2025.3.23(日) おたがいさま
昨夜、次男と外食先から徒歩で春日町の交差点まで戻って来ると、上澤梅太郎商店の駐車場を泳ぐようにして歩き、軒下のベンチに「ようやく」といった体で座った男の人がいた。大酔をしているに違いない。服装は白さが目立ち、からだはかなり大きく見える。よって「目を合わさないようにしようぜ」と小声で次男に伝え、その人とはできるだけ離れたところを歩いて家に入った。
事務室のシャッターはいつものとおり7時40分に上げる。外には既にして包装係のヤマダカオリさんとタノイチカさんが立っていた。ヤマダさんはいつも、新聞受けから取った新聞を手渡してくれる。タノイチカさんは「ベンチの下に落ちてました」と、携帯電話を差し出した。
間もなくその携帯電話が着信音を発した。思わず手に取るも、iPhoneではないから、どうやって出たらよいのか分からない。おなじ名字の別人からも着信があった。こちらも、もたもたするうち切れた。静かになった携帯電話の脇に並ぶボタンをあれこれ押してみると、上手いことに着信記録が出た。よって折り返そうと、その部分をタップすると、パスワードを要求する10個の丸が浮かび上がったため「万事休す」と、開店準備に取りかかる。
9時を過ぎたところでホンダフィットの運転席に着き、1.5キロメートルほど離れた今市警察署に携帯電話を届ける。警察官が僕からあれこれを聴き取り、書類ができるまでに20分ほどはかかっただろうか。
帰社して今度は隠居に梅を見に行く。紅梅は三分咲き、白梅はその一部がようやく花を開き始めたくらいのところだった。次の週末には見ごろになるだろうか。ちなみに29日の「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、既にして満席を戴いている。
さて携帯電話の落とし主はやはりきのうの人で、意外なほど早く店に来てくださった。ご本人みずから今市警察署へ出向き、当該の携帯電話は既にして届けられている旨を知らされたのだろう。そして少なくない買い物をしてくださった。
かくいう僕も、携帯電話は電車の中に2度も置き忘れ、2度とも無事に戻った。困ったときはお互い様、である。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 3種のパン、豚三枚肉と根菜類のスープ、Chablis Billaud Simon 2018
2025.3.22(土) 東京で桜の咲くころ
素肌にユニクロの超極暖ヒートテックタートルT、その上にPatagoniaのR1エア・クルー、更にモンベルのスペリオダウンラウンドネックベストを重ねて、現在の仕事着としている。なぜお彼岸を過ぎても「超極暖」なのかといえば、それより薄いタートルTは、数年前から9分袖になってしまったからだ。袖の短いシャツは好きでない。
朝こそ普段の気温とそう変わらないと感じていたものの、昼がちかくなるころには「季節はずれ」と言っても過言でないほど暖かくなった。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日2度目の配達を終え、帰社して奧の通路に入るといきなりひんやりとした。屋内より外の気温の方がよほど高いとは、驚きである。
衣替えは、いつすべきか。それもあるけれど、春と秋に着るユニクロのソフトタッチタートネックTは、洗濯を重ねて袖が短くなっている。つくづく「常夏の国に住みてぇよなぁ」と思う。
夜、上野で花見をした友人について、食事を共にしている次男が話した。「花見って、今年の」と問えば「そうだよ」とのことにて「そういえば」と、東京の桜は3月から咲き始めたことを思い出す。
東京で桜が咲くころ、日光では梅が咲く。隠居の白梅は、どうなっているだろう。明日は見に行ってみようと思う。
朝飯 日光味噌「ひしお」による肉味噌、納豆、生玉子、若布の酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とトマトと玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、オムレツのカレーライス、ドライマーティニ、TIO PEPE、グラスノ赤ワイン
2025.3.21(金) 這えば立て
