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おれは天國の住人なのか それとも地獄に堕ちる身なのか わからぬ
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば  この現物と引き替えに 天國は君にやるよ
Omar Khayyam

 2013.1031(木) 散髪

9月の下旬はなぜか忙しく、床屋へ行くどころではなかった。そして同月の29日に至ってようやく、チェンマイで髪と髭を短くすることができた。それから1ヶ月も経てば髪と髭はまた伸びる。そうして今週の月曜日に行きつけのカトー床屋へ行くと休みだった。

以降は東京へ出ることが多く「だったらいっそ甘木庵のちかくで」と、むかし通った店の電話番号をインターネットで調べたりもしたが、時間を捻出することはできなかった。

本日は夕刻になってようやくひと息をつくことができた。よって空席の状況を電話で確かめた上でカトー床屋に出かける。

チェンマイの床屋は、本業の客はそれほどでもないのか、店の外には様々なツアーのパンフレットを並べた旅行代理店も営んでいた。髪や髭を切ることにハサミは使わず、すべて櫛と電動バリカンを用いた。仕上がりの精密さは無論、日本の床屋には遠く及ばなかった。ただ耳の掃除だけが、驚倒すべき方法による、僕にとっては革新的なものだった。

次の散髪はいつになるか。12月は忙しくなること必定である。11月中に1回、そしてクリスマスの過ぎたころにもう1回できれば、こと髪と髭についての気分は上々だろう。


朝飯 納豆、ほうれん草のソテー、椎茸と玉葱のすき焼き風、豚薄切り肉と冬瓜の炊き物、「しいたけのたまり炊」、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 "Parrot"のハンバーグステーキとシーフードフライの盛り合わせランチ、コーヒー

晩飯 黒豆煮、豚薄切り肉と冬瓜とほうれん草の炊き物、「椎茸のたまり炊」の厚焼き玉子秋刀魚の塩焼き、「島田酒造」の「小富士超辛口」(冷や)

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 2013.1030(水) みぎひだり

日本では、クルマは左側通行と法律で決められ、また人は右側通行と教えられる。小学校の廊下などは、この交通規則を子供に覚え込ませるため、やはり右側通行になっていたのではなかったか。

しかし雑踏でふと我に返ってみれば、人々はほとんど本能に従うようにして左側を歩いている。この、人間の性癖に逆らわないようにして、かどうかは知らないが、駅構内の通路や階段は左側通行になっていることが多い。

午前、龍岡門から東京大学構内に足を踏み入れる。ほんの数週間前までは蝉のかしましかったケヤキの梢も、今は秋も後半の風に揺られてさざめくのみだ

甘木庵からもっとも近い喫茶店は東大病院内のドトールコーヒー、そして2番目に近いそれは同病院内のタリーズ、という気がする。そのタリーズを目指して入院棟の廊下を歩いて行けば、ここにもやはり「左側通行」の表示があった

僕は喫茶店でも飲み屋でも、知らない同士が相席をする式の大きなテーブルが好きだ。かといって別段、そのテーブルの人たちと交流をする意思はない。そのタリーズのテーブルで90分間ほども本を読み、鉄門から外へ抜ける。

鉄門を出ると左手には無縁坂に至る道がある。その向こう正面には東京スカイツリーが驚くほどの大きさで見える。もっともここからのスカイツリーは、押上と本郷の高度差の分だけ低い

夜は北千住で若干のカウンター活動をする。「ささや」の焼酎には「ひとり3杯まで」の縛りがあるという。しかし現実には店主の裁量による。「お客様でしたら、それ以上でもお飲みになれます」と当方は太鼓判を押されたが、4杯目はブドウ割りではなしにアールグレイハイにした。

そして23時前に帰宅する。


昼飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦わかめトッピング、ライス

晩飯 「ささや」のあれこれ、ブドウ割り、アールグレイハイ

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 2013.1029(火) 葱を食べたい夜もある。

先週の天気予報によれば、今週はおおむね晴れのはずだった。ところが今朝の予報は東京について「傘の手放せない一日となるでしょう」と言っている。よってあれこれ詰めたトートバッグに"mont bell"の折りたたみ傘も追加をして家を出る。

下今市駅07:04発の上り特急スペーシアに乗って、9時すこし前に地下鉄千代田線の湯島駅に達する。地上から駅構内に降りてくる人たちの様子を見れば、外ではどれほどの雨が降っているか、ということがおおよそ分かる。

"mont bell"のオレンジ色の傘をさして切り通し坂を登っていく。"TRIPPEN"の、きのうワックスを塗ったばかりのブーツが雨粒をはじいている。

朝日新聞時代の啄木は、尾張町からの市電を上野広小路で降りると、天神下から切り通し坂を登って本郷の山を越え、今度は真砂坂を降りて春日町まで歩いたという。甘木庵までの僕の歩行距離は、まぁ、その3分の1ほどのものだろう。

雨は夕刻に上がった。空を見上げれば雲の姿には再び雨を降らせそうな雰囲気もあったが傘を持つ気はしない。そして地下鉄丸ノ内線で池袋に出てカウンター活動をする。


朝飯 5種のおむすび大根のたまり浅漬け

昼飯 「甚八」のかけうどん、ささみ天

晩飯 「男体山」のあれやこれやそれや、金宮焼酎の緑茶割り

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 2013.1028(月) 秋の革靴

おととい天神下から雨の切り通し坂を上がっていくと、"RED WING"のブーツの甲に水が浸みた。よって今日は、その甲の部分にのみ防水クリームを塗ってみた。本来であれば全体に擦り込んだ方が良いのだろうが、昼休みの食事後にそこまではできない。

念のため革靴の置き場に行って、そのうちの何足かに触れてみると、"ALDEN"のコードバン以外はおしなべて乾き気味だった。それらすべてを手入れしているヒマは無い。明日に履く"TRIPPEN"のブーツ1足を抜き出し、栄養クリームを多めに与える。

年長の友人ヨコタジュードーから登山靴へのミンクオイルの塗り方を教えられて以来、何十年ものあいだ、靴へのクリームは布や道具は使わず指で塗っている。その方が、素人には革の状態が良く分かるのだ。

そして「靴の、分厚い革が水気を減らすくれぇなんだから、人の手足や顔の皮膚が乾燥するのは当たり前だわなぁ」と、妙な納得の仕方をする。

"TRIPPEN"のブーツは終業後、栄養クリームによる湿り気の残っているうちに、今度は粘度の高いワックスを塗る。そしてそれが白く固まらない程度に布で磨く。


朝飯 納豆、冷や奴、ニンジンとピーマンのソテー、薩摩揚げと冬菜の炊き物、メシ、揚げ湯波とエノキダケとオクラの味噌汁

昼飯 「玄蕎麦河童」のせいろ大盛り(田舎)蕎麦湯

晩飯 レタスと生ハムのサラダ鶏モモ肉のソテートマトソースパンあれこれ"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"

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 2013.1027(日) モノの紛失

自分のすべての持ち物にGPSが付いている。それを見失ったときにはコンピュータで検索をすれば、直ちにその現在位置が示される。そういう仕組みがあったら良いのに、と感じることがたびたびある。

「コインランドリー 鍵」でこの日記に検索をかけると、それは2011年1月のことと知れた。コインランドリーと自宅のあいだで見失った鍵が、翌日、洗濯物の中から発見されたときのことだ。ポケットに格納されていたはずの鍵が何故、洗濯物に混じるか。

先日も自宅の鍵が見当たらなくなった。焦燥するうち一昨年のことを思い出し、駄目で元々と、居間の籐椅子に載せられた洗濯物をどけると、鍵は果たしてそこにあった。

午後、ダイニングキッチンのテーブルに、あるはずの"RICOH CX5"の無いことに気付く。「そんなわけはない」と、心当たりの場所を探すが、どこにも見当たらない。念のため自分の寝た布団の中などを調べても、なお見つからない。そして自分の午前の行動を思い返してみる。

サイフ、携帯電話、"RICOH CX5"、そして鍵をズボンのポケットに入れ、昼前に甘木庵を出た。本郷三丁目の「小諸蕎麦」では、携帯電話と"RICOH CX5"は「こういうことをするからモノを失くすんだよな」と考えつつカウンター下の棚に置いた。しかし店を出るときには顔の位置を下げ、赤いケースに入れた"RICOH CX5"と黄色いiPhoneを目で見ながら取り出し、ポケットに入れた。

駅前の薬局「福太郎」では店員と話をしながら買い物をした。買い物袋を肩にかけ、ふたたび本郷三丁目の交差点に近づきつつ「ハッ」としてポケットを探ると、しかしサイフ、携帯電話、"RICOH CX5"、そして鍵はしっかりポケットに収まっていた。

