最大に倒す。
00:50 オフクロが遺したデパスとハルシオンを各1錠ずつ服用する。

04:36 周囲の物音により眠りという水の中から浮き上がるようにして覚醒する。おしぼりを配る客室乗務員が目の前に迫っている。
04:49 オムレツと魚のどちらを選ぶかと訊かれて選んだ朝食の、魚と米飯はひと口のみに留めて、他はほぼ食べる。
05:09 ダナンの海岸線からベトナムの上空に入る
05:19 洗面所で葉を磨いて席に戻る。
06:10 地上がちかくなる。

“TG661″は、出発時の22分の遅れを取り戻した上、定刻より37分はやい日本時間06:13、タイ時間04:13にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:31 飛行機からボーディングブリッジにより空港内に入る。
04:47 両手の10本の指紋を読み取られつつパスポートコントロールを抜ける。
04:50 指定された6番の回転台に近づくと同時に自分のスーツケースを見つける。
04:58 到着階の2階から地下1階に降りて、エアポートレールリンクの駅が開くのをベンチで待つ
05:44 スーパーリッチとカシコン銀行の本日のレートは同じにもかかわらず、スーパーリッチのみが客を集めているのは何故か。

06:01 エアポートレールリンクの車両がスワンナプーム空港を発車。
06:29 パヤタイ着。
06:40 BTSの車両がパヤタイを発車。
06:55 トンロー着
07:08 トンローの始発から赤バスに乗と、ザックを背負い、手でスーツケースを支える僕に、ひとりのオジサンが席を譲ってくれた。赤バスの料金は、いつの間にか7バーツから8バーツに上がったらしい。

07:11 soi25のすこし北にあるホテル着。
07:20 フロントのオネーサンによる「1,000バーツの追加料金でアーリーチェックイン可能」の提案を受け入れる。空き部屋さえあれば、ホテルと客の双方に有り難い仕組みと思う
07:50 昨日の夕方から今朝まで着ていたものを部屋に呼んだ洗濯係に手渡す。チップは20バーツ。
08:40 赤バスでsoi8まで戻りトンロー通り西側のセブンイレブン右の路地にあるガオラオ屋で本日2度目の朝食を摂る

09:35 本日3回目の赤バスでセンセーブ運河のたもとまで行き、桟橋ソイトンローからプラトゥーナム経由でパンファーリーラードに着岸。ソイトンローからプラトゥーナムまでは混みすぎて集金人は現れず。プラトゥーナムから終点のパンファーリーラードまでの運賃は11バーツ。

09:55 本日はおばあちゃんの祥月命日にて、ワットサケートからあの世に感謝の念を送る。蓮の花1輪と線香3本と金箔1枚のタンブンセットは20バーツ。おばあちゃんは土曜日に生まれた記憶があったから、土曜日生まれの人の守護仏である、7尾のナーガを背負った仏像には別途、財布からラマ10世のそれは避けてラマ9世の肖像のある100バーツ札を取り出しタンブンする。

10:35 googleマップにて意外や川向こうのピンクラオが近いことを知り、タクシーを捉まえてパタデパートまでと告げる。途中、左手の歩道に溢れた群衆の写真を撮る。その人混みについて運転手は何ごとか説明してくれたものの理解できず。ことによるとプラクルアンを取り引きする市だったかも知れない。運転手にはメーターの55バーツに対して60バーツを手渡す。そして歩道橋を渡ってパタデパートに至る

10:45 酒類の販売が解禁になる11時までは、地元の年寄りのたまり場になっている地下のフードコートでアイスコーヒーを飲んで過ごす。僕の最も好きなラオカーオ”BANGYIKHAN”を売る店を、ことバンコクにおいては、僕はここしか知らない

ピンクラオの真ん中にある大きな交差点にはアルンアマリンという美しい名が付けられている。名前は美しいものの、構造が複雑な上、交通量が多すぎて、青に変わらない歩行者用信号機がある。その、赤い信号の出ている横断歩道を小走りに渡る。日本人がラオカーオ2本を手にピンクラオで車に轢かれたら、明日の朝刊に載るだろうか。ピンクラオからパンファーリーラードまで乗ったタクシーのメーターは49バーツだったが、運転手には60バーツを渡した

11:45 舟がパンファーリーラードの桟橋を離れる。途中のプラトゥーナムで乗り換えになるものの、切符はソイトンローまで通しで買える。料金は15バーツ。
12:18 プラトゥーナムで乗り換えた舟がソイトンローに着く。
12:20 徒歩でホテルに戻る。
13:20 屋上のプールサイドで本を開く。インフィニティ型のプールは洒落ているものの、パラソルは無く、また寝椅子は鉄製のため、ひどく暑い
14:40 雨が降ってきたため部屋に戻る。

