2025年10月の日記31本
2025.10.31(金) 変わる天気
ひさしぶりの3時台の起床。仏壇に花と水とお茶と線香を供えたのは4時3分。このくらい早く起きないことには、ひとりの時間を愉しむことはできない。
おとといは指先のアカギレを覆うための「キズパワーパッド水仕事用10枚入り」をamazonに検索し、在庫のすべてを注文した。これだけあれば、この冬のあいだくらいは保つだろうか。朝に飲んでいるサプリメントにビタミンEを加えたのは、今週の月曜日だった。手持ちの120錠は来年の2月には枯渇をする。よって他のビタミン剤についても、残りを調べてみることにしよう。
さて店の釣銭は、タイへ行く直前の9月24日に銀行で作ってもらい、その5,000円札や1,000円札、また500円から10円までの硬貨は今月の17日まで三週間以上も保った。しかしその17日に作った釣銭は、二週間後の本日に尽きようとしている。紅葉狩りの人出も、だから上澤梅太郎商店のお客様の数も、いよいよ佳境に入ってきたらしい。
種銭を銀行へ持参し、釣銭を作ってもらうことは、明らかに非生産的な行いだ。しかし僕は、この仕事が嫌いではない。現金が入ってくるからこその釣銭つくり、だからだろう。
午後もなかばを過ぎるころに雨が降ってくる。「そうだった、予報によれば晴天は木曜日までで、以降は週末も含めて雨だった」と、何日か前に見た天気予報を思い出す。そしてそれを店で口にすると「それが、週末も晴れに変わったようですよ」と販売係のサイトーミホコさんに教えられた。
スマートフォンの天気予報を開くと確かに、明日の土曜日から来週の水曜日までは、時に降ったり曇ったりはあっても、太陽のアイコンが続いていた。多いに有り難い。
朝飯 目玉焼き、納豆、菠薐草のおひたし、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 バンブー、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、スパゲティボロネーゼ、Chablis Billaud Simon 2018、二種のチョコレート、Old Parr(生)
2025.10.30(木) 予感
きのうの日記に書いた仏壇の掃除には、朝の貴重な時間を30分も費やした。しかしまぁ「子ども叱るな、来た道だ」である。更には、子どもは地球の宝である。そう考えれば、朝の余計な仕事も、どうということはない。
11時を過ぎたところで喉に渇きを覚えて四階の食堂へ行く。番茶を淹れるうち、家内が電源を入れたらしいテレビに、日本橋タカシマヤの8階で催されている「第46回味百選」の様子が映し出された。現場には長男が出張をしている。会期は、きのうから来月3日の文化の日まで。番組では上澤梅太郎商店の商品も、有り難いことに、かなり詳しく紹介をされた。今日の午後は、ことによると予定より多くの商品を日本橋へ送り込むことになるやも知れない。
事務室に戻って周囲に訊いてみたところ、テレビで特に紹介をされた、ナッツとドライフルーツのたまり漬「山のにぎわい」が、ウェブショップで売れ始めているとのことだった。在庫を枯渇させてはいけないため、嫁のモモ君は何やら計算をして、その納期を事務係に伝えた。
今年の胸突き八丁の、いよいよ近づいてきた感じがする。
朝飯 茄子の揚げびたし、トマトとピーマンのソテーを添えた目玉焼き、納豆、鮭の昆布巻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 菠薐草の胡麻和え、夏太郎らっきょう、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、おでん、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、お菓子、Old Parr(生)
2025.10.29(水) イチジクのジャム
納税関係の書類を会計事務所へ届け、そこから銀行へまわり、更に郊外のユニクロへ行く。現在は、半袖のポロシャツに長袖のTシャツを重ねている。しかし11月も間近となれば、いつまでこの格好を続けるわけにもいかない。
ユニクロのヒートテックタートルネックTは随分と重宝をしたものの、ここ数年は九分袖になってしまたったため、買っていない。中途半端な裄丈は手首のあたりが気持ち悪くて好きでないのだ。
今年の男物のヒートテックタートルネックTは、カシミアブレンドの高いもののみになっていた。子供のころアトピー性皮膚炎に悩まされた身からすると、ウールが混紡された下着には手が伸びない。それでも一応は試着をしてみる。Mサイズは九分袖が気持ち悪い。Lサイズは袖の具合はよろしいものの、裾が長すぎる。つまり帯に短したすきに流しで、やはり買う気にはならない。
一方、女物のヒートテックタートルネックTにはカシミアブレンドでない従来のものがあり、しかも袖は長袖だ。よってこのXLを試しに一着だけ買うことにして、無人のキャッシュレジスターを通す。
夕食を終えると、孫たちは食堂の隣で遊びを始める。僕はいまだ食事の最中ではあったものの、孫のシンに呼ばれ、手を引かれて応接間の仏壇の前に連れて行かれる。仏壇に線香を供えることもまた、彼らの遊びのひとつである。
そうして小学三年生を筆頭とした三人の遊んでいるあいだに入浴を済ませ、応接間に戻ってふと仏壇に目を遣ると、線香立ての灰が盛大に散っている。ちかくにいたシンに「息を吹きかけたのか」と訊いても彼は立ちつくすのみにて何も言わない。子どもながらに「まずいことをしてしまった」と感じているのだろう。
掃除は明日の早朝に僕がすることとして、早々に寝室に入る。
朝飯 鮭の昆布巻、スクランブルドエッグ、茄子の揚げびたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 人参とベビーリーフのサラダ、二種のパン、無花果のジャム、マカロニグラタン、Chablis Billaud Simon 2018
2025.10.28(火) バス旅行
自由学園男子部の寄宿舎「東天寮」で暮らしていた1970年代の前半には、10月になると、そこが東京であるにもかかわらず、朝の体操の時間には吐く息が白かった。それから半世紀を経た現在では、標高にして350メートルほども高い日光市今市地区でも、そして10月の末が近づいても、いまだ息が白くなるということはない。
先日は、店の休憩場所でお茶をお飲みのお客様に「ずいぶんと日が短くなったね」と話しかけられた。「そうですねぇ、来年の夏が待ち遠しいです」とご返事をしたところ「えっ、あんなに暑くても」と、お客様は大いに驚かれた。そこで僕は、いつもこの日記に書いている、秋から冬にかけての季節が嫌いな理由と、夏の好きな理由をご説明させていただいた。将来、冬でも一枚でこと足りる服が発明されれば、僕の冬嫌いも、すこしは緩和されるかも知れない。
13時30分に四階の食堂へ上がって素麺を煮ながらふと窓の下の国道121号線に目を遣ると、大型バスが駐まっていた。しかし乗客の姿は見えない。「さて何だろう」と疑問に思ったものの、連絡もないところから、そのまま昼休みに入った。
一時間後に店に戻って販売係のサイトーミホコさんに訊ねたところ、そのバスのお客様はみな様、買い物をしてくださったとのことだった。それを聞いて、昼の人員の少ない時間によくもまぁ接客を頑張ってくれたものと、有り難く感じた。新型コロナウイルスの蔓延によって途絶えたバスによる旅行も、このところはようよう元に戻ってきた気がする。
町内の役員が親睦旅行のために積み立てているお金は、これまた新型コロナウイルスの蔓延中に貯まりに貯まり、昨年の3月に一旦、各自に返された。しかし同年4月より再開した積立により、またまた結構な額が貯まりつつある。一方、今年は公民館の修理に関する話し合いに紛れたか、旅行は行われなかった。とすれば、次の旅行は来年の春になるだろうか。またまたお流れにならないよう、今年のうちからある程度は詰めておいた方がよろしいと思う。
朝飯 菠薐草のおひたし、秋刀魚の梅煮、茄子の揚げびたし、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、二種の茸と揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 鮪の鮨、巻き寿司と稲荷寿司、らっきょうのたまり漬「つぶより」(半割り)、ごぼうのたまり漬、「山本合名」の山廃純米「天杉」(燗)、栗のパイ、Old Parr(生)
2025.10.27(月) ひさかたの
夜の明ける直前の空を食堂の窓に認めて屋上へ上がる。屋上の、防水処理を施した床は一面が塗れていた。夜に雨が降ったらしい。南東の空には、現在は里山の向こうに隠れている太陽によるものだろう、三本の青い光が上へ向かって伸びている。その光の帯の届かない藍色の中天には、いまだ金星が明瞭に見える。久方ぶりの晴天、である。
8時からの朝礼が済めば即、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ売り場の掃除と納品のために行く。しかし今日に限っては、蔵の中を通り抜け、外へ出て隠居の柴折り戸を押す。そして勝手口から屋内に入り、きのうの日記に書いた暖房絨毯を、係のタカハシリツコさんと個室「杉の間」のテーブルの下に敷く。
「杉の間」は北西に面して庭は望めないものの、周囲とは隔てられていて、とても落ち着く。そのことにより、こちらでの食事を望まれるお客様も、ときにはいらっしゃるのだ。
9時30分に、十数年前より仕事を頼んでいる保険の専門家が来る。それから2時間ほどは四階の応接間にて、社員の福利厚生も含めての話し合いを、長男を交えて三人でする。もっとも僕だけは、ご予約をいただいていた団体様がバスでお見えになる10時30分に店に降りて、販売の手伝いをした。
今日は一般のお客様も多く、バスの団体様も二組がお入りになり、売上金額は、日曜日だったきのうのそれよりよほど多くなった。スマートフォンの天気予報によれば、今週は木曜日まで晴れ。金土と雨が降るのは困りものながら、日月は晴れが戻るとある。
紅葉は、部屋の中から、あるいは温泉旅館の露天風呂から愛でるなら雨の日にも悪くはない。しかしやはり、晴れた空を背にしてこそ映える気がする。これから勤労感謝の日までは、できるだけ晴れて欲しいと思う。
朝飯 穴子の佃煮、納豆、揚げ玉、明太子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 “THE FLYING-GARDEN”のクレソンサラダ、ハンバーグドリア、カラフの赤ワイン
2025.10.26(日) 暖房
朝のテレビの天気予報によれば、秋雨は、例年であれば10月の半ばを以て収束をするところ、今年は直近の10日間だけを見ても、ずっと雨が降り続いているという。雨は必要。とはいえできれば夜に降って、昼は晴れて欲しい。
午前の終わり頃に、おとといの日記に書いた暖房絨毯が届けられたため、すぐに隠居へ運ぶ。明日は奧の個室「杉の間」での食事を望まれる客様がいらっしゃる。そのお客様のための暖房である。
今日は日曜日にもかかわらず、出勤できた販売係は三名のみ。よって長男は朝から販売の手伝いに入る。僕は昼休みは取らず、昼食は事務室でそそくさと摂って、2時間ほどは店に立った。
13時30分より、僕に長男と製造部長マキシマトモカズ君を加えた三人で蔵に入る。そしてその内外を巡りつつ、固定資産台帳兼減価償却額明細書と現物を突き合わせていく。この結果を会計事務所へ持っていけば、今年の決算業務は完了。二週間ほども待てば、決算書が届くはずだ。
傘を必要とするほどの量でないところが助けといえば助けだが、雨は降り続き、午後の街を往くクルマはおしなべて、ヘッドライトを点けている。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に13時の配達を済ませたイザワコーイチさんには、本日中に三度目の納品が必要と言われていた。
それを受けて15時30分に、過分とも思われる商品をホンダフィットに積み、道の駅の業者用駐車場へ行く。持参した商品はすべて、裏手の冷蔵庫に収まってしまった。道の駅から会社へ戻るなり、明日に納めるための商品別数量のメモを、包装主任のヤマダカオリさんに手渡す。この時期の商品の売れ方には、まったく油断がならない。
終業後は、この一週間の売上金を集計する。紅葉狩りの混雑の最終日、つまり勤労感謝の日のからむ連休までに、お客様の出足はどのように増減するだろう。週末よりも晴れた日が勝負、というような気もする。
朝飯 トマトとピーマンとウインナーソーセージのソテー、カレー、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 カレー南蛮鍋、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、エクレア、Old Parr(生)
2025.10.25(土) 秋雨いまだ衰えず