どこにも寄らず甘木庵に帰り、袋の中のものを部屋の適所に置いた。そして和室に入って本を読み、しばらく後にダイニングキッチンに戻ったところ、テーブルの上にはサイフ、携帯電話、そして鍵はあるのに"RICOH CX5"だけが見当たらなかった、というわけだ。

2011年1月や先日の鍵のように、"RICOH CX5"もそのうちどこかから不意に出てくるのだろうか。それを期待しつつ、すっかり軽くなったデイパックを背負って湯島の切り通し坂を下る。


昼飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦わかめトッピング、ライス

晩飯 マカロニサラダ、ハンバーグステーキ、"Cono Sur Merlot 2006"、"Chez Akabane"の杏仁豆腐

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 2013.1026(土) 雲の様子

所用にて、いつもより早めの朝飯を摂り、07:04発の上り特急スペーシアに乗るべく下今市駅へ行く。台風27号の余韻はいまだ消えていない。よってこの始発が運行されるかどうかを心配したが、今朝のダイヤに乱れは無かった。

あれこれ詰め込んだ"GREGORY"の"DAY PACK"を背負って湯島の切り通し坂を上がる。そして9時5分に甘木庵に入り、そのまま昼まであれやこれやする。

本富士警察署はす向かいの「神勢。」については、ここできたときから、ラーメンにも店の人にも好感を覚えてきた。しかし、なぜかいつも空いている。そして今日の昼も客は僕を含めて4人のみだった。この店に行列ができないのは、本郷七不思議のひとつだ。

「神勢。」からは甘木庵に直帰せず、誰が入院しているわけでも治療を受けているわけでもないけれど、通称東大病院、正確には東京大学医学部付属病院のドトールコーヒーにて90分間ほども本を読む。甘木庵から最もちかいところにある喫茶店は、ことによるとここかも知れない

「もつ焼きじんちゃん」でのカウンター活動を終え、本郷の裏道を歩きながら空を見上げると、午後まで雨を降らせ続けていた雲は、いつの間にか薄く千切れ始めていた。予報によれば、明日は久しぶりに晴れるらしい


朝飯 きのうのキムチ鍋によるぶっかけ飯

昼飯 「神勢。」の鶏塩ラーメン

晩飯 「モツ焼きじんちゃん」のあれこれ、梅割り焼酎

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 2013.1025(金) "JUST A MAESTRO"

お客様に商品その他についてお知らせする媒体は、それをご覧いただく時期、場所、状況、また何よりその内容により、いろいろなものをご用意している。きのうと今日は、ギフト時期にお送りするうちのひとつで、僕の「ひとこと」と署名を万年筆で入れ、更に「上澤」のハンコを捺すものを作成している。

広い机を必要とするこの仕事は、普段は事務室の大テーブルで行う。しかし現在その空間は、事務係による他の仕事に使われている。よって僕は4階の居間に上がった。

居間には僕ひとりしかいない。雨風の音よりは音楽を聴きたい。そう考えて、サラ・ボーン、リー・コニッツ、リー・モーガンと進むうち、仕事の完了が見えてきた。「最後に何か」と、平たく積み重ねたCDからあれこれ探すうち、しばらく忘れていた黒い紙ジャケットが目に付いた

その、2008年春に青山スパイラルビルで一目惚れならぬ一聴惚れして手に入れた"JUST A MAESTRO"に負けない勢いを以て、最後の1枚に捺印をする


朝飯 納豆、芥子菜のおしたし、牛蒡と人参のきんぴら、なめこのたまり炊のスクランブルドエッグ、メシ、油揚げと小松菜の味噌汁

昼飯 チャーハン

晩飯 大根のたまり浅漬けキムチ鍋、芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)、小江戸ビール

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 2013.1024(木) 了解事項

良い鮨屋なのに酒が不味いとか、優れたステーキ屋なのにワインの選定がまったく駄目とか、蕎麦と天ぷらは一流なのになめこおろしには大疑問、というような店がある。3番目の蕎麦屋の席に着いてなめこおろしで日本酒を飲みながら「このなめこがウチのなめこならな」と嘆息した行為を手前味噌とそしられても、その店のなめこの情けなさは本当のことことだから仕方がない。

恵比須大黒に供えた鏡餅は、鄙にはは希な和菓子屋「久埜」のそれだから上等に決まっている。これを素焼きにし、ウチの「なめこのたまり炊」と、このところ農協の直売所でみるみる太く大きくなってきた大根のおろしによるなめこおろしを添えて朝飯とする。

「なめこのたまり炊」は開栓すると、10℃以下で保存をしても3週間目にはカビが出る。よって惜しまず2週間ほどで食べきらなくてはならない。

勿体ない使い方かも知れないが「なめこのたまり炊」を混ぜ込んだスクランブルドエッグは大層、美味い。明朝のおかずをそれにしようとは、まぁ、暗黙の了解のようなものである。


朝飯 なめこおろし、焼き餅、きのうのお雑煮の汁

昼飯 きつね蕎麦

晩飯 "COCO'S"のシーザーズサラダ、半熟玉子とベーコンのドリア、カラフの赤ワイン

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 2013.1023(水) サービスセンター

展示品だった過去を持つ"RICOH CX5"をウェブ上に見つけて購入したのは8月28日のことだった。8月31日に配達されたそれに異変を感じたのは今月2日。場所はバンコクのウォンウェンヤイ。チムジュムを食べている最中のことだった。

雨降る路上で傘に守られながらあたりの風景を撮っていると、カメラにやおら「メモリー容量不足です」のエラーメッセージが現れた。これはカメラにSDを入れ忘れ、画像が内蔵メモリーに保存され続けた挙げ句のことと決まっている。

そこでカメラの底の蓋を開くと、しかしSDはしっかり収まっていた。あれこれ調べるうち、撮影した画像がSDではなく内蔵メモリーに記録されてしまう故障と気付いた。

リコー製カメラの故障には慣れているから、今月16日は下今市駅からいつもより1本早いスペーシアに乗った。そして「リコーのサービスセンターは、銀座と新橋、どちらから歩いた方が近いかな」と、当該のウェブページを見ると、しかしそこには

「この度、リコー銀座カメラサービスセンター(旧称)は2013年5月7日(火)より、下記住所へ移転いたしました。」

との但し書きと共に「板橋区舟渡」という目にも耳にも馴染みの無い地名があった。最寄りの駅は埼京線の浮間舟戸。この名も僕には初耳である。

何年か前のこと、シャープのポケットコンピュータ"PC-1262"に気がかりな現象が現れたとき、サービスセンターの場所を検索したら「北区田端」と出た。これまた"service"の"center"としてはどうなの、という場所である。

ソニーやオリンパスのサービスセンターは東京の中心にある。秋葉原の「LUMIX & Let'snote修理工房」は、パナソニック製のカメラやコンピュータを使う者にとっては涙が出るほど有り難い"service"だ。

浮間舟戸には、いつもより1本早い上り特急に乗るくらいでは、受付終了までにたどり着けない。"RICOH CX5"の修理については、捲土重来を期すこととなった。


朝飯 納豆、ハムエッグ、プチトマトのソテー、すぐき、肉団子と小松菜の炊き物、メシ、けんちん汁

昼飯 お雑煮

晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴あれこれ天ぷら盛り合わせ鴨せいろ蕎麦

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 2013.1022(火) ふたつ利口に

iPhoneによるデザリングは、コンピュータとの仲立ちにコードを使えば通信速度も高く、またiPhoneにはコンピュータから電力が供給されるから、これに如くはない。しかしコードを事務机に置き忘れたりすれば、wifiによるそれも必要になる。

9月20日にiPhone5cを手に入れた当初こそ簡単に行えていたwifiによるデザリングだが、このところはコンピュータ側がiPhoneを認識せず、苦労の末に繋がったとしても、コンピュータ側ではiPhoneを、漢字交じりの化けた文字で現すようになってしまった

よってこの現象をfacebookで報告したところ、デバイスの名をアルファベットに直せば問題は解決するとの情報が早速、イチカワアイさんから届いた。しかしそうは言われても、それはどのようにして行うのか、ということを僕は知らない。

それを述べると、イチカワさんはまたまた知識を授けてくれたから、その手順を踏んでiPhoneの「設定」を奥へと進んでいく。デバイスの名は果たして「上澤卓哉のiPhone」となっていた。先ずはこれを「iPhone」と、そっけないものに書き換える。

