2017年9月の日記30本
2017.9.30(土) タイ日記(6日目)
“Dusit Island Resort”はコック川の中洲に建ち、街とのあいだには1.5キロの距離がある。街で用を足すためには往復3キロを歩かなければならず、不便といえば不便だ。しかし木と漆喰による重厚で落ち着いた屋内、部屋からの良好な眺望、朝食の豊かさなど、他のホテルには代えがたい良さがある。
オムレツは、コンロの右側に用意されている6種の具すべてを入れてもらう。お粥も、生玉子を除くすべての具を入れてもらうつもりでいたが、僕の説明不足から、全部入りは全部入りでもガオラオ、つまりスープになってしまった。しかしそのスープも、もちろん悪くない。
今日は朝からどんよりとした空模様だった。やがて雨も降ってきた。よって午前中は部屋にいて、きのうの日記を書いたり、あるいは調べごとをしたりする。昼がちかくなるころ、降ったり止んだりしていた雨が上がる。身支度を調え、街に出る。昼食はいままで入ったことのない店で、僕としては珍しく、カレーライスを食べた。
チェンライの酒屋は品揃えが少ないところから、好みのラオカーオ”BANGYIKHAN”は、チェンコンの”TESCO Lotus”で見かけて2本を確保しておいた。本日、行きつけの酒屋の店の中を通りから覗いたら、今回に限ってはその”BANGYIKHAN”が何本も並んでいるのだから皮肉なものである。
ホテルに戻る途中で晴れてくる。それと同時に、一気に蒸し暑さが増す。部屋に入ってシャワーを浴び、ベッドに横になる。そして窓から緑の疎林、青い空、白い雲を眺める。いつまで部屋にいては勿体ない天気だ。タイパンツをパタゴニアの短いパンツに履き替え、プールサイドに降りる。そして16時30分まで本を読む。
旅先で便利や不便を感じるたび、そのことを忘備録に箇条書きする。「チェンライのサタデーマーケットでは、17時から通りに入り、18時に広場へ行かないと良い席は取れない」というのも、そのひとつだ。その注意書きの時間にすこし遅れて外へ出る。途中の、旧時計塔が17時17分を指している。
土曜市の開かれるタナライ通りには、今すぐにでも商売の始められる露店もあれば、準備中の店もある。その驚くほど長いにわか作りのマーケットを通り抜け、セブンイレブンで氷を買う。昨年は見かけなかった、生の状態で選び、店の奥で焼いてもらう式の串焼き屋に目が留まる。ここで7本を購入し、更に別の店でホイトードを買う。そしていよいよ広場に入っていく。
「18時に広場へ行かないと良い席は取れない」という僕の覚え書きは甘かった。広場の椅子は、そのほとんどが埋まっていた。モーラムでもルークトゥンでもなさそうだけれど、しかしポップスでもない歌のライブが行われる舞台からはかなり離れたところにようやく席を見つけ、ここに今しがた買った肴と氷、持参したラオカーオとソーダを広げて晩酌を始める。
30分ほども経つと日は落ち、広場には人が満ちる。右に左に視線を泳がせつつ席を探す親子を手招きする。椅子に座れると座れないとでは大違いだ。帰りぎわ「あなたもお礼を言いなさい」と両親にうながされ、長男は僕にに合掌をしながら「コップンクラップ」と頭を下げた。思わず僕も立ち上がり、手を合わせる。間もなく、男ふたりを引き連れたオネーチャンを、これまた手で招く。彼らにもまた、感謝の意を伝えられる。
同席者を得ると、そこから安心して離れることができる。ペットボトルには不覚にも、きのう飲んだ後にラオカーオを足しておくことを忘れていた。よって通りを隔てたセブンイレブンまで缶ビールを買いに行き、串焼き屋で4本を追加注文する。
チェンライのこの土曜祭には、指折り数えてみれば僕は5年連続で来られている。有り難いことだ。歌のオジチャンは今夜も絶好調であり、その歌に合わせて踊るオバチャンたちも、また絶好調である。それにしても、土曜日の夜にタナライ通りに出る屋台の種類と数の多さ、また広場での踊りや食事を楽しむ人たちの数には圧倒されるばかりだ。そして昨年、実際に目にしたことだけれど、明日になれば、この広場は綺麗に片付けられ、ひとつのゴミも残さないのだ。見事と言う他はない。
チェンライに、これほど素晴らしい週末夜市を実現させたのは、どこの誰だろう。そしてそれを今なお続けられている理由は何だろう。できることなら関係している人から話を聞いてみたい。
帰り道では、中学生と思われる年ごろのブラスバンドが演奏をしていた。上手とは言いがたかったが、20バーツを箱に入れる。旧時計台のある市場まで戻ってくると、時刻は20時を過ぎていた。そこから更に10分ほどを歩いてホテルに戻り、シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、ガオラオ
昼飯 名前を知らない店のゲーンハレー、ごはん
晩飯 サタデーナイトマーケットの屋台のモツ焼き、小さな貽貝のホイトード、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)、チャンビール
2017.9.29(金) タイ日記(5日目)
目を覚まして枕頭のiPhoneを取り上げ、ホームボタンを押して時刻を見ると、0時36分だった。極端な早寝早起きによる昼夜逆転である。今日は移動日で時間に追われるため、きのうの日記を完成させる。また、荷造りも済ませてしまう。チェンコンに来た日に買った6本パックのソーダの残り2本、またきのう2本のペットボトルに移し替えたラーカーオが荷物を重くしている。
チェンコンからチェンライへ帰る道中で何かあった場合に備え、朝食はメニュからオレンジジュースのみ断り、他はすべて食べた。部屋に戻って忘れ物がないか調べ、8時15分にフロントに降りる。そして8時20分にホテルを出る。今にも雨の降り出しそうな雲である。橋を渡り坂を上がって、市場の入口には8時29分に着く。あまりの空の暗さに、二輪車はヘッドランプを点けて走っている。強く風が吹き始める。
「ベンチで待つうちチェンライ行きのバスは来るだろう、そうしたら乗り込んで、9時の出発を待つばかりだ」と考えつつ奥へ進んでいくと、いま正に8時30分発の、チェンライ行きではあるけれど、かつての山道を辿り、メーフォン経由でチェンライに至るバスが走り出したところだった。
「ウォイ、ウォイ、ウォイ」と、市場で働くひとりがバスに向かって大声を上げる。「待て、乗客がもうひとりいるぞ」という意味だろう。メーフォン経由は時間がかかると聞いていたため、当方にその意思はなかったものの、親切なタイ人には義理立てをしなくてはならない。背中にザック、右手にスーツケースを持ち上げ、後ろのタラップから車内に駆け上がる。バスが街道に出るまでの数十秒のあいだに、遂に雨が降り始める。それもいきなり強く。
最後部の席の男の人に「これは直行便ではないですよね」と、念のため確かめる。相手は山道を表すように、右手の人差し指で空中に曲線を描いた。そして「どちらから」と訊いた。僕は”JAPAN”と答える。ここまでは英語の会話である。すると相手は「えっ、日本の方ですか、私も日本人です」と、驚いたように声を上げた。数えるほどしか客の乗っていない田舎のバスで、珍しいこともあるものだ。
男の人は僕よりひとつ上で、タイにはじめて来たのは僕とおなじ20代のはじめ。今は引退をして、チェンライとチェンコンのアパートを交互に行き来しつつ、タイの北部を歩いて楽しんでいるという。以降はずっと、その男の人と会話を続けた。
メーフォン経由の道は時間がかかると聞いていたものの、バスは10時59分にチェンライのバスターミナル1に着いた。所要時間は2時間29分。強雨の中を走り続けたにもかかわらず、直行便による往路に4分しか遅れていない。チェンコン発08:30発に飛び乗ったのは正解だった。
古いバスターミナルが改装中とは月曜日の日記にも書いた。現在の待合所は、ぬかるみに椅子を置き、テントを立てただけの粗末なものだ。道中、雷を伴うこともあった雨は、いまだ続いている。テントの横にはトゥクトゥクが”tail to nose”の状態で並び、客を待っている。ここでトゥクトゥクに乗れば濡れずに済む。乗ればホテルに行くしかない。ホテルと街のあいだには1.5キロの距離がある。当然、昼食はホテルに頼ることになる。しかし朝食はとにかくとして、昼食や夕食をホテルで摂る気はしない。
痩せ我慢をしてテントの外に出る。幸いなことに、雨は弱まり始めた。清潔そうな汁麺屋の前を通り過ぎ、すこし考えて、その店に引き返す。そしてバミーナムと告げる。女の人が「豚か牛か」とタイ語で訊く。「豚」と答えておもむろに、外の雨の様子を眺める。
いつもの崖下の道をトゥクトゥクは軽快に走り、ホテルには11時45分に着いた。予約時に書き送った希望のとおりではなかったけれど、ベルボーイには、そのふたつ奥の部屋に案内をされる。眺望はこちらの方が良さそうだ。雨は止み、日が差しはじめている。
風呂桶の湯に、5日ぶりに浸かる。チェンコンにいたときには、外から部屋に戻るたび、シャワーで汗を流していた。今日は朝からの雨が地表を冷やしたのだろうか、部屋にいても、靴下と靴を身につけたいほどの涼しさである。午後はずっとコンピュータに向かう。
部屋の周囲では、僕の知らない言葉を話すヨーロッパ系の白人が、しごく騒がしい。一族郎党で旅に出れば、それも仕方の無いことなのかも知れない。
18:00発のシャトルバスで街に出る。チェンライにいるときの夕食は大抵、ナイトバザール奥の、ほとんど地元の人しかいないフードコートで摂る。ここへ来たら、何と言ってもラオス風の土鍋チムジュムである。しかし、それをひとりで食べきれるほど腹は空いていない。よって今日のところはその手前にある観光客のためのオープンレストランにて、肉を避けつつ肴を選ぶ。
朝飯 “FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”のトースト、ハムとソーセージを添えた目玉焼き、コーヒー、タイの標準語ではファラン、北部の方言ではマッキャオと呼ばれる果物と西瓜
昼飯 バスターミナルちかくの汁麺屋のバミーナム
晩飯 ナイトバザールの観光客用オープンレストランのソムタム、プラームックヌンマナオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.9.28(木) タイ日記(4日目)
目を覚ましても、しばらくは闇の中で静かにしている。カーテンを開け放った窓の向こうには、ラオスの明かりが点々と見えている。枕頭の電気スタンドを点け、サイドボードに置いた腕時計を覗き込む。時刻はいまだ1時12分だった。
