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清閑 PERSONAL DIARY

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2017.9.30(土) タイ日記(6日目)

“Dusit Island Resort”はコック川の中洲に建ち、街とのあいだには1.5キロの距離がある。街で用を足すためには往復3キロを歩かなければならず、不便といえば不便だ。しかし木と漆喰による重厚で落ち着いた屋内、部屋からの良好な眺望、朝食の豊かさなど、他のホテルには代えがたい良さがある。

オムレツは、コンロの右側に用意されている6種の具すべてを入れてもらう。お粥も、生玉子を除くすべての具を入れてもらうつもりでいたが、僕の説明不足から、全部入りは全部入りでもガオラオ、つまりスープになってしまった。しかしそのスープも、もちろん悪くない。

今日は朝からどんよりとした空模様だった。やがて雨も降ってきた。よって午前中は部屋にいて、きのうの日記を書いたり、あるいは調べごとをしたりする。昼がちかくなるころ、降ったり止んだりしていた雨が上がる。身支度を調え、街に出る。昼食はいままで入ったことのない店で、僕としては珍しく、カレーライスを食べた。

チェンライの酒屋は品揃えが少ないところから、好みのラオカーオ”BANGYIKHAN”は、チェンコンの”TESCO Lotus”で見かけて2本を確保しておいた。本日、行きつけの酒屋の店の中を通りから覗いたら、今回に限ってはその”BANGYIKHAN”が何本も並んでいるのだから皮肉なものである。

ホテルに戻る途中で晴れてくる。それと同時に、一気に蒸し暑さが増す。部屋に入ってシャワーを浴び、ベッドに横になる。そして窓から緑の疎林、青い空、白い雲を眺める。いつまで部屋にいては勿体ない天気だ。タイパンツをパタゴニアの短いパンツに履き替え、プールサイドに降りる。そして16時30分まで本を読む。

旅先で便利や不便を感じるたび、そのことを忘備録に箇条書きする。「チェンライのサタデーマーケットでは、17時から通りに入り、18時に広場へ行かないと良い席は取れない」というのも、そのひとつだ。その注意書きの時間にすこし遅れて外へ出る。途中の、旧時計塔が17時17分を指している

土曜市の開かれるタナライ通りには、今すぐにでも商売の始められる露店もあれば、準備中の店もある。その驚くほど長いにわか作りのマーケットを通り抜け、セブンイレブンで氷を買う。昨年は見かけなかった、生の状態で選び、店の奥で焼いてもらう式の串焼き屋に目が留まる。ここで7本を購入し、更に別の店でホイトードを買う。そしていよいよ広場に入っていく。

「18時に広場へ行かないと良い席は取れない」という僕の覚え書きは甘かった。広場の椅子は、そのほとんどが埋まっていた。モーラムでもルークトゥンでもなさそうだけれど、しかしポップスでもない歌のライブが行われる舞台からはかなり離れたところにようやく席を見つけ、ここに今しがた買った肴と氷、持参したラオカーオとソーダを広げて晩酌を始める

30分ほども経つと日は落ち、広場には人が満ちる。右に左に視線を泳がせつつ席を探す親子を手招きする。椅子に座れると座れないとでは大違いだ。帰りぎわ「あなたもお礼を言いなさい」と両親にうながされ、長男は僕にに合掌をしながら「コップンクラップ」と頭を下げた。思わず僕も立ち上がり、手を合わせる。間もなく、男ふたりを引き連れたオネーチャンを、これまた手で招く。彼らにもまた、感謝の意を伝えられる

同席者を得ると、そこから安心して離れることができる。ペットボトルには不覚にも、きのう飲んだ後にラオカーオを足しておくことを忘れていた。よって通りを隔てたセブンイレブンまで缶ビールを買いに行き、串焼き屋で4本を追加注文する。

チェンライのこの土曜祭には、指折り数えてみれば僕は5年連続で来られている。有り難いことだ。歌のオジチャンは今夜も絶好調であり、その歌に合わせて踊るオバチャンたちも、また絶好調である。それにしても、土曜日の夜にタナライ通りに出る屋台の種類と数の多さ、また広場での踊りや食事を楽しむ人たちの数には圧倒されるばかりだ。そして昨年、実際に目にしたことだけれど、明日になれば、この広場は綺麗に片付けられ、ひとつのゴミも残さないのだ。見事と言う他はない。

チェンライに、これほど素晴らしい週末夜市を実現させたのは、どこの誰だろう。そしてそれを今なお続けられている理由は何だろう。できることなら関係している人から話を聞いてみたい。

帰り道では、中学生と思われる年ごろのブラスバンドが演奏をしていた。上手とは言いがたかったが、20バーツを箱に入れる。旧時計台のある市場まで戻ってくると、時刻は20時を過ぎていた。そこから更に10分ほどを歩いてホテルに戻り、シャワーを浴びて即、就寝する。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒーガオラオ
昼飯 名前を知らない店のゲーンハレー、ごはん
晩飯 サタデーナイトマーケットの屋台のモツ焼き、小さな貽貝のホイトード、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)、チャンビール

2017.9.29(金) タイ日記(5日目)

