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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

2025年5月の日記31本

2025.5.31(土) 梅雨

上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」は土日月の週に3日の営業。その朝は、家内は早くから隠居の厨房に入る。よって僕の朝食は、自分で用意をする。このところは、1日は納豆、冷や奴、生玉子という調理を必要としないおかずによる一汁三菜、1日は具だくさんの味噌汁による一汁ゼロ菜、1日はお茶漬けと、その内容が決まってきた。

今朝のごはんは炊きたてのものではないからお茶漬けにしようとして、それに添えるものを考える。定番は「なめこのたまり炊」に、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」。油のコクが好きだから揚げ玉も加える、しかしこれだけでは寂しい。赤い色の何かがなかったかと頭を巡らせ、冷蔵庫に「丸赤」の塩鮭があったことを思い出す。

塩鮭はガスオーブンの火力をもっとも低くしてゆっくり焼く。今回の切り身の形は四角柱にちかいから、オーブンからチリチリと音が聞こえてくるたび横に倒し、遂に全面を焼き上げる。それを箸で挟み、床に落とさないよう注意をしつつ皿に載せる。

塩鮭からは信じられないほどの塩が噴き出している。この朝食をTikTokに上げれば「死にますよ」「バカじゃないの」などのコメントが相次ぐかも知れない。心配には及ばない。いちどに食べる量は、幅にして数ミリメートルに過ぎないのだ。

外から何やら音が聞こえてくる。時刻は13時になりかかろうとしている。意識しないまま、耳に入るままにしていたその音が雷と気づくまでにはしばらくの時間がかかった。「梅雨は雷に始まり、雷に終わる」という。7月の雷は嬉しくても、5月末のそれは嬉しくない。

「2025年 梅雨 関東」と検索エンジンに打ち込んでみる。するとその入りは6月7日ころ、明けはいまだ発表はされていないものの、平年では7月22日ころと出た。

夏という季節のほとんどは僕にとっては好ましい。「すべて」ではなく「ほとんど」なのは、梅雨があるからだ。更に、このところの梅雨には線状降水帯による豪雨がたびたび発生し、列島に被害をもたらす。夏の農作物の健やかに育つことを、祈るばかりである。


朝飯 塩鮭、揚げ玉、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」によるお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 ベビーリーフと茸とベーコンのスパゲティ、パン、2種のチーズ飲みさしの白ワインと赤ワイン

2025.5.30(金) 好きな道具

ここ数年は体力の消耗を避けるため、泊まりがけで出かけるときにも、コンピュータは持たなくなった。しかしきのうおとといは必要があって、それをバックパックに入れた。今朝はそのコンピュータを食堂のテーブルに開き、おとといの日記を書き始める。電源から離れること3日にしていまだ容量を残しているLet’s noteのバッテリーは有り難い。

コンピュータの電源といえば、ことし2月のタイ行きでは、純正のACアダプターと共に、新たにAnkerの急速充電器を持参した。充電器はスーツケースに、しかしACアダプターはロストバゲージを恐れてこれまで通りバックパックに納めた。双方を持ったのは、はじめて使う充電器が役に立たないことを懸念したためだ。その結果、今月のタイ行きでは充電器のみに頼って不自由は無かった。時として例外は発生するものの、僕の持ち物は今後、ますます軽くなるだろう。

きのうまでの4日間を振り返ってみれば、時間を調整する場所は常に、本屋か山の道具屋だった。山の道具は軽さも含めて、機能を追求して作られている。そこのところが好きだ。オマル・ハイヤームは、酒を売る人が腑に落ちないと詠んだ。僕は、機能を追求して作られたはずのバックパックにぬいぐるみをぶら下げる人が、腑に落ちずにいる。


朝飯 めかぶの酢の物、トマトのスクランブルドエッグ、胡瓜と蕪の塩もみ、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、レタスと揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとポテトとマカロニのサラダ2種のパン無花果と葡萄のパン鶏肉のトマト煮2種のチーズChablis Billaud Simon 2018

2025.5.29(木) 伊豆治療紀行(36回目の2日目)

寝床は和室に低い台を設え、その上に布団を重ねた疑似ベッドのような作りになっている。高さはベッドよりも低く、畳に敷いた布団よりは高い。そこから、普段に比べればよほど注意をしながら降りる。もちろん、おとといの朝に傷めた腰を気にしてのことだ。

「伊豆高原痛みの専門整体院」ではきのうに引き続いて腰の治療から始まった。その最後のころに先生は、腰の左側の靱帯に9,000ボルトを発する電子ペンの先端を打ち込もうとして、しかしその部分が馬の背のようになっているためか、ペン先が滑って逃げてしまう。よって先生はそこにヒジを当て、体重をかけて平らにした。ジリジリと不気味な音を発するペン先は、ようようツボに食い込んだ。後は痛みに耐えるのみ、である。

僕の腰、家内の膝ともに状態が悪く、今日の治療はふたりで2時間を要した。更に家内はひと月の後ではなく、2週間後にもまた来るよう先生に言われた。ことによると、膝には古傷があったのかも知れない。

家内とは14時ぎに日本橋で一旦別れ、16時55分に入谷の駅で落ち合う。そして僕は飲酒、家内は食べることに専念をして、北千住19:33発の下り特急に乗る。


朝飯 「伊東小涌園」の朝のお膳鯵の干物ごはん昆布の佃煮と梅干味噌汁
昼飯 「祇園」の「おにぎりランチボックス」
晩飯 「オオイリヤ」のあれやこれやそれや他あれこれ「新亀酒造」の純米酒「真穂人」(燗)

2025.5.28(水) 伊豆治療紀行(36回目の1日目)

出かける用事があっても、その朝に家にいれば、会社のことも、すこしは手伝うことができる。店を開け、出社してくる順に今月の給与明細を手渡し、朝礼の時間を迎える。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への本日最初の配達には、配達係のイザワコーイチさんと共に行った。

道の駅から戻ったら、そそくさと普段の仕事着からズボンのみ履き替え、靴は、きのう傷めた腰を慮って、トリッペンのSHEET PULLを履く。そして下今市09:33発の上り特急に家内と共に乗る。北千住を経由して東京11:57発の下りこだまが停車中の16番プラットフォームに上がるのは、いつもの通り。

人のからだには、どこかが良くなれば、別のどこかが悪くなる、というか、それまで隠れていた問題が顕在化する、ということがあるらしい。2018年の10月に白内障の手術を受けた。目が良く見えるようになったら、翌月から背骨と右の肩胛骨のあいだの筋肉が痛むようになった。その痛みは徐々に増し、そのうち耐えがたいほどになった。行きつけの整骨院、鍼灸院、街の外科、国立病院、更には隣県の「手かざし」にまで足を延ばして、すべて埒が明かなかった。そんなときfacebookで知って、そのコメント主にあれこれと教えてもらったのが「宇都宮肩腰痛みの専門整体院」だった。

1週間に2度の通院を言い渡されたその整体院には2020年7月までの1年半のあいだに47回を通った。背中の痛みが消えれば次は肩、その次は膝と、長年の無理が次々と現れてきたためだ。そしてとうとう「次は2ヶ月後で大丈夫です」と言われるまでに回復をした。しかしその「2ヶ月後」の2020年9月には、ワタナベマサヤス先生は「寒いところはイヤ」と、宇都宮から伊豆に引っ越してしまっていた。

伊東市八幡野の新しい場所に僕と家内が行けたのは「2ヶ月後」ではなく9ヶ月後の2021年4月だった。次はそこからまた9ヶ月を経た2022年1月だった。そのときの、膝への治療の痛みは筆舌に尽くしがたかった。数千ボルトを発する電子ペンの先端を患部に押し当てられたときの痛みは症状の重さに比例する。それに懲りて2022年3月からは、ほぼひと月に1度の頻度にて伊豆に通うことを始めた。そしてその回数は、先月までに35回を数えるに到った。

35回も通って最後に辿り着いた現地での宿泊は、伊豆高原の駅前に専用のバスを待機させ、且つ治療院までは歩いて行けるホテル亀の井伊豆高原と、このところは定まっていた。「ところが」である。僕よりひとつ年下の先生はできるだけ長く仕事の続けられることを考えて、住まいと仕事場を一体にすべく、今月からはおなじ伊東市でも吉田に治療院を移した。

そこへ行くためには川奈からタクシーを使う必要がある。しかしその台数の少なさ、送迎の手間と時間、経費を考えれば伊東駅前でレンタカーを借りるのが最上との結論に達した。

新しい治療院は、伊東駅から8キロメートルと少々の場所にすぐ見つかった。いつもは5,000ボルトの数字が点滅する機械に今日は9,000ボルトの数字があったから訊ねれば「この症状だと5,000ボルトでは無理」との返事が戻った。そうして僕は主に腰、家内は左膝に荒療治を受け、ふたたび8キロメートルの道を戻って予約済みのホテルに入る。


朝飯 ジャコと山椒の乾煎り、ミズの甘辛煮、納豆、温泉玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と若布の味噌汁
昼飯 「やまやのうまだしおにぎりせっと」、JAVA TEA
晩飯 「伊東小涌園」の其の一其の二其の三其の四ごはん漬物味噌汁、日本酒(燗)、甘味

2025.5.27(火) 作法

ソーマ歯科医院の予約は朝一番にて、先ずは大井町に移動し、駅前で朝食を摂る。その際、向かい合わせの椅子に置いたトートバッグのポーチにPASMOを仕舞おうと、テーブル越しに手を伸ばした瞬間「あわやギックリ腰」という衝撃に見舞われる。

世の中の様々な作法は姿勢をも規定する。「テーブルの向こうにあるものに中腰で手を伸ばす、などという無理な姿勢は、あらゆる指南書にも皆無に違いない」などということを考える。無理な姿勢でピアノを弾いた代表はビル・エバンスとグレン・グールドで、まぁ、彼らくらいの水準になればそれもまた許されるのだろうけれど、すくなくとも僕は、気をつけなくてはならない。

時間の余裕があったため、大井町から京橋に移動をして、そこからは日本橋まで歩く。丸善のエスカレータを3階まで上がることはほとんどしないものの、いざ行ってみれば、置いてある本には興味をそそられるものが複数あった。更に川瀬巴水の小さな展覧会が開かれていたため、それも観る。

江戸時代の浮世絵に対して川瀬の作品は「新版画」と呼ばれるものだったという。新派、新劇、新国劇。こうして並べてみると「新」の付く諸々は、いまや歴史の彼方に去った感がある。ヌーベルバーグやニューシネマもしかり。茅場町の飲み屋「ニューカヤバ」については、よく知らない。

神田の皮膚科に行ったら臨時休業ということがあって、しかし薬は必要だから検索エンジンに頼って根津の皮膚科を見つけた。するとここで処方された塗り薬が存外に効いたため、今日は午後に予約を入れておいた。前回「なぜそんなに必要なんですか」と渋られた一か月分の飲み薬も「前回とおなじだけ」と頼むと先生はすんなり処方をしてくれた。

さて明日と明後日はカイロプラクティックによる治療を伊豆で受ける。「帰らなくても構わない」と家内は言ってくれたものの、帰れば手伝える仕事もある。よって浅草19:19発の下り特急に乗って、21時すぎに帰宅を果たす。


朝飯 “BECK’S COFFEE SHOP”のホットサンドイッチ、コーヒー
晩飯 「もつ焼きけいすけ」の冷やしトマトもつ刺し盛り合わせタマポテサラダおまかせ五本盛り、白れば、くつべら、チューハイ、それを濃くするためのナカ

2025.5.26(月) 何度くり返しても治らない

ふと気づくと下今市13:44発のけごん32号は、どこかの駅に停車中だった。そのプラットフォームの様子を眺めて、しかし頭の中には直前まで読んでいた本の余韻が残っている。そこが降りるべき春日部だったことに気づくまでには、数秒を要した。

即、読みさしの文庫本とテーブルに置いたiPhone、そしてトートバッグを鷲づかみにして席を立ち、通路を後方へ急ぐ。トートバッグから、これまた読みさしの新聞が落ちる。それを拾ってまた走る。降車口のドアは閉まっている。「遅かったか」と、しばし呆然と立ちつくす。

するとプラットフォームにいた、次の普通列車に乗ろうとしていたオジサンが僕の様子に気づいて前方を指す。東武線の上り特急は、春日部においては、すべての昇降口は開かない。「ここは開かない口だったか」と、今度は通路を前方に走る。先ほど新聞は拾ったものの、同時に落ちた、早月くらの短歌が4首ばかり並んでいる、文庫本のしおりに使っていた紙片はいまだ通路にある。しかしそれを拾い上げる余裕は無い。

