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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

2017年3月の日記31本

2017.3.31(金) 取り急ぎ買う

包装係のサイトーヨシコさんに頼まれて、今朝は普段より1時間はやく製造現場に降りる。服は作業用の白衣も含めて4枚を着ている。寒さは感じない。

今日と明日の2日にわたって自転車のレース「第1回ツール・ド・とちぎ」が催される。総走行距離は320km。スタートはウチからほどちかい日光だいや川公園で、10時から交通規制が敷かれる。その規制に阻まれて会社に帰って来られなくならないよう、クルマを使う用事は早めに済ませておく。

事務室にいると、日光街道と会津西街道との交差点、つまり目と鼻の先から怒号が聞こえる。物見高い性格ではないから席を立つことはしない。事務係のカワタユキさんによれば、規制を突破しようとしたトラックの運転手と警察官とのあいだで悶着があったらしい。それから数分後、日光街道の上から下へ、この上とは東照宮の側、下とは日本橋の側であるけれど、想像を絶する高い速度で大量の、色とりどりの自転車が飛び去っていった。

終業後にメーラーを回すと「ポイント有効期限が迫っております」という表題のメールが楽天市場から届いている。ポイント、クーポン、マイレージのたぐいにはそれほどの興味は持たない。しかし楽天のポイントについては、過去に1万円ほどを流したことがある。調べてみると、今日中に失効するものも含めて4,888円分のポイントが貯まっていた。よってそのすべて使い、グレゴリーのパデッドショルダーポーチのSサイズを、5,540円の値付けをしている店で買う。

おなじグレゴリーのクイックポケットのMサイズは、旅先で持ち歩くサイフ、カメラ、iPhone6s Plus、手帳、ボールペンを入れると容量が限界に達して中身が取り出しづらくなることへの対策である。


朝飯 ほぐし塩鮭、茎若布の炒め煮、生のトマト、ほうれん草とウィンナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、納豆、メシ、トマトと揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 厚揚げ豆腐と豚肉の鍋、「紅乙女酒造」の胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、“Chez Akabane”のコルネ、”Hennessy XO”(生)

2017.3.30(木) 備蓄

オフクロの亡くなったのが2014年10月15日。以降、2年5ヶ月のあいだ使い続けてきた、生前オフクロが買い溜めたティッシュペーパーが遂に底をついた。

ウチでは食堂のテーブルを拭くにあたって布巾を使わない。先ずはテーブルにアルコールを噴霧し、それをティッシュペーパーで拭き取っている。テーブルは塗り物ではなく無垢だから、それで表面が痛むこともない。しごく衛生的である。

ティッシュペーパーは他に、納豆を食べたあとの口の周りのネバネバや、あるいはスパゲティミートソースを食べたあとの、これまた口の周りのトマトソースを拭うことにも使う。そのときには、アルコールは口の周りに噴霧をするのではなく、ティッシュペーパーの方に吹きかける。

とにかくティッシュペーパーを欠いてはどうにもならない。ただし、赤ん坊のヨダレを拭いたり女の人が化粧に用いたり、という用向きではないから、高級さは求めない。

そうしてシバタ荒物屋から届いた、ティッシュペーパー60箱の入った段ボール箱を倉庫に収め、ひと安心をする。


朝飯 フワフワ玉子、納豆、茄子の炒りつけ、生のトマト、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、茎若布の炒め煮、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、メシ、レタスと油揚げの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「魚登久」の胆焼き鰻重肝吸いと漬物「片山酒造」の酒粕焼酎「粕華」(生)

2017.3.29(水) おとといの雪

目を覚ますと部屋の中は、既にして隨分と明るかった。時刻は5時15分。カーテンを透かして、空の明るみが部屋の中にまで及んでいる。

おとといの雪を受けて、山々の景色は幾分、冬へと逆戻りをした。しかしその戻りようは、それほど大したこともない。晴れの日が何日か続けば、特に里山では、針葉樹に降り積もった雪は呆気なく融けてしまうだろう。

お客様には常に新しい商品をご提供したい。よって新鮮さが持ち味の「らっきょうのたまり漬」においては特に、その日のうちに売り切れるほどの数しかお作りはしない。このところ道の駅「日光街道ニコニコ本陣」から毎日のように「らっきょうの残りが少なくなった」とか「売り切れた」という電話がかかるのは、春休みも佳境に入って客足が増してきたためだろうか。

今日もそのような連絡が午後のなかばに入ったから、補充の、しかし閉店までには売り切れるほどの数を納入する。一方、ウチの方でも夕刻には「らっきょうのたまり漬」の在庫が心許なくなってきた。これから週末にかけては幾分、製造量を上げていくことを、包装係のサイトーヨシコさんと確認をする。


朝飯 納豆、茄子の炒りつけ、ハムエッグ、ごぼうのたまり漬(試作品)、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 巻湯波の淡味炊き、ほうれん草と海苔のおひたし、銀鱈の西京焼き、茎若布の炒め煮、「朝日酒造」の「洗心」(冷や)

2017.3.28(火) じいの一人言

長男、嫁、孫との4人で実家の父を見舞いに出かけた家内は「早めに帰る」と言って出かけたものの「いま横浜から高速道路に乗った」と電話があったのは、18時の閉店間際のことだった。「そうであれば」と帰宅する社員を見送り、自宅に戻って仏壇のお茶や水や花を片付け、風呂に湯を満たしておもむろに、廊下の片面に作り付けた本棚の前に立つ。僕は活字を欠いては一人で飲食のできないタチなのだ。

2月に日本橋の髙島屋で出張販売をした折、訪ねてくれた勉強仲間のオガワタイエンさんが、僕へと長男に言づけてくれた「中央公論」の2017年3月号をたずさえ、階下に降りる。そうして自転車で日光街道を下る。

「中央公論」の目当ては「2017年新書大賞」である。その肝心の部分はしかし、今夜の飲み場所「食堂ニジコ」のカウンターで未知の先客と話が弾んだため、それほど読み進むことはできなかった。目に愉しい活字は美味い飴玉と等しく、味わう余地がいつまでも残ることを脳が望む。よって今夜に読めなくても、どうということはない。

一方、先日ここで昼にお粥を食べているとき、文章を書くらしい人が自著をひと包み、置いていくところを目にした。それにつき店主に訊ねると、その「おくのほそ道奥州古道-日光から今市への直道をゆく」と題された本を出してくれた。著者は丹羽佳岐とある。即「オレ、これ、買うよ」と1冊を確保する。

僕のある種の性癖を読み取ったか店主は「こんな本もあるんですよ」と、すぐ裏に住む人が自費出版をした「じいの一人言」という自伝も本棚から引き抜いて見せてくれた。それを開けばこれまた興味深い内容にて、というか、とてもではないけれど、インターネット上には載せられないような実話の集積である。こちらについては、この店に来るたび、すこしずつ読ませてもらおうと思う。


朝飯 たまり漬を使ったおむすび、日光味噌梅太郎赤味噌と日光のHIMITSU豚によるフリーズドライ豚汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しのスパゲティサラダ胡瓜の辛子和えおつまみチャーシューラーメン、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)

2017.3.27(月) 4月になれば

5時30分、洗面所の遮光カーテンを指先でずらして外の様子を窺う。店舗の瓦屋根が、薄く雪に覆われている。駐車場は、地面が見えている。「積もってなくて助かった」と胸をなで下ろしつつ食堂へ行き、湯沸かしポットのスイッチを入れる。

間もなく止むだろうと思われた雪は、しかし朝食を摂るうち勢いを増してきた。そして事務室のシャッターを上げる7時20分のころには、大きな牡丹雪が、空から絶え間なく落ち続けるほどになった。

長男と社員は店の駐車場と歩道の雪を8時30分までかき続け、また融雪剤を撒いた。雪はやがて雨に変わり、その雨も午後には上がった。

「日本は、春」とは、今月19日の日記の題名である。「早々にクリーニングに出そうと思う」と書いたベストは、その直後から冬の寒さが戻ったため、今もまだ着ている。スタッドレスタイヤのノーマルタイヤへの交換も含めて、4月になれば、それらは可能だろうか。

桜の花に雪の積もるようなことは、確率からして、そうはないように思う。


朝飯 玉子焼き、ほうれん草のおひたし、納豆、鰯の梅煮、筍とぜんまいと油揚げの炊き合わせ、梅干し、牛蒡のたまり漬(試作品)、生のトマト、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ盛り蕎麦、4種の日本酒(冷や)

2017.3.26(日) 天気予報で知っていた

長袖のヒートテックのシャツに、分厚い木綿による、これは何と説明すべきだろう、シャツというかセーターというか、とにかく襟の高い服を重ね、薄手のコートを羽織っている。汗はかきたくないから、僕の服装は常に、周囲にくらべて薄着である。

今日の東京の気温が低いことは、きのうテレビで観た天気予報で知っていた。それにしても寒い。きのう家を出たときの服装では防ぎようのない寒さである。

北千住から乗った始発の特急スペーシアが、新鹿沼を出て下今市を目指して北上している最中に家内から電話が入る。雪がちらついているから駅まで迎えに行くべきか否か、というのがその内容だった。僕はコートも帽子も持っていることを理由に、ひとりで帰ることを告げた。

東京から100キロとすこし北の下今市で列車を降りると、しかし寒さは東京のそれと変わらなかった。降っているのは雪というよりは疎らな小雨にちかく、大したことはない。

午後、防寒ジャンパーのポケットに入れたiPhoneが、店の駐車場で前かがみになった途端に地面に落ちる。画面を下にしてではあったけれど、革製のカバーに覆われたそれは平らに着地をしたため、小さなキズさえ付いてはいないだろうと感じた。そうしてそれを拾い上げてクルリと裏返して画面を見ると、案に相違してヒビが走っていた。

それでもディスプレイには保護フィルムが貼ってあるため、スワイプをするたびそのヒビに指が引っかかる、ということはない。しばらくは、このまま使い続けようと思う。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 ビスクドオマールパントマトとレタスのサラダ、生ハム、3種のチーズ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″クレームカラメル

2017.3.25(土) 居酒屋にて

思いに任せず焦燥をつのらせる、そのような気分の状態を、ウチのあたりでは「いじをやく」という。漢字で「意地を焼く」と書くかどうかについては知らない。

きのうセキネ耳鼻科では、抗生物質と消炎剤による2種の薬を朝昼晩の各食後に飲むよう言われた。また高熱や強い痛みに見舞われたときのための頓服も処方をされた。

早朝に目覚めると、喉の痛みはきのうセキネ耳鼻科へ行く前と変わっていなかった。抗生物質と消炎剤による2種の薬をきのうの昼と夜に飲んだにもかかわらず、である。ここで僕は前述の「いじをやく」状態になり、平熱で、かつ喉の痛みも耐えがたいほどではなかったにもかかわらず、食堂に置いた薬袋から頓服を取り出し飲んだ。時刻は4時20分だった。

