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清閑 PERSONAL DIARY

2025年9月の日記30本

2025.9.30(火) タイ日記(6日目)

目を覚ますと部屋の灯りは点けたままになっていた。時刻は0時38分。それにしても外がうるさい。部屋の直下のバービヤ、である。

まるでコンサートのような、大音響の音楽が聞こえてくる。スピーカーの関係か、あるいはバービヤと部屋のあいだの建物の具合なのか、ギターよりもベースとドラムスの音が際だって届く。白人らしい男たちは「イエー」とか「ヒュー」と、歓声を上げている。女たちは、良く言えば哄笑、悪く言えば下卑た笑い声を立てている。

「毒を食らわば皿まで」の気分でベランダへの扉を開く。客の男はどうでも良いけれど、女の人には「そんな仕事を続けていたら、長くは生きられないぞ」と言って上げたい。もっとも刹那的に生きている彼女たちには、そのような忠言は届くはずもないだろう。

音楽はやがて”Hotel California”に変わった。白人たちは老いも若きもこの「懐かしのメロディ」を好んで、しかもその場にいる皆で歌う。「合唱かよ」と、独り言が漏れる。「まだやってるよ」の声も漏れる。

きのうの日記を書きながら、時々は寝台に仰向けになって、スマートフォンを眺める。そこにタイのニュースも流れてくる。興味を惹かれたのは、大きな人工池のほとりのチムジュム屋に出かけたおととい夜の嵐について。その、なぜかギクシャクしている自動和訳は以下。

……
仏歴2568年9月28日(日)18:00~19:00
Lanna地区にブア・アロイの嵐からのモンスーン・トラックが襲った。Nong Khai州フォンピサイの多くの地域に風雨が吹く。Udon Thaniは、多くの地域で倒木を引き起こし、一部の地域で、消防ポールが倒れた。
……

イサーン北部、つまりノーンカーイやウドンタニーには、かなりの被害が出た模様だ。それにしても、どうもこのあたりには雨が多い。前に来た2020年3月は乾季の終わりだったにもかかわらず、ほぼ毎日のように雨の降ったものだ。

それはさておき部屋の直下のバービヤは、4時30分を過ぎてようやく静かになった。日に焼けて赤みを帯び、痛みを覚えていた胸から腹にかけては、アロエジェルの二度の塗布により、随分と楽になっている。

6時35分、きのうマッサージ屋のオバサンが貸してくれた傘を差して外へ出る。目の前のソイサンパンタミットには、客を待つでもないトゥクトゥクが目に入る範囲内に二台。目抜き通りにもちらほら。しかしウドンタニーには雨が多い。もし明日の朝に雨が激しく降っていれば、僕はかなりみじめなことになる。たとえ法外に思えても、空港への足はホテルのリムジンを使うことを決める。

朝食はきのうに引き続いてホテル一階の食堂”BLUE SILK”で摂る。朝食代の295バーツは屋台のスープの実に12倍ではあるものの、本を読みながらのゆったりとした食事には、何とも言えないくつろぎがあるのだ。

プールサイドには10時に降りた。寝椅子の上ではずっと、メイドのオバサンに許可を得て部屋から持ち出したガウンを羽織り、首元はかたく打ち合わせていた。これ以上の日焼けは御免である。正午を回ったころに雨がポツリポツリと来て部屋へ戻る。以降は寝台の上で本を読む。ふと視線を窓に移すと空は晴れている。しかし再度プールサイドへ降りることはしない。

時を忘れてはいけないから、iPhoneには15時30分にアラームを仕掛けておいた。田舎にいるときの定番である白いTシャツとタイパンツ、これは首都の盛り場で100バーツで売られているモンペ状のものではなくプレー産の正真正銘の藍染めであるけれど、それを身につけロビーに降りる。

レセプションには初日に相手をしてくれたオバチャンと、女装のオジサンがいた。タイでは固い職場にも女装をした男は普通にいる。朝の食堂の受付も、男か女かの見分けはつかなかった。そういう人たちに特別な興味や態度を示すことは、紳士淑女の行いではない。「郷に入れば郷に従え」である。

マッサージ屋にはきのう貸してくれた傘と、ホテルのベルボーイに借りた傘の2本を携えていく。オバサンは今日も、2時間をすこし過ぎるまでマッサージを続けてくれた。

そのマッサージ屋から歩いて一分の、初日にも来たホイトードの、初日と同じ席に着く。おとといの夜とは異なって、今日はタイ航空のペットボトルに小分けしたラオカーオを忘れず持参した。初日に「センタン」のトップスマーケットで買ったラオカーオは、愛飲の”BANGYIKHAN”にくらべればかなり強く口腔内を刺激するものの、不味いということはない。

部屋に帰り着いたときの時刻は19時16分。シャワーの後は、プールサイドに降りたときとは異なるまっさらのガウンを羽織って19時34分に寝台に上がる。


朝飯 “BAN BUA”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三、其の四
晩飯 “Je Huay Hoi Tod”の烏賊のトード、カオパットクン、ラオカーオ”TAWANDANG”(ソーダ割り)

2025.9.29(月) タイ日記(5日目)

いつものように真夜中に目を覚ましたものの、いつものように起きてきのうの日記を書くことはしない。枕頭に充電をしたままのiPhoneを手探りし、それでTikTokの動画を眺めるうち、いつの間にかふたたび眠りに落ちる。

さて明後日は、朝のうちに空港へ行かなければならない。このホテルのリムジンは350バーツ。今年3月の、トンローのホテルからスワンナプーム空港までのリムジンは、30キロメートルちかくの距離を高速道路代も含めて500バーツだった。それにくらべれば、直線距離で3.5キロメートルの空港まで350バーツは高すぎる。

下調べのため、7時すぎにホテル前のソイサンパンミットに出てみる。客待ちのトゥクトゥクはいない。目抜き通りまで数分を歩けば道端に複数台が見られたものの、ホテルは6時30分には出たい。その時間にも彼らは路上にいるだろうか。何とも悩ましいところだ。

今年の3月6日にはチェンライで、街で知り合ったタクシーの運転手に翌日の迎えを頼み、しかし指定の時間には来ず、名刺の電話番号も通じず、ホテルのベルボーイに急遽、別のタクシーを呼んでもらったことがあった。二度の失敗は、笑い話にはなるだろうけれど、気を揉むことも必定だ。さて、どうしよう。

今日の朝食はホテルで摂る。サラダとオムレツ、トーストとコーヒーでひと息をついてから、他の料理を見ていく。すると幾つも並んだポットの中に”Udon Vermicelli Soup”と札の立てられたものがあった。フタを開けてみれば、きのう屋台のオバサンから買ったとおなじ春雨と鶏肉のスープではないか。即、ちかくに積み上げられている陶製のボウルにこれを取り分け、席へ運んだことは言うまでもない。

次にこの街に来るときに必要になるかも知れないため、10時をまわったところでショッピングモールの「センタン」にあるという両替所を調べに行く。表口から入ると、すぐ右側に案内のカウンターがあった。ここのオネーサンに両替所の場所を訊く。オネーサンは、態度は柔らかながら、ひとこと”Down stair”と答えた。「階下」とはいささか大ざっぱすぎないか。そしてその地下一階を5分ほども歩きまわってようやく、駐車場の出入り口ちかくに”Super Rich”を見つける。円とバーツの交換率は1万円あたり2,140バーツで、初日のスワンナプーム空港のそれと変わらなかった。

部屋に戻って参考までに、今日の相場を調べてみる。バンコクのスーパーリッチでは1万円あたり2,165バーツの数字が出ていた。その差は25バーツ。10万円を換えれば250バーツ。両替は、都合さえつけば、やはり首都でしておくに限るらしい。よく覚えておこう。

きのうの日記は意外に長くなって、書き終えると正午が過ぎていた。これを寝台に仰向けになってiPhoneで読み、例の如く誤字、脱字、綴りの間違いなどを逐一机のコンピュータで直すうち、たちまち14時がちかくなる。今日のマッサージの予約は、きのうの日記に書いた理由により15時に入れてある。今日はほとんど何もしないまま過ぎるだろう。

マッサージ屋には2時55分に着いた。オバサンは今日も、2時間の注文に対して2時間10分ちかくもマッサージをしてくれた。

マッサージの途中から降りだした雨は、いまだすこし残っている。きのうより一時間だけ早い上がりだから、街に暮色は訪れていない。オバサンの貸してくれた傘を差して、目抜き通りを東へ辿る。雨のせいか、気温はまるで日本の秋のようだ。「やだなー、涼しいなー」と、思わず声が漏れる。南の国へ来て涼しいとは、むかしの関西の漫才ではないけれど「逆やがな」である。

「明日の17時」と言われた洗濯屋には、2020年3月に相手をしてくれたオバサンがいた。そのオバサンに複写式の伝票を見せる。オバサンは仕上がった洗濯物を。鉄製のロッカーから出して手渡してくれた。

ところで特にひとりで旅に出たときには、昼食を必要としないことが多い。それは、朝にたくさん食べること、もうひとつは脳を使わないせいか昼になっても空腹を覚えないからだ。更に今日はプールサイドに降りなかったことが関係しているのか、夕食さえ摂らずに済みそうな腹具合である。しかし一日一食ではつまらない。

雨は傘を必要としないほどに弱まっている。しかしきのうのような大雨がいきなり襲ってきてもいけない。よっておとといも使ったホテルはす向かいのイタリア料理屋へ行く。

外の二人用のテーブルには、ヒマをかこつウエートレスが座っていた。その席を譲ってもらって先ずはおとといとおなじカラフの白ワインを注文する。それを確かめるオネーサンの”White?”は「ワイ」が強く発声された。タイ人の英語の発音は、日本人のそれにくらべておしなべて良い。「流石ですね」である。

食後は部屋に戻ってシャワーを浴び、アロエジェルを胸と腹と太腿に塗りたくるなどして19時46分に寝台に上がる。


朝飯 “BAN BUA”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三、其の四、其の五
晩飯 “da Sofia”のラザニアアラボロネーゼ、カラフの白ワイン

2025.9.28(日) タイ日記(4日目)

暗闇に目を覚まして枕頭のiPhoneを引き寄せる。時刻は0時46分。極端な早寝早起きにより昼夜が逆転気味の僕にしても、いかにも早すぎる。しかし眠気は感じない。よって起きてコンピュータを開き、きのうの日記のあらかたを書く。

疲れと眠気を覚えて寝台に仰向けになる。時刻は2時18分。幸い二度寝ができて、カーテンの隙間から朝の光が漏れるころにふたたび目を覚ます。

南の国で気ままにしているようでも、机の前の壁には旅の最中の日程表を貼っている。今月が9月であることは分かるとしても、何日なのか、そして何曜日なのか、についてはアヤフヤになりがちだからだ。9月28日の備考欄には「クリーニング」と記してある。よって初日からきのうまでに溜まった洗濯物をプラスティック袋に入れて外へ出る。

ホテルからは目と鼻の先の、2020年3月にも頼んだことのある洗濯屋は8時30分に、もう仕事を始めていた。今朝は三人いるうちのひとりのオネーサンに、プラスティック袋を手渡す。オネーサンはその中味をひとつずつ取り出しながら、複写式の伝票を作ってくれた。一点ごとの洗濯代は、ハイネックの長袖シャツが30バーツ、半袖のTシャツは25バーツ、下着のパンツは5バーツ、靴下も5バーツで、計125バーツをオネーサンに支払う。できあがりは明日の17時とのことだった。

この洗濯屋からソイサンパンミットを目抜き通りへ向かって更に歩くと、間もなくコインランドリーがある。その壁の値段表を見れば、洗剤が5バーツ、もっとも安い洗濯代は40バーツ、乾燥代は50バーツだから、その日のうちに洗い上がらないことを許容すれば、時間を見計らって何度も足を運ぶ必要のない点、また綺麗に畳んで手渡してくれる点において、洗濯物のすくない僕にとっては明らかに、洗濯屋の方が「勝ち」である。

それはさておき、きのうのスープ屋のオバサンは、今朝もおなじところに屋台を出していた。きのう客だったオネーサンは、このスープを”noodle”と言っていた。その”noodle”がどのようなものかは分からなくても、今日はこれを朝食にしようではないか。それにしても25バーツとは、首都では考えられない安さだ。

屋台に近づいて、オバサンに20バーツ札1枚と10バーツ硬貨ひとつを手渡す。オバサンは「これも入れるか」とモヤシを指すので「チャイ」と答える。するとオバサンはそのモヤシをビニール袋に入れ始めたので、あわてて屋台の屋根からぶら下げた袋の中の、発泡スチロール製のドンブリを指す。オバサンは「あぁ」と答えてそのドンブリを袋からひとつ取りだし、そこにスープを盛大に盛り始めた。