日本の衆議院議員総選挙において、驚天動地の怪現象の起きていることを知ったのは、きのうの夜のことだ。部屋の壁に備えつけのPanasonic製テレビを点ければ、日本のニュースが見られるかも知れない。しかしそれをすれば旅情は著しく殺がれる。本を読み、うつらうつらし、ようよう朝を迎える。
日本にいるときは、食事の直後を除いては四六時中、腹を空かせている。ところが旅に出ると、たとえば今回なども、プールで泳いだり1日に10キロ以上も自転車を走らせるなど、普段より運動量はよほど多いにもかかわらず、不思議なことに腹は空かない。人間の体の中でもっとも熱量を費消する臓器は脳だという。腹が空かないとは、脳を使っていないということだろうか。
1泊目の朝の内容が、このホテルが定める朝食の総量である。これだけ食べると午後になっても腹が空かないため、2泊目のきのうは粥と果物だけにしてもらった。ジュースは出されても飲まない。それでも午後まで腹は空かなかった。というわけで今朝は、トーストとコーヒーと果物だけにしてもらう。普段の僕からすれば耐えがたい少なさではあるけれど、これも実験である。
今日の日差しはそれほど強くない。10時41分に自転車でホテルを出る。2キロ以上の道のりを僅々9分でこなし、きのうラオカーオを買い損ねた”TESCO Lotus”に着く。酒売り場で好みのラオカーオ”BANGYIKHAN”2本を買い物カゴに入れ、今日こそは購入を果たす。そして「どこかで使う機会があるはずだ」と日本から持参した、いわゆる「プチプチ」に包んで自転車のカゴに入れ、ホテルに戻る。
朝食を極端に減らした甲斐があったか、首尾良く正午前に腹が空く。またまた自転車に乗り、街道を北西に進んで”Chiankong Green Inn”の角を川の方に右折した先の右角にある、おととい14時30分に来たら既にして昼の営業を終えていた繁盛店で、豚の骨付き肉と血豆腐のたっぷり入ったセンヤイナムギャオを食べる。「センヤイ」の発音はなかなか難しく、「ン」と「イ」を発音する際に、舌の先を上下の歯で挟むようにすると通じやすい。
きのうより2時間おそい13時すぎからプールサイドに行く。きのう一昨日と同じく日除け傘とプール専用タオルをフロントに頼み、傘を立ててくれたオニーチャンに40バーツを手渡す。プールサイドでは1時間30分ほども本を読み、部屋に引き上げる。
シャワーを浴び、午前に買ったラオカーオ”BANGYIKHAN”を2本とも、容積と重さを減じるため、空いたペットボトルに移し替える。そして「プチプチ」で包み、ビニール袋に入れて輪ゴムで固く口を留める。
15時30分より、いつものテラスで小一時間ほども仕事をする。そして日の暮れる前に街に出る。昼に開いていた食堂はやはり、ことごとく雨戸やシャッターを閉めている。きのうの総菜屋台は幸いなことに、今日も店を出していた。ここで2種のおかずを買い、ホテルに戻る。
対岸の森が夕陽を受けて、何とも形容しがたい、素晴らしい色に染まっている。その景色を眺めつつ、この上なく寛いで、ラオカーオのソーダ割りを飲む。そして19時台に就寝をする。
朝飯 ”FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”のトースト、コーヒー、タイの標準語ではファラン、北部の方言ではマッキャオと呼ばれる果物と西瓜
昼飯 “Chiankong Green Inn”の角から川の方に坂を下って右側の汁麺屋のセンヤイナムギャオ
晩飯 豚挽き肉のちまきレモングラス風味、豚肉と青梗菜のスープ煮、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.9.27(水) タイ日記(3日目)
2時台に目を覚ます。パクラ村のシームンの家は山あいの谷にあり、また窓はガラスではなく、夜のあいだは木の扉が閉められている。よって外の様子を覗うことはできない。早寝をして0時ごろに目を覚ますと、夜が長くて輾転反側を繰り返した。しかしこのホテルでは、部屋からラオスの明かりが見える。それが民家のものか街灯かはうかがい知れないものの、その、乏しい明かりだけでも退屈しのぎになるから不思議だ。今朝は幸いなことに二度寝ができて、空が明るくなりかかるころに、ふたたび目を覚ます。
きのう日記を書いたテラスで、今朝は6時20分からコンピュータを開く。朝食は6時30分からと聞いていたけれど、メニュを持ってウェートレスが来る。「いま仕事をしているから、朝ごはんは後でね」と、取りあえずは引き取ってもらう。すると、今度は先ほどと異なる制服のウェートレスが近づき「コーヒーだけでもいかがですか」と声をかけてくれる。とても有り難い。仕事は順調に捗った。
朝食の後はおなじ場所で日記を書く。このホテルのwifiの有効期限は1日だ。しかし24時間ではない。きのうは朝9時に突然、回線が途切れ、それまで書いてきた部分すべてを失った。「クラウド」も良し悪しである。今朝、フロントでもらったパスワードをブラウザに打ち込むと”END TIME 2017.9.28 01:52″と出た。持ち時間は17時間ほどしかない。そう考えているところに先ほどの、フロントの太った人が来て「お客様は金曜日までお泊まりですので」と、4枚のバウチャーをまとめて手渡してくれた。有効期限を小間切れにするのは安全対策なのだろうか。
部屋には11時前に戻った。そして水着を身につけ、ロビーに降りる。日除けの傘とバスタオルをプールサイドへ運ぶよう、フロントにいたオニーチャンに頼みつつ心付けの40バーツを手渡す。傘もタオルも、初めから用意をしておいてくれれば不要のチップではあるけれど、細かいことは言わない。
太陽がD棟の屋根の向こうに隠れる14時までプールサイドにいると、街の食堂では食材が売り切れる、ということが起きる。きのうのカオマンガイ屋がそうだった。しかし昼食を犠牲にしても、日の差すあいだは寝椅子で本が読みたいのだ。
街道を自転車で北西へ走り、soi6に左折する。ふたつ目の交差点の右向こう角にある食堂のことは、過去にこの街を訪ねた日本人のウェブログで知った。ここでラオス風のカオソイと赤米のちまきを食べる。ちまきは濃い目の味付けだった。夜の肴にもうひとつ買おうとして、思いとどまる。
食後は自転車を南東に走らせ、初日にバスの窓から見えた”TESCO Lotus”まで行ってみる。食品売り場をひやかすと、僕の最も好きなラオカーオ”BANGYIKHAN”があった。よって買い物カゴに1本を取り、レジへ行く。そのレジのオネーサンに何ごとか言われて「あー、そうだった」と腕時計を指すと、オネーサンは頷く。タイでは法律により、午前11時から午後2時までのあいだを除いては、日中に酒を買うことはできない。明日、気力があれば、今度は時間を見計らった上でふたたび来て、このラオカーオを買うことにしよう。
ホテルに戻ると16時が過ぎていた。今日は自転車で10キロ以上は走ったように思う。汗に濡れた帽子とシャツをハンガーにかけ、窓のカーテンレールに吊る。シャワーを浴び、ベッドに横になり、ラオスの上空に立ちのぼる積乱雲を眺めて休む。
「ことによると、どこか食堂が店を開けているかも知れない」と、19時を過ぎてから外へ出る。しかし街道筋の店はほとんどシャッターを降ろし、まるで深夜のようだ。きのう氷を買ったセブンイレブンとは違う方の、北西のセブンイレブンの角に、総菜を売る屋台を見つけ、ここで2種類のおかずを買う。そしてそれを部屋に持ち帰り、3日連続の部屋飲みをする。
朝飯 “FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”の豚挽き肉のお粥、西瓜とパイナップル、オレンジジュース
昼飯 街道からsoi6を入った先のメシ屋のラオス風カオソイ、赤米のちまき
晩飯 春雨炒め、豚の挽き肉のちまきレモングラス風味、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.9.26(火) タイ日記(2日目)
民家、ホテル、公式の建物の別なく、タイの建物の床は、古くは木、時代を下っては、暑さを避けるためタイルで敷かれることが多い。そのタイルの床に、ベッドから何かの落ちた音で目を覚ます。
きのうの夕刻に部屋でラオカーオのソーダ割りを飲み、そのままいわゆる「寝落ち」をしてしまったことを初めて知る。それにしても、床に落ちたものは何だろう。
部屋の明かりを点けると、薬、バンドエイド、体温計などをまとめて納めていたジップロックの袋から、たくさんの薬が落ちている。iPhoneも落ちている。メガネが落ちなかったのは幸いだった。時刻は夜中の1時57分だった。
着の身着のままだった服を脱ぎ、シャワーを浴び、歯を磨く。備えつけのガウンに着替え、部屋の明かりを消し、ふたたびベッドに横になる。対岸のラオスに、ポツリポツリと明かりが見える。そしてそのまま、また眠りに落ちる。
朝食は、メコン川に面した食堂で摂る。部屋には低く小さな丸いテーブルのみがあり、デスクは備えていない。よって午前中はロビーと食堂のあいだにある気持ちの良いテラスできのうの日記を書く。
11時がちかくなると、それまでの川風が止み、ひどく蒸し暑くなってくる。それを潮に部屋に戻り、水着に着替え、バスタオルを持ってプールに降りる。B棟とD棟に挟まれたプールには、上手いことに、太陽が空高く昇る日中の4時間ほどは日が差すように考えられている。通りかかったホテルの従業員に40バーツを手渡し、日除けの傘とプール専用のバスタオルを持って来てもらう。ここで14時まで本を読み、ふたたび部屋に引き上げる。
14時30分、きのうに続いて自転車を借り、街に出る。チェンコンの街は、旧市街では片側一車線の街道が南東から北西に延び、北側のメコン川とのあいだに1本、場所によっては2本の静かな道が通じている。
街道を北西に進むと、いかにも外国人観光客の好みそうなレストランやマッサージ屋が増えてくる。そこからメコン川へ向かって急な坂道を下ると、タイ海軍の施設は別として、”Buk Port to Laos”や”Wat Luan Port”などの船着場がある。かつてはこのあたりが、旅行者のもっとも行き交うところだったのだろう。しかしタイとラオスを結んでいた舟は数年前から現地人専用となり、外国人はすべて、両国の行き来は友好橋4を介することとなった。上記のレストランやマッサージ屋がいかにも閑そうなのは、その、人の流れの激変が影響しているものと思われる。
街道とメコン川の間を南東から北西に延びる静かな通りには、これまたいかにも外国人観光客の好みそうなレストランが点在している。その道を南東にペダルを漕いで街道に戻り、名前を訊いたけれど忘れてしまったカオマンガイ屋で昼食を摂る。食後は更に南東へ走り、きのうバスで着いた市場まで行く。チェンライに戻る方法が分からないのだ。
