2018年10月の日記31本
2018.10.31(水) 来年のカレンダー
「来年のカレンダーお分けします」という表題のメールマガジンを、昨年は11月27日に発行した。そうしたところお陰様にて少なくない反響をいただいて、折しも、お歳暮の荷造りに奮闘していた製造現場に、いささかの混乱をもたらした。そういう次第にて、おなじメールマガジンを、今年は11月初日に発行することを決めていた。
文章は、昨年のものの一部を書き換えれば使える。しかし文中からリンクさせる画像は新たに用意をする必要がある。よって事務机の左手に来年のカレンダーを提げ、それを先ずは”RICOH GRD”で撮る。次に”NIKON D610″で撮る。双方をコンピュータのディスプレイで見くらべて、ニコンによる方を採用する。
そうして修正した文章をを所定の場所に収め、画像はウェブ上に上げた。発行日は11月1日、発行時間は午前9時に設定をした。
ウチのカレンダーは昔ながらのありきたりのものだが、洒落たカレンダーばかりの今は、それゆえ稀少になっているらしい。僕も在庫が無くなる前に1部を確保し、そろそろ来年の予定を書き込んでいこうと思う。
朝飯 小松菜のおひたし、納豆、きのうの朝に残したベーコンエッグ、冷や奴の「なめこのたまり炊」がけ、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜と若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 2種のピーマンとセロリのピクルス、じゃがいものグラタン、トマトとレタスと玉葱のサラダ、たまり漬「鬼おろしにんにく」と同「刻みザクザク生姜」によるソースおよび2種の温野菜を添えたビーフステーキ、チーズ、“CHATEAU DUCRU BEAUCAILLOU 1975”、オレンジケーキ、”Old Parr”(生)
2018.10.30(火) 紅葉の情報
ここ数日、隠居の木の葉が徐々に色づいてきた。4階の応接間から眺めてもっとも目立つのは、昨年、大胆に枝を落としたものの、いつの間にかまた枝を伸ばした山桜だ。高いところに大きな鞠のように繁った葉は、明るく黄金色に光っている。一方、国道121号線に沿った塀沿いの紅葉は、いまだ緑と赤が半々くらいのところだ。いずれ1週間か10日のあいだには、すべて真っ赤になるだろう。
今の時期にはしばしば、店頭で、あるいは電話で、具体的な地名を挙げた上で、紅葉の状態をお客様から訊かれる。そのようなときには、下野新聞の第1面やとちぎテレビのニュース、あるいはインターネットで知り得た情報から、適宜、お答えをしている。
本日、街で耳にしたところによれば、ウチのある春日町の交差点から日光宇都宮道路の今市I.C.に向かい、途中で左に折れて平ヶ崎の琴平山の脇を抜け、小来川郵便局、古峰神社、内の籠集会所を経て足尾に抜ける道の紅葉が、現在は最高だという。
なるほどこの経路を辿る限り渋滞はゼロ、というか、すれ違うクルマも疎らだろう。しかしこのような情報があっても「だったらそこ、行ってみよう」と考える人は希だと思う。行列のできる料理屋が更に客を集めるように、大抵のクルマは渋滞に吸い寄せられてしまうのだ、不思議なことに。
朝飯 蓮根のきんぴら、ベーコンエッグ、レタスとツナのサラダ、巻湯波と人参と絹さやの炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と蕪の葉の味噌汁、トマトとキウィの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 刺身湯波、セロリと2種のピーマンのピクルス、ししゃもの網焼き、巻湯波と小松菜の炊き合わせ、大根おろしを添えた牛肉の「日光味噌梅太郎赤味噌」炒め、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、2種の葡萄、西洋梨のタルト、”Old Parr”(生)
2018.10.29(月) 降りたところ
先週末の日本経済新聞を片付けようとして、ある旅行雑誌の広告に目が吸い寄せられる。
その惹句のひとつは「一歩先行く通ハワイ」だ。もうひとつは「ヒトと差がつく定番ハワイ」だ。自分の旅を振り返ってみれば、それは「人に先んずる」とか「人に差をつける」という”stage”から降りたところにあるような気がする。
暖かくて、視界が広く開けていて、大きな川がゆっくりと流れていて、宿は山の中にあっても、すこし歩けば賑やかな屋台の集合があって、そこで売られている食べ物は安くて美味くて、まわりに知っている人は誰もいなくて、日本語はどこからも聞こえてこない。そういうところで特に何をすることもなく、ゆっくりと過ごせれば、僕としては最高だ。
昼は来客により、普段とは異なる、品数の多い昼食を摂る。夜は近隣の有志が集まっての、稀代のデータベースソフト”My Tool”の勉強会に参加をする。
朝飯 ほうれん草のおひたし、蓮根のきんぴら、人参の出汁煮、ハムエッグ、ごぼうのたまり漬、メシ、シジミと蕪の葉の味噌汁
昼飯 蓮根のきんぴら、巻湯波と人参と絹さやの炊き合わせ、ほうれん草の胡麻和え、刺身湯波、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、牛肉の「日光味噌梅太郎赤味噌」炒め、ごぼうのたまり漬、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁、トマトとキウィの蜜煮
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、マカロニグラタン、ドライマーティニ、“Cono Sur RESERVA ESPECIAL CHARDONNAY”
2018.10.28(日) 写真と文章
その写真を撮った写真家による文章を伴う写真集が好きだ。
僕の知る限り、写真に添えられた文章は大抵、静かだ。過半のことは写真が表現をしている。それを受けて、文章は自然と静かになるのかも知れない。文章は、静かになればなるほど、その格調は高まるような気がする。
きのう古書店から届き、夜、洋食屋に持ち込んだ田中長徳の写真集”LEICA, My Life”も、文章を伴う写真集だ。ページを繰る手をできるだけ遅くして、できるだけ長い時間をかけて味わいたい佳品であることは、最初のページを読んだだけで分かった。
家に帰って食堂の食器棚に置いたこの”LEICA, My Life”を、今朝は本棚の、写真に関係する本ばかりを置いた一角に深く差し込んだ。次は、昼の光の強く差し込む列車の席で愉しみたい。それは多分、来月に入ってからのことになるだろう。
朝飯 胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、納豆、コーンビーフとほうれん草のソテー、冷や奴、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と蕪の葉と梅干しの味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 牛蒡と人参のきんぴら、トマトと水菜のサラダ、巻湯波のきのこ餡かけ、鶏肉団子の鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、栗きんとん、栗饅頭、”Old Parr”(生)
2018.10.27(土) 顔を洗う
右目に白内障の手術を受けた今月16日以来、11日ぶりに顔を洗う。オーミヤナナサト眼科で手渡された「白内障手術後の生活について」と題された注意書きには、洗顔と洗髪は「手術後6日目から可能」と書いてある。洗髪は、左目に手術を受けてから7日後にあたるおとといから始めた。洗顔を今日まで遅らせたのは、何とはなしの不安があったからだ。
蓬頭垢面という四文字熟語がある。10日ものあいだ顔を洗わなくても顔に垢が浮かばなかったのは、アルコールを染ませた紙で顔を拭いていたことによる。いずれにしても、明日からも、しばらくのあいだは目に気をつけながら顔を洗おうと思う。
一方、飲酒喫煙については、おなじ注意書きに「手術後1週間は控えてください」とあった。左目に手術を受けた先週の金曜日から数えて本日は8日目にあたる。そういう次第にて夜は日光街道を徒歩で下って小倉町の洋食屋に至り、先ずはドライマーティニから飲酒活動を再開する。
…と、ここまで書いて文字数は400字ちょうど。僕の考える日記としては理想の長さ、ではある。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、塩鮭、ごぼうのたまり漬、メシ、ベーコンとほうれん草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、ドリア、ドライマーティニ、”TIO PEPE”
2018.10.26(金) 会津の紅葉
下今市07:45発の上り特急スペーシアを春日部で東武アーバンクラインに乗り換えると、09:16七里着と、乗り換え案内には出る。今日のように、そのスマートフォンの表示と寸分たがわない時間に列車が目的地に着くと、しごく気持ちが良い。オーミヤナナサト眼科には9時20分に入った。
今日は、右目、左目、両目の、それぞれ3つの距離における視力、および近いところでは、左右それぞれ、目からどれくらいの距離が最も見えやすいか、ということを検査された。この眼科の手術日は火曜日と金曜日。よって今日は、執刀に当たる院長ではなく、荒木経惟が「遠野物語」に採用した女優にすこし似た女の先生が診察をしてくれた。結果は今週の月曜日と変わらず「良好」とのことだった。
