2019年6月の日記30本
2019.6.30(日) 朝食の会
朝から雨が降っている。バンコクで見ていた日本の天気予報も、先週末は雨ではなかったか。週末は特に、日光に遊びにいらっしゃるお客様が多い。まさに「あいにくの天気」である。その雨の中で「伝統家屋でいただく、なんでもない日の食卓」の6月の部が今日は開かれる。普段は家内と長男がその任に当たっているものの、今回は長男が消防団の仕事で不在になる。よって今朝は僕が、植村直己がエベレストに日本人初、否、「初」は頂上の直下で先輩の松浦輝夫に譲ったから正確には「日本人で2番目」になる、とにかくその登頂のとき植村が着ていたような旧式のヤッケで雨を避けつつ隠居の門を開けたり、あるいは必要なものを母屋から運んだりする。
「伝統家屋でいただく、なんでもない日の食卓」の6月の部は、9時30分に始まって、11時すぎに無事に完了した。今朝のお客様は東京からのリピータで、6名様で土鍋炊きのお米を7合も召し上がっていただいた。僕の課題の随一は、美味しいお茶をお淹れできるようになることだ。なお、この食事会のお申込みは、うちのウェブページから承っています。
食器や土釜を母屋に戻して以降は、混み合う店舗で販売の仕事に従う。15時を過ぎて「あっ」と声を上げる。日光市今市旧市街の各町内自治会長、神社総代を集めての「当番町を考える会」に、僕は瀧尾神社の責任役員として参加をすることになっていた。事務机の左手のカレンダーに駆け寄ってみれば、そこには始まりの時間として「16:00」の数字が示してあったから胸をなでおろす。そしてその小一時間ほどの会議に出るため、ホンダフィットで大谷川を渡り、大谷向町の公民館にお邪魔をする。
夜はすっかり落ち着いて、嫁の料理にて白ワインを飲む。
朝飯 胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、納豆、巻き湯葉と人参の炊合せ、上げ湯波と小松菜の炊合せ、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、おとといの夜に蕎麦屋から持ち帰った天ぷらに茗荷を加えた味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 トマトと水菜とモッツァレラチーズのサラダ、キャベツととうもろこしのスープ、マカロニグラタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、マンゴーアイスクリーム
2019.6.29(土) 新しいレッツノート
6月のいつだったか、この日記には書かなかったし、普通のウェブショップならすぐに送ってくる受注確認メールも届かなかったから、いつ注文したかは、今となっては思い出せない。とにかくタイへ行く前にパナソニックストアで購入した新しいレッツノートが、きのう神戸法人営業支店から届いた。よって即、外注SEのシバタサトシさんに連絡をした。それを受けてシバタさんは、今日の10時に来てくれた。これまでのコンピュータの中身を新しいそれに移し替えるようなことは、僕には怖くてできない。すべて本職任せである。
僕のような素人には分かりかねるが、コンピュータの中身の移行についても仕事の出来不出来、きれい汚いがあって、むかし第三者の本職が僕のコンピュータを通して見たシバタさんの仕事については「きれい」と賛嘆していたから、まぁ、安心だろう。作業は昼食を挟んで14時に完了した。
しかしコンピュータを新しくした当初というのは、オペレーティングシステムや諸アプリケーションのバージョンが上がっていることにより、これまでとすべておなじ使い勝手が約束されるわけではない。だから僕も、今日からの新しい環境に慣れていかなくてはならない。そして、自分ではどうしようもないことが起きたときには、その都度、まわりにいる本職を頼れば良い。
今日までのレッツノートは、2011年8月4日から8年弱を働いた。とすれば今日からのレッツノートは、僕が齢70を超えるまでの愛機となるだろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊合せ、納豆、大根おろしを添えた鮎揚げ豆腐の網焼き、山芋のすりおろし、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、トマトと茹でたグリーンアスパラガスのサラダ、メシ、きのうの夜に持ち帰った天ぷらに三つ葉を加えた味噌汁
昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン
晩飯 冷奴、春雨サラダ、ピーマンの肉詰め、”GILBEY’S VODKA”(ソーダ割り)、マンゴー
2019.6.28(金) 神戸から
ハシモトさんとフクモトさんに送られて戻ったホテルでシャワーを浴び終えると、時刻は0時にちかかった。そして今朝は3時に目を覚ました。以降はうつらうつらして、4時に設定した目覚ましが鳴ったところで起床した。大まかな荷造りを済ませてから、おとといの日記を整えて「公開」ボタンをクリックする。
いつまでコンピュータにかじりついていて、その直後より大慌てをする癖がある。それが分かっているから、5時すぎにコンピュータの電源を切る。そしてザックを背負ってロビーに降り、iPhoneのgoogleマップを親指と人差し指で広げながら「新神戸までの地下鉄は、三ノ宮の駅まで歩かないと乗れませんか」と訊くと「いえ、すぐそこの、東急ハンズのところから地下鉄の駅に降りられます」とフロントのオネーサンは教えてくれた。
地下鉄への入り口は、ホテルから1分ほどのところにあった。それが分かっていれば、きのう傘を差して雨の中を数百メートルも歩くことはなかったのだ。始発の車両が来るまでの10数分を、プラットフォームのベンチで待つ。
新神戸の駅で商売を始めている店は、5時50分開店の弁当屋のみだった。そこでおむすびとお茶を確保してから新幹線のプラットフォームに上がる。そして06:19発の、のぞみ102号に乗る。それで11時すこし過ぎには日光市の会社に戻れてしまうのだから、便利な世の中になったものだ。
夜は、僕が書記を務める日本酒に特化した飲み会にて、大谷川を渡った先の蕎麦屋へとおもむく。
朝飯 「淡路屋」の2種のおむすび
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華(1.5玉)
晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴あれや、これや、ほかあれこれ、ひやしぶっかけ蕎麦、4種の日本酒(冷や)
2019.6.27(木) 神戸まで
小一時間ほど前からの雨は、のぞみ133号が京都へ近づくに連れて止んだ。しかし大阪でまた降り始め、外へ出た三ノ宮では、歩道に溜まった水の浸入を防ごうとする商店もあった。当方は地理不案内にて、iPhoneのgoogleマップを頼りに予約したホテルを探す。太平洋上から東北東へと進みつつある台風3号の影響か、湿度の高さは、おとといまでいたバンコクの比ではない。
ことし1月の日光MGに遠路神戸から参加をしてくださったウエガキトモヒロさんが、突然の心不全に襲われて5月の末に亡くなった。ウエガキさんは2日間のMGの前夜から、それが完了した翌日まで、のべ4日間を日光で過ごされた。そのあいだに受けた恩義を僕は忘れない。そのウエガキさんを偲ぶ会が、今夜は神戸で開かれる。
雨は止みそうで止まない。ホテルから会場までは、地図によれば1.6キロとのことで、三ノ宮の繁華街でタクシーを拾う。そしてそのタクシーの運転手の、客に対する気づかいに一驚を喫する。
「ウエガキトモヒロさんをしのぶ会」の最後の5分間は、僕のスピーチに充てられていた。この会を催してくださったハシモトマサトさん、フクモトタカコさん、会場を提供してくださったシゲミムツキさんには厚く御礼を申し上げたい。
極端な早寝早起き、且つ独行を好む僕は、なにかの集まりで二次会につき合うことはほとんど無い。しかし今夜ばかりは参加の可否を問われて真っ先に手を挙げた。そうして戻った三ノ宮のスナックで、いまいちど、ウエガキトモヒロさんを偲ぶ。夕刻の蒸し暑さはいつの間にか消えて、涼しい夜のあるばかりだった。
朝飯 きのうの残りの塩おむすびと「しいたけのたまり炊」のおむすび、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、ほうれん草の味噌汁
昼飯 「函太郎」のあれや、これや、それや。
晩飯 「ウエガキトモヒロさんをしのぶ会」の会場に仕出しの鮨、オードブル、ビール
2019.6.26(水) 大忙し
オフクロは、馬が食うほどの量のデパスとハルシオンを遺した。この2種類の薬は僕に3時間の熟睡をもたらして、目覚めはいつも爽快だ。しかし「人が処方された薬なんて、よく嚥めるわね」と家内に言われたことも、頭には残っている。前夜、深夜便の席に落ちついたときには、少々ではあるけれど、眠気を覚えていた。それもあって、いつもはベルト着用のサインが消えると同時に口に入れるその2種の薬を、今回は服用しなかった。
機が揺れたり、あるいは気流の関係なのか、小刻みに上下する、その動きを脳とからだが意識して、半覚半睡のまま眠りに落ちることがない。限界まで倒した背もたれに背中を預けても、まるまる空いた3席を占領して横になっても眠れない。そうするうち、通路を人が行ったり来たりする気配で完全に目を覚ます。
03:00 客室乗務員がおしぼりを配り始める。
03:05 朝食の配膳が始まる。パンとジュースとコーヒー以外はほとんど喉を通らず。
04:31 地上がちかくなる。
04:34 定刻より21分はやく羽田空港に着陸。日本時間は6時34分。以降の時間表記は日本時間とする。
06:48 “TG682″と時をおなじく着陸した他の機からの旅客により混み合う通路を進む。
06:54 パスポートコントロールを抜ける。
07:12 回転台からスーツケースが出てくるまでに20分を要する。
07:15 税関検査場を抜ける。
07:31 京浜急行の車両が羽田空港国際線ターミナルを発車。
08:17 都営浅草線の浅草着。