寝室から洗面所を経由して食堂に来たのは5時9分。東の空は既にして明けつつあった。随分と朝が早くなったものだ。即、ダウンベストを身につけ、その上にダウンコートを重ねて屋上への階段を上がる。「這えば立て」ではないけれど、春分を過ぎた今となっては夏が待ち遠しい。
先般のタイでは、僕としては結構マメに朝食の動画を撮った。それらは僕がタイにいるあいだから、早くもSEによりTikTokに上げ続けられた。しかしどのようなアルゴリズム、あるいはどのような視聴者の好みによるものか、SEの奮闘努力にもかかわらず、視聴数はそれほど伸びなかった。今朝はその最後の動画の上げられていることを確認した。今月6日にホテルの係に頼んで「臓物全部入り」にしてもらったお粥である。動画の上半分には朝日に向かってコック川を下る舟も見える。これだけ手をかけても視聴数が普段の数分の一であれば、以降のTikTokは日常の朝食のみにしようと思う。
ところで冒頭に戻れば「夏が待ち遠しくてならない」とはいえ天変地異は困る。それは多くの人を不幸にするからだ。当方の商売に限れば、できるだけ質の高い農産物を仕入れたい。日照りと大雨には見舞われたくないのだ。
朝飯 生のトマト、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 フランスパン、牛肉とトマトのスープ、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.20(木) 春分の日
今年の立春は2月3日、啓蟄は3月5日、そして今日は春分の日、である。立春とはいえ2月3日は、いまだ冬の最中だった。啓蟄とはいえ3月5日であれば、蠅さえいまだ飛んでいない。そして春分の日こそ、冬という暗いトンネルから遂に抜け出た日、という感覚を僕は持つ。きのうの雪は正に、ダース・ヴェイダーの衣をまとった「冬」によるライトセーバーの最後の一振だったに違いない。元旦より春分の日をめでたいと感じるのは僕だけだろうか。
9時、馴染みの旅行社に勤めるイシカワさんが、5月のタイ行きの航空券を届けてくれる。いまどき航空券などPDFのファイルをメールに添付して送ってくれれば済むところ、この会社は何ごとも律儀なのだ。
新型コロナウイルスが五類感染症に移行する以前、2023年4月の航空券は、ロシアとウクライナの戦争の影響も強く受けたのだろう、コロナおよびその戦争の前にくらべて随分と高くなった印象があった。しかし今回の価格はコロナ前のそれに近い。ちなみに僕の旅程は何ヶ月も前に決まる。決まったら即、航空券を発注する。だから僕は、世間の相場よりよほど安く航空券を買えているはずだ。
ところでこの半世紀で高くなったものといえば何だろう。ソビエト社会主義共和国連邦がアフガニスタンに侵攻をしたとき、金の価格は1グラムあたり5,000円に高騰した。以降、この数字を超えることはないと思われていた金が、現在は1グラムあたり16,000円である。
安くなった筆頭は航空券だと思う。1980年に僕が買った成田とカルカッタの、エアインディアによる往復の航空券は22万円もしたのだ。そのころ1万円で買えたタイの通貨は1,000バーツ。現在は1万円が2,250バーツ。日本の若い人はむかしほど海外へ行かなくなった、その理由はゼニカネではないような気がしている。
朝飯 鰯の梅煮、わさび菜のおひたし、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 3種のパン、牛肉とトマトのスープ、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.19(水) 東京は、雪
カーテンを開ければ曇り空。地上を見おろせば、行き交う人たちはみな傘を差している。「雨か」と、声には出さないまでも、ひとりごちる。それがしばらくすると雪に変わって、これには流石に驚いた。facebookには「11年ぶりの深い雪」と、日光在住のひとりが画像を上げている。
本日東京ですべきと考えていたいくつかは、急ぐことでもなし、後日に回すこととした。ただし新橋の大衆床屋には立ち寄った。大森駅前から見る西の空には青いところもあったものの、その後、牡丹雪の勢いは一時、増すばかりになった。
東武日光線の下り特急の座席は、北千住へ向かうJRの車内でスマートフォンにより確保した。その料金は3月15日のダイヤ改正と共にだったのだろうか、いつの間にか上がっていた。北千住の東武線下りの切符売り場には、本日の混雑を伝える立て看板があった。