目を覚まして枕頭のiPhoneを取り上げ、ホームボタンを押して時刻を見ると、0時36分だった。極端な早寝早起きによる昼夜逆転である。今日は移動日で時間に追われるため、きのうの日記を完成させる。また、荷造りも済ませてしまう。チェンコンに来た日に買った6本パックのソーダの残り2本、またきのう2本のペットボトルに移し替えたラーカーオが荷物を重くしている。

チェンコンからチェンライへ帰る道中で何かあった場合に備え、朝食はメニュからオレンジジュースのみ断り、他はすべて食べた。部屋に戻って忘れ物がないか調べ、8時15分にフロントに降りる。そして8時20分にホテルを出る。今にも雨の降り出しそうな雲である。橋を渡り坂を上がって、市場の入口には8時29分に着く。あまりの空の暗さに、二輪車はヘッドランプを点けて走っている。強く風が吹き始める

「ベンチで待つうちチェンライ行きのバスは来るだろう、そうしたら乗り込んで、9時の出発を待つばかりだ」と考えつつ奥へ進んでいくと、いま正に8時30分発の、チェンライ行きではあるけれど、かつての山道を辿り、メーフォン経由でチェンライに至るバスが走り出したところだった。

「ウォイ、ウォイ、ウォイ」と、市場で働くひとりがバスに向かって大声を上げる。「待て、乗客がもうひとりいるぞ」という意味だろう。メーフォン経由は時間がかかると聞いていたため、当方にその意思はなかったものの、親切なタイ人には義理立てをしなくてはならない。背中にザック、右手にスーツケースを持ち上げ、後ろのタラップから車内に駆け上がる。バスが街道に出るまでの数十秒のあいだに、遂に雨が降り始める。それもいきなり強く。

最後部の席の男の人に「これは直行便ではないですよね」と、念のため確かめる。相手は山道を表すように、右手の人差し指で空中に曲線を描いた。そして「どちらから」と訊いた。僕は”JAPAN”と答える。ここまでは英語の会話である。すると相手は「えっ、日本の方ですか、私も日本人です」と、驚いたように声を上げた。数えるほどしか客の乗っていない田舎のバスで、珍しいこともあるものだ。

男の人は僕よりひとつ上で、タイにはじめて来たのは僕とおなじ20代のはじめ。今は引退をして、チェンライとチェンコンのアパートを交互に行き来しつつ、タイの北部を歩いて楽しんでいるという。以降はずっと、その男の人と会話を続けた

メーフォン経由の道は時間がかかると聞いていたものの、バスは10時59分にチェンライのバスターミナル1に着いた。所要時間は2時間29分。強雨の中を走り続けたにもかかわらず、直行便による往路に4分しか遅れていない。チェンコン発08:30発に飛び乗ったのは正解だった

古いバスターミナルが改装中とは月曜日の日記にも書いた。現在の待合所は、ぬかるみに椅子を置き、テントを立てただけの粗末なものだ。道中、雷を伴うこともあった雨は、いまだ続いている。テントの横にはトゥクトゥクが”tail to nose”の状態で並び、客を待っている。ここでトゥクトゥクに乗れば濡れずに済む。乗ればホテルに行くしかない。ホテルと街のあいだには1.5キロの距離がある。当然、昼食はホテルに頼ることになる。しかし朝食はとにかくとして、昼食や夕食をホテルで摂る気はしない。

痩せ我慢をしてテントの外に出る。幸いなことに、雨は弱まり始めた。清潔そうな汁麺屋の前を通り過ぎ、すこし考えて、その店に引き返す。そしてバミーナムと告げる。女の人が「豚か牛か」とタイ語で訊く。「豚」と答えておもむろに、外の雨の様子を眺める。

いつもの崖下の道をトゥクトゥクは軽快に走り、ホテルには11時45分に着いた。予約時に書き送った希望のとおりではなかったけれど、ベルボーイには、そのふたつ奥の部屋に案内をされる。眺望はこちらの方が良さそうだ。雨は止み、日が差しはじめている

風呂桶の湯に、5日ぶりに浸かる。チェンコンにいたときには、外から部屋に戻るたび、シャワーで汗を流していた。今日は朝からの雨が地表を冷やしたのだろうか、部屋にいても、靴下と靴を身につけたいほどの涼しさである。午後はずっとコンピュータに向かう。

部屋の周囲では、僕の知らない言葉を話すヨーロッパ系の白人が、しごく騒がしい。一族郎党で旅に出れば、それも仕方の無いことなのかも知れない。

18:00発のシャトルバスで街に出る。チェンライにいるときの夕食は大抵、ナイトバザール奥の、ほとんど地元の人しかいないフードコートで摂る。ここへ来たら、何と言ってもラオス風の土鍋チムジュムである。しかし、それをひとりで食べきれるほど腹は空いていない。よって今日のところはその手前にある観光客のためのオープンレストランにて、肉を避けつつ肴を選ぶ。


朝飯 “FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”のトーストハムとソーセージを添えた目玉焼きコーヒー、タイの標準語ではファラン、北部の方言ではマッキャオと呼ばれる果物と西瓜
昼飯 バスターミナルちかくの汁麺屋のバミーナム
晩飯 ナイトバザールの観光客用オープンレストランのソムタムプラームックヌンマナオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.9.28(木) タイ日記(4日目)