ひとつ前の昇降口が見えてくる。プラットフォームに立つ駅員が、車両の先頭から最後尾までを確認しつつ、赤い旗を棒に丸めた状態で振っている。ここでドアが閉まっては、今日の予定はすべて狂う。そのドアは、僕がプラットフォームに降りた数秒後に閉まった。僕は後方へ歩き、先ほどのオジサンに礼を述べる。

2018年の10月に白内障の手術を受けた。以降は、半年から1年のあいだをおいて診察を受けることが義務づけられている。春日部からは東武アーバンクラインで数駅を下る。七里の眼科には無事、予約した時間の20分前に入ることができた。

電車の中で本を読みふけり、降りるべき駅に着いても気づかず乗り過ごす、ということが僕にはしばしばある。駅と駅のあいだの短い路線ならともかく、今日の春日部では何とか降りることができて良かった。「今後は気をつけよう」と思っても、何度も繰り返すのが過ち、というものである。


朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、梅干、揚げ玉、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、なめこのたまり炊のお茶漬け
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわ弁当、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”
晩飯 「フレンチ食堂ぶどう」のメヒカリのフリット、グリーンサラダ、パン羊のロースト、フランスの高くないメルロー

2025.5.25(日) 朝の時間

夢をふたつみつ見た気はするものの、それがどのようなものだったかは思い出せない。目を覚まして気分の落ち着いたところで時刻は3時56分。きのう寝に就く前に確かめた時刻は20時38分だから、眠っていたのは7時間と十数分。まぁまぁの睡眠時間だ。

服を着て顔を洗って食堂に来ると時刻は4時。仏壇に花と水とお茶と線香を供えて4時15分。日記を書くためコンピュータを起動し、ブラウザを開いて4時25分。今日の日記の数行を書いたところでキーボードから離れ、夜のあいだにTikTokにいただいたコメントに返信をつけて4時28分。雨が結構な勢いで降っている。

その日記を中断して事務室へ降り、壁に貼った「汁飯香の店 隠居うわさわ」の予約表を取って4階の食堂へ戻って4時47分。きのうの夜から今朝のあいだにいただいたご予約に、それを承った旨の返信をお送りして4時49分。

今日の日記のここまでを書いてからおととい金曜日の日記に戻って文章を書き足し、画像を添えて「公開」ボタンをクリックして時刻は5時13分。大したマルチタスクぶりである。その勢いに乗って昨日の日記も完成させる。

今日は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日にて、家内は早くから隠居の厨房へと去った。よって朝食は具だくさんの味噌汁にて簡単に済ます。食後にもなお時間があったため、電磁調理台の、グリルからの熱を逃がす開口部にアルコールを噴霧してティッシュペーパーで拭く。更に、細く入り組んだ部分の油汚れは楊枝の先で掻き出す。

と、ここまで書いたら文字数は614。日記は最低400文字は書くこととしているけれど、今日は朝のことだけでその1.5倍。最上部の画像だけは、朝のうちには撮れなかった。


朝飯 春雨の中華風炒め、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとじゃがいもと玉葱と椎茸とウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、きのこと厚揚げ豆腐と水菜と豚薄切り肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)

2025.5.24(土) 陶片

店の、商品の置き方は日々、販売係が工夫をしつつ変える。店の奥の、お客様が「らっきょうのたまり漬」を試食をされたりお茶をお飲みになったりする空間の模様替えは、長男がする。タイから戻ったら、そのテーブルには昨年の6月、僕がサワンカロークで拾った宋胡録の陶片が並べられていた。

先般のバンコクは雨続きだった。6月なら完全に雨期に入っていたはずだが、昨年のサワンカロークは毎日のように晴れて、素晴らしく暑かった。スコータイ王朝の時代に整備された街道には緑が濃く、美しかった。宿から窯跡までの距離は8キロメートル。その道は、宿にあった整備の行き届いていない自転車で往復をした。

サワンカロークの窯跡には2019年の3月にも行った。三たび行きたいかと問われれば、行っても構わないものの「そろそろご馳走さん」という気持ちもある。

スコータイ王朝の寺院群には観光客がたくさんいる。街も賑やかだ。しかしサワンカロークの窯跡には博物館の切符売りがひとりと、掃除のオバサンがひとり。人はそれくらいしかいない。街道はクルマではなく、徒歩か自転車で辿るのがよい。旅は、移動の速度に反比例して贅沢になるのだ


朝飯 切り昆布の炒り煮、春雨の中華風炒め、生玉子、牛肉と椎茸のすき焼き風、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「食堂ニジコ」から持ち帰ったピータン豆腐の塩煮焼きそばチャーハン鶏の唐揚げの酸辣餡かけ麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)杏仁豆腐

2025.5.23(金) 午後の洗濯

春眠の季節はとうに過ぎたにもかかわらず、タイから戻って以降は早起きができない。今朝の起床は5時。朝食の準備を始めるのは6時30分。持ち時間が1時間30分とは、いかにも短すぎる。どうにかして早起きの習慣を取り戻さなければいけない。

仏壇と自分のためのお茶を淹れようとして、その、近所の鳥屋茶舗で買った茶葉が今朝で終わることを知る。今年の八十八夜は5月1日。とすれば、そろそろお茶農家を営むお客様から営業の手紙の届くころだ。しかし茶葉は今朝で枯渇したわけだから、すこしでも買わなければ明日の朝が困る。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」に6月と7月のご予約が入っている。それをメモに残し、別途、承った旨のメールをそれぞれのお客様にお送りする。今週末の隠居は既にして満席にちかい。その週末を狙い澄ましたような雨の予報が恨めしい。お客様の足元を温めるための暖房絨毯は、いまだ片づけられずにいる。

午後、ことし1月10日に買って、いちどお湯に通したのみのJAPAN BLUE JEANS製のチノパンツ、および1月27日に買って、やはりいちどお湯に通したのみのFULL COUNT製のジーンズを洗濯機に入れる。ジーンズは、裾を3センチメートルほど上げないとだらしなく見えると考えていたものの、洗い上がったそれを履いてみれば丈が縮み、裾上げの必要はなくなっていた。

勉強仲間のセキネヒサタケさんがしばらく前に1,000ccのオートバイを買った。準レース仕様だから時に吐き気を覚えるほど速いという。午後、そのオートバイに乗ってセキネさんが店に来てくれる。セキネさんは小倉町の旅館を予約の上で来てくれた。そのセキネさんと夜は街の居酒屋で待ち合わせて、3時間ほども歓談を交わす。


朝飯 オムレツ、菠薐草のソテー、鮭の日光味噌漬けの焼きほぐし、炒り豆腐、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、蕪と椎茸と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のお通しの鮪のサラダ、刺身の盛り合わせ、玉子焼き蟹クリームコロッケ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)

2025.5.22(木) 忘備

上澤梅太郎商店は土曜日は平日の倍、日曜日は3倍ほど忙しい。ところがタイから戻った日、つまり今週火曜日の売上げ金額は、先週土曜日のそれに肉薄するものだった。長男に訊いても理由は不明。「そのかわり別の日に失速」とならないよう、気をつけたい。

昼からは今日も隠居へ移動をして、数時間ほども仕事をする。庭は万緑。座敷とは目と鼻の先の梅の木には直径3センチメートルほどに育った実が認められるものの、地面に落ちた実もまた少なくない。紀州の梅は、昨年は大不作だった。そして今年の状況も良くないと、業界紙は伝えていた。それは、どのような理由によるものだろう。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」には、配達係のイザワコーイチさんが休みの日には、日に3度は行って、売り場の掃除や納品を行う。その3度目は15時30分のころ。ふと気づくと、昼すぎにいきなり降ってきた雨が上がって日も差している。よって帰りには如来寺のお墓に寄って、タイへ出かけようとしていた11日に供えた花を片づけ、花立てと線香立ての周辺を水で洗う。

夕刻に到って、ふた月に1度ほど診察をしてもらっている病院に行き忘れたことに気づく。来週の日程を考えれば、病院には今週中に行っておく必要がある。そして「たとえカレンダーに忘備を記してあっても、念には念を入れて、その前日には机上にも追加の忘備を貼る必要があるな」と、反省をする。


朝飯 生のトマト、菠薐草のソテー、スクランブルドエッグ、牛肉と椎茸のすき焼き風、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、葱坊主の天ぷらとカラシ菜と若布の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわ弁当、生のトマト、おかずあれこれ、胡瓜と蕪のぬか漬け
晩飯 切り昆布の炒り煮、豆もやしのナムル風、揚げ春巻き、玉子の中華風スープ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)

2025.5.21(水) あとはよろしく

まぶたの内側が明るい。「さては部屋の電気を点けっぱなしで眠ってしまったか」と悔やみつつまぶたを開く。明るさは天井の明かりではなく、カーテンに差す朝日だった。きのうの就寝は21時ころ。今朝の目覚めは5時。8時間も眠り続けたのは、飛行機の中での寝不足によるものだろう。すぐに起きて、仏壇へのお供えをするなどの、朝の諸々を始める。

今日は月に1度の店休日。しかし都合のつく社員はすべて出社をして、普段の仕事の他、話し合いや社内の整備を行う。午前、その話し合いのため隠居へ赴くと、座敷に差し込む夏の日の一部を遮るための、グリーンカーテンが作られていた。

午後からは全員が2階の資材置き場へ上がり、取り置くべきものには赤、捨てるべきものには青、取り置くか捨てるかについて相談の必要なものには黄色のステッカーを貼っていく。青いステッカーを貼られたものの整理は来月の店休日に行う。そのことは作業の前に知らされていたものの、皆、走り出したら止まらない慣性のようなものに取り憑かれて、階下の一角には処分すべきものが早くも山になった。

来月の店休日には、僕は不在になる。「あとはよろしく」である。


朝飯 鮭の「日光味噌と粕漬け」焼き、スペイン風目玉焼き、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、葱坊主の天ぷらとカラシ菜の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおむすび弁当、いちご
晩飯 “JOHNNEY’S CAFE 638″のフォカッチャトリッパの煮込みブレシア風ゆばとたけのことたまり漬「鬼おろしにんにく」と山椒のキッシュ鰯のブカティーニ牛テールシチューカラフの赤ワインバスクチーズケーキ、おまかせのウイスキー(生)

2025.5.20(火) 日本は5月

70Hの座席の背もたれを最大に倒し、amazonで購入した、航空会社がただでくれるものより格段に優れるアイマスクを着けても眠気は訪れない。

01:40 ふと気づいてアイマスクを外す。いつの間にか眠っていたらしい。機は南シナ海の北部を飛行中
03:00 またまたふと気づくと僕の左手すぐ後ろに朝食を運ぶワゴンが来ている。「眠れない」と焦燥しても、またまたいつの間にか眠ったらしい。朝食は3分の1ほどしか食べられず。それはそうだ、時刻はいまだ3時。睡眠時間は2時間ほどのものだろう。機は沖縄の上空を飛行中
03:27 最後尾ちかくの通路側に席を占めていれば、朝食のトレーは自分でギャレーに片づけられる。その帰りにラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く

03:32 機の揺れが激しくなる。乗客はシートベルトを締め、客室乗務員はそれぞれの席へ戻るよう、アナウンスが流れる。
03:55 機は四国と紀伊半島のあいだの数百キロメートル南方を飛行中。
04:30 「羽田空港には日本時間で7時に到着」のアナウンスが流れる。
04:55 TG682は定刻の日本時間06:55ちょうどに羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする

07:10 機外に出る。
07:15 入国審査場を通過。
07:56 「まさかロストバゲージでは」と心配になるころ、ようやくスーツケースが回転台から出てくる。
07:57 税関を通過。
08:13 羽田空港第3ターミナルを京急空港線急行京成高砂行きの車両が発。

ホテルのwifiが使えない状況で、MG会場のwifiを頼りにローカルのエディタからWordPressに文章を写し、ホテルで加工した画像をはめ込み忙しなく公開した先週金曜日の日記を京急線の車内でiPhoneを使って読む。その結果、誤字のとても多いことに気づく。

09:02 京急空港線急行京成高砂行きの車両が都営浅草線の浅草に着。
09:13 京急空港線急行京成高砂行きの車内で特急券を確保したリバティ会津113号の席に着く。
09:30 リバティ会津113号が浅草を発車。次の北千住に着くまでに、先週金曜日の「タイ日記(5日目)」の誤字すべてを直す

11:10 リバティ会津113号が下今市に着。ローカルのエディタに書いておいた、先週土曜日と日曜日の日記は画像も含めて車内で完成をさせた。駅に迎えに来てくれた家内が「暑いでしょ」と同意を求める。しかし僕は、日本の5月の爽やかさのみを感じている。

