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清閑 PERSONAL DIARY

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2019.9.30(月) 秋刀魚だけは

朝、7時20分に如来寺のお墓へ行き、彼岸の入りに家内が供えた花を片付ける。花立てや線香立て、またその周辺は水で洗い、墓石は固く絞ったタオルで拭く。親戚のお墓の花立てもまた水場で洗うと、時刻は7時50分を過ぎた。早く戻らなければ8時の朝礼に間に合わない。ズボンの後ろのポケットに入れた手拭いは、拭った汗により、既にして湿り気を帯びている。

朝礼を済ませた後に、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と検品をするため、ふたたびホンダフィットの運転席に座る。如来寺と道の駅は指呼の距離にあるにもかかわらず、出たり入ったりでは時間に不合理を生じる。次の機会には、お墓の掃除をもうすこし早くから始めるべきだ。来春の彼岸までに、それを覚えていられるだろうか。

日中は遠くの人と、スカイプを用いて話し合いをしたりする。夕刻、晩ごはんのおかずは秋刀魚と伝えられて喜ぶ。季節の食べ物はいろいろとあるけれど、そのうち「食べないわけにはいかない」と考える唯一が、秋刀魚である。昨年から不漁の伝えられている秋刀魚を食べるのは、今年は今日が初めてだ。

そうして夜は、その秋刀魚の塩焼きを肴に、お酒についてはどうしようかと考えたが、結局は芋焼酎をソーダで割る。


朝飯 ほうれん草の胡麻和え、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、絹さやを添えた巻湯波の淡味炊き、エノキダケと三つ葉の酢の物、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布とトマトの味噌汁
昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮蕎麦
晩飯 秋刀魚の塩焼き、南瓜の煮付け、刺身湯波、ほうれん草のおひたし、大根の味噌汁、、「西酒造」の芋焼酎「宝山」(ソーダ割り)


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2019.9.29(日) コシヒカリの収穫

既にして目は覚ましていたが、5時に設定しておいた目覚ましの音と共に起床する。そして白衣に着替えて製造現場へ降り、早朝の仕事に従う。また日常が戻ってきた。

今日は隠居で朝食の会が開かれる。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と検品、納品、そしてまた朝食の会の準備により、朝のうちから手拭いが、干さなければならないほど汗で濡れる。10月が間近に迫っても、気温はそれほど下がらない。

気温の高いところで動くと汗をかく。汗をかくことは不快でも、気温は高い方が好きだ。秋の冷涼は気持ちが良い。気持ちが良くても秋は何やら寂しくて好きではない。不快でも好き、心地が良くても嫌い、この不思議な好き嫌いの感情は、いろいろなことに当てはまることだと思う。

16時より、各町内の自治会長、神社総代、宮司、責任役員を集めての「当番町を考える会」の話し合いのため、東町の公民館におもむく。会議の直前に電話が鳴って、今年度に仕込む味噌「梅太郎」のためのコシヒカリを本日、収穫したとの知らせを契約農家から受ける。気温はなかなか下がらなくても、収穫の秋は始まっているのだ。


朝飯 ほうれん草のおひたし、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、胡瓜のぬか漬け、塩鮭、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ茄子と茗荷の味噌汁
昼飯 3種の佃煮、揚げ茄子、梅干し、塩鮭、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
晩飯 マカロニサラダ、大根の味噌汁、刻みキャベツとトマトを添えた鶏の唐揚げ、”ABSOLUT VODKA”(ソーダ割り)、カステラ、”Old Parr”(生)


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2019.9.28(土) 帰国

通路を人が行ったり来たりする気配で目を覚ます。膝の上には、袋から出したまま広げていない毛布、身のまわりのものを納めたポーチ、そしてきのうの夜に配られたらしいサンドイッチとミネラルウォターの袋が載っている。座席の背もたれは立ったままだ。多分、ラオカーオの酔いにより、席に着くなり眠ってしまったのだろう。時刻は2時50分。熟睡ができなかったことにより、気分は当然、良くない。

3時に配られた機内食は、果物のみを食べて他は残す。機は土佐沖を東北東へ飛んでいる。

“BOEING747-400″を機材とする”TG682″は、定刻より28分はやいタイ時間04:27、日本時間06:27に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

07:08 回転台から荷物が出てくる。
07:12 税関を通過。
07:16 エアポート急行高砂行きの車両が羽田空港国際線ターミナルを出発。
08:00 都営浅草線の浅草に着。

