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一壺の紅の酒 一巻の歌さえあれば それにただ命をつなぐ糧さえあれば 君とともにたとえ荒屋に住もうとも 心は王侯の榮華にまさるたのしさ
Omar Khayyam

 2003.1031(金) 山中の柿

「市之蔵」 のカウンターに、その朱色も濃い、しかし黒く深い筋が表面にいくつも走っている見栄えのしない柿が、ザルに盛られてある。柿はその見た目の悪さから、却って山中の天然物だということをうかがわせ、「カトウサダオさんの土地に成ったものだろうか? こういうのが、美味いんだよな」 と、思う。

今朝は6時に起きた。祭壇にろうそくを灯し、線香に火を点けた。ソファベッドを畳み、ほうじ茶を飲んだ。

家内による朝飯は、海苔、カブの葉と昆布の浅漬け、塩ウニ、めんたいこ、納豆、キャベツの油炒めと炒り卵、野菜の南蛮漬け、メシ、ジャガイモと万能ネギの味噌汁。これにて、2杯半のメシを食べた。

遅れて起きてきた長男の朝食が済むのを待って、男手があるうちに、白木の祭壇を撤去し、数日前までそこにあった中国明代風の飾り棚を、隣の部屋から運んで元の場所へ置いた。その最上段に、位牌やお骨や遺影、あるいはろうそく立てや線香立てを乗せた。

10時前、家内の兄に、クルマで大船駅へ送ってもらった。浅草駅11:30分発の、下り特急スペーシアに乗った。

自動券売機によって発行された特急券には201の座席、つまり2号車最前列の右端が指定してあった。面壁八年のダルマが座るにふさわしい末尾01から04までの座席は、足を伸ばすことのできない窮屈さ、見通しの利かない閉塞感により、その価格を半額にして欲しいと、切に願う。

1時すぎに帰社し、不在のあいだに溜まった仕事、午後になって急に入った仕事を処理した。

鎌倉にいるとき、カワナゴヨシノリ春日町一丁目青年会長より、頻繁な不在着信があった。それは、今夜の会議を知らせるものだった。初更7時30分から公民館で会議があるということは、それまでに飲まなくてはいけない、ということだ。

終業後、家内の電動自転車に乗って、日光街道を下る。

すっかり失念をしていたが、僕のボトルは吉四六から 「いいちこ」 に替わっていた。前回、あるいは前々回に、手元が不如意だったため、焼酎のランクを落としたのだろう。これを、オンザロックスにする。

ホウレンソウのおひたしとイワシのシソ巻き揚げが、頼まなくても出てくる。「今日のおすすめ」 の黒板を見上げながら、「オレ、まだいらないけど、最後に牡蠣フライを頼むから」 と、あらかじめ店主に伝えておく。

頼まなくても出てきたアサリの酒蒸しから、小さな身を箸の先でつまんで口へ運ぶ。イカ納豆は、自分で注文をした。そして、牡蠣フライにて締める

飲んだ焼酎は、3杯ほどだっただろうか、あるいは4杯だったかも知れない。「行きつけの店」 を、読み終える。吉行淳之介の 「悪友のすすめ」 は、既にして茅ヶ崎にて、読み終えていた。また読むべき本を、階段室に探さなくてはいけない。

7時25分に、日光街道を北上して、春日町一丁目公民館へ達する。11月3日に迫った杉並木祭りについての、臨時の会議が始まる。

「A、B、C、D、E、F、G、H、I」 と、僕が小学生のとき、登校班の班長だったオノグチショウちゃんが指折りアルファベットを読み上げる声にて目を覚ます。「とにかく、Iカップなんだよ」 と、先日、どこかの宴会にて遭遇したコンパニオンの胸について、説明をしている。それを聞きながら、もう一度、眠りに落ちる。

再び目を覚ますと会議は終わり、出席者たちは雑談に移っていた。眠りながら、「なんだか暖かくて気持ちがいいや」 と思っていたが、寝入る際には無かったガスストーブが、放射ガラスを紅く染めて燃えている。カワナゴヨシノリ青年会長に、お祭りの当日、僕が為すべきことを確認する。

帰宅して入浴し、しかしベッドへ横になると眠りたい気持ちはなくなって、枕頭の活字を拾い読みする。 0時30分に、ようやく就寝する。

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 2003.1030(木) 水割りの調合

睡眠時間3時間強を以て、4時すぎに目を覚ます。浴衣の腰ひもを締め直し、枕元のザックを持って、金襴緞子といった感じの僧侶用スリッパをつっかける

煌々とした明かりに照らされた祭壇の献花台にThinkPadを乗せて、電源を入れる。きのう、ここへ来る途中で書き始めたきのうの日記を完成させ、更に、今日の日記も書き始める。外の通りを不埒者が、数十秒もクラクションを鳴らしっぱなしにして走り去る。

6時を過ぎて、寝起きの良い次男が起きてくる。その次男を家内が宿泊部屋へ連れて行き、布団へ戻す。

8時30分に部屋を片づける。ここには素泊まりの設備しかないため、長男、次男のふたりと連れだって、駅ちかくの 「松屋」 へ行く。「どうも牛丼は好かない」 という長男が何を注文するかと思えば、レヴァ炒め定食だった。僕は目玉焼き定食を頼み、次男はカレーライスを選ぶ。家内や他の人は、コンビニエンスストアにて、何やらを調達した。

10時に告別式が始まる。11時10分にそれが終了して、快晴の下、バスで藤沢の斎場へ向かう。斎場からふたたび茅ヶ崎へ戻り、精進落としの料理屋へ着くころには、午後3時がちかくなっていた。

マツタケを用いた料理が、幾皿も運ばれてくる。お通夜の後に出た鮨が、この料理屋のものだったことを知る。その鮨は美味かった。だから今日の午後のこの食事もまた、悪いはずはない。次男は3人前のマグロの刺身を食べ、2人前の土瓶蒸しを飲んだ。長男やそのいとこたちも、食べきれない人から回された皿を、いくつも消化している。

6時すこし前に、鎌倉の丘の中腹にある家内の実家へ着く。今夜はここへ泊まり、明朝を待って帰社することを決める。お骨を祭壇に安置し、ろうそくを灯し、線香に火を点ける。

みなが一段落をして、丸い食卓でほうじ茶を飲んでいる。僕はそのお茶には手を付けず、家内の父に顔を近づける。声を低めて 「お義父さん、水割りが飲みたいと思います」 と言うと、「ヨシッ! その言葉を待っていました」 と、家内の父は大音声で応えた。

家内の父が、僕の水割りを調合する。義父はもちろん、自分の水割りも調合する。まわりの数名が、迷惑そうな顔というか、苦笑いというか、そういう表情を浮かべている。

「長男は、あと3年で飲めるようになります。今でも飲めないことはありませんが、しかし、法律というものがあります」
「そうね。しかしまぁ、私の場合は、中学生のときから飲んでおりますが」

昭和10年代、十代の少年たちは、自分たちが20歳まで生きるとは思っていなかった。いきおい、酒やタバコ、ケンカや博打に精を出す者も多くいただろう。

精進落としの席で禅宗の住職が、四十九日までの心得を説いた。この期間、亡くなった人に捧げるものは、明かり(灯明)、良い香り(線香)、故人を思いやって選んだ食物、水、そして遺族の清貧な生活、この5つだという。

「この場合の清貧な生活とはつまり、普段、2合飲んでいたお酒を1合に減らすとか、そういうことを指します」 との説明も添えられたが、これはまぁ、その席に散見された酒飲みに配慮しての比喩に違いない。

お茶漬け用として盛られた飯は炊きたてのため茶漬けにはせず、佃煮や漬物や海苔と共に口へ入れて酒肴とする。尻上がりにその濃さを増す計3杯の水割りを飲む。

「行きつけの店」 を読みつつ、子供たちが風呂から上がるのを待つが、そのうち、うたた寝をする。家内に起こされて、いよいよ僕も入浴をする。恐らく、10時30分のころに就寝する。

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 2003.1029(水) うまいもん食い

目を覚まして明かりを点け、時計を見ると3時だった。「悪友のすすめ」 と、きのう届いた週刊朝日を、交互に読む。

5時に起床して居間へ行くと、卓上に3枚のメモがあって、その表裏に文字がある。昨夜は入浴の直後からソファで寝入ったとばかり思っていたが、その前に、28日の日記に書くべきことを、文章にしていたらしい。これは明らかに、29日朝の忙しさを思って、「今夜のうちに、できることはしておこう」 と、考えた結果の行動だ。

ほとんど裸のまま寝入ってしまうような酔っぱらいも、実は、いろいろと知恵を働かせているということが、このあたりの様子からうかがえる。空は晴れた

8時30分までは、いつも通りの仕事をする。下今市駅9:02発の上り特急スペーシアに乗り、次男を同道していない身軽さのため、一昨日よりも10分はやく大船駅へ着く。

タクシーに乗って家内の実家へ達し、山ほどのサンドウィッチと熱い野菜スープとコーフィーの昼食を取る。

2時30分に葬祭業の人が来る。彼らと家内の兄と共に、家内の母が横たわる棺を居間から出して外のワゴン車まで運ぶ。このとき僕が発した 「お運びする」 という言葉を、葬祭業の人が 「お連れする」 と、さりげなく訂正する。

6時より、茅ヶ崎のホールにてお通夜が始まる。用意しすぎたかと思われた椅子の数が、しばらく後には足りないようになり、しまいには最後列のその後ろに、厚い人垣ができた。

大勢の人たちと挨拶をし、紹介し紹介され、ふたことみことを交わすことにかなりの時間を費やした後、料理の用意してある別のフロアへ行く。こちらにも人の数は多い。

次男が同年輩の子供達と、大はしゃぎをしながら畳の上を走り回っている。年輩の親戚から、「話が聞こえないから、彼らをどこかへ連れて行ってくれ」 との苦情を受ける。もちろんこの苦情は棘のあるものではなく、苦笑いを伴う、どことなくその騒音を歓迎している風も感じさせるものだとは、親の勝手な思いこみだろうか。

やがて大勢のお客も、すべて帰る。僕と家内は長男、次男、実家の姉妹と連れだって駅前まで歩き、タクシーで近くにあるスーパー銭湯へ行く。次男はひとつの風呂に30秒ほどいては、他の風呂へ行く。僕はその姿を目で追いつつ、電気風呂で腰を痺れさす。

葬祭ホールの宿泊部屋へ戻り、次男を寝かしつけてから祭壇へ行くと、家内や高校生、中学生たちが、アイスクリームを食べている。僕はそのまま外へ出る。10時を30分すぎている。

タバコ吸いが手の届くところにタバコのない状況を極端に恐れるように、僕は活字が身辺から無くなることを恐れる。お通夜が始まる前に茅ヶ崎の駅ビルで購入した

「行きつけの店」  山口瞳著  新潮文庫  \667

を手に持って、いまだ寂れない夜の街を歩く。昼間のうちから目を付けていた場末の香り濃い焼鳥屋の引き戸を開ける。外観は僕の好みだったが、店内に目をやると、カウンター上の冷蔵ショウケイスに、不味そうなツクネが並んでいる。

「あー、失敗した。でも、引き返すわけにはいかねぇなぁ」 と後悔をしたが、「そろそろ閉店」 との意をオヤジが愛想良く 「スミマセン」 という言葉で僕に伝える。「助かったー」 と、小さく安心をする。

暗い路地を歩き回り、チェインの居酒屋は避け、雑草の生い茂るひとけのない駐車場にて立ち小便をする。

麺を湯がく良い匂いがしたため、それを辿っていくと、「茅ヶ崎家」 というラーメン屋がある。「家系かぁ」 と思いつつ店内に顔を突っ込み、閉店時間を訊ねると、「1時までやってます」 という、気分の良い答えが戻る。

そのまま駅前まで戻り、「こういう店は好みじゃねぇけど、背に腹は代えられねぇ」 とばかりに、炭火焼きと手打ち蕎麦を売り物にした店への階段を降りる。

25平方メートルほどの大きな石壁に、途切れることなく水が落ちている。マネイジャーが来て僕にほほえみかける。下足箱に "TRIPPEN" の革靴を入れる。席の好みを訊かれたため、分厚い6、7メートルの一枚板と御影石から成るカウンターを選ぶ。

蕎麦打ち台が、大谷石とガラスに囲まれてある。和紙や麻やよしず越しに漏れる白熱灯が、落ち着いた空間を演出している。「空間を演出する」 とか 「雰囲気を醸し出す」 とは、僕にとって恥ずかしい言い回しだ。チャーリー・パーカーの時代のジャズが、低く流れている。

床にひざまづいた女の店員からメニュを受け取る。意味ありげに添え書きのされた種々の焼き鳥には、それぞれ京橋の 「伊勢廣」 と変わりのない値段がつけられている。トマトのサラダと3本の焼き鳥、常温の泡盛を生で注文する。

トマトのスライスに添えられたドレッシングの味を見てから女の店員を呼び、塩を持ってきてくれるよう頼む。笹の葉を敷いた長皿にて1本ずつ運ばれる焼き鳥の味は、この店の3分の1の支払いで済む 「鳥ぎん」 の方が明らかに上だ。

「行きつけの店」 を開く。僕はこのハードカヴァーを十数年前に買って、いまだ読んでいない。「早く読みたい」 との思いからハードカヴァーを買い、しかしその持ち運びの不便さから本棚に温存し、結局は文庫版を買ってようやく読むということが、僕にはよくある。

ウイスキーでダブルの量しかない泡盛をお代わりし、これを飲み終えたところで勘定を頼む。いわゆる 「うまいもん食い」 は、こういう店には来ない。浅草の 「うまいち」 や、立石の 「宇ち多」 のような店へ行く。

先ほどの 「茅ヶ崎家」 へ戻り、「普通のラーメン、太麺硬め、味うすめ油すくなめ」 を注文する。ここのラーメンは悪くない。壁やステインレスの冷蔵庫は清潔で、店員は元気だ。「行きつけの店」 は1ペイジ目からではなく、たとえば 「祇園・山ふくの雑ぜ御飯」 とか 「浅草・並木の藪の鴨なんばん」 などを拾い読みしていく。

トロトロの、しかし脂のしつこさは感じさせないスープをすべて飲み、半袖のTシャツでも寒くない夜気を感じながら、帰り道を辿る。オヤジが愛想良く閉店の意を伝えたとばかり思っていた飲み屋は、いまだ提灯の明かりを点け、ノレンを出している。あるいは、初会の客を嫌ったのかも知れない。

