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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

2016年10月の日記31本

2016.10.31(月) すぐに腹が減る

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「腹へったー、カラ弁当ー」と、小学校の3年から6年までを受け持ってくださったエダタダシ先生はときおり、CとDの2音のみの、しかし歌のようなものを口にされた。「とことん腹が減ると、額に脂汗がにじんでくるんだ。そんな経験、みんなは無いだろ」と、中学校の国語教師タケイイワオ先生はある日、おっしゃった。おふたりの共通点は、子供のときに第二次世界大戦を経験されている、ということだ。

僕が太らないのは、食べた物がすぐにどこかへ消えてしまう体質のせいではないかと思う。

むかしの職人や芸人は一膳飯を嫌った。僕はむかしの職人や芸人ではないから、ごはんは必ずお替わりをする、というような習慣は持たない。しかし平均的な日本人にくらべれば、それよりたくさんの米飯を食べていることは確かだ。そういう朝食を摂りながら、しかし午前10時30分を回るころには、もう腹が減っている。

今朝は弁当を詰めることができなかった。そして午前10時30分の僕は昼にも少なくない量の米飯を食べることを望んでいる。そういうときは「大貫屋」のオムライスである。あのケチャップライスの量は1合ちかくあるのではないか。そうしてその薄焼き卵の香りを鼻の先に思い浮かべつつ、11時30分まで午前の仕事を続ける。


朝飯 牛蒡と人参と鶏挽き肉の炒りつけ、揚げ湯波とひじきと人参の甘辛煮、豆腐の卵とじ、納豆、じゃこ、メシ、豆腐と若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップはかけないでね特注)
晩飯 ハムとトマトとレタスのサラダトマトとクリームチーズのスパゲティ“Chablis Billaud Simon 2014”「久埜」の栗蒸し羊羹

2016.10.30(日) 長く使う

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“trippen”の、2010年2月に買った”SCOOTER”の左の「スベリ」が今年の中ごろから剥がれてきた。よって今月13日、恵比寿へ行ったついでに「trippen代官山店」まで足を延ばし、その修理を頼んだ。そうしたところ、すり減った踵の盛り直しもしておけば、靴底を貼り替えるまでの年数が稼げるから経済的と女店員に助言を受けた。時と場合によるけれど、本職の意見には従う質だから、そちらの方も頼んで店を出た。

その靴はきのう届いて、しかし繁忙から、箱を開けるのは今日になった。中には僕の靴のイラスト入りの、文字数の多い丁寧なハガキが入っていた。その署名を見て女店員の名はオータキさんと知った。

“trippen”の靴には前衛的なデザインが多い。そのうちの、僕の持つ2足は大人しめのものである。更に買い足しても良いけれど、いまの2足はこれから10年を経ても健在だろう。物欲を脇に押しやれば、3足目の必要は無い。

道具は手入れをしながら長く使うのが好みである。


朝飯 納豆、茄子の炒りつけ、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、牛蒡と人参と鶏挽き肉の炒りつけ、胡瓜のぬか漬け、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁
昼飯 鍋焼きうどん
晩飯 肉団子と白菜の鍋、米焼酎「白水」(お湯割り)、“Chez Akabane”の杏仁豆腐、チェリーブランデー

2016.10.29(土) 食器

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「食器を買うときの最低単位は10客」とは、オフクロが常々、言っていたことだ。そしてそれをし続けたオフクロの居住空間はゴミ屋敷になった。そういう僕も、いくつかの食器を5客ずつ買ったことがある。以来30年、それらの器は結局のところ、それぞれ1客ずつしか使っていない。

その経験により今は、気に入った食器を見つけると、1客あるいは2客のみを買う。そして昔からある食器のうち、気に入らないものは惜しまず捨てる。あるいは捨てないまでも、自分では使わない。

今朝の3人分の納豆、おなじく3人分の野菜と挽き肉の炒りつけも、それぞれ異なる器に盛られた。そこから僕は気に入った器のそれを自分のお盆に載せ、気に入らないものは家内と長男に回す。その繰り返しにより、この日記の朝食の画像には、いつも決まった食器が並ぶことになるのだ。

この秋は、秋刀魚皿と鰯皿をそれぞれ色を違えて2客ずつ買った。鰯は年間を通じて丸干しが買えるから焦りはしない。しかし問題は秋刀魚である。ことしは秋刀魚の塩焼きを1度も食べなかった。そしてその旬はとうに過ぎた。このまま冬に突入、の感じである。


朝飯 牛蒡と人参と鶏挽き肉の炒りつけ、納豆、ひじきと人参の炊き物、「しいたけのたまりだき」と三つ葉の玉子焼き、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「大昌園」のあれやこれや麦焼酎「田苑」(オンザロックス)

2016.10.28(金) 朝焼け

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深夜1時35分に目を覚まし、そのまま起きてしまう。きのうは23時まで食堂にいた。ということは睡眠時間は2時間30分。眠気を感じない理由は分からない。

食堂のテーブルであれこれしながらふと気づくと、右手のカーテンが明るみを帯びている。そのカーテンを巻き上げると、外にはなかなか綺麗な朝焼けがあった。それが数十分後にはどんよりとした曇天になってしまうのだから、天気とは不思議なものである。

おとといの東京は26℃の暑さで、僕は麻のシャツ1枚で歩いていた。その暑さはきのうまで続いた。ところが今日は、昼すぎに降り始めた雨が夕刻には氷雨に変わる寒さである。

日本酒を対象とした飲み会「本酒会」の会員は現在8名。月に1度の例会に姿を見せる会員の、もっとも少なかったときは2名。普段は4、5名だから、小さな中華料理屋「食堂ニジコ」の4人用のテーブルでも充分に対応できるだろうと、この店を今年の会場のひとつとした。

ところが「そういうときに限って」と苦笑いをしたくなるけれど、今夜の参加者は7名もいた。初見ながらこの店を気に入ったイチモトケンイチ会長は、来年はここで2度の例会を持ちたいと、僕が着く前に店主には告げたという。

日光市今市旧市街の、全長800メートルにわたる日光街道沿いに、飲食店は僕の知る限り3軒しかない。「食堂ニジコ」を含むその3軒には、できるだけ長く続いて欲しい


朝飯 納豆、春雨炒め、目玉焼き、生のトマト、揚げ湯波とほうれん草の淡味炊き、茄子の炒りつけ、メシ、揚げ湯波と北浦若葉葱の味噌汁
昼飯 朝飯の残りで作った弁当
晩飯 「食堂ニジコ」のあれやこれやそれや。4種の日本酒(冷や)

2016.10.27(木) 山を目指して帰る

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秒単位とまではいわないけれど、会社にいる限りは分単位で仕事をこなす。「朝くち行きます」とメールで連絡をしてくる人がいる。「朝くち」とは一体全体、何時のことか。「朝一番で参ります」と電話をしてくる人がいる。「朝一番」とは一体全体、何時のことか。時間は「○時〇分」と、具体的に指定して欲しい。

11時に約束をした人が11時3分前に来る。その面談を10分でこなし、ホンダフィットを運転して宇都宮に向かう。3時間ほど仕事をして、いまだ日の残る日光宇都宮道路を、男体山を目指して帰る。宇都宮と日光を結ぶ高速道路を走る限り、紅い葉などはどこにも見えない。それはそうだろう、いろは坂の紅葉でさえ、いまだ見ごろにはなっていないのだ。

きのう今日は自分にとっては関門だった。しかし明日は楽である。あるいは、儲かりもしなければ経費削減になるわけでもないところのみが難点の、好きな仕事が控えている。

朝、早く起きない限り、自分の時間は持てない。早く寝ようとしながら今夜は23時になってしまった。入浴後、食卓で気づかないままうたた寝をしていたのかも知れない。


朝飯 揚げ湯波とほうれん草の淡味炊き、里芋と牛肉と「しいたけのたまりだき」の煮つけ、人参とピーマンのきんぴら、納豆、メシ、若布と揚げ湯波と野口菜の味噌汁、メロン
昼飯 「コメダコーヒー」のカツサンドブレンドコーヒー
晩飯 豚肉とほうれん草の鍋その鍋で作ったラーメン、芋焼酎「八幡」(お湯割り)

2016.10.26(水) ジグザグというよりも

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下今市07:05発の上り特急スペーシアに乗れば、秋葉原には9時に着く。数日前に予約をしておいた「秋葉原LUMIX&Let’s note修理工房」を訪ね、このところバッテリーが急に衰えたLet’s noteを窓口のオネーサンに手渡す。

奥のブースに引っ込んだオネーサンはややあってふたたびカウンターに戻り、不具合はバッテリーではなく、ウインドウズアップデート関連のプログラムの常駐によりCPUの負荷が高くなっているところにある。必要なのはプログラムの修正であり、バッテリーの交換ではないと説明をしてくれた。修理費用は僅々3千数百円。そのままコンピュータを預け、外に出る。

品書きには「焼きそば」とあっても実は焼いていない不思議な麺を昼に食べているとき長男と電話が繋がる。長男とは本日、夕食を共にすることにしていた。それが体調不良により叶わなくなったという。

2名の予約を1名に変更することは、店のために忍びない。よってLINEや電話で思い当たる数名に連絡をするも、みな今夜の予定はふさがっていた。最後はfacebookで相手を募ろうかとまで考え、しかしそれについては思いとどまった。

池袋、新橋、六本木と歩くうち夕闇が迫る。市ヶ谷を経由し秋葉原に戻る。そして修理の完了したLet’s noteを受け取る。11月がちかいにもかかわらず、今日の東京の最高気温は26℃とのことだ。上半身には麻のシャツ1枚のみを着ている。

新橋には山手線で戻った。今朝からの移動を線にすれば、それはジグザグというよりも、角張った渦巻きになるかも知れない。東洋人の男と東洋人の女が英語で話をしている、そんな香港映画のような雰囲気の店で鮨を肴に冷えた日本酒を飲む。

浅草には20時6分前に着いた。よって持っていた21:00発の切符を窓口で20:00発に変更してもらう。「さすがに寒かろう」と身構えつつ下今市駅のプラットフォームに降りると、しかしここでも空気は温かかった。


朝飯 5種のおむすび、シジミと北浦若葉長葱の味噌汁
昼飯 「新珍味」の焼きそば
晩飯 「鮨よしき」のあれやこれやそれや。「三千盛酒造」の「悠醸純米大吟醸」(冷や)