さてここまで来たら朝食を摂らなくてはならない。それには現金が要る。よって貴重品入れの封筒を調べると、そこに保管していたはずの日本円が無い。「そんな馬鹿な」と狐につままれた気持ちのまま地上に出る。どこかにPASMOの使える店はないか。目に飛び込んできた「松屋」の扉を引いて、中のオニーチャンにPASMOが使えるかどうかを訊ねても、その手のことには詳しくないらしい。自動販売機に近づくとSuicaの表示があったので「だったらパスモでも大丈夫だろう」と確信して食券を買う。

浅草08:30発の下り特急の車内に落ちついて、ふたたび日本円を探す。日本円は何と、きのうまで使っていた財布の中にあった。財布からタイバーツを抜いて専用の封筒に収め、別の封筒から日本円を取り出して先ほどのサイフに収める。それを僕は、きのうスワンナプーム空港の搭乗口で済ませたらしい。この記憶の無くしようもまた、ラオカーオの酔いによる。

「搭乗にはシラフで臨むべし」との信念は、日本を発つときには守れても、タイから帰るときには守れない。タイでの最後の夕食に、酒を欠くことはできないからだ。

家内の運転するホンダフィットにて帰社し、荷物整理の後に着替えて仕事に復帰する。


朝飯 “TG682″の機内食「松屋」のオリジナルカレー、生野菜、生玉子
昼飯 3種の佃煮、梅干し、塩鮭、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
晩飯 刺身の盛り合わせ、巻湯波とほうれん草の淡味炊き、鶏のそぼろ豆腐、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、薩摩芋と小豆の甘煮、「原酒造」の「越の誉無濾過生原酒大吟醸」(冷や)


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2019.9.27(金) タイ日記(9日目)

目を覚ましてからしばらくしてサイドボードにiPhoneを手探りし、見ると時刻は5時26分。僕としては、異例に遅い目覚めである。6時より部屋の洗濯機を回す。

朝食は、ホテルとバンラック市場のあいだの、いわば場外のようなところにあるクイティオ屋台でバミーナムを食べる。このあたりの汁麺屋では、ここがいちばん美味い。ルアットムー、つまり血豆腐のバケツを指し所望すると、オヤジはニコリともせず、それをふたつ麺に載せてくれた

8時25分よりプールサイドに降りて、日除けの傘を開く。そして寝椅子で本を読む。チェンライの”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”のプールでは、週末に水泳教室が開かれて、子どもの声が賑やかだった。しかしその賑やかさは、決して気になるものではなかった。ところが今日のプールに後から来た複数の親子連れの、親の方はどうにもうるさい。可愛さ故のことなのだろうけれど、ああしろ、こうしろと、水の中の子どもにやたらに指示を飛ばす。どこの国の、どこの地域の言葉かは分かりかねるが、声も大きければ、その発音も柔らかさを欠いている。「こりゃぁダメだ」と、10時45分に部屋に戻る。

ところでこのホテルでは、きのう来たときからシャワーは水しか出ない。今朝、それを1階のレセプションに伝えると、フロント係は即、受話器を取ってどこかの部署にそれを伝えてくれた。しかしプールから戻っても、シャワーは改善されていない。あるいは係は、洗面所にお湯が出ることを確認して「なんだ、出るじゃねぇか」と、シャワーまでは調べずに引き返したのかも知れない。ここはタイである。

昼は、チャルンクルン通りをサパーンタクシンの高架下から南に下った消防署のとなりの店で「茹で」と「揚げ」の双方を載せたカオマンガイを食べる。この店のスープは、まるで鈴虫の声のような香りがする。「鈴虫の声のような香りとは、どのような香りか」と問われれば「消防署の隣のカオマンガイ屋のスープの香り」としか答えようはない。

社員に土産を買ったりコモトリ君から土産をもらったりしたものの、スーツケースの中身は来るときより小さく収まって安心をした。夕刻、そのスーツケースを曳いて外へ出る。6月にタクシーを拾って渋滞に巻き込まれた失敗は繰り返さない。そしてBTSでトンローまで移動をして、オースワンを肴に今回の旅における最後の飲酒活動をする

トンローから乗ったBTSをパヤタイでエアポートレイルリンクに乗り換え、21時前に空港に着く。

21:02 チェックインを完了。
21:20 保安検査場を抜ける。
21:34 パスポートコントロールの指紋読み取り機が、6月の訪タイ時に引き続いて、僕の指紋をまったく読まない。ちなみに羽田空港の指紋読み取り機も、僕の指紋には反応しない。

