2020年3月の日記31本
2020.3.31(火) 隠居の桜
食堂の、電気湯沸かし器を置いた左手には、南西に向いた窓がある。夜の明けてくる気配を感じると、僕はすぐに、その窓のカーテンを巻き上げる。あたりが明るくなれば、正面に隠居が見える。その庭の3本の桜のうち、もっとも高いところまで枝を伸ばした山桜は、既にして八分咲きになっただろうか。東の角に育った染井吉野は、三分咲きとも思えるし、あるいは老いて、花の数を減じているのかも知れない。しばらくしたら、その真下に行って、観察をしてみることにしよう。
味噌蔵に阻まれて望めない枝垂れ桜は、紅いつぼみがようやくほどけ加減になってきた。3本のうちこれがもっとも長く咲き続けることを考えれば、この週末から来月のなかばころまでは、愉しむことができるはずだ。
先日、長男の茹でたスパゲティを食べた。業務スーパーで手に入れたトルコ産とのことだった。よって僕も本日、そのスーパーマーケットに出かけてみた。棚にあったのはイタリア産だった。それにしても5キロで939円とは、想像を絶する安さだ。これで美味ければ、反則という他はない。
夕刻、そのスパゲティを米と共に箱に収めて、甘木庵に住む次男へ向けて送る。しばらくしたら味の具合について、訊いてみようと思う。
朝飯 大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、納豆、キャベツとハムのソテー、ひじきとパプリカの炊き物、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬の辛子和え、メシ、キャベツとタラの芽の味噌汁
昼飯 長葱のつゆで食べるざるうどん
晩飯 チーズの「日光味噌梅太郎白味噌」漬け、TIO PEPE、じゃがいもとマッシュルームのグラタン、パテ、茹でたグリーンアスパラガス、鶏笹身肉のチーズはさみ揚げ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、プリン、Old Parr(生)
2020.3.30(月) 黄身しぐれ
きのうの雪が、いつから降り始めたものかは知らない。しかし開店準備を取りかかるころには、すでにして水気を多く含む、雪よりはミゾレにちかいものに変わっていた。ミゾレならやがて雨になり、だから雪かきの必要もないのではないか、とも思われた。しかしお客様の足元は、いかにも良くない。そう考えて、販売係のハセガワタツヤ君とササキユータ君には雪かきを頼んだ。
その、雪をかいたところが今朝は見事に乾いている。今日のお客様には、それほどの不便はおかけしないで済む。やはり、雪はかいておいて良かった。
昼に所用があって、90分と少々を留守にする。帰ってスーツを仕事着に着替え、手を洗ってうがいをする。そして蔵の中を抜けて「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ顔を出すと、本日最後のお客様に間に合った。お客様は和室の専門職でいらっしゃり、隠居の造作についても、いろいろとうかがうことができた。きのう雪に阻まれてご予約を取り消されたお客様が、翌日の今日に早速ご来店くださったことも嬉しかった。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、明日から4日間の休みに入る。よって個室の杉の間に飾った花は、花瓶ごと抱えて店に移す。
朝飯 生のトマト、目玉焼き、納豆、茗荷の酢漬け、焼き葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、メシ、万能葱の味噌汁
昼飯 バターと杏と無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、ホットミルク
晩飯 鮭の昆布巻き、菠薐草と榎茸のおひたし、牛タンの塩焼き、じゃこ、里芋と「しいたけのたまり炊」の炊き合わせ、鰆の「日光味噌梅太郎白味噌」漬け焼き、胡瓜のぬか漬け、茗荷の酢漬け、「飛良泉本舗」の「山廃純米吟醸HAKUCHO」(冷や)、黄身しぐれ、Old Parr(生)
2020.3.29(日) とても暖かい
3時台に目を覚ます。日光地方に大雪注意報の出たことを、iPhoneに浮かび上がったニュースが伝えている。起きて窓際へ歩き、カーテンをずらして外を見る。水銀灯に照らされて、雪が静かに降り始めている。日光でも我が今市地区に限っては、それほど積もらないような気もする。
本日の朝食は4時55分。その内容は「戦闘食」とでも呼べそうな簡単なものだった。家内は5時28分に隠居へと去った。おなじ時間に僕は製造現場へ降りようとして、裏玄関の扉を開ける。不意に長男が外から戻ってくる。そして雪かきに取りかかるべく、ふたたび外へと出ていった。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、雪の払われた石を踏みながら、朝からお客様がお見えになる。とても有り難い。今日のお客様は、ある意味で幸運でいらっしゃったかも知れない。雪に桜の景色は、そうそう愛でられるものではないからだ。于武陵の「勧酒」の「花発多風雨 人生足別離」に井伏鱒二は「ハナニアラシノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」の訳をつけた。中国に桜があれば、詩人たちはこぞってこの花を謳ったにちがいない。
控えの間に、お客様のさんざめきが聞こえてくる。きのうの日記にも書いたことだが、何とも嬉しい気持ちになる。今朝にご予約をくださった若い女性のお二人は、奥の杉の間に落ちつかれた。僕はほどのよいところで戸を引き、時間を気にせずゆっくりしてくださるよう、お伝えをする。
外は雪でも、築150年の伝統家屋の内側は、とても暖かい。
……
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、築150年の伝統家屋で朝食をお召し上がりいただくお店です。営業日は毎週(土)(日)(月)の3日間、営業時間は朝8時30分から14時、オーダーストップは12時30分です。
ごはんは、日光の棚田で収穫されるお米「ゆうだい21」を、土鍋で炊き上げます。吸水に40分を要しますので、ご予約をいただければ幸いです。なお一汁五菜膳につきましては、前日までのご予約を、お願いしています。
電話番号は0288-25-5844(日光ごはん良し)です。営業日以外には、上澤梅太郎商店(0288-21-0002)でも、ご予約を承ります。
朝飯 生玉子、焼き葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、椎茸と筍とレタスの味噌汁
昼飯 バターと杏と無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、紅茶
晩飯 根菜類と茸のスープ、キャロットグラッセと粉ふきいもを添えた鯛のバター焼き、Veuve Olivier & Fils Carte d’Or、クッキー、Old Parr(生)
2020.3.28(土) 汁飯香の店 隠居うわさわ
きのうの夜、風呂上がりに水を何杯も飲みながら、うたた寝をした。気づくと家内の姿が見えない。家内が僕より先に寝るなどは、かつて無かったことだ。
今朝の僕の起床時間は、理想の3時台。家内は4時45分に起きてきて、朝食の準備にかかった。これまた異例の早さだ。僕は製造現場へ降り、戻ったところで朝食。どんなに忙しくても「メシ」を欠かすわけにはいかない。「メシ」を欠かせば戦はおろか、何もできないと心得るべきだ。家内は5時49分に食堂を出て隠居へと向かった。
8時より朝礼。隠居の調理を担当する家内、それを補佐する長男はもちろんのこと、今日明日は僕も、閉店時間の14時までは、ほぼ隠居に詰めることを社員に伝える。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、お客様のための部屋は庭に面した6畳と8畳、そして奥の杉の間。席数は最大で20。ここに今日は、21名様のご予約をいただいている。おひとり目のお客様は、はじめ店の駐車場へクルマをお着けになったため、隠居に至近の駐車場をご案内する。おふたり目のお客様は、最初のお客様のお連れ様。おなじ時間に更に3名様がいらっしゃる。
僕はご挨拶の後は、玄関と杉の間のあいだの控えの間で静かにしている。これまでこなしてきた練習の通りに立ち働いているのは、家内、長男、そしてタカハシリツコさんの3名だ。控えの間に、お客様の歓談をなさる様子が伝わってきて、僕は穏やかな気持ちになる。
午前にひとつ、昼にひとつの、新聞社による取材の対応は僕がさせていただく。その最中に来客を伝える電話が事務係のツブクユキさんからあって、店に急行したりもする。午後に入ったところで雨が降り出す。おなじく事務係のカワタユキさんに連絡をして、まとまった数の傘を持ってきてもらう。
最後の4名様には玄関で傘をお渡しし、その傘を回収しながら駐車場までお見送りする。時刻は14時。今日は良い仕事ができた。
以降は、生花をいただきながらいまだお礼をお伝えできていなかった方々に、取りあえずは電話で謝意をお伝えする。また道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に、商品の減り具合を調べに行く。夕刻にふたたび隠居へ行き、生花のお礼に漏れのないことを確認する。
明日の空模様は、雪と伝えられている。明日のお客様には、雪に桜の景色をお楽しみいただけるだろう。
朝飯 生のトマト、菠薐草のおひたし、ハムエッグ、納豆、塩鮭、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 塩鮭、梅干し、塩昆布、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、唐辛子の味噌炒りによるお茶漬け
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、ドライマーティニ、TIO PEPE、家に帰ってからのバームクーヘン、Old Parr(生)
2020.3.27(金) 初日の準備
朝食に特化した「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、明日は開業日だ。きのうはお取引様から、胡蝶蘭や花の盛り籠が7基も届けられた。それを今朝は、長男とタカハシリツコさんが隠居に運んだ。今朝も、胡蝶蘭と盛り籠が各ひとつずつ届けられた。それは僕と長男で運んだ。
所用にて、昼前より県南に出かける。13時30分に日光宇都宮道路の今市I.C.を降りて、JR日光線のトンネルをくぐる。そこから上がって赤信号で停まると、タカハシさんは隠居の外で歩道の雑草を抜いていた。
17時を過ぎて、花の「花一」がワゴン車で花を届けに来る。これもまた、お取引様からのものだ。数は胡蝶蘭が5基に盛り籠が2基。ワゴン車の女性ふたりを隠居に案内し、以降は長男とタカハシさんに任せる。
終業後に本日出社の社員たちと小さな集まりを持ち、明日の「汁飯香の店 いんきょ上澤」について話す。それを済ませて後はふたたび隠居へ行く。
隠居の床の間にはこれまで何年ものあいだ、今井アレクサンドルによるガーベラの絵を掛けていた。2011年3月の東日本大震災から立ち上がろうとしているときに、今井が僕を励ますため、くれたものだ。しかし現在、それほど広くない隠居の座敷は花で満たされている。よってこれらのあるうちは、床の間は地味にしておこうと家内は言う。
母屋から持ち来たのは、季節を問わない双幅の掛け軸だ。床の間には大抵、一幅でも双幅でも掛けられるよう、3つの鉤手が天井ちかくに取り付けられている。長男が脚立に上って、その幅を調整しようとする。ここで初めて、それらが3つとも錆び付いて動かないことを知る。
双幅の掛け軸は結局のところ、大きく間を空けて掛けざるを得なかった。当座はそれらのあいだに花器を置いて、凌ぐつもりである。