すると具合の良いことに、見慣れた赤いバスが東の方から近づいて来た。バスはきのうとおなじ、街道から市場に続く狭い道に入って停まった。その脇の建物の中を覗くと、カウンターに”BUSSTATION CHIANGKHON”の文字があった。奥にベンチが見えている。そちらに回ってみると、そこはやはりバスの待合所で、チェンライへの時刻表が掲げられていた。チェンライへの直行便は、朝5時から午後3時までの毎時0分発、メーフォン経由チェンライ行きは、朝4時から午後2時までの毎時30分発に加えて15:45発があった。これで帰りの心配は無くなった。小さな市場の中を一巡してホテルに戻る。
今年の春に訪れたプレーもそうだったけれど、地元の人のための食堂は、昼こそ開いているものの、夜は閉まってしまう。メコン川を望むようにして建つ洒落たレストランまで、夜、わざわざ歩く気はしない。海外へ行きながら外で買ったものを部屋に持ち込み、ひとり食べる人の気がようやく知れた気がする。
きのうの広場にあった屋台街は、今日は綺麗さっぱり消えている。しかし先ほどホテルに戻るとき、その広場から市場へ向かう橋のたもとに、今日は肉の照り焼き屋台のあることを見ていた。17時30分にホテルを出て、その屋台のオバチャンに「これからセブンイレブンに行く。帰りに寄る」と声をかけると「オーケー」とオバチャンは応じた。
この街の街道に2軒あるセブンイレブンの、市場にちかい小さな方のそこで10枚組の紙皿、栓抜き、氷をそれぞれ36バーツ、25バーツ、8バーツで買う。ソーダの栓を抜くため、きのうはホテルの食堂で栓抜きを借りた。それが面倒ゆえの購入である。
日の暮れかかる田舎の街道を徒歩で戻り、3人の子を持つオバチャンの屋台で豚の子袋と首肉の照り焼きを、それぞれ3片ずつ買う。値段はいずれも1片あたり15バーツ。綺麗な英語を話す上の女の子に90バーツを支払う。
90バーツ分の豚肉は、隨分と食べでがあった。そしてシャワーを浴びて、19時台に就寝する。
朝飯 ”FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”のオレンジジュース、コーヒー、トースト、ハムとソーセージを添えたオムレツ、西瓜とパイナップル
昼飯 名前を訊いたけれど忘れてしまったカオマンガイ屋のバミーナム
晩飯 豚の子袋と首肉の照り焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.9.25(月) タイ日記(1日目)
00:20の出発時刻にもかかわらず、”BOEING 747-400″を機材とする”TG0661″は、いつまでも動かない。高度1万メートルに達して以降の寒さに備え、当方は半袖シャツの上に木綿のセーターとウィンドブレーカーを重ね、下半身には備えつけのブランケットを巻き付けている。額に薄く汗がにじむ。
00:45 これから燃料を補給する旨のアナウンスが流れる。
00:59 これから15分後に離陸の準備が整う旨のアナウンスが流れる。
01:26 定刻から1時間6分を遅れて離陸。
05:12 あたりが急に賑やかになって目を覚ます。アイマスクを外すと、間近に迫った客室乗務員が温かいおしぼりを手渡してくれる。
05:34 席に朝食が運ばれる。
“TG0661″は1時間6分の遅れを取り戻し、定刻ちょうどの日本時間06:50、タイ時間04:50にスワンナプーム空港に着陸をした。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:20 機内からタラップを降り、バスで空港ビルに運ばれる。
05:25 どのあたりから空港ビルに入るかは、その時々による。今回は初めての場所につき、“TRANSFER”の表示よりも勘に頼って進む。
05:33 タイスマイル航空のカウンターにボーディングカードを差し出す。
05:40 そのすぐ脇のパスポートコントロールを抜ける。
05:42 これまで見たこともない、まるでローカル空港のそれのようなB9ゲートに達する。
07:19 ボーディングが開始をされる。
08:11 eチケットには”TG2130″とあるタイスマイル航空”WE130″は、定刻に21分を遅れて離陸。
09:15 羽田からの“TG0661″とおなじく、遅れを取り戻して定刻の09:15にチェンライのメイファールアン空港に着陸。
09:30 バゲージクレームにてスーツケースを受け取る。
09:34 ”TAXI METER”の矢印に従い、空港ビルの外に新設された場所でタクシーを申し込む。
「ナイトバザールのちかくのバスターミナルまで」と、オネーサンにタイ語で告げる。「ターミナル1ですね、160バーツです」とオネーサンは英語で答えた。”TAXI METER”とはいえメーター制ではない、ということだ。
空港から街への広い道路にハンドルを切りつつ「行き先はチェンライ?」と運転手が訊く。「チェンコン」と答えると「チェンコンまでなら1,000バーツ。このままチェンコンに向かうこともできますよ」と運転手がルームミラー越しに僕の様子を覗う。「いや、ローカルバスで行く。地元の人たちに混じって動くのが好きなんだよ」と、その提案を断る。
タイの地図の最北部に目を近づけると、ミャンマーそしてラオスとの国境に沿って西からメーサイ、チェンセーン、チェンコーンの3つの町のあることが分かる。いささか古い情報ではあるけれど、ロンリープラネットの2008年版によれば、人口はそれぞれ25,800人、55,000人、9,000人と示されている。とすれば、3つのうちのいずれを僕が目指すかは明白である。
市中心部の、改装されると聞いていた古いバスターミナルは、今まさにその工事中で、現在はそのちかくの、舗装もされていない広場がバスの発着場になっていた。トランクから僕のスーツケースを降ろした運転手に100バーツ札2枚を手渡す。運転手は20バーツ札2枚を釣りとして返して寄こす。僕は「タンブン」と言って、それをまた彼に戻す。運転手はニッコリ笑い、その40バーツをシャツの胸ポケットに収めた。
青いバスの後ろに立った男が「パヤーオ」と声をかけてくる。「チェンコーン」と、大きな声で返す。すると男は2台奥の、中々に年季の入った赤いバスの運転手と車掌に「チェンコンだってよ」と伝えてくれた。ちなみに「運転手と車掌」とはいえその風体は、街道筋の差し掛け小屋で焼きトウモロコシでも売っていそうな男女である。
車掌が僕のスーツケースとザックを最後席の前の床に置く。僕は運転手にひと言ことわり、通りに見えているセブンイレブンで7バーツの水を買ってバスに戻る。車内に乗客が増えてくる。と、後部の昇降口に「ファンソンシャンには行きますか」と、ファランのジイ様が顔を出した。ジイ様は、知り合いがLINEで送って来た、アルファベットによる地名を棒読みしているらしい。
とにかくその場所は、チェンコンからそう遠くないと判断をされ、ジイ様は僕の隣の席に着いた。バスは珍しく、定刻の10:30にチェンライのバスターミナルを出発した。帽子を深々とかぶり、マスクをかけたままのオバチャン車掌に65バーツの運賃を支払う。
バスは間もなく田園地帯に出て、一路、北東を目指す。窓外には、遠くの山まで水田の広がる景色が延々と続いている。
ファランとはタイ語で西洋人を指す言葉で、その語源は”foreigner”とも”France”とも言われているが、定かではない。とにかく「ファンソンシャン」である。
“days”が「大豆」に聞こえる訛りの強い英語に苦労をしつつ、僕やファラン爺とおなじ最後席に座った、英語とタイ語の話せるラオス人のオニーチャンがファラン爺の話を聞き、走行中のバスの中を歩いて運転手に相談に行く。「優しいねー」と僕はオニーチャンを褒める。「チャーイ」とオニーチャンは破顔一笑である。
「LINEの相手に電話をして、タイ語で誰かに説明してもらったら?」と、思い余ってファランに言う。”waiting”とは「先方から電話がかかってくるのを、オレも待っているんだよ」という意味だろう。やがて待望の呼び出し音が鳴り、ファラン爺はサムソン製のスマートフォンをオニーチャンに手渡した。
それはさておき僕は尿意を催している。しかし乗り合いのローカルバスでは、トイレ休憩などは無いだろう。いざとなったらその辺に停めてもらおうと考えるうち、バスは首尾良く給油のためガソリンスタンドに入った。走行中も閉まらない、というか開いたまま固定をされている後ろの昇降口から飛び出し、これまた開きっぱなしの前の昇降口から「便所!」とタイ語で運転手に伝える。ガソリンスタンドのオバチャンの指す方に走り、無事に排尿を果たす。外国語で先ず覚えるべきは、挨拶などより「水」や「便所」ではないかと、僕は本気で考えている。
チェンライのバスターミナルで、このバスの行き先は”Friendship Bridge Chiang Khong Laos(houay xai)”と示されていた。しかるに僕の行き先は、タイとラオスを繋ぐ、メコン川に架けられた友好橋ではなく、チェンコンの街だ。僕の心配は、ただその一点にある。
チェンライを出て2時間が経ったころ、バスが停まった。後ろの昇降口にはトゥクトゥクの運転手を示すオレンジ色のベストを着た男たちが集まって「ラオ、ラオ」と口々に誘う。来る途中で乗り込んできた「こんな田舎に住んで、何をしているのだろう」といぶかしく感じたやはりファラン男が「ラオスに渡るなら、ここが降りるべき場所だ」と、最前席から後ろを振り向いて大声を発する。「オレはチェンコンのダウンタウンに行く」と、こちらも大声で返す。ファラン男は「まだ先」と答えて、ふたたび前を向いた。
チェンコンの小さな市場には12時55分に着いた。「ファンソンシャン」を目指し、ここからトゥクトゥクで15キロを戻ろうとしているファラン爺は”See you again”と笑って去った。
日本にいるときgoogleマップで調べた限りでは、ホテルはそう遠くないところにあるはずだ。麦わら帽をかぶりサングラスをかけた、色の白い、良く言えば機転の利きそうな、悪く言えば目から鼻に抜けそうな女の人に、予約したホテルの名を告げ案内を請う。「だったらトゥクトゥクね」とオネーサンは答える。「いくら?」と訊く。オネーサンは客待ちをしている運転手たちに料金を訊ねる。30バーツ。即、示された荷台にスーツケースを載せ、座席にザックを置く。
ホテルには数分で着いた。スーツケースはフロントのオネーサンが部屋まで運んでくれた。オネーサンには40バーツのチップを手渡す。
