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一壺の紅の酒一巻の歌さえあれば それにただ命をつなぐ糧さえあれば
君とともにたとえ荒屋に住もうとも 心は王侯の榮華にまさるたのしさ
Omar Khayyam

 2013.0228(木) タイ日記(2日目)

西北西に向いた部屋のカーテンを開くと、眼下にはコック川の茶色い流れが、そしてその上にはボンヤリとした白い空が広がっていた。「あー、今日は曇りか」と考えつつ支度を調え廊下に出ると、東側の窓から朝日が差し込んでいる。

それで思い出したのは1982年3月のタイの空だ。あのときにはバンコクにしか滞在しなかったが、空はやはり、晴れているのに白く霞んだような塩梅だった。タイの乾季の空はおしなべて、こんな感じなのかも知れない。

9時45分ごろロビーに降りていくと、おととし次男とコック川を遡上したとき、我々とは別の舟に乗っていたガイドのオジサンが、フロントでホテルの人に声をかけていた。よって「もしや」と考えつつ「象トレッキングのガイドの方ですか」と話しかけると「そうです、そうです」とオジサンはにっこり笑った。そして僕と家内とオジサンはプールサイドからコック川のほとりまで降り、川岸に舫ってあった舟に乗った。

オーストラリアから来たという60歳代の夫婦、そしてドイツ人の30代くらいの女の人が本日の「ツアー仲間」である。 タイ特有の極端に細長く、そしてこれまた極端に喫水の深い舟で上流を目指す

現在のタイは乾季にあたり、川の水は少ない。自動車用の四気筒エンジンに直結されたスクリューを守るようにしてある小さな舵が、ときおり川底を擦る。そして舟はとうとう砂州に座礁をした。しかし船頭は慌てない。助手と共に舟から出て川底に立ち、舟を押したり引いたりして10数分後には、舟はふたたび、何ごともなかったように川面を快走し始めた。

ホテル下の船着き場を出て1時間と少々で、おととし次男とも来て、そのときには象に乗って集落をひとまわりしただけだった象キャンプに着く。そして先ずは象にやるためのバナナとサトウキビを20バーツで買う。このバナナを試しに舐めてみたが、とても渋くて、このまま人間が食べられるものではなかった

象には、むかし盆踊りのとき神社の境内に組んだような櫓から乗り込む。そうして象の背中に結びつけられた鉄製の輿に座り、田園地帯から山道に分け入ると、象は徐々に高度を上げていく。

タイ北部らしい赤土の道に、バナナの太い幹が落ちている。すると象はそれを鼻で器用に拾い上げ、象使いに渡す。象使いはその皮を山刀で剥き、更には長さを整えて、ふたたび象の鼻に戻す。象はそれを美味そうにシャクリシャクリと食べる

象はやがて道なき道、というよりも小川に足を踏み入れ、ジャブジャブと水をかき分けていく。象は驚いたことに幅1メートルもないような岩の隙間も歩ければ、30度ちかい斜面も登り下りできる。気質はかなり繊細、そして知能はかなり高いように思われる

山中を1時間ほども進んだところで「自分は歩くから、お客さんが直接、象にまたがってくれ」というようなことを、象使いが身振り手振りで伝えてきた。ほんの2、3分の「なんちゃって象使い体験」かと思って鉄製の籠から象の肩に乗り移る

象の肩にまたがって初めて分かったことだが、象が前足を一歩踏み出すたび、右の肩が、次は左の肩が交互に、まるでバーティカルツインエンジンのピストンのように僕の尻を突き上げる。当方の尻をその「突き上げ」に合わせないと、上半身が左右に振れて、下手をすると象から転げ落ちそうになる。落ちればかなりの打撲、あるいは骨折も免れないのではないか。

急峻な山肌を削って拓いた小径を往く場合には、たとえば左側は藪、そして右側は深い谷というところもある。このような場所でもしも谷側に転落をすれば当方の命はない。しかしいま自分は貴重な体験をしている。危険と面白さは正に諸刃の剣である。そして僕はとうとう森の中の終点まで、時間にすれば30分ほどだったと思うが、象の肩にまたがったままで通してしまった。

ここでもまた木をやぐらのように組んだところで象を降りる。するとそのやぐらにヤオ族のおばあさんや、特別に民族衣装は着ていないオバサンたちが現れて、やたらに象のエサを勧める。女の人は4人いたのでそれぞれから各20バーツでバナナやサトウキビを買い、ここまで僕と家内を乗せてきてくれた象にそれを食べさせる。

象使いには100バーツほどのティップを手渡したく考えていたが「エサの次は土産物を買え」とかしましいそのオバサンたちの相手をするうち、象も象使いもどこかに去ってしまった。

象トレッキングの終点は、どうやら少数民族の暮らす集落だったらしい。しばらく歩くうち、中国系の人たちが昼食を摂りつつある家にガイドは遠慮なく入っていく。このようなことには住民も慣れているらしく、酒瓶などを持って僕に近づいてくる。

「俺達のオヤジ連中は第二次世界大戦後に中国からタイに逃げてきたんだー」
「シーサンパンナーとか通ってですか」
「そうそう、シーサンパンナーなんて、ここから目と鼻の先だからな。まぁ、トウモロコシの焼酎でも飲んでってくれ」
「おー、美味いっすねぇ」

という会話は英語でもタイ語でもない、ところどころ分かる単語だけを勝手に解釈しただけのことだ。タイ北部とシーサンパンナーの位置関係については、オジサンは地面に石で絵を描いて説明をしてくれた。

それにしてもこのトウモロコシ焼酎の風味は、タイのラーカーオなどよりずっと優れていた。アルコール度もそれほど高くなく、食事の際に生でやるに適している。分けてもらえば良かったが、このときにはそのようなことは思いつかなかった。旅に後悔はつきものである

中国系のオジサンの家から更に道をくだると数軒の雑貨屋や食堂があり、そのうちの1軒が昼飯の場所らしい。そして裏庭で豚を飼うこの店のセンヤイ炒めも、またもぎたてのパイナップルも、共にとても美味かった

ツアーの終了時刻は15時30分と伝えられていたから、僕、家内、オーストラリア人夫婦、ドイツ人女性、ガイド、助手の6名は、この昼食場所からすぐに山を下ってホテルに帰着と、昼飯の途中までは考えていた。しかしサービスのつもりか、ガイドのオジサンは「これから首長族の村へ行きましょうか」と提案をした。

白人3人が僕の方を見て「どうする」というような顔をするので「首長族には興味、ないですねー」と答えると、他の白人たちも「そうそう」というように頷く。そして我々はガイドが手配したらしいソンテウに乗り込んだ。

「さぁ、象にまたがり続けて脚も疲れたし、これから一気に山を下ってホテルでシャワーだ」と喜び勇んだが、象トレッキングのメニュは、これで終わりではなかった。

僕は民俗学者でも文化人類学者でもなく、タイの少数民族については、活字で読むほどの知識欲はあっても、わざわざその村に出向いて何ごとかを調べるほどの熱心さはない。第一、旅行者の身分で少数民族の村を訪ねても、ただの物見遊山で終わってしまう。

しかし我々を乗せたソンテウは昼飯の食堂から幾らも走らないうちに、ふたたび少数民族の暮らす集落へと入っていった。村の名はアパ。村の入口には鳥居があり、またその左手には自然木を組み合わせた男女交合の像があった。「これはとても神聖なものなので手を触れないように」とガイドに言われ、写真だけを撮る。写真には写っていないが鳥居から山の上に向かって銃を象った木の板が打ち付けてあるのは、外敵に対するまじないなのかも知れない。

アパ村の、ひときわ小さな家にガイドが入っていく。低い鴨居に頭をぶつけないよう腰をかがめながら、我々もその後を追う。アカ族の伝統的な家に部屋は二つ。男女が部屋を同じくすることはない。入口を入って直ぐのところに呆けたようなオジサンが座ってキセルにタバコを詰めていた。奥に進むととそこは台所を兼ねた女の部屋だった。ガイドがオジサンに幾ばくかの心付けを手渡す。オジサンの年齢は69歳とのことだった。