朝食を済ませて浅草09:00発の下り特急に乗る。下今市駅には家内に迎えに着てもらった。途中、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に立ち寄って検品。帰社して着替える前に、これから道の駅へ入れるべき商品とその数を製造現場に伝える。そして仕事着に着替えて、できてきた商品を道の駅に納める。以降は繁忙にて昼食を抜く。
終業後は、夏のギフトの繁忙を目前にしての「がんばろう会」を4階の応接間で開く。「がんばろう会」とはいえ、社員に檄を飛ばすわけではない。今日のその集まりは、今月限りで定年延長の切れる包装係サイトーヨシコさんの、送別会のような色も帯びた。
社員を通用口から送り出して4階に戻り、入浴をして、即、就寝する。
朝飯 “TG682″の機内食
朝飯 「松屋」の得朝ミニ牛めしお新香豚汁セット、生玉子
晩飯 長芋の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、厚焼き玉子、グリーンアスパラガスの豚バラ肉巻き「みょうがのたまり漬」風味、胡瓜のナムル風、鶏もも肉のオーブン焼き「日光味噌ひしお」和え、トマトとレタスのサラダ、茄子と3色のピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒め、鮪の刺身と「にんにくのたまり漬」のユッケ風、たまり漬「刻みザクザク生姜」と同「おにおろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき、塩おむすび、ごぼうのたまり漬、牛肉の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け焼き、「しいたけのたまり炊」のおむすび、芋焼酎「白金乃露」(ソーダ割り)、メロン、西瓜とオレンジ、どら焼き、「さかえ屋」の揚げゆばまんじゅう
2019.6.25(火) タイ日記(6日目)
早朝に目を覚ましてから朝食までの、日記を書く以外の時間はほとんど荷造りに費やす。スーツケースは機内持込可能の大きさのため、よほど几帳面に詰めていかないことには、すべてのものが収まらない。「だったらスーツケースを大きすればいいではないか」と言われれば、スーツケースは冷蔵庫と同じく、大きくすると、不要の中身も増える。本当に必要なものは、実際にはそれほど多くないのだ。
プールサイドには8時59分に降りた。まさかバンコクのことだから寒くはないものの、今日は珍しく暑くもない。本は1冊目を終えて2冊目に入った。日傘の下でそれを読んでいると「失礼ですが、これはあなたがお使いになりますか」と丁寧な英語で訊ねられた。相手は30代くらいの東洋人で、視線は前の客が放りだしていったキックボードを指している。「いえ、どうぞお使いください」と返事をする。
ふたたび顔の上に本をかざして続きを読む。遠くから聞こえてくる、その東洋人の娘らしいふたりの子供のはしゃぐ声は、日本語によるものだった。行儀の良さは、他者への心地よさをもたらす。まぁ、当たり前のことだ。
昼前にサパーンタクシンへ行く。アイコンサイアムへの渡し舟は、これまでの、この桟橋のもっとも下流側ではなく、もっとも上流側、つまり対岸に渡るフェリーボートとおなじところに発着の場所を変えていた。しかも混み合ったときの雨除けとして、テントまで用意されている。
アイコンサイアムで先ずは、3月にも来た6階の”FaLLabeLLa”でひと休みをする。最初に案内されたソファから眺めの良い手すり沿いの席に移ると「そこは日が差して暑いでしょ」と、お運びのオネーサンは笑った。南の国の人と、そうでない人は、日差しについての感覚に異なるところがある。あるいは「南の国の人と観光客とでは」と言い換えるべきだろうか。
眺めの良い席でマンゴージュースを干してから、5階、4階、3階と、エスカレータを使ってグランドフロアに降りる。アイコンサイアムで混み合っているのはグランドフロアの、それも古き良きバンコクの運河や屋台、ランナー朝の建物を模した売り場のある”sook SIAM”のみだ。「タイには富裕層がいるから」とはいえ、高級店はおしなべて、ショールームとしてしか機能していないように思われる。しかも賑わう”sook SIAM”の中にも、3月にはあった店が早くも消えていたり、あるいはテナント待ちのようにして空いている売り場もあった。昼食はそのグランドフロアの、3月にも来た繁盛屋台で摂る。
サパーンタクシンに戻る舟から望むマンダリンオリエンタルホテルは、大規模に改装中だった。このホテルは進化を怠らない。そしてますます高嶺の花になっていくのだろう。サパーンタクシンからホテルに戻り、地下1階に入るトップスマーケットで最後の買い物を済ます。レジ袋は廃止をされて、キャッシュレジスターのかたわらには大口の客のための段ボール箱が積み上げてあった。
アイコンサイアムとトップスマーケットで買った社員への土産をスーツケースに納めて荷造りを完了する。チェックアウトをしてロビーを横切っていくと「タクシーはお呼びしますか」とかならずベル係に訊かれるが、答えはいつも”No thank you”だ。外へ出て、しかしここで魔が差す。チャルンクルン通りを渡り、サトーン通りでタクシーを拾う。そして100メートルもいかないうちに渋滞に巻き込まれる。
乗ってから40分が経ったところで、しかしタクシーはいまだクロントイで渋滞の中にいる。「トンローまで、あと10分じゃ無理かな」と、年老いた運転手に身振り手振りで訊く。「とてもとても。あと45分はかかるかな」と、運転手は自分の腕時計を示しつつ苦笑いを浮かべる。ふと気づいてザックからiPhoneを取り出しgoogleマップを開く。そして最寄りのMRTの駅を親指と人差し指で拡大し、そのタイ語の表記を運転手に見せる。「オー、シリキッ」と運転手は「そうか」という顔で頷く。僕は「チャーイ、シリキッ」と答える。
シリキットコンベンションセンターから乗った地下鉄をスクムビットで降り、アソークでBTSに乗り換える。そして日曜日までいたトンローで降りる。最初からBTSを使っていれば30分もかからず、かつタクシー代も不要だった。今後、バンコクで平日の夕方にタクシーに乗ることは控えよう。
「九段下寿司政のしんこを食べないと、私の夏が終わらない」と山口瞳は言った。僕の場合「トンロー55ポーチャナーのオースワンを食べないと、僕のバンコクMGは終わらない」のだ。これが食べたくても、トンローにいるあいだは会食があって、それが果たせなかった。その55ポーチャナーの、外の席に着く。近づいて来たお運びのオネーサンに開口一番「オースワン」と告げると、オネーサンはにっこりと笑った。
その牡蠣の卵とじを待つあいだに、持ち込んだラオカーオをソーダで割る。今日から読み始めた、1986年の小さな活字による分厚い文庫本を開く。気持ちが一気にほどけていく。スクムビット通りの排気ガスさえ香しい。そして「オレがタイでしたかったことはこれなんだ」と、深々と息を吸う。
20:31 エアポートレイルリンクの車両がスワンナプーム空港に着く。
20:48 チェックインを完了。
21:10 保安検査場を抜ける。
21:45 指紋認証を採用して一気に能率の落ちたパスポートコントロールを抜ける。
21:59 C2Aゲートに達する。
22:20 空港ビルからバスで運ばれて搭乗。席は2割ほどしか埋まっていない。
23:02 “BOEING 740-400″機材とする”TG682″は定刻に17分おくれて離陸。
朝飯 チャルンクルン通りソイ46を西に入って右側のクイティオ屋台のセンヤイナム(トッピングのルアットムーは特注)
昼飯 “sook SIAM”のカノムチーン屋のカノムチーンゲーンキヨワーン
晩飯 「55ポーチャナー」のオースワン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2019.6.24(月) タイ日記(5日目)
目を覚ますと明かりは点いたままで、クーラーも動いている。初日と違うところは、素っ裸でも、しっかり布団に入っていたところだ。ゆっくりと、きのうの晩のことを思い出そうとする。蓮の花をかたどった皿の上に、丸い石鹸が乗っていた。ということは、とにかくシャワーは浴びたに違いない。いつまでぼんやりしていても仕方がない。起きて不必要な明かりを消し、クーラーも止める。
ベッドの下に、日本から持参したパジャマが落ちている。水を飲もうとして冷蔵庫の扉を開くと、コモトリ君がくれた、ひとつ数百バーツはしそうな巨大なマンゴーふたつが収まっている。パスポートや現金やコンピュータは、僕がいつも使う暗証番号で金庫に収まっていた。酔ってはいても、すべきことは済ませていたらしい。時刻は4時になろうとしている。
おとといの日記を整えるべく、コンピュータをデスクに置く。壁に作り付けのデスクにコンセントは無い。床ちかくのそこから電線を通すための穴が、後付けでデスクに設けられている。このホテルを設計したのは、コンピュータを使わない人だったに違いない。そういえば木曜日から2泊をした部屋は、壁に12ヶ所もコンセントを持ちながら、使える位置にあるものは皆無だった。タイにそのような「トマソン」は珍しくないから、いちいち気にしてはいられない。
とはいえデスクの位置は高く、しかし置かれているのは椅子ではなく低いソファだ。よってそのソファの上に大きな枕をふたつ重ね、どうにか日記を書き始める。
朝方に降り出した雨がほとんど上がったところで外へ出る。そしてホテルとバンラック市場を隔てるチャルンクルンsoi46にある屋台の汁そばを朝食とする。この店のスープの美味さに驚いたのは、ことし3月のことだ。
チャルンクルン通りの、ごく短い散歩を切り上げ部屋に戻る。そして金曜日からきのうまでの衣類を洗濯機に入れて回す。このホテルは楽天トラベルから予約をすると、16時や、ときには18時までのレイトチェックアウトが追加料金なしで付く。しかしあてがわれる部屋は、サービスアパートメントとしても使えるこのホテルとしては狭いものだ。3月に泊まったときには洗濯機もなく、外の洗濯屋の世話になった。今回は洗濯機があって助かった。
11時から13時30分まではプールサイドで本を読む。3月の訪タイ時から読み始めた全633ページの本は、いよいよ最後に近い。