シャワーを浴び、歯を磨く。スラックスと革靴を、それぞれタイパンツとゴム草履にはき替える。フロントに降り、ホテルの自転車を借りて街を一巡する。セブンイレブンでシンハ製ソーダの6本パックを48バーツで買う。街道とホテルのあいだの広場の屋台街で、鶉の炭火焼き1羽を買う。そして部屋に戻り、ことし6月にバンコクのパタデパートで買い、今回、ペットボトルに入れ替え持参したラオカーオをソーダで割る。肴は今しがた手に入れた、鶉の炭火焼きである。
時刻はいまだ16時くらいではないか。窓の外には滔々と流れるメコン川。そしてその向こうにはラオスの赤い屋根が、木々の間に散らばって見える。酔ってベッドに腹ばいになる。そして以降の記憶は無い。
朝飯 “TG0661″の機内食
昼飯 “WE130″の機内スナック
晩飯 鶉の炭火焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.9.24(日) 例外にて
普段、目覚ましを使うことはない。極端な早寝早起きだから、その必要が無いのだ。しかしきのうの夜ばかりは例外にて、今朝の午前3時に鳴るよう、iPhoneにアラームを設定した。
年末の贈答時期に向けたダイレクトメールのお送り先を顧客名簿から特定することは、本来であれば一昨日にする予定だった。ところが一昨日も、またきのうもそのための時間が取れず、遂に「日中では無理だ」と判断をした。この仕事にかかる時間はそれほど長くないものの、精密さを要求されるゆえ、電話や来客の絶えない場所ではできないのだ。
目を覚まし、しばらくすると枕の下で3時のアラームが鳴った。眠さは感じない。ゆっくりと服を着て洗面を済ませ、3時30分から食堂のテーブルでコンピュータに向かう。仕事は僅々18分間で完了した。以降は応接間に移動をし、一覧表に従って荷造りをする。
お彼岸の連休で店は忙しいものの、各町内の自治会長、神社総代、神社世話人を集め、平町のキタムラヒロシ自治会長が議長となって開く「当番町を考える会」に瀧尾神社の責任役員として出席をするため、15時前に朝日町の公民館へと赴く。会議は活発な意見を得て手際よく進み、16時20分に完了した。
終業後、下今市18:57発の上り特急スペーシアに乗る。浅草には3分遅れの20:48に着く。夕食を済ませて都営浅草線のプラットフォームに降りていくと、ちょうど羽田空港方面への急行が停車していた。車両は浅草を21:16に出て、羽田空港国際線ターミナルには22:01に着いた。
22:25 タイ航空のカウンターにてチェックインを完了。
22:36 手荷物の保安検査場を抜ける。
22:41 パスポートコントロールを抜ける。
22:50 105番ゲートに達する。
23:35 搭乗が開始をされる。
23:50 最後尾ちかくの好みの席に着く。
朝飯 納豆、巻湯波と牛蒡と蓮根と人参の淡味炊き、トマトと青エンドウ豆の卵とじ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「CoCo壱番屋」の野菜サラダ、野菜カレー
2017.9.23(土) 旅も色々
「明日、どこ行くんだっけ」と新婚旅行の前夜、新妻に訊いて叱られた男がいる。その夫婦はその後、3人の子供に恵まれ、仲良く、かどうかは知らないけれど、今も普通に暮らしている。
2010年6月、業界の親睦旅行にて、人間の力のみで造られたとは到底信じがたい壮麗な遺跡アンコールワットを訪ねた。帰途、スワンナプーム空港での乗り換えを利用してアユタヤに立ち寄る日程に対して僕は、一行を離れバンコクで同級生と過ごしたい旨を事務局に申し出た。僕の単独行動は許され、また「ウワサワさんのお父さんは、最終日に合流なんてことも、されてましたし」と教えられた。
それより32年を遡る1978年11月、マカオグランプリの前座レースに日本クラシックカークラブから古いクルマが出走することになり、クラブ員であるオヤジと僕は関係者と共にマカオの地を踏んだ。1泊の後、日本から船便で運ばれたクルマの届いている自動車工場まで皆と一緒に来たオヤジは、しかしバスを降りなかった。そして夜、ホテルに帰ると「香港に戻ります」との書き置きがあった。
新婚旅行の行き先を知らない男、団体旅行の最終日に合流あるいは2日目に離脱するオヤジ。これらの面々を周囲が許容し、また懐かしい想い出としているのはひとえに、彼らの人徳による。僕も、そのあたりを目指さなければいけない。
最後に付記すれば「明日、どこ行くんだっけ」と訊いて叱られた男は多分、新妻と旅に出られるなら、行き先などどこでも良かったのだ。万葉的解釈をすれば、男の中の男である。
朝飯 生のトマト、ほうれん草のソテー、納豆、温泉玉子、巻湯波の淡味炊き、胡瓜のぬか漬け、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 牡蠣の醤油煮、白海老の昆布締め、牛ロース肉のロースト、冷や奴、塩楽京、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、柿、麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)
2017.9.22(金) すべきこと
きのうの夜から今朝にかけて、食堂の食器棚に置いたメモ用紙に、今日すべきことを書いた。数えてみると、それらは10行に亘った。その10行には「3つの銀行を巡ってどうのこうの」とか「これこれの資料を持って税理士事務所を訪ね、説明の上、置いてくる」というような大切なことから「下級生を鮨屋に誘う」という、どうでも良いことまでが並んでいる。
10行の中でもっとも手間のかかることは「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」の手入れだ。これを夕刻に終えると、10行のうち6行については完了し、赤い二重線が引かれた。残りの4行は、明日に繰り延べである。
1日のうち、もっとも好きな時間は僕の場合、早朝に目覚めたとき、そして夕食の前である。前者は「これから夜までのあいだに、いろいろと、たくさんのことができる」との意欲に満ちて嬉しい。後者はもちろん、これから肴と酒にありつけることが嬉しい。
そしてその夕食の席に着く前に、先ずは白ワインの栓を抜く。
朝飯 生のトマト、納豆、巻湯波と人参の炊き合わせ、小松菜のおひたし、茄子と赤ピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、ごぼうのたまり漬(試作品)、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 マカロニサラダ、「あおざい」のバインミー、トリッパのトマト煮、隠元豆のソテーを添えた秋刀魚のオーブン焼きコラトゥーラとスダチの絞り汁かけ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、葡萄、チョコレートケーキ、アイスクリーム、“Old Parr”(生)
2017.9.21(木) 長いレンズ
07:03発の上り特急スペーシアに乗るべく、東武日光線下今市駅のプラットフォームに立つ。ここの、飲物の自動販売機でお茶を買うときにはいつも、小さからぬ葛藤にかられる。
280ccのお茶は130円。それに対して500ccのお茶は160円。容量と価格の関係からすれば、後者の方が圧倒的に得だ。しかし500ccのボトルでは東京に着くまでに飲みきれず、ザックに入れて持ち歩くことになる。”theory of constraints”に照らせば280ccを選ぶのが常道と思われる。そして遂に、280ccの方のボタンを押す。
1週間ほど前から”Let’s note”の左クリックボタンの調子が悪くなっていた。いつ利かなくなるか分からない。しかし家内と長男は新宿タカシマヤに出張中であり、また茗荷の買い入れもある。とてもではないけれど、会社を空けられる状態ではなかった。そして本日ようやく、秋葉原の「LUMIX & Let’s note修理工房」を訪ねる。
インターネットで予約をした上で実機を預ければ、修理は数時間で完了する。この工房のある限り、僕が”Let’s note”から離れることはないだろう。
工房を出て昌平橋通りに出る。神田明神下の交差点を9時25分に通過する。湯島天神下から切り通し坂を上がり、湯島2丁目の、春日通りに面した床屋には9時42分に着いた。数日前に予約をしておいたこの床屋は僕が学生時代に通っていた店で、多分、38年ぶりになる。いまだ若かった店主夫妻は既にして引退をし、代は息子に替わっていた。
本郷三丁目まで歩いて丸ノ内線で銀座に出る。先ずはコアビル地下1階の靴屋におもむき、日本に入るそばから売り切れる靴1足を予約する。昼食をませて後はシャネルビル4階のギャラリーに上がり、ドゥパルドンの写真展を観る。この人は長いレンズによるスナップショットが上手い。
「LUMIX & Let’s note修理工房」は、修理が完了すると電話またはショートメールでその旨を知らせてくれる。新橋で少々の買い物をし、山手線で秋葉原に戻る。左クリックボタンの復旧した、そしてこれは無料によるサービスなのだが、真新しいキーボードに交換された”Let’s note”を受け取り、日比谷線にて北千住に戻る。
月に1度の、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の9月の例会場所は大抵、ウチだ。そして僕も含めた7名で4種の日本酒を飲む。
朝飯 たまり漬のおむすび
昼飯 「三州屋銀座店」の秋刀魚の塩焼き定食
晩飯 酒肴あれこれ、たまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき、白海老の天ぷら、牛肉のたまり漬け焼き、うどん、ヤギサワカツミ本酒会員の差し入れによるトリッパのトマト煮、4種の日本酒(冷や)
2017.9.20(水) 明窓浄机
「ウチのオバチャンはイッセンマン、貯めたからね」と、誇らしそうに言った人がいる。日光地方では「オバチャン」は様々な意味で使われる。この場合の「オバチャン」は「お婆ちゃん」で、その人の老母を指す。
「オバチャン」は一介の主婦で、突出した技能や才能は持たない。長いあいだ時間給の労働者としてこつこつと働き、質素な生活を保った結果の「イッセンマン」だろう。ところでこの「オバチャン」の性向のひとつに「何でも捨ててしまう」ということがある。
「何でも捨ててしまう」と「イッセンマン」は一見、結びつかないように思われるが、実はそうではない。「何でも捨ててしまう」ということは、モノへの執着が無いということだ。欲しいモノが無ければ金は貯まる。もうひとつ、身のまわりのモノを最小限に保てば「あれがない、これがない」と探し回った挙げ句に見つけられず、あったはずのモノを重複して買い足す、という無駄も発生しない。まことに合理的である。