目を覚ましても、しばらくは闇の中で静かにしている。カーテンを開け放った窓の向こうには、ラオスの明かりが点々と見えている。空の色からすれば、4時を過ぎるころだろうか。おもむろに枕頭の電気スタンドを点け、サイドボードに置いた腕時計を覗き込む。時刻はいまだ1時12分だった。

日本の衆議院議員総選挙において、驚天動地の怪現象の起きていることを知ったのは、きのうの夜のことだ。部屋の壁に備えつけのPanasonic製テレビを点ければ、日本のニュースが見られるかも知れない。しかしそれをすれば旅情は著しく殺がれる。本を読み、うつらうつらし、対岸のラオスに点々とともる明かりを眺めたりしながら朝を迎える。

日本にいるときは、食事の直後を除いては四六時中、腹を空かせている。ところが旅に出ると、たとえば今回なども、プールで泳いだり1日に10キロ以上も自転車を走らせるなど、普段より運動量はよほど多いにもかかわらず、不思議なことに腹は空かない。人間の体の中でもっとも熱量を費消する臓器は脳だという。腹が空かないとは、脳を使っていないということだろうか。

1泊目の朝の内容が、このホテルが定める朝食の総量である。これだけ食べると午後になっても腹が空かないため、2泊目のきのうは粥と果物だけにしてもらった。ジュースは出されても飲まない。それでも午後まで腹は空かなかった。というわけで今朝は、トーストとコーヒーと果物だけにしてもらう。普段の僕からすれば耐えがたい少なさではあるけれど、これも実験である。

今日の日差しはそれほど強くない。10時41分に自転車でホテルを出る。2キロ以上の道のりを僅々9分でこなし、きのうラオカーオを買い損ねた”TESCO Lotus”に着く。酒売り場で好みのラオカーオ”BANGYIKHAN”2本を買い物カゴに入れ、今日こそは購入を果たす。そして「どこかで使う機会があるはずだ」と日本から持参した、いわゆる「プチプチ」に包んで自転車のカゴに入れ、ホテルに戻る。

朝食を極端に減らした甲斐があったか、首尾良く正午前に腹が空く。またまた自転車に乗り、街道を北西に進んで”Chiankong Green Inn”の角を川の方に右折した先の右角にある、おととい14時30分に来たら既にして昼の営業を終えていた繁盛店で、豚の骨付き肉と血豆腐のたっぷり入ったセンヤイナムギャオを食べる。「センヤイ」の発音はなかなか難しく、「ン」と「イ」を発音する際に、舌の先を上下の歯で挟むようにすると通じやすい。

きのうより2時間おそい13時すぎからプールサイドに行く。きのう一昨日と同じく日除け傘とプール専用タオルをフロントに頼み、傘を立ててくれたオニーチャンに40バーツを手渡す。プールサイドでは1時間30分ほども本を読み、部屋に引き上げる。

シャワーを浴び、午前に買ったラオカーオ”BANGYIKHAN”を2本とも、容積と重さを減じるため、空いたペットボトルに移し替える。そして「プチプチ」で包み、ビニール袋に入れて輪ゴムで固く口を留める。

15時30分より、いつものテラスで小一時間ほども仕事をするそして日の暮れる前に街に出る。昼に開いていた食堂はやはり、ことごとく雨戸やシャッターを閉めている。きのうの総菜屋台は幸いなことに、今日も店を出していた。ここで2種のおかずを買い、ホテルに戻る。

対岸の森が夕陽を受けて、何とも形容しがたい、素晴らしい色に染まっている。その景色を眺めつつ、この上なく寛いで、ラオカーオのソーダ割りを飲む。そして19時台に就寝をする。


朝飯 ”FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”のトースト、コーヒー、タイの標準語ではファラン、北部の方言ではマッキャオと呼ばれる果物と西瓜
昼飯 “Chiankong Green Inn”の角から川の方に坂を下って右側の汁麺屋のセンヤイナムギャオ
晩飯 豚挽き肉のちまきレモングラス風味、豚肉と青梗菜のスープ煮、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.9.27(水) タイ日記(3日目)

2時台に目を覚ます。パクラ村のシームンの家は山あいの谷にあり、また窓はガラスではなく、夜のあいだは木の扉が閉められている。よって外の様子を覗うことはできない。早寝をして0時ごろに目を覚ますと、夜が長くて輾転反側を繰り返した。しかしこのホテルでは、部屋からラオスの明かりが見える。それが民家のものか街灯かはうかがい知れないものの、その、乏しい明かりだけでも退屈しのぎになるから不思議だ。今朝は幸いなことに二度寝ができて、空が明るくなりかかるころに、ふたたび目を覚ます

きのう日記を書いたテラスで、今朝は6時20分からコンピュータを開く。朝食は6時30分からと聞いていたけれど、メニュを持ってウェートレスが来る。「いま仕事をしているから、朝ごはんは後でね」と、取りあえずは引き取ってもらう。すると、今度は先ほどと異なる制服のウェートレスが近づき「コーヒーだけでもいかがですか」と声をかけてくれる。とても有り難い。仕事は順調に捗った