上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」が満席であるにもかかわらず、更に予約を承ってしまい、そのお客様にお詫びの電話をしている夢を見ながら目を覚ます。僕が見るのはこんな夢ばかりだ。
早朝、隠居の床の軸を換えるきのうの日記を書きながら、コンピュータにデータベース化した掛け軸の、隠居に飾る順番を再考する。前にも書いたことだが、ウチには大した掛け軸が無い。だからそれらをやり繰りするには、相応の工夫が必要になるのだ。
その隠居に12時30分の予約を入れてくださっていたお客様が、早くも11時15分に本店に見える。神奈川県からクルマでお越しのお客様で、多分、想像されたより道が空いていたのだろう。隠居に電話を入れると、ちょうど前のお客様が帰られたところだという。それをお伝えすると、その三名様は心底安心をされたご様子だった。僕は三本の傘をご用意し、お客様を隠居の玄関までご案内する。
2003年に購入したtrippenの短靴Sheetの、歩くたび皺の寄る場所が、今年に入って遂に亀裂になった。トリッペン原宿店に修理に出したのは先月9日。以降はLINEでやり取りをしてきたお店の人から先日、修理が完了した旨の案内があった。僕はそれへの返信の中で、先月9日にお店で見て気になった新しい短靴Ernieが、迷っているうちウェブショップでは売り切れてしまったことを悔いた。そうしたところ、僕にちょうど良いサイズのものが一足だけ原宿店に残っていると知らされて「だったら」と、注文をした。
午後、22年のあいだ履き続けたSheetと真新しいErnieが佐川急便により届いた。trippenの靴はもう一足、2010年から修理を重ねつつ履き続けているScooterがある。三足が揃えば、trippenはこれにて打ち止め。これ以上の革靴は、死ぬまで買わないかも知れない。
雨模様のため、また帰るころには暗くなっているだろうから、今日は徒歩ではなく、15時50分にホンダフィットに乗る。そして総鎮守瀧尾神社での、16時からの会議に責任役員として参加をする。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと大根と玉葱と揚げ湯波とウインナーソーセージと玉子と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2018、シュークリーム、Old Parr(生)
2025.10.24(金) 冬に向かって
必要があって、コンピュータではなく、便せんにペンで手紙を書く。難しいのは、その便せんを三つ折りにすることだ。今日のそれは上手くいった。そしてそれを封筒へ収め、宛先と差出人をこれまたペンで書き、切手を貼る段になって、現在の切手代を検索エンジンで調べる。子供のころからしばらく前までは、郵便の料金はごくたまにしか上がらなかった。しかしこのところは、僕の感覚としては頻繁に値上がりし、しかも一円単位の端数がついたりするから、まったく覚えられないのだ。
その手紙を手に、先ずは家内と郵便局へ行く。そこから如来寺のお墓へまわりる。オフクロの祥月命日の前日、つまり今月14日に供えた花を片づけるべく17日にお墓を訪ねると、花はいまだ生き生きとしていて、勿体ないから、そのまま引き返した。花は、それから一週間を経ても、さして変わっていない。しかしこれ以上の手間をかけることも憚られ、今日こそは処分をすることとして、花立ても洗う。
次に向かったのは家電の量販店にて、「汁飯香の店 隠居うわさわ」の個室「杉の間」のための暖房絨毯を買う。隠居はお客様のご意見を容れて、今春よりテーブルの配置を換えた。そのことにより、今秋からは更に一枚の暖房絨毯が必要になったのだ。絨毯は、明後日には配達をされるという。
13時よりセキネクリニックからセキネケーイチ先生と助手の方が会社に見えて、本日出社している社員および経営者は、インフルエンザの予防注射を受ける。休みの社員は後日、各自でクリニックを訪ね、おなじ予防注射を受けることになっている。冬のあいだの社内をできるだけ健康に保つための、福利厚生である。
今日は予防注射の日、というわけで、社員の数は多い。よって倉庫の棚から羅漢山人の「大黒天之図」を引き抜き、その桐箱を抱えて隠居へ行く。そして今月10日より床の間に掛けてあった田崎早雲の「巌菊之図」を「大黒天之図」に換える。恵比寿講は、旧暦では今月の20日。新暦では、今年は12月9日がその日に当たっていただろうか。「大黒天の図」は11月10日まで飾り、次の営業日つまり11月15日からは谷文晁の「福神恵比寿の図」に掛けかえる予定にしている。こうして時は、どんどん過ぎていくのだ。
朝飯 菠薐草のおひたし、納豆、若布と玉葱の酢の物、目玉焼き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬(たて刻み)、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 ホットドッグ、コーヒー
晩飯 空心菜のコモトリケー君行きつけの総菜屋のソース炒め、春雨の中華風炒め、焼き餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2025.10.23(木) 逆算
髪を短くしたフランスの綺麗な女の人が閉店間際にいらっしゃって、とんでもない量の、お持ち帰りの品をご注文くださった。しかしその時間からそれらすべてを揃えることには、かなりの難しさがある。自分は先ず何をどうすべきか。そういう焦燥に満ちた夢を見ながら目を覚ます。シャム海に浮かぶヨットの上で、のんびり本を読んでいる、などという夢は決して見ないのはなぜだろう。
先週金曜日の日記に書いた証明写真を得るため、11時15分に近所の赤羽写真館へ行く。現行の健康保険証は12月1日から使えなくなるとのことだから、マイナンバーカードは11月中に得る必要がある。来夏に期限の切れるパスポートも、その残存期間を考えれば、これまた11月中には新しいものが欲しい。
午後、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場の検品も兼ねて、ホンダフィットに乗る。日光市役所に、二葉の写真を添えてふたつの申請を終えたのは14時5分。待ち時間は30分と伝えられたものの、実際には20分ですべては完了した。マイナンバーカードはひと月からひと月半、新しいパスポートは11月7日に発行されるという。
「経営は逆算である」と、一倉定は言った。遊びもまた、逆算である。来春の航空券は、師走より前に注文をしようと思う。
朝飯 豚のたまり漬「栃木県壬生産のしょうがです」炒め、スクランブルドエッグ、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬(たて刻み)、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとベビーリーフのサラダ、キャロットラペ、じゃがいものグラタン、ミートボールとマッシュルームのデミグラスソース煮、Chablis Billaud Simon 2018、チョコレート、Old Parr(生)
2025.10.22(水) いちばん好きな時間
「ウワサワさんが一番好きな時間って、いつですか」と、今はもう生きていないある人に訊かれたことがある。「尻のポケットに文庫本を入れて、さぁ今夜はどの飲み屋へ行こうかと、街を歩いているときです」と、僕は答えた。「いちばん好きな時間」は、その質問を受けた三十数年前も今も変わっていないような気がする。
「さぁ、今夜はどの飲み屋へ行こうか」と街に繰り出す季節は夏が最高だ。あたりはいまだ明るく、着ている服は薄くて軽い。そのときたずさえている本が文庫本でなければ尻のポケットには入らず、手に重かったりする。それもまた、悪いことではない。
僕の本は酒に濡れたり肴の汁が垂れたりで、汚れることが少なくない。だからキンドルにはいまだ手が伸びない。今日の終業後に持ちだした本も、気になるページは二つに折られ、またあちらこちらのカウンターに開いたまま伏せたことにより、徐々に貫禄がついてきた。残りのページはいよいよ少なくなり、内容は終末に向かって順調に進んでいる。
そうして今夜の飲酒活動を締めて外へ出る。日光街道の頭上に張り出した電光掲示板には「11月1日から3日のあいだは、いろは坂の渋滞を避けるため、付近の県営駐車場は閉鎖される」旨が示されている。「観光客が殺到するから、観光客のための駐車場は閉鎖する」とは絶対矛盾的自己同一なのかどうかと考えても、酔った頭ではよく分からない。まぁ、酔っていなくても分からないだろうけれど。
朝飯 納豆、生玉子、上げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬(たて刻み)、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「食堂ニジコ」のピータン、きゅうりのカラシ和え、チャーハン、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2025.10.21(火) 着ぶくれ
きのうの日記にも書いたことだが、今日からすれば三日前になる18日の日記が、その最上部に置く画像が定まらないため、いまだ公開できずにいる。それを求めて11時すぎに隠居へ行く。隠居の落ち葉でもっとも美しいのは、柿の木からのそれだろう。しかし結局は、大きな庭石に吹き寄せられた、他の葉の自然なありさまをiPhoneで撮る。その足で数日前より求められていた書類を会計事務所へ届け、また17日の日記に書いた赤羽写真館を訪ねて、証明写真の撮影の予約をする。
なお日記のことばかりで恐縮ながら、18日の日記に「道の混雑も、また上澤梅太郎商店の混雑も、いまだそれほどのものではない」と書いた。しかし今日の店はなぜか賑わって、売上金も結構な額に達した。紅葉狩りの観光客は今日を境として一気に増えるのだろうか。あるいは今日の数字は、ただの偶然だったのだろうか。
天気は相変わらず秋晴れにはほど遠く、連日のように冴えない。気温も低く、日中でさえ半袖のポロシャツに長袖のTシャツだけでは外へ出る気にならない。よって昼食のため自宅へ戻ったついでにタンスの扉を開け、春にクリーニング屋から戻った、いまだビニールカバーに包まれたままのコーチジャケットを出す。
「著ぶくれ」は、稲橋汀子の「ほととぎす季寄せ」では冬12月のページにあった。年間を通して半袖一枚で暮らしたいと考えても、日本ではそれはできかねる。「はやく夏が来ねぇかな」と思う。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、鮭の焼きほぐし、梅干、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬(たて刻み)、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「婦美のや」の烏賊の塩炒め、鶏レバの四川風炒め、担々麺、他あれこれ、紹興酒(冷や)、泡盛(生)
2025.10.20(月) 歯科治療
きのうの就寝は20時前。今日の起床は3時1分。おととい18日の日記は既にして書けている。しかしその最上部に置く画像が用意できていないから、いまだ公開はできない。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」へのインターネットを介してのご予約を承り、きのうの日記を完成させても朝食の準備を始めるまでにはいまだ1時間30分もある。そこできのう届いた有料のメールマガジンを読み、それでもまだ時間はあるから、今年の5月からタイで読み始め、9月と10月にもタイでも読み継いできた「権力者と愚か者」の、徐々に少なくなってきた残りのページを読む。
ところで右奥上の、治療済みの三本の歯のうちのいずれかが関係していると思われる鈍い痛みを感じるようになったのは、八月のことだった。かかりつけのソーマ歯科室のソーマ先生によれば、僕の噛む力は常人に比して異常に強いらしい。食べものを噛むときには右ばかりを使う。更には食感の強いものを好む。だから僕の歯の治療は右の奧に集中している。
痛みは常にあるわけではなく、柔らかくないものをよく噛んで食べたときにのみ感じる。その頻度は週に一、二度くらいのものだろうか。しかし不安は不安で、だからタイにいるときにも食べものには気をつけていた。
ソーマ歯科室は人気の歯科医院で、予約は先までふさがっている。先月13日にウェブ上のカレンダーを見て、ようよう取れたのが今日の予約である。
僕が痛みを訴えるあたりの複数本の歯を調べながら、先生はそのちかくに新たな虫歯を見つけた。よって今日はその歯のみを治療し、痛みの元となっているらしい、過去に治療をした歯の処置は後日に回すこととなった。この治療のための通院は三回。一年のうち最も忙しくなる11月と12月の日程調整は、慎重に行う必要があるだろう。