14時にホテルを出て、BTSでサラデーンに移動をする。そしてコモトリケー君が社長を務める会社とは目と鼻の先のマッサージ屋に入り、2時間のマッサージを受ける。「タイでマッサージを受けると靴がぶかぶかになる」という、同級生ヤマモトタカアキ君のことばを今日ほど実感したことはない。太ももの外側と内側、ふくらはぎと脛を「これでもか」といじめられた結果、trippenの革靴は、紐をきつく締めても脱げそうなほど緩くなっていた。
コモトリ君とは17時に待ち合わせて、ラマ4世通りを西へと向かう。月曜日にもかかわらず、渋滞はほとんどない。ファランポーン駅を右手に見ながら進入したヤワラーの通りは、クルマの流れがあまりになめらかで拍子抜けをした。駐車違反への強烈な規制を警察が行った結果のこととコモトリ君は言うけれど、それだけのことで、これほど道が空くだろうか。しかしあたりを見まわしてみれば、歩道はおろか車道にさえ遠慮なく店を出していた屋台がひとつも見あたらない。クルマを走らせる側からすれば、とても便利だ。しかしその便利さと引き替えに、南の国の風情は消えていく。どちらを選ぶかは、その国の人しだいだ。
何年か前にコモトリ君と散歩をしながら目に留め、以来、気になっていた店の階段を上がる。料理が目の前に運ばれてみれば、そしてひとくち食べてみれば、調理の技術はとても高い。しかし店の内装は古色蒼然を通り越して、むしろうらぶれている。客のためのテーブルのうちの2客には様々なものが置かれ、家族と従業員のものとして使われている。また客席の一角は飲物などのための物置になっている。「惜しいなぁ」とは思うが、人の好みは色々だ。「ラオス出身の20歳、旦那は40歳の運転手」というお運びのオネーサンにコモトリ君が訊ねたところ「混んでくるのは19時から」とのことだった。
黒塗りのワゴン車は、早くも19時すぎにホテルへ送り届けてくれた。シャワーを浴び、冷房のスイッチを入れて、大きなバスタオルを広げたベッドの上で仰向けに休む。これもまた、南の国を旅するときの、愉楽のひとつである。
と、いきなり外に爆発音が轟いて、いつまでも収まらない。外を覗うと、チャオプラヤ川を隔ててシャングリラホテルの対岸、ペニンシュラホテルのすこし下流側から花火が盛大に打ち上げられていた。その上げ方は、日本のそれのように、余韻を楽しむための静けさをところどころに挟むことなく、連続して5分くらいは続いただろうか。金持ちの、私的なお祝いだったかも知れない。
朝飯 チャルンクルン通りソイ46を西に入って右側のクイティオ屋台のバミーナム
晩飯 「笑笑酒楼」のプラーディップ、オースワン、揚州麺、麦焼酎「いいちこ」(ソーダ割り)、工夫茶
2019.6.23(日) タイ日記(4日目)
酔って騒ぐ男の声がする。「またファランか」と耳を澄ます。酔っ払いは白人ではなくタイ人らしい。時刻は1時30分。今度は窓のすぐ外で、発情した複数の猫が声を上げ始める。更にはこれも猫なのか何なのか、軟らかいものが庇の上に墜落したような音がする。ふたたびiPhoneを見る。時刻は3時。しかたなく起きてきのうの日記を書く。安宿でもwifiは速い。
バンコクMGに参加をする、タイ人やロシア人も含む初心者の、頭脳の運動能力の高さには本当に驚かされる。きのうMGを始めた人が、早い人はきのうのうちから、ゲーム運びの上手さで僕を追い抜いているのだ。その優秀さは何に因るものだろう。第5期の決算は16時30分までに全員が終わり、17時には表彰式、講師であるタナカタカシさん、主催者のひとりスズキタカノリさんの挨拶も完了してしまった。
今日の交流会は、エカマイのガイヤーン屋で開かれる。こちらには僕も加わることとして、夕刻の激しい雨が上がったばかりの、いまだ乾いていないトンローsoi10にスーツケースを曳く。
MG仲間と交流会で交わす会話には感じ入るものが多い。今日は、島根県で老人介護施設を営むウダヒデノリさんの「タイには、家族や老人を、日本人よりはるかに大切にする文化がある。そのようなところに日本の介護のしかたを持ち込むべきではない。タイにはタイの文化に沿った、介護のあるべき姿がある」とのことばがもっとも印象に残った。
さて僕は今夜からサパーンタクシンに移る。雨はとうに上がったというのに「200バーツ」と判で押したようにおなじ価格を提示する運転手ふたりをいなし、主催者のひとりタイラマサキさんは「もちろんメーターで行くよ」と運転手の答えた3台目のタクシーを僕のために拾ってくれた。
声をかけられ目を覚ますと、運転手はホテル1階に入るロビンソン百貨店を指していた。朝が極端に早いため、夜になると居眠りばかりだ。111バーツを示すメーターに対して運転手には120バーツを払う。ほとんど定宿のようなセンターポイントシーロムに着いたのは、何時ごろのことだっただろう。フロント係にもベル係にも顔見知りがいて、愛想はしごく良い。部屋までスーツケースを運んでくれたベルボーには、50バーツのチップを手渡した。以降の記憶は、蓮の葉をかたどった皿の上の石鹸、それだけである。
朝飯 “Nantra de Comfort”のトースト、アイスミルク、日本から持ち込んだコンソメスープ
昼飯 バンコクMGのお弁当
晩飯 “Sabaijai Restaurant”のソムタム、サイクロークイサーン、鶏卵と青菜の炒め物、ガイヤーン、ラープムー、カオニャオ、カオスアイ、トムヤムクン、ゲーンキヨワーン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2019.6.22(土) タイ日記(3日目)
女の妙な声で目を覚ます。時刻は3時50分。即、起きて服を着て荷物の整理に取りかかる。
30分ほどして隣の部屋のドアの開く音がする。僕も部屋から廊下に出る。エレベータの前には、髪を銀色に染めた韓国人のオニーチャンと、中々すっきりした姿の、”a gogo”で働いていると思われる女の子がいた。エレベータに乗ると、オニーチャンはグランドフロアのボタンを押した。僕はロビー階のボタンを押す。韓国人はおしなべて日本人より英語が上手い。朝鮮語は英語を身につけやすい言語なのだろうか。あるいは韓国の英会話教育が、日本のそれより優れているのだろうか。
ロビーのカウンターには不寝番のオネーサンと警備のオジサンがいた。彼らと朝の挨拶を交わして部屋に戻り、コンピュータとカメラと手帳を持って、ふたたびロビーに降りる。既にして明かりが点されていれば、ロビーに続く朝食の会場で日記が書ける。先の日記にも書いたように、僕のいる406号室には机が無い。また部屋のwifiは遅くて話にならないのだ。
今日と明日はバンコクMGにて、日中はホテルにいない。ということは、快適なホテルに泊まり続ける意味は無い。7時にチェックアウトをして外へ出る。現在のsoi25の中級ホテルからsoi5ちかくの安ホテルに移動をすべく、路上で赤バスを待つ。この赤バスは日中は5分きざみで、朝と夜は10分きざみで運行をしている。ほとんど10分を立ち尽くしてようやく北から近づいてきた赤バスは、昇降口の外まで乗客が鈴なりで、僕の目の前を、速度を落としただけで停まらずに通過した。そしてその10分後に来た赤バスも、またおなじだった。しかたなくタクシーを停め、1.5キロほどを乗ってsoi5に達する。料金は初乗りの35バーツで済んだ。
路地裏にある安宿の戸を押すと、しかしカウンターに人はいなかった。ベルを鳴らしても、誰も出てこない。警備と雑用を兼ねているらしいオジサンに勧められるまま、狭いロビーの一角にある朝食会場でコーヒーを飲む。
日本から持参した新聞を読むうち、コンビニエンスストアで調達したような軽食を持って、ようやくオネーサンが来た。パスポートと予約票を出して予約してある旨を伝えると「チェックインは14時から。スーツケースはそこに置いてください」と、目の前の一角を指して姿を消した。カウンターの上には、僕のパスポートと予約票が置かれたままだ。しばらくしてロビーの奥をのぞき込む。オネーサンは厨房で、個人的な料理に取りかかっていた。日中にスーツケースが消えても「私は知りません」でお終いだろう。
いつものガオラオ屋で朝食を済ませて安宿に戻る。そしてザックのみ背負って、これまた目と鼻の先の、センターポイントトンローのロビーに入る。ソファには、おとといバンコクMGへの参加を決め、僕とおなじTG661で今早朝にバンコクに着いたタダジュンさんの姿が見えた。タダさんは明日の深夜便で帰国をするという。僕のようなナマケ者には、とても真似のできない行動である。
タナカタカシさんを講師とするバンコクMGは、1996年6月に始められ、今日と明日は、その16回目になる。今回の参加者は30名。メジャータワー10階の研修室に収まる卓は5客。つまり「5卓フル」の満席で、冷房も心なし強めに設定されているようだ。
各自が自分の会社をもち、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGは、30名中の10名が初心者ということもあって、時間の延びる心配があった。しかしタイで起業をしたり、あるいは日本の本社から大きな責任を背負って赴任してきた初心者たちは、年齢が低いこともあり、想像を絶する優秀さにて、第3期の決算は19時前に全員か完了した。
交流会のためエカマイの北海道料理屋へ向かう一行と別れ、19時06分に「パイ、トンロー、パクソイ」と、停めたバイタクの運転手に告げる。バイタクは渋滞をくぐり抜けて、soi10からスクムビット通りの際まで僅々3分で達した。BTSトンロー駅の自動販売機は札が使えない。窓口の列に並んでようようサラデーンまでの切符を44バーツで買う。BTSの車両は19時18分に発車。サイアムで乗り換え、サラデーンには19時38分に着いた。きのうまでのルンピニーからサラデーンに、待ち合わせの場所が変更されたのだ。
コモトリケー君に土産の「おばあちゃんのホロホロふりかけ」と「辛ひしお」と「しその実のたまり漬」を渡す。コモトリ君からは、現地での仕立てを頼んであったタイパンツを受け取る。これで所有するタイパンツは6本になった。多分、一生のあいだ保つ数だと思う。
サラデーンからトンローまでは、すこし距離がある。コモトリ君の会社の運転手は、混み合うラマ4世通りから、まるでサイゴンの並木道のように美しいスクムビットsoi26に入った。そしてこれまた混み合うスクムビット通りに出ると、すぐにまた裏道へとハンドルを切り、トンローsoi10を奥から抜けてトンローの大通りに達した。「良い仕事」とタイ語で褒めると運転手は後席の僕を振り向き笑った。チップは100バーツ。