今朝の雪は里雪だったのか、関東平野に積雪の痕跡は無く、下今市駅まで数キロメートルのところからようやく、田畑に雪が見えはじめた。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の在庫を確認しながら会社に戻ったのは15時前。以降は通常の仕事に就いて夕刻を迎える。
朝飯 「ドトール」のトースト、コーヒー
昼飯 「ポポラマーマ」のランチのスープ、きのこと吊るしベーコンのバジリコペペロンチーノ
晩飯 2種のパン、牛肉とトマトのスープ、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.18(火) 強力無比、競合皆無
今日の日光の最高気温と最低気温はそれぞれ9℃とマイナス1℃。明日は8℃とマイナス1℃。対して東京のそれは、今日が12℃と5℃で、明日は11℃と5℃。僕は重ね着を嫌う。その状態で汗をかけば不快さは更に増す。しかし堪えかねるほどの寒さも避けたい。この時期の服選びは本当に難しい。「暑ければ、脱げば良いではないか」と言われれば、脱いだものを持つことも嫌いなのだ。あれこれ考えた結果、現在の仕事着からダウンベストを外し、シェラデザインのマウンテンパーカを着る。そしてコンピュータと資料を詰め込んだ、決して軽くないバックパックを背負う。
湯島から乗った地下鉄千代田線を日比谷で降り、JR京浜東北線に乗り換えるべく地上に出る。有楽町阪急の弧を描いた外壁にはバレンシアガの大きな宣伝が並んでいた。そのうちのスニーカーに目を遣り「餅は餅屋、スニーカーはスニーカー屋だわな」と考えつつ、その前を通り過ぎる。
有楽町から京浜東北線の座席に着き、スマートフォンにTikTokを開く。真っ先に現れた動画はバレンシアガのスニーカーの宣伝だった。「バレンシアガ スニーカー」などと検索をしたことは生まれてこのかた一度も無いにもかかわらず、である。このような不可解な、あるいは不気味な現象は近年、決して珍しいことではなくなった。
テッド・ネルソン著、西順一郎監訳の「ホームコンピュータ革命」には「かつて神であった大形コンピュータ、そしてその司祭として民の上に君臨していたオペレータと決別し、民衆ひとりひとりがパーソナルコンピュータを手に立ち上がるときが来たのだ」という宣言があった。それから半世紀弱の時を経て我々はほとんど誰もがスマートフォンという究極のパーソナルコンピュータを持つに至った。しかしそろそろまた新たな神が出現したのではないか。その名はAI。「どうする、民よ」である。
大森駅前のホテルにて、今夜の資料を人数分のクリアファイルに仕分けをする。そして5分ほど歩いて18時15分に「スマイル大森」6階の会場に入る。
マイツールという強力無比、しかし使う人は非常に少ないから競合する他者はほとんど皆無、というデータベースソフトの伝道をテシマヨーさんは17年間も続け、集会の回数は昨年100回を超えたという。その集まりに上澤梅太郎商店の事例を発表して欲しいと、僕は頼まれていた。
会は19時より始められた。驚くべきは、この17年間ではじめて、ニシジュンイチロー先生がいらっしゃってくださったことだ。僕が与えられた時間は90分間で、それほど話すことがあるかと懸念をしたものの、机上に置いた時計が20時30分にちかづくころ、僕の説明もようやく最終部分に達した。
外へ出ると「汗をかけば不快さは更に増す」どころではない、東京とは思えない寒さだった。そしてすぐにお帰りになる方以外の皆さんと手頃な店に入り、有意義な歓談の後、ホテルへ戻る。
朝飯 鰯の梅煮、わさび菜のおひたし、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 “Dela”のランチのサラダ、ハンバーグステーキデミグラスソース、ライス
晩飯 「サイゼリア」のあれや、これや、それや、ワインあれや、これや、それや
2025.3.17(月) 墓参
iPhoneがアラームの音をたてる。食器棚まで歩いてそれを手に取れば、時刻は6時50分。きのうのおなじ時刻にこの音は鳴らなかった。とすれば、この設定は、いつしたものだろう。特にすべきこともなければ、取りあえずは停止ボタンに触れて、その音を止める。またその設定自体も消去する。