北千住18:33発の東武線下り特急は、下今市には20:03に着く。ところが眠っていたわけでもないのに、そのリバティけごん43号は、気づくと下今市を出て日光へ向かっていた。幸いだったのは、乗った列車が最終でなかったことだ。折り返しの20:43発の南栗橋行きへ乗り、上今市には20:49着。徒歩による帰宅は20時57分。入浴をして21時37分に寝室に入る。
朝飯 ニラのおひたし、茄子の揚げびたし、目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬(たて刻み)、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「古澤酒造」の「天風からくち」(燗)、チューハイ
2025.10.19(日) 屋台まつり
深更にいちど目を覚ましたものの幸い二度寝ができて、次はトランプが中間選挙に負けた夢を見ながら目を覚ます。
食堂できのうの日記を書くうち、夜が徐々に明け始める。とはいえ朝日による紅い帯は東の空のもっとも低いところに細く横たわるのみで、そのすこし上から天頂、更に西の空までは分厚い雲に覆われて暗い。
開店前からお客様のクルマの駐車場に駐まっていることを、製造部長のマキシマトモカズ君が知らせてくれる。僕は外へ出て、店は今すぐに開ける旨をお伝えする。お客様には販売係の出社する前の店内で、くつろいでいただくことができた。
11時がちかづくころ、配達係のイザワコーイチさんが朝一番で納品をしてくれた道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に、商品の減り具合を見に行く。今日はさきおととい16日の日記に書いた「今市屋台まつり」の日にて、我が春日町一丁目の屋台は各町内の屋台が年がわりで展示される道の駅の屋台庫から、春日町二丁目のそれと共に曳き出されたところだった。
各町内の屋台はこれから日光街道を下り、あるいは上り、小倉町の交差点からJR今市駅に通じる道に集合してお囃子の競演が行われることになっている。
午後も半ばを過ぎるころより、空から降りてくる光の量が極端に少なくなる。道を行くクルマは、おしなべてヘッドライトを点けている。傘は必要としないものの、雨合羽を着なければ確実に服を濡らすほどの雨が降ってくる。
日曜日の終業後は、一週間分の売上金を集計して、ひとつの袋にまとめる。そのうち既にして降ろされているシャッターの向こうから、お囃子が聞こえくる。通用口から外へ出て、灯りを点された提灯、そのまわりの人たちの半纏を確かめると、それは隣の春日町二丁目の屋台だった。
一旦、事務室へ戻って先ほどの仕事の続きをする。するとまたまた太鼓の音が聞こえてきた。僕はまたまた外へ出て店の駐車場を横切り、春日町交差点に近づく。日光街道を遡上してきた屋台は、今後こそ春日町一丁目のものだった。直会には温め酒が準備されるだろうか。しかし今の人たちは、たとえ寒くてもビールを好むかも知れない。
お祭の面々の、風邪などひかないことを祈るばかりである。
朝飯 カレーライス、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬(たて刻み)
昼飯 にゅうめん
晩飯 豚薄切り肉と厚揚げ豆腐と菠薐草の鍋、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬(たて刻み)、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.10.18(土) 紅葉はいまだ
きのうの朝のこともあって、今朝の仏壇への水とお茶は、お盆を片手に持って斜めから、ではなく、両手に持ったお盆を正面から供えた。これからは、この形で行こう。
6時に上がった花火は、僕の卒業した今市小学校の運動会が、予定通り開かれることを報せるものだ。家内は隠居の仕事があるため、残念ながら孫の演技を見に行くことはできない。僕は元より子煩悩や孫煩悩な性格ではなく、だから普段の仕事に従うまでだ。
日光が紅葉狩りの観光客で賑わうのは毎年、体育の絡む連休から勤労感謝の日の絡む連休までの六週間。今朝のテレビのニュースは、朝晩の寒暖差や適度の湿り気により、今年の紅葉は数年に一度の美しさと伝えていた。しかし道の混雑も、また上澤梅太郎商店の混雑も、いまだそれほどのものではない。きのうから今朝にかけて湯西川にお泊まりだったというお客様によれば、それだけ標高の高いところでも「紅葉はまだまだ」とのことだった。
その状況を受けて、午後は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、僕がタイに出かけて以降の先月27日から直近の今月13日までの、お客様が記してくださった感想カードの内容をコンピュータにデータベース化する。三週間分の入力には嬉しいことながら、結構な時間を要した。
さて明日は日曜日にて、お客様の数は、今日より格段に多くなるだろう。人が遊んでいるときに仕事をすることは、好きな行いのひとつである。
朝飯 鮭の焼きほぐし、揚げ玉、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬(たて刻み)、Old Parr(ソーダ割り)、プリン
2025.10.17(金) 本職の仕事
仏壇に供えるためのお茶を淹れながら、東の空に目を遣る。その色は、いまだ最高のところまでは達していない。「まだ暗い。しかしもうすぐだ」と、屋上へ上がる頃合いを計りつつ、専用のお盆に載せたお茶と水を応接間の仏壇に運ぶ。天井の灯りは点けていないから、あたりは薄暗い、というよりも明瞭に暗い。その暗さの中で、はじめてのことながら、お盆を傾けすぎてお茶と水の器を仏壇の中に倒して落とす。
「さて一大事」とばかりに遅まきながら灯りを点け、台所の食器棚から複数枚のタオルを取り出し仏壇に戻る。数ヶ月分はあっただろう線香は全滅。しかし線香立ての灰は幸いにも無事だった。そして茶碗に二杯分の水分をタオルに吸わせ、うっすらと残った水滴はティッシュペーパーで完璧に拭く。
その行いは仏壇の最下段を水拭きするようなもので、つまり大きな掃除はお盆の直前にしたきりの仏壇が綺麗になって良かったと思えば、そう思えないこともない。そしてそんなことをしていた25分のあいだに空は白々として、見ごろはすっかり失せていた。
朝礼の後は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と納品。9時には銀行へ出かけて種銭の釣銭への両替を頼む。会社に戻ったら母屋の倉庫に保管した暖房絨毯を朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ運び、係のタカハシリツコさんに助けてもらいつつ、庭に面した六畳と八畳に敷く。
さて僕も、いよいよマイナンバーカードを作らなければならない。パスポートの有効期限は来夏に迫っている。よって両者のための顔写真を撮ってもらうべく、隠居からは目と鼻の先の赤羽写真館へ行く。「証明写真なんて、今やスマートフォンでも撮れるじゃねぇか」と言われれば、公に用いる写真は本職に任せたいのだ。しかし写真館の入口は閉まっていた。どこかの運動会へでも出張撮影に出たのかも知れない。
午後は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ納品をしながら如来寺へ寄り、お十夜のお布施を置く。ついでに火曜日に供えた花を片づけるためお墓へ回る。一双の花は冷涼な気温に助けられてか、三日前とおなじ新鮮さを保っていた。よって花立ての水を換え、線香立ての周辺を水で洗ったのみにて駐車場へ戻る。
銀行では、午前に両替を頼んだ紙幣や硬貨を受け取る。また、そこにほどちかい仏壇仏具の店で線香ひと箱を買う。帰りに赤羽写真館の前まで来ると、今度は開いていた。そこでクルマを駐めて店に入り、証明写真について、館主のアイバさんにあれやこれや訊く。写真は、一週間以内には撮ってもらうつもりである。
朝飯 青パパイヤのサラダ、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、韮のおひたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 スパゲティボロネーゼ、Chablis Billaud Simon 2018、パウンドケーキ、Old Parr(生)
2025.10.16(木) 五割増し
日光市今市地区の多くの町内は、江戸末期に建造された彫刻屋台を持っている。その屋台が街へ一斉に繰り出す屋台まつりが三日後に催される。我が春日町一丁目は今月5日に屋台庫まわりの草刈りをし、12日には屋台に雨屋を取り付けた。後は本番を待つばかりではあるものの、町内の人数の少なさを補ってくれる助っ人の弁当は、いまだ手配されていない。
「お祭とは畢竟、飲ませ食わせだ」とは、僕が当番町会計を務めた二十数年前に公民館長をしていたハガカツオさんの喝破したことだ。その言葉を心に強く留めている僕は、大膳ではないから動く必要はないものの、気が気ではない。
10時30分から社内で会議。その会議を終えた11時40分からは金融機関の人の訪問を受け、話を終えたところで町内婦人部のツカハラノリコさんが来てくれる。そしてその場で弁当の内容と数を決め、ツカハラさんは伝手のあるセブンイレブンにそれを発注した。弁当はお祭の当日17時に公民館に配達をされるという。これでひと安心。会計係の僕は、現金の残高に気を配るのみとなった。
夜は春雨の中華風炒め、木須肉と、僕の好きなおかずが揃った。しかし春雨は孫のリコが大量に食べ、木須肉はその弟のシンが大量に食べて、大人の分はほんの少しになった。次にそれらを作るときには、量を五割増しにはして欲しいと思う。
朝飯 目玉焼き、鮭の焼きほぐし、納豆、茄子の揚げびたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 青パパイヤのサラダ、小松菜のコモトリケー君行きつけの総菜屋のソース炒め、春雨の中華風炒め、木須肉、中華饅頭、紅星」の「二鍋頭酒」(生)、パウンドケーキ、Old Parr(生)
2025.10.15(水) 伊豆治療紀行(40回目の2日目)
今回の部屋には快適で大きな風呂が付いているため、地下一階の大風呂へは行かない。岩風呂はなにやら洞窟の不気味さを感じさせて、子供のころから得意ではない。道後温泉本館の浴室は、湯船も床も壁も分厚く平らな石でできていた。大きな風呂は、そういう造りが僕には心地よい。「だったらそういう風呂を備えた旅館に泊まれば良いではないか」と言われれば、当方にはそれ以外にも色々と条件があるため、なかなか難しいのだ。
今日の治療は膝は飛び越して、腰と首、そして後頭部に施された。盆の窪の両側の六ヶ所に次々と押し当てられた電子ペンの痛みは結構なものだったけれど、膝が本当に悪いときのそれにくらべれば、大したこともなかった。そして家内も含めて治療はいつもより数十分ほども早く終わった。
レンタカーは予定より1時間も早く伊東駅前の営業所に戻した。熱海に着く時間も早く、だから品川にも早く着いた。東京駅まで行く家内とはそこで別れ、先ずは新橋の大衆床屋を目指す。その床屋には10名ほどの待ち客がいた。予約をすればいつごろ入れるかとオネーサンに訊くと、一時間後だという。「そうであれば」と、取りあえずはすこし歩いて昼食を摂り、その席で本を読む。
僕の散髪の頻度はひと月に一度ほどだから、年内にもう二度は、どこかで髪を刈る必要がある。これから忙しさがうなぎ登りになる年末までに、その時間は確保できるだろうか。
家内とは末広町で待ち合わせていた。そして夕食の後、浅草19:19発の下り特急に乗って、21時すぎに帰宅を果たす。
朝飯 「伊東小涌園」の朝のお膳其の一、其の二、其の三、他あれこれ
昼飯 「ドトール」のチーズソースフライドオニオンドッグ、コーヒー
晩飯 「大衆しゃぶしゃぶ勝治」のしゃぶしゃぶあれこれ、雑炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、二種の日本酒(冷や)
2025.10.14(火) 伊豆治療紀行(40回目の1日目)
オフクロが亡くなったのは2014年10月15日。その祥月命日に、僕は地元にいない。よって数十分前に自社の売場を掃除し、商品を納めた道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に、今度は家内の運転にてふたたび行く。そして開店の9時と同時に入店して一双の花を買い、ひとり歩いて如来寺のお墓へ行く。
墓石は水を固く絞ったタオルで拭く。花立ては秋彼岸の後に掃除をしたから汚れてはいないものの、溜まった雨水を捨てて水場で洗う。そうして花を供え、線香は2018年に麻布の禅寺で「献仏不假香多」という便利な考えを知ったから左右に短いものを三本ずつのみを上げる。茶碗の水は不要と、すこしく特殊なウチのお墓のいわば「先生」に教わったから、オフクロの一周忌からこのかたは置かなくなった。