もっともここを書き換えても、wifiによる接続では、コンピュータはiPhoneを認識してくれない。よっていつものように外注SEのシバタサトシさんに助けを求めると、シバタさんはすぐに来てくれた。そしてシバタさんはまるで魔法か手品のように、僕のiPhoneとコンピュータをほとんど一瞬のうちにwifiで繋げてしまった。

コンピュータがwifi経由でiPhoneを認識しないときには、iPhoneの「インターネット共有」を一旦オフにする。それが本日、シバタさんから得た知識である。

「ひとつ利口になった」ということばを昔の人は良く口にした。その伝で行けば僕は今日は「ふたつ利口になった」わけで、大いに有り難い。


朝飯 厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、トマトのスクランブルドエッグ、焼きたらこ、納豆、すぐき、メシ、けんちん汁

昼飯 ペンネミートソース

晩飯 白菜と肉団子と春雨の鍋芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)

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 2013.1021(月) 環境

下町にあこがれた荷風は新宿余丁町の邸宅を出て築地に仮寓を構えたが、およそ1年で根を上げ、元の家に逃げ戻ったという。人なつこい住民がやたらと訪ね来て気分は落ち着かず、仕事もできないというのがその理由だった。

僕の場合、人が訪ねて来なくては商売にならないわけだが、商売には関係のない来客や電話も多く、そのような環境では精密な作業はできかねる。そういう次第にて今日は朝から隠居に籠もろうとしたが、商売には関係のない来客や電話に阻まれ、なかなか会社を抜けられない。

10時30分を過ぎてようやく、仕事の手順を印刷した紙、2色ボールペン、青のフェルトペン、黄色の蛍光マーカー、そしてコンピュータをトートバッグに入れて隠居の柴折り戸を開く。そして奥の八畳にて晴れた庭を前に75分間ほども集中し、何としても本日の午前中に仕上げなければならなかったことを完了させる

大仕事を済ませたなら、すぐ次の仕事に移れば良いようなものだが、それのできかねるところが僕の欠点である。みずからに仕事を詰め込む、ということができない。そして製造現場と包装現場を回り、店舗の手伝いなどしながら夕刻を迎える。


朝飯 ほうれん草のソテー、納豆、大根と人参のなます、鰈の煮付け、メシ、けんちん汁

昼飯 厚焼き玉子、茹でたブロッコリー、焼きたらこ、メシ、けんちん汁

晩飯 「大昌園」のあれやこれや、麦焼酎「田苑」(お湯割り)

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 2013.1020(日) おまつり3つ

「今市屋台まつり」においては、当方は春日町1丁目の会計係として金銭の出納を行っていれば済む。しかし屋台の準備と曳航をする現場の人、またその現場の人の昼食から直会までを整える大膳は、ただでさえ大変な仕事が雨により更に厳しいものになった。

元気いっぱいの若い衆はともかくとして、着物に紋付きの役員などは高齢者ばかりにて、肺炎などにならなければ良いがと、当方は日光街道に立って、その行列をただ見遣るばかりである

各町内の屋台が参集してお囃子の競演が行われる沿道では、また地元産品を売る店や、楽器演奏などのステージが設けられ、カーニバルが開かれている。そこにウチは、たまり漬にした牛串を炭で焼く屋台を出した。

この串焼きが中々の人気にて「美味しいって聞いたから」などという、噂を聞きつけて来て下さった方もかなりあり、とても嬉しかった。また本日出勤の社員も、計100本ちかくの持ち帰りの注文をくれ、これも有り難かった。

「今市屋台まつり」が無事に完了するころ、家内は自宅で恵比須講の用意をしていた。農家では五穀豊穣を、漁業の家では豊漁を、そして商家では商売繁盛を祈る恵比須講を、我が家では毎年、新暦の10月20日に執り行っている。旧暦に従うのが正式のような気もするが、その時期はお歳暮シーズンで忙しいのだ。

そして恵比寿大黒にお供えしたものとほぼおなじ、現代の食事からすれば身の清められそうなあれこれを晩飯とし、しかし焼酎だけはしっかり摂取する。


朝飯 納豆、鯵の干物、茄子の味噌炒り、揚げ湯波と小松菜の甘辛煮、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 3種のおむすび、厚焼き玉子

晩飯 大根と人参のなます、ほうれん草の胡麻和え、黒豆煮、鰈の煮付け、けんちん汁、牛肉のたまり漬の炭火焼き、芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)、「久埜」の秋のお菓子

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 2013.1019(土) 本を減らす

「処分したい本が、かなりあるのですが」と、先日ブックオフを訪ねて係の人に告げると「本棚でいくつくらいでしょう、1,000冊くらいですか」と訊かれたから「そこまではないと思います」と答え、引き取り日は後で連絡すると言われて帰宅した。

その、ブックオフの人がふたりで本日午後に来る。おばあちゃんの応接間に用意した、不要の本が何冊あるのか僕は数えていない。結局のところ、ブックオフの人が持ち帰ったのは205冊。その対価は5,860円だった。

変形した本、カバーの無い本は引き取ってくれなかった。新品同様のビジネス書も同様で、これは少しく意外だった。おばあちゃんの遺した「真田太平記」の文庫本全巻も残置されたのは、ページが焼けていたためかも知れない。

10年ほど前に僕の本棚からはみ出して、社員休憩室ちかくの棚に移した数百冊については、来月ふたたび引き取りを頼む。本日、ブックオフの人と共に検分した限りでは、カバー付きの単行本の多いこちらの方が高く処分できそうな気がする。

それとは別に、納戸の奥から出てきた本居宣長の「古事記伝」の再稿本の更にその写しとか、あるいは「平田篤胤研究」だのは、神保町で引き取り手を探す。これを欲しいと考える店があれば幸いである。


朝飯 鶏卵雑炊、ほぐし塩鮭、焼きたらこ、すぐき

昼飯 カレー炒飯、チーズトースト、コーヒー

晩飯 大根と豚三枚肉の煮物、揚げ湯波と小松菜の甘辛煮、湯豆腐ノドグロの塩焼き牛肉のたまり漬の網焼き、「島田酒造」の「小富士超辛口」(冷や)

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 2013.1018(金) 決まりごと

日光の山々を取り巻く雲がいつになく珍しい形をしているのは、台風の置きみやげなのだろうか。日光湯元の今朝の気温は0℃、そして前白根山では初冠雪があったという。

コンピュータのスケデュール管理に「金太郎温泉」で検索をかけると、それは1993年9月27日のことと知れた。社員旅行でおもむいた北陸の温泉で、僕は宴会の席に着いてかかとのアカギレを触っていた。

その1993年にくらべれば今年の僕のかかとは随分と我慢をして、今朝はじめてアカギレになった。やがては訪れるであろう手指のアカギレも含めて、一体全体、ことしは何枚のバンドエイドを使うことになるだろう

それはさておき、9月の末からだったか10月のはじめからだったかは忘れたが、家の中を急速に片付けている。

居間の、違い棚の下に置き放った"Macintosh IIsi"は、電源を繋いでいないから、いまだ動くかどうか分からない。ディスプレイの向かって右側には、次男による落書きがある。このコンピュータは今の僕には不必要にて、家まで取りに来てくれる人がいれば譲りたい

服についても、整理を本格的に始めれば「清潔かつ瑕疵は無いながら、もう身につけることはない」と考えられるものが相当に出てくるだろう。

今夏、不要な服を"RIMOWA"の巨大なスーツケースに収めてカトマンドゥへ運び、最終日にメイドへの書き置きを添えて部屋に残した。「そういう行いは親切そうに見えて実は良くないこと」という意見もある。とはいえ僕は来年も、同様のことを繰り返すかも知れない。

1着を買ったら1着を手放す。1足を買ったら1足を手放す。この原則を守れば服や靴は増えない。それをこれからの決まりごととしたい。


朝飯 チャプチェ、鯵の干物、納豆、茄子とピーマンの味噌炒り、すぐき、メシ、豆腐と揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮蕎麦

晩飯 「食堂ニジコ」のあれやこれやそれや、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)

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 2013.1017(木) 始業時間

その季節がインドにおける冬に当たれば、僕には半袖半ズボンでちょうど良い気温でも、インド人たちはコートを着て襟巻きを巻いている。

上半身には白い半袖Tシャツ1枚を身につけて、朝7時すぎに甘木庵を出る。春日通りを本郷三丁目へ向かう道すがら、僕とすれ違う人たちはウールの分厚いカーディガンなど、概ね「秋ふかし」という服装で歩いている。彼らの格好は自分の体感によるものではなく「今日から急に寒くなる」との、テレビのニュースに影響されてのものかも知れない。

甘木庵から恵比寿の"Vector H"に来るときには、社長のヒラダテマサヤさんにいつも無理を言って、始業を90分も早めてもらう。それはひとえに、仕事は早い時間に始めて夕方は早くに上がりたいという、僕の我が儘による