それにしてもオバサンは、お釣りをくれない。「5バーツは?」と訊くと「特盛りにしておいたから」と、涼しい顔をしている。タイでは、細かいことを言うと嫌われる。更には人格さえ疑われる。僕は箸をもらい、その、ラーメンのドンブリに満杯ほどの量のスープを、そろりそろりと部屋まで運ぶ。そしてベランダのテーブルに古新聞を敷き、その上に置いた。

ドンブリには大量の春雨、大量の血豆腐、それから出汁の元としての鶏の、胸から頭の直下までの骨が入っていた。その骨にはまた、少なくない肉が付いていた。これで30バーツ。「満足」のひとことだ。

10時をまわったところで外へ出る。iPhoneには翻訳アプリケーションによる「私は日焼けをして、赤くなった肌が痛いです。これを鎮めるローションかジェルが欲しいです」とのタイ語を画像で保存してある。

地方としては巨大なショッピングモール「センタン」の地下一階へのエスカレータに乗ると、目の前には都合の良いことに薬局の”watsons”があった。よって即、そこに入って目についたオネーサンにiPhoneの画像を見せる。僕の経験からすると、このようなときのタイ人は、黙読をしない。常に音読である。そして「アロエはどうかしら」と、オネーサンはそれらしいものの置いてある棚に僕を先導し、更にはそこにある複数のジェルを吟味しだした。そして間もなく「After Sun Gellって書いてある!」と、緑色のチューブを僕に手渡した。僕は礼を述べて、それを本日最初の客としてキャッシュレジスターのカウンターに置く。ジェルは120ccの容量で229バーツだった。

部屋に戻ってそのジェルを胸と腹と太腿、そして脛に塗りたくる。そしてパタゴニアのバギーショーツと紫外線除けのTシャツを身につけ二階のプールサイドに降りる。時刻は11時ちょうど。太陽は既にして高いところまで昇っている。その太陽の下で仰向けになりたいことはやまやまながら、今日のところは自重をして、本はプールサイドバーの日陰で読むこととする。

日はますます高いところへ位置して、パラソルの影はもっとも小さくなる。ふと目を上げると、プールサイドバーの棚にはラオカーオの中で僕が最も好む”BANGYIKHAN”が六本あったから「分かってるね」と、思わず膝を打ちたくなる。部屋には14時に戻った。

15時50分に部屋を出れば、16時に予約をしているマッサージ屋には15時55分に着く。この店のオバサンは2時間で頼んでも、常に2時間以上を仕事に費やしてくれる。今朝の洗濯物の上がる時刻は明日の17時のため、明日のマッサージは15時に予約を入れた。

18時を過ぎたウドンタニーには夕刻の色が濃い。「センタン」の前の路上には、いつもおなじトゥクトゥクが駐まっている。そのオジサンに、これまたiPhoneに保存したチムジュム屋の画像を見せる。オジサンの言い値は80バーツ。目指す人工池のほとりには、10分と少々で着いた。

日曜日だからなのか、チムジュム屋は満席だった。この店で食べたい旨をオニーチャンに告げると、オニーチャンは紙に何ごとかを書いて手渡してくれた。その紙をタイパンツのポケットに入れて池の畔を歩く。

池畔を周回する道では子どもたちが自転車を走らせ、ジョギングをする人もすくなくない。遠くからマイクを通した威勢の良い声が聞こえてくる。コンサートでも開かれているのだろうか。そこまでの数百メートルを歩いてみる。声の主は果たして台の上から広場の人たちにエクササイズを指導するオジサンだった。

先ほどのチムジュム屋にはふた席の空きができていた。「助かった」である。しかし「ところが」である。客席から見える配膳カウンターの壁には何と”Non Alcohol”の張り紙がある。タイ航空のペットボトルに小分けしたラオカーオは、このようなときに限って部屋に置き忘れてきている。

タイは万事がいい加減に思われて、しかし酒とタバコに関しては日本よりよほど厳しい。この店は、あるいは酒による揉め事を店主が極端に嫌っているのかも知れない。

オニーチャンには水、チムジュムの小、臓物三種に烏賊、そして鶏卵ひとつを注文する。席に届けられた水のペットボトルはなぜか、異常に大きい。チムジュムのナムチムつまりつけだれは二種類、続いてもうひとつが置かれた。

土鍋のスープの煮立ってきたところで先ずは、ミントの葉やキャベツなどの野菜を投入する。それに半分ほど火の通ったところで別注のレバをすこしずつ入れ、固くなる前につまみ上げて野菜と共に皿に盛る。つけだれは、三種のうち最後に届けられた色の黒いものが抜群に美味い。「果たして食べきれるだろうか」と心配しつつ注文したすべてはスンナリと腹に収まった。代金は299バーツの安さで、大いに驚いた。否、驚いてはいけない、これがウドンタニーの標準なのだろう。

その、代金を払い終えるころにいきなり強い風が吹きつけてくる。この店の調理場と配膳カウンターは建物の中にあるものの、客席は野天で、屋根はビニールシート一枚だ。そのビニールシートは大きな音を立ててバタつき、仕舞には店の人の手に負えなくなった。雨も夕立のような勢いで降ってくる。ビニールシートは日本のブルーシートとは異なって日除けの性格が強く、客席の真ん中ちかくにいる僕の頭上からも容赦なく水が落ちてくる。

客席の周辺ちかくで食事をしていた人たちは雨を避けるために全員が総立ち。店員たちは彼らのテーブルをできるだけ店の中央へ移そうと、大わらわになっている。これが日本であれば「どうにかしろ」の怒声が客から飛ぶかも知れない。この過剰なお湿りに、しかしタイの人たちはおしなべて苦笑い、あるいは大笑いをしている。これぞ「マイペンライ」。

日本では、列車は定刻に出て定刻に着く。道にゴミは目立たない。タクシーの運転手がメーターのスイッチを入れず料金を交渉してくるなどは絶対に無い。ものを作る人たち、ものを売る人たち、サービスを提供する人たちは、消費者の要望にとことん応えようとする。そのような国民の真面目さにより、第二次世界大戦の敗戦国は奇跡の復興を遂げて経済大国になれた。しかし息は詰まる。だから僕は、ときどきタイに来たくなるのだ。

2014年6月6日にバリ島のデンパサールで懲りたことから、ここまで来たときのトゥクトゥクはちかくで待たせておいた。オジサンの言い値は来るときとおなじ80バーツだったものの、100バーツを手渡して釣りは求めなかった。ホテルには19時30分に帰り着いた。そしてシャワーを浴びるなどして20時45分に部屋の明かりを落とす。


朝飯 ホテル近くの屋台から持ち帰った春雨スープ
晩飯 “Pungpond Hot Pot”のチムジュム(小)、臓物三種、烏賊、ペットボトルの水

2025.9.27(土) タイ日記(3日目)

目を覚まして枕頭のiPhoneに触れると時刻は1時36分だった。きのうの就寝が19時30分だったとすれば、睡眠時間は6時間。まぁ、妥当なところだろうか。直下のバービヤは、きのうほどはうるさくない。

起きてコンピュータを開いてきのうの日記の、きのうのうちに書いてしまったところからの続きを書く。初日の日記にくらべれば文字数は圧倒的に少なく済みそうではあるものの、ときおりは寝台に戻って仰向けになり、iPhoneでTikTokの動画を眺めつつ休んだりもする。

カーテンの隙間に朝の気配を感じれば、即、部屋の南側の二個所にあるカーテンを開く。空は晴れている。プールサイドには早めに降りることができるだろう。そしてきのうの日記を書き終える。

このあたりの、朝食を供する店が営業を始めるのは、おしなべて8時。それまでには、いまだ1時間30分ほども間がある。よって寝台に寝転がってきのう公開した「タイ日記(1日目)」をiPhoneで読むうち、単語の変換違いや英文のスペルの間違い、通りの名の文字の脱落、単なる打ち違えを次々と見つける。そのたび寝台から起き上がって、机に開いたコンピュータで修正をする。その回数は10や20ではきかなかったのではないか。結構、疲れた。

さて今回の旅では、ウドンタニーでもバンコクでも、宿泊に朝食は付けていない。よって8時を回ったところで外へ出て、今朝はきのうとは逆の、目抜き通りを目指して歩く。途中、オバーサンの屋台でスープが煮えていたため「ガオラオ?」と訊くと、客であるオネーサンは”noodle”と教えてくれた。それにしても、屋台の周りに椅子は無い。自前のものらしい器にたっぷりの汁を盛ってもらったオネーサンは、それを手に、この通りにはいくつもある白人相手の食堂のひとつ”FULL THROTTLE”の奥に消えた。

そのまま歩き続けて目抜き通りに出る。そして駅の方面つまり東を目指す。目に付いた、やはり白人相手の食堂の二人用の席に着き、オネーサンにメニュを頼む。届いたそれを開けば典型的な英国風の朝食で、三種あるうちのひとつを注文する。

サマセット・モームは英国の料理について
To eat well in England, you should have a breakfast three times a day.
と言ったらしい。しかし僕は、今朝のこれきりで充分だ。明日の朝は、別の場所で別のものを食べることにしよう。

道の向かい側にはなぜか、警察の車両が十数台も駐まり、警官のひとりは、それゆえに狭まった道路で交通整理をしている。僕は物好きにも道を渡る。その平和的な、緊張を欠いた様子は、テレビか映画に関係する人たちの送迎に警察が駆り出されているよう見えた。

部屋へ戻り、朝とおなじ要領で「タイ日記(2日目)」にも修正を施す。天気は朝の「まぁまぁ」の状態からすれば雲が増え、太陽は地上を直射していない。プールサイドには11時に降りた。

本を読みながら「本当に便利だな」と感じるのはスマートフォンの存在だ。分からない言葉、知らない人物が出てきたら、寝椅子に仰向けになったまま、それについて調べることができるからだ。いわば自前の索引、である。

それはさておきホテル二階の屋外プールには、今日は様々な音が大きく聞こえている。目抜き通りでは警官が吹いているのか、笛の鋭い音がいつまでも止まない。直下の”THE SPORTS BAR & RESTAURANT”には白人の年配者が溢れんばかりに集まって、スポーツの実況らしいものを観ている。そして点が入るたびなのか、見どころが訪れるたびなのか、あるいはその双方によるのか、ときおり一斉に歓声を上げる。まったくうるさい限りだが、そのような場所にホテルを定めたのは自分なのだから、どうにもならない。プールサイドからは、14時に引き上げた。

部屋に戻って洗面所の鏡に向かうと、上半身にかなりの日焼けをしている。太腿から脛にかけても焼けているものの、こちらは皮膚が厚いのか、それほどヒリついてはいない。太陽は薄い雲の中にあり、それさえ僕はパラソルで避けていた。しかしながらの日焼けである。南の国の日差しはそれほど強いのだろうか。紫外線を防ぐTシャツは部屋を出るときには着ていくものの、プールサイドでシャツを着るほど情けないことはないため、寝椅子に横になる前に脱いでしまうのだ。

何年か前に日焼けを鎮めるためのジェルをバンコクで買い、しかしそれは昨年スコータイから首都へ戻る際、迂闊にも手荷物のバックパックに入れていたため、空港の保安検査場で没収された経緯があった。初日にラオカーオを買った「センタン」で、明日はおなじようなものを手に入れることにしよう。

16時からは、今日で馴染みになる店で2時間のオイルマッサージ。夕食はホテルのある通りで洋食を摂る。そして21時がちかくなるころに寝に就く。


朝飯 “GOOD CORNER”の英国風の朝食、オレンジジュース、コーヒー
晩飯 “da Sofia”のカプレーゼ、コルドンブルー、カラフの白ワイン

2025.9.26(金) タイ日記(2日目)

子供が激しく泣き続けているような声に目を覚ます。部屋の灯りは点いたまま、コンセントに繋いだiPhoneはTikTokの動画の流れるままになっている。今夜からは、寝る前に注意をしようと思う。時刻は1時14分。就寝がきのうの18時すぎであれば、睡眠時間は既にして充分である。

それにしても、これほど長いあいだ子供が泣き続けるとは尋常でない。一体全体、子供はどこで泣いているのか。それを確かめるためベランダに出てみる。その声は果たして子供の泣き声ではなく、直下に長く横たわる屋根の下からの嬌声だった。

ソイサンパンタミットに白人向けのバーが多いことは、2020年3月に、やはりこの通り沿いにあるホテルに泊まったときから知っていた。しかしウドンタニーに存在する二大バービヤ街の、ひとつが窓のすぐ下に位置していたとは。このホテルに裏を返すことがあれば、部屋は廊下を隔てた反対側にしてもらうことが肝要と、コンピュータの”TR”のファイルに覚え書きを残す。

さて、旅の初日の日記はいつも長くなる。その、きのうの日本時間0時すぎからのことを、旅には二冊を持参する手帳のうちの小さな方を手元に置いて、書き始める。バービヤからの嬌声は、3時がちかくなるころには流石に止んだ。