8時30分を過ぎると、明け方に飲んだ、セキネ先生の説明からすれば僕には不要不急の頓服が効いたらしい、喉の痛みは隨分と弱くなっていた。自分を実験台にしたこのことは、どこかに記録をして覚えておくことにしよう。

所用にて午後、巣鴨へ行く。そこから池袋に移動をし、本を読むため2軒の喫茶店をはしごする。途中で店を変えたのは、1軒目が喫煙者の巣窟だったからだ

17時、自由学園男子部35回生の幹事役であるノリマツヒサト君が手配をしてくれた、北口ちかくにある居酒屋の階段を降りていく。指定された時刻よりすこし早かったものの、今夜の世話役であるアケミツシ君は既にして、座敷のもっとも入口に近いところに控えていた。

昨月25日は、大病からの緩解中に急逝した同級生サカイマサキ君の初めての祥月命日にて、サカイ君の自宅に同級生はじめ上下級生が集まった。今日はそれから1ヶ月を経ての、同級生だけの「偲ぶ会」である。そうして静かに、しかしときには少し賑やかな、しみじみとした時間を過ごす。


朝飯 筍とぜんまいと油揚げの炊き合わせ、独活のきんぴら、五目白和え、キャベツのおひたし、鰯の梅煮、メシ、大根とサニーレタスの味噌汁
昼飯 「美彩たむら」の「笹巻おむすび3個入り」
晩飯 「鞍」のあれやこれやそれや。麦焼酎「吉四六」(お湯割り)

2017.3.24(金) 過信と反省

「花粉症で喉はイガイガ、目は痒い」と、朝のテレビで誰かが言っていた。僕の喉も今朝からいがらっぽい。「これも多分、花粉のせいだろう」と、テレビで聞いたこともあって思い込んでいた。しかしその喉の違和感は次第に強くなり、昼すぎには「これは花粉のせいではなく、風邪の症状なのではないか」と感じ始めた。

14時にセキネ耳鼻科へ行く。案の定、喉が少し赤いと先生は言う。「うがいをすれば治る」などとそのまま帰されては堪らないから「できるだけ強い薬をください」と頼む。風呂上がりに、腰にタオルを巻いただけの姿で、食堂でうたた寝を繰り返したことが悪かったのだ、多分。

インフルエンザで寝込む人が周囲に増えるたび「オレは頑健だ」と、根拠の無い自信にひたってきた。しかし過信をすると、今回のようなことになる。旅先で、いきなり具合の悪くなる可能性も、加齢と共に高くなるだろう。

浮き石に気をつけながら、山のガレ場を一歩、また一歩と登っていく。実際には、そのような気持ちと態度で生活をしなければいけないのだ。それを分かっていながらいつの間にか忘れてしまうのは、人間の持つかなしみのひとつである。


朝飯 納豆、ウインナーソーセージとキャベツのソテー、目玉焼き、焼きトマト、独活のきんぴら、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、玉葱と三つ葉の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 若布とチョレギのサラダ、もやしナムル、キムチ鍋、黒糖焼酎「浜千鳥乃歌」(お湯割り)

2017.3.23(木) 残ったお金

イギリスがEUを脱退するか否かの是非を問う国民投票が行われ、離脱を支持する人が僅差で多数と判明した昨年6月24日、僕はたまたまバンコクにいた。為替の乱高下は週が明けても続いた。27日の月曜日、有事に備えて持参した10万円を街の両替屋でバーツに換えた。レートは1万円が3,430バーツだった。

その日の夕方から夜にかけて、BTSの駅などで電光掲示板を見ると、円高とバーツ安は更に進んだ。日本に帰る28日、スワンナプーム空港の、街の両替屋よりよほどレートの悪いサイアム商業銀行の両替所には、1万円あたり3,601バーツの表示があった

今月9日にタイへ行く直前の、手持ちのバーツは58,824バーツだった。ここから僕は20,824バーツのみを封筒に収めた。16日に帰ると、封筒には3,704バーツが残っていた。つまり今回タイで使ったお金は17,120バーツ、ということになる。

その17,120バーツは、昼はゴルフ、夜はクラブ活動やバーホッピング、という人なら一昼夜で蕩尽してしまう金額である。それで僕は7日間を楽しく過ごした。現在の手持ちは41,704バーツ。今後もおなじ17,000バーツを使えば3度は保たない。

それを何とか保たせるべく、6月のタイ行きでは、使うお金は6日間で10,000バーツに絞ろうと考えている。バックパッカー気質のいまだ残る僕であれば、それほど難しいことではないだろう。


朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、チャプチェ、しもつかり、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ玉と長葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の海老のお粥
晩飯 茄子の牡蠣油炒め、揚げ春巻き、春雨サラダ、玉子炒飯、バインミー、豚ハツと支那竹のクミン炒め、”TIO PEPE”

2017.3.22(水) 理由

地平線まで見渡せる広大な平原に、直径100メートル、高さもやはり100メートルほどの柱状の台地が、ポツリとひとつだけ垂直に盛り上がっている。台地は、細くて長い、芝生のような草で覆われている。吹きわたる風が、その草を、まるで動物の毛のように波打たせている。

台地の端にはラマ教のゴンパが建っている。そこでは複数の僧が修業をしているに違いない。しかし耳に届くのは風の音のみだ。

2012年6月に亡くなったはずのおばあちゃんが、そのゴンパに向かって歩いて行く。台地の端は直角に切れて、その先は100メートル下まで遮るものはない。スタスタと、その端に向かっていくおばあちゃんが草に足を取られれば命は無い。

早足でおばあちゃんに近づくと、おばあちゃんはクルリときびすを返した。草に足を取られたのは僕の方である。

両手で草を掴み、断崖からなんとか這い上がろうとする。しかし草は滑り、あるいは1本ずつ千切れていく。その脇の草をつかみ直しても、やはり草は滑り、プチプチと切れていく。

恐怖にかられてうなり声を上げる。その声ははじめ夢の中のものだったけれど、そのうち現実のものとして耳に認識をされ始める。やがて自分が夢を見ていることに気づく。一方、不思議なことに、このまま眠っていたい気持ちもある。

それでもやがて目を覚ます。枕の下からiPhoneを取り出し見ると、時刻は2時50分。外には強風が吹き荒れている。

高いところから落ちそうになる夢は怖い。落ちそうになるどころか落ちてしまう夢もある。地面に墜ちた瞬間は実際に、からだに衝撃を感じる。しかしその衝撃は「コツリ」というほどの軽いもので、半覚半醒の中で案外、気持ちが良かったりする。

高いところから落ちそうになる夢、高いところから落ちてしまう夢。このふたつの夢とは、子供のころからの長い付き合いだ。それを見る理由は分からない。

8時30分より会社の健康診断が始まる。体重は昨年と変わらない59.5Kgだった。


昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 干し納豆、“TIO PEPE”春雨サラダキャベツと豚肉の酒蒸し「奄美大島酒造」の黒糖焼酎「浜千鳥乃歌」(お湯割り)胡麻汁粉

2017.3.21(火) 急がず休まず

僕が会社で熱心に取り組んだひとつは、社員の平均年齢を下げる、つまり若い人に多く来てもらう、ということだ。昨年は大学を新規に卒業した女子1名を事務係として採用した。今年はそれぞれ大学と定時制高等学校の新規卒業者である男子2名を製造係として採用した。採用の仕事は僕の手を離れ、今は長男が行っている。

その、製造係として採用したふたりの、今日は入社日だ。この日はなぜかいつも、すこし緊張をする。あいにくの雨の中を、ひとりは自転車で早々と、もうひとりもクルマで出勤をした。

今日からのために、関係部署の場長とは打合せを重ねてきた。他の社員にも、逐次、必要なことを伝えてきた。

8時15分、本日出勤の社員全員に、蔵に集まってもらう。そして先ずは僕から自己紹介を始める。新入社員のふたりには短く励ましの言葉をかけ、皆には親切に指導をしてくれるよう頼む。

17時45分、ふたりは事務室に来て、就業初日の業務日報を書き始めた。今は手書きでも、やがては他の社員とおなじく、コンピュータに直接、データベースとして残せるようになるだろう。

二人には今の落ち着かない気持ちを希望に変えて、急がず休まず、人生を歩んでいって欲しい。


朝飯 細切り人参のソテー、納豆、ハムエッグ、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 パンチーズやサーモンやコンビーフと山葵菜のサラダロールキャベツ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”“CAMUS XO”の瓶に入れたイタリアの甘い酒(生)

2017.3.20(月) なぜタイなのか

訪タイ15回目にして初めてのことながら、今月15日には、バンコクの中心部から空港まで、クルマではなく電車を乗り継いで行ってみた。

MRTのペチャブリーから歩道橋を歩いてマッカサン。そのプラットフォームには人が溢れていた。自分もその群衆の最後尾に並んで列車を待つ。

様子を見ていると、始発のパヤタイから来る列車の編成は、4両のこともあれば3両のこともある。次に来た編成が3両だと、4両目が停まるはずだったところに並んだ人たちは待ちぼうけを食らう。

これがインドや中国であれば、4両目に並んだ人たちは恐らく、押し合いへし合い、小競り合いをしながら3両目に殺到するだろう。韓国や日本なら「正義」を身にまとった乗客が大声で抗議をしつつ駅員に詰め寄るだろう。しかしタイの人たちは、そのまま静かに待っている。

僕は個人の旅行としては、ほとんどタイにしか行かない。この駅で見られるような人たちと淡く交わりつつ、神経を休めたいからかも知れない。


朝飯 切り昆布の炒りつけ、ほうれん草と海苔のおひたし、しもつかり、ウインナーソーセージと2種のピーマンのソテー、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス
晩飯 3種の焼売、チャプチェ、麻婆豆腐、エビのフワフワ揚げ、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、いちご

2017.3.19(日) 日本は、春

僕の、盛夏から厳冬へ向けての仕事着は、以下のように枚数が増えていく。

半袖ポロシャツ
半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト

今月9日に日本を出てタイへ行き、16日に戻ると日本は春になっていた。出発するまで着ていたベストは、早々にクリーニングに出そうと思う。「暑さ寒さも彼岸まで」は、やはり本当のことなのだ、多分。

本日は三連休の中日だ。そのベストを着ない仕事着で、ほぼ1日中、店に立つ。閉店時間はきのう、冬期の17時から平時の18時へと戻った。


朝飯 しいたけのたまりだきと長葱の玉子焼き、切り昆布の炒りつけ、ポテトとツナとレタスのサラダ、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、揚げ湯波と白菜の味噌汁
昼飯 じゃこ、めんたいこ、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」によるお茶漬け
晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダカツレツドライマーティニ、グラスの白ワイン

2017.3.18(土) 満席

家内と北千住に来て、特急スペーシアの切符を買うべく券売所へ行くと、07:42発の始発の座席が”1″と、掲示板には出ている。このような数字を目にしたことは過去に無かった。何のことか分からず自動券売機を操作して特急券2枚を求めようとした途端、切符は売り切れた。