「こんな指紋押捺制度は止めちまえ」と思うが顔には出さない。そして目の前の係官に「私の指はとても乾いている」と、ニヤニヤしながら言う。「ハッ、ハッ、ハッ」と軍服のような制服を着たオジサン係官は声を上げて笑いつつ、裏手から女の人を呼んだ。その女の人が、ガラス板に押しつけた僕の指を、更に上から押さえつける。僕の両手の指10本の指紋は、ようやくタイのどこかのデータベースに登録をされた。僕の後ろに並んだ数十人は、さぞかし胸をなでおろしたことだろう。

D1Aの搭乗口に向かう途中、チェンライで買った社員へのお土産とおなじものが3.9倍の値段で売られている。搭乗口が見えてくるあたりの自動販売機で、街で買うより10倍ほども高い40バーツのミネラルウォーターを買う。

搭乗口からバスで運ばれた先で、飛行機へのタラップを上る。時刻は23時35分。その4分後に69Jの席に着く。以降の記憶は、無い。


朝飯 チャルンクルン通りソイ46を西に入って右側のクイティオ屋台のバミーナム(トッピングのルアットムーは特注)
昼飯 “Meng Pochana(Lek)”のカオマンガイ(トムトーパッソム)
晩飯 “55 Pochana”のオースワン“ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.9.26(木) タイ日記(8日目)

チェックアウトを済ませてロビーのソファで休んでいると、エレベータの「開」ボタンを押す係のオジサンが、わざわざ挨拶に来てくれた。来年もまた、このホテルを訪れることができれば幸いである。

やがて迎えのタクシーが来て、ベルボーイがスーツケースをそのタクシーに運ぶ途中で、8時の時報のカウントダウンが、庭のどこかに設置されているらしいスピーカーから鳴り始めた。8時ちょうどよりそのスピーカーから国王賛歌が流れ始め、我々は直立をしながら、その曲の終わりを待つ。「またいらっしゃってください」とベルボーイが言う。「また9月ね」と僕は答えつつ「ことによると次は3月かも知れない」と考える。

緑濃い崖下の道に、朝日が斜めに差す空港には8時20分に着いた。スーツケースの鍵が壊された経験によるものか、これまで気づかなかった、AOTのエアポートセキュリティがチェンライの空港にもあったことを知る。初日にこの空港でスーツケースを受け取り、タクシーの切符を買う前に鍵のことに気づいていれば、真っ先にここを訪ねていただろう

実はチェンライに入って何日目かに、バンコク在住の同級生コモトリケー君より電話が入り「日記で画像を見たけれど、その鍵の壊しようは空港の検査などではなく盗人の仕業だから、スワンナプーム空港に着いたら即、ツーリストポリスに申し出ろ、荷物の仕分け場には監視カメラがあるはずだから、犯人は特定できるはずだ、お前のように泣き寝入りをするヤツがいるから、こういうことが絶えないのだ、徹底的に騒げ」という意味のことを言われた。しかしここは、ほとんどのことにタガの外れたタイで、しかも僕は時間が惜しい。しかしまぁ、バンコクに着いたら、とりあえずは空港内の警察を訪ねてみよう。

きのう書いたハガキを出そうと、空港内の郵便局が開くのを待っていたが、9時を過ぎてもシャッターは閉まったままだ。よって9時10分に保安検査場へ向かう。搭乗口は、ボーディングパスにある9時15分ちょうどに開いた。”AIRBUS A320″を機材とする”PG231″は、定刻より2分はやい9時43分にチェンライの空港を離陸。そしてバンコクには定刻より25分も早い10時50分に着陸をした。

回転台から出てきたスーツケースを曳いて、先ずは4階Wカウンター奥の郵便局を訪ねる。15バーツの切手15枚を買って、きのう書いた葉書に貼る。そしてそれを局員に手渡す。次は5階の到着階に戻り、ツーリストポリスの扉を押す。

「スーツケースを壊されました。東京からチェンライまでのあいだに、です」
「東京を発ったときの航空会社はタイ航空ですね、すぐ近くですので、そちらの事務所でお訊ねください」

そこでタイ航空の事務所でおなじことを伝えると「チェンライに着いたときの航空会社はバンコクエアウェイズですね、すぐ近くですので、そちらの事務所にお回りください」と言われて「やっぱり」と、可能な限り早く街へ出るべく、下りのエスカレータに乗る。惜しいのは時間である。スーツケースの修理に保険金など出なくても良いではないか。しかしまぁ、僕の性格に粘りの無いことも、また事実である。