アパ村には商売熱心で、アカ族の本来の家の裏に近代的な家を建てて住む家族もある。そんな家のひとつにガイドが声をかけると、アカ族の民族衣装を整えながら痩せたオバサンが奥から出てきて糸を紡ぎ始めた。そしてその糸つむぎの実演を1分ほどで終えると、オバサンは今度は、少数民族の手作りと見えて実はどこにも売っている、工業製品によるサイフやショルダーバッグを並べ始めた。価格はチェンライのナイトバザールにくらべて倍ほどのところである。

饅頭の入ったとおぼしき蒸籠から湯気が立っている。しかしその蒸籠はただの看板で、看板につられてお土産屋に入ると、棚には真空パックの饅頭が並んでいる。日本の観光地でよく見かける風景が、首長族の首の螺旋も含めて、タイの少数民族村でも展開されている、というわけだ。

ヤオ族のお婆さんが着る、濃い藍染めの着物であれば、僕は少々まとまった金額を支払っても手に入れたい。しかし彼らの売るニセ民芸品に食指の延びることは決してない。まぁ、一昨年のトレッキングのように、家で昼寝でもさせてもらったような場合には、話はまた別である。

ソンテウは更にもうひとつの少数民族村に寄り、次は滝を観に行くという。タイ人はなぜか滝というものを大変に好む。ソンテウを降り、森の中の良く整備された階段を、水の音を聞きながら上がっていくと、やがてタイ人も含めた行楽客の遊ぶ滝が見えてきた。かなり高いところから飛び込んでいる子供もいる。滝壺はかなり深いらしい。

同じツアーの、オーストラリア人の男の人がパンツ1枚になって川に入っていく。67歳だというガイドのオジサンもパンツ1枚になりながら「なぜ泳がない」と不思議そうな顔を僕に向ける。たかだか10メートルか20メートルを泳ぐ、ただそれだけのために服を脱ぎ着する面倒を厭わない方が、僕としては不思議に思われる

オーストラリアのオジサンとガイドのオジサンは案の定、濡れたパンツの上にふたたびズボンを穿き、下半身をベチャベチャにしながらソンテウに戻った。僕にはそれは無理、である。

ソンテウは今度こそ、緑が目に眩しい水田やトウモロコシ畑の中を小一時間ほども走ってようやく、チェンライの街へと戻ってきた。そしてコック川の船着き場でツアー会社の四輪駆動車に乗り換え、"Dusit Island Resort"まで送ってもらう。他のホテルに泊まっているらしいオーストラリア人やドイツ人たちとは、握手をして別れた。

シャワーを浴びて18時のシャトルバスに乗り、市中心部に出る。そして時計塔ちかくにある僕の愛して止まない店「シークラン」まで歩く。バットから3種のおかずを選び、メシには会社のfacebook用に「黒太郎らっきょう」を添えて写真を撮る。おかずぶっかけ飯は、なぜか急いで掻き込むと美味い。そしてすぐに満腹になる

晩飯を済ませて時計塔にさしかかると、時刻はちょうど19時を迎えるところで、今夜は白人観光客が多く集まって、この金色の巨大な時計塔が電飾の色を変え、その内側で何やらが動くところを熱心に見物していた。僕としては「こんなものより先ずは信号機を設置しろ」という次男の意見に賛成である

夜、ホテルに戻ってから象キャンプで撮った画像を確認すると、象使いは象の肩ではなく、その先の首より更に前の頭に乗っている。なるほど頭に乗れば象の肩の突き上げはなく、自分の姿勢は安定するだろう。しかしシロートがそれをすれば、特に下り坂などでは転落は必至である

象の肩で30分ものあいだ太ももの内側に力を込めていたため、鼠径部が異常に疲れている。しかしマッサージなどは特に受けず、就寝をする。


朝飯 "Dusit Island Resort"の朝食ブッフェ其の一其の二其の三其の四、コーヒー

昼飯 どこか知らない山奥の食堂のセンヤイパァッパイナップル

晩飯 「シークラン」のおかず3種、メシ、「黒太郎らっきょう」、シンハビール

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 2013.0227(水) タイ日記(1日目)

「新幹線の食堂車でステーキを食べる人が嫌いだ」というようなことを山口瞳がどこかに書いていたような気がする。まぁ、なんとなく分かる。「なにも飛行機の中でキャビアなんて食うことねぇじゃねぇか」とは僕も思う。そうして機内食など食べなくても飢えないよう、ホテルの朝のブッフェでメシ3杯を腹に入れる。

成田空港10:45発の"TG641"の機材は"BOEING747-400"だった。滑走路が混み合っているらしく、離陸は日本時間で11:20までずれ込んだ。機内ではずっと近藤紘一の「目撃者」を読む

成田空港を発っておよそ5時間後の日本時間16:25、タイ時間14:25。機がインドシナ半島にさしかかることを目の前のディスプレイが示す。昨夏のタイ航空機とは異なって今日の便は「お休みになるお客様のために窓をお閉めください」というようなことはアナウンスしない。よって最後尾の非常口まで歩き、この窓からダナンの海岸線を心ゆくまで眺める

スワンナプーム空港には定刻の日本時間17:45、タイ時間15:45よりもすこし早い日本時間17:29、タイ時間15:29に着陸をした。この空港の国内線の乗り換え案内はどうも不親切にて、目的のゲートにたどり着くまでにはいつも、ベージュ色のジャケットを来たオニーサンや紫色のスーツを着たオネーサンに道を訊ねることになる。

"TG140"は定刻の日本時間20:20、タイ時間18:20に4分おくれて離陸し、チェンライの"MAE FAH LUANG"と書いてスッチーの発音によればメーファーローン空港には定刻より11分早い日本時間21:29、タイ時間19:29に着陸をした。

南の国の田舎に夜に着くと、ワット数の低い蛍光灯にボンヤリと浮かび上がる、柱と屋根だけの食堂などを眺めて不安になったりする。チェンライの、空港から市中心部までの道筋にもそのような風景は見られるが、何度となく訪れている土地であれば、まぁ、当方も落ち着いたものである。

空港から迎えのクルマに乗り、次男でも同伴しない限りは必ず使う"Dusit Island Resort"には20時10分ごろに着いた。そうして21:00発のシャトルバスにホテルのエントランスから乗り、ナイトバザールへ行く。

チェンライの目抜き通りから、たくさんの露店で賑わうナイトバザールを抜けると先ず、太く立派な柱に支えられた屋根を持つ洒落たフードコートに行き当たるが、ここは観光客専用の感があり、僕の好みではない。そして"Peter, Paul and Mary"あたりを歌っていそうなグループのステージ脇をすり抜け、更に奥へと進む。

チェンライにはこれまで雨期の8月または9月にしか来たことがなかったが、そのころには、ナイトバザール奥の現地庶民用フードコートには雨よけのテントが張られ、客の数もそう多くはなかったところが今日その場に足を踏み入れてみれば「テーブルを確保するのもひと苦労」というほどの賑わいにて大いに驚く

そうしてここで竹虫の素揚げを肴にシンハビールを飲み、出店の看板には"Jeau Horn Hotpot"と説明のあるチムジュムをつつき、また別の店から家内の買ってきたパッタイの薄焼き卵包みを食べ、日本から持参した焼酎を飲む。

観光客ばかりのフードコートとはことなり、こちらのステージでは今夜は、カトゥーイの歌手が何か面白いことを言っても絶対に受けない三人組が出演をしていた。そうしてそんな風景を眺めながら心地よく酔っていく

チェンライのナイトバザール前で客待ちをしているトゥクトゥクには、いかにもボッできそうな雰囲気がある。「100バーツくらいのこと言うかなぁ」と考えつつ「パイ、ロンレーム、ドゥシッ、タオライ」と声をかけると「ペーシップバー」と運転手は答えた。現地人価格なら30から50バーツと思われるが、80バーツなら予想より安い。「金に困ってるわけでもねぇなら、あんまり細けぇことは言わねぇ方が良いんだ」という同級生コモトリケー君の言葉もある。

