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清閑 PERSONAL DIARY

2018年9月の日記30本

2018.9.30(日) タイ日記(6日目)

きのうの夜、腕や脚の痒さに耐えかね、目を覚まして枕頭のiPhoneを見ると、時刻は23時35分だった。「勘弁してくれよ」とばかりに部屋の明かりのスイッチを入れ、持参した蚊取り線香に火を点けた。そして薬袋から萬金油を取り出し、血を吸われた数ヶ所に塗り込んだ。

食堂棟の外の席で数人が声高に話していたこともあって、ふたたび眠ることができたのは、3時間後の2時30分のころだった。そのこともあって、今朝は6時をすぎてようやく目が開いた。朝の光を受けて、カーテンがうっすらと明るくなっている。

朝食は、いつもより遅い8時すぎに摂った。きのうの日記を書き終えて、10時30分にプールサイドに降りる。

今日から読み始めた服部正也による「ルワンダ中央銀行総裁日記」が、大変に面白い。いくら経験を積んだ日銀マンとはいえ、それが一国の中央銀行総裁に呼ばれるなどということがあるだろうか。時は1964年、奇しくもきのうまで読んでいた「南ヴェトナム戦争従軍記」と、おなじ時代である。

プールにいるあいだに100ページまで読もうとしたものの、84ページまで至って時計を見ると14時ちょうど。昼食が欲しくなるほど腹は減っていない。しかし体力を落としてもいけない。街へ出て汁麺を食べ、更にはドゥーリアンモントン、つまりドリアンのアイスクリームをデザートにする。

マッサージを受けたい気持ちはあったものの、ホテルに戻り、日本から持参したあれこれを読んで過ごす。16時を過ぎると雷が鳴り、ベランダまで吹き込む大雨になった。雨はそれから2時間ほども降り続いたから、マッサージを受けずに帰ったのは正解だった。

チェンライに着いてから6日が過ぎようとしている。”Dusit Island Resort”に泊まっていた昨年までは、いつもコック川が目の前にあった。僕にとってチェンライの象徴のようなそのコック川を、今年はいまだ目にしていない。

空が夕刻から夜に変わるころ、それまでのタイパンツを普通のズボンに、ゴム草履を革靴に履き替え、街に出る。折良く近づいて来たタクシーを停め、川沿いの料理屋の名を告げる。

川床のような席から望むコック川は、雨期の水を満々とたたえて黒く流れていた。遠く左手に、国道1号線がこの川を跨ぐ大きな橋が白く見え、それを渡るクルマの灯りがゆっくりと動いていく。バンドの演奏が始まっても、特にうるささは感じない。目の前の風景は現実を離れて、とても静かだ。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、エスプレッソ
昼飯 “Pa Nual”のカノムジーンナムニャオ
晩飯 “Leelawadee”の竹虫の素揚げ、パックブンファイデーン、トードマンクン、シンハビール

2018.9.29(土) タイ日記(5日目)

今朝の鳥は5時15分から啼き始めた。その声は「キュイッ、キュイッ」だったり「ギィーッ」だったり「ポッポッポロー」だったりする。カーテンを開け、ベランダへの引き戸を全開にする。すると遠くから鶏の声も聞こえてきた。朝食の用意をしているのだろう、食堂棟には既にして灯りが点っている。

このホテルは、昨年まで泊まっていた、コック川の中州に建つドゥシットには較べるべくもないものの、結構、広い。その広さを銀座の地理で説明すれば、正門は中央通りに、そして裏門は旧電通通りに抜けている感じだ。裏門の方が目抜きのパホンヨーティン通りにちかいため、僕はもっぱら、こちらの方を使っている。

よって今朝は、このホテルに来たときにしか通らなかった正門まで庭の小径を歩き、その外を散歩してみた。道を渡ると風景は一気に郊外のそれになり、種々の竹籠を製造販売している店、あるいは庭に置くコンクリート製の祠を売る店などが、途切れ途切れに並んでいた。また郊外型の、大きな食堂も目立った。

散歩から戻ると9時30分。ようやく薄日が差してきたところを見計らってプールサイドに降りる。

いま読んでいる岡村昭彦の「南ヴェトナム戦争従軍記」は、3月にフアヒンで読み始め、バンコクに移動するまでの数日間で256ページまでを読んだ。今回はその256ページから読み始めて、本日、最後の500ページに達した。