次の診察日を伝えられる前に、帰りの特急を検索する。直近の、春日部11:33発のリバティは満席。よって次の、12:03発のスペーシアに席を確保する。春日部を11時33分に発車する浅草11:00発のリバティは、終点の会津田島には14時18分に着く。これが満席ということは、会津の紅葉も、なかなかの人気なのかも知れない。
春日部12:03発のスペーシアは、下今市に13時9分に着いた。腹の減り具合を冷静に観察してみれば、昼食の必要は無さそうだ。よって羊羹を充分に咀嚼しつつ緑茶をゆっくりと飲み、仕事場へと降りる。
朝飯 おむすび、ごぼうのたまり漬、他社製のフリーズドライ味噌汁
晩飯 葱油で食べる冷や奴、白片肉、ニラ玉、ジャガイモとピーマンと人参のサラダ、はんぺんのフライ、胡瓜の塩もみ、メシ、豚肉の茹で汁による吸い物
2018.10.25(木) 被占領地
日光市旧市街中心部の、東武日光駅前のロータリーから東照宮まで続く長いだらだら坂の途中までは、電柱が撤去され、架線はすべて地下に埋設をされて、街並みは隨分とさっぱりした。我が旧今市市旧市街中心部も遅ればせながら、電線の地中化が進められている。
日光街道と旧会津街道が交わる春日町交差点の北西の角に位置するウチの周辺にももちろん工事が及び、現在は、お客様用駐車場に接する歩道が掘削されている。
数日前に道ばたで現場監督と会ったため、その進捗につき訊いたところ、先般、予期せず地下に暗渠のあることが分かり、これの取り扱いにつき関係方面と協議をしたため、工期が遅れているという。そのときには「そうですか」くらいで話を終えた経緯があった。
1970年代に日光宇都宮道路が開通し、その今市I.C.から春日町の交差点まで取り付け道路が開通するまで、いま掘られているところはウチの土地だった。とすればその正体不明の暗渠とは何だろう。第二次世界大戦後も残された防空壕は、その場所より南西側にあったはずだ。
いずれにしても、現在は紅葉狩りの季節で、店は忙しい。昨年より好天に恵まれている今年は尚のこと、駐車場の一部が第三者の車両により占領される状況は痛い。工事ができるだけ早く終わることを、僕は望んでいる。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、ピーマンのコーンビーフのソテー、トマトのスクランブルドエッグ、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と大根と椎茸の味噌汁
晩飯 ニラと椎茸の卵とじ、春雨サラダ、3種の焼売、ごぼうのたまり漬、メシ、チョコレートケーキ
2018.10.24(水) 凝りなのか、何なのか
土曜日の午後から、まるで頸椎が右にずれてしまったような感覚を背中の上部右側に感じ始めた。「気楽なものだった」と口では言いながら、実際には大いに緊張しつつ受けたに違いない、白内障の手術による凝りではないか、と家内が言う。急に良く見えるようになった目に対してからだの他の部分がついて行けないことによる凝りではないか、と長男は言う。どちらでもない。なぜなら現在の不快な感覚は、数ヶ月前にも経験をしているからだ。
その数ヶ月前のときには、仰向けになった背中の下に置いて背中を圧す仕組みの健康器具を3日ほど使ったところ、不快感は霧消した。よって今回もおなじ対策を講じているものの、凝りはなかなか去らない。
外科あるいは鍼灸による施術所を訪ねようにも忙しくて、この「忙しくて」とは忙しく立ち働いているわけではないものの、会社を空けられないという事情から、それが果たせない。
この不思議な凝りは一体全体、なにに由来をするものか。頸椎は本当に右にずれているのか、あるいはただ、右にずれているような気がするだけなのか、それだけでも知りたいところではあるけれど、毎朝、毎晩、むかしから家にある健康器具を背中の下に置いて凌ぐ日々である。
朝飯 生のトマト、切り昆布の炒り煮、厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、納豆、すぐき、ごぼうのたまり漬、メシ、コーンビーフとサラダ菜の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 トマトと葡萄のサラダ、ポテトサラダ、刻みキャベツを添えたチキンフライと鶏もも肉の照り焼き、メシ、大根と厚揚げ豆腐と万能葱の味噌汁
2018.10.23(火) 青紫
先週の火曜日に白内障の手術を右目に受け、翌朝、診察のためオーミヤナナサト眼科を訪ねると、おなじ日におなじ手術を受けた夫婦と診察室で隣り合わせになった。
そのダンナの方は、看護婦さんに眼帯を外されてしばらくすると、水色と白の縞のシャツの袖を指さして「白いところが手術した方の目では真っ青に見える。手術していない方では茶色に見える」と、驚きの声を上げた。真っ青や茶色は大げさにしても、その見え方には僕も気づいていた。手術を受けた方の目には、すべてのものが青みを帯びて見えるのだ。
その後、左目にも手術を受け、すると、右目と左目を交互に開けて「手術を受けた方では青く見える、受けていない方では黄色く見える」という左右の比較はできなくなった。そして今度は、すべてのものが青みを帯びて見えることが常態となった。
この感覚が顕著になるのは、雨が降り始めたときだ。屋根が濡れ、地面が濡れ、草木が濡れ、道を往くクルマも濡れると、あたりはすべて、それまでの青みに紫を加えた、更に不思議な色に変わるのだ。しかしそれは、何年もかけて風景を黄濁させてきた水晶体を抜き取り、そこに透明のレンズをいきなりはめ込んだことによる錯覚と思われる。
眼科では「3ヶ月から数ヶ月」と伝えられている回復期を過ぎれば、その青や青紫の世界を脳が通常と判断し、何の奇異さも感じなくなってしまうのだろう、多分。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、生玉子、厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、すぐき、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと小松菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬
2018.10.22(月) 鼻歌まじり
先週の火曜日に右目、そして金曜日には左目に受けた白内障の手術は、僕にとっては気楽なものだった。白内障の手術を鼻歌まじりに受けるための要諦は、病院と執刀医を信頼することだ。逆から言えば、信頼できる病院と執刀医を見つけることだ。加えて、これは先週土曜日の日記にも書いたことだが、術後は間を置かず、頻繁に診察がある。よってひとりで行動しづらい人は、通いやすい病院を選ぶことが肝要になる。
もうひとつ、白内障と診断をされたなら、できるだけ早く手術を受けるべきだ。先延ばしにすれば医学もそれだけ進歩するだろう、という考えはある。しかし自分の脳や肉体は日々、衰えていく。
脳が衰えれば、医師や看護師の言うことが理解しづらくなる。手術の前後には、右目と左目に、それぞれ異なる複数の目薬を、それぞれ異なる頻度で注すという、これまた脳の衰えた人にはなかなかに難しい作業が発生する。「だったらボケる前にさっさとやっちまえ」である。
下今市07:45発の上り特急スペーシアを春日部で乗り換え、七里の駅から徒歩数分のオーミヤナナサト眼科には9時20分に入った。検査の結果、視力は両目で1.0だった。院長の診察によれば「経過は良好」とのことだった。次の診察は今週の金曜日。なかなかに頻繁である。
近視、遠視、乱視に関わるメガネは生涯に亘って九分九厘必要なくなるものの、加齢黄斑変性の原因となる紫外線を避けるメガネについては、これを新調するため、七里から池袋に移動して馴染みのメガネ屋を訪ねる。
帰りは北千住13:42発の下り特急スペーシアに間に合った。それに乗って15時すぎに帰社して即、仕事に復帰する。
朝飯 厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、納豆、サラダ菜とトマトのサラダ、蓮根のきんぴら、切り昆布の炒り煮、ごぼうのたまり漬、メシ、浅蜊と小松菜の味噌汁
昼飯 「ドトール」のチーズとベーコンのたっぷり4種のチーズとコク旨ベーコンのカルツォーネ、ジャーマンドック、コーヒー
晩飯 ポテトサラダ、カレー南蛮鍋
2018.10.21(日) 紅葉狩りはたけなわ
日光が紅葉狩りの観光客で賑わいはじめるのは、毎年、体育の日の絡む連休からだ。この時期の渋滞を知る人は、できるだけ早く山に上がりたい。その気持ちに応えるため、ウチでは定時の8時15分より前から商品を販売させていただいている。目印はらっきょうの絵のあるノレン。このノレンが出ていれば、準備はおおむね整っている。ノレンは大抵、7時30分にはお出ししている。
そんな忙しい最中に、オフクロの祥月命日である10月15日に墓前に供えた花を、いまだ片付けていなかったことに気づく。仕事の合間に如来寺のお墓を訪ねてみれば、真夏とは異なって、花はいまだ生気を保っていた。よってその花に水を足し、線香立ては水で洗って元の位置に戻した。数日を経たら、また来てみることにしよう。
本日はまた「今市屋台まつり」の日である。僕は会計係として、裏方を務めている。屋台の準備、片づけ、巡行、直会への参加などは長男に任せている。我が春日町1丁目の彫刻屋台が日光街道を下りつつ春日町の交差点を通過したのは11時45分。祭りは夜まで続くだろう。