本日"Vector H"ですべきことは多い。いつもとおなじく、僕の手に負えないことはヒラダテさんに頼み、僕でもできることは僕がする。絶対矛盾的自己撞着的な物言いながら、会社以外の場所に身を置くと、僕の仕事の能率は異常に上がる。それは、電話も来客も無いからに他ならない

朝の抜けるような青空には、午後から夕方にかけて雲が広がっていった。満月に近い月が、その雲を透かして見え隠れしている。まるで休日のビジネス街のように、通りには人もクルマも少ない。そうしてカウンター活動をしながら帰路につく。


朝飯 生のトマト、目玉焼き、もずく酢、2種のおむすび、フリーズドライ味噌汁"with LOVE"、柿

昼飯 「タンドゥール」の茄子とチキンのカレー、ライス、ミルクティー

晩飯 「加賀屋北千住店」のあれやこれや、チューハイ

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 2013.1016(水) 台風過ぐ

日光市今市地区は、昭和24年の今市地震を除けば、災害にはそれほど縁の無い土地だ。「10年に1度」とテレビが警戒を呼びかけている台風26号も、昨夜来の雨は、そう大したものでもなかった。しかし風は強い。ノレンは屋内に仕舞ったまま、また花は犬走りの奥に並べて今朝は店を開けた

午前中はほぼ開店休業なのではないか、東京の会社などは昼からの出勤が多いから電話もかからないのではないかと踏んで4階へ上がり、このところ大幅にその量を減らそうと考えている、本の整理をする

風は午前のうちに収まり、空には晴れ間さえ見え始めた。東武日光線の、上下20本が運休と伝えられていた特急も復旧したらしい。そして下今市駅15:05発のスペーシアに乗る

夕刻からは有楽町、新橋、銀座と移動をして、自由学園男子部38回生のムラヤマムツミ君、同69回生のミヤモトユータ君と夕食を共にする


朝飯 すぐきを薬味にした納豆、チャプチェ、刻み塩鮭、目玉焼き、プチトマトのソテー、昆布のチャンプルー、メシ、豆腐とワカメと三つ葉の味噌汁

昼飯 炒飯

晩飯 「力」のあれこれ麦焼酎「吉四六」(お湯割り)

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 2013.1015(火) 1台体制

数日続いた秋晴れが、今朝からはさすがに雨に変わった。聞くところによれば南方海上には大きな台風があって、これが異例の高い速度を以て列島に近づきつつあるのだという。

ホンダフィットは継続検査に臨んで、タシロジュンイチさんの工房で整備を受けている。よって三菱デリカの運転席に収まり、雨の中に出ていく。行き先のすべてを記憶できるとは考えない方が良い。そしてメモにした自分の用事はセロファンテープでダッシュボードに貼る。

先ずは郵便局で通帳記入をする。下今市駅に立ち寄って明日の上り特急スペーシアの切符を買う。ブックオフではこれから大整理をしようとしている本の引き取りを頼み、最後にソフトバンクに回る。そしてここでiPhone4sを解約する

ソフトバンクとは、2010年の初夏以来の付き合いだった。僕は携帯電話は一貫してdocomoをキャリアとしていた。iPhoneはSoftBankを供給元と決めたから、そのころtwitterのフォロワーを増やそうとしていた僕は仕方なくSoftBankと契約をした。

この秋になってようやくdocomoがiPhoneの取り扱いを始めた。そうなればiPhoneのために2台の携帯電話を持つ理由は無い。

本日を以て、僕の携帯電話は、元の1台体制に戻った。iPhoneのデザリング機能は優秀だ。NOKIA、iPhone、そしてdocomoの通信端末と、3台もの通信機を持ち歩いた日々よさらば、である。気分は大いに良い。


朝飯 大根おろし、揚げ湯波と小松菜の炊き物、すぐき、納豆、ソーセージとピーマンのソテー、ほぐし塩鮭、メシ、揚げ湯波と大根と三つ葉の味噌汁

昼飯 カレー南蛮うどん

晩飯 胡瓜のナムル風、チャプチェ、焼き餃子、「指宿酒造」の芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)

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 2013.1014(月) 温め酒

連休は3日目も秋晴れに恵まれた。居間の、南西に向いた窓からは鶏鳴山が亭々と、否、「亭々と」という形容動詞は山に対して使うには適しない。とにかく早朝の、いまだ色の薄い空の下に緑の山の穏やかに佇んでいる様は大いに悪くない

おとといの東京は暑かった。真夏であれば大したこともない気温であっても、10月にいきなり30℃ちかい暑熱に見舞われると、いささか戸惑うものがある。ここ日光でも、いまだ吐く息の白くなることはない。とはいえ夜に冷たい酒を飲む気には、僕に限ったことかも知れないが、最早ならない。

日光の地野菜を、朝に「たまり」で浅漬けにする「たまり浅漬け」のお勧め文句は数ヶ月のあいだ「つめたーいビールに」としてきた。それが今朝からは「あたたかいお酒に」に変わった

夏は諸物が賑やかなこともあって、秋はどうにも寂しい。しかし秋の、涼しさよりも寒さに傾いた夜に温め酒を飲む気分には格別のものがある。BGMはブルー・ミッチェルの"I'll Close My Eyes"で決まりだ。


朝飯 目玉焼き、筑前煮、みょうがのたまり漬、納豆、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 "Parrot"のクラブハウスサンドイッチ、コーヒー

晩飯 カレー南蛮鍋、「指宿酒造」の芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)

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 2013.1013(日) "Better than new"

きのうの夜は翌早朝の仕事を控え、まぁ、大抵は自然に目が覚めるけれども念のため目覚ましをセットした。docomoのiPhone5cはおととい壊して使い物にならない。アラームにはSoftBankのiPhone4sを使った。

9月の天気は平日に晴れて週末に台風が来るなど、不運がいくつか重なった。しかし10月はいまのところ快調にて、日光の頭上には早朝から青空が広がった

昼すぎに外注SEのシバタサトシさんが来社をする。そして前述のように、おととい僕が壊したiPhone5cを調べ、あれこれ再設定をしてくれる。

iPhone4sの、件数もまばらなものが上書きされてしまった電話帳については、幸いにも捨てていなかったNOKIA"NM706i"を持ってdocomo shopへ行き、ここからシバタさんがiPhone5cに再構築をした。

iPhone5cを購入した際NOKIAから移したときにはフリガナ順に並ばなかった電話帳が、今回は50音順に並んで、黄色い5cは「復活した」というよりも"Better than new"の状態になった。とても嬉しい

今後、iPhoneとコンピュータを繋いだ際に「バックアップはとりますか?」などとコンピュータが訊いてきても、一切、無視することにしよう。あるいはそのような、目に煩わしい情報がポップアップしないよう、設定することにしよう。情報などは、欲しいものだけをこちらから取りに行けば良いのだ。


朝飯 パンあれこれ、スクランブルドエッグ、茹でたハム、トマトとレタスのサラダ、バナナとヨーグルト、コーヒー

昼飯 「ふじや」の野菜麺

晩飯 豆腐のチャンプルー、ししゃもの網焼き、筑前煮、鱧鮨、芋焼酎「三岳」(お湯割り)

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 2013.1012(土) 秋晴れ

目を覚ましたときの気分は、かなりすっきりしたものだった。しかし普段とくらべれば、いまだ快調というわけにはいかない。

きのう処方された新しい抗生剤は、きのうの昼の次は今日の夜に飲むよう指定されていた。それを早くも朝飯の後に飲む。それが効いたか昼前には、自分が風邪に罹っていることを忘れてしまうほどの体調を取り戻す。

空は晴れ上がり、いかにも紫外線を多く含んでいそうな陽光が地上に照りつけている。炎天下、プールサイドにいると肩と禿げ頭が特に焼ける。その夏の教訓を忘れて帽子をかぶらないまま数時間も戸外にいて、頭皮に痛みを覚えるほどになる。

16時より同級生オギノヒロツグ君の家へ行く。そこで上級生や同級生の十数人が、アキコさんに晩ごはんをご馳走になる。19時すぎには会合を終えた家内も立ち寄り、またまたご馳走になる。

北千住駅21:13発の下り最終スペーシアに乗り、23時前に帰宅する。東京の日中とは打って変わって日光の夜気は冷たく、星はまるで冬のそれのように、濃紺の空に青白く際立って見えた。


朝飯 八宝菜、焼売、メシ、柿

昼飯 お弁当其の一其の二其の三其の四豚汁

晩飯 オギノヒロツグ君の家の牡蠣のオイル漬けサラダ其の一其の二しめ鯖ビーフシチューかけごはん、フランスの白ワイン(2種)