2016.10.25(火) 肉じゃが、ではない。

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先日、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に納品をしながら、やはり野菜を納めに来た農家の人たちの立ち話を聞いた。話題はこの秋の長雨についてのものだった。「人参は土の中にあるうちから割れて腐る」と、そのうちのひとりが嘆いていた。「ことし良いのは芋くらい」と相手はそれに応えていた。芋は甘くない限り好物である。

今夜のおかず、僕の場合にはそれはおかずというより酒の肴であるけれど、そこには肉じゃが、否、里芋と牛肉の煮付けがあった。家内によれば「しいたけのたまりだき」の「たまり」と日本酒を割り下として牛肉を煮る。そこに電子レンジで柔らかくした里芋を投入して更に煮れば完成、ということだった。甘口の好きな人は砂糖か味醂を加えても良いだろう。

この夕食を終えると煙草を吸いたい気分になったので、ベランダに出て今年3本目の煙草を吸う。

僕は春夏秋冬、年に4本の煙草を吸う。なぜ吸うか。マリファナなどよりよほど習慣性の高いドラッグまがいのものを法で許している国家の無定見さが面白いから吸う。なぜ年間4本に限るか。アル中ポン中モヒ中の同類にはなりたくないからそうしている。秋の湿った夜気の中で吸うそれは隨分と美味かった。


朝飯 人参とピーマンのきんぴら、揚げ湯波と蕪の葉の炒め煮、ウインナーソーセージのソテー、大根のぬか漬け、牛蒡のたまり漬(試作品)、メシ、若布と揚げ湯波とピーマンの味噌汁、メロン
昼飯 牛蒡のたまり漬(試作品)、大根のぬか漬け、揚げ湯波と蕪の葉の炒め煮によるお茶漬け
晩飯 ほうれん草のおひたし、大根と胡瓜のぬか漬け、厚焼き卵、里芋と牛肉の炊き物鯛飯、「高良酒造」の芋焼酎「八幡」(お湯割り)

2016.10.24(月) 牡蛎フライ

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今朝は5時すこし前に目を覚ました。仏壇に花と水とお茶と線香を供えてから食堂に戻り、サム・クックの”at tha Copa”を聴く。彼のアルバムでは熱狂の、そして「名盤中の名盤」といわれる”THE HARLEM SQUARE CLUB”よりも、客席は白人ばかりと想像されるニューヨークの高級クラブで軽く流している感じのこちらの方が好きだ。12曲目の”Blowin’ in The Wind”から13曲目の”Tennessee Waltz”ですべての曲が終わっても、日はいまだ昇らない

この時期は、渋滞が始まる前に奥日光へ上がり、紅葉見物をしようとする人が多い。開店は8時15分でも、ノレンは7時30分には提げる。定時より早く買い物をなさりたいお客様がいらっしゃれば勿論、当方は喜んで商売をさせていただく

今年の牡蛎は、今月14日の晩にはじめて食べた。生ではなくコンフィだった。今夜は牡蠣フライを食べに出かける。僕の最も好きな牡蛎フライは、家で揚げたそれ、もうひとつは日光市平ヶ崎にあるとんかつ屋のそれである。


朝飯 納豆、人参とピーマンのきんぴら、トマトのスクランブルドエッグ、揚げ湯波と蕪の葉の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、メシ、若布と和泉菜の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 「とんかつあづま」のカキフライ、玉葱とレタスのサラダ、大根と胡瓜のぬか漬け、ごはん、豆腐と若布の味噌汁、芋焼酎「黒霧島」(お湯割り)

2016.10.23(日) 今年の紅葉

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目を覚まして枕の下のiPhoneをまさぐり、時刻を確かめる。3時をすこし回っている。

5時に目を覚ますと、朝食の準備を整え始める6時はちかいから、何やら損をした気になる。4時に目を覚ますと中くらい。今朝のように3時そこそこに目が覚めれば、5時のときとは逆に、得をした気持ちと共にベッドを離れることができる。

食堂に出てLet’s noteを起動する。ディスプレイ右下のバッテリーアイコンにポインタを重ねると「残り3時間53分(99%)」との表示が現れた。バッテリーの残量が99パーセントあるにもかかわらず、駆動可能時間が3時間53分というのが、そもそもおかしい。Let’s noteは、僕の歴代のコンピュータとしては、もっとも長く動き続けている。特段の不具合は無いから、近々バッテリーを新品に交換して、更に使うつもりである。

今ごろになって、脚のすねの皮がむけてきた。チェンライのプールサイドで、パラソルの影からこの部分だけはみ出し、陽の光にジリジリと焼かれた数日があったのだ。

「タイから帰ったら看板の照明スイッチを入れる」と、コンピュータの日程管理には入れてある。しかし10月のはじめにその必要は感じず、看板には近づかなかった。それから1週間ほど経って、秋の日の落ち方の速さに驚き「やっぱり覚え書きには従うべきだわな」と、考えを改める。

17時35分、外へ出て店の写真を撮る。”RICOH GRD”のモニター画像は明るく見える。しかしISO800の絞りF1.9にもかかわらず、シャッタースピードは7分の1秒なのだから、夜とほとんど変わらない。

閉店の直前、いつものように不意に来店した年長の友人ヤナセヨシヒコさんに訊いたところでは、奥日光でさえ今年の紅葉は「まだ早い」とのことだった。


朝飯 厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、蕪のぬか漬け、ベーコンとスクランブルドエッグ、納豆、茄子とピーマンの味噌炒り、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 鯛の刺身、和泉菜の辛子和え、鯛の煮付け、玄米焼酎「つかだ」(お湯割り)、「久埜」の大福

2016.10.22(土) タイマー

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すべての人には神経過敏と無神経が同居をしている、かどうかは知らない。しかしすくなくとも僕においてはそうである。

先々週の金曜日、サパーンタクシンからスワンナプーム空港へ向かう高速道路で「徒歩の方がマシ」という渋滞に巻き込まれたときには「飛行機に乗り遅れたら、そのときはそのときだ」と、特段、焦りもしなかった。しかしたとえば麺を茹でるときなどは1秒2秒が気になってタイマーが手放せない。お茶を淹れるときも同様である。

朝、湯を沸かすと先ずはそれを仏壇用の湯飲みに注ぐ。その湯飲みが手で持てないほど熱くなったら、つまりそれだけ湯がさめたら、それを僕の湯飲みに移して更にさます。このとき空になった仏壇用の湯飲みには、また湯を足しておく。一方、僕の湯飲みも手で持てないほど熱くなったら、ここではじめてその湯を急須に入れる。そして30秒に設定しておいたタイマーのボタンを押す。

そのあいだに仏壇用の湯飲みから僕の湯飲みに湯を移し、タイマーが30秒を報せたところでそれを急須に足す。ここで今度は60秒に設定したタイマーのボタンを押す。60秒が経ったら急須のお茶を仏壇用の湯飲みに注ぎ、そのお茶と水を仏壇に供えて線香を上げる。

食堂に戻ると、僕のお茶は急須の中でいささか濃くなりすぎているけれど、それは仕方がない。ここでようやく朝のお茶にありつく。

機関車型ボイラーの複雑な操作手順はからだで覚えられて、しかしちょうど良い塩梅にお茶を淹れるについてはタイマーに頼らざるを得ないとは、一体全体、どのような理由によるものか。毎朝、不思議に感じつつ、明日もまた、おなじ手順でお茶を淹れるのだ。


朝飯 納豆、蕪のぬか漬け、厚揚げ豆腐とほうれん草の淡味炊き、生のトマト、目玉焼き、牛蒡のたまり漬(試作品)、メシ、茄子とトマトの味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 「三彩」の懐石10品コース、”Dom Perignon 2004″、獺祭「磨き二割三分」(冷や)、森伊蔵(オンザロックス)

2016.10.21(金) 次のカメラ

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先日「マクロでしか合焦しない」という、2014年7月に手に入れてから7回目の故障を起こした“RICOH CX6″は、今週の火曜日にリコーのサービスセンターに送った。前回の修理は7月17日だった。3ヶ月以内に同じ故障を起こした場合の修理費用は無料である。

そうしたところ、カメラが先方に着いた翌日の水曜日には早くもメールが届き、そこには要約すれば「外的要因によりカメラに強い圧力がかかったことにより、ボディに変形が認められる。またレンズ前玉にキズがあり、マクロ以外で合焦しないのはレンズの動作ギヤ破損が原因。今回の修理費は技術料7,300円、部品代10,000円、返送費用1,000円に消費税を乗せて19,764円」との説明があった。

このカメラは41,575円で買っている。2年3ヶ月のあいだに6回も無料修理を繰り返した挙げ句、本体価格の半額ちかい修理費を払う気はしない。

サービスセンターに電話をして訊くと、とにかく両側から強い力で挟んだように、カメラを上下から見ると、大げさに言えば本体が樽型にたわんで、一部では内部が見えているという。前玉にキズというけれど、レンズを繰り出したままレンズを下にして落とした記憶も無い。半信半疑ながら先方の言うことを信じ、カメラはとにかく修理せず返送するよう頼んだ。

本日、その”CX6″が届いたから早速、箱を開けて中身を確かめてみた。実はタイにいるあいだだったか、あるいはその後だったか、ボディの立て付けの悪さには気づいていた。そしてそれは、新品のときからのものと曖昧に考えていた。しかしサービスセンターの技術者の見解は、そうではなかった。一体全体「強い圧力」は、いつ加えられたのか。

前玉のキズは、僕が見る限り確認できない。そしてマクロであればピントは合う。今後はこれをマクロ専用として使う一方、そちらの機能も失われたときのことも考える。手持ちの”RICOH GRD IV”を普段使いとするか、あるいはこれを温存して、CMOSセンサーをAPS-Cサイズにした、よってボディも間延びして格好悪くなった最新型の”V”を新規に買って、こちらを普段使いにするか。

追々、考えていくことにしよう。


朝飯 茄子とピーマンの炒りつけ、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、豆腐の炒り卵、納豆、牛蒡のたまり漬(試作品)、納豆、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 ベビーリーフと玉葱と鶏笹身肉のサラダトマトと烏賊のスパゲティ“Chablis Billaud Simon 2014”

2016.10.20(木) 弁当

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昨年から今年のはじめにかけて、16名の社員のうち4名が妊娠をし、出産をした。社員の4分の1が相次いで職場を離れたのだからただ事ではない。正社員とパートタイマーを計4名増やし、非常事態に当たった。ところがこの秋、またまた社員ひとりが妊娠してこれまでのような仕事はできなくなり、またもうひとりは外科的な不具合で1ヶ月の入院加療を必要とすることになった。