12:11 エアポートレイルリンクの車両が空港を出発。
12:40 パヤタイ着。
12:50 BTSスクムビット線の車両がパヤタイを出発。
13:07 シーロムで乗り換えたBTSシーロム線の車両がサパーンタクシンに着。
13:13 定宿のセンターポイントシーロムに着く。

「リピートのお客様でいらっしゃいますよね、私、お顔、覚えています」と、エレベータの中でベルボーイは口を開いた。

「チェンライは寒かったですか」
「ちょうど良かったよ」
「バンコクは雨ばかりです」
「それは夕立?」
「いえ、時を選ばず、です」

ベルボーイは「バンコクは雨ばかり」と言っていたけれど、そしていまタイは雨期ではあるけれど、空は今日も晴れている。今回の僕は、こと天気に限っては、運が良いのかも知れない

服を着替えて、先ずはホテルの前のチャルンクルン通りに出る。そしてバンラック市場の入口にある食器屋を覗く。シーロム通りとの交差点で向かいの歩道に渡り、ふたたび南へ戻る。お粥の「ジョークプリンス」は、これまでの路地からすぐ左手に実店舗を構えていた。ここの店主のオネーサンは、中華系タイ人としては異例に笑顔が良い。

そのまま歩いて、何年か前にステンレスのコップを買った「泰成發」で、おなじものを買う。愛用していたそれは、何日か前にチェンライのフードコートに置き忘れたらしく、紛失をしていたのだ。屋台やフードコートで出されるプラスティック製のコップが気に入らないゆえの持ち物である。

夕刻にコモトリ君とサラデーンで待ち合わせ、シーロムまで移動をして、食事を共にする。帰りはコモトリ君の会社のクルマでサラデーンまで送ってもらい、BTSに乗ったは良いものの、眠りこけて終点のバンワーで、あれは乗客だったのか駅員だったのか、とにかく女の人に起こされた。そしてサパーンタクシンまで戻り、財布やカメラやiPhoneを入れた手提げと共に、無事、ホテルに帰る。


朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 “PG231″の機内食
晩飯 「紅灯籠」の酸辣土豆絲清炒蝦仁回鍋肉腰花炒芹菜時菜炒麺ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.9.25(水) タイ日記(7日目)

窓の外でイモリが鳴いている。イモリが泣き止んでしばらくすると、鳩が啼き始める。夜の明ける知らせである

この街での滞在中に土曜日を迎えると、夜はほとんどサタデーマーケットに出かけていた。ウッタラキット通りに並ぶ露店は数え切れないほど多く、公園に集まった市民たちは、その露店で買ったあれこれを食べ、飲み、舞台ではいつものオジサンが達者な歌を聴かせ、その歌に合わせて市民たちは輪になって踊る。それはそれは壮観な眺めで、日本全国の観光協会は、この、毎週末に開かれる庶民の宴を、通訳を仕立てて見学に行くべきと思う。しかし今年はその場所へ行かなかった。多分、体力の衰えによるものと思う。”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”から往復3キロの道を歩く気力が湧かなかったのだ。

いま泊まっている”THE RIVERIE BY KATATHANI”はコック川の中洲に建つ立地により風景は絶佳ながら、街の中心部まではやはり1キロ半はある。昨年までは、昼食を摂るためだけに往復3キロを歩いていた。しかしサタデーマーケットについてとおなじく、今やそれだけの距離を歩く気はしない。

きのうに引き続いて今日も、朝は多めに食べておく。ドゥシットからカタタニになって消えたとばかり思っていたネルドリップ式のコーヒーは、食堂の奥に健在だった。10時35分から16時10分までプールサイドにいる。そして本を読み、泳ぎ、今年いただいた年賀状に返事を書く。先方は印刷だから楽でも、こちらは手書きだから大変に苦しい。ようようの思いで15通を書き上げたところで遂に根を上げる。多分、数千文字は書いただろう。右手の指は、棒のようになっている。

きのうより1時間はやい5時のシャトルバスで街に出る。運転手に帰りの時間を訊かれて「今日は自分で帰ります」と答える。そして先ずは、目抜き通りの床屋に入る。バリカンで髪と髭を短くし、洗髪と耳掃除を含めて料金は260バーツ

そこから、バンパプラカン通りとイスラム寺のある道の角にある、先週の土曜日にも来たぶっかけメシ屋まで歩き、おかず2品を選ぶ。ソーダの用意は無いというので、隣のセブンイレブンで買って戻る。席に着いて間もなく、西側のシャッターが降ろされる。驚いて訊くと「どうぞごゆっくり」と、サモア人のように大きなあるじはにこやかに答えてくれた。若い店員たちは奥のテーブルに、まかないによる夕食の準備を始めつつある。できればこののんびりとした空気の中に、3ヶ月ほどはひたっていたい気分だ

