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清閑 PERSONAL DIARY

2026年3月の日記31本

2026.3.31(火) 温と冷の期間的考察

きのうの日記に、更に続けて。

ここ数年の昼食は、熱い汁の有り難い季節はにゅうめん、冷たい麺が欲しくなる季節はざる素麺と、おなじ乾麺を異なる食べ方で続けている。そして昨年の日記によれば、新春から6月19日まではにゅうめん、6月20日からタイへ行く直前の9月24日までは、ざる素麺を食べていた。ということは、熱い汁麺の期間は9ヶ月、冷たいざる麺の期間は3ヶ月で、だから日本の四季においては、いかに夏が稀少なものかが分かる。

今月の2日はウドンタニーにいて、夕刻の蒸し暑さに感動した。タイの暑季は3月から5月ということになっている。しかし2020年3月のウドンタニーは雨がちで寒かったから、今年の暑さには、嬉しさもひとしおだった。次の訪タイは5月の下旬にて、いまだ暑季の続いていることを祈りたい。

ところでインドシナは高温多湿にもかかわらず、そして麺の種類は豊富にもかかわらず、冷たさを楽しむ麺料理は存在しない。冷たい水や氷を得ることが難しかった、という歴史的な背景が関係しているのだろうか。

僕がタイで食事をしていてもっとも違和感を覚えるのは、春雨サラダの、春雨が温かいまま供されることだ。その都度「どうにかならないものか」とは思うものの、それがその国の常識であれば、諦めて従うまでだ。

一方、インドシナは高温多湿にもかかわらず、鍋料理はどこの国にもあって、それについては嬉しい。もっともここ数年のタイの土鍋料理は具を多くして値段を高くする傾向があり、それが一人旅には悩ましいところではある。


朝飯 グリーンアスパラガスとウインナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、納豆、鮭の焼き漬け、胡瓜と蕪のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとベビーリーフのサラダ、キャロットラペとグリーンアスパラガスのソテーとマッシュドポテトを添えたハンバーグステーキ、Cono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018

2026.3.30(月) 麺の在庫

きのうの日記に続けて。

本居宣長の「敷島の、やまとごころを人問はば、朝日ににほふ、山桜花」について、僕は下の句の最後を「山桜かな」と覚えていた。ところがきのう改めて検索エンジンに当たったところ「山桜花」が正しいと学んだ。しかしいつまで脳に刻んでおけるかは分からない。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」にご来店くださったお客様による感想カードの、タイへ行っているあいだからきのうまでの分を、午前の数時間をかけてコンピュータに入力する。隠居の営業日は毎週の土日月で、その三日のあいだに毎日の入力を心がければ、滞留は無い。「分かっちゃいるけど」である。

午後に四階へ戻ったところで、素麺の残りが101束になっていることに気づく。残りが101束なら101日のあいだは保つ、というものでもない。

僕の場合、熱い汁のにゅうめんは、乾麺100グラムひと束で足りる。しかし冷たいざる素麺には1.5束を使う。昨年は6月20日に、にゅうめんをざる素麺に切り替えた。ということは、現在の在庫は7月中には枯渇する。

頼みつけの素麺屋は盛夏にすべてを売り切って、次の品は、仲秋のころにならないと出てこない。そのあいだに当方の在庫が払底したら一大事である。そういう次第にて、次の注文は5月のはじめにすべきと決めて、それをカレンダーに記す。更にはそのボールペンによる細い文字を、緑色の蛍光ペンで強調する。


朝飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
昼飯 にゅうめん
晩飯 菠薐草の胡麻和え、牛蒡と人参のきんぴら、おでん、胡瓜と蕪のぬか漬け、「日の丸醸造」の「まんさくの花神力70」(燗)、いちごのロールケーキ、Old Parr(生)

2026.3.29(日) やまざくら

「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様に桜のことを訊かれるたび「このあたりの桜は、東京にひと月おくれて咲きます。ですから山桜は四月のはじめ、それを追いかけるようにして染井吉野が開き、枝垂れ桜は四月の中ごろから下旬が見ごろになるでしょう」と、お答えをするようにしている。

しかし今年は四階の食堂から味噌蔵の奧にひときわ高い山桜を眺める限り、その全体が紅く染まりつつある。「いやいや、まだ三月でしょ」とは思うものの、自然は人間の予想を超える。

朝礼の後の道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達はイザワコーイチさんひとりに任せ、隠居の庭にまわる。すると山桜は、いまだ盛りの白梅と紅梅の向こうに、既にして鑑賞に堪えるほどに開き始めていた。

早足で事務室へ戻り、壁に磁石で留めた「汁飯香の店 隠居うわさわ」の予約表をざっと見る。4月18日の土曜日には、満席の印が付いている。その中には桜が目当てのお客様もいらっしゃるに違いない。そのころ山桜は、花より葉の緑が勝っているのではないか。染井吉野は散り、座敷の前の枝垂れ桜は早くも「なごり」になっているかも知れない。

桜の見頃については軽々に断じることができなくなりそうな、今年の咲きようである。


朝飯 鮭の焼き漬け、しもつかり、生玉子、山芋のすり下ろし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、おでん、カツ煮、「日の丸醸造」の「まんさくの花神力70」(燗)、アイスクリーム、Old Parr(生)

2026.3.28(土) 糸瓜の水も

東武日光線の車両を北千住で地下鉄千代田線に乗り換え、西日暮里から山手線に乗る。目的地は神田でも、待ち合わせの時間にはすこしの間がある。よって鶯谷で降りて、細い道を鉤の手に折れていく。

根岸の子規庵に来たことは、これまでにも何度かあった。しかし直近は次男が中学1年生のころだったから、もう18年も無沙汰をしていたことになる。しかも下調べはせずフラリと立ち寄るため、開いていないことが常だった。今日も特に調べはしなかったものの、玄関の引き戸にすこしの隙間があり、奧には人の姿があったから、その戸を引いて、案内を請うてみた。

座敷は子規の俳句仲間が集まった八畳間に、子規の個室の六畳間の、ふた間きりだった。今は券売所や物販のための空間になっているところが、いにしえには子規の母や妹の部屋、また台所だったのかも知れない。

子規の家は関東大震災で壊れて修復をされ、第二次世界大戦の空襲では全焼をした。現在の家は寒川鼠骨の尽力により再建をされたものだから、いわばレプリカである。それでも脊椎カリエスを原因として立て膝のまま動かなくなった左脚が当たらないよう一部を切り欠かれた子規の机の布団に座してみれば、目の前の庭にはヘチマの棚があって、すこし感動をした。

なお余談ではあるけれど、表通りの角地にあった豆腐料理の「笹乃雪」が、子規庵の隣に新しく移転していたことには驚いた。よくもまぁこんな込み入ったところに土地を得られたものだ。そのあたりのいきさつをお店の人に聞いてみたい気持ちもあるものの、豆腐は僕にとっては地味な食べものだから、わざわざ来るかどうかは分からない。

さてふたたび山手線に乗って神田で降り、グループLINEで指示された店の階段を上がる。三階には既にして出席者の三分の二は集まっていた。そして自由学園男子部35回生の同窓会に、夕刻まで連なる。

以降のことを書けば長くなるから詳細は記さないが、神田で乗ったらしい京浜東北線の車内で目覚めてみれば、そこは終点の大宮だった。そこから北千住へ戻る車内で、数日前に買っておいた下りの特急券を変更しようとしても、アカギレによりTouch IDは効かず、そうこうするうち時間切れになる。そうして1枚の特急券を無駄にしながら1時間後の特急券をどうにか確保し、22時前に帰宅を果たす。


朝飯 鮭の昆布巻、生玉子、山芋のすり下ろし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「ドトール」のトースト、コーヒー
晩飯 「九州炭火酒場ばってん神田西口店」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、其の九、麦焼酎「二階堂」(オンザロックス)

2026.3.27(金) 雨、止まず

きのう郵便局より届けられた封筒を開けると、入っていたのは普段は取り引きの無い会社からの、結構な金額の請求書だった。支払いの期限は三月末とある。よって9時を前にして早速、それと通帳と印鑑を手に銀行へ行く。「お金は、綺麗に支払う者のところにこそ入ってくる」という、パナソニックに伝わる格言の元の文句は、いまだ思い出せない。その経理部に勤めていた先輩に会えばすぐに教えてもらえるわけだが、その機会が得られないのだ。あるいは先輩であれば、メッセンジャーを用いて訊くことも躊躇われるのだ。

引き続いて、今週月曜日の日記に書いた町会費の請求書を、町内に不動産を持つ三法人に持参する。そのうちの二法人は、その場で年額を支払ってくれた。また町内が不動産を借りている個人への地代は、郵便局のATMから送金をする。

おとといは伊豆にいた。伊豆にも、そこから移動をした東京にも、また夜の特急で戻った日光にも、弱い雨が降っていた。その雨は今日も止まず、夕刻には一度一気に強さを増し、そしてまた静かになった。

明日は集まりがあって、東京へ行く。傘を持たずに済めば、幸いである。


朝飯 茹で玉子のマヨネーズ和え、トマトサラダ、納豆、白菜漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、菜花の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 おでん其の一、おでん其の二、白菜漬け、「日の丸醸造」の「まんさくの花神力70」(燗)、カステラ、Sang Som(生)

2026.3.26(木) 雨がちにて

起床は5時すこし前。先ずは事務室にコンピュータを取りに降り、また「汁飯香の店 隠居うわさわ」の予約表を壁から外す。そしてそれらを手に四階へ戻る。

コンピュータのメーラーを回して「汁飯香の店 隠居うわさわ」に、きのうの終業後から「ぐるなび」いただいたご予約をダウンロードする。そしてそれを紙の予約表に書き入れ、また予約は確かに承った旨を、各々のお客様に返信する。

その後、朝食までのあいだにジグソーパズルのピースが次々と嵌まっていくような、何か気分の良い仕事をしたような気もするけれど、それについては記憶をしていない。あるいはそれは、夢の中のことだったのだろうか。

ところで「4月も近ければ、超極暖タートルネックTでもあるまい」と、きのうから普通のヒートテックタートルTを素肌に着はじめた。今朝もそうしてみると、雨のせいか寒い。よって収納箱に仕舞ったばかりの超極暖を取り出して、それに着替える。三寒四温の時期は「2月から3月のはじめころ」と、暦には記されている。しかし今年はいまだ、そこを脱するに到っていないのだろうか。

16時30分から17時のあいだに四階へ行くと、孫のリコが踏み台に乗って米を研いでいた。その慣れた手つきに大いに驚く。彼女は引き続いて、おでんの鍋の灰汁を掬い始めた。ちなみに僕は、玉子の殻を割るについては、もはや彼女には敵わない。

雨がちの寒い日におでんはよく似合う。酒は日本酒で決まりだろう。そういう次第にて、専用の冷蔵庫から数日前に開けたばかりの一升瓶を食堂へ持ち来る。そして大きめの徳利にて、それに燗を付ける。


朝飯 キャベツのソテーを添えた目玉焼き、納豆、鮭の昆布巻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、白菜漬け、鱈子、おでん、「日の丸醸造」の「まんさくの花神力70」(燗)

2026.3.25(水) 伊豆治療紀行(43回目の2日目)

「タイのマッサージのオバサンの技術、恐るべし」ということで、今日もからだの具合は良く、1万ボルトを発する電子ペンを押し当てられて苦痛な場所はひとつも無かった。

レンタカーを駅前に戻し、伊東10:57発のJR伊東線に乗る。春休みのせいか、しかし少なくない外国人もいて、車内は混み合っていた。そして熱海11:32発の新幹線こだま810号の車内には、卒業の行事に出るらしい、袴姿の女の子が目立った。その車両を品川で降りて、新橋には12:34着。行きつけの床屋には待ち客が多かったため、一時間後に予約を入れて、しばし昼食を摂る。

散髪を終えたら新橋から御茶ノ水へ移動し、聖橋を渡ってそのたもとから湯島聖堂への階段を降りる。雨により石畳は黒く濡れ光り、滑りやすい。一旦外へ出てから斯文会館へ入り、今年の文化講座から漢詩の教室をひとつ選んで係に声をかける。

1990年代から漠然と、漢詩を習いたい気持ちがあった。それがこの歳になってようやく実現しようとしている。斯文会はあまり商売気が無いのか、初回は見学をして、それで納得をしたら正式に申し込むよう言われた。依存は無い。

今回はパタゴニアのウインドブレーカーを着ている。フードの着いた上着は好まないものの、傘を開くほどでもない雨のときには重宝をする。そして御茶ノ水駅二階の喫茶店で時間を調整し、新御茶ノ水から湯島までは地下鉄に乗る。

家内とは天神下で待ち合わせていた。そして小一時間ほどの飲酒活動を経て、ふたたび地下鉄で北千住を目指し、21時すぎに帰宅を果たす。


朝飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
昼飯 「網元とくぞう」の金目鯛おにぎり、「ドトール」のチーズ in ミラノサンドA、コーヒー
晩飯 「シンスケ」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「両関」の樽酒(燗)

2026.3.24(火) 伊豆治療紀行(43回目の1日目)

夜の明ける前にiPhoneでここ数週間の日記を読み返し、文章の修正すべきところを見つける。そしてその部分を画像に残す。

一方、LINEにはバンコク在住の同級生コモトリケー君より、先般、土産にした「なめこのたまり炊」への「このなめこはプレゼント用の『ピセー』だったに違いない。フタを開けた途端、中味が溢れんばかり。世間に媚びない塩気も美味だった」という礼状が届いていた。「ピセー」とは「特別」や「大盛り」を意味するタイ語だが、持参した「なめこのたまり炊」は「タマダー」つまり一般に販売をしているものだ。

上澤梅太郎商店の一番の売れ筋は「らっきょうのたまり漬」でも、自社の製品の中で、僕が子供のころから最も好きで愛用しているのは「なめこのたまり炊」に他ならない。さてコモトリ君への5月の土産は何にしよう。今度はバンコクに居続けだから、要冷蔵の品も持ち込み放題である。

画像に残した日記の三ヶ所は、4時59分より食堂の丸テーブルで修正した。

それはさておき本日は月に一度の伊豆行きであれば、下今市10:52発の上り特急リバティに家内と乗る。北千住を経由して東京駅13:27発の新幹線こだま829号に乗れば、熱海で乗り換えて伊東には14:41に着く。そこからは予約済みのレンタカーに駅前から乗り、先ずは今夜の宿に荷物を置く。