折しも紅葉の入りばなにて、これから年末までは、1年でもっとも忙しい日々が続く。僕も事務室に座っているわけにはいかない。これまで昼食は家内と共に摂っていたけれど、その昼の時間にこそお客様は多くなる。人手を確保するため、僕と家内の昼食は別にした。このところ昼の外食が多かったのは、そのような理由もあってのことだ。

しかその外食を、これから年末まで続けることは憚られる。昼に炊事をする時間も惜しい。残る手は弁当、ということになった。その弁当は朝、自分で詰める。僕の好みは茹でた莢隠元、甘い炒り卵、そして鶏そぼろによる三色弁当、というような上品なものではない。メシの上に油をたっぷり含んだあれこれ、そこに塩気の強いものを添えた、むかし阿里山森林鉄路のどこかで買った駅弁が理想である。

そうしてきのうも今朝もそのような弁当を詰め、昼は上から下から響く防水工事の音を感じつつ、その弁当をひとり楽しく食べる。


朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炊き物、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、大根のぬか漬け、メシ、油揚げとトマトとピーマンの味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 「バーミヤン」のベーコンと青菜の炒め餃子ムースーロー、「八代不知火蔵」の米焼酎「白水」(オンザロックス)

2016.10.19(水) 秋惜

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開店の50分前に事務室のシャッターを上げて外へ出る。目の前のホンダフィットの屋根に露が降りている。この露を夜露と呼ぶべきか、あるいは朝露と呼ぶべきかについては知らない。店舗入口の季節の書は、僕がタイへ発つ9月末までは「鬼灯」だった。今は「秋惜」である。

ウチの目の前で日光街道と交わる会津西街道に沿った看板の照明には、きのう電源を入れた。シンガポールの道路交通法では、夕刻18時から朝6時までのヘッドランプの点灯が義務づけられているという。赤道のちかくにある国ならば、日の出と日の入りの時間は年間を通して変わらないのだろう。その点、日本は不便である。あるいは季節に変化があって好もしい、と言うこともできる。

夕食のおかずはステーキと、夕刻に知らされる。「そういうことは前日から教えておいて欲しいですね」と思う。僕の在庫する赤ワインはおしなべて古く、澱が多い。早くから瓶を立てて、それを瓶の底に沈めておきたいのだ。

透き通った蒸留酒の酔いはいきなり来る。ワインにおいてはそのようなことはないけれど、しかしこちらはつい量が進んでしまうせいだろうか、やはりいきなり眠くなる。夕食の前に風呂の湯を溜め、明日の着替えを用意する。そして食堂に戻り、ワインの栓を抜く。


朝飯 茄子の炒りつけ、納豆、揚げ湯波と蕪の葉の炊き物、生のトマト、ベーコンエッグ、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 トマトと玉葱とベビーリーフのサラダジャガイモのグラタンエリンギのソテーと人参のグラッセを添えたビーフステーキ、たまり漬「鬼おろしにんにく」、同「青森県田子町産のにんにくです。」、“Bourgogne Leroy 1998”

2016.10.18(火) 約束ごと

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1998年10月、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の会員で、当時は閑職にあったカトーノマコトさんが上澤梅太郎商店と僕個人のウェブページを作ってくれたときには、ハイパーテキストの読み書きのほか、様々な約束ごとを教わった。

「おなじドメインによるウェブページの中で、画像や別ページにリンクを張る場合には、それを別窓つまり新しいタブでは開かない」という原則も、そのとき教わったひとつだ。

ところが僕はその原則を守らず、特にこの日記においては、ほとんどすべての画像および別ページへのリンクは別窓で開くようにした。理由は、それが自分の好みだったからだ。

この日記を今年の9月1日からワードプレスにしたのは、上澤梅太郎商店のウェブページの新装に伴ってのことだ。ウェブページと方針を一にするため、日記のヘッダ画像はウチの朝食をモザイク状にちりばめたものとし、各々の日のトップ画像もその日の朝食にするよう制作者側からは求められたけれど、そこは自分の好みを通した。

ところがここに来て、毎日の3食については、その内容を期した文字をクリックしなくても見える形にすべきという意見が出て、それには従うこととした。しかしその、日記の最下部に並ぶ3枚の画像に限っては、ワードプレスの機能として、別窓では開けないことが分かった。

トップ画像や文中からリンクを張られた画像は別窓で開くにもかかわらず、最下部のいわゆる「ギャラリー」は別窓では開かない、それを混在させることはさすがの僕もしたくない。

このことにつきどうすれば良いかと訊ねた周囲はおしなべて、1998年10月のカトーノさんの意見を支持した。それはそうだろう、それこそが原則なのだ。

よって9月1日から始めた新しい日記のみにその範囲は留まるけれど、すべての画像、すべての文字リンクは別窓で開かないよう書き換えることを決めた。そしてその作業は早朝の時間を使ってきのうと今日の2日で完了した。

ことし8月31日までの古い日記であれば、1ヶ月分のソースコードをエディタに移し、そのリンクタグから”target=”_blank”を置換で消せば修正は1秒以内に完了する。しかしワードプレスの日記は1日分がひとつの単位になっている。専門の知識と技術を持つ人ならまとめての修正もできるらしいけれど、悲しいかな僕は初心者である。

別窓で開くリンクを別窓で開かないようにするには、そのひとつにつきトラックパッドとクリックボタンをそれぞれ5回ずつ操作しなければならない。タイへ旅行をしていたときには1日あたり最多で26枚の画像を乗せているから、その場合には26×5でトラックパッドとクリックボタンの操作は各々130回になる。よほど早く起きなければ、これを2日で終わらせることはできないのだ。

さてこれからの仕事は、1日3食の画像をことし9月1日からの日記の最下部に設置していくことだ。これは別窓で開くリンクを別窓で開かないようにする作業よりも手間を食いそうだ。更に早起きをしなくてはならない。


朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炊き物、納豆、冷や奴、ツナとレタスのサラダ、大根のぬか漬け、蕗のとうのたまり漬、メシ、おとといのピエンローの残りで作ったスープ
昼飯 「麺屋ききょう」のネギ塩ラーメン
晩飯 スパゲティボロネーゼ“Cadette Rouge LUMIERE”

2016.10.17(月) Let’s note

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ウインドウズをOSとするコンピュータについては、1995年以来ずっと”ThinkPad”を使ってきた。キーボードの真ん中にある赤いトラックポイントの使い心地が良く、他の機種に変えるなどは到底、考えられなかったからだ。しかしこれが”IBM”の手を離れ”lenovo”になって以降の質感の低下は甚だしく、”X61″の無線の具合が悪くなった2011年7月を機に次の機種えらびに入った。そして後継機を”Let’s Note N10″と定め、2011年8月よりそれに乗り換えた。

最も心配をした、トラックポイントからトラックパッドへの変化は「1週間で慣れる」と周囲から知らされていたけれど、僕は3日で慣れた。以来その”Let’s Note”を愛用し続け、他の機種に持ち替えるつもりは無い。

今月13日、いつものようにこの”Let’s Note”を特急スペーシアの中で開きつつ東京に出張した。そして翌早朝、起動をしてみると、バッテリーがほとんど枯渇しかかっていたから大いに驚いた。

羽田から午前便でバンコクに飛び、そこで飛行機を乗り換え夕刻チェンライに着く。そのあいだずっと使い続けても、現地のホテルで起動をすれば「残り時間6時間」などと表示されるほど”Let’s note”のバッテリーは優秀だった。だから1泊2日程度の出張には、これまで電源コードは携帯しなかった。今後は気を抜くことができない。

僕が”Let’s note”を使い続ける理由のひとつに「秋葉原LUMIX&Let’s note修理工房」の存在がある。ここは、予約の上で朝に実機を持ち込めば夕刻には修理の完了する、優れた体系を持つ組織だ。2011年8月に手に入れた”Let’s note N10″はいまだ元気で、新しい機種に買い換えるつもりはない。そのうちこの工房を訪ね、バッテリーのみ交換してもらう可能性が大である。


朝飯 茄子のソテー、納豆、大根おろし、ニラの卵とじ、蕗のとうのたまり漬、メシ、椎茸と揚げ湯波とキャベツと万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップはかけないでね特注)
晩飯 「コスモス」のカプレーゼカツレツデミグラスソースドライマーティニ

2016.10.16(日) ひこうき雲

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目覚めて枕頭のiPhoneを見ると時刻は4時45分だったから、そそくさと起きる。自分ひとりの時間は目を覚ましてから朝6時までに限られる。寝ているのはいかにも惜しいのだ。5時52分、いまだ暗い空の東から西へ、ジェット機が白い飛行機雲を引いていく。

11時25分、お囃子の音に気づき外を窺うと、大谷向町の屋台が会津西街道の坂を上がって春日町の交差点にさしかかりつつあった。屋台まつりの会場であるJR通りまでは、もうひとふんばりである。我が春日町1丁目の屋台は町内の「市縁ひろば」を11時30分に出発の予定になっている。よって日光街道を100メートルほど遡上し、そちらの様子も見に行く

今朝は8時30分に、いままさに屋台が引き出されようとしている屋台蔵へ行き、町内の会計係として、大工や囃子連への寸志を自治会長に届けた。明日以降は、それぞれの担当者が立て替えた保険金や飲食の代金を精算する。僕がこの催しにかかわるのはそれくらいのことにて、労力を提供してくれる人にはまことに申し訳ない限りではあるけれど、この季節の週末は仕事が忙しくてどうにもならないのだ。

夜は長男の作ったおかずにて白酒を飲み、早々に寝る。


朝飯 ほうれん草のソテー、ひじきと人参の甘辛煮、トマトのスクランブルドエッグ、鶏そぼろ、納豆、メシ、なめこと三つ葉の味噌汁
昼飯 蕗のとうのたまり漬、大根のぬか漬け、メシ、椎茸と若布と揚げ湯波とベーコンの味噌汁
晩飯 茄子の即席漬け、ピエンロー、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、“Chez Akabane”のチョコレートケーキ

2016.10.15(土) 何やら面白い話

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“RICOH CX6″が、またまたマクロでしか合焦しなくなった。2014年7月に買って以来2年3ヶ月、これが7回目の故障である。その過去6回の履歴は以下で、合焦関係のものが圧倒的に多い。

2014.1024(金) 無限遠で合焦せず(新宿のリコーに持ち込み)
2015.0209(月) マクロでしか合焦せず(新宿のリコーに持ち込み)
2015.0325(水) レンズ動作不良(浮間舟渡のリコーに持ち込み)
2015.0603(水) マクロでしか合焦せず(ピックアップリペアサービスを利用)
2015.0628(日) マクロでしか合焦せず(ピックアップリペアサービスを利用)
2016.0717(日) マクロでしか合焦せず(ピックアップリペアサービスを利用)