カーテンの隙間から光の漏れていることに気づいて、ベランダの入口と枕元にちかい窓の、二個所のカーテンを開く。天気は曇り。夜に降り出したらしい雨は上がっていた。

ベッドに仰向けになる休みを何度か挟みつつ、きのうの日記は8時5分に書き終えた。WordPressのエディタによれば、文字数は6,946に及んだ。今日の日記からは短く済むようになるとは思うものの、どうなるかは分からない。

6時23分に部屋から出て一階ロビーの重い扉を押す。止んだとばかり思い込んでいた雨は、いまだすこしは降っていた。ポーチの下にはベルボーイが待機する小さな囲いがあって、そこには複数の傘が用意してあった。よってそのうちの1本を借りて歩き始める。

日本にいるときから調べておいた小体で洒落た食堂は、窓の直下のバービヤ街とは別のバービヤ街のすぐ先に見つかった。テーブルが屋内と屋外にある店では、迷わず屋外に席を決める。南の国では、できれば南の国らしく食事がしたいからだ。そうしてこのあたりの典型的な朝食であるカイガタとパンとコーヒーを注文する。

カイは玉子でガタは鍋。味はまぁ、見た目で想像できる通りのものだ。数を選べるコッペパンは二つにした。そしてこのパンの焼き加減が良かった。その朝食を摂るうち、背中側のテーブルに着いていたらしい白人のオジーちゃんが、どこかへ行こうとしながら僕のテーブルの本に気づいて「何をお読みですか」と声をかけてきた。

ライオネル・バーバーの「権力者と愚か者」の背表紙には英語による書名と著者名がある。本を手渡しつつそれを見せると「ノベルですね」と言うので、そこから会話が始まった。

「いえ、これはフィナンシャルタイムの元編集長の日記です」の”diary”は、タイ人のイントネーションを真似てみた。

「良い本ですか」
「はい」
「翻訳ですね。訳もよろしいですか」
「悪くないです」
「ところで、どちらからいらっしゃいましたか」
「日本の日光です。東京から100キロメートルほど北の」

「彼女は日本へ行ったことがあるんです」と言うオジーちゃんの言葉に後ろを振り返ると、中年の女の人が微笑んでいた。

「まだ半分、楽しめますね」と、オジーちゃんはいまだ手にしていた本の、ヒモによるしおりに触れてから、それを僕の手に戻して「よい日をお過ごしください」とすこし頭を下げた。
「はい、あなたも」

外の席を見まわしてみれば、僕のテーブル以外はすべて、白人の年配男性とタイ人の中年女性による二人組ばかりだ。この街の朝から昼にかけては、ソイサンパンタミットの周辺に限られるのかも知れないけれど、そのようなカップルが目立つ。

ベトナム戦争の時代には、この街にアメリカ軍の基地があった。そのころのアメリカ兵には、戦後もこの街に住み続ける例が少なくなかったらしい。その歴史的な背景が、白人にとって暮らしやすい一部をこの街に作ったのかも知れない。

それにしても、イギリス人やアメリカ人は、自国語が世界のほとんどの地域で通じてしまう。それは便利ではあるだろうけれど、便利すぎてつまらない、ということはないのだろうか。もっとも声をかけてきたオジーちゃんは、連れの女の人とは流暢なタイ語で話をしていた。タイには随分と長いあいだ、住み続けているのだろう。

ところで僕の南の国での楽しみの過半はプールサイドでの本読みが占める。しかし外は雨。パラソルの下にいる限り雨は当たらないにしても、寝椅子は濡れているに違いない。そういう次第にて、二階のプールサイドには、雨の上がった昼すぎに降りた。

太陽は薄い雲の向こうにあるから、時が経つにつれてパラソルの縁から外れても、眩しさはそれほど感じない。からだが汗ばんだら小さなプールを一往復か二往復して汗を止める。そしてプールサイドバーのオネーサンに西瓜のスムージーを注文する。

部屋に戻ったのは15時。シャワーを浴びてひと息を入れ、あたりを整頓してからガウンをTシャツとタイパンツに着替える。

ソイサンパンタミットから駅に続く目抜き通りを、駅とは反対の西へ歩く。セントラルプラザ、タイ人の発音では「センターン」となるショッピングモールの近くまで来ると、道の対岸に、きのうのオバサンの姿が見えた。こんなところでクルマに轢かれては先が無くなるから中央分離帯の緑地を越えることはせず、遠回りをして横断歩道を渡る。

2018年の秋に、背骨と右の肩胛骨のあいだに痛みを感じ、仕舞には鎮痛剤がなくては堪えられないほどになった。MRIによる診断から手かざしまで考えられるところはすべて回って、治してくれたのは結局のところ、今は伊豆に引っ越してしまっている、当時は宇都宮で開業をしていたカイロプラクティックのワタナベ先生だった。

その先生に「タイへ行ってもボキボキ系のマッサージは避けてくださいね」と言われて以降、僕はタイマッサージは遠ざけている。そして今日も2時間のオイルマッサージを受ける。きのう違和感のあった左の腰の一点は、オバサンの荒療治により劇的に改善をされた。

マッサージを受けるうち、屋根に雨滴の落ちるような音が聞こえ始め、それは間もなくとてもうるさくなった。「雨?」と天井を指すと「フォントン カー」と、オバサンは静かに同意を示した。

施術が終わったのは18時。雨の勢いは弱まった。とはいえいまだ余韻は残っている。オバサンは通りに出て、向かい側の車線で客待ちをしていたトゥトゥクを大声で呼んでくれた。中央分離帯の切れ目まで進んでUターンをしたそのトゥクトゥクが、僕の目の前に停まる。

駅に向かって左側の食堂街には2020年の3月にも来て、二度の夕食を摂った。夕刻の驟雨のせいか客のほとんどいないそこにひとテーブルを占め、ここ二日のあいだは不足気味の生野菜を盛大に食べる。

ホテルまでの数百メートルは徒歩で辿る、部屋に戻った時刻は18時56分。雨の涼しさにより汗はかいていないから、シャワーは浴びないままガウンを羽織る。きのうほどは酔っていない。よってコンピュータやスマートフォンをすこしばかりいじってから明かりを落とす。


朝飯 “MORNING HOUSE”のカイガタ、パン、コーヒー
晩飯 駅前の”Food Place”のヤムウンセン、ムートード、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.9.25(木) タイ日記(1日目)

僕の席62Hは右列最後尾からひとつ前の通路側。右列には三席があるも、窓際と通路側のあいだの一席は空いている。

00:38 Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は、定刻に18分おくれて羽田空港を離陸。

「背もたれを元に戻してください」からどれほどの時間が経ったか、今度は「座ってください」との、英語による女の人の大きな声が聞こえたような気がする。しかし夜の機内で客室乗務員が大声の叱声を発するはずはない。幻聴だったのだろうか。

まったく眠れない。あるいはまったく眠れないような気がしている。目は、航空会社からただでもらえるアイマスクよりよほど優秀なそれにより光を遮断されている。それを外してディスプレーを確かめたらいまだ日本近海の上空でガッカリ、というようなことは避けたいため、とにかくアイマスクの内側で、かたくなにまぶたを閉じ続ける。

03:53 コーヒーの香りが鼻に届いて、アイマスクを取る。機内は既にして明るく、客室乗務員は、一般の乗客のそれよりも先に、特別らしい朝食を運んでいる。ディスプレーは、機が台湾と海南島のあいだを飛んでいることを示している。朝食は「照り焼きとライス」と「オムレツとベーコン」から前者を選んだ。

そのディスプレーの地図を見るうち、面白いことに気づく。ミャンマーの首都はネピドーでも、地図には以前の首都であったヤンゴンが、あたかも今でも首都であるかのように点を打たれている。その都市の名が、言語の違いにより異なっているのだ。

日本語ではヤンゴン。英語とイタリア語はYangon。中文簡体の「迎光」は、やはりヤンゴンと読むのだろう。ところがフランス語とドイツ語ではRangunと表記されている。その理由は何だろう。僕の年代では、ミャンマーはビルマ、ヤンゴンはラングーンの方が記憶に強く刻まれているような気がする。

機の最後尾にちかい通路側の席の利点のひとつは、食事を終えたら即、自分のお盆を後方のギャレーに片づけられることだ。しかしそこに客室乗務員がいると、あまり良い顔はされない。彼らはトレーは、それを運んできたワゴンに収めたいからだ。しかしまぁ、僕は自分の自由を確保したい。そしてラバトリーで歯を磨く。

04:59 機がダナンの上空に達する。ディスプレーには”Estimated Arrival Time 4:06″と出たから思わず「いいぞ」と心の中で声を上げる。”Distance to Bangkok 794Km”の案内も見える。

05:42 「スワンナプーム空港まで20分。現地の天気は曇り、気温は28℃」のアナウンスが流れる。
05:52 地上の灯りが見えてくる。
05:59 車輪の降ろされる音が聞こえる。
06:02 TG661は定刻より48分も早い、タイ時間04:02にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:21 機外に出る。
04:26 サテライトターミナルからシャトルトレインが発車。
04:27 その車両がメインターミナルに着。
04:29 「人っ子ひとりいない」と表現しても過言ではない入国審査場を通過。
04:44 回転台から荷物が出てくる。

この日記にはこれまで数え切れないほど書いてきたことだが、日本からスワンナプーム空港に飛び、そこからチェンマイ、チェンライ、プーケット、クラビ、サムイ、ハジャイ、トラートのいずれかへ乗り換える場合には、日本で機内に預けた荷物はそのまま最終目的地まで運ばれる。タイへの入国も、小さな審査場を通るだけで済む。

しかし上記以外のところへの乗り換えでは本来の、時間によっては長蛇の列のできる入国審査場を通り、預けた荷物を受け取り、到着階の二階から出発階の四階へ上がって乗り換えるべき航空会社でチェックインの上、ふたたび荷物を預ける必要がある。乗り換え時間の短い場合には結構な綱渡りにて、乗り継ぎの便に乗り遅れる人も珍しくない。

僕は、綱渡りは嫌いな方ではないものの、勿論、乗り遅れは避けたい。だから先ほどまで乗っていた機内でバンコクへの早い到着を知ったときには「よし、いいぞ」と喜んだのだ。

なお、こちらもこの日記にはたびたび書いていることだが、旅の楽しみは、行った先のみにあるものではない。準備も楽しければ、時には困難を伴う移動も、月日が経てば忘れがたいものになる。だから僕は、移動については時間も明確にして、その経過を細かく記すのだ。

さて元に戻れば、回転台から出てきた荷物を曳いてロビーに出るなりエスカレータを探して出発階の四階に上がる。タイ航空のカウンターは、これがタイのフラッグシップだからなのか、カウンターに冠されたアルファベットのもっとも若いところ、つまりいま僕の立っている場所からすればもっとも遠いところにあった。

04:57 タイ航空のオネーサンに助けられながら、自動チェックイン機でチェックインを完了。この機械からは、搭乗券と共に荷物に付けるバーコードも出力をされる。そのバーコードは、タイ航空のオニーサンが、スーツケースの取っ手に付けてくれた。

05:05 出発階の四階から地下一階にはエレベータで降りる。空港と街を結ぶ鉄道ARLの乗り場ちかくに開いていた両替所は4ヶ所。交換率はどこも同じにて、もっとも空いていたカシコン銀行のブースで10万円を21,450バーツに換える。

1982年には、邦貨1万円は約1,000バーツになった。随分と円が弱く感じられるものの、当時の物価では、楽宮旅社の宿泊料はひと晩50バーツだったから邦貨にすれば500円。安食堂の料理はひと皿10バーツ、つまり100円に満たなかった。

その後は仕事が忙しいとか他にも色々とあって、次の訪タイは1991年。このときの円とタイバーツの交換率は記録していない。ただしマンダリンオリエンタルホテルの宿泊料は、邦貨にして一泊3万円ほどだった。本格的に訪タイを再開したのは2009年8月。このときは1万円が4,000バーツを超えた。屋台の汁麺は25バーツで食べられた。それが2025年9月現在では1万円が2,145バーツ。首都の汁麺は50バーツなら安い方だ。

つまり2009年から2025年までの16年間で、タイにおける円の価値は、汁麺換算で4分の1になった。これを嘆き、日本政府を呪う人も多々いる、しかし2009年8月の日経平均株価が1万円を切っていたことに対して、きのうの終値は45,630円なのだから、損得は正に「あざなえる縄のごとし」ではないか。

と、こういうことを連ねていると、日記はいつまでも書き終えることができない。よって主題に戻る。

05:21 出発階の四階に戻る。
05:24 国内線の保安検査場を通過。
05:27 B8ゲートに達する。

搭乗券にある搭乗時間は6時30分。退屈を感じるほどの大余裕だ。しかし羽田からバンコクまでの飛行機が定刻の4時50分に着いていたら大慌てなのだから、この乗り換えはやはり、充分に危険ではある。

05:30 トイレの個室に入り、家から着てきたgicipiの襟の高いシャツ、それに羽田で重ねたジャージー生地のカーディガンとウインドブレーカーを脱ぎ、半袖のTシャツに着替える。タイの夜は、いまだ明けていない。