帰社して以降は自宅に上がって荷物の整理をする。ついでに素麺を煮て、これを昼食とする。そうして事務室に戻ると、僕の机の上には先週月曜日からの郵便物や書類が山になっている。遁世すればこのようなものは目にしなくてよくなるのだろうけれど、「このようなもの」からは死ぬまで逃れられなさそうな気もする。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 にゅうめん
晩飯 鯛の煮付け、炒り豆腐、胡瓜と蕪のぬか漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豚薄切り肉とグリーンアスパラガスのソテー、メシ、「片山酒造」の「素顔純米吟醸」(燗)

2025.5.19(月) タイ日記(8日目)

きのう一昨日とおなじ理由により、5時30分にロビーに降りる。そしてきのう一昨日とおなじくソファに座った膝の上にコンピュータを開き、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。また、部屋の電源はテレビのそれ以外は死んでいるため、ソファの横のコネクタにてiPhoneを充電する。

さて最終日の今日にすべきことで欠かせないのは、きのう洗濯屋に預けた洗濯物の回収、および土産の購入だ。ウチはおじいちゃんが土産を配ることを好んだたため、その習いが今にまで続いている。業界の旅行に行くと、社員に土産を買うのは僕くらいのものだから、世間一般がウチと同じ、というわけではないらしい。

8時がちかくなったところでIKEAのトートバッグを提げて外へ出る。洗濯屋は大通りを挟んではす向かいにあるものの、横断歩道の無いところで道を渡ることは、この通りに限っては危なくてできない。よってアソークの大きな交差点まで戻って反対側の歩道を北へ歩く。洗濯屋にはきのうとおなじ女の子がいて、僕の持つ控えと仕上がった洗濯物の伝票を注意深く照合し、洗い上がった衣類を手渡してくれた

その、結構な大きさのプラスティック袋を部屋へ置き、ふたたび外へ出る。そして最初の、大通りの店には思うような品が無かったため、麺やお粥の屋台がふたつみっつ出ているだけのソイカウボーイを抜けてsoi23に出る。そして2軒目となる店で、できるだけ嵩張らないものを買い物カゴに入れる。

それらを提げて部屋へ戻る。そして洗濯屋が仕上げた衣類を圧縮袋に詰め、また買ったばかりの土産もスーツケースに納めて、荷作りのあらかたを終える。

ここで時刻は9時がちかくなった。腹は減っているものの、今日は近場では済ませない。先ずは部屋のコンセントが役に立たないことをレセプションのオネーサンに説明し、その上で、コンピュータに充電をしてくれるよう頼む

部屋に戻って今度はタイのセブンイレブンのエコバッグに本と財布とiPhoneを入れて外へ出る。そしてBTSで東にふた駅のトンローに移動をする。ホテルを出るときの弱い雨は、雷雨に変わっていた。閉じていた傘を再び開いてsoi53とsoi55のあいだの狭い道を北へ歩く。しかしトンローのsoi1までは行かない。右手のカフェの名は”Herringbone”。ここで朝昼兼用の食事を摂る。

僕の着いた大テーブルの端では「君、そんなにたくさんのもの、食えるわけねぇだろ」という量の、いかにも見ばえのする料理と飲み物を、若い女の人がいつまでもDJIのカメラで撮っている。その行いは、僕が注文した品をすべて食べ終えても、なお続いている。「つまり彼女は客ではなくて、広告代理店のカメラマン、ということか」と納得しかけたところでその女の人はふたり分の料理と飲み物を隣のソファ席に移し、そこで男の人と食べ始めた。

「見ばえのする料理の動画をSNSに上げ、多くの承認を得ることによる満足感の方が、作りたてを愉しむよりより上」という価値観を否定するものではない。しかし料理を作る人からすれば、それは面白いことでは決してないだろう。「男の方も、よくもまぁ黙って待っているものだ」と、大いに感心をする。というか、呆れる。

カフェのテーブルでは2時間ほども本が読めた。次はBTSでひと駅を戻ってプロンポンで降りる。そしてこの旅で3回目となるマッサージ屋に傘を返す。ここで「それでは」と去ればお金を使わずに済むところ、窓の無い湿気た部屋に戻る気もしない。天井の灯りのよく届く寝椅子を指定して、2時間の足マッサージを受ける。料金は600バーツ。オバサンには150バーツのチップ。

バンコクに来て以降、盛り場の鮨屋を訪ねるなどの「よそ行き」を除いては、ユニクロの緩いズボンを穿いている。そのズボンに大きな油染みのあることにきのう気づいた。油気のあるものをいくら食べこぼしても、これほどのシミはできないだろう。しばらく考えて、それは脚をマッサージされたときの油によるものと得心した。シミは、普通の洗濯でも落ちるだろうか。

帰国日の残り時間はいまだ潤沢にある。プロンポンの駅の北側を広範囲に歩き、あれやこれやを見る。看板は日本語がほとんど、という通りもある。スクムヴィット線のサイアムからトンローのあいだに宿を取れば、便利さはこの上ない。しかしそこここで日本語を目にする、あるいは耳にする、そのことにより旅の感興が削がれる、ということはあるだろう。

午前に洋風の食事を摂ったら、午後にはもうタイ料理が恋しくなった。プロンポンからアソークの部屋へ戻り、シャワーを浴びて外へ出る。アソークの大通りをはす向かいの角へ渡るには、横断歩道を渡るより空中歩道を伝った方が時間は節約できそうだ。しかし今回は敢えて横断歩道を選ぶ。そして夜の駅から眺め降ろせばいつも満席の人気店で、早めの晩酌を始める。空港まではスーツケースを曳きつつ電車で行くことを考えて、ラオカーオは封印してビールにしておく。

料理ふた品とビール2本の料金は500バーツちょうど。物価の低い田舎が主戦場の僕からすれば、仰天するほどの高値だ。その値段でも日の暮れるころには観光客と在住外国人で鈴なりになるのだから、店側の値付けは正解なのだ。客は多分、バンコクの真ん真ん中にあるにも関わらず古き良き時代のバンコクを味わえる、そんなところが気に入ってこの店に来るのではないか。ホテルまでは横断歩道は使わず、駅から伸びる空中歩道を伝って戻る。

19:07 シャワーを浴び、歯を磨く。
19:37 ホテルを出る。
19:44 MRTの車両がスクムヴィットを発。
19:45 その車両がペチャブリーに着。
19:55 エスカレータと空中歩道を使ってエアポートレイルリンクのマッカサン駅へ移動。スワンナプーム空港までの料金は35バーツ。頭と顔は既にして汗まみれになっている。

19:58 ARLの車両がマッカサンを発。次のラムカムヘンから座れる。空港の3駅手前のラックラバンでほとんどの乗客が降りるわけは何だろう。
20:21 ARLの車両がスワンナプームに着。
20:34 4階のDカウンターで、タイ航空の職員の手を借りてチェックインそして荷物預けを完了。スーツケースの重さは13.9キログラム。

20:43 エスカレータを上がって保安検査場を通過。羽田とは異なって、コンピュータはバックパックから出すよう言われる。今回はトリッペンの、ブーツではなく短靴を履いてきたため、靴は脱がされずに済む。
20:45 出国審査場を通過
20:52 シャトルトレインの車両がメインターミナルを発
20:54 その車両がサテライトターミナルに着。

21:05 3月にはカードの会員証で入場を断られたミラクルラウンジに、今日はiPhoneに仕込んだデジタル会員証を見せて受付を通過。腹は減っていなかったものの「折角だから」と、いささか乾き気味のサンドイッチを肴にして南アフリカ共和国のカベルネソーヴィニョンを飲む。また、空港に来る途中で汗をかいたため、シャワーを借り、半袖のTシャツを、襟の高い長袖のシャツに着替える。
21:52 ミラクルラウンジを去る。
21:53 ボーディングパスに指定されたS112Aゲートに着く。ここでジャージー地のカーディガンとウインドブレーカーを長袖のシャツに重ねる。
22:40 なぜかS112Bゲートから搭乗開始。

自分の背もたれの後ろには空間があるばかりの70Hの席に着く。そして最後尾のギャレーにいた男の客室乗務員に「薬を飲むのでコップの水をください」と声かかける。彼は水のペットボトルをひとかたまりにしているプラスティックの幕を専用の器具で切り裂き、その中から1本を取り出して、手渡してくれた。

23:11 Boeing777-300ER(773)を機材とするTG682は、定刻から26分おくれてスワンナプーム空港を離陸する。


朝飯 ”Herringbone”のクロックムッシュ、ソルティカラメルラテ
晩飯 “Suda Restaurant”のホイライパットプリックパオバミーヘンシンハビール

2025.5.18(日) タイ日記(7日目)

きのうとおなじ理由により、5時をまわった頃合いを見計らってロビーに降りる。そしてきのうとおなじく、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。きのうと異なっているのは、枕元のコンセントがUSB、AC共に電力を供給しなくなったこと。よって今朝は壁に掛けられたテレビをずらし、そのコンセントからiPhoneを充電した。

空は曇っているものの、有り難いことに雨は降っていない。「さて、日曜日の今日も開いているだろうか」と、ホテルから徒歩10秒の、朝から昼にかけては人通りも疎らなソイカウボーイを西から東へと抜ける。きのうより20分ほど遅れて入ったsoi23の食堂は、早くもほとんどのテーブルが埋まっていた

部屋に戻って今度は、木曜日に洗濯をして以来の洗濯物をプラスティックバッグに入れ、てアソークの大通りを渡る。Googleで見つけたクリーニング屋”Super Clean”はGoogleの情報の通りに営業中で「タイらしくねぇな」と思いつつ、しかし嬉しいことは嬉しい。店にはそれほど大きくもない洗濯機と乾燥機が1台ずつあった。量りに載せた洗濯物は1.07キログラム。料金は132バーツだった。伝票に記された完成時間は本日の17時。店番の女の子には、引き取りは明日になると伝えて店を出る。アソークのような大都会の真ん中に、今もこのような洗濯屋のあることは貴重だ

バンコクMGの会場には8時45分に入る。きのうの日記に書いたように、ホテルのwifiでは日記を書くためのブラウザが開かない。そのためMG会場のwifiを借りておととい金曜日の日記に画像を添え、あわただしく「公開」ボタンをクリックする。

第19回バンコクMGの2日目は、予定通り9時15分より始められた。講師のタナカタカシさんによる講義は太い線による図を多用し、難しいことを易しく説くための比喩も的確だ。そして第4期のゲームに先だって、きのうの第3期に663円で売上高1位を記録した僕は、第4期の市場の状態や経費の倍率を決めるサイコロを振る。出た目は6。これは厳しいことになった。

その第4期の僕の売上高は1,110円で、自己資本は第1期初の300円から378円に伸張した。しかしこの期の売上高1位はモロタカヒロさんに明け渡した。

MGでは、昼食のあいだにスピーチの順番が回ってくる。出されたテーマは「私とコンピュータ」または「1日半やってみて」。このときの、日本語は片言、MGには初の参加というタイ人チェンさんの、身振り手振りを交えた饒舌な感想には大感動をした。生まれて初めてのMGでは、その辛さに耐えかねて2日目は出てこない、という人もいる中で、言葉のハンディキャップを背負いつつ大きな気づきを得たチェンさんの、今後の明るいことを祈らずにはいられない

食後は第5期を前にして、第4期で売上高第1位を記録したモロさんがサイコロを振る。その第5期において、否、一見、上手く行ったかのように思われた第4期から、ゲーム下手の僕の命運は決まっていたのだ。リスクカードによりふたつの戦略チップを失って以降は安値の市場に活路を求めたものの、最後は小さな荒利を稼ぐことに汲々として赤字に転落。自己資本は265円に落ち、債務はその自己資本を超過した。これがまぁ、僕の実力である

第5期は、期初にサイコロを振ったモロさんの圧勝。僕は第2期と第3期の売上高区間賞、第2期から第5期までA卓を維持した4A、そして第5期の決算順位1位の計数力に爪痕を残すに留まった。バンコクMGには、その開催日が上澤梅太郎商店の外せない日程に重ならない限り、今後も年に一度くらいは参加をしようと考えている

さて今夜の皆との会食はムーカタ。いかにも「タイに来た」と感じさせてくれる食事は嬉しい。そして歓談は2時間ほども続いた。

夜のモントリ通りはいつまでもクルマの往来が激しいそしてアソークの交差点を渡ってホテルに戻り、21時すぎに就寝する。


朝食 “JOK RUAM JAY”の2種のおかずのカオゲーン
昼食 バンコクMG支給の弁当
晩飯 “LIB STORY”のムーカタ、ソムタムタイ、ヤムウンセンムーサップエンコーカイ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.5.17(土) タイ日記(6日目)

目を覚ましたのは3時30分のころ。枕頭のiPhoneを引き寄せると、きのうの就寝前に枕元のUSBコネクタに電源コードを差し込んでおいたにもかかわらず、バッテリーの残量が10パーセントになっている。コネクタは経年劣化によるものか緩い。即、隣のACコネクタにコードを繋ぎ直す。