早速「リコーイメージング」の、ピックアップリペアサービスのページに検索エンジンから飛び、明日の集荷を予約する。しばらくすると電話が入り、故障したカメラをヤマトが取りに行けるのは火曜日になるという。当方は特段、急いでいるわけではないので了承をする。

上にもあるように、昨年の6月にはおなじ故障を2度、起こした。2度目のときにはさすがのリコーも気合いを入れたか、以降、1年と少々は問題なく動いたけれど、またまた元の木阿弥に戻ったらしい。

これだけ故障するカメラをなぜ他の機種に乗り換えず持ち続けるかと問われれば、それはひとえに使いやすいからだ。僕はこの”CX6″を部品の供給が止まるまで使い続け、リコーはこの”CX6″を部品の供給が止まるまで修理し続けるのだ。何やら面白い話ではないか。


朝飯 生のトマト、ひじきと人参の甘辛煮、温泉卵、納豆、ほうれん草のソテー、胡瓜のぬか漬け、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」のタンメン
晩飯 トマトとレタスのサラダキノコのソテーと大根おろしを添えたハンバーグステーキ胡瓜のぬか漬け、玄米焼酎「つかだ」(お湯割り)

2016.10.14(金) メシの間合い

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9時すぎに長男と駒込で落ち合い、場所を移して仕事に入る。その仕事にひと区切りがついたのは14時だった。

坂を登って駅ちかくの銀行へ行き、通帳や印鑑と共に払い出しのための紙を差し出すと「ご本人様でいらっしゃいますか」と女子行員に訊かれて一瞬、背筋が寒くなる。銀行、役所、警察。このようなところを身分の証明できるもの一切を持たずに訪ねる悪癖が僕にはある。

「はい」と答えると行員は、電線の付いた端末を僕の方へ向け、そこに4桁の暗証番号を打ち込むよう求めたから「助かったー」と胸をなで下ろす。駒込から日光まで、自動車免許証や健康保険被保険者証などを取りに帰るヒマはないのだ。

駅前から先ほどの坂を下って仕事場のちかくに降りる。時刻は14時40分。18時からの夕食を邪魔しない昼食は何かと考え、汁蕎麦の、蕎麦のみ食べて汁は残す。後半の仕事は16時に完了した。

きのう買ったメガネケースに不備があったため、池袋に出てそれを返品する。その後、新橋に移動をして銀座まで歩く。鮨を肴に結構な量の酒を飲み、しかし23時ちかくに無事、帰宅する。


朝飯 “DOUTOR”のミラノサンド、コーヒー
昼飯 「富士そば」のわかめ蕎麦
晩飯 「鮨よしき」のあれやこれやそれや「山本合名」の「和韻純米吟醸生原酒」(冷や)ヱビスビール

2016.10.13(木) サンダル履き

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1ヶ月あるいは2ヶ月に1度、血圧などの診察を受けている病院の予約が11時30分では、やはり12:35発の上り特急スペーシアには間に合わなかった。よってその1時間後のそれに乗り、恵比寿へ行く。仕事を終えると夕刻は夜に移りつつあった

2008年に買った”trippen”の”SCOOTER”の「スベリ」の糸が今年の中ごろからほつれてきた。その修理を頼むため、代官山よりは恵比寿にちかい「trippen代官山店」まで歩く。そこで”GREGORY”のザックから”KEEN”のサンダルを出し、それを履いて池袋に移動する。

“LINDBERG”のゴムの部品を交換してもらおうと、行きつけのメガネ屋を訪ねると、ことし6月にメガネと共に紛失をした、気に入ったメガネケースがショーケースにあることに気づいた。かねがね不思議に感じていることだけれど、ほとんどのメガネケースには製造元や商品名の記載がない。よってその在庫を切らせていたこの店でも再注文ができず、また検索エンジンでも見つけられずにいた。即、このケースを店員に手渡し、展示品でも構わないから買う旨を伝える。

サンダル履きでは、それを許してくれる店にしか入れない。というのは言い訳で、僕はほとんどサンダル履きなど問題にしないメシ屋、飲み屋にしか行かない。そうして今夜もやはり、そのような飲み屋であれこれを肴に焼酎のソーダ割りを飲む


朝飯 揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、ひじきと人参の甘辛煮、油揚げの網焼き大根おろし添え、トマトとレタスのサラダ、目玉焼き、メシ、若布と油揚げと大根の葉の茎の味噌汁
昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮そば
晩飯 「男体山」のあれやこれやそれやキンミヤ焼酎(ソーダ割り)

2016.10.12(水) アイコン

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朝において、東の空は、日の出る前が美しい。一方、西の空は、日が出て3時間ほど経ったころが美しい。もっとも好きな風景は、東には朝の空があり、しかし西はいまだ藍色の夜に閉ざされているときのそれだ。しかしその夜と朝のあいだを見るには、階段を昇って屋上まで行く必要がある。大した手間ではないけれど、それがなかなかできないのだ。

本日、絵はがきの届いたことを、知らせてくれた人がいた。チェンライでは”Dusit Island Resort”のフロントに託したときも、またエジソンデパート1階にある、あれは郵便局の出張所なのだろうか、そこから投函をしたときも、日本へのハガキはしっかり届いていた。今回は、空港にそれのあることに気づかなかったことが不思議でならない郵便局からハガキを出した。それはバンコクに移動をする今月6日の午前だった。チェンライから日本までの手紙は6日で届く、ということだ。

チェンライ空港の郵便局にこれまで気づかなかったのは、Tの字の上に横一本棒の、あの郵便のアイコンがそこになかったからだ。あのアイコンは実は日本に固有のものにもかかわらず、見えているものをも見えなくしてしまうのだから、思い込みとは恐ろしい

閉店と同時に、それまで駐車場で待機をしていた清掃業者に声をかける。ウチでは年に1度は本職を頼み、冷蔵ショーケースの奥の奥まで綺麗にしてもらう。そしてその作業は3時間以上も続いた。冷蔵ショーケースの寿命がまた1年、伸びたような気がする。


朝飯 三つ葉の卵とじ、ひじきと人参の甘辛煮、油揚げの網焼き鰹節かけ、納豆、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しの春雨サラダ胡瓜の辛子和え焼叉回鍋肉、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)

2016.10.11(火) 新しい方法

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店舗の冷蔵ショーケースの品物が少なくなってきたときの予備として、キャッシュレジスターの背後にも冷蔵庫を置いている。きのうの営業中にこの冷蔵が突然、停まった。冷蔵庫の裏、店舗1階、その2階、果ては製造現場にある高圧変電施設のちかくに置いた大元のブレーカーを調べて、いずれにも異常は見つからなかった。よって今朝は8時に冷蔵庫屋に電話を入れ、なるべく早く来るよう頼む。

連休明けの今日は銀行ふたつに用事があり、9時前には会社を出たい。一方、排水処理設備では、その管理者が早くも東京から着く。あるいはまた、屋上と2階スラブの雨漏りを予防するための防水工事の人が来る。それ以外にもすること、決めるべきことはいくつもあり、多いときには3人を相手にそれぞれ別の会話を交わす。「忙しいねぇ」と家内が笑う。

タイの北部国境ちかくにいて、1日に4時間もプールの寝椅子で本を読んでいた先週の日々が、まるで遠い昔のことのように感じられる

今日はまた、年末の贈答の時期に備えて、ダイレクトメールのお送り先を抽出しなければいけない。そしてそれは午前に行うこととしていたけれど、その時間は失われた。ようよう14時30分から4階の食堂に上がる。この仕事は精密を要するため、人が来たり電話がかかったりする環境では、とてもではないけれど、できないのだ。

特に工夫をしたわけではないけれど、1990年代から何十回もしてきたこの仕事の細部において、今日はこれまでと違った方法を何気なく採った。その結果、昨年は36分かかった作業を25分で完了することができた。次回もおなじ手が使えるよう、即、それをコンピュータに記録する。


朝飯 ひじきと人参の甘辛煮、秋刀魚の梅煮、トマトのスクランブルドエッグ、湯波と小松菜の淡味炊き、納豆、大根のぬか漬け、メシ、椎茸と玉葱と三つ葉の味噌汁
昼飯 きのうのキムチ鍋の残りのぶっかけ飯、大根のぬか漬け
晩飯 “Finbec Naoto”のその1その2その3その4その5その6その7その8、リストのブルゴーニュの中でもっとも安かった赤ワイン、コーヒー

2016.10.10(月) 秋の空

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十月の上旬は、列島にぐずついた天気が続いていたらしい。しかし今朝の空には、その天気が良い方に変わりそうな様子が見える。テレビの気象予報士も今後しばらくは続くだろう好天を、今朝は日光の竜頭の滝から中継で伝えている。その周辺では紅葉がすこしずつ始まり、またそこからすこし標高の低い、いろは坂の紅葉は今月22日ころからが見ごろだという。

朝の予報はそのようなことだったけれど、昼を過ぎても一向に晴れない。紅葉の具合も、気象庁の予測から大きく外れることがあり得るのではないかと僕は考えている。

自宅の食堂にはタイへ行く前の9月から、暖房を入れる早朝があった。そして今朝も、ほんのいっときエアコンディショナーによる暖房のスイッチを入れる。暖房をかけつつ半袖のポロシャツ1枚でいては何やらいけないような気がして、その上から長袖のTシャツを着る。

きのうおとといと、夜はワインを飲んだ。今夜は鍋を肴にして焼酎のお湯割りを飲む。


朝飯 納豆、秋刀魚の梅煮、トマトのスクランブルドエッグ、冷や奴、ひじきと人参の甘辛煮、たまり漬「ホロホロふりかけ」、メシ、若布と里芋と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 キムチ鍋玄米焼酎「つかだ」(お湯割り)

2016.10.9(日) 旅行の反省

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旅の最中には「次の旅まで覚えておくべし」ということが発生するたび、部屋にいるときにはコンピュータに、外にいるときにはノートに記録をした。そしてその記録は今回、14を数えた。

・”Dusit Island Resort”のクリ―ニングは朝に出せば当日の夕刻に仕上がる。
→クリーニングの伝票を今回くわしく読んだところ、急ぎは4時間、通常は10時間と、その作業時間が記してあった。しかし朝、専用袋に収めてベッドの上に置いておけば、部屋掃除のメイドが電話で洗濯係を呼ぶ。そしてその洗濯物は夕方には部屋に届くことを知った。それを計算の上でこのホテルに連泊をすれば、持参する服はかなり減らせる。