朝食の後はおなじ場所で日記を書く。このホテルのwifiの有効期限は1日だ。しかし24時間ではない。きのうは朝9時に突然、回線が途切れ、それまで書いてきた部分すべてを失った。「クラウド」も良し悪しである。今朝、フロントでもらったパスワードをブラウザに打ち込むと”END TIME 2017.9.28 01:52″と出た。持ち時間は17時間ほどしかない。そう考えているところに先ほどの、フロントの太った人が来て「お客様は金曜日までお泊まりですので」と、4枚のバウチャーをまとめて手渡してくれた。有効期限を小間切れにするのは安全対策なのだろうか

部屋には11時前に戻った。そして水着を身につけ、ロビーに降りる。日除けの傘とバスタオルをプールサイドへ運ぶよう、フロントにいたオニーチャンに頼みつつ心付けの40バーツを手渡す。傘もタオルも、初めから用意をしておいてくれれば不要のチップではあるけれど、細かいことは言わない。

太陽がD棟の屋根の向こうに隠れる14時までプールサイドにいると、街の食堂では食材が売り切れる、ということが起きる。きのうのカオマンガイ屋がそうだった。しかし昼食を犠牲にしても、日の差すあいだは寝椅子で本が読みたいのだ

街道を自転車で北西へ走り、soi6に左折する。ふたつ目の交差点の右向こう角にある食堂のことは、過去にこの街を訪ねた日本人のウェブログで知った。ここでラオス風のカオソイと赤米のちまきを食べる。ちまきは濃い目の味付けだった。夜の肴にもうひとつ買おうとして、思いとどまる。

食後は自転車を南東に走らせ、初日にバスの窓から見えた”TESCO Lotus”まで行ってみる。食品売り場をひやかすと、僕の最も好きなラオカーオ”BANGYIKHAN”があった。よって買い物カゴに1本を取り、レジへ行く。そのレジのオネーサンに何ごとか言われて「あー、そうだった」と腕時計を指すと、オネーサンは頷く。タイでは法律により、午前11時から午後2時までのあいだを除いては、日中に酒を買うことはできない。明日、気力があれば、今度は時間を見計らった上でふたたび来て、このラオカーオを買うことにしよう

ホテルに戻ると16時が過ぎていた。今日は自転車で10キロ以上は走ったように思う。汗に濡れた帽子とシャツをハンガーにかけ、窓のカーテンレールに吊る。シャワーを浴び、ベッドに横になり、ラオスの上空に立ちのぼる積乱雲を眺めて休む

「ことによると、どこか食堂が店を開けているかも知れない」と、19時を過ぎてから外へ出る。しかし街道筋の店はほとんどシャッターを降ろし、まるで深夜のようだ。きのう氷を買ったセブンイレブンとは違う方の、北西のセブンイレブンの角に、総菜を売る屋台を見つけ、ここで2種類のおかずを買う。そしてそれを部屋に持ち帰り、3日連続の部屋飲みをする。


朝飯 “FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”の豚挽き肉のお粥、西瓜とパイナップル、オレンジジュース
昼飯 街道からsoi6を入った先のメシ屋のラオス風カオソイ、赤米のちまき
晩飯 春雨炒め、豚の挽き肉のちまきレモングラス風味、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.9.26(火) タイ日記(2日目)

民家、ホテル、公式の建物の別なく、タイの建物の床は、古くは木、時代を下っては、暑さを避けるためタイルで敷かれることが多い。そのタイルの床に、ベッドから何かの落ちた音で目を覚ます。

きのうの夕刻に部屋でラオカーオのソーダ割りを飲み、そのままいわゆる「寝落ち」をしてしまったことを初めて知る。それにしても、床に落ちたものは何だろう。

部屋の明かりを点けると、薬、バンドエイド、体温計などをまとめて納めていたジップロックの袋から、たくさんの薬が落ちている。iPhoneも落ちている。メガネが落ちなかったのは幸いだった。時刻は夜中の1時57分だった。

着の身着のままだった服を脱ぎ、シャワーを浴び、歯を磨く。備えつけのガウンに着替え、部屋の明かりを消し、ふたたびベッドに横になる。対岸のラオスに、ポツリポツリと明かりが見える。そしてそのまま、また眠りに落ちる。

朝食は、メコン川に面した食堂で摂る。部屋には低く小さな丸いテーブルのみがあり、デスクは備えていない。よって午前中はロビーと食堂のあいだにある気持ちの良いテラスできのうの日記を書く。

11時がちかくなると、それまでの川風が止み、ひどく蒸し暑くなってくる。それを潮に部屋に戻り、水着に着替え、バスタオルを持ってプールに降りる。B棟とD棟に挟まれたプールには、上手いことに、太陽が空高く昇る日中の4時間ほどは日が差すように考えられている。通りかかったホテルの従業員に40バーツを手渡し、日除けの傘とプール専用のバスタオルを持って来てもらう。ここで14時まで本を読み、ふたたび部屋に引き上げる。

14時30分、きのうに続いて自転車を借り、街に出る。チェンコンの街は、旧市街では片側一車線の街道が南東から北西に延び、北側のメコン川とのあいだに1本、場所によっては2本の静かな道が通じている