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 2013.1011(金) 下がった熱がまた上がる

自分では、からだは丈夫な方だと認識をしているだけに、たまに調子を崩すと、どうにも面白くない。

きのうの午後に発熱を確認し、解熱剤を飲んで晩飯は美味く食べられた。しかし夜半にふたたび熱の上がっていることを実感しながら目を覚ます。きのうは無かった喉の痛みも伴っている。

解熱剤や、それを飲むためのポカリスエットを用意した、隣の居間まで行く決心がなかなかつかない。「そういうときの熱とは果たして、どれほどのものだろう」と考えつつ熱を計ると38℃だった。

ようよう起きて解熱剤を飲み、水分を補給してふたたび横になると、こんどは足元が暖かさを通り越して暑くなってくる。「熱が下がり始めたということだろうか」と脇の下に体温計を突っ込み、しばらく待つと、しかし体温は38.4℃に上がっていた。

しばらくすると額に汗をかき始めた。こうなると何やら面白くなってきて「だったら今の体温は…」と、みたび手を伸ばした体温計による結果は36.9℃だった。

夜が明け、朝飯は普通に食べ、9時30分に、一昨日に続いてセキネ耳鼻科へ行く。「ガツンと効く注射を打ってください」と頼む僕を抑えて先生は、一昨日のものよりも強い抗生剤を処方してくれた。

一昨日のクラリシッド錠200mgは、僕の今回の病状には効かなかった。しかし今日のグレースビット錠50mgは効力を発揮したらしく、午後には随分と楽になった。よって居間できのうの日記を書き、iPhoneのデザリング機能によりサーバにアップする。

そのままiPhoneとコンピュータを繋いであれこれするうち、コンピュータの画面に 「バックアップはとりますか?」と表示が出た。そのポップアップには同時に「以前のiPhone」と「今のiPhone」を選ぶようになっていたので「バックアップは大切だわな。バックアップというなら、昔の分からすべてするのが常道だわな」と「以前のiPhone」を選んで「はい」をクリックした。

するとあろうことか、docomoの新しいiPhoneに、いまだ解約していないSoftBankのiPhoneの中身がバックアップされてしまった。それに気付いた途端、下がったはずの熱が急にまた上がったことを実感する。

docomoのiPhoneは、すべての機能が死んだからデザリングどころではない。Let's noteを持って事務室へ降り、外注SEのシバタサトシさんにfacebook経由で助けを求める。シバタさんからは即、了解した旨の返事が戻った。

僕はコンピュータの初期化だの設定だのソフトのインストールだのについては、からっきし弱い。だからそのようなことはすべてSE任せにしている。今回はiPhoneを軽く見たのが悪かった。

「ウワサワさん、コンピュータなんて滅多にぶっ壊れないんですから、どんどん触ってください。壊れたら治せば良いだけです」と、むかしのSEマエザワマコトさんに言われたことがある。まぁ、それはそうなのかも知れないが、治るまで使えない、というところが困る。

家内と長男との外食の後、下今市駅から19:53発の上り最終スペーシアに乗る。湯島の天神下には、駐輪中の自転車を将棋倒しにするほどの風が吹いていた。きのうに引き続き風呂は遠慮しようと考えていたが、生暖かい夜気に汗をかいたため、熱いシャワーを浴びて22時30分に就寝する。


朝飯 温かい稲庭うどん

昼飯 「結庵」の2種のおむすび

晩飯 「コスモス」の具だくさんのサラダ鶏モモ肉のグリルデミグラスソース、ライス、コーヒー

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 2013.1010(木) 習慣性

統計上、もっとも晴れる確率の高い日として、東京オリンピックの開会日は10月10日と定められたとは、本当の話だろうか。オリンピックともなれば、天気よりも他の思惑により日程が決められるような気もするが、どうだろう。そして今朝の空は真っ青に晴れ上がった

「気管支のあたりからからだ中に熱の広がるような気が」すると、きのうの日記に書いた。処方された薬は飲んでいるものの、どうにも調子が悪い。15時に熱を計ると38℃もあった。

よって事務係のタカハシカナエさんには僕に電話がかかっても内線で呼び出さないようメモを渡し、ことし2月20日に喉を腫らしてセキネ耳鼻科で処方されながら1錠も使わなかった鎮痛解熱剤を飲んで寝る。

目を覚まして枕頭のiPhoneを見ると時刻は17時30分だった。冬でもないのに外は既にして真っ暗にちかい。熱は見事に下がっている。それから2時間後、さすがに飲酒は避けて普通の夕食を摂る。

冷や奴などをおかずに米のメシを食べて「酒なんかより米の方が明らかに美味いよなぁ」と、米についてのいつもながらの感懐を覚える。それではなぜ僕は普段は米のメシを避けて酒を飲むか。正にアルコールの習慣性、ということなのだろう。


朝飯 茄子の味噌炒り、ほうれん草の胡麻和え、納豆、紫蘇のみのたまり漬、スペイン風目玉焼き、メシ、ワカメと白菜と万能葱の味噌汁

昼飯 稲庭うどん(盛り)

晩飯 冷や奴、ほうれん草の胡麻和え、鶏つくね団子の甘辛煮、メシ、栗の甘煮、包装係アオキマチコさんの庭になったアフリカンキューカンバー

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 2013.1009(水) 柿と栗

きのうの夕刻に山手線の中で背中のかゆみに気付いた。その場では腕を後ろに回し、シャツの内側に手を入れて背中を掻くわけにもいかず、そのうちかゆみも忘れた。

そして夜に帰宅してやおら、数時間前のことを思い出してシャツを脱ぎ、洗面所の鏡に背中を向けてみると、十数ヶ所ほども虫に刺されている。

「山手線に虫なんかいるのかな」と居間に戻って訊くと「電車じゃないわよ、この前も甘木庵に泊まって帰ってきたら、背中がそんな風だったじゃない」と家内に教えられた。

この日記を遡ってみれば、前に甘木庵に泊まったのは、9月12日から14日までのことと知れた。そういえばその虫刺されの傷も癒えないまま、僕は27日に羽田空港へと向かったのだった。とすれば甘木庵の僕の寝室にはバルサンでも焚かなくてはならない。

それはさておき7日の月曜日あたりから咳が出始めた。痰を伴う咳で気管支が重い。その気管支のあたりからからだ中に熱の広がるような気がして、朝のうちにセキネ耳鼻科へ行く。セキネ先生は、確固とした信念によるものだろうけれど、強い薬を処方しない。そしてその処方による薬をハセガワ薬局で手に入れ帰宅する。

10時30分より若い男性5人による片付け業者が来て、午後3時までに、僕の居住範囲内にある家具の4分の3ほどを処分あるいは片付けた。何十年、物によっては100年以上も前の家具の中で「これだけは身近に置こう」と考えていたのは、おばあちゃんが長いあいだ仕事に使ってきた長机だ。

この机は僕は物心ついたときから眺めてきたが、その正面に釘で留めてある 「和洋家具製作販売 黒須家具店 今市町相生町」という金属プレートには、今日になって初めて気付いた。相生町はウチから歩いて1、2分の町内である。しかし黒須家具店というお店を僕は知らない。

なにはともあれこの、畳よりも大きな机は、これからも長く大切に使って行こうと思う


朝飯 ピーマンのソテー、ベーコンエッグ、野沢菜、トマトとレタスのサラダ、鰯の煮付け、メシ、豆腐と揚げ湯波とほうれん草の味噌汁

昼飯 サンドイッチ、コーヒー

晩飯 鶏肉と豚肉の合い挽き団子鍋栗の甘煮、芋焼酎「三岳」(お湯割り)

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 2013.1008(火) 早くに始めて早めに仕上げる仕事

7時になるかならないかのうちに甘木庵を出る。三原堂のショーウインドウは栗とハロウィンのカボチャ。甘木庵で果物とヨーグルトを腹に入れたら朝飯を外食する必要がなくなった。その結果として恵比寿には8時より随分と前に着く

「今日も外で待つのだろうか」と考えつつ"Vector H"の呼び鈴を押すと、しかしヒラダテマサヤさんは既にして出社していた。玄関にはヒラダテさんが自宅から乗ってきた自転車が置いてある。ヒラダテさんにはこの日、定時より90分早い出社を要請していたのだ。