時計塔から北に延びる道の、例の酒屋”PHORN STORE”で、先日とおなじラオカーオを買う。そしてその袋を提げて、ナイトバザールの先のマッサージ屋”PAI”で2時間のオイルマッサージを受ける。日焼けによりひどく乾燥した肌には、いくらかでも油を染み込ませた方がよろしいのではないか。マッサージ代は600バーツ、オバサンへのチップは100バーツ。最後にナイトバザールに立ち寄って、社員への土産を買う。

ホテルまでのトゥクトゥク代は、ここ数年かわらない100バーツ。ホテルの名は、旧名の「ドゥシッ」の方が通じやすいと街では聞いていたものの、運転手はタイ風に語尾を上げて最後に下げる英語で「リバリー?」と僕に確かめた。次回からは、僕もそのように言うことにしよう。

トゥクトゥクの切る風には、涼しさを通り越して寒ささえ感じた。部屋には21時35分に戻った。折角のオイルの膜をぬぐい去らないよう、更には夕刻からの涼しさにより汗をかいていないこともあって、シャワーは浴びず、すぐに就寝する。


朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一其の二其の三其の四
晩飯 「シークラン」の2種のおかず、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.9.24(火) タイ日記(6日目)

きのうの就寝は22時だった。よって今朝は「3時台の起床」というわけにはいかなかった。きのうの日記を書かないまま部屋を出る。エレベータの扉が開くと、早くもいつものオジサンがいた。よって挨拶をしながら、一緒に写真に収まってもらう。朝な夕なにロビーの片隅に立ち、エレベータの「開」ボタンを押すだけで何十年もメシを食べているオジサンは、多分、このホテルには欠かせない存在なのだ。こういう人は、AIの時代になっても職は失わない。

以前と変わらない、広い階段を降りて朝食の会場へ行く。テーブルはもちろん、外のそれを選ぶ。中身を選んで注文する式のオムレツと、ネルドリップによるコンデンスミルクのたっぷり入ったコーヒーが消えたのは残念だ。ベーコンと野菜の味は変わらない。

食後にきのうの日記を完成させ、諸方への連絡を済ませると、時刻は10時を過ぎていた。11時ちかくにプールサイドに降りて15時まで本を読むことと泳ぐことを繰り返す。朝に充分以上を食べているから昼食の必要は無い。部屋に戻って鏡の前に立つと、傘の下にいたにもかかわらず、顔まで日焼けをしていて驚いた。日除けからはみ出しがちの脚には、明日はサンオイルを塗る必要があるように思う。

きのうとおなじ18時のシャトルバスに、客は僕ひとりだけ。ナイトバザールの入口に着いたところで運転手が後席を振り向いて「何時の便でお迎えに上がりましょうか」と訊きつつ”except seven fifteen.”と添える。部屋の案内には19時の便もあるように書いてあったものの、その時間の運行は廃止をされているのだろうか。「だったら20時15分に」と答えてワゴン車を降りる。

いつものフードコートでの飲酒活動の最中に、白い花で作った首飾りを少女が売りに来る。価格は10バーツ。即、これを買って首にかける。僕は50バーツの焼きそばを食べている。ならば300バーツの鍋を食べているオヤヂ連中は、5本も6本も買ってしかるべきだ

食後はナイトバザールを抜け出し、きのうとおなじく”PAI”で1時間の足マッサージ。オバサンには60バーツのチップ。20時15分発のバスは、僕を乗せると20時12分に走り出した。タイではありがちなことだ。部屋に戻ったのは20時22分。シャワーを浴び、コンピュータとiPhoneを電源に繋いでから就寝する。


朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一其の二其の三
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのママーパッキーマオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.9.23(月) タイ日記(5日目)

きのうの日記を書いていると、鳩の声が聞こえてきた。時刻は5時50分。新しい蚊取り線香に火を点け、ベランダへの戸を開く。雨期とはいえ、雨は数日前に一瞬、気まぐれにパラついたのみだ。朝食の前に、荷物をまとめておく。

今朝のフロント係は丸メガネをかけた、愛想が良くて英語の上手なオネーサンだったので嬉しかった。11時前にチェックアウトをする、そのとき荷物を預かって欲しい、そして13時30分にタクシーを使いたい旨を伝える。行き先については「ドゥシッ」と答える。