「伊豆痛みの専門整体院」のワタナベ先生によれば、僕は、からだの調子がとことん悪くなって、からだのどこかにそれが噴出するまで気づかない鈍い体質だという。つまり筋肉や筋の好不調は、先生に指摘をされて初めて知ることが多い。

しかしてまた、毎日のようにマッサージを受けるタイから戻ったときには大抵、好調を指摘されることも知っている。

診察台にうつぶせになった僕の足首、ふくらはぎの中ごろ、膝の直下と進んで、膝の両側を抑えた先生の口から今日は「いいねー」の声が漏れた、次いで右の背筋、右の腰を押して「おー、柔らかい。これまでで一番、良いんじゃないの」と続けた。

患部の状態が悪いほど、それを押し当てられたたときの痛みの激しくなる、1万ボルトを発する電子ペンの先端は、今日は僕の皮膚や筋肉に、何も感じさせなかった。そして治療は、ごく短時間で終わった。「助かった」である。

それはさておき、整体院がおなじ伊東市内でも八幡野にあったときにはいつも伊豆急行の車窓から「パン屋に違いない」と眺めていた南伊東駅前の店が、実はフランス料理屋だったことに、今日は検索エンジンを通じて初めて知った。そして19時に予約を入れた。

結論として、このビストロは大正解だった。そして来月に伊豆に来る日にも予約を入れて、宿へ戻る。そして21時に寝に就く。


朝飯 菠薐草のソテーを添えたスペイン風目玉焼き、納豆、鮭の「日光味噌梅太郎白味噌」漬け焼きほぐし、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 やまやのうまだしおにぎりせっと、JAVA TEA
晩飯 “Brasserie ChouChou”のグリーンサラダ、帆立貝のブルゴーニュ風バター焼き、パン、国産鶏モモ肉と4種豆のトマト煮込み、LES PEYRAUTINS CHARDONNAY 2023

2026.3.23(月) 3月は、何かと

何でもかんでも忘れ放題だから、忘れて困ることはすぐにメモに残し、特にすべきことはポストイットに記して事務机の目立つところに貼ることにしている。その、きのうのうちに貼っておいた今日のためのそれには「会計事務所」と「銀行」の二行がある。

10時を過ぎたところで先ずは会計事務所の駐車場にホンダフィットを乗り入れる。そして持参した書類を差し出し、必要な個所を複写してもらう。次は銀行へ向かうも印鑑を持参し忘れたため、一部の手続きは午後に回すこととする。役所での印鑑は随分と不要になった。しかし銀行はいまだ、それの必須なことが多い。

つまり印鑑については日々、不便を感じているところではあるけれど「印鑑はサインよりいい加減だから楽だ。本人でなくても捺し放題だから」という、海外から日本に転居してきたある奥さんの感想もあって、そう言われてみれば、その通りである。

三月も終わりに近ければ、町内の会計係として、町会費を年払いしてくれている法人に宛てて、三通の請求書を作る。自治会長からは、四月の大祭に関係する出金伝票が八枚も届いている。その伝票に従って、祝儀袋や封筒に現金を詰める。今年度の決算がいまだ締められない今の時期に次年度のお金を支出するとややこしいため、それらはすべて、僕が立て替えることとしている。また、総鎮守瀧尾神社の次年度の当番町を担う小倉町三丁目の会計係には、個人の銀行口座からiPhoneを用いて奉賛金を立て替え送金する。

三月は、何かと、忙しい。


朝飯 ハムエッグ、納豆、菠薐草のソテー、トマトとレタスのサラダ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、カマスと柳ガレイの干物、切り昆布の炒り煮、鮭の「日光味噌梅太郎白味噌」漬け焼きほぐし、榎茸の豚三枚肉巻き焼き、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、「日の丸醸造」の「まんさくの花神力70」(燗)

2026.3.22(日) 要注意

節分は立春の前日、啓蟄は3月の上旬から中旬。しかし僕が最も「さぁ、これからだ」と感じるのは、春のお彼岸である。節分や立春のころはいまだ寒くて気分が盛り上がらず、啓蟄は2週間ほど続くから「境目」とか「境界」というにはいささか日数が長い。お彼岸こそ、春を迎えるにふさわしい「区切り」という気がする。

今年の春彼岸は三連休にて、そのうちのどの日がどれほど忙しいかの予想を立てるのは難しい。上澤梅太郎商店は「いま食べごろ」の品をお客様にご提供すべく、毎朝の蔵出しを続けている。このような生産方法を採る場合には、難しいとはいえ、できるだけ正確な計画が必須になる。次の週末までは、難しい舵取りが続くだろう。

その三連休の最中の本日昼前に、東武線の下今市駅へ行ってみた。券売所の表示によれば、上りは10:52発から18:20発までの、すべての特急が満席になっていた。更には18:49発と19:21発にも「ほぼ満席」の札が出ていた。

この週末の混み具合は、恐らくは、11月の勤労感謝の日まで続くものと思われる。鉄道を利用して日光、鬼怒川へいらっしゃろうとしている方は、要注意である。僕も来週末に上京を控えている。東武線の特急券は、往復とも、今のうちに買っておくことにしよう。


朝飯 鱈子、揚げ湯波の甘辛煮、牛蒡と人参のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツアレラチーズのサラダ、具だくさんのサラダ、海老ドリア、カラフの白ワイン

2026.3.21(土) 優秀な道具

起きて洗面所を経由して食堂に来る。食器棚の電波時計は3時49分を指していた。久しぶりの、3時台の起床である。早起きとは、時間の在庫を作ること、という気がする。午前3時から6時までの3時間は、時間の蓄電池だ。そしてそのバッテリーの残量は、朝食の準備を始める6時30分にゼロになるのだ。

5時10分をまわったところで右手の窓に目を遣る。東の空が、早くも赤みを帯びてきている。きのう一昨日は曇天でも、今日からは晴れるらしい。そして5時15分に屋上へ上がり、その様子をiPhoneに収める。

そのiPhoneを開くTouch IDには、アカギレのできない指を選んで登録してあった。ところが昨日はこともあろうにその指にアカギレが切れ、バンドエイドを巻く羽目になった。よって現在はいちいち6桁のパスコードを打ち込まなくてはならず、面倒でならない。

ところで「切れる」といえば、穿いているズボンの左のふとももの部分が擦り切れてきた。小遣い帳を検索してみれば、これは2022年10月にユニクロで3本をまとめて買ったうちの1本だった。価格は1本あたり2,990円だった。3本を週替わりで穿いて3年と5ヶ月も保つとは、優秀な道具である。次の1本も擦り切れたら、そこでまた3本を買うことにしよう。


朝飯 鱈子、揚げ玉、納豆、梅干、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「ユタの店」の餃子、チャーハン、「菊の里酒造」の「大那生貯蔵酒特別純米」(冷や)、サービスの杏仁豆腐

2026.3.20(金) いささか拍子抜け

中東情勢緊迫の折から、ことし9月のタイ行きの航空券を、早くも購入した。その航路は今月前半のそれとおなじく以下の通り。

羽田→スワンナプーム
スワンナプーム→ウドンタニー
チェンライ→スワンナプーム
スワンナプーム→羽田

今月の航空券代金90,100円に対して9月のそれは91,500だから、1.6パーセントの値上がり。燃油サーチャージは、今月の18,830円に対して9月のそれは17,520円で、7パーセントの値下がり。これにはいささか拍子抜けをした。しかしいずれにしても、航空券および燃油サーチャージは、いくらも経たないうちに値を上げるような気がしている。

そしてその勢いを駆って、ということもないけれど、ウドンタニーとチェンライの宿を予約する。ウドンタニーで昨秋、そして今月も使った宿は、ほとんど申し分のないところではあるけれど、プールサイドの日当たりが良すぎる。昨秋などは、曇りの日にパラソルの陰にいても、ひどく日焼けをした。よって予約サイトの評価はすこし低くなるものの、2020年3月に使ったホテルをふたたび選んだ。こちらはプールサイドにプルメリアの木が植えられていて、その木陰が心地よいのだ。

チェンライは、今月、一年半ぶりに使ったホテルの、それも今月とおなじ320号室を予約した。このホテルには複数の不備がある。しかしプールサイドの寝椅子と日除けの絶妙さにより、読む本のページの捗るところが気に入っている。行きつけのマッサージ屋には歩いて1分、ナイトバザールにも、また食堂の集まっているあたりにも歩いて4、5分と、利便性も高い。

最後の1泊はバンコクで、こちらの宿については、5月にアソークの周辺を歩いて、いろいろと検証をしてから決めるつもりでいる。


朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、ウインナーソーセージと小松菜のソテー、納豆、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯「やまだ宴楽」のお通しの鶏手羽揚げ、刺身の盛り合わせ、揚げ出し豆腐、クリームコロッケ、他あれこれ、芋焼酎「三岳」(お湯割り)

2026.3.19(木) 早くも夏の

夏の贈答の季節を迎えるころにお客様へお送りする手紙の挨拶文は、3月8日が締め切りと、デザイナーには伝えられていた。その文章が頭に浮かんだのは3月6日。ウドンタニーのホテルのプールサイドで、だった。数ヶ月先の時候のことに触れつつ文章を作るについては、中々に難しいものがある。しかし今回は日本の夏とかわらない暑さの中にいたため、いくらかは楽だったかも知れない。

さて今日はその挨拶を含むお知らせの、お送り先を特定する日と、前から定められていたらしい。しかしそれを、僕は失念していた。思い出させてくれたのは、事務主任のカワタユキさんである。事務机の左手に提げたカレンダーを見てみれば、そのことは確かに、僕の手書きで書き込まれていた。

そういう次第にて、お客様名簿を最新のものに更新した上で、道具一式をトートバッグに入れ、四階の食堂へ上がる。そして小一時間ほどをかけて、結果を出す。事務室に降りたらそれをサーバに上げ、三名の事務係は、それを自分のコンピュータに取り込む。以降は彼女たちの視認により、お送り先は更に精査をされる。

ところで僕は仕事においては、いつまでもおなじ方法を採ることはしない。抽出の正確性は今日の作業を経て、またまた進化をした。ますます精進をしたい。


朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、山芋のすり下ろし、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、芋がらと万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「和光」のお通しの独活と油揚げの煮つけ、鰹の刺身のたたき風、ポテトサラダ、タン焼き、牛すじ肉のカレー煮、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)

2026.3.18(水) 嬉しい限り

食堂の遮光カーテンを巻き上げたのは5時18分。南東の空は雲と空の重なり合うところが紅く染まりつつあって、思わず「おぉ、綺麗だ」の声が漏れる。美しさが更に増したら屋上でその写真を撮ろうと考える。しかし以降の空は徐々に白茶けて、ただの曇り空になってしまった。

7時30分に朝食を終え、持ち物を整えて、7時40分にホンダフィットにて家を出る。きのうできなかった墓参りには、7時45分より取りかかる。先ずは古い方のお墓で、こちらには江戸時代からの石塔が並んでいる。前回の掃除のときに伏せておいたステンレス製の花立ては七対にて、これを墓石にねじ込み、水を満たし、白菊を活けていく。石塔がいくつあるかは不明ながら、献仏不假香多により線香は6本のみを供える。

手順の合理性を考えつつ、次は叔父と叔母のお墓へ向かう。こちらにも白菊と線香を供え、最後は僕の妹が14歳で病没した際に造った、もっとも新しいお墓の敷地に入る。こちらでは水を含ませ固く絞ったタオルで石塔を拭く。伏せておける形式ではない花立てには雨水が溜まっている。よって線香立てや蝋燭のホヤも含めて水場で洗う。そしてこちらの一対の花立てと線香立てには、それぞれ白菊3本と線香3本を供える。

この一連の仕事を終えると時計の針は50分も進んでいた。意外や時間を食ってしまった。そこから目と鼻の先の道の駅「日光街道ニコニコ本陣」にホンダフィットを回し、これから納めるべき商品を決める。

会社に戻り、商品をホンダフィットに積み、それらを道の駅に納める。そしてその棚出しの最中に開店の9時が来て、正面の口からはお客様が入り始めた。

ところで本日は、月に一度の店休日。毎月のように書いているが、上澤梅太郎商店は、店は休みでも、その裏では経営者も社員も、何かしらのことをしている。本日の社員は三班に別れて、街の諸方の見学へ出かけて行った。一方、隠居には10時より、客席のガラス戸に手を加える工事が入る。それを請け負った面々は、10時ちょうどに現れた。よって彼らを案内して、先ずは隠居の柴折り戸を、次におなじ裏手の大戸を開けて、彼らのトヨタハイエースを招き入れる。

今月の前半はタイへ行っていたため、隠居の庭には半月以上も無沙汰をしていた。その庭の白梅と紅梅は、いままさに満開を迎えていた。座敷の床の間には、菜花を謳った野村素軒の「筑後途上五絶」が掛けられていた。とうとう冬を脱して春になったのだ。嬉しい限り、である。


朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、小松菜とベーコンのソテー、牛蒡と人参のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとレタスのサラダ、パン、牛肉とトリッパと根菜類のスープ、Cono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018

2026.3.17(火) 春彼岸

ホンダフィットで会社を出たら、必要な場所をできるだけ合理的に回って会社に戻るべく、その経路をメモにして、フィットの計器板に貼る。しかし、そのメモの通りにあれこれの運ぶ保証は、無い。

タイへ出かける前に準備した釣銭は、きのうの夕刻にて枯渇した。よって朝一番には、種銭を主に5,000円札と1,000円札に両替すべく、銀行へ行く。また、お金の入ってくる銀行からお金の出ていく銀行に資金を移したりもする。

複数の銀行および郵便局から戻ると間もなく、きのう商談の約束をした取引先の社長が顔を見せる。当方はほとんどすべてのことに不案内にて、専門的なことは、社長およびその部下の方にお任せをする。

それにしても、今回の旅に持参した川本三郎著「荷風の昭和」は面白かった。ウドンタニーでの初日に前篇を読み始め、チェンライでの二日目にそれを読み終えると即、後篇に取りかかった。「あとがき」も含めて全590ページの後篇は、バンコクでの最終日に342ページまで読み進んだ。残余の248ページは、日本でひもとくには勿体ない。再来月のバンコクまでは、封印をすることにしよう。

その5月のバンコクには、活字の枯渇による焦燥を避けるため、次の一冊を持つ必要がある。野見山暁治になるか、関川夏央になるか、それとも本棚から自己を主張してくる他のものになるか、とにかく旅の一番の楽しみは、本を読むことに他ならない。