券売機から離れ、いまいちど掲示板を見上げる。先ほどまで”1”と数字の出ていた場所が”×”に変わっている。その周辺をまじまじと見ると、次の08:12発も、またその次の09:21発も満席になっている。

僕の経験上、東武日光線の特急が何便も続いて満席になるのは、5月の連休、お盆、秋の紅葉時の週末、そして年末年始くらいのものだ。今日の満席は東照宮の、4年をかけて大規模な修復を受けていた陽明門が3月10日から公開をされた、それが関係しているのだろうか。

週末の帰社を遅らせるわけにはいかない。窓口の駅員に訊くと、快速は07:21に出るという。ひとつ上のフロアで朝食を調達し、ふたたびプラットフォームに戻って指定の場所に並ぶ。快速に座席指定は無い。始発の浅草から北千住へ来るまでに満席になっていれば、最悪で2時間は立っていなければならない。

戦々恐々として待った快速には、しかし幸いにして空席が目立った。そして始発の特急スペーシアより7分はやい、9時3分に下今市に着く。

夜は春日町1丁目青年会の、なぜか時期を逸して今日まで延びてしまった新年会に参加をする。「息子の都合がつかない」と、代理でアンザイ畳屋のアンザイさんが来てくれたのは嬉しかった。酒席で聴くアンザイさんの話は”oralhistory”そのものだ。長老が元気なのは、喜ばしい限りである


朝飯 「権米衛」の2種のおむすび
昼飯 「麺屋ききょう」のネギ塩ラーメン
晩飯 「一葉亭」のあれこれ。芋焼酎「赤霧島」(お湯割り)

2017.3.17(金) 映画「新地町の漁師たち」

午後、湯島天神下から歩いて本郷三丁目に至る。所用を済ませて喫茶店に入り、きのうの日記を書く。iPhoneの乗り換え案内で本郷三丁目から新橋までの経路を調べると、意外や近い。新橋に移動して用を足し、今度は東中野へと移動をする。

駅前をひとまわりしてから駅に戻り、アトレの3階で本を物色する。そのうち家内と連絡が取れたため、2階の喫茶店で待ち合わせる。

長男のふたつ先輩のヤマダトール君が監督をした映画「新地町の漁師たち」をポレポレ東中野で観る。切符は1月14日に自由学園へおもむいた際、しののめ茶寮で長男の同級生キノシタタカオ君から求めてあった。ヤマダ君の仕事に大いに感心をすると共に、今後にも期待をしたい。

東中野からお茶の水まで一直線に来て、さて飲酒活動ということになるけれど、神保町には詳しくても、駿河台の坂の上の店は、僕はほとんど知らない。初見の店に入って席に着き、ようやく神経をほどく。


朝飯 なめこのたまりだきのフワトロ玉子、切り昆布の炒りつけ、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、胡瓜の古漬け、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 「神勢。」の醤油ラーメン
晩飯 「区民酒場」のあれやこれやそれや、チューハイ、それを濃くするためのナカ

2017.3.16(木) と反射的に返事をしつつ

洗面所へ行ったり来たりする人が提げているらしい、プラスティック製の買い物袋のカシャカシャという音が気に障る。徐々に眠りから覚めていく。目を開けると、朝食を配るワゴンは前の席まで来ていた

機は九州の上空を飛んでいる。いまだ喉が渇いている。朝食は、先ずパイナップルジュースを一気に飲み干す。白身魚のフライとライスは喉を通らない。ヨーグルト、果物、パンのみを食べ、コーヒーをお替わりする。

“BOEING 747-400″を機材とする”TG682″は、定刻より30分早いタイ時間04:25、日本時間06:25に羽田空港に着陸をした。以降の時間は日本時間とする。

06:53 パスポートコントロールを抜ける。
07:14 ようやく回転台でスーツケースを受け取る。
07:36 羽田空港国際線ターミナルからエアポート急行に乗る。
08:19 都営浅草線の浅草に着く。
09:00 浅草から特急スペーシア発。

顧客サービスに資するためのアンケート調査を車内で行う旨のアナウンスを、スペーシアが走り始めて間もなく耳にして、しかしすぐに忘れる。

客席のひじ掛けから引き出した机にコンピュータを載せ、きのうの日記を書いているところにやおら”excuse me,do you speak English?”と、後ろから声をかけられる。”Yes,but I’m Japanese.”と反射的に返事をしつつ振り返ると、そこには真面目そうなオバサンと、付き添いらしい男の人がいた。「あ、申し訳ありませんでした」とオバサンは恐縮をして、男の人と共に前方へと去った。

「顧客サービスに資するためのアンケート調査」とは、外国人旅行者を対象にしたものらしい。果たして僕は、地球のどこいらへんの人間と思われたのだろう。なお、外国人旅行者にアンケートをするなら、日本語の他に英語、北京語、朝鮮語でアナウンスのあるスペーシアよりも、案内は日本語のみの、快速の中で行った方が良さそうな気もする。

下今市には10時39分に着いた。家内の迎えにより駅から帰宅し、着替えと荷物整理の後、日常に復帰する。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「つけ汁うどんあくつ」のきのこ汁、合い盛りの大盛り、黒糖プリン
晩飯 ほうれん草の胡麻和え、椎茸と若布の酢の物、独活のきんぴら、鮪の刺身、牛肉のたまり漬け焼き、「名手酒造店」の「黒牛純米」(常温)、いちご

2017.3.15(水) タイ日記(7日目)

「ピーッ、ピーッ」と鳴って止まり、しばらくするとまた繰り返す、その音で目を覚ます。きのう寝る前にスイッチを入れた洗濯機の、それは洗濯が終わったことを知らせる信号だった。それにしても大きな音で、隣の部屋が気にかかる。中の洗濯物を調べると、いまだ湿っぽい。よって以降、2度にわたり乾燥を延長するも、湿り気は変わらず、また、音もうるさい。よって部屋の隅に置かれた物干しを組み立て、そこにすべての洗濯物を吊してベランダに出す。時刻は0時17分だった。

ビルとビルの隙間から朝日が差し始めるころ、またまた洗濯物に手を触れると、いまだ完全には乾いていない。日が中天に昇るまで放っておくことにする

8時までかかっても、きのうの日記を書き終えない。今日は日本に帰る日だから、時間の管理はきのうよりも大切だ。日記はそのままにして外へ出る。そしてチャルンクルン通りを北上し、右側の歩道から奥に入る路地の粥屋へとおもむく

昼は蒸し暑いバンコクも、朝のうちは過ごしやすい。露店には、枇杷に似た果物が旬を伝えている。しかしこれは枇杷ではない。ひとりで一把を買っても無駄にしてしまうため、食べたことはない

ホテルの入口に侍るベルボーイにロビンソン百貨店の開店時間を問うと「10時」と、みな口を揃える。社員への土産を調達しなくてはならない。僕はこの、土産を買うという行為を大いに苦手にしている。しかし特に海外などへ出たときには社員に土産を買って帰る、それがうちの習慣であれば、従わないわけにはいかない。

9時05分からプールサイドで本を読む。パンツを濡らしては荷造りができないから、泳ぐことはしない。9時55分に部屋へと戻る。シャワーを浴び、服を着て1階に降りる。外に回ることなくロビンソン百貨店に入れるドアの開ボタンを押すも、ドアは開かない。

「10時30分からだよ」と、後ろから来たフランス人が教えてくれる。ボタンのそばの案内板を見れば、なるほど開店は10時30分となっている。とすれば先ほどのベルボーイたちの「10時」という答えは何だったのか。まぁ、タイでは良くあることだ。

10:30 ロビンソン百貨店から地下のトップスに降りる。選んだ品は意外や高い。
10:35 追加のお金をセーフティボックスから出すため部屋に引き返す。
10:55 買い物を終えて部屋に戻り、荷造りを始める。
11:17 荷造りを完了する。
11:45 チェックアウト。荷物をベルに、貴重品をフロントに預ける。

チャルンクルン通りを、BTSの高架下から南に歩く。5分ほども進むと左手に消防署が現れる。この消防署に向かって右側にある店のカオマンガイが美味い。ここで昼食を摂り、来た道を戻る。プミポン前国王の喪に服するためのものだろう、喪服の露店が出ている

きのうに続いてトンローに移動をするスクンビット通りとのパクソイちかくから赤バスに乗り、きのう予約したマッサージ屋へ行く。そしてきのうとおなじく90分の苦行に耐える。マッサージのオバサンは、今日は僕の左肩に湿布薬2枚を貼ってくれた。

マッサージ屋の前からバイクタクシーに乗り、センセーブ運河にかかる橋のたもとまで送ってもらう。運賃は20バーツ。ここから水上バスで適当なところまで遡上したり、あるいはまた戻ったりして午後のひとときを過ごす。水上バスの舳先や舷側が、どぶ川のしぶきを容赦なく乗客の顔に飛ばす。そのような環境にあって、僕の前に座った女の人は、食べかけのおむすびの写真をiPhoneで撮っている。SNSにでもアップをするのだろうか。このおむすびにも、どぶ川のしぶきは満遍なく吹きつけているはずだ

センセーブ運河にかかるトンローの橋の下は衣類の露店、そこから上流側には食材の露店が広がっている。買いたい物はたくさんあるけれど、日本への持ち帰りは難しい。結局はひやかすだけである

サパーンタクシンに戻り、ロビンソン百貨店地下のトップスでウォッカの200cc瓶を買う。それを手に提げ”BANGRAK FOOD CENTER”裏の屋台街へ行く。昨秋に見知ったオニーチャンの店の前に座り、しかし今回はスズキの柑橘蒸しではなく、チムジュムを頼む。メニュの179バーツという値段を一瞥して「さすがはバンコク。チェンライの100バーツよりだいぶ高いな」と感じたものの、いざ目の前に運ばれたそれを見れば、その量からして決して高くはない。そしてその鍋を肴にウォッカを飲み干す。

それにしても、昨年の秋に見つけたこの新しい屋台街は、昨年こそ「お酒はどこかで買ってきてください」と言われたものだが、今やチアビアまで常駐して大した発展ぶりである。6月も、また10月も、帰国の日はここで飲酒活動をしたい

ところで昨年の10月7日には、ホテルから乗ったタクシーが高速道路上で渋滞に巻き込まれ、1時間23分もかかってようやくマッカサン、ということがあった。当日が金曜日だったからかも知れないけれど、二度と経験するつもりはない。屋台街からホテルに戻ると、荷物と貴重品を受け取って、そのまま外へ出た。そうして40ディグリーのウォッカ200ccをこなした脳と体で、サパーンタクシンの駅を目指して歩いて行く

18:52 サパーンタクシン発。BTSのサラデーからMRTのシーロムまでは歩道橋ができたから、乗り換えは楽だ

19:10 シーロム発。
19:19 ペチャブリー着。1番出口から外へ出てマッカサンの駅を目指す。
19:35 マッカサンの駅で空港までの切符を買う。ここまで来れば、鬼の首を取ったも同然である
19:35 乗客多数のため、2本をやり過ごして3本目のARLにようやく乗車
20:18 スワンナプーム空港着