16:05 朝、部屋に入って荷物を広げたところで文机のないことに気づいた。なぜ窓際に寝椅子を置きながら文机は備えないか。部屋を替えてもらうのも面倒なため、ロビー階の、朝は食事の会場になるだろう場所できのうの日記を完成させてサーバに上げる。続いて今日の日記のここまでを書いて時計を見ると17時52分。そろそろ外へ出る準備にかからなければならない。

18:25 ホテルのあるトンローsoi25のすこし南から、夕食の場所と決めた店のあるsoi9までは、歩けない距離ではないものの、ちと離れている。よって北から近づいてきた赤バスに乗る。乗ってから気づいたことだが、トンローの通りは、夕刻になると、特に北から南へ下る側が大変に渋滞する。結局は歩くとほぼおなじ時間をかけてsoi9に達する

18:45 バンコクMGの講師であるタナカタカシさんと約した時間の19時までは、いまだすこし間がある。よって涼しいところでひと休みしようと、センターポイントトンローのロビーに入ると、偶然、当のタナカさん、そしてこのホテルにチェックインしようとしている、神戸から来たホリカワさんが目の前にいた。多いにありがたい。

19:15 タナカタカシさんがバンコクMGを始めた2016年6月から、バンコク入りした晩はかならず来ることにしているイサーン料理屋で、3名による夕食会を持つ。ホリカワさんは初訪タイながら、卓上の料理はすべて美味いと喜びつつ「バンコクMGの持ち物として、複数枚のタオルも、書いておいて欲しかったですね-」と笑う。唐辛子の刺激に汗が止まらないのだ。

夕食は、タナカさんにご馳走になってしまった。気楽な田舎料理の店であるにもかかわらず、キャッシュレジスターはiPadによるものだった。以降の記憶はまったくないものの、カメラに残された画像によれば、ホテルまでは歩いて帰ったらしい


朝飯 “TG661″の機内食
朝飯 トンローsoi8ちかくのガオラオ屋のガオラオ(大盛り)、日本から持ち込んだ百德食品公司の豆板醤に卓上の酢とナムプラーを加えたナムチム
晩飯 「セープスッチャーイ」のソムタムヤムウンセンタレー、ガイヤーン、コームーヤーン、チムジュム、日本から持ち込んだ銘柄不明のラオカーオ(ソーダ割り)


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2019.6.19(水) ついでに検査

子供のころは運動性喘息とアトピー性皮膚炎に悩まされた。前者については、小学校を出るころには治まっていたような気がする。後者も、高等学校を出るころには快癒した。その後、気管支に狭窄を感じることは無くなったものの、皮膚は加齢によるものだろうか、この1、2年で急に弱くなった。かかとのアカギレは、今や何も対策を講じなければ夏でも切れ、おととし末から昨春にかけては、目を覚ますたび口角が切れていた。湿疹も頻繁に発生する。

その湿疹に対症療法を加えるべく、午前に日光市大桑地区のアライジン医院を訪ねる。診察の結果、今日は新しい薬が処方された。待合室で、診療費と薬代の請求を待っているあいだにあたりを見るともなく見ていて、この病院が動脈硬化の検査を行っていることに気づく。そのポスターに示された費用は、大したこともない金額だ。窓口で訊けば、検査は今すぐにもできるという。

診察室とは小部屋ひとつを隔てた検査室の寝台に横になると、やがて左右の上腕と左右の足首に計4つの血圧計、またからだのあちらこちらに心電図のための電極が取り付けられた。準備を除けば検査はほんの5分ほどで終わったと思う。結果は、動脈の硬さは年齢相応。動脈のつまり具合は「正常範囲」と出た。何となく安心をして、午前のうちに帰社する。

16:50 上澤梅太郎商店の要冷蔵の品を保冷剤と共に納めてスーツケースを閉じる。
18:20 「けごん46号」が下今市を発車。
19:54 北千住着。
19:55 日比谷線の車両が北千住を発車。
20:55 人形町から都営浅草線に乗り換えて羽田空港国際線ターミナル着。

21:11 タイ航空のチェックインカウンターが開く。
21:22 大きな荷物を機内に持ち込もうとする人と係員のやり取りにより渋滞が発生する。
21:45 ようやく行列の先頭に達してチェックインを完了。
22:00 夕食を完了。
22:10 保安検査場を通過。

22:11 パスポートコントロールは顔認証による自動化ゲートで通過。
22:45 107番ゲート付近の仕事机からきのうの日記を公開し、きのうの朝食をfacebookページに上げる。
22:58 同じ場所で本日の日記をほとんど完成させる。
23:22 機内で飲むためのソーダ水を購入
23:23 105番ゲートに達する。