06:15 ロイヤルシルククラスおよび介助を必要とする人から搭乗が始まる。
06:35 冷蔵庫のように冷えたバスで沖まで運ばれ、飛行機のタラップを上がる。
07:15 Airbus A320-200(32X/3205)を機材とするTG002は、定刻に15分おくれて離陸。

機は先ず左に旋回をして南へ下る。サムットプラーカーンやチャチューンサオの、シャム湾に接する場所のほとんどは、魚や海老の養殖池と思われる。

ところでこの便の、全156席のうち埋まっているのは5分の1ほど。それだけ空いているにも関わらず、右列最後部のひと席となりには、B8ゲートにいるときから怪しげな咳をし続けていた、服装や持ち物からすれば沈没組と思われるファランが座った。

それはさておき、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により国境が閉鎖される直前の2020年3月の、ウドンタニーの農地はまるで土漠のように茶色かった。しかし今朝のそれは、一面の緑に覆われている。乾季と雨季とでこれほど景色が異なるとは、大きな驚きである。

08:03 TG002は定刻より8分はやくウドンタニー国際航空に着陸。ちなみに「国際」とはいえ実際には、この空港に国際便は発着していない。
08:11 機外に出る。
08:17 早くも回転台に荷物が出てくる。

ロビーに出ると正面に案内のカウンターがあったため、タクシーの切符はどこで買うべきか訊くと、係は何ごとか答えつつ、はす向かいを指した。よって運転手らしい人たちの群れるそのブースに近づき、オネーサンに声をかける。

張り紙の数字を見て「200バーツですか」と訊いてみる。
「お客様、どちらまで」
「サンパンタミッ」
「それなら200バーツです。ホテルはお決まりでいらっしゃいますか」
「バンブア」
「かしこまりました」

料金は1,000バーツ札で支払う。大きなお札は釣銭の潤沢そうな場所で細かくしておくことが肝要だ。オネーサンは複写式の黄色い伝票を僕に手渡しながら、ちかくにいた運転手の一人に「バンブア」と告げた。

田舎の空港は、どこもかしこもそれほど大きくはない。極めてにこやかな運転手はその小さな空港の建物を出て、自分のクルマまで僕のスーツケースを曳いていく。

08:23 タクシーが動き出す。

ウドンタニーの空港は、極限までお金を節約したいバックパッカーなら、徒歩でホテルを目指すほど街に近い。僕も200バーツは惜しいけれど、まぁ、仕方が無い。

ソイサンパンタミットといえば、知らない人はいないほど有名な通りのはずで、バンブアも悪くないホテルだ。しかし運転手は幹線道路を行きすぎてUターンをし、以降はスマートフォンに口を近づけ「ロンレーム、バンブア」と繰り返している。更にはクルマを駐めて、ちかくの人に道を訊ねることまで始めた。ウドンタニーに来て、いまだ日が浅いのだろうか。

しまいには「その先、右折」、「ここで左折」と、僕が指先で案内をする。バンブアは、ソイサンパンタミットに入って100メートルほどの右側にある。運転手はそれを見過ごして更に進もうとするから、僕は右を指して「ここ、ホテル、バンブア」と、慌てて声をかける。

08:50 直線距離にすれば空港の駐車場から3.5キロメートルほどのホテルまで、実に27分もかかって到着する。運転手は最後まで愛想が良かったものの、チップとしてポケットに用意した40バーツは渡さなかった。

ホテルの清潔なロビーの一角には、それほど大きくない受付のカウンターがあった。そこにひとりだけいたオバチャンに声をかけ、agodaの予約票を見せる。ホテル側の書類の僕の名前には誤りがあったため「ペンで書き直しましょうか」と問えば「その必要はありません」とオバチャンはその紙をカウンターの内側へ戻しつつ「いまは部屋の準備ができていません。しばらくお待ちください」と笑顔を浮かべた。「チェックインは14時ですもんね」と僕は答え、スーツとバックパックの預かりを頼む。

ロビーのソファに腰かけ「しかし」と考える。チェックインが14時とすれば、これから5時間もある。そのあいだ活字を欠いたままでいることはできない。オバチャンの許可を得て奥の部屋へ入り、スーツケースから読みさしのラオイネル・バーバー著「権力者と愚か者」および2020年3月にこの街のマッサージ屋のオバチャンにもらったセブンイレブンのエコバッグを取り出す。そしてそのバッグを提げて外へ出る。

気温はバンコクとおなじ28℃くらいだろうか。先ずはホテル前のソイサンパンタミットから目抜き通りに出て左に折れる。するとタイ国鉄のウドンタニー駅はすぐ目に入る。ここから4駅を北上すれば、そこはもうラオスである。ところで来年の3月には、このウドンタニーからチェンライへバスで行くことを決めている。そのバスについて調べるため、駅前からショッピングセンター”central plaza”南にある古いバスターミナルまでの5分ほどを歩く。

この街からバンコクあるいはチェンライに路線を持つバス会社「ソンバットツアー」はすぐに見つかった。メガネをかけた太ったオネーサンによれば、チェンライ行きのバスが出るのは19時すぎ。出発の場所は”Number 4″とのことだったが、よく分からない。目と鼻の先のバスステーション1に足を踏み入れ、その4番プラットフォームにある札を見ても、行き先はチェンライではない。しかしまぁ、それについては来年の3月に、改めて訊いてみることにしよう。

歩くことに疲れてホテルへ戻り、ロビーのソファで本を読むうち、先ほどのオバチャンに呼ばれる。どうやら部屋の準備ができたらしい。時刻は10時ちょうど。オバチャンには、定刻の4時間も前から部屋に入れてくれることへの感謝として50バーツのチップ。部屋までスーツケースを運んでくれたベルボーイにも50バーツのチップを手渡す。

三階の部屋は小さなバルコニーを備えて、明るく綺麗だった。ベルボーイが去ったところで早速、部屋を自分ごのみにしていく。枕は4つも要らないから、3つはクローゼットの上の天袋に収めてしまう。テレビは見ないから、そのリモートコントローラーはテーブルの端に移す。そのテーブルに持参のジュエリートレーを組み立て、文房具やビタミン剤を置く。朝スワンナプーム空港で両替したタイバーツと前回の訪タイで余らせたタイバーツを合計し、そこから今日すでにして使ったお金を引いて、齟齬の無いことを確かめる。そのようなことをしてからシャワーを浴びる。

昼がちかくなるころ外へ出る。腹は大して空いていない。先ほどその前を通り過ぎたショッピングモール”central plaza”に入って地下へ降りる。するとタイではお馴染みのたくさんのフードコートがあり、しかし書店も複数あったから「この街の民度は結構、高いんだな」と感心したりする。前回あまらせたラオカーオは、ことによると今夜のうちに枯渇する。よって奧のスーパーマーケットに入り、酒類の棚から未知のラオカーオ1本を取り出す。これまで飲んだことのない”TAWANNDANG”という銘柄のそれは、720ccほどの容量で130バーツだった。

昼食は、できることならショッピングセンター地下のフードコートではなく、街の食堂で食べたい。しかし腹はいまだ減らない。ホテルへ戻るには遠回りにはなるものの、大きな通りを向かい側に渡る。そして駅のある方向へ歩き始めると間もなく、右手のマッサージ屋から声がかかる。

タイのマッサージ師は、大抵は店の外で休みつつ道行く人に声をかける。誰にでも分かるとは思うけれど、まともなマッサージ師とそうでないマッサージ師は、すぐに見分けがつく。声をかけてきたオバサンは前者に属するもので、すこし通り過ぎてからきびすを返し、2時間のオイルマッサージを頼む。飛行機の座席に座り続けたことが原因か、何となく感覚の怪しくなってきた腰の一点を、オバサンには特によく押してもらった。

オバサンのマッサージはなかなか上手だった。マッサージ代は600バーツ。チップは200バーツ。帰りしなに明日の午後4時にまた来たい旨を告げる。タイ語の時間の呼び方は日本語や英語にくらべて複雑なものの、覚えておいて良かった。時刻はいまだ14時20分。時間に追われがちな日本での日常を考えれば、大贅沢、である。

15時より二階のプールサイドで本を読む。日が徐々に傾いても日除けのパラソルは複数あるから、寝椅子を移れば問題は無い。明日はプールサイドのバーで、愛想の良いオネーサンに飲み物を頼んでみることにしよう。

16:15 部屋に戻ってシャワーを浴びる。南の国ならではの嬉しいひとつは、寝台に敷いたバスタオルの上で、裸で涼めることだ。

17:05 セブンイレブンのエコバッグに、タイ航空の小さなペットボトルに小分けした前回のラオカーオと本を入れて外へ出る。ちなみにこのエコバッグをくれたオバサンさんのマッサージ屋は、昼に調べたものの、残念ながら代替わりをしていた。

前回2020年3月に食べて美味かったホイトード屋は、驚くべきことに、今や英語と中国語に加えて日本語とハングルによるメニュまで揃えていた。しかし前にあったバケツ入りの氷はなぜか置かなくなっていた。そういう次第にてソフトドリンク用のクラッシュドアイスとプラスティック製のコップでラオカーオのソーダ割りを飲む。今夜の「トード」の中では特に烏賊が美味かった。

ホテルに戻ったのは18時10分。シャワーを浴び、クーラーは止め、枕元に本とiPhoneを置く。以降のことは、よく覚えていない。


朝飯 TG661の機内食、TG002の機内軽食
晩飯 “Je Huay Hoi Tod”の烏賊と海老とムール貝と牡蠣のトード、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.9.24(水) 失われた夏を求めて

「失われた時を求めて」はマルセル・プルースト。僕の9月のタイ行きは「失われた夏を求めて」のものだ。

と、なにやら気取った書き出しではあるものの「失われた時を求めて」は、これを説明する短い文章に触れただけで、根気に欠ける僕は読む気にならない。それにしても、この壮大な物語の研究を趣味としたラオス最後の王サワーンワッタナーの、共産政府による再教育キャンプでの死は悲しい。

18時の終業後は今日の売上金を手早くまとめてキャッシュレジスターの数字と照合し、4階の自宅へ戻る。新宿高島屋の催し「美味コレクション・グルメフェス」に、準備日も含めれば9日間の出張をしていた長男は今日の夕刻に帰社したから、気持ちは大いに楽になった。シャワーと歯磨きに要した時間は5分。駅までは家内が送ってくれた。

18:50 けごん52号の車両が下今市を発。乗客のほとんどは海外からの旅客と思われる。
20:21 けごん52号が北千住に着。

20:26 日比谷線の車両が北千住を発。
20:42 日比谷線の車両が人形町に着。

20:45 都営浅草線の五反田方面西馬込行きが人形町を発。
20:59 その車両が泉岳寺に着。
20:59 京急本線急行羽田空港第1・第2ターミナル行きの車両が泉岳寺を発。
21:25 その車両が羽田空港第3ターミナルビルに着。

21:32 パスポートを自動チェックイン機にかざしてチェックインを完了。
22:14 蛇行する行列に42分のあいだ並んで荷物あずけを完了。スーツケースの重量は9.4キログラムだった。

22:20 保安検査場を通過。
22:21 出国審査場を通過
22:25 108番ゲートちかくの”Sky Lounge South”に入る。

夕刻の空にツバメが群れ飛ぶ南の国へ行けるとは、僕にとっては盆と正月が一緒に来たようなものだから、いくら好きでも酒は飲まない。そして普段より一日はやく、きのうの日記を公開する。

23:32 コンピュータを開くと時を忘れる悪癖が僕にはある。満席だったラウンジの客は、いつの間にか、ほとんどいなくなっていた。そして僕もラウンジを去る。

23:40 142番ゲートに辿り着く。搭乗は既にして始まっていた。「危ない。危ない」である。
23:43 ボーディングブリッジを伝って僕もタイ航空機に搭乗し、62Hの席に着く。


朝飯 小松菜のおひたし、秋刀魚の梅煮、茄子の揚げびたし、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとキャベツと若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 “Sky Lounge South”のカレーライス、ルイボスティー

2025.9.23(火) 秋

空気が湿気を失ったことにより、右手の親指の爪と肉のあいだが剥がれ、血の色が見えつつある。おなじ右手の薬指には、小さなアカギレができている。それらを軟膏で埋めてバンドエイドを巻くことを、今朝はデジタル機器に触る前にしなければならない。きのうの夜からそう考えていたものの、TikTokの「梅太郎」のアカウントにベトナムの食料品店が付けてくれたコメントに返信を付けるなどのことを、ついしてしまう。二本の指に処置が施されたのは、結局のところ「朝食の準備まであと10分」という際どい時間になってからだった。

日中の気温は、冷えた素麺の欲しくなるところまでは到らなかった。よって昼食はにゅうめんにした。「春過ぎて夏来にけらし」だから、かの歌は光り輝いているのであって、これが「秋来にけらし」では、まったく気勢が上がらない。僕が秋という季節から連想する言葉は「斜陽」や「凋落」に他ならない。