朝飯 紅白なます、塩鮭、納豆、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、胡麻豆腐、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、大根と大根の葉と椎茸の味噌汁
昼飯 豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、塩鮭、塩昆布、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、梅干しによるお茶漬け
晩飯 「食堂ニジコ」の酒肴其の一、其の二、其の三、其の四、ソース焼きそば、3種の日本酒(冷や)
2020.3.26(木) 過剰在庫
本日も、自分には理想と思われる、3時台に目を覚ます。おとといときのうの日記は、きのうのうちに書けている。そのうちおとといのものにすこし手を加えて「公開」ボタンをクリックする。次いできのうの日記に画像を加えて保存する。日記の文章は、40文字を最長限度として句点を打つ。文字数は400字を以て最上とする。これがなかなか難しい。
如来寺のお墓に花を供えてから9日が経つ。おとといの朝は、その花立ての水を取りかえ、線香立てのまわりを水で洗った。以降は雪が舞ったと思えば照ったりと、寒暖の差が激しくなった。よって今朝もまたお墓を訪ね、いまだ保ちそうな白菊も含めて、すべて片付ける。次の墓参りは、おじいちゃんの祥月命日のある5月になるだろう。
…と、ここまで書いても、時刻はいまだ4時台。「朝のうちにその日の日記を書くなんてのは、事実の記録ではなく創作じゃねぇか」と問われれば、実際の行動をその創作に沿わせれば、創作も事実になるのだ。
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上記は、2020年3月26日の日記を当日の朝に書いたように見える。しかし実際には、3月25日の朝に書いたものだ。そしてお墓の花は、その3月25日のうちに片付けてしまった。日記の在庫が過剰になると、しばしばこのような齟齬が発生する。日記を途切れさせるよりは、よろしいのではないかと思う。
朝飯 焼き鮭の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、菠薐草のおひたし、紅白なます、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と絹さやの味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 黒豆煮、茹でたブロッコリー、竹輪の胡瓜詰め、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、中華風オムレツ、中華風焼きそば、麦焼酎「むぎっちょ」(ソーダ割り)
2020.3.25(水) 姿勢
目を覚まして食堂に出ると、食器棚に置かれた電波時計は3時23分を指していた。この4日間は連続して、理想の起床時間が維持できている。
お彼岸を過ぎて、隨分と日が延びてきた。17時30分に店を閉め、3台のキャッシュレジスターを締めるなどして社員を送り出すと、時刻は18時15分。施錠をしながら4階に戻るのが、おおむね18時30分。その時間になっても、南西に面した窓には明るさの残っていることに、きのうは気づいた。
今朝は5時に、南東に面した窓のカーテンを巻き上げた。遠い山の端には、既にしてオレンジ色の明るみが見える。つい先日までは、朝はいつまでも暗かった。まるで狐につままれた気分である。
午前、僕の人生史上、最強に効く宇都宮の整体院で45回目の施術を受ける。整形外科のブロック注射でも散らせない、また鎮痛剤の服用が欠かせない背筋痛に見舞われていた昨年の1月には、週に2回の通院を、先生より言い渡されていた。その後、症状が回復するに従ってその頻度は減り、昨年の10月からは月に1回、そして今日は「次は1ヶ月半後でいいでしょう」と太鼓判を押されるに至った。
ところで今月18日の健康診断において、体重は昨年とほとんど変わらないにもかかわらず、腹囲は5.5センチも減っていた。測ってくれた女の人には「なにか運動でも始められましたか」と訊かれた。気温35度、湿度90パーセントの炎天下に15キロを歩いてインドシナの遺跡を見て歩く、ということなら平気でするが、運動は好まない。腹がへこんだわけは、ことによると前述の整体院の先生に、先ずは椅子の座り方から指導をされた、その姿勢の正し方にあったのかも知れない。
朝飯 冷や奴、納豆、焼き鮭の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、菠薐草と榎茸のおひたし、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、イチゴ、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 「ことり」の金目鯛の煮付け定食
晩飯 ベビーリーフのサラダ、バンブー、コーンポタージュ、じゃがいものグラタン、烏賊とキャベツのスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、黄身しぐれ
2020.3.24(火) 練習の5日目
朝食に特化した「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今日は5回目の練習日だ。お客様役を務めてくれるのは、宇都宮の懐石料理屋「了寛」のあるじタマキノリヒロさん、もうひとりは業務用厨房の専門店「リビングカマトク」の社長アキザワマサアキさん、つまり玄人である。
総鎮守瀧尾神社のお祭りに関係するお金を当番町の会計係に送金するなどするうち、時刻は13時を過ぎた。それから隠居まで歩いて、辰巳に面した門ではなく丑寅側の柴折り戸を押す。お客様役のおふたりは、既にして今日のお膳を召し上がり始めていた。
おふたりの試食が済んで後、僕はアキザワさんから貴重な意見をいただいた。家内と長男とタカハシリツコさんは、厨房でタマキさんから同じく、開店直前における様々な知恵を授けていただけたようだ。
「間違いなく繁盛します」と、帰り際にタマキさんは真顔で断言した。真顔による断言を人から受けた際の常として「…だと良いのですが」と長男はおかしそうに笑った。「汁飯香の店 隠居うわさわ」の開業は、4日後に迫った。
朝飯 豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、納豆、菠薐草のおひたし、塩鮭、生のトマト、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と絹さやの味噌汁
昼飯 唐辛子の味噌炒り、豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、梅干し、塩鮭、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
晩飯 じゃがいもと焼き葱のすり流し、菠薐草と榎茸のおひたし、バンブー、鰆の西京焼き、牛肉の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け焼き、薩摩芋の蜜煮、紅白なます、里芋と「しいたけのたまり炊」の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬けと茗荷の酢漬け、「秋田清酒」の「刈穂渡船特別純米」(冷や)、チーズ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、葛餅と苺
2020.3.23(月) 練習の4日目
今月の28日に開業する「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今日は練習の4日目。
社員をお客様に見立てた初回と2回目の練習で、社員には料理、接客、内装などに忌憚の無い意見を多数、寄せてもらった。それが功を奏して、調理も接客も、目に見えて向上してきた。本日、お客様役を務めてくれるのは、ウチが主催する研修「日光MG」への地元からの参加者の面々だ。
家内、長男、タカハシリツコさんは、朝から隠居に詰めた。僕は11時20分に事務室を出て隠居へ向かう。と、その途中で、先ずは11時30分の時間を指定してくれた3名さんに出くわす。彼らを僕は隠居の玄関まで案内し、以降は長男とタカハシさんに引き継ぐ。僕の役割は、強いて言えば雑談係だ。
他にも用事があるため事務室へ戻り、小一時間後にふたたび隠居へ行く。座敷へと回ると、12時を指定した次の3名さんの前に、ちょうどお膳の運ばれたところだった。最初の3名さんには、料理の感想のほか、杉の間と名付けられた個室や調理場を見ていただき、感想をいただく。彼らは僕が門のところまで見送りをした。
次の3名さんとも、あれこれと話をさせていただく。平日の昼にもかかわらず、ウチの練習におつきあいくださったことは、とても有り難い。
明日は練習の5日目。「汁飯香の店 隠居うわさわ」の開店前の練習は、明日が最後となる予定である。
朝飯 ひじきとパプリカの炊き物、納豆、菠薐草のソテー、冷や奴、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、塩鮭、メシ、レタスの味噌汁
昼飯 たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、塩鮭、鮭の焼き漬けの皮だけ、唐辛子の味噌炒りによるお茶漬け
晩飯 棒々鶏、冷やしトマト、炒め春雨、麻婆豆腐、炒飯、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、杏仁豆腐
2020.3.22(日) 旅行から帰ったオバサン
きのう2階の倉庫を片づけながら、恰好の壺を見つけた。日本のどこで焼かれたものだろう、とにかくこれを隠居に運び、玄関の前に据える。そして今日までそこにあった、何とも言いようのない壺を片付ける。それは、以前は店の傘立てとして使われていたもので、いかにも古びてみすぼらしくなったため、人目に触れることの少ない隠居に下げたのだ。しかし「汁飯香の店 隠居うわさわ」の始まるこれからは、以前のようなわけにはいかない。
用済みになった古い壺を手押し車に載せて、店に戻る。途中、汗ばむ気配を感じて毛糸の帽子を脱ぐ。
片岡鶴太郎の仕方話に「旅行から帰ったオバサン」というものがある。旅行から帰ったオバサンが居間に座り込むなり「あー、やっぱり家がいちばんいい」と溜息をつく、ここで鶴太郎は間髪を入れず「だったら旅行なんて行くな」と叫ぶものだ。
「汗をかくと気持ちが良い」という人がいる。僕からすれば「だったらシャワーなんて浴びるな」だ。
冗談はさておき、そろそろ衣替えを考えなくてはならない。
朝飯 冷や奴、納豆、ひじきとパプリカの炊き物、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、塩鮭、メシ、大根と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 鶏肉と焼き葱と水菜の水炊き、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、“Chez Akabane”のクリームホーン、チーズ、Old Parr(生)
2020.3.21(土) 桜
入浴して眠りに就いた夢を見ながら目を覚ます、時刻は0時20分。夕食後にうたた寝をして、それが数時間に及んでしまったのだ。時間を無駄にしたことによる後悔には、何とも後味の悪いものがある。夜と朝のあいだに起きて、朝食までの数時間を食堂で過ごすことは、南の国のプールサイドで本を読むことの次くらいに、時間の使い方としては好きだ。夕食後のうたた寝は、その楽しい時間をすべて粉砕する。対策を考えなくてはならない。