ところで「必要な場所をできるだけ合理的に回って」は結局のところできず、朝から夕刻までのあいだにどれほど会社を出たり入ったりしたか、しまいには分からなくなった。そして今日できなかったお彼岸の墓参りは、明朝に延期をすることとする。


朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、牛蒡と人参のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」を薬味にした納豆、菠薐草のおひたし干し海老かけ、蕪と胡瓜のぬか漬け、メシ、万能葱と揚げ玉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 グリーンアスパラガスと蛸とトマトのサラダ、パン、牛肉とトリッパと根菜類の煮込み、Cono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018、Chablis Billaud Simon 2018、干し柿、Sang Som(生)

2026.3.16(月) 検診

医療の専門集団が来てくれる会社の検診は、今年は3月3日に行われた。しかしその日程は僕の訪タイに重なっていた。よってそれに先立つ2月27日に、その医療施設に一人で行くこととしていた。ところがこともあろうにその前日に熱を出し、だからその予約はキャンセルせざるを得なかった。

予約をし直した日は今日。これ以上を遅らせることはできない。そういう次第にて8時45分にトヨタハイエースにて会社を出る。Googleマップで所要時間45分間と示された宇都宮東病院には、9時25分に着いた。

問診票その他を受付に出すと、係は53番の番号札を手渡してくれた。その番号が呼び出されたら、今度はそれと引き替えにロッカーの鍵を受け取り、普段着を診察着に着替える。

身長、体重、腹囲、視力、聴力の測定、医師による問診と、検診は次々と進む。もっとも苦手とする採血は、数年前より注射器と3本の採血管を繋ぐ管が固いものから柔らかいものになって、随分と恐怖心が軽減された。採血の係にそれを伝えると、採血をする方もまた、器具の進歩によって気が楽になったとのことだった。最後に心電図を取られて、検診は1時間ほどで完了した。

さて今日の販売係は人数が少ない。時間の合理性からすれば、昼食は病院で摂るのがもっとも有利だろう。そう考えて二階の食堂へ行き、日替わり昼食を注文する。

帰社したのは12時15分。13時30分から1時間の販売補助を、販売主任のサイトーミホコさんより頼まれる。17時以降はまた、店であれこれの手伝いをする。

実は昨年も、会社の検診はひとりで受けた。その際の腹囲は前年より7センチメートル細くなっていて、驚いた係は二度、計り直した。今回は逆に前年より7センチメートル太くなっていて、またまた計り直すこととなった。体重は2キログラムが増え、身長は加齢によるものだろう、1センチメートルほど低くなっていた。体脂肪の10.4パーセントが、状態として良いのか良くないのかは分からない。

もっとも楽しみなのは、採血の結果である。LDLコレストロールやγGTPは、今回は、どれくらいの値になっているだろう。


昼飯 宇都宮東病院内「ななつ星食堂」の日替わりランチ
晩飯 トマトサラダ、パン、牛肉とトリッパと根菜類の煮込み、Cono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018

2026.3.15(日) 次の計画

早朝、南の空に、旧暦1月27日の月が出ている。僕は、夜は飲酒喫飯に専念をして早く寝る。よってその空をしげしげと見ることはない。月に気づくのは大抵、朝になる。

さて今般の旅は「2週間ほどの日程で、ウドンタニーからチェンライへバスで移動をする」という、何年か前に思いついたことを実現させたものだった。バスはウドンタニーを16時54分に発って、チェンライには翌朝の7時20分に着いた。その所要時間は14時間26分。座席は飛行機のエコノミー席のそれより楽だったものの、飛行機なら、席とラバトリーとの行き来に、少なくとも数十メートルは歩くことができる。しかしバスの中では、ほとんど座りっぱなしになる。南の国の常識により空気調整器は20℃ほどの低温に設定され、しまいには膝と足首の痺れる始末だった。

チェンライは中心部にも緑が多く、長く滞在するには良い街だ。しかしウドンタニーにもまた、捨てがたいものがある。「そうであれば」と、飛行機による移動を考えてみた。ウドンタニーとチェンライのあいだに空路は拓かれていない。バンコクを経由してのそれは、以下が考えられる。

ウドンタニー08:40発→スワンナプーム09:50着
スワンナプーム11:35発→チェンライ13:10着

しかしいくら国内線とはいえ、この、スワンナプーム空港での1時間45分の乗り換えには無理がありはしないか。スワンナプーム空港から午後の便を使う手もあるものの、そうすれば貴重な1日が無駄になる。合理性においてはやはり、夜の移動に如くものはないのだ。

今回、バスで最前席を確保したのは失敗だった。運転席と客席を隔てる壁によって「面壁八年」の達磨のような状態を強いられたからだ。次があるとすれば、右列最後尾の窓際を選ぶことにしよう。アウトドア用のヘッドランプがあれば、隣の人に迷惑をかけずに本を読むことができる。しかし荷物を増やすことはしたくない。

今年の9月には、今回の旅をなぞってみようか。日程は、いまだ数日は延ばしたいものの、会社の予定を見てみれば、今回と同じ日数がせいぜいらしい。


朝飯 冷や奴、納豆、生玉子、なめこのたまり炊、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ウフマヨネーズ、ベーコンと三種のキノコのスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2018、エクレア、Old Parr(生)

2026.3.14(土) 帰国

00:10 夜食の丸いチョコレートパンと水が配られる。
02:40 ふと気づくと機内が明るくなっている。すこしは眠ることができたらしい。

これまでのタイ航空の深夜便は、上半身は半袖のポロシャツと木綿のセーターとウインドブレーカーだけでは足りず、下半身は機内用の毛布を腰から足首まで巻く必要があったほど寒かった。よって今回は大事を取って、往復とも、Tシャツにユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTを重ね、更にはモンベルのULサーマラップジャケットまで着た。しかしその往復ともに、離陸するまでの機内はひどく暑く、離陸して以降も、それほど気温は下がらなかった。次回の深夜便については、また服装を見直す必要があるだろう。

02:45 機内食が運ばれる。食べ終えれば即、お膳を後方のギャレーに勝手に片づけ、ラバトリーに備えつけの歯磨きセットで歯を磨く。
03:12 機は沖縄本島と九州のあいだを飛行中。
04:15 ふたたび眠れたらしく、アイマスクを外すと、既にして夜が明けていた。

04:25 「あと24分で着陸」のアナウンスが、女性の客室乗務員よりある。
04:37 「左の窓から富士山が見えます」のアナウンスが機長からあっても、僕の席は右列のため、そのような景色は望むべくもない。
04:42 車輪の降ろされる音がする。
04:47 東京湾のアクアラインが見えてくる。
04:51 TG682は定刻より4分はやい日本時間06:51に、羽田国際空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

07:05 機外に出る。
07:14 入国審査場を通過。
07:50 回転台からようやくスーツケースが出てくる。
07:54 税関検査場を通過。

08:05 京浜急行の印旛日本医大前行きの急行が、羽田空港第3ターミナルを発車。
09:03 人形町で乗り換えた地下鉄日比谷線の車両が北千住に着。

きのう午前、昨秋の日記を参考にして、3月14日の、北千住09:48発の下り特急の座席指定券を買おうとした。ところが土曜日のためか、特急は朝から何本も満席が続き、残席のあるもっとも早い下り特急は11:12発だった。よって今朝の北千住駅では、構内で朝食を済ませると同時におなじフロアのドトールコーヒーに入った。そして既にして完成しているおとといの日記を公開し、更にはきのうの日記のほとんどを書く。

11:12 上記の下り特急が北千住を発。
12:40 上記の下り特急が下今市に着。スーツケースを曳いて歩いて帰宅し、以降は四階で荷物の整理をする。きのうスワンナプーム空港で買ったドライドマンゴーを仏壇に供えながら、子ども達がこぞって線香を供えたのだろう、仏壇のそこここに灰の散っていることに気づく。よってそれを濡れ布巾で拭くうち、他のところまで気になって、結局はあちらこちらを清めることになった。お彼岸がちかいことを考えれば、却って手間が省けて良かった。

チェンライで買った社員への土産は、タイムカードの近くにお盆に載せて置いた。以降は事務机に溜まった書類を片づけつつ夕刻に到る。17時からは販売係のササキセーラさんを手伝って、店に立つ。

さて今回の旅は出発の4日前より体調を崩し、38℃以上の熱を出して、一時はどうなることかと思った。しかし出発日には何とか回復し、現地では日本の夏とおなじ気温の下で元気を取り戻した。連日のマッサージも、健康には寄与したことだろう。次は5月。田舎が好きな僕ではあるけれど、首都に8日間の居続けである。


朝飯 TG682の機内食、「吉野家」の牛丼、味噌汁、おしんこ、生玉子
晩飯 カレー南蛮鍋、なめこのたまり炊、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、イチゴのジャムを添えたロールケーキ、Old Parr(生)

2026.3.13(金) タイ日記(12日目)

気がつくと、30℃に設定した空気調整器は止められていた。しっかりとパジャマを着ている。寝台の下にはスーツケースから出したのだろう、ゴム草履が並べられている。iPhoneは長い方のコードで枕元のコンセントに繋がれている。きのうの記憶は、ホテルちかくの道でクルマの運転手に声をかけられ、目を覚ましたところでプッツリと途切れている。しかしフロントの係に部屋の番号を告げ、鍵を受け取り、部屋に戻り、シャワーを浴びてと、一応は身のまわりを整えたらしい。

さて朝食は、どうしよう。ちなみにこの、スクムビット通りの北側にあるホテルは食堂を備えていない。外へ出て、一旦はプロンポンの駅を歩道橋のようにして北側へ渡り、結局は南側に戻って弁当を買う。それを部屋へ持ち帰って、窓際のカウンターのような机で食べる。

ホテルのチェックアウトは正午だろう。それまでにきのうの日記を完成させ、荷作りを終える。そして正午のすこし前にホテルを去る。スーツケースとバックパックはフロントに預けた。

きのうフロントのオネーサンにレイトチェックアウトの相談をしたろころ「18時までの延長であれば、もう一泊分の料金が必要になります」と言われ、それもつまらないため、断った経緯があった。今夜のフライトは23時15分発。その2時間前に空港へ行くとすれば、21時15分。市の中心部から空港までの公共交通機関を使っての所要時間は1時間。つまり街を20時に出ても、飛行機には間に合う。だったらそれまで何をして時間を調整すべきか。

ふとスラウォン通りのマッサージ屋のことが頭に浮かんで、プロンポンから高架鉄道BTSに乗る。そのスクムビット線をサイアムでシーロム線に乗り換えてサラデーンで降りる。昼のBTSの運行は頻繁ではなく、移動には結構な時間を要してしまった。

バンコクで羽化登仙を味わいたければ、マッサージ屋の有馬温泉で足マッサージと同時に耳そうじを頼むべし。足マッサージ1時間の料金は250バーツ。おおむね30分で終わる耳そうじの料金は350バーツ。チップはオバサンとオネーサンに、それぞれの100バーツと50バーツを渡した。

スラウォン通りはむかしの風情を残していて、バンコクでも好きなところのひとつだ。その通り沿いの喫茶店で冷たいものでも飲もうとしたものの、きのうのマッサージ屋には15時に予約を入れてある。それに遅れてはいけないため、ふたたびサラデーンからBTSに乗る。駅に直結のドンキホーテでは抹茶のセールス中で、399バーツの茶筅を山ほど売っていたのには驚いた。

今度は乗り換えが上手く運んで、プロンポンには14時30分に着いてしまった。よってマッサージ屋ちかくの洒落たカフェ”SARNIES”にて、ブラウンバターラテなるものを飲みつつ本を読む。客のほとんどは白人と、小金のありそうなタイ人ばかりだ。ラテの料金は税込で188バーツ。邦貨にして千円は、コンピュータを使った作業や商談ための場所代と考えるべきだろう。

“MIE”のオイルマッサージ2時間の料金は900バーツ。オバサンには200バーツのチップ。とはいえこの店では2時間を頼んでも、大抵は1時間30分ほどで終了が告げられる。ウドンタニーやチェンライの行きつけとは大違いである。

昨秋は目と鼻の先の「soi39の屋台」で満足すべき夕食を摂った。しかしきのうはホテルの前に、別の屋台ができてることを知った。そうであれば、今回はこちらを使ってみよう。

きのうの夕刻にルンピニーへ行こうとしながら、この屋台の客が、細麺を炒めた、僕の好きなひと皿をテーブルに並べているところを見た。だから僕もそれを頼もうとしたものの、料理の名は知らない。「細麺の炒めたの」と注文しても、店の男の人は「無い」の一点張りだ。「しまった、きのう、その未知の人に料理名を訊いておくべきだった」と後悔しても、当然のことながら、もう間に合わない。

取りあえずはシンハビールと海鮮サラダを注文する。2本目のビールと共に、今度は豚の首肉の炙り焼きを追加する。それにしても、この店の炙り焼きは、これまで食べたどこのものよりも美味かった。出色の出来である。5月には裏を返すことにしよう。料理ふた品とビール2本の代金は410バーツだった。

18:10 夕食を完了。
18:18 ホテルに預けた荷物を受け取り、外へ出る。
18:25 BTSの車両がプロンポンを発。
18:50 エアポートレイルリンクの車両がパヤタイを発。

エアポートレイルリンクと時に併走する高速道路は、ラックラバン付近で上りの路線がひどく渋滞をしている。

19:22 エアポートレイルリンクの車両が空港に着。プロンポンからの所要時間は57分。つまり空港とプロンポンのあいだは2回の乗り換えを要しても、今回の往路の方が9分だけ速かった、ということになる。しかしエアポートレイルリンクで確実に座りたければ、今回のように、始発のパヤタイから乗るべきだろう。

19:35 自動チェックイン機の前には係が必ずいるので、彼らを使わない手は無い。そして荷物預けも完了。スーツケースの重さは9.2Kgだった。
19:51 保安検査場を通過。
19:54 出国審査場を通過。

チェックインが早すぎたか、搭乗券に搭乗口は印刷されていなかった。よってちかくの電光掲示板にて、それがS119であることを確かめる。

20:04 サテライトターミナルへのシャトルトレインが発車。
20:05 その車両がサテライトターミナルに着。
20:13 楽天のゴールドカードを持っていれば誰でも使うことのできるミラクルラウンジに入る。制限時間は2時間とのことを、係のオネーサンに告げられる。ラウンジでは主に、本を読んで過ごした。
22:02 シャワーを浴び、新しいTシャツに着替えてラウンジを去る。
22:17 S119ゲートに達する。

ここでTシャツにユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTを重ね、更にモンベルのULサーマラップジャケットを着る。また、財布のタイバーツと封筒の日本円を入れ替える。

22:49 「搭乗まで15分」のアナウンスが流れる。「搭乗まで15分」にもかかわらず、アナウンスと同時に人が並ぶのはなぜだろう。そのまま座っていた方が楽ではないのか。
22:56 子ども連れとロイヤルシルククラスに続いてエコノミー席の搭乗が始まる。
23:08 右列最後尾72Jの席に着く。往路のときとおなじく機内は暑く、頭の汗を手ぬぐいで何度も拭く。
23:35 プルバックが始まる。
23:48 Boeing777-300er(77B)を機材とするTG682は、定刻から32分おくれでスワンナプーム国際空港を離陸。


朝飯 プロンポン駅北側直下の屋台の弁当
晩飯 アダージョホテル前の屋台のヤムタレー、コームーヤーン、シンハビール、スワンナプーム空港ミラクルラウンジのチキンミートボールと椎茸のクリーム煮をかけたごはん

2026.3.12(木) タイ日記(11日目)

目を覚ましたのは2時30分。次いで3時15分。3時45分に起床して顔を洗い、口をゆすぐ。と、ここまで書いて「口をゆすぐ」よりは、正確を期して「水で口をゆすぐ」と書いた方が良いのだろうかと考える。とすれば、顔についても「水で顔を洗う」と書かなければならない。しかしそれは、ちとしつこい気もする。そして「そうせき」と入力して変換ボタンを押す。「漱石」にはサンズイが付いている。「だったら水は省いても構わないのか」と、ふたたび考える。と、こういうことを書いているから、僕の日記は長くなるのだ。

時刻は6時15分。外ではオニカッコウは無論のこと、種類の知れない南国の鳥も啼き始めた。よって机のすぐ右のカーテンを開けるも、外はいまだ暗い。

きのうの日記はきのうのうちに書き上げてある。その前に、既にして完成している一昨日の日記を公開する。その他、コンピュータによるあれこれをこなして7時25分にロビーに降りる。今日の朝食券を求めると「エイトサーティ、ナ」と、きのうタクシーの手配を頼んだ、その女の人がフロントのカウンター越しに、僕に声をかける。「ありがとう、ありがとう」と、僕は”Thank you”を二度、繰り返す。

今日の昼食の時間は確保できない可能性もある。よって朝食は30分ほどをかけて、充分に摂っておく。きのうの白人は、今朝も、大きな水中眼鏡をかけて、食堂の脇のプールを往復していた。

08:18 すべての荷物を持って部屋を出る。三階の階段の上には、客に顔を合わせると、その都度、胸の前で手を合わせて頭を下げ、しかし言葉は曖昧に発するメガネのオニーチャンがいた。そのオニーチャンにスーツケースを運ぶよう身振りで促す。そしてロビーにて、そのオニーチャンに無理やり20バーツ札を握らせる。

8:22 内も外も磨き抜かれたマツダ車にてホテルを出る。運転手は至極、折り目正しい。

その車が走り出していくらも経たないころ、ズボンの左ポケットに何かの入っている感触を覚える。それを取り出し見ると、ホテルのカードキーだった。

08:40 メイファールンチェンライ国際空港に着。トランクルームからスーツケースを降ろし、釣銭が必要ならそれを取り出そうと、ボディバッグのジップに手を欠けている運転手に100バーツ札3枚を手渡し、お釣りは要らないと言葉を添える。またホテルのカードキーを差し出して「申し訳ないことながら、これはホテルに戻して欲しい」と頼む。運転手はすこし驚いた顔をしてから、慇懃に頭を下げた。

08:45 既に受け入れを始めていたタイ航空のカウンターでチェックインを完了。
08:47 その左横のX線装置のベルトコンベアに自らスーツケースを載せて、荷物預けを完了。
08:50 制限区域内に入る。
08:52 保安検査場を通過。
08:53 2番ゲートに入る。

おととしの秋には、ここからバンコクへの便が機材不良にて4時間も遅れた。その際に使ったラウンジのwifiが自然とiPhoneに繋がったため、メッセンジャーを使って日本と少々のやり取りをする。

09:58 搭乗開始。
10:06 右列最後尾窓際の54Kの席に着く。
10:25 プルバックを開始。
10:35 Airbus A320-200(32X/3206)を機材とするTG131は、定刻に20分おくれてメイファールンチェンライ国際空港を離陸。

飛行機の窓から見おろすチェンライの街は美しい。コック川のほとりに建つホテル”The Riverie by Katathani”、また遠い山の中腹に鎮座する白い大仏は、いつも容易に見つけることができる。しかしこの数日を過ごしたホテル近くの寺ワットジェットヨットは、中心部の屋並みに紛れて、よく分からなかった。

今日のTG131は、ほぼ満席。配られた軽食のスプーンを、手を滑らせてシートと壁のあいだに落とし、しかしどう手探りしても拾えないため、客室乗務員に代わりをもらう。

11:40 青い空に屹立する積乱雲は、いつまでも見飽きない。
11:53 車輪の降ろされる音がする。
11:55 TG131は定刻に1分だけ早く、スワンナプーム国際空港に着陸。
12:16 機外に出る。
12:18 沖まで迎えに来たバスに乗る。

12:25 空港の建物内に入る。
12:33 早くも回転台にスーツケースが出てくる。
12:37 到着階の二階からエスカレーターで地下一階に降りる。
12:46 空港と市内を結ぶエアポートレイルリンクの車両が空港駅を発。ちなみにこの路線には、数ヶ月前よりVISAのタッチカードで乗れるようになった。

空港からホテルのあるプロンポンまでの、鉄道を使った経路は悩ましい。乗り換えを1回に留めようとすれば、遠回りになる。近道をしようとすれば、乗り換えが2回になる。その料金と所要時間を比べたことはないものの、今日は乗り換え2回の、通過する駅の少ない方を選ぶ。

エアポートレイルリンクをマッカサンで降りて、地下鉄MRTのペチャブリーを目指してスカイウォークを往く。首都の天気は雨。傘は持参していない。地下鉄MRTのスクムヴィットからは、高架鉄道BTSのアソークまで地下道を歩く。

13:34 そのBTSの車両がプロンポンに着。本日の空港からの所要時間は48分だった。そして幸いなことに、雨は上がっていた。
13:38 水たまりを避けつつスーツケースを曳き、ホテルにチェックインする。部屋に入れるのは15時からとのことで、荷物を預けて外へ出る。
13:52 LINEにて14時に予約をしておいたマッサージ屋”MIE”に入り、足の角質削りと1時間30分のオイルマッサージを組み合わせたコースを頼む。

15:45 ホテルにチェックインを果たす。「五階まではエレベータ、その先は階段を上がって欲しい」とフロントのオネーサンに言われた部屋のドアを開けた途端「おー」と声が漏れる。想像以上に広く、想像以上に明るく、想像以上にモダンで、バスルームにはバスタブまで備わっていた。宿泊料の1,960バーツは、チェックインの際に現金で支払った。

さて、明日はこの国を去る日であれば、中々に忙しいだろう。そう考えてこの日記のここまでを書き、17時17分にホテルを出る。

ホテルとプロンポンの駅は指呼の距離にある。来た道を戻るようにしてBTSでアソークへ行く。今やもう慣れた経路を辿ってMRTのスクムヴィットからルンピニーまで三駅を地下鉄に乗る。

ルンピニーの、英文では”Ngam Duphli Alley”とある、どう発音すべきか不明の通りは、1982年にも歩いたし、また2023年の春にはここに建つホテルに泊まったから、土地勘はある。

バンコク在住の同級生コモトリケー君は、路地の奥のイタリア料理屋に、既にして来ていた。そして上出来のあれこれにて相当の量の赤ワインを飲み、コモトリ君がGrabで手配してクルマにて、ホテルのある、まるで広場のような通りに戻る。以降のことは、まったく覚えていない。


朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶、トースト、目玉焼きを添えたサラダ、お粥、カプチーノ
昼飯 TG131の機内スナックのココナツのお菓子、コーヒー
晩飯 “Rido”の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、カラフの赤ワイン

2026.3.11(水) タイ日記(10日目)

深更0時すぎに、雷と強風を伴う強い雨があった。一時はとうなることかと心配をしたものの、夜が明けてから窓の外を眺めてみれば、となりの空き地には地面の乾いたところも見えたから、安心をした。

7時30分より食堂で朝食を摂り、8時を過ぎたところで一昨日からの衣類をプラスティック袋に入れ、一昨日も使ったコインランドリーへ行く。洗剤の自動販売機、洗濯機、乾燥機の扱いも、今日はもう、慣れたものである。その乾燥機の回っているあいだに、部屋できのうの日記を書き始める。乾いた衣類はおとといとおなじくその場で畳み、部屋に戻ったら即、圧縮袋に入れた。

その後はコンピュータを1階のロビーに降ろし、11時15分に、きのうの日記を完成させる。二日つづけて朝食を軽くした。その結果でもないだろうけれど、今日は昨日の昼どきより腹が減った。

きのう自転車で街を逍遥しつつあるとき、清楚な女の子の働く店を、チェットヨット通りに見た。そういう女の子の働く店に外れはないと踏んで、ワンカムホテルの裏手に自転車を駐める。その店の目玉焼きとベーコンのサンドイッチは確かに、特にパンが美味かった。代金は、タイのミルクティーと共で199バーツだった。

そのあたりは大昔から白人の群れ集まるところにて、自転車をそのままにして、しばし散策をする。そして今夜の飲酒の場所を見定めて後、遠回りをしながら12時40分にホテルへ戻る。

プールサイドには12時55分に降りた。そして15時15分に設定したiPhoneのアラームに促されて本を閉じ、庭の寝椅子を去る。部屋に戻る途中でロビーに寄り、明朝8時30分のタクシーを予約する。代金の250バーツは、運転手に渡してくれとのことだった。

シャワーを浴びて身のまわりを整理するうち15時50分。必要なもの、すなわち読みさしの本などをセブンイレブンのエコバッグに入れ、自転車なら数十秒で達するマッサージ屋”PAI”の駐輪場に自転車を繋ぐ。

窓から僕の姿が見えていたか、女将に足を洗ってもらって着いた安楽椅子には、既にして熱いお茶が用意してあった。受けた足マッサージは1時間。女将には100バーツのチップ。

そこからジェットヨット通りの”Nice Rental”に自転車を戻して、預け金の1,000バーツを返してもらう。そのまま北に歩き続けて、今夜の飲酒喫飯の店を探す。昼に目をつけておいた店の、店頭に開いたメニュのラザニアには惹かれたものの、一方、おとといの日記に書いた”Surf & Turf”の跡地のイタリア料理屋には”Pizza&Pasta by Hungry Nest”の看板があった。「そうであれば」と、この店の外の席に着く。

ワインを置いた店では常に、グラスにすべきかカラフにすべきかボトルにすべきかで悩む。そして結局は、赤と白のワインをそれぞれグラスで注文する。席に運ばれたワインは特に、赤が良い感じだった。スパゲティプッタネスカは熱く、添えられたチーズの質も良く、頼まなくても塩と黒胡椒のミルを持って来てくれたところにも好感が持てた。そして、すべてを食べ終えても時刻はいまだ17時52分だった。

徒歩でホテルに戻ったら、明日の朝は忙しいだろうから、今日の日記のあらかたを書く。荷作りもする。今日のシャワーは一日を通して水しか出ない。そして20時32分に寝に就く。


朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶、お粥
昼飯 “The Hungry Nest”のベーコンと目玉焼きのサンドイッチ、タイのミルクティー
晩飯 “Pizza&Pasta by Hungry Nest”のスパゲティプッタネスカ、赤と白のグラスワイン

2026.3.10(火) タイ日記(9日目)

目を覚ましたのは1時32分。次は5時12分。起床は5時58分。6時15分より夜が明けてくる。

「ホーイッ、ホーイッ」と啼くタイの鳥はオニカッコウという種類らしい。この鳥は夜中にも啼く。しかし雀などの小さな鳥は、日本と同じく、夜明けと共に啼き始める。チェンライの良さは、街なかに緑の多いこと。鳥が賑やかに啼くことも、また朝のひとときを良い気分にしてくれる。

13時20分にようよう前日の日記を書き終えた、きのうの轍は踏みたくない。上はパジャマ用のTシャツ、下はバスタオルを巻き付けた姿から、ユニクロのTシャツと、これまたユニクロのゆるいズボンという普段着に着替えてロビーへ降りる。そして今日の食券を受け取って食堂へ行く。

いまだ肌寒い朝のプールに泳ぐ人の姿がある。もちろん白人である。昼どきになっても空腹を覚えない、これまたきのうの轍は踏みたくない。今朝は紅茶とお粥を摂るのみにて、食堂を去る。

8時37分にロビーに降りて、きのうとおなじ場所できのうの日記を書く。水の落ちる音に気づいて外へ出てみる。雨が降っている。玄関のマットを敷き直している女の子に「雨だね」と、声をかけてみる。「はい、雨です」と、女の子は驚いたように、しかし笑顔を向けてくれた。

コンピュータを開いたテーブルに戻って”CHIANG RAI WEATHER 24H”と検索エンジンに入れてみる。雨は正午には上がるとそこにはあったから、ひと安心をする。雨が降っては、僕が南の国で楽しみにしているほとんどは、封殺をされるからだ。

きのうの日記は9時55分に書き終えた。雨であれば、今日の日記のここまでも、また書いてしまう。時刻は10時15分。きのうにくらべれば、大余裕の時間運びである。

朝食を調整したこともあって、今日は昼を前にして腹が空いてきた。雨も幸い上がった。よって正午過ぎに、街へ自転車をこぎ出す。気温は、半袖のTシャツ1枚では涼しすぎるほどに低い。

これまで数え切れないほど通った汁麺屋は、驚くことに、向かって左半分がマッサージ屋になっていた。汁麺のメニュは、トッピングを選べるカオソイ、それにナムニャオのみになっていた。カオソイもナムニャオもタイの北部を代表する麺で、チェンライには名店の誉れ高い店もあるけれど、僕にはこの店のそれで充分だ。汁麺の代金は50バーツだった。