お墓から東武日光線の下今市駅へは、崖を階段で下る近道がある。現在は歩くことの得意でない家内とは駅で落ち合った。そして9時34分発の上り特急に乗る。
特に事情のない限り月に一度は通うこととしている伊豆のカイロプラクティックに指定された時間は16時30分。伊東駅前のレンタカー屋に入れた予約は15時。それにちょうど良い新幹線は13時27分発のこだま729号。昼食を済ませても、それが出るまでにはいまだ90分もの余裕がある。次回からは、家内より90分ほど遅れて会社を出て、新幹線のプラットフォームで待ち合わせることを決める。
「伊豆高原痛みの専門整体院」のワタナベ先生は、治療台にうつぶせになった僕のからだの各所を押して「あ、いいですね」と言った。僕の身体の調子は、タイから戻った直後はおおむね良い。今回は多分、ウドンタニーでの六泊あいだに受けた六回のオイルマッサージ、およびバンコクでの四泊のあいだに一回ずつ受けたオイルマッサージと足マッサージが効いているのだ。
9,000ボルトを発する電子ペンによる治療は、患部の状態が悪いほど痛い。今回は腰の四ヶ所こそ、そこそこの痛みを感じたものの、膝については「ただ触れているだけ」くらいの軽さだった。ひどいときには拷問まがいの我慢を一時間も続けなくてはいけない治療も、今日はあっけなく十五分ほどで終わった。
夜、宿で眠りに就くころ、家内の声にて覚醒の世界に引き戻される。テレビには親善試合とはいえ、日本がブラジルに勝ったサッカーの試合が映し出されていた。日本が上げた三点のうち一点は相手のミスに乗じてのもの、もう一点は相手のオウンゴールによるものだった。来年のFIFAワールドカップは、前回以上に盛り上がるだろうか。
朝飯 目玉焼き、筑前煮、茄子の揚げびたし、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 「そばいちグランスタ東京」の冷やしわかめそば
晩飯 「伊東小涌園」のあれや、これや、それや、他あれこれ、日本酒(燗)
2025.10.13(月) アカギレ
1993年9月27日には富山県の金太郎温泉にいて、既にしてかかとにアカギレのあったことを覚えている。今年の9月末から10月頭にかけてはタイにいたこともあって、かかとは無事だった。しかしきのうは遂に左のかかとにアカギレの兆候を感じてバンドエイドのキズパワーパッドを貼った。今朝はそのちかくにもう1枚を追加した。
右の人差し指には、アカギレの一種なのだろう、爪と肉のあいだが2、3日前より剥がれかけていた。その指は、コンピュータのトラックパッドやスマートフォンの操作に使う。よって対策を延ばし延ばしにしていたものの、血が滲んでは仕事ができない。午前のうちに自宅へ戻り、当該の部分に楊枝の先で軟膏「ハクシン」を埋め込み、3枚のキズパワーパッドで覆った。
1階の階段室にはキズパワーパッドが備蓄してある。かかと用の在庫は充分だったように思うけれど、手指に用いる細いものはそろそろ尽きかけていたのではなかったか。早いうちにひと冬分を確保しなくては安心ができない。
今年3月のチェンライでは、アカギレに目を留めたマッサージのオバサンに「痛いか」と訊かれた。込み入ったタイ語は話せないためiPhoneを取りだし「日本の冬はとても寒いです。空気も乾いているので、手や足の皮が切れます。でもタイに来てしばらくすると治ります」と翻訳ソフトに打ち込んて、オバサンに読んでもらった。
来年の3月にもタイに行くことを予定している。そのときにはまた、マッサージ屋のオバサンとはおなじやり取りを繰り返すような気がする。
その乾燥した肌に脂気を補給するため、夜は焼肉屋へ行く。
朝飯 鮭の焼きほぐし、擂り胡麻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)
2025.10.12(日) 祭の準備
どのような種類の団体かは不明ながら、とにかく勉強仲間と列車の一両を借り切って、長距離の移動をしている。やがて夕食の弁当が配られる。その弁当の紙箱を僕は生来の不器用さから床に落とし、拾い上げて蓋を開くと種々のおかずは各々を分ける仕切りを越えて乱れていた。さぁ、この日記に載せる夕食の画像はどうしようと、困惑しつつ目を覚ます。
それはさておき、早朝便で日本に戻ったのは先週の月曜日。午後には道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場を見に行った。そうしたところ、品切れ直前の商品が複数あって、慌てて補充をした経緯があった。配達係のイザワコーイチさんによれば「前日と当日の朝に充分の納品をしたにもかかわらず」とのことだった。
今日は、土曜日も含めれば三連休の中日にて、商品の在庫には特に気を遣う必要がある。よって朝礼の後はイザワコーイチさんと開店前の道の駅へ行き、充分な量の納品をした。とはいえ昼すぎには、ふたたび三たびの納品が必要になるだろう。
今日はまた、来週に「今市屋台まつり」を控えて、町内の屋台への、雨屋を取り付けが行われる。僕は9時に春日町1丁目の屋台庫へ顔を出し、更に10時30分には、現在は道の駅の展示庫に置かれている屋台を見に行く。この労働に奉仕してくれた面々の昼食の場所は、タイへ行く前に予約済みである。
店舗の方は、充分な人数が出勤してくれた販売係のお陰で、それほど忙しくは感じなかった。しかし閉店後に締めたキャッシュレジスターの数字は、随分と有り難いものだった。人が遊んでいるときに仕事をすることは大好きな行いにて、明日も良い成績が上げられるよう、心を配りたい。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、大根と玉葱とウインナーソーセージと玉子と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 三種のキノコのたまり漬(特別企画品)のスパゲティ、チーズ、”Finbec Naoto”から持ち帰ったCOTEAUX BOURGUIGNONS Dominique LAURENT 2020、Chablis Billaud Simon 2018
2025.10.11(土) 隠居の室礼
上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の床の軸を、きのうは高久隆古の「秋景山水之図」から田崎草雲の「巌菊之図」に掛けかえた。
我が家には大した掛け軸が無い。そのうち幾らかマシと思えるもののみが、コンピュータにデータベース化してある。「巌菊之図」の次は羅漢山人の「大黒天の図」が控えているものの、これは保存状態が極端に悪い。それでも掛けるのは恵比寿講がちかいからだ。その次は谷文晁の「福神恵比寿之図」で、骨董商の見立てによれば、真物ではあるものの、金銭的な価値は取るに足りないものとのことだった。
床の軸を替えたときにはそれを、お客様の目に入るだろう様々な角度から眺めてみる。そして感じるのは何とはなしの寂しさ、あるいは子供のころに覚えたと同じ、おどろおどろしさだ。
ここ数十年のあいだに日本人が触れてきた美術品は、東洋のものより西洋のものの方が圧倒的に多かったような気がする。そうして西洋のものに慣らされた結果、特に掛け軸などは色彩の乏しさから寂しく思われてしまうのではないか。しかしまさか、床の間に年がら年中いわゆる”abstract”を掛け続けるわけにもいかない。
そして僕は、早くも年の明けることを望んでいる。その理由のひとつには「床の間が賑やかになるから」ということも、含まれているような気がする。
朝飯 納豆、筑前煮、鮭の焼きほぐし、秋刀魚の梅煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一、其の二、其の三、パン其の一、其の四、パン其の二、其の五、其の六、コーヒー
2025.10.10(金) 無意識の領域の具体的な理解
目を覚ましたのは4時台のなかば。起きたのは5時すこし過ぎ。きのうの朝から一転して、今日は涼しい、というか寒くさえある。
洗面所のカーテンの隙間から見る朝の空が美しい。廊下を伝って食堂に来て湯沸かしの電源を入れると即、階段室の鍵を外して屋上へ出る。東の中天には金星が光っている。西の中天には旧暦8月19日の、と言うべきか、あるいは18日の、というべきか分からないものの、月が丸々と、いまだ煌々と照っている。
数分後に階下に降りて、仏壇と自分のためのお茶を淹れる。東の窓に目を遣れば、朝の空は早くも死んだ鳥の、閉じられたまぶたのように薄く頼りなくなっていた。
オマル・ハイヤームの詩のどこかには「一瞬を生かせ」という警句がありはしなかったか。あるいはそれは、この古代ペルシャの文章を駅伝のたすきを繋ぐようにして訳してきた、そのうちの誰かが勝手に章立てた、そのひとつに付けた見出しだったかも知れない。
と、今日もまた、朝のことだけで397文字も連ねてしまった。その理由を考えれば、この日記の書かれる時間がほぼ早朝に限られ、そのときは正に”Real time”のため、筆が進む、否、キーボードを叩く指がよどみなく動くのだろう。
午後、今回の訪タイに持参したCampusの二冊のメモ帳のうち、A7の小さな方の、既にして使ったページを破って捨てる。そこにある文字のすべてはこの日記に残されたから、元の紙は、もはや不要なのだ。
その小さなメモ帳「A7変形普通横罫30枚(7mm×12行)」と、おなじA7サイズのRHODIA No11を事務机に並べてみる。RHODIAのメモ帳は、よくは覚えていないものの、20年ほど前に手に入れたもので、邪魔な表紙を取り去って後もなお僕には使いづらく、いまだ半分ほどのページが残されている。
日本では珍しくもないCampusのメモ帳の使いやすさは、開くとA7が2ページの広さになって、つまり1ページの倍の情報が俯瞰できる。それに対していわゆる「おしゃれな人」に愛されるRHODIAのメモ帳は、一度に目視できるのは1ページのみ。使ったページを後ろにめくると、本体の厚さにより、その裏の面積は本来の3分の2ほどの狭さになって、使う気にはならない。またページは1枚ずつ切り取られることが前提とされているから、必要なあいだは残しておく、ということが不自然に感じられる。それらの理由によりRHODIAのメモ帳には手が伸びなかった、ということが今回はようやく理解できた。
そしてまた、何気なくしている行いは、つらつら考えてみないと、その無意識の領域は曖昧模糊としたまま、ということが分かった。遅ればせながらの納得、である。
朝飯 玉子焼き、筑前煮、納豆、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 万願寺唐辛子の網焼き鰹節かけ、秋刀魚の梅煮、筑前煮、めかぶの酢の物、鶏の網焼きの「日光味噌ひしお」添え、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)
2025.10.9(木) 食事会
2時台の前半に目を覚まし、3時台のなかばに起床する。起きたときから半袖のポロシャツに長袖のTシャツを重ねる。食堂に来ると、暖かい朝ということが分かった。しかし窓を開ける気はしない。
TikTokの「梅太郎」のアカウントに、ローマ字によるコメントが付いている。その言語は語感からして何となくインドネシア語に思われる。Google翻訳の左の窓にそのローマ字を入れると、やはりそれはインドネシア語だった。それに対して日本語で返信を書き、その日本語をまたまたGoogle翻訳でインドネシア語にする。
インドネシア語はラテン系の言葉とおなじく、日本人には発音がしやすい。よってGoogleで翻訳されたアルファベットをTikTokの返信窓に人差し指で入れていくこともまた、他の言語よりは楽だ。そんなことをしてからおとといの日記を公開し、続いてきのうの日記を作成する。
以降はすることもないため、来年の春にしようとしている、ウドンタニーからチェンライまでのバスによる移動について、先月ウドンタニーで訪ねたバス会社のページを開いて検討する。しかし英語による予約ページは”Coming soon”となっていた。仕方なく言語をタイ語に切り替えると当然のことながら、何が書いてあるか分からない。しかしまぁ、時間は充分にある。切符は現地で先月あれこれ訊いたオネーサンに手配してもらっても良いのだ。しばらくは気楽にしていることにしよう。
と、ここまでで既にして613文字。僕の日記は朝のことだけで終わることが少なくない。
さて日光が紅葉狩りの観光客で賑わうのは毎年、体育の日の絡む連休から勤労感謝の日の絡む連休までの約六週間。その最後のころは地方発送の年末需要が一気に高まり、いきなり出荷数の増える時期に重なる。それが収束するのはクリスマスのころ。ようやくひと息が付けるのは大晦日の閉店後。
というわけで、その繁忙が目前の今夜は都合の付く社員が自宅四階へ集まって、食事会を催す。