街道を北西に進むと、いかにも外国人観光客の好みそうなレストランやマッサージ屋が増えてくる。そこからメコン川へ向かって急な坂道を下ると、タイ海軍の施設は別として、”Buk Port to Laos”や”Wat Luan Port”などの船着場がある。かつてはこのあたりが、旅行者のもっとも行き交うところだったのだろう。しかしタイとラオスを結んでいた舟は数年前から現地人専用となり、外国人はすべて、両国の行き来は友好橋4を介することとなった。上記のレストランやマッサージ屋がいかにも閑そうなのは、その、人の流れの激変が影響しているものと思われる

街道とメコン川の間を南東から北西に延びる静かな通りには、これまたいかにも外国人観光客の好みそうなレストランが点在している。その道を南東にペダルを漕いで街道に戻り、名前を訊いたけれど忘れてしまったカオマンガイ屋で昼食を摂る。食後は更に南東へ走り、きのうバスで着いた市場まで行く。チェンライに戻る方法が分からないのだ。

すると具合の良いことに、見慣れた赤いバスが東の方から近づいて来た。バスはきのうとおなじ、街道から市場に続く狭い道に入って停まった。その脇の建物の中を覗くと、カウンターに”BUSSTATION CHIANGKHON”の文字があった。奥にベンチが見えている。そちらに回ってみると、そこはやはりバスの待合所で、チェンライへの時刻表が掲げられていた。チェンライへの直行便は、朝5時から午後3時までの毎時0分発、メーフォン経由チェンライ行きは、朝4時から午後2時までの毎時30分発に加えて15:45発があった。これで帰りの心配は無くなった小さな市場の中を一巡してホテルに戻る

今年の春に訪れたプレーもそうだったけれど、地元の人のための食堂は、昼こそ開いているものの、夜は閉まってしまう。メコン川を望むようにして建つ洒落たレストランまで、夜、わざわざ歩く気はしない。海外へ行きながら外で買ったものを部屋に持ち込み、ひとり食べる人の気がようやく知れた気がする。

きのうの広場にあった屋台街は、今日は綺麗さっぱり消えている。しかし先ほどホテルに戻るとき、その広場から市場へ向かう橋のたもとに、今日は肉の照り焼き屋台のあることを見ていた。17時30分にホテルを出て、その屋台のオバチャンに「これからセブンイレブンに行く。帰りに寄る」と声をかけると「オーケー」とオバチャンは応じた。

この街の街道に2軒あるセブンイレブンの、市場にちかい小さな方のそこで10枚組の紙皿、栓抜き、氷をそれぞれ36バーツ、25バーツ、8バーツで買う。ソーダの栓を抜くため、きのうはホテルの食堂で栓抜きを借りた。それが面倒ゆえの購入である

日の暮れかかる田舎の街道を徒歩で戻り、3人の子を持つオバチャンの屋台で豚の子袋と首肉の照り焼きを、それぞれ3片ずつ買う。値段はいずれも1片あたり15バーツ。綺麗な英語を話す上の女の子に90バーツを支払う。

90バーツ分の豚肉は、隨分と食べでがあった。そしてシャワーを浴びて、19時台に就寝する。


朝飯 ”FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”のオレンジジュース、コーヒー、トーストハムとソーセージを添えたオムレツ西瓜とパイナップル
昼飯 名前を訊いたけれど忘れてしまったカオマンガイ屋のバミーナム
晩飯 豚の子袋と首肉の照り焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.9.25(月) タイ日記(1日目)

00:20の出発時刻にもかかわらず、”BOEING 747-400″を機材とする”TG0661″は、いつまでも動かない。高度1万メートルに達して以降の寒さに備え、当方は半袖シャツの上に木綿のセーターとウィンドブレーカーを重ね、下半身には備えつけのブランケットを巻き付けている。額に薄く汗がにじむ。

00:45 これから燃料を補給する旨のアナウンスが流れる。
00:59 これから15分後に離陸の準備が整う旨のアナウンスが流れる。
01:26 定刻から1時間6分を遅れて離陸。

05:12 あたりが急に賑やかになって目を覚ます。アイマスクを外すと、間近に迫った客室乗務員が温かいおしぼりを手渡してくれる。
05:34 席に朝食が運ばれる。

“TG0661″は1時間6分の遅れを取り戻し、定刻ちょうどの日本時間06:50、タイ時間04:50にスワンナプーム空港に着陸をした。以降の時間表記はタイ時間とする。

05:20 機内からタラップを降り、バスで空港ビルに運ばれる
05:25 どのあたりから空港ビルに入るかは、その時々による。今回は初めての場所につき、“TRANSFER”の表示よりも勘に頼って進む
05:33 タイスマイル航空のカウンターにボーディングカードを差し出す。
05:40 そのすぐ脇のパスポートコントロールを抜ける
05:42 これまで見たこともない、まるでローカル空港のそれのようなB9ゲートに達する