結局のところトゥクトゥクには運転手の言い値で乗って、夜の街を疾走する。大木の葉の、のしかかるようにして空を覆う大きく屈曲した暗い道を抜ければ、コック川の中洲に建つホテルは目と鼻の先だ。

このホテルのwifi使用料がタダになったことは、僕にとって大変な僥倖である。部屋で"facebook"活動などするうち、日本時間にすれば午前2時が迫って慌てて就寝をする。


朝飯 「成田ビューホテル」のブッフェ

昼飯 "TG641"の機内食

夕飯 "TG140"の機内食

晩飯 黄色いペコペコ席のフードコートの竹虫の素揚げパッタイの薄焼き卵包みチムジュムシンハビール、日本から持参した焼酎(生)

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 2013.0226(火) 500バーツは大きいね

谷口正彦の「冒険準備学入門」は僕が愛して止まない1冊である。冒険や旅行は、それに向かって準備をしているときこそもっとも楽しいとする谷口の意見に、僕は諸手を挙げて賛成をする。

そうして今回のタイ行きに臨んでメモ帳にあれこれの資料を挟み込むなどの準備は随分と前からしてきたが、荷物がすべて整ったのは出発直前のことだ。これについてはまぁ、コンピュータや携帯電話をザックに収めることを考えれば、むしろ当然である

「鹿沼インター入口」までは三菱デリカで行き、ここから15:54発のマロニエ号に乗る。成田空港第1ターミナルビルには定刻に3分遅れの18:23に到着をした。

データの塊ともいえる僕のメモ帳には、ホテルへのバスが16番の乗り場から18:30に出るという時刻表が貼り付けてある。当該の乗り場に行くとしかし、ホテルへの次の循環パスは19時すぎにしか来ないと書いてある。ということは僕のメモ帳の時刻表は、何か古いものだったのだろうか。

「こんなに寒いところで30分も待っていられないからタクシーを使う」という家内に促されて、そのすぐちかくのタクシー乗り場で5分ほど待つうち、先ほどの乗り場で客を乗せたらしい成田ビューホテルの専用バスが目の前を通り過ぎる。メモ帳の時刻表はやはり正しかったのだ。しかしその時刻表をシャトルバスの時刻表を混同したところに僕の誤りはあった。あまり早くから準備をするのも考えものである

ホテルに着いて夕食を済ませ、部屋に戻ってテレビのスイッチを入れると、イタリアの政治不安により本日の後場、円はドルに対して3円も急騰したという。

夏のシェムリアップ行きに備えて僕は本日午前、足利銀行で1,000ドルを95,740円で買った。3円の急騰とはすなわち1,000ドルで3,000円。これに先ほどのタクシー代1,520円を加えれば4,520円。出発前から500バーツの損失とは、いかにも「ダッフンダ」である


朝飯 おから、納豆、小松菜の胡麻和え、すぐき、メシ、豆腐と小松菜の味噌汁、イチゴ

昼飯 焼きそば、お好み焼き

晩飯 「成田ビューホテル銀河亭」のあぶり丼、「滝沢本店」の「長命泉生酒」(冷や)

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 2013.0225(月) 震度5強?

夕刻もちかいころ、町内の火災保険について事務室であれこれしている最中に地震がある。事務室は店舗とおなじ屋根の下にあり、おととし3.11の大震災以前には大きめの地震があっても揺れることは滅多になかった。それが今では割合に揺れる。地面の深いところで地震の伝わり方が変わったのかも知れない。

保険会社のシバザキさんに「ちょっと大きいですね」と言いながら店舗を見やると、販売係のカワタユリエさんが身をすくめて怯えている。携帯電話の発する「ギュッギュッギュッ」という警報が我々を益々不安にさせる。しかし揺れはすぐに収束した。

テレビやインターネットではこの地震の震源地が日光であることを伝えているらしい。親戚や取引先からは状況確認の、あるいは見舞いの電話が相次ぎ、また中には見舞いにかこつけた営業電話もあって、事務係のカワタユキさんは一時、かなり忙しい状況に陥った。

地震はいちどきりで後は静かになり、当方の建物設備、商品什器、更には人員に一切の被害はなかった。よって夕刻のミーティングも予定通りこなし、社員はいつもとおなじように帰宅の途に就いた。

夜、見るとも無しにテレビのニュースを観ていると、先の大震災の時よりも揺れは強かったと証言する人も日光市の山奥にはいて、おなじ市内にあっても被害はまちまちだったことを知る。また、夕刻にあった震度5強の地震の前から今しがたに至るまで余震の頻発していたことも知る

そうしてこれ以上の揺れのないことを祈りつつ早々に就寝する。


朝飯 あさりのおこわ、イベリコ豚汁"!Gracias pata negra!"

昼飯 「ふじや」の広東麺

晩飯 「ユタの店」の皮蛋焼き餃子茄子のピリ辛炒め、他あれこれ、焼酎「鏡月」(お湯割り)

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 2013.0224(日) 梅から桜へ

西研究所の1年に1度のお祭り「MGフェスティバル」は毎年2月の土日2日間を使って三浦海岸の「マホロバマインズ」で開かれる。1日目はマネジメントゲームで幕を開け、2日目は複数の講師による講演で締めくくられるこのお祭りは毎年ふしぎと「高島屋東京店」での出張販売に重なり、見送ることが多かった。

ことしは首尾良く仕事との重複はなかったが、1日目は自由学園の父母会に重なった。よって今回の「MGフェスティバル」は2日目のみの参加とし、朝、品川駅から京浜急行に乗る。

「マホロバマインズ」の最寄り駅は終点の三浦口駅とばかり考えて三浦海岸駅で下車せずにいたら、当該の建物は走り出した列車から間近に見えた。終点よりひと駅戻って三浦海岸駅の改札口を出ると、こちらでは早くも桜が咲いている

心に残る、あるいは知識欲を刺激される、はたまた否が応でも背筋の伸びるお話を相模湾を見おろす素晴らしい会議室にて聴き、15時30分に会場を去る。

日曜日には行きつけの飲み屋に休みが多い。iPhoneで検索をしながら「ここも休み」「こちらも定休日」と調べながら「今夜の飲み場所は行き当たりばったりだ」と考えつつ北千住駅から外へ出て歩き慣れた路地に入ると、インターネット上では休みのはずだった「加賀屋北千住店」は果たして営業をしていた。

よって喜び勇んでドアを持たないこの店の、分厚いビニールをかき分けカウンターに座り、焼酎のお湯割りを注文する。


朝飯 「品川ひおき」の目玉焼き定食

昼飯 「マホロバマインズ」のカレーライス、サラダ、コーヒー

晩飯 「加賀屋北千住店」のあれこれ、芋焼酎「白波」(お湯割り)

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 2013.0223(土) 梅花ふたたび

いつ治療したか覚えていないほどむかしに金冠をかぶせた奥歯の痛み始めたのは昨年3月のことだった。そして治療の結果その奥歯は、部分によっては歯茎とほぼ同じ高さにまで削られた、

「ここまで削るとふたたび金冠をかぶせることは不可能で、残された道はブリッジか部分入れ歯」と歯科医師には告げられたから「それはイヤだ」と答えたら「とすれば」と、インプラントについての説明を受けた。

これは素人考えだが、ブリッジは何やら不衛生な気がする。口に合わずにしょっちゅう着けたり外したりしている人を見るにつけ部分入れ歯は気が進まない。

インプラントなら良いかと更に説明を聴くと、この手術を受けるのであれば専門の先生を日光まで呼ぶことになるという。普段の診察診療を担う医師と、手術の医師が別人というのはちょっと気が進まない。

そういう次第にて本日午前、親戚の歯科医を品川区大井に訪問する。

2時間ちかくをかけての問診や診察の結果は「抜歯もブリッジも部分入れ歯も、ましてやインプラントも必要ではない。セラミックをかぶせる方法で歯は充分に再生できる」というもので大いに安心し、また嬉しくなった