そうして夕刻まで根を詰め、浜松町あたりでカウンター活動をしようと、ヒラダテさんと山手線に乗ったところで、親戚の葬儀に参列をしていた家内から電話が入る。

結局のところ、浜松町における酒飲みは中止をした。山手線を有楽町で降り、5丁目で家内と待ち合わせてヒラダテさんとの3人で晩飯を食べる。

今夕は始動が早かったため、メシをゆっくり摂っても浅草19:00発の下り特急スペーシアに間に合った

東京は高気温との予報を信じて、僕は上半身には半袖のTシャツしか着ていない。下今市駅で下車すれば外気はさぞかし涼しすぎるだろうと覚悟していたが、案に相違して日光の気温もそれほど低くはなかった。

そして21時すこし前に帰宅し、入浴して即、就寝する。


朝飯 柿、梨、ヨーグルト

昼飯 「つるまる」の牛すじわかめうどん、昆布のおむすび

晩飯 「鳥ぎん」のあれやこれや五目釜飯鳥スープサッポロハーフ&ハーフ、麦焼酎(オンザロックス)

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 2013.1007(月) 必要充分

今日はオフクロを北千住まで同伴するため、いつもの下今市駅ではなく、それより数百メートル日光寄りの上今市駅から11:31発の快速に乗る。そして下今市駅で11:35発の上り特急スペーシアに乗り換える。こうすれば、跨線橋の階段を上り下りしなくても済むのだ。

iPhone、否、スマートフォンならどれでも可能なのだろうけれど、これらの持つデザリング機能は、余分な端末を持たずに済むところが極めて気持ち良い。ただしwifiによる無線接続は、iPhoneとコンピュータの位置を微妙に調整する必要がある。そして僕は最近は、iPhoneとコンピュータを無精がらずにコードで繋ぐことにしてる。サーヴァを一新したこともあり、日記の更新も高速で行えるようになった

オフクロは北千住で降りたが、僕は終点の浅草まで行く。そして神田と大井町を経由して湯島に至る。

天神下でのカウンター活動を終えて切り通し坂を上がっていくと、大昔は岩崎の屋敷、すこし前は司法研修所、そして今は何だか知らないが、その入口左側に新しい店ができている。「へぇ、良さそうなところじゃねぇか」と考えつつ、しかし今夜の僕の酒量は既にして必要充分に達している

甘木庵には20時台に帰着した。そしてシャワーを浴び水を飲んで即、就寝する。


朝飯 モロッコ隠元のソテー、トマトのスクランブルドエッグ、ほうれん草の胡麻和え、鯵の干物、納豆、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 「ドトールコーヒー」のジャーマンドック、コーヒー

晩飯 「シンスケ」のあれこれ、麦焼酎「吉四六」(オンザロックス)、両関大吟醸(冷や)

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 2013.1006(日) 言語上の決まり

日光のあちらこちらを定点観察している人のfacebookが、竜頭の滝ちかくの、紅葉の始まりを伝えている。紅葉狩りに来る観光客のためにも、また当方の商売のためにも、これからの週末は特に晴天であって欲しい。今朝の日光の空は、晴れたかと思えばまた曇り、ということを繰り返している

店舗前の花が、僕がタイへ行っているあいだにインパチェンスからベゴニアに変わっている。秋の彼岸を過ぎ10月を迎え、店舗入口の書は「鬼灯」から「秋惜」へと掛けかえられている。朝晩などは、半袖の上に長袖のシャツを重ねないと寒さを覚えるようになった。

いつの頃からかは知らないが、「体育の日」はむかしの10月10日から、今はさまよえる湖のように、10月上旬の週初だか週末を年ごとに飛び回るようになった。「体育の日」を含む連休は、今年は来週末に訪れる。日光の紅葉は、そのころから一気に進むような気がする。

「なんで20はソンシップじゃなくてイーシップなんだ?」と訊いたら「日本にだって、そんな言語上の決まりは山ほどあるじゃねぇか」と現地在住のコモトリ君に返された。ことし7月のことだ。

そう言われてみればこの日記も1行目の「紅葉」は「こうよう」、2行目の「紅葉」は「もみじ」だ。「タイ語より日本語の方が、やっぱり複雑だな」と思えば、そんなこともない。「午前何時、午後何時」を現すタイ語などは日本語よりもよほど難しく、僕はいまだに理解できないでいる。


朝飯 鮎の煮付け、羽田巻き、白和え、胡瓜の古漬け、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁

昼飯 「麺屋ききょう」の塩葱ラーメン

晩飯 豚肉とモロッコ隠元と生姜のソテー、銀鱈の西京焼き、白和え、胡瓜とワカメと蛸の酢の物、胡瓜の古漬け、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)

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 2013.1005(土) 仕事をする場所

先々月の下旬、シェムリアップである夕刻に、ゲストハウスのバルコニーで寛いでいると「すこしのあいだ"disturb"してもよろしいでしょうか」と、ドイツ人のオニーチャンが話しかけてきた。見ず知らずの外国人に、にこやかに会話を申し込んでくるくらいだから人なつこく、そして会話の許可を得るあたりは紳士的な性格なのだろう。

夏ごとに休暇を利用して東南アジアを回っている。今年はプノンペンから西へ進んでシェムリアップへ至ったが、過去にはマレー半島の遡上やタイ国内を歩いたりしたとオニーチャンは語った。

「タイは北の方が好きです。南の方は何と言うか…」と言い及んだので"noisy?"と確かめると「そう、それ」と、我が意を得たというように笑った。そういう彼もタイ北方はチェンマイまでしか上がったことはないというので「チェンライへ行けば、チェンマイよりもずっと、タイ北部の美質を感じると思いますよ」と教えて上げた。

今回のタイ行きはチェンライ1泊、チェンマイ1泊、バンコク3泊と、前半が忙しなかった。1週間ほどの旅程が許されるなら、次はチェンライ3泊、バンコク3泊の予定を組みたい。

会社にいては仕事にならないので、とは絶対矛盾的自己撞着を孕んだ言い回しだが、とにかく電話や来客の頻繁にある会社にいては仕事にならないので午前より長男と隠居に逃げ、昼食を挟んで数時間ほども仕事をする。お陰でこれからすべきことを知るための作業は多いにはかどった

そして夜はやはり長男と外へ出てカウンター活動に従う。


朝飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」を薬味にした納豆、ゴボウ天の炊いたの、昆布の炊いたの、冷や奴、刻みオクラの胡麻和え、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁

昼飯 「ふじや」の野菜麺

晩飯 「和光」の突き出しのゴーヤの天ぷら豆腐ハンバーグステーキポテトサラダつぼ鯛の網焼きサービスの大根と胡瓜としその実の浅漬け同じく柿とブドウ、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)

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 2013.1004(金) 始発でGO!

"Boeing 767-300"を機材とする"JL034"は、定刻から16分遅れて10月3日の22:01にスワンナプーム空港を離陸した。往路では高をくくって睡眠薬を飲まずにろくろく眠れなかった。よって「帰りこそは」と、薬袋に当該の薬を探したが、どこにも見当たらない。狐につままれた気分のままアイマスクで目を覆い、そのまま静かにしている。

ふと気付くとまわりの席には夜食が配られている。僕の様子に気付いたタイ人スッチーが「お食事、お持ちします」と言ってくれたが笑ってそれを断る。晩飯を2度も食べたら今以上に腹が出てどうにもならない。

いつもは最後尾ちかくに席を取るが、今夜のチェックイン時には何も係には言わなかった。するとあてがわれたのは真ん中あたりの通路側だったから「なるほど便所の直前ってのも良いな、第一、後ろに誰もいねぇから、背もたれを倒すのに遠慮が要らねぇ」と喜んだのもつかの間、次々と便所を使う客の、水を流す音がうるさくて余計に眠れない。

「朝食をお出ししたばかりではございますが、気流の関係で、搭乗員も含めて席に戻らせていただきます」というアナウンスに気付いてアイマスクを取ると、まわりの席には朝の軽食が配られていた。

そして機内では一切の飲み食いをしないまま、"JL034"は定刻より32分も早い、タイ時間03:28、日本時間05:28に羽田空港に着陸をした。

どこもかしこも遅滞なく通り抜けて、北千住07:12発の始発のスペーシアに乗る。そして10時前には帰社して事務机に向かう。

今回はあれこれの都合上、羽田01:35発のJAL機に乗り、バンコク08:15発のタイ航空機に乗り継いだ。しかし次回は羽田00:20発のタイ航空機、バンコクからは同じ08:15発でチェンライへ飛びたい。来春に実現すれば上出来、である。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦わかめトッピング

昼飯 にゅうめん

晩飯 "YOKYO MARINA RESTAURANT"で包んでもらったカシューナッツのプリック和え、昆布の泡味煮、鮪の刺身の「しょうがのたまり漬」和え、筑前煮、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、らっきょうのたまり漬、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)