帰りがけに隣のマッサージ屋がドアに貼った料金表を見てみれば、足マッサージが30分間で180バーツ、頭と背中と肩のマッサージが30分間で200バーツとあった。この法外ともいえる料金に、果たして入る客はいるだろうか。

ウドンタニーではいつまでも見つけられないでいる貸し自転車が、この街にはいくらでもある。だから機動力を得ることができる。ジェットヨット通りから金色の時計台の前に出て、そこから北へ延びる道に入る。しばらく進んだ右手に、目指す酒屋は、ある。

ところで僕は先週水曜日の日記に「タイの、タバコや酒に関する規制は日本のそれよりよほど厳しい。日中に酒を買うことのできる時間帯は、11時から14時に限られる」と書いた。しかしこれは誤りにて、タイではしばらく前よりその規制が緩み、酒を買うことのできる時間は11時から深夜0時までとなった。しかし「タイの法律など、いずれすぐに変わるに違いない」と高を括って、記憶に留めることをしなかったのだ。

僕の最も好むラーカーオは”BANGYIKHAN”。料金は、おなじ店で昨年の2月に買った1本185バーツよりなぜか安い180バーツだった。

ところで東京の古い飲食店は、僕が三十代のころまでは焼酎を置かないところが多かった。「あんなものは車夫馬丁の飲むもの」との差別感からである。タイの伝統的な米焼酎「ラオカーオ」も、同じ地位にある。しかしタイも酒についての文化が向上すれば、ラオカーオはかならず、正当な評価を得るに到るだろう。

部屋には意外や早く、12時55分に戻った。「一寸の光陰、軽んずべからず」とばかりに、日本から持ち来た1枚、それに数日前に買った2枚の計3枚の絵はがきに、ボールペンで文を書く。開け放った窓の外には、大した眺めでもないけれど、熱帯の大木の緑、そして鳥の声がある。

そうしてまたまた外へ出て自転車を漕ぎ、昨年の2月に見つけた郵便局へ行く。”LANNA POST OFFICE”とは、洒落た名前である。日本までのエアメールの代金は、昨年その価格の高騰ぶりに驚いた1枚あたり60バーツ。3枚なら180バーツでラオカーオ1本とおなじ値段なのだから、日本の常識に照らしても、あるいはタイの物価に照らせば相当に高い。

13時55分にホテルに戻って以降は、プールサイドで本を読む。朝の雨のせいで涼しければ、泳ぐことはしなかった。そして16時より目と鼻の先のマッサージ屋”PAI”へ出かけ、1時間の足マッサージを受ける。代金は200バーツ。オバサンには50バーツのチップ。

足マッサージの利点は、それを受けながら本の読めるところだ。マッサージの後は、乗りつけた自転車を夕刻の街に走らせて、今日はどこにしようかと迷いつつ、結局は慣れた店へ行く。

席に着くやいなや「ソーダですか」と、オニーチャンが訊いてきたのには参った。メニュも見ずに豚挽き肉の玉子焼きを注文する。しかし席に運ばれたそれは、鹹玉子と豚の挽き肉を炒めたものだった。これでは酒の肴にしても、いかにも塩辛すぎる。結局は先日に引き続き、お椀に2杯のメシを平らげることになった。

さて旅の残りの日も少なくなれば、社員に土産を買う必要がある。よってナイトバザールのちかくに自転車を駐める。おととしまとまった買い物をしたところ、予期せずおまけをしてくれたオジサンが今年も店を出していることは、きのうのうちに確かめておいた。そして今回も、そのオジサンからあれやこれやを買う。オジサンはおととしよりも多い、2割5分ほどの値引きをしてくれた。おなじ品が首都の空港では”SPECIAL PRICE”などと、いかにも安そうな値札を付けて、その実、このオジサンの店の三倍ほどで売っているのだから、断腸亭の言葉を借りれば「笑ふべし」である。

部屋には18時25分に戻った。そしてSNSに画像と説明を上げ、また返信を付けるなどする。夜の空を飛んでいくのは、18:55発のバンコク行きタイ航空機だろうか。そして19時30分に寝に就く。


朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶、お粥
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のカイジャオムーサップ、カオスアイ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2026.3.9(月) タイ日記(8日目)

2時28分、次いで5時43分に目を覚ます。南の国ではあたりの明るくなる時間が僕の感覚からすると遅いから、つまり早朝の美しい空を愛でることはできないから、たとえ早く起きても、あまり面白いものではない。あるいは朝の空は、タイでも、春よりは秋の方が綺麗なのかも知れない。

机の前の壁には、毎日すべきことを記した日程表を貼っている。それによれば洗濯は今週の水曜日にすれば良いことになっているものの、既にして着た衣類を数えてみれば、今朝にも洗濯をすべきではないか、という考えが浮かんだ。どうも、日程表と実際の着替えとがずれているような気がするのだ。

そういう次第にて、きのうまでに身につけたものをプラスティック袋に入れて、ホテルを出て右に数軒のところにあるコンランドリーへ出かける。この店は2024年の9月にも使った。しかし2025年の2月にはおなじチェンライでも別のホテルに泊まり、コインランドリーも別の店を使った。店が違えば洗濯機や乾燥機の使い方も変わる。よって今朝はまた、壁や洗濯機の説明を、まじまじと見ることから始める必要があった。

僕の持ち込んだ衣類はたかだか数日分だから、洗濯機は9キログラム用の、もっとも小さなもので済む。その代金は冷水による洗濯で40バーツ。その前に壁の自動販売機にて、液体洗剤を5バーツで買う。そして洗濯機に衣類を入れ、ガラスのドアを閉め、上のフタを開けて液体洗剤を流し入れる。しかして後に10バーツ硬貨4枚を次々と所定の場所に入れ、スタートボタンを押すと、洗濯機はただちに回り始めた。

ひと息をついたところで係のオネーサンが出勤してくる。時刻は8時だった。そういえば、前回は既にしてオネーサンがいて、洗剤の買い方、洗濯機の使い方を、次々と説明してくれたのだった。今日も数分を遅れて来れば、楽ができたのだ。

さて洗濯の時間は30分間だから、洗濯物はそのままにしてホテルへ戻り、朝食を摂る。この食堂はプールサイドに位置していて、壁はない。一日中、壁のないところで食事のできる南の人が、僕は羨ましくて仕方がない。寒くないとは、素晴らしいことである。

洗濯機は、コインランドリーに戻って1分の後に止まった。次は乾燥機。設定はデフォールトで”High”になっていた。こちらの料金は50バーツ。ドアの完全に閉まらないことを心配しつつ、とにかくスタートボタンを押す。

24時間営業のコインランドリーは通りに向かって開け放たれていて、先ほどの食堂とおなじく気持ちが良い。よって部屋へ帰ることはせず、乾燥は本を読みつつ待つことにする。

途中でふと振り返ると、僕が衣類を入れた乾燥機のスイッチを、オネーサンが入れ直しているところだった。「大丈夫ですか」と訊くと「ソーリー、エラー」と、オネーサンは振り向いて笑った。僕のドアの締め方が、悪かったのかも知れない。

洗濯を終えた衣類は、コインランドリーのテーブルで畳んだ。おととし今のホテルに泊まっているときに、ベッドの上に広げた衣類を畳んでいて「すわ、ギックリ腰」という瞬間を経験しているため、もはやその姿勢はとりたくないのだ。部屋に持ち帰った衣類は、今度は混乱しないよう、そこらへんに出しておくことはせず、すべて圧縮袋に収めた。

さてこのホテルを予約した日の日記に書いたことだが、部屋の椅子はスツールで、これに座って机に向かい続けると腰が痛くなる。よって背もたれの付いた椅子をフロントで借りようとしていたものの、それも面倒だ。ここでは日記はすべてロビーの丸テーブルと籐椅子を使うこととして、一階に降りる。

移動日の日記はどうしても長くなる。「タイ日記(7日目)」を書き終えると、ロビーの、ふたつの錘と長い振り子を持つ大きな時計は13時20分を指していた。”PAI”に予約したマッサージの時間は15時。だったら自分はそれまでに何をするべきか。

部屋へ戻って水着に着替え、プールサイドへ降りる。南の国に旅して最もしたいことは、プールサイドでの本読みに他ならない。川本三郎著「荷風の昭和」前篇の全567ページは、13時56分に読み終えた。そして即、セブンイレブンのエコバッグから、その後篇を取り出して開く。

“PAI”の、顔を見知ったオバサンのオイルマッサージは、押される場所によってはかなり痛かった。バスでの長旅により、からだのあちらこちらが凝っていたのかも知れない。「このマッサージを二日つづけて受けるのはきついな」と考えて、女将には明日午後4時の足マッサージを予約した。

さて今日はいまだ自転車に乗っていない。乗らなければ1日分の貸料100バーツは無駄になる。そして夕刻の街に自転車を乗り出し、先ずはチェットヨット通りを北上する。昨年はじめて食べてその美味さに驚いた洋食の”Surf & Turf”は、残念なことに店を閉じていた。だからといって「そこいらへんの店」に入って不味ければ悲しい。ワインの飲める店は明日に調べることとして、ハンドルをナイトバザールへと向ける。

ナイトバザールの、鉄製の黄色い椅子とテーブルを並べた広場では、持ち込んだ食べものや飲み物は摂れないことになっている。それを知りながらペットボトルのラオカーオを飲んでいて、昨年は酒売り場のオバサンに言いつけられたガードマンに注意を受けた。そういう面白くない思い出があるため、今日は”Special Rum”とレッテルにはある”Sang Som”の小瓶とソーダとバケツの氷を酒売り場で買った。料理は顔見知りのオバサンの店にラーメンサラダを頼んだ。酒一式の価格は255バーツ。料理は120バーツだった。

すっかり酔って自転車を駐めた場所まで歩いても、空は昼と変わらず明るい。戻った部屋のシャワーは、今日は燈刻に到っても、寒くないくらいの水しか出なかった。そうしてSNSに情報を上げたり返信をつけたりして、19時20分に寝に就く。


朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェのトースト、カフェラテ、目玉焼きとハムを添えたサラダ
晩飯 ナイトバザール奧のフードコートのヤムママー、ラム”Sang Som”(ソーダ割り)

2026.3.8(日) タイ日記(7日目)

いつの間にか眠りについて、何かのきっかけで目を覚ます。席は、背もたれが深く倒れる点、足元が広い点により、飛行機のエコノミー席よりも、よほど快適である。いつの間にか眠れることに、有り難さを感じる。

00:15 車内の明かりが点いて、次の停留所の近いことを知らせる。7名が降りて、5名が乗ってくる。その中には10歳くらいの女の子もいて「よく起きていられたなぁ」と、一驚を喫する。

00:35 大きなターミナルに着く。きのうの出発時に毛布や水やスナック菓子やサンドイッチをくれたオジサンが、特に僕を見て「トゥウェンティミニッツ」と声を発する。バスを降りてオジサンに場所を訊くと「ピサヌローク」とのことだった。

昨夜21時30分にトイレに行けなかったこともあって、取りあえずは用を足す。大きなトイレには個室が並び、熱と湿気が充満していた。多分、シャワーを浴びることもできるのだろう。

そこから戻りつつ、建物の中を覗く。その入口の上には”VIP”の文字がある。当方は「特に必要な人」でもないものの、見ていると、バスの切符を係に差し出した人たちが中へ入っていく。僕も真似をしてみると、切符にはミシン目が入っていて、係はその一部をもぎった。

社員食堂のようなそこには、汁麺のセルフサービス、お粥のセルフサービス、そしてカオゲーンつまりぶっかけ飯のカウンターにはオバサンがいた。僕は自分の腹具合を勘案して汁麺を選んだ。汁はぬるかった。しかし具の大根は熱くて良かった。

01:31 「トゥウェンティミニッツ」とオジサンに言われたため、汁麺は大急ぎで片づけた。しかしバスは、ここに着いて1時間ちかくも経ってからようよう発車した。

04:20 爽快な気分と共に目を覚ます。Googleマップによれば、バスは、大ざっぱに言えば、2017年3月に訪ねたことのあるプレーからランパーンの方向を目指して、北西に進んでいた。

05:04 これまたGoogleマップによれば、バスはランパーンから国道1号線に入り、チェンライへ向けて、一直線に北を目指しはじめた。

05:29 車内に明かりが点く。
05:32 パヤオの手前で、隣の女の子も含めた8名が降りる。未明の田舎の街道筋に彼らを迎えに来ているのは、家族や友人たちだろうか。
05:50 パヤオの市街を通過。
05:51 パヤオのバスターミナルに着。8名が降りる。

隣に女の子がいたときには遠慮をしていたものの、席と席のあいだにきのうから光を発していた正体を確かめれば、それはUSBのコンセントだった。よって電源の35パーセントまで減っていたiPhoneを、これに繋ぐ。

06:15 夜が明け始める。
06:19 知らない停留所で1名が降りる。
06:31 検問所でバスが停まる。警察のいわゆる「臨検」を受ける。僕のパスポートも入念に調べられる。

07:01 “Chiang Rai Educational…” と読める建物前の停留所で、夜中に乗り込んできた母娘が降りる。朝日が東の山の上に昇る。
07:20 チェンライバスターミナル2に到着。あわよくば街の真ん中のバスターミナル1まで行くのではないかと席に着き続けるも、オジサンに下車を促される。なおオジサンの言葉に慌てるあまり、きのうもらった、いまだ手を付けていない水とスナック菓子とサンドイッチは、席の前の網袋に置き忘れた。

さてこの郊外にある、2010年9月にチェンマイ行きのバスに乗る際に使ったバスターミナル2から市内までの交通の便は、現在、どのようになっているのか。元バックパッカーとしては、馬鹿馬鹿しい金の使い方はしたくない。

トラックの荷台を客席に改造したソンテウは、遠くに2台が駐まっているものの、そのちかくに人の姿は見えない。ターミナルの中の券売所はタイ語のみの案内にて、何が何やら分からない。すこし離れたところに複数の飲食店を認め、そこまでスーツケースを曳いていく。

そのうちのひとつの店に、気の利きそうな、あるいは気の強そうなオバサンがいた。店頭のポットに気づいて、コーヒーは飲めるかと訊く。オバサンは「はい」と答えて、店の前の石の椅子を僕に勧めた。