安宿のカウンターには朝のオネーサンに替わって、いかにも仕事のできそうなオバチャンがいた。チェックインを済ませ、エレベータで2階に上がる。明かりを点すと大きなゴキブリが壁から床に逃げようとしている。それを鼻紙で捕まえて便器に流す。数千円を節約するためのホテルの移動ではあったけれど、それにかかる労力を計算に入れれば、次回は控えるだろう、多分。
朝飯 トンローsoi8ちかくのガオラオ屋のガオラオ(大盛り)、日本から持ち込んだ百德食品公司の豆板醤に卓上の酢とナムプラーを加えたナムチム
昼飯 バンコクMGのお弁当
晩飯 “Banana House”のホーイラーイ、当方の注文がうまく通らなかったために届いた不明のひと皿、トードマンクン、麦焼酎「いいちこ」(ソーダ割り)
2019.6.21(金) タイ日記(2日目)
泊まっている”The Residence on Thonglor”は、どうも壁が薄いらしい。ファランの騒ぐ声で目を覚ます。時刻は3時10分。僕は素っ裸で、しかもベッドの中ではなく、シーツでくるまれた掛け布団の上で寝ていた。このような、風邪の元になるようなことは、厳に慎まなくてはならない。
朝の散歩は、ホテルのあるsoi25付近から北へ進み、センセーブ運河に架かる橋を渡ってトンローの通りの北端まで行く。突き当たったところはペッブリーの大通りだった。そこできびすを返し、トンローの桟橋からふたたび橋の上に昇って南へ戻る。その途中、先ほどまで行列のできていた路上のぶっかけメシ屋で朝食を摂る。
3月の訪タイ時に持ち帰ったバーツは4,666.5バーツ。僕は旅先では、日本にいるときよりもお金は使わない。行き先が田舎であれば、これで1週間は充分に持ちこたえられるだろう。しかし冷静に考えてみれば、今回は、これだけではとても足りない。午前のうちに舟でプラトゥーナムへ行き、カオマンガイの繁盛店が並ぶ界隈を歩いて運河の太鼓橋を渡る。その先にかたまってある3軒の両替屋スーパーリッチのレートを調べると、2軒が1万円あたり2,860バーツ、1軒が2,855バーツ。よってレートの良い2軒のうちの1軒で10万円をタイバーツに替える。帰りの舟は大型の急行で、これには初めて乗った。
さて、明日はバンコク在住の同級生コモトリケー君と夕食を共にすべく待ち合わせをしている。場所はルンピニーのQハウスにあるホーキッチンの前。僕にとっては未知の場所にて、土壇場で齟齬を来してはいけない。日が中天にさしかかるころに赤バス、BTS、MRTを乗り継いで、ルンピニーまで行ってみる。しかし当該のホーキッチンは見あたらない。馬蹄形のカウンターの案内で訊ねても、オネーサンは知らないと言う。取りあえずは撤収である。
MRTでスクムビットまで戻ったところで空腹に耐えられなくなる。時刻は13時40分。すこし歩いて昨年の6月に来た中華料理屋に行ってみる。オジサンは入口の常温の席ではなく、冷房の効いた奥へのガラスの戸を引いて僕に手招きをした。メニュで選んだ香港炒麺はできないとのことで「こちらならある」とオジサンが勧めた福建炒麺で胃を満たす。
トンローに滞在をすると、この、南北に延びる総延長2.5キロの通りのどこからでも乗れてどこででも降りられる赤バスには、数え切れないほど世話になる。始発から乗った赤バスの右はす向かいに「歩くバンコク」のところどころに付箋を貼った中年の女の人が座って、不安そうに窓から左右を見ている。声をかけると、グランドセンターポイントで人と待ち合わせをしているという。そこはsoi9の真ん前だ。ちょうどそこに差しかかったところで僕は昇降口の上のボタンを押し、女の人には右手を指さし、黒と金色の、そのホテルを教えて上げる。女の人は僕と車掌に礼を述べて降りていった。
午後はほとんどプールサイドで本を読む。きのうの日記にも書いたことだが、ここのプールには日傘が無い。仰向けで本を読んでいると、顔も胸も腹も、ごく短い時間で焼けるように熱くなる。そのたび水に入ってからだを冷ます。
日が西に傾くころに、ようやくシャワーを浴びて部屋へ戻る。充電中のiPhoneを取り上げ見ると、バンコクMGの前夜祭は19時からの予定だったものの、18時ころから三々五々、集まりはじめる旨の知らせがタナカタカシさんから届いていた。急がなくてはならない。
家族が使おうとすれば間違いなく「止めろ」と反対をするだろうバイタクを捉まえて「トンロー、パクソイ」と告げる。バイタクの運転手はヘルメットをかぶり、手袋までしている。それに対して客は丸腰というかなんというか、身を守るものは何も無い。バイタクは混み合うバスやクルマの間をすり抜け、最後は反対車線を時速50キロで飛ばして、またたく間にスクムヴィットの大通りに達した。
バンコクMGの前夜祭には実に15名が集まった。会話を交わしながらの飲み食いは楽しいものの、僕は夜には極端に弱い。21時がちかくなると、席に着いたまま幾度も眠りに落ちた。
横断歩道の見あたらないスクムヴィットの大通りは、BTSの駅を歩道橋のようにして南側から北側に渡る。そして始発で客を待っていた赤バスに乗る。その赤バスの中でも眠って、車掌に起こされる。2度目は隣の乗客と車掌に起こされる。最初に起こされたときに「自分の行き先はsoi25」とでも告げていたのだろう、赤バスはホテルの前にぴたりと着けられていた。盗人がいれば身ぐるみを剥がれていても不思議でない状況である。親切なタイ人には大いに感謝をしたい。
朝飯 トンローsoi25をすこし北に上がった路上のぶっかけメシ屋のパックブンファイデーンとカイダーオをのせたごはん
昼飯 「堂記酒楼」の福建炒麺
晩飯 「スクンビットシャークフィン」のヤムウンセンプラムーク、クンオップウンセン、プーパッポンカリー、カオパップー、フカヒレスープ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2019.6.20(木) タイ日記(1日目)
00:42 “BOEING 747-400″を機材とする”TG661″が定刻に22分遅れて離陸する。
00:49 ベルト着用のサインが消えると同時に後席の人を確かめた上で背もたれを最大に倒す。
00:50 オフクロが遺したデパスとハルシオンを各1錠ずつ服用する。
04:36 周囲の物音により眠りという水の中から浮き上がるようにして覚醒する。おしぼりを配る客室乗務員が目の前に迫っている。
04:49 オムレツと魚のどちらを選ぶかと訊かれて選んだ朝食の、魚と米飯はひと口のみに留めて、他はほぼ食べる。
05:09 ダナンの海岸線からベトナムの上空に入る。
05:19 洗面所で歯を磨いて席に戻る。
06:10 地上がちかくなる。
“TG661″は、出発時の22分の遅れを取り戻した上、定刻より37分はやい日本時間06:13、タイ時間04:13にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
04:31 飛行機からボーディングブリッジにより空港内に入る。
04:47 両手の10本の指紋を読み取られつつパスポートコントロールを抜ける。
04:50 指定された6番の回転台に近づくと同時に自分のスーツケースを見つける。
04:58 到着階の2階から地下1階に降りて、エアポートレールリンクの駅が開くのをベンチで待つ。
05:44 いくつかの両替所のうち、スーパーリッチとカシコン銀行の本日のレートは同じにもかかわらず、スーパーリッチのみが客を集めているのは何故か。
06:01 エアポートレールリンクの車両がスワンナプーム空港を発車。
06:29 パヤタイ着。
06:40 BTSの車両がパヤタイを発車。
06:55 トンロー着。
07:08 トンローの始発から赤バスに乗ると、ザックを背負い、手でスーツケースを支える僕に、ひとりのオジサンが席を譲ってくれた。赤バスの料金は、いつの間にか7バーツから8バーツに上がったらしい。
07:11 soi25のすこし北にあるホテル着。
07:20 フロントのオネーサンによる「1,000バーツの追加料金でアーリーチェックイン可能」の提案を受け入れる。空き部屋さえあれば、ホテルと客の双方に有り難い仕組みと思う。
07:50 昨日の夕方から今朝まで着ていたものを部屋に呼んだ洗濯係に手渡す。チップは20バーツ。
08:40 赤バスでsoi8まで戻り、トンロー通り西側のセブンイレブン右の路地にあるガオラオ屋で本日2度目の朝食を摂る。
09:35 本日3回目の赤バスでセンセーブ運河のたもとまで行き、桟橋ソイトンローからプラトゥーナム経由でパンファーリーラードに着岸。ソイトンローからプラトゥーナムまでは混みすぎて集金人は現れず。プラトゥーナムから終点のパンファーリーラードまでの運賃は11バーツ。
09:55 明々後日におばあちゃんの祥月命日を控えて、ワットサケートからあの世に感謝の念を送る。蓮の花1輪と線香3本と金箔1枚のタンブンセットは20バーツ。おばあちゃんは土曜日に生まれた記憶があったから、土曜日生まれの人の守護仏である、7尾のナーガを背負った仏像には別途、財布からラマ10世のそれは避けてラマ9世の肖像のある100バーツ札を取り出しタンブンする。
10:35 googleマップにて意外や川向こうのピンクラオが近いことを知り、タクシーを捉まえてパタデパートまでと告げる。途中、左手の歩道に溢れた群衆の写真を撮る。その人混みについて運転手は何ごとか説明してくれたものの理解できず。ことによるとプラクルアンを取り引きする市だったかも知れない。運転手にはメーターの55バーツに対して60バーツを手渡す。そして歩道橋を渡ってパタデパートに至る。
10:45 酒類の販売が解禁になる11時までは、地元の年寄りのたまり場になっている地下のフードコートでアイスコーヒーを飲んで過ごす。僕の最も好きなラオカーオ”BANGYIKHAN”を売る店を、ことバンコクにおいては、僕はここしか知らない。