1965年4月、岡村は南ヴェトナム解放民族戦線の誤解からDゾーンのジャングルで捕虜となり、50数日間の厳しい監禁生活を耐えた。そして遂に、同戦線の副議長フィン・タン・ファットと念願の会見を果たし、親しく意見を交換した。その際、押収されていた3冊の本を彼に頼んで戻してもらうと、タン・ファットはそのうちの「魯迅選集」の扉にある魯迅の家族の写真を「じっと吸い込まれるように」見てから「もしできることなら、あなたがお帰りになるとき、記念として、この本を私にゆずっていただけないでしょうか」と岡村に頼む、この場面こそ「南ヴェトナム戦争従軍記」後半の白眉と、僕は感じた。

寝椅子で本を閉じるとポツリと顔に雨粒が落ちた。午後のスコールが来るのかも知れない。上半身にバスタオルを巻き付け、庭を歩いてロビーから40段の階段を上がって部屋に戻る。時刻は13時10分になっていた。

昼食を摂るため街に出る。食後は初日にも訪ねたマッサージ屋”PAI”で2時間ほどからだを揉んでもらう。係は今日もジェップさんだった。

チェンライでは土曜日の夜に、大きな市が立つ。それだけなく、広場に市民が集まり、地元の音楽を楽しみながら、飲み、食い、かつ踊って楽しむ。チェンライの滞在に土曜日が含まれるときには、僕はかならずこのサタデーナイトマーケットに出かける。早く行かなくては席が埋まる。すこし焦りつつホテルの裏口を出る。時刻は16時50分。

店を開きつつある露店のあいだをすり抜け、会場の広場には17時10分に着いた。案に相違して、席のほとんどは空いていた。市民は天気の行方を知っているのだろう、西の方で雷鳴が聞こえ、やがて雨が降り始める。僕はすぐちかくのセブンイレブンで買ったばかりのソーダと氷で席を確保してから大きな木の下に避難した。

幸いなことに、雨は間もなく止んだ。露店のひとつで鳥の心臓の串焼きを買う。別の露店で豚肉をバナナの葉に包んで蒸し焼きにしたものを買う。席に戻ると「国王賛歌」がスピーカーから流れ始める。時刻は18時。僕は地元の人たちと共に起立をする。

空が徐々に暗くなる。木々からはいつものことながら、異常なほど集まった鳥が、考えられないほど大きな声を発している。「空いてますか」と若いカップルに声をかけられて「もちろん」と席を勧める。19時にいつものバンドがステージに現れる。歌の達者な帽子のオジサンは今年も健在だった。

タイ人は日本人よりもよほど、個人の多様性を認める。あるいは個人の趣味や嗜好、あるいは性癖に干渉しない。僕にはそのように感じられるけれど、実際のところはどうなのだろう。変化に富んだ市民による踊りの輪が、だんだんと大きくなっていく。

広場にはいまや、1,000人を越えると思われる市民が集まっている。同席のカップルは去り、入れ代わるようにして、今度は老夫婦が来た。その奥さんが踊りの輪に加わるべく去ると、オジサンは手持ち無沙汰になったか、僕に盛んに話しかけるが、もちろん、何を言っているかはほとんど分からない。

「ホテルに戻る」と、オジサンの耳に口を近づけ、大きな声で伝える。銀糸を織り込んだ青いシャツのオジサンは「そうか」という風に頷いた。田舎の夜に眩しいほどの光を連ねた露店を眺めつつ、帰り道を辿る。

今夜は遠回りをして、朝、散歩をした方に回ってみる。このあたりにはムーカタの店が多い。ホテルの正門に何時ごろ帰り着いたかは、酔いも手伝って、記録はしていない。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、エスプレッソ
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 鶏の心臓の串焼、豚肉をバナナの葉に包んで蒸し焼きにしたもの、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)

2018.9.28(金) タイ日記(4日目)

きのうとまったくおなじ、午前1時30分すぎに目を覚ます。おとといの夜も、そしてきのうの夜も20時すぎ就寝したことを考えれば、それほど不思議なことでもない。

きのうの日記を書こうとしてコンピュータを立ち上げると、ホテルのwifiが見あたらない。一時的に落ちているのだろう。心配なのは、キーボードの”E”キーの接触が、いきなり鈍くなっていることだ。帰国したらできるだけ早く、あるいは羽田空港から家に帰る途中にも、秋葉原の「LUMIX&Let’s note修理工房」を訪ねるべきかも知れない。

wifiが復旧するまでは、秀丸で日記を書くことも考えた。しかし二度寝をすることにして、今度は6時直前に起床する。鳥はやはり、きのうとおなじ5時50分すぎに啼き始めた。

普段は、少なくない量の朝食を摂っていても、11時が近づくころには著しく腹が空いている。しかしタイにいると、昼を過ぎても食欲は一向に湧かない。旅先では、からだは動かしても脳を働かせることはしない。だから腹も減らないのだろうか。今朝は試しにパンを抜いてみる。