朝飯 たたき牛蒡の胡麻和え、真菰筍の炒りつけ、切り昆布の炒り煮、厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、納豆、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 鶏肉団子の鍋、「本沢屋」の2種の団子
2018.10.20(土) あつあつハムチーズ
朝、宿の共同浴場で、着ている室内着をロッカーに入れる。そして浴室への引き戸を開けると目の前に、二の腕に刺青をしたアンチャンが素っ裸で眠っていた。よってそのアンチャンを跨ぐようにして、更に先のタイルに爪先を伸ばす。なかなかに妙味のある宿である。
風呂上がりに乗った体重計は56.0Kgを示した。酒は食べ物を美味くする過給機だ。それを欠けば食べる量も減る。加えて手術の日は安静を保って日に2食しか食べなかった。体重が減るのも道理である。
東武アーバンクラインの、大宮09:11発に乗って09:20に七里に着く。オーミヤナナサト眼科には9時28分に入った。きのう手術を受けた左目は視力検査の結果、火曜日に手術した右目ほどは劇的な視力の向上を示さなかった。看護婦さんから何度も瞳孔を広げる薬を目に注されつつ、診察の番を待つ。
いよいよ名前を呼ばれて院長の前に座る。右目の経過は良好。そして先ほど眼帯を外されたばかりの左目も、おなじく状態は良いという。左目の視力について訊くと「白内障の手術から3ヶ月ほどは目も慣れを要するため、今から心配をすることはない」と諭された。また近視、遠視、乱視に関わるメガネは生涯に亘って九分九厘必要なくなるものの、紫外線を遮るためのメガネは、加齢黄斑変性を予防するためにも使った方が無難とのことだった。
次の診察日を記した紙を帰りに受け取る。その日付は10月22日。なんと明後日もまた、この眼科に来なければならない。ひとりで行動しづらい人が白内障の手術を受けるときには、地理的なことも、病院を選ぶ条件のひとつに加えるべきだろう。
七里11:10発の春日部行きに乗れば、春日部11:33発の下り特急リバティに間に合う。そうして昼すぎに帰社して即、仕事に復帰する。
朝飯 「ドトール」の「あつあつハムチーズ」、コーヒー
昼飯 「つけ汁うどんあくつ」の「さっぱりおろしのつけ汁うどんセット」、そのセットに含まれるやわらか黒糖プリン
晩飯 トマトとモッツァレラチーズのサラダ、野菜スープ、トースト、ベーコンエッグ、エクレア、コーヒー
2018.10.19(金) 白内障の手術(左目)
夜中に目を覚まし、絨毯張りの部屋からおなじく絨毯張りの廊下に素足で出て共同便所へ行く。時刻は3時だった。「3時まで眠れた良かった」と安堵しつつ部屋に戻り、これから朝までどう過ごそうかと考える間もなく眠りに落ちる。次に目を覚ますと7時を過ぎていた。
「東京に出張をする際にはドヤに泊まる」という人を知っている。気分が落ち着くのだという。「ドヤに泊まると気分が落ち着くとは、一体全体、どのような神経の持ち主だろう」と不思議に感じたけれど、自分もその「ドヤ」で7時間も眠れたではないか。驚くほかはない。
11時30分、正午、12時30分、13時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬からなる3種の目薬を注す。13時30分の点眼はオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。火曜日と同じく手術を受けるに際しての同意書を提出する。やがて「こんな人、”KARA”にいなかったか」というようなオネーサンに案内されて手術室のある2階に上がる。
今日は手術を受ける人が多い。僕は15時をすこし回ったころ手術室に入った。
施術の手順は火曜日とまったく同じ。しかし僕には記憶ちがいがあったらしい。本日、胸に心電計のパッド、そして右腕に血圧計のための布が巻かれたのは、レーザーによる目の切開が終わり、次の、そこにレンズを入れるための手術が始められる前だった。目に液体が流水のように注がれ続ける感じがしたのは、レーザーで目を切られているときではなく、レンズを入れられているときだった。
最初の手術で、まぶたを開いたままにする輪を目の周りに嵌められ、機械が眼球に限りなく近づくと、正方形の角の関係に並んだ4つの光が見える。その真ん中の暗いところを見つめるよう院長に言われる。4つの光はやがて4つの黒い輪に変わる。その輪の細い線をなぞるように、黒く太い線がグルリと動いていく。今こそが、水晶体前嚢がレーザーにより切開されつつある数秒間なのかも知れない。
白濁し、かつ硬化した水晶体が綺麗さっぱり取り去られ、そこに3焦点のレンズを入れるための手術の最中には、機械の発する音が様々に変わることに気づいた。その音は「まだまだ」、「もうすこし」、「よし、そこ」と、レンズの正しい位置を報せるためのものだろうか。そしてこの手術は、火曜日よりもすこし時間を要したように思われた。しかし手術室から出て壁の時計に右目を遣ると、時刻は15時25分だったから、全体の所要時間は却って短かったようだ。
2階の椅子に座ってしばらくすると「ご気分はお変わりないですか」と水色のナース服のオネーサンに声をかけられ、1階に降りる。そして本日の手術費用を支払い、明日の診察時間を書いた紙を手渡されてオーミヤナナサト眼科を去る。
よその街へ行ったなら、特に夜は、その街で生まれ育った店で飲み食いをしたい。そして事実、どこででも、僕はそのようにしてきた。しかし今回「術後の1週間は禁酒」という制約を科されてみると、どうも地元の店には一歩を踏み出せない気持ちの芽生えることを知った。よい年をして「あの-、お酒、飲めないんですけど、よろしいですか」などとは訊きづらい。あるいは「アルコールフリーの飲物を置かない店だったらどうしよう」という気後れが働くのだ。
そして結局のところ、夜は駅ビルの中にある鮨のチェーン店に入り、いくつかの握り鮨を肴にノンアルコールビールを飲む。
朝飯 「ドトール珈琲農園」の「ジャンボンハムとたまごのサンド」、コーヒー
晩飯 「築地玉寿司」の平貝の握り、トロたく巻き、他あれこれ、”Asahi DRY ZERO”
2018.10.18(木) ドヤ
下今市17:32発の上り特急スペーシアは満席だった。自分の席は、きのうのうちにウェブ上で確保していた。この時期、つまり紅葉狩りの季節の東武日光線は、観光客により著しく混む。僕が高等学校に通っていたころは、年末年始とゴールデンウィークを除いては、このようなことはなかったように思うけれど、どうだろう。
左目の白内障の手術に備えて今夜は大宮に泊まる。今週の月曜日とおなじである。しかし宿は異なる。先般のまともなホテルは、月曜日からの2泊しか取れなかったのだ。
20時前に今夜の宿の前に立って、改めて、その厳しさを知る。フロントのある4階から階段を降りて、会議室の仕切り板のようなもので囲われた部屋に入り「やっぱり」と、その侘びしさを実感する、まるで「ドヤ」である。東京および首都圏にある宿泊施設の需給は、かなり逼迫をしているらしい。
1980年、1982年とインドを旅した。インドは旅する者にとっては”tough”であり”spartan”であり、また”bloody”な土地だ。そのインドを旅しながら「しかし、こと宿泊においては、日本よりも気は楽だわな」と感じた。泊まるところは無数にあり、小遣いを求められることはあったものの、そこいらへんにいる有象無象がみずからすすんで案内をしてくれたからだ。
とにかく今夜は、この「ドヤ」に泊まるしか方法はない。そしてサイフと共に明日の手術費用も”Eagle Creek”のポーチに収め、それを手に今夜の食事場所を探すため外へ出る。
朝飯 納豆、蓮根のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、人参の細切りサラダ、ごぼうのたまり漬、たたき牛蒡の胡麻和え、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 “FLYING GARDEN”のランチスープ、トマト煮込みハンバーグ、ライス
晩飯 「串カツ田中」のマカロニサラダ、串カツあれこれ、冷やしトマト、ホッピーの白(外のみ)、ホッピーの黒(外のみ)
2018.10.17(水) 笑うおばさん
きのうオーミヤナナサト眼科で白内障の手術を右目に受け、帰るとき受付で手渡された紙には、今日の診察時間は10時と書いてあった。それに従って、8時30分に部屋を出る。朝食をゆっくり摂り、大宮から七里まで電車に乗って、病院に着くと時刻は9時45分だった。
人手不足が叫ばれる中、この、決して規模の大きくない眼科には、ほとんど若い女の人ばかり25人ほどが働いている。彼女たちの服装は、水色のナース服、白衣に黒のスキニーパンツ、紺色のスクラブに黒のスキニーパンツの3種類だ。その違いは、各々の職分によるのだろうか。太っている人は、ひとりとしていない。
そのうちの、白衣にスキニーパンツのオネーサン、いや、僕の年からすればオネーチャンと呼ぶ方がふさわしいほどの若い女の人が、とても丁寧に眼帯を外してくれる。3焦点のレンズを入れた右目には、6メートルほど離れたところで別の患者を診察する院長の、日焼けした禿げ頭が異様な立体感を伴って見えた。