・”Dusit Island Resort”とナイトバザールを結ぶシャトルバスは17:00の便が廃止された。
→市中心部まで2キロちかく離れたホテルにおいて、これはとても便利なサービスだ。現在の運行は18:00、20:00、21:00、22:00の1日4往復になった。伝票には往路と復路が各々60バーツ、往復は120バーツと記されている。しかしこの伝票をベルボーイに手渡すのは往路のみで、復路についてはなし崩し的な無料である。街まで歩いていき、復路のみ使っても代金は請求されない。

・”Dusit Island Resort”とナイトバザールを結ぶシャトルバスの復路のダイヤは守られない。
→復路のナイトバザール発はホテル発の15分後とダイヤにはある。しかし待っている客がいれば、バスはその客のみを乗せて時間前に発車してしまう。ホテル発の5分後にはナイトバザールの前でバスを待つ必要がある。

・ハジャイとチェンライのあいだにはエアアジアが1日2便を運行している。
→”Dusit Island Resort”のロビーにチェンライ空港の発着情報を知らせる電子掲示板があった。羽田→バンコク(スワンナプーム)→バンコク(ドンムアン)→ハジャイ→チェンライ→バンコク(スワンナプーム)→羽田という旅も面白いのではないか。忙しさを避けるには、まとまった日程が必要である。

・ラオカ―オとカップを持ち歩く時には”ISUKA”のギヤバッグか”KARIMMOR”のショルダ―バッグが必須。
→今回、持参した”GREGORY”のクイックポケットには、自分にとって最小限のものしか入らない。ラオカーオとカップは今回、ビニールの手提げ袋に入れたため、街へ出るときの荷物が2つになってしまった。旅先での利便性と荷物の軽量化という相反する矛盾は、旅人にとって永遠の問題である。

・ラオカ―オを持ち歩くための350ccのペットボトルがあるととても便利。
→度数35から40のラオカーオは、1度にせいぜい1合ほどしか飲めない。部屋から720cc瓶のまま持ち出すのは無駄である。またペットボトルに入れて持ち歩けば周囲の人はそれを水と思ってくれる。

・カメラは街中用として”RICOH GRD”を持つか。
→普段持ちの”RICOH CX6″は、咄嗟の撮影ではピントが合わない。一方スナップ用の”GRD”なら食べ物のための接写にも併用できる。

・アロハは3着を用意して結局は1着で間に合った。
→これは前述の、”Dusit Island Resort”のクリ―ニングが早く仕上がることによる。

・”TIO PEPE”はバンコク最終日の海鮮料理に必須。2日分なら1リットルは持つこと。
→ラオカーオも悪くはないけれど、魚貝類にはやはりワインが合う。しかしワインは常温での運搬に向かないゆえのドライシェリーである。

・屋台では濡れティッシュが必須
→汁や脂で汚れた手ではカメラを操作しづらい。

・屋台ではバッグハンガ―が必須
→手提げ袋やショルダーバッグの置き場に困るから。

・チェンライのサタデ―マ―ケットには早く行くこと。
→17時からタナライ通りに入り、18時には広場に行かないと席は取りづらい。今回は同席を許してくれるカップルのお陰でテーブルが使えた。しかしそういう幸運は毎回は望めない。

・チェンライのサタデ―マ―ケットには箸と濡れティッシュが必須。
→今回、鹵味屋で箸を求めたら「無い」という。仕方なしにちかくの店で不要の焼きそばを買って、しかしその店にも箸は無く、プラスティック製の小さなフォークしかもらえなかった。

・帰国日が金曜の場合、空港には必ず電車で行くこと。
→木曜日の昼には空港からチャルンクルン通りのホテルまでタクシーを使って42分で着いた。金曜日の夜には、おなじホテルから空港までタクシーを使って1時間49分もかかった。あの渋滞は二度と経験したくない。

というわけで次の旅行を目指して仕事に励むべし、である。


朝飯 納豆、生のトマト、秋刀魚の梅煮、厚焼き玉子、大根のぬか漬け、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁、キウィ
昼飯 カレーライス、たまり漬「ホロホロふりかけ」
晩飯 スパゲティサラダ茹でトウモロコシ鶏もも肉のソテーきのこソースアップルパイ、プリン、“Chablis Billaud Simon 2014”

2016.10.8(土) 今日から日常

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目を覚ますと3時35分だった。往路とおなじく朝食を運ぶワゴンが目の前まで来ている。その朝食は、オムレツの固さに我慢をしつつ、全体の9割ほどを平らげる。機は四国の上空を東北東に向かっている。窓の外は既にして明るい。羽田空港への着陸は、定刻より18分はやいタイ時間04:37、日本時間06:37だった。ここからの時間表記は日本時間とする。

荷物が出てきたのは7時31分と遅かった。7時34分に税関検査を抜ける。7時36分に浅草行きの京浜急行に乗る。都営浅草線の浅草には8時19分に着く。東武日光線の浅草まで歩き、09:00発の特急スペーシアの切符を買う。その切符売り場から階段を降りた右側の喫茶店で、タバコの煙にまみれてコーヒーを飲む。「タバコの煙にまみれて」とは、喫煙に厳しいタイではなかなか経験のできないことである。

下今市には10:39に着いた。東京には降っていなかった雨が降っている。家内の運転するホンダフィットに乗り、帰社して仕事に復帰する。

行った先の諸々が美味ければ、いくら海外に滞在しても日本食が恋しくなることはない。帰国して「それっ」とばかりに和食を求めることもない。夜はスパゲティを肴にして赤ワインを飲む。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 ラーメン
晩飯 ミートソースのスパゲティプリン“Cadette Rouge LUMIERE”

2016.10.7(金) バンコク日記(2日目)

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バンコクの宿は今回”Centre Point Silom”の、リバービューの部屋にした。窓に近づくと、しかし所詮は川沿いに建っていない悲しさで、目の前にはシェラトンのコンドミニアムをはじめ大きな建物があり、チャオプラヤ川はその一部しか望めない。「だったら3年前の、シティビューの部屋の方が眺めは良かったわな」と後悔しても遅い。ただしベランダに出れば、サトーンの船着き場から下流の、大きく湾曲した川面を見晴らすことはできる

宿泊は食事を含まないプランにて、朝はチャルンクルン通りを北に歩く。ことし2月、「洽記珠宝行」の向かって右側にクイティオの名店を発見した。ちかくまで行くと幸い店は開いていた。よって席に着いて「センヤイナム」と店員に注文すると、別のオバチャンが入口の調理場から僕を手招きする。そばに立った僕に「ルークチンはないの。代わりにこれでいいかしら」と、オバチャンは油揚げの煮びたしを指す。望むところである。

席に戻り、ほどなくして運ばれたドンブリを見ると麺はセンヤイではなく太めのセンミーで、椎茸がやたらに浮いている。汁をひとさじ飲んで「2月と全然、違うじゃねぇか」と驚く。そしてここでようやく店先の黄色い旗に気づき「なるほどギンジェーか」と腑に落ちる。というか残念さを感じる。ギンジェーの期間中は、ダシから具に至るまで動物性のものは一切、使わないのだろう。路上のおかず屋台にも「齋」の旗が目立つ

今日はタイの最終日だ。時間は無駄にしたくない。無駄にしたくないとはいえ、あくせくと歩きまわるわけではない。上は白いポロシャツ、下は”Patagonia”のバギーショーツを身につけプールへ行く。そして寝椅子の上にパラソルを広げ、11時30分まで本を読む

チェンライにいるときとは打って変わって朝食は軽い。腹を空かせて外へ出る。チャルンクルン通りを、BTSの高架をくぐって南に歩く。1960年代の東京ならそこここで見ることのできた、異臭を放つ黒い水の川を渡る。しばらく行くとソイ57が左手に伸びている。これを過ぎると間もなく左手に、タイ語と共に”YAN NAWA FIRE & RESCUE STATION”と書かれた消防署が見えてくる。この消防署に向かって右側にあるのがカオマンガイの”Meng Pochana”だ。鶏肉も炊き込みごはんも美味い。というか、ごはんの脂のコクがただものではない。レモングラスの香るスープは辛く酸っぱく爽やかだ。

「来年はラオカーオを持って、また来てぇなぁ」と思わないでもない。しかし夜のバンコクにいながらカオマンガイのみを肴に酒を飲むのも味気ない。だったらどうするか。来年までの宿題である

午後はサトーンからフェリーボートで対岸に渡り、知ったマッサージ屋で足マッサージ1時間を受ける。本当はタイマッサージ2時間にしたかったけれど、夕方が忙しくなることは避けたかったのだ。

18時までのレイトチェックアウトには1,500バーツの追加料金がかかる。しかし外から帰るたび何度でもシャワーの浴びられることを考えれば、僕にはそう高くは感じられない。落ち着いて荷造りをすると、きのうはスーツケースからはみ出した草履も何とか収まった。フロントに降りてチェックアウトをする。荷物はベルボーイに預ける。そして先ほど船着き場から戻る途中でバンラックのフードセンター裏に見つけ「5時に来る」と約した海鮮屋台へ行く。

「あ、本当に来た」とばかりに、料理担当のオニーチャンは僕に握手の手を差し伸べた。「プラーヌンマナーオ」と声を大にして言う。オニーチャンはすかさず写真入りのメニュを僕に見せた。プラーニンには200バーツ、鱸には250バーツの値が付いている。ここはやはり鱸だろう。その鱸の柑橘蒸しも、また海老のニンニク揚げも美味かった。とどめのガイヤーンは胸に染みた。タイとも今夜でお別れである。イスラム寺からコーランの詠唱が流れはじめる。時刻は18時05分だった

ホテルに戻り、ベルボーイに50バーツを渡してタクシーを呼ぶよう頼む。間もなく来た朱色のタクシーに荷物を積んでくれた別のベルボーイには40バーツを渡す。時刻は18時18分。タクシーはポーチの奥で回頭すると、チャルンクルン通りに出て高速道路の入口を目指す

右手数百メートルの距離にある大きな駅を指し「ノーンアライ」と訊くと「マッカサン」と運転手は答えた。時刻は19時41分。普段なら1時間もかからず空港に着くところ、金曜日の今夜はホテルを出て1時間23分も経って、いまだダウンタウンの真ん中にいる。自分の持つ多くの悪癖のひとつに「危機に及んで何もせず平然としている」というものがある。赤く光る数千個のテールランプを眺めつつ「間に合わなかったらそれまでだ」くらいの気持ちでいるとは、明らかに人間失格である。間もなくふたつ目の料金所を過ぎる。