朝飯 目玉焼き、納豆、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四分の一割)、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草と揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 冬瓜と豚薄切り肉の淡味炊き、筑前煮、秋刀魚の梅煮、焼叉、レタスとトマトのサラダ、鯨の刺身の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、おむすび、焼きおむすび、らっきょうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、果物盛り合わせ、ヨーグルトのムースのブルーベリーソース、2種のワイン
2025.10.8(水) 地球上のどこにいても
2時台と5時台に目を覚まし、しかし起床したのは6時まで2、3分というときだった。きのうの就寝は9時前の早さだったにもかかわらず、だ。旅の疲れがいまだ残っているのだろう。
屋上に上がり、先ずは東の朝日を見る。そして振り向くと、今日に限っては朝日どころではない、西の景色の方が美しかった。雲の具合によるのだろう、男体山の頂上から少し下を、上下に狭い帯状に朝日が差している。そして旧暦8月17日、否、この場合には前夜の8月16日の月というべきだろうか、とにかく朝の月が、その男体山の左の肩に沈もうとしていた。その景色に思わずiPhoneを向けるものの、乾燥機に仕舞っぱなしのニコンD610でもなければ、その様子は多分、画像では確認できないに違いない。
今日は月に一度の店休日にて、9時30分から15時30分まで社内各部の会議につき合う。事務室ではまた、二十数年ほども使い続けたビジネスフォンを最新のものに交換する工事が行われた。
夕刻、嫁のモモ君が僕のiPhoneに、あるアプリケーションをインストールしてくれる。これを使えば地球上のどこにいても、インターネットにアクセスしてさえいれば、会社の代表電話番号からの発信はおろか、社内の内線電話も使えるとのことだった。
まったくもって、便利になったのか、不便になったのか、分かりかねる今の世の中ではある。
朝飯 納豆、生玉子、めかぶの酢の物、玉葱とウインナーソーセージのソテー、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草と若布の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、お茶
晩飯 サラダ、焼売、海老のチリソース炒め、麻婆豆腐、油淋鶏、炒飯、あんかけ焼きそば、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.10.7(火) 剪定作業中
きのうの就寝は21時より前だった。目覚めは3時台、次は4時台。しかし起きたのは6時35分。声が枯れているのは、きのうの機内の乾燥のせいだろうか。飛行機に乗りながら乾燥を感じたことはないものの、喉の弱い人は、それをしきりに訴える。次からはマスクを使った方が良いかも知れないものの、マスクは好きでない。
朝礼の後、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ本日最初の納品をすべく、配達係のイザワコーイチさんとホンダフィットに乗る。僕の姿を見たイザワさんは「大丈夫ですか、半袖で」と言う。僕は「暑い寒いよりも、重ね着が嫌いなんですよ」と答える。
重ね着がイヤだから寒くても薄着で震えている、という人は、僕以外にもかならずいるはずだ。とはいえ半袖のポロシャツに長袖のTシャツを重ねるくらいなら、いまだ我慢もできる。よって昼前に自宅へ戻り、衣装箱からクローゼットのチェストに移しておいた長袖のTシャツを着る。
植木屋のカシワギさんからは、タイにいるときから盛んに電話が入った。僕は今どこにいるなどは言わず、ただ隠居の樹木の剪定について、その予定を聞いた。それによれば、カシワギさんはきのうの朝に下見をしたはずだ。そして今日から本格的な仕事が始まった。
問題は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の個室「杉の間」へ到る廊下から望める赤松の、こちらは剪定ではなく伐採だ。
カシワギさんによればその松は実生から育ったもので、手を入れつつ残すほどのものでもないとのことだった。雨樋と冷蔵庫の室外機に盛んに葉を落とすそれについては僕も「いっそ無ければ清々する」とは考える。しかし倒されるときに隠居の屋根を直撃すれば、推定築150年の建物の、その部分の再生は不可能になる。
「何とか無事に倒れてくれ」と、祈るばかりである。
朝飯 茄子の揚げびたし、納豆、トマトのソテーを添えた目玉焼き、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 サラダ、だし巻き玉子、穴子鮨と鯖鮨、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)
2025.10.6(月) 帰国
スチュワーデスが何ごとか話しかける。夜食の丸パンを届けに来たのだろう。僕はアイマスクをしたまま手を横に振る。彼女は「それでは置くだけさせていただきますね」と言うのでアイマスクを外し、空いている窓際の席のテーブルを開く。スチュワーデスは「お水も置いていきます」と、いやに丁寧だ。丁寧にされるより放っておかれた方がよほど有り難いことも、飛行機の中では多々ある。
アイマスクをし、イヤフォンで飛行機のジェット音を低くしても、眠れない。足を延ばしたり引き寄せたり、フットレストに載せたり降ろしたり、あれこれ姿勢を変えても眠れない。アイマスクを外してディスプレイに現在位置を確かめたらいまだインドシナ半島を脱していなかったりすれば落胆は大きいから、そのままかたくなに目を閉じ続ける。
不意に肩を叩かれてアイマスクを外すと、朝食の配膳が始まっていた。時刻は3時4分。機は沖縄と九州のあいだまで来ていた。3時間40分ものあいだ眠れずに焦燥を続けたのだろうか。あるいはすこしは眠れたのだろうか。「そろそろビジネスクラスにしないと辛いか」と考えても、着く時間が同じであれば、桁外れに高い運賃は支払いづらい。
「朝食はオムレツ、あるいは豚とライスのどちらになさいますか」と問われて「豚とライス」と答えたものの、実際にはコーヒーとヨーグルトと果物しか口には入れない。そしてラバトリーで歯を磨く。
そのうちスチュワーデスが黄色い携帯品別送品申告書を配り始める。その姿を目にした瞬間、いつも航空券を買うトチギ旅行開発が自社のコンピュータから出力してくれたそれは、預け荷物のスーツケースの奥深くに仕舞いっぱなしだった、ということに気づく。仕方なくスチュワーデスから一枚をもらい、朝日の差しはじめた機内にて、その上から下までをボールペンで埋める。
04:44 右の機窓からは太平洋が望めるはず。ところが地上が見える。果たして自分はいまどこを飛んでいるのか。目の前のディスプレイに触れると、機ははやくも房総半島の上空にいた。
04:46 眼下に東京アクアラインが見えてくる。
04:49 TG682は定刻より6分はやく羽田国際空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
07:01 機外に出る。機内では「東京は曇り」とアナウンスがあったものの、空は気持ち良く晴れている。
07:09 入国審査場を通過。
07:27 回転台からスーツケースが出てくる。
07:30 税関を通過。
07:39 京急空港線急行の車両が羽田空港第3ターミナルビルを発。
08:31 人形町で日比谷線に乗り換えて北千住に着。
自由民主党の総裁に高市早苗が選ばれたことにより、日経平均株価の先物が先週の終値より2,175円も高い48,200円まで上がったことを、iPhonenのウェブニュースが伝えている。それはそうとして、日比谷線の車内には広告がほとんど無い。上がる一方の株価に対して日本の景気はそれほど良くない、ということなのだろうか。
09:48 東武鉄道のリバティ会津113号が北千住を発車。
11:10 その車両が下今市に着。
駅前にはタクシーが数台あったものの「チップを入れれば250バーツか」と考える。スーツケースを持った状態では日本のタクシーには乗る気がしない、ということもあって、歩いて帰ることを決める。
タイでは、メーターのスイッチを入れないまま価格を交渉してくるような運転手でさえ、こちらがスーツケースを持っていれば即、クルマの後ろに回ってそれをトランクルームに収めてくれる。目的地に着けばこれまた即、運転席を離れてトランクルームからスーツケースを降ろしてくれる。
日本のタクシーの運転手は、運転席に着いたままトランクルームを開けるレバーを操作するのがせいぜいで、スーツケースの上げ下ろしはすべて、客がしなくてはならない。客であるにもかかわらず、まるで運転手の召使いのようだ。このゲンナリする現状はひとえに、日本にチップの習慣が無いからと、僕は認識をしている。
四階の自宅で小一時間ほど荷物の整理をしてから仕事着に着替えて事務室に降りる。以降は夕刻まで通常の業務に従う。夜は先月24日以来の日本食にて、先月21日以来の日本酒を飲む。
朝飯 TG682の機内食、「ドトール」のハム玉サラダサンド、コーヒー
晩飯 玉子焼き、茄子の揚げびたし、秋刀魚の梅煮、明太子、ごぼうのたまり漬、ジンギスカン焼き、メシ、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)、お菓子、Old Parr(生)
2025.10.5(日) タイ日記(11日目)
最初に目を覚ましたのは、きのうとほぼおなじ0時37分。次は、家とクルマの鍵を見失って焦燥する夢を見ながら目を覚ます。時刻は4時35分になっていた。きのうの夜にビールを飲んだあたりから、からだも気力も復活をしたらしい。いと有り難し。レイトチェックアウトの予約もできて、気分の余裕も充分である。おまけに朝から晴れている。気温は暑くもなく、また寒くもない。
きのうの朝とは異なって、すぐに起きて、きのうの日記に取りかかる。これを完成させて公開したらひと休み。ベランダからは、隣のレストランの、白と紅のリラワディが目に鮮やかだ。ちなみに四日前までいたウドンタニーでは、この花を、ラオス語を用いて「ツァンパー」と呼ぶ。だからと言っては何だけれど、国境のちかくは色々と面白いのだ。
時計が8時を過ぎたころを見計らって外へ出る。日曜日でも、soi8には様々な屋台が店を開いている。そのままスクムビットの大通りに出て、しばしそのあたりを散歩する。そしてまたsoi8に戻ってきて、ホテルに最もちかい屋台で朝食を摂ることにする。僕の注文をこなしつつ「唐辛子は入れても大丈夫?」と身振りで問うたオネーサンには、いつものとおり頷いた。
ことし2月のチェンライでは、多分、タイ料理を食べ続けたことによるのだろう、胃腸の具合をおかしくした。それが分かっていながら「辛さはどうしますか」と訊かれて「普通でお願いします」とか、あるいは今朝のように、唐辛子をタイ人のそれ並に加えることに首を縦に振ってしまう。これはやはり、見栄による自動反応なのだろうか。
チェックアウトの時間が通常の正午から18時まで延びると、荷作りに向かう気持ちに多大な余裕が生じる。大きな荷物を嫌う僕は、特に必要のない限り、機内持込サイズのスーツケースを使う。これに社員への土産が収まるか、というのがひとつの勝負なのだ。そして荷作りは数十分で完了した。
スイミングプールの水は二日目から綺麗になったものの、なぜか泳ぐ気にはならなかった。更に今日は最終日のため、水着は濡らしたくないどころか汗に湿らせることさえ避けたい。ベランダから見おろすsoi8は雨季の南国にふさわしく、いつの間に濡れたかと思えば、また乾くことを繰り返している。
バンコクに入った初日には、スクムビットの大通りからsoi11に入ってすぐの左側で客待ちをするモタサイを使ってナナチャーンの船着場まで行った。その際、左手に木造の、洒落た植民地様式のレストランを横目で見て「あぁ、これが有名なヘミングウェイか」と記憶に留めた。
14時を10分ほど回ったところでようよう、本日二回目の外出をする。大通りから随分と歩くかと思われた「ヘミングウェイ」には、この通りの左右にある様々な店やホテルが歩く者を飽きさせないこともあって、意外や早く着いた。
「お席は外になさいますか、それとも中になさいますか」と責任者らしいオネーサンに訊かれれば、ほぼ反射的に「外」と答えてしまう。そして白人に合わせたものか、木製の、とても高い椅子に、勢いをつけて上がる。そして先ずはグラスの赤ワインを注文する。
この、カベルネソービニョンよりメルローを強く感じるワインが中々美味い。周囲を見まわせば、メニュに”Sunday Grill”と載っているものだろう、丸鶏の網焼きを食べている人たちがちらほらいる。しかし僕にそれは無理だ。僕は三段ほど上がったテラスで待機するウェイトレスを呼び、チーズケーキを追加した。