そうして午後は自由学園に移動し、次男の父母会に出席をする。自由学園の父母会はしばしば夜遅くまで続くことがある。しかし僕と家内は下り最終列車の関係から、19時40分には中座することを常としてきた。今日の父母会は子供が高等科の最終学年を目指す最後のものにて、例外的に最後まで残る。そして「やはり泊まることにして良かった」と考えつつ21時すぎに正門を出る。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦わかめトッピング、ライス

昼飯 「魚河岸日本一」のあれこれ

晩飯 お弁当

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 2013.0222(金) 梅とタルヒヤの関係

下今市駅07:45発の上り特急スペーシアに乗ると、JR市ヶ谷駅から徒歩8分を要する靖国神社南門には10時05分に達する。そうしてそこいらへんでウェブショップについてのあれこれをする。

夕刻に湯島のあたりを歩きながら「随分と日が延びたなぁ」と、何となく嬉しくなる。湯島天神は梅祭りの最中にて、境内には様々な露店が出ていたが、真昼だけの、あるいは週末のみの営業なのか、それらすべてはシートで覆われ、商売はしていなかった。

女坂を下り「シンスケ」の縄のれんを分けて磨りガラスの引き戸を開く。17時30分の店内は八分の入りである。

冬から春にかけての「シンスケ」では、僕はお酒は「タルヒヤ」しか飲まない。ヤリイカ煮の、まず頭の尖ったところを口に入れて、その柔らかさ、味わい、そこはかとない生姜の香りの妙に深く感心をする。鮭の焼き漬けの、その料理の意匠にびっくりする。それでいて価格はどちらも蕎麦ひと盛り分ほどのものである。シンスケ恐るべし

19時ちかくにはすっかり酩酊して切り通し坂を上がる。白梅が徐々に開き始めている。そして紅梅のつぼみはいまだ固い


朝飯 ひろうす煮、青梗菜のソテー、大根おろしを薬味にした納豆、じゃこ、すぐき、メシ、ワカメと玉葱と万能葱の味噌汁

昼飯 「茹で太郎」のカレーライス

晩飯 「シンスケ」のあれこれ、タルヒヤ

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 2013.0221(木) 旅の準備(其の二)

これまで訪ねた土地の中で最悪のメシと共にあったのはマルディヴである。マルディヴでも観光客用に開発された"tourist resort"などと呼ばれる島では、それなりのものが食べられただろう。しかし僕はそういうところへ行くことを由としない。

首都のマーレ島からカツオ釣り漁船で渡ったグライドゥー島では「このメシは腐ってる、食うな」と、同じ船に乗り合わせたデンマーク人のKnud-Pedersenが顔をゆがませ、「しかし島民もおなじもの食ってんだから、オレ達も食ってヘーキなんじゃねーの?」と僕が答えた、まぁ、こんなことを言って良いかどうか不明ながら、まるでクソのような匂いの魚カレーぶっかけ飯を1週間、食べ続けた。

1982年のグライドゥー島には"Chez Muhammad"という雑貨屋兼食堂が1軒あるきりで、しかもそこにはメニュなどなく、島の滞在者は飼い犬のように、出されたものを唯々諾々として口に運ぶしかなかった。ここの臭い飯にくらべれば、他の土地で食べるすべては「天国の晩餐」と名付けても差し支えいほどに美味い。

「タイ料理こそ、世界でもっとも美味い料理ではなかろうか」というようなことを藤原新也がどこかに書いていた。タイのメシは確かに美味い。ただし「美味い料理を生む国は、同時に美味い酒を産する」という"thesis"がタイにもまた存在するか、という点については僕は首肯しない。

タイへ行くときにはいつも、安い焼酎をペットボトルに小分けにして持参する。おととしの8月には焼酎1リットルを北部の山中に持ち込み、カレン族のオヤジとふたりでやるうち数時間で空にしてしまった。そういう次第にて今回は倍の2リットルを用意した。これだけあれば全行程のあいだ、この透明の液体は枯渇せずにあるだろう、多分。


朝飯 すぐき、茹でたハム、目玉焼き、生のトマト、ほうれん草のソテー、大根おろし、じゃこ、とろろ芋、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 スパゲティナポリタン

晩飯 ポテトサラダ、茹でたブロッコリー、豚ヒレ肉のキノコソテー、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"

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 2013.0220(水) 旅の準備(其の一)

1週間後のタイ行きに備え、チャオプラヤ河畔で暮らす同級生コモトリケー君に頼まれた、あるいはこちらで気を利かせた土産は数日前から、社内のフクダナオブミさんとサイトーヨシコさんに、その用意を頼んでおいた。それら4品はすなわち以下で、すべては特別仕様の非売品である。

1.日光味噌白だしの袋に入っていながら日光味噌白だしではない味噌1Kg
2.日光味噌赤だしの袋に入っていながら日光味噌赤だしではない味噌1Kg
3.コモトリ君の好みにより青森県産ではなく中国産のにんにくをたまりで浅漬けにし、これを225ccのビンに詰めて「たまり」を満たしたもの。
4.「おばあちゃんのホロホロふりかけ」を225ccのビンにパンパンに詰めて、更に「こんなにしょっぱかったら売り物にはならねぇ」というほど「たまり」をドボドボと注ぎ込んだもの。

そのときの素材、そのときの気分嗜好により使う味噌を白や赤に換え、あるいはその双方を、これまたそのときの状況に応じた比率で混ぜて使うとは中々たのしい行為にて、石毛直道も彼の著書「食生活を探検する」で詳しく述べている。たまり漬に「たまり」を過分に追加投入するのは、これをチビチビと長く食べてもらうための工夫である

今日はまた整体の"mana"を訪ね、きのうより不調に陥った腰の手当て受ける。また喉に少々の違和感があるため「セキネ耳鼻科」を訪ね、これまた診察と処置を受ける。


朝飯 かんぴょうのたまり炊、茹でたハム、トマトのスクランブルドエッグ、ほうれん草のソテー、しその実のたまり漬を薬味にした納豆、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の炊き物、メシ、揚げ湯波と長葱の味噌汁

昼飯 カツ丼、すぐき、かんぴょうのたまり炊

晩飯 「魚登久」の胆焼き鰻重、肝吸い、「片山酒造」のカストリ焼酎「粕華」(生)

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 2013.0219(火) ポトフ

発熱により日曜、月曜と酒を抜き、引き続いて火曜日も抜くようなことをきのう月曜日の日記には書いた。そうして今朝になって事務室に降り、席に着いて壁のカレンダーに目を遣れば「19:30 本酒会」と、本日2月19日の余白に書いてある。

「本酒会」は日本酒に特化した飲み会で、僕はここで書記を務めている。飲み会に出ながら酒を飲まないのは個人の勝手だが、酒代を含む会費を支払いながら酒を飲まないのも業腹である。

美味そうなポトフを食べる家内と長男を尻目に19時20分に居間を去り、外へ出て今夜の本酒会場「やぶ定」までの道を歩く。

20時40分に、今度は「やぶ定」を出て自宅までの道を歩く。歩いている時間は3分くらいのものである。そうして3枚の扉の鍵を次々と解きながら居間へ戻ると、テレビのニュースが「神田の藪」の火災を伝えていた。第二次世界大戦の空襲に焼け残って21世紀の平時に火事を出す。勿体ないことだと思う。


朝飯 春雨サラダ、もやしのカレーひしお和え、白菜漬け、昆布の炊き物、らっきょうのたまり漬と豚バラ肉の炊き物、メシ、揚げ湯波とシロ菜の味噌汁

昼飯 炒飯醤油バター餅、白菜漬け

晩飯 「やぶ定」のあれこれ、6種の日本酒(冷や)

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 2013.0218(月) 病と断酒の関係

「成人を迎えてから今日まで、酒を休んだのは1日だけ」という人と先日、夕食を共にした。その人の現在年齢は48歳。ということは28年のあいだ飲みっぱなし、ということになる。