iPhoneが、今度は電話の呼び出し音を発する。時刻は7時7分。ディスプレーに現れた発信元を見て、7時より高圧変電施設の検査の始まることを思い出す。即、その電話に出てコヤマ電気管理事務所のコヤマさんに詫びの言葉を述べる。そして大急ぎでエレベータを降り、数ヶ所の鍵や警備保障の防犯装置を解きつつ事務室のシャッターを上げる。
3月17日の朝7時より検査のあることは、この日時が決まったときにそれをポストイットに記し、事務室のカレンダーに貼っておいた。そのポストイットはきのうの終業時に4階へ持ち帰り、食堂の目立つところに張り直しておくべきだったのだ。まったくもって、粗忽の極みである。
10時30分、きのう中止をした墓参りに出かける。新旧また叔父叔母のお墓には花立てが計9対ある。これらに花と線香を供えていくについては、今日は次男が伴ってくれたため、大いに助かった。花は、お彼岸の過ぎるころにまた来て片づけることにしよう。
きのうの日記に書いた、明日に使うための自己紹介を夕刻までに作り、参加者の数だけ紙に出力をする。そしてこれをきのお準備した資料と共にまとめてWEXLEYのもっとも簡素なバックパックに格納する。試しにコンピュータも納めて背負ってみれば、結構な重さになった。海外へ行く以外のときにコンピュータを持ち運ぶのは、久々のことだ。
スープを仕込み終えたとの次男からのLINEには、終業後に気づいた。それを4階の食堂へ上がって検分する。スープというより煮込みと呼んだ方が似合いそうなそれは、明日あさっての方が美味くなるだろう。そう考えて、今日のところは次男と夜の街へ出て行く。
朝飯 ワサビ菜のおひたし、鰯の梅煮、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のお通しの手羽先揚げ、刺身の盛り合わせ、揚げ出し豆腐、蟹クリームコロッケ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)
2025.3.16(日) 雨、雪、氷点、春
4時55分、寝室のカーテンをすこしずらして外を見る。懸念された雪は降っていない。しかしアスファルトは黒く濡れ、信号機に照らされた水たまりには、強くないながらも雨滴が落ちている。お彼岸の墓参りは今早朝に行うこととしていた。しかし取りあえずは中止を決める。
お盆のときほど細密丁寧ではないものの、花立て、線香立て、リン、金属製の蓮の花、また位牌などを仏壇から取り出し、その内側を、水を固く絞った布巾で拭く。そして取り出した諸々を元に戻し、新たな干菓子を載せた高台一対を納めて仏壇の整えを完了する。
朝食の最中に雪が降ってくる。その勢いには中々のものがあるものの、量はそれほども多くない。
あさっての火曜日に、小さな集まりで講師というか、事例の発表をする。その受講者のための資料を午前中に準備する。それに付すべき自己紹介については、これから火曜日の早朝までに作らなければならない。
夕刻に店の外へ出て、日の随分と延びたことを実感する。先週金曜日の飲み屋には若竹煮があり、僕は何よりも先にそれを注文した。最低気温が氷点を下まわる日々ではあっても、冬からは完全に抜け出したのだ。
19時より町内会の会議に出席をし、20時すぎに帰宅をしてひとり夕食を摂る。
朝飯 菠薐草とウインナーソーセージのソテーを添えたスクランブルドエッグ、若布の酢の物、鰯の梅煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン、生のレタスを添えた鶏のトマト煮、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.15(土) 「観光」
明朝に雪の予報の出ていることを、朝礼のときの長男の発言によって知る。携帯電話のウェザーニュースは、最低気温の氷点下まで下がる日が日光では3日のあいだ続くと伝えている。よって営業後の不凍栓は必ず閉めるよう、隠居係の高橋リツコさんに頼む。
午前、「汁飯香の店 隠居うわさわ」でお客様にいただいた感想カードのうち、タイに行っているあいだに溜まった分をコンピュータに打ち込む。このような地道な作業は、楽器やスポーツの基礎練習に似ている。しかしてまたそれらとおなじく、途切らせることなく続けることが肝要である。