渋滞とは不思議なもので、あたかもこの料金所が狭い水門ででもあったかのように、車間はまたたく間に広がり、スピードメーターは遂に100キロを超えた。やがて空港の青い明かりが見えてくる。その明かりが見る間に近くなる。運転手は停まっている車列のあいだに朱色の鼻先を突き入れた。時刻は20時07分。メーターは389バーツ。祝儀を兼ねて500バーツを手渡すと、そこで運転手ははじめて笑った。

20時15分にタイ航空のカウンターでチェックインを完了する。20時25分に手荷物の検査場を抜ける。20時43分にパスポートコントロールから出国をする。C3ゲートへ向かう途中の免税店では、僕がチェンライで買ったとおなじ品に4.6倍の価格を付け、そこに「特価」の札を添えている。

“BOEING 747-400″を機材とする”TG682″は定刻に25分おくれて23:10に離陸をした。海の上に出て右に旋回すると、ほどなくしてベルト着用のサインが消える。デパスとハルシオン各1錠ずつを、空港の自動販売機で買ったミネラルウォーターで飲む。椅子の背もたれを後ろに倒す。ウインドブレーカーの胸ポケットから取り出したアイマスクで目を覆う。来たときとは異なって、すぐには眠れない。


朝飯 チャルンクルン通りのクイティオ屋のセンミーナム
昼飯 “Meng Pochana”のカオマンガイ
晩飯 バンラックフードセンター裏の海鮮屋台のプラーガポンヌンマナーオ海老のニンニク揚げガイヤーン、ラーカーオ”Black Cook”(生)

2016.10.6(木) チェンライからバンコクへ

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相撲で言えば「時間いっぱい」までコンピュータにかじりついている悪癖がある。朝食のブッフェ会場に降りたのは7時20分のころだった。その30分後に部屋に戻り、荷造りを始めるものの、きのう酔った勢いで買った土産がかさばり、苦労をする。”KEEN”のサンダルはスーツケースに収まらず、仕方なしにザックに入れる。

8時30分に頼んだ迎えのクルマはいつものように、その数分前にはドライバーがロビーに現れた。きのうホテルの出口まで電動カートに乗せてくれたベルボーイには40バーツを渡す。

日本への郵便物は、チェンライ市内ならエジソンデパート1階にある、郵便局の出張所から出せば、先ずは間違いなく着く。しかし今回は、これまでその存在に気づかなかったことが不思議でならないけれど、空港内の郵便局から投函をする。1通あたり15バーツの切手代は、今回も変わらなかった。

“AIRBUS A320-200″を機材とする”TG2150″は、定刻に10分遅れて10:10に離陸をした。チェンライの緑が徐々に遠くなる。そして雲の上を30分ほども飛べば、機は早くも降下を始める。11時03分、バンコク近郷に特有の、極端に細長い長方形の農地が見え始める。バンコクには定刻に8分はやい11:12に着陸をした。

バックパッカーだった時代の価値観から離れられない僕も、徐々に贅沢になってきている。昨秋は微熱があったため、空港からホテルまではリムジンを頼んだ。今年2月こそ空港からフアランポーンまですべて鉄道で移動をしたものの、6月の早朝にはホテルまでタクシーを使った。今回は迷った挙げ句、やはりタクシーに決める。空港からのエアポートレイルリンクをパヤタイでBTSスクンビット線に乗り換える際の、スーツケースを提げたまま階段を降りることに気が進まないのだ。

バゲージクレームでは11時41分に荷物が出てきた。エスカレータで1階に降り、自動発券機からのチケットを手にタクシーの座席に収まったのが11時46分。サトーンの船着き場やサパーンタクシンの駅にほどちかいホテルには、12時28分に着いた。メーターは283バーツを示していた。それに空港手数料の50バーツ、更に色をつけた340バーツを手渡された運転手は、しばし暗算ののち、大して面白くもなさそうな顔で去った。

タイスマイル航空の機内スナックは、昼食としては少ない。しかし今からクイティオなどを食べれば夜まで腹の減らない気がする。“trippen”の革靴を”KEEN”の草履に履き替えチャルンクルン通りに出るそしてシーウィアン通りとの角にある繁盛店で少々の点心を買う

午後はプールサイドで2時間ほども本を読む。空は晴れていても、僕の寝椅子はビルの陰になって日は当たらない。涼しい風が吹き抜ける。チェンライのプールには、鳥のさえずりが絶えなかった。バンコクのプールに絶えないのは、クルマや雑踏による騒音である。それはそれで、悪いものでもない

サトーンの船着き場に行くと、通常は舟の中で買うはずの切符を売るオバチャンがいた。これはすこぶる便利だ。ターチャーンまでの運賃は14バーツだった。来たオレンジ船では左舷最後尾の船べり側に座った。移動に舟を多用するバンコクに、新橋と柳橋が「新柳二橋」と呼ばれたころの東京を感じるのは、僕くらいのものだろうか

「ここだ」と確信して降りた右手の桟橋は、しかし目的のターチャーンではなく、ひとつ手前のターティアンだった。左舷の端にいたため、舟の庇が邪魔になって桟橋の名がよく見えなかったのだ。桟橋に取り残されてそのことを係に告げると「ここでも大丈夫」と答える。「ここでも大丈夫」とは「隣の桟橋くらい歩いて行ける」ということなのだろうか。しかしそれを言っているのは、歩くことを極端に嫌うタイ人である。

王宮が近いせいか、あるいはカオサンが遠くないせいか、とにかく白人の観光客ばかりとすれ違いつつ外へ出る。そして道を探すも一瞬で「馬鹿くせぇ」と、きびすを返す。

先ほどのいい加減な係員は無視して、下流から近づいて来た新たなオレンジ船に乗る。船尾に立ったままでいると「どこまで」と、切符係らしいオネーチャンが訊く。先ほどの切符を見せつつ「ターチャーン」と答えると、彼女は何も言わず、船内への階段に立つ白人たちに「早くキャビンへ降りろ」と、なかなか威勢の良い英語で命令をした。

そしてようやく当初の目的だったターチャーンで舟を下りる。そのまま真っ直ぐ歩き、通りに出たら右に折れる。右側には”NAVY CLUB”の堅固な壁が続いている。しばらく行くとその壁が途切れて門衛が立っている。海兵クラブの建物に入り、従業員らしい人にレストランの場所を訊く。「禁煙。半ズボン、ミニスカート、サンダルお断り」の絵看板の脇のドアから奥へと進む。左手ではバンドをバックに歌手が歌っている。更に進んで外の席に着く。そして川風に吹かれつつチアビアに付き合いシンハビール1本を飲む。以降は手持ちのラオカーオをすこしずつ味わう

さきほど料理を注文したウェイトレスに、舟の最終の時間を訊くと、どうも英語は得意でないらしい。ちかくの黒服に彼女が振る。おなじ質問をすると彼は腕の時計を見て「20時」と教えてくれた。

改修の始まった2013年9月には3年と工期の伝えられていたワットアルンは相変わらず足場に覆われ、今夕の往路では、その表面は灰色一色に見えた。完成にはいまだほど遠いのだろうか。しかしライトアップだけはされていて、ときおり色を変えては闇に浮く。その姿を船上右手に眺めつつ20時すぎにサトーンに着く。

部屋に戻ってシャワーを浴び、21時前に就寝する。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 “TG2131″の機内食チャルンクルン通りとシーウィアン通りの角にある食堂の肉まん、海老蒸し焼売
晩飯 “Khun Kung Kitchen”のヤムウンセンタレートードマンクン、シンハビール、ラーカーオ”Black Cook”(オンザロックス)

2016.10.5(水) チェンライ日記(7日目)

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朝から日が差している。雨でも降らないかぎり、午前中の数時間をコンピュータに向かうなどは勿体ないと、きのうつくづく感じた。よって今日は、朝食の食休みもそこそこにプールに降りる。そして2時間ほども本を読む。

このホテルは、ロビーを出て車寄せの坂を下り、庭を抜けて外の道へ達するまでに、銀座でいえば晴海通りを築地に向かって数寄屋橋の交差点から歩き始め、歌舞伎座を通り越して昭和通りまで出るほどの距離がある。今日はその道のりを、ベルボーイが電動カートに乗せていってくれた。そのまま街まで行ければこんなに楽なことはないけれど、そういうわけにはいかない

「カオソーイポーチャイ」で汁麺を食べる。そのまま店の前の、白人向けのバービヤが並ぶチェットヨット通りを南に歩く。ワットチェットヨートの門前で左に折れれば、マッサージ屋”PAI”のある交差点に出る。昨日おとといと休んだせいか”PAI”は昼から混み合っていた。運良く先日のジェップさんに当たり、タイマッサージ2時間を受ける。

僕は、年賀状や暑中見舞いなど、時候の挨拶ハガキは出さない。いただいたそれに対しては旅先から返信を送る。ことし2月はバンコクの「グランドサトーンホテル」で年賀状への返信12通を書いた。1通あたりの文字数は200から300。書き終えるまでに2時間がかかった。この投函をホテルに頼み、しかしそのうちの1通も日本には届かなかった。僕の労作は遂に、郵便局へは持ち込まれなかったのだ。

今日は帰りに「ドイチャーンコーヒー」でエスプレッソをふたくちみくちで飲み干してから、暑中見舞いや残暑見舞いへの返信7通を書く。この店はケーキも美味い。しかしとても甘いそれを胃に収めれば多分、夕刻になっても食欲は訪れないだろうと踏んで、注文はしなかった。

午後もプールへ行き、iPhoneに設定した17:15のアラームが鳴るまで本を読む。あるいは泳ぐ。今日のプールサイドバーの担当者は商売熱心でなく、音楽もかけなければ飲み物の注文も取りに来なかった。そのお陰で居心地はとても良かった。対岸の森では鳩がずっと啼いていた

18時のシャトルバスで街に出る。いつものように、ナイトバザールの黄色いペコペコ椅子の広場へ行く。たらいに大量の豚の臓物を用意した店のオバチャンに「ガオラオか」と訊くと「バミーも入れられるよ」と、オバチャンは黄色い麺を指した。「バミーは要らない。スープも少なめで」と、そのモツ煮を買う。流石の僕もチムジュムには飽きた。いつものオバチャンの店ではソムタムを頼んだ。