15時すぎに道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ、本日3回目の納品をする。その帰りに如来寺に寄り、本堂で塔婆をいただいてから、先ずは新しい方のお墓へ行く。白木に墨痕も鮮やかな塔婆を墓石の後ろに立てたら、三日前に供えた花を持参のプラスティック袋に入れる。次いで叔父と叔母のお墓の花も、その袋に入れる。双方の花立てを水場で洗ったことは言うまでもない。

そこから今度は古い方のお墓を訪ね、こちらは七対の花立てから花を引き抜き袋に入れる。花立ては、これまた持参の大きな洗面器で水場へ運び、洗って元に戻す。いまだお彼岸は過ぎていないものの日も傾くころであれば、花を片づけても問題はなかろうとの、勝手な判断である。

夕刻の空に飛ぶ鳥はいない。ツバメは夏の鳥ということになっているけれど、いまだ寒い頃に来て、しかし残暑を楽しむことなく南へ去ってしまうのはなぜだろう。

夜の焼酎はソーダではなく、お湯で割る。


朝飯 秋刀魚の梅煮、目玉焼き、茄子の揚げびたし、菠薐草のソテー、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 豚薄切り肉と小松菜と厚揚げ豆腐ときのこの鍋、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、「本沢屋」の団子、Old Parr(生)

2025.9.22(月) TDAC

辛うじて3時台の起床。食堂に来て先ずは南東に面した窓のカーテンを巻き上げる。すると空に明けの明星が見えたから「晴れた」のことばが思わず漏れる。次いで南西に面した窓も開ける。半袖のシャツ1枚、足元は裸足の格好で涼しさは感じるものの、いまだ寒くはない。

夜が明け始めていることに気づいたのは4時48分。一日の中で最も好きな時間は夜と朝のあいだにて、慌てて屋上へ上がる。朝の空は、すこし目を離しただけで著しく変わる。そのもっとも妙味のあるところを愛でようとすれば、ぐずぐずとはしていられないのだ。

食堂から見おろす国道121号線には、なぜかA4ほどの紙が散乱している。よって6時を過ぎたところで外へ出て、その紙を拾い集める。このような仕事は社員に頼むべきではなく、ヒマにしている僕がすれば良いのだ。

今月8日から始められた近隣の農家からのしその実の買い入れは、きのうが最終日だった。その、きのうの数字を午前の早い時間にコンピュータに入れて、初日からの合計をする。今年の買い入れ量は、昨年のそれを165キログラム超えていた。なお、茗荷の買い入れについては、今月の30日まで続けることにしている。

日中、今年の5月1日から外国人の入国者に義務づけられた、タイデジタルアライバルカード通称”TDAC”のページに、求められている情報を入力する。カードとはいえ自分のメールアドレス宛てに送られるそれはそれとして、紙にも出力をしておく。ちなみに今年5月12日のバンコクでの入国に際しては、そのQRコードをスマートフォンに出して審査場のカウンターに置いたものの、係官は見向きもしなかった。それはそうだろう、既にしてデジタル的に登録済みであれば、そんなものを見る必要は無いのだ。

なお旅行者の中には、僕の知り合いにもいるけれど、事前の準備を欠いたまま入国をしようとしたり、許可証の必要な地域に無許可で越境を試みる者がいる。”TDAC”の登録をし忘れると、空港の微弱なwifiや国境付近の不安定な電波を頼りに人差し指をスマートフォンに滑らせることになるから要注意だ。

ところで僕の日本国旅券の期限は来年の7月22日まで。旅券の、入国に必要な残存期間は半年と、多くの国で決められている。つまり来年の1月22日を過ぎれば、現在のパスポートは事実上の効力を失う。何ヶ月も前から航空券を確保する僕としては、年末の繁忙が始まる前に、更新の必要があるだろう。


朝飯 擂り胡麻、納豆、梅干、ほぐし塩鮭、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 納豆と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、コンビネーションサラダ、ドリア、ハイボール、TIO PEPE

2025.9.21(日) 日程表

2時台に目が覚めものの、幸い二度寝ができて、次は3時台に目を覚ます。起床は4時台のはじめ。きのうの降ったり止んだりを引きずった夜の雨は、既にして上がっていた。

6時を過ぎたところで家内を隠居へ送る。竹内栖鳳の「晩秋」は、3日前に高久隆古の「秋景山水之図」に換えた。夏の終わりにもかかわらず、床の軸がなぜ「晩秋」だったかについては、先月23日の日記に書いた通りだ。

日中は、嫁のモモ君の作ってくれた日程表に従って、事務室と店を行ったり来たりする。本日、ご予約を戴いていた蔵見学は2件。その2件目を終えてしばらくすると、喉に痛みを感じるようになった。声の出し方には工夫が必要だろうか。しかしその仕方を僕は知らない。

今日の気温はきのうのそれとは一変して28℃まで上がった。僕にとっては嬉しい限りではあるものの、この極端な寒暖の差により、健康を損なう人は少なくないかも知れない。

今年のシルバーウイークは、土曜日を含めれば4日間。何とか乗り切って、お客様のご期待にお応えをしよう。


朝飯 焼き鮭、擂り胡麻、梅干、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 納豆と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 冷や奴、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、親子丼、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)

2025.9.20(土) 秋彼岸

寝室から洗面所を経て食堂に来たのは3時39分。仏壇のお供えやきのうの日記を書くなどを済ませて4時18分。4時26分よりきのうの朝に引き続いて旅の荷作りを始める。出発の日まで使うコンピュータやiPhoneを除くほとんどすべては、5時20分までに整った。

きのう家内が買ってきてくれた花の束ふたつを抱えて5時55分に外へ出る。傘を差そうか差すまいか迷うくらいの雨が降っている。水を弾くスモックを着て、ホンダフィットで如来寺へ行く。妹が病没した1972年に作った新しいお墓は、雨に塗れた墓石を乾いたタオルで拭く。新旧のお墓と叔父叔母のお墓の九対の花立てに水を満たして花を供え、また香を手向けて家に戻ると時刻は6時40分になっていた。花の片づけは、23日に行うこととしよう。

本日最初のお客様は、開店前からクルマの中でお待ち戴いていた女性で、那須からいらっしゃったとのことだった。わざわざのお出かけに頭が下がる。次のご家族連れのご主人は、駐車場から店にお入りになるなり「寒い」を連発された。うかがえばこちらは矢板にお住まいとのことで、いろは坂を上がった先の奥日光ならいざ知らず、平地にある今市地区でも、県東にくらべれば、気温はよほど低いのだろうか。

日中「ザ・リッツ・カールトン日光様でお使いいただいている味噌はどちらでしょう」と、販売係のカトーユキさんが事務室に来る。店に行くと、小さなお嬢さんをお連れのご夫婦が「今朝は娘がお味噌汁を2回もお代わりして」とのことでいらっしゃった。そしてお客様は当該の「梅太郎白味噌」をお買い上げくださった。大豆は日光産のサトノホホエミ、米麹は日光産のコシヒカリ、というこの味噌は「汁飯香の店 隠居うわさわ」でも用いているものだ。

18時の終業後は、売上金とキャッシュレジスターの数字の照合にすこし手間取る。更には「汁飯香の店 隠居うわさわ」にいただいたご予約の席のやり繰りをするうち18時40分になる。傘を携えて町内の公民館に入ったのは19時ちょうど。そして公民館の屋根の修理についての、業者を交えての最終打ち合わせに会計係として参加をする。


朝飯 鮭の焼きほぐし、生玉子、納豆、ピーマンの肉詰め、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 「ミラノスピザ」のピッツァ其の一、其の二、チーズ、TIO PEPE

2025.9.19(金) 行く先は雨続き

3時台の起床。食堂に来て南東と北西に面した窓を開け、風を通す。応接間の仏壇に花と水とお茶と線香を供えてから食卓にコンピュータを開き、既にして完成しているおとといの日記を公開する。続いてきのうの日記に取りかかる。とはいえその文章は、きのうのうちに書けている。

そんなことをしつつ、次第に寒さを覚えてくる。虫の声は遠く、弱くなっている。2枚の窓を閉め、夏のあいだは邪魔にならないようテレビ台とモンステラの鉢のあいだに置いた足温器を食卓の下に引き入れ電源を入れる。

「秋になってしまったのだろうか」と、スマートフォンで天気予報を見る。日光の最高気温は、明後日の日曜日こそ28℃まで上がるものの、30℃を超える日は、今年は二度と訪れない可能性が高い。その天気予報の虫眼鏡のアイコンに触れ、次いで検索履歴の”Muang Udon Thani”という文字に触れる。表れた数字は連日の30℃超を示しているものの、空模様は「曇りときどき雨」が27日まで続いている。

タイの雨季の雨は、日本の梅雨や秋雨とは異なって、しとしとと降り続くものではない。それは、いきなり降っていきなり止む夏の驟雨にちかい。それだけが慰めといえば慰めである。

旅の持ち物はきのうの終業後にコンピュータから紙に出力をし、その上で、今回は不要というものには青いフェルトペンで横線を引いておいた。その、A4の紙5枚からなる表に従って、6時より先ずは、薬品のたぐいを揃えることを始める。


朝飯 鮭の焼きほぐし、トマトのソテーを添えた目玉焼き、刻みオクラの鰹節かけ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とオクラの味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 スパゲティプッタネスカ、Chablis Billaud Simon 2018、レーズンウィッチ、Old Parr(生)

2025.9.18(木) その後のこと

今月4日の日記に書いた、メルカリにログインできなかった件については、翌日、以下から始まるメールが届いた。

……
お問い合わせありがとうございます。
ご提示いただいた情報をもとに、お客さまのアカウントを確認いたしました。
事務局にてログインができるようお手続きいたしましたので、ご希望のメールアドレスで、ログインをお試しください。
……

よって上記の文章に続く手順を踏んではみたものの、やはりログインはできなかった。仕方なく「アカウントをもうひとつ作るか」と次男に言うと、メルカリにその手は使えないとのことで、この問題は棚上げになっている。

続いて今月8日の日記に書いた、22年のあいだ履き続けている”trippen”の短靴”sheet”の修理について。こちらはきのうトリッペン原宿店からLINEを通じて画像まで添付した丁寧な説明があった。

詳細を省いて書けば、全面的な修理には、先ずは靴底を外す必要があり、すると大して減っていない靴底を新品に替える経費も発生して、修理代は税込38,720円とのことだった。しかし22年前の価格で5万円ほどの靴に4万円ちかい修理代は、良いものに修理を加えつつ長く使うことの好きな僕でも二の足を踏む。それに対して当座をしのぐだけの修理であれば税込4,840円。というわけで、修理は後者の方法を採るよう、即、返信をした。

すると今朝は、その修理に要する期間は1ヶ月半から2ヶ月との案内が届いたため、よろしく頼む旨を返した。

これから2ヶ月なら、11月もなかばを過ぎている。往きはゴム草履、帰りは修理済みの靴を履いて戻る、という手を使うには、往路の足が寒いだろうか。


朝飯 菠薐草の酢の物、納豆、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と大根とトマトの味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 じゃがいものグラタン、ベビーリーフのサラダ、ピーマンの肉詰め、Old Parr(ソーダ割り)

2025.9.17(水) 猫がいれば

早朝にメールソフトを巡回させて、複数のアドレスに届いているメールをダウンロードする。上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」に、ぐるなびを経由していただいた予約のお名前は、今朝はローマ字によるそればかりが続いた。

隠居のお客様には、食後に感想をお書き戴いている。先般は外国人とおぼしきお客様のそれに「猫がいれば、もっと良かった」という意味の文章があった。猫はまぁ、左甚五郎による「眠り猫」を、日光東照宮でご覧いただければよろしいと、個人としては思う。

昼食を、調理も含めて25分で完了する。以降は来週に迫ったタイ行きの衣類を整える。先ずは襟付きのシャツ3着とTシャツ4着を圧縮袋に入れる。もうひとつの圧縮袋には、水着の上下、パジャマ、タイパンツを入れる。前回とは異なって、今回の圧縮袋に充分の余裕があるのはなぜだろう。

コンピュータにデータベース化した旅の荷物は今日現在で154点。そのうちバックパックに入れて手元に置くものは46点。点数は多いものの、重量はスーツケースが9キログラム台。バックパックは2キログラム台に収まるのではないか。

それらは今日の衣類を皮切りとして、徐々に整えていくつもりである。


朝飯 焼き鮭、納豆、モロヘイヤのたたき、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと菠薐草の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 3種のサラダ盛り合わせ、蒸し焼売、五目ビーフン、肉団子、他あれこれ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)

2025.9.16(火) 保冷剤

屋上へ上がって明け方の空を眺める。東の中天にあるのは明けの明星。天頂には旧暦7月26日の月がある。そのちかくの明るい星は何だろう。そのようなことを天文の好きな人に訊ねると、嬉々として一時間もしゃべり続け、分からないことが余計に分からなくなるから、そのようなことは決してしないよう、みずからに戒めている。