葬祭ホールへ戻り、家内とふたりで午前1時まで棺に付き添って後に就寝する。

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 2003.1028(火) ソンクランとソラクサン

朝4時30分に目が覚める。1時間後に 「ヴェニス 光と影」 を読み終える。読み終えて分かったことだが、12年前の10月下旬に読んだ記録を裏表紙に持つこの本の、吉行淳之介による文章の一片一節も、また篠山紀信による写真の1枚も、僕は一切、記憶に留めていなかった。

優れた本こそ後には何も残さない、ということがある。この 「ヴェニス 光と影」 も、その例に漏れないものと、認識をする。

事務室へ降りて、朝のよしなしごとをする。そのまま朝飯を食べず、仕事に入る。

雨にしては多い来客数があって、終業時間に至る。階段室へ行き、本棚を漁る。僕は活字を欠いては、ひとりで飲み食いをすることができない。

「悪友のすすめ」  吉行淳之介著  光文社文庫  \400

が、目につく。読んだ日を書き込むことになっている裏表紙を開くと、何の文字もない。「いまだ読んでいない本だろうか?」 と考えつつ、これを持って外へ出る。雨足が強くなっている。傘を差し、日光街道を下って、「和光」 へおもむく。

同級生のアキモッチャンが、今夜もカウンターに座っている。「雨が降っても、やっぱり飲師(のみし)は、いつも通りだね」 と、軽口をたたく。

名詞の後ろに 「師」 をつける言葉を文法上、何と呼ぶのかは知らないが、「馬券師」 「地面師」 「竿師」 などの言葉が持つ、ある種、軽みのある愛嬌が、僕は好きだ。

あずけてある吉四六を、オンザロックスにする。突き出しは、ロールキャベツだった。これはビールやワインだけでなく、焼酎や日本酒にも合いそうな食べ物だということに、遅ればせながら気づく。

「アカシヤのロールキャベツで、燗酒が飲んでみてぇな、でもあそこのメニュに、日本酒はあっただろうか? そう、酒を飲んだ後で、あのトロトロのソースを飯へぶっかけて食っても美味そうだ」 と、考える。ただしこの店のある新宿は、今の僕の活動範囲からすると、遠い街になってしまった。

脂の乗ったサンマの刺身は、1尾を捌いたとは思えないほどの量がある。エシャロットを注文すると、添えられた味噌は豚肉を練り込んだ僕好みのものだった

吉四六のボトルが空になったため、この店で初めて目にする、ソラクサンという、分類上はリキュールになる焼酎を飲むことにする。レッテルの説明には、「雪岳山(ソラクサン)系の天然水を使用した焼酎をベースに、厳選した茶葉を使用した緑茶浸漬酒を仕上げに加え」 とあるが、お茶の香りは感じなかった。

大きなヤナギガレイの干物にて、今夜の飲酒を締める。この後、熱いアサリの味噌汁が運ばれる

(この日記を書きつつソンクランとキーボードを叩いてから、「これは、タイ語で水かけ祭りを指す言葉じゃねぇか、焼酎の名前は・・・」 とディスプレイを上に辿り、「ソラクサン」 という文字を見つける。)

この300CCのソラクサンを飲みきってしまったため、オカミに 「ボトル、途切れちゃったね」 と言うと、「却っていいのよ、吉四六は最近、酒屋さんにも入らないから」 と、気を遣ってくれる。「酒屋にも入らない」 とは、この焼酎が売れすぎて、生産が間に合わない、ということなのだろうか。

雨の中を北上し、7時30分に帰宅する。酔っている割に、風呂のお湯は溢れさせずに済んだ。

11時30分に目覚めると、体に2枚のバスタオルを巻いて、ソファに座っている。普段よりも強く酔って、風呂からの上がりしなに眠ってしまったらしい。急いでパジャマに着替え、寝室へ移動する。即、二度寝に入る。

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 2003.1027(月) タコとヒレカツ

かねてより病に臥せっていた家内の母がいよいよ心配な状態になったため、家内は昨晩、その病室に泊まった。

6時30分、事務室へ残置せず居間へ持ち帰ったコンピュータにてきのうの日記を書いているところに家内から、「次男を連れて病院へ来て欲しい」 との電話が入る。

既にして止まっている洗濯機から洗濯物を取りだして乾燥機へ入れる。事務室へ降りて次男の担任に数日欠席する旨の手紙をしたためる。サイトウトシコさんが作り置いてくれたけんちん汁とメシと塩鮭の朝飯を整え、着替えを済ませた次男に、「お父さんがいなくても、ちゃんとぜんぶ食べるんだよ」 と伝えて、事務室へ降りる。

同じ登校班に同級生のいる数軒先の湯澤歯科医院へ行き、先生への手紙を託す。自宅へ戻って僕と次男の着替えやパジャマを用意し、"ZERO POINT" のサブアタックザックに詰め込む。事務室へ降りてコンピュータを起動する。メイラーを回し、即、返信の要がある顧客からのメイルは無いことを確認する。そのコンピュータも、ザックへ収める。

僕もそそくさと朝飯を食べて、事務室へ降りる。普段、僕がしているところの掃除は販売係のサイトウシンイチ君に任せ、事務上の連絡事項については、事務係のタカハシアツコさんとコマバカナエさんに大急ぎで引継をする。

普段とは異なり、首尾良く食事を終えた次男に遊び道具を選ばせ、それを次男のショルダーバッグへ入れる。

9:02発の上り特急スペーシアに乗って利根川を越えたころ、家内から、母親が亡くなったとの知らせを受ける。それを僕はオヤジに連絡する。自由学園の教師室にも電話を入れ、受話器を取ったスズキマサカズ先生に、長男への伝言を託す。

いつもと同じく、下今市を発ってちょうど3時間後に大船駅へ着く。タクシーに乗って5分後に、家内の実家へ達する。

家内の母は、既にして茅ヶ崎の病院から家へ戻っていた。真面目な人生だった。真面目に生きても、早く死ぬ人がいる。世の中は、不公平にできている。焼香をする。

家内とブロッサム・デアリーのコンサートへ行こうとしていた1970年代のある夕べ、僕は甘木庵からアメ横へ降りて、茹でダコを買った。それを持って、当時は白金三光町にあった家内の実家を訪ねた。同級生のヨネイテツロウ君も一緒だった。そのタコと家内の母が作ったトンカツで、ヨネイテツロウ君は三杯飯を食べた。あのときのヒレカツは美味かった。

思い出すことはもちろん、ヒレカツのことばかりではないが、すべてを書いていては日記が終わらない。

午後1時になって、来客が増えてくる。広島から駆けつけていた家内の叔母による、まるでおせち料理のような美味いあれこれをおかずに、おにぎりを食べる。

3時ころ、東海道線では架線火災、横須賀線では人身事故と、ダイヤの乱れに翻弄された長男がようやく来る。それから少し遅れて、僕のオフクロも来る。

次男がこの家のいとこふたりに、持参したカードゲイムを一緒にしてくれるようせがみ、それを断られて怒っている。人が亡くなった家に無邪気な子供の声がときおり響くのも、悪いものではない。

西に傾き始めた日が、家内の母を寝かせた布団に差す。レイスのカーテンを引いて、その光を薄くする。

家内の父が、僕にウイスキーの水割りを調合してくれる。「いやぁ、まだ4時ですが」 とはもちろん、差し出されたグラスを断る言葉ではない。5時に2杯目の水割りを飲み始め、6時にその3杯目を空にする。否、このとき水割りは、4杯目に達していたかも知れない。

昼に続いて、またおせち料理のような美味いあれこれを食べる。長男がダシを取った豆腐と万能ネギの味噌汁を飲む。ここまで来る途中に読み終えた 「升田幸三物語」 を、長男に渡す。

お通夜は29日、告別式は30日と決まり、とりあえず僕は今市に帰宅、オフクロは甘木庵に帰宅、長男は帰寮、家内と次男はそのまま実家へ留まることになる。

家内の兄嫁に、クルマで大船駅へ送ってもらう。池袋まで直行する列車を待つ長男と別れ、ちょうど来た東海道線にオフクロと乗り込む。僕のみが新橋で降りる。地下鉄銀座線にて浅草へ至り、21:00発の下り特急スペーシアに乗る。

11時に帰宅し、「升田幸三物語」 が割り込んだため、読みかけてそのままになっていた 「ヴェニス 光と影」 を読んで、0時30分に就寝する。

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 2003.1026(日) 日記の文字数

5時30分に起床する。台風が近づいているため、せっかくのかき入れどきに激しい降雨だろうかと心配をしたが、空は穏やかに晴れている。事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波と玉子とミツバの雑炊、昆布の佃煮、イワシの甘露煮、アサリの佃煮

新らっきょうによるたまり漬が漬け上がったら必要になるペイジを整え、種々の文章を考え作る。また、"Computer Lib" のアボリョウコさんから送られ、何度も作り直しを要請したi-mode用ウェブショップの地図について、これ以上、改良の要があるかないかを判断する。

店舗は、この秋、最高の来客数を感じさせる混み具合を示している。事務室から店舗、駐車場から国道121号線を隔てた別の駐車場へと走り回る一時がある。販売を助けて店舗から抜け出せなくなり、製造部門で仕事をする時間が取れなくなる一時もある。

売上金額は案の定、盆過ぎ以来で最高の数字を記録する。出勤した社員とこの1週間の反省をし、これからの1週間の奮闘を要請する。

初更、ビヒダスヨーグルトとジャガイモのカレー煮を摂取する。これにて今月8回目の断酒となり、これから月末までは、ずっと飲み続けることが可能になる。

7時30分に早くも入浴をし、8時30分に就寝する。

これを書き終えてザッと読み直し、ウェブ日記には、否、たとえ紙に書かれた日記にあっても、このくらいの文字数がちょうど良いと考える。

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 2003.1025(土) 千住の歩行

4時30分に目を覚ます。実に、8時間ちかくも眠ったことになる。「升田幸三物語」 を読み、5時30分に起床する。事務室には残置せず居間へ持ち帰ったコンピュータにて、きのうの日記を作成し、また、滞っていたメイルの返信を書く。

朝飯は、ポーチトエッグ入りのカレーライス

高脂血の人間に玉子は禁物と聞くが、本当だろうか。僕は方々の医師にそのことを言われて以来、玉子は1週間に1個ほどしか食べなくなった。これで10年ほども後に、「玉子は高脂血症の予防に有効」 などという新しい学説が定着した場合、「玉子を食えずに損をした自分の10年間をどうしてくれる?」 と、訴え出る玉子愛好家はいないものだろうか?

8時30分より今市小学校の体育館へ行き、「PTA学年対抗ソフトバレー大会」 に出場をする

今年の春から、ボールを投げようと腕を回すと、肩に強い痛みを感じるようになった。そのため第一試合のとき、 「サーヴはできない」 旨を申し出たところ、第二試合からは他の人が替わってくれ、大いに助かる。

係として割り当てられた結果発表のアナウンスを終え、予定よりも1時間ちかく早い12時すぎに帰社する。

自由学園の同級生のあいだで話し合いがあるため、下今市駅15:03発の、上り特急スペーシアに乗る。北千住からおよそ40分も地下鉄に乗って、5時30分ちかくに恵比寿へ至る。今夜の会合場所は、品川から新幹線で帰宅する者に配慮してのものだそうだが、山手線の西側は、主に東京の東側で活動をする僕にとっては、ひどく遠く感じられる。

駅ビルの "atre" 6階へ上がると、週末の夕方というのに、レストラン街は閑散としていた。ただし、クラスの同報メイルが指定した 「由庵」 という店のみには、外に空席待ちの姿があった。

ザルに盛られたおろ抜きダイコンやサツマイモをかじり、ほんの少しのビールを飲み、自由学園の卒業生会 「同学会」 の本部委員を選出し焼き魚をおかずに赤米のメシを食べる

すべきことをし、皆がこれから本格的に飲み始めようとするとき、僕は途中退席をしてふたたび地下鉄日比谷線に乗る。

窓外に 「千住」 の文字が見えたため、下車して最寄りの改札口から外へ出てみれば、道路標識に 「泪橋」 の文字がある。北千住駅の最も南寄りの出口を選んでしまったのかと思い、西口へ向かうべく、勘を頼って暗い住宅街を歩く。歩きながら、「ことによると、自分は一駅手前の南千住で降りてしまったのではないか?」 との疑念を強くする。

自転車で通りかかった少年を呼び止める。イヤフォンを付けているため、当方の声が聞こえないらしい。一段と強い声で振り向かせ、北千住駅の位置を訊ねれば、「アッ、イヤッ、エッ、10分くらいです」 との返事が戻る。

昔は賑わったのかも知れない旅館の前を過ぎ、やがて橋を渡る。右手に、常磐線と日比谷線のものと思われる鉄橋が見える。街道を走るトラックの地響きを感じながら更に進めば、信号機に 「足立市場入口」 の表示が現れる。「果たして自分は、下り最終スペーシアに乗ることができるだろうか?」 との不安を覚え始める。

映画 「のようなもの」 で、「明烏」 をさらいながら若い噺家が歩いた夜明けの街は、東京のどのあたりだったのだろう。

ようやく遠くに、北千住の駅ビル "LUMINE" が小さく見え始める。やがてそれは徐々に大きくなり、そしてまた見えなくなり、急に目の前が明るくなると、そこは北千住駅西口の飲屋街だった。

11時ちかくに帰宅する。入浴して冷蔵庫に1本だけあった350CCの缶ビールを飲み、0時に就寝する。

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 2003.1024(金) 宿題

朝3時30分に目を覚まし、5時30分まで 「升田幸三物語」 を読む。その後、事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。日光の山に、今秋初めての降雪が認められる

朝飯は、2種のおにぎりとキュウリのぬか漬け

きのう約束した通りの8時に、特殊な排気音を周囲に響かせつつ、巨大なクロームメッキのバンパーを装備した稲葉塗装のトラックが来る。ホンダフィットにて先導しつつ車庫へ行く。奥に立てかけられた十数枚の戸から、3枚を選び出す

戸は江戸末期のもので、積年のホコリが、泥水を刷毛で塗ったように厚く付着している。稲葉塗装はこれらを慎重に洗い、仕事をしたかしないか知れない程度の塗装を施す。納品がいつになるかは、定かではない。