今回でのべ11回目の宿泊になるそのホテルは昨年、それまでの”Dusit”から”Katathani”に経営が移った。それでもいまだ「ドゥシッ」の方が理解されやすいと、街では聞いた。「あ、あそこの」と、それらしい方向を差してオネーサンが理解を示したので「カタタニー、チューカオペンドゥシッ」と言うと、ロビーにいた警備とベルのふたりのオニーチャンも「ウンウン」と頷く。

ひと安心をして7時50分にプールへ行く。「9時から20時まで」の金色のプレートには今朝はじめて気がついた。しかし誰にも何も言われない。寝椅子に仰向けになると、きのうより更に欠けた月が天頂ちかくに上がっている。鳩がふたたび啼き始める。

iPhoneに設定した10時のアラームが鳴る。ロビーから40段の階段を上がって3階の部屋に戻る。そして着替えて荷物を持ってロビーに降りる。チェックアウトをして、ふたつの荷物を預け、裏の柴折り戸から外へ出る。

先週の金曜日に、街の中心部で自転車を借りた。いま泊まっているホテルのちかくに貸し自転車屋のあったことは、その後に知った。その”BAMBOO TOURS”で自転車を借りる。1日分の料金は80バーツ。先日の自転車よりも整備の状態は良い。自転車を借りたのは、これからタクシーが迎えに来る13時30分までの時間を効率よく使うためだ。

10:50 「アリサラ」に着く。そして「3回は必要」とプックさんに言われた施術の3回目を受ける。オイルマッサージ2時間の料金は1,000バーツ、プックさんへのチップは3回とも200バーツ。おとといの痛みがいまだ左腕に残っていたので、今日はその二の腕を指しながら”this sen is jep yet,so today,baobao krap”と、英語とタイ語の入り交じった妙なことばで手加減を要求した。プックさんは快諾をしてくれたが、拷問のように強い揉みの方が、終わってみれば効いた気はする。僕も勝手なものだ。

13:01 「アリサラ」を去る。
13:06 「カオソイポーチャイ」にすべり込む
13:11 バミーナムニャオが席に運ばれる。
13:20 バミーナムニャオを食べ終える。
13:23 役人の一団により満席になった「カオソイポーチャイ」を去る

13:25 歩けば10数分はかかる距離を2分で走りきって”BAMBOO TOURS”に自転車を返す。
13:28 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”のロビーへの階段を駆け上がる。
13:35 タクシーが来る。荷物を運んでくれたベルボーイ、タクシーのドアを開けてくれた警備係に、それぞれ20バーツのチップを手渡す。タクシー代は、メーターを使わずの100バーツ。
13:45 懐かしい崖下の道を抜けながら、タクシーが”THE RIVERIE BY KATATHANI”に到着。部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイには50バーツのチップ。
14:05 スーツケースとザックから必要なものを出して部屋の各場所に置く。

焦げ茶色の家具と漆喰の壁による、よくいえば重厚、悪くいえば古くさく感じられたドゥシット時代の部屋は、全体に白いクロスが貼られ、家具類にも白が多用されて、一気に新しく、そして明るくなった。棚や引き出しと一体になった大時代的な机は消えて、その場所には大きな荷物置きのための台が置かれた。机を撤去したとは「仕事などせず、リゾートに徹しろ」ということなのだろうか。洗面台は広くなり、しかしそれに押し出される形で便器はシャワーブースのあったところに、そのシャワーブースはバスタブのあったところに追いやられて、バスタブは消えていた。窓からの景色は、相変わらずの絶佳ぶりである

14時50分からプールで本を読む。ロビー階からプールサイドに降りていく大階段は、新設された売店とキッズルームに場所を取られて狭くなっていた。プールの形は以前とほぼ変わりはないが、プールサイドからプールの底に至るまで、タイルやコンクリートは貼り替えられ、塗り直されている。プールの一角にには東屋と子どものための大規模な遊具、その向こうには鐘楼が設けられ、ドゥシットの最後のころには客のあいだで取り合いになっていた日除けの傘も、今は充分に用意がされている

16時50分に部屋に戻って館内の案内を読む。「経営が変わって良くなくなった」と、このホテルについて言う人もいるけれど、僕は明らかに、ドゥシットの時代より魅力は増していると思う。これで貸し自転車さえ置いてくれれば満点ながら、いまのところその予定はなさそうだ。17時45分にロビーに降りる。フロントのオネーサンはドゥシットのときに見かけた顔だ。