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 2013.1003(木) タイ日記(6日目)

こちらでは日の出が遅いということもあるが、いつも暗いうちに起きだし、前日の日記を書く。そして陽の光が朝の色を失う前に外へ出て散歩をする。

すぐちかくにバーンラック市場を控えるせいか、ホテル前のジャルンクルン通りには毎朝、花、野菜、乾物、漬物、総菜などの店が路上に溢れている。また同じ場所にはバスが次々と発着し、その混雑ぶりはなかなかのものだ。その、雑踏という川に洗われるようにしてあるクイティオ屋に入り、朝飯を摂る。

本日はいよいよホテルを引き払う。荷物は11時すぎにはまとめ終えた。洗濯物が乾いたのは幸運だった。そして正午すこし前にフロントに降り、精算をする。

ホテル裏の、まるで飛行機の格納庫のように大きな建物の中に、屋台の並ぶ場所がある。そこでこの3月に食べたと同じ店を見つけ、汁そばを作ってもらう。

コモトリ君の住むコンドミニアムの専用船は、毎時10分と40分にサトーンの船着き場に来る。その、12時40分の船に乗るべく、桟橋には早めに行っておく。今日は昼どきに外を歩いても汗はかかず、また雨の気配もない

僕の今回の荷物は、機内持ち込み用よりも小さなスーツケースに収まった。持ち物を絞れば、1週間ちかい旅でも、それも可能なのだ。桟橋から船の中には、船の助手がこのスーツケースを運び込んでくれた。そしてこの船に揺られつつ近藤紘一の「目撃者」を開いて「これほど楽しいことは、そうあるものではない」と、黄濁した川面や岸辺の景色を目に染みこませながら考える

コモトリ君の部屋に行けば、一度はベランダから眼下を見おろすことになる。そして見覚えのある一点に目を凝らし「あの水上の家に一度、泊まってみたかったんだよなぁ。でも今はウェブページに日本語の説明まで載るようになっちったしなぁ。そうなるともう、泊まりてぇっつう気持ちも消えちまうんだよなぁ」と、いささか残念な気持ちにとらわれる。便利と面白さは、必ずしも一致しないのだ

夕刻は早めにちかくの海鮮料理屋へ出かけ、海老や貝を肴に冷えた白ワインを飲む。「チャオプラ川の水位は洪水時のいまだ半分」とはタイ政府の発表らしいが、先週の「ウサギ」と名付けられた台風の影響もあり、あと40センチほども水かさが増せば、被害は一気に拡大するだろう

トンブリの料理屋を18時30分に出たコモトリ君のクルマは渋滞に阻まれ、走り出して5分を経ても、いまだオリエンタルホテルのスパまでしか達しなかった。しかしタークシン橋を渡りきって後は道幅も広くなり、驚くべきことに、空港には19時22分に着いてしまった。

スワンナプーム空港のwifiは、場所により極端に速度が落ちる。それを承知でヴァウチャーを手に入れたが、途中まで進んでやはり繋がらない。そうするうち空港職員にうながされ、急ぎ足で帰りの日航機に乗り込む。


朝飯 ジャルンクルン通りにあるクイティオ&カオマンガイの店のカオマンガイトード

昼飯 "Centre Point Silom"裏手の屋台村のバミートムヤム

晩飯 "YOKYO MARINA RESTAURANT"の海苔と豆腐とムーサップのスープクンオップウンセンガイホーイバイトーイホタテ貝の網焼きナムチムフランスのムスカデ

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 2013.1002(水) タイ日記(5日目)

部屋の洗濯機が、洗濯とすすぎはするものの、脱水と乾燥が働かないことについては、きのうの日記に書いた。そして3度目の正直を願ってスイッチを入れ直し、晩飯のため外へ出た。

夜に部屋へ戻ると、物干しのための、折りたたみ式の道具が運び込まれていた。洗濯機の故障に気付いたメイドが「これを使って自分で干してくれ」という意味で置いていったものだろうか。「そういうことなら」と、その物干しに脱水も半端なままの衣類をかけ、一晩中ベランダに出しておいた。

明け方に目覚めてベランダのそれを触ってみると、いまだまったく乾いていない。風のない夜には、洗濯物は乾きづらいのかも知れない。

窓の外からは騒音が絶えない。その騒音の、特に地上からのものが一段と高くなったころで散歩に出る。そしてチャオプラヤ川とジャルンクルン通りの間に生鮮市場を発見する

市場には大抵、不味くなくそして安い店がある。すこし歩くと予想した通り、食べ物屋の集まる一角が見つかった。よって早速、そのうちのおかずメシ屋で、大盛りにしたメシに春雨炒めと青菜炒めを載せてもらう。

あたりの景色はお世辞にも綺麗ではなく、生魚の臭いが強く漂っている。20代のころの神経質な僕であれば、到底、こんなところではメシなど食えなかっただろう。大盛りということもあってオバサンに20バーツ紙幣3枚を差し出すと、オバサンはそのうちの1枚を返して寄こした。

市場からジャルンクルン通りに繋がる道の1本は首尾良くホテルの駐車場へと繋がっていた。よってその路地を辿って部屋へ戻る

いま泊まっているホテルは"SA"つまりサービスアパートメントであり、長期滞在者も多くいる。そのため特に頼まなければ部屋の掃除はしないと、きのうまでは考えていた。ところが夜に帰ってみればベッドは直され、タオルは交換され、そして物干しの道具まで運び込まれていた。枕元にティップを置かなかったのは失態である。

今朝は午前のずいぶんと早い時間にメイドふたりが来た。それを奇貨として各々に40バーツずつのティップを手渡す

ちょっとした調べごとがあり、ポツリポツリと降りだした雨の中を、サパーンタークシンの桟橋へ出かける。時刻は11時をすこし過ぎたころだった。

チャオプラヤ川を行き交う水上バスは、様々な旗の色により特急、急行、乗り放題、英語によるアナウンス付き観光船、また旗なしの鈍行船がある。その鈍行船で、ホテル最寄りのサトーンとラマ八世橋のあいだを往復しようというのが僕の目的である。

はじめサトーンの、サパーンタークシン駅から見て右側の船着き場で「プララームペェーッ」と「ラマ八世橋」を意味するタイ語を発すると、係のオニーチャンは「アーッ?」と疑問の表情を浮かべた。よって同じ言葉を繰り返すとどうにか理解したようで、下流側の乗り場を指した。「プララーム」も難しいが、"8"をあらわす「ペェーッ」の発音もまた簡単ではないのだ。

教えられた方の乗り場で旗無しの鈍行船が横付けされるのを待つが、来るのは青旗の乗り放題船、オレンジ旗の急行線、そして英語による案内付きの観光船ばかりだ。先程来の雨はこの時期特有の驟雨から、対岸も見えないほどの豪雨に変わっている。

風に飛ばされる雨滴にシャツを濡らしながら「おかしいなぁ」と40分ほども待ってようやく、旗なしの鈍行船は朝と夕方の、通勤通学の時間しか運行していなかったことを思い出す。第一、鈍行船はラマ八世橋には停まらない。

そうして益々勢いを増す雨の中を、オレンジ旗の急行船に乗り込む。舷側側には雨を避けるためのビニールシートが下げられているが、空いた椅子は雨に濡れて座ることはできない。

バスの車掌と同じく、銀色の細い丸筒をガチャガチャさせながら近寄ってきたオバチャンに「ピンクラオ」と伝える。「ピンクラオ」の「ラオ」はタイ語特有の素早い巻き舌で発声され、日本人には「ピンカオ」と聞こえる。僕の「ピンクラオ」は幸いにも通じた。オバチャンに12バーツを手渡す。オバチャンは僕にザラ紙による切符を手渡す。これで取りあえずは一丁上がりである

"N8"とは先ほど船に乗り込んだ、"CEN"と表示されるサトーンから上流つまり北へ8番目の船着き場を指す。その"N8 THA TIEN"のあたりから雨は上がり始めた。"N9 THA CHANG"の船着き場に下りの船を待つ中国人観光客が多くいたのは、ここが王宮やエメラルド寺院にちかいからだろか。

"N10 WANG LANG"で、舷側に降ろされていたビニールシートが、客の手により巻き上げられ始める。"N10"のピンクラオ橋まで来ると、当方には「もっと先まで」という欲が出ているから、12バーツの切符を握ったまま、しかしここでは下船しない。

ラマ8世橋をくぐり、"N16"のクルントン橋のたもとには洒落たカフェがあったが、ここでも船は降りない。そして尿意を覚えてはじめて「しまった、やっぱりあそこで降りておけば良かった」と後悔しても、もう遅い。