23:45 搭乗開始
23:50 最後尾からひとつ前の通路側69Jの席に着く。


朝飯 人参の甘煮、納豆、ピーマンのウィンナーソーセージのソテー、巻湯波の淡味炊き、ジーマミー豆腐の冷や奴、なめこのたまり炊、メシ、蓴菜の味噌汁
昼飯 きのうの夜の残りの天ぷら、黒胡麻素麺
晩飯 「天ぷらたかはし」の天むすシジミ汁セット


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2019.6.18(火) ところが変わっても変わらないこと

「順大医学部の合格率 女子が男子上回る」と、朝のニュースが伝えている。それを見ながら「世界に共通する傾向じゃねぇの」と感じた。

3年前の6月に栃木県味噌工業協同組合の親睦旅行でミャンマーを訪ねた。団体旅行の日程は、限られた時間に能う限りの見物を押し込むため、大抵は忙しいものになる。初日の夕食は、空がいまだ明るいうちに完了した。着いたばかりの空港からその料理屋へ向かう途中か、あるいはそこからヤンゴン随一の名所シュエダゴォンパヤーを目指す途中でだったか、案内人のシュエイーさんはバスに備えつけのマイクを口に近づけた。

いわく「ミャンマーでは男より女の方が優秀。なので医学部の試験では、男の受験生には最初から点数にゲタが履かせてある。そうしないと、国中、女医ばかりになってしまうから」と、教えてくれた。日本では、その「ゲタ」は「裏」に秘されていたけれど、ミャンマーではそれが国策として行われていたのだ。

「所変われば品変わる」ということわざがある。上記については、受験に関わる法律は異なるものの、男より女の方が学問において優秀という事実は日本もミャンマーと変わらなかった、というわけだ。しかしまぁ、今回の順天堂大学医学部の合格率は、男子の7.72パーセントに対して女子は8.28パーセントだから、公正に競争をしても、女医ばかりになることはないだろう。しかしこの合格率の差が今後ますます開いていく可能性は、否定できない気もする。


朝飯 細切り人参の炒り煮、油揚げと蕪の葉の炒め煮、巻湯波の淡味炊き、ハムエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、らっきょうのたまり漬、メシ、蕪とトマトと万能葱の味噌汁
昼飯 “PANCAKE FACTORY”のサラダ、スープ、メキシカンチョリソーと豆のオムレツ、ライス、コーヒー
晩飯 蓴菜の酢の物、ひたし豆天ぷらあれこれ黒胡麻素麺、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米」(冷や)


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2019.6.17(月) 旅の持ち物

水曜日の夜に羽田空港へ行き、深夜便に乗って、木曜日の未明にバンコクに着く。持参するものの総点数は、約120。そのほぼ2割は薬品が占める。1980年にはじめてインドへ行ったときからの、これは僕の荷物の特徴である。

独行において、現金とパスポートの次に頼りになるのは、これは僕に限ってのことかも知れないけれど、薬である。そしてそれらの薬は大抵、使われることなく終わる。まぁ、保険のようなものだ。その薬を今朝は食堂のテーブルに広げ、逐一、紙の一覧表と照らし合わせていく。照合は10分ほどで完了した。

次は応接間に場所を移し、薬品類の入った透明袋を低いテーブルに置く。それから徐々に、パスポート、日本円、タイバーツ、航空券の控え、タイの入国カード、ホテルの予約票、貴重品入れ、財布、時計、コンピュータとiPhoneの電源ケーブル、紫外線防止用メガネ、複数の本、日本経済新聞の土曜版と日曜版、機内に持ち込むセーターとウインドブレーカー、現地で使う手提げ袋、緩衝材、輪ゴム、綿テープ、3月の訪タイ時に余らせて持ち帰ったラオカーオ、それを飲むためのコップなどを家の諸方から集めて並べていく。

旅先においても、僕の服装は普段のそれと変わらない。現在、洗濯中のものもあるから、特にシャツの数が揃うのは、出発日の早朝になるだろう。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、巻湯波と人参の淡味炊き、目玉焼き、油揚げと蕪の葉の炒り煮、らっきょうのたまり漬、メシ、大根とトマトの味噌汁
昼飯 揚げだし茄子のつゆで食べる黒胡麻素麺
晩飯 ベビーリーフのサラダ、マッシュドポテト、ズッキーニのソテー、焼きトマト、たまり漬「鬼おろしにんにく」と同「刻みザクザク生姜」によるソースを添えたビーフステーキ“Almaviva 1997”、”Old Parr”(ソーダ割り)


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2019.6.16(日) 梅雨の晴れ間

梅雨は今月のはじめに始まって、今月の終わりまでは続くものと思われる。しかしその最中にも、晴れる日はある。13日の木曜日は、強い日差しが照りつけながら空気は乾ききって、信じがたいほどの爽やかさだった。きのうの雨は今朝まで降り続いたものの、予報によれば、午前のうちに晴れて、列島はおおむね暑くなるという。