「18時発のバスの切符をください」
「有り難うございます。60バーツいただきます」
「値段、ドゥシット時代と変わってないね」
「戻ってきてくださって有り難うございます。新しい館内は、いかがですか」

「良いと思いますよ。風呂桶は無くなくなっちゃったのね」
「バスタブは今、3階と4階のみのご用意になっています。よろしければ…」
「いえ、その必要はありません」

風呂桶のために低層階に移るよりは、現在の、眺めの良い部屋にいた方が遥かに旅を楽しめる。ホテルのワゴン車には僕とファランの男女ひと組が乗った。そしてナイトバザールの入口には10分ほどで着いた

きのうiPhoneに納めた麺の写真を26番ブースのオバサンにかざす。頬に、まるでミャンマーの女の人のように頬にタナカーを塗ったオバサンは、満面の笑みである。「マイペッ?」と訊かれて「ペッタマダー」と答えるのはいつものことだ。そしていよいよ席に運ばれたその、素麺に酢とナムプラーと唐辛子を和えたような、申し訳程度に鶏肉の入った麺を口に入れる。美味くはない。美味くはないけれど、僕は美味いものを食べるために旅をしているわけではない。したいことをするために旅をしている。だから今夜は、きのう食べたいと思ったものを食べられて気分は満たされた。

さて、次にホテルに戻るシャトルバスは19時15分。その時間にナイトバザールの入口に立つも、ワゴン車の姿は見えない。ホテルから19時の便に乗る客がいなければ、クルマは出さないのだろうか。そのまま立っているのもばかばかしい。すこし歩いて行きつけのマッサージ屋”PAI”の扉を押し、足のマッサージを1時間だけ受ける。マッサージ代は200バーツ、オバサンには50バーツ札が財布になかったため、20バーツ札3枚をチップとして渡す。

ホテルには、21時15分発のワゴン車で戻った。ドゥシットの時代には、往路の60バーツを支払えば、復路の60バーツは不問に付された。しかし今回はガードマンがフロントまで付き添って、しっかり60バーツを徴収された。ジェイコブ・ソールの「帳簿の世界史」を思い出さないわけにはいかない。

ロビーを突っ切りエレベータの前まで来たところで、むかしなじみの、山地民族風の服を着たオジサンの姿が見えた。エレベータの「開」ボタンを押すために立っているこのオジサンは、非番のときでも、街で会うと手を振ってくれる。思わず嬉しくなって20バーツのチップを手渡す。こういうことがあるから、50バーツや20バーツの札は常に、財布に入れておくべきと思う。

そして部屋に戻ってシャワーを浴び、僕としては異例に遅い22時に就寝する。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコート26番ブースのまかない麺、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

2019.9.22(日) タイ日記(4日目)

朝食を済ませて部屋に戻ると時刻は6時50分。何かを忘れているような気がして、数秒のあいだ静かに考える。そして、ホテルの裏口から目抜き通りへ向かってしばらく行ったところの洗濯屋に、今日は洗濯物を出す日だったことを思い出す。

洗濯屋が開くのは7時。その7分すぎに店の前まで行くと、扉が閉まっている。今日が休みでないことは、きのうのうちにオカミに確認済みである。2度3度と声をかけると、中に人の動く気配があって、やがてオカミが出てきた。今の今まで寝ていた風情である。オカミが僕の洗濯物を台秤に載せる。1キロをすこし超えている。しかしオカミは「50バーツ」と、超えた分はまけてくれた。仕上がりは18時とのことだった。

7痔55分よりプールサイドに降りる。寝椅子に仰向けになって、プラスティックの袋から本を取り出す。スーパーマーケットなどでくれる袋を、日本では何と呼んでいただろう。世界標準からすれば「プラスティック袋」が正解のような気がする。とにかく今朝の空に、雲はほとんどひとつも無い。天頂に近いところには、半月よりすこし欠けた感じの月が見えている。

本は読んでいるものの、時々は視線をずらして空も見る。東の方から飛行機が飛ぶくらいの速さで、薄い雲が西へと延びていく。月も徐々に、西の方へ降りていく。雲はやがて空の半分ほどを覆い、月は見えなくなる。時刻は9時18分。

空の青いところがふたたび広くなり始める。月はプールに来たときより30度ほども降りてきている。時刻は10時15分。部屋には10時50分に戻った。

朝夕は涼しくても、日中は暑くなる。その炎天の下を歩いてジェットヨット通りの汁麺屋へ行く。この店の味については色々なことを言う人もいるけれど、僕は毎度、満足をしながら食べている。その満足は、あるいは「食べ物の味などは所詮、一期一会のもの」と考えているからかも知れない。