「ターミナル1まで行きたいんだ」と、オバサンに告げる。「だったらモタサイね、50バーツ」と、オバサンは料金まで教えてくれた。熱いコーヒーの代金は25バーツだった。オバサンはバスのプラットフォームちかくにたむろすモタサイの運転手を、大きな声で呼んでくれた。

予約したホテルは、街の真ん中にあるバスターミナル1からは、徒歩の圏内にある。しかし路線バスでもなければ、モタサイはホテルに直に着けてもらいたい。僕は運転手にホテルの名を告げ、更にタイ語を含むホテルの予約表を見せた。そうして料金を訊くと「80バーツ」とのことだった。僕は喜んで、このモタサイを使うことにした。

運転手は、機内持込サイズとはいえ、僕のスーツケースをシートの前の低くなっているところに置いた。ゴム紐も掛けずに、落ちることはないのだろうか。モタサイは「何かあったら完璧に死ぬ」という速度で広い道を飛ばす。後席から運転手の肩越しに速度計を覗き込むと、それはしかし壊れていて、針は動いていなかった。

モタサイの疾走する道は、見覚えのある目抜き通りに直結していた。「なんだ、ターミナル2は、そんな位置にあったのか」と、不思議の思いに囚われる。ターミナル2からホテルまでにモタサイが費やした時間は僅々7分だった。100バーツ札を差し出すと、運転手は釣りの20バーツ札を返してよこした。その20バーツ札を僕は「お釣りはいいや」と、運転手に戻した。

さてここで時刻は7時46分。ホテルの定めたチェックインの時間は正午。フロントには見覚えのある、細くて可愛いオネーサンがいた。「二年前にも泊まったんだよ」と、オネーサンに声をかける。オネーサンはすぐに部屋の鍵をくれた。三階の部屋までは、ベルのオジサンがスーツケースを運んでくれた。オジサンには40バーツのチップ。時刻は7時50分。素晴らしい、チェンライでの滑り出しである。

しかしながら、僕にはひとつの心配があった。僕は、コンピュータとその充電器は、盗難を恐れてスーツケースには入れない。移動の際には常にバックパックに入れて手元に置く。その、赤いポーチに入れた充電器が、バスの中では見あたらなかったのだ。そして通された三階の320号室にスーツケースを開いても、それは入っていなかった。

きのうまで滞在したホテルでは、チェックアウトから完全に去るまでに2時間ちかくの時間があった。もし部屋に置き忘れたなら、メイドがフロントまで届けただろう。とすれば充電器は、どこに消えたのか。

充電器がなければコンピュータの電源は数時間で尽き、以降はこの日記を書くことができない。だったら今朝、モタサイの後席から右手に眺めたセントラルプラザの電気売場で探すしかない。「面倒なことになった」と、念のため、バックパックの中の、黒いバッグインバッグを開けてみる。すると充電器の赤いポーチは果たして、その中に収められていた。「やった、あった、あった」と、僕は小さな声で快哉を叫んだ。

きのうの日記は、そのANKERの充電器に繋いだコンピュータで10時55分に書き終えた。次にすべきは、自転車を借りることだ。

おととしの9月には、やはりこのホテルに泊まって、近くの寺ワットチェットヨットはす向かいの”Nice Rental”で自転車を借りた。昨年の2月には、別の洒落たブティックホテル「ナイヤー」に泊まった。ここには貸し自転車があって無料で借りられたものの、宿泊料が異常に上がってしまったため、今回は避けた経緯があった。

“Nice Rental”の店頭にはオートバイが目立つものの、奧には自転車も置いてある。そのうちの1日の貸し賃が100バーツの安いものを選び、書類を作ってもらう。「水曜日まで借りたい」と告げると女主人は「水曜日の現在時刻11時15分まで3日間で300バーツ」とボールペンを走らせたため「水曜日は夕方まで借りたいね」と、延長を申し出る。女主人は「だったら4日分の400バーツ」と、今しがた書いた数字の上に、訂正の数字を、より太く、濃く、書き入れた。

その400バーツと保証金の1,000バーツを支払ったところでシートを下げるよう頼む。亭主らしい男の人は、悪戦苦闘をしながら僕の脚の長さに合うところまでそれを下げた。海外の貸し自転車は白人の体格に合わせてあることが多い。ついでに「鍵はちゃんと働きますか」と続ける。亭主はダイヤル式の鍵を回してみる。当然のようにして、それは円滑に動かない。彼はしばらくのあいだ、あちらこちらに潤滑油をスプレーし続けた。南の国の貸し自転車は、本当に、いい加減なものが少なくないのだ。

その自転車を、ナイトバザールの入口ちかくの食堂「ナコンパトム」に乗りつける。そしてカオマンガイとペットボトルの水を注文する。この店の蒸し鶏は、僕の舌が酢豆腐や「ツウ」の水準に達していないからかも知れないけれど、いつも文句の付けようがない。量も多い。だから水も含んだ料金の70バーツは、とても安く感じる。

それはさておき、この食堂の真ん前の、鉄の塀に覆われた大規模な工事現場には、以前は何があっただろう。銀行やらタイ航空の事務所が並んでいたような気もするけれど、今となっては、その記憶も曖昧である。

自転車に付属の鍵はタイヤを動かせないようにする種類のもので、そのままクルマにでも載せれば簡単に盗むことができる。よって念のため、日本から持参した鎖と南京錠を用いて、ホテルの玄関前の柱に固定した。

13時15分からは庭のプールサイドに降りて本を読む。このホテルの寝椅子は本を読むに適した形をしている。またその頭上にはプラスティック製の大きな屋根があるため、太陽の動きに従ってパラソルや寝椅子を動かす煩わしさが無い。僕がこのホテルを選ぶ、理由のひとつである。やがて昼下がりの暑さに根を上げて、遂に水に入って数十メートルを泳ぐ。部屋には14時50分に戻った。

さて次はマッサージ。行きつけの”PAI”は目と鼻の先にある。そのガラス戸を押して「オイルマッサージ、2時間」と告げる。近づいて来た女将は「今日は無理」と言う。よって足マッサージを1時間だけ頼む。驚いたことに、今日は女将みずからが僕の足をタライの湯で洗ってくれた。更にはマッサージも女将がしてくれた。マッサージ師の数が足りていないのだろうか。アカギレはふさがっているものの、平滑でない僕のかかとを女将は専用の道具で削ってくれて、そうこうするうち1時間30分ほどが経った。にもかかわらず請求は1時間分の200バーツだったから、女将には100バーツのチップを手渡した。

そして帰りしなに「明日、午後3時、オイルマッサージ、2時間、どう」と訊くと、女将は「大丈夫」と請け合ってくれた。これくらいでもタイ語で話せるようにしておくと、意思の疎通は早い。

17時の直前にホテルから自転車をこぎ出して、これまで何度も通っている食堂を目指す。この食堂は、通りに面した小さなテーブルの居心地が良く、ペットボトルのラオカーオを持ち込んでも、何も言われない。ここで通りを往く人やクルマを眺めながら本を読み、飲酒喫飯をする時間は、何ものにも代えがたい。

僕の顔を見知っているオニーチャンは、黙っていても、タイ語に中国語と英語を併記したメニュを持って来てくれる。今日はそのメニュにないモツ煮の有無を訊いてみた。元々がお粥屋であれば、それを置いている可能性が高いのだ。果たしてそれは、すぐ席に運ばれた。

チェンライの、晴れた夕刻は最高だ。僕は空心菜の油炒めとメシを追加した。更にはそのメシをお代わりした。「空心菜炒めとタイ米の組み合わせは、タイで食べられる最も美味いもののひとつ」と言ったら、人は嗤うだろうか。

僕がチェンライを好む理由のひとつは、子供のころ、オフクロの、木更津の実家で過ごした日々を、何とはなしに思い出させるからだ。そんな道を辿って18時20分にホテルに戻る。部屋のシャワーは本日3度目にして、ようやくお湯が出るようになった。そして多分、19時より前に寝に就く。


朝飯 ピサヌロークのバスターミナルのセンミーナム、チェンライのバスターミナル2ちかくの食堂のホットコーヒー
昼飯 「ナコンパトム」のカオマンガイ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のサイパロー、パットパックブンファイデーン、カオスアイ、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(ソーダ割り)

2026.3.7(土) タイ日記(6日目)

目を覚ましたのは2時30分。二度寝をして6時15分にカーテンの隙間から空を見上げれば、外はいまだ暗い。6時30分に起床し、ベランダにて歯を磨く。

今日は、食事の配分に気をつけなければいけない。空腹を覚えず昼食を抜くことになっても、夕食を摂る時間は無いのだ。よっていつもの店では、パンの数をこれまでよりひとつ少なくした。そして9時20分になったところで「今日はうかうかしていられない」と席を立つ。荷作りは、10時5分には、あらたか終わった。以降は11時30分まで寝台で本を読み、正午の直前にチェックアウトをする。

昼食は、おとといカオマンガイを食べた”Food Place”の別の店で、鶏のガパオライスを注文した。目玉焼きを付けた価格は60バーツ。まぁ、妥当なところだろう。味は良かった。この店が夕刻まで営業をしていれば、定食を肴にしてラオカーオを飲むことができる。それは今秋の課題としよう。

さてマッサージのオバサンに送った「チェンライ行きのバスに乗るため、今日はソンバットツアーに16時に行く。よって具合さえ良ければ14時前にマッサージを受けに行く」とのLINEは未読のままだ。よって炎天を歩いて、とはいえ距離は大したこともない。マッサージ屋へ行くと、オバサンは外のベンチではなく屋内にいた。送ったLNEをオバサンに見せる。オバサンは「今日は大丈夫」とのことで、取りあえずはホテルに戻り、涼しいロビーで本を読む。そして13時40分に、預けたスーツケースを曳き、バックパックは背負ってホテルを去る。

2時間を頼んでも、2時間以上はし続けてくれるマッサージだが、今日はすこし短かった。客が立て込んでいるのだろう。オバサンは有り難いことにシャワーを勧めてくれた。よってオバサンの出してくれたバスタオルを遠慮なく受け取り、熱めのシャワーを浴びる。

ソンバットツアーの事務所には15時45分に着いた。カウンターの中には、初日に切符を手配してくれたオバサンがいた。そのとき切符の”Platform 1″の文字を指して「これは、そこ?」と目と鼻の先のターミナルを差してみたところ「だから私があたなを、別のターミナルまで送っていくのよ」とオバサンは言ったと僕は解釈をした。しかしそれは、英語をほとんど解さないオバサンの言葉を僕が聞き違えたもので、正しくは「だから、バスの出る場所は、当日に、私が教えて上げるから」だった。オバサンは「ファイブオクロック、プラットフォームフォー」と、数十メートル先の乗り場を指した。

その、オバサンのいるカウンターのそばのベンチで本を読むうち、オバサンがなにやら大声を発する。すると奥のベンチに座ったり横になっていた客たちは三々五々、外へ出た。オバサンは僕にも視線を向けたため、いまだ16時22分ではあったものの、席を立ってバス乗り場へ行く。

オバサンに言われた4番プラットフォームは、昨年の9月25日に、やはりソンバットツアーの太ったオネーサンが教えてくれた”Number 4″と同じところなのだろう。その頭上の看板には”RAYONG”と”BANGKOK”の文字があるけれど、心配をすることはなかったのだ。

16:25 運転手なのか車掌なのか不明のオジサンが、僕のスーツケースをバスの胴体に積む。
16:27 初日に指定した”1C”の席に着く。窓際には、若くて太った女の子が、既にして座っていた。先ほどのオジサンが、毛布と水とスナック菓子を手渡してくれる。運転席と客席はドアを設けた壁に仕切られていて、前方の景色はまったく望めない。

16:54 定時を前にして、バスが乗り場を離れる。乗客は10名。
17:13 街から離れて片側三車線の大きな道に出る。
17:15 ウドンタニー北バスターミナルに着く。4名が乗り込んでくる。
17:19 先ほどのオジサンがツナとマヨネーズのサンドイッチを手渡してくれて、何となく胸をなでおろす。
17:31 いかにも寂しげな北バスターミナルからバスが出る。

17:45 網棚からバックパックを降ろし、そこからユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTとモンベルのULサーマラップジャケットを出して、半袖のTシャツに重ねる。
18:05 大きな夕陽が車窓右前方に、いつまでも見えている。それはそうだろう、バスは一路、西を目指しているのだ。
18:12 車窓から差し込む夕日がいよいよ弱くなったため、それを頼りに本を読むことを諦める。

18:30 マツダ、ニッサン、いすゞの大きなディーラーが並ぶ街ノンブアランプーのターミナルに着く。
18:33 同ターミナルをバスが出る。
19:05 日が完全に落ちる。
19:06 車内に灯りが点る。
19:10 不明の停留所から3名が乗り込んでくる。
19:35 不明の停留所から1名が乗り込んでくる。

20:25 チェンライのそれより、更にはチェンマイのそれより立派かも知れないルーイのバスターミナルに着く。ここで8名が乗り込んでくる。

最前列通路側の席から見おろす運転席の計器板により、空気調整器の設定温度は22℃、風量は最強とのことが分かる。この寒さを望んでいる乗客は、ひとりもいないのではないか。しかし冷房は寒いくらいに効かせることがサービスとの常識が南の国にはあるため、誰も疑問には思わないのではないか。

21:35 最後尾のトイレに入ろうとして、ふらつく足元を踏みしめつつ最後尾へ行く。しかし客席と最後部を隔てるドアがどうしても開かないため、そのまま席へ戻る。バスは、Googleマップによれば、ラオスとの国境を右手にして、西へ進み続けている。


朝飯 “Morning House”の中華ソーセージとベトナムソーセージを挟んだベトナムパン、アイスカフェラテ
昼飯 “Food Place”に入って左手数軒目のブースのパッガパオガイカイダーオ

2026.3.6(金) タイ日記(5日目)

極端な早寝により、昼夜が逆転している。目を覚ましたのは0時10分。窓の外のバービヤ街は、いまだひどくうるさい。

寝台の脇の電気スタンドは、本が読めるまでの明るさは提供してくれない。そのまま輾転反側しても、とてもではないけれど、夜明けを待つことはできない。湯を沸かして粉末のコンソメスープを飲み、コンピュータを開いてきのうの日記を書き上げる。