今度は紺色のスクラブに黒のスキニーパンツの、ガールズバーにでもいたら似合いそうな女の子に呼ばれ、先ずは両目の眼圧、次に右目の視力が測られる。輪の一部が切れたお馴染みの視力検査表の、かなり下の方までよどみなく答えることができる。「良く見えてますねー」と、彼女はまるで我がことのように嬉しそうに表情を崩す。「どのくらい見えてますか」と訊くと「1.2です」に続けて「前はいちばん上も見えなかったですからね」と、自分でさえ忘れていたことを、若いけれど、立派に自立している女の子は僕に思い出させてくれた。
診察室内のベンチにふたたび戻る。僕の左には、きのうおそろいで手術を受けた夫婦が座っている。眼帯を外されたオバサン、まぁ、世間一般からすればオバーサンだろうけれど、ハンドバッグから老人向けのスマートフォンを取り出し、その画面の電話帳に視線を落とすなり「見えるっ、見えるっ、見えるっ、クッキッキー」と笑った。ダンナの方は水色と白の縞のシャツを指さし「白いところが手術した方の目では真っ青に見える。手術していない方では茶色に見える」と驚いている。真っ青や茶色は大げさにしても、その見え方には僕も気づいていた。濁った水晶体は、見えるものすべてを、知らず知らずのうちに黄色くするらしい。
最後に院長の前に呼ばれる。僕の右目が特殊な拡大鏡でモニターに映し出される。きのうレーザーで真円に切開された傷が明瞭に見えている。経過は順調らしい。そして「金曜日も頑張りましょう」と励まされて丸椅子から立ち上がる。
満席の特急リバティで昼すぎに会社に戻ると「どれ、どれ、どれ、見せて」と家内が駆け寄って、僕の右目を覗き込んだ。いくら凝視をしても、カラーコンタクトレンズでもあるまいし、レーザーにより切られた傷も、また埋め込んだレンズも、肉眼で確かめられるものではない。
眼科で手渡された「白内障手術後の生活について」には「手術日も含めて3日間は安静が理想」と書いてある。しかし昼食後は閉店時まで普通に仕事をする。
夕食は「ワインが無かったら始まらない」というような内容だった。しかし脳の中には何か、覚悟のようなものができあがっているのだろう、アルコールを欲する気持ちは一切、起きない。体重は明らかに、減ってきている気がする。そして入浴をして早めに寝室に入る。
朝飯 「ドトール珈琲農園」の「3種チーズのあつあつたまごグラタン」、トースト、コーヒー
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 野菜スープ、トマトとモッツァレラチーズとベビーリーフのサラダ、フォカッチャ、ミートソーススパゲティのグラタン、ソーダ
2018.10.16(火) 白内障の手術(右目)
7時、7時30分、8時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬と、3種の目薬を注す。各々の間隔は、成分を目に吸収させるため、3分間は置くよう注意書きにある。そして3回目の点眼が完了した8時10分に部屋を出る。8時30分の点眼は牛丼屋で、9時の点眼は本日、右目の手術をするオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。
手術日の患者に義務づけられた5回の点眼を済ませたところで受付に声をかける。ややあって僕は、年配の男の人と共に呼ばれ、看護婦さんなのか視能訓練士なのかは知らないけれど、とにかく女の人に導かれ、手術室のある2階までエレベータで上がった。どこまでも綺麗な病院である。
2階の待合室で更に、瞳孔を広げるための目薬を10回ちかく注される。どうやら僕の目には、散瞳薬はあまり効かないらしい。やがてその瞳孔も開いたらしく、呼ばれて手と顔を、それぞれの専用洗剤で洗うよう言われる。それを済ませると、不織布による手術着を着せられ、おなじく帽子をかぶらされた。その姿で元の席に戻り、しばらく座っている。
僕と共に2階に上がった年配の男性は僕より先に手術を受け、やがて待合室に戻ってきた。顔に安堵の笑みを浮かべているところからして、手術はそう辛いものでもなさそうだ。
壁の時計を確認したわけではないけれど、僕が呼ばれたのは10時15分のころだったと思う。手術室に入り、指定された椅子に着く。この眼科をはじめて訪ねた7月17日以降、何度も診察してくれた院長が、手術着を着て立っている。
椅子はモーターにより動いて、僕のからだを仰向けにする。看護婦さんの指導を受けて、頭の位置は自分で調整する。やがて院長により、まぶたを開けたままにするための輪が右目に嵌められた。緊張していないといえば嘘になる。しかし恐怖は感じない。恐怖を感じたくないからこそ、人の手に握られたメスではなく、ミクロン単位の精密さで水晶体前嚢を真円に切るフェムトセカンドレーザー手術を選んだのだ。
看護婦さんが襟元から僕の胸に手を突っ込み、心電計のためのパッドを4つ付ける。別の看護婦さんは血圧を計るための布を右腕に巻き付け、更に右手の人差し指にクリップ式の心電計を取り付ける。僕の心臓の鼓動を知らせる電子音が、どこからともなく聞こえてくる。
右目に液体が注がれる。本日3回目の麻酔薬かも知れない。以降は別の液体が、今度は流水のように注がれ続ける。左目はマスクにより覆われ、右目だけが露出をしている。水晶体前嚢を真円に切開し、水晶体の硬化した濁りを破砕し、角膜を切るための機械が目のすぐ前まで近づいているらしい。
「すこし押される感じがします」と院長に言われて眼球が押されるのかと身構えたが、押されたのは眼窩の周囲に限られていた。僕の目には、万華鏡の中で回る墨流しのようなものが、形を変えながら見え続けている。今、正に、濁って固くなった水晶体が細かく砕かれ、吸い出されているところなのかも知れない。
「あと30秒です」と、横に立っているらしい看護婦さんが教えてくれる。「あと15秒です」に続いて「あと5秒です、もうすぐ終わります」と逐一おしえてくれる看護婦さんの声が、僕の心を落ち着かせる。
「レーザーの手術は上手くいきましたよ」と、院長が教えてくれる。僕は椅子に寝かされたまま、別の機械のところまで動かされていく。目は院長の指示により閉じているから、何も見えない。
さて今度は、積年の濁りを吸い出された右目に、最新式の3焦点レンズを埋め込む手術だ。こちらの方は、先ほどの手術の4倍くらいの時間がかかったように感じられたが、実際のところは分からない。目には、そのレンズがはめ込まれ、また位置を調整されるに従って、様々な光が見えてくる。
やがて、右目のまぶたを開けたままにするための輪が外される。「目を開けてみてください」と院長が言う。「私の手が見えるでしょう」と、院長は僕の目の前で手を振ってみせた。僕は「はい」と答えてふたたび目をつぶった。その右のまぶたには眼帯が絆創膏で貼られた。
手術室を出て壁の時計を見ると、時刻は10時40分だった。実際に手術を受けていた時間は20分もなかっただろう。院長も手術室から出てきて「レンズを入れる手術も上手くいきました」と声をかけてくれる。最初から最後まで、痛みはまったく感じなかった。
七里から大宮まで電車で戻り、ホテルの部屋に入って時計を見ると、時刻は11時50分だった。腹も減っていなければ昼食は摂らず、夕刻までベッドに仰向けになって安静にしている。
窓の外が暗くなり始めて「さて、今夜はどこで食事をしようか」と考える。そして結局はきのうとおなじ「いづみや本店」へ出かけ、3つ4つの肴と共にウーロン茶を飲む。
朝飯 「吉野家」の牛丼、生玉子、お新香、味噌汁
晩飯 「いづみや本店」のモツ煮、冷やしトマト、げそわさ、ハムカツ、ウーロン茶
2018.10.15(月) 先輩の箸置き
南青山での仕事を終え、長男とは表参道で12時30分ごろに分かれた。その後、僕は所用により新橋、京橋、日本橋と移動をして、夕刻に大宮に至る。今夜、大宮に泊まるのは、東武アーバンクラインの七里にある眼科で明朝、白内障の手術を受けるからだ。
明日は右目、そして3日後の金曜日は左目に人工水晶体を入れる。病院の案内によれば、術後1週間は禁酒だという。つまり明日から来週金曜日までの11日間は酒が飲めない。当然、今夜は飲んでおかなくてはならない。
大宮といえば東口の「いづみや」である。この日記に検索をかけたところ、前に来たのは2003年1月26日。実に、15年9ヶ月ぶりの訪問ということが分かった。満席を心配したが、店内は6割ほどの入りだった。
早速に席に着き、近づいて来たオバチャンにモツ煮とチューハイ、それからチューハイのアルコール濃度を高めるための焼酎を注文する。ふと左を見ると、人生の先輩ともいうべき老人が、吸い殻の数本入った灰皿を箸置きにしている。
僕は、人の吐いたタバコの煙を毛嫌いする。あるとき完全禁煙のモツ焼き屋をウェブ上に見つけ、喜び勇んで出かけてみた。濁りの無い、しっかりした店だった。規律が保たれるのは良いことだ。しかしその店には、いわゆる「フラ」が無かった。噺家だけでなく、飲み屋にも「フラ」があれば、僕は嬉しい。
「いづみや本店」の「フラ」の醸成には欠かせない存在と思われる老人は幸いにも、既にして喫煙を終えていた。他にタバコを吸う客は見あたらない。そうして3種の肴にてチューハイを3杯ほどもこなし、駅前の大きな道路を辿って今夜の宿に至る。
朝飯 おむすび、ごぼうのたまり漬、揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「ニューニコニコ」の新サンマ焼き定食
晩飯 「いづみや本店」のモツ煮、ハムエッグ、肉豆腐、チューハイ、そのアルコール濃度を高めるための焼酎
2018.10.14(日) 絶妙の時間