広場のステージに踊り子が現れるのは、今回の旅では今夜が初めてではなかったか。そしてその伴奏は、いまや鼻で歌えるほど僕の耳には馴染んでしまった

ところでこの広場では毎晩、小さな子供が落花生を売り歩いている。そして大抵のテーブルで断られている。おかっぱ頭の色の黒い子が来たので「いくら」と訊くと「イーシップバー」と、その女の子は僕の目を遠慮がちに見ながら答えた。彼女の手には2袋が提げられていた。日本への土産にしてもいいやと、ふたつとも買う。そうして中を見たら、それは茹で落花生だった。これでは土産にならない。テーブル片づけ係の赤いTシャツのオニーチャンを呼び「これ、食べて」と、苦笑いをしながら頭を下げる。

この広場とも、今年は今夜でお別れであるナイトバザール前20:15発のシャトルバスに拾われ、部屋に戻って21時前に就寝する。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとベーコンとオムレツトースト中華粥、コーヒー
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナム
晩飯 ナイトバザールのフードコートのソムタムガオラオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(オンザロックス)

2016.10.4(火) チェンライ日記(6日目)

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夜が明ける前は雨の音がしていた。夜が明けても雨は依然として降っていた。それが止んだのは8時ごろ。薄雲の間から日が差すと、西の空には虹が出て、しばらく消えなかった。今朝もロビーに降り、しかし今日はそこからの階段ではなく、外の菜園の小径を歩いてブッフェの会場に行く

午前中はほとんど部屋で本を読むか、コンピュータに向かっている。今日もその最中にメイドが部屋掃除に来る。洗濯はこれまで、翌日午後の仕上がりと思ってきた。しかしクリーニングの伝票をよく読んでみると、急ぎは4時間、通常は10時間で当日中の完成と書いてある。即、旅のデータベースに加える。

炎天下、2キロ弱の道を歩いて街に出る。昼食は軽めに、今日は「カオソーイポーチャイ」のガオラオにして、ライスは頼まない。このガオラオ、通常はメシのおかずにするためのものだから塩味は濃い目ではあるけれど、特に豚の血の煮こごりが美味い。朝は豚の臓物入り中華粥。昼はおなじく豚の臓物入りスープで、臓物好きの僕は大満足である。

行きつけのマッサージの”PAI”の入口には、きのうから”3-4″という数字と共に短いタイ語を書いた紙が貼ってあり、中は無人である。左手のソイに回ってみると、2階で工事が行われていた。”3-4″は「10月3日と4日はお休み」ということなのかも知れない。

マッサージは諦め「ドイチャンコーヒー」で冷たいコーヒーを飲んでひと息を着く。そしてまた、人が歩くようにはできていない、今どき誰も使わない公衆電話2台が並んで道をふさいでいるタイの典型的な歩道を歩いて、否、歩道から降りたり、また上がったりしながらホテルに戻る。毎日4キロも5キロも歩いて昼食を摂りに行くなどは、日本では絶対にできないことである。

午後はプールで2時間ほども本を読む。プールには昨年までとは異なり、バーに置かれた装置から西洋のポップスが流れている。そのポップスが、きのうはプールサイドに中国人があらわれるなり中国の曲に変わった。海外まで来て自国の音楽を聴かされて嬉しがる人間がいるのだろうか。しかし2013年7月、ネパールの古都バクタプールには、中国人観光客におもねるため中国の音楽を流す店がたくさんあった。僕は海外においては、その国の音楽だけを聴きたい。また、プールサイドの音楽は僕には迷惑だ。せっかくの鳥の声が台無しではないか

毎日のことながら、今日も18時のシャトルバスに乗ってナイトバザールへ行く。バスから降りた際に、一緒に乗り合わせたふた組のファラン夫婦が、バスの運転手に街についてあれこれ訊いている。運転手は大まかなことしか答えない。よってその4人組には「ナイトバザールの食事場所は大きく分けて2個所。ここを進んで左手はデラックス、その先に市民用のフードコート」と僕が教える。空港からいきなりホテルに運ばれれば、街についてはなにも分からなくて当然である。

僕はといえばやはり、チーク材をふんだんに使ったデラックスなところは素通りをして、奥の「黄色いペコペコ椅子」の広場へ行く。空は夕刻の明るさを残している。客席はいまだ閑散としている。広場の両側に並ぶ店の中にイカ焼きを見つけ、ここで烏賊の足ひと串を炙るよう頼む。それから31番ブースの前の席に着き、きのうとおなじオバサンにチムジュムを注文する

烏賊の足の炭火焼きにはパクチーがたっぷりとのせられていた。きのう買ったラオカーオ”BANGYIKHAN”が美味い。すっかり酩酊し、ステージの前まで歩いて振り向くと、空は既にして夜のそれになっていた。広場はいつの間にか満員の盛況である

目抜き通りまで歩くと警察が検問を敷いていた。ホテルを20時に出たシャトルバスが停まる。乗客すべてが降りたところで乗り込もうとすると「今はポリスがいる。20時50分にまた来る」と、僕にはそう聞こえることを運転手が発した。警察官がいて何の問題があるのかは不明だったけれど僕は頷き、道を隔ててはす向かいのマッサージ屋に入る。そして足マッサージを30分のみ受ける。

20時50分にシャトルバスの停車場所に行くと、しかしバスはいつまで待っても来ない。21時17分、ようやくその白い車体が見える。運転手は、先ほどは慌てていて”nine fifteen”を”eight fifty”と言い間違えたのだろうか。ふたりの小さな子供を連れたファラン夫婦の夫の方は、無事バスに乗れたことがよほど嬉しかったらしく、車内で小さくガッツポーズをした

ホテルには21時30分に戻った。即、シャワーを浴びて22時に就寝する。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとベーコンとオムレツトースト中華粥、コーヒー
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のガオラオ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、烏賊の足の炭火焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(オンザロックス)

2016.10.3(月) チェンライ日記(5日目)

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南の国の夜は一気に明ける。6時を迎えようとするころから急に明るくなる。地軸の傾きや緯度が関係しているのだろうか。プールで泳ぐ人がいる。南の国とはいえ気温は20℃をすこし超えるくらいのところだろう。この時間から、その気温にも拘わらず水に浸かるなどは、ファランにしかできないことである

クリストファー・ロビンではないけれど、チェンライには「なにもしないでいること」をするために来ている。もっともその僕も、日にいくつかのことはする。毎日することはメシ食い、歩行、日記書き、本読み、酒飲みである。そこに毎日ではないけれど、あれこれのよしなしごとが加わる。

今日も未明は日記書きである。そうして朝を迎え、しばらくしてから朝食会場へと降りていく。外の席には、大きなテーブルにしかナプキンと食器が置いてなかったため、小さなテーブルにもそれを用意するよう、ウェイターに言う。朝食の内容は、ここに来て以来、変わらないものだ。朝日はいまだ、低いところにある

きのうと打って変わった好天にて、強い日差しの下を2キロほど歩いて街に出る。髪も髭も伸びている。目抜き通りの、昨年かかった床屋の扉を引く。「髪と髭と耳掃除」と伝えると、店主らしい男に奥から2番目の席を示される。言われるままそこに座る。僕の後ろには若い人が立った。バリカンは1番か2番かと訊かれても意味が分からない。「5ミリ」と伝えると「だったら2番」と、店主らしい男は若い職人に伝えた

料金は昨年とおなじ180バーツだった。髪が70バーツ、髭が60バーツ、耳掃除が50バーツといったところだろう。入国をする前からタイの物価は身についている。だからシャンプーは頼まない。若い人は僕の頭と頬とあごにドライヤーの風を当て、それに相当する日本語はないからどう書いて良いか分からない、とにかく髪や髭のカスを吹き払った。

チェンライで僕がいちばん好きなメシ屋「シートラン」が、いつになく繁盛している。店先の硝子ケースを指さし、おかず2種と冬瓜のスープ、そしてライスを注文して店に入る。先ほどまでは食器の準備に使っていたらしい、本来は客用のテーブルを店主は店員に命じて片づけさせ、そこに僕を案内した。

今年のギンジェーつまり菜食旬間は10月1日から9日までと聞いた。この町には9月29日に着いたのだから、ここにはギンジェーの始まる前に来ておけば良かった。僕はこの店の、キャベツと豚三枚肉の煮込みが好きなのだ。店に「齋」、これは斎戒沐浴のひと文字と思われるけれど、この黄色い旗の派手にひるがえる下で、肉の代わりに豆腐や湯波を使ったおかずを昼食とする。

朝に続いて昼も満腹である。その腹を鎮めるため「日本にこんな美味いコーヒー、あるかね」と飲むたび感動する「ドイチャンコーヒー」にてエスプレッソ1杯を飲みおとといともきのうとも違う道を歩いてホテルに戻る

床屋の帰りに買ったラオカーオを部屋のテーブルに置く。窓の外には陽光が満ちている。着替えてプールに降り、そこで2時間ほども本を読む

夜はきのうに引き続きホテルのシャトルバスで街に出る。そしてきのうに引き続きナイトバザールの、きのうのオバチャンにチムジュムを注文する

昨年のオバチャンの画像をオバチャンにiPhoneで見せる。するとオバチャンはみずから親指と人差し指で画像を拡大して、しかし老眼のため判別が付かず、それを隣の店の若い人に見せに行った。若い人はディスプレイを凝視して「オバチャン本人だよ」と教えたらしい。このオバチャンが、なぜ極端に若返ったかは不明である。オバチャンはソムタムを小皿でサービスしてくれた。

となりの席では家族が日本と同じハッピーバースデーの歌を歌いながら、子供の誕生日を祝っている。洒落た祝いの席ではないか。子供たちは多分、今夜はケーキしか口にしないだろう。

昨年はなかった猫カフェの角をまわって通りに出る。ホテルのシャトルバスが帰りの客を迎えに来るまでにはいまだ45分もある。おとといのトゥクトゥク代100バーツは「外人プラス雨」の特別価格だった。いまトゥクトゥクを頼めば今度は「外人プラス夜」でやはり100バーツだ。前述のとおり、タイの物価はタイに来る前から身に染みついている。

トゥクトゥクのたまり場を過ぎて歩いて行くと、シーローの運転手が徐行をしながら僕の顔を覗き込んだ。「ドゥシットまでいくら」とすかさず訊く。「40バーツ」と運転手は答えた。即、その荷台に乗り込みホテルを目指す

今日の就寝はきのうよりも早い19時台だった。極端な早寝早起きによる、これも昼夜逆転である。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「シートラン」の厚揚げ豆腐ともやしの炒め煮、グリーンカレー、ライス、冬瓜のスープ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(オンザロックス)

2016.10.2(日) チェンライ日記(4日目)