ピンクラオの真ん中にある大きな交差点にはアルンアマリンという美しい名が付けられている。名前は美しいものの、構造が複雑な上、交通量が多すぎて、青に変わらない歩行者用信号機がある。その、赤い信号の出ている横断歩道を小走りに渡る。日本人がラオカーオ2本を手にピンクラオで車に轢かれたら、明日の朝刊に載るだろうか。ピンクラオからパンファーリーラードまで乗ったタクシーのメーターは49バーツだったが、運転手には60バーツを渡した。
11:45 舟がパンファーリーラードの桟橋を離れる。途中のプラトゥーナムで乗り換えになるものの、切符はソイトンローまで通しで買える。料金は15バーツ。
12:18 プラトゥーナムで乗り換えた舟がソイトンローに着く。
12:20 徒歩でホテルに戻る。
13:20 屋上のプールサイドで本を開く。インフィニティ型のプールは洒落ているものの、パラソルは無く、また寝椅子は鉄製のため、ひどく暑い。
14:40 雨が降ってきたため部屋に戻る。
16:05 朝、部屋に入って荷物を広げたところで文机のないことに気づいた。なぜ窓際に寝椅子を置きながら文机は備えないか。部屋を替えてもらうのも面倒なため、ロビー階の、朝は食事の会場になるだろう場所できのうの日記を完成させてサーバに上げる。続いて今日の日記のここまでを書いて時計を見ると17時52分。そろそろ外へ出る準備にかからなければならない。
18:25 ホテルのあるトンローsoi25のすこし南から、夕食の場所と決めた店のあるsoi9までは、歩けない距離ではないものの、ちと離れている。よって北から近づいてきた赤バスに乗る。乗ってから気づいたことだが、トンローの通りは、夕刻になると、特に北から南へ下る側が大変に渋滞する。結局は歩くとほぼおなじ時間をかけてsoi9に達する。
18:45 バンコクMGの講師であるタナカタカシさんと約した時間の19時までは、いまだすこし間がある。よって涼しいところでひと休みしようと、センターポイントトンローのロビーに入ると、偶然、当のタナカさん、そしてこのホテルにチェックインしようとしている、神戸から来たホリカワさんが目の前にいた。多いにありがたい。
19:15 タナカタカシさんがバンコクMGを始めた2016年6月から、バンコク入りした晩はかならず来ることにしているイサーン料理屋で、3名による夕食会を持つ。ホリカワさんは初訪タイながら、卓上の料理はすべて美味いと喜びつつ「バンコクMGの持ち物として、複数枚のタオルも、知らせておいて欲しかったですね」と笑う。唐辛子の刺激に汗が止まらないのだ。
夕食は、タナカさんにご馳走になってしまった。気楽な田舎料理の店であるにもかかわらず、キャッシュレジスターはiPadによるものだった。以降の記憶はまったくないものの、カメラに残された画像によれば、ホテルまでは歩いて帰ったらしい。
朝飯 “TG661″の機内食
朝飯 トンローsoi8ちかくのガオラオ屋のガオラオ(大盛り)、日本から持ち込んだ百德食品公司の豆板醤に卓上の酢とナムプラーを加えたナムチム
晩飯 「セープスッチャーイ」のソムタム、ヤムウンセンタレー、ガイヤーン、コームーヤーン、チムジュム、日本から持ち込んだ銘柄不明のラオカーオ(ソーダ割り)
2019.6.19(水) ついでに検査
子供のころは運動性喘息とアトピー性皮膚炎に悩まされた。前者については、小学校を出るころには治まっていたような気がする。後者も、高等学校を出るころには快癒した。その後、気管支に狭窄を感じることは無くなったものの、皮膚は加齢によるものだろうか、この1、2年で急に弱くなった。かかとのアカギレは、今や何も対策を講じなければ夏でも切れ、おととし末から昨春にかけては、目を覚ますたび口角が切れていた。湿疹も頻繁に発生する。
その湿疹に対症療法を加えるべく、午前に日光市大桑地区のアライジン医院を訪ねる。診察の結果、今日は新しい薬が処方された。待合室で、診療費と薬代の請求を待っているあいだにあたりを見るともなく見ていて、この病院が動脈硬化の検査を行っていることに気づく。そのポスターに示された費用は、大したこともない金額だ。窓口で訊けば、検査は今すぐにもできるという。
診察室とは小部屋ひとつを隔てた検査室の寝台に横になると、やがて左右の上腕と左右の足首に計4つの血圧計、またからだのあちらこちらに心電図のための電極が取り付けられた。準備を除けば検査はほんの5分ほどで終わったと思う。結果は、動脈の硬さは年齢相応。動脈のつまり具合は「正常範囲」と出た。何となく安心をして、午前のうちに帰社する。
16:50 上澤梅太郎商店の要冷蔵の品を保冷剤と共に納めてスーツケースを閉じる。
18:20 「けごん46号」が下今市を発車。
19:54 北千住着。
19:55 日比谷線の車両が北千住を発車。
20:55 人形町から都営浅草線に乗り換えて羽田空港国際線ターミナル着。
21:11 タイ航空のチェックインカウンターが開く。
21:22 大きな荷物を機内に持ち込もうとする人と係員のやり取りにより渋滞が発生する。
21:45 ようやく行列の先頭に達してチェックインを完了。
22:00 夕食を完了。
22:10 保安検査場を通過。
22:11 パスポートコントロールは顔認証による自動化ゲートで通過。
22:45 107番ゲート付近の仕事机からきのうの日記を公開し、きのうの朝食をfacebookページに上げる。
22:58 同じ場所で本日の日記をほとんど完成させる。
23:22 機内で飲むためのソーダ水を購入
23:23 105番ゲートに達する。
23:45 搭乗開始。
23:50 最後尾からひとつ前の通路側69Jの席に着く。
朝飯 人参の甘煮、納豆、ピーマンのウィンナーソーセージのソテー、巻湯波の淡味炊き、ジーマミー豆腐の冷や奴、なめこのたまり炊、メシ、蓴菜の味噌汁
昼飯 きのうの夜の残りの天ぷら、黒胡麻素麺
晩飯 「天ぷらたかはし」の天むすシジミ汁セット
2019.6.18(火) ところが変わっても変わらないこと
「順大医学部の合格率 女子が男子上回る」と、朝のニュースが伝えている。それを見ながら「世界に共通する傾向じゃねぇの」と感じた。
3年前の6月に栃木県味噌工業協同組合の親睦旅行でミャンマーを訪ねた。団体旅行の日程は、限られた時間に能う限りの見物を押し込むため、大抵は忙しいものになる。初日の夕食は、空がいまだ明るいうちに完了した。着いたばかりの空港からその料理屋へ向かう途中か、あるいはそこからヤンゴン随一の名所シュエダゴォンパヤーを目指す途中でだったか、案内人のシュエイーさんはバスに備えつけのマイクを口に近づけた。
いわく「ミャンマーでは男より女の方が優秀。なので医学部の試験では、男の受験生には最初から点数にゲタが履かせてある。そうしないと、国中、女医ばかりになってしまうから」と、教えてくれた。日本では、その「ゲタ」は「裏」に秘されていたけれど、ミャンマーではそれが国策として行われていたのだ。
「所変われば品変わる」ということわざがある。上記については、受験に関わる法律は異なるものの、男より女の方が学問において優秀という事実は日本もミャンマーと変わらなかった、というわけだ。しかしまぁ、今回の順天堂大学医学部の合格率は、男子の7.72パーセントに対して女子は8.28パーセントだから、公正に競争をしても、女医ばかりになることはないだろう。しかしこの合格率の差が今後ますます開いていく可能性は、否定できない気もする。
朝飯 細切り人参の炒り煮、油揚げと蕪の葉の炒め煮、巻湯波の淡味炊き、ハムエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、らっきょうのたまり漬、メシ、蕪とトマトと万能葱の味噌汁
昼飯 “PANCAKE FACTORY”のサラダ、スープ、メキシカンチョリソーと豆のオムレツ、ライス、コーヒー
晩飯 蓴菜の酢の物、ひたし豆、天ぷらあれこれ、黒胡麻素麺、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米」(冷や)
2019.6.17(月) 旅の持ち物
水曜日の夜に羽田空港へ行き、深夜便に乗って、木曜日の未明にバンコクに着く。持参するものの総点数は、約120。そのほぼ2割は薬品が占める。1980年にはじめてインドへ行ったときからの、これは僕の荷物の特徴である。
独行において、現金とパスポートの次に頼りになるのは、これは僕に限ってのことかも知れないけれど、薬である。そしてそれらの薬は大抵、使われることなく終わる。まぁ、保険のようなものだ。その薬を今朝は食堂のテーブルに広げ、逐一、紙の一覧表と照らし合わせていく。照合は10分ほどで完了した。
次は応接間に場所を移し、薬品類の入った透明袋を低いテーブルに置く。それから徐々に、パスポート、日本円、タイバーツ、航空券の控え、タイの入国カード、ホテルの予約票、貴重品入れ、財布、時計、コンピュータとiPhoneの電源ケーブル、紫外線防止用メガネ、複数の本、日本経済新聞の土曜版と日曜版、機内に持ち込むセーターとウインドブレーカー、現地で使う手提げ袋、緩衝材、輪ゴム、綿テープ、3月の訪タイ時に余らせて持ち帰ったラオカーオ、それを飲むためのコップなどを家の諸方から集めて並べていく。
旅先においても、僕の服装は普段のそれと変わらない。現在、洗濯中のものもあるから、特にシャツの数が揃うのは、出発日の早朝になるだろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、巻湯波と人参の淡味炊き、目玉焼き、油揚げと蕪の葉の炒り煮、らっきょうのたまり漬、メシ、大根とトマトの味噌汁
昼飯 揚げだし茄子のつゆで食べる黒胡麻素麺
晩飯 ベビーリーフのサラダ、マッシュドポテト、ズッキーニのソテー、焼きトマト、たまり漬「鬼おろしにんにく」と同「刻みザクザク生姜」によるソースを添えたビーフステーキ、“Almaviva 1997”、”Old Parr”(ソーダ割り)
2019.6.16(日) 梅雨の晴れ間
梅雨は今月のはじめに始まって、今月の終わりまでは続くものと思われる。しかしその最中にも、晴れる日はある。13日の木曜日は、強い日差しが照りつけながら空気は乾ききって、信じがたいほどの爽やかさだった。きのうの雨は今朝まで降り続いたものの、予報によれば、午前のうちに晴れて、列島はおおむね暑くなるという。