この予報を信じて、毎朝、掃除と検品と納品のために通う道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の、冷蔵ショーケースはもちろんのこと、常温品の棚も、開店前より汗牛充棟の状態にしておく

午前もなかばを過ぎるころには、まるで初夏のような陽気になった。よって即、4階に上がってあちらこちらの窓を開け、風を通す。ウチの下駄箱は玄関ではなく4階にある。その下駄箱の引き戸も開け放つ。この下駄箱の扱いについては、きのうの日本経済新聞の特集「すっきり生活」に教えられてのことだ。ついでに寝室の床暖房の電源を入れる。こうしておけば、その暖房の上に位置するベッドの布団も、いくらかは湿気を減らすだろう。これはおばあちゃんの、何年か前に102歳で亡くなった姉を真似てのことだ。

夜は豚の三枚肉をカレー汁の中で煮て、明日への英気を養う。


朝飯 ごぼうのたまり漬としいたけのたまり炊を使ったかやくごはん、生玉子、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、ほうれん草の味噌汁
昼飯 茗荷の薬味で食べる黒胡麻素麺
晩飯 春雨サラダカレー南蛮鍋“GILBEY’S VODKA”(ソーダ割り)西瓜


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2019.6.15(土) そういう遊び

9月11日から16日までの6日間を会期として、新宿高島屋さんに出店をさせていただく。そのあいだ、僕はひとりで留守番である。それを知る人から「ひとり暮らしの無聊を慰めるため、オレが遊びに行ってやろう」との奇特な申し出をいただいた。総菜を買っていくから、そちらはワインを用意して、上澤梅太郎商店の事務室で飲もうではないか、という話である。

それを家内にしたところ「わざわざ来ていただきながら事務室なんて… ちゃんと家に上がっていただかないと」と、心配と非難の入り交じった声を上げた。それに対して「いや、そういう遊びだよ」と反論したのは長男である。

頭をちと巡らせてみれば、人は昔から「そういう遊び」を考え出して、それに興じてきた歴史がある。秀吉の北野大茶会も、そんな「そういう遊び」のひとつだろう。そこいらへんで買ってきた総菜を肴にそれほど高くもないワインを飲む行為と、名人名物を集めた大茶会を同じまな板の上で語るのも、いかがなものかとは思うけれど。


朝飯 雑炊、じゃこ、なめこのたまり炊、梅干、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、塩昆布
昼飯 ラーメン
晩飯 ほうれん草の胡麻和え、うずら豆、茹でた豚肉と茄子の揚げだし、巻湯波と人参の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米」(冷や)、ごぼうのたまり漬としいたけのたまり炊を使ったかやくごはん、浅蜊の味噌汁


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2019.6.14(金) 味噌の鑑評

電気湯沸かし器に400ccほどの水を目分量で入れ、電源ボタンを押す。そこから11歩か12歩を歩いて仏壇の扉を開く。先ほど水を換えたばかりの花立てをいつもの場所に置こうとして、そこに、早朝の淡い光にも見えるホコリがあることに気づく。よってそのあたりだけでなく、仏壇の中のかなりの部分、それから扉の水平の部分も、水を含ませたティッシュペーパーで拭く。

事務机の左手に提げたカレンダーの今日のところに「総会13:15必着」の文字がある。味噌醤油技術会の総会が13時30分より開かれる栃木県産業技術センターへは、過去に何度も足を運んだことがあるものの、そこに至る道は覚えていない。ウチから1時間をみれば充分と考えていた僕に「あそこは遠いよ、1時間半はかかるよ」と長男は言う。それに対して45分と、googleマップはその所要時間を示している。

今日はホンダフィットが出ずっぱりのため、三菱デリカの運転席に収まって正午に会社を出る。栃木県産業技術センターが入る「とちぎ産業創造プラザ」には12時49分に着いた。ゴールデンウィークの大渋滞の中などでは”smart”さを欠くgoogleマップも、今日はほぼ正確な予測をしてくれた、というわけだ。

総会のあとの勉強会では貴重な意見が百出し、定刻を15分まわって終了した。僕は会長のアオキタカノブさんに近づいて、今後、この集まりには僕ではなく長男を参加させたい旨を申し出て快諾を得る。


朝飯 細切り人参の炒り煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、トマトのスクランブルドエッグ、油揚げと蕪の葉の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、浅蜊の味噌汁
昼飯 「とちぎ産業創造プラザ」内のレストラン”Pure”のカレーライスセット
晩飯 トマトとジャガイモとベビーリーフのサラダ鶏肉とマカロニのグラタン“Petit Chablis Billaud Simon 2016”西瓜


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