午前中、冬のギフトに際して送付するメイルマガジンの文中からリンクさせるためのペイジを作る。テイブルのセルに隙間なく画像を当てはめるタグまでは自分で書くことができず、外注SEのカトーノさんに、助力を求めるメイルを送る。

今日は家内もサイトウトシコさんも不在のため、下校した次男にホットミルクを飲ませ、漢字練習の宿題を督励し、スイミングスクールへ送る。その足で岡村医院へ立ち寄り先日の血液検査の結果をもらい、下今市駅にて明日のスペーシアの座席指定券を購う。

帰社して仕事をする間もなく、ふたたびプールへ出かけて次男を迎える。帰途、セブンイレブンにて僕はヨーグルト、次男はアイスキャンディー 「ガリガリ君」 を買う。

宿題の残り半分を済ませ、これにて次男は自由の身となる。

むかし、先代貴乃花が巡業中、ふたりの息子に電話をして、「宿題はやったか?」 と訊いているところを、テレビで見たことがある。そのとき僕は、「この家では、宿題さえすれば良いのか。それほど教育熱心というわけでもないな」 と感じたが、自分に子ができてみれば、なんのことはない、やはり勉強は、宿題しかさせてはいない。

晩飯の代わりにブルガリアヨーグルトとジャガイモのカレー煮を摂取し、今月7度目の断酒日とする。

入浴してベッドで 「升田幸三物語」 を読む。何度も眠りに落ちて、その都度、床へ本を落とす。明かりを消して、8時45分に就寝する。

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 2003.1023(木) 八寸盆に八つの酒肴

2時30分に目を覚ます。明かりを点けて枕頭に本を探すが、いまだ読みかけの 「ヴェニス 光と影」 も、またきのう浅草駅のキヨスクで買った 「升田幸三物語」 も見あたらない。事務室へ降り、

「升田幸三物語」  東公平著  角川文庫  \857

のみを持って寝室へ戻る。これを1時間ほど読み、また、新らっきょうのたまり漬ができたら送付するメイルマガジンの文案を考えメモに残し、4時すぎに二度寝に入る。6時に起床する。

ふたたび事務室へ降りていつものよしなしごとをし、居間へ戻って、玉子とミツバの雑炊、キュウリのぬか漬け、昆布とアサリの佃煮にて、朝食とする。

午前中は、明け方のメモを元に、メイルマガジンを作成する。その内容に従ってペイジの一部に変更を加え、これについては今のうちからサーヴァーへ転送しておく。

午後、東から南の空にかけて、巨大な入道雲が発生する。先日も、このような雲を見ることができたが、その日も今日も、東京ではごく短時間の豪雨が発生していることを、全国の天気を伝えるサイトで知る。

昨年の今ごろも、関東地方に積乱雲が立ち上ったり、季節はずれの夕立に見舞われることがあっただろうか? どうも、そのような記憶はない。

7時30分より 「市之蔵」 にて、第125回本酒会が始まる。本酒会は昨年まで 「やぶ定」 のみで開かれてきたが、今年からはいくつかの会場を月代わりで回るようになった。

八寸の盆に酒肴の種類を数えてみれば、いくらおろし、ワカメの酢の物、キュウリとショウガの塩もみ、シシトウの油焼き、牛肉のたたき、栗団子、ダイコンとニンジンのマリネ生ハム巻き、コンニャクの炒りつけと、8品があった。2分の1のシャッター速度でもまともな画像の撮れる "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" が、とても重宝をする。

マグロ、イカ、ホタテ貝、イナダの刺身サザエの鬼殻焼き、サケの白子焼き、ギンダラの西京焼き と進んで、準備されたお酒も、次々とメンバーの手から手へと渡されていく。

その模様を、電話をすると多く 「パケット通信中です」 という応答のある、また、一時はタマゴッチを3匹も飼育していたヤギサワカツミ会員が、携帯電話にて動画撮影する

ひとり1本あての鶏手羽焼きをなぜか大量に平らげた者がいる。牛肉とヒメタケと糸コンニャクのすきやき風を経て、焼きおにぎりとダイコンの漬物アサリとミツバの味噌汁にて締める

僕の上がりはいつも早い。皆に先がけて帰ろうと立ち上がったところで、19人分の器の数に圧倒される。「うわぁ、これからこのお皿洗う人、カワイソー」 と思わず口走れば、手伝いの女の人は、「大丈夫ですよー」 と、笑う。

帰宅して入浴する。ダイエーと阪神による日本シリーズが、テレビで中継されている。なんとはなしに見ているうち、10回裏に金本がホームランを打って、阪神がサヨナラ勝ちをした。

10時30分に就寝する。

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 2003.1022(木) 「丸香」 のあつかけ上天入り

5時30分に起床する。事務室へ降りてきのうの画像をコンピュータへ吸い上げ、加工してウェブペイジのフォルダへ収める。その画像を用いた日記を途中まで作成し、6時20分に居間へ戻る。

ステーキならこの年齢でも300グラムを平らげるが、薄焼き牛肉の鉄板焼きとなると、とてもではないが、脂がしつこくて、せいぜい1、2枚で箸を置いてしまう。それと同じく、トンカツなら燗酒を横にゆっくりと大量に食べることができても、天ぷらは、その油を舌が嫌って、そうは食べられない。

昨夕、酒肴が足りずに、けんちん汁の具をお椀によそったのは、天ぷらにほとんど手を付けなかったことによるが、その際、家内には、「明日の味噌汁の具は、天ぷらの残りにしてね」 と、頼んだ。

味噌汁に冷えた天ぷらを入れて煮るとはいかにも貧乏くさいが、こうすればなぜかその脂もしつこくはなくなり、中々に美味い。 もっとも、味はさっぱりしても、その油の含有量については元の状態から減るわけもなく、だから天ぷら入りの味噌汁や天ぷら蕎麦は、まぁ、高脂血の人間にとっては危険な食べ物だろう。

というわけで朝飯は、キュウリのぬか漬け、納豆、鮭の中骨とピーマンのマヨネーズ和え、メシ、シュンギクとマイタケの天ぷらの味噌汁

弱くない雨が降っていることもあり、家内に東武日光線の下今市駅まで、ホンダフィットにて送ってもらう。7:03発の、上り特急スペーシアに乗る。北千住にて、地下鉄千代田線に乗り換える。

北綾瀬から代々木上原へ向かう千代田線の不思議のひとつは、朝の一時、これでもかとばかりに米を詰め込んだ弁当箱のように人が充満する便と、あっけないほどに空いた便が、交互に運行することだ。今朝はたまたま、その弁当箱の方が、目の前に滑り込んできた。

新御茶ノ水にてようやく肉と肉との圧縮から解放され、都営新宿線に乗り換えて、9時10分に、神保町の "Computer Lib" へ入る。

エミュレイターでi-modeの画像をディスプレイに呼び出し、顧客の携帯端末に現れる情報を視認する。まずまずのところはそのままに、見づらかったり操作性が悪そうに思われるところは、より良いものに更新していく。

「ウワサワさん、すいません、当初説明したよりも、これは面倒ですよ」
「それは織り込み済みです。第一、ひとつのウェブショップが、それも、僕のようなパラノイアが運営しようとするウェブショップが、そうそう簡単にできあがるわけはありません」

「いやぁ、システムの方も、難問続きなんですよ」

自分が解決しなければならない難問はやっかいだが、専門家が解決すべきそれについては、当方は、ただ待ちさえすれば良いのだから気は楽だ。

「ナカジマさん、時間はかまいません。いいじゃないですか、予定より2ヶ月遅れようが3ヶ月遅れようが」
「いや、それじゃぁウチに、キャッシュが入ってこないんですよ」

頭を使いすぎて酸素欠乏を起こした脳に、矢野ビル4階のクラシカルな鉄サッシを開けて、新鮮な外気を供給する。雨模様の靖国通りに人影はまばらで、また、クルマの数も少ない。 僕の後ろ姿に、ナカジママヒマヒ社長が声をかける。「ウワサワさーん、お昼、鶴八に行きましょうか」

僕は右へ向けていた首を左へ振り、鮨屋の 「鶴八」 を見る。「ナカジマさん、それは贅沢です」 と、答える。ママヒマヒ社長は、浅草の 「うまいち」 で飲酒の後、地下鉄一本で行かれる新橋まで、タクシーで移動をするような人間だ。僕は、そのような行動様式を持たない。

1時を大きく過ぎて、本日の作業を終了する。マヒマヒ社長はサイボウズによる、僕はマイツールによるスケデュール管理を見ながら、次回の作業日程を打ち合わせる。

「ナカジマさん、錦華通りの丸香、行きませんか?」
「ウワサワさん、良く知ってますね」

「だって、ここから甘木庵まで、歩いて15分の距離ですよ。泊まりのときには猿楽町から御茶ノ水へ抜けるんですから、いろいろな店は、目についてます」

その 「丸香」 にて、僕はあつかけの上天入り、マヒマヒ社長は、あつかけのハス天入りと、別途、かま玉を注文する。上天とはいえ、讃岐のこれは天ぷらではなく、硬く練り上げられたかまぼこのようなものだ

ナカジママヒマヒ社長と別れ、本屋を2、3軒まわって浅草へ着いてみれば、15:00発のスペーシアは出た後だった。15:20発の、下り快速にて帰社する。

終業後、次男の算数の宿題を督励する。映画の撮影は、雨のため明日に順延されたという。

タシロケンボウんちのお徳用湯波、鳥挽肉のつくね、豆腐、糸こんにゃくなどを煮た鍋にシュンギクや長ネギホタテ貝などを投入する。これにて、きのう 「瑞泉」 の抱瓶から取り出した、コルク混じりの古い泡盛を飲む。

入浴して本は読まず、8時30分に就寝する。

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 2003.1021(火) 瑞泉の抱瓶

目を覚ますと、室内が幾分、明るみを帯びているような気がしたため、「もう起きる時刻か」 と思いつつ時計を見ると3時20分だった。この好機を逃すまいと、即、起床する。

事務室へ降り、5時までかかって顧客名簿の更新をする。それから更に1時間を要して、今月末に投函するギフト案内の送付先を抽出する。検索条件にはかなり頭を使ったが、だからといって、良い結果が出るとは限らない。

朝飯は、ほぐし鮭、柴漬け、ナスとピーマンの油炒め、メカブの酢の物、メシ、那須農場で収穫したダイコン入りのけんちん汁

昼どき、今市小学校の教頭先生から電話が入る。担任ではなく教頭からの連絡ということから、次男がなにか大きな事故にでも遭ったのかと、心配をする。

話の内容は、「いま、ある団体が我が町において映画を撮っているが、場面は折しも昭和18年のところへさしかかり、坊主頭の子供を必要としている。ついてはおたくの子供を撮影に使っても良いだろうか? 先に本人へ確認をしたところ、『出たい』 と言っている」 というものだった。

この映画については1週間ほど前にも市の観光課から、「撮影に急遽、サイドカーを使うことになったが、おたくにはないか?」 との電話があった。そのとき、「シナリオは機能しているのだろうか? 場面ごとの絵コンテは描かれなかったのだろうか?」 と、いぶかしんだが、一体どのような映画ができあがるのだろう。

家内は教頭先生の申し出を受け、受話器を置いた後に、「でもウチの子供は、昭和18年の顔はしていない」 と、言った。

その次男が学校から帰宅する。「すごいねぇ、映画に出るんだって?」 と訊くと、「ちょっと参加してみようかなぁと思って」 と、答える。教師に 「ちょっと参加してみない?」 とでも言われ、それをオウム返しに、僕への返事にあてたのかも知れない。

居間へ落ち着いた次男が、ランドセルからなにやら紙を取り出す。そこには、僕でさえうろ覚えのわらべ歌があった。「これ、映画の中で歌うから、練習してきてって」

おとなでも、短くない歌を一晩で習得するには無理がある。映画とは、こうまで拙速の集合でできあがっているものなのだろうか? いや、そうでない映画もたくさん、あるだろう。伊丹十三が映画作りの過程を書いた 「お葬式日記」 を、20年ぶりに読んでみようかと考える。

終業後、次男の漢字練習の宿題を督励する。「鳥」 という字が、どうしても書けない。見本を示しても、どうしてもその要点を押さえてエンピツを動かすことができない。あちらが長くなったりこちらが短くなったりするたびに、消しゴムで消して書き直させる。そのうち次男の目に涙がたまり始める。

学校の決まりでは1行のところ倍の2行を書かせて、ようやく 「鳥」 という字の練習を終える。

台所へ行き、家内に 「どうしても、見本通りに書けないんだよ」 と次男の状況を説明すると、「あぁ、彼は見本を見ないで、自分の思うとおりにやりたがるからね」 という答えが返って、その瞬間、「なんだ、オレと同じじゃねぇか」 と、気づく。

子供のころ、手本通りに習字を書くことがイヤだった。あるいは、譜面をなぞって指を動かしピアノを弾くことが、本当に苦痛だった。楽譜という制約が、心底イヤだった。

ピアノを習わされている僕は、山で捕らえられ、頭を叩かれながら芸を仕込まれる猿回しの猿と同じだった。今でも僕は、小さなころにピアノを習わされなければ、現在の自分はもうすこしまともな人間になっていただろうと、本気で考えているところがある。

それはさておき、歌舞音曲のたぐいのピアノならいざ知らず、やはり文字においては、これをしっかり覚える必要があるだろう。どうにかして、次男を泣かさない指導法はないものだろうかと考える。

その次男も、宿題さえ片づけてしまえば、ふたたび元気を取り戻す。

那須農場のサツマイモ、タコ、マイタケ、シュンギクの天ぷら、まぐろの山かけにて、「琉球泡盛」 を飲む。これが途中でなくなることは、夕方のうちから知っていた。事務室の棚に何年も、あるいは10年ほども前から置き去りにされていた、瑞泉酒造の抱瓶(だちびん)に入った泡盛を続けて飲もうとして、乾いたコルクの開栓に難渋する。

ようやく中身を空き瓶に移し替え、コルクの細片が混じった、幾分、黄色みを帯びた泡盛を飲む。これが、妙なヒネ臭と共に古酒(くうすう)の風味も感じさせて、不思議と美味い。けんちん汁の鍋から多く具ばかりをすくい上げ、これも酒肴とする

入浴して文藝春秋の最新号を拾い読みし、10時30分に就寝する。

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 2003.1020(月) 恵比寿講

目を覚ましてしばらくは、そのままじっとしている。昨夕は断酒をしたが、だからといって、今朝の気分が良いわけではない。枕頭の明かりを点けると4時だった。5時までかかって 「三文紳士」 を読み終える。