ウチの決算月は8月だ。この決算に必要な書類はあらかた税理事務所に渡した。ところがいまだ足りないものがある。今月はじめに取得した2つの書類が見つからないのだ。金庫にしまわないはずは無い。しかし金庫にそれは見あたらない。しまいには、その書類を受け取りに行った際に用いたザックの中まで調べたけれど、やはり無い。
賽の河原に石を積むような無駄な行いと知りつつ、もういちど金庫の中を調べる。すると厚さ10センチほどの紙の束の中からようやく、それは出てきた。すかさずロッカーに走り、黄色いクリアファイルをひとつ引き出して事務室に戻る。そしてそのファイルに「8月31日 必要書類」とマジックインキで大書し、当該の書類を収める。
必要の無い書類まで取り置くから必要な書類が見つからないのだ。「イッセンマン、貯めたからね」のオバチャンに倣って僕も、何でも捨てなければならない。そして即、自分の事務机に積み重なった書類すべてを処理、処分する。
朝飯 塩鮭、塩楽京を薬味にした納豆、青エンドウ豆の炒り卵、胡瓜のぬか漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、糸こんにゃくと切り昆布の炒め煮、メシ、茗荷の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 アボカドとサーモンとベビーリーフのサラダ、パン、牡蠣とトマトのスパゲティ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、チョコレート、”Old Parr”(生)
2017.9.19(火) 宿題
店舗に向かって左手の目立たないところに坪庭がある。草木を愛でる趣味は、それほど持ち合わせない。しかしこの小さな庭に我慢できないほどの乱れがあれば、雑草を引き抜き、枯れ葉を拾い、踏み石の上の砂利を掃くくらいのことはする。
今朝はその坪庭の、ほとんど日の差さない湿ったあたりに秋海棠の咲いていることに気づいた。秋海棠には想い出がある。
いまだ10歳に満たないころ、自分の一番の楽しみは、ウチの番頭だったコイズミヨシオさんの家に泊まりに行くことだった。コイズミさんの家は朝日町の愛宕神社のちかくにあって、男ばかり3人の子供がいた。釜で炊いたごはんは美味く、おかずも、また味噌汁の具も家では目にしたことのないものばかりで、これまたすべて美味かった。
3人の少年は、それぞれ僕より2歳、4歳、6歳ほど年長だったように思う。彼らに加わり、愛宕神社の庭で近所の子供たちと交わるひとときは、集団で遊ぶことのなかった僕には、それこそ至福の時間だった。
コイズミさんの家には子供向けの週刊漫画が大量にあった。漫画をほとんど買ってもらえなかった僕は、それを片端から読んだ。飢えた猟犬が水を飲むようにして漫画を読んでいると、コイズミさんのオバチャンは、まるで珍しいものでも見るように「まったく静かでお利口だねぇ」と褒めてくれた。漫画を読んで褒められるなどは、まるで天国である。
3人の少年がそれぞれの遊び、あるいは部活動に散っていった午後、僕はコイズミさんの家の板張りの部屋で、絵の宿題をこなしていた。描いたのは秋海棠。背景は紫色に塗った。できあがった絵を見てオバチャンは「そう、ムラサキ… クリームが良いように思ったんだけど」と、すこし残念そうな口調で感想を述べたけれど、僕は気にしなかった。
秋海棠のピンク色を目にするたび、僕はコイズミさんのオバチャンを思い出す。コイズミさんのオバチャンは、数ヶ月前に会ったときには、僕のことはもう、誰やら分からないようだったものの、いまだ健在である。
朝飯 糸こんにゃくと切り昆布の炒め煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、青エンドウ豆の炒り卵、胡瓜のぬか漬け、塩鮭、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 冷やしトマト、糸こんにゃくと切り昆布の炒め煮、塩楽京、チーズ、穴子の佃煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)
2017.9.18(月) 時を忘れて仕事をする
むかし炭鉱の中には、鑿や鎚、あるいはドリルを使う人たちのあいだをブラブラと歩きまわって軽口を叩き、班長のところへ行っては「昼飯はまだか」と訊く男がいたという。仕事らしい仕事は何もしないこの男ではあるけれど、不思議なことに、この男の存在することで、全体の作業能率は高く保たれたという。全体の作業能率を高めているか否かについては不明ながら、ウチの会社における僕の立ち位置は、何だかその男に似ている気がする。
そういう僕が今日に限っては、8月半ばから9月下旬まで続く茗荷の買い入れ、また9月4日に始まり12日に完了したしその実の買い入れの伝票処理をするうち時を忘れ、気づけば昼食の時間をとうに過ぎていた。珍しいこともあるものである。
ところで先週末には、台風一過は火曜日と想像をしていた。今朝の蔵出しの数を決める、包装係ヤマダカオリさんとのきのうの夕方の話し合いでは、風雨が収まるのは今日の午後と予想をした。しかし実際には、空は朝から晴れ上がった。気温も夏のそれが戻ってきた。大いに嬉しいところではあるけれど、明日にはまた涼しくなってしまうだろう、多分。
朝飯 納豆、胡瓜のぬか漬け、生のトマト、茹でたハム、冷や奴、らっきょうのたまり漬「黒太郎」、メシ、豆腐とトマトと三つ葉の味噌汁
昼飯 冷やし中華
晩飯 トマトサラダ、ハムとマカロニとグリーンピースのサラダ、チーズ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″
2017.9.17(日) たまりローストステーキ丼
家内と長男が新宿タカシマヤへの出張で不在にするのは、今月13日の昼から20日の午後までの1週間だ。その間、馴染みの店を巡れば、それが夕食になるだろうと考えていた。しかし外で飲んだ日は、今日までで僅々2日のみである。それ以外の日はずっと自炊を通してきた。
東武日光線が不通になるやも知れない台風の中を、今朝は製造係のマキシマトモカズ君が新宿タカシマヤへ行った。そして11階での催し「~新しい食の発信~ 美味コレクション」にて「大田原牛超」さんの、うちの「たまり」を使ったローストステーキ丼を買い、これを土産に夕方、会社に寄ってくれた。とすれば今夜の食事は当然、これというこにになる。
本職が焼き上げた薄紅色も鮮やかなこの肉を、一体全体、どうやって温めようかと考える。そして結局は、火が当たらないよう、あらかじめ温度を上げたオーブンの中に、アルミホイルに包んだ牛肉を入れる。
首尾は上々にて、肉は熱の通り過ぎることもなく、ごはんの上に収まった。そしてこれを肴に焼酎のお湯割りを飲む。
朝飯 糸こんにゃくと切り昆布の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、冷や奴、トマトと玉子とウィンナーソーセージのオーブン焼き、塩鮭、らっきょうのたまり漬「黒太郎」、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 汁蕎麦
晩飯 「大田原牛超」の「大田原牛極上たまり漬のローストステーキ丼」、その丼の付け合わせの「らっきょうのたまり漬・浅太郎」、胡瓜のぬか漬け、「なめこのたまりだき」と若布の酢の物、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)
2017.9.16(土) 虫の声、鳥の声
3時すこし過ぎに目を覚まし、着替えて食堂に出る。外の空気を部屋に通すべく、直角の関係にある2枚の窓を開ける。しばらく覚えのなかった音が聞こえる。体の動きを止め、耳を澄ますと、それは虫の声だった。
虫の声は、夜明けと共に静まる。それと入れ代わるようにして、今度は鳥が啼き始める。きのうは何でもなかった手が、ひどく荒れている。踵には既にしてアカギレが切れ、数日前よりバンドエイドを貼っている。秋の到来である。
とても大型で強いらしい台風18号の、九州への接近をテレビの天気予報が伝えている。「農家の方は、田んぼの様子など見に行かないよう」と、気象予報士は注意をうながすものの、何百年ものあいだ丹精を続けた土地の、今年の春から手塩にかけてきた米であれば、気になるのも無理は無い。
坪庭の朝顔が、花の数を急に増やしている。稲畑汀子の「ホトトギス季寄せ」によれば、朝顔は秋8月の季語である。そして今日は、旧暦の7月26日に当たる。台風一過の青空が望めるのは、連休の後になるだろう。
朝飯 納豆、プチトマトとウィンナーソーセージのソテー、冷や奴の「なめこのたまりだき」乗せ「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、穴子の佃煮、茄子のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「黒太郎」、メシ、油揚げとレタスの味噌汁
昼飯 汁蕎麦
晩飯 糸こんにゃくと切り昆布の炒め煮、プチトマトのサラダ、煮奴の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、茄子のぬか漬け、チーズ、納豆、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)
2017.9.15(金) もっとも安全と思われる場所
朝食を済ませ、食器を洗い終えるころ、食器棚のコンセントで充電をしていたiPhoneが、大きな地震を報せる「ギュイッギュイッ」という音ほどは不気味でない、どちらかといば可愛らしさを感じさせる「ポロポロリン、ポロポロリン」という音を発する。朝鮮民主主義人民共和国がミサイルを発射した際に鳴る「Jアラート」である。「建物の中、又は地下に避難してください」と注意を喚起する文字が、iPhoneのディスプレイには現れている。
ウチでもっとも安全と思われる場所は、裏玄関の階段の下、まるでトーチカの内部のような、鉄筋コンクリートに囲まれた狭い空間だ。そこを目指し、エレベータではもしものときに心配だから、4階から1階まで脱兎のごとく階段を駈け降りる、というようなことは、当方も平和ボケをしているからしない。そのまま食堂の椅子に腰を掛け、窓から外を眺めているのみである。
15時30分、きのう「いきなり来られても対応のしようが無い」と、とりあえずは引き取っていただいた2人組の応対を自宅でする。先方の求めるものは、すべて提出できたと思う。