昨年はタクシーを使って1時間49分の行程を、今日はBTS、MRT、ARLを使って1時間26分でこなせた。大した差ではないものの、高速道路上での渋滞には逃げ道がないから心臓に悪いのだ。

今日のサパーンタクシン、サラデーン、シーロム、ペチャブリー、マッカサン、スワンナプームの乗り換えを、次回はマッカサンのラッシュを避けて、サパーンタクシン、サイアム、パヤタイ、スワンナプームに変えてみよう。

20:53 タイ航空の、大賑わいのカウンターにてチェックインを完了
21:05 セキュリティチェックを抜ける。
21:12 パスポートコントロールを抜ける
21:41 A6の搭乗口で席に着く。喉が異様に渇いていても、付近に飲物の販売機は無い。

22:50 搭乗開始。
22:55 客室乗務員にペットボトルの水を所望して「この便には載せていない」と断られ、コップの水をもらう。
22:58 満員の機内で水の入ったコップを持ち続けるのも危ないため、離陸を待たずにデパスとハルシオン各1錠を飲む。

数分後に昏睡をしたらしく、離陸の時間は記録していない。


朝飯 「王子戯院猪肉粥」のお粥(生玉子、豚の臓物入り)、パートンコー添え
昼飯 “Meng Pochana”のトムトーパッソム
晩飯 バンラックフードセンター裏の屋台のチムジュム、”Smirnoff Vodka”(生)

2017.3.14(火) タイ日記(6日目)

タイでの時間も残り少なくなってきた。より時間を管理して生活をしなくてはならない。きのうの日記を書くうち8時を過ぎる。すこし焦る気持ちになって外へ出る。

このあたりで美味いと感じる汁麺屋は、チャルンクルン通りをロビンソン百貨店からステイトタワーの方面に北上した左側と記憶している。しかし見つけられないままシーロム通りとの丁字路に達したため、反対側の歩道に渡り、今度は逆に南下をしていく。「”VISA”と大きく書かれた庇の向かって右側」とこれからは覚えていた方が良さそうだ。敢えて具を簡素に頼んだバミーナムの価格は50バーツ。首都の物価はやはり、プレーのそれにくらべると高い。

ホテルのエレベータの中には、昨年10月13日に崩御したプミポン国王の若いころからの動画が、ピアノによる静かなワルツと共に流されているL階には祭壇と記帳台も設けられている。この6日間、簡素、豪華の違いはあっても、街のあちらこちらでこの祭壇を目にしてきた。我々旅行者も幾分かは、タイの人たちの気持ちに添うべきと思う。

10時よりプールサイドに出る。そして寝椅子で本を読む。聞こえるのはチャルンクルン通りを往くバスやオートバイの排気音だ。そのうち醤油と砂糖による甘くてしょっぱい香りがやはり、チャルンクルン通りから数十メートル上まで上ってくる。時刻は正午を過ぎていた

外で昼食を摂り、部屋に戻り、シャワーを浴びる。バンコクの暑さはプレーの爽やかなそれとは異なって、東京の暑さに似ている。タイパンツを普通のズボンに、ゴム草履を革靴に履き替える。そして”BTS”でトンローに出る

2014年3月に2泊3日のバス旅行をした。バスの中ではずっと、ジムトンプソンの分厚い伝記を読んでいた。重い本を左手で支え続けたせいか、以降、左の肩がひどく凝るようになった。その肩こりはその後も治まらず、このところは特に気になっていた。

昨夜の、リバーシティのマッサージ屋のマッサージはまったく効いていない。昨年6月、家内に2度もおごってもらった、トンローのマッサージ屋の仕事は立派だった。最早、あのマッサージ屋を頼るほかはない。

赤バスに乗ってトンローの通りを北上する。見覚えのあるソイ8ちかくでバスを降りる。当該のマッサージ屋はすぐに見つかった。フロントの店主に左肩の凝りのひどいことを伝える。店主の薦めるコースの90分を選ぶ。これまた店主が「お薦め」という技術者は、額に老眼鏡を乗せたオバチャンだった。

左の肩胛骨付近に容赦なく繰り出される、拷問にも似た指圧に耐えているところにコモトリ君から着信がある。シーロムでの仕事が早めに終わったため、18時30分の待ち合わせは1時間、繰り上げるという。了承して電話を切り、ふたたび苦行の世界へと入って行く。そして明日のマッサージを予約して店を出る。

“BTS”でサパーンタクシンに着いたのは17時28分だった。桟橋には既にして、スーツ姿のコモトリ君が待っていたトンブリー側にあるコモトリ君の家までは舟で渡る。ひと休みしてからいつもの海鮮料理屋へ行く。猛暑期が近づいているとは思えない、川風の涼しさである

ふたたび舟に乗り、昔は朝からアルコール中毒患者とおぼしきオヤジが倒れていた、しかし今は洒落た海鮮料理屋などが建って様変わりしたサワディーの桟橋から中華街へと入っていく

タイ特有の、洪水の際には容易に水を飲み込むよう設計された目の粗いマンホールからゴキブリが出たり入ったりする暗い道をしばらく行くと、目の前にいきなりまばゆいネオンが現出する、そこがヤワラーだ。歩道から車道にまではみ出した屋台には、東アジアのどこから来たかは知らないけれど、とにかく東洋人の観光客、そして白人の観光客が、数百人ほども蝟集して飲み食いを楽しんでいる。そしてその観光客の群れは、かつての売春宿「百楽滙大旅社」の前まで及んでいる

屋台街の代名詞だったトンローソイ38の屋台は、昨年のうちに綺麗さっぱり消えた。「百楽滙大旅社」も、今やもぬけの殻だ。バンコクの他の地域でも、昨年から今年にかけて消えた屋台街は少なくない。これらすべては、プラユット政権による浄化作戦なのだろうか。とすればヤワラーの、この屋台の伸張ぶりは、どう説明されるべきなのか。

ヤワラーから離れて片側6車線の、しかし夜はそれほど賑やかではない道に出てみると、そこにはここまで観光客を連れてきて、しばらく後にはホテルまで送り届けるための大型バスが、片側3車線を占領して大挙して停まっていた

今日はさすがに歩き疲れた。裏道を辿ってリバーシティまで来ると、コモトリ君の住むコンドミニアムの舟が折良く近づいて来た。それに乗って先ずはコンドミニアムの船着き場で降りる。そしてしばらく後にコモトリ君に見送られ、おなじ舟でサパーンタクシンまで運んでもらう

部屋に戻り、シャワーを浴びる。冷房の温度を高めに設定し、風量は最低にして即、就寝する。


朝飯 チャルンクルン通りの名前を知らないクイティオ屋のバミーナム(ルークチンは入れないでイカは入れてね特注)
昼飯 「盛悦飯店」のバミーラートナー
晩飯 “YOKU YO MARINA & RESTAURANT”のヤムウンセンプラームックソムタムサイクロイサーンプラームックパッポンカリー日本から持ち込んでコモトリ君の家の冷蔵庫に保管してもらっていた”TIO PEPE”

2017.3.13(月) タイ日記( 5日目)

隨分と長く感じられた悪夢から覚める。「あ、夢だった」ということと「あ、タイだった」ということを同時に、瞬時に悟る。時刻は夜中の1時24分だった。二度寝をして寝過ごすわけにはいかない。iPhoneの目覚ましを05:30に設定してから荷造りを始める。それからきのうの日記に取りかかり、これを書き終える。

きのう部屋のキャビネットの扉を開いたところ、そのガラスの部分が机の角に当たってひび割れた。その後、ひびはガラスの端から端まで広がり、遂にはその上半分が落ちかけたので、取り除いて脇に置いた。

姑息な人なら黙って済ますだろう。弁の立つ人なら「そもそも、このような関係に家具を配置した宿側が悪い」と、堂々の論陣を張るかも知れない。僕はその双方も好まないため即、階下に降りて、弁償するからオカミに知らせておくよう、客にコーヒーを淹れていたオニーチャンに頼んだ

今朝、8時の国王賛歌が鳴っているときには、3部屋しかないこの宿の、僕にあてがわれた1号室の隣のギャラリーから「勝利の門」の方を眺めていた。宿の前の通りが「勝利の門」まで上り坂になっているのは、そこが防塁の名残だからだ

8時45分、すべての荷物を持って階下に降りる。割ったガラスの代金と3日分の洗濯代をオカミに支払い、チェックアウトをする。プレーの街に来るに当たって立てた目標が易々と達成をされたのは、まったくもって、このオカミの親切心のお陰である

08:52 バイクタクシーの運転手はオバチャンだった。空港までの料金は50バーツ。
08:57 空港着小さなロビーは病院の待合室を思わせる
09:20 ノックエアのカウンターで荷物を預ける。15kgまでなら追加料金は発生しない
09:50 セキュリティチェックを受けて搭乗口に進む。
10:20 バンコクからの便が着陸をする。

10:42 滑走路を歩いて機に乗り込む
10:49 ”ATR 72-500″を機材とする”DD8003″は定刻より6分も早くに離陸。LCCの国内線は特に「えっ、もう」と驚くほど素早く離陸をするところが好きだ。
11:55 定刻より20分も早くドンムアン空港に着陸
12:10 機内に預けた荷物が回転台から出てくる。

昨年の2月はここからローカルバスにて市中心部に向かった。今回は空港バスを使うこととする。確実に座りたいため、国際線の6番出口まで空港内を歩く。A1のバスが絶妙の間合いで始発の停留所へと近づいてくる席に着き「モーチッ」と車掌に告げる。運賃は30バーツ。バスは12時28分に発車した。

12:49 高架鉄道BTSモーチット最寄りの停留所に停車
12:58 モーチット発。
13:14 サイアムでスクンビット線からシーロム線に乗り換えサパーンタクシン着
13:20 ホテル着。

昨年の2月12日は、おなじドンムアン空港への着陸から、今日とおなじホテルまで、ローカルバスを使いながら2時間54分を要した。それが今日は1時間25分と、前回の半分より短かった。A1の空港バス偉大なり、である。

定宿センターポイントシーロムのフロントでは「3,000バーツ足していただければ、本当に広いお部屋にご案内できます」と提案をされたけれど、ここはただでさえ部屋は広い。コンラン卿の”small spaces”にうっとりするような僕に、更に広い部屋は要らない。3,000バーツも大金である。

ベルボーイに案内された部屋は、シャングリラホテルと対岸のペニンシュラホテルのあいだにチャオプラヤ川の望める不思議な位置にあった。もちろん何の不満も無い

シャワーを浴び、革靴からゴム草履に履き替え外へ出る。チャルンウィアン通りに入って少し歩く。昼時から外れていたためか「カームートロックスン」は空いていた。テレビ用の撮影が行われる中、夕食に障らないよう普通盛りの豚足飯を食べる