この勢いを駆って、同じ著者による 「金沢 酒宴」 を読んでしまおうかとも考えたが、「あれはちと、読んで疲れる文体だからなぁ」 と考え、いましばらくは、本棚に寝かせておくこととする。

5時に起床し、事務室へ降りる。本日、設計屋、冷蔵庫屋、電気屋と共に持つ打ち合わせに備えて、これまで書きためた箇条書きに、更に必要なことがらを追加する。きのうの日記を作成し、ウェブショップからの問い合わせに返信を書いて送る。

朝飯を抜き、9時に検査のための採血を、岡村医院にて行う。

午前中、設計屋、冷蔵庫屋、電気屋と、社内の工事についての打ち合わせをする。別途、必要なものについては、器屋にファクシミリにて問い合わせをし、また家具屋には、メイルにてカタログを請求する。

遅い午後、サイトウトシコさんにふかしてもらった那須農場のサツマイモを次男は心安らかに食べ、かつ、乾いたイモのカスが付着した口を開いて、「イモは、皮が美味いんだよ」 と、言う。

初更、家内とオフクロの手によって、恵比寿講の準備が整う。恵比寿講とは、商家にあっては商売繁盛を、また農家にあっては五穀豊穣を祈るお祭りだ。

その供え物をした床の間の左側に、千両箱を認める。事務室へ降り、"Computer Lib" から届いたばかりの箱から "ThinkPad X31" を取り出す。自宅へ戻り、同じ床の間の右側に、この新しいコンピュータを置く

恵比寿講の飾りに二礼二拍手一礼をし、居間へ戻る。

先日の 「食中毒防止講習」 では、「人からもらったキノコは食べるな」 という注意も受けた。人からもらうワケの分からないキノコは、僕の好物のひとつだ。そのキノコと豚肉の団子、きりたんぽや湯波などを煮た醤油味の鍋に水菜と長ネギを投入しつつ食べる

はじめ、ワイン蔵に保存してあった 「〆張鶴しぼりたて生原酒」 を飲むが、この残りが蕎麦猪口に2杯ほどしかなかたっため、後半からは 「琉球泡盛」 に切り替える

入浴して、月の杯に "PISCO CAPEL" を満たす。12年ほど前に1度読んだことのある

「ヴェニス 光と影」  吉行淳之介著  篠山紀信写真  新潮文庫  \427

をすこし読み、9時に就寝する。

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 2003.1019(日) 日光へ行くならいつが良い?

朝5時30分に起床する。きのうは那須の空の下にてただ遊んだだけなのに、体のあちらこちらが痛む。

トラクターの荷台で牧草地を案内されているとき、ウブカタエイジロウさんは、この農場を5人で回していると言った。参加者の誰かが 「その人数で、やっていけるんですか?」 と質問をしたところ、「この人数でやらないと、採算が合わないんです」 との答えが戻った。

遊んだだけで疲れている自分の肉体を通して、農場での仕事に当たっている人たちの苦労を思う。

事務室へ降りて、ウェブショップ の受注を確認する。きのうの画像を整理し、日記を書きかけて、途中で時間が切れる。

朝飯は、煮イワシ、納豆、ほぐし鮭、メカブの酢の物、ダイコンのぬか漬け、メシ、豚汁

9時に突然、外注SEのカトーノさんが来社する。夏前に作成したエクセル形式の注文フォーマットに含まれる、らっきょうのたまり漬と、それを含む片口の価格を書き換える。また、FAX形式の注文フォーマットについても、らっきょうのたまり漬の価格を、値上げ後の600円に書き換える。

ウチのウェブショップが立ち上がった5年前とくらべれば、カトーノさんは格段に忙しくなって、メイルの返事も届かず、来社の機会もずいぶんと減った。それがどうにももどかしい。

店の外では、お客様のクルマをさばく駐車場係の声や笛の音が響いている。日光宇都宮道路の日光と清滝の間は渋滞、いろは坂の上りに要する時間は70分、日光市内から今市市内までもずっとクルマの列は動かないなどの情報が、次々と入る。

紅葉見物の繁忙は、商売にとっては有り難いものだが、日光でゆっくり過ごすなら、いまだ夏の余韻を残す初秋や、あるいは喧噪が雪に閉ざされる厳冬期が一番だ。鹿の啼く晩秋も、また悪くはない。

何週間も前から地図をお送りし、その後、本日のご予約をくださっていた大型バスから電話が入る。1度目は、「いまから日光を出る」 というもので、2番目は、「いま今市警察署の前にいるが、閉店までにたどり着けるだろうか?」 というものだった。

その大型バスが、閉店の5分前に駐車場へ滑り込んでくる。静まりかけていた店内はふたたび賑やかになり、そして10分後に、本当の閉店となる。

これまで晩飯の開始は燈刻と書くにふさわしい時刻にあったが、今では初更とすべきだろうか。ジャージー乳業のヨーグルトとリンゴを摂取する

入浴して 「三文紳士」 をすこし読み、9時に就寝する。

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 2003.1018(土) 幻想の芋掘り

5時30分に起床して事務室へ降りる。

よしなしごとに目鼻を付けて事務室のシャッターを上げると、1台のクルマから数人が降りて、「商品を買うことはできるか?」 と、訊く。有り難く思って店内へ請じ入れ、7,200円の売上げを得る。

「このあたりに湯波屋はあるか?」 とも訊かれる。豆腐屋湯波屋はこの時間、とうに製造を終えて店に商品を並べている最中だろうが、商売を始めているかどうかは不明だ。

「もう、お店、開いてますか?」 と電話をするのもはばかられるため、タシロケンボウの家をお教えし、後は任せることにする。

朝飯は、ダイコンのぬか漬け、押し売りをされた自然薯によるとろろ、メシ、豚汁。

9時すぎに次男とホンダフィットに乗り、日光宇都宮道路から東北自動車道へ入る。良く晴れた空の下を、1台のクルマも追い越さずにゆっくり走る。家を出て55分後に、自由学園の那須農場へ達する。今日は、同学会による企画 「秋の那須農場を楽しむ・大人と子供のアウトドア教室&バーベキュー」 のために、ここへ来た。

10時30分にほぼ参加者が集まったところで、いきなり野菜の畑へ行き、ダイコン、シシトウ、ピーマン、ナスなどを収穫する。調子に乗ってダイコンを引き抜いているうちに、大人でも運搬に難渋するくらいの量が、一輪車に積み上がる。

数年前に新築された宿泊棟の前へ戻り、同学会委員長ヨシダジン君による、主催者と参加者あわせて35名ほどの、簡単な紹介がある。

今回の催しは、いちいちがその所要する時間に沿って、厳格に進められていくものではない。おもむろに、2年先輩のオカダジュン君による、焚き火の起こし方教室が始まる。

僕は野外遊びは嫌いではなく、よく集団で行った時期もあった。その場合、宿泊場所の選定、テント張り、いろり作り、火起こしなどは、それぞれ得意な者が行い、僕はせいぜい、撤収の際のゴミ拾いくらいしかしてこなかった。

焚き火起こしが周囲の樹木の観察から始まることを教えられて、僕は目から鱗の落ちる思いがした。どの木の下には、どのようなものが落ちているかを推し量り、森へ入って、最初に焚く枯れ葉、その火を移す直径3ミリほどの小枝、その火を移す指ほどの太さの枝、最後に火を安定させるための直径2センチほどの枝を集めていく。

リヤカー1台と一輪車3台分の材料を確保して森から出る。宿泊棟前の広場へ戻る。オカダジュン君が、ゆっくりと丁寧に、焚き火の作り方を解説していく。要点は、点火から火が安定するまでの材料を、それぞれの燃える速度を勘案しつつ、充分に準備することにある。

適切な指導のためか、すべての家族、すべてのグループが小さな焚き火を作り上げ、配られたマシュマロを焼いて食べる。

ちょうど昼時になり、僕よりも2年先輩の当番クラスが調理するバーベキューが始まる。牛肉、先ほど畑で収穫した野菜のほか、イモトショウジ君が今朝、築地で仕入れてきたカキやサンマまでが焼かれる。気がつけば、ハマグリの潮汁もある。驚き喜んで、これを2杯飲む

食後はトラクターに乗り、広大な牧草地へ出かける。ディズニー・シーのインディ・ジョーンズ・アドヴェンチャーよりも面白いアップダウンを経験し、また、激しく揺れる荷台にて、農場主のウブカタエイジロウさんから、この広大な農場が5名の人間によって運営されているなどの案内を受ける。

それにしても、このトラクターを生産する "MASSEY FERGASON" 社が子供用のトラクターをノヴェルティにて提供するアイディアには、賛嘆の意を禁じ得ない。これをもらった子供は大いに興奮し、またその本物に乗る大人を尊敬し、将来は同じ農業や牧畜に従事しようとする確率も高まるだろう。そこに、自社のトラクターの売れる循環が発生する。

腹も落ち着いたところで近くの疎林へ移動し、今度はロープワーク教室が始まる。こういうことにはとんと不器用と思い込んできたが、長く続けた冬の野外遊びが、意外や自分を器用にしていたことを知る。

オヤツの焼きそばを食べるころ、そろそろこの催しの終わりを告げる声が聞こえ始めた。オカダジュン君が、感想文を書くための紙を配り始める。ここでひとつの問題が発生する。

僕は数日前から次男に、この日はサツマイモ掘りもあることを伝えていた。多くの釣師と同じように腕を広げ、「那須農場には、こんなにでけぇイモが埋まっているんだ」 などと、ほらを吹いていた。その芋掘りが、時間切れのため中止になった。

感想文を書きながら、「今日、1番おもしろかったのは、なに?」 と訊くと、次男はあたりをはばからない大きな怒り声で、「全部つまんなかった。だって芋掘りがないんだもん!」 と、言う。

長男は就学前から、たとえラーメン屋でゲロを吐いても、それを周囲にさとらせないよう気を配る子供だった。次男は残念ながら、そのような "noble minded" な人間ではない。

サツマイモは次男の好物だ。僕は困り、ウブカタエイジロウさんに、「あの、イモ、掘ってきていいですか?」 と、許可を得る。ウブカタエイジロウさんが、こういうことについて 「ダメ」 と言うことはない。

次男に一輪車を押させ、300メートルほどの農道を、放牧された牛を見ながらふたりで歩く。芋畑で4本のサツマイモを収穫し、だから一輪車など押してこなくても良かったわけだが、いま来た道を引き返す。

それほどにも混み合っていない東北自動車道を南へ走り、日光宇都宮道路を西へ進む。朝と同じ55分を要して、5時前に帰宅する。

燈刻、豆乳の鍋に豚肉や椎茸や湯葉や水菜を投入して食べ、「琉球泡盛」 を飲む。

入浴して、"GLEN ROSA" を1杯だけ飲む。ライティングビューローからあらためて今日の催しについての案内書を取り出して読むと、その中のどこにも、「芋掘り」 の文字はなかった。

今日の那須農場で芋掘りがあるとは、僕が勝手につむぎだした幻想だった。その僕の、「あれ? 芋掘りは、ないんですか?」 のひとことにより、主催者の男子部33回生はみな幻惑され、「しまった、芋掘りの時間が無くなってしまった」 と、本来はその必要もない反省をする羽目になった。

那須農場の夜空の下には、僕と次男によって踏み荒らされた芋畑が、いまだそのままにあるのだろう。そして家の台所には、赤紫色も鮮やかな泥付きのサツマイモ4本が残った。

9時に就寝する。

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 2003.1017(金) 春夏秋冬

夜中の2時30分から 「三文紳士」 を読む。枕頭の明かりを点けたまま何度か眠りに落ち、それと同じ回数だけ目覚めることを繰り返す。その繰り返す目覚めのすべてが、酔生夢死とでもあらわすべき、何とも言えない快感を伴っている。滅多にあることではない。

いつもよりも遅い6時に起床する。山が晴れている。事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして、7時に居間へ戻る。

朝飯は、5種のおにぎり

午前中、店舗に新設する発送受注台の模型を作る。数日前にいただいた2客の杯についての礼状を、その作者へ向けて書く。社員にあれやこれやと言われ、あちらこちらに電話をかける。起き抜けに書いたメモに基づいて、いくつかの仕事をする。

2時30分より、保健所の 「食中毒防止講習」 を受けるため、総合会館ちかくの会場へ行く。講習の始まる前から、既にして眠っている飲み屋のオカミがいる。配られた資料の抜けに対して、「オラッとこにはねぇよ」 と、乱暴に大声を張り上げるオヤヂがいる。90分間の講習の、60分を過ぎたあたりから入場してくる図々しい者がいる。4時すぎに帰社する。

夕刻になって、先日、会社見学に来た第三小学校の3年生が綴った感想文を、先生が持ってきてくださる。ファイルに綴じられたその表紙は、広葉樹の実の入った車をリスが押していくという、秋らしいものだった。と、ここまで書いて、「つづる」 と 「とじる」 に用いられる漢字が、同じものであることに気づく。

その感想文を読む。こちらの言ったことをよく記録したことの伺われる、優れたものが目立つ。中にはその齢にして、「これからも春夏秋冬、お体に気をつけて、がんばっておいしいたまりづけを作って下さい」 などという、老成した一節を持つものもある

ここまで言われては社員も僕も、春夏秋冬、年がら年中酔っぱらって、ヨタ話を飛ばしているわけにはいかない。「人間は生まれた瞬間にこそ最も頭が良く、その後は徐々にバカになる」 とは僕が作った箴言だ。しかし人間は学ぶことによって、この徐々にバカになる速度を抑えなくてはいけない。

というようなことを考えつつ、やはりなかなか学ぶことができない、行動に移すことができないとは、人間の持つ悲しさのひとつだろう。

燈刻、千本松牧場のヨーグルトとリンゴを摂取する

8時すぎに入浴し、横になって9時30分まで 「三文紳士」 を読む。これだけ読んでも最後のペイジははるか遠くにあるのだから、僕の本を読む速度はいかにも低い。

9時45分ころに就寝する。

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 2003.1016(木) 死にかけたワイン

目を覚まして数十分を、横になったまま暗闇の中で過ごす。いつまでもそうしているわけにもいかず、明かりを点けると2時30分だった。その後の2時間は、「三文紳士」 を読んで過ごす。数日前から、枕頭に紙と鉛筆を用意した。これがすこぶる具合が良い。今朝も、主に仕事について思いついたことを、本を読む合間にメモへ残していく。