部屋にコンピュータを開く空間の余裕は無い。よって5時になったところでロビーへ降りる。そして、おとといの日記を完成させるべく、ソファに腰かけ、膝に載せたコンピュータの電源を入れる。wifiには、きのうの設定にて簡単に繋がる。ところが日記を書くためWordPressを開こうとすると、ブラウザには安全を確保できない旨の警告が出て、先へ進めない。

試みにメーラーを回すと、こちらはいつものように巡回する。facebookも開く。他の一般のウェブページも閲覧できる。パスワードを必要とするサイトにはアクセスができない、ということなのだろうか。仕方なくローカルのエディタを開き、きのうの日記はどこまで書いただろうかと記憶を辿りつつ、続きの部分を書いて保存する。

朝食は、週末の朝7時40分にもかかわらず有り難いことに営業を始めていたsoi23の食堂。ここで今回の訪タイでは初めてになるカオゲーンを注文する。ごはんに2種のおかずを載せて価格は60バーツ。ヤワラーの簡素な粥が70バーツだったことを考えれば、驚くほど安い。おかずに混じっていた、皮の下に豊富なゼラチン質を蓄えた魚は何だろう。

さて今日は第19回バンコクMGの初日にて、その場所を確かめるべく、一旦戻った部屋から外へ出る。facebookページの案内は紙に印刷して持っている。講師のタナカタカシさんから送られた、GoogleマップのURLも届いている。会場は、アソークの交差点の北東の角。つまりバンコクでもっとも便利な場所。言葉を換えればバンコクで1、2を争う地価の高いところだ。しかしそこに建つビルの中の、一体全体、どこに会場があるのかが分からない。よって朝はやくから迷惑とは思ったものの、そのことについてタナカさんにメッセンジャーで案内を請うておいた。

間もなく戻ったタナカさんからの返事に従って、空中歩道からInterchange21ビルに入る。そうして歩きまわった結果、ULという日本には無い階に会場となる”PERSONNEL CONSULTANT”をようやく見つける。すっかり安心してアソークの交差点に出ると、ちょうど向いからタナカさんと助手のシミズタカヒロさんが歩いてくるところだった。

第19回バンコクMGは、9時30分に始まった。参加者のうち、日本から来たのは僕とモロタカヒロさんの2名のみ。他はすべて現地からの参加で、中には日本語が片言のタイ人もいる。インドシナにMGを広めようとしているタナカさんは、ハノイでもMGを開催するようになった。それに伴って、バンコクMGは以前の年4回から2回に減った。そのためか、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGの、第1期を前にしての講義は通常より長いものになった

ところで僕のMGは、1991年から始めて今年で34年目になるにもかかわらず、ゲーム運びは異常に下手だ。頭がおかしいのではないかとさえ考えている。よってゲームに臨んでは余裕など無い。「窮鼠」のように、いつも怯えている。そうして始まった第1期に2枚目の研究開発チップを買うと、右隣でゲームに参加しているシミズさんに「ウワサワさん、ガチですね」声をかけられる。「ガチ」もなにも、当方は「会社を倒産させないこと」しか頭にない「窮鼠」である

その、事実上の「勝負開始」である第2期から僕は黒字、売上高は参加者中の第1位を記録した。珍しいこともあるものだ。一方、日本語は片言、漢字は読めない初参加のタイ人チェンさんは、皆に遅れつつもマトリックス決算書による決算を無事に完了させた。僕は自分が初心者だったころの決算のひどさを思い浮かべて、思わず拍手をする。その拍手はすぐに、会場全体に広がった。

第3期の市場の状態や経費の倍率を決めるサイコロ振りは、第2期の売上げトップ、つまり僕が振る。そしてその第3期においても僕の売上高は参加者中の第1位。「アソークの交差点でクルマに撥ねられて死んだりして」と、思わず冗談を洩らす

その第3期の決算を全員が終わろうとするうち19時が近づく。ここで本日のカリキュラムは修了。Interchange21ビルの裏口から皆と出た僕は、ひとり離脱をしてホテルに戻る。そしてトートバッグのコンピュータをスーツケーへ納め、ペットボトルに小分けしたラオカーオを取り出す。スーツケースに鍵を掛けることは忘れない。そして賑わい始めたソイカウボーイを抜けてsoi23を北へ急ぐ。

交流会場”Wanakaam”の門の前には申し訳ないことに、シミズさんが僕を待っていてくれた。以降は次々と運ばれるタイ料理を肴にラオカーオのソーダ割りを飲みつつ皆と歓談を尽くす。そのかたわら明日のゲームにはどのような工夫を凝らそうかと考えても、妙案は浮かばない。そんなものが浮かべば、ハナから苦労は無いのだ。


朝食 “JOK RUAM JAY”の2種のおかずのカオゲーン
昼食 バンコクMG支給の弁当
夕食 “Wanakaam”のプーパッポンカリートードマンクンソムタムタイパットパックブンファイデーンコームーヤーンヤムウンセンタレーパッタイ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.5.16(金) タイ日記(5日目)

きのうは18時30分ころに寝に就き、22時すぎに一度、目を覚ました。隣の部屋のテレビの音が、薄い壁を通して聞こえていた。ヤワラーの大通りからは、群衆となった観光客の声が、二重窓を通り抜けて届いていた。そこでに二度寝に入れたのは幸いだった。次の目覚めは1時30分のころ。次は3時30分のころで、以降は起きてしまうこととした。

7時45分の朝食の会場に、宿泊客の姿はすくなかった。きのうの日記は画像のはめ込みも含めて9時20分に完了した。以降は今日の日記のここまでを書く。更に書き続けることもできるものの、いつまでコンピュータにかじりついて以降の時間を忙しくする、という悪癖が僕にはある。それを知っているから9時54分にコンピュータを閉じ、荷物をまとめることにする。

チェックアウトは10時45分。ワットマンコンの駅まではスーツケースを曳いても徒歩3分。とても小さな粒の雨が、ほとんど何も濡らさないだろう疎らさで降っている。

東へ向かうMRTの車両が発車をしたのは11時1分。さてアソークへ行くにはどこで乗り換えるべきだったかとスマートフォンを取り出し、バンコクの路線図を見る。ワットマンコンからアソークまでは、スクムヴィットで降りれば乗り換えは不要だったことに改めて気づく。

11時14分にMRTの車両の着いたアソークは、僕の感覚からすると新宿の都庁側のような感じで、あまり好きなところではない。しかし交通の便利さはバンコクで随一だ。駅から目と鼻の先のホテルを目指してアソークの大きな交差点に沿って歩く。

するとそのホテルの前に見慣れた顔がある。手を挙げると相手は一瞬のあいだ思考が止まったような表情を浮かべ、それはすぐ笑顔に変わった。日光の片山酒造の前社長カタヤマタカユキさんの同級生であり、またコモトリケー君の後輩でもあるカトリアキナリさんだった。カトリさんはたまたま、これから僕が泊まろうとしているホテルに友達を迎えに来たところだった。海外ではしばしばこの手の偶然に遭遇する。

レセプションのオネーサンに知らされたチェックインの時間は14時。現在時刻は11時18分。よってスーツケースとバックパックを預かってもらい、今度はBTSで隣のプロンポンに移動する。そして月曜日とおなじマッサージ屋で前回とおなじ2時間の施術を受ける。その最中に大きな雷鳴が何度も聞こえてくる。オバサンには200バーツのチップ。それにしても僕がバンコク入りしてからは、毎日のように「驟雨沛然」が日に何度も起きる。オバサンは小さめながら、傘を貸してくれた。

その傘を差してホテルに戻ると時刻は14時5分。さてここからが忙しい。フロントに預けたスーツケースとバックパックを持って小さなロビーの脇の小さなエレベータに乗る。家庭用と見まがうばかりの小さなそれがゆっくりと動いて3階に着く。エレベータから廊下に出るには、自分でドアを押す必要がある。僕の部屋は目の前にあった。

明日から月曜日までは「どうせ寝るだけだから」と、窓の無い、小さな、交通至便と安さだけが取り柄の部屋を予約した。しかし一歩を踏み入れてみれば、スーツケースを開くスペースも無く、歯を磨くときのコップも無く、これは予約時から分かっていたが、椅子もデスクも無いという無い無いづくしの部屋だった。仕方なくスーツケースはベッドの上で開き、襟付きの白いシャツを取り出して、Tシャツからそれに着替える。サンダルは革靴に履き替える。そしてふたたび傘を差して外へ出て、アソークの大きな交差点を渡る。

BTSの車両が隣のトンローからなかなか来ないのは、大雨のせいだろうか。ようやくプラットフォームにすべり込んできたそれに飛び乗り、サイアムでシーロム線のバンワー行きに乗り換える。サパーンタクシンには15時2分に着いた。そうして15時10分の舟でコモトリケー君の家へ向かう

コモトリ君は既にして、火曜日に手渡した上澤梅太郎商店の商品や生野菜を食卓に並べ、また台所では火を使う準備も整えておいてくれた。「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子だけは慣れている僕が調理し、それらにて夕食のひとときを持つ。

ベランダの向こうには、いつの間にか首都の夜景が広がっている。いつまで寛いでいたい気分だが、今いる場所からアソークは、それほど近くもない。20時発の、コンドミニアムの専用船でサパーンタクシンに渡る。そうしてBTSにて来た道を逆に辿ってアソークには20時42分に着く

部屋に戻ってシャワーを浴び、備えつけのガウンなどないからスーツケースの圧縮袋からパジャマを取り出す。部屋が狭すぎるため、必要なものをあらかじめ出しておく、ということができないのだ。そうして「もういい年なのだから、そして今やバックパッカーでもなければ、こんな節約旅はこれでお仕舞いにしよう」と決める。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
晩飯 らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」とナチュラルチーズのカナッペ、野菜スティックの「辛ひしお」添え、牛肉の鉄板焼き「鬼おろしにんにく」添え、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、たまり漬「ホロホロふりかけ」のまぜごはん、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with Love”、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.5.15(木) タイ日記(4日目)

南の国では、日当たりの良い部屋は、却って嫌われる。僕のいる1108号室の窓は西を向いている。その西の空には傘をまとっているものの、月が見えている。「今日の天気は、いくらかは良くなるだろうか」と期待をした瞬間、雷光が走る。

旅に出て3日目ともなれば、また僕は観光などはしないから、特筆するようなことは少なくなってくる。そのお陰できのうの日記は朝食の前に書き終えた。

朝食の会場へ向かうには服を着る必要がある。昨夜はシャワーを浴びなかった。新しいシャツに袖を通す前にはからだを洗っておきたい。よってシャワー室に入るも、今日も水は熱くならない。仕方なく、ぬるま湯にはほど遠い水を全身に浴びつつ「インドの安宿でもあるめぇになぁ」と、バックパッカーをしていたころのことを思い出す。

さて今日は洗濯の日にて、袋に集めておいた5バーツ硬貨10枚、1バーツ硬貨10枚、それに100バーツ紙幣1枚を手にフロントに降りる。そしてそれらを10バーツ硬貨16枚に替えてもらう。フロントのオネーサンは、10バーツ硬貨を10枚と6枚に分けて、それぞれをセロテープで巻いて渡してくれた。

部屋に戻り、日曜日に家を出てから昨日までの洗濯物をクローゼットの引き出しから出し、IKEAのトートバッグに入れる。9階の洗濯室の、液体の洗剤と柔軟剤はカゴに無造作に入れてある。そこから洗剤のみを取り出し、サムソンの洗濯機のしかるべき場所に絞り出す。

洗濯機に洗濯物を入れ、洗濯機の右手に取り付けられた投入口に10バーツ硬貨10枚を入れる。すると洗濯機はコントロールパネルのいくつかの場所を賑やかに光らせ、水も流れ始めた。人がすべきことは10バーツ硬貨10枚を投入するのみだった。これは楽だ。”Delay End”の文字のある脇の液晶には58の数字が出ているため、iPhoneに58分間のアラームを設定して部屋に戻る。

そのアラームが残り1分になったところで部屋を出て洗濯室へ向かう。洗濯機の”Delay End”には「1」の数字があった。洗濯室には広い窓があり、タイに入って4日目にしてようやく雨雲のない街が見晴らせた。洗濯機が電子音を発して止まる。次は隣の、今度は”Whirlpool”と社名のある乾燥機に洗い上がった洗濯物を入れる。10バーツ硬貨5枚を投入すると、そこには「25」の数字が出た。今度はiPhoneに25分間のアラームを設定して部屋に戻る。

洗濯は至極簡単に完了した。wifiが安定しない、シャワーから温水が出たのは2日目まで、工事によりスイミングプールが閉鎖されることを予約客に知らせてこないなど、このホテルは突っ込みどころは満載だが、ワットマンコンの駅から徒歩3分という利便性はとても魅力的だ。大通りとその周辺の食べ物屋の料金は高いものの、すこし歩けばバンコクの平均になる。よって気が向けば、僕はまたこのホテルを選ぶかも知れない。