隠居にはかつて、幾本もの桜があった。それを2010年代のはじめに隨分と減らした。減らされたのは、ありがたくない場所に実生から育ってしまったもの数本、および「いま以上の巨木になると、枯れても伐りようがない」と植木屋に言われた1本だった。今は3本のみ残るうちの山桜が、淡く紅色を帯びてきている。
東京に桜の咲くころ、隠居では梅が最盛期を迎える。その梅が、今年は隨分と早くから花を開いた。ことによると桜も、例年の4月上旬を待たずに開花するかも知れない。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、榎茸と菠薐草のおひたし、ひじきとパプリカの炊き物、ベーコンエッグ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、椎茸と万能葱の味噌汁
昼飯 大根のたまり漬、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、唐辛子の味噌炒り、なめこのたまり炊、きゅうりのたまり漬、塩鮭によるお茶漬け
晩飯 チーズ、バンブー、薩摩芋のマスカルポーネチーズ和え、ベビーリーフとブラックオリーブのサラダ、パッケリアッラボロネーゼ、CHATEAU BARATEAU HAUT-MEDOC 1994
2020.3.20(金) 練習の3日目
今月の28日に開業する「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今日は接客の練習の3日目。
隠居に集合したのは、僕、家内、長男、販売係から隠居の接客係に配置転換されたタカハシリツコさんの4名。午前中は、営業日の朝から開店まで、また閉店から撤収までのすべきことについて、時系列に従って書かれたものの読み合わせをする。午後は、他に用のある家内を除く3名にて、僕がお客様役になりながら、入店から退店までのおさらいをする。監督役の長男によれば、タカハシさんの動きは隨分とこなれてきたという。
一方、この、隠居における午前と午後の仕事のあいだには、大根と胡瓜のふたつのたまり漬につき、製造係の面々と試食を行った。
本日は秋分の日、かつ3連休の初日にあたることもあって、予想したより多くのお客様が、店には来てくださっている。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場の商品の減り方も、平日のそれとは比べものにならない。毎日の夕刻に行う包装係との短い打合せでは、明朝の蔵出しを増やすよう助言をする。
朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、納豆、塩鮭、榎茸と菠薐草のおひたし、筑前煮、菜花のソテー、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、蕗のとうの天ぷらの味噌汁
昼飯 鶏笹身肉とレタスとらっきょうのたまり漬のサラダ、トースト、コーヒー
晩飯 小松菜の辛子和え、トマトとキウィのサラダ、ひじきとパプリカの炊き物、鮭と人参と2種の茸のバターソテー「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」風味、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、葛餅、“TENTO chocolate”のチョコレート、Old Parr(生)
2020.3.19(木) キュービクルの点検
6,600ボルトの高圧電力を外部から引き込み、その電圧を社内で使える100ボルトや200ボルトまで落とす、いわば変圧器が通称キュービクル、縮めずに言えばキュービクル式高圧受電設備である。ウチでは一昨年の晩秋から昨年の初春にかけての工事により、そのキュービクルを最新式のものに交換した。本日はその、年に1度の検査の日である。
キュービクルが、店や蔵を建て替えた40年以上前からのものだった一昨年まで、1時間の全館停電を伴うこの検査は朝6時から始められた。しかし昨年からは、検査の時間も30分に短縮をされ、従って停電している時間も30分以下になった。
6時50分に事務室のシャッターを上げる。外には既にして、ビジネスフォンの主装置に電力を供給するための発電機が置かれていた。すかさずコヤマ電気管理事務所のコヤマアキラさんに電話を入れる。蔵の裏手、キュービクルのそばにいたコヤマさんは、すぐに姿を現した。
7時から始まった点検は、7時30分を待たずに完了した。即、エレベータで階下に降りて、開店の準備を始める。
朝飯 塩鮭、榎茸と菠薐草のおひたし、筑前煮、ひじきとパプリカの炊き物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、蕗のとうの天ぷらの味噌汁
昼飯 「大戸屋」のチキンかあさん煮定食
晩飯 竹輪の磯辺揚げ、魚肉ソーセージの天ぷら、刻みキャベツと生のトマトを添えた鶏笹身肉のチーズはさみ揚げ、麦焼酎「むぎっちょ」(ソーダ割り)
2020.3.18(水) 人造人間
宇都宮東病院のバスが、開店前より事務室に横付けをされる。今日は健康診断の日だ。この、年に1度の健康診断を、僕は恐らくこれまでに37回は受けているはずだ。それだけ受け続けても、調べる項目がいくつあるかは覚えていない。
今回こそ忘れないうちに挙げてみれば、それは検尿、身長と体重と腹囲の測定、心電図による心臓の検査、視力と聴力の測定、血圧の測定、医師の問診、胸部とバリウムを飲んでの胃部のX線撮影の順で続いた。おととしの健康診断で左1.0、右0.1以下だった視力は、同年の秋に受けた白内障の手術で三焦点レンズを入れた結果、本日は左右とも1.2を記録した。まるで眼球のみ、人造人間になった気分だ。
そして最後に控えるのが採血。僕は、歯医者では、口の中で道路工事まがいのことをされても平気である。白内障の手術は、鼻歌交じりで受けた。しかし血管に針を刺されることだけは、いつまでも慣れない。皮膚に青く浮く血管に針を刺されるということが、不気味でならないのだ。特にこの健康診断では、採血管を3本も取りかえる。その際には、微妙な振動が針を伝って血管にまで届く。勘弁してくれと言いたい。
それはさておき今日は健康診断のために朝食を抜いていたから、昼が近づくに連れて空腹は否応なしに募る。そこで「大きなおむすびは好まない」と嫌がる家内を説得して、ウチとしては大きめなそれを作ってもらう。昼はこれで凌ぎ、しかし夕刻になれば、腹はまたまた減る。そして夕食の水餃子を待ちきれず、胡瓜のぬか漬けをかじり始める。
昼飯 たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」と塩鮭、豚三枚肉と切り昆布の炒り煮を具にしたおむすび
晩飯 胡瓜のぬか漬け、薩摩芋とタラの芽の天ぷら、春雨サラダ、紹興酒「古越龍山銀龍」(燗)、水餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2020.3.17(火) 暑さ寒さも
彼岸の入りに際して、きのうオフクロに花をお届けくださった方がいる。その花を持って、朝、如来寺のお墓へ家内と行く。
春らしい日々が週末の雪により一転した今週は、いかにも寒さのぶり返した感がある。元旦の墓参りに引き続き、今日も、手には使い捨ての手袋を嵌める。「お墓の掃除くらい、素手でしたらどうか」と言われれば、僕の手指の皮膚は、寒い時期に冷水に触るとすぐに切れて、血が滲む。それでは接客ができないゆえの手袋である。お墓の土には霜柱が立っていた。
「国道121号線の脇に立つ看板の照明は3月10日に電源を落とすべし」と、コンピュータの日程管理には、ある。しかし閉店の直前に外へ出てみると、あたりはいまだ薄暗い。電源を落とすのは春分の日と決めて、日程管理を書き換える。
本日、16時に蔵見学をご予約くださったご一行から、その予定を13時40分に早めたいとの連絡をいただいた。よって取り急ぎ隠居へ走り、暖房絨毯の電源を入れる。また、辰巳に面した大扉を開ける。
ご一行は時間どおりにいらっしゃり、僕は数十分をかけてご対応に努めた。東京からのおひとりによれば、新型コロナウイルスへの懸念から、銀座も浅草も閑古鳥という。一方、都心からすこし離れたところには賑やかな街もある、また地方にも元気な店はあると、聞き及んでいる。僕も、すこしは外へ出た方が良いのかも知れない。
朝飯 納豆、筑前煮、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬、豆腐と蕗のとうの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 らっきょうのたまり漬、サラミソーセージ、バンブー、薩摩芋の蜜煮、トマトとベビーリーフのサラダ、鶏肉とマカロニのグラタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2020.3.16(月) 練習の2日目
今月の28日に開業する「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今日は調理と接客の練習の2日目。
初日のきのうは、お客様役の社員10名から、様々な意見が寄せられた。それらのうちの採り入れるべきものは早速、今日の仕事に反映させていく。宇都宮の和食店「了寛」のタマキノリヒロさんが朝から厨房に入ってくれたことは、きのうと変わらない。お膳の内容は、きのうのものとすこし変えた。
ごはんはガス釜でも土鍋でも炊けるようになっている。きのうのごはんはガス釜で炊いた。今日のごはんは土鍋で炊くこととして、厨房はその準備に余念が無い。
11時30分より2名、12時より2名、12時30分より3名、13時より2名の、お客様役の社員が次々と玄関の戸を開く。彼らにはきのうとおなじく、帰るまでに感想を書くよう頼む。
タマキさん、家内、長男と共に、14時よりまかないの昼食を摂る。その場で、本日の仕事で分かったこと、またそれへの対策を話し合う。長男は、2度の練習では不安だという。それを受けて、これから開業日までに、更に複数の練習日を持つことを決める。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、生のトマト、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬、メシ、大根と万能葱の味噌汁
昼飯 「汁飯香の店 隠居うわさわ」のまかない
晩飯 刺身湯波、榎茸と菠薐草のおひたし、胡麻豆腐、筑前煮、胡瓜のぬか漬け、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、サラミソーセージ、TIO PEPE
2020.3.15(日) 練習の1日目
きのうの雪をまとった鶏鳴山が、今朝は日を浴びてまぶしく光っている。
今月の28日に開業する「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今日は調理と接客の練習の1日目だ。朝から隠居に詰めていた長男が10時30分に事務室に来て、そろそろ準備をするよう促される。今日の僕の仕事は諸々の写真撮影。飲食店の開業、調理、運営に関する指導をお願いしている、宇都宮の和食店「了寛」のタマキノリヒロさんは、朝の8時30分から厨房に入ってくれているという。
ニコンの”D610″と3本のレンズをたずさえて隠居へ行く。先ずはタマキさんに挨拶をし、写真を撮り始める。厨房の中で人を撮るときには広角レンズ、できあがりつつある複数の料理を撮るときには接写レンズを用いる。このレンズの交換が、なかなか忙しい。やがてお客様役の社員が玄関の外に見え始める。
11時30分から5名、12時から3名、12時30分から2名が、次々と訪れる。厨房も忙しければ、接客係のタカハシリツコさんも忙しい。この「忙しいと感じる気持ち」を払拭していくことが今後の課題と思われる。
夕刻にいまいちど隠居へ行く。そして先ずは「杉の間」と名付けられた個室から廊下へ出る障子の敷居に蝋を擦りこむ。それまで簡単に開け閉めできなかった障子は、驚くほど簡単に滑るようになった。先ほどまで開け閉めをするたび不快な音を立てていた厨房の戸は蝶つがいに潤滑油を与えられ、その油が行き渡るとすぐ静かになった。