チョコレートソースをふんだんにかけ回されたチーズケーキは、やはり白人向けの大きさなのだろう、カロリーの固まりだった。これをやっつけるために赤ワインをお代わりする。
そのチョコレートソースを垂らさないよう細心の注意を払いつつ「権力者と愚か者」のページを繰る。フィナンシャル・タイムスのかつての編集長が日記に書いた2015年から2016年にかけての米国と英国を、今年の日本はなぞっている。
ところで先月26日の朝、朝食を摂る僕のかたわらにあったこの本について「訳もよろしいですか」と訊いてきた白人のオジーサンに「悪くないです」と僕は答えた。しかし460ページの
……
ホタテのカルパッチョに続き、仔牛のカツレツを、マス・シャンパーとシャトー・ロスピタレ・ド・ガザンのグラスワインで流し込みながら…」
……
の「流し込みながら」はいけない。路上の細民が汁かけメシを立ったまま掻き込んでいるわけではないのだ。ちなみにおなじ表現は520ページにも再出をする。
それはさておき、日本人にとっては巨大なチーズケーキと二杯の軽くないワインをこなした僕は、先ほどとは異なったウェイトレスに勘定を頼んだ。いまだ充分に若い彼女は何ごとか言葉を発しつつ右の人差し指一本を立てた。外の席はsoi11を往来するモタサイやトゥクトゥク、また人の声で充分にうるさい。よって彼女の言ったことを理解しないまま、僕は頷いた。
奧から戻ってきた彼女は三杯目の赤ワインと共に、当たり前のことだが、それを加えた請求書をテーブルに載せた。果たして僕は、空港まで無事に辿り着くことができるだろうか。
部屋に戻ったのは16時5分。シャワーを浴びる。シャワーの後は服は着ず、腰にタオルを巻き、もう一枚のタオルは上半身に巻いて、それを部屋着にする。そしてiPhoneに17時30分のタイマーを設定し、ベッドに仰向けになる。夕刻の雨は、幸いにも降ってこない。
17:58 ホテルをチェックアウトする。”I’m going out”と伝えたときにレセプションのオバチャンから返った問いをここに書けば日記が長くなるから、今日のところは割愛をする。
18:05 BTSスクムビット線の車両がナナを発。
18:15 その車両がパヤタイに着。
18:28 ARLの車両がパヤタイを発。北側に見える高速道路は順調に流れている。
18:57 その車両が終点のスワンナプーム空港に着。
それにしても、タイの駅の券売機には、硬貨のみを受けつけるものと紙幣のみを受けつけるものが混在して、使いやすくない。自動改札機には「故障中」を示す”Out of Business”の紙を貼られたものが、毎日、あちらこちらの駅に目立つ。「日本の技術を導入してくれていたら」と、思わずにはいられない。
酔っているから早めの行動を心がけた今日は、時間にとても余裕がある。ARLの改札ちかくの、先月25日にも使った両替所の円とタイバーツの交換率は、1万円あたり2,165バーツだった。
19:06 出発階の四階に上がり、タイ航空のポロシャツを着たオネーサンに手伝ってもらいつつチェックインを完了。オネーサンはこの単純作業ばかりをしてるから、当方への質問と、タッチパネルに触れる手の動きは素早い。「荷物に危険物は含まれていませんか」と訊かれたものとばかり思って”No”と答えたときのタッチパネルの表示は「預け入れ荷物はありますか」の英文だったらしい。
「あ、荷物、ありました、これ」とスーツケースを指すと、オネーサンは「なによー」という感じの仏頂面で振り出しに戻り、おなじ作業を繰り返した。「タイは微笑みの国」などと耳にしても、あまり真に受けないことが肝要である。
19:08 オネーサンがスーツケースに巻いてくれたバーコードを、こちらはにこやかなタイ航空の係が読み取って、荷物の預け入れを完了。
ここで身軽になって、今度はエスカレーターで一階へ降りる。そして8番出口ちかくの”MAGIC food point”に入る。こちらは、十数年前までは空港職員専用の感があり、人もまばらだった。しかし現在は、団体では席の確保も難しい混み具合になっている。ここでカオマンガイによる夕食および時間調整をしながら缶ビール2本を飲む。ちなみにカオマンガイは「茹でと揚げの相盛り」が80バーツ、シンハビールの350cc缶は55バーツ、チャンビールの350cc缶は45バーツだった。
20:40 “MAGIC food point”を出てふたたび四階へ上がる。
20:51 保安検査場を通過。
20:54 出国審査場を通過。
チェックインが早すぎたためか、僕の搭乗券に搭乗ゲートは印刷されていなかった。その場所を電光掲示板に探してS116Aの番号を知る。
21:03 サテライトターミナルへ向けてシャトルトレインが発車。
21:05 その車両がサテライトターミナルに着。
アルミニウムの帯を編んで作ったような巨象の右手にある案内所でミラクルラウンジの場所を訊く。先月19日のウドンタニーのオネーサンは”Down stair”だったが、今日のオネーサンは”Up stair”と、これまたひと言だけ答えた。巨象のはす向かいのエスカレーターで上階へ上がるとしかし、広い空間のあるばかりだ。ラウンジは左か、はたまた右か。「案内の親切さは、日本人が最高だわな。しかし日本人は、英語に関しては、あまり得意ではないわな」などと考えつつ勘を頼りに右へ進む。
しばらく往くと左手にミラクルラウンジの”First Class”があったから「ここはオレの来るところではないわな」と、更に進む。すると突き当たりにおなじミラクルラウンジの”Business Class”があって、こちらには見覚えがあった。
楽天のゴールドカードを持っていれば誰でも入れるそのラウンジの受付に、会員のQRコードをスマートフォンでで見せて入場する。しばらく前にカオマンガイとビールを腹に入れているから、ここでは水しか飲めない。そして「そうか、時間を調整するなら、あそこよりここだったな、無料だし」と気づいても、もう遅い。時刻は21時16分。搭乗時間は22時15分のため、22時5分のアラームをスマートフォンに設定する。そしてシャワー室でパタゴニアの南洋に特化したシャツを脱ぎ、来たときとおなじ長袖シャツにカーディガン、そこに更にパタゴニアのウインドブレーカーを重ねる。
22:06 ミラクルラウンジを去る。
22:10 S116Aゲートに達する。
22:17 搭乗開始。
22:32 右列最後尾通路側の席に着く。
23:24 うとうととするうち、Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG682は、定刻に39分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
朝飯 “Stable Lodge”のちかくに店を出した屋台のパッガパオムーカイダーオ
昼飯 “Hemingway”のブラウニーチーズケーキ、赤のハウスワイン
晩飯 “MAGIC food point”のカオマンガイトムトードパッソム、シンハビール、チャンビール
2025.10.4(土) タイ日記(10日目)
体調に優れないことは、きのうコモトリ君の家に着いて、心づくしの夕食に箸を伸ばしたときに気づいた。きのうそれまでに摂った食事は朝の汁麺のみ。旅の最中にはそれほど空腹を覚えず、昼は抜くことの多い僕だが、夜になっても食欲が湧かないとは普通ではない。結局のところ、夕食は小鳥の食べるほどの量をラオカーオの肴にして、19時の舟に乗った。
BTSを乗り継いでホテルに戻ったのは19時47分。シャワーを浴び、パジャマを着、部屋の明かりを落として寝台に横になった。大事を取って、天井の空気調整器は動かさなかった。
目覚めて朝が近かろうと思っても、しばらくは枕頭のiPhoneで時間を確かめることはしなかった。ようよう手に取ったそれはいまだ、0時27分を指していた。からだは汗ばんでいるものの、空気調整器はなお、動かさない。そうして闇の中に、ただ横たわっている。
次にiPhoneを手に取ると、4時49分になっていた。眠れた感じは無かったものの、4時間ものあいだ、じっとしていられるわけはない。すこしは眠れたものと思われる。
雨の激しく降る音が聞こえる。やがてカーテンの隙間が明るみを帯びてくる。普段であれば、目が覚めればさっさと起きて、きのうの日記に取りかかる。その気力が今朝はまったく湧かない。そのまま7時まで、つまりきのうの夜から11時間も横になり続けている。一体全体、僕のからだは、どうなってしまったのか。喉に痛みはなく、熱も平熱であることが、ただ有り難い。
「腹が減ったら食べろ」と、コモトリ君がきのう持たせてくれたアップルパイと、日本から持参のコンソメスープを朝食とする。雨はますます激しい。
結局のところ、部屋には13時ちかくまでいた。腹が減っていない、ということもない。ホテルの、表通りに面した食堂にてオープンサンドと白ワインを昼食とする。
それにしても寒い。体調の悪さによる寒さではない。半袖のシャツ1枚で耐えがたいところから推せば、気温は恐らく20℃を下まわっているのではないか。そのうち自由民主党の裁選が高市早苗に決まったことを、ウェブニュースが伝えてくる。そのiPhoneをセブンイレブンのエコバッグに入れて部屋へ戻る。
寝台に仰向けになって、その総裁選の結果をiPhoneでふたたび見る。ふと気づくと、早朝からひどく降り続いた雨はいつの間にか上がって、窓の外に林立するビルは午後の陽に照らされていた。次に部屋を出たのは実に18時5分。ほぼなにもしない一日ではないか。
実は数日前に、最終日のレイトチェックアウトをホテルに打診していた。そのときのレセプションのオネーサンは「これからの予約で満室になることもありますので、その日が近づいてから、もういちどいらっしゃってみてください」と言われた経緯があった。
「まさか、あしたまた来てください、なんて言われたりして」と恐れつつ、今日はメガネをかけたオバチャンにおなじことを問えば、コンピュータのディスプレイを見て即、それが可能なことを教えてくれた。追加の料金は1,000バーツ。精算書を要求すると、オバチャンは動かないプリンターを叩いて「しばらくお待ちください」と僕に笑顔を向けた。
さて外へ出られるほどに体調は回復したものの、食欲はまったく無い。飲食店の密集するsoi8に宿を定めながら、情けない限りだ。胃が受けつけそうなのは液体のみ。そういう次第にて、小さなオープンバーでビール、それを干したところで調子が良くなって、ウォッカのソーダ割りもこなす。
部屋には19時前に戻った。シャワーを浴びたら今日の数少ない画像をコンピュータに取り込み、そのうちのひとつをfacebookに上げる。そして諸々を整えてから寝に就く。
朝飯 コモトリケー君からもらったアップルパイ、コンソメスープ
昼飯 “Stable Lodge”のレストランの”Tomato w Chopped Onions & Egg Yolk Open Sandwich”、白のハウスワイン
晩飯 “Street Bar”のシンハビール、“SMIRNOFF VODKA”(ソーダ割り)
2025.10.3(金) タイ日記(9日目)
目を覚ましてしばらくしてから枕頭のiPhoneを引き寄せる。時刻は5時20分。きのうの日記によれば、19時43分に寝台に上がっている。とすれば睡眠時間は10時間弱。これまでが寝不足気味であったなら、それをからだが一気に取り戻そうとしたのかも知れない。
雷鳴と共に、とてつもない勢いで雨が降っている。僕の知る限りにおいて、日本の鳥は、雨の中では啼かない。しかし部屋の南の方では、例の鳥が「ホーイッ、ホーイッ」あるいは「キヨイッ、キヨイッ」と、いつもと変わらない声を発している。
部屋のWIFIが途切れている。天井の空気調整機は動いているから、停電ではないだろう。灯りを点けて顔を洗い、歯を磨く。きのうの日記は二行目で止まっているにも関わらず、5時50分より今日の日記にとりかかる。
ふと気づくと外が静かになっている。ベランダに出てナナ駅の方に目を遣る。空は明るさを取り戻し、日さえ差しはじめそうな塩梅だ。「良かった」とは思うものの、今のバンコクの天気には要注意だ。今日の外出に際しては、レセプションで傘を借りることを決める。
きのうの日記は何とか8時までには書き上げようと、ときどき寝台に仰向けになって休む回数を、意識して少なくする。きのうの日記は8時に書き終えても、TikTokのアカウント「梅太郎」へのアクセスが、ここ数日はなぜか多い。寄せられたコメントも少なくないため、それに返信をつけているうち、たちまち30分ほどが過ぎる。
9時を回ったところで外へ出て、毎日、特に昼どきには客を集めている”RED HOG BAR”の前の汁麺屋へ行く。そしてバーのスツールに上がりながらバミーナムを頼む。ふと屋台の調理台に目を遣ると、餃子がある。よってそれも入れるよう頼む。するとオバサンは「ギアオ、ドゥアイ、ムー、ドゥアイ」と、機嫌良さそうに軽口を発した。食べてみたところ、この店の人気は味よりも、量の多さと具の多さにあるのではないかと感じた。