さて時刻はいまだ9時30分。本を読む環境が欲しい。よって座り心地の良いソファを備えたカフェでもありはしないかと、セブンイレブンのトートバッグに本を入れて外へ出る。歩いたのはヤワラーの大通りの南側。

途中、ホテルの窓から見えていた、工事中のかなり大きなお寺の脇に出る。特に信心深いわけではないものの、門を入り、緑陰の下を進んで階段を上がる。無人の販売台に花と線香が置いてある。しかし蝋燭に火を着けるマッチは持ち合わせていないから、そのまま先へと進む。それをしたからといって何がどうなるわけでもないけれど、本尊らしい金色の仏像に手を合わせ、まるで体育館のように広い本堂を去る。立て札によればお寺の名前は”Wat Samphanthawong Saram Worawihan”とあって、これがタイ語になれば、更にわけが分からなくなるだろう。

炎天下を歩いても歩いても、そこには昔ながらのバンコクの街並み、そしてごくたまに、古い店を改装した画廊、古着屋、喫茶店が現れるものの「座り心地の良いソファ」はどこにも見つからない。そうするうちチャオプラヤ河畔に行き当たり、きびすを返す意図して建物と建物のあいだを歩き続けるうち今度は靴屋ばかりの並ぶ小路に出る。そうしてそこを抜ければ何と、初日の夜にオースワンを食べた食堂「笑笑酒楼」が間近にあった。

チェンライに滞在をしているときには、朝食をたっぷり食べれば昼食は不要と考えるほど腹は減らない。それは頭を使わないせいと考えていた。しかし今夏のバンコクでは、頭を使わないことはおなじでも、腹はなぜか減る。正午にはいまだかなり間のあるころにホテルを出て、ちかくの店で餡かけ麺を食べる。ホテルまではわざと、建物と建物のあいだの、昼なお暗い路地を辿って戻る。

正午を過ぎることにふたたび外を出て、おといからずっと通っているマッサージ屋で2時間の足マッサージを受ける。今日もまたその途中で眠ってしまって本はほとんど読めず。料金は600バーツ。悲鳴を上げる寸前という絶妙の強揉みをしてくれたオニーチャンは200バーツのチップ。

それにしても、プールサイドの寝椅子を与えられなければどれほど本が読めないか、ということが今回は良く分かった。しかし本は読みたい。ちかくのホテル「上海マンション」の入口は、夜はバンドの演奏もあるレストランになっている。外からの壁はなく開放的だが、天井からの冷気は歩道にまで及んでいる。ここに14時30分に出かけてマンゴースムージーを注文し、1時間30分ほど滞在をした。ライオネル・バーバー著「権力者と愚か者」は71ページまで進んだ

さて17時もちかければ夕食、ということになる。ホテルはヤワラーの繁華街の真ん真ん中にあり、一般には美味い食べ物屋の集合体、ということになっている。ちかくにはピブグルマンの店も点在し、そのようなところは僕の見たところ、18時までは空いている。しかし数分ほども考えた末、きのうとおなじ店に出かけることとする。僕が第一に求めるのは、美味さではない。南の国らしい屋外の席での、本を読みながらラオカーオを飲みながらの、更には押しかける客に遠慮をしなくてもよい食事、である。

部屋には早くも18時に戻ってしまった。そしてすることは何もない。相変わらず冷たいシャワーを浴び、ナイトガウンを羽織って寝台に上がる。外はいまだ、明るい。表の通りからは、いまだ人々の声は上がってこない。ヤワラーの夜は、いまだ始まっていないのだ。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 「如意」のミークローブラートナー
晩飯 “Aiem Pochana”のビーフンと魚貝類の炒めラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.5.14(水) タイ日記(3日目)

きのうの就寝は、僕としてはとても遅かった。それにもかかわらず、今朝は4時台に目が覚めた。焼酎やジンを随分と飲んだ記憶がある。しかし気分はそれほど悪くもない。

昨日の日記にも書いたように、南の国の夜明けはそれほど早くない。そのこともあって、カーテンを早々と開けることはしない。6時がちかくなってそれを横にずらせてみれば、空は既にして明るかった。天気はきのう一昨日に引き続いて、あまりよくない。それでも数分のあいだは日が差した。

「あれだけ飲み食いをしたにもかかわらず、大したものだ」と思わざるを得ないけれど、腹が減っている。14階の食堂に上がって朝食を済ませ、部屋に戻ると時刻は7時45分。窓の外に雷光が走り、雷鳴も届く。雨季でもないのに雨続きとは、一体全体、どういうことだろう。

きのうの日記を書き終えると11時がちかくなっていた。とにかく屋上のプールが使えないのだから、どうにもならない。更にこの天気では、いずれにしても、外の寝椅子で本を読むことはできなかっただろう。

傘を差さなくてもどうにかなるほどの雨の中を、暗い路地を選んで北へ歩く。チャルンクルン通りに出たところで向かい側の歩道に渡り、東を目指す。すると左手に、金色の鍋で豚足を煮る清潔そうな店があったため、歩道から数段を上がって席に着く。時計は見ていなかったものの、早めの昼食になった。そして今日のカオカームーは、初日のプロンポンのそれとは異なって、かなり美味かった。

そのチャルンクルン通りを今度は西へ戻り、きのうと同じマッサージ屋「泰満足」に入る。GoogleマップではPhadung Dao Rd.に表示される「泰満足」だが、ヤワラーの大通りからワットマンコンの駅に続くPlaeng Nam Rd.にもまた、おなじ名の店があるのだ。コースはきのうとおなじ足マッサージを2時間。今日のオネーサンはそれほど上手でなかったため、チップは100バーツ。「権力者と愚か者」は、眠ってしまって1ページも読めなかった。

マッサージ屋の寝椅子でふと「今日は洗濯の日でなかったか」と気になり、部屋に戻って壁の日程表を見る。洗濯ははたして明日の備考欄に忘備があった。念のため洗濯室のある9階へ降り、案内に従って廊下を往く。ホテルの北西側に設けられた洗濯室には洗濯機3台と乾燥機2台があった。明日になってから慌てないよう、両者の使い方を記した壁の張り紙をザッと読んでから写真にも納めておく。その文章は以下。

WASHING MACHINE
1.Put clothes in tha machine and spread them out for effective washing.
2.Fill detergent and softner in the designated compatrments.
3.An alarm will active when the wash has finished.

DRYER MACHINE
1.Put clothes in tha machine and spread them out for effective washing.
2.n alarm will active when the DRYER has finished.

乾燥機は兎に角として、洗濯機にはたくさんのボタンがある。果たしてこれだけの説明で、僕は洗濯をすることができるだろうか

とにかく時間だけはたくさんあるから、部屋でコンピュータに向かううち、2018年3月26日から29日にかけての、フアヒンとバンコクでの日記の最下部に置いた3枚並びの画像が2枚しか表示されていないことに気づく。そしてこれを、いささか苦労しつつ復旧させる。

17時になりかかろうとするころ、トートバッグに本とラオカーオの小瓶を入れて外へ出る。そうしてワットマンコン駅の通りを抜け、7月22日ロータリーに近づいていく。楽宮旅社に逗留していた20代はじめのころには、このロータリーのタイ語の名をどうしても覚えられなかった。それは今もおなじである。

タイに来たら、夕食は、いかにもタイらしいところで摂りたい。それが今回は3日目にしてようやく叶った。路上に置かれたステンレス製の席に着き、牛鍋、ソーダ、バケツの氷を注文する。その鍋が美味いかどうかは、さして問題ではない。旅先での食事に僕が求めるのは「日本ではできない経験」である。

「ヤワラーの観光客がこのまま増え続ければ、このあたりもやがてははカオサンの2本奧の通りのように、洒落た店が建ち並ぶのではないか」と思わせる、今はどうということもない通りを歩いて大通りに戻る。昼の雨は上がったから、通りはまた夜遅くまで賑わうだろう

シャワーの水が、いつになっても熱くならない。シャワーは昼に浴びて後は汗もかいていないため、備えつけのナイトガウンを羽織り、いまだ19時になりかかるころではあったものの、寝ることにする。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 チャルンクルン通りの名前を知らない店のカオカームー
晩飯 “Aiem Pochana”のモーファイ(全部入り)ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.5.13(火) タイ日記(2日目)

目を覚まして枕頭のiPhoneを引き寄せる。時刻は4時19分。きのう寝に就いたのは多分、19時30分のころ。とすれば、僕としては随分と長く眠ったものだ。深夜便での寝不足をからだが取り戻そうとしたのだろう。

南の国に来て違和感を覚える第一は、夜の明ける時間について。日本では、夏が近づくに連れて、日の出は早くなっていく。しかし地球を赤道に向かって降りていくと徐々に、日の出の時間に季節の差はなくなっていく。日中は汗が滂沱の暑さにもかかわらず、つまり気温は日本の夏と同じにもかかわらず、夜明けはそれほど早くない。そのことに、いつも戸惑うのだ。

14階の朝食会場からの眺めは良い。しかし天気は優れない。食後はひとつ上の階の屋上に上り、現在は使ことのできないスイミングプールを目で確かめる。エレベータの中の張り紙によれば、工事期間は5月4日から27日まで。工事の内容はビニールライニングとハシゴの交換とあった。プールの改装工事は、今年3月28日の大地震を経験しての「できるだけ早いうちに万全を期しておこう」との考えによるものかも知れない。

プールのある屋上から11階の部屋に降りて、きのうの日記を書き継ぐ。

「タイに来ています」というような、途中経過を欠いた日記には残念な気持ちが募る。自分の旅の日記を読み返してもっとも面白いのは、移動日のそれだ。よってきのうの日記も長くなり、書いても書いても終わらない。それを一時のあいだ中断して、10時15分に外へ出る。

コモトリ君が行きつけの床屋はサラデーンのチャーンイサラタワーの中にあると何年か前に聞いた。そのときの担当者が、今はヤワラーの、ワットマンコンちかくの美容院で仕事をしているという。そういう次第にて、コモトリ君には今日の10時30分に予約を入れてもらった。

Googleマップの「ナビ」を設定したiPhoneは、ポケットの中で震えて道の分岐の近づいていることを教えてくれる。そうして辿り着いた美容院は、ワットマンコンの塀の脇にすぐ見つかった。時刻は開店5分前の10時25分。すると店の前で食事をしていたオバサンが機敏に立って、僕を店の中に入れてくれた。

2種のバリカンで髪と髭を刈り、眉を整え、顔を剃り、頭を洗う、そのすべては20分で完了。400バーツの料金は、昨年の6月6日に使った”Soi Na Wat Hua Lamphong”の小さな床屋のそれと同じではあるものの、顔剃りやシャンプーのある点、また店の設備の整っているところからして、今日は随分と得に感じた。

帰りは、細い路地の両側にびっしりと店の並んだ小さな市場を抜けていくその路地は想像以上に長くようやく明るいところに出るとそこはヤワラーの大通りで、路地の入口には”Yaowarat soi6″の表示があった。

ホテルには戻らず、そのまま歩くことを続ける。歩いた距離は地下鉄でふた駅くらいのものだっただろうか。1982年に僕が逗留していた楽宮旅社は、廃墟にはなっているものの、建物は残っている。魔窟や陋巷といった言葉の好きな人は、バンコクの中華街に来るべきだ。それらは熱帯の空の下に暗い口をあんぐりと開けて、訪れる人をいまだ待ってくれている。ただし急ぐべし。近くにはグランデセンターポイントホテルを建てるための、地上げをされた大きな空き地ができていた。

部屋に戻ってシャワーを浴び、ちかくの粥屋で昼食を摂る。この簡素な粥も70バーツ。ヤワラーは東京でいえば浅草のような観光地だから、物価もそれだけ高いのだろう。昼食の後はそのままマッサージ屋へ行こうと考えていたものの、流れる汗を止めるため部屋へ戻り、シャワーを浴びる。

ワットマンコン駅1番出口ちかくのマッサージ屋「泰満足」には14時5分に入った。そして2時間の足マッサージを頼み、窓際の寝椅子を指定して、ライオネル・バーバー著「権力者と愚か者」をようよう開く。マッサージの料金は600バーツ。女の子には200バーツのチップ。プールサイドの寝椅子が使えないらマッサージ屋の寝椅子、と考えた末のことだが、当然のことながら、マッサージ屋の寝椅子には、ただで寝転ぶことはできない