07:19 ボーディングが開始をされる
08:11 eチケットには”TG2130″とあるタイスマイル航空”WE130″は、定刻に21分を遅れて離陸。
09:15 羽田からの“TG0661″とおなじく、遅れを取り戻して定刻の09:15にチェンライのメイファールアン空港に着陸
09:30 バゲージクレームにてスーツケースを受け取る。
09:34 ”TAXI METER”の矢印に従い、空港ビルの外に新設された場所でタクシーを申し込む。

「ナイトバザールのちかくのバスターミナルまで」と、オネーサンにタイ語で告げる。「ターミナル1ですね、160バーツです」とオネーサンは英語で答えた。”TAXI METER”とはいえメーター制ではない、ということだ

空港から街への広い道路にハンドルを切りつつ「行き先はチェンライ?」と運転手が訊く。「チェンコン」と答えると「チェンコンまでなら1,000バーツ。このままチェンコンに向かうこともできますよ」と運転手がルームミラー越しに僕の様子を覗う。「いや、ローカルバスで行く。地元の人たちに混じって動くのが好きなんだよ」と、その提案を断る。

タイの地図の最北部に目を近づけると、ミャンマーそしてラオスとの国境に沿って西からメーサイ、チェンセーン、チェンコーンの3つの町のあることが分かる。いささか古い情報ではあるけれど、ロンリープラネットの2008年版によれば、人口はそれぞれ25,800人、55,000人、9,000人と示されている。とすれば、3つのうちのいずれを僕が目指すかは明白である。

市中心部の、改装されると聞いていた古いバスターミナルは、今まさにその工事中で、現在はそのちかくの、舗装もされていない広場がバスの発着場になっていた。トランクから僕のスーツケースを降ろした運転手に100バーツ札2枚を手渡す。運転手は20バーツ札2枚を釣りとして返して寄こす。僕は「タンブン」と言って、それをまた彼に戻す。運転手はニッコリ笑い、その40バーツをシャツの胸ポケットに収めた

青いバスの後ろに立った男が「パヤーオ」と声をかけてくる。「チェンコーン」と、大きな声で返す。すると男は2台奥の、中々に年季の入った赤いバスの運転手と車掌に「チェンコンだってよ」と伝えてくれた。ちなみに「運転手と車掌」とはいえその風体は、街道筋の差し掛け小屋で焼きトウモロコシでも売っていそうな男女である

車掌が僕のスーツケースとザックを最後席の前の床に置く。僕は運転手にひと言ことわり、通りに見えているセブンイレブンで7バーツの水を買ってバスに戻る。車内に乗客が増えてくる。と、後部の昇降口に「ファンソンシャンには行きますか」と、ファランのジイ様が顔を出した。ジイ様は、知り合いがLINEで送って来た、アルファベットによる地名を棒読みしているらしい

とにかくその場所は、チェンコンからそう遠くないと判断をされ、ジイ様は僕の隣の席に着いた。バスは珍しく、定刻の10:30にチェンライのバスターミナルを出発した。帽子を深々とかぶり、マスクをかけたままのオバチャン車掌に65バーツの運賃を支払う。

バスは間もなく田園地帯に出て、一路、北東を目指す。窓外には、遠くの山まで水田の広がる景色が延々と続いている

ファランとはタイ語で西洋人を指す言葉で、その語源は”foreigner”とも”France”とも言われているが、定かではない。とにかく「ファンソンシャン」である。

“days”が「大豆」に聞こえる訛りの強い英語に苦労をしつつ、僕やファラン爺とおなじ最後席に座った、英語とタイ語の話せるラオス人のオニーチャンがファラン爺の話を聞き、走行中のバスの中を歩いて運転手に相談に行く。「優しいねー」と僕はオニーチャンを褒める。「チャーイ」とオニーチャンは破顔一笑である。

「LINEの相手に電話をして、タイ語で誰かに説明してもらったら?」と、思い余ってファランに言う。”waiting”とは「先方から電話がかかってくるのを、オレも待っているんだよ」という意味だろう。やがて待望の呼び出し音が鳴り、ファラン爺はサムソン製のスマートフォンをオニーチャンに手渡した。

それはさておき僕は尿意を催している。しかし乗り合いのローカルバスでは、トイレ休憩などは無いだろう。いざとなったらその辺に停めてもらおうと考えるうち、バスは首尾良く給油のためガソリンスタンドに入った。走行中も閉まらない、というか開いたまま固定をされている後ろの昇降口から飛び出し、これまた開きっぱなしの前の昇降口から「便所!」とタイ語で運転手に伝える。ガソリンスタンドのオバチャンの指す方に走り、無事に排尿を果たす。外国語で先ず覚えるべきは、挨拶などより「水」や「便所」ではないかと、僕は本気で考えている

チェンライのバスターミナルで、このバスの行き先は”Friendship Bridge Chiang Khong Laos(houay xai)”と示されていた。しかるに僕の行き先は、タイとラオスを繋ぐ、メコン川に架けられた友好橋ではなく、チェンコンの街だ。僕の心配は、ただその一点にある。

チェンライを出て2時間が経ったころ、バスが停まった。後ろの昇降口にはトゥクトゥクの運転手を示すオレンジ色のベストを着た男たちが集まって「ラオ、ラオ」と口々に誘う。来る途中で乗り込んできた「こんな田舎に住んで、何をしているのだろう」といぶかしく感じたやはりファラン男が「ラオスに渡るなら、ここが降りるべき場所だ」と、最前席から後ろを振り向いて大声を発する。「オレはチェンコンのダウンタウンに行く」と、こちらも大声で返す。ファラン男は「まだ先」と答えて、ふたたび前を向いた。