きのうは37.7℃の発熱があったにもかかわらず、病が栄養を求めるのか、晩には水餃子と漬物をおかずにメシ2杯を食べた。今朝はあれこれのおかずでやはりメシ2杯を食べた。

「たまり漬を使ったレシピ」というチラシを店頭に置いている。このチラシは1年に1、2度は改版をする。そして今日はその料理の撮影日と前々から決まっていたが、僕は風邪にて終日、居間に引き籠もっていた。

食欲は今夜に至っても旺盛で「こんなに食べられない」という長男から炒飯を分けてもらった。

「一日不作、一日不食」と墨書した紙を家の柱に貼った先生にむかし、勉強を教えていただいていたことがある。今日の僕は居間にいて何もせず、しかしメシについては常に一人前以上を平らげている。

「28年のあいだ飲みっぱなし」の人の身体はさぞかし強健にできているのだろう。酒好きの僕でさえ発熱すれば酒は抜く。ところでこの身体強健な人が成人して以来たった1日だけ酒を抜いた、それは神戸のホテルに泊まりながら阪神淡路大震災に遭遇した1995年1月17日のことだったという。

そして自分の酒については「明日も抜こう」と考える。


朝飯 目玉焼き、大根おろし、すぐき、納豆、鯖の味噌漬け、メシ、揚げ湯波とシロ菜の味噌汁

昼飯 「たまり漬を使ったレシピ」のあれこれ、メシ

晩飯 鶏肉団子餃子スープ、炒飯、"Chez Akabane"の杏仁豆腐

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 2013.0217(日) 発熱

このところの雪により、霧降高原の斜面に白い三角形があらわれる。いにしえの霧降スキー場である。

このスキー場の営業を今年は取りやめる、とのニュースを耳にしたのは何年前の秋のことだっただろう。観光情報についてお訊ねになるお客様もいらっしゃるため、どちはに電話をしたかは忘れたが、とにかく「閉鎖ですか?」と訊いたら「閉鎖ではなく休止です」と伝えられた。

中禅寺湖から戦場ヶ原へ上がったその先の湯元スキー場もそうだが、日光の雪は質においてはまことに良いものの、いかんせん量が少ない。僕が高等学校に通っていたころには既にして少なかったのだから、今は推して知るべしだ。そして霧降スキー場は結局のところ、今でも再開はされていない

きのうの夕刻より、普段にはない寒気を感じはじめた。今朝も引き続き調子は良くなく、よって仕事場からは早々に上がった。昼に体温を測ってみると37.7℃の発熱である。予防接種をしていてもインフルエンザには罹る。

そういう次第にて森病院に出かけてみると、ちょうど救急車の到着したところだったから、受付の女の人には「かなり待つことになる」という意味のことを伝えられたが、当方は日曜日に診てもらえるだけで有り難い。

診察を受け、処方箋を受け取るまでには2時間30分を要した。そして診断の結果は幸いにもインフルエンザではなかった。今週の金土日にはそれぞれ外せない用事があり、来週にはタイ行きが控えているのだ。「ただの風邪で良かった」と胸をなで下ろしたことは言うまでもない


朝飯 晩菊漬けを振った納豆、しもつかり、筑前煮、ほうれん草のソテー、茹でたウインナーソーセージ、メシ、揚げ湯波と長葱と玉葱の味噌汁

昼飯 お雑煮

晩飯 水餃子、メシ、すぐき

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 2013.0216(土) 2着のベスト

年が明けていよいよ寒さが増してくると毎年"Patagonia Men's Classic Retro-X Vest"または「montbell EXライトダウンベスト」を着る。モンベルのベストは、今はもう買うことのできない襟なしのもので、普段に着るなら襟の高いものよりこちらの方が断然、楽だ。

価格の点では"montbell"のベストより"Patagonia"の方が倍ほどは高い。しかし自分は"montbell"の方を大切にしているのでこれを温存し、昨年は"Patagonia"のベストばかりを着ていた。

今年はなぜかこれらのベストは引っ張り出さず、上半身には"UNIQLO"のヒートテックシャツと同じくフリースセーターの2枚のみを着て寒さを凌いできた。昔で言うところのモモヒキ、今ならタイツだろうか、そういうものは関東以南にいる限り僕は穿かない。

ところが今日の夕刻になって、なぜか事務室の暖房の効かないような気がする。周囲に訊くと別段、寒くもないという。そういう次第にて終業後は居間の、本来は座布団でも仕舞っておくべき場所から"montbell"のベストを出し、これを着る。


朝飯 納豆、しもつかり、生のトマト、目玉焼き、ウインナーソーセージとピーマンのソテー、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁

昼飯 大根と人参と鶏肉と三つ葉と「なめこのたまり炊」のお雑煮

晩飯 筑前煮、叉焼の白髪葱和え、湯豆腐、ほうれん草の胡麻和え、鯖の味噌漬け、イチゴ、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸生酒」

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 2013.0215(金) 太陽への脱出

今日もまた雪の予報が出ている。その、天気予報のテレビを眺めながら「うーん、日光よりも東京の方が雪が多そうだよなぁ」と、独り言のようなものが口をついて出る。

「アベノミクスぅ? いや、景気の良い感じなんて全然しねぇなぁ、第一、今年は寒さがひでぇしよー、こんなんじゃ先ず、人が外に出なかんべ」という、今月どこかで耳にした誰かの言葉を思い出す。

雪が多ければ寒さも厳しく感じられそうだが、そういうことについては感覚で決めつける前に数字を良く見る必要がある。2010年の1月から3月にかけては、農業の専門家さえ「今年の米は、ハー、ダメだんべー」と嘆くほどの寒さがあったのだ。

朝のうちこそチラホラと舞うくらいだった雪が、午後に入るとその粒を巨大にして、つまろ牡丹雪が激しい勢いで降ってくる。そして東京の中心部は予報に反して雪にはならず、氷雨ほどのところで済んだという。そして我が町に降った雪も夕刻には融けた。

そして夜は石原裕次郎が主演した1963年の映画「太陽への脱出」を居間で鑑賞する


朝飯 しもつかり、厚焼き玉子、晩菊漬けと納豆、ひじきの炊き物、鰯の梅煮、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 揚げ湯波と大根おろしと三つ葉と「なめこのたまり炊」のお雑煮

晩飯 トマトとジャガイモのサラダ、茹でたブロッコリーを添えたハンバーグステーキ、メシ、すぐき、"Chateau Montus Madiran 2003"

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 2013.0214(木) 冷や汗一斗

次男との旅行では、できるだけ経費を省く。家を出て飛行機に乗るまでの最も安価な手順は、出発日の早朝に宇都宮から高速バス「マロニエ号」を使うことだろう。

マロニエ号の始発は「柳田」で、次が「JR宇都宮駅西口」、その次が「鹿沼インター入口」となる。

ウチから出かけて時間的に有利なのは「鹿沼インター入口」を利用する手だ。しかしここの駐車場はそれほど広くなく、だから自家用車で出かけて、もしもここが満車となると、前売りの切符を持ちながら「マロニエ号」の出発を、指をくわえて見ている羽目になる。よって40分ほど行程の長くなることを知りつつ常に僕は、広い駐車場を持つ始発の「柳田」で「マロニエ号」を待つ。

先日「鹿沼インター入口」から早朝5:30発の「マロニエ号」に乗り、成田空港10:25発の飛行機に搭乗しようと計画しながら寝坊をした二人組がいた。彼らは「マロニエ号」はハナから諦め、自宅から自家用車で成田空港を目指したが、9時30分になっても成田ジャンクションは見えてこない。

ツアーを申し込んだ"HIS"には二人組の、運転をしていない方が携帯電話で連絡を取り続け、ようよう空港の駐車場にクルマを滑り込ませたら、今度は巨大なトランクを曳きつつ第一ターミナルビルへ向かって全速力の疾走。