それにしても、14時5分から2時間のマッサージとは、時間の読みをちと間違えた。16時すぎに部屋へ戻り、着替えをする。足元はサンダルから革靴に履き替える。コンピュータなど起動してはますます時間が無くなる。そうして忙しなくワットマンコンの駅へと急ぐ。「タニヤプラザのスターバックスコーヒーの前に16時55分」との、コモトリ君との約束には30秒だけ遅れてしまった。

僕は、海外に来れば日本食はほぼ絶対に食べない。しかし今日は諸般の事情により盛り場の鮨屋に案内をされた。「これだけの広い店を運営するにはかなりの手腕が必要だろう」と思われる長いカウンターのほぼ中央で、あれやこれやを肴に奄美の焼酎を飲む。そこはまるで日本だった。

タニヤからヤワラーまでは、コモトリ君のクルマで送ってもらう。運転手には100バーツのチップ。今日は雨もほとんど降らず、ヤワラーの大通りにはいつもの人の波が戻っていた。そうして部屋へ戻ってシャワーを浴び、歯を磨いて即、就寝する。時刻については、よく覚えていない。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二其の三
昼飯 「陳義発」の猪肚粥
晩飯 「石司」のあれや、これや、それや、奄美の黒糖焼酎(水割り)、同(オンザロックス)

2025.5.12(月) タイ日記(1日目)

00:00 搭乗。駐機場の黒く光る様を見て、雨の降っていることを知る

昨年9月にチェンライのセブンイレブンで買った、効くか効かないか不明の睡眠導入剤は、ラウンジで飲んでおくべきだった。63Hの席に着いてからそのことに気づき、すぐ後ろのギャレーに水をもらいに行く。いつかの女性客室乗務員は「ペットボトルでは上げられない」と紙コップの水を差し出したけれど、今日の男性客室乗務員は、330ccのミネラルウォーターをすぐにくれた

00:35 席でうとうととするうち、Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は定刻に15分おくれて羽田空港を離陸。
02:55 窓ぎわの乗客が手洗いに行くとのことで、3人並びの席の、通路側の僕と真ん中の女の人が通路に出る。当然、ここではっきりと目が覚める。機は沖縄の上空を飛行中。

04:21 機内はいまだ暗いものの、背後のギャレーで朝食の準備を始めたらしい音がする。機は台湾南部を抜けて南シナ海上を飛行中。
04:55 アイマスクを完全に外す。機内は薄明るくなりつつある。
05:00 機内が完全に明るくなる。

05:30 朝食が席に運ばれる。この便は離陸直後から小刻みに揺れ続けていたが、ここに来てその揺れが一層、激しくなる。コーヒーをこぼしては面倒だから、カップは手に持ったままでいる。「客室乗務員のサービスは一時中止」とのアナウンスが流れる。「いつまで持ったままではいられない」と、コーヒーを飲み干そうとして、むせて咳が出る。

05:50 客室乗務員の来る前に、朝食のお膳を自分でギャレーに片づける。その足でラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く
06:06 「バンコクまで55分」の表示がディスプレイに出る。

財布の日本円はすべて封筒に収め、前回の訪タイ時に余らせたタイバーツの封筒から当座の分のみ財布に移す。睡眠導入剤は飛行機に乗り込む前に飲んでおく。使い捨てカイロを腰に貼る。そういう、きのうラウンジで済ませておくべきことは、すべてし忘れた。それらを箇条書きした紙を、次回はポケットに入れておく必要があるだろうか。

前回の反省から、今回は搭乗の前に、襟の高い長袖シャツにジャージー地のカーディガン、それにウインドブレーカーを重ねたものの、機内はなお薄ら寒い。帰国に際しては、カイロはかならず腰に貼ろうと心に決めるものの、また忘れてしまうかも知れない。

06:25 「スワンナプーム空港まで30分、現地の気温は27℃」とのアナウンスが流れる。
06:48 雲に阻まれて見えなかった地上の灯りが見えてくる。機はしかしすぐにまた雲の中に入る。
06:50 車輪が降ろされる。
06:56 TG661は定刻に6分おくれてタイ時間04:56にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

05:22 TDACのQRコードをディスプレイに出したスマートフォンとパスポートを入国審査場のカウンターに並べる。両手の親指と右手の中指にはアカギレにバンドエイドが巻かれているものの、指紋の採取は問題なし。「何日滞在するか」と係官に訊かれて、特に指折り数えたわけではなかったものの、咄嗟に「8日間」と答えておく。

05:25 11番の回転台ちかくのソファに落ち着き、封筒の、前回に余らせた6,700バーツから1,700バーツのみを財布に移す。
05:33 回転台から荷物が出てくる
05:39 地下1階のエアポートレイルリンクの乗り場に降りる。「始発は6時だから」と、椅子で待つうち、市中心部から来たらしい乗客が向こうから集団で歩いてくる。それを見て「もう乗れるのか」と、席を立つ。

券売所では、自動販売機を使わず、窓口に1,000バーツ札を出して「マッカサンまでひとり」と係に告げる。釣銭は915バーツ。大きなお札は迷惑にならないところでくずしておくことが肝要である。

06:02 ARL(エアポートレイルリンク)の始発が空港駅を発車。地上には霧が濃い。
06:25 ARLの車両がマッカサンに着。地下鉄のペチャブリー駅までは、空中の歩道を往く。

ペチャブリー駅では500バーツ札を出して「ワットマンコンまでひとり」と係に告げる。釣銭は465バーツ。とはいえすべての紙幣や硬貨を細かく数えているわけではない。

06:38 MRTの車両がペチャブリー駅を発。日本の近距離列車の吊り革は、窓際の長座席に平行して2列のあるのみだ。しかしタイの地下鉄のそれは更に車両の中心にも1列があって「これは混雑時には、すごく有り難い設備だ」と、大いに感心をする

06:54 MRTの車両がワットマンコンに着。出国前に見たGoogleマップを頭に浮かべつつ地下鉄の構内を歩き、1番出口から外へ出る。ヤワラーの大通りに続くPlaeng Nam Rd.は目の前にあった。道の両側には、いずれ劣らず美味そうな店が軒を連ねている

07:02 駅から徒歩3分にしてホテルに着く。このホテルの定めたチェックインの時間は14時のため「部屋に早く入れるなら、その分の支払いはもちろんする」旨の添え書きを予約時にしておいた。レセプションのオネーサンはその金額を500バーツと僕に伝えた。「安いじゃないですかー」である。しかしこのあと、オネーサンはおなじ口から「なお、スイミングプールはお使いいただけません」と、衝撃的なことを事務的に発した。

僕は南の国に旅することが好きだ。その楽しみの過半、否、大半はプールサイドでの本読みが占める。このホテルは屋上のスイミングプールがいかにも良さそうなため予約をした。しかしてそのプールが現在は閉鎖中だという。今回の旅で最初の「タイ、あるある」である。

とにかく部屋に入り、気を取り直して身のまわりを整える。そして机の上で財布を逆さにし、大きな札を細かくした、その金額を確かめる。

空港で財布に入れたタイバーツは1,700バーツ。ARLの運賃は85バーツ。MRTの運賃は35バーツ。1,700-85-35=1,580のところ、財布には1,630バーツがあった。ということは、ARLかMRTの係が釣銭を50バーツ多くくれた、ということになる。今回の旅で2回目の「タイ、あるある」である。

それはさておき旅の初日の日記は長くなる。それに備えて先ずは革靴をサンダルに履き替え、シャワーを浴びる。きのうの日記のほとんどを書き上げると、なぜか少々の空腹を覚えた。

「こんなものは自分には不要」といつも考えている、そして眠っていれば置かれないこともあるタイ航空の夜食であるチーズとポテトサラダの丸パンが、今朝は半分だけ開いたテーブルにあった。だから今日の朝食はその丸パンと機内食だった。充分以上に食べたとは思うけれど、小腹の空いているのも事実。よって外へ出てしばらくの徘徊の後、ホテルはす向かいの、建物と建物のあいだに雨除けを施しただけの、地元の人で賑わっている汁麺屋に入る。

鍋の横を席へ向いつつ、ちかくのオジサンに「バミーナムをお願いします」と声をかける。それが席に届けられたところでオジサンに100バーツ札を手渡す。戻った釣銭は30バーツ。「70バーツかー、高くなったなー」と驚きつつその簡素な汁麺を食べる。魚丸ルークチンのひとつは中に豚の挽き肉を仕込んだ凝り様だが、しかし70バーツはいささか高い。壁の品書きにもその金額があるから別段、ボラれているわけでもないだろう。第一、高くて不味ければ地元の人は来ない

バンコクの汁麺の値段が50バーツになって驚いたのは2018年。それから7年が経てば、そんなものなのだろうか。昨年6月7日にプロンポンのミシュラン店”Rung Ruang”で食べたバミーナムトムヤムの価格は残念ながら、記録をしていない。

部屋に戻って日記の続きを書くうち、タイ在住の同級生コモトリケー君から「到着はいつ?」とLINEが入る。部屋の窓からは、コモトリ君の住むコンドミニアムが見えている。東京でたとえれば、僕のホテルは浅草ビューホテル。そしてコモトリ君の家は隅田川の向こうのアサヒビール本社。そんな位置関係である。

もう部屋に入っている旨を返信すると、電話をくれと、ふたたび返信がある。よってLINEを使って電話をし、スイミングプールが使えなくなったことにより変更した今日の予定を伝える。すると「ヤワラーの船着場ラーチャウォンから渡し舟で対岸に渡れ、自分はそこで10時40分に待っている」というような意味のことを言う。現在の時刻は10時。まったく忙しい。

素肌に羽織ったガウンを脱ぎ、服を着る。足元はサンダルではなく革靴を履く。iPhoneのGoogleマップでラーチャウォンまでの経路を調べ、外へ出る。IKEAのトートバッグには、金曜日の夕食に使うべき上澤梅太郎商店の商品が納めてあり、これが結構、重い。

ヤワラーの大通りからは、古き良き時代のバンコクの風情が残る裏通りを辿り10分ほどでチャオプラヤ川の船着場ラーチャウォンに着く。下流からは、展望デッキに観光客を満載した大型船が遡ってくる。その波に翻弄されつつ小さな渡し舟が対岸からこちらに近づきつつある。「大きな観光船に乗って有名どころを回る」と「小さな渡し舟で知らない街を訪ね、さしたるあてもなく逍遥する」のどちらを選ぶかは、人それぞれだ

対岸の船着場ディンデーンが近づいてくる。時刻は10時50分。コモトリ君の手を挙げる姿が目に入る。バンコクの盛り場のひとつサラデーンの英語の綴りはSala Daeng。そのデーンの意味は「赤」。しかしディンデーンのデーンの綴りはDandだから、また別の意味があるのだろう。

前にも書いたように、今朝のバンコクには霧が濃かった。時が経つにつれて霧は晴れたものの、空は曇り、湿度はとても高い。ディンデーンの船着場から15分ほども歩くと上半身は汗だくになった。よってコモトリ君の家では真っ先にシャワーを借り、冷たい水をもらって飲む。

コモトリ君の家からは、12時の専用船でサパーンタクシンまで行く。途中で雨が降ってくる。サパーンタクシンから乗った高架鉄道BTSの中で眠りに落ち、気づくと終点の国立競技場前に来ていた。とはいえ乗り過ごしはひと駅のみだから大したことはない。サイアムに戻ってBTSをシーロム線からスクムビット線に乗り換える。雨は雷をともなう驟雨に変わっている。僕の旅の荷物の一覧表には傘も含まれているののの、実際に持参したことはない。

東へ延びるBTSがプロンポンに着く。ほんの十数分、ほんの数キロメートルを移動しただけで、雨は傘を必要としないほどに弱まった。駅構内の両替屋”SUPER RICH”に掲げられたバーツ円のレートは1万円あたり2,250バーツ。スクムビット通りからsoi22を南下して右手の小さな両替屋”KF Exchange”のバーツ円のレートは1万円あたり2,255バーツ。ここで邦貨10万円を22,550バーツに換える。ところで両替の「かえ」は「替」にもかかわらず「兌換紙幣」となると「換」の漢字が充てられるのは、日本語の「両替」に対して「兌換」は中国由来の熟語だからだと思うけれど、どうだろう。

プロンポン近辺のスクムビット通りには横断歩道はないから、駅のエスカレータとエレベータを使って北側に渡る。そして行きつけのミエマッサージで足の角質けずりとオイルマッサージを組み合わせた2時間のコースを頼む。料金は900バーツ。オバサンには200バーツのチップ。

マッサージ屋を去ったのは15時。雨は完全に上がった。ふたたびBTSで、先ほどのサイアムに戻る。

今年の3月7日にプロンポンのショッピングモール「エンポリアム」で予期せずコンバースのチャックテイラー70を目にしたときには「やっぱかっこいいーなー」の言葉が自然に漏れた。日本に戻って調べたところ、バンコクのコンバースの旗艦店はサイアム駅直結のショッピングモール「サイアムセンター」にあることを知った。