閉店の直前に「定時には間に合いそうもないけれど、何としても買い物がしたい」というお客様から電話が入る。時間外の接客を、オヤジはひどく嫌った。しかし僕は子供のころから、この手の頼みは断れない。あるいはむしろ進んで受けるところがある。そして社員が帰った後のひっそりとした店内にて、遅れていらっしゃったお客様のお相手をする。
朝飯 穴子の佃煮、冷や奴、トマトと玉子とウィンナーソーセージのオーブン焼き、納豆、らっきょうのたまり漬「黒太郎」、柴漬け、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しの揚げ茄子、ピータン豆腐、海老春雨丼の頭だけ、麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)、同(お湯割り)
2017.9.14(木) ドタバタ
我が街に支店のある銀行の中で、入金があり次第、それをファクシミリで報せてくれるサービスを最初に始めたのは栃木銀行だと思う。その栃木銀行に、明らかにお客様ではないところからの入金があったと、事務係のカワタユキさんから報告を受ける。今年6月26日に起きた、店舗裏の木造アパート全焼に伴う当方被害に対する、それは受取保険金だった。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への納品は大抵、日に2回の頻度で行われる。その1回目を9時直前にし、そこから栃木銀行に回って受取保険金を通帳に記入する。
仕事は人、モノ、金の綾なす時間差により制約を受ける。いま「あれ」と「これ」と「それ」を一度に片付ければ効率的であっても、「あれ」を満たす商品はいまだできていず、「これ」については先方の予定と一致しない、そして「それ」については当方の資料が明日にならなければ調わない、といった具合である。日本の自営業においてはそこに、事前の連絡もないまま人の来る、いわゆる「アポ無し」という不確定要素が更に加わる。
午後、いつものように、そのようにして事務室の扉を開けた2人組には「いきなり来られても対応のしようが無い」と、とりあえずは引き取ってもらう。
夕刻になって、今日は「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」の仕込みが控えていたことを思い出す。下準備は朝のうちに既に整えておいた。よって即、白衣を着て帽子をかぶり、マスクをしてその仕事に当たる。
朝飯 ウィンナーソーセージのソテー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、冷や奴の「なめこのたまりだき」乗せ「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、納豆、柴漬け、メシ、揚げ湯波とハスイモの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「鳥よし」のあれや、これや、それや。焼酎の水割り、日本酒(常温)
2017.9.13(水) 美味コレクション
商品と用度品を満載した三菱デリカの運転席と助手席に収まり、家内と長男は11時前に、東京へ向けて出発をした。今夜から20日の水曜日までは、一人メシである。
そういう次第にて、終業後は自転車で日光街道を下り、ほんの数百メートル先のスーパーマーケット「かましん」にて豆腐や野菜を買う。そして外へ出ると、いきなり雨が降っている。しかもその勢いは中々に強く、傘を持たない人たちは大きな庇の下で、一歩を踏み出せないまま、ただ、その雨を眺めている。
家内と長男がタカシマヤに1週間の出張をするのは2月と9月だ。留守番の僕は、2月は寒くて外に出る気がせず、夕食は自炊する。しかし9月は季候も良いため、今回はすべてを外食に頼ろうとしていた。その出鼻をくじく、急な雨である。ペダルを強く踏んで、家に戻る。
買ってきたばかりのプチトマトのへたを外し、水で洗う。ぬか床から茄子を取り出す。チーズは3分の2ほどに短く切る。オイルサーディンは缶のフタを開け「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をたらす。そこにパン粉を振り、オーブンで焼く。そしてこれらを肴にハイボールを飲む。
「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」は、9月14日から19日までのあいだ、新宿タカシマヤ11階催会場の「~新しい食の発信~ 美味コレクション」で販売をしています。また、この1週間は「たまり特集」にて、上澤梅太郎商店の「たまり」に全国各地の名店が創意工夫を加え、お客様に供します。お近くにお出かけの際には、ぜひ、お立ち寄りください。
朝飯 穴子の佃煮、納豆、ほうれん草の卵とじ、生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬「黒太郎」、メシ、揚げ湯波と蕪の葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 プチトマトのサラダ、ナスのぬか漬けオリーブオイルがけ、チーズ、オイルサーディンのパン粉焼き、”Old Parr”(ソーダ割り)
2017.9.12(火) 購買の記憶
銀行へ行くときには通帳しか持たず、郵便局へ行くときには投函すべき郵便物しか持たない。印刷屋へ行くときには原稿しか持たず、クリーニング屋へ行くときには洗濯物しか持たない。
この性癖により、たとえば銀行への行き帰りにふと、買うべきもののあったことを思い出しても、財布を取りに一旦は会社に戻らなければならず、二度足三度足の不合理をやらかすことが、週のうち数回はある。そのたび「しまった」と悔やみはするけれど、当座必要なものしか持たない癖は治らない。
それもあって、手ぶらでも買い物のできるウェブショッピングは、僕の好むところである。今月は既にして、200ccのソーダ60本、そのソーダで割った酒を飲むためのグラス1客、点鼻薬1年分、そして本1冊を買った。
そうこうするうち本日、楽天カードから、今月27日に引き落とされる金額がメールで届いた。それを見ながら「こんなに買い物をしただろうか」と、明細のページに飛ぶ。するとそこにはウェブ上で数ヶ月前に予約をした、タイのホテルの宿泊料が含まれていた。「なるほど納得」である。
朝飯 茄子と2種のピーマンの「日光味噌梅太郎・赤味噌」炒り、万願寺唐辛子の網焼き、プチトマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、穴子の佃煮、らっきょうのたまり漬「黒太郎」、メシ、揚げ湯波とハスイモの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 桃とレタスとモツァレラチーズのサラダ、3種のキノコのスパゲティ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2017.9.11(月) しその実と茗荷
しその実と茗荷の、近郷の農家からの買い入れが続いている。
しその実のたまり漬は、先月61歳になった僕が物心ついたときには既にして存在していた。当時は夕食の時間になってから、1日の仕事を終えた農家の人が、手拭いで作った巾着袋ほどの大きさの袋に入れて、しその実を売りに来たことを覚えている。
一方「みょうがのたまり漬」は、たまり漬の歴史としては、それほど昔からあるものではない。僕の子供のころの記憶には無く、しかし学校を出て修業をして家に戻ったときにはあったから、多分、1972年から1981年のあいだに造り始められたものだろう。
しその実は初めから、その原材料は近隣の農家のみに頼っていた。一方、茗荷については、秋田県産のものを宇都宮の市場から引いていた。秋田は茗荷の一大産地ではあるけれど、ここ数年の極端な気候変動、有り体に言えば夏の大雨により、年によっては極端な品薄に見まわれるようになってきた。
よって2012年からは、しその実だけでなく茗荷においても日光や鹿沼の農家を頼り、秋田県産と並んで仕入れられるよう、体制を整えてきた。
しその実の買い入れは明日で終える。しかし茗荷は最後の農家が「これでおしまい」と言うまで買い続ける。きのうの「汗牛充棟」ではないけれど、篤農家による原材料が製造係により適切な処理をされて蔵の冷蔵庫に充実していくにつけ、気分の高揚を押さえることはできない。今年の夏は雨が続いて寒かったけれど、秋の実りには、本当に感謝をしている。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、茄子と2種のピーマンの「日光味噌梅太郎・赤味噌」炒り、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、茄子のぬか漬け、メシ、揚げ湯波とベビーリーフの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 牛蒡と鶏モツの炊き合わせ、南瓜の擂り胡麻和え、冷やし素麺、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)
2017.9.10(日) 汗牛充棟
2時30分の目覚めはいかにも早すぎる。睡眠時間の短さは昼の活力の低下に繋がりそうだ。しかし眠気は遂に訪れない。仕方なく、そのまま起床する。
もっともそのお陰で、おとといのそれはおろか、きのうの日記まで書けてしまった。すると何やら、卓上のコンピュータから見えない糸で繋がっている、これまた目に見えないところにあるサーバの、自分の日記の領域が汗牛充棟、この言葉は出典と現在とではいささか意味が異なっているようだけれど、とにかく余裕の有様になって、気分は悪くない。
「好きこそ物の上手」のたとえを超えて、物事に熟達するには対象に「淫する」ことが必要だ。ベーゴマの名人は、それこそ朝から晩まで、あるいはかけ算九九を覚えるべき授業のあいだもベーゴマを手放さない。職業音楽家になる人も、おなじく起きている時間の大半を、その楽器と共に過ごす。
僕にその「淫した」経験があるとすれば、それは稀代のデータベースソフト「マイツール」においてのことで、それ以外は思い出せない。一方、興味の無いこと、自分より他者がそれに当たった方が合理的なことについては、覚える気がまったく起きないか、あるいは覚えてもすぐに忘れてしまう。