この予報を信じて、毎朝、掃除と検品と納品のために通う道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の、冷蔵ショーケースはもちろんのこと、常温品の棚も、開店前より汗牛充棟の状態にしておく。
午前もなかばを過ぎるころには、まるで初夏のような陽気になった。よって即、4階に上がってあちらこちらの窓を開け、風を通す。ウチの下駄箱は玄関ではなく4階にある。その下駄箱の引き戸も開け放つ。この下駄箱の扱いについては、きのうの日本経済新聞の特集「すっきり生活」に教えられてのことだ。ついでに寝室の床暖房の電源を入れる。こうしておけば、その暖房の上に位置するベッドの布団も、いくらかは湿気を減らすだろう。これはおばあちゃんの、何年か前に102歳で亡くなった姉を真似てのことだ。
夜は豚の三枚肉をカレー汁の中で煮て、明日への英気を養う。
朝飯 ごぼうのたまり漬としいたけのたまり炊を使ったかやくごはん、生玉子、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、ほうれん草の味噌汁
昼飯 茗荷の薬味で食べる黒胡麻素麺
晩飯 春雨サラダ、カレー南蛮鍋、“GILBEY’S VODKA”(ソーダ割り)、西瓜
2019.6.15(土) そういう遊び
9月11日から16日までの6日間を会期として、新宿高島屋さんに出店をさせていただく。そのあいだ、僕はひとりで留守番である。それを知る人から「ひとり暮らしの無聊を慰めるため、オレが遊びに行ってやろう」との奇特な申し出をいただいた。総菜を買っていくから、そちらはワインを用意して、上澤梅太郎商店の事務室で飲もうではないか、という話である。
それを家内にしたところ「わざわざ来ていただきながら事務室なんて… ちゃんと家に上がっていただかないと」と、心配と非難の入り交じった声を上げた。それに対して「いや、そういう遊びだよ」と反論したのは長男である。
頭をちと巡らせてみれば、人は昔から「そういう遊び」を考え出して、それに興じてきた歴史がある。秀吉の北野大茶会も、そんな「そういう遊び」のひとつだろう。そこいらへんで買ってきた総菜を肴にそれほど高くもないワインを飲む行為と、名人名物を集めた大茶会を同じまな板の上で語るのも、いかがなものかとは思うけれど。
朝飯 雑炊、じゃこ、なめこのたまり炊、梅干、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、塩昆布
昼飯 ラーメン
晩飯 ほうれん草の胡麻和え、うずら豆、茹でた豚肉と茄子の揚げだし、巻湯波と人参の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米」(冷や)、ごぼうのたまり漬としいたけのたまり炊を使ったかやくごはん、浅蜊の味噌汁
2019.6.14(金) 味噌の鑑評
電気湯沸かし器に400ccほどの水を目分量で入れ、電源ボタンを押す。そこから11歩か12歩を歩いて仏壇の扉を開く。先ほど水を換えたばかりの花立てをいつもの場所に置こうとして、そこに、早朝の淡い光にも見えるホコリがあることに気づく。よってそのあたりだけでなく、仏壇の中のかなりの部分、それから扉の水平の部分も、水を含ませたティッシュペーパーで拭く。
事務机の左手に提げたカレンダーの今日のところに「総会13:15必着」の文字がある。味噌醤油技術会の総会が13時30分より開かれる栃木県産業技術センターへは、過去に何度も足を運んだことがあるものの、そこに至る道は覚えていない。ウチから1時間をみれば充分と考えていた僕に「あそこは遠いよ、1時間半はかかるよ」と長男は言う。それに対して45分と、googleマップはその所要時間を示している。
今日はホンダフィットが出ずっぱりのため、三菱デリカの運転席に収まって正午に会社を出る。栃木県産業技術センターが入る「とちぎ産業創造プラザ」には12時49分に着いた。ゴールデンウィークの大渋滞の中などでは”smart”さを欠くgoogleマップも、今日はほぼ正確な予測をしてくれた、というわけだ。
総会のあとの勉強会では貴重な意見が百出し、定刻を15分まわって終了した。僕は会長のアオキタカノブさんに近づいて、今後、この集まりには僕ではなく長男を参加させたい旨を申し出て快諾を得る。
朝飯 細切り人参の炒り煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、トマトのスクランブルドエッグ、油揚げと蕪の葉の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、浅蜊の味噌汁
昼飯 「とちぎ産業創造プラザ」内のレストラン”Pure”のカレーライスセット
晩飯 トマトとジャガイモとベビーリーフのサラダ、鶏肉とマカロニのグラタン、“Petit Chablis Billaud Simon 2016”、西瓜
2019.6.13(木) 続続・朝の納品
いつもより早く朝食を済ませ、いつもより早くエレベータで1階に降りる。会社へと通じる裏玄関の鍵が開いている。
きのう製造係が準備した商品は、既にして長男がホンダフィットに積み終えていた。販売係のハセガワタツヤ君、続いて包装係のヤマダカオリさんが出社した頃合いを見計らって会社を出る。
四半世紀ほども付き合いの途絶えていた福田屋百貨店さんとは、ひょんなことから取り引きが再開し、4月9日にはFKD宇都宮店さんに初めての納品をさせていただいた。同月27日にはFKDインターパーク店さんにも納品をさせていただいた。そして今日は鹿沼店さんに初めての納品をさせていただくべく、8時すこし前にその駐車場へとホンダフィットを乗り入れる。
初めての納品にはいつもお付き合いいただいているバイヤーの方の案内にて、上澤梅太郎商店に割り当てられた棚はすぐに見つかった。僕はこれまでとおなじく、棚の板を外してアルコールを噴霧し、ディッシュペーパーで磨くことを繰り返す。長男はその棚に商品を並べていく。売り場の清掃と納品は、およそ40分で完了した。
隣のらっきょう漬けは、中国産の原材料を中国の工場で加工した、150gで200円台の品。ウチのらっきょうのたまり漬は、国内産の原材料を日光市今市487番地の蔵で熟成させた、150gで税込648円の品。お客様の選択肢が増えるのは良いことだと思う。
朝飯 鮭の昆布巻き、「なめこのたまり炊」によるフワトロ玉子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ジーマミー豆腐による冷や奴、油揚げと蕪の葉の炒り煮、メシ、蕪とトマトの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 トマトとアボカドのサラダ、“Panification U”のバゲット、あれこれを添えた2種のソーセージ、“Almaviva 1997”、クリームパン、”Old Parr”(生)
2019.6.12(水) フラ
喫煙者の吐き出すタバコの煙に、タバコを吸わない人のほとんどは、不快な思いをしている可能性が高い。もちろん僕も、そのうちのひとりだ。
あるとき、全面禁煙のもつ焼き屋ができたと耳にして、喜び勇んで出かけた。そうしたところ、そこは細部まで統制の行き届いた非の打ちどころの無い店だったけれど、同時に「フラ」も無いので、楽しさは感じなかった。一方、北千住の行きつけは、タバコの煙には悩まされるものの、店にも客にも「フラ」が横溢しているから、ついまた足が向いてしまう。
店を運営する者なら、大抵は、その店を完璧に近づけたいと考えるだろう。しかしその場合の完璧とは何だろう。
年に2度も3度もタイに通うのは、街のそこここに、あるいはその街に生きる人の多くに「フラ」があるからだ。それでいて、喫煙への規制は日本よりよほど厳しい。散歩をして、飲み食いをして、これほど楽で楽しいところが他にあるだろうか。
ところで「フラ」の意味が分からない人は「志ん生 セロニアス・モンク」でも「噺 フラ」でも構わないので、検索エンジンに入れてみてください。
朝飯 塩らっきょう、なめこのたまり炊、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、焼き鱈子、胡瓜農家漬け、塩鮭、塩昆布によるお茶漬け
昼飯 「ふじや」のタンメンバター
晩飯 レタスとクレソンと玉葱のサラダ、“POSTE DE BLE”の2種のパン、ポテトフライとラタトゥイユを添えたローストポーク、“Petit Chablis Billaud Simon 2016”
2019.6.11(火) 葬式スーツ
僕の仕事はスーツを必要としない。よって持っているスーツは黒の、夏用と三季用の2着のみだ。スーツを必要としない、とはいえ、たまには必要になることもある。そういうときには、前述の黒いスーツを着て出かける。そんな僕に対して「仕事に葬式スーツはおかしい」と、あるとき長男が言った。「リクルートスーツなんて、男も女も、みんな黒じゃねぇか」と答えると、「だから、あれもおかしい」と長男は断じた。
個人が「おかしい」と主張をしても、世の大勢がそちらにあれば、それが主流になる。社会とは、そんなものだ。しかし2着のスーツが3着に増えても、特に邪魔ではない。そういう次第にて、時々は何かしらを頼む椎名町の仕立屋テーラーキタハラを3月4日に訪ねた。そしてその紺色のスーツは3月27日の仮縫いを経て、完成の知らせは4月23日に受け取った。しかし以降はどうにも時宜に恵まれず、受け取りは延期に次ぐ延期になっていた。
本日の夕刻にようやく椎名町に至り、色気の良い、その細身のスーツを試着する。自宅までの発送を頼むと、店主はしきりと、自分で持ち帰ることを勧める。訊けば運賃が高騰して、とてもではないけれど、それはつまらない出費だという。
荷物はできるだけ減らしたい性分ながら、店主の言う運賃はたしかにバカバカしい額だった。よって夕立が来ても濡れないよう厳重に梱包されたその袋を手に提げて、22時すこし前に帰宅を果たす。
朝飯 「じみち」のベーコンエッグ定食
昼飯 「あろいなたべた」のカオマンガイ
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや。チューハイ。
2019.6.10(月) 食べ物の味