夕刻に店番をしながら雑貨部の品の増えていることに気づく。そのうちの小鹿田の飯茶碗を手にして、むかしのそれにくらべて随分と軽くなっていることに驚く。書籍部の棚にはラッタウット・ラープチャルーンサップの「観光」が加わっていた。長男はこれを、読んだ上で仕入れたのだろうか。小説に食指の伸びることは滅多にない僕からしても、このタイ系アメリカ人による短編集は、静かに、しかし強く、お勧めをしたい。
朝飯 鰯の梅煮、菠薐草のおひたし、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン其の一、パン其の二、グリーンアスパラガスのソテーを添えた鶏とマッシュルームのトマト煮、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.14(金) 伊豆治療紀行(34回目の2日目)
3日つづけて9時間を眠ったせいかどうなのか、今日は3時間ほどの睡眠で目が覚めた。以降は携帯電話で動画を見たり、あるいは起きて本を読んだりしつつ朝を迎える。
「伊豆高原痛みの専門整体院」では、背中と腰の20個所ばかりに電子ペンの治療を受ける。おなじ20個所に4回ほども電子ペンを押し当てられると予想をしたものの、今日は2回のみで終わって助かった。ちなみにきのう太鼓判を押された膝については、今日は触れることさえされなかった。
新幹線を使っての移動は経験の少なさから苦手としているものの、こと東京と熱海のあいだに限っては随分と慣れた。城ヶ崎海岸から乗った伊豆急行の車両は2分の遅れを取り戻して定刻の11:58に熱海着。乗り換えがあまりに忙しいからスマートフォンの「乗り換え案内」には出てこないものの、実は熱海12:02発の東京行きがある。これに間に合うため、降りたプラットフォームから新幹線のプラットフォームまでを僅々2分で移動する。
熱海12:02発のこだま712号は、品川には12時40分に着く。プラットフォームから改札階へ上がり、ポケットに手を入れる。しかし城ヶ崎海岸から東京山手線内までの乗車券、および熱海から東京品川までの新幹線自由席特急券の感触はどこにもない。多分、乗り換えを急ぐあまり、熱海駅の自動改札機から受け取ることを忘れたのだろう。
窓口に近づいて、きのう往復の切符を買ったときの控えを出し、駅員に説明を始める。駅員は熱海駅に電話を入れるも、当該の切符は見あたらなかったらしい。もういちど荷物を調べるよう駅員に言われ、切符の隠れていそうな場所を見るも、見つからない。駅員に言われるまま、城ヶ崎海岸から品川までの運賃4,660円をクレジットカードで支払う。そして、失った切符が見つかった場合には返金を受けられる諸々を受け取って改札口を出る。
品川から有楽町へは山手線で移動。銀座でふたつの店を渡り歩くも、重複して支払った4,660円のこともあり、物を買うことはしなかった。銀座から神田へは銀座線で移動。いつもの皮膚科では、塗り薬の残りは潤沢なため、飲み薬の処方箋のみ作ってもらい、そのビルの下の薬局でそれを手に入れる。
神田から鶯谷へは山手線で移動。夕刻の住宅街を辿って未知の店に入る。品書きに若竹煮があれば、これは頼まないわけにはいかない。カウンターに携帯電話を取りだし、北千住19:33発の、座席指定券を兼ねる下り特急券を確保する。入谷から北千住へは日比谷線で移動。
東武線下り特急のプラットフォームには19時20分に入った。絶妙の時間管理である。そしてガラス張りの待合室の椅子に着く。ややあって目を覚ますと20時がちかかった。つまり19:33発の特急は眠っているあいだに行ってしまったのだ。すかさず次の20:13発の特急券を確保すべく携帯電話を操作するも、すんでのところで売り切れ。次の最終21:13発には空席が潤沢にあって助かった。それにしても、酒を「キチガイ水」とは、よく言ったものだ。
下今市から自宅までの道は寒かった。そして23時前にようよう帰宅を果たす。本日失ったお金はJRの4,660円と東武鉄道の1,850円で、計6,510円。タイの通貨に直せば1,500バーツ。これからは重々、気をつけることにしよう。
朝飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 「オオイリヤ」の若竹煮、たこぶつ、ネーム、マッシュルームのサラダ、鶏皮煮込み、「新亀酒造」の純米「真穂人」(燗)、チューハイ