プールサイドに降りたのは10時。エレベータの中には”27 September-29 September(3 days) During this time, the poolside area will not be accessible”と張り紙があるものの、僕がこのホテルに入った10月1日には大きな音と共に石の床がカッターで切られているところであり、その工事はいまだ終わっていない。そしてプールサイドの寝椅子にいても、別段、叱られることもないし、レセプションは笑顔と共にタオルを手渡してくれる。
さて明後日の深夜便でタイを離れなければいけない今朝は、今日すべきことの、一応の予定を立て、手帳に箇条書きをした。
1.サイアムスクエアワンで買い物。
2.バンコクでの初日に豪雨に阻まれて行けなかったマッサージ屋への訪問。
3.ゲートウェイエカマイでのラオカーオの購入。
4.トンローで買い物。
12時2分に部屋を出て、きのう”Tommorow same time”と言われたマッサージ屋兼クリーニング屋で洗濯物を受け取る。それを、部屋に戻って引き出しに仕舞う。水を飲むなどして、次は12時33分に部屋を出る。外は晴れているものの、バンコクでの初日に参ったため、レセプションで傘を借りる。
はじめて訪ねるショッピングモール「サイアムスクエアワン」は、サイアム駅に直結なのは有り難いものの、フロアが卵形のため、目的の店を探すことに苦労をする。買い物は12時52分に終了。僕は買い物に時間をかけることを好まない。
サイアムからプルンチットまではBTSで移動。駅の北側に広がる広大な空き地は、一万坪、ことによると一万五千坪くらいはあるのではないか。空中歩道を伝ってエラワン廟を左手に見おろし、ラチャダムリの通りを横断したら、右手のアップル・セントラルワールドの螺旋階段を下って地上に降りる。
ここからプラトゥーナムまでの炎天下500メートルを歩く気はしない。飲み物を飲んでひと休みをしようとしていたモタサイの運転手に声をかけ、プラトーナムまで走ってもらう。センセーブ運河を超えたところで100バーツ札1枚を出すと、運転手は20バーツ札3枚を返してよこした。このモタサイがすこし行きすぎたため、大規模な建設中の建物の脇の歩道橋でラチャダムリの通りを西から東へと渡り、しかし階段は降りずに古色蒼然とした商業ビルに入る。ビルの二階はシャッターを降ろされた店と、営業中のマッサージ屋が多数。しかしこの状況では、このビルも、息を長らえることはできないだろう。
目指すマッサージ屋のメニュには、評判だという角質削りはなぜか無くなっていた。よってフットマッサージを1時間だけ頼む。料金は300バーツ。担当の29番Maiさんの施術は強烈。痛みに耐えていたからか、1時間が異常に長く難じられた。Maiさんには100バーツのチップ。
プラトゥーナムからは、またモタサイの運転手に声をかける。
「プルンチットの駅まで」
「BTSのプルンチット?」
「そう」
スクーター型ではなくスポーツタイプのオートバイを、オジサンは前傾姿勢で操縦しつつ、裏道のゲンソンロードに入った。「なるほど、この経路は合理的だ」。オジサンはプルンチットの駅へ上がるエレベータの前にピタリとオートバイを着ける。20バーツ札2枚を手渡すと、オジサンは混み合うスクムビット通りを無理やりUターンして去った。
さて手帳に記した今日の予定のうち「ゲートウェイエカマイでのラオカーオの購入」は、この時間からではもう無理だ。タイで日中に酒類を買うことができるのは、11時から14時までに限られる。よってその手前のトンローまでBTSを乗り「いちばん好きなお菓子はマンゴーのカリカリのやつ」と言う孫のリコのためにそれを買う。彼女の弟や妹はいまだ幼いから、姉と同じものを食べればこと足りるだろう。
ナナまで引き返して、サイアムとトンローで買ったものをホテルの部屋へ置く。タイでは何かをするたびに浴びるシャワーを浴びないまま15時52分に部屋を出る。そしてナナから乗ったBTSをサイアムで、スクムビット線からシーロム線に乗り換える。
サパーンタクシンをコモトリ君の住まいの舟が出るのは16時10分。そのサパーンタクシンには16時8分の着。「2分あれば」と駅のエスカレータを降りたら即、走り出す。それにしても、キーンのワイメアは優れたサンダルでも、走りやすいというわけではない。桟橋には16時10分に駆け込む。舟は桟橋のすこし下流で方向を変え、夕刻の逆光の中を近づいてきた。
雨季、連日の豪雨、4日後は満月、という様々な要因が重なって、チャオプラヤ川の水位は異常に高い。4日後の満潮時には、首都のあちらこちらに水害が発生するのではないか。
コモトリ君の家で心づくしの夕食をいただいて後は、19時の舟でサパーンタクシンに戻る。きのうコモトリ君が「まるでパタヤのホテルみてぇだな」と評した古ぼけたホテルには、19時47分の着。シャワーを浴びて空気調整器は動かさず、20時すこし過ぎに就寝する。
朝飯 “RED HOG BAR”の前の屋台のバミーナム
晩飯 コモトリケー君の家の其の一、其の二、其の三、其の四、他あれこれ、ラオカーオ”TAWANDANG”(ソーダ割り)
2025.10.2(木) タイ日記(8日目)
ウドンタニーのホテルとは異なって、このホテルにガウンの用意はなかった。よってきのうはサイドテーブルにパジャマを準備をしておいた。しかしそれを身につけることなく素っ裸で、ただし布団には入っていた、クーラーは付けっぱなしでも、きのう寝る前に温度は28℃、更に”COOL”ではなく”DRY”に設定をしておいたから、呼吸器は傷めていない。クローゼットの扉は開いたまま、セキュリティボックスも開いたまま。しかしきのう使ったお金はすべて、手帳に記入がされていた。
ウエスタンやアメリカンのブレックファストは好みでない。野菜を徹底的に欠いているからだ。いま泊まっているホテルにブッフェはない。目の前の通りつまりsoi8に並ぶ主に西洋人を対象とした料理屋が店の前に置く朝食の案内はすべて、アメリカンブレックファストだ。価格は平均して300バーツ内外。
よってそれらの看板は無視をして、ナナの駅を目指して歩く。そして右側に見つけた「猪脚飯」と看板を出した屋台でそれを注文する。「ここで食べる?、それとも持ち帰り?」と女主人に訊かれて「ティニー」と答える。彼女はすぐ後ろに何客か並べられた鉄製のテーブルを目で示した。そしてそのカオカームーは、充分に美味かった。価格は50バーツだから、首都のそれとしては妥当、あるいは充分に安い。
10時より庭先のプールサイドへ降りて、公開したばかりのきのうの日記をiPhoneで読む。例に漏れず誤字脱字、てにをはのおかしなところを見つけては、これまたプールサイドに持ち込んだコンピュータで修正をしていく。それにしても、コンピュータで書いた文章をおなじコンピュータで読むと、誤りには気づきづらい。しかし別の道具で読むと、誤りにはすぐに気づく。そのあたりには、どのような関係があるのだろう。
日記の修正を終えて、10時25分からは本を読むことに切り替える。プールの水面には小さなゴミが目立つから、泳ぐ気はしない。レセプションの親切なオネーサンが貸してくれたタオルをレセプションのカウンター前に置かれた籠に戻し、部屋には11時33分に戻った。
今日はコモトリ君と、できたばかりの巨大な商業施設ワンバンコックを視察するため、13時に待ち合わせをしている。そのため12時2分に部屋を出る。手にはウドンタニー以来の洗濯物の入ったプラスティック袋を提げている。駅にほど近いマッサージ屋が洗濯屋も兼ねていることは、きのうのうちに気がついていた。
店先の女の子に袋を手渡す。女の子は、まるでマッサージより洗濯の方が本業であるかのように、その袋をすぐ脇の計りに載せた。洗濯物の重さは1.3キログラム。洗濯代なのだろう、女の子は「130」の数字を複写式の伝票に記入した。できあがりの時間を問えば、女の子はやはり店先に座っているオニーチャンに照れながら何ごとか訊く。オニーチャンはやはり照れ笑いを浮かべつつ要領を得ない。そこに奧から女将らしき人が顔を出して”Tommorow same time”と、ぶっきらぼうに告げた。ちなみに代金は後払い。タイは「微笑みの国」と言われているけれど、それはごく一部のことと、この国を訪ねた人は悟るだろう。
今朝カオカームーを食べた屋台のちかく、”RED HOG BAR”の看板の下に店を出した汁麺屋台は、いつも客を集めている。客は、バーが外へ出したままのスツールに腰かけて、その汁麺を食べる。機会があれば、僕も試してみることにしよう。
ナナからアソークまではBTSでひと駅。僕はPASMOのようなカードを作ってあるから、乗り降りはとても便利だ。BTSアソークに接続しているのはMRTのスクムビット。MRTはVizaのタッチ式カードで改札口を通過できるものの、僕はクレジットカードを街で持ち歩く気はしない。
券売機の前に立ち「ワンバンコクって駅ができてるよ」と、きのうコモトリ君の教えてくれたとことを頼りにその駅を探すも見あたらない。「場所からすれば駅はルンピニーのはずだが」と不審に思いつつコモトリ君に電話を入れる。彼は困って「だったら駅の窓口に訊いてみたら」と言う。
結構な人数の列に並んで僕の番が来る。駅員は、こういうことを書けばそのうち「ボディシェイミング」と叱られることになるのだろうけれど、比較的面積の広い顔に比較的黒い肌、そこに赤い口紅を塗ったオニーサンだった。「ワンバンコクへ行きたい場合、駅はどこになるでしょう」と訊く僕に「ルンピニーですね」とオニーサンは柔らかに答え、僕が差し出した2枚の20バーツ紙幣に対してお釣りの18バーツを、爪を綺麗にした手で丁寧に渡してくれた。
ルンピニーの駅には12時33分に着いた。13時がちかくなるころコモトリ君から電話が入る。そして二人が立っている場所を徐々に縮めるようにして落ち合う。
鳴り物入りで開業したワンバンコクは、地下鉄の駅に直結する食堂街や、その周辺こそ客を集めているものの、上階へ行くにつれ人の数は減り「これほど経費をかけてカッコ良い店を作り、とてつもなく高かろう毎月の固定費を支払えば、すぐに行き詰まるだろう」と思われる店も少なくなかった。店の新陳代謝は、驚くほど早くなるのではないか。
ホテルにはコモトリ君のクルマで送ってもらった。彼は運転手付きの自家用車で動くため、公共の交通機関には詳しくないのだ。
ホテルに戻るころポツリポツリと降り出した雨は、きのうとおなじような豪雨になった。プロンポンの行きつけのマッサージ屋には16時の予約を入れてある。「マズイことになった」と、外で揺れる南国の木々を五階の窓から眺める。しかしその雨は幸い、15時を過ぎるころには収まった。
15時32分に部屋を出てナナからプロンポンまでBTSで移動をする。バンコクでは、以前はチャオプラヤ川沿いにホテルを定めることが多かった。しかしBTSスクムビット線の便利さを体感するようになってからは、もはや他の場所に泊まる気はしない。
オイルマッサージは2時間。ウドンタニーの600バーツが、バンコクの盛り場では900バーツに跳ね上がる。これがトンローであれば、もっと高くなるだろう。
施術後に「お茶はどうする」と訊かれて勿論、求める。「チャーローン」とはいえタイのそれは、コーヒーや紅茶ほどは熱くない。そのぬるいお茶を飲みつつ「このあたりに美味いイサーン料理屋はないかな」と訊く。オバサンたちは「あそこがあるよ」「え、どこ」「あー、あそこか」と声を出し合って、直後、僕を担当したオバサンは僕の手を引くようにして外へ出た。
数十メートルを歩いてオバサンが指したのは、僕がきのう探して見つけられなかった通称「soi39のイサーン屋台」だった。「soi39」と呼びなわされながら、しかしその屋台は、実際にはsoi37の「ワットポーマッサージ」のはす向かいにあった。
屋台には三人の待ち客がいた。店の人は、順番がちかくなった客にメニュと紙とボールペンを手渡し、それにあらかじめ注文を書いてもらう方式を採っていた。僕に手渡されたメニュにはタイ語があった。それを見て、白人のカップルの次に来た女の三人組のうちの親切なオネーサンが「この人たちには英語のメニュをください」と言ってくれた。
僕はオネーサンを振り向いて「僕は大丈夫です」と答えた。オネーサンのタイ語は一切、理解できなかったが「あらすごい、タイ語が読めるのね」と言ったのだろう。「いえ、口で注文すれば」と添えるとオネーサンはまたしてもタイ語で「あぁ、そういうことね」と答えたのだと思う、納得した顔で快活に笑った。
「外国へ行ったときには、その国の挨拶より先ずは数字を覚えろ」と、むかし本で読んだことがある。「なるほど」の意見である。僕はそれに加えて料理の豊かな国では特に、料理の名を覚えることが肝要と考える。僕の注文は海鮮サラダ、鶏の炙り焼き、餅米、水、そして氷。