こんな事態に陥ったらツアー代金は全額パーと僕などは考えるところだが、結果としてこの二人組には予定より3時間遅れの航空券が追加料金なしで支給され、無事ドイツに向けて旅立つことができた。"HIS"も中々やるものである。


朝飯 晩菊漬、鰯の梅煮、ひじきの炊き物、白和え、メシ、豆腐と長葱の味噌汁

昼飯 鍋焼きうどん

晩飯 牛蒡の天ぷら、叉焼の白髪葱和え、芽昆布の炊き物、揚げ湯波と小松菜の炊き物、しもつかり、銀鱈の味噌漬け焼き、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸生酒」、「はちや」の冬季限定バウムクーヘン「冬のショコラ」

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 2013.0213(水) 日光のベストシーズンは

先週の水曜日は雪の天気だった。そしてその1週間後の今日も雪の予報が出ていた。早朝に目を覚ましても、居間の障子を開け、更にその先の、格好良く言えばサンルームのカーテンを開く気はしない。

そうして日の昇るころになってようやく外の様子を窺うと、しかし積雪はシュークリームの上のパウダーシュガーくらいのところで止んでいた。空は急速に快晴へと近づいている。そして開店の8時には、路上の雪はほとんど融けてしまった。

僕のいる日光市今市から西北西へ5キロの日光市日光、また北へ15キロの日光市鬼怒川、更に北の川治には、ちょうど良い塩梅の積雪があるように思われる。雪景色を眺めつつ露天風呂でお酒の飲める今の日光は、季節的な穴場にあたる。

観光客で大賑わいのゴールデンウィークや秋の紅葉時期も悪くはないが、地元民としては「日光のベストシーズンは真冬と真夏」と、声を大にして僕は言いたい


朝飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬

昼飯 「大貫屋」のタンメン

晩飯 トマトのサラダ生ハム野菜スープ4種のパンキャラメルと砂糖のガリガリケーキ"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"

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 2013.0212(火) 旅の荷物

タイには、バックパッキングをしていた1980年と1982年、すこし間をおいて1991年に、等しくインドやネパールへの行き帰りに寄った。当時は飛行機の乗り換えのため、あるいは安い航空券を買うため数日のみ滞在することが常だったが、それでも僕はタイというところが大好きになった。しかし以降は海外への渡航を自粛する気持ちがあり、次の訪タイは2009年まで持ち越された。実に18年間の空白、である。

その訪タイから帰った2009.0829(土)の日記「旅の荷物」に僕は「帽子についてはかなり考えたが雨期ということもあり、また炎天下を長く歩くことも予想されなかったため、これは持参しなくて良かった」と書いた。

僕の次のタイ行きは今月27日。年間でもっとも暑い季節「ナーローン」の入口にあたる。ということで、今回はさすがに帽子は必携ではないか。

僕は大きな荷物を嫌う。麦わら帽はかさばるから旅の帽子には選ばれ得ない。丸めることのできるパナマ帽は持っていて、銀座の"TORAYA"の店長はこれをいとも簡単に丸めてしまうが、破損を恐れる僕は一度もそれをしたことがない。

かさばらず、他にも転用が可能なタオルが実は、旅に持参する帽子としては最も優れていると思う。しかしこれをしている日本人に海外の市街地で遭遇すると、おなじ日本人の僕が見ても違和感は顕著だから、現地の人には、かなりおかしな風体に感じられるに違いない。

野球帽はツバの部分がかさばることと蒸れやすいことのふたつの理由により普段から使わない。木綿のハットなら折りたたんで小さくなるが、これは若いころに散々かぶって今は飽きた。

そういう次第にてインターネットの海の中を探しまわって"amazon"に木綿のニットキャップを見つけた。何日かは他のものと見比べたりしていたが遂に、まぁ1,680円の帽子ひとつに「遂に」も大げさとは思うが、注文ボタンをクリックした。

それが届いたから早速かぶってみると「イスラムワッチ」という品名とは裏腹に、帽子が大きいのか、それとも僕の頭が小さいのか、下の縁が耳を半分ほど覆ってしごく具合が良い。これで旅の荷物はすべて、揃った


朝飯 冷や奴、ツナサラダ、メシ、豚肉と長葱と白菜キムチの味噌汁

昼飯 "Parrot"のクラブハウスサンドイッチ、コーヒー

晩飯 かまぼこ、芽昆布煮、冷や奴、鰊の山椒漬け、ツナの七味唐辛子和え、「大山酒造」の芋焼酎「伊佐大泉」(お湯割り)

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 2013.0211(月) 佃煮

好評により、というか売れ行き予想の甘さにより、というか原材料の供給側と製品の製造側との連絡不行き届きによりというか、とにかく昨年の12月から売り切れていた、湯波とほうれん草を具にした"with LOVE"と、イベリコ豚汁"!Gracias pata negra!"の、2種のフリーズドライ味噌汁がようやく復活をした。

ギフトシーズンの年末に品切れとは、お客様へのご迷惑と共に、当方にとっては商売の機会損失であり、悔いの残るものだった。今年はせいぜい気をつけて対処をしたい

日光市今市の旧市街では毎年恒例の「花市」が朝から開かれている。日光街道は、上は春日町交差点から下は追分地蔵尊のあいだの数百メートルに交通規制が敷かれているが、抜け道はたくさんあり、渋滞は発生していない。

子供のころはとても楽しみにしていた「花市」だが、今では日記用の写真を撮りに行くだけのものになってしまった。僕は賭け将棋と「焼け跡から掘り出した万年筆」には間に合わなかった。しかし子供相手のいかさまバクチ、それにサクラを使った蝦蟇の油売りには間に合った。いかさまも啖呵バイも知らない今の子供は、縁日の楽しさのうちの八割ほどは知らないことになる

家内と長男が東京へ出張して今日で6日目。夜などはそれこそ、放哉流に言えば「ゲップをしても一人」である。そうしてみずから酒肴を整える。

自動録画しておいた「吉田類の酒場放浪記」を、焼酎のお湯割りを飲みながら再生する。今回の分はJR浅草橋駅の北口を出た吉田が江戸通りを横断し、神田川の左岸を東へと歩いて行く。そのまま観ていると予想通り、柳橋たもとの「小松屋」に吉田は入った。僕は佃煮は、ここのものが一番、好きである


朝飯 カレーライス、生玉子、らっきょうのたまり漬、豚汁

昼飯 「ふじや」のタンメン(バター載せてね特注)

晩飯 芽昆布煮、冷や奴、焼き鳥、「大山酒造」の芋焼酎「伊佐大泉」(お湯割り)

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 2013.0210(日) 演歌の花道

夜には早く寝るから朝にも早く目が覚める。テレビのスイッチを入れると、"NHK"以外はどこもかしこも通信販売ばかりだ。と、その中にひとつだけ歌の番組があったので、チャンネルをそのままにする。

知らない歌手、初見の歌手がしばらく続いた後に八代亜紀が出てくる。そして「なみだ恋」の前奏が流れる。歌詞の出だしは「夜の新宿、裏通り」だから、朝にはまことに似合わない場面ではあるが、演歌に朝を期待する方が間違っている。

「なみだ恋」の歌詞はやがて「逢えばせつない、別れがつらい」にさしかかって「上手いこと詩ぃ、書くなぁ」と、深く感心をする。作詞は悠木圭子、作曲は鈴木淳。八代の歌は円熟の極みに達しているが、しかしこの「逢えばせつない、別れがつらい」の歌い方に僕は不満がある。

八代亜紀は「逢えばせつない、別れがつらい」を若いころには"HEDHHHH"…キーを"C"にして分かりやすく数字で記せば"3653333"と歌っていた。しかしこのところは"3553333"と、上の"6"まで上げていかない。声域が狭まってしまったのだろう。「逢えば」の「あえ」は3から6に3度上げてこそ種々の情感も増すのに残念なことである。

終業後は「演歌の花道」というよりも「演歌の裏路地」といったような渋い小径をたどって春日町1丁目青年会の遅い新年会に加わる


朝飯 3種のおむすび、豚汁

昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン

晩飯 「甚平」のあれこれ、芋焼酎(お湯割り)