右手にシンハビールの本社が見えてくる。サトーンからは既にして十数キロも離れてしまったに違いない。「そろそろ決心しなければ」と、カーキ色の船の何艘も係留されている"N21 KIAK KAI"で席を立つ。船着き場には大勢の兵隊がいたから「あぁ、悪い予感は当たった」と、予感が当たってもすこしも嬉しくない気持ちで桟橋を歩いて行く

船着き場出口の右手には、小栗康平の「泥の川」に出てきた食堂のような店があったが、どこから入って良いか分からない。そして券売所から外に出ると案の定、目の前には広くてひと気のない道が延びていた。「兵隊の多い土地には便所を備えた喫茶店など無いだろう」というのが、僕の「悪い予感」だったのだ

その通りを往くと案の定、左右には工事現場、お寺、そして歩哨の立つ軍関係の施設があるばかりにて、こんなところで立ち小便などすれば、たちまち捕まってしまいそうな雰囲気が濃い

尿意は強まるばかりにて苦し紛れに、ひっそりと死んだようなビルに足を踏み入れる。そしてガードマンを無視して奥へ進むと、右手に雑談をする爺様と婆様の姿が見えた。何となく助かった気分になって「ホンナーム?」と声をかけると、彼らはすぐそばの一角を指さしてくれた。僕は合掌をしながら彼らの前を通り抜け、ようやく楽になった

時刻は13時15分。船着き場に戻る道すがらの屋台で昼食を済ませ「まったく、観光客の来るようなところじゃないわな、何やってんだ」と自分に言い聞かせつつ、しかし僕はしばしば、このようなことをしてしまうのだ。そして特段、それを悔いる気持ちも無い

チャオプラヤ川をここまで遡ればトンブリー、否、このあたりもトンブリーと呼ぶのかどうかは知らないが、対岸には緑が多く、高い建物は見当たらない下りの急行船に乗り込むとなぜか一気に気分が落ち着いたそして40分を要してふたたびサトーンの船着き場に戻る。濡れた路上以外に、昼の豪雨を思い出させるものは何ひとつ無い

「生乾きのまま雨に打たれて、またまた濡れてしまったのではないか」と心配したベランダの洗濯物は、しかしシャツから靴下に至るまでパリパリに乾いていた。これらの衣類は取り込むと同時にたたみ、明日のチェックアウトに備えて早々にメッシュの袋に格納する。

18:10サトーン発の、コモトリ君の住むコンドミニアムの連絡船に乗る。チャオプラヤ川沿いにあるコモトリ君の家には、それから20分後に着いた。そしてすぐにそこを出てクルマでウォンウェンヤイへと向かう。

「おめぇ、チムジュムなんて、タイ人でも普通は食わねぇぞ」とコモトリ君の言うチムジュムは僕の大好物だ。そして嫌がるコモトリ君をようやく口説き落として何という場所かは知らないが、とにかくチムジュムの屋台の並ぶ通りでクルマを降りる。そして客を多く集めている店を選んで席に着く

地元の人しか行かない屋台では当然、店のオジサンやオバサンにはタイ語しか通じず、メニュにはタイ語による説明しか無い。タイ語を読み書きできる人と一緒でなくては、かゆいところに手の届くような注文はできないのだ

夕刻からの雷鳴が、ようやく雨雲を伴ってウォンエイヤイの上空に達したらしい。土鍋の中身がグツグツと煮えると同時に大粒の雨が落ちてくる。屋台のテーブルには傘が差しかけてあるが、そのようなものは焼け石に水に過ぎない

肩と背中を雨に濡らしながら、豚の臓物や濃い香りのする葉を鍋からつまみ上げてはナムチムに付けて口へと運ぶ。僕の楽しさはいや増すばかりだが、在タイ8年にしてチムジュム屋台は初めてというコモトリ君の「イヤ感」も、おなじく増すばかりである。

そうして鍋の中身をあらたか食べ尽くしたところで席を立つ。勘定はシンハビール数本を含めて430バーツだった。

二次会はタークシン橋を渡り、コモトリ君の希望する、リバーシティのイタリア料理屋へ行く。雨はいまだ止まず、ボーイたちは手に手にスクレイパーを持って、客の足元へ押し寄せようとする水を盛んに川の方へと押しやっている。

リバーシティからホテルまではトゥクトゥクを使うことも考えたが、結局はサトーンまで船に乗り、そこからは雨脚も弱まったため、また5、6分の行程のうちの半分はサパーンタークシンの高架により雨を避けられるため、部屋へは徒歩で戻った。

就寝は多分、21時30分のころだったと思う。


朝飯 バーンラック市場内のぶっかけ飯屋の2種のおかずのぶっかけ飯(大盛り)

昼飯 "Kiak Kai"桟橋から延びる真っ直ぐの広い道にある屋台のセンミーナム(ルークチンは入れないでね特注)

晩飯 ウォンエイヤンの屋台のソムタム、カオニャオ、チムジュム、シンハビール

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 2013.1001(火) タイ日記(4日目)

きのう寝るときにクーラーをつけたままにしたところ、夜半に寒さで目を覚ました。そこで部屋とベランダを仕切っている大きなガラス戸を開け放つと、外気は心地よく暖かかった。よって他の部屋の冷房室外機や地上からの騒音は気になるものの、そのまま二度寝をする。

いまこの時期にバンコクに来ている旅行者のウェブログなどを読むと、日に数回のスコールに悩む様子が書かれている。しかし僕はおなじバンコクにいて、スコールには一度も遭遇していない。たまたま僕が屋内にいるときのみの雨なのだろうか。

夜が明けるころにはきのうの日記を書いている。そして7時を過ぎるころに外へ出て、ジャルンクルン通り沿いのお粥屋で朝飯にする。バンコクにいても朝晩は汗もかかず、なかなか心地よい

部屋に戻ると陽が差してきたため、プールサイドに降りて近藤紘一著「目撃者」の1983年9月に書かれた「二都物語」の項を読む。ちなみにこの場合の二都とはハノイとホーチミンを指す。ホテル南の右手には、東南アジアには珍しくない、完成間近で建設の止まってしまったビルが何年もそびえたままになっている

昼はまた通りを歩いてメシを食べに行く。メシを済ませて後は歩道に立って、次々と発着するバスの行方を目で追う。「なるほど、1番のバスはシーロム通りに右折しないな」と見て取って、次の1番のバスに乗る。そしてすこし離れたところまで行ってみる

バスを降りて日差しの下を歩くうち、汗が額どころか胸からも背中からも噴きだしてくる。チャオプラヤ川を望むパン屋に併設された喫茶店、まぁ、喫茶店とはいえ雨よけの屋根を持つのみのところだが、そこでアイスコーヒーを飲んで汗を鎮める

リバーシティまで戻るとシープラヤの船着き場が見えた。切符売り場の表示は"3.5B"とあったから「馬鹿に安いな、この値段は向こう岸に渡るくらいのものだろう」と、オバチャンに声をかけると行き先を訊かれた。「サパーンタークシン」と答えると、下流の方を指さして何か一生懸命に英語で説明をしてくれる。

ピンと来て「あー、シェラトンホテルの向こうね」とタイ風の英語で返すと「その通り」と、ホッとした表情をオバチャンは顔に浮かべた。

おなじシープラヤという名の埠頭からは一度、船に乗ったことがあった。そして路地風の狭い通路を抜け、木造のひなびた船着き場で切符を買う

いつかはチャオプラヤ川の鈍行船でサトーンつまりサパーンタークシンから隣県のノンタブリーまで行ってみたい。そういう、現地の人には鼻で嗤われそうなことが僕は好きなのだ

ところで部屋の、朝から回している洗濯機が、洗濯はするものの脱水と乾燥をしてくれない。「こんなものも操作できないオレが馬鹿なのだろうか」と、3度目の正直を願ってスイッチを入れる。そしてロビーに降り、待ち合わせたコモトリ君のクルマに乗ってアソークへ向かう。

夕食はコモトリ君、そしてやはりバンコクに居を構える下級生のアズマリョータロー君と共にする。アズマ君とは3月に、コモトリ君とは3月と7月にメシを食べている。彼らが日本にいたら、これほどの頻度で会うことはないだろう

そしてきのうと同じくコモトリ君のクルマに送られて帰り、早々に寝る。


朝飯 「王子戯院猪肉粥」の生玉子入り粥、パトンコー

昼飯 ジャルンクルン通りにあるクイティオ&カオマンガイの店のバミーナム(水で戻したスルメは入れてルークチンは入れないでね特注)

晩飯 「永和豆漿」の炒豆苗猪肉小籠包炸醤麺搾菜麺、ほかあれこれ、シンハビール

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