そのサイアムセンターに駅から一歩を踏み入れれば、前述のエンポリアムなどとはまったく異なって天井は低く、人は多く、その庶民的な様子には懐かしささえ覚えた。そしてコンバースの店は、何と言うことはない、すぐ目の前にあった。

ためらうことなくその店に入り、棚の右奥にチャックテイラー70を見つける。「そうそう、これ」と見入るとすかさず店のオニーチャンが近づいて来て「チャックテイラー、良いですよね」と、この上ない笑顔で話しかけてくる。「これ、試したいです」と答えるとオニーチャンは各国対応のサイズ一覧表を出して「普段のサイズはどのあたりですか」と訊く。「日本では26センチかな」と教える。

オニーチャンは店の奥へ行き、ふたつの箱を持って戻る。そして僕の左足にはサイズ9、右足にはサイズ9.5を履かせてくれ、更には紐まで締めてくれて、鏡の前に立つよう促す。僕はすこし考えて「右の方は大きすぎるかな」と感想を漏らす。「かしこまりました」とオニーチャンはふたたびスツールに腰かけた僕の両足からチャックテイラー70を脱がし、床のトリッペンをコンバースの箱に仕舞おうとするので「いや、その革靴で帰ります。そして箱は要りません」と伝える。オニーチャンは礼を言いつつサイズ9のチャックテイラー70を薄紙で包み、それを手に勘定場へ向かった。驚くべき親切さ、驚くべき笑顔、そして驚くべき速度である。価格は定価が3,290バーツのところ何やらのキャンペーン中で1割引き。支払いは2,961バーツ。良い買い物ができた。”MADE IN JAPAN”のコンバースは、僕には幅が広すぎるのだ。

サイアムからはBTSでサラデーン。そこからMRTのシーロムへは空中歩道を移動。シーロムからホテル最寄りのワットマンコンまではわずか3駅。ただしMRTは利用者の数の関係によるものか、運行している本数はそれほど多くない。よって駅での待ち時間は東京の地下鉄とおなじ、というわけにはいかない。

さて美味い食べもの屋の密集するヤワラーではあるけれど、雨がふたたび降り始めている。しかしその勢いは、傘を借りるほどでもない。18時を過ぎたところで外へ出る。そしてこの日記に検索をかければそれは2019年6月24日のことと知れる、コモトリ君と訪ねた笑笑酒楼の扉を押す

この店の、天井の蛍光灯に照らされる内装はいかにも古くさく、いかにも寂しい。しかし今回はふたつのテーブルに先客がいて、店員の数も揃っている。僕の注文はオースワンとソーダとバケツの氷。しばらくして届いたオースワンの量を見て一驚を喫する。6年前のそれとくらべて明らかに多い。今夜はこれのみにて、他は食べられないだろう。後半は片栗粉による煮こごりのようなところとモヤシは避け、蠣のみを箸で選って食べる。

インターネット上の動画で見る夜のヤワラーは大賑わいだが、雨の降る今日に限っては熱帯の夜気もなく、大きな屋台も閑古鳥のありさまだ。嬉しいのは、あたりにドリアンの香りの満ちていることくらいだろうか

部屋に戻ったのは19時すこし過ぎ。シャワーを浴びて歯を磨き、即、就寝する。


朝食 ”TG661″の夜食の丸パン、同機内食「ウンペンチュンルークチンプラー」のバミーナム
昼食 プロンポンの名前を知らない店のカオカームー
夕食 「笑笑酒楼」のオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.5.11(日) いくら好きでも

今月1日の日記に書いたカディによるコットンクロスを上澤梅太郎商店の雑貨部で買う。おなじ日の日記に書いた別のコットンクロスも、既にしてホツレ止めが施され、こちらは既にしてスーツケースに収めてある。スカーフとして首に巻き、バンコクの湿熱により汗を吸ったら即、交換して洗うための2枚体制である。

17時30分の閉店と同時に売上金を事務室へ運び、キャッシュレジスターの登録金額と齟齬がないか確かめる。そしてゴールデンウイークの明けた7日から今日まで5日間の、売上げ現金とその合計の数字を長男の事務机に載せる。上澤梅太郎商店の終業は18時。社員の引けは早い。

18:07 浴室に入る。
18:16 シャワーと歯磨きを済ませて浴室を出る。服を着て、しかし靴下は足が乾くのを待ってから履く。
18:28 事務室に降りる。閉まっているシャッターの向こうでクルマのドアの閉まる音がする。シャッターを上げると、18時35分に予約をしたタクシーが早くも来て、運転手はクルマの外で待っていた。

18:31 タクシーで会社を出る
18:35 タクシーが東武日光線の下今市駅に着く。
18:37 上りプラットフォームの待合室に入る。
18:49 けごん52号の車両が下今市を発。
19:51 目を覚ますと春日部がちかくなっている。

20:20 けごん52号が北千住に着。
20:25 日比谷線の車両が北千住を発。
20:40 日比谷線の車両が人形町に着。
20:44 都営浅草線の羽田空港行き急行が人形町を発
21:23 都営浅草線の車両が羽田空港第3ターミナルビルに着。

21:43 パスポートを自動チェックイン機にかざしてチェックインを完了。タイ航空のカウンターにはこれまで見たこともない長蛇の列ができている。
22:37 そのバゲージドロップの列に54分のあいだ並んで荷物あずけを完了。
22:43 保安検査場を通過。すこし前より腕時計ははめたまま、ベルトは締めたまま、コンピュータはザックに入れたままでX線装置を通り抜けられるようになったのは大いに楽。
22:44 出国審査場を顔認証で通過。

搭乗券にある142番ゲートを目指してひたすら歩く。目的のゲートが間近に迫ったところで、僕が休むべきラウンジの場所は、そのあたりではなかったことに気づく。胸のポーチからiPhoneを取りだし、正しい場所を確かめ、来た道を延々と戻る。

107番ゲートちかくの”Sky Lounge South”には、3月25日に次男が1時間の格闘の末スマートフォンに設定をしてくれた、新しい会員証にて難なく入れた。そして夕食を摂ると共に、普段よりも1日はやく、きのうの日記を公開する。南の国へ行けるとは、盆と正月が一緒に来たようなものだから、いくら好きでも酒は飲まない。

23:34 “Sky Lounge South”を出る。
23:44 142番ゲートに達する


朝飯 焼き鮭、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と長葱と油揚げとベーコンの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Sky Lounge South”のカレーライスシュガーバター、ルイボスティー

2025.5.10(土) だったらそれはいつか

昨夜は大酔をしたらしく、枕元にiPhonemは無い。家のどこかに置き忘れたのだろう。よって現在の時刻の分からないまま起きて服を着る。食堂に来ると、棚の電波時計は2時28分を指していた。

既にして完成しているおとといの日記の「公開」ボタンをクリックし、きのうの日記を書く。「汁飯香の店 隠居うわさわ」にインターネットを介してご予約くださったお客様に確認メールをお送りする。きのう事務係のカワタユキさんに頼まれた仕事には、5時55分から取りかかり、6時3分に完了した。コンピュータを操作すること僅々8分。「どんなもんだい」である。

以降、朝食の準備にかかるまでは、羽田からの機内に持ち込むザックを選ぶ。試したところ、いつもより少し多い諸々は、WEXLEYのSTEM ULTRA-LIGHT DAYPACKに難なく収まった。

その最中に「いまが一番、楽しいでしょ」と家内に言われる。谷口正彦の「冒険準備学入門」を紐解くまでもなく、旅に出る前の準備はかなり楽しい。しかしそれが旅行中の諸々より楽しいかと自らに問えば、まさかそのようなことはない。「だったらそれはいつか」と問われれば、2020年3月のウドンタニーでマッサージのオバサンにもらったセブンイレブンのトートバッグに本とラオカーオの小瓶を入れ、街を歩き、メシ屋の席に着き、トートバッグから本とラオカーオの小瓶を取り出す、その瞬間かも知れない。


朝飯 焼き鮭、擂り胡麻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯「グルマンズ和牛」のウェルカムフルーツ、コンソメスープ、オードブルサラダヒレステーキ焼き飯と胡瓜のピクルス、サントリーローヤル(生)、デザートコーヒー

2025.5.9(金) TDAC

「ミニマリスト 海外旅行 持ち物」とyoutubeに検索をかけても、さして参考にはならない。それは僕がバックパッカーをしていたころからの、荷作りの「スレッカラシ」だからだ。それでも今回は諸般の事情により持ち物が多い。スーツケースはいつもの”RIMOWA Essential Lite Cabin U”ではなく、ひとまわり大きな”PROTEX FP-32N”を選んだ。

さてタイではここしばらく入国カードが不要になっていたものの、今月の1日より、それに代わってTDACつまり”Thailand Digital Arrival Card”の事前登録が必要になった。コンピュータによる申請には、それほどの困難は伴わない。結論から言えば、使用言語は日本語よりデフォールトの英語のままの方が楽。もうひとつ、滞在場所の住所は県、郡、地域から番地まで入れる必要があるため、あらかじめエディタに保存または紙に出力をし、それを目で確かめながら、あるいはCOPY&PASTEで入力をした方が圧倒的に速い。スマートフォンでももちろん申請は可能だが、人差し指一本ではいかにも辛い。自分のメールアドレスに送られたQRコードはスマートフォンに残しつつ、それが何らかの事情により使用不可になったときのことも考えて、紙にも出力をしておく。

夕刻、コンピュータを使った仕事について「これこれのことが社長にはできるか」という意味のことを事務係のカワタユキさんに訊かれる。「簡単です」と僕は答え、更に「メールで指示をしてくれればタイにいてもできます」と付け足す。カワタさんはしかし、僕がすべきことを大きめのポストイットに記して、終業の18時より前に手渡してくれた。

明日の朝によほど早く目が覚めれば、この仕事は朝食の前に終わるだろう。目覚めがそれほど早くなければ、午前のうちに片づけてしまおう。黄色いポストイットは忘備のためキーボードの手前に貼り付け、コンピュータを閉じる。

それはさておき、昨年はゴールデンウィークのころから気温は25℃を安定して超えていた。しかし今年はどうしたことか、いまだ寒い。よってすべての社員を見送って後は半袖ポロシャツと長袖Tシャツの上にモンベルのU.L.サーマラップジャケットを重ね、マムートのビーニーをかぶって外へ出る。そうして総鎮守瀧尾神社の、宮司と責任役員が連なる席へと臨む。


朝飯 生玉子、ウインナーソーセージのソテー、山椒煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「幸楽」の河豚の皮の刺身、鮃の薄造り河豚の吸い物季節の炊き合わせ鰤の照り焼き河豚の天ぷら海老フライつけ麺、日本酒(燗)

2025.5.8(木) 部分部分においては

きのうの日記に書いた、項目は12、総数は146という旅の持ち物の一覧表はA4の紙で5枚。それに従って、朝4時30分よりあれこれを揃えることを始める。

早朝、家族に迷惑をかけることなく集められるのは薬のたぐいだ。その大半は、前の旅から持ち帰ったまま、本棚の最下段の引き出しに収めてある。そのジップロックの袋の中味を食堂のテーブルにすべて出し「これはある、これは無い、これは量が少なくなっているから補充が必要だ」と、徐々に整えていく。

赤地に白い十字をほどこしたファーストエイドポーチというものが、山の道具屋にはある。いかにも洒落てはいるものの、僕が持参する薬品類は多く、とてもではないけれど、その手には入りきらない。旅の荷作りにおいてはいわゆる「スレッカラシ」になっている僕からすれば、薬品類を入れるにはジップロックのプラスティック袋がもっとも使いやすい。

そうしてすべてを詰め終えてその重さを量ってみれば、806グラムになっていた。「なぜそれほどの薬を持参するか」と問われれば、不安があるからだ。思い返してみれば、40年以上も前にバックパッカーをしていたときにも、薬品類で満杯の、小さくもないタッパーウェアを持ち運んでいたものだ。

旅先ではボンヤリと、なにも考えず、その結果、危機に陥ればその緊張感が何やらすこし嬉しく、そこから脱出する方法を頭に忙しく巡らす。そういう僕も、部分部分においては結構な慎重派、なのである。


朝飯 納豆、生玉子、山椒煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダブロッコリーのソテーと粉吹きいもと「たまり漬」によるソースを添えたラムステーキWORLD DESCOVERY Merlot J.LEBEGUE

2025.5.7(水) あらたふと

弱い雨の断続的に降ったきのうから一転して空は朝から晴れた。いまだ濡れているだろう青葉若葉が朝日に映える様は、とても綺麗だ。

「台風一過と雪の後の快晴は、日本の天気のひとつの頂点のような気がする」と、ことし2月9日の日記に書いた。今朝の鶏鳴山を見てみれば、まさに「あらたふと」と芭蕉の句を思い出さざるを得ず、つまり台風一過と雪の後の快晴のみではなく、季節にはそれぞれ美しい景色があることを、改めて知る。