チェンコンの小さな市場には12時55分に着いた。「ファンソンシャン」を目指し、ここからトゥクトゥクで15キロを戻ろうとしているファラン爺は”See you again”と笑って去った。

日本にいるときgoogleマップで調べた限りでは、ホテルはそう遠くないところにあるはずだ。麦わら帽をかぶりサングラスをかけた、色の白い、良く言えば機転の利きそうな、悪く言えば目から鼻に抜けそうな女の人に、予約したホテルの名を告げ案内を請う。「だったらトゥクトゥクね」とオネーサンは答える。「いくら?」と訊く。オネーサンは客待ちをしている運転手たちに料金を訊ねる。30バーツ。即、示された荷台にスーツケースを載せ、座席にザックを置く

ホテルには数分で着いた。スーツケースはフロントのオネーサンが部屋まで運んでくれた。オネーサンには40バーツのチップを手渡す。

シャワーを浴び、歯を磨く。スラックスと革靴を、それぞれタイパンツとゴム草履にはき替える。フロントに降り、ホテルの自転車を借りて街を一巡する。セブンイレブンでシンハ製ソーダの6本パックを48バーツで買う。街道とホテルのあいだの広場の屋台街で、鶉の炭火焼き1羽を買う。そして部屋に戻り、ことし6月にバンコクのパタデパートで買い、今回、ペットボトルに入れ替え持参したラオカーオをソーダで割る。肴は今しがた手に入れた、鶉の炭火焼きである。

時刻はいまだ16時くらいではないか。窓の外には滔々と流れるメコン川。そしてその向こうにはラオスの赤い屋根が、木々の間に散らばって見える。酔ってベッドに腹ばいになる。そして以降の記憶は無い。


朝飯 “TG0661″の機内食
昼飯 “WE130″の機内スナック
晩飯 鶉の炭火焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.9.24(日) 例外にて

普段、目覚ましを使うことはない。極端な早寝早起きだから、その必要が無いのだ。しかしきのうの夜ばかりは例外にて、今朝の午前3時に鳴るよう、iPhoneにアラームを設定した。

年末の贈答時期に向けたダイレクトメールのお送り先を顧客名簿から特定することは、本来であれば一昨日にする予定だった。ところが一昨日も、またきのうもそのための時間が取れず、遂に「日中では無理だ」と判断をした。この仕事にかかる時間はそれほど長くないものの、精密さを要求されるゆえ、電話や来客の絶えない場所ではできないのだ。

目を覚まし、しばらくすると枕の下で3時のアラームが鳴った。眠さは感じない。ゆっくりと服を着て洗面を済ませ、3時30分から食堂のテーブルでコンピュータに向かう。仕事は僅々18分間で完了した。以降は応接間に移動をし、一覧表に従って荷造りをする。

お彼岸の連休で店は忙しいものの、各町内の自治会長、神社総代、神社世話人を集め、平町のキタムラヒロシ自治会長が議長となって開く「当番町を考える会」に瀧尾神社の責任役員として出席をするため、15時前に朝日町の公民館へと赴く。会議は活発な意見を得て手際よく進み、16時20分に完了した。

終業後、下今市18:57発の上り特急スペーシアに乗る。浅草には3分遅れの20:48に着く。夕食を済ませて都営浅草線のプラットフォームに降りていくと、ちょうど羽田空港方面への急行が停車していた。車両は浅草を21:16に出て、羽田空港国際線ターミナルには22:01に着いた。

22:25 タイ航空のカウンターにてチェックインを完了。
22:36 手荷物の保安検査場を抜ける。
22:41 パスポートコントロールを抜ける。
22:50 105番ゲートに達する
23:35 搭乗が開始をされる。
23:50 最後尾ちかくの好みの席に着く


朝飯 納豆、巻湯波と牛蒡と蓮根と人参の淡味炊き、トマトと青エンドウ豆の卵とじ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「CoCo壱番屋」の野菜サラダ、野菜カレー

2017.9.23(土) 旅も色々

「明日、どこ行くんだっけ」と新婚旅行の前夜、新妻に訊いて叱られた男がいる。その夫婦はその後、3人の子供に恵まれ、仲良く、かどうかは知らないけれど、今も普通に暮らしている。

2010年6月、業界の親睦旅行にて、人間の力のみで造られたとは到底信じがたい壮麗な遺跡アンコールワットを訪ねた。帰途、スワンナプーム空港での乗り換えを利用してアユタヤに立ち寄る日程に対して僕は、一行を離れバンコクで同級生と過ごしたい旨を事務局に申し出た。僕の単独行動は許され、また「ウワサワさんのお父さんは、最終日に合流なんてことも、されてましたし」と教えられた。

それより32年を遡る1978年11月、マカオグランプリの前座レースに日本クラシックカークラブから古いクルマが出走することになり、クラブ員であるオヤジと僕は関係者と共にマカオの地を踏んだ。1泊の後、日本から船便で運ばれたクルマの届いている自動車工場まで皆と一緒に来たオヤジは、しかしバスを降りなかった。そして夜、ホテルに帰ると「香港に戻ります」との書き置きがあった。