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 2013.0209(土) 五代目

新しい歌舞伎座の落成を4月にひかえ、この柿葺落となる四月大歌舞伎の切符を確保して欲しいと、いつもは自力で切符を買っているオバサンが僕に頼んできた。「チケットホン松竹」の回線がパンクすることを懸念してのことである。

「松竹歌舞伎会」に入っているオバサンは一般の人より早くに切符を押さえられるらしく、その解禁時間は本日の10時だという。そんなことを言われても当方は、いざ仕事を始めてしまえば人の観劇などは文字通りの他人ごとであり、気づけば昼が近い。

不義理があってはいけないと、いささか慌ててブラウザを開き、教えられたパスワードを「チケットweb松竹」のページに入れてみる。そうして次々と現れるボタンをクリックしながら奥へ奥へと進んでいく。

オバサンが観劇日に幅を持たせたためだろうか、計6枚の切符は案に相違して、たとえば花道に接する最前列などを簡単に取ることができた。あるいは、役者としては早世ともいえる齢で昨年暮に勘三郎が亡くなり、つい先日は団十郎が急逝した、それが客の出足を鈍らせているのかも知れない。

明治22年以降、火事や震災や空襲に遭うたび復活してきた歌舞伎座の「五代目」には、その出だしから是非、成功してもらいたいと思う。


朝飯 カレーライス、生玉子、らっきょうのたまり漬、長葱とワカメの味噌汁

昼飯 「やぶ定」のたぬき蕎麦、ライス

晩飯 「和光」の突き出しの里芋と鶏皮の煮ころがし、イカの塩辛カマスの塩焼き牛スジ煮頼まなくても出てきたデザート、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)

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 2013.0208(金) 受注残

「本物のワインで漬けた本物のワインラッキョウ"rubis d'or"」の第1ロット第1本目は2008年3月3日に完成した。包材は、真上から俯瞰すると四つ葉のクローバのように見えるガラス瓶で、フタは金色だった。

以降4年のあいだに、"rubis d'or"に用いるビンの製造会社が二つも廃業した。そのあおりを受けて、当方もその都度、似た形の、しかし異なるビンを苦労して探した。2番目のビンからは、フタの色は白になった。金色の方が望ましかったが「この口径合うフタは、日本全国どこを探しても白しかないんです」と言われれば、当方は従わざるを得ない。

2011年、その2番目の製ビン会社も廃業することを知って、同社の在庫すべてを確保した。しかしそれも先月3日の作業で使い果たした。

"rubis d'or"は昨秋、テレビで紹介された、その日の夕刻には早くも売り切れた。もともと大量生産の利く品ではなかったから「売り切れ」とはいえ大した数が売れたわけではない。それはさておき品切れから立ち上がるための増産に水を差したのが上記「製ビン会社の廃業」である。

今からすれば一昨年のことになるが、飛び込みで営業に現れた商社マンが偶然にも、なかなか良いビンを紹介してくれた。しかもフタは金色だという。よって僕はこの営業マンの名刺、見本のビン、それに金色のフタをおなじ袋に入れ、大切に保管してきた。

そして遂に先月3日、いまだ正月休み中のこの商社に「随分と待たせたが、いよいよ例のビンを納品して欲しい」旨のファクシミリを送った。

ようよう届いた、"rubis d'or"にとっては3番目のビンと金色のフタを充填室に運び入れ、しかしこれが虫の知らせというものだろう、作業前にビンとフタを合わせてみると、これがサイズ違いで全然はまらない。

こうして"rubis d'or"の生産は、中身とはまったく関係しない部分にまで邪魔をされて、受注残は溜まるばかりである


朝飯 3種のおむすび、豆腐とワカメの味噌汁

昼飯 「ふじや」の雷ラーメン

晩飯 シシャモの本干し、おでん、焼売、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸生酒」

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 2013.0207(木) スイッチとバランス

僕の参加する勉強会には、これが終了して以降には交流会という名の飲み会の用意されることが多い。しかして僕には、この交流会には加わらず、早くひとりなりたいという欲求が絶ちがたくある。

脳を使った後で更に、向上心の強い、頭脳明晰な集団と、濃密な空間に密閉され、議論や哄笑による騒がしさの中で、更に脳を使い続けることは避けたいのだ。

「ナガサキにはむかし、街の真ん中に競輪場があったの、知ってる?」と、場末の飲み屋でいきなり話しかけてくる酔っ払いに「いやぁ、知りませんでした、昭和何年くらいのことですか?」などと返事をしながら熱せられた脳を冷ましたいのだ。

あるいは駅のプラットフォームで「オニーサン、喧嘩、強そうだね」などとニヤニヤしながら近づいてくる、何やらアルコールに冒されたようなオジサンからどのようにして離れようかと左右に目を配りつつ脳の、勉強に使ったとはまったく異なる部分を動かして精神の平衡を保ちたいのだ。

しかしそういう僕でも、そしてそれがたとえ勉強仲間による交流会であっても、勉強の当日から間を置いた日の、少人数による静かな席であれば、これはなかなか嫌いではない。

そうして今夜は、先日の「日光MG」に地元から参加してくださった若い3人と待ち合わせ、杉板張りの料理屋で、ほぼ真面目な話をあれこれして楽しく過ごす。


朝飯 カレーライス、生玉子、らっきょうのたまり漬、フリーズドライ豚汁"!Gracias pata negra!"

昼飯 「大貫屋」のタンメン

晩飯 「杉光」のあれこれ、「片山酒造」の2種のお酒(冷や)

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 2013.0206(水) しずけさや

成人式の日の雪は首都圏に大きな混乱をもたらし「なぜこれほどの雪になることが予測できなかったか」と記者に訊かれた気象庁の職員が、うろたえつつ弁解する様がテレビに映し出されることとなった。

その反動からか、今未明の雪については数日前から「雪だ、雪だ、雪が来るぞ」と、まるで狼が襲来するような勢いでインターネットもテレビも賑やかだった。しかし今朝になってみれば大したことはない、降雪は日光市においても乾雪がほんの数センチにて、店舗の駐車場はほんの短いあいだに社員が綺麗にしてしまった

雪の降る日はひと気のない街をひとりボソボソと歩き、客のいない古い喫茶店に入ってホットミルクなどを飲むと、寂しさを愉しむことができる。雪が降ると、南にではなく、北へ旅に出たくなるのはなぜだろう。

夜は茶箪笥から古い器を出して、そこに煮物やら、オーブントースターで炙った干物などを盛る。そうしてきのうに引き続き「齋彌酒造」の「雪の茅舎」を飲む。


朝飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬、インスタントのお吸い物

昼飯 「ふじや」の広東麺

晩飯 シシャモの本干し、大根と豚三枚肉の炊き物、メシ、鰹節のふりかけ、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸生酒」

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 2013.0205(火) "Good Year"

明日から来週火曜日までの7日間は、日本橋の高島屋東京店地下1階催事場で開かれる「老舗の味を集めて特選会」に出店をする

むかしは百貨店にも定休日があった。よって催事の準備はその日の日中に充分な持ち時間を以て行われた。日本という国が世知辛さを増すと、百貨店は全国的に元旦くらいしか休まなくなった。以降、催事専用フロア以外での売り場については、初日前夜に大急ぎで整えることとなった。

きのうの夕刻、ウチのはす向かいにある「大橋油店」へ、三菱デリカに給油をするため行った販売係のハセガワタツヤ君は「経年変化によるタイヤの細かいヒビが心配」と言われて帰ってきた。このタイヤで自動車検査は通っているが、本職に何やら言われると不安になる。

そういう次第にて今朝の夜明け前に「午後2時までに三菱デリカのタイヤを新品に替えることができるだろうか、いつでも電話をいただきたい」旨のメッセージを「EBエンヂニアリング」のタシロジュンイチさんに"facebook"経由で送った。

「あの程度のヒビは、気にするほどのものでもない。しかし何が起きるか分からないのが現実であれば、絶対に安全とも言えない」というのが、その後の電話によるタシロさんの見解だった。