本日、お客様を務めた社員からは、感想を記した紙が多く届けられた。その中の課題には、明日にも解決できることがいくつもある。明日の朝は、その感想をいまいちど読み直すところから始まるだろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、万能葱の味噌汁
昼飯 「汁飯香の店 隠居うわさわ」の一汁五菜膳
晩飯 カレー南蛮鍋、らっきょうのたまり漬、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、チーズケーキ、マンゴーのシャーベット、Old Parr(生)
2020.3.14(土) 土曜日は寒くなる
「土曜日は寒くなる」と予報では聞いていた。列島の地図の、雪の予想される地域に日光が含まれていることも知っていた。しかしまさか、本当に降るとは思っていなかった。それまでの小雨が雪に変わったことに気づいたのは、10時のころだった。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、今月の28日に開業する。それに先だって、明日と明後日は、社員をお客様に見立てて、家内とタカハシリツコさんが、それぞれ調理と接客の練習をする。その隠居に、首からカメラを提げ、そのカメラを羽織ったウインドブレーカーで覆いつつ行く。
隠居の庭は先般、1週間以上かけて植木屋が整備をした。その仕事により、何年ものあいだ手を入れてこなかった池泉の、土に埋もれていた玉石の上に水が流れるようになった。庭には、今は梅の紅色しか見えない。しかし数週間の後にはそこに、桜の花の色も加わるだろう。
18時を過ぎても戻らない家内と長男を、懐中電灯を手に隠居まで迎えに行く。週末の夕食は多く、嫁の桃君が作ってくれていた。それに加えてこれからは月曜日も、桃君は夕食を作ってくれるという。それはとりもなおさず「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日が、土日月であることによる。
朝飯 しもつかり、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、生のトマト、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と玉葱の味噌汁
昼飯 バターとママレードと無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、緑茶
晩飯 コーンポタージュスープ、トマトとレタスのサラダ、マッシュドポテト、紅白なます、たまり漬「鬼おろしにんにく」と同「刻みザクザクしょうが」によるソースを添えたビーフステーキ、CHATEAU BARATEAU HAUT-MEDOC 1994
2020.3.13(金) 準備は着々と
朝食に特化した「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、3月20日(金)、21日(土) 、22日(日)の3日間に、関係各方面の方々をお招きして内覧会を催べく、その招待状は先月の29日にお配り、あるいは投函をした。
そのころ政府は、新型コロナウイルスによる肺炎の蔓延を防ぐため、多くの人の集まるスポーツの試合や文化活動の、3月15日までの中止を国民に要請していた。3日間、6回に分けて開く内覧会は席数の関係から、いずれも10名様前後の集まり、且つ開催日も、3月15日およびそれ以前には重ならない。
ところがその後、この未知のウイルスによる状況は日を追うごとに激変し、僕がタイにいるあいだに、家内と長男は内覧会の延期を決めた。それをお知らせするための文書もお配りし、また投函もした。
内覧会は延期をしたものの、今月28日の開業の日から、予約は既に、複数のお客様よりいただいている。よってこれへの準備は毎日、途切れることなく続いている。そして今日は、お米を炊く土釜の具合を確かめるべく、隠居の厨房にて簡単な昼食を家内が用意した。
日光市髙百地区で棚田を営むヤギサワヒロシさんの「ゆうだい21」は、僕には初めて味わうお米だった。ひとくちを咀嚼して、これは、ウチのおかずには極めて相性の良いものと確信した。お客様には、このお米と共に「汁飯香の店 隠居うわさわ」のおかず、漬物、味噌汁を、ぜひお楽しみいただきたい。地酒もあります。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、しもつかり、油揚げと小松菜と2種の茸の炊き合わせ、ホウレンソウのソテー、スクランブルドエッグ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、大根の味噌汁
昼飯 温泉玉子、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、マカロニサラダ、TIO PEPE、茹でたブロッコリーとエリンギのソテーを添えた豚の生姜焼き、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、Petit Chablis Billaud Simon 2016、「みしまや」の人形焼き、Old Parr(生)
2020.3.12(木) 日常
「この時間までに目を覚ましていないとマズイぞ」という理由により、iPhoneに目覚ましを設定している。しかしこれが鳴るまで眠っているということは、ほとんどない。今朝は例外にて、その音に促されて5時に起床する。飛行機は、昼の時間を無駄にしない深夜便が好きだ。しかし睡眠時間は確実に減る。そして製造現場へ降りて、早朝の仕事に従う。また、日常が戻ってきた。
昼前、店の入口の足ふきマットの位置を直しているところに、3人のご家族連れがいらっしゃる。後からゆっくり歩いていらっしゃった御老人のために、自動ドアの敷居をまたいで、ドアを開いたままにする。御老人は店にお入りになると、らっきょうのたまり漬を並べた冷蔵ショーケースにお近づきになり、試食をされて「そうそう、この味」とおっしゃった。数年ぶりのご来店という。
「そうそう、この味」と喜んでいただける試食ではあるけれど、社会の情勢に鑑み、またお客様の健康を第一として、これをしばらくのあいだ、お出ししないことを考えている。
早朝に製造現場へ降りる日常は戻ってきた。新型コロナウイルスの蔓延による社会不安から抜け出して、世界がまた日常に戻るのは、いつになるだろう。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、菠薐草のおひたし、油揚げと小松菜と2種の茸の炊き合わせ、しもつかり、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、きのうの鍋の残りによる味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ユミテマサミさんの畑の初トマト、生のレタス、クリームシチュー、たまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」によるソースを添えたハンバーグステーキ、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2020.3.11(水) 春
00:02 “BOEING 777-200ER”を機材とする”TG682″は、定刻に17分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
03:44 あたりが急に明るく賑やかになった気配で目を覚ます。
03:47 朝食の配膳が始まる。機内食は、最近は真ん中の大きな器にはほとんど手を付けない。
04:00 機は九州南部の東洋上を飛行中。
04:45 機が千葉県の最南端をかすめて東京湾の上空に入る。
“TG682″は、定刻より6分はやいタイ時間04:49、日本時間06:49に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。それにしても、低い搭乗率の便だった。
07:18 入国審査場を通過
07:27 回転台で荷物が運ばれてくる。
07:47 羽田空港国際線ターミナルから京成高砂行きの電車に乗る。
08:51 人形町で乗り換えて北千住着。
09:12 下り特急リバティが北千住を発車。
10:42 下り特急リバティが下今市に着。
下今市駅のプラットフォームから外へ出ると、空気はすっかり春のそれに変わっていた。駅からは歩いて帰宅をして、着替えをしないまま、10時30分から始められていた場長会議に加わる。
14:46 4階の食堂にいて、遠くから渡り来るサイレンの音に気づく。しばし、その場に立ちつくす。
朝飯 “TG682″の機内食、「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦
昼飯 ラーメン
晩飯 しもつかり、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬、白菜と豚肉団子と春雨の鍋、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、羊羹、”Old Parr”(生)
2020.3.10(火) タイ日記(9日目)
「キュウィッ、キュウィッ」と啼く鳥の名前は何だろう。その声は「ホウイッ、ホウイッ」と聞こえるときもある。いずれにしても、おなじ種類の鳥だろう。時刻は3時24分。この鳥は、日の昇る前から啼く。昼も啼くから、夜行性というわけではない。
時刻を確かめるため見るiPhoneの画面には、このところは多く、ダウ平均株価の乱高下を伝えるニュースが現れる。先週までの下げは、長く続いた官製相場の揺り戻しと思われる。しかし今週からのそれは明らかに、新型コロナウイルスが作り出した社会不安によるものだ。
窓の外が明るくなりつつある、6時すぎより荷造りに取りかかる。荷造りは、小一時間ほどで完了した。来たときより減ったところに社員への土産を納め、重さは多分、来たときと同じ10キロ前後。ひとり公共の交通機関を使いながらの旅なら、これくらいの重さが僕には限度だ。
朝食を済ませるとすぐに、プールサイドへ降りる。そしてきのうより読み始めた本を開く。パンツは濡らしたくないから、今日は泳がない。
となりの寝椅子に、孫娘を連れた、白人のオバーサンが来る。オバーサンは、ローレンス・サンダーズの大きく分厚い本をたずさえている。しかし3、4歳の活発な孫を伴っていては、とてもではないけれど、本を読むことはできないだろう。
オバーサンは僕を気にして、静かにするよう、しきりに孫に声をかける。女の子はそのうち、プールの中からオバーサンに水をかけ始めた。親でもなければ、オバーサンも、それほど強くは叱れない。
日除けの傘と、プールサイドに植えられた樹木のあいだに太陽が顔を出す。やがて僕の全身を、直射する光が焦がしはじめる。暑い。そして眩しい。しかしここで寝椅子を離れれば、僕が孫娘を嫌って移動をしたと、オバーサンは考えるだろう。
「マダーム」
「私のことですか」
「太陽の光がきつくなり始めました」
寝椅子を指す僕に「確かに暑いわね」と、オバーサンは同意をする。
「ですから僕は、あちらの日影に移ります。どうぞお楽に」
「どうも有り難う」
プールサイドのバーの時計が11時になりかかるのを認めてから寝椅子を離れる。からだは汗に覆われている。上半身にタオルを巻き、その上にシャツを巻き付ける。こうしておけば、裸でロビーを横切ったことにはならなないだろうという、僕の勝手な解釈である。
シャワーを浴び、水着とゴム草履をスーツケースに収めるなどの、最後の荷造りをする。パスポートや現金の扱いには、特に注意をする。必要な金額のみをサイフに収め、フロントに降りてチェックアウトを済ませる。このホテルのそれが特に高いわけではないけれど、クリーニングの代金は、ウドンタニーの洗濯屋の10倍だった。スーツケースとザックを預けて外へ出る。