新婚旅行の行き先を知らない男、団体旅行の最終日に合流あるいは2日目に離脱するオヤジ。これらの面々を周囲が許容し、また懐かしい想い出としているのはひとえに、彼らの人徳による。僕も、そのあたりを目指さなければいけない。

最後に付記すれば「明日、どこ行くんだっけ」と訊いて叱られた男は多分、新妻と旅に出られるなら、行き先などどこでも良かったのだ。万葉的解釈をすれば、男の中の男である。


朝飯 生のトマト、ほうれん草のソテー、納豆、温泉玉子、巻湯波の淡味炊き、胡瓜のぬか漬け、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 牡蠣の醤油煮、白海老の昆布締め、牛ロース肉のロースト、冷や奴、塩楽京、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、柿、麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)

2017.9.22(金) すべきこと

きのうの夜から今朝にかけて、食堂の食器棚に置いたメモ用紙に、今日すべきことを書いた。数えてみると、それらは10行に亘った。その10行には「3つの銀行を巡ってどうのこうの」とか「これこれの資料を持って税理士事務所を訪ね、説明の上、置いてくる」というような大切なことから「下級生を鮨屋に誘う」という、どうでも良いことまでが並んでいる。

10行の中でもっとも手間のかかることは「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」の手入れだ。これを夕刻に終えると、10行のうち6行については完了し、赤い二重線が引かれた。残りの4行は、明日に繰り延べである。

1日のうち、もっとも好きな時間は僕の場合、早朝に目覚めたとき、そして夕食の前である。前者は「これから夜までのあいだに、いろいろと、たくさんのことができる」との意欲に満ちて嬉しい。後者はもちろん、これから肴と酒にありつけることが嬉しい。

そしてその夕食の席に着く前に、先ずは白ワインの栓を抜く。


朝飯 生のトマト、納豆、巻湯波と人参の炊き合わせ、小松菜のおひたし、茄子と赤ピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、ごぼうのたまり漬(試作品)、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 マカロニサラダ「あおざい」のバインミートリッパのトマト煮隠元豆のソテーを添えた秋刀魚のオーブン焼きコラトゥーラとスダチの絞り汁かけ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、葡萄、チョコレートケーキ、アイスクリーム、“Old Parr”(生)

2017.9.21(木) 長いレンズ

07:03発の上り特急スペーシアに乗るべく、東武日光線下今市駅のプラットフォームに立つ。ここの、飲物の自動販売機でお茶を買うときにはいつも、小さからぬ葛藤にかられる。

280ccのお茶は130円。それに対して500ccのお茶は160円。容量と価格の関係からすれば、後者の方が圧倒的に得だ。しかし500ccのボトルでは東京に着くまでに飲みきれず、ザックに入れて持ち歩くことになる。”theory of constraints”に照らせば280ccを選ぶのが常道と思われる。そして遂に、280ccの方のボタンを押す

1週間ほど前から”Let’s note”の左クリックボタンの調子が悪くなっていた。いつ利かなくなるか分からない。しかし家内と長男は新宿タカシマヤに出張中であり、また茗荷の買い入れもある。とてもではないけれど、会社を空けられる状態ではなかった。そして本日ようやく、秋葉原の「LUMIX & Let’s note修理工房」を訪ねる。

インターネットで予約をした上で実機を預ければ、修理は数時間で完了する。この工房のある限り、僕が”Let’s note”から離れることはないだろう

工房を出て昌平橋通りに出る。神田明神下の交差点を9時25分に通過する。湯島天神下から切り通し坂を上がり、湯島2丁目の、春日通りに面した床屋には9時42分に着いた。数日前に予約をしておいたこの床屋は僕が学生時代に通っていた店で、多分、38年ぶりになる。いまだ若かった店主夫妻は既にして引退をし、代は息子に替わっていた。

本郷三丁目まで歩いて丸ノ内線で銀座に出る。先ずはコアビル地下1階の靴屋におもむき、日本に入るそばから売り切れる靴1足を予約する。昼食をませて後はシャネルビル4階のギャラリーに上がり、ドゥパルドンの写真展を観る。この人は長いレンズによるスナップショットが上手い。

「LUMIX & Let’s note修理工房」は、修理が完了すると電話またはショートメールでその旨を知らせてくれる。新橋で少々の買い物をし、山手線で秋葉原に戻る。左クリックボタンの復旧した、そしてこれは無料によるサービスなのだが、真新しいキーボードに交換された”Let’s note”を受け取り、日比谷線にて北千住に戻る。

月に1度の、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の9月の例会場所は大抵、ウチだ。そして僕も含めた7名で4種の日本酒を飲む。


朝飯 たまり漬のおむすび
昼飯 「三州屋銀座店」の秋刀魚の塩焼き定食
晩飯 酒肴あれこれたまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき白海老の天ぷら牛肉のたまり漬け焼きうどんヤギサワカツミ本酒会員の差し入れによるトリッパのトマト煮4種の日本酒(冷や)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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