このホテルのプールは、東側に幾本ものタビビトノキが育っている。そのため午前中は日影が多く、涼しい。そのプールで90分ほどを過ごす。昼は街に食事に出かけ、午後はふたたびプールの寝椅子に戻る。今日は岡村昭彦著「南ヴェトナム戦争従軍記」の、306ページから411ページまでを読むことができた。

部屋に上がってシャワーを浴び、冷蔵庫から水を取り出そうとすると、その扉の内側に立てたガラス瓶が、冷蔵庫の構造上の不備から床に落ち、割れた。水はバスマットに吸わせたものの、ガラスのかけらは素手では取りきれない。よってフロントへ行き、掃除のオバチャンを寄こすよう頼む。

裸足で来たオバチャンには「危ないから」と注意してサンダルを履いてもらう。「水は20バーツ」と、掃除をするより前にオバチャンが口を開く。「何だよ、この冷蔵庫を見てみなよ、こんな設計だから、メイドの立てた瓶が滑り落ちるんだよ、それを何が20バーツだ」というような主張はしない。「だったら2本」とオバチャンに頼んで50バーツ札を渡す。

オバチャンは柔らかい箒で石の床からガラスのかけらを集め、更に分厚いタオルであたりを丁寧に拭いてくれた。そして廊下に出て、しばらくすると”Chang”社製ミネラルウォーターの、500ccの瓶2本を抱えて来た。オバチャンが10バーツの釣りを寄こしたので「要らない」と手で制すると、オバチャンはワイをして頭を下げた。しかし10バーツでは僕の気が収まらない。オバチャンには更に50バーツのチップを渡した。

17時55分にホテルの裏口を出る。そして歩いて2分ほどの洗濯屋を訪ねる。泊まっているホテルにはランドリーが無い。そのため毎日こまめに洗濯物を出す、ということができない。この店には今朝、日本を発ってからきのうまでの洗濯物を預けたのだ。価格は1キロで50バーツ。洗い上がった衣類は、朝とおなじセブンイレブンの袋に入れられ手渡された。この洗濯屋には、チェンライにいるあいだに、もう1度は来る必要があるだろう。

「毎晩、ナイトバザールってのもなぁ」と、今日はウィアンインホテルはす向かいのルーフトップバーに上がってみる。バンコクのルーフトップバーは50階、60階にあるが、チェンライのそれは3階である。3階でも周りに高い建物はないから、見晴らしは悪くない。食べ物のメニュを取り寄せると、フレンチフライやポップコーンのたぐいが目立ったため、ここではビールだけにしておく。

そして結局は、今夜もナイトバザール奥のフードコートである。

数年前にガオラオを買って、あまり美味くなかった店に行列ができている。どうやら揚げ物で当てたらしい。揚げ物はさておき、僕の好物パッセンミーが大皿に大盛りになっている。それを40バーツで買い、次は飲物を売るブースでソーダと氷を、それぞれ20バーツと10バーツで買う。そうして鉄製の黄色い椅子に着き、今夜も静かに飲酒活動を行う。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、エスプレッソ
昼飯 「ナコンパトム」のカポップラー
晩飯 名前を知らないルーフトップバーのシンハビール、ナイトバザールのフードコートのパッセンミー、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)

2018.9.27(木) タイ日記(3日目)

鳥の声が聞こえてカーテンを開ける。夜はいまだ明けてはいない。時刻は5時53分だった。そのままベランダへの戸を開け放つ。気温は高くもなく、また低くもない。

外が騒がしくなったため、日記を書く手を休めてベランダに出る。別棟に泊まっていたらしい団体が、ちょうど食堂棟に入っていくところだった。時刻は6時30分。1台、そしてまた1台と、大型バスが食堂棟に横付けをされる。団体客は1時間後の7時28分に、2台のバスに綺麗に収まってどこかへと去った。きのうの団体と、数分と違わない出発である。

いまだ空の暗いうちに書き、朝食の前に「公開」ボタンをクリックしたきのうの日記に、朝食を済ませてから手直しを加える。そして今度は今日の日記のここまでを書く。時刻は9時42分になっている。

きのうの日記には「明日は休養に勉めよう」などと書いたにもかかわらず、10時40分に目抜き通りに出る。そしてエジソンデパートはす向かいのカフェで、きのうに続いて自転車を借りる。僕はまだ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”を諦めていない。