キャッシュレジスターの精算もそのひとつで、若いころから今に至るまで、指折り数えるほどしかしたことはない。大体いわゆる「レジ上げ」などは、経営者がするより社員がした方が、税務署の信用度も上がろうというものだ。しかし現在の販売係には新人が多く、身につけるべきは他にも多々ある。そして来週から再来週にかけては新宿高島屋での出張販売があり、店舗の人員は薄くなる。
よってすっかり忘れていたことをふたたび家内に教えてもらい、このところは毎日、閉店と共に、キャッシュレジスターの記録と現金をつき合わせている。四十の手習いならぬ六十の手習いが身につくか否かは分からない。
朝飯 巻湯波の淡味炊き、茄子と2種のピーマンの「日光味噌梅太郎・赤味噌」炒め、トマトとサラダ菜のサラダ、牛蒡と人参のきんぴら、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と揚げ湯波とベビーリーフの味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 カレー南蛮鍋、麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)、アイスクリーム
2017.9.9(土) 味噌汁三百六十五日
amazonで買ったミルクパンで朝、味噌汁を作る。
昭和34年11日1日に婦人画報社から出版された、辻嘉一による「味噌汁三百六十五日」では、17ページを費やして、時には横軸に時間、縦軸に水温のグラフまで用いて出汁の引き方を詳細に説明している。しかし僕は無精者につき、そこに書いてあることをなぞりはしない。
水の量はひとりあたり180cc。煮干しは水180ccにつき1尾半。前の晩から出汁を引く場合には、朝、鍋から煮干しを拾い上げるのみにて完了。しかし朝になってから出汁を引くときは、煮干しの入った鍋を火にかけ、沸騰する直前に煮干しを拾い上げる。
今朝の具は、豆腐とトマトと蕪の葉。トマトと蕪の葉の茎のところは細かく刻み、弱火で煮る。トマトから酸味を引き出し、また蕪の茎の固さを食べやすくするためだ。次に豆腐を沈め、これは温めるだけ。最後に幅5ミリほどに刻んだ蕪の葉を投入して、これはほとんど煮ない。
伊丹十三の映画「タンポポ」の「老人」は、ラーメンの食べ方について長々と講釈をした挙げ句、スープではなく、麺から食べ始める。僕は朝食においては断然、味噌汁の汁から飲み始める。日本の、それも家にいる限り、朝は味噌汁で決まり、である。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒め煮、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、厚焼き玉子、巻湯波の淡味炊き、松茸ごはん、豆腐とトマトと蕪の葉の味噌汁
昼飯 牛蒡と人参のきんぴら、巻湯波の淡味炊き、2種のピーマンと茄子の「日光味噌梅太郎・赤味噌」炒め、「なめこのたまりだき」の玉子焼き、らっきょうのたまり漬「黒太郎」、松茸ごはんのおむすび、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」のおむすび
晩飯 「ユタの店」のピータン、えび春巻き、栃木県産生ハムとチーズの 包み揚げ山椒風味、餃子、しそ餃子、ざる担々麺、「鏡月」(オンザロックス)
2017.9.8(金) とんぼ返り
所用により、下今市07:45発の上り特急スペーシアに乗る。iPhoneが勝手に東武鉄道のwifiに繋がろうとしてローミングが遮断されるため、これまではその都度、wifiを外していた。それがいかにも煩わしく、今朝は遂に意を決して、iPhoneに東武鉄道のwifiを設定する。
ひとつ用事を日本橋で済ます。寄っていきたいところは多々あるものの、この日記にも2度ほど書いた9月は繁忙にて、少々の道草のみ食っただけで、11時29分に浅草に戻る。11:30発の下り特急には間に合わない。次の12:30発の特急券を買い、あたりを散歩する。
空が晴れて、暑さが戻ってきている。湿度も低くない。14時過ぎに下今市に着き、デッキからプラットフォームに降りると、気温は東京のそれと変わらなかった。これは結構、珍しいことだ。
すっかり肌寒くなっていたため、焼酎を割るためのソーダは買わずにいた。それが今日は、きのうまでの雨から一転しての晴れである。終業後は自転車でちかくのスーパーマーケットに出かけ、ソーダ1本を買って帰る。
朝飯 トマトとレタスのサラダ、ベーコンエッグ、塩鮭、切り昆布の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、メシ、豆腐とシメジと三つ葉の味噌汁
昼飯 「ドトール」のチーズトースト、アイスコーヒー
晩飯 蕪と胡瓜の塩もみ、巻湯波の淡味炊き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豆腐と松茸の吸い物、秋刀魚の塩焼き、麦焼酎「田苑」(ソーダ割り)
2017.9.7(木) 日光MG(2日目)
目を覚ましたのは3時だった。マネジメントゲームは紛う方なき勉強である。しかしスポーツとしての面もまた、持ち合わせていると僕は思う。囲碁や将棋の職業棋士は勝負を終えると著しく体重を減らす、それに似ていると感じるのだ。
充分に回復していないからだを布団に横たえ、うつらうつらしながら、今日の売値は、きのうの夜に立てた第4期の経営計画より2円だけ上げることを決める。安ければ売れやすいのは山々ながら、会社を維持しづらくなるのは明白である。
同室のカワナベコージンさんは、4時を過ぎて戻ってきた。きのうの夜からずっと、どこかの部屋で交流をしてくださっていたのだろう。その精神と肉体の強靱さに大いに驚きつつ、また浅い眠りに入って行く。
きのうの朝に引き続き、いまだ暗いロビーに降りる。そしてテーブルにコンピュータを開き、ウェブショップにご注文をくださったお客様おひとりおひとりに、受注確認書は明日、係からお送りすること、商品の出荷も明日になること、お届けご希望日、ご希望時間帯をお選びくださったお客様には、その日時に間違いなく商品をお届けする旨を、メールでお送りする。
マネジメントゲームの2日目は、ニシジュンイチロー先生の講義により始まる。そしていよいよ全員が、第4期に備えて椅子から立ち上がる。
第4期初にはアタッチメント付き小型機械に加えて大型機械も揃える、というのが、きのうの朝に立てた計画だった。しかし第3期の赤字により自己資本が300円を下まわり、第4期初の借り入れ可能枠は半分に狭まった。期首処理を終えての現金残高が47円では、200円の大型機械を買うことはできない。銀行借りができないから個人借りの手も無いではないけれど、僕の性格では、それもできない。
その第4期では52円の経常利益を上げた。通常なら累積損を一掃して浮上できるところながら、期中に「得意先倒産」と「盗難」のカードを引いたことにより、税引き前の当期利益は僅々11円。ここまで来ても、自己資本300円の水面からは頭を出すことができない。
いよいよ第5期。わずかにできた借り入れ可能枠の20円すべてを借りる。現金残高は161円。それが8手目で222円になったところでアタッチメント付き小型機械を売却し、大型機械を購入する。計画ほど大きな会社にはできなかったものの、進撃の開始である。期末には175円の経常利益を上げ、納税充当額を差し引いた次期繰越利益は73円。いつになるかは不明ながら、次の機会にも、またこの戦型を試してみよう。
36名の参加者の中で、もっとも高いところまでグラフを伸ばし、最優秀経営者賞を得たのは、東京から参加のヤナギダヨーコさんで、自己資本は556円。2位は日光市から参加のヌマオアキヒロさんで、自己資本は537円、3位は静岡県から参加のタケシトーセーさんで、自己資本は526円。1位から3位までが30円の範囲に集中する激戦だった。
遠くは神戸から参加の方々が羽田発の最終便に乗るため、今回の「日光MG」は夕方の早い時間に終了した。原稿用紙2枚ほどの感想文を書いて解散である。お忙しい日程をやり繰りして日光までお出かけくださったニシジュンイロー先生、ニシヨシエ先生、また社外から参加をしてくださった方々には、厚く御礼を申し上げたい。
鬼怒川温泉駅から帰宅の途に就く方々とは駅前の”BENTO CAFE KODAMA”で、また下今市からお帰りのタケシトーセーさんには「一心舘」の女将のヌマオマリコさん、地元のヌマオアキヒロさんが共に日光市小倉町の「コスモス」まで移動をして、最後の交流会を持つ。
しその実の買い入れ、また茗荷の買い入れはいまだ続いている。しかしこれで、9月の山のひとつは越すことができた。タケシさんを下今市の駅までお送りし、ホンダフィットの助手席に収まって帰社する。そして製造現場の冷蔵庫を長男と見まわる。
朝飯 「一心舘」の朝のお膳
昼飯 「一心舘」のカレーライス、生ハムとチーズとレタスのサラダ、らっきょうのたまり漬
晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダ、マカロニグラタン、“Cono Sur Reserva Especial Pinot Noir 2015”、ハイボール
2017.9.6(水) 日光MG(1日目)
「日光MG」に遠方から参加の方々は、会場に前泊をされることが多い。それらの方々との会食を昨夜は楽しんだ。鬼怒川温泉の、女将みずからがマネジメントゲームで経営を学ぶホテル「一心舘」は、MGの会場としてはこの上なく適して有り難い限りだ。
MGは各自が会社を持ち、2日間で5期分の経営を盤上に展開していく。市場は5人から6人が囲む卓により構成をされる。今回の参加者は36名。よって市場は6つ。参加者は、売上高の高かった者から順に、A卓からF卓に配置をされる。ただし第1期に限ってはゲームは行われず、講師によりルールが説明される。そのルールが既知のものであっても、サラリと聞き流してはいけない。西研究所のMGは日進月歩で進化を繰り返す。またそれ以上に、この第1期はマネジメントゲームに入って行くための心と体の矯正の場であれば、決しておろそかにはできないのだ。
実際の勝負が始まるのは第2期から。今回の戦型は、今年1月の「日光MG」で表彰状を得ることになった、また先月の東京MGでも検証したものを踏襲することとした。
第2期末の自己資本は、期初の300円から微増して309円。ゲーム運びの下手な僕としては、上々の滑り出しである。
今回の「日光MG」には、上澤梅太郎商店からは2名の初心者が参加をしている。また過去に数回の経験はあっても、子育てにより、2日間の日程の、すべてをこなせない初心者同様の者も複数いる。それらの者を、社外から参加の方々が親切に助けてくださる。本当に有り難い。