現在時刻は12時15分。それに対してタイ航空機の出発時刻は23時45分。
先ずはsoi8まで歩き、エイトトンローの正面、セブンイレブンに向かって右手の、建物と建物の隙間に店を出すガオラオ屋に入る。トンローにいながら、この店に寄らないわけにはいかない。ガオラオは数年前に5バーツだけ上がって40バーツ、大盛りは45バーツになった。
昼食を済ませ、トンローの大通りを、クルマやオートバイを避けつつ横断する。目と鼻の先のセンターポイントグランデのロビーを奥まで歩き、エレベータを5階で降りる。そしてそこにあるLet’s Relax Spaの扉を押す。ここは日本にあるサウナ風呂の高級版だ。入浴料は700バーツ。受付の女の人が体温計を僕の額に向ける。僕は熱いスープを胃に収めたばかりで、しかも炎天下を歩いて汗をかいている。「あー、まずい」と一瞬、心配しかけたものの、体温は36.6度で、無事に入店を許される。
土曜日の現地紙は、バンコク最大の国鉄駅フアランポーンを、防護服に身を固めた職員が消毒する様子を載せていた。金曜日、空港からエアポートレイルリンクに乗る際に、僕は改札口で警備員に体温を測られた。そして今回の検温である。今、日本の駅で、プラットフォームを消毒しているところはあるだろうか、あるいは日本のスーパー銭湯やスポーツジムで、入場前に客の体温を測っているところはあるだろうか。
Let’s Relax Spaの造作は、まるで007の敵スペクターの秘密基地のように立派だった。しかし客は僅々5名。その空き具合もあって、風呂上がりに休む部屋の快適さは最高。本を持ち込んだものの、それを読める明るさではなく、しばし昼寝をする。いや、しばしよりは長かった。
いささか寝過ごして外へ出る。昨年トンローに滞在した6月にくらべて、どうも赤バスの本数の減った気がする。しかも渋滞が始まっている。ここからトンローの駅までは1キロ弱。汗はかきたくない。小さな接触事故でも死の可能性のあるモタサイはできるだけ避けたいものの、便利は便利だ。これを使ってsoi1のちかくまで、ほんの1、2分で移動する。そしてホテルに預けておいたふたつの荷物を引き上げ、駅のちかくで2時間のマッサージを受ける。
トンローから空港へ向かうときにはいつも、スクムビット通りに面した55ポーチャナーで、オースワンを肴に飲酒活動をする。今日も外の席に着き、オースワン、ソーダ、バケツの氷、そしてプリックナムプラーを頼む。
「弱くなったんだから、もう、あんまり飲まない方がいいよ」とは、このところ家内にたびたび言われることだ。それが頭にあって、ホテルの部屋を出るときには、ラオカーオは小さな空のペットボトルの半分ほどまでしか入れなかった。そのラオカーオが見る間に減っていく。
帰国便の時刻は先週の水曜日に、23:15発が23:45発に変更されている。「ラオカーオの残りは少ないけれど、あとひと品、頼むか」と、何年も前から外を担当している、金色に染めた髪を妙な具合に束ねたオバチャンに、メニュを持って来てもらう。そして昨年だったか、店内にいる現地の客が食べていて羨ましかった、豚の内臓の煮込みらしい写真を見つける。メニュのタイ語を読んでもらうと「サイフォロー」とオバチャンは言った。その発音はまた「サイパロー」と聞こえないこともない。とにかく”Crispy pork’s stomach”と英語の添えられたそれを注文する。
席に届けられたそれは豚の胃袋ではなく、小腸の煮込みだった。いずれにしても、この手は大好物である。残り少なくなったラオカーオは、2本目のソーダで薄く割った。
21:01 BTSスクムビット線とエアポートレイルリンクを乗り継いでスワンナプーム空港に着く。
21:39 ちょっとした列に並んで搭乗手続きを完了。
混んでいたのはタイ航空の一部のカウンターのみで、空港内は、これまで見たこともないような、人の少なさである。
21:54 保安検査場を通過
22:02 出国審査場を通過
旅の初日、僕の、マツモトキヨシの破れたプラスティックバッグを見かねて、マッサージのオバチャンがセブンイレブンのエコバッグをくれた。搭乗ゲートへ向かう途中の”DEAN & DELUCA”が売るトートバッグには、セブンイレブンのそれの、60数倍の値札が付いている。「バカ、あたりめぇじゃねぇか」と嗤う人もいるだろう。しかし僕の趣味からすれば、セブンイレブンのそれの方が、いかにも格好良く感じられてならない。
22:20 E1Aの搭乗口に達する。途中、僕でも入れるラウンジはあった。しかしそこで眠り込んでしまうことが怖いから、使うことはしない。
23:08 周囲に人の動く気配で目を覚ます。どうやら搭乗が始まったようだ、そしてバスに運ばれた先で飛行機に乗り込む。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 エイトトンロー正面のセブンイレブン右手のガオラオ屋のガオラオ(大盛り)
晩飯 “55 Pochana”のオースワン、豚の小腸の煮込み、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2020.3.9(月) タイ日記(8日目)
2日間のバンコクMGを終え、先週の木曜日までとおなじ「何もしなくてもよい日」が戻ってきた。朝食も、いつもより時間をかけて摂る。バンコクに来て以来、天気はずっと晴れ。日影にいれば、汗はかかない。プールサイドへ降りようとしながら、部屋であれこれするうち10時を回る。時間がここまでくれば、先ずは買い物を済ませたい。タイでは法律により、酒類は、昼間は11時から14時までの3時間にしか買えないのだ。
ホテルからトンローの駅までは、徒歩で5分ほど。エカマイまではBTSでひと駅。運賃は16バーツ。
僕の最も好きなラオカーオ”BANGYIKHAN”は、バンコクではパタデパートでしか目にしたことがない。しかしこの店のあるピンクラオは、市の中心からは、いささか遠い。タイ料理の好きな人の集まるSNSでそのことを伝えたところ「トンローに滞在するなら、ゲートウェイエカマイ1階のマックスバリューで手に入る」と教えてくれた人がいる。
初めて足を踏み入れるゲートウェイエカマイの2階には、日本の食べ物屋ばかりが軒を連ねていた。エスカレータを降りてスーパーマーケットらしい一角を探す。いまだ11時前にて、酒類の棚には鎖が巡らされていた。よって時間までは、他の売場を見てまわる。ちなみにタイでは、スーパーマーケットでも市中でも、マスクは売り切れていない。
“BANGYIKHAN”は、首尾良く手に入れることができた。トンローの駅からホテルへ帰るあいだに昼食を摂り、社員への土産を買う。部屋に戻ってシャワーを浴びると時刻は12時25分。冷房を回してしばし休む。
午後はプールサイドに降りて本を読む。泳げば水温は高く、とても気持ちが良い。ホテルのオネーサンが注文をとりに来る。メニュを頼んでざっと眺め、西瓜のジュースを注文する。そしてこの旅で2冊目の本を百数十ページほどもこなしたところで寝椅子を離れる。
夕刻はBTSに乗ってサラデーンへ行く。腹はそれほど空いていない。しかしそれでは夕食が美味くない。”FOOT 150″と大書したマッサージ屋でフットマッサージを1時間だけ受ける。それにしても”FOOT 150″とは、どういう意味だろう。マッサージの料金は250バーツ。「サバイディーマイ、シャチョー」と、キャッシャーのオバチャンに声をかけられる。このあたり、つまり日本の企業戦士の慰安のために発達した盛り場では、若い男は「オニーサン」、一定以上の年齢の男は「シャチョー」と呼ばれる。いまだ昭和が生き残っているのだ。揉んでくれたオニーチャンには100バーツのチップを手渡す。
さて今夜の食事場所は珍平酒楼。入口に立つ案内のオジイサンや客席の様子は、古き良き時代の香港を僕に思い出させた。それにしても、そしてすべての店で可能なわけではないけれど、香港以南の、飲物を持ち込める料理屋は有り難い。いまだ外の明るいうちから夕食を摂るということも、何やら日本の夏のようで気分が良い。
ホテルに何時に戻ったかは、記録していない。もちろん、そう遅い時間ではなかったと思う。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「東明」のバミーヘン
晩飯 「珍平酒楼」のガイヤーン、スッキーヘン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2020.3.8(日) タイ日記(7日目)
メイドへのチップ40バーツを枕元に確認して部屋を出る。
このホテルに入ったおとといは、部屋の、冷蔵庫の頭上の明かりの消し方が、どうにも分からなかった。しかたなく隣の部屋を掃除中のメイドを呼び、スイッチの場所を訊いた。果たしてそれは、冷蔵庫の上の電子レンジを横にどけた奥にあった。僕は用意しておいた20バーツ札を、その黒く小さく乾ききったオバチャンに差し出した。「こんなささいなことで、チップなどは、とてももらえない」と身振りで断るオバチャンの手に「まぁまぁ」と、その20バーツ札を押しつけた。オバチャンは「コップンカー」と、手を合わせて元の仕事に戻った。
コーヒーは、高いスターバックスを避けて屋台で買う。そういうところはケチなくせに、チップについては、これを払わないことには何とも気が済まない。きのうの全支出165バーツのうち、140バーツはチップである。
今日こそは赤バスに乗って、soi10のMG会場を目指す。外資系や「意識高い系」の喫茶店のそれとは異なって、タイの飲物屋台のコーヒーは、はじめから強烈に甘い。海外へ出ると、先ずは朝食のコーヒーに砂糖を入れる。そこに屋台のコーヒーを加えれば、摂取する砂糖は大変なものになる。今朝もsoi10の会場へは早めに着いたが、きのうの屋台でコーヒーを買うことはしなかった。
ところで僕は、MGはほとんど、ニシジュンイチロー先生によるものしか受けない。それは自分の、源流至上主義による。バンコクMGの講師タナカタカシさんは、自らが講師になっても、ニシ先生の下での勉強を欠かさない。タナカさんの講義は、いつも明快である。
さて、盤上に2日間で5期分の経営を展開するMGに「勝者こそ尊い」という考えは無い。しかし勝負であれば、表彰のあった方が、参加者の励みには、なる。表彰は、来期への備えを充分にした上で、到達自己資本の高かった順にされる。今回の最優秀経営者賞は、長崎県から参加したヤマモトジョージさんが588円で、優秀経営者賞は静岡県から参加のオガワヨーコさんが493円で、またおなじく静岡県から参加のウチヤマリョーイチさんが461円で、それぞれ得た。
夜に極端に弱いことによりバンコクMG1日目の交流会には出ないと、きのうの日記に書いた。しかし2日目の、早く始まり早くにお開きになる交流会には参加をする。場所はいつも、トンローsoi10を東へ歩けばすぐのイサーン料理屋だ。
今回のバンコクMGは、折からのコロナ騒ぎのあおりを受けて、現地法人から申し込んでいた方々は、ほどんどすべて参加を自粛した。日本からも、飛行機の減便を受けて、泣く泣く参加を諦めた人もいる。そのような中で開催にこぎつけてくれた主催者、事務局には、厚く御礼を申し上げたい。
ラグビー日本代表の田村優にそっくりで、きびきびと動き、しかも接客の好きなことがありありと見て取れるオニーチャンには100バーツ、「そのお客さんは濃い目だよ」と、僕の酒の好みを覚えて、お代わりを作ろうとした女の子に指示を飛ばしたオバチャンには50バーツのチップ。交流会は、19時30分に中締めをされた。
僕はひとり集団を離れ、エカマイの通りを北へ歩く。そしてsoi10からトンローの通りに出て、今度は南を目指す。ときおり後ろを振り向くも、赤バスはいつまでも来ない。とうとうsoi1まで歩き通す。そして部屋へ戻って、先ずは湯船に湯を溜める。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 バンコクMGで支給の弁当
晩飯 “Sabai Jai Kai Yang”のソムタムタイ、パークペットード、パックブンファイデーン、プーパッポンカリー、サイクロークイサーン、カオパックン、他あれこれ、“Sang Som”(ソーダ割り)