いつの間にか二度寝に入り、5時40分に起床する。事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯は、ダイコンのぬか漬け、押し売りをされた自然薯によるトロロ、メシ、ジャガイモとタマネギとセロリの味噌汁

先日、会社見学に来た第二小学校の2年生が綴った感想文を、関係者の方が持ってきてくださる。それを1枚1枚、読んでいく。

「みんな、こんなに長い文章が書けて、すげぇなぁ」 と、感心をする。僕が小学校へ上がって最初に書いた作文は、2行で完結した。原稿用紙1枚を書き終えて、教師に2枚目をもらいに行く同級生を、僕はボンヤリと眺めていた。その僕が、今では毎日毎日、長い駄文を書き続けている。

午後、来年3月に店舗へ設置する、それぞれデザインの異なる大きな作業台2台の図面を引く。以前はこういうたぐいの仕事をずいぶんとした気がする。ここ10年ほどは、必要に駆られなかったのか、あるいは、人任せにしていたのか、方眼用紙には、ほとんど触れずにいた。

1時間ほどで、2枚の図面が完成する。これは来週、本職の手によって、更に正確で細密なものになる。

終業後にワイン蔵へ行く。キリの良いカウントを得た巡回者に記念品として送付しているうちの1本、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" の在庫が、4本にまで減っている。これは次の1ダースを手に入れるまで温存することとし、その左上にまとまってある、"Rully Blanc Appellation Rully Controlee 1986" を選んで居間へ戻る。

この、17年前の白ワインを抜栓しようとソムリエナイフをねじ込み、取っ手を引き上げてみれば、コルクはそれほどの抵抗を手首に感じさせない。「これはちょっと、状態の悪い1本かな」 と思いつつ飲んでみれば、やはりヒネ臭が目立つ。果実味は失われ、舌には苦み、鼻には強めのアルコール分を感じる。

「これから白ワインを飲む機会があれば、ずっとこればかりを選んで、早くに飲みきってしまおう」 と、考える。

「パパン」 のフランスパンとイチジクのパンにナスとピーマンのラタトゥイユ風と、トマトのマリネを載せて食べる。この、ナスとピーマンのみの具の足りないラタトゥイユが、すこぶる美味い。訊けばこのナスは、農家を営むサイトウトシコさんからのいただき物だという。いまだ露地で、これだけのナスが収穫できるものだろうか。

オクラとエリンギを添えたサンマのオリーヴオイル焼きバルサミコソースにて、更にこの、死にかけの白ワインを飲み進む。

晩飯を終え、酔ってあたりの活字を拾い読みしていると、かすかにサイレンの音がする。

「火事?」
「パトカーじゃねぇか」

警察の車にしては、いつまでもサイレンの音が止まない。屋上へ出て四囲を見回すと、東の方角に大量の煙が見える。「夜の火事は近く見えるっていうしなぁ、どこらへんだろう? 会席の 『ばん』 とか、ちゃんこの 『空海』 の近所だろうか?」 と考えつつ、階段を下る。

入浴して本は読まず、9時前に就寝する。

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 2003.1015(水) 月の杯

いまだ14日の夜11時30分に目を覚まし、居間へ行く。起きている家内とふたことみことを交わし、再び寝室へ戻る。二度寝に入り、何時間後かに暗闇の中で目を開く。

「二日酔いかぁ、断酒をすると、それ以外の日には飲み過ぎるあたりが、分かっちゃいるけど、オレのダメなところなんだよなぁ」 と考えて、しかし昨夜は酒を一滴も飲んでいないことを思い出す。

酒を抜けば翌朝の気分は良いか? と問われれば、決してそのようなことはない。

「フォン・ノイマンの生涯」 は、きのう読み終えた。枕頭の明かりを点け、床から 「三文紳士」 を取り上げて開く。

新聞や雑誌の記事で漢字が10個ほども並んでいれば、そこは読み飛ばして先へ進む。ウェブペイジやメイリングリストの文章は、10行も続いて改行が無ければ、即、画面を切り替える。これは、それらの文章が、所詮、僕の興味を惹かない質のものだからだろう。

そういう文章の対局に、吉田健一の文章はある。「併合」 という文字を黙読するとき、普通、頭の中には 「ヘーゴー」 という音がある。ところが吉田健一による 「イタリイがアビシニアを併合し」 という一節を黙読するときには、僕は通常とは異なり、これを 「ヘイゴウ」 と正しく読む。吉田健一の文章とは、つまり、そういうものだ。

5時に起床して事務室へ降り、きのうの日記を半ばまで完成させる。エディバウアーの3ウェイパックにコンピュータや諸々の資料を詰め込んで、居間へ戻る。

朝飯は、5種のおにぎりと、豆腐と万能ネギの味噌汁

下今市駅7:03発の、上り特急スペーシアに乗る。9時すぎに神保町へ達し、矢野ビルの長い階段を上がって、"Computer Lib" に入る。

8月の初め、この会社へウェブショップの細かい手直しに出向いた折、「i-modeのウェブショップ、作りますのでよろしく」 と言い置き、ナカジママヒマヒ社長の、「それならアリモンで、安くできますよ」 という返事をもらった。

ところがその後、当方の要望を、多くの大項目と、当然、それよりも更に多い小項目から成る、読む側がウンザリするような箇条書きにて送付したところ、「これだと、アリモンじゃ無理です」 ということになった。当然のことだろう。

9月に入ってからも、メイルでのすり合わせは続いた。しかしそれは考えてみれば、「すり合わせ」 というよりも、当方からの一方的な 「要望の送りつけ」 と言った方が適切だろう。なぜならば、こちらが5通のメイルを送って、ようやく先方から届く返信が1通という、双方向性の欠如を見ても明らかだ。

とりあず、アメリカの自動車会社のロゴをあしらった分厚いカップにて、コーフィーを飲む。

「ナカジマさん、2週間でショップをひとつ立ち上げるなんて、とてもじゃないですけれど、無理な話ですよ」
「そ、そうですか?」

「そうじゃないですか、ショップに買い物カゴを設置して、ブラウザから僕以外の誰もが受注作業をできるようにして、注文をデイタベイス化する、それだけのことに、去年の5月と6月はつぶれたんですよ」
「そうでしたっけ?」

およそコンピュータというものが生まれて以来、否、その黎明期から現在までの60年間で、これについてのハードにしろソフトにしろ、その開発が、決められた期日に完了したことは、皆無ではなかったか? 

「まぁ、年末ギフトの入りまでには、間に合わすようにします」
「ナカジマさん、年末ギフトの入りってのは、11月の初めなんですよ」

「だいたいナカジマさん、僕の要望書を元にして、i-modeのショップの階層をスケッチで良いから送ってくれって言ったの、もう1ヶ月前のことですよ。それもまだ届いてないし」
「いや、ウワサワさん、階層は簡単なんですよ」 ナ カジママヒマヒ社長はやおら太いマジックペンを持って、新しいショップの概要図を描き始めた

それからの4時間は、ほぼ休むことなく、コンピュータに置いたエミュレイターによるi-modeの画面を確認しつつ、商品名、商品画像、内容量、価格、1ペイジにいくつも配置されるホットリンクのレイアウトを考える。また、顧客が必要事項を打ち込むフォームの機能を、顧客の利便性と、それによって発生する入力ミスの可能性とを秤にかけながら決めていく。

1時をかなり過ぎて、さすがに腹が減る。「もうすこしやっときます」 と言うナカジママヒマヒ社長を残して神保町の雑踏へ降り、錦華通りの讃岐うどん屋 「丸香」 にて、冷やしかけ大にちくわの天ぷらを追加する。帰る途中に石井スポーツへ寄り、夏に修理を頼んでおいた "montbell" の傘を受け取る。修理代は無料だった。

2時15分、"Computer Lib" の側に膨大な職人仕事を残して、本日すべきことを完了する。僕としては、通しでやってしまいたい部分もあるが、もの作りには順序というものがある。半蔵門線と銀座線とを乗り継ぎ、浅草駅15:00発の、下り特急スペーシアに乗る。隅田川の上空に、まるで夏のような雲が出ている

車内にて、9月16日に受け取った、ナカジママヒマヒ社長からのメイルを読む。そこには、「完成は、遅くても10月末までにさせてください。80%完成を、10月上旬にします」 との一節があった。思わず苦笑いをする。ウェブショップのi-mode版を作り始めたのは、正に、本日10月15日の午前9時30分のことだ。

5時前に帰社し、事務机の上に届いたメモや郵便物に目を通す。次に "Computer Lib" を訪ねる来週水曜日までに処理すべき宿題の、確認をする。

燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する

ホウレンソウのおひたし、押し売りをされた自然薯によるとろろ、トマトのオリーヴオイル和え、煮ゴボウのゴマ和え、沖縄の豚の角煮にて、「琉球泡盛」 を飲む。豚の脂の厚い層をナイフで削いで、次男に与える。次男は大きなそれを丸ごと口に入れ、ほとんど噛まず、ツルリと飲み込んで喜んでいる。

入浴して本は読まず、9時前に就寝する。

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 2003.1014(火) 車庫の格子戸

闇の中で目を覚ます。しばらく、あるいは30分ほどそのまま横になっている。ようやく本を読もうという気になって枕頭の明かりを点ければ、時刻は1時30分だった。「フォン・ノイマンの生涯」 を開き、これを読んだり、また眠ったりを繰り返して、5時30分に起床する。

事務室の防犯シャッターの前まで来て、セキュリティのロックを解除しようとするが、これがままならない。エレヴェイターに乗って自宅へ戻り、警備保障会社へ電話をすると、「カードのバーコート部分を拭いて、もう一度、試みてくれ」 と、言う。念のため、家内のカードも持って再び階下へ降りる。

所定の溝へ念入りに拭いたカードを差し込むが、機械は何の反応も示さない。家内のカードにても、状況は変わらない。再びだか三たびだか知らないが、またまた自宅へ戻って電話で状況を説明すると、警備保障会社は遂に、係をこちらへ急行させるという。

20分後、警備係と共に事務室へ入る。その警備係の書いた調査報告書にサインをし、ようやく朝のよしなしごとを始める。それほど時間もないことから、きのうの日記を短く書いてサーヴァーへ転送する。

朝飯は、煮ゴボウのゴマ和え、柴漬け、5種のおにぎり、ダイコンと豚肉の味噌汁

よその日記を見に行って、「よくもこれだけ、仕事について書くことがあるなぁ」 と、感心をすることがある。「それにくらべてオレは、仕事については、あんまり書くことがねぇなぁ、仕事、してねぇせいかなぁ」 と、考える。「仕事をしても、あれやこれや、書かねぇだけだよなぁ」 と、自己弁護をしてみたりもする。

午後、店舗に遮蔽板というか間仕切りというか、まぁ、そのようなものが1枚、必要になることをオヤジに伝える。

「だけど、いわゆるオフィス家具の、灰色の安っぽいヤツは、オレ、嫌いなんだよね」
「車庫に古い戸が何枚かあるんだよ、あれを洗えば使えるんじゃないかな」

「あぁ、車庫の1番奥の、長持の横にある?」
「そう」

ホンダフィットに乗って車庫へ行き、最奥部に立てかけてある "BUGATTI" と書かれた巨大な楕円形の板をどかすと、そこに、積年のホコリをかぶって真っ黒になった戸が10枚ほども立てかけてあった。そこからめぼしいものを4枚ほど選び出し、資料にするため写真を撮ろうとする。

「このゴルフ、誰のだろう? まぁいいや」 ウチの車庫には、誰のものとも分からないクルマが、常に出たり入ったりしている。

そのフォルクスワーゲン・ゴルフの尻に、桟と桟の交差部に鉄鋲の打ってある粗い格子戸と、それよりも幾分細工の細かい、女性的な格子戸を交互に立てかけ、写真を撮る。

ハンドルも握れないほどに汚れた手を、その脇にヌード写真のカレンダーが吊り下げられた流しで洗う。アメリカでも日本でも、車庫や自動車の修理工場には、女のヌード写真の飾られていることが多い。英国やフランスやイタリアの修理工場については訪ねたこともないが、まぁ、同じようなものだろう。

「素晴らしい品物だよ」 と、事務室へ戻ってオヤジに言う。

「あれ、どうしたの?」
「農家が、解体費用を出してくれれば、廃材その他、全部くれるって話があって、それに乗ったことがあったんだよ」

「だったらそれ、オレが学生のころのことでしょ?」
「そう」

ということで、パーテイションの問題については一丁上がり、ということになる。

閉店の間際になって、何ヶ月か前に 「ジネンジョ問題」 という表題の日記にも書いた、自然薯を売る夫婦が訪ねてくる。

「あのー、ジネンジョ、あるんですけど、雨も降って来ちゃって、売るあてのあった人が夕方まで帰って来ないって、あのー、買ってもらえませんかねぇ」
「いやぁ、オレも、そうそうは買えないよ、で、どのくらいあるの?」

「どのくらいあるの?」 と訊いたところで、僕の負けは決まっている。どこで掘ってきたのかも分からないその自然薯をすべて買い取ると、オバサンはビニール袋に入った百数十個ほどもあるクリを差し出し、「あのー、これ、腐っていませんから、食べてください」 と、言う。

「腐っていませんから」 とは、そのクリが枝からたたき落とされたものではなく、地面から拾い集められたことを示している。「ヤケに正直な人だな」 と、僕は思う。

燈刻、栗おこわの好きな次男の、漢字練習の宿題を督励する

今月は7日までに3回の断酒を敢行した。「上出来のペイスじゃねぇか」 と内心、喜んでいたが、その後は飲み続けて、本日、ようやく4回目の断酒をする。2週間に4回とは、すっかり元のペイスに戻ってしまったということだ。

廊下にナシの箱のあることは、何日も前から知っていた。これを食べようとして開くと、中には何もない。果物はあきらめ、ブルガリアヨーグルトと、次男の好みに調整されたカレーを摂取する

入浴して、8時30分より、

「三文紳士」  吉田健一著  講談社文芸文庫  価格不明

を読む。価格不明とは、この本を夏休みに持ち帰った長男が、既にしてそれの表示してあるカヴァーを失っていたからだ。

家内も、そして僕もまた、本はカヴァーを外して持ち歩く。荷物は、紙1枚でも軽い方が良い。だからウチの本棚には、カヴァーの失われた文庫本が多く堆積することになる。

9時30分に就寝する。

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 2003.1013(月) オリーヴオイルとコマツナ

5時45分に起床する。10月も半ばとなっては、この時間に外の明るさは期待できない。事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、居間へ戻って窓を開ければ、日光の山は一部が晴れて、小さな青空が見えている。「雨は、きのうだけで終わって欲しいよな」 と、思う。