目を覚ますと素っ裸で布団の中にいた。いつもは枕の下に入れて寝るiPhoneが無いから時刻は分からない。寝台から起き上がり、床の乱れ籠に置かれた服を身につける。記憶を無くすほど酔っても、翌朝に着る服の準備は忘れなかったらしい。ベッドカバーの上にバスタオルが広げられているところからすれば、風呂には入ったようだ。
食堂に来て明かりを点けると、食器棚の電波時計は4時45分を指していた。早朝の仕事を始めるには絶妙の時間である。湯沸かしにいつもの量だけ水を入れ、スイッチをオンにして製造現場に降りる。そしてあれこれの用意を済ませてからいちど食堂に戻り、仏壇に供えるためのお茶を淹れる。
「真夜中の時間が大好きだから、深夜に寝ているようなことはしない」という人がいる。僕の場合は「夜が朝に変わる時間が大好きだから、明け方に寝ているようなことはしない」である。真夜中とは通年、0時から2時くらいで変わらない。だから「真夜中の時間が大好き」と言う人の生活には時間的なブレは無い。
ところが夜が朝に変わる時間は、季節により大きく変わる。夏至の前後は3時台から東の空が明るくなり始める。清少納言は「夏は夜」と書いたけれど、僕に言わせれば夏は断然、朝だ。
今朝は5時30分ごろからようやく夜の闇がほどけてきた。東の方には青い空と白い雲が重なりあって、太陽はいまだ望めない。
朝飯 筑前煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「なめこのたまりだき」によるフワトロ玉子、納豆、塩鮭、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと椎茸とレタスの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 春雨サラダ、炊き込みごはん、鶏肉と厚揚げ豆腐の鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、梨
2018.10.13(土) 早朝よりも早い時間の仕事
通称キュービクル、正式にはキュービクル式高圧受電設備という。6,600ボルトの高圧電力を外部から引き込み、それを社内で使える100ボルトや200ボルトまで落とす、いわば変圧器である。製造現場の北西に四畳半ほどの面積を占めて置かれているそのキュービクルの、メーターを交換する時期が来ていることは、8月の下旬に東京電力から知らされていた。
このメーターを交換する際には、2時間ほど停電する。ウチは「ほぼ年中無休」の体制を採っているため、この作業を日中に行うことはできない。そして指定したのが10月13日の4時30分から、という時間である。
僕は早寝早起きではあるけれど、もし寝過ごしでもしたら、関係の各方面に多大の迷惑をかける。そういう次第にて、iPhoneには3時30分の目覚ましを設定しておいた。
今朝は、その音と共に起床し、先ずは仏壇に花と水とお茶を供える。そして自分も「お流れ頂戴」とばかりに食堂でお茶を飲んでいると、3時55分に電話が鳴った。東京電力の依頼を受けた電気工事会社が早くも到着したらしい。
事務室に降りると時刻は3時59分。製造現場の北西にあるシャッターを開けたのが4時3分。外には青い作業服を着てヘッドランプを点した5人が立っていた。そのうちの、電話をかけてきた人にふたたび事務室に戻ってもらい、持参の発電機を回してもらう。そこから伸ばしたドラムのコンセントに、電話の主装置と電気スタンドのコンセントを繋ぐ。
聞いていた通り、4時30分ちょうどに社内の電源が落ちる。するとコンピュータのサーバから警告音が響き始めた。即、そのコンセントも発電機からのドラムに繋ぐ。
発電機は途中、2度、止まった。事務室内は真っ暗になり、電話の主装置とコンピュータのサーバが警告音を発し始める。そのたび、停電灯に薄明るく照らされた社内の通路を歩き、作業の現場まで人を呼びに行く。
突然、事務室の明かりが点る。時刻は5時21分。どうやら作業は無事に完了したらしい。よってコンピュータを立ち上げ、ブラウザを開こうとすると「インターネット側の接続が確立されていないため、設定を確認せよ」とのポップアップが立ち上がった。「設定を確認せよ」と言われても、その手のことには極端に疎い。
社内のルーターは諦め、iPhoneによりインターネットの回線を確保する。そして外注SEのシバタサトシさんにメッセンジャーを経由して状況を説明する。
05:45 シバタさんから予期せず「これから行ける」との返信が届く。
05:50 シバタさんが事務室に到着する。
05:55 ルーター経由でのインターネット回線を復旧させ、シバタさんが去る。
06:03 電気工事会社の求めに応じて作業完了報告書2葉に署名をする。
06:05 いつもは5時から始める早朝の仕事にようやく取りかかる。
腹が減っている。そして7時前にようやく、おむすびと味噌汁による朝食にありつく。
夜は4階の応接間に社員を集め、先月の4日から5日にかけて行われた日光MGの社内的表彰式を行う。
朝飯 5種のおむすび、ごぼうのたまり漬、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 カプレーゼ、茄子のグラタン、3種の野菜のピクルス、秋刀魚のコンフィ、レタスと人参のサラダ、ポテトサラダ、揚げパン、フォカッチャ、ローストビーフ、トマトと白海老のスパゲティ、南瓜のプリンのキャラメルがけ、”Barolo Marchesi di Barolo 1998″、”Jacques & Francois Lurton Gran Araucano Cabernet sauvignon 1997″、”Old Parr”(生)
2018.10.12(金) 日本酒ばかりを飲む会
日本酒に特化した飲み会「本酒会」で、僕は書記および酒の取り寄せ係を務めている。本日は5名の出席で、用意した四合瓶は4本だ。採点表は僕がA4の紙に出力をして人数分を複写する。その日に飲むお酒は、月ごとに変わったり変わらなかったりする会場がウチから遠ければイチモトケンイチ会長が、例会日の朝に取りに来て会場まで運ぶ。会場が近ければ、僕が手に提げて持参をする。
今回の採点表には、その最上部に「2018.1012 第305回本酒会出品酒」の文字がある。例会は月に1回だから、305を12で割ると25.4。ただの飲み会でも四半世紀も続けば素晴らしい、という意識は僕にはない。他の会員も、また会長も同じではないだろうか。まぁ「ただ飲んでるだけ」である。
例会はいつも、19時30分に始められる。採点表と四合瓶4本の入った袋を提げて通用口から外へ出ようとしているところに取引先から電話が入る。その電話は意外や長引いた。日本酒を飲む会に日本酒を持つ人間が遅参をしてはまずい。電話は幸い、19時23分に終わった。よって余裕を以て今月の会場へと徒歩で向かう。
朝飯 筑前煮、大根のたまり漬、納豆、鮭の昆布巻き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、スクランブルドエッグ、メシ、大根と小松菜の茎の味噌汁
昼飯 「コスモス」のランチセットのスープとサラダ、豚の生姜焼き、ライス、デザート、コーヒー
晩飯 「魚登久」の先付け、松茸の土瓶蒸し、刺身盛り合わせ、烏賊と大根の炊き合わせ、会の予算により無理なお願いをしている鰻重、漬物盛り合わせ、赤だし味噌汁、4種の日本酒(冷や)
2018.10.11(木) 山の料理屋
運動会の季節である。僕の運動会の弁当は、おむすびと決まっていた。巻き寿司や稲荷寿司は甘いため、子供のころでさえ好まなかった。おむすびこそ僕の弁当の大本命である。おむすびは、朝に食べるのも、また好きだ。
「今朝はおむすびにしようか」と家内が言ったため、喜んで同意をした。味噌汁はいつも通りに僕が作った。おむすびは鮨とおなじく酒の肴になるから、夜に食べても悪くはないけれど、夜におむすびを食べた経験は、ほとんど無い。
夜は家族5人で小来川の和食屋「炉心庵」へ行く。古い農家を再生させた建物を持つこの料理屋は、夜はひと組の客しか取らない。人柄の良いあるじ夫妻には小さな子供がいる。よって当方は気兼ねなく孫を同伴できる。肝心の味は、とても良い。酒は隨分と安く感じられる。山の中にあるため、ウチからクルマで25分ほどかかる点を除けば良いことずくめだ。
そうして特に僕は「おまかせ」で頼んだ燗酒を相当にきこしめして「熊に注意」などという看板も立てられている山道を帰宅する。
朝飯 5種のおむすび、大根のたまり漬、豆腐と水菜の味噌汁
昼飯 カレーうどん
晩飯 「炉心庵」の其の一、燗酒「い」、其の二、其の三、其の四、燗酒「ろ」、其の五、其の六、燗酒「は」、其の七、其の八
2018.10.10(水) 「ガバナンス」は「統治」と言ってくれ
秋にタイの最北部から戻ると、初秋はおろか仲秋の空気さえ、既にして失われていた。つい数日前には台風25号の置きみやげのようなフェーン現象があり、列島の各所で30℃以上の気温が観測をされた。しかしそれは気温だけのことで、日は確実に短くなっている。
先週土曜日の夕刻、18時の閉店直前に駐車場に出て何気なく視線を上げると、国道121号線沿いの看板がいやに暗い。その瞬間、看板に時限装置着きの…と、その字面を眺めれば何やら物々しい、つまり「タイマー」という外来語を使いたくないからそう書いたわけだけれど、とにかく照明の電力通断機…これまた「スイッチ」という外来語を使いたくないからそう書いたわけだけれど、つまりタイマー付きの照明のスイッチを入れる時期が来ていたことに気づいた。