2020.3.7(土) タイ日記(6日目)
その初回にお邪魔をし、以降、その6月の部に参加をしてきたバンコクMGは、今回で丸4年、第16回目を迎える。トンローsoi10のメジャータワーにある会場には、朝9時に入れると記憶をしていた。遅れてはいけないと、8時20分にホテルを出る。
トンローの大通りの範囲内なら、どこから乗ってどこで降りても8バーツの便利な乗り物が赤バスだ。これが来たら飛び乗ろうと、後ろを振り返りつつ歩くうち、遂にトンローsoi10まで来てしまう。時刻は8時30分。関係者の姿はいまだ見えない。
トンローは、バンコクでは洒落た通りと言われている。ちかくにスターバックスコーヒーのあることは知っている。しかしタイに来ながら星鹿印もないだろう。値段も高かろうと思う。すこし先の小路に店を出す、何年か前にも来たことのある飲物屋台で冷たいコーヒーを買う。価格は25バーツ。ふたたびメジャータワーに戻り、外でこれを飲みつつ誰かが来るのを待つ。
マネジメントゲームの初日の夜には交流会が催される。しかし僕は、夜には極端に弱い。おととしから、僕はその交流会には出ないようになった。会場へ向かいつつある一行とは、soi10のドンキホーテの前で別れた。そこに間もなく、バンコク在住の同級生コモトリケー君が到着をする。そして彼の会社のクルマでルンピニーまで移動をする。
コモトリ君はタイの国柄やタイ人の人柄は愛するものの、タイの料理はそれほど好まない。今夜はイタリア料理屋でご馳走になってしまった。
ホテルには、来たときのクルマで送ってもらった。そのあいだコモトリ君は、イタリア料理屋の隣のマッサージ屋でひと休みである。
トンローsoi1に近づいたところで速度を落とす運転手に「左に曲がってください」と案内をする。運転手は薄暗いsoi1にゆっくりと黒いワゴン車を走らせる。「真っ直ぐ、真っ直ぐ」と指示し、ホテルの前まで来たところで停まるよう言う。運転手には100バーツのチップ。
湯船に溜めた湯の中でくつろぎ、涼しい部屋で明日の準備をする。そのときやおら、隣の部屋が騒がしくなる。複数が声高に話し、部屋の戸を強く開け閉めし、更には壁に体をぶつけたりする。白人の騒がしさには、独特のものがある。
何度か廊下を覗ううち、遂に彼らの姿を捉える。「静かにしろ、眠れねぇ」と、強く抗議をする。時刻は21時20分。彼らはすぐに、静かになった。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 バンコクMGで支給の弁当
晩飯 “Lido”のカプレーゼ、ポルチーニのリゾット、槍烏賊のフリット、カラフの白ワイン、コモトリ君が持ち込んだ”Tanqueray”(生)
2020.3.6(金) タイ日記(5日目)
「人生も、半分が過ぎたと思うと寂しい」と、僕が2歳のときに入社をして、44年のあいだ勤めてくれたヒラノショーイチさんは言った。人生の半分が過ぎても、寂しいという気持ちは、僕には起きない。旅の日程の残りが半分を切ったときにこそ、僕は寂しさを覚える。本日は、今回の旅の中日にあたる。
5時45分にロビーに降りる。「いまチェックアウトをすると、6時からの朝食は食べられませんか」と、フロントのオニーチャンに訊く。「大丈夫です」と彼の答えるのを待ってからチェックアウトを頼み、また空港までの、6時15分発のシャトルバスを予約する。時刻は5時55分。「もう入れます」と、オニーチャンは食堂の入口を指し示してくれた。
フロントのオニーチャンには、気を利かせてもらって助かった。6時14分に食堂を出る。ベルボーイが僕のスーツケースを、ポーチに駐められたワゴン車まで運ぶ。チップは20バーツ。オニーチャンはそのまま運転席に着いた。雨が弱く降っている。ワゴン車は来たときのバスとは異なって、裏道を抜け、空港には僅々10分で着いた。スーツケースを降ろしたオニーチャンに、更に20バーツのチップを手渡す。
「シャトルバスの本数が少なすぎる。よって自分は150バーツをかけて、トゥクトゥクで空港へ向かった。バス代がただになるからこそ決めた宿だっただけに、納得がいかない」と、ホテルの予約サイトのレビューに書いた人がいる。
人にはそれぞれ行き先がある。空港からは何本もの便が飛ぶ。各々の都合に合わせて都度、ワゴン車を出していたら、無料は維持できなくなる。ホテルの客は、あなただけではないのだ。ほんのすこし頭を巡らせれば分かることを分からない人が、世の中にはたくさん、いる。
06:30 係員のいるカウンターはノックエアのそれのみ。よって空港ビルの中を、増設された新しいターミナルBまで移動をして、より座り心地の良い椅子で本を読む。
07:05 タイスマイル航空の搭乗手続きを完了。搭乗口は1番、搭乗時刻は8時25分。
08:41 搭乗開始
09:00 “AIRBUS A320-200″を機材とする”WE003″は、定時にウドンタニ国際空港を離陸。
09:42 バンコクが近づいたことを示す、細長い農地が見え始める。
09:53 “WE003″は、定刻より12分はやくスワンナプーム空港に着陸。
10:22 回転台から荷物が出てくる。
僕の考えるところ、それは新型コロナウイルス禍によるものではない、これまでが高すぎたゆえに、アメリカや日本の株価は暴落、その後は低い位置での乱高下を繰り返している。その相場を上げるため、また諸々による景気の悪化を避けるため、アメリカは利下げをした。それにより、米ドルに対して円が高くなっている。
空港ビル地下1階に集まる両替所では、各店、月曜日の1万円あたり2,880バーツから、今朝は1万円あたり2,960バーツになっていた。それを見て、日本円の入った封筒から紙幣のすべてを取り出し、空いている”VALUE PLUS”でタイバーツを買う。日本円の残金は589円。PASMOを紛失したら、家には帰れない。
エアポートレイルリンクの改札口で、警備の兵士に体温計を額に近づけられる。体温は36.3度。ちかくに置かれたプッシュポンプ式のアルコールを、手の平と甲に擦り込む。
10:47 エアポートレイルリンクの車両が空港駅を発車。間もなく日本から電話が入り、次のラックラバンで下車する。ウドンタニーは雨がちで肌寒かった。一方、バンコクは晴れて、素晴らしい暖かさだ。
11:02 電話を終えて、2本後の車両に乗車する。「マイペンライ」の国民性を持つタイ人にもかかわらず、およそ8割が、車内ではマスクを着用している。
終点のパヤタイで、BTSのスクムビット線に乗り換える。車内では、車両やプラットフォームを消毒する動画が流されている。僕も今回は、現地の人に不安感、不快感を与えないよう、公共交通機関の中では、マスクを付けるよう心がけている。
トンローの駅から徒歩5分のホテルには、昼前に着いた。ロビーに置かれた外気温度計は、33度を示している。トンローには、いまだ緑が多い。部屋の窓からも、それが望めて気分が良い。
このところ、個人による旅先では昼食を摂らない。しかし今日は早朝から移動をしたせいか、腹が空いている。部屋を出て裏道を辿り、スクムビット通りまで出る。そしてsoi49のパクソイからプロンポン方面に30メートルほどいったメシ屋で汁麺を食べる。いつ来ても、上出来の汁麺だ。
15時より17時までは、ホテルのプールサイドに降りる。そして旅の初日から読み始めた、石川文洋の「ベトナムロード」を読み終える。
それはさておき、ウドンタニーで3日つづけて受けたオイルマッサージの、油が肌に合わなかったか、強く擦られ揉まれた太股とふくらはぎに湿疹ができた。日本から持参した薬はまったく効かない。検索エンジンで調べたところ、それは帯状疱疹の薬だった。よってトンローの駅からBTSでふた駅を移動し、アソークのブレズ薬局で塗り薬を買う。価格は45バーツ。
トンローに戻ると時刻は18時10分。駅の歩道橋からスクムビットsoi38を見おろす。ここに屋台のひしめいていた時代を、僕は知らない。歩道橋を降りて、目と鼻の先のフカヒレ屋の2階に上がる。バンコクMGの主催者および参加者の一部は、既にして前夜祭を始めていた。その中に僕も混じり、2時間ほども歓談をする。
前夜祭を終えた面々は、三々五々、それぞれの目的に応じて移動をしようとしている。「講師を務める朝は、3時に起きて準備をする」というタナカタカシさんと、夜にからきし弱い僕は、ホテルに直帰である。soi15のホテルまで赤バスを使うタナカさんを見送ってから僕は、ひとり歩きの女の人なら恐がりそうな、薄暗いsoi1に入る。
ホテルに戻ったのは、20時30分のころと記憶する。シャワーを浴び、冷房の電源と部屋の明かりを落として即、就寝する。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三、“WE003″の機内食、そのコーヒー
昼飯 「東明」のバミーナム
晩飯 「スクンビットシャークフィン」の焼売、クンオップウンセン、ナマコの牡蠣油炒め、フカヒレの玉子炒め、フカヒレスープ、カオパップー、ビール、「サントリー角瓶」によるハイボール
2020.3.5(木) タイ日記(4日目)
きのうと同じく、いまだ日の改まっていないうちに目を覚まし、長い夜を過ごし、眠れたのか眠れなかったの判然としないまま早朝に起き出す。今朝もまた雨が降っている。気温も、プールサイドに降りる気などまったく起こさせない低さである。
「蚊が入るから常に閉めておけ」との注意書きを無視して、部屋からベランダに出るガラス戸を開け放つ。僕の知るタイの雨は、降ってもすぐに止む。しかし今日のそれに限っては、いつまでも上がらない。旅の荷物の一覧表には「傘」と入力してあるものの、それを持参したことは一度も無い。今日は部屋で本を読むしか、過ごしようはないのだろうか。
午前、コンピュータのメーラーを巡回させながら、宇都宮の旅行社からメールの入っていることに気づく。「バンコクからの帰国便に、フライトスケジュールの変更が生じた」というのが、その内容だった。往路は機材の変更、そして復路は時間の変更である。新型コロナウイルスによる世界規模の混乱は、いつ収まるのだろう。
明朝、バンコクへ飛ぶ飛行機の出発時刻は9時。空港へは、この街に入ったときと同じ”UDON CITY BUS”を使おうと考えていた。しかしきのうも今日も、朝は雨だ。もし明日も雨とすれば、センターンちかくの停留所まで、スーツケースを曳いて歩くわけにはいかない。フロントに降りて、カウンターに置かれた時刻表を見る。朝の便は6時15分。食堂が開くのは6時だから、朝食を摂るひまも無い。あるいは、トーストとコーヒーくらいなら、食べられるだろうか。
フロントから戻る途中、4階の廊下にメイドを呼び止め、部屋の掃除を頼む。彼女がリネン類を取りかえ床を掃き、またモップをかけるあいだは、邪魔にならないよう、安楽椅子で本を読んでいた。チップは汁麺1杯分の40バーツ。
雨は正午を過ぎてようやく上がった。どこかに喫茶店はないか。本を手に外へ出る。しかし思うような店は見つからない。”Pho Si Road”をかなり遠くまで歩いてから、商売は朝のうちに終えてしまったのだろう、ひとけのないタイイサーン市場の中を抜けてホテルに戻る。
薄日が差してきたのをしおに、プールサイドに降りてみる。しかしやはり、上半身はだかでいられる気温ではない。キリの良いところまで読んでしまおうと考え、しばらくは本を開き活字を目で追い続けたものの、やはり寒い。1時間ほどで引き上げ、きのう出した洗濯物を洗濯屋へ取りに行く。そして以降の時間は荷造りに充てる。
18時が近づくころに外へ出る。駅前の、目抜き通りを隔てて北側にあるのが、初日と2日目に夕食を摂った”NIGHT PLAZA”、そして南側にあるのが”UD TOWN”だ。その奥まで入ってみれば、こちらの方が圧倒的に賑やかだ。
おとといの仇を討つつもりで、カオカームーの店に近づく。鍋には火が入っているから、冷たいことはないだろう。ごはん抜きのカームーを注文する。オネーサンは、いかにもコラーゲンの多そうなところを薄く刻み、皿に綺麗に並べた上、澄んだ煮汁をかけてくれた。価格は、おとといの不味かったそれより安い50バーツ。