朝飯は、厚揚げ豆腐とオクラの炊き物、ホウレンソウのおひたし、柴漬け、めんたいこ、納豆、メシ、ジャガイモとミツバの味噌汁

夜の霧に濡れた地面に、紅いモミジの落ちる季節になった。毎朝少なくない葉を歩道に散らし、掃除をする社員の手をわずらわせているのは、隠居にあるサクラの老木だ。地方紙はその第1面で、竜頭ノ滝に紅葉を撮ろうと集まったカメラマンの様子を伝えている。

午前中はどうにか保った天気が、午後になってすこし崩れる。駐車場の交通整理をする係の帽子には、いつの間にかシャワーキャップのようなものが、かぶせられている。

ウェブショップのトップから、「Yahoo!天気情報」 の、栃木県北部地方の天気へと飛ぶ。これから夜にかけては、降ったり止んだりの雨が続くという。そのような空模様にもかかわらず、有り難いことに客足は多い。冷蔵庫から店舗へ運ぶ商品の量を、午後3時になって、すこし増やす。

きのうに続き、定時を20分ほど過ぎて閉店する。

次男は終わりつつある3日連休を、テレビのアニメイションを観て過ごしている。最近、子供向きのこのような番組の数が増えたと思うのは錯覚だろうか。僕はワイン蔵に、飲みさしのワインを取りに行く。

生のピーマンとオイルサーディン鶏肉と鶏レヴァ、トマトとコマツナのオリーヴオイル焼きバルサミコソースにて、"Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" の、残り半分を飲む。オリーヴオイルにて炒めたコマツナが、意外や美味いことを知る。

入浴して本は読まず、9時に就寝する。

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 2003.1012(日) ベゴニアの最も好む気候

暗闇の中で目を覚ますと、外の国道121号線から、クルマのタイヤがアスファルトの水を切って進む音がする。「連休の最中に、雨かよ」 と、落胆しつつ洗面所へ行き、窓を開けると、空はそれほどにも暗くない。事務室へ降り、メイラーを回して、ウェブショップ の受注を確認する。

体操会場にて帰り際にオノヨウイチさんから受け取ったスマートメディアを、自分のThinkPadへ差し込む。1枚目から5枚目までのスマートメディアの内容が、5つのフォルダに分類されている。紛失を避けるため、そのバックアップを、とりあえずはデスクトップに置く。

これら大量の画像から特定のものを選び加工し、いまだ書き始めていないきのうの日記に差し込んでいく作業を、朝の1時間で行うことは不可能だ。期間限定のペイジ 「体操会へ行こう」 を訪ね、自分が撮影した画像の具合を調べたのみにて、居間へ戻る。

朝飯は、厚揚げ豆腐とホウレンソウの炊き物、煮イワシ、ダイコンのぬか漬け、めんたいこ、納豆、メシ、ナスとミツバの味噌汁

いまだ雨は上がらないため、ウインドブレイカーを着て、店舗駐車場や道路の掃除をする。有り難いことに、開店前からお客様のクルマが停まり始める。その窓越しに、「早めに開店いたしますので、そのときにはまた、お知らせに参ります」 と、声をおかけする。

9時前、紅葉時期の繁忙に備えて呼んだ交通整理係が事務室へ、雨具をたずさえ始業の挨拶に来る。

1ヶ月ほど前にユミテマサミさんの農場から手に入れたベゴニアが最も好むという、霧雨が降ったり止んだり、あるいは、もっと粒の大きな雨が降ったり止んだりする薄ら寒さが、午後まで続く。

客足は繁く、店舗から事務室へ届くさんざめきも商売の活気を感じさせるが、客数と売れる商品数が比例するわけではない。本日の客単価は、そう高くなりそうもないということが、午後3時ころ明確になる。

夕方5時30分という閉店時間はあるが、店内にお客様がいらっしゃる限り、これを過ぎてもシャッターを降ろすことはない。そこへ別のお客様が入っていらっしゃれば、それで営業時間はまた延びる。店の入口に立って、そのようなお客様に、「まだ大丈夫です、どうぞ」 と、声をおかけする。

燈刻、自分の財布からお金を出して購う可能性のない種類の高級な肉が家内の親戚から届いたことを受けて、近くのスーパーマーケット 「かましん」 へ、泡盛を買いに行く。夕刻にかいま見えた青空は失われ、街には霧が深い。

ハクサイとカブのキムチにて、沖縄酒造協同組合の 「琉球泡盛」 という、いささか抽象的な名前のお酒を飲む

いただき物の牛の肉とピーマンとエリンギを卓上の鉄板で焼く。それをそのまま食べたり、あるいはサンチュに包んで食べる。そして更に、泡盛を飲み進む。

きのう撮った体操会のヴィデオを観ているうちに、いつの間にか9時を過ぎる。あわてて入浴し、「フォン・ノイマンの生涯」 を少し読んで、10時前に就寝する。

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 2003.1011(土) 自由学園の体操会

5時15分に起床する。短い時間をどうにかやりくりして、本日の弁当にするおにぎりから4個を分け、これを朝飯とする。7時すぎに甘木庵を出て、8時前にひばりヶ丘へ達する。

正門通りを歩いて自由学園に近づくと、早くも人が長い列を作っている。8時10分に受付を済ませ、学園長旧宅前の梅林で、開門の8時30分を待つ。

警備の生徒からの指示を待って、けやき坂を降りる。集団は歩調を徐々にせわしなくし、坂を下りきるころには、待機した別の警備係による 「走らないでください」 の注意を無視して一斉に走り出す。

「あー、走りたくねぇなぁ、だって、カッコ悪いんだもん。みんな、『毒蛇は急がない』 ってことわざ、知らねぇのかなぁ、でも走らないと、良い席が取れねぇんだよなぁ」 などということを考えつつ僕も走り、大芝生に面した斜面の中央付近にビニールシートを広げる。

自由学園で7歳年長のオノヨウイチさんから、本日2度目の電話が着信する。

「ウワサワ? 建築中の学部の新校舎、撮った?」
「はい、撮りました」

「あのさぁ、もう1回、動画で撮ってきてくれないかな」
「はい、分かりました」

僕も何かと忙しいけれど、先輩に言われては仕方がない。自由学園卒業生のメイリングリスト "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)から生まれた期間限定ペイジ 「体操会へ行こう」 へ画像を供給する仕事を請け負う、僕もひとりだ。

先ほど降りたけやき坂を上がり、奥で酸素溶接の火花が散る学部新校舎の動画を14秒ほど撮り、大芝生に戻る。カメラからスマートメディアを抜いて、大芝生を見下ろす最も良い場所に電源を確保したオノヨウイチさんに、それを手渡す。

代わりのスマートメディアを受け取り、もみじ坂を上って男子部へ行く。黒板に、「組立(くみたて)」 への檄文だろう、「人俵二百四十俵 脇を上げろ」 の文字がある。あわただしく引き返し、今度は女子部食堂前で出を待つ生徒の画像を撮る

10時、男子部高等科3年のタケダダイチ君が指揮するウインドオーケストラを先頭に、入場式が始まる。僕は多く、ヴィデオの撮影を家内に任せ、大芝生の裏へ回ったり、豚舎へ行ったりして、体操会とは直接に関係のない画像も撮影する。

体操会だからといって、豚が空腹を我慢することはできない。中等科1年の豚の係は競技の合間をぬって労働着に着替え、豚の排泄物を片づけたり、また、ブーブー鳴きながら走り回る彼らに水やエサを与える

男子部の芝生で昼食をとった後、羽仁吉一記念講堂へ、ウインドオーケストラの演奏を聴きに行く。自宅にいて画像を加工し、「体操会へ行こう」 へ解説付きで次々とアップしていくシゲマツユウ君に画像を送り続けるオノヨウイチさんは、昼飯は食べたのだろうか?

幼児生活団(幼稚園)や初等部(小学校)の競技もあるけれど、そして、女子部中等科高等科女子学部の体操もあるけれど、やはり僕は、過去に自分が学び、そして現在は長男が学ぶ男子部の画像を、どうしても多く撮ることになる

秋の日差しがやや傾きつつあるころ、僕のような男子部の卒業生や、男子部に子供の通う親からもっとも待たれてきた 「組立」 が始まり、やがて大詰めの 「俵」 へ向かって動き出す

リーダーのヤハギマナブ君によって発せられる 「一段目用意!」 の号令に、中央の通称パワーゾーンでは、ボコボコに腹筋の割れた屈強の大男たちが、サッと芝生に手とひざを付ける。「二段目用意!」、「三段目用意!」 「四段目用意」 と、徐々に 「俵」 が組み上がる。このあたりまでは、ほぼ100%、人と人との石組みが壊れることはない。

「五段目用意!」 の号令がかかるあたりから、下段の顔は紅潮して苦痛にゆがみ始め、上段の顔にはいよいよ緊張の度が増していく

「六段目用意!」の後には間をおかず、男子部の黒板にその名のあったワキミツヒロ君による七段目が、慎重に、しかし素早く、上級生の肩を踏んで頂へと登っていく。「七段目上がれ!」 の号令が飛ぶころ、観客は固唾を呑み、五段目以降、大きく確率を落とした成功を天に祈る。あたりが静寂に包まれる。

遂に、その七段目が、240名の頂点に、四つんばいになる。ある者の筋肉は悲壮に震え、またある者のノドからは無意識のうめき声が漏れる

「左! 右! 上! 降りろ!」 何年ものあいだ徐々に鍛え上げた肉体と、今年の春から鍛え始められた肉体が交錯し、一瞬のうちに、崩れ落ちる。それぞれの顔に、満足の、安堵の、そして誇りの笑みが浮かぶ

すべての体操、すべての競技が終了する。やがてウインドオーケストラが、賛美歌380番のメロディを持つ 「掲げよ旗を」 の演奏を始める。2003年の体操会が、フィナーレを迎える

僕は最後のスマートメディアをオノヨウイチさんに手渡して、けやき坂を上がる。耳の奥ではいまだ、「掲げよ旗を」 の、スネアドラムによるイントロダクションが響いている。

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 2003.1010(金) 自由学園の昼食当番

朝7時30分に自由学園の正門を入ると、生徒たちは朝の掃除に余念がない

羽仁吉一記念ホールで白衣に着替える。8時前から、計6名の親による、昼食作りの打ち合わせが始まる。

僕は4時間で、ジャガイモ洗い、ジャガイモ切り、タマネギ切り、挽肉とタマネギの炒め、鉄板の上のカテイジパイへの生玉子塗り、それのオーヴンでの焼き、道具洗いを行う。

いつもよりすこし遅れて食堂へ行くと、既にして始まっている昼食の席は綴じられた遮光カーテンにより暗く、正面には先日の総練習における、男子部の競技が映し出されていた。各競技のリーダーは、暗い中でも、また、部屋が明るくなった後も諸々の注意事項を繰り返し、本日、これから残って練習すべき者の名を伝える。

すべての片づけを終えて外へ出てみれば、生徒達は今朝から続く、学校を綺麗にすべき労働に、いまだ就いている。もみじ坂を下って大芝生へ行ってみれば、こちらでは明日の観客のための椅子運びが、遅滞なく進んでいる

開場のファンファーレで指揮者をつとめるタケダダイチ君がいる。その横に、銀色のトランペットを持った長男がいる。同級生で、東天寮で同室になったこともあるスズキマサカズ先生に、挨拶をする。

けやき坂を登り、ひばりヶ丘の駅から池袋に出る。本郷三丁目にて、夏からあずけっぱなしのブレイザーを、洗濯屋へ取りに行く。

4時40分に浅草へ移動し、家内と次男を迎える。日本橋へ移動して細かい用事を済ませる。7歳の次男は最近、カウンター上で回る鮨の存在を知った。つまらないことを覚えたものだ。

「鮨は、回ってなきゃダメなんだよ」 との次男の希望を容れ、銀座の回転寿司へ行く。鮨屋へ行ったときの常にて、僕はおよそ15分ほどで、のど元まで食ってしまう。常温の 「竹の露」 を飲みつつ、エビスの生ビールをチェイサーにする。次男はマグロの握り16カンを平らげた

7時30分に甘木庵へ帰着する。荷物の整理、明日の用意、きのうの日記の作成とサーヴァーへの転送を済ませる。

本日、自由学園にて撮影した体操会の準備風景を、あした 「体操会へ行こう」 という体操会の実況中継ペイジを自宅に待機して矢継ぎ早に更新していく係のシゲマツユウ君に送付する。

入浴して本は読まず、11時30分に就寝する。

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 2003.1009(木) シベツのソラマメ

1時30分に目覚めて、「フォン・ノイマンの生涯」 を読む。

オヤジは厚さ3センチのハードカヴァーを1晩で読む。家内は厚さ1.5センチの文庫本を1日で読む。僕の本を読む速度は、彼らの10分の1以下かも知れない。「ここの助詞は、『に』 よりも 『へ』 の方が、圧倒的にいいな」 などということばかりに気をとられれば、いきおい、ペイジを繰る指の動きも遅れがちになろうというものだ。

5時30分に起床し、事務室へ降りる。甘木庵に2泊をするための荷物と共に、普段使いの "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" も、きのう宅急便にて送った。だから夕刻以降の写真は 「こっちじゃ、ろくな画像は撮れねぇんだよな」 と、携帯するときにのみ用いる "Minolta DiMAGE X" にて、撮影をした。

きのうの日記を作成しつつその画像を見てみれば、意外や良く写っている。茶系が薄い紫色を帯びる発色に独特の癖はあるが、これなら日記用として充分に使用できる。何より、ホワイトバランスの設定のしやすさが良い。「あしたはこのカメラで、どんな画像が取れるだろう?」 と、考えを巡らせる。

ネパールのポカラで現地人を見回しながら、「こいつら、山の名前なんて、ぜんぜん知らねぇんだ」 と言った日本人がいた。僕は毎日、日光の山を眺めつつ、しかし、その名前はあやふやだ。赤薙山だか女峰山のいただきのみが、雲の上に顔を出している