このところ通っている朝食の店は7時に開く。今朝は8時がちかくなるころに行って、9時前に部屋へ戻る。

きのう体調を崩したマッサージのオバサンには、からだの具合をLINEで訊ね、調子が悪いようなら今日も遠慮をするから無理をすることはないと、言葉を添える。「タイにマッサージ屋など星の数ほどあるだろうに」と問われれば、このオバサン以外の店はどこもかしこも、そこで働く女たちの顔つきや客を待つ姿勢が良くないのだ。これ見よがしにはだけた胸元に刺青のあることも少なくない。

空はこの街に来て以来、ずっと晴れている。しかし今日ばかりは雲が多い。それを幸いとして、10時前よりプールサイドに降りる。曇っていても紫外線は大量に降り注いでいるはずだから、それを防ぐためのメガネはしっかりとかける。マッサージのオバサンからは「今日も偏頭痛で休みたい」旨の返信があった。よって「明日に復調すれば午後に行く」と返信をする。

ところで僕はこの旅の最中にひとつ宿題を抱えていた。150文字ほどの挨拶文を作る、という仕事がそれだ。プールサイドで本を読むうち、その前半部分ともいうべき数十文字を思いつく。iPhoneを引き寄せ見れば時刻は11時をまわったばかりではあったものの、部屋へ戻り、コンピュータを開く。

プールサイドで思いついた文章は、その後、ほとんど形を変えつつ何とか完成した。デザイナーからは3月8日の締め切りを示唆されていて、それはホテルの壁に貼った日程表にも記してある。しかし考えてみれば、求められているのは便箋に手書きの文字。ところが僕は、専用のペンも便箋も荷物に入れ忘れた。そういう次第にて、それを読み込んだファイルをデザイナーに送ることができるのは、早くても15日になるだろう。

そうこうするうちベランダには日が差しはじめた。よって以降の本読みは、部屋の寝台で行うこととする。それにしても、天井の空気調整器は止めているものの、すこし肌寒い。外の気温は35℃くらいか。呆れられるかも知れないけれど、ベランダのドアを開き、外の暖かい空気を部屋に取り込む。ことほど左様に僕は南の国が好きなのだ。地上からはやがて、ココナツミルクの香りが届いてきた。

さて17時が近づいてきたため、服を着て外へ出る。そしてホテルはす向かいの洗濯屋にて、きのう預けた衣類を受け取る。部屋へ戻ってそれを置いたら、いつものように、セブンイレブンのエコバッグに必要なものを入れ、それを提げて、ふたたび外へ出る。

2020年にも2025年にも来た鉄板焼き屋は、ソーダを置いていなかった。2020年にその美味さに驚いたパッタイも、今はメニュにない。昨秋にも注文した海鮮の全部焼きは、今日はいささか量が多く感じられた。

部屋には18時13分に戻った。明日はこの街を離れる日ではあるけれど、荷作りは明日の朝にしても、充分に間に合うだろう。


朝飯 “Morning House”の中華ソーセージとベトナムソーセージを挟んだベトナムパン、カフェラテ
晩飯 “Je Huay Hoi Tod”の烏賊と海老とムール貝と牡蠣のトード、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(オンザロックス)

2026.3.5(木) タイ日記(4日目)

きのう寝に着いたのは多分、18時30分のころだっただろう。それもあって、目を覚まして手元のiPhoneを引き寄せ見ると、時刻はいまだ22時30分だった。万仏節にてひと晩の休みを挟んだ眼下のバービヤ街は、それほどの客がいるとも思われないものの、重低音の効いた音楽が、ひどくうるさい。

それでも何とか眠れて、次に目を覚ましたのは2時30分。この時間でも、バービヤにはいまだ客が残っているらしく、なにがしかの音は聞こえてくる。

三度寝から覚めた時刻は定かでない。覚えている夢のうちひとつは、タイの、いかにも頼りないペットボトルのフタがいつの間にか外れて、そこに小分けした醤油をどこかの玄関に大量にこぼし、しかし旅先にて雑巾もバケツも持っていないから、なにもできずに焦燥しているもの。もうひとつは、客のためのスツールが二客のみの小さなバーで、スクリュードライバーをひとくち飲んだところで手を滑らせ、そのグラスを床に落として割ってしまうもの。バーテンダーはそのままどこかへ去って、ガラスの破片は自分で拾い集めた。いずれにしても、情けない夢である。

夜が明けるころに曇っていた空は、いつの間にか晴れた。その空をジェット戦闘機が一機だけ飛んでいく。たった一機でも、空気を切り裂く音は随分と大きい。尼さんなのだろうか、女の声によるお経の声が、スピーカーに乗って届いてくる。ベランダから通りを見おろすと、2020年と昨2025年に使った洗濯屋には、既にして人が動いている。時刻は8時50分。ベランダで歯を磨き、初日からきのうまでの洗濯ものをプラスティック袋に入れる。別途、セブンイレブンのエコバッグには、本と財布とiPhoneを入れて部屋を出る。

洗濯屋のオバサンが衣類を逐一あらためて作った伝票の総額は、71バーツだった。コインランドリーでも最低100バーツを要することを考えれば、異常に安い。できあがりは明日の17時と告げられた。

そこからいつもの朝食屋へ出かけると、今日は休みだった。だったらホテルのレストランで野菜を大量に食べる手だ。なお僕は、南の国では外の席を好む。責任者らしい男の人は、頭上の大きな扇風機を回してくれるなど、いろいろと気を遣ってくれた。そしてその席には11時20分までいて、ずっと本を読んだ。

それはさておき、今朝、部屋を出ようとしてドアを開けたところ、たまたまメイドのオバサンが用度品の台車を押していくところだった。よって取り急ぎ部屋へ戻り、枕の下の20バーツ札2枚を取り出し、それを手渡しつつ、トイレットペーパーは二巻を置くよう頼んだ。タイのトイレットペーパーは幅が狭く、巻きも少ないため、すぐに使い終えてしまうのだ。オバサンは僕が言いつけたとおり、二巻のトイレットペーパーを洗面台に残しておいてくれた。

タイの最暑期は3月から5月と言われている。今日の気温も35℃は超えそうだ。それは嬉しいことながら、プールサイドで太陽の直射を避けようと、寝椅子を移動させ続けるのも面倒だ。よって今日のところは、本は部屋の寝台で読むことにする。

ところで。チェンライでは、朝にホテルで充分の朝食を摂ると、日の傾くころまで本を読み続けることができる。しかしこの街ではなぜか、昼が過ぎると微妙に腹が減ってくる。今日はカオマンガイが食べたい。しかしホテルの前の通りには白人相手のレストランが並ぶばかりで、タイの軽食を出す店は無い。

ふと、2020年にも2025年にも夜に訪ねて、しかし今回はいまだ足を踏み入れていない、駅へ行く途中のフードコートは昼でも開かれているだろうかと考える。そしてその”Food Place”へ出かけてみれば、果たして多くの店が営業中だった。その中にはたったひとつだが、カオマンガイのブースもあった。あるいは明日の昼も、僕はここに、何かを食べに来るかも知れない。

午後も部屋に引き籠もって本を読んで、15時50分に外へ出る。約束の時間にマッサージ屋へ出かけると、オバサンはいつも外のベンチにいて、僕を見つけると笑顔で手を挙げる。しかし今日に限っては、外のベンチにはオバサンより明らかに年長と思われる別のオバサンがいて、ドアの内側を差した。

サンダルを脱いで中へ入り、安楽椅子に座ってオバサンを待つ。やがて現れたオバサンは「今日は一時間だけにしてくれないか」と言う。その顔色は赤く、何だか辛そうだ。よって「具合が悪いなら明日また来るよ」と答えると、オバサンは安堵をしたようだった。風邪でもひいたのだろうか。

一旦は部屋へ戻り、服を脱いでバスローブを着る。部屋の中では裸同然でいられる、というのも、南の国へ旅をしたときの、嬉しいことのひとつだ。そして17時を大分まわったところで再び服を着て外へ出る。目指すはきのうとおなじ、駅のちかくの屋台街である。

それにしても、この屋台街にある焼鳥屋の、1本5バーツの値段はひどく安く感じられる。一方、きのうのソムタムの80バーツや、今日のイカのサラダ120バーツは、屋台としては高い。それでもそれらを肴にしてラオカーオのソーダ割りを飲み、本を読む時間は、僕に無上の喜びを与えてくれる。きのうとおなじオバサンには、きのうに引き続いて20バーツのチップ渡した。

ホテルには18時38分に戻った。そしてシャワーを浴びて、すぐに就寝の体制に入る。


朝飯 “Banbua Grand Udon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 “Food Place”のカオマンガイ屋のカオマンガイ
晩飯 ウドンタニー駅前の屋台街の2種の焼き鳥、ヤムプラムック、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(ソーダ割り)

2026.3.4(水) タイ日記(3日目)

起床はきのうと変わらない5時30分。既にして完成しているきのうの日記を公開する。その誤字や脱字は、コンピュータよりスマートフォンで読み返した方が見つけやすいのは、なぜだろう。

南の国にいて違和感を覚えるひとつは、日本の夏と同じほどに気温は高いにもかかわらず、夜明けは特に早くないことだ。外の明るくなるころを見計らってカーテンを開け、ついでにベランダに続くドアも開け放って、外気を部屋へ入れる。

旅の日記は、移動を伴わない二日目のそれからは短くなる。きのうは初日の日記を10時25分までかかって書いた。今朝は、7時にはきのうの日記を書き終えて、ベランダで歯を磨く。

今日はきのうより随分と早く、8時を過ぎたところできのうとおなじ店へ出かけ、しかしきのうとはすこし違うものを朝食にする。部屋に戻ったら10年以上も前から取り寄せているメールマガジンを読み、10時45分よりプールサイドに降りる。

ウドンタニーの紫外線は曲者だから、できるだけ避ける必要がある。はじめはホテルの建物に隠れていた太陽が、いつの間にか顔をまぶしくする。頭上のパラソルは重い土台に埋め込まれていて、動かすことはできない。よって寝椅子を傘の陰まで引きずって移す。それでも太陽の直射から身を隠せなくなれば、別の寝椅子に移動する。寝椅子をふたつ移って、それでもどうにもならなくなって、今度は庇の下の、椅子は椅子でも背中を立てていなければならないところに移って本を読み続ける。そして13時30分に部屋へ戻る。

タイの、タバコや酒に関する規制は日本のそれよりよほど厳しい。日中に酒を買うことのできる時間帯は、11時から14時に限られる。よってそれに間に合うよう、トートバッグを提げて、部屋のベランダからも望むことのできる”central plaza”へ行く。そして地下のトップスマーケットにて、昨年とは異なるラオカーオを1本だけ買う。ついでにおなじ階で昼食も済ませる。その汁麺屋は大繁盛で、ほんの狭い一角ながら、10名ほどの若い人が働いていた。

ところで今日のマッサージは、オバサンが母親を病院に連れて行くとかでお休み。だから午後はすることがない。することがないとは、実に素晴らしい。こんな時間をどれほど過ごせば、人は退屈をするのだろう。

17時を前にして、初日の晡下に見つけた、本当に屋台らしい屋台の集まった場所、それはウドンタニーの駅に最も近い大きな交差点の北東の角であるけれど、そこへ出かける。慣れない場所に少しく緊張しつつ、目指す店に飲み物の冷蔵庫のあること、そこにソーダの置かれていることに気づく。近づいてきたオバサンは「すしざんまい」の木村清社長に似ていた。そのオバサンにソーダとバケツの氷、そしてグラスは使い捨てのプラスティック製ではなくガラス製のそれにするよう頼む。

焼き鳥とソムタムを肴にホテルでペットボトルに小分けしてきたラオカーオのソーダ割りを飲み、断腸亭についての文章を読む。そのときの僕は正に無用の人に他ならず、心地よさと嬉しさ、楽しさが、ふつふつと湧いてくる。

背が低くて太っていて首の短いオバサンは、僕が帰るころは交差点のあたりで同僚とおしゃべりをしていた。そのオバサンに20バーツのチップを手渡す。帰りの道は、いまだ昼のように明るい。

部屋には18時13分に戻った。そしてシャワーを浴びて即、寝台へ上がる。


朝飯 “Morning House”の目玉焼きとサラダのホットサンド、アイスカフェラテ
昼飯 “central plaza”地下一階のボートヌードル屋のバミーナムトムヤム(大盛り)、ココナツプリン
晩飯 ウドンタニー駅前の屋台街の2種の焼き鳥、ソムタムタイ、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(ソーダ割り)

2026.3.3(火) タイ日記(2日目)

きのうの就寝は19時すぎ。とはいえ先週なかばの風邪による体力の衰え、また深夜便による寝不足もあったのだろう、寝台を離れる気になったのは、5時を30分も過ぎてからだった。外の充分に明るくなったところでカーテンを開け、ベランダに出てしばし、南の国の空気を吸う。眼下のバービヤ街は、きのうから今朝にかけては、それほどうるさくなくて助かった。

僕は移動を克明に記したいため、旅の1日目の日記はどうしても長くなる。それを10時25分に書き上げたところでバスローブを服に着替える。そして昨秋にも訪ねた店で、遅い朝食を摂る。特にめぼしい屋台でも出ていない限り、この街での朝食はずっと、パンもコーヒーも美味いここに決めて良さそうだ。豚の挽き肉と中華ソーセージをはさんだ小さなコッペパン3個とコーヒーの代金は145バーツだった。

ところで、この街を訪ねるのは今回で3回目になる。初回は新型コロナウイルスの蔓延し始めた2020年3月。このときは雨がちで寒く、南の国の有難味も半分ほどだった。次は昨年の9月から10月にかけてで、薄曇り、更にはプールサイドではパラソルの下にいたにもかかわらず、耐えがたいほどの日焼けをして、それを鎮めるためのジェルを薬局で求めた。そして今回は、きのうも今日も快晴。そういう次第にて、プールサイドにはバスローブを着て降りる。昨年のような日焼けは、もう二度としたくない。

きのうバンコクからこの街へ来たときの飛行機とおなじく、今日のプールサイドも、また混んでいる。寝椅子で寛いでいるのは、僕より年長と思われる白人がほとんどだ。彼らが首都を避け、田舎で過ごす理由は何だろう。

本を読むうち時を忘れて次の用事に支障を来す悪癖が僕にはある。iPhoneには、15時15分のアラームを設定しておいた。しかしそれが鳴る前に部屋へ戻り、シャワーを浴びて服を着る。

16時に予約をしておいたいつものマッサージ屋で2時間のオイルマッサージを受ける。代金は昨年と変わらずの600バーツ。そこからの帰りにこの街で最も大きなショッピングセンター”central plaza”に寄る。