席を探しながら、小ぶりな鍋をつついている若い人たちに気づく。「それ、どこで」と訊くと、笑いながらすぐ脇を示す。店の名前は”Star Seafood”。「モーファイ…」と呟くと「トムヤムクン?」と、店のオニーチャンは勢いよく返してきた。反射的に「ナムサイ」と答える。僕はトムヤムクンは、ココナツミルクを加えた「ナムコン」よりも、澄んだスープの「ナムサイ」を好む。オニーチャンは笑顔で頷いた。こちらの価格は150バーツ。
トムヤムクンもカームーも、今夜のそれは大当たりだった。ウドンタニー最後の夜に当たりくじを引くことができて、とても気分が良い。
「チェンマイに、美味いドイツ料理屋があるんですよー」とか、バンコクで「カオソイ、カオソイ」と騒ぐ人を、僕は鼻で嗤う。しかしその僕も、気がついてみれば、シャム湾から600キロも北上したウドンタニーで、海のものを食べているのだ。
ホテルに戻ってシャワーを浴びると時刻は19時40分。即、明かりを落として寝台に横になる。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
晩飯 “UD TOWN”の”Star Seafood”のトムヤムクン(ナムサイ)、カームー、ラオカーオ”RUANG KHAO”(ソーダ割り)
2020.3.4(水) タイ日記(3日目)
暗闇に目を覚まし「きのうとおなじ2時を過ぎたころだろうか、あるいは3時は回っただろうか」と考えながら、目はつぶったままでいる。
部屋の窓から大きな駐車場を隔てて250メートルほど先には、タイ特有のライブハウスであるタワンデーンが位置している。ベランダの直下には、きのうの日記にも書いたバービヤの集合体”Day & Night”がある。ホテルの建つサンパンタミット通りは、これまたバービア街だ。スピーカーの重低音は、それらのいずれかから発せられているものだろう。大柄な白人による野太い声も聞こえる。更にはトタン屋根を叩く雨もかまびすしい。
それらの音を数十分ほども聞き続けてから、サイドボードのiPhoneに手を伸ばす。時刻はいまだ、日の改まっていない22時26分だった。睡眠時間が2時間では話にならない。しかしどうにも気になる外の騒音である。
いくらかは眠れたかも知れないけれど、熟睡はしてない。とにかく4時に起床する。既にして書けていたおとといの日記に修正を加えつつ公開する。きのうの日記も完成させる。その勢いを保ったまま、今日の日記のここまでも書く。
朝食を済ませ、8時30分を過ぎるのを待って、ここ数日の洗濯物を提げて外へ出る。そしてきのう開店時間を確かめておいた、ホテルとおなじ通りにある洗濯屋に出かける。ポロシャツ2着、下着2着、靴下1足の洗濯代は31バーツ。「明日の午後1時か2時」と告げながら、なかなか上品な顔つきの女主人は僕に伝票を手渡した。
それにしても、雨上がりの街は、僕のインドシナに対する感覚からすれば異様に涼しい。部屋のベッドに横になって本を読む。そして薄日の差してきたことを確認してから水着に着替え、プールサイドに降りる。寝椅子はほとんど乾いていた。時刻は10時30分。そこでまた石川文洋の「ベトナムロード」を開く。
ときおりポトリ、ポトリと音を立てて、頭上の木から花が落ちる。昨年のいまごろ訪ねたスコータイのホテルにも、この花が咲いていた。通りかかったホテルの人に花の名前を訊く。オニーサンとオジサンのあいだくらいの歳の人は「チャ(ツァ)ンパー」と教えてくれた。プールサイドには、白と赤のそれがある。白い方が圧倒的に、その甘い香りは高い。
「今日の昼は200ページまで」と決めて読み始めた本の176ページに「スアンロクは、一九七九年四月、猛烈なスピードで進撃をするベトナム人民軍とそれを阻止する最後の砦としてサイゴン政府軍との激戦が交わされたが」の一節がある。サイゴン陥落は1975年4月30日。だからこの「一九七九年四月」は明らかにおかしい。
区切りの良い201ページまで読んで部屋へ戻り、シャワーを浴びてからベッドに横になる。そしてiPhoneにgoogleを開いて「ベトナム戦争 スアンロク」と入れてみる。スアンロクの戦闘は果たして、1975年4月9日から同21日にかけての出来事だった。編集者は何をしていたのだろう。
「ペンが袋から落ちかけている」と初日に声をかけてくれたオバチャンのいるマッサージ屋に、今日も出かける。それは「タイマッサージは、3日つづけて受けるべし」という、チェンライのマッサージ師プックさんの言いつけを守ってのことだ。そして2時間のマッサージで、特に脛とふくらはぎを責められる。
きのうのカームーには、少なからず落胆をさせられた。失敗は繰り返したくない。初日の朝、空港からのバスを降りたあたりにホイトードの有名な店があることは、日本を出る前から知っていた。「こんなに海から遠いところでホイトードかよ」という思いはあったものの、夜はラオカーオのペットボトルを提げて、雨上がりの街を往く。
店の前の大鍋で炒りつけられる、生まれて初めて口にするホイトードは、評判の通り美味かった。英語のメニュの”Fried Oyster”に添えられたタイ語を店員に読んでもらうと「ホイトードゴンラー」と聞こえた。「ゴンラー」とは、ことによると潮州料理の「蠔烙」の音を、そのまま用いているのかも知れない。
2009年、27年ぶりに叶った訪タイのとき、着いたばかりのスワンナプーム空港で、心躍らせながら食べたパッタイには、そのあまりに甘い味付けに幻滅をさせられられた。以降はとても食指を延ばす気にならなかったそれを、ホイトードだけでは足りないから、今夜は賭けるつもりで注文してみた。果たしてこのパッタイも、またとても美味かった。さて、明日の夜はどこへ出かけよう。
ホテルに戻ってシャワーを浴びる。時刻は19時20分。盛り場の真ん真ん中にいながら、この時間から寝る馬鹿が僕である。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
晩飯 “Hoi Tod Je Huay”のホイトードゴンラー、パッタイクン、ラオカーオ”RUANG KHAO”(ソーダ割り)
2020.3.3(火) タイ日記(2日目)
目を覚まして数秒を経てようやく、いま自分はウドンタニーにいる、ということに気づく。サイドボードにiPhoneを手探りする。時刻は2時ちょうど。就寝が20時であれば、この目覚めの時間も「むべなるかな」である。
海外へ出たときの、特に1日目の日記は長くなる。その日記を書くうち、ひどく腹が空いてくる。旅先にはいつも持参する粉末のコンソメスープを飲んで、その空腹を紛らわす。
明け方がちかくなるころ、妙な音に気づく。風がどこからか吹き出しているような音だ。しかし部屋の冷房は止めてある。風呂場の換気扇も止まっている。しばらくするうち、またその音が高くなる。部屋とベランダを隔てている二重のガラス戸を開いてみる。音は果たして、目と鼻の先にあるバービヤ街”Day & Night”の巨大なトタン屋根を、雨が激しく打つものだった。それにしても、ウドンタニーの天気はめまぐるしく変わる。雨期は、いまだ始まっていない筈ではなかったか。
長い日記を完成させてから食堂に降りる。プールサイドには卵料理を注文できる屋台が出ているものの、宿泊客が少ないせいか、そこに調理人の姿は見えない。
今朝は髪に寝癖ができていた。よってきのう、目抜き通りを駅へ向かう北側の歩道に見つけておいた床屋”LONDON”へ行く。2種のバリカンによる調髪と顔剃りで料金は200バーツ。僕はタイではいつも、バリカンには2番の下駄を履かせてもらう。しかしこれではすぐに長くなってしまいそうだ。次は1番で頼んでみよう。
散歩をしながらホテルに戻り、以降は午後までプールサイドで本を読む。
きのう予約をしておいたマッサージ屋には15時前に入った。タイのマッサージは、古式であれオイルであれ、持ち時間の8割は足と脚への施術に費やされるような気がする。今日はふくらはぎの内側、脛の骨に沿ったところを長々と責められた。オバチャンの指は、コリを見つけると、そこに長く留まって、強く揉み続ける。その痛みに思わず、背筋に緊張が走る。脚のコリをほぐすために背中のコリがひどくなる、というようなことはないのだろうか。
マッサージの途中から、雨が激しくトタンの軒先を叩き始める。日に2度は雨が降る。その雨は日本の夕立とおなじく、いきなり落ちてきて、しかしすぐに止む。雨の弱くなったところで外へ出る。雨は、セントラルプラザの中を徘徊するうち、ふたたび強まった。しばらく雨宿りしてから、ようやくホテルへの道を辿る。
夜は、きのうに引き続いて、目抜き通りの駅ちかく北側のナイトプラザへ出かける。きのうとは異なるカオカームー屋で、そのごはん抜きを注文する。結果は失敗。味は悪くないものの、作り置きのため冷たい。おまけに粘度の高いソースが大量にかけてあって、味が濃すぎる。仕方なくそれを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。しかし今夜の食事がこれだけでは気が済まない。
きのうセンヤイパッキーマオを注文した店で、きのうの女の子にカオパックンを頼む。それで仕上げて、今夜の飲酒活動を完了する。
ホテルの建つサンパンタミット通りは、ウドンタニーにふたつみっつあるバービア街のひとつだ。客のほとんどは、からだに刺青を施した白人である。まるで浦島太郎だが、ここで遊ぶうち、いつのまにか年を経てしまったように見受けられる老人も少なくない。この街にはかつて、アメリカ軍の基地があった。しかしそれは、遠いむかしのこと。この街に白人の多い理由は何だろう。
部屋に戻り、シャワーを浴びると時刻は19時50分。夕刻に降った雨は気温をいちじるしく下げて、冷房の必要はない。即、明かりを落として就寝の体制に入る。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 駅からの目抜き通り北側のナイトプラザのカームー、カオパックン、ラオカーオ”RUANG KHAO”(ソーダ割り)
2020.3.2(月) タイ日記(1日目)
うつらうつらするうち、機は滑走路まで移動をして、やがてエンジンが轟音を発する。”AIRBUS A330-300″を機材とする”TG661″は、定刻に10分おくれの00:30に羽田空港を離陸。数分後に「ポーン」という音は聞こえたものの、シートベルトの着用義務が解除された旨の電光は掲示されない。やがて前の人が椅子の背もたれを倒す。それに倣って僕も背もたれを倒し、同時に胸のポケットに、飲みやすいようあらかじめ小さな袋に分けておいたデパスとハルシオン各1錠を服用する。
「あんた、両方のまないと効かないよ」とオフクロの遺したこの2種の薬は、効くときにはまこと、一瞬で効く。しかし今日に限っては、いつまでも効かない。後席の女の二人連れは、ようやく会話を止めた。ちかくの席にいるらしい小さな子供も、いちど叫んだきり静かになった。僕の席より後ろには、ラオスとミャンマーの若いサッカー選手たちが、静かに寛いでいる。それにしても眠れない。特に下半身が、毛布を巻きつけているにもかかわらず寒い。
03:55 ディスプレイに現在位置を探ると、機はいまだ台湾本島の最南端、つまり鵝鑾鼻のあたりを飛行中だった。いつもであれば、目覚めたときには、機は既にして海南島の東海上に達していることが多い。
05:35 いつの間にか機内が明るくなり、客室乗務員は熱いおしぼりを配り始めている。
05:50 朝食の配膳が始まる。
06:10 ダナンの海岸線からベトナムの上空に入る。ディスプレイには”BKK→1H5M”の文字。
06:11 洗面所で口をゆすぎ、歯を磨く。
06:15 客室乗務員がプラスティックの手袋をはめた手で、タイの入国カードを配り始める。別の客室乗務員は、これまた手袋をして、洗面所の扉の取っ手をアルコールで拭いている。
07:04 地上の明かりが見え始める。バンコクの上空には、ところどころに低い雲がある。
07:07 機体から車輪が降ろされる。