ウチのらっきょうのたまり漬は現在、6種類が揃っている。定番の「らっきょうのたまり漬」よりも「日光味噌のたまり」を浅く仕上げた「浅太郎」、その逆に深めに仕上げた「黒太郎」、定番に唐辛子を加えた「ピリ太郎」が、むかしながらのそれとは明確に風味を異にしている3種だ。
一方、たまりによる仕上げは定番と変わらないものの、原材料に栃木県産の大玉を用いたのが「つぶより」、おなじ栃木県産でも小粒ばかりを選別したのが、この初夏からの新製品「小つぶちゃん」である。
この「小つぶちゃん」を含めて10点ほどの商品撮影が本日、南青山のスタジオで行われる。今年は年の初めから何かと忙しく、その繁忙は現在まで尾を引いている。「撮影はお任せで良いんじゃないの」と言う長男に「誰かが立ち会わなくちゃダメだ」と僕は答えた。カメラマンやデザイナーだけでは判断に迷うことが、商品の撮影には必ずつきまとうからだ。
撮影は13時から始まって、予定より2時間も早い14時に完了した。素早い仕事ぶりはカメラマンやデザイナーの好判断によるものだが、いささかは撮影の合間における、僕の助言も関係しているはずだ。
ところで定番の「らっきょうのたまり漬」、「栃木県産つぶより」、おなじく栃木県産の原材料による「小つぶちゃん」を試食してみると、今に限っては新商品の「小つぶちゃん」が圧倒的に美味い。ご来店のお客様は、ぜひ、お買い求めください。そしてウェブショップのお客様は、これがウェブショップに登場する日を楽しみにお待ちください。「今に限っては」としたのは、食べ物の味とは川を流れる水と同じく、常に移ろう一期一会のものに他ならないからです。
朝飯 納豆、巻湯波の淡味炊き、細切り人参の炒り煮、鰯の土佐煮、「なめこのたまり炊」によるなめこおろし、胡瓜のぬか漬け、生のトマト、メシ、揚げ湯波とレタスの味噌汁
昼飯 「上島珈琲店」のミックスサンド、コールスロー、コーヒーのセット
晩飯 「焼肉ランド・マルタケ」のあれや、これや、それや、ほかあれこれ。チューハイ、それを濃くするための「焼酎だけ」
2019.6.9(日) 今夜はiPhoneに頼ってみた。
ある結婚式に呼ばれて席に着き、いよいよ新郎新婦の入場を司会が宣言したからデジタルカメラを取り出すと、記憶媒体が入っていないために写真を撮ることができない。そこで「だめじゃないか」、「いやいや、最後に使ったのはあなたでしょ」と、そのめでたい席で喧嘩を始めた夫婦を知っている。人のことは嗤えない、僕もしばしばおなじことをやらかすからだ。
ことしの3月8日、宋胡録の窯跡やシーサッチャナーライの遺跡を探索した日の日記に画像が極端に少ないのも、持参したカメラにSDを入れ忘れたことによる。「だったらスマートフォンに肩代わりをさせれば良かったではないか」と言われれば、そのときにはその気にならなかったのだ。
きのうは満席と伝えられた料理屋に、今日はすんなりと予約が通った。よって夜は家内と長男との3人で、南宇都宮駅ちかくの倉庫街へとおもむく。そして地元の蔵による温め酒を含みつつ、上出来の先付と前菜をこなす。酒も予想外に美味い。次は椀物。と、ここで”RICOH GRD”の内蔵メモリが尽きたことを知る。
雨の、元は倉庫だった店の屋根を叩く音が強くなる。低く流れる「クレオパトラの夢」のピアノがバド・パウェルによるものか否かは、その雨の音と酔いにより分からなかった。
朝飯 雑炊、焼き鱈子、じゃこ、塩鮭、胡瓜のぬか漬け、野沢菜漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、なめこのたまり炊
昼飯 ラーメン
晩飯 「了寬」のあれや、これや、それや。「四季桜酒造」の「黄ぶな」(燗)
2019.6.8(土) 夕食を終えても空はいまだ明るい。
バンコクには、他の多くの都市とおなじく、交通の要衝がいくつかある。高架鉄道の駅とチャオプラヤ川最大の桟橋が重なり合うサパーンタクシンも、そのひとつだ。そこから歩いて数分のところにある中級のホテルに、僕は年に1、2度はかならず泊まる。
「当ホテルも参加!注目の楽天スーパーSALEのご案内です」という表題のメールが、きのうの18時09分に、楽天トラベル内のそのホテルから届いた。「すわ、早まったか」と、即、そのメールを開いて内容に目を走らせる。秋の予約を、僕は4月の下旬に済ませていたのだ。
「楽天スーパーセールで売るんだから、お客には断然、得はずだよ」と感じさせるその営業メールにあった条件は「レイトチェックアウト16時確約で2,018.44バーツ/円参考価格:約6,992円」というものだった。
取り急ぎ、4月に受け取った受注確認書を開く。するとそこには「レイトチェックアウト18時確約で1,942.74バーツ/円参考価格:約6,800円」の文字があった。よって「なんだ、何でもねぇときの予約の方が、2時間も長くいられて値段も安いじゃねぇか」と、大げさに言えば胸をなで下ろした。
ここで楽天市場の弁護をすこしばかりするならば、このホテルに限っては、楽天トラベルから予約をするのがもっとも条件の良い気がする。
朝飯 細切り人参の炒り煮、焼き鱈子、巻湯波の淡味炊き、長芋のすり下ろし、納豆、蕪と胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、メシ、揚げ湯波と蕪の葉の味噌汁
昼飯 カレーライス、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、らっきょうのたまり漬
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、マカロニグラタン、ドライマーティニ、”TIO PEPE”
2019.6.7(金) 模型なら持っている。
人に借りた古いフェラーリ、それはまさか250GTOや275GTB4ではなかったと思うが、それを街で流しつつ2度の接触事故を起こした。降りて確認をすると、左右の赤いフェンダーには凹みや擦過傷ができていた。「さて、どうしたものか」と僕は考えている。
2番目の夢は、丸みを帯びた背の高いグラスの、カスタード色を帯びた飲物が消費者の爆発的な支持を受けて、一大カフェ王国を築いた人についてのもの。
3番目のそれは、隨分と前に亡くなったはずの古典車修復家バンノーセーイチさんが、僕の持つ車両運搬車を借りに来ながら「サーキットには相棒のチャコと行く」と、見覚えのある褐色の顔に目を大きく見開いて告げる。それに対して「だったら僕はEBエンジニアリングのタシロジュンイチさんの自家用車で現場に向かいます」と答えている場面。
この3つの夢から覚めて、腹のあたりにあったiPhoneを拾って見ると、時刻は4時52分だった。ディスプレイには小西得郎についてのウィキペディアのページがいまだ開いていた。なぜ小西得郎かといえば、きのう寝る前に「キューポラのある街」のことを思い出していたからだ。過去に観たうち最も好きな映画は、浦山桐郎の「キューポラのある街」、2番目は小栗康平の「泥の河」、3番目はベルトリッチの「シャンドライの恋」かも知れない。
朝飯 細切り人参の炒り煮、鰯の土佐煮、蕪の葉と油揚げの甘辛煮、茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、納豆、蕪のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、らっきょうのたまり漬、メシ、豆腐とピーマンの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 担々風のつゆで食べる釜揚げうどん、胡瓜のぬか漬け、芋焼酎「白金乃露」(ソーダ割り)
2019.6.6(木) ナツノクモ
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に明朝一番で納品すべき品は、既に冷蔵庫に収まっているか、それを確かめるため、夕刻、製造現場へ行く。そしてそこから戻る途中、妙な音に気づく。サイレンのようではあるけれど、いやに間延びしてなかなか収まらない。その音は、事務室に近づくに連れ弱くなる。よってふたたび製造現場に引き返して耳を澄ます。音はやはり、火事を報せるサイレンだった。
消防団の一員である長男の姿は、既にして無かった。僕はそのまま事務机に着いて、今月の、明日以降のことについて考える。しばらくすると「いつ戻れるか分からないので…」と長男から電話が入り、今日の閉店後に彼がすべきだったことを僕が肩代わりすべく、あれこれ聞きつつそれを箇条書きにする。
店の駐車場に出ると、空の東から南のそこここに、夏の雲が沸き上がっていた。一斉に出動した民間の消防車は、早くも続々と街なかに戻りつつある。
社員たちが家路に就き、家内が金銭登録機の記録と現金をつき合わせているところに、普段着に着替えた長男が帰ってくる。火事は農家の納屋のボヤで、消防団が放水をするまでもなく、消防本部がそれを鎮火させてくれたという。納屋の火事の原因はほとんど、古くなった電線の不具合あるいはタバコの不始末によるものらしい。
朝飯 鰯の土佐煮、細切り人参の炒り煮、蕪の葉と油揚げの甘辛煮、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、胡瓜と蕪のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、らっきょうのたまり漬、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華(1.5玉)
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや。麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)
2019.6.5(水) 梅雨は雷に始まり雷に終わる
いま使っているレッツノートは、買ったときこそ高かったものの、歴代のコンピュータにくらべて3倍は長持ちをしているから、それを考えれば異常に安い。このレッツノートの左クリックボタンが今朝から、押すたび、これまでとは異なる音を発するようになった。