よって翌日の昼に、その看板の直下にある制御板の扉を開き、タイマーを設定した。今のところは16時から18時までの通電である。そうして夕刻を迎えると、当たり前のことながら看板の「日光味噌のたまり漬」の文字が闇に浮かび上がり、心は落ち着いた。
それはさておき、かつての植民地や多くの旧植民地では、高等教育の現場において、教科書は宗主国のそれをそのまま輸入して使われることが多いと、どこかで読んだ。つまり宗主国の言語の読み書きが自国語並みにこなせなければ、高等教育は受けられない、ということだ。
その仕組みは、外国語をひとつ強制的に身につけさせられる、という点においては優れている。しかし不便といえば不便、情けないといえば情けない。
日本では、明治初期の先輩方が頑張って外来語を日本語にしてくれた。しかし以降はその頑張りが弱まって、外国語をそのままカタカナで表すことが多くなった。何でも漢字にしてしまう中国語の文化圏に暮らす人たちが、なんとなく羨ましい。
朝飯 レタスとトマトのサラダ、鮭の昆布巻き、筑前煮、納豆、穴子の佃煮、大根のたまり漬、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 ジャガイモとレタスとセロリのサラダ、5種のパテ、パン、3種のソーセージ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、”TIO PEPE”
2018.10.9(火) 長持ちをさせる方法
お客様から商品の代金をお振り込みいただく銀行と、取引先に買掛金を振り込む銀行は異なっている。よって支払日が近づくと、いわゆる「移し替え」をする必要がある。他の用件にても銀行や郵便局を回る必要があり、そのために午前中の2時間ほどを費消する。「金の入ってくる銀行と、金の出て行く銀行を同じにしてしまえば楽ではないか」と言われれば、銀行にはそれぞれ利便性に異なったところがあるため、それはできないのだ。
午後、今年の4月から半年のあいだ履き続けた、メレルのジャングルモックをクリーニングに出す。そして昨年の9月から今年の4月まで履き続けてクリーニングに出し、仕舞っておいた、おなじくジャングルモックを下駄箱から出す。そして保革兼防水のスプレーを吹きつけた上で履く。こうして使えば靴は長持ちをする。しかし底は減る。ジャングルモックは底の張り替えが利かない。
紐を必要とせず、靴べらも使わず済む靴で、底の張り替えられるものがどこかにないか。あれば即、2足を買って、死ぬまでその2足を履き続けるだろう。
朝飯 細切り昆布の佃煮、梅干し、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、穴子の佃煮、塩鮭、大根のたまり漬によるお茶漬け
昼飯 「大貫屋」の塩チャンポン
晩飯 トマトエッグドロップスープ、洋風のおかずあれこれ、パン、チーズ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、2種のケーキ、”Old Parr”(生)
2018.10.8(月) 一日一食
きのうは22時を過ぎてビーフステーキを食べた。そのせいか、今朝はまったく空腹を覚えない。よって朝食には家内ひとりで行ってもらった。普段ならまったく考えられないことながら、9時45分までベッドにいて本を読む。
長男の結婚式のとき、驚いたのは、嫁の父親の時間管理の真面目さだった。「会場には〇時までにお集まりください」と係から言われれば、その30分前には服装を整え、待機をしていた。しかし僕はいつになっても、そのような余裕のある行動はできない。
今回は、ホテル内の写真館に10時30分までに来るよう言われていた。その時間に合わせて10時がちかくなってからシャツを着る。シャツは着られたものの、蝶ネクタイが締められない。仕舞いには「ホテルの中の写真館なら、美容師くらい、いるだろう」と高を括る始末である。
8階の部屋を出て3階の写真館には10時25分に着いた。こうしてどうにか間に合ってしまうから、いつまでも同じ行動を繰り返すのだ。
従姉妹の結婚式は、祝福のうちに、無事、完了した。披露宴では、”Louis Jadot”の”Meursault”をいささか飲み過ぎた。今日は一日一食で充分だろう。
部屋へ戻り、モヘアのタキシードから伸び縮みする短めのパンツと自転車用のポロシャツに着替えると、一気に身軽になった。家内は所用によりもう1泊をする。ひとりエレベータに乗ってロビーに降り、日比谷公園に面した車寄せから外へ出て、日比谷の駅へと向かう。
昼飯 帝国ホテルのバンケットルームの其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、”Lanson Black Label Brut”、”Meursault Louis Jadot”(醸造年までは確認せず)、赤ワイン(銘柄、製造年ともに確認せず)
2018.10.7(日) そろそろ紅葉狩り
日光の秋の繁忙は、体育の日が絡む、この週末から始まる。夏の猛暑から急に気温を落とした年の紅葉は美しいという。今年の秋は「急に気温を落とした」とは、いまだなっていない。関東南部を含む列島の各所は、きのうも今日も30℃を超えているのだ。
忙しく仕事をして18時に店が閉まる。キャッシュレジスターを締め、売り上げ金を金庫に仕舞う。iPhoneで調べたところ、東武日光線の上り特急はすべて満席になっている。19時と時間を指定してタクシー呼び、JR今市駅へ行く。そして19:10発の列車で宇都宮に出る。
東北新幹線「やまびこ156号」は、フェーン現象に伴う強風により、少し遅れてプラットフォームに入ってきた。その座席に落ち着き、東京駅にはやはり少し遅れて21時前に着く。僕ひとりなら山手線で有楽町まで行き、そこから歩くところ、今日は家内がいるためタクシーで帝国ホテルへと向かう。
銀座に出ても、飲食店は休みのところが多いだろう。時間も時間である。よってホテルの中の気楽な食堂にて、それほど高くないビーフステーキを肴にそれほど高くない赤ワインを飲む。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、温泉卵、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、塩鮭、大根のたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 チェンライのセブンイレブンで買ったインスタントラーメン「ママー」
晩飯 「帝国ホテルパークサイドダイナー」のアメリカ産牛肉によるステーキ、パン、“Wente Southern Hills Cabernet Sauvignon 2015”
2018.10.6(土) 帰国
足元の寒さに目を覚ます。時刻は2時30分だった。6月に、ハノイのノイバイ空港から乗った全日本空輸のビジネス席は暑かった。タイ航空の飛行機も、ビジネス席のある前の方は暑いのだろうか。眠りに就いてから3時間も経たないうちに目を覚ますことは避けたい。次からは必ず、脚に毛布を巻くことにしよう。
03:30 眠れないまま、朝食の配膳が始まる。その朝食はほとんど残した。きのうの離陸直後に配られた夜食には手を付けないまま、丸ごと返した。
04:55 定刻ちょうどに羽田空港に着陸。日本時間は6時55分。以降の時間表記は日本時間とする。
07:15 パスポートを自分で機械に読み取らせる式のパスポートコントロールを通過。
07:45 回転台からようやくスーツケースが出てくる。
07:47 羽田空港国際線ターミナル駅のプラットフォームに立つ。
07:57 京成高砂行きの車両が発車をする。
08:45 都営浅草線の浅草駅に到着。
9:00発の下り特急リバティけごん11号は満席だった。仕方なく9:08発のスペーシアけごん63号の切符を買う。タイ航空の、夜食はもとより朝食もほとんど口にしていない。しかし空腹は覚えない。地下鉄銀座線の乗り場に向かうところのドトールコーヒーでコーヒーのみ飲む。
下今市駅までは家内に迎えに来てもらった。そして午後より通常の仕事に復帰する。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 チェンライで麺のみ食べた「ママー」のスープによるうどん
晩飯 キャベツと人参とウィンナーソーセージのスープ、鶏とマカロニのグラタン、食パンその1、食パンその2、“TIO PEPE”、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、3種の葡萄
2018.10.5(金) タイ日記(11日目)
チェンライからバンコクに南下して、空気の蒸し暑さに驚いた。チェンライの気温は常時、23℃から高くてもせいぜい28℃あたりを維持していたように思う。それがいきなりの30℃超えである。それでも夜は、ホテルの廊下や他の部屋が冷えているせいか、自室に冷房を回す必要はなかった。
8時を前にしてタイパンツにゴム草履を引っかけ、外へ出る。そしてチャルンクルン通りを北に歩く。シーロム通りとの交差点手前左側にあるいつもの店で、汁麺を朝食にする。
北欧に住む人のように太陽に飢えているわけではない。しかし朝の雲は大きく裂け目を開き、地上には日が差している。にもかかわらず、部屋のベランダから遙か下に見おろすプールに人影は見えない。即、着替えてプールサイドへ行く。そしてここの寝椅子で2時間ほども本を読む。