朝飯は、カブのキムチ、納豆、ホウレンソウのおひたし、煮イワシと茹でたオクラ、めんたいこ、メシ、けんちん汁

今年の2月より、家内が、「これを飲むと、かかとがツルツルになって、アカギレができなくなるわよ」 と言いつつ、1ヶ月分が15,000円もするサプリメントをくれた。家内はずっとそのサプリメントを買い続け、僕はずっと、それを飲み続けてきた。「血圧の高い人がこれを飲んだら、降圧剤がいらなくなっちゃったんだって」 とも、家内は言った。

数日前から、かかとにアカギレができている。

15,000円×8ヶ月=12万円。この12万円で香港か台湾へ飛び、開高健の 「玉、砕ける」 に出てくるような風呂屋でかかとをツルツルに磨き上げてもらった方が良かったのではないか? と、考える。

何がなんだか分からない健康粉ジュースは、オヤジに勧められて飲んでいる。これを毎日1杯ずつ飲めば、体脂肪や血糖値が、「サーッと」 下がるらしい。飲み始めて1ヶ月後の血液検査が、楽しみでならない。

何がなんだか分からないサプリメントと、何がなんだか分からない健康粉ジュースを、何がなんだか分からないままに飲んでいる僕は、つまり、病を得て "voodoo" を頼る未開人と、何ら変わるところはない。

下今市駅16:03発の、上り特急スペーシアに乗る。6時すぎに、自由学園の明日館へ達する。同学会と呼ばれる卒業生会の本部委員が "1925" という名の部屋へ集まり、直近に迫ったこと、1ヶ月後に迫ったこと、数ヶ月後に迫ったことについて、話し合いを持つ

9時30時に金曜夜の雑踏をかきわけて、池袋駅へ向かう。1年先輩のウチダヒトシ君が、集団から離脱する僕に顔を向ける。

「ウワサワ、これからどこ行くんだ?」
「あ、いや、ちょっと」

地下鉄有楽町線が飯田橋駅に停まる。「飯田橋か、地上へ出れば神楽坂だ。いま何時だ?」 吉田のショルダーバッグから携帯電話を取り出し、ディスプレイを見る。「もう遅いな、やっぱり銀座へ行こう」

数寄屋公園の横から数寄屋通りへ入る。「あ、いや、ちょっと」 という名の店が、あるわけではない。雑居ビルの階段を降りて、「おぐ羅」 のノレンをくぐる。右の人差し指を1本、上げる。すかさず、オヤジの 「おひとりさん!」 という大音声が響く。

この店の特等席はおでんの煮える 「鍋前」 だが、僕はそこからカウンターが鉤の手に折れた先、店の人が 「かがみ」 と呼ぶ奥の隅も好きだ

オヤジがカウンターから身を乗り出して、僕に視線を合わせる。「カツオがございます」
「いただきます。それから、吉四六をオンザロックスで、お願いします」

薬味を細かく刻み込んだ酸味の強いポン酢に、カツオのたたきが埋まっている。戻り鰹の脂をできるだけ強く、できるだけ長く味わうため、切り身を入念に咀嚼して、細かくなった肉片を舌の両側へ回す。

「天豆は、いかがでしょう?」
「ソラマメ? 今ごろソラマメがあるんですか?」

「はい、シベツの天豆です」
「シベツって、武士の士に別れるですか?」

「よくご存知でいらっしゃいますね」
「その程度のことなら、僕にも分かります」

「分かります」 と言いつつ、士別と標津の違いを、僕は知らない。

結晶の荒い塩を振られた熱く色鮮やかな豆を剥きつつ、1杯目の焼酎を飲み干す。ふと横に目をやると、今までは無かった芋焼酎の名が半紙に書かれ、荷物あずかりの棚に貼ってある。

「島美人。これは、氷なしでお願いします」
「ストレートで?」
「はい」

そろそろオヤジは上がりの時間らしい。鍋の前には代って花板が立つ。カツオのたたきを食べ終えた、しかしいまだ大量の薬味の残る小鉢を花板に差し出し、豆腐を所望する。

鍋に箸を軽く差し込んだ花板が、申し訳なさそうな顔をする。「スミマセン、豆腐、無くなりました。厚揚げではいかがでしょう?」 「あ、良いですよ」

カツオのたたきを食べ終えた汚らしい小鉢にオデンの豆腐を投入して食べる雑ぱくなスタイルは、この店の名物だ。これを厚揚げで代用するのは今回が初めてだが、意外やこれも悪くない。

「焼酎には、豆腐よりも、かえって厚揚げの方が合いますね」
「良いことを聞きました」

これにて、氷も水もお湯も加えていない、常温の芋焼酎が空になる。

「島美人、お代わり。それからクジラベーコン、お願いします」
「はい、かがみ、イモお代わり、ベーコン!」

「さぁ、ここからは、尻を落ち着けて飲むぞ」 と、「フォン・ノイマンの生涯」 を開く。章は 「ゲームの理論」 へ入り、面白さは更に増す。しかし、文章の面白さと同時に当方の酔いも増すため、理解力は減衰して、ふたたび面白さは普通のものへと逆戻りをする。

乱切りのクジラベーコンを、その大きさによってソートする。こっすっからくも、小さなものからつまみ上げて食べていく。こちらもカツオと同様、入念に咀嚼し、その脂を口中に回す。

「美味めぇなぁ、しかしこの脂の味は、やはり下品なものなのだろうか。下品でも何でも、美味けりゃいいや」 と考えつつ、徐々に大きさを増す残りの薄片をつまみ上げる。

「しらふの人が見たら、皿の上の品物を仕分けしているオレは、まるで猿ではないか?」 と想像しつつ島美人をもう1杯お代わりし、つくねとすじにて、今夜の飲酒を完了する。

外へ出てみれば、夜気は涼しさよりも暖かさを肌に感じさせる。「10月・・・だよなぁ、ずっと暖かけりゃいいけどなぁ、でも、半袖シャツで歩いていられるのも、今年も、あと1週間あるかないかだろうなぁ」 などと考えつつ、数寄屋橋から地下鉄構内への階段を降りる。

甘木庵へは、11時30分に帰着した。シャワーを浴びて冷たいお茶を飲み、「フォン・ノイマンの生涯」 をすこし読んで、0時30分に就寝する。

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 2003.1008(水) 十三夜に曇りなし

5時30分に起床し、事務室へ降りて、いつものよしなしごとをする。

未知の方から、「ウェブショップのサイトマップが一部のペイジで整合性に欠けている」 とのメイルをいただく。調べてみると、指摘されたペイジ以外にも不具合を見つける。このようなご指摘は、本当に有り難い。即、礼状をお送りすると共に、外注SEのカトーノさんに、その原因と復旧方法について教示を乞うメイルを送付する。

朝飯は、メカブの酢の物、柴漬け、めんたいこ、茹でたオクラの鰹節かけ、煮イワシ、納豆、メシ、豆腐とシメジと万能ネギの味噌汁

午前中、今市第二小学校の3年生が、会社見学に来る。今回は1班8名のため、先日の第三小学校と同じ行程を案内しても、かなり短い時間で完了する。今日の一行は、ちかくある学習発表会に向けて、この見学の結果をまとめるという。

「良いお勉強をしてください」 と言って、8名の小学生とひとりの先生を、店舗の外にて見送る。

夕刻、次男の漢字練習の宿題を督励する。ふと窓の外を見ると、曇りだとばかり思っていた空に、夕焼けが鮮やかだ。「あ、夕焼けだ!」 と言うと、近くにいたサイトウトシコさんが、「十三夜に曇りなしって、むかしからゆーから」 と、教えてくれる。

「十三夜に曇りなし?」 と、僕は繰り返す。「これを覚えて、どこかで、こういうことを知らねぇヤツに使ってやろう」 と、考える。しかし、来年の今日まで、この文言を自分が覚えているかどうかは不明だ。

サイトウトシコさんはまた、「十五夜をやって十三夜をやんないってのは、ダメなんだよ」 と、言う。それを受けて家内が、十三夜のお供えをする

ゴマ豆腐、カブのキムチ、けんちん汁にて、瑞泉酒造の泡盛 「十年熟成古酒おもろ」 を飲む。「汁まで並べて酒を飲むなんて、まるで伊勢藤へ行ったみてぇじゃねぇか」 と、思う。芝エビ入りクネルの揚げ春巻き豚肉とニンニクの芽の油炒めにて、更にこの、強くて美味い南国の酒を飲み進む。

家内は、足利銀行の主催による錦織健のチャリティーコンサートへ行った。「こういう音楽は、好きじゃないんだよ」 と、涙ながらに訴えること必定の次男は、留守番になった。僕も一緒に留守番をする。

8時に入浴し、「フォン・ノイマンの生涯」 を読んで、9時に就寝する。

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 2003.1007(火) 匍匐前進

田舎のビジネスホテルに泊まっているが、自分の部屋が見つからない。社員用の通路に入り込むと、どこからか中年男の歌う演歌が聞こえてくる。防火扉の横で、従業員のオバサンがひとり椅子に座り、壁から漏れてくる、その歌を聴いている。

僕はとにかく、部屋へ戻らなくてはいけない。手近のドアを開けると、そこは結婚式場にも会議場にもなる大広間で、スパンコール付きのジャケットを着た演歌歌手が、手慣れた調子で歌をうたっていた。ディナーショウらしく、おおかたの客は席に着いているが、何組かの男女はその音楽に合わせて、ダンスを踊っている。

ドア近くの客達が、いきなり闖入した僕の間抜けな姿を見て笑っている。その開いた口に、金歯が並んでいる。

僕は社員用の通路へと戻り、オバサンに自分の部屋の番号を告げる。オバサンは梁と梁とが狭い隙間をつくる抜け道を教えてくれた。その狭い隙間に身を横たえ、匍匐前進のようにして、教わった方向へと進んでいく。

やがてその隙間は徐々に狭くなり、腹這いになった僕はある地点で、進むこともできなければ、後戻りをすることもできなくなる。そこで、目が覚める。

何時かは分からないが、枕頭の明かりを点け、「フォン・ノイマンの生涯」 を読む。1時間ほどして起床し、時計を見ると、4時30分だった。

事務室へ降りて、いつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻る。空はきのうと同じく、薄ら寒く曇ったままだ。

朝飯は、3種のおにぎりと、沖縄の豚の角煮

季節限定商品の 「なめこのたまり漬」 が遂に売り切れたため、ウェブショップに 「品切れ中」 の表示を出す。涼しさよりもむしろ寒さを感じさせるような外気に、思わず 「四季のおみそ汁」 を冬のメニュに変えようとして、「だけどまだ10月だからな、今月末までは、秋のまま行こう」 と、考え直す。

燈刻、2日続きの断酒を決め、500CCほどの牛乳と、小さなバナナ2本を摂取する

入浴して 「フォン・ノイマンの生涯」 を読み、9時30分に就寝する。

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 2003.1006(月) 10冊の本

何時かは分からないが暗い中で目を覚まし、「フォン・ノイマンの生涯」 を読む。二度寝をしたらこれがばかに長引いて、6時30分になってようやく起床する。

事務室へ降りて、ウェブショップ を巡る諸々の仕事を段取りする。

諸々の仕事とは、誤ったカード番号を注文フォームへお打ち込みになり、だから 「正しいカード番号をお知らせください」 とのメイルをお送りしたところ、何日もご返事のないお客様に、今度は紙の手紙を書いて郵便にてお送りするとか、「○日までにお振り込みください」 とのメイルをお送りしたところ、その期日までにお振り込みくださらないお客様に、今度は紙の手紙を書いて郵便にてお送りするとか、そういうたぐいのことだ。

朝飯は、ニラのチヂミ、納豆、メカブの酢の物、細切りニンジンのサラダ、ダイコンのぬか漬け、メシ、豚汁

先日、なにかの用事で検索エンジンを回し、ヒットしたペイジを巡回しているうちに、あるところで 「10冊の本」 という文字に行き当たった。そのペイジでは、いろいろな人が、それぞれ 「心に残った10冊」 とか、「現在の自分をかたち作った10冊」 とか、「無人島に持っていく10冊」 などの見出しの下に古今東西の本を並べ、1冊ごとに短評を付していた。

「オレに、そういう10冊があるかなぁ?」 と、考える。「心に残った10冊? 別になぁ」 「オレは本からは、多く悪影響ばかりを受けてきたからなぁ、あぁ、そういえば、それも 『 かたち作った 』 のうちに入るのか」 「無人島に持っていくとしたら? ヒマはたっぷりあるだろうから、内容よりも活字の量で決めるべきだろう」 とか、そのようなことしか頭に浮かばない。

「自分の本棚から失いたくない本」 と、方向を変えて考えてみれば、これについては、いくらかはある。しかし、「それらをここへ挙げてみよ」 と求められれば、選挙前にインターヴューを受ける政治家と同じく格好をつけて、読んでもいない 「イリアス」 や 「ローマ帝国衰亡史」 や、ウイストン・チャーチルによる 「第二次世界大戦」 あたりを並べ立てるかも知れない。

そういえばむかし、趣味を問われて 「猿の飼育」 と述べた国会議員がいた。これはまぁ、取材に対する正直な答えの一例だろう。

燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する。その後、家内と次男はステーキやサラダやパンによる夕食を、僕はチェリーボブのヨーグルトとバナナとナシを摂取する

入浴して 「フォン・ノイマンの生涯」 を読み、9時30分に就寝する。

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 2003.1005(日) 記憶にない画像

5時30分に起床して事務室へ降りる。

6台目のThinkPadで、昨年8月から使い始めた "s 30" の挙動が、どうもおかしい。まるで古い蛍光灯のように、ディスプレイの輝度が安定しない。ファンクションキーを押しながらスピーカーの音量を調整したり、また画面の輝度を調整したりする機能は、とうの昔に失われている。

昨年までは、1996年に購入した "DATA / FAX CARD 9600" によっても、画像をサーヴァーに転送することは可能だったが、今年になってからは、なぜかそれもできなくなった。

コンピュータを修理に出しているヒマはない。壊れる前に、次のマシンを買うのみだ。そろそろこのコンピュータも、換えどきかも知れない。

きのうの日記を作成しようとしてカメラの画像をコンピュータに転送すると、その中に、撮った記憶のないものがある。これは広重の、「大はしあたけの夕立」 だ。池袋か、あるいはどこかの駅の構内にあった、何かの展覧会のポスターだろうか。