夕刻、ちと調べたいことがあって、BTSにてアソークへとおもむく。そこからまたBTSに乗り、ひと駅プロンポンまで進む。同級生コモトリ君は本日、このあたりで仕事をしているという。僕は駅から直結の百貨店エンポリアムの4階で石鹸を買う。

コモトリ君とはエンポリアムのM階で落ち合った。またまたBTSにて今度はナナまで戻り、タイではほとんど現地食しか摂らない僕にしては珍しく、生ハムやピッツァを肴に白ワインや生ビールを飲む

20時30分、サパーンタクシンからコモトリ君の住むコンドミニアムの舟で、リバーシティまで送ってもらう。そしてタイマッサージ2時間を受け、ひとりタクシーに乗ってホテルに帰る


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト
昼飯 “DD8003″のパウンドケーキ「カームートロックスン」のカオカームー
晩飯 “Viva Tapas Bar and Restaurant”の生ハム、パン、4種のチーズのピッツァ、グラスの白ワイン、“Hoegaarden”の生ビール

2017.3.12(日) タイ日記( 4日目)

現在のプレーの気温は30℃をすこし超えるくらい。そして夜は、冷房を必要としないところまで凌ぎやすくなる。

タイでは街にも駅にも、朝の8時と夕方の18時に国王賛歌が流れる、という話は耳にしていた。しかしその場面に出くわすことは無かった。昨年2月、列車でスンガイコーロクへ行く途中のハジャイの駅でたまたま、ちょうど午前8時になった。タイ国民は、この歌が流れているときには、たとえ自転車に乗っていても、降りて立ち止まらなくてはならないとは、どこかで目にしたか耳にしたかで知っていた。しかしハジャイ駅構内の、それほど目立たないとろには、結構、いい加減なタイ人もいた。

次に国王賛歌に気づいたのはこのプレーの街でのことだ。その時間にベランダから外の様子を窺っていると「たとえ自転車に乗っていても」は嘘であることが分かった。

夕食にはそれほどの量は摂らない。朝は日本にいるときとおなじく、夜明けの何時間も前から起きている。腹の減らない道理がない。宿の朝食は、8時から10時のあいだに食堂に来るよう言われている。その8時、国王賛歌の流れている時間に2階から降りようとすると、宿の掃除のオバチャンだけは真面目に起立をしていた。よってその邪魔をしないよう、僕も階段の上で、同様に起立をして音楽が止むまで待つ

「今日のご予定は」と朝食の席でオカミに訊かれ「午前は日記を書いて、午後からは水泳ですね、きのうとおなじメーヨムパレスに行こうと思って」と答えると「もっと良いところ、ありますよ」と、僕がテーブルに置いた、チェックインをしたときにもらった絵地図に”PHOOMTHAI GARDEN”と、書き入れてくれた。それはきのうの夕刻、目的もないまま自転車で足を延ばしたあたりだったから、付近の風景まで目に浮かんだ。無駄な行いも、たまには報われるものである。

明日のノックエアのチェックインをiPhoneで済ませてから、Patagoniaのショートパンツの上にタイパンツを穿く。そして自転車にまたがり、先ずはチャロンムアン通りを南下する。数百メートルを往くと右側に、客で鈴なりのクイティオ屋が目についた。すかさずUターンをし、店の前に自転車を停める。

2、3段の階段を上がってガラスケースの中を覗くと、豚の挽き肉はじめ材料はどれも新鮮そうだ。その脇にはワンタンもある。「バミーナムギァオ」とお運びらしいオバチャンに告げて、先客が2組ほどいる大きなテーブルに相席をする

間もなく届いたワンタン麺は、調理職人の矜持と善意がありありと窺われる盛りつけで、味も良かった。食べ終えて値段を訊くと、田舎の水準に照らしても安い30バーツ。流行る店にはやはり、それなりの理由のあることをあらためて知る

“PHOOMTHAI GARDEN HOTEL”はすぐに見つかった。自転車を停め施錠をしてフロントに上がる。民族衣装の制服を身につけた女の子に声をかけると、すぐに、金色の名札を付けたオネーサンを裏から呼んできてくれた。

「いま泊まっている宿のオカミが、ここのプールがすごく良いと教えてくれたので来ました。お金、払えば泳げますか?」
「お客様は、これからこのホテルにお泊まりですか」
「いえ、それはありません。明日はバンコクに戻るので」
「ここにお泊まりになれば、プール代は無料なのに…」
「まぁ、それはそうでしょう」
「次にこの街にいらっしゃったときには必ず、ウチに泊まってくださいね」
「勿論、約束しますよ」

と、出だし以外は定型文のような会話をする。オネーサンの、笑いを含んだなじるような目つきもまた、テレビのドラマなどで良く目にする、いわゆる既定のそれである。

それはさておきこのホテルは、チェンライのブティックホテル”Le Patta”をすこし大きくしたような、やはり趣味の良さで、プールも小さめながら申し分のないものだった。そしてここの寝椅子で17時まで本を読む。南の国に旅をすれば、その時間が僕はどうしても欲しいのだ

宿に戻ると、朝食の際に頼んだ洗濯物が部屋の外に届いていた。少ない着替えでも充分に着まわしの効く点において、洗濯の面倒を見てくれる宿は本当に有り難い

今日は日の落ちる前から外へ出るそしていつもの屋台街の、2日目の晩からずっと来ている注文屋台に行く。注文屋台とは、品書きなどはなく、注文すれば大抵のものは作ってくれる屋台を指す。そして2種の料理を肴に飲酒活動をし、数十分で席を立つ。

日曜日の今日は、屋台街の客もことのほか多く感じられた。帰り道の、古い木造の家と、それよりは新しいだろうけれど、これまた年季の入ったコンクリートの家のあいだに丸い明かりが見える。「あれは高いところにある電灯だろうか、それとも月だろうか」と判断のつかないまま、とりあえずはカメラを向ける


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のサラダブレックファスト其の一其の二
昼飯 チャルンナコン通りの繁盛店のバミーナムギァオ、薬味盛り合わせ
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のミーラートナー豚肉とトマトと2種の葱の強火炒め、シンハビール、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.11(土) タイ日記(3日目)

3部屋しかない小さな宿が、きのうは満室になった気配があった。朝8時をすぎて階下の食堂に降り、4種のメニュの中からきのうとおなじ”ABF”を選ぶ。ややあって、その食堂に小さな男児を連れたタイ人の若夫婦が入ってきた。静かで行儀の良い親子に心を癒やされる

僕がプレーに来た目的は、環濠と土塁により守られた旧市街をひとまわりしてみること、本場の藍染めによる品物を手に入れること、プールサイドで本を読むことの3つである。自転車は使い放題らしく、宿の親切なオカミの案内もあって、ひとつ目、そしてふたつ目の目的の半分は易々と達成された。ふたつ目の目的のもう半分は、「アーティスト」がかった人による藍染めではなく、一般大衆のための藍染め製品を手に入れることである。

藍染めを売る店は、プレーから4Kmほど離れた、英語の表記によれば”Bann Tung Hong”という場所にあるという。よって初日に宿で手渡された絵地図を指しつつ、その場所をオカミに確かめる。”Indigo hotel”から4軒目の”Natural Mild Shop”がお薦めと、オカミは教えてくれた。

11時31分に自転車でホテルを出る。11時42分にテスコロータスの前まで来る。オカミによれば”Bann Tung Hong”はこの交差点から1kmとのことだった。それくらいの距離を走ってみて、しかし周囲は見わたす限りの、田舎の広い道でしかない。

不安を覚えつつ走りながら、左手に大きな地図を見つける。近づいて注意深く読む。サイアム商業銀行のマークの先に”Mohom market”の文字がある。「この道で間違いない」と、ふたたび自転車にまたがる。すると、近視と遠視と乱視の入り交じった僕の目にも、800メートルほど先の右側に、サイアム商業銀行の紫色と黄色による看板が見えた。

11時55分、左手に”The Indigo House Phrae”というホテルがあらわれる。オカミの言っていた”Indigo hotel”とは多分、ここのことだろうあたりにはなるほど藍染め屋が集まっている。そして”Natural Mild Shop”はホテルの数軒先に難なく見つかった。

店に入り、ジンジャーブレッドからの紹介で来たことを告げる。他のものには脇目もふらず、タイパンツを出してくれるよう頼む。念のため試着をして即、これを買うことを告げる。価格は900バーツだった。宿を出てから30分も経っていない

バンコクからデンチャイまでの列車こそまともに走らなかったけれど、プレーに来てからは主に宿のオカミの親切心により、すべては順調だ。

「交通量が多いから気をつけてください」とオカミが注意してくれた街道を、心を軽くして戻る。途中左手に、木の柱とトタン屋根だけの、さっかけ小屋のようなクイティオ屋に客の満ちているのを見る。即、その店の前に自転車を停める。

調理場の材料棚を一瞥して「センヤイナム」と注文をする。あるじらしいオバサンは、隙間の空いた前歯に舌を押しつけながら「センヤイナム」と、確認のため繰り返した。タイ語の発音は、日本人にはまったく難しいのだ。

席に届いたセンヤイナムには、煮込まれた鶏の手羽と足がたっぷりと入っていた。味も良い。オバサンが僕に何ごとか言う。その意味を分からずいると、皿に山盛りの生野菜を従業員のオネーサンが持ってきてくれた。もちろんすかさず、それらすべてを汁麺に投入する。

食べながら見ていると、入ってきた客は先ず、調理場の横のバットから生野菜を好きなだけ取っている。また、プラスティックのコップに氷と水を満たしている。なるほどこれは素焼きの水瓶を家の前に置いて「どなたでも飲んでください」とした、タイの古い美風とおなじではないか。僕は勝手に、この店を「ナムジャイ屋」と名付けた

あとは一路、宿へ戻るのみである。市の中心部に入ってからは、知らない道にわざと迷い込み、街の地理をより深く知ろうとする

シャワーを浴び、ベッドで休むうち14時を過ぎる。それから更に30分ほど経ったところで服を着る。代金を払えばプールが使えることを確かめておいた「メーヨムパレス」のロビーには、団体客が溢れていた。フロントできのうのオネーサンに60バーツを支払い、受け取った切符を手に奥のプールへと行く。そうして17時まで寝椅子で本を読む

夕刻の街には、調理のための炭火の香りが漂っている。その匂いを頼りに自転車を走らせると、そこはきのう「まるで昼寝でもしているような」と感じた一角だった。「今日の晩飯はここにするか」と考えつつ奥へと進む。しかしここは持ち帰り専門の屋台街らしく、机や椅子の用意は無かった。また、きのうの昼に美味いバミーヘンを食べさせてくれた店には「11日から15日までお休み」と書いてあるらしい案内があった