この部分の修理は、2014年3月7日と2017年9月21日に受けている。そのどちらにおいても秋葉原の「LUMIX & Let’s note修理工房」は、クリックボタン周りを交換する価格で、キーボードまで真新しくしてくれた。頑丈であること、また午前に実機を預ければ午後には修理の完了する工房が東京の真ん中にあることを考えれば、パナソニック製のコンピュータから離れることは考えられない。
「左クリックボタンは、いまだしばらくは使えるだろう。しかし大事を取って、早めに交換しておこう」と、修理工房のウェブページを開く。そして慣れた手順で申込みを進めていくも、今回に限っては何だかおかしい。入力の途中で振り出しに戻る、いわゆる「ループ」の状態に陥ってしまうのだ。
よって工房に電話を入れて調べてもらうと、その「ループ」は、僕の機械が修理の可能な期限を過ぎて、部品の供給も途絶えていることにより起きていることが分かった。残念ではあるものの、2011年8月4日に手に入れて以来、事務机と自宅のテーブルを毎日、行ったり来たりする以外にも、辺境も含めてインドシナや赤道直下に23回も運ばれたことを思えば、そろそろ潮時だろう。即、新しい機種の選定に入るよう、外注SEのシバタサトシさんにメッセンジャーでメールを送る。
ここで時刻は17時50分。閉店の準備にかかるべく席を立とうとしているところに、いきなり大きな雷鳴が轟く。それと同時に雨の音も聞こえてきた。店の中には買い物を終えた女性がおひとり。その、本日最後のお客様のお車は、店から7、8メートルほどのところに駐めれている。走ってもずぶ濡れになることは免れられない。お客様には「どうせ古い安物ですから」と、傘を差し上げた。
雨は20分の後に嘘のように上がった。西の空からは日さえ差しはじめている。40年ほども前に読んだ吉行淳之介の「驟雨」は、甘木庵から長男が自分の部屋に移したはずだ。「久しぶりに読んでみようか」と考える。
朝飯 鰯の土佐煮、茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、蕪の葉と油揚げの甘辛煮、納豆、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、らっきょうのたまり漬、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁
昼飯 サンドイッチ、コーヒー
晩飯 いただいた新玉葱による冷たいポタージュ、業務用スーパーの小麦粉をこねて焼いたパン、「小間切れか挽き肉にしかならない」と肉屋の店主が言う部位の牛肉の赤ワイン煮、グリーンアスパラガスのソテー、マッシュドポテト、”Bricco Manzoni Barolo Silvio Grasso 2013″、底が焦げ焦げのプリン、”Old Parr”(生)
2019.6.4(火) なまけ者
おとといの日記を整えて「公開」ボタンをクリックし、更にきのうの日記を完成させても時刻はいまだ4時52分。なにか、とても余裕のある時間の感覚だ。早寝早起きだからこそ感じられるこの余裕は、しかし僕のナマケ癖による。勤勉な経営者であれば、夜は寝技足技のロビー活動に専心するだろう。朝は道の草むしりくらいするだろう。
それはさておき、この日記を制御するワードプレスの編集画面に、今朝は「公開済み」として1,005の数字があった。「とすれば…」と、この日記をドリームウィーバからワードプレスに乗り換えて1,000日目の日記を目で追うと、それは先月28日の「遅い昼食」と知れた。
先おととい、きのう、今日と、amazonから古書が届く。きのう封を切った、2013年4月26日発行の岩波文庫は帯付きで新品同様だった。今日の昼に郵便で配達されたそれは、ページを繰ると、予想外に素晴らしい内容だった。この2冊を僕は、今月の下旬におもむくバンコクへ持参するかも知れない。
4時53分から5時45分までは、先おとといに届いた本を拾い読みして過ごす。それからおもむろに、今朝の味噌汁の準備に取りかかる。
朝飯 きのうの夜に残した鯛のかぶと煮、納豆、茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、牛蒡と人参のきんぴら、蕪の葉と油揚げの甘辛煮、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、らっきょうのたまり漬「やさしあげ小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華(1.5玉)
晩飯 ジャガイモと缶詰の鯖とらっきょうのたまり漬のサラダ、スパゲティナポリタン、“Petit Chablis Billaud Simon 2016”
2019.6.3(月) 今さらそんなことに気づいたのか
「酒は3合まで」と決められている焼鳥屋にむかし、人に連れて行ってもらったことがある。「しかし2合も飲めば充分だ」と、その人は言った。僕も同感である。
夜は、僕としては珍しく、燗をつけた日本酒の飲みたい気分になった。ウチの冷蔵庫の野菜室は、製造会社が意図したことだろう、酒の四合瓶やワインの750ccのボトルが立てて置ける。そこから飲みさしの日本酒を引き抜く。残りは2合と5勺ほどだろうか。
その酒を、溢れさせないよう慎重に徳利に注いでいくと、2合ほどでちょうど良いところまで来た。徳利はミルクパンの水に胸のあたりまで沈め、コンロに置く。
2合ほどと思われるその徳利の中身は予想外に早く干された。瓶に残された5勺は、燗を付けるにはいかにも少ない。よってそれについては冷やで飲むこととして、瓶から直に猪口に注ぐ。
「2合も飲めば充分だ」という意見には同感するも、日本のおかずは日本の酒を隨分と進捗させる。「今さらそんなことに気づいたのか」と嗤われれば頭をかくしかない。そして入浴をして21時が来る前に寝室に入る。
朝飯 人参と蓮根のきんぴら、鮭の昆布巻き、茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、油揚げと蕪の葉の甘辛煮、納豆、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 人参と蓮根のきんぴら、もずくの酢の物、蕪と胡瓜と生姜の浅漬け、塩らっきょう、煮穴子のだし巻き玉子、鯛のかぶと煮、「笑四季酒造」の「赤い糸・吟吹雪」(燗)、同(冷や)、メロン
2019.6.2(日) クリーン大作戦
日光市今市で没した二宮尊徳にちなんで、むかしは「二宮デー」と呼ばれていた勤労奉仕の日が、いつの間にかクリーン大作戦と名を変えたのだろうか、とにかく今日は、朝7時から町内の掃除をすることになっている。しかし1979年1月の、マドリッドからトレドに至る街道とは異なって、ゴミはそうそう落ちていない。僕は小さな鎌とホウキ、それに特大のチリトリを持って日光街道と会津西街道の交わる春日町の交差点に入り、車道と歩道のあいだに生えた雑草を根元から掘り出す。
特大のチリトリとはいえ草の量は多く、一度には収まらない。よって最初のそれは会社の敷地内にある、日の当たる一角に置く。そうしておけば、数日後には水気を失って小さくなるだろう。そしてふたたび交差点に戻り、次に掘り出した雑草は、チリトリに載せたまま町内の公民館へと向かう。
ゴミの集積場になっている公民館の外には、先月「アルペンルート横断!! 雪の大谷ウォークと金沢兼六園」の旅行を共にした役員の面々が揃っていて、奉仕に参加をした人たちにペットボトルのお茶を配っていた。そこで僕もお茶をもらい、しばらくの立ち話の後に会社へ戻って開店の準備に取りかかる。
朝飯 鮭の昆布巻き、冷や奴、生のトマト、ベーコンエッグ、納豆、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、らっきょうのたまり漬、メシ、大根の葉と若布の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の醤油チャンポン
晩飯 冷や奴の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、冷やしトマト、ほうれん草の胡麻和え、茄子と大根と蕪の葉のぬか漬け、油淋鶏、”GILBEY’S VODKA”(ソーダ割り)、エクレア、”Old Parr”(生)
2019.6.1(土) やさしあげ小つぶちゃん
東の空に細い月が出ている。旧暦4月28日の月だ。時刻は3時59分。夏至は3週間の後に迫っている。日本気象協会のウェブページによれば、昨年、関東甲信地方は6月6日に梅雨入りをし、6月29日に梅雨明けをしたという。梅雨には極端な大雨の降ることなく、また雨は、できれば夜に降って明け方には止んでいただきたい。
「らっきょうの生育はまずまず」などという記事が業界紙に載った後で、その大生産地、つまり九州南部に大雨の降ることが珍しくない。「50年に1度」とか「観測史上初」というような天気に関する報道が、ここ4、5年は毎年のように繰り返されている。らっきょうのたまり漬の原価は、この10年で200パーセントの上がりようである。
それはさておき先日、栃木県産のらっきょうから小玉のみを選び、日光味噌のたまりに漬けた試作品を味見して大いに驚いた。そして「オレの経験上、もっとも美味い、らっきょうのたまり漬だよ」と、思わずことばを洩らした。その「やさしあげ小つぶちゃん」が、今日から店の冷蔵ショーケースに加わった。お客様には、どれほど買っていただけるだろうか。
朝飯 雑炊、野沢菜漬け、塩鮭、塩昆布、焼き鱈子、じゃこ、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、同「ホロホロふりかけ」
昼飯 ラーメン
晩飯 大豆とこんにゃくの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」ひたし、”TIO PEPE”、鯛のイタリア風刺身、トマトと浅蜊のスパゲティ、“Petit Chablis Billaud Simon 2016”、2種のアイスクリーム、”Old Parr”(生)

































































































