僕は15分ほど待って、調理場のちかくの一人か二人しか座れない席に案内をされた。先に出てきたのは海鮮サラダ。その烏賊をフォークに突き刺して食べて「美味いではないですか-」と感心をする。そのサラダのドレッシングに丸めた餅米をひたして食べる。鶏の炙り焼きは、時間を経て冷えたものを出す店もあるものの、この屋台のそれは温かく、肉の骨離れも良かった。
価格は締めて225バーツ。その計算は、いかにもイサーン出身の、浅黒い顔に白い歯の目立つ、若くて可愛い女の子がしてくれた。満足の夕食だった。そして空席を待つ客の数は更に延びていた。ここで夕食を摂りたければ、17時には来る必要があるだろう。
プロンポンからナナまではBTSで僅々ふた駅。夜は特に賑やかなsoi8を辿り、ホテルには19時12分に戻った。そしてシャワーを浴びて歯を磨き、今夜こそはパジャマを着る。そしてこれまた今夜こそは部屋の明かりを落とし、19時43分に寝台に上がる。
朝飯 スクムビット通りからsoi8に入ってしばらく歩いた左側の屋台のカオカームー
晩飯 通称「soi39のイサーン屋台」のヤムタレー、ガイヤーン、カオニャオ、ラオカーオ”TAWANDANG”(水割り)
2025.10.1(水) タイ日記(7日目)
きのう寝に就いたのは19時34分。夢の中で窮屈さを感じつつ目を覚ます。寝台の上でも窮屈な格好で寝ていた。時刻は22時48分だった。幸いすぐに二度寝に入れて、今朝は2時5分に目を覚ます。
先ずはシャワーを浴びて、きのうの夜に塗ったアロエジェルを流す。次は歯磨き。使い終えた歯ブラシはスーツケースにしまう関係上、真新しいフェイスタオルで水気を完全に拭き取っておく。荷作りは、3時にはあらかた終わった。いつまでもコンピュータにかじりついている悪癖が僕にはあるため、5時30分のアラームをスマートフォンに設定する。
06:10 「まだ早いかな」と考えつつ部屋を出る。レセプションで要求された支払いは850バーツ。精算書をくれないので問うと、僕が署名をした4枚の複写式伝票を見せてくれた。二度の朝食は一食が295バーツ、プールサイドバーでの二杯のスカイジュースは一杯が130バーツで、計算は合っていた。「木賃宿でもあるまいし、精算書くらい出してくれよ」と思う。
ロビーのガラス壁の向こうから、こちらのサッカーティームのものだろうか、黄色いTシャツを着たオジサンがしきりに僕を呼ぶ仕草をする。タクシーは既にして来ているようだ。「やはり早すぎたか。しかし空港へ行く時間が早すぎて悪い理由はそれほどないな」と、スーツケースを曳いてガラスの重い扉を押す。
06:14 スーツケースは黄色いシャツのオジサンがトランクルームに載せてくれた。ベルボーイではないのでポケットに用意した20バーツのチップは渡さない。運転手は小さなオバサンだった。
06:24 来たときの空港タクシーが27分間を費やした道を、オバサンは10分間でこなしてウドンタニー国際空港に到着。「タイ航空か」と訊かれて「そう」と答えると、オバサンはターミナルAに車を横付けした。
ホテルのリムジンではないため、料金は250バーツだった。空港から市内までのタクシー代は200バーツ、市内から空港までのタクシーは250バーツとはチェンライのそれと同じにて、なにか協定でもあるのだろうか。
ノックエアとタイ航空のチェックインカウンターには、既にして人が着いていた。紫色の制服を身につけたタイ航空のオネーサンにチェックインの始まる時間を訊く。オネーサンは”Six fourty”とひと言のみの返事ではあったものの、マスクの上の目は三日月のように微笑んでいた。
06:45 チェックインを完了。
ちかくのコーヒーショップのショーケースには、サンドイッチやクロワッサンやデニッシュのたぐいがショーケースに並べられている。サンドイッチの価格は99バーツ。今回ウドンタニーでチップに費やしたお金は1,261バーツ。それでも99バーツのサンドイッチには手が出ない。それが僕の経済観念である。
空港内をターミナルAからターミナルBまで歩いて外へ出る。左手には低い管制塔がある。それを左手に見ながら更に歩く。するとすぐ左には空港の職員が使いそうな食堂があって、奧ではオバサンが何かを炒めていた。そのオバサンに近づいて「汁麺は?」と訊いてみる。「汁麺も、まだダメ」とオバサンは笑って答えつつ、麺を湯がくためと出汁を温めておくための、仕切りのある鍋のフタを開けて見せてくれた。「残念」のひと言である。
07:15 保安検査場を通過。
07:17 エスカレータで二階へ上がり、1番ゲートと2番ゲートを備えた待合室に入る。
08:08 気配を感じて振り向くと、搭乗券には搭乗ゲートが「1」と示されているにもかかわらず、2番ゲートから搭乗が始まっている。タイの地方空港では良くあることだ。
08:11 空港の建物からは沖駐めの飛行機までは歩いて行く。
08:35 Airbus A320-200(32X/3205)を機材とするTG003は、定刻より5分はやくウドンタニー国際空港を離陸。
09:15 「バンコクまで15分」の機長によるアナウンスが流れて「え、そんなに早く?」と驚く。
09:22 車輪の降ろされる音がする。
09:23 TG003は定刻より27分も早くスワンナプーム空港に着陸。
09:42 タラップを降りてバスに乗る。
09:50 バスを降りて空港の建物に入る。
10:04 早くも回転台からスーツケースが出てくる。
10:12 到着階の三階から地下までは、エレベータで降りる。この空港のエレベータは待ち時間が長いため、急ぐときにはエスカレータを使うに限る。
10:15 空港と街をつなぐARLの車両がスワンナプーム空港を発。
10:43 その車両がパヤタイに着。
10:50 BTSスクムビット線の車両がパヤタイを発。
10:58 その車両がナナに着。
11:05 スクムビットsoi8を徒歩で南に下ってホテルに着。四泊分の宿泊料10,200バーツはクレジットカードで払う。
小さなエレベータを5階まで使って507号室に入る。ベランダ付きのデラックスルームではあるものの、面積や年季の入った様子からすれば、せいぜい1,000バーツクラスの部屋だ。その2.5倍の実料金は、場所の良さや需要によるものだろう。そして僕はこのような、街の真ん中にある古くて小さなホテルが嫌いではない。
12:10 部屋を出る。
スクムビットの大通りは、ナナの駅を跨線橋のように使って渡る。そしてsoi11に入ってすぐの左側に待機するモタサイの運転手に「ナナヌア、舟、センセーブ運河」と伝える。オートバイを発進させた運転手が僕を振り向いて何ごとか言う。何を言っているかは想像がつく。「舟に乗るなら、もっと近い船着場があるぞ」だ。僕はそれを知りながら、英語では”NANA CHARD”と表記されるその船着場のタイ語による発音が分からなかったから、そのひとつ西寄りの「ナナヌア」を指定したのだ。舟に乗れればどの船着場でも構わない。僕は「チャイ」と返事をした。soi11から”NANA CHARD”までの代金は50バーツだった。
東から上ってきた舟は、乗客で満杯だった。料金の徴収係に「プラトゥーナム」と告げる。乗船料は14バーツだった。いくつ目かの船着場でちかくの男が周囲に”Change boat”と促す。「ここで乗り換え?」と不思議に感じながら舟を下りる。多くの乗客は船着場から階段を上がって頭上の橋を目指している。雨が降り始めている。
乗り換えた舟でふたたび西へ向かい、いくつかの船着場を過ぎたところで「乗り過ごしじゃねぇか」と気づく。チェストポーチからiPhoneを取り出しGoogleマップを見ると、僕が降りるべきプラトゥーナムは、先ほど舟を乗り換えた船着場だったことに気づく。
そのまま為す術もなく終点のパンファーリーラードまで行く。強さを増した雨は船着場のベンチを後ろ側から襲い、遂には僕も席を立つ。頭上には「タバコを吸ったら5,000バーツの罰金」の看板が提げられているものの、タバコの強い香りがする。周りを見まわすと、僕のすぐ脇にいる白人の指に吸いさしのタバコが挟まれていた。看板が目に入らないのだろうか、あるいは「どうせ何も言われはしない」と、高を括っているのだろうか。
折り返しの舟に、人はいくらも乗っていない。近づいて来た料金徴収係に「駄目で元々」と、来るときに買った14バーツの切符を見せつつ「プラトゥーナム」と伝てみる。「あぁ」と彼は答えて、そのまま舟の後方へと去った。
さてプラトゥーナムの船着場は、驟雨沛然どころではない。屋根の下にいても、強風に煽られた雨が吹き込んで、服が次第に湿っていく。雷光が光り、雷鳴も聞こえる。
プラトゥーナムに来たのは、このちかくにあるマッサージ屋の足の角質けずりが丁寧とウェブ上で知ったこと、もうひとつはスーパーリッチの本店で日本円をタイバーツに換えようとしたからだ。しかしとてもでなないけれど、傘を欠いたまま外へ出られる状況ではない。
しばらく考えて、プラトゥーナムでしようとしていたことは潔く諦める。バンコクではいずれ、帰るまでにすることはほとんど皆無なのだ。
プラトゥーナムから東へ引き返す舟の、料金徴収のオバサンには「アソーク」と伝える。舟の屋根からは雨が漏って、木の床を濡らしている。舟の周囲には雨やしぶきを避けるための厚いビニールが張り巡らされ、それが雨に濡れ、あるいは湿気で曇り、船着場の表示は一切、見えない。
iPhoneのGoogleマップによりアソークが近いことを知って席を立とうとする。その僕を「危ないから」と、先ほどのオバサンが手で制する。アソークで舟を下りると、雨は弱くなっていた。そのまま100メートルほどを早足で歩いて地下鉄MRTのペッブリーに逃げ込む。そこからスクムビットまではひと駅。地下を歩けば高架鉄道BTSのアソーク。雨は上がって、人たちはアソークの大きな交差点を、なにごともなく渡っている。「ダッフンダ」である。
そこからスクムビット線をナナへは戻らず、逆のプロンポンを目指す。そのプロンポンからトンローまでひと駅を乗り過ごしてプロンポンに戻る。駅構内の両替所スーパーリッチの円とタイバーツの交換率は1万円が2,150バーツ。駅から降りてsoi24を南へ歩き、すこし行った右側の、まるで掘っ立て小屋のような両替所KFエクスチェンジでは1万円が2,190バーツ。よってここで10万円を21,900バーツに換える。
この両替に関して少しく葛藤があったのは、先月19日に「タイ中銀、バーツ変動抑制へ介入」のロイターによるウェブニュースを読んでいたからだ。
その本文には「タイ中央銀行のチャヤワディー総裁補は19日、バーツ相場の変動を抑制するため、介入を実施したと明らかにした。」とあった。この「変動を抑制」は、正しくは「バーツ高の抑制」に他ならない。中央銀行のこの「介入」は、果たしていつごろ効いてくるか。初日に続いて今日も10万円をバーツに換えれば、そのほとんどは今回の旅では余る。バーツ高が是正されれば円とバーツの交換率は今日より良くなる。しかし為替の動向は神のみぞ知る領域にある。悩みながらの両替だった。
14:50 今や日の差すsoi8を歩いてホテルに戻る。道の両側はタイ料理屋はもちろんのこと、白人相手の洋食屋に屋台も加わって、こと食べることに関してはまったく困らない場所である。
それにしても、部屋を出た12時10分から部屋に戻る14時50分までの、2時間40分は何だったか。しかしナナからプラトゥーナムへの、新しい経路を開拓できたことは良かった。そして夕刻まではなにもしないで過ごすことを決める。
15:40 ふたたび部屋を出る。外からはときどき鳥の、僕の好きなホーイッ、ホーイッという声が聞こえている。
ナナからクルントンブリーまではBTSシーロム線で一本。そこでスカイトレインゴールドラインに乗り換えて、次のチャルンナコーンで降りる。ショッピングモール「アイコンサイアム」のグランドフロアにあるスックサイアムは、いわゆる「デパ地下」の遊園地だ。距離と時間を考えれば夢の夢ではあるものの、もしも社員旅行でタイへ来られたら、ここは訪問必至の場所である。
同級生コモトリケー君の住むコンドミニアムは、アイコンサイアムから見えている。「歩いて来いよ」とコモトリ君はLINE電話で伝えて来たものの、歩く気はしない。スックサイアムをしばらく逍遥して後はふたたびゴールドラインに乗り、ひと駅先の、終点でもあるクローンサーンを目指す。
コモトリ君の部屋からは、バンコクの街の広がりを、チャオプラヤ川を隔てて望むことができる。ここでしばしの休憩の後、コモトリ君のクルマでこの3月にも来たことのある小さな中華料理屋へ行く。
スクムビットsoi8のホテルまでは、コモトリ君の運転手が送ってくれた。時刻については、よく覚えていない。
朝飯 TG003の機内で配られたミルクティー味のあんこの大福、コーヒー
晩飯 “ROD TIEW”の蒸し鶏、オースワン、クラゲの四川風、家鴨のほぐし肉の北京ダック風、麻婆豆腐、クンオップバミー、サントリージン翠(ソーダ割り)





































































































