昼は一旦、着替えて外に出る。チャルンクルン通りを朝とは反対の南へ歩き、左手にsoi57のパクソイを過ぎると、大きめの消防署が見えてくる。これを過ぎてすぐの左側に、好きなカオマンガイ屋がある。頼むのはいつも、茹で鶏と揚げ鶏を半分ずつごはんの載せたものだ。この店はスープも美味い。そのスープの、まるで鈴虫の鳴き声を思わせるような涼やかな香りのもとは何だろう。
午後は荷造りを早々に済ませ、ふたたびプールサイドに降りる。外に裸で寝転がって本を読むなどの贅沢は、今日を過ぎれば、すくなくともこの先半年は望めないのだ。
ホテルは16時まで居残れるレイトチェックアウトにしておいた。ベル係に荷物を預け、先ずは朝の汁麺屋ちかくのマッサージ屋で脚と肩のマッサージを1時間だけ受ける。これはまぁ、夕食までの、時間調整のようなものだ。
実は昨年、サパーンタクシンから舟でチャオプラヤ川を遡る途中、右手に掘っ立て小屋のようなバーのあることに気づいた。舟に乗るたび観察をする限り、バーはいつも白人で鈴なりだった。興味を惹かれ、ことしの3月、泊まっていたオリエンタルホテルから歩いてこのバーを探してみた。バーはチャルンクルン通りsoi42/1の突き当たり、シャングリラホテルの宿泊棟とペニンシュラホテルの専用船着場のあいだに見つかった。
マッサージ屋からチャルンクルン通りを西へと渡り、すこし南に下ってsoi42/1に入る。店はチャオプラヤ川の護岸を跨いで越えたところを板張りの床にしていた。その、川に突き出すようにして渡されたカウンターに着き、ハウスワインの白を頼む。日暮れ時の川風は爽やかだ。
ワインは1杯に留めてビールに換えるころ、いきなり、無数の雨滴が空から斜めに線を引いて、此岸と彼岸とのあいだに紗の幕を張った。更に、その幕はまたたく間に川面を渡り、僕のビールと空心菜炒めに襲いかかろうとしている。
肩を叩かれて振り向くと、店のオネーサンは早くも奥まったところに僕の席を作っていた。「カウンターの方が良かったのに…」などと逆らうことはできない。ビールと空心菜には早くも、細かい雨の粒が風を伴って盛んに降りかかっているのだ。「驟雨沛然とはこのことか」と、小さな浮き桟橋の向こうに煙るチャオプラヤ川を、新しい席からしばし眺める。
雨は、シンハビールの大瓶を飲みきるころには幸い上がった。そこここに水たまりのできたsoi42/1からチャルンクルン通りに出てホテルに戻る。そして預けた荷物を受け取り、BTSの駅サパーンタクシンへのエスカレータを上がる。
19:05 ナショナルスタジアム行きの車両が発車する。
19:30 パヤタイ駅では今日も、プラットフォームに上がる人数を制限している。
19:40 スワンナプーム空港行きの車両が発車する。
車窓から見える高速道路は、空港から街へ向かう路線も、また街から空港へ向かう路線も大渋滞をしている。金曜日の夜に、街と空港との間をクルマで移動することは避けるべし。これは、おととしの10月に得た教訓である。
20:10 スワンナプーム空港着。
20:30 チェックインを完了。
20:38 保安検査場を抜ける。
20:45 パスポートコントロールを抜ける。係官と旅客を隔てるアクリル板に”NO TIPS PLEASE”の張り紙をはじめて目にする。
21:29 指定された搭乗口D1Aに達する。外では強い雨が降っている。
22:46 空港ビルからバスで運ばれた先でタイ航空機に搭乗。
“AIRBUS A350-900(359)”を機材とする”TG682″は、定刻に32分おくれて23時17分に滑走路を離れた。
朝飯 チャルンクルン通りの通い慣れた汁麺屋のバミーナム
昼飯 チャルンクルン通りの通い慣れたカオマンガイ屋のトムトーパッソム
晩飯 “Jack’s Bar”のヤムウンセンムーサップ、パックブンファイデーン、ハウスワインの白、シンハビール
2018.10.4(木) タイ日記(10日目)
泊まっているホテルは、朝、掃除の際に500ccのミネラルウォーター2本を置いていく。しかしここにきた初日は暑く、計1リットルの水はたちまち飲み干された。よって正門前のセブンイレブンを訪ね「どうぜ8泊もするんだ」と、最も大きな1.5リットル入りのミネラルウォーターを買って戻った。
しかしその後は雨がち、曇りがちの涼しい日々が続き、また毎朝、僕からチップを受け取るメイドは、そのうち日に4本、計2リットルの水を置くようになった。
というわけで、初日に買った1.5リットルのミネラルウォーターには、ほとんど手を付けないままチェンライを去る。「格安だから」と大きな単位で物を買い、しかし遂に使い切れないという悪癖は、僕の宿痾である。
08:25 迎えのクルマがホテルに来る。
08:45 メイファールン国際空港に着く。
08:50 チェックインを完了。
08:55 空港内の郵便局から、きのう書いた13通の葉書を投函する。
09:05 空港内のドイチャンコーヒーでタイ北部最後のコーヒーを飲む。
09:10 保安検査場を抜けて搭乗口のある部屋に入る。
09:32 搭乗。
09:58 “AIRBUS A320″を機材とする”PG232″は定刻に13分遅れて離陸。
11:07 “PG232″は定刻より13分早くスワンナプーム空港に着陸。
11:34 回転台からスーツケースが出てくる。
11時40分に1階に降り、整理券を発行する機械から55番の紙を受け取る。55番レーンにタクシーを停めていた運転手に整理券を見せる。運転手は僕のスーツケースを丁寧にトランクに入れてくれた。
後席に乗り込み行き先を告げると、運転手はその場所をスマートフォンで確かめ「500」と英語で言いつつ振り向いた。「正規の乗り場から乗っても、こんなにトッポい運転手がいるのか」と、いささか呆れながら「メーター」と指示する。「メーターだと高速代がかかるけど」と、今度は前を向いたまま運転手が訊く。「いいよ」と僕は返事をする。
走り出して分かったことだが、整理券にある運転手の名前と、車内にある営業許可証の名前が違っている。運転手はせいぜい40歳代だろう。営業許可証の写真は、どう見ても年寄りだ。
12:00 最初の料金所で25バーツを運転手に渡す。メーターは161バーツ。
12:14 次の料金所で50バーツを運転手に渡す。メーターは203バーツ。
12:28 バンラックのホテルに着く。メーターは289バーツ。空港使用料の50バーツも含めて360バーツを手渡す。運転手は「コップンカッ」と礼を述べ、ホテルのベルボーイに指示されるまま、クルマをチャルンクルン通りへと向けた。
25バーツ+50バーツ+360バーツ=435バーツ。運転手の言い値で来るより昼食1回分ほどは得をした勘定である。
センターポイントシーロムのフロントでチェックインをしながら「部屋の用意ができますまで、15分ほどお待ちください」と言われて了承した。しかし実際の待ち時間は45分に及んだ。はじめ提示された18階の部屋は、いつのまにか4部屋しかない最上階のそれに格上げをされていた。館内の自動販売機で使えるクーポンも、カードキーに付けてくれていた。「どうせここはタイだ」と、大人しく待っていた僕への御褒美である。
その部屋に備えつけの洗濯機で、溜まった衣類を洗う。このホテルの洗濯機を使おうとするたび「オレは実は、かなり頭が悪いのではなかろうか」と自信を無くす。洗濯機の側に置かれた使用説明書が全然、理解できないのだ。たとえばその2番目に”Turn program select to Cotton Eco”と書いてあるにもかかわらず、洗濯機のダイヤルのどこを探しても”Cotton Eco”の表示は見あたらない。他の宿泊客がこの「トリセツ」を理解しているというなら、やはり僕の頭が悪いのだろう。
夕刻、帰宅途中の同級生コモトリケー君と、サパーンタクシンの船着場で落ち合う。そして彼の住むコンドミニアムの舟に乗る。11月9日に営業が開始されるというアイコンサイアムは左手に、いまだ建設の途上である。あるいはここもまた、はじめはタイ得意の「ソフトオープン」という形で開業をされるのかも知れない。
これまで何度となく訪れた、コモトリ君の家から目と鼻の先の”YOK YO MARINA & RESTAURANT”は、なぜか跡形もなく消え去っていた。今夜は、それよりすこし下流にある、もう1軒の”YOK YO MARINA & RESTAURANT”まで行き、いくつかの海鮮料理にて飲酒活動を行う。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、クロワッサン風のパン、エスプレッソ
昼飯 “PG232″の機内食
晩飯 “YOK YO MARINA & RESTAURANT”のオースワン、パックンガティアム、プラームックパッポンカリー、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)
2018.10.3(水) タイ日記(9日目)
この街の目抜きパホンヨーティン通りが金色の時計塔のある通りと交わる北西の角に、感じの良い喫茶店があった。そこで出すより美味いコーヒーを僕は知らない。その店が、昨年秋にチェンライに来てみると、忽然と消えていた。赤い土がむき出しになった跡地には、ビジネスコンドミニアムが建設される旨の立て札があった。
今回、街で情報を集めたところ、店は名を”THE WANDERER”と改め、コック川の対岸に移ったことが分かった。よってクルマを頼み、行ってみることにした。一度道を知れば、次からは自力で訪ねることができるだろう。