屋上から4階の食堂に戻り、丸いテーブルに開いたままのコンピュータで、あれやこれやをふたたび始める。僕には決まった休日が無い。僕にとっての休日は、明け方から朝食までの、数時間の集積なのだと思う。

5時45分を過ぎると、南東に面した窓の縁から朝日が差しはじめて顔を直射する。よって窓は開け放ったまま、カーテンを降ろす。直下の国道121号線からは、行き交うクルマの音が間断なく、しかしうるさいほどでもなく届き続けている。

会社の電子会議室に上がった情報によれば、昨年は9月21日が、日光における最後の夏日だったという。上澤梅太郎商店は、夏日のあいだはお客様のお買い上げ品に保冷剤をお付けする。その夏日が、今年はお彼岸より先まで続くのではないか。とすれば、保冷剤の現在の在庫は少しく心配という意見もまた、会議室の発言には添えられていた。

そういう次第にて、来夏まで持ち越すことが明白な量の保冷剤を、午前中に発注する。保冷剤は、早くも明後日には届けられるらしい。


朝飯 茄子の揚げびたし、目玉焼き、モロヘイヤのたたき、刻みオクラの鰹節かけ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 茄子の揚げ出しと擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 塩キャベツ、鶏肉と鶏レヴァの唐揚げ、玉子焼き、薩摩芋の甘煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、Old Parr(ソーダ割り)

2025.9.15(月) しその実

きのうは店がとても賑わった上に不定期の業務もあって、かなり忙しかったという。

四半世紀ほども前までは、9月は静かな月だった。それがそうでなくなったのは、祝日法の改正いわゆるハッピーマンデー制度によるところが大きいように感じる。そして来年の9月に到っては、シルバーウイークが土曜日も含めれば五連休になる。観光地の混雑、道路の混雑、鉄道の混雑、航空券の高騰は、いかほどになるだろう。

列島の各地区によって祝日の日程を変えてはどうかと提案をしたのは、星野リゾートの社長だったと記憶をする。先週金曜日の日記ではないけれど「細分化して、ずらす」ことにより、いろいろなことが円滑に流れ始めるという「科学」は、確かにあるのだ。しかし国民の祝日ともなれば、場所によりそれをずらすことは、国にとっては「できない相談」かも知れない。

それはさておき、今年は「しその実」の集まりが早い。しその実は稲とは異なって、脱穀機は使えない。人の指を使ってしか、茎から実を外すことはできない。それを飽かず日がな行って、3キロ、5キロ、10キロと農家の方々は持って来てくださる。しその実は、放置をすると熱を持って黒変する。だからできるだけはやく水で洗って塩と混ぜる必要がある。

上澤梅太郎商店の、しその実を用いた商品は「しその実のたまり漬」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、そして「ホロホロふりかけ」の三種類だ。つまり「しその実」が枯渇すれば、これらの商品を作ることはできない。今年も沢山の「しその実」が塩蔵できれば嬉しい。


朝飯 刻みオクラの胡麻和え、生玉子、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 “THE FLYING-GARDEN”のフレッシュマッシュルームサラダ、トマトと野菜の煮込みハンバーグ、カラフの赤ワイン

2025.9.14(日) 行ったり来たり

オフクロの妹の訃報をオフクロの弟から知らされたのは11日。お通夜は15日、告別式は16日とのことだった。

オフクロの妹は、オフクロの、木更津にある実家を嗣いでいた。僕が子供のころは、夏休みの数週間をその家で過ごし、遠浅の海で遊んだ。だからオフクロの妹についても、思い出は尽きない。僕の妹が中学1年と2年の春休みに病を得て千葉大学病院に入院をしたときには、木更津から毎朝、見舞いに来てくれたという。だから「忙しさは分かっているから来るに及ばず」とオフクロの弟は言ってくれたものの「あぁ、そうですか」というわけにはいかない。

現在はしその実と茗荷の買い入れ中であり、また15日は会社の人手が少ない。16日になると、長男は新宿高島屋の11階で17日から23日まで催される「美味コレクション・グルメフェス」へ出発をする。よってお悔やみには本日に行くこととして、下今市07:02発の上り特急に乗る。

僕は鉄道は、日光鬼怒川と浅草を結ぶ東武線、および東京の中心部にあるそれしか乗り慣れていない。スマートフォンの乗り換え案内と首っ引きで曳舟、錦糸町と移動をして、09:03発のJR総武線快速の君津行きに乗る。ふたたび子供のころに戻れば、内房線の窓外には白砂青松の浜があった。今は埋め立て地に工場、線路際には家の建ち並ぶばかりだ。木更津には10時18分に着いた。

駅ちかくのホールには故人の長男夫婦が待っていてくれた。そして霊安室に寝かされていた叔母に線香を供え、深く頭を下げる。

木更津からは、これまたスマートフォンの乗り換え案内に頼って蘇我、錦糸町、秋葉原と移動をする。いつもの大衆床屋は、生憎と月に一度の休みだった。スマートフォンで近辺の床屋を調べると、どちらの店にも結構な値段が示される。僕は、頭もヒゲもバリカンによる丸刈りで、それほどのお金は使いたくない。ようよう末広町に安い店を見つけて神田から銀座線に乗る。散髪代は「60歳以上割」により、顔剃りやシャンプーを含めて1,650円で済んだ。

末広町からは銀座線で京橋へ行き、そこから日本橋まで徒歩で戻りつつ、あれやこれやで時間の調整をする。今日の東京の最高気温は34℃。涼しくはないものの、汗をかくほどのこともない。

勉強仲間のマツモトタケシさんが、またまた新しい店を作った。そのオープニングパーティは今日。しかし連休の最中に東京へ行くなどはとてもできないと、参加は諦めていた。ところが冒頭に書いたお悔やみの発生により、今は東京にいる。そういう次第にて、三たび銀座線に乗って先ほどの末広町に戻る。

17時45分、社長のマツモトさんは、いかにも真新しいドアの向こうにいた。案内された席でしばらくするうち、東南アジアにマネジメントゲームを広めているタナカタカシさんが来た。おなじく勉強仲間のイワサキナオトさんも来た。人見知りの僕には有り難い限りだ。

2時間ほどの歓談の後、僕のみ店を出て本日4回目の銀座線に乗る。そして浅草19:59発の下り特急に乗って、22時前に帰宅を果たす。


朝飯 「セブンイレブン」の二種のおむすび、お茶
昼飯 「ドトール」のチーズトースト、コーヒー
晩飯 「大衆しゃぶしゃぶ勝治」のあれや、これや、それや。飲みものあれや、これや。

2025.9.13(土) これが本当の今年最後

「今年の麺つゆ作りは多分、これが最後になるだろう」と日記に書いたのは先月19日のことだった。出来高は2.2リットルだった。その麺つゆはしかし、きのうの昼に枯渇してしまった。「今は、もう秋」という詞の歌がむかしあった。「冗談じゃねぇよ」と、それに逆らう気持ちがある。

ワイン蔵に保管した材料を見に行くと、昆布や干し椎茸や鰹節の在庫は充分ながら「かえし」の残りが少なくなっていた。よって今年の1回目から4回目までは2.1リットルの水を用いたものの、今回はそれを1.5リットルに減らして、今度は本当に、今年最後の麺つゆ作りにきのうの夕刻より取りかかった。

麺つゆは、自分で作るより既製品を買った方がよほど安い。しかし自分で作った方がよほど美味い。レシピは昨年の8月25日に決定版を得ている。仕上げについては今年の8月1日に新たな知識を得た。そして今年最後の麺つゆは昼前に完成した。

その麺つゆは、僕が昼食を摂る13時30分にはいまだ温かみを帯びていた。またそれほど気温も高くなかったため、今日の昼食はにゅうめんにした。

明日の昼食は外で簡単に済ませることが決まっている。今日の麺つゆで素麺が食べられるのは、明後日の昼になるだろう。


朝飯 生玉子、ゴーヤーチャンプルー、南瓜の甘煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ピッツァ其の一、ピッツァ其の二、Chablis Billaud Simon 2018

2025.9.12(金) ゴールドラットは読めないけれど

上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、毎週土日月の営業。その開店時間は8時30分で、最終入店は12時30分。調理は家内、お運びはタカハシリツコさんのふたりの体制だが、満席になると、8時30分から14時までは一切、休むことができない。「それではさぞかし辛かろう」と、途中に30分間の中休みを設けることはできないだろうかと、ぼんやりとではあるものの、考えてきた。

このようなことについては、頭の中に状況を浮かべてみても、妙案は浮かばない。そこで先日は遂に、ひと月分の予約表を複写し、その11時から11時30分のあいだにピンク色の蛍光ペンで帯を入れてみた。そしてその前後に、大小あわせて4席の埋まり具合を青い蛍光ペンで引いてみた。その結果、席の繰り合わせ方によっては30分間の休憩を確保しつつ現在の最高人数でも受け入れられるシフトを見つけた。

それをきのう家内に見せたところ、来月からの運行に彼女は同意をした。よって即、10月から12月までの、3枚の予約表を書き換えた。既にして予約の入っている表の書き換えはなかなかに面倒だった。そして今朝は2時台に起きられたことを奇貨として、いよいよ「ぐるなび」の予約システムの書き換えに取りかかる。そして1時間と15分をかけて、10月から年末までの空席を設定し直した。

「ぐるなび」の予約システムは、三ヶ月先の日程まで調整をすることができる。新春の休日と空席の設定は、ウドンタニーかバンコクで行うことになるだろう。


朝飯 グリーンアスパラガスのソテーと生のトマト、スクランブルドエッグ、納豆、大根おろし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、玉葱と若布の味噌汁
昼飯 納豆と大根おろしのつゆで食べる素麺
晩飯 夏太郎らっきょう、牛丼、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)

2025.9.11(木) 軽い焦燥の中で

1995年10月から使い始めたThinkPadが国産から中華人民共和国製になって質感を落とし、それに失望してLet’s noteに乗り換えたのは2011年8月。それが古くなって、次のLet’s noteに乗り換えたのは2019年6月。ThinkPadは16年のあいだに10台を次々と換えたものの、Let’s noteは14年のあいだに2台のみ。「流石」である。

その、2台目のLet’s noteの電源ボタンの接触感度が落ちてきたのは数ヶ月ほど前のことだった。秋葉原にあって、僕が愛して止まなかったPanasonicの修理工房は、新型コロナウイルスが蔓延する中でひっそりと閉じられた。この工房は、ウェブを通じて予約さえすれば、午前に持ち込んだコンピュータをその場で治し、午後には手渡してくれたものだ。

現在、不具合のあるLet’s noteは、兵庫のセンターまで送らなければ治してもらえない。僕は、幾日もコンピュータを欠いては仕事も趣味もすることはできない。だからLet’s noteは電源ボタンの感度が落ちてからも、心配をしながら使い続けてきた。

きのうの朝は遂に、早朝の食卓でこのボタンを右にスライドさせても特徴的な緑のランプが点灯しない、という事態が起きた。「遂に来たか」である。朝食を摂り終え事務室へ降りて、今度はバッテリーではなく電源コードを差し込んで、電源ボタンをスライドさせてみた。すると緑のランプはふたたび点り、コンピュータは無事に立ち上がった。

秋葉原の修理工房さえあれば、現在の不具合は数時間で解決しただろう。しかしその駆け込み寺は、もはや無いのだ。そこで、一代目のLet’s noteが8年ちかく保ったことに対して現在の二代目は6年と少々しか使っていないものの、新機に換えるべきかどうかを考える。

今月の下旬にはタイ行きを控えている。コンピュータが新しくなれば、使い勝手も変わる。新機に慣れるには、これまでの経験からして、ひと月くらいはかかる。旅先ではそれが叶わない。

そのような軽い焦燥の中で、簡単な修理であれば即日の対応が可能という業者を見つけた。そして今朝は、これまでの顛末について長男に話した。長男はそれを聞くなり「先ずはシバタさんに相談をしてみては」と言った。

上澤梅太郎商店には。仕事の種類によりふたりの外注SEがいる。そのうちのひとりで近くに住むシバタサトシさんには、主にハードとネットワークの部門で世話になっている。9時を過ぎたところでシバタさんに電話を入れる。すり合わせの結果、僕が血圧の管理のため二ヶ月に一度の頻度で通っているオカムラ外科のロビーで10時に待ち合わせることになった。

10時すこし前にオカムラ外科へ出かけると、シバタさんはロビーではなくカウンターの内側にいた。どうやらこちらの仕事も請け負っているらしい。

ロビーのソファーでシバタさんは僕が持ち込んだLet’s noteの電源ボタンをスライドさせ、それがなかなか反応しないことを確認した。そして僕とのあいだで短い質疑応答をしながら、新規を購入することを概ね決めた。