忙しい日常にあってはつい忘れがちになるけれど、事務机の左手に提げたカレンダーを見れば、タイ行きの5月11日が迫っている。よってコンピュータの、旅行関係の覚え書きなどをまとめているフォルダを開き、項目は12、総数は146という持ち物の一覧表と日程表を印刷する。また既に保管してある飛行機のeチケットとホテルの予約票は、予備を印刷する。そしてそれぞれを個別のクリアファイルに納め、茶封筒にまとめる。持ち物の準備は明早朝から始めることにしよう。

ことしの2月24日には、羽田空港へ行くための東武日光線上り特急の、座席指定券を兼ねる特急券が売り切れていて大いに焦燥した。よって今回は出発3日前の今週木曜日にそれを予約すべく、カレンダーに記しておいた。しかしそこまで引き延ばすこともないと考え、スマートフォンに東武鉄道のアプリケーションを開く。5月11日の下今市18:49発けごん52号は、果たして既にして満席の号車もあった。即、他の号車に座席ひとつを確保したことは言うまでもない。


朝飯 山椒煮、なめこのたまり炊のフワトロ玉子、鮭の日光味噌酒粕漬け、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、たけのこと若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 胡瓜と二十日大根と甘夏のサラダ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊キャベツとしめじと豚薄切り肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、パウンドケーキ、Old Parr(生)

2025.5.6(火) それは確かにひとつの理想

いまだ夜の明ける前に、上半身は半袖シャツ1枚、足元は裸足という格好でコンピュータに向かう。「エネルギーの無駄づかい」と言われればそれまでだけれど、温風の吹き出す足温器の電源を入れる。空は、きのうまでの晴天から曇天に変わっている。

ゴールデンウイークも最終日であれば、店はおととい、きのうとは打って変わって静かになった。昼食の休憩で社員の数が薄くなる前にホンダフィットを東に走らせ、大谷川を渡ってイオン今市店の駐車場に入る。

今月1日の日記に書いた、100カウントのカディと84番手コットンを織った幅115cm、長さ150cmの布は、早くも翌2日に届いた。それをイオンの1階にあるリフォーム屋「マジックミシン」に持ち込み、その両端にホツレ止めの袋縫いを施してくれるよう頼む。

閉店時間の17時30分が過ぎて以降も、複数のお客様のお相手をさせていただく。日光のコテージにお泊まりという、終業の18時間際にいらっしゃったお客様は「もう、人がいなくて寂しくて」とおっしゃった。僕は大いに驚いて思わず「いやー、きのうまでの、1キロメートルを進むのに1時間なんて混雑より、よほどよろしいじゃないですか」と、ご返事をした。

比較的面積の広い居酒屋やレストランに身を置いたときのことを考えれば、なるほど客が自分ひとりでは寂しく感じることもあるだろう。「周囲は大賑わいの大混雑にもかかわらず、自分だけは自由自在」という環境があれば、それは確かにひとつの理想かも知れない。


朝飯 スペイン風目玉焼き、菜花のおひたし、納豆、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、蕪と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 手巻き鮨、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、「会津酒造」の「凜・本醸造原酒一回火入れ」(燗)チョコレートのビスケット、Old Parr(生)

2025.5.5(月) ラリグラス

きのうは17時30分の閉店時間が来ても、それから30分後の終業時間が来ても客足が途切れなかった。そのことにより、キャッシュレジスターを締める途中で予約したピザを受け取る時間が迫り、席を立たざるを得なかった。よってきのうの日記を完成させた5時に事務室へ降り、きのうの売上げの現金と登録金額を照合し、キャッシュレジスター3台分の釣銭を作る。

4階の自宅へ戻れば、今朝は運ぶものが多いから手伝って欲しいと「汁飯香の店 隠居うわさわ」に出かける家内に頼まれる。ソーダ水などを収めた手提げを隠居の厨房に入れたところで、ふと思いついて庭へと回ってみる。

土の上には野の花が目立っている。ツツジは満開。藤も満開。池泉への水が落ちる小さな滝のちかくのシャクナゲも満開だった。

2013年7月、自由学園男子部の後輩マハルジャン・プラニッシュさんの結婚式に列するためネパールへ行った。カトマンドゥのホテルでシャクナゲの写真を見せつつオネーサンにネパールでの呼び名を訊いたら「ラリグラス」と教えてくれた。その響きはいかにも美しかった。シャクナゲは、ネパールの国花である。

ネパールには1980年、1982年、1991年、2013年と4回も訪れたにもかかわらず、国民帽「トピ」を自分用として買うことはしなかった。シャクナゲの模様のトピがあればぜひ欲しいと今になって思っても、ネパールは、今の僕にはすこし遠い。


朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱とウインナーソーセージと菜花の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 SMIRNOFF VODKAのトマトのすり流し割り、らっきょうのたまり漬、グリーンアスパラガスとベーコンのスパゲティChablis Billaud Simon 2018チョコレートのビスケット、Old Parr(生)

2025.5.4(日) クルマの色

昼食の際には日本経済新聞の朝刊を読む。目を通せるのは時間の関係から第1面と最後の文化面、あとは特に興味を惹かれた記事、くらいのところだ。今日の文化面には星野博美が随筆を書いていた。表題は「赤い車と青い車」。瞬時に「赤い車とはイタリア車だろうか、青い車はフランス車だろうか」と想像を巡らす。

サッカーの国際試合におけるブラジルのユニフォームは黄色、日本のそれは青、クロアチアは赤と白の格子模様。それと同じように、むかしは自動車の国際レースでも、イタリアは赤、フランスは青、イギリスは緑、ドイツは白または銀色と、車体の色が決められていたからだ。

星野博美の文章では、赤と青の車がそれぞれどこの国のものかは知らされない。青い車は「15年くらい経った古い車」が「ある日、心臓麻痺を起こしたように突然動かなくなった」ことにより「仕方なく」買ったもの。赤い車は、その15年を経た青い車に今春「史上最大の傷」を付けてしまったことにより注文をしたもの。とすれば、青い車も赤い車も、特にその名を記すようなものではなかったように思われる。

ところで時間の関係からすれば、先ずは「青い車」を買い、それと入れ替わりに「赤い車」を手に入れたにも拘わらず、文章の題名が「赤い車と青い車」となっているのはなぜだろう。

星野博美の「転がる香港に苔は生えない」は2001年6月11日の第5刷を長男にもらい、棚に保管はしているものの、いまだ読んでいない。それを開く日は、果たして来るだろうか。


朝飯 山椒煮、納豆、塩鮭、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、擂り胡麻のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「ミラノピザ」のピザ其の一ピザ其の二Chablis Billaud Simon 2018、チョコレートのビスケット、Old Parr(生)

2025.5.3(土) 手抜き三兄弟

毎週土日月の3日間は、家内は上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の厨房に入るため、早朝に母屋を出る。よってその日に限っては、僕は自分で朝食を用意する。料理は嫌いではないものの、手間はそれほどかけたくない。ごく最近になって、スティーブ・ジョブズの黒いセーターとジーンズではないけれど、定番化してしまえば楽、ということに気づいた。

子供の頃からの生活慣習により、朝食は和食でなければ気が済まない。更に、3日のあいだ、おなじものではつまらない。そして辿り着いたのが、3日のうち1日は納豆と生玉子と冷や奴による一汁三菜、1日は具だくさんの味噌汁による一汁ゼロ菜、1日はお茶漬け、という組み合わせである。なお、炊きたてのごはんが続くときには、お茶漬けはしない。

土曜日の今朝は、納豆と生玉子と冷や奴による一汁三菜を整える。味噌汁のだしはきのうの夜のうちに、300ccの水に少量の昆布と煮干し3尾を沈めておいた。顆粒状のだしを使わないのは、調理という行い、および風味における面白さに欠けるからだ。

はじめは冷や奴をおかずにして白飯を食べる。溶いた玉子を半分だけかけたごはんには「なめこのたまり炊」を落とし、食べる。なめこを食べ尽くしたところで残った玉子を追加し、そこにはよくかき混ぜて、たまり「朝露」を差した納豆を加える。合いの手に、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」と、ごぼうのたまり漬を咀嚼する。らっきょうのたまり漬には甘味があるから、デザートのようにして最後に口に入れる。

今朝はごはんが1杯では足りず、茶碗に3分の1ほどをお代わりした。納豆と生玉子と冷や奴は、僕にとっての手抜き三兄弟。手は抜いても朝食を抜くことはしない。ちなみに僕は、生玉子もまともに割れない不器用者である。


朝飯 生玉子、冷や奴、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草と若布の味噌汁
昼飯 擂り胡麻と刻み葱のつゆの素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダカツレツドライマーティニ、TIO PEPE

2025.5.2(金) 両替

明日からの四連休を控えて、早朝より釣銭つくりの準備をする。先ずは釣り銭用の金庫に溜まった古い紙幣を取り出し、その額を数える。次に金庫の中の新札や硬貨の在庫をざっと見て、本日、銀行で両替してもらうべき金種とその額を決める。こんなことは紙とボールペンと電子卓上計算機でもできるだろうけれど、僕はコンピュータに自作した専用の計算機を使う。

釣銭を作るなどは、下らない仕事には違いない。しかし釣銭が払底すれば、営業中に進退が窮まる。とすればそれは実は、大切な仕事と言えるのかも知れない。

12時40分に到って、どう考えても、いつものような昼食を摂る時間は確保できないことに気づく。13時からは社内の火災報知器に点検が入り、一部の階は僕が業者を案内する必要がある。13時30分からはリモート会議が予定されている。14時を過ぎれば、朝に種銭を預けた銀行へ、今度は両替された新札や硬貨を受け取りに行かなくてはならない。

リモート会議は長男と嫁のモモ君に任せて、取りあえずは目の前の仕事に従う。午前より降り始めた雨は、銀行から会社へ戻る途中にいきなり強くなった。そして会議には14時20分より合流をする。

スマートフォンの天気予報によれば、明日から5日までは晴れが続くという。店は、そして街は、どれほど賑わうだろう。今から楽しみでならない。


朝飯 生のトマト、ベーコンエッグ、大根おろしを薬味にした納豆、山椒煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 2種のパン、ホットミルク
晩飯 なめこおろし、めかぶの酢の物、豚薄切り肉と菠薐草の鍋ピーナッツ餡の菓子、Old Parr(生)

2025.5.1(木) カディ

新聞に興味のある記事を見つけ、しかし読んでいるひまはない、そういうときには、それを取りあえず四折にして、食卓ちかくの棚の最下段に置く。その直近のものは先月27日の”The NIKKEI STYLE”の第9面から始まる「コットンの国からの贈り物」で、4日後の今日にようよう開いて読む。

1982年に公開された映画「ガンジー」は、1983年に香港で観た。この映画にたびたび象徴的に現れるのが糸を紡ぐ、という労働だった。

ガンジーが1920年に設立した大学「グジャラート・ヴィディヤピット」では、学生たちは祈りの後に各々の、持ち運び式の糸車で30分間ほども糸つまりカディを紡ぎ、多くは卒業前にそれを織って布にする。「インドにとって、カディは特別な存在だ」と、記事は続く。

上澤梅太郎商店は2023年9月から、それまでの味噌、醤油、たまり漬に加えて食や発酵に関する雑貨と本を扱い始めた。その中にはカディによるコットンクロスもある。小さなものは36cm×71cm、大きなものは58cm×105cm。僕はこの大きな方を買い、スカーフとして使っていた。税込3,190円という価格は何となく高く感じられるかも知れないけれど、糸は手紡ぎ、針による仕事は精緻、肌に触れたときの心地よさからすれば、むしろかなり安い。

僕はそれを、惜しいことに今年3月にチェンライで紛失した。自分の失くし癖をよく知る身としては、コインランドリーでも、洗濯機や乾燥機が止まったときには、その中をよく検分した。それにもかかわらずの行方不明である。

今月のタイ行きの前には、ふたたびこのコットンクロスを買うことにしよう。今日はまたインターネット上で、100カウントのカディと84番手コットンを織った、幅115cmの布を150cmだけ買った。届いたら両端にホツレ止めを施して、これまたスカーフにしようと思う。


朝飯 目玉焼き、菜花のソテー、納豆、トマトの甘煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、山椒の天ぷらと万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 たけのこ煮、めかぶの酢の物、大豆とうずら豆の炊き合わせ、独活のきんぴら、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、鰆の西京焼き、ノドグロの干物豚薄切り肉のソテー、焼きおむすび、蜆の味噌汁、「会津酒造」の「凜・本醸造原酒一回火入れ」(燗)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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