日が落ちるのを待ってペットボトルに小分けしたラオカーオとコップを持ち「勝利の門」前の屋台街へと向かう。そうしてきのうとおなじ注文屋台にて、目玉焼きを載せた海老炒飯を頼む。このあたりで英語を使う人はほとんどいない。屋台のオヤジが何ごとか訊くので、とりあえず「日本人だよ」と答える。そしてまた、調理場の黄色い麺を指し「ラートナー」と訊くと、オヤジは頷いた。「明日も来るよ」と、これは英語で告げて、夜の街を宿へと戻る


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト其の一其の二
昼飯 「ナムジャイ屋」のセンヤイナム薬味盛り合わせ
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のカオパックンカイダーオ、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.10(金) タイ日記(2日目)

「ホーウィ、ホーウィ」と、昨年ナラティワートで啼いていた鳥の声を、ここでも聴く。朝の街を托鉢の僧が往く。ベランダから戻り、このゲストハウスの主人がよかれと考えて置いただろう調度品を片づけて、部屋を自分の好みに変える。古いミシンを改造した机は、コンピュータを使うにはうってつけの高さである

朝食は4種の中から選べる。もっともカロリーの高そうな”ABF”を僕は選ぶ。3つある部屋に対して泊まっているのは僕ひとり。通りに面したガラス張りのカフェスペースで、しばしゆっくりする

きのうオカミが教えてくれた藍染めの工房について、更に詳しく訊く。”Kaewwanna”という工房の名は、日本にいるときの下調べにより、既にして聞き覚えたような気もする。その場所は、宿の面するチャロンムアン通りをひたすら南東へと直進し、空港を過ぎて、スーパーハイウェイの手前の左側。距離にして3、4キロだという。

1982年のカトマンドゥには、貸し自転車といえば中国製の、大きく重たいものしかなかった。僕はそれで、1日に30キロほどは走り回った。しかし35年もむかしのことだ。いまの僕に、炎天下の8キロをこなすことはできるだろうか。モータサイを使うことも考えたけれど、自由度を考え、宿の自転車を借り出す。

変速の効かないギヤはかなり高く設定されているにも関わらず、自転車の漕ぎ心地は悪くない。空港を過ぎたあたりから「本当に行き着けるだろうか」と不安になってくる。そして遂にスーパーハイウェイの手前まで来てしまう。仕方なく戻ろうとして、安全な横断場所を探しているとき、左手の林の中に”Coffee Park”という看板を見つける。気になって数十メートルを進んでみると、その林が果たして藍染めの工房”Kaewwanna”だった

宿のオカミによれば、今日はオーナーは不在。明日ならオーナーもいるし、ちょうどランナースタイルを専門にするアーティストも来るとのことだった。しかし人との交流をあまり好まない僕にとっては、今日の方が好都合である。

工房には女の人がふたり、留守番をしていた。タイパンツをあれこれ見せてもらうも、僕の気に入るものは無い。僕が欲しいのは一般大衆が身につけるそれで、いわゆる「デザイン」や「アレンジ」は要らないのだ。しかし何も手に入れずに帰れば、何やら後悔をしそうな気もする。よって女物のシャツ1着を買う。価格は、僕が日本から持って出たバーツの1割を超えた。「本物は顧客を選ぶ」ということなのだろうか

来た道を快調に戻る。途中で左側に市場を見つける。自転車を、日本から持参したワイヤーロックで道ばたの道路標識に繋ぐ。そしてその、中へと入ってみればかなり清潔で広い市場の奥まで歩き、ひと回りして戻る

心配が先に立った自転車での行動だったが、それほど大変なものでもない。当方には勢いがついているから、宿の前を通り過ぎ、そのまま旧市街に直進する。更にはそこも通り抜けて、ヨム川を渡ったところでようやく引き返す。

プレーに来た目的は3つある。

僕は中世以前から戦乱を繰り返したインドシナの、環濠と土塁により守られた古い、それも小さな街が好きだ。瓢箪型の旧市街がぐるりと土塁に囲まれたプレーの地図を”LONELY PLANET”で見たときから「この旧市街をひと回りしないわけにはいかない」と考えてきた。

ヨム川からチャロンムアン通りを旧市街の北の入口まで引き返すと「ナーン、パヤオ、チェンライは左」の標識が見えた。よってこの小さな交差点を起点として、旧市街を右回りに一周することにする

“LONELY PLANET”でも、また「地球の歩き方」でも地図には示されていない、しかし古いお寺を右手に見ながら進む。やがて旧市街の東端、瓢箪の小さな玉の先にあたる場所に達する。ここからしばらく行くと、右手に刑務所らしい建物が見えてくる。そのすこし先に自転車を停め、土塁に上がってみる。旧市街の北東側である。環濠は空堀のところもあるけれど、このあたりではいまだ満々と水を湛えている

土塁から降り、自転車を押しながら、その環濠に掛けられた橋を渡る。ちかくで見るとその環濠には、インドシナの例に漏れず、魚が押し合いへし合いをしていた。釣りをする人がいる。釣れなければ不思議なほどの魚影の濃さである

「勝利の門」つまり夜には屋台街になるところから、今度は旧市街の西側に銀輪を向ける。その西端、つまり瓢箪の大きな玉の先にあたるところには、これまた地図には示されていないものの”WAT SRIBUNRUEANG”という名の大きなお寺が、旧市街の端を守るようにしてあった。ふたたび土塁に上がると、涼風はこの高さにのみ吹きわたっていた

旧市街を更に右へと巻いて行く。途中、洗濯を生業としている家が左手にある。土塁下部のレンガの壁を使って干されているタイパンツを見て「そう、オレが欲しいのは、こういう普通のやつなんだ」と、顔も名前も知らない、このパンツの持ち主を羨ましく思う。

そうして遂に先ほどの、「ナーン、パヤオ、チェンライは左」の小さな交差点に戻る。旧市街を周回する道の延長は、5Kmほどではなかったか。

時刻は正午にちかい。ホテルに戻り、冷えた水300ccほどを一気に飲む。シャワーで汗を流し、ベッドで休む。

プレーはまた、藍染めの産地でもある。プレーに来た目的のふたつ目は、本場の藍染めによるタイパンツを手に入れることだ。これについは明日にでも捲土重来を期すこととする。

最後のみっつ目は、プールサイドでの本読みである。僕は南の国においては、プールサイドで本を読まないことには気が済まない。しかし今いる宿は3部屋のみの小さなもので、プールなどは望むべくもない。

午後、ふたたび自転車にまたがり、この街でもっとも大きいと思われるホテル「メーヨムパレス」を訪ねる。「僕、ここに泊まってるわけではないんですけど、お金、払えばプール、使えるんですかね」と訊いてみる。オネーサンはにっこり笑って「はい、大丈夫です。料金は60バーツです」と答えてくれた。明日と明後日は雨でも降らない限り、ここに来ることにしよう

今日はここまでで15km以上は自転車で走ったように思われる。しかし腹は減らない。それでもやはり、昼食は抜かない方が良いだろう。チャルンナコン通りを帰る途中の右手に「閣心紫堂善心一府巾白挽」という赤い看板が目につく。すこし感じるところがあって、その、まるで昼寝でもしているような一角に足を踏み入れてみる。果たしてその突き当たりの右側に、割と大きな食堂があった。席に着き、バミーヘンを注文する。そのバミーはかなり美味かった。「プレーの昼飯は、帰るまでずっと、ここでいいや」という気分になる。

ふたたびチャルンナコン通りを戻りつつ、中華旅社のあることに気づく。名前は”TEPWIAN”。壁の銘板には「天宮両合公司」とある。フロントのお婆さんは、英語は解さないだろう。その娘らしい人に案内を請うと、部屋を見せてくれるという。2階に上がってはじめて、ここがかなり大きな旅社だということを知る。部屋に冷房はなく扇風機のみ、そして冷水によるシャワー。料金は1泊120バーツとのことだった。1980年代はじめの為替に照らしてみても、あの楽宮大旅社より3割も安い。しかも楽宮と異なり、掃除はかなり行き届いている。今より30歳ほど若ければ、大喜びで泊まっているところである

宿に戻ってシャワーを浴び、またまた休む。そして18時をかなり回ったところで外に出る。プレーを田舎と感じるのは、この時間にして既に人の姿のほとんど見えなくなることによる。先ほど”TEPWIAN”の若オカミが教えてくれたマッサージ屋”HAPPY HEALTH SPA”の前まで行くと、あるじらしい女の人が声をかけきた。

2時間400バーツのタイマッサージにしようとしていたところ、特殊配合のハーバルオイルを用いるコースは2時間1,000バーツが、現在はキャンペーン中で700バーツだと薦める。特殊配合のハーバルオイルになど興味はないものの、僕も日本人であれば、妙に格好を付けるところがある。よってその700バーツのコースを、物静かで太ったオネーサンに受ける。

特殊配合のハーバルオイルはやはり、どうということもなかった。それはさておき、100バーツのチップを差し出されて、これほど驚き、嬉しそうな顔をしたマッサージ嬢は、今日のオネーサンが初めてである。

“HAPPY HEALTH SPA”とは目と鼻の先の宿には寄らず、そのままきのうの屋台街まで歩く。そして今夜は父と息子で営んでいるらしい注文屋台にてガパオ飯を頼み、これを肴にしてラオカーオを飲む


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト
昼飯 名前を知らないクイティオ屋のバミーヘン
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のカーオパッガパオムーカイダーオ、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.9(木) タイ日記(1日目)

“BOEING747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に22分遅れて00:42に羽田空港を離陸をした。きのうの目覚めから現在まで23時間も起き続けている。よってオフクロの遺したデパスとハルシオンは、持参はしたものの、服用はしなかった。それが裏目に出て全然、眠れない。

”sorry”の声と共に二の腕を軽くつつかれて、アイマスクを外す。窓際に座ったタイ人のオネーサンが手洗いに立ちたいらしい。僕は脚を通路側にずらし、オネーサンを通してあげる。時刻は2時15分だった。

ジェットエンジンの音が轟々と響いている。音が聞こえているということは、眠れていないということだ。腕時計は5時を示している。このまま起きてしまうこととして、そろそろダナンの上空にさしかかるころだろうと、目の前のディスプレイのスイッチを入れる。しかし機は、いまだ海南島の東洋上を飛んでいるところだった。

05:20 機内の明かりが点く。
05:30 朝食の配膳が始まる。
06:00 ダナン上空を通過。
06:43 「バンコクは曇り、気温は27℃」と、機長のアナウンスがある。
07:05 タイ時間05:05、定刻より20分はやくスワンナプーム空港に着陸。

以降の時間はタイ時間による。

06:05 エアポートレイルリンクARLの始発で市内を目指す。いまだ夜は明けていない。
06:43 マッカサンから歩道橋でペチャブリーに移動。地下鉄MRTに乗り換える
06:53 シーロムに停車中に同級生コモトリケー君から位置確認の電話あり。
06:56 ファランポーン着。