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今回の日記では1日の画像数が26点を超えないことを目標にしている。26点とは画像のファイル名に使うアルファベットの文字数である。きのうはその枠に収まりきれず何点も削除した。今日は余裕である。

きのうの部屋掃除は、僕が部屋から出るのを待ちかね、待ちきれない様子で正午に部屋の呼び鈴を押した。今日もそれくらいの時間とたかをくくっていたら11時に呼び鈴が鳴った。よってそれをしおにコンピュータから離れ、着替えて外に出る。

マッサージの”PAI”の扉を開くと、客のためのソファでオネーサンが洗い髪を扇風機で乾かしていた。僕も座るとそれに気づいたオネーサンが振り向いた。オネーサンはおとといマッサージをしてくれたジェップさんだった。僕を見て「あぁ」と声を出して笑う。僕も「あぁ」と言って笑う。髪が乾くとジェップさんは扇風機のスイッチを切って奥の階段を上がっていった。扇風機の冷風には僕も当たりたいのだ。即、スイッチを入れ直す。

この店のマッサージは誰に当たっても揉みがきつい。「タイマッサージは寝ながら他人まかせでできる運動」と言った人がいる。揉まれたあとのからだの痛みはまさに、運動の後の筋肉痛を思わせる。今日のオバサンも大変な強揉みだった。治療と思って我慢をしているけれど、これは癒やしなどではない、なかば修業のようなものである。

今日の雨は首尾良く、僕がマッサージを受けている2時間のあいだに強烈に降り、そして止んだ。その雨上がりの街を歩きながら、傘を持ったファランとすれ違う。そのファランはすこし考えて引き返したのだろう、後ろから僕に話しかけてきた。

「失礼ですが、そのサンダルは爪先を守るアイディアが素晴らしいですね、どちらの…」
「キーンです。K、E、E、N」
「タイ製ですか」
「いえ、アメリカ製です。南の国の歩道はしばしば壊れていて危ないでしょ」
「おっしゃる通り。有り難うございました」

僕よりすこし年下と思われる男はそのまま、僕が歩いてきた方へと去った。タイの歩道は人が歩くようにはできていない。タイの歩道にはしばしば「オマエなぁー」となじってやりたい気持ちを抱く。敷石は割れあるいは踏んだ途端にぐらついて溜まり水を飛び散らす。途中で切断された電信柱が切り株のように立ち上がり、あるいはその真ん中に街路樹や道路標識がズラリと並んで行く手をふさぐ。歩行者は、まるで山のガレ場を往くように、足元には気をつける必要があるのだ

ふと気になってシリコーン市場の、昨年、そのとなりに大きな屋根のかけられつつあったガイヤーン屋を訪ねてみる。するとその店は新しい屋根の下にちんまりと収まっていたから安心をした。コンクリートパネル製のテーブルに着き、昼食中の太った娘にトムセーップを注文する。米袋を持って途中からあらわれたオカミを見て「やっぱりおなじ店だ」と再確認をする。そのオカミに「カオニャオはどうする」と訊かれる。朝食をたっぷり摂っているため空腹ではない。よって餅米は断ってスープのみを飲む。

これまで使ったことのない道を辿ってホテルに戻る。すると間もなく、右手にきのうの広場が見えた。きのうあれだけの露店が立ち並び、あれだけの人が集まったにもかかわらず、広場にも道にも塵ひとつ落ちていない。大した管理である

夕刻がちかくなるころ、ようやく日が差しはじめる。「この時間から行ってもなぁ」と思わないではなかったけれど、きのうの日中はほとんど雨に閉ざされていた。明日も晴れる保証はない。”Patagonia”の水着兼用の半ズボンを穿き、プールへと降りていく

空の様子はめまぐるしく変わる。つい先ほどまでは真っ青だった空の全面を薄雲が覆う。と思えばまた晴れて、遠くに入道雲が立ちのぼる。僕に声をかければ断られないと知っているプールサイドバーのオニーチャンが注文を取りに来る。3日前はミックススムージーだったから今日はテンモーパンを頼む。それで喉を潤しつつ90分ほども本を読む。

18時10分前にフロントでシャトルバスの切符を買う。そこには片道60バーツ、往復120バーツの数字があるけれど、実際には60バーツで往復できる。復路のみならタダで乗れる。しかしそれがいつでも誰にでも通用するかどうかは知らない

雨が続いたせいか、それとも明日からまた1週間がはじまるせいか、ナイトバザールのフードコートは閑散としていた。席を決め、先ずはラオカーオをオンザロックスにするための氷を10バーツで買う。氷のバケットを手に席へ戻ると、初日木曜日の夜には見つけられなかった、昨年は何度もチムジュムを頼んだ店の、優しそうなオバチャンが目の前にいた。即、昨年とおなじくチムジュムを注文する。

「しかし待てよ」と、日本から持参したステンレスのコップに氷を入れつつ考える。オバチャンは昨年のオバチャンにそっくりだ。しかし今年は隨分と若く見える。昨年のオバチャンは訥々としていた。しかし今年のオバチャンは綺麗な英語を話す。昨年のオバチャンの画像をiPhoneに送り、明日は「この人の妹さんですか」とでも訊いてみよう。

ホテルにはナイトバザール前20:15発のシャトルバスで戻った。そしてシャワーを浴びて即、就寝する。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 シリコーン市場のガイヤーン屋のトムセーップ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)

2016.10.1(土) チェンライ日記(3日目)

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今日もまた暗闇の中で目を覚ます。枕頭の時計は02:36と表示されている。腹の中で苦笑いをする。前夜の就寝が20時台であれば、この時間に目を覚ましても不思議ではない。

きのうの日記を書きながら、強い雨音に気づく。カーテンを開いて外を見る。川面の様子は覗えないものの、プールの水は大量の雨滴に粒立っているように思われる。その雨音が弱まって夜が明ける。対岸の森で鳩が鳴いている。その声をより明瞭に聴くため窓を開ける。

部屋の机で仕事をするうち正午が過ぎる。ノックの音がする。ドアの外にはリネン類を積んだワゴンと共にメイドが立っていた。掃除をしても構わないかと訊かれて「はい、どうぞ」と答える。ベッドの上の洗濯袋を示しつつ、洗濯物を記入する伝票が1枚しかなく、だから今日の分でそれが無くなってしまうことを伝える。メイドが部屋の電話で洗濯係を呼ぶ。すぐに洗濯係が来て僕の洗濯物を引き上げ、且つ新しい伝票を所定の位置に納める。遅滞のない連携である。

朝食はたっぷり摂っているから腹が空いているわけではない。しかしこのまま夜まで何も食べないわけにもいかない。朝食以外をホテルで食べる気にはならない。空の低いところに黒い雲があり、椰子の葉は風に揺れている。それが驟雨の予兆であることは、ここに住む者でなくても容易に想像がつく。

「そうと知りつつみすみす」という持病が僕にはある。12時40分にホテルを出る。既にして遠雷が聞こえている。街までの、雨宿りのできそうなところは知っている。そこまで達する前に雨の降ってこないことを祈るばかりだ。

南の国にはスコールが多いから、商売をする家は大抵、庇を歩道に張り出させている。その下を辿ってバンプラカン通りに出たところで大粒の雨が落ちてくる。雨は瞬く間に勢いを増す。

チェンライに来たら必ず複数回は行くおかず飯屋「シークラン」は、ほぼ満員の盛況だった。いまだ空席はあったけれど、今日は汁麺の食べたい気分だ。よって庇と庇の途切れるところは走り抜けつつ汁麺とワンタンの店「フイミン」に入る。そうしてここでワンタン麺を食べる。店の奥にガスボンベを運ぼうとしている燃料屋の雨合羽から、水がしたたり落ちて床を濡らす

いつまで雨宿りをしていては店も迷惑だろう。そう考えて50バーツを支払い外に出る。ホテルには結局のところ、トゥクトゥクで帰った。運転手の言い値の100バーツは「外人プラス雨」の特別価格である

時刻はいまだ14時を過ぎたばかりだ。雨は先ほどよりは小降りになっている。しかし止んだわけではない。ロビーのラウンジで本を読む手もあったけれど、やはり部屋にいる。夕刻が近づくころにようやく雨が上がる

チェンライで土曜日といえばサタデーナイトマーケットだ。昼のポロシャツはトゥクトゥクの車体に触れて汚れてしまったため、アロハに着替えて外へ出る。そうして市の立つタナライロードへと入って行く

お守り屋ケーキ屋カイピン屋足ふきマット屋毛糸の帽子屋飲みもの屋寿司屋アイフォンカバー屋ピカチュードラエモンキティ屋

タナライロードから直角に南へ向かう道に入ると、屋台は食べ物屋ばかりになる。そのうちの鹵味屋で鶏モツを60バーツで買う。すぐちかくの汁無し麺屋で焼きそばを15バーツで買う。セブンイレブンでシンハビールの350CC缶を39バーツで買う。頭上の梢にはおびただしい数の鳥がいる。その啼き声の凄まじさに圧倒されるのは毎年のことだ

毎週、土曜日がくるたび、よくもまぁこれだけの人が集まるものだと、ほとほと感心する広場を歩き、空席を探す。ふたつのテーブルで首を横に振られ、3つめの、つつましやかなカップルの着く場所にようやく席を得る。そうしてステージのバンドによるタイの演歌ルークトゥンにひたる。きのうよりも、おとといよりも、ラオカーオが進む。

時々まわってくるゴミ係のオジサンの袋に鹵味と焼きそばの器、そしてビールの空き缶を捨てさせてもらう。カップルに礼を述べて席を立ち、ステージの前まで行く。カウボーイハットの歌のオジサンは相変わらず絶好調だ。その歌に合わせて踊る市民の輪の中には、知った顔がいくつもある。彼らは毎週土曜日、つまり大雨でも降らないかぎり、年に50数回はここで踊っているのだ

市民みずからこれだけ盛り上がってくれるなら、行政は楽だろう。というよりも、行政主導とか、広告代理店主導とか、そういう「主導」の匂いがここには感じられない。屋台、露店はみずからの金儲けのために商売をする。市民はみずからの楽しみのためにここに来る。演歌バンドはシロートやセミプロの自己満足ではなく、市民に支持をされている。そんな感想を抱きつつ、ホテルまで歩いて帰る。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとベーコンと目玉焼き、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「フイミン」のバミーギィアオナム
晩飯 サタデーナイトマーケットの屋台の鶏モツの鹵味、焼きそば、シンハビール、ラオカーオ”YEOWNGERN”(生)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学