昼食から戻ってシャワーを浴びるのは滝のような汗を流すため。またベッドでひと休みをするのは、汁麺を食べるためだけに炎天下を往復2キロも歩いたためだ。15時前から17時前まではふたたびプールサイドに降りて本を読む。

約束の18時に朝の洗濯屋を訪ね、洗い上がった衣類を受け取る。ポロシャツ3枚、パンツ3枚、パジャマ上下、ハンカチ1枚、靴下1足の洗濯代が50バーツ、邦貨にして170円強とは何やら申し訳ない気持ちもするけれど、洗濯屋はチップを受け取る職種ではないからチップは手渡さない。

いつものフードコートでは、きのう昔ながらの小さな皿に肉を盛ったチムジュム屋を見つけたため、今夜はそこに注文を通す。あるじは僕に「マイペッ?」と訊いた。僕の答えはいつも「ペッタマダー」である。「辛さを手加減されて堪るか」という、これは僕の見栄である。

隣のテーブルには幼い姉弟を連れた母親がいて、弟の方が大声を出すと、母親は僕を気遣って「静かにしなさい」と注意をした。僕は「まったく気にしていませんよ」という意味を込めつつ母親に笑顔を返した。やがて姉弟はひと皿の、センレックよりも細い、しかしセンミーよりは太い麺による、簡素なものを分け合って食べ始めた。いかにも美味そうである。「それはセンミー炒めですか」と訊くと母親は何ごとか言いながら身振りですぐそばの26番ブースを指さした。立ってその26番ブースに近づき、同じことを訊くと、なにやら違う料理らしい。僕は母親に断って、その麺の写真をiPhoneで撮る。そして店の人には「明日ね」と声をかけてフードコートを去る。

昨年は「野犬に注意しろ」と地元の人に脅かされたり、ホテルの予約サイトのレビューには「女の一人歩きは避けるべし」とある、目抜き通りから料理屋ムアントーンの角を東に折れる静かな道を歩いて部屋に戻る。そしてシャワーを浴び、蚊取り線香に火を点け、ほんの10分か15分だけ回した冷房を切って就寝する。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコート25番ブースのチムジュム、ラオカーオ”CABALLO”(ソーダ割り)


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2019.9.21(土) タイ日記(3日目)

目を覚ますと時刻は1時をすこし回ったところだった。前夜20時に就寝したことを考えれば、大して不思議でもない。

朝からプールサイドで2時間ほども本を読む。いまだ気温は上がらず、水に入る気はしない。10時30分に部屋に戻って支度をし、おととい1回目の施術の際に予約をしたマッサージ屋”ARISARA”には10時55分に入る。そして今日も、プックさんによる拷問のような2時間を過ごす。それから時計台の先まで歩き、好きなメシ屋「シークラン」でぶっかけ飯を昼食とする

14時すぎに部屋へ戻り、滝のような汗をシャワーで流す。日本にいるときの10倍ほどの距離を、チェンライでは歩いているのではないだろうか。15時よりふたたびプールサイドに降りる。

このホテルのプールには、週末になると子どもが集まってきて、水泳教室が開かれる。僕の隣の椅子には太った女の子がいて、水着は着ているものの、水には一向に入ろうとしない。それを母親が優しく、粘り強く説得している。数十分後にようよう女の子がプールに飛び込むと、コーチは抜き手を切ってすかさず彼女に近づき、面かぶりとバタ足を教え始めた。そのとき開いていた「戦場カメラマン」は273ページ。1967年1月、南部デルタ地帯の都市カントーちかくでアメリカ軍が起こした誤爆により、何人もの子どもや赤ん坊の手足のもがれる場面。

16時30分にプールから上がる。部屋のベランダに差す日は西に傾いている。すこし早い気もしたが、着替えて裏の柴折り戸から外へ出る。ナイトバザール奥のフードコートには中国からの観光客のみがいて、宴会の真っ最中だった。彼らの姿をここに見るのは今年が初めてだ。多分、お仕着せの旅行には飽き足らなくなったのだろう。

18時55分に部屋に戻り、本日何度目かのシャワーを浴びる。そして蚊取り線香に火を点ける。以降の記憶は、無い。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 「シークラン」の2種のおかずのぶっかけ飯
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのヤムママーサイムーサップ、ラオカーオ”CABALLO”(ソーダ割り)


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