地下の両替所の円とバーツの交換比率は、1万円あたり1,998バーツになっていた。昨秋に飲み残して日本に持ち帰ったラオカーオを持参し忘れたため、酒売り場へ行くと、その一角には赤いテープが巻かれ、張り紙には「Bucha Dayにより3月2日の0時から翌3日の0時までは酒類の販売を停止中」とある。タイの、酒とタバコに対する規制は、日本のそれよりよほど厳しい。

そのままホテルのある通りに戻り、ホテルはす向かいの、昨秋も二度ほど使ったイタリア料理屋に入る。そして開口一番「白ワイン、カラフで」と、オバサンに声をかける。するとオバサンは胸の前で拝むように手を合わせて「今日はお酒はお出しできない」と答えた。なるほど”Bucha Day”なら、それもむべなるかな、だ。席を立つことも考えたものの、だったらどこへ行けばよいというのか。ふたたび外の席に現れたオバサンには、サラダとソーダ水を注文した。

朝のパンには肉が挟まれていたけれど、そして今しがたのサラダにはカリカリに焼いたベーコンが混ぜ込まれていたけれど「まるで精進の一日だったなぁ」と感じつつ席を立つ。


朝飯 “Morning House”の中華ソーセージと豚の挽き肉を挟んだベトナムパン、アイスカフェラテ
晩飯 “da Sofia”のシーザーズサラダ、ソーダ水

2026.3.2(月) タイ日記(1日目)

僕の選ぶ最後部のみのことかも知れないけれど、深夜便の機内は寒い。よって今回は、ユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTにモンベルのULサーマラップジャケットを重ねてきた。しかし駐機中の機内は、やけに暑い。通路を往く女性の客室乗務員は、手にした書類で自分の顔を扇ぐまでしている。そのうち涼しく、更には寒くなるのだろうか。

00:39 Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は、定刻に19分おくれて羽田空港を離陸。

「今回も、眠れずに苦労するんだろうな」と考えつつ、今回はオフクロの遺したデパスとハルシオン各一錠を胸のポケットに入れてきたことを思い出し、ペットボトルの水で服用する。

04:20 目を覚ます。

僕の経験上、深夜便の中でデパスとハルシオンが効くと、3時間の熟睡と共に爽快な目覚めが訪れる。今回は、典型的なそれを得ることができた。機は台湾と海南島の間を飛んでいた。取りあえずは、離陸の直後に配られたとおぼしいチーズとポテトサラダを具にした丸パンを食べ、ラバトリーで歯を磨く。

04:48 朝食のためのワゴンが動き始める。
05:32 ダナンの上空を通過。「ここまで来ればこちらのもの」という気分になる。
05:39 朝食は、クロワッサンを除くすべてを平らげる。
06:05 「バンコクまで40分。現地の天気は曇り。気温は28℃」とのアナウンスがある。

06:38 バンコクの灯りが見えてくる。
06:40 TG661は定刻より10分はやい、タイ時間04:40にスワンナプーム国際空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:56 機外に出る。
05:13 入国審査場を通過。
05:16 回転台からスーツケースが出てくる。

到着階の二階から出発階の四階にエスカレータで上がり、もっとも端にあるタイ航空のカウンターへと向かう。そして近くのオネーサンを「ウドンタニーまで行きます」と呼んで、タイ航空の自動チェックイン機でチェックインをしてもらう。オネーサンはディスプレーに示された空席を差して「どちらがよろしいですか」と訊く。「もう決まっています」と僕は答える。オネーサンは黒変している54Kの席を見て「あぁ、こちらですね」と、すぐに理解してくれた。

そこまでは良かったものの、今朝のバンコク-ウドンタニー便は昨秋のそれとは異なって、随分と混んでいる。気は急いても他に採るべき手は無く、若い人の目立つ列に並ぶ。

05:48 スーツケースの預け入れを完了。
05:54 エスカレータとエレベータを使ってすばやく降りた地下一階の、今回はスーパーリッチのブースで両替を完了。日本円とタイバーツの交換比率は遂に、1万円あたり2,000タイバーツを割って、今朝のレートは1,995バーツだった。

06:01 何のために設けられているのか、まったく厳しくない検査場を通過。
06:15 保安検査場を通過。

ちかくのトイレの個室に入り、ユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTとモンベルのULサーマラップジャケットを脱ぐ。そして半袖のTシャツに着替え、首にインド綿のスカーフを巻く。これでようやく人心地がつく。僕にとって冬の服は、仕方なしに着るものに他ならない。

06:25 B9ゲートに達する。タイの夜は明けきっていない。ベンチで搭乗を待つあいだに、日本から長めの電話が入る。
06:45 搭乗開始
06:58 沖までバスで運ばれてタラップを上る。
07:23 Airbus A320-200(32X3206)を機材とするTG002は、定刻に28分おくれてスワンナプーム国際空港を離陸。

昨秋のおなじ便は空いていて、ひとつ置いた席には刺青だらけの、沈没組と思われる白人の年寄りが、不気味な咳をし続けていた。しかし今回の機内には英語を話す若い人が多く、ほぼ満席の盛況である。

08:13 TG002は定刻に13分おくれてウドンタニー国際航空に着陸。ちなみに「国際」とはいえ実際には、この空港に国際便は発着しない。
08:25 機外へ出て通路を行く。二階から見おろす一階の回転台では、既にして僕のスーツケースが運ばれていた。

昨秋のタクシーは、空港内のカウンターでチケットを発行してもらった。今朝も見覚えのあるその場所へ近づき、ホテルと、それのある通りの名をオネーサンに告げた。ところが今回は、オネーサンはちかくに立つオジサンに声をかけ、オジサンは僕を先導して空港から外へ出た。慣れない国や場所であれば頭の中に警戒警報の鳴り響く場面ではあるものの、そのままオジサンに付いていく。

やがてオジサンは駐車場に駐めた車内にいる別のオジサンに声をかけ、僕には「200バーツ」と伝えた。こと料金に限っては、昨秋と変わらない。

08:38 タクシーが空港の駐車場を出る。
08:53 昨秋とは異なって、今回の運転手は迷うことなくホテルにクルマを滑る込ませる。

08:55 昨秋も相手をしてくれた女装のオジサンにチェックインの手続きをしてもらう。部屋が準備できるのは12時すぎとのことで諒承する。
08:59 早朝の電話により仕事が発生したため、一階のレストランの外の席にコンピュータを開き、800字ほどの文章を書く。

10:20 ロビーに戻ってしばらくするうち、部屋に入れる旨の案内が先ほどのオジサンからある。多いに有り難い。

部屋に入ったら、多すぎる枕や見ることのないテレビのリモートコントローラーを邪魔にならないところへ移す。使わない館内電話は電線を外して遠ざける。逆に、ベッドの両脇にある電気スタンドの片方は、コンピュータを使うテーブルに置く。日常に使う細かいものは、日本から持参したジュエリートレイにまとめてテーブルの端に寄せる。そうして部屋を、自分の好みにしていく。

そんなことをするうち昼が近くなる。昨秋なじみになったマッサージのオバサンには、LINEで予約を入れておいた。グラミチの細いパンツはユニクロの太いものに、革靴はゴム草履に替えて外へ出る。気温は34℃くらいだろうか。すこぶる気持ちが良い。

マッサージの後は、ちかくのバスターミナルへ行く。5バーツでトイレを借り、券売所に入る。冷房の効いた館内に座るオバサンに声をかけられたため「チェンライへ行く」と伝えると「ソンバッ」と、オバサンは外を指した。ウドンタニーからチェンライへのバスの切符は、やはりソンバットツアーの独占らしい。

昨秋、ソンバットツアーのカウンターには太ったオネーサンがいた。そして今日は、優しそうなオバサンがいた。7日に出るバスの切符を買いたいとオバサンに伝える。オバサンは、切符を買うにはパスポートが必要だという。財布からパスポートのコピーを取り出そうとする僕を制して、本体を持って来るようオバサンは言う。仕方なく300メートルほどを歩いてホテルへ帰り、ふたたび戻ってパスポートをオバサンに手渡す。

壁の時刻表には16:00発と18:30発のスタークラス、そして17:00発と20:45発のスーパークラスがあった。運賃は、スタークラスの655バーツに対してスーパークラスのそれは764バーツだから、大した違いはない。トイレのあることを期待して17時発のスーパークラスに決めると、オバサンは席を選ぶよう言って、コンピュータのディスプレーを僕に向けた。僕は最前列の通路側画を選んだ。眺めはよろしいかも知れないけれど、事故には弱い位置だ。

オバサンに紙幣と硬貨で計1,015バーツを手渡す。オバサンは怪訝な顔をして1,000バーツ札のみを受け取った。お釣りは240バーツ。オバサンの手元には電子卓上計算機があるにもかかわらず、である。タイで使える電話を持たない僕に、16時にはこの券売所へ来るよう、オバサンは言った。切符の”Platform1″の文字を指して「これは、そこ?」と目と鼻の先のターミナルを差してみる。「だから私があたなを、別のターミナルまで送っていくのよ」と、オバサンはもどかしそうに口を開いた。僕が礼を述べたことは、言うまでもない。

「さてこれで一段落」と、ちかくの食堂で汁麺を食べる。頼まなくても出てきたペットボトルの水を含んだ価格は70バーツ。汁麺の美味さと安さは明らかに、ウドンタニーよりチェンライに軍配が上がる。

ホテルへ戻り、シャワーを浴びて、すこしゆっくりする。そして日の陰り始めるころに外へ出て、ウドンタニーの駅へ続く目抜き通りを往く。気温は昼よりも上がって、素晴らしい蒸し暑さだ。そして新型コロナウイルスが蔓延し始めた2020年3月に来たときよりも、更に綺麗になった”UD TOWN FOOD CENTER”に入って行く。

飲み残しのラオカーオは、荷物に入れ忘れた。しかも病み上がりの身、である。飲み物を売るブースでチャンビールを注文し、現金で支払おうとすると、支払いはカードでの取り扱いに限られると、オネーサンには言われる。即、納得をして、現金をこのフードコート専用のカードに換える場所を教えてもらう。食べものは、声をかけてきたオニーチャンにカオカームーを頼んだ。

そのカオカームーとチャンビールクラシックを肴にして川本三郎の「荷風の昭和」の前篇を開く。至福の時間である。それにしても、ビールは腹に溜まるのが難点だ。更には強くない度数にもかかわらず、五日ぶりのアルコールは僕を充分に酩酊させた。

駅を背にした西の空には夕焼けがあった。ホテルに戻ってシャワーを浴び、備えつけのバスローブを身につけても、時刻はいまだ19時を1分だけ過ぎたところだった。「それがどうした」と、即、寝台に上がる。


朝飯 TG661の夜食のパン、同機内食、TG002の機内スナック、コーヒー
昼飯 バスターミナル1のちかくの食堂のバミーナムトムヤム
晩飯 “UD TOWN FOOD CENTER”のカオカームー、チャンビールクラシック

2026.3.1(日) 親切なオネーサンと親切なオニーサン

東武鉄道の特急券を買うアプリケーションが、今朝は混み合っていて、いつまでも開かない。よって業を煮やして下今市駅へ行き、上りの特急券を確保する。日曜日の夕刻から夜にかけての上りは、東京から日帰りで来た観光客の帰りに重なるため、うかうかしていると売り切れるのだ。会社へ戻る途中に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ寄り、在庫を確かめる。からだは昨日にくらべて格段に軽く動いている。

以降は会社には出ずに、荷作りの最後のところに取りかかる。今回のスーツケースに、いつもより余裕があるのはなぜだろう。持ち物の一覧表には折りたたみ傘が含まれている。備考欄には「バカニセズモツコト」の添え書きがある。しかしウドンタニーの天気を調べてみれば、これから一週間の降水確率は、5パーセントの日が3日に10パーセントの日が2日。チェンライに到っては5パーセントの日が1日のみのため、今回もまた、傘は持たないことにする。

荷作りを終えたところで食卓にコンピュータ開く。「ぐるなび」の管理画面に入ってみると、3月になったからなのだろう、6月の予約表が操作できるようになっていた。よって電話でご予約くださったお客様をその表に確定させ、他に休み時間なども設定する。

さていつのことだったか、旅の初日にタクシーを頼んだところ、その時間なら自分が送れると、家内に言われたことがある。よって駅までは、家内の運転するホンダフィットにて送ってもらう。

18:49 けごん52号が下今市を発。
20:21 けごん52号が北千住に着。

20:24 日比谷線の車両が北千住を発。
20:40 日比谷線の車両が人形町に着。

20:44 都営浅草線の羽田空港行き急行が人形町を発。
21:23 その車両が泉岳寺を経由して羽田空港第3ターミナルビルに着。

21:30 預け荷物がある場合には、セルフチェックイン機を使っても意味がないため、Kカウンターの長蛇の列に並ぶ。
22:04 蛇行する行列に34分のあいだ並んで荷物あずけを完了。スーツケースの重量は9.3キログラムだった。なお今日の係のオネーサンは、スワンナプーム空港での、ウドンタニー行きへの乗り換えに際して荷物が早く出てくるよう、僕のスーツケースには、コンテナではなく、手での積み込みを指示する”BULK”の紙を貼ってくれた。多いに有り難い。このような親切な扱いを受けたのは初めてのことである。

22:16 保安検査場を通過。
22:19 出国審査場を通過。

楽天のゴールドカードがあれば誰でも手に入れることのできるプライオリティパスは、僕の場合、年に5回しか使えない。残りの権利は1回のみにて、それは帰りのスワンナプーム空港に取り置いて、今日はラウンジは使わない。147番ゲートへ向かう途中でホットドッグとコーヒーを夕食とする。

23:05 147番ゲートから変更された148番ゲートに達する。
23:34 ロイヤルシルククラスから搭乗が開始される。
23:48 右列最後尾通路側の63Hの席に着く。
23:51 薬を飲むためのコップの水をくれるよう客室乗務員のオニーサンに頼む。「コップの水」というのは、以前、一度だけのことではあるけれど、ペットボトルの水をオネーサンに求めて断られたことがあったからだ。ところが今日のオニーサンは水のペットボトルを1本ならず2本もくれようとしたため、その分はあわてて断って席へ戻り、おととい処方をされた咳止めと去痰剤を服用する。


朝飯 鮭の焼きほぐし、梅干、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Cafe&Bar RAGE Tokyo Sky Kitchen”のホットドッグ、コーヒー

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学