結局のところ昼すぎには、ピカピカの"Good Year"を履いた三菱デリカがタシロさんにより届けられた。そうしてこの、数十品目におよぶ用度品を積んだ三菱デリカの運転席にはハセガワタツヤ君が、助手席には長男が収まって、15時に会社を出発する。


朝飯 大根と豚三枚肉の炊き物、ほうれん草のソテー、納豆、牡蠣の昆布煮、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁

昼飯 「つけ汁うどんあくつ」の相盛り、ピリ辛きのこ汁

晩飯 紫蘇入りかまぼこの辛子醤油牡蠣の昆布煮おでん、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸生酒」

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 2013.0204(月) 夜の状況

今週水曜日から来週火曜日までの7日間は、日本橋の高島屋東京店地下1階催事場で開かれる「老舗の味を集めて特選会」に出店をする。高島屋のイベントには、僕は1985年以来出張を続けたが、2006年からは留守番に回るようになった。

毎年この7日間には家内が不在になる。家内が不在になれば夜はいそいそと飲みに出かけそうなものだが、この日記を2006年まで遡ってみれば、ほとんどは家で自炊をしている。

冬至をはさんで数ヶ月は神経が鬱の傾向を帯びる、という人がいる。何でもかんでも人のせいにしてしまう僕のような性格は鬱になりにくいらしいが、飲み屋に行き放題の環境にありながら家でひとりメシを食っているとは、やはり精神が内側に向いている現れだろうか。

部屋から廊下へとはみ出した食器棚の上を見ると、シシャモの本干しを真空パックにしたものがある。台所には牡蠣と昆布の甘辛煮が鍋に入ってあり、また大根と豚の三枚肉を炊いたものも、明後日あたりまでは保ちそうな量がある。

家の中がスッカラカンになる明晩は、これらを肴に冷えた日本酒を飲もうと思う。明後日はどうか、そして明明後日の夜はどうするか。今年はどうも、2006年から昨年までの、家に引き籠もっていたいような気分はあまりない。水曜日あたりからは、早くも外へ出かけるかも知れない。


朝飯 牡蠣フライの卵とじ、ホッケの干物、すぐき、大根と豚三枚肉の炊き物、メシ、厚揚げ豆腐と長葱の味噌汁

昼飯 ホッケの干物と鯵の干物をによるちらし鮨

晩飯 トマトとモツァレラチーズのサラダ牡蠣とほうれん草と玉葱のグラタン3種のパン"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"、チョコレートでこってりコーティングされたバームクーヘン、"J.DUPEYRON NAPOLEON"

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 2013.0203(日) 節分

節分の豆まきは夕方あるいは日が落ちてからするものらしい。何となくそう考えるのは、青山学院の学生でいるあいだに早世した叔父が、今市高等学校時代に残した随筆を読んだことによる。

この随筆は薄い小冊子に収められてあり、だから叔父は文芸部にでも所属してたのかも知れないが、一方、校庭でスネアドラムを叩く写真も保存されているところから、あるいは文芸部とブラスバンドの双方で活動していたのかも知れない。

子供、節分、もうひとつは何だっただろう、とにかく三部構成のその随筆を、叔父がそれを書いたときと同じ年齢のころに僕は読んだ。そして湿った叙情性をその行間に感じつつ「この人には文章では、一生、勝てない」と静かに驚いた。

この叔父が亡くなったのは僕が3歳のときのことであり、だから叔父についてはうっすらとしか記憶していない。今は70代の半ばほどに達している同級生たちは、学年全体を含めての人気者だったというこの叔父のことを今でも哀惜し、僕にいろいろと話してくれる。

閉店の18時がちかくなるころを待って、豆の入った升を持ち、先ずは店で3歳くらいの女の子に「鬼は外、やってね」と声をかけつつ、その小さな手の平に10粒ほどの豆を載せる。そして僕はおもむろに「鬼は外、福は内」と豆を蒔き始め、材料倉庫、製造現場、包装現場、自宅、隠居とまわり歩く。そしてまた、亡くなった叔父のことを思い出す


朝飯 ほぐし塩鮭、鯵の干物、納豆、すぐき、メシ、ワカメと長葱の味噌汁

昼飯 "Parrot"のハンバーグステーキとカニコロッケ、ライス、コーヒー

晩飯 トマトとイタリアンパセリのサラダ牡蠣フライ、「大山酒造」の芋焼酎「伊佐大泉」(生)、"Chez Akabane"のコルネ、"J.DUPEYRON NAPOLEON"

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 2013.0202(土) 忘れ物

5分前に使った携帯電話が見当たらず、あれこれ考えた挙げ句、外へ出てホンダフィットの助手席を見ると、当該の"NOKIA"はそこにあった。携帯電話を見失うことはたびたびあり、時には誰かが拾ってくれていることを期待して呼び出し音を鳴らし、しかし応答のあったことは一度もない。

町内の何かの催しを終え、テントや長机を倉庫にしまう、その倉庫に携帯電話を置き忘れたことがある。施錠されたプレハブの倉庫でいくら携帯電話が鳴っても、その音が誰かの耳に届く可能性はほとんどない。このときにも「もしや」と考え、倉庫の管理人タケダさんから預かった鍵でアルミの戸を開くと、僕の"NOKIA"は右手の棚で蚊の鳴くような音を立てていた。

おととい「日光MG」の会場「ヴィラデアグリ」から、赤い紐を編み上げる式の靴が研修会場に置き忘れられていた旨の電話があった。それは僕が昨年巣鴨の"goro"で誂えた「ブーティーエム」に違いない。

「ブーツだけのために往復40キロかよ」などと自分の間抜けさを棚に上げながら、別の用事で「EBエンヂニアリング」のタシロジュンイチさんに電話を入れると、今はたまたま工房を離れて日光市大沢地区にいるという。それを奇貨として、大沢地区から数キロの距離にある「ヴィラデアグリ」まで足を延ばしてくれるよう頼む。

そして僕はといえば「靴下は、もうすこし厚いものを履いた方が良いですね」という"goro"のオニーサンの言葉を思い出しつつ"HALISON"の最も厚い靴下2足を、同社のウェブショップで買い物籠に入れる。


朝飯 カレーライス、生玉子、豆腐と長葱の味噌汁

昼飯 「麺屋ききょう」のねぎ塩ラーメン

晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダチーズチップベーコンとほうれん草のペペロンチーノ"TIO PEPE"、帰宅してからのカステラ、"J.DUPEYRON NAPOLEON"

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 2013.0201(金) 朝はいつから

月の満ち欠けを日ごと図に表したカレンダーが居間の襖に留めてある。朝の闇の中でそのあたりに目を凝らすと、月の部分だけが蛍光色に浮かんでいる。丸かったり細かったりの月の並びを見ながら、そのカレンダーが、いまだ1月のままめくられていないことに気づく。

部屋に茉莉花の香りが漂っている。日の昇る前の薄暗さの中では、目に見えないあれこれを強く感じる。薄ら寒いのは、暖房絨毯のタイマーが切れたことと、きのう寝るとき電熱ストーブのスイッチを入れ忘れたことによるのだろう。

「日光MG」の会場ヴィラデアグリで早朝に目を覚ますと、外に面した障子が暖色を帯びていたから、それを朝日と思い込んでまじまじ注視した。そしてその光が実は常夜灯のものと知って、いささかがっかりした。一体全体、いつになれば朝は明るくなるのか。

夜はカウンター活動のため、路肩に根雪の凍った道を、転ばないよう気をつけながら長男と下る。


朝飯 3種のおむすび、生姜と豆乳の味噌汁

昼飯 「ふじや」の雷ラーメン

晩飯 「華丸」の突き出しのマカロニサラダ「本日のサービス3点セット」のモツ煮焼き鯖豆腐ステーキオイキムチのサービス付き白菜漬けたこぶつ竹輪磯辺揚げ、芋焼酎「白金乃露」(お湯割り)

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