第3期の結果は経常利益▲32円。前期の黒字を帳消しにして自己資本は▲275円に落ちた。原因はひとえに、ゲーム中の「欲」による。「欲」は大抵は利益の増大に役立つ。しかしその逆も、またあるのだ。明日に捲土重来を期すこととして、研修室を出る。
交流会は、入浴を済ませて19時45分に始まった。参加者全員によるスピーチに続いてニシジュンイチロー先生による講話があり、22時30分に中締めとなる。以降は稀代のデータベースソフト「マイツール」の勉強会が控えていたものの、夜に弱い僕は僕は中締めを以て部屋に引き上げる。
朝飯 「一心舘」の朝のお膳
昼飯 「一心舘」のカツ煮定食
晩飯 「一心舘」の夜の弁当
2017.9.5(火) 日光MG(前夜祭)
雨続きの夏が去りつつあり… 否、四季の中で最も好きな夏の終わってしまうのが嫌だから、このような書き方になるのだ、実際には初秋さえ、とうに過ぎたかも知れない。兎に角、ここ2日間ほどは、早朝の食堂から明け方の群青色の空と、その青を引き裂いて昇る朝日を愛でることができている。その景色は誠に麗しい。
空は、日の出の数十分前の、ある一時がもっとも美しい。そして山は、日の出から数時間を経た、ある一時がもっとも美しい。
冬の空気は澄み、遠くの山まで明瞭に見える。夏の空気は澄んでいない、ということもないのだろうけれど、萬緑に覆われ、しっとりと湿気を含んだ日光の山々が、青い空から浮き上がって見える日は、僕の経験からすれば、年に1度か2度ほどしかない。幸運にもその一瞬をカメラに捉え、デザインの一部として使ったのが、ウチのウェブページである。
それはさておき、南東の窓から早朝の空を眺め、朝食の後は北西の窓から日光連山を望み、それから仕事場に降りていくことが、家にいるときの習慣になっている。
夕刻の閉店と同時に、明日と明後日の、社員研修による休みを報せる看板を店舗の正面に置く。おなじく店舗の、いつもは閉めない駐車場に鎖を張る。そして今朝に用意した持ち物に不足はないかもう一度確認してから「日光MG」の前夜祭が行われる鬼怒川温泉に向かう。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、枝豆の薩摩揚げの甘辛煮、炒り卵とレタスのサラダ、納豆、切り昆布の炒り煮、納豆、胡瓜のぬか漬け、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「一心舘」の夜のお膳、スパークリングワイン、白ワイン、赤ワイン
2017.9.4(月) しその実
年に2度か3度は訪れているタイの「甘い、辛い、酸っぱい」が特徴とされる料理の記憶は、日本に戻れば綺麗さっぱり舌から消えると、おとといの日記には書いた。しかし野菜の珍しさ、味の濃さ、香りの強さ、またそれにより沸き立つ強烈な異国情緒については、片時も忘れない。
しその実の買い入れが今日から始まった。もの心のついたころより今に至るまで、この時期には蔵の中に若緑の香りが満ち、その爽やかさには常に、気持ちの充足を覚えてきた。東南アジアの野菜がいくら豊穣ではあっても、この芳香だけは、彼の地には無い。そちらからの旅人がいまウチの蔵に入ることがあれば、南の国にいるときの僕と同じく、強く五感を刺激されるに違いない。
しその実の買い入れは朝8時30分から15時まで。それを見越して、遠く離れた取引先との、スカイプを介しての会議は16時からに設定をしてあった。これが4時間の長さに及び、4階の食堂に上がったのは20時過ぎだった。
この週末、街の中では商店や飲食店を巻き込んだ催しがあるらしく、ウチは隠居で弁当を供する。夕食はその弁当のおかずの、いわば試食会だった。朝食や弁当は労働や運動のための糧であるだけでなく、なぜか酒の肴としても優秀である。夜の気温は既にして秋のそれだ。よって焼酎はソーダではなく、熱いお湯で割る。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、枝豆の天ぷらの甘辛煮、胡瓜のぬか漬け、オクラの胡麻和え、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 厚焼き玉子、牛蒡と人参のきんぴら、茄子と2種のピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒め、牛肉の「日光味噌のたまり」漬け焼き、胡瓜とゴーヤのぬか漬け、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)、メロン
2017.9.3(日) 9月
以前、9月はしその実の買い入れが目立つくらいの、静かな月だった。ところが時代を経るに連れ様々なことが変わり、また「静かな月なら、いくらかは仕事も入れられるだろう」と考え実行するうち、却って忙しい月になってしまった。
「みょうがのたまり漬」の原材料は長く、秋田県産のものを宇都宮の市場から引いていた。ところが近年は、盆過ぎの大雨により一気に品薄になることが目立ってきた。よってこれを地元の農家に納入してもらうことを2012年に開始し、その量は年々、増えつつある。
近隣の農家からのしその実の買い入れは、これまで通り続けている。この、しその実の収穫時期と、全社員に外部からの参加者を加えて開く2日間の研修「日光MG」が重なる。「日光MG」の翌週には新宿高島屋での1週間の出張販売が始まる。これが完了すると、目の前にはシルバーウィークの行楽需要が控えている。
これら目に見える仕事とは別に、決算月の翌月ともなれば会計に関わる仕事もあり、また年末の贈答時期に向けての種まきもある。最終日曜日の24日には、毎月の恒例となった「伝統家屋でいただく、なんでもない日の食卓。」が隠居で開かれる。とにかくその日曜日までは、息を切らせることなく地に足を踏ん張っていきたい。
朝飯 ほうれん草のおひたし、揚げ茄子と茹でたオクラ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、塩鮭、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 魚貝類のサラダ、南瓜とルッコラのサラダ、雲丹と白魚のクリームスパゲティ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015″、メロン
2017.9.2(土) 味の記憶
「タイの味は甘い、辛い、酸っぱいが特徴とは本当か」と訊かれることがある。そう問われて、年に2度か3度は訪れているタイの、食べ物の味を思い出そうとする。しかし僕の舌に「甘い、辛い、酸っぱい」は記憶されていない。
タイへ行けば、その第一食目から現地のメシを食べる。そのとき「さて、これからいよいよタイの味を楽しむぞ」というような意気込みは無い。日本にいるときと同じく、そこには恬淡とした気持ちのあるばかりだ。
家庭菜園で収穫した青唐辛子を、またまたフクダナオブミ製造部長がくれた。「気が遠くなるほど辛いから注意してくださいよ」と、先般に続いて今回も言われた。そう言われても、どうということはない。
昼にラーメンを作る。もらったばかりの青唐辛子は1本を水洗いし、種の入ったまま薄く小口切りにする。それをすべて、スープに投入する。冷蔵庫に半割にしたライムを見つけ、これまたスープに絞り入れる。食べながら飛び散らすスープでテーブルを汚さないよう、広げた新聞紙の上にドンブリを置く。
今日のラーメンのスープは、辛いといえば辛い。しかしその辛さは、しばらくすれば忘れてしまうほどのものだ。旅先で口にする諸々のように。
ラーメンを食べ終えたら、そのドンブリは鍋やザルや菜箸とともに、即、洗う。そして落ち着いて新聞を読む。
朝飯 生のトマト、茄子とピーマンのソテー、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、塩鮭、刻みオクラの鰹節かけ、メシ、豚肉と茗荷と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 大根おろしを添えた揚げ茄子、鮭の昆布巻き、刺身湯波、烏賊の刺身、ほうれん草のおひたし、穴子の付け焼き、トウモロコシの炊き込みごはん、「ほまれ酒造」の山田錦と五百万石による大吟醸(冷や)、無花果のコンポート
2017.9.1(金) 赤ワインは立てておく
「今朝の東京は肌寒い気温です。外出の際には羽織るものが1枚あると良いでしょう」と、朝の天気予報は伝えていた。いくら9月に入ったからといって「羽織るものを持て」とは、ちと大げさではないか。しかし気象予報士の口ぶりからすれば、半袖では寒いかも知れない。そう考えて、白い麻の長袖シャツを着る。
下今市09:35発の上り特急スペーシアは、終点の浅草には隅田川を渡って11時15分に着く。デッキからプラットフォームに降りると、肌寒いどころか蒸し暑い。こんなことなら半袖シャツ1枚で来れば良かったと後悔しても遅い。
所用により日本橋へ出る。そこから新橋を経由して恵比寿に回る。乗り換え時間の限られる中で、何としても夕食までには帰宅すべく、北千住から下今市までの特急券はiPhoneを用いてウェブ上で買う。
白ワインは回転が速いから、常に新しいものを飲んでいる。しかし赤ワインは古い物ばかりで澱が多い。ワイン蔵の棚に横にしてあるものを夕食の直前に引き抜き持ち運んでは、濁らせて飲む羽目になる。よって最近は、飲む飲まないにかかわらず、常に1本は、蔵の床に立てておくことにした。
初更、その立てておいた赤ワインを手に4階に上がり、食堂のテーブルに置く。
朝飯 生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「なめこのたまりだき」を載せ「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を垂らした冷や奴、茄子とピーマンのソテー、納豆、柴漬け、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 “Delifrance”のトマトとベーコンのパン、コーヒー
晩飯 トマトとレタスとマカロニのサラダ、ハンバーグステーキ、“Cuvée des Jeux Sodival Ville Jeux du Pacifique Sud”、バナナとスポンジケーキのホイップクリームがけ

































































































