国道一号線からひとつ西にある橋を南から北へと渡り、間もなく左折、そしてまた左折、突き当たったら右折。しばらく行った左手の駐車場でクルマを降りると、鬱蒼とした森の中に小径があった。雨は上がりつつあり、薄日が差しはじめている。小径は予想したよりも長かった。その先には記憶のある喫茶店よりはるかに規模を大きくした、しかし「なるほど雰囲気は確かに、こんな感じだった」という空間が広がっていた。
注文は、入口を入ったところのメニュを見て決める方式に変わっていた。今日はこの店のケーキを昼食としても構わないと考えていたところ、メニュには新たに、ランチの数々が加わっていた。よってその中から一品を選び、席に着く。
ほどなくすると停電になったため、窓際の明るい場所に移る。そして食事を済ませた後は、ことし届いた年賀状や暑中見舞いに返事を書く。
敵が送ってくる季節のハガキは、機械で印刷をされたものに、ほんのひと言が手書きで添えてあるのみ。それに対して当方は、すべて手書きで応戦をするのだ。敵の物量には敵うわけもなく、13枚を書いたところで右手がこわばり、続行は不可能になった。
「あとは明日だ」とボールペンを置き、席を立つ。この店に入ってから2時間ちかくが過ぎていた。
午後はホテルのプールサイドに降り、本を読む。上半身はパラソルの影に隠れているものの、脚は日の光に曝され、耐えがたいほど暑くなる。そのたびプールに入って泳ぐことを繰り返す。
17時ちかくにホテルの裏口を出て西へと歩く。その道がパホンヨーティン通りと交わる南東の角のマッサージ屋”PAI”で、脚と肩のマッサージを1時間だけ受ける。そのマッサージが終わろうとするころ、テレビからは国王賛歌が流れ始めた。
雨がまた降り始めている。ことしのチェンライには雨が多い。お茶屋やイタリア料理屋やマッサージ屋の軒先を伝って北へと歩く。ナイトバザール奥のフードコートには、きのうより多くの雨除けテントが置かれていた。今夜はチェンライ最後の夜だ。ラオカーオのソーダ割りは、きのうに増してゆっくりと飲んだ。
ホテルには20時前に戻った。そしてシャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、エスプレッソ
昼飯 “THE WANDERER”のグリルドチーズサンドイッチ、ダブルエスプレッソ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、パッシーユームーサップ、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)
2018.10.2(火) タイ日記(8日目)
夜半から降り始めたと思われる強い雨は、明け方になっても一向に止む気配を見せなかった。ベランダへの戸を開いたまま、きのうの日記を書く。小一時間ほどが経つと、やおら、鳩が鳴き交わし始めた。雨はほとんど上がったらしい。
食堂棟は、僕のいる本館とは目と鼻の先にあるとはいえ、濡れながら走る気はしない。その食堂棟から出て大型バスに乗り込もうとしている団体客は、傘を差していない。それを確認してから40段の階段を降りて、食堂棟へと向かう。
団体客は、明るいうちは、いわゆる「首長族」の村や黄金の三角地帯、にわか作りでも観光名所になりうることを証明したこの街のドル箱「白い寺」などを回れるだけ回り、大きなレストランで夕食の後、ホテルに来るものと思われる。そして夜が明ければ6時30分から朝食を摂り、7時30分に出発をしていく。このことにより、日中のホテルはとても静かだ。
その静かなホテルで本を読む場合、僕にはプールサイドが最高の場所となる。しかし今日の空はいつまでも晴れず、気温は低い。だったら本は部屋で読むかといえば、それもつまらない。もうひとつ、持参した服の数は最小限で、今日はまた洗濯屋へ行かなくてはならない。
先週の金曜日に使った洗濯屋へ行くと、オカミは留守らしく、亭主はどうも「3日間は休み」と言っているらしい。すこし離れた洗濯屋へ向かう。こちらは料金こそすこし安いものの、できあがるのは明朝だという。そう言われても、預ける以外に方法はないだろう、現在、僕はきのうとおなじシャツを着て、下着はもはや着けていない状態なのだ。
洗濯屋から大きな通りに出て、そこからシリコーン市場へと入って行く。先週の水曜日にトムセーップを飲んだイサーン料理屋では、鉄の炉に炭火を熾し、鶏や魚や豚肉を焼いていた。その、豚のロース肉の照り焼きで白ワインや軽めの赤ワインを飲んだらどれほど美味かろう。しかし旅先では、それが中々ままならないのだ。
その真ん中に標識が立てられ、あるいは木の植えられた、だから本来の機能を果たすことは永遠にあり得ないタイに特徴的な歩道を辿って街を往く。途中、観光客を集めるお寺の前を通るも、お寺の名前は分からない。
この街に来た火曜日に休みだったおかずメシ屋「シートラン」は、今日も休みだった。そこから金色の時計塔に向かって1軒目か2軒目のやはりおかずメシ屋で、僕としては多めの昼食を摂る。今日は午前中にすこしばかり頭を使うことをしたため、腹が減っていたのだ。ホテルに帰る道すがら、いつもの酒屋でラオカーオ2本を買う。
午後はマッサージ屋”ARISARA”に電話を入れ、先週の木曜日に強烈な施術を施してくれたプックさんを予約する。カタカナで書けば「プック」なのだろうけれど、その発音は難しい。「ピーオーオーケイ」と、ローマ字による表記も併せて太ったオカミには伝える。
ふたたび降り始めた雨の中、傘を差して”ARISARA”へと向かう。今日はオイルではなく2時間のタイマッサージを頼んだ。プックさんは、僕の尻の上の方や膝の裏にある、1円玉か10円玉ほどのコリをたちまち探し出し、それを鍛え抜かれた親指や肱で責めていく。その痛みに思わず体を震わせると「ここはツボなのだ」というようなことをプックさんは言う。そんなことは分かっている。当方はただ、耐えるばかりである。
“ARISARA”を去るころには、雨は止んでいた。昨年の秋に使った、チェンライとチェンコンを往復するバスとすれ違いつつホテルに戻る。
ナイトバザールの奥のフードコートの椅子は、雨の溜まらないよう、すべて傾けて置かれていた。その野天のテーブルは避けて、屋根の下の席に着く。そして初日の晩以降は食べていなかったチムジュムを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。
いつもとは異なった道を選ぶと、大きめの器に満杯のパイナップルを10バーツで売る屋台があった。チェンライで収穫されるパイナップルの美味さは、タイ人の中でも有名らしい。しかし悲しいかな、たとえ美味くて安くても、それだけ沢山のパイナップルを僕は食べられない。
部屋に戻ってシャワーを浴びる。そして即、寝台に上がって明かりを落とす。時刻は20時を回ったばかりだ。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、エスプレッソ
昼飯 イスラム寺のあるsoiとバンパプラカン通りの角から金色の時計塔に向かって2軒目か3軒目のおかずメシ屋の2種のおかず、豚のあばら肉とニガウリのスープ、ライス
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)
2018.10.1(月) タイ日記(7日目)
午前中はほとんどプールにいて、本を読む。この2日間ほどは、地元の家族が水泳の指導者と共にこのプールに来て、ふたりの子供に熱心に水泳を仕込んでいる。よって僕の泳ぐ隙がない。まぁ、贅沢は言えない。
午後はクルマを頼み、後学のため、この街の高級ホテル2軒を調べる。
昨年まで泊まっていた”Dusit Island Resort”の上流対岸に見える”Wian Indra Riverside Resort”は、公共部分の、高い天井を持つ、木と漆喰によるコロニアル風の造作が魅力だ。しかし、これは日中の強い日差しを避けるための、南の国に共通のことだから仕方がないのかも知れないけれど、部屋は薄暗く、陰気だった。
もう1軒の、アシスタントセールスマネージャーが案内してくれた”Le Meridien Chiang Rai Resort”は、とにかく”cool”だ。上級職は制服ではなく、スマートカジュアルの私服を着ている。しかし街までは前者のホテルとおなじく歩いては行けず、恰好ばかりで飲みづらいグラスにすこしだけのアイスコーヒーは、街で食べる汁麺の5倍以上の貨幣を要求する。金に糸目を付けず、このホテルの中でのみ楽しむ覚悟さえ決まれば最高の環境だろう。
ホテルに帰ってふたたびプールサイドに降り、本を読む。
ホテルの正門はす向かいに大きな食堂のあることは、おととい朝の散歩のときに気づいていた。日が落ちてから出向くと、そこはムーカタ屋だった。しかしすぐ脇にはおなじ系列の、普通の食堂もある。よってその腰かけに落ち着き、イサーン風のおかずにて飲酒活動を行う。注文した3品の合計金額は、しつこいようだけれど、メリディアンのアイスコーヒー1杯よりも、よほど安かった。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、エスプレッソ
昼飯 名前を知らない食堂のカオソーイ
晩飯 名前を知らない食堂のソムタムタイ、ガイヤーン、ヤムウンセンムーサップ、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)


































































































