ある夏の午後、日本橋浜町ちかくの望楼へ登った広重は、欄干に足をかけ、背中を朱塗りの壁に押しつけて、ファインダーに収まりきれないこの大きな風景を、カメラを斜めにすることによってようやく捉えた、というのはもちろんウソで、フランスでカメラが発明されるのは、この絵の描かれた数年後のことだ。

その構図を見る限り、江戸時代のものとはとても思えない広重の浮世絵には、落語でいえば 「愛宕山」 と同じような、タイムマシンで未来へ飛んでしまった時空漂流者の香りが、濃厚に漂っている。

7時に居間へ戻る。朝飯は、ホウレンソウの油炒め、焼いた厚揚げ豆腐とミツバをまぶした大根おろし、牛肉とゴボウの炊き物、納豆、メシ、豚汁

今日の空にも、西から東へ向けて、幾筋もの雲がまっすぐに並列している

午前中、三菱シャリオに自転車を積み、次男と松原公園へ行く。帰って、煮込みうどんによる昼飯を食べる。

「なんとか、これくらいは売れてくれねぇかなぁ」 と考えていた本日の販売数量が、夕方になって僕の希望を超えてくる。きのうから、駐車場に交通整理の人員も配備された。今秋の成績も、できるだけ良いものにしたい。

燈刻、"Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" を抜栓するラタトゥイユニンジンの細切りサラダサケとジャガイモのクリームソース3種のキノコのスパゲティにて、この白ワインをビンの半分ほども飲む。

入浴して本は読まず、9時に就寝する。

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 2003.1004(土) トーシン君の来訪

何時に目が覚めたのかは知らないが、しばらくして身を起こし、離れたところにあるヴィデオデッキのデジタル時計に目を凝らすと、4時30分だった。「フォン・ノイマンの生涯」 を開き、きりの良いところまで読んでふたたび時計を見ると、5時45分になっている。起床し、居間にてきのうの日記を作成する。

朝飯は、ダイコンのぬか漬け、メシ、豚汁

午前中、同級生のハルナトーシン君が、買物のついでに事務室へ僕を訪ねてくれる。

ハルナ君が小学校の低学年ではじめてウチへ遊びに来たとき、僕のオフクロが 「トーシンちゃんのおうちは、どこにあるの?」 と訊いたところ、ハルナ君は地面に地図を書いて、その質問に応えた。ハルナ君が帰った後、オフクロの嘆じた 「トーシンちゃんって、お利口な子だねー」 という言葉は、それから40年ほど経った今でも、鮮明に思い出すことができる。

久しぶりのハルナトーシン君は、やけにほっそりとしていた。

「細くなったね、ダイエットでもしてるの?」
「いや、オレ今、中国にいるんだよ」

「えっ、中国? 中国のどこ?」
「ダイレン」

「単身赴任?」
「そう、単身赴任」

「日本には、ときどき帰れるの?」
「3ヶ月に1回くらい」

「それも大変だなぁ、体に気をつけてね」
「それでさ、ここのホームページ、今市のことが分かるじゃん、だから中国でも見てるんだよ。まぁ、がんばって」

僕は、トーシン君が子供のころに履いていた、雪駄のような形のゴム草履を思い出した。その、子供用としては大きなゴム草履を履いていたときのトーシン君は、ふっくらとした体つきをしていた。別段、僕は頑張っていない。頑張っているのは、トーシン君の方だろう。

下今市駅14:36発の、上り特急スペーシアに乗る。5時より池袋にて、自由学園の同級生との、2年後に卒業生会の仕事を担う件や、80周年記念募金についての話し合いを持つ

まだまだ続く気配の会を8時すぎに抜け出し、浅草駅21:00発の、下り特急スペーシアに乗る。

11時ちかくに帰宅し、入浴して0時に就寝する。

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 2003.1003(金) 本が読まれるとき

5時30分に起床する。洗面所の窓を開ければ、西から東へと一直線に伸びる色違いの雲のあいだに、 青い空が見える。と、ここで、「にしからひがしへといっちょくせんにのびるいろちがいのくもの」 とキーを叩いて変換をうながせば、《修飾語の連続》 と、ワードプロセッサから叱責されるが、この一節は本当に、修飾語の連続なのだろうか?

誰かは忘れたが、文豪とも呼ばれる作家の、少々気になった文章を取り出して、現在使っているワードプロセッサに打ち込んだことがある。するとやはり、この人工知能はその文豪の筆になる一節に対して、賛同できかねる旨のメッセイジを表した。

「魅力的な文章を書いていた子供が、中学校で英語を習い始めると同時に、様々な品詞の明確な連携に気づき、だから日本語も同じように制御しなければいけないと考え、しかしその結果、書く日本語の味わいを失することがある」 とは、誰の言ったことだっただろう。

しかし一方、「数学の公理さながらに、合理性をとことん追求したラテン語」 を学ぶことによって、「ものごとをきちんと考えるようになって、コンピュータなどの発明に役立つ」 との考察も、今夜から読み始めた 「フォン・ノイマンの生涯」 には出てくる。

結局は、なんでもかんでも 「本人次第」 ということだろう。

朝飯は、2種のおにぎり

昼前、暮から正月にかけて使う販売促進用タオルの注文を取るため、「マルゼン」 の社長が来社する。事務室のカウンターにある灰皿を見て、「これがあるということは、タバコを吸っても良いということですね?」 と訊く。「あ、大丈夫ですよ」 と、答える。

「いやぁ、私、この春まで卒業した小学校で、いろいろと役、やってたんですけどね、なんですか、人の集まる場所ではタバコは吸っちゃ、いけなくなったんですってね」
「そう、そういう法律が、できたんです。ウチでもお客さんがお茶を飲む一角は、禁煙にしましたから」

「いやぁ、私なんて、中学校以来、タバコ吸ってるんですから。がまんできなくて、役、降ろさせてもらいました」
「ハハハ、そうでしたか」

と、ぼやきつつも、「マルゼン」 の社長は喫煙の風情を見せない。「オヤジさん、吸ってください」 と薦めてようやく彼のポケットから取り出されたのは、両切りのピースだった。

「いやぁ、ピースですか」
「そう、中学校んときから、ずっとこれ」

「1日に2箱くらいですか?」
「医者には、そう言ってます」

「オヤジさん、いまいくつですか?」
「今年で72になりました」

「僕のおじいちゃんなんて、酒もタバコもやらずに72で死んだですからね」
「あぁねぇ、早かったですよねぇ、大旦那は」

「酒やタバコをしないヤツってのは、そもそも、酒やタバコをする体力が無いって話もありますね」
「なるほど」

というようなヨタ話があって、昨年よりも5割増しの社名入りタオルを注文する。

午後、"Eddie Bauer" からダイレクトメイルが届く。「宇都宮のパルコで、店員に乞われるままエディバウアーの会員になったけど、そのとたん、あそこからエディバウアーは撤退しちゃったよなぁ。でも、名簿にオレの名前は、まだ生きていたんだなぁ」 と、いささかの感慨を覚える。開封してカタログを見てみれば、どれもこれもひどく安い。

「相変わらず高けぇ品物売ってるのは、"Patagonia" くらいになっちゃったなぁ。でもやっぱりオレは、研究開発型のパタゴニアが好きだなぁ」 と、頭の中でひとりごとを言う。

空が暮れかかっても、西から東へと一直線に伸びる雲の角度に変わりはない。今夜こそ断酒をすることとして、ブルガリアヨーグルトとナシを摂取する

入浴して8時すぎにベッドへ行く。昨月末に階段室の床から拾い上げた

「フォン・ノイマンの生涯」  ノーマン・マクレイ著  渡辺正、芦田みどり訳  朝日選書  \1,900

を、ようやく開けば、序文からその内容に引き込まれる。かといって、1998年の秋から5年ものあいだ、これを活字の山に埋もれさせておいたことが惜しまれるかといえば、そのようなことはない。本はすべからく、読まれるときを自ら図っていると、僕は考える。

いつの間にか浅い眠りの中で、先ほど読んだ本の夢を見る。ただし、その夢の内容は、覚えていない。ふたたび目覚めて、また 「フォン・ノイマンの生涯」 を読む。そしてまたうとうとと、涼しさの中で眠りに入っていく。

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 2003.1002(木) "EOS KISS" か、"A1" か

5時30分に起床し、事務室へ降りて朝のよしなしごとをする。降雨はないが、空はどんよりと曇っている。ここ数日で急に低くなった気温が、冬の近いことを予感させる。

朝飯は、しその実のたまり漬、塩鮭、牛肉とゴボウの炊き物、玉子とダイコンニンジンとシメジの雑炊

現在、デジタルカメラは、家や近場では "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" を、そして電車で遠方へ行く際には小さな "Minolta DiMAGE X" を、という風に、2台を使い分けている。

僕の撮るほとんどは机上の食べ物、飲み物だが、この場合、条件はいきおい、「光量不足下でのストロボを使わない近接撮影」 ということになる。こういうときの " Camedia C-700 " は、本当に心強い。

これは、大きなレンズもさることながら、このカメラが、手を伸ばしディスプレイを見ながらシャッターボタンを押す、例えば "Fine Pix F601" のようなデザインではなく、ボディに額をつけて撮影をする一眼レフのようなデザインが、手ぶれのない画像を実現するからだ。

しかしながら、このオリンパスも、既にして購入から2年6ヶ月が過ぎた。その丈夫さに甘えて、自転車のカゴに入れて乱暴に運んだり、飲み屋の椅子から床へ転落させたりということを繰り返してきた。そろそろ壊れる時期かも知れない。

「次に買うとしたら、キャノンの "EOS KISS DIGITAL" だろうか?」 と考えて、このようなとき頼りにしている、「奥飛騨ほっとらいん」 の運営者カミコウイチさんのpatioを訪ねると、「いやいや、"EOS KISS" よりも、ミノルタの "A1" ですよねー」 という意見が、その理由と共にアップされている。

「そうか、ミノルタか、確かに、性能や仕様は悪くないな、気に入らないのはデザインだけだ」 と、考える。もっともデザインについては、いま使っている "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" のそれも、別段、好きなわけではない。

とりあえずはミノルタの "A1" を、オリンパスの後継機と決める。

昼前、「きのう食った糸屋の麦とろが、悪くねぇんだよ」 と、家内を誘って 「糸屋」 へ行ってみれば、今日はそれは、用意していないという。代わりに、カレーうどんセットを注文する。「こんなにたくさん、食えるだろうか?」 と、心配になるほどの量の炭水化物を、さらりと腹へ収める。

帰社して、「こんだけ食ったんだから、今夜はヨーグルトと果物だけにして、だから断酒もしよう」 と考えているところに、家内のいとこから、"neu frank" のソーセージが届く。その瞬間、今夜の断酒を諦める。

終業後にワイン蔵へ行くと、バキュバンで栓をした飲みさしの "Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" が残り少ない。食事中に血中のアルコール濃度が高まらないのも寂しいため、食前に "PISCO CAPEL" を、小さなグラスにて2杯飲む

次男に、「ソーセージは、焼くの? 茹でるの?」 と訊くと、「茹でる」 と、答える。家内が鍋の用意をしつつ、僕がソーセージの袋を見れば、「焼きソーセージ」 との表記がある。「多分、平気だろう」 と、これを茹でて食べることにする。

キャベツ、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンを煮たインチキコンソメスープに、焼きソーセージを投入する。「こういうことをされると、作った側はイヤな思いをするんだろうな」 と、チラリと考える。

やはり "neu franc" の鴨の薫製とオレンジトマトのサラダ「パパン」 のパンにて、残り少ない白ワインを飲む。茹で上がった焼き用のソーセージは、まるで最初からポトフ用に作られたソーセージのように美味い。

「優れた製造部長は優れた営業部長になれるし、また、優れた営業部長は優れた製造部長になれる」 という、どこかで読んだ格言のようなものを思い出す。

入浴して本は読まず、9時に就寝する。

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 2003.1001(水) 白味噌で炊いた豚肉の固まり

夜2時に目を覚ますが、本は読まず、牛乳を200CCほど飲んだのみにて二度寝に入る。5時30分に起床する。

事務室へ降り、ウェブショップ の受注を確認する。本酒会9月会報の、ウェブペイジ版を作成する。きのうの日記を整えて、7時に居間へ戻る。窓の向こうに、晴れた山と空が見える

朝飯は、キュウリとワカメの酢の物、ナスの塩水漬け、牛肉とゴボウの炊き物、ワラビと油揚げの炊き物、マツタケとギンナンのおこわ、ダイコンとニンジンとゴボウと長ネギの味噌汁

午前10時に、東原中学校の3年生が4人で、会社見学に訪れる。それから1時間後に、今市第三小学校の3年生107人が、会社見学に訪れる。説明をしていて当方が大いに楽しめるは、もちろん、小学校3年生の方だ。彼らはディズニーランドも漬け物工場も、等しく不思議の国への入口にしてしまう。

小学生の見学は最後に質問が殺到し、案の定、予定の時間を大きく過ぎて終わった。

昼に街を歩いていると、蕎麦の 「糸屋」 に、「麦とろ小鉢付きはじめました」 という看板が出ている。思わず入ってそれを注文してみれば、盛り蕎麦、とろろ、麦ごはん、温泉玉子、漬物のセットにて、なかなか悪くない。麦飯を食べるのは、自由学園の那須農場で労働をした高等科1年の秋以来、32年ぶりのことになるかも知れない。

晩飯の前から、瑞泉酒造の泡盛 「十年熟成古酒おもろ」 を飲み始める。

タコとモヤシのサラダナスの油炒めフライパンで焼いた豆腐にシメジとシイタケを乗せたもの沖縄の豚角煮味噌味沖縄の豚角煮醤油味にて、ウイスキーほどの強さを持つ古酒(クースー)を飲み進む。

豚の角煮の、特に白味噌で炊いた方が、すこぶる美味い。沖縄産の商品は総じて、パンフレットなどの販売促進用資料が、あまり整っていない。商売っ気のない、おっとりとした島の人の性格が、このようなところにも現れている。豚の角煮に添えられていたのも、簡単な商品説明、食べ方、製造者を記した、A5ほどのコピー用紙1枚のみだった。

7時30分より、春日町1丁目青年会の会議に出席をするため、町内の公民館へ行く。「市政50周年祭に、春日町の御神輿は出すべきか?」 という懸案について賛成をし、後はずっと寝ている。

座布団を片づける物音に目覚めてみれば、既にして10時が近い。

帰宅して入浴し、即、就寝する。

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