バンコクの中央駅たるファランポーンは、日本でいえば東京駅ではなく、断然、上野駅の雰囲気だ。その構内のベンチにコモトリ君の姿を認め、近づいていく。そうしてスーツケースを開いて土産を手渡し、首都に戻ってから飲むための”TIO PEPE”を預ける。

タイ国鉄北線7号列車ディーゼル特急の、デンチャイまでの切符は、コモトリ君が駅員に発券を頼んでくれた。時刻はいまだ7時20分、よって外へ出て駅前のメシ屋でコーヒーを飲む。頼んだのはアイスコーヒーだが、届いたのはホットコーヒーだった。「気にしなくていいよ」と、コモトリ君が店のオバチャンんに声をかける。オバチャンは元より、そんなことは気にしていない。

08:05 入線してきた列車に乗り込む
08:31 定刻に1分遅れて発車
08:44 駅でないところで謎の停車
08:57 サムセン着(既にして17分遅れ)
09:03 バンスージャンクション着
09:50 サービス係のオネーサンがチョコレートパンと飲物を配り始める。

チェンマイ行き7号列車の編成は冷房二等車のみの3両。おざなりな掃除しか受けない汚れた窓は開くことができない。また多くの乗客は、日差しを避けるためカーテンを引いている。よってインドシナの熱風を感じることはできず、泥田に咲く蓮の花の、濃い紅色を愛でることもできない。タイの列車は、昼は三等、夜は二等寝台に限ると、早くも悟る

きのうの日本経済新聞を読むうち、アユタヤは過ぎたらしい。前述の理由により、車窓の景色に関心が向かないのだ。また、通過する駅の名を確かめようとしても、これまた窓の汚さにより、著しく見えにくい。英語による駅名が、終わりの”tion”しか読めなかった駅は、北線と東北線に別れるバーンパーチー分岐だったかも知れない。

10:45 バーンパーワーイを通過
10:50 ロッブリー着
11:35 ひと車両に一人ずつ乗ったサービス係のオネーサンが弁当を配り始める。

タイの特急で支給されるメシの不味さについては藤井伸二の「タイ鉄道散歩」で読んではいた。しかし本当に不味いかどうかは、試してみなければ分からない。

“Cooked Thai Jasmine Rice”はタイ米だからというわけではなく、ポロポロで固まっている。”Fried Mackerels Chilli Saice”は、鯖というより鰯のように小さな魚が甘く煮込まれてはいるけれど、辛くはない。”Sweet Fried Chicken”は、どこが”Fried”なのか分からない。それぞれ匂いを嗅ぎ、舐め、そしてほとんどすべてをオネーサンに返却する。

そうしてコモトリ君が持たせてくれた、手製のおむすびと焼叉の辛味噌和えを本日の昼食とする。おむすびも焼叉も美味かった。

これまた悪口になるけれど、”DRC”と表記されるディーゼル特急でなければ、不味いメシなどあてがわれず、各駅のプラットフォームや、あるいは次々と乗り込んでくる弁当売りのオバチャンから上出来のガイヤーンやガパオ飯が買えるのだ。

12:19 ナコンサワン着(42分の遅れ)。19分間の停車
13:04 チュムセーン着36分間の停車
14:02 タパーヒン着。10分間の停車。
14:40 外の景色を撮りたくなって便所へ行く。ここにだけは爽やかな風が吹いている
15:00 ピサヌローク着(1時間48分の遅れ)

この7号列車は、昼前ころからラジエターに不具合が発生したらしい。よって停まる駅、停まる駅で、そのラジエターにホースの水をかけて冷やしている。また不具合は、ラジエター以外のところにも及んでいるらしい。2012年8月のウボンラチャタニー行き、また昨年のスンガイコーロク行きのときとおなじく、列車の遅れに怒ったり焦燥を募らせたりする乗客は皆無だ。そして国鉄側からの説明も一切、無い。

15:49 バーンダーラー通過
15:51 ターサックに停車
15:59 トゥーン通過
16:02 ワーンカーピー通過
16:10 ウッタラディット着(1時間48分の遅れ)。且つ、46分間の停車

ウッタラディットでの停車中に、後ろからバンコク発デンチャイ行きの列車が来る。それに乗り換えさせられるのだろうかと考えたけれど、そのようなことは言われなかった。謎のデンチャイ行きに追い越されたのは、本日2度目のことである。

ウッタラディットを出ると、徐々に高度が上がっていく。これまで直線を激走することの多かった車両が、山あいの谷や切り通しを蛇行し始める

17時56分、ようよう目的のデンチャイに着く。定時に2時間36分遅れの到着である。日暮れのちかい時間で心配をしたけれど、駅を出るとソンテウの運転手らしいオバチャンが手招きをする。タイ語をカタカナ読みしても通じない。「プレー」ではなく「プラエッ」と素早い巻き舌で強く返してみる。オバチャンは頷いて荷台を指した。

ソンテウには、赤ん坊を抱いて助手席に収まっている人の子供らしい女の子が2名、タイ人2名、ファラン1名、そして僕が乗っている。プレーまでの料金は60バーツと告げられた。片側3車線の広い道を、オバチャンは時速45キロでゆっくり走る。計器板では、燃料が残り少なくなったことを知らせる警告灯が点いたままになっている。

先ずは、スマートフォンで場所を示したファランが”Come Moon Loft Hotel”という名の小さなホテルで降りる。次にタイ人のひとりがかなり大きなホテルで、またもうひとりのタイ人は助手席の女の人、赤ん坊、荷台のふたりの女の子と共に降りた。

女の子を降ろす手伝いをしたオバチャンが僕の方を見る。「ロンレーム、ジンジャーブレッ、タノン、チャロンムアン、カイカイ、ポリーステイション」と告げる。タイ語の発音にはコツがあるのだ。赤信号で泊まったソンテウの荷台から外の”BED & BREAKFAST”の文字を眺めつつ「プレーにはこの手のゲストハウスが多いんだな」などと考えていたら、運転席から降りてきたオバチャンが「ここだ」と身振りで示す。なるほどそこは僕が日本から予約をした”Gingerbread House Gallery”だった。時刻は18時47分になっていた

チェックインの手続きをしつつ、薄い藍染めのベストを着た趣味の良いオカミが「インディゴは好きですか」と訊く。タイパンツを穿いた、僕の服装に何ごとかを感じたせいかも知れない。「もちろん好きです」と答えると「私の友だちが藍染めの工房を経営しています。よろしければご紹介しましょう」と、押しつけがましさの一切、感じられない表情と口調で言った。願ってもないことである。

宿は街の中心にある、小ぶりなところが好きだ。チークの古建築による宿の二階には外の階段から上る。廊下から見おろす交差点は、いにしえには街一番の交通量を誇っていたところかも知れない。部屋は「チークの小箱」とでも形容すべき可愛らしさで、居心地は大いに悪くない

地図やインターネットで知ってはいたけれど、オカミもまた、旧市街へと至る「勝利の門」ちかくに広がる屋台街を教えてくれた。よってホテルから数分を歩いてその場に至り、セブンイレブンで買ったビールと日本から持ち込んだラオカーオにて飲酒活動に入る。


朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 7番列車ディーゼル特急の車内食コモトリケー君による2種のおむすびと焼叉の辛味噌和え
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の串焼き、バミーナム、シンハビール、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.8(水) 出発前夜

今日は高圧受電設備の、年に1度の検査の日だ。コヤマ電気管理事務所のコヤマアキラさんは、朝の6時30分に来る。万一を考え、コヤマさんには僕の携帯電話の番号を教えておいた。またきのうの夜は「3/8(水) 06:30 コヤマ電気来社」と書いたポストイットをメガネケースに貼った。

今朝、目を覚ましたのは早朝どころではない、1時40分のころだった。それから30分ほどして食堂のテーブルに着く。新聞その他の活字を拾い読みしつつ、ポストイットの貼られたメガネケースは常に、左手のそばから離さない。

一方、本日は旧暦の初午に当たる。この日はお稲荷さんに郷土食しもつかりと赤飯をお供えし、五穀豊穣、商売繁盛、無病息災、家内安全などを祈る。そのしもつかりは昨夜のうちに家内が作り終えた。赤飯は今朝、これまた家内が、検査により停電をする前に蒸し上げた。

冷えたしもつかりと熱い赤飯を、小さなお盆に載せて長男が持つ。僕も共に1階へ降りて、通用口から外へ出る。予期しないことにちょうど、コヤマさんと助手が到着をしたところだった。お稲荷さんのことは長男に任せ、事務室のシャッターを上げてコヤマさんと助手とを社内に招じ入れる。その後ふたたび外へ出て、お稲荷さんの様子を確認する

高圧受電設備の検査は、社員が出勤をする前に無事、完了した。

下今市18:53発の上り特急スペーシアに乗る。ひとりで海外へ行くときの夕食は大抵、浅草の立ち食い鮨だ。立って物を食べる利点は僕の場合、酒を欲しくならないところにある。浅草から羽田までは都営浅草線に乗ったままで行けるから、楽なことこの上ない。

羽田空港国際線ターミナルには22時04分に着いた。即、タイ航空のカウンターでチェックインをする。スーツケースの重さは9.1Kgだった。ここから2Kgほどは、明日の朝には軽くなるはずだ。

22時24分にパスポートコントロールを抜ける。そして当座に必要なものとコンピュータの入ったトートバッグを提げ、左へ進んで奥から2番目の147番ゲートに達する。目を覚ましてから21時間が経っている。


朝飯 巻湯波の淡味炊き、蓮根のきんぴら、なめこのたまりだきのスクランブルドエッグ、春菊の胡麻和え、しもつかり、大根の甘酢漬け、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「浅太郎」
晩飯 「まぐろ人雷門出張所」のあれやこれや、浅蜊の味噌汁

2017.3.7(火) 時候の挨拶

村田蔵六はすこぶる愛想のない人で、暑さを嘆きつつの夏の挨拶には「夏は暑いものぢゃ」、寒さを嘆じつつの冬の挨拶には「冬は寒いものぢゃ」と応えたという。僕は自分を「すこぶる愛想のない人」とは思わないけれど、村田の気持ちはよく分かる。

「いつまでも寒くて、イヤになっちゃいますよね」と、今日は街で声をかけられた。「そうですね」と答えてみたものの、しかし実際には、寒さはそれほど感じていなかった。

いまウチのホンダフィットにはスタッドレスタイヤが履かされている。先日は「そろそろ普通のタイヤに交換しても良いのではないか」と考え「しかし案外、これから雪が降るということもあるからな」と、思い直した。

ひと仕事を終えて午後、4階の食堂に上がって生姜湯を飲む。そしてふと外に目を遣ると、雨には見えないものが降っている。窓を開け目を凝らしてみると、それは紛れもない雪だった。