“TG661″は、定刻より15分はやい日本時間07:10、タイ時間05:10にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:29 新型コロナウイルスへの水際対策により、数日前に新設された体温測定装置の前を通過。ちかくに立つ複数の係員は「はいはい、どんどん進んでー」というような手振りで旅客を先へと急がせる。その脇を我々は重なり合って通過する。そんなことで、個々の体温など計れるものだろうか。
05:35 入国審査場を通過。
05:38 5番の回転台の前まで行くと、僕のスーツケースは既にしてその上を運ばれていくところだった。
05:48 到着階の3階から出発階の4階へ上がって”TG2002″への搭乗手続きを完了。
手持ちの現地通貨は8337.5バーツ。僕はお金は大して使わない。普段であれば、これでしばらくは不自由しない。しかし今週末に参加をするバンコクMGの参加費用は、今回からバーツ払いになる。よって大事を取って、今日のうちに両替を済ませておくことにする。
06:06 エスカレータとエレベータを使って地下1階に降りる。そしてエアポートレイルリンクの券売機ちかくに並ぶ両替所の、各々の為替レートを見ていく。その結果、すべての店で1万円は2,880バーツ。即、ひとりの客も集めていない”Value Plus”で3万円のみを両替。消毒用のアルコール綿をオマケにもらう。
今度はエレベータで一気に4階へ戻る。スワンナプーム空港に人の少ないことは羽田空港とおなじ。いつもはそこここに溢れかえっている中国人の姿は皆無。認められた団体は、インド人によるそれひと組のみ。
06:28 保安検査場を抜けてB4ゲートに達する。
06:48 搭乗開始
07:25 “AIRBUS A330-200″を機材とする”WE002″は、定刻に5分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
07:40 客室乗務員により機内食が配られる。タイスマイル航空の質素な機内食が、僕は好きだ。
「新幹線の食堂車でステーキを食べる人が嫌いだ」と、山口瞳は書いた。一方、ある食味評論家は、女性客室乗務員と自分のあいだで交わされた、そのとき機内に用意されていた”Chateau Lascombes”を巡る、機知に富んでいるらしい、あるいは洒落ているらしい会話をどこかに披瀝していた。山口瞳とその食味評論家のどちらを心情的に支持するかは、人それぞれだ。
機窓から見おろすイサーンの大地は、畦で四角く区切られていることにより、それが農地ということは分かる。しかしその色はどこまでも乾いて赤い。色だけを見れば、それは農地というよりも、まるで土漠である。
いまだ機内にいるうちに、タイバーツを納めた封筒を貴重品入れから取り出す。そしてそこから1,000バーツ札1枚、100バーツ札5枚、50バーツ札1枚、20バーツ札5枚を引き抜いて財布に移す。1,000バーツ札は、これを使う機会があれば、細かく崩すためのもの。100バーツ札は、もっとも使いでのあるお札。50バーツ札と20バーツ札はチップ用。これでもいろいろと考えているのだ。
08:00 “WE002″は定刻より25分はやくウドンタニー国際空港に着陸。
08:24 回転台に荷物が出てくる。
08:28 空港の建物から外へ出る。
右手に目を遣ると、数十メートル先にバスが駐まっている。近づくに連れ、そのバスの正面に”UDON CITY BUS”の文字が見えてくる。開け放ったままの乗降口ごしに、サングラスをかけた運転手が僕に声をかける。分かったのは、男言葉で「はい」や「ですます」を表す「クラップ」のみ。「パイ、センターン?」とひどいタイ語を発すると、運転手はふたたび「クラップ」と答えつつ頷いた。料金の20バーツは運転席脇のプラスティックの箱に入れる方式だった。iPhoneのgoogleマップに仕込んだ、オフラインでも現在位置を特定できる仕組みは正常に働いている。
08:35 バスが空港を離れる。
09:09 タイ人の発音では「センターン」となる”Central Plaza”が間近に見えてきたところで下車する。”Central Plaza”はちなみに、日本人の発音では「せんとらるぷらざ」となる。
わざわざ道を渡ってきたトゥクトゥクの運転手が、ホテルまで送るという。「歩いて行くよ」と僕は身振りで示す。オジサンは「オーッ」と笑いつつ去る。
予約を入れておいたホテルは「センターン」の前から歩いて3分ほどのところにあった。盛り場の真ん真ん中である。フロントのオバチャンは「4階のデラックスルームです」と、僕に419号室のカードキーを手渡した。スーツケースを部屋まで運んでくれたベルボーイには50バーツのチップ。時刻は9時27分。山田長政の時代を思わないわけにはいかない。
水を飲む、スーツケースから衣類その他を引き出しに移す、シャワーを浴びる、日本から穿いてきたズボンをタイパンツに穿き替える、既にして完成していた一昨日の日記を更に整えて「公開ボタン」をクリックするなどのことをするうち正午に至る。
日本から履いてきた革靴をゴム草履に履き替えて外へ出る。暑いことは暑いものの、汗はかかない。ホテルのある通りから目抜き通りに出て、北側の歩道を歩きつつウドンタニーの駅を目指す。駅ではプラットフォームに入り、ロビーに戻って時刻表を確かめ、駅から西へ向かって延びる目抜き通りの写真を撮る。「そんなことをして面白いか」と問われれば、別段、面白くはない。面白くもなく、またつまらなくもないのが、僕の旅行である。
駅前から、今度は南側の歩道を伝って来た道を戻る。
「ペンッ」と、いきなり左手から声がかかる。声の主は、マッサージ屋の前に座ったオバチャンだった。タイのマッサージ師は、外で食事やおしゃべりをしながら客を待つことが多い。
タイパンツを褒めでもしたのかと、腰のあたりに手をやってみる。オバチャンは首を横に振って、僕が手に提げた、きのう北千住のマツモトキヨシで商品を入れてくれたプラスティック袋を指した。ボールペンの先端が袋を突き破って顔を出している。「なるほど、このことか」と、オバチャンに礼を言い、それまで提げていた袋を、そこからは抱えるようにして歩き出す。
そのまま100メートルほど進んだ左手に、屋台がふたつ軒を並べている。客の入りはそこそこだ。タイ航空の機内食は半分ほどを残していた。タイスマイル航空の機内食は、いつも「軽食程度」より少ない。即、店の女の人に「バミーヘン」と告げる。「肉は豚か」と訊かれて了承する。
やがて運ばれたバミーヘンは、これまで見たこともないものだった。麺はまるで日本のソース焼きそばのように色が濃く、またスープの色は、まるで番茶だ。そのスープをひとすすりすると、すごく甘い。その甘い汁に、麺に載せられた、湯がいた豚肉のすべてを沈める。麺に味付けは、ほとんどされていない。よって卓上の調味料を適当にかけて自分の味を作る。不味くもないが、美味くもない。価格は40バーツだった。
親切を受けたお礼に、先ほどのマッサージ屋へ戻る。そしてオバチャンに「オイルマッサージ、2時間ね」と告げる。人生史上、最高に効く宇都宮の整体院の先生には「タイへ行ってもボキボキ系は避けてくださいね」と釘を刺されている。以来、僕はタイに来ても、関節技のようなものをいくつも繰り出す古式マッサージは受けない。オバチャンには、このところ宇都宮の整体院で責められ続けている、太股に走る4本の筋肉を、特に強くほぐしてもらった。そして明日の15時に予約を入れる。
ホテルのプールサイドには、午後の日差しがあった。フロントの人に教わって、目と鼻の先のフィットネスセンターからタオルを持ち出す。そしてそれを寝椅子に敷き、仰向けになって石川文洋の「ベトナムロード」を開く。頭上に咲く花は、あたりを甘い香りで包んでいる。僕の旅における、最上の時間である。
夕刻、部屋の机できのうの日記を完成させる。やがて日は落ちて、腹も減ってくる。昨年9月に余らせて持ち帰ったラオカーオは、ペットボトルに入れ替えて今回の荷物に含めておいた。そのラオカーオを、マッサージ屋のオバチャンがくれた、セブンイレブンのエコ袋に納めて外へ出る。
駅ちかくの夜市のうち、今日は北側のそれに足を踏み入れる。縦に長いフードコートの店を眺めつつ、もっとも奥に達する。右手の注文屋台が目に付く。立ち止まると、肌の黒い、メガネをかけた、髪の毛はチリチリに縮れた好もしい雰囲気の女の子が僕に声をかけつつメニュを差し出した。メニュはタイ語と英語で書かれていた。その”FRIED NOODLE”のところを指しながら「パッキーマオ」と言ってみる。女の子は嬉しそうに「チャイ、チャイ」と答え、肉は何にするかと訊いた。僕の答えは大抵、豚である。その注文屋台の対面にある飲物屋台でソーダとバケツの氷を調達する。
席に届いた皿に、麺は見えない。しかし目を凝らすと、野菜の影にセンヤイが認められた。「センヤイパッキーマオ?」と訊く。「チャイ」と女の子は、ふたたび嬉しそうに笑った。
名勝や奇景に興味は無い。星付きのレストランも世界遺産も要らない。アトラクションやアクティビティは面倒だ。地元の人の集まる夜市で、地元の人の食べるものを肴にラオカーオのソーダ割りが飲めれば、それで僕は満足だ。そしてそれこそが、僕の「観光」である。
部屋に戻ってシャワーを浴びる。時刻は20時。三菱製の冷房に室温24度と1時間のタイマーを設定して就寝する。
朝飯 “TG661″の機内食、“WE002″の機内食、そのコーヒー
昼飯 駅からの目抜き通り南側センタンちかくの屋台のバミーヘン
晩飯 駅からの目抜き通り北側のナイトプラザのセンヤイパッキーマオ、カオカームー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2020.3.1(日) いまだかつて
昨年春のダイヤ改正で、下今市18:57発の上り特急スペーシアは消えた。代わりに運行されるようになったのが、18:20発だ。ウチの閉店時間は17時30分。それからキャッシュレジスターを締め、退社する社員を見送って、となると、18時20分発はいかにも忙しい。よって今日の羽田行きには、次の19:30発を使うこととした。出発を遅らせての取り柄は、風呂に入ってから出かけられることだ。一方、この列車に遅れが生じると、羽田での搭乗手続きに間に合わない恐れも、またある。
19:30 リバティ48号が下今市を発車。
21:02 同車両が北千住に着。
東武日光線のプラットフォームからひとつ下の階に降りて、マツモトキヨシに入る。そこでリップクリームと、薬剤師の勢いに圧されて高価なビタミンCを買う。薬剤師によれば、安いビタミン剤は食料品の扱いで、薬品としての認可は受けていないのだという。そこからふたつ上の階に上がって夕食を摂る。
21:26 日比谷線の車両が北千住を発車。
22:32 人形町と泉岳寺で乗り換えて羽田空港国際線ターミナルに着。
22:40 タイ航空のカウンターで搭乗手続きを完了。
これほど閑散としている羽田空港は、かつて見たことがない。その異様な雰囲気が、東日本大震災の起きた2011年3月に、次男とベトナムへ行った日のことを思い出させる。
22:53 保安検査場を通過。
22:54 出国審査場を通過。
23:09 105番ゲートに達する。途中、ソーダ水を買った売店で安いビタミンCを見つけるも、時すでに遅し。
23:42 搭乗開始。機材変更のため65Cから60Jに指定替えされた席が、ここにきて更に50Jに変更される。
23:52 タイ航空661便の50Jの席に着く。
朝飯 なめこのたまり炊によるなめこおろし、納豆、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、豚肉と切り昆布の炒り煮、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 「幸楽苑」のつけ麺
晩飯 「吉野家」の牛丼並盛り、お新香と味噌汁のセット、生玉子





































































































