オカムラ外科からは各々のクルマで上澤梅太郎商店に戻る。事務室に上がったシバタさんは僕のLet’s noteを使ってPanasonicのサイトにアクセスし、最適な機種について調べた。納期は今月の下旬。それではタイ行きには間に合わない。「ちょっと待ってください」とシバタさんは言い残して一旦、自宅へ帰った。

戻ってきたシバタさんの手には小さな工具箱があった。シバタさんはそれを使って僕のLet’s noteを分解し始めた。そして数分後に「原因はこれです」と、当該の個所を指した。僕にはよく見えなかったものの、そこには6年分の綿ぼこりが溜まっていたらしい。シバタさんはスプレー式のコンプレッサーでそのホコリを吹き飛ばしてから、分解したばかりのLet’s noteを元に戻した。

電源ボタンを右にスライドさせる。緑のランプは間髪を入れず点灯した。技術料はしっかり請求するよう、僕はシバタさんに念を押した。「めでたし」である。


朝飯 秋刀魚の梅煮、小松菜のおひたし、トマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 牛蒡の人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、秋刀魚の塩焼き、グリーンアスパラガスのソテー、鶏のつくね、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)

2025.9.10(水) ということは

今月の7日、および8日の日記に書いた祝儀袋に、あらかじめ数えておいた千円札の新券を収めていく。これを町内の70歳以上の方々に配る複数の役員に手渡すのは土曜日の夜。このような細かなことを遅滞なく次々と進めていかないと、南の国で夏のキリギリスのように過ごすことはできないのだ。

今日は月に一度の店休日にて、9時30分より隠居へ移動をして、上長研修に臨む。座敷の南東側に設けた朝顔の垣の一葉に、体調6センチメートルほどの青虫が貼り付いている。青虫は、葉を食べるためにそこにいるのだろうか。それにしては、葉に食べた後の穴は無い。

昼食を挟んで上長ミーティング。短い休みを挟んで全体ミーティング。最後に経営者ミーティング。日が傾くにしたがって気温が下がりつつあるのだろう、寒さを覚えて冷風機と扇風機を次々と止める。

夕刻に到って朝顔の葉に目を遣ると、青虫は葉の茎に沿って身を反らし、からだの色は青虫とは呼べないほど茶色くなっていた。ことによると、蛾になる準備を始めているのかも知れない。

座敷から見て右手の梅の木は、葉を随分と黄色くしている。「ということは、秋ですかー」と、何やら寂しい気分になる。床の軸も、高久隆古の「秋景山水之図」から田崎草雲の「巌菊之図」へと、リレーのようにして掛けかえるべきだろう。


朝飯 秋刀魚の梅煮、納豆、ゴーヤーチャンプルー、南瓜の甘煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、蜜柑ジュース
晩飯 「あづま」のロースカツ上定食、大根と胡瓜のぬか漬け、日本酒(燗)

2025.9.9(火) ダイヤル回して

浅草8:30発の下り特急リバティに乗って、10時すぎに帰社する。

僕の日程や「すべきこと」は、事務机の左手に提げたカレンダーに記している。特に忘失するわけにいかないことについては別途、嫌でも目に入る電子卓上計算機に、おなじ内容のポストイットを貼る。数日前からのポストイットには「9/9(火)13:00大沢公民館」の、サインペンによる太い文字がある。それに従おうとして、しかし出発は諸般の事情により13時15分にずれ込んだ。

はじめて訪ねる大沢公民館は、体育館に隣接する新しくて立派なものだった。保健所が関係する講習や研修は、これまで会社から徒歩でも行ける中央公民館で開かれることが多かった。今回の大沢公民館での集まりは、その中央公民館が老朽化に伴って閉鎖をされたことによるものだろうか。

14時30分から始まった「令和7年度食品衛生指導員部会及び研修会」は定刻の16時より前に完了した。参加者は100名に近かっただろうか。

会社に戻ると事務机の上には「上の者を出せ」という電話に折り返すよう書いた、事務係ツブクユキさんによるメモがあった。そって即、受話器を取り上げメモの11桁の数字をプッシュする。4、5分ほどもお話しをさせていただくと、そのお客様は上機嫌で会話を切り上げてくださった。

「ダイヤル回して手を止めた」という詞の歌が流行ったのは、検索エンジンによれば1990年。しかしそのころの電話機は、プッシュ式に変わってから20年以上も経っていたはずだ。それでも「ダイヤルを回す」という慣用句が人々に受け入れられたのは、なぜだろう。


朝飯 「小諸そば」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「蕎麦さくら家」の「にらそば」(大盛り)、サービスのコーヒー
晩飯 夏太郎らっきょう、秋刀魚の梅煮、ゴーヤーチャンプルー、南瓜の甘煮、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)

2025.9.8(月) 最後はサラリと終える日記

9月8日の未明には3年ぶりの皆既月食が見られるというニュースに触れたのは、きのうの夜のことだっただろうか。起きて諸々のことをしてから屋上へ上がる。時刻は4時27分。西の空の満月は確かに、地球の影により欠けていた。もっとも当方は天体ファンでもなければ「ふーん」くらいのところで階下へ降りる。

午前にちかくのシバタ荒物店に赴いて、多当と書けば分からない人もいるだろう、いわゆる祝儀袋100枚を買って事務室に戻る。そしてそのうちの75枚の上方に「寿」の判を赤で捺し、下方には「春日町一丁目自治会」の判を黒で捺す。そうして70歳以上の方のための袋74枚の裏には「1,000」、85歳の方のための袋1枚の裏には「3,000」の数字を記す。ここで時刻は10時30分。それらの袋を輪ゴムで留めて戸棚にしまい、4階の自宅へ戻る。

シャワーを浴びて服を着替え、事務室に降りる。今日は今月1日のような不首尾は犯さず、準備しておいた”trippen”の短靴”sheet”を履く。ここで時刻は10時41分。こぎ出した自転車を道の駅のセブンイレブンに駐めて10時44分。昼食を買って駅ちかくの駐輪場に着き、空いたところに自転車を押し込むと10時48分。「5分あれば楽勝だ」と、ゆるやかな坂を徒歩で下って改札口を通り、跨線橋を渡って既にして停車中の上り特急リバティに乗ったところで10時51分。車両は定刻の10時53分にプラットフォームを離れた。

北千住からは日比谷線で東銀座に出て、歌舞伎座の裏手にある”ALTRA TOKYO GINZA”へ行く。「店員が一対一で客につききりの対応をするため、15分を待っても待ち客の数が減らず、仕方なくきびすを返した」というクチコミがGoogleにあったため、いささか心配をしながらそのドアを押す。ふたりの店員はふたりの客に、何足もの靴を奥から取りだしては履かせている。客は店の中を歩いたり、ときおり首をかしげたりしている。そのふたりのうちひとりがようやく意思を明らかにして、僕の番が回ってくる。

店員は僕の希望を聞き、足のサイズを計って後、奧から”TORIN 8″と”FWD VIA”の2足を持ってきた。最初に履いたのは”TORIN 8″。それで数歩を歩き、”FWD VIA”に履き替える。それでまた数歩を歩いて即「これに決めます」と店員に伝える。代金を支払うまでに要した時間は5分間くらいのものだっただろうか。

バーでバーテンダーを独占して長々と会話を交わすような客を、僕は好まない。もちろん自分でも、そのようなことはしない。「お店の人はみんなのもの」という考えが僕にはある。それだけ真面目、それだけ真剣なのは分かるけれど、靴屋で店員を自分だけのために数十分も拘束することは、僕の好むところのことではない。

“FWD VIA”をそのまま入れたトートバッグを肩に提げて四丁目の交差点まで歩き、今度は銀座線で外苑前まで行く。ワタリウム美術館ではTシャツが値下げをされていたものの、買っても着るのは今ある白いそれのみと分かっているから、見るだけにしておく。

22年のあいだ履き続けている”trippen”の短靴”Sheet”には、このところ、歩くたび皺の寄る個所に亀裂があらわれてきた。この亀裂が内側まで達しては厄介だ。トリッペン原宿店では、その数ヶ所に修理を加えるよう頼む。このモデルがふたたび発売されればすぐにでも買うところではあるものの、いつまで待っても出ないのであれば、修理をし続けるのみだ。ちなみに僕の好きなものは長く保つもの、嫌いなものは安物、である。

外苑前からはふたたび銀座線に乗って上野で降りる。今日の東京の最高気温は35℃。かき氷と冷たい飲物にて身体を冷やしてから、予約をしておいたホテルに入る。そしてシャワーで汗を流し、下着とシャツと靴下を換える。

上野から市ヶ谷までは、山手線を秋葉原で総武線に乗り換えれば僅々十数分の距離だ。「コンピュータリブ」のナカジママヒマヒ社長が声をかけてくれた「西順一郎先生米寿を祝う会」は、北は北海道から南は九州からの教え子が100名を超える大盛況にて、先生の知の巨人ぶりとお人柄をあらためて強く感じさせるものだった。

お開きの後は旧知のテシマヨーちゃんが誘ってくれた二次会で数時間を過ごし、終電が心配になるころホテルに戻る。


朝飯 トマトとピーマンとウインナーソーセージのソテー、薬味の刻み玉葱の方が多い納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とオクラの味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「アルカディア市ヶ谷」の弁当、お吸い物、「大関」の「辛丹波」(常温)、「上海ブギ市ヶ谷店」のあれこれ、紹興酒(オンザロックス)

2025.9.7(日) 三大発明

きのうの夜は行きつけの居酒屋でカウンター活動をし、支払いを済ませた。そこまでは覚えているものの、以降の記憶は無い。しかし今朝は寝間着姿で寝台の上で目を覚ました。ということは、家に戻ってからはシャワーを浴びるなど、寝るための手続きはしっかり踏んだ、ということだ。起きて食堂へ行くと、調理台の上にはミルクパンに味噌汁の出汁が引いてあった。「まるで木口小平だね」と自分でも感心をする。

自宅にいる限り、朝は和食でなくては気が済まない。しかし家から離れれば、パン食でも気にならない。また海外へ出れば、和食への欲求は消える。不思議といえば不思議、である。

それはさておき今月は敬老の日がある。敬老の日には町内に住む70歳以上の方々に祝儀をお配りする。回覧板により各戸から集まった調査票は、町内の中央、東、西の地区委員長から既にして届いている。午前、その名簿を元にして、コンピュータの中のデータベースを更新する。この仕事を前任の会計係までは紙の帳面で行っていたから苦労もあっただろう。「人間の三大発明は火と蒸気機関とコンピュータ」と言った人がいる。そのコンピュータの定義は、これからも徐々に、ではなく急速に多様化し、変わっていくことだろう。

そうして事務机のコンピュータからふと顔を上げると、ガラス窓の向こうの店は随分と混み合っていたから即、席を立って、販売の手伝いに入る。

午後は、15時45分に会社を出て、自転車で日光街道を遡上する。瀧尾神社の責任役員会議は16時の開始。会社に戻ったのは閉店後の17時55分。3台のキャッシュレジスターを締め、今週の売上金をまとめて銀行へ渡すばかりする。それから「汁飯香の店 隠居うわさわ」への、インターネットを介したご予約への対応をするうち時刻は20時を回った。僕としては、すこしばかり忙しい1日だった。


朝飯 焼き鮭、納豆、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 オクラと擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 にんにくのたまり漬とステーキのソースで食べる鰹の刺身、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)

2025.9.6(土) 挨拶文

10月には、年末ギフトのご案内を、お得意様へ向けて郵送する。それに封入する「社長挨拶」は、週明けにはデザイナーへ送る必要がある。そういう嫁の桃君による電子会議室への発言を早朝、目にする。

年に二度のダイレクトメールの挨拶文には、いつも苦労をする。それは「いまだ寒いときに夏の挨拶を考えなくてはいけない」とか「いまだ暑いときに秋の挨拶を考えなくてはいけない」というところにある。更には海外にいるときに、あたかも数ヶ月先の日本で書いたような時候の挨拶を求められたこともある。このような行いは、年があらたまる前に「明けましておめでとうございます」と年賀状を書くこととおなじく、ある種のインチキ、という気もするが、仕方が無い。

今回の挨拶文はどうするか、ということについては数週間ほど前よりひとつの案があった。それを、いわば液体の状態からせめてゲル状くらいに固めるため、桃君の書き込みを読んでから10分後に外へ出て隠居の柴折り戸を押す。そうしてふたたび母屋の食堂に戻り、ゲル状ほどになったものを文字としてコンピュータのエディタに固定する。

その、早朝に固定化されたものを11時より事務室ではなく、自宅の食堂へ戻って紙に手で書く。「間に合った」である。


朝飯 ピーマンとウインナーソーセージのソテー、納豆、コールスロー、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 長葱と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯「和光」のお通しの薩摩揚げとコンニャクの煮物、鰹の刺身のたたき風、秋刀魚の塩焼き、鶏つくねの塩焼き、鶏つくねのタレ焼き、麦焼酎「吉四六」(オンザロックス)