結局のところ、その雪が降り続くことはなかった。しかしスタッドレスタイヤは、いまだしばらくは履き続けた方が良さそうな気がしている。


朝飯 切り昆布の沖縄風炒め、納豆、トマトとレタスと炒り卵のサラダ、茹でたウィンナーソーセージ、細切り人参の炒め煮、じゃこ、胡瓜の古漬け、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 春雨サラダ、皮蛋豆腐、グリーンアスパラガスのバター焼き、「しいたけのたまりだき」を刻み入れた水餃子、「光酒造」の麦焼酎「博多小女郎」(お湯割り)、とちおとめとスカイベリーの盛り合わせレモンパイ

2017.3.6(月) あれこれ教えていただく会

先月15日を以てバッテリーの機能を失ったらしいLet’s noteを午前、秋葉原の「LUMIX & Let’s note修理工房」に持ち込む。インターネットによる予約は数日前に済ませておいた。

ふたつみっつの質疑応答の後、係はそのコンピュータを奥の部屋に持ち込んだ。そして真新しいバッテリーと共に受付カウンターへと戻した。「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」という言葉と共に、係員はバッテリーを交換した。代金は無料だった。

このLet’s noteは2011年8月に購入をしたもので、もちろん、保証期間は過ぎている。バッテリーは、使い始めて何年か後にリコールで交換をしたものだ。今日の代金無料は、そのあたりが関係をしているのかもしてない。いつも書くことながら、この「LUMIX & Let’s note修理工房」が存在する限り、僕はパナソニックのコンピュータを使い続けるだろう。

丸の内に移動しウェブ上での商売に関するセミナーに参加をする。そこで落ち合った長男と、今度は新宿へと移動をする

勉強仲間のタナカノブコさんとは、数週間ほども前から今日の飲酒活動を約束していた。そうしてタナカさんの得意分野についてあれこれ教えていただく。


朝飯 ほうれん草のソテー、納豆、切り昆布の沖縄風炒め、細切り人参の炒め煮、スクランブルドエッグ、なすのたまり漬(試作品)、じゃこ、メシ、大根と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 “curry shop C & C”のポークカレー(大盛り)
晩飯 「鼎」のあれやこれやそれや。麦焼酎「中々」(お湯割り)

2017.3.5(日) 紅梅

きのう、朝一番に来るはずの取引先が16時30分を過ぎても現れない。その業者の携帯電話を鳴らしても応答は無い。しばらくするとしかし、相手は着信に気づいて折り返し電話をしてきた。「スイマセン、駅前のローソンでトイレに入っていて…」というのが相手の言い訳だった。

問題は、今しがたの電話に応答できなかったことではなく、朝一番で来ると約束をしながら夕方まで姿を現さない、その時間管理のだらしなさにある。しかし僕は相手をなじることも、苦情を申し立てることもしなかった。それは、仕事の内容がそれほど時間の精密さを要さないこと、もうひとつは相手の、何に因って醸し出されるものかは不明ながら、そこはかとない愛嬌による。

気にせず定時で帰るよう社員には伝えた。そして僕と長男のみ社内に居残って、約束に9時間ほど遅れて来た相手の仕事ぶりを見守った。その最中に業者がアルミサッシの具合を説明するため隠居の庭に面した窓を開けると、いまだ明るい夕刻の空気の中に、濃いピンク色の花が見えた。紅梅である。

きのうは忙しくてそれどころではなかったけれど、今朝は庭に足を踏み入れ、ゆっくりとその梅を観る。冬は去りつつあるのだ。あるいは既にして去ってしまったのだ。そしてウチの紅梅は白梅に先駆けて咲くことを、生まれて60年目にしてようやく知る。


朝飯 切り昆布の沖縄風炒め、ほうれん草のソテー、蓮根のきんぴら、生のトマト、チーズ入り炒り卵、なすのたまり漬(試作品)、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 “Parrot”のパロットサラダリブロースステーキ“evodia 2015”家に戻ってからの杏仁豆腐とカステラ

2017.3.4(土) 失望と転進

理科のテスト用紙に蜂が描かれている。その体の各所から延びた線の先に回答欄がある。触角から引かれた線の先に「しょっかく」と答えを書いたら後日、バツをつけられ戻ってきた。「へげ」と答えた隣のヤギサワエーイチ君はマルだった。

「教科書では『ひげ』と教えている。『触角』とは教えていない」というのが教師の説明だった。それならなぜ「へげ」はマルなのかと畳みかけると「『ひげ』は『へげ』ともいう」と、教師は僕との質疑応答を打ち切った。

今朝の日本経済新聞第44面の「私の履歴書」を読んでいくと、アメリカのオクラホマ大学で、ジョー・プライスがおなじ経験をしていた。以下にそれを引用する。


ある試験で、自分なりの解法を見つけて問題を正解に導いたことがあった。ところが教授は教科書に載っている公式でないからダメだという。「あぁ、普遍的ではないが、この手もあるね」という理解さえ教授は示さない。私は機械工学に失望した。ますます専攻への意欲がうせ、苦痛さえ感じ始めていた。

後に名を成すジョー・プライスでさえ、たった一度の失望により学問への意欲を失うのだ。まして凡人である僕においてをや、である。小学5年生のときのあの経験は、その後の僕の考えや行動に、かなり濃い影響を与えたと思う。


朝飯 納豆、厚揚げ豆腐と小松菜の淡味炊き、ウィンナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、すぐき、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 “TIO PEPE”、人参と隠元豆のスープ煮、マッシュドポテト、スパゲティを添えたハンバーグステーキ“Chateau Montus Madiran 2003”焼きメレンゲ

2017.3.3(金) 旅の準備

谷口正彦の「冒険準備学入門」を紐解くまでもなく、旅の楽しさのかなりの部分は、出発前の準備が占める。旅の持ち物はデータベース化してあり、それほどの時間を要さず整えられるとはいえ、切羽詰まってからの行動は避けたい。本日、コンピュータから日程表と持ち物の一覧表を印刷し、その4枚の紙にサインペンで印を付けつつ必要なものを集め始める。

衣類の数は、日程表に従って最小限に留める。日中用には化繊の白いポロシャツを複数着。プミポン前国王の喪中であれば、夜用のシャツも地味なものにしておく。田舎ではゴム草履でも、首都では革靴を履くから靴下は予備が必要だ。

昨秋、チェンライで余らせ持ち帰ったラオカーオは、軽くするためペットボトルに詰め替える。首都に戻って飲む”TIO PEPE”も、同じ理由によりペットボトルに詰め替える。

薬は、使わない可能性が限りなく高いけれど、いざというときに困るから、かなりの種類を持つ。ガイドブックは不要にて、地図や、ウェブ上から印刷した時刻表のみクリアホルダーに納める。鉄道の路線図は、iPhoneにダウンロード済みだ。

首都から北部までは列車で行く。北部から首都へはノックエアで帰る。いつものようなスーツケースとザックのふたつでは、低価格の飛行機に対して荷物が大きくなる。それを避けるため今回は、手荷物にはザックではなくトートバッグを使うこととした。

そうして手荷物以外をスーツケースに納めてみれば、いまだ空間はかなり広い。ここに何を入れるか、あるいは入れないかは、出発の前夜までに決めることとして、荷造りを完了する。


朝飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、生のトマト、ほぐし塩鮭、スクランブルドエッグ、納豆、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、にんにくのたまり漬(試作品)、なすのたまり漬(試作品)、メシ、豆腐とパセリの味噌汁
昼飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、肉じゃが、なすのたまり漬(試作品)、焼きたらこによるお茶漬け
晩飯 サラミソーセージ、”TIO PEPE”、トマトとモツァレラチーズのサラダロールキャベツ入り野菜スープ牡蠣とベーコンとマッシュルームのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2017.3.2(木) トロール外出

8時40分、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」のウチの売り場に商品を納めるべく、国道121号線にホンダフィットを乗り出す。しかし「ほら、今朝もオレの悪い癖が出た」と、すぐに会社の駐車場にUターンする。複数の用事を一度で終わらせず、そのつど会社を出たり入ったりする悪癖が僕にはある。

事務室に上がり、資料や見本、銀行の預金通帳などを手提げ袋に入れてから、それを手にふたたびホンダフィットに乗る。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」からセイブンシャ印刷にまわる。そして先日来、保留にしていた仕事の、いまだ決まっていなかった数量と、印刷物の綴じ方について説明をする。すぐちかくの、いまだ朝礼の最中だったホンダにフットを乗り入れ、メーターの正面に表示の出ているミッションオイルの交換をしてもらう。そこから帰る途中で銀行に寄り、ここ1週間で必要と思われる額のお金を下ろす。

1度に複数の訪問先をまわり、複数の仕事をこなす出張を「トロール出張」と呼んだ人がいる。外へ出る際には僕もよく考えて、それを「トロール外出」にしなくてはならない。

夜は社員みなと4階の応接間に集まり、1月18日と19日に行われた社員研修「日光MG」の反省会を行う。


朝飯 ほぐし塩鮭、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、ほうれん草の卵とじ、生のトマト、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、大根のぬか漬け、メシ、白菜と玉葱とベーコンの味噌汁
昼飯 「金谷ホテル」の2種のパン、コーヒー
晩飯 枝豆カリカリスナックとアボカドのディップトマトのサラダレタスのサラダホタテと蟹のリガトーニジャガイモのグラタンオムレツブロッコリーのソテーを添えたビーフシチューなすのたまり漬(試作品)、”Cono Sur Cabernet Sauvignon 2011″、イチゴのババロアイチゴのタルト桜餅

2017.3.1(水) 小遣い帳

2月の小遣いは、はじめの2日間だけで予算の40パーセントちかくを使ってしてしまった。これは僕の放埒さをあらわすものだろうか、それとも以降に節約をすれば、立派な計画経済なのだろうか。そうして同月28日、つまりきのうの夜に小遣い帳を締めてみれば、予算の4パーセントが残った。

支出がいきなり突出をするのは、たとえばワインなど日持ちのする飲料品や、バンドエイドなどの消耗品をまとめ買いするからだ。バンドエイドはともかくとして、ワインについては、いくら普段飲みの安いものとはいえ、それなりのお金は出ていく

僕の小遣い帳は会社の帳簿とは異なり、目安程度のものだから、今月の残を次月に繰り越したりはしない。ざっと目を通したり、必要に応じては特定の費目でまとめたり、特定の店でまとめたりして、ただ眺めている。

3月は、2月より節約ができるかも知れない。しかしあるいは、呑気に構えているところに想定外の出費の発生することがあるやも知れない。

十代のころから「分かっちゃいるけどやめられない」のが、カタログのような作りの雑誌の購入である。こういうものを買えば、つい欲しいモノが出てくる。そうして結局は現金残高を減らし、家の中のモノを増やしてしまう。そのあたりの克服が、今年の課題のひとつである。


朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、納豆、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、小鰯の土佐煮、揚げ湯波とひじきと人参の甘辛煮、すぐき、メシ、揚げ湯波とサニーレタスの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトサラダ、ほうれん草の胡麻和え、銀鱈の味醂漬け、厚揚げ豆腐と白菜の煮付け、大根のぬか漬け、「常楽酒造」の芋焼酎「黒麹焼き芋」(お湯割り)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学