2025.9.5(金) 47日ぶり

早朝、脚の痒いところに軟膏を塗り、その軟膏で油気を帯びた手を洗う。釣銭が少なくなってきたため、両替のための種銭の紙幣を数えて、また手を洗う。朝食の準備を始めるまでに、5回か6回は手を洗う。時にはアルコールを噴霧して、これまた手を消毒する。僕が手を洗う回数は、一般に比べて明らかに多いような気がする。その結果、秋から翌年の5月までは手の指にアカギレが絶えなくなるのだ。

秋を嫌う最も大きな理由は、四季の中で最も好きな夏が終わってしまったという喪失感によるものだろう。更には手指や足のアカギレもまた、潜在的には秋を嫌う気持ちの一因になっているような気がする。アカギレを防ぐためには、僕の場合、南の国に移住をするしか方法は無い。

冷たい素麺が欲しくなる気温ではなかったため、昼は6月19日以来47日ぶりに熱い汁のにゅうめんを作る。素麺は飽きないが、にゅうめんは飽き加減にて、今秋から来春にかけては、汁に工夫を加えようと考えている。

終業後、今月25日からの訪タイを控えて、早くもその次の計画を練る。そして2022年7月16日の日記に書いた、ウドンタニーからチェンライまでのバスでの移動を、来年の3月にはいよいよ実行することと決めた。

谷口正彦の「冒険準備学入門」をひもとくまでもなく、旅の楽しみのかなりの部分は、事前の準備にある。その準備はインターネットの出現により、それ以前より時間の点でも費用の点でも格段に楽になった。楽や便利は楽しさの逓減に繋がる。しかしインターネット以前に比べれば情報量が圧倒的に多くなったことに助けられて、事前準備の楽しさが減ったとは、僕は感じない。南の国の長距離列車や長距離バスで体調を崩したことは皆無ながら、防寒には重々、気をつけようと思う。


朝飯 マカロニサラダ、納豆、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、ドリア、ドライマーティニ、TIO PEPE

2025.9.4(木) 経済合理性

長男が子供のころ、誕生日を前にして、あるゲームソフトを所望した。よって長男を連れて街の中古屋へ出かけようとしたところ「誕生日のプレゼントに中古品とは信じがたい」と家内に言われ、僕も長男も「キョトン」としたことがある。そして結局のところ、当該のゲームソフトは新品を買った。

後年、既に物故した同級生が名のある出版社から小説の短編集を出していたことを同級生のメーリングリストで知らされた僕は、それをウェブ上の中古市場で探し、購入した。そしてそのことをこれまたメーリングリストを通じて皆に報告をしたところ「同級生の本を中古で買うヤツがあるか」と、同級生のひとりに呆れられた。

僕は、経済合理性しか考えない常識外れなのだろうか。そういう次第にて、中味が同じならできるだけ安いものを買う。本はほとんど古書でしか買わない。そしてメルカリには、しばしばamazonより安く古書が出ている。先般はそのようにして、メルカリで古書を買おうとした。

僕の知る限り、メルカリでは今年のはじめころから、利用者の完全を確保するため、買い物をすると、先ずは決済に制限がかかるようになった。その制限の解除には、15分間を待ってから所定の手続きをする必要がある。しかしその日に限っては、その解除がどうしてもできなかった。

メルカリで買い物をすると自動的に届く「あんしん支払い上限(決済上限額)が設定されました」という表題のメールを読んでいくと「メルカリ・メルペイをより安全かつ便利にご利用いただけるパスキーを設定いただくと、今後同様の決済保護は発生しません」とある。よってこの、6桁の数字によるパスキーを設定した。そしてそのパスキーを用いて再度ログインを試みると、今度はログインさえできなくなった。専用のエディタに保存した6桁の数字は、絶対に間違えていない。困った事態、である。

悶々としたまま十余日を経た今日になってようやく、この件につき次男に助けを求めた。次男は自分のできうることすべてをしてから、この問題についてはyoutubeをはじめウェブ上におなじ事例がかなり上がっていること、また最後はメルカリに解決策を求めるしか無いことを僕に教えた。僕は即、次男の言う通りのことをした。果たしてメルカリからは、役に立つ回答が戻るだろうか。


朝飯 ウインナーソーセージのソテー、冷や奴、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 長葱と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 「和光」のお通しの車麩と根菜の炊き合わせ、梅胡瓜、秋刀魚の塩焼き、鶏つくねのタレ焼き、麦焼酎「吉四六」(オンザロックス)

2025.9.3(水) 得意分野

目を覚まして数秒のあいだは、自分がどこにいるか分からなかった。開けたけたままの障子の、その先の白いレースのカーテンに朝日が差している。それを見てようやく、道の駅「うつのみやろまんちっく村」に、きのうから泊まっていたことに気づく。枕元のiPhoneによれば、時刻は5時49分だった。同室の、神戸から「日光MG」に来て下さったアカギタケノリさんは、どうやら僕より早く目覚めていたらしい。

いまだ6時前とはいえ、ゆっくりはしていられない。浴衣を服に着替え、洗面を済ませるなりアカギさんに挨拶をして部屋を出る。駐車場のホンダフィットには、夜露が降りていた。

そういえば昨夜は交流会場の「麦の楽園」を出るころに雨が降りだし、露天風呂ではその、まるで夕立のような雨を嬉しさと共に浴びた。雲の中では雷が盛んに光っていた。その、きのうの夜の雨をすっかり忘れさせるような、今朝の晴天である。

徳次郎の入口から日光宇都宮道路の下り線に乗ると、間もなく右手に見えてくる篠井の里山にはその裾に霧がたなびいて、たいそう美しい。しかし当方はハンドルを握っていることもあって、その景色を心ゆくまで眺めるわけにはいかない。

朝食はコンビニエンスストアで買ったおむすび。味噌汁の出汁は、きのうから引いておいた。いつものように7時40分に事務室のシャッターを上げる。8時の朝礼を済ませて後は配達係のイザワコーイチさんと共に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ本日1回目の配達。8時20分に会社に戻ったら開店の準備。開店時間は8時30分でも、準備が整えば僕は店を開けてしまう。販売係の面々は8時50分には出社をする。彼女たちに店を引き継いで後は事務室にてあれやこれやする。

上澤梅太郎商店は10月29日より11月4日まで、日本橋新宿高島屋の8階で開かれる「グルメのための味百選」に参加をさせていただく。そのご案内のお送り先の特定を、11時より4階の食堂にて始める。この仕事は複雑かつ精密さを求められるもので、だから電話が鳴ったり人が来たりする事務室ではできないのだ。

顧客名簿からその時々の条件式を以て特定のお客様を抽出することを僕は得意としている。年に何度か巡ってくるこの仕事においては、そのたびごとに気づくことがあり、だからそのたびごとに正確性は増し、作業性も向上していく。以前は2、3時間を要していたものだが、今日は1時間で終えることができた。

午後はまた事務室にてあれやこれやし、15時30分に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日最後の配達をする。今日の販売係は17時の退社。以降は閉店の17時30分までひとりで店に立つ。なお、閉店は17時30分でも18時までは扉を開け放ったまま掃除をするから、お客様がいらっしゃれば勿論、ご対応をさせていただく。社員は、残業がなければ18時10分までには全員が帰宅の途に就く。

本来であれば「日光MG」の行われている道の駅「うつのみやろまんちっく村」に顔を出し、交流会につきあい、泊まるべきではあろう。しかし体力の温存を考えて、今夜の移動はしないこととする。


朝飯 「セブンイレブン」の2種のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 揚げ湯波の甘辛煮と長葱のつゆで食べる素麺
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリのカラシ和え、ピータン、油淋鶏、エビ塩焼きそば、麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)

2025.9.2(火) 秋の野菜

たまり漬の原材料としての茗荷は、秋田県の能代産を長く使ってきた。ところが気候の変動によるものか、ここ十数年ほどは列島のあちらこちらに局地的な大雨が降る。夏や秋の野菜は、大雨や長雨に見舞われると一気に高騰する。その値動きが極端になってきたため、2012年からは、茗荷は近隣の農家より手当をすることにした。そしてその季節が今年も来た。

午前、蔵では製造係のイトーカズナリ君が、届いたばかりの茗荷を流水で洗うと共に、余分な皮や芽を剥いたり抜いたりしていた。こうして形を整えられた茗荷は軽く水切りをしてから塩に漬ける。この秋も、新鮮な茗荷が多く集められれば幸いである。

9月に仕入れる原材料としては、他にしその実が挙げられる。こちらの下処理には大がかりな装置が必要となるため、茗荷とはすこし時期をずらして今月の8日より買い入れを始めることにしている。それからしばらくは、蔵はもちろんのこと、事務室や店舗の裏口にまで、その香りが満ちることだろう。

さて今日は上澤梅太郎商店が主催する研修「日光MG」の前夜にて、遠方からの参加者は前泊をされる。そういう次第にて、18時に終業の後は売上金を集計して金庫に納めたところで1泊分の着替えを手にホンダフィットに乗る。今回の会場は道の駅「道の駅うつのみや ろまんちっく村」に定めた。

その中の食堂「麦の楽園」にはマネジメントゲームの創始者である西順一郎ご夫妻をはじめ、遠くは神戸、大阪、また新潟や静岡からいらっしゃった15名様に加えて家内と長男が、既にして食事中だった。その中に僕も加わって、久しぶりに歓談をする。

「日光MG」は当初、会社を二日のあいだ休み、経営者と社員の全員が参加をしていた。しかしこのところは秋野菜を以前より多い日数で仕入れるようにしたこと、また新型コロナウイルスの問題が起きて以降は卸売りが増え、その準備と配達を休まず続けるため、9月の「日光MG」に限っては、会社を休まないこととした。

というわけで、今回の会社からの参加は家内と長男のみ。僕は明朝にトンボ帰りの予定である。


朝飯 隠元豆の胡麻和え、スクランブルドエッグ、茄子の揚げびたし、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ズッキーニとオクラの味噌汁
昼飯 納豆とオクラのつゆで食べる素麺
晩飯 「麦の楽園」の「いっこく野州鶏のてりやき丼」、VIDA ORGANICA CHARDONNAY 2024

2025.9.1(月) 36℃

7時40分から10時40分までの忙しさは筆舌に尽くしがたかった。そうして内田百閒流にいえば…、と脱線をしていては日記が長くなるから割愛をして、10:53発の上り特急に乗るべく東武日光線の下今市駅へと向かう。

今日の予定は、先ず日本橋の銀行で残高証明の取得を申請する。次はトリッペン原宿店訪ね、22年のあいだ愛用してきたトリッペンの短靴”sheet”を修理に出す。そこまで履いていったそれを預けた後は、持参したゴム草履に履き替える。というものだった。

ところが駅ちかくの駐輪場に自転車を駐め、スタンドを降ろそうとしたところで靴はジャングルモック、ということに気づいた。あまりの忙しさにより、事務室に準備したトリッペンには脇目も振らず、普段履きに足を入れてしまったのだ。

とすればゴム草履はもはや必要ない。というわけで、それはトートバッグから取り出して、自転車のカゴに残置する。

今日の東京の最高気温は36℃とのことだが、僕にとっては「暖かくて快適ですね」くらいのところだ。銀行での用事は30分ほどで完了した。最寄り駅は外苑前というトリッペン原宿店へは行けなくなったものの、観たいものがあったため、三越前から地下鉄銀座線に乗り、表参道で地上に出る。

欅並木のだらだら坂は、いつの間にか高級ブランド店ばかりの街に様変わりをしていた。折角の石垣をステンレス製の柵で覆ったエルメスのファサードには「どうなんでしょうね」という疑問を禁じ得ない。

表参道と山手通りとの交差点を左に折れて、更に路地へと入り込む。そして”GR SPACE TOKYO”にて森山大道の写真展「in TOKYO」を観る。「やっぱ、いいなー」である。壁の年譜によれば、森山大道は今年で87歳。その健在ぶりには驚くばかりだ。

「折角ここまで来たからには」と、ちかくのクラークスとビルケンシュトックで、このところ気になっていた靴を試し履きする。どちらの店員もしごく丁寧に接してくれはしたものの、申し訳ないことに、いずれも購入には到らなかった。僕にとって最高の靴は、やはり”trippen”を措いて他には無いのだ。

ビルケンシュトックの店のちかくには幸い、地下鉄の構内に降りる口があった。そこで炎天と別れて千代田線に乗り、国会議事堂前で丸ノ内線に乗り換えて東京駅に到る。時刻はいまだ17時より前にもかかわらず、早くも空腹を覚えている。それを幸いとして軽く飲酒活動をする。

北千住では小一時間ほどの余裕があったため、少々の買い物をする。そして19:19発の下り特急に乗って、21時過ぎに帰宅を果たす。


朝飯 豚挽き肉と夏葱とピーマンの中華風炒め、生玉子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「酢重ダイニング」のお通しの胡瓜の醤油豆添え、刺身の盛り合わせ、芝霧豆による豆腐の冷や奴、「酒千代野」の「川中島特別純米」(冷や)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学