10時40分に自転車を借りたには訳がある。タイは日本にくらべてよほど、酒やタバコには厳しい。日中においては、酒は11時から14時までの3時間にしか買えないのだ。

先ずはバスターミナル前の”PRASOPSOOK ROAD”を東に進む。すると間もなく、ミャンマーとの国境メーサイからバンコクの戦勝記念塔までを結ぶ大動脈、国道1号線に出る。時刻は10時57分。そのまま南へ向けてペダルを踏む。

しばらく行くと左手に”Big C”の黄緑色の看板が見えてくる。金色の歩道橋の先、右側には”Central Plaza”の看板も、また見え隠れしている。時刻は11時01分。きのうの苦労は一体、何だったのだろう。ひとえに、僕の調査不足、あるいは「チェンライの地理は頭に入っている」とばかりに地図も持参しなかった、自分への過信によるものだ。

9年ぶりの”Big C”は懐かしかった。ラオカーオの売り場を訪ねると、量こそたっぷりあったものの、“BANGYIKHAN”は見あたらなかった。”BANGYIKHAN”は、バンコクではオンヌットのテスコロータス、あるいはピンクラオのパタデパートで手に入る。しかしオンヌットも、またピンクラオも、僕が泊まるバンラックからは、それほど近くない。

気を取り直して国道1号線を北へと戻る。バスターミナルへの道の入口を無視してそのまま進むと、左手に一軒家のマッサージ屋があった。店の名前は”ARISARA”。サンスクリット語だろうか。

興味を惹かれて自転車を乗り入れ、花壇を支える木の柱に前輪を鍵で固定する。6、7段ほどの階段を上がっていく。玄関には太った女将がいた。料金表のオイルマッサージは1時間で600バーツ。左手の椅子に腰かける僕を待ち構えていたように、紅色のタイパンツを穿いた女の人は湯の入ったたらいを床に置いた。女の人は、何かいわれがあるのだろう、泥と砂を混ぜたような石鹸で僕の足を洗った。

ふくらはぎの内側、そして太ももの外側を執拗に責め続けるという、これまで経験したことのない施術は満足のいくものだった。女の人には100バーツのチップを手渡した。先ほどまで愛想の良くなかった女将は、なぜかにこやかになっていた。

国道1号線からホテルまでの裏道を確かめながら、ふたたびパホンヨーティン通りに出る。そしてそれを越え、サナビーン通りも横切る。”SANKHONGNOI ROAD”を更に西に進み、soi4のパクソイをすぎてすぐの右側にある汁麺屋に自転車を駐める。注文したのはカノムジーンナムニャオムー。別皿の生のモヤシをすこし加えたら良い塩梅だったため、すべてを投入したところ、折角の麺の食感が分からなくなってしまった。何ごとも、過ぎてはいけない、ということだ。やがて屋根を打つ雨の音が聞こえ始める。

雨はいわゆる天気雨で、すぐに止むかに思われた。しかし一天にわかにかき曇り、とてもではないけれど、外へは出ていけない勢いになった。その場に立ちすくむ僕に、店の親切なオネーサンはステンレス製の丸椅子を持って来てくれた。35バーツの汁麺1杯を食べただけの「いちげん」の客に、タイ人とは思えない心遣いである。僕はその椅子で、40分ちかくは休んでいたと思う。

丸椅子から立ち上がり、オネーサンに礼を述べつつ椅子を店に戻したのが14時15分。クルマの跳ね上げるしぶきを避けつつカフェに着き、自転車を返す。今日のオニーチャンは、朝に預けた100バーツを引き出しにいれたまま、パスポートのみ返してきた。そこで「きのうは60バーツだったぜ」と言うと、折良くきのうのオネーサンが奥から顔を出した。「半日なら60バーツ」と、オネーサンが口を添える。僕は無事、お釣りの40バーツを手にした。

部屋に戻って時計を見ると14時41分。通常ならプールへ降りるところ、天気は冴えない。結局は夕方まで部屋にいて、主に本を読んで過ごす。

夕刻、きのう街の酒屋で買ったラオカーオ”YEOWNGERN”を持ち運び用のペットボトルに移そうとして金属のスクリューキャップを開けると、まるで輸入ウイスキーの「玉付き」のようなフタが瓶にはめ込まれていて、押しても引いても動かない。よってその瓶を手に1階へ降りると、廊下の向こうからホテルの従業員が歩いてきた。そこで彼に瓶の口を見せると「レストラン」と言う。

食堂棟に入って右側には大きな事務机がある。そこに近づき「これ、開けられますか」と問いかける。若いマネージャーは「そこまで真剣にならなくても」と思われる表情で「すこしお待ちください」と外へ出ていった。

そのまま立っていると、タイでは女でもウェイターと呼ばれるウェイトレスのひとりが何ごとかと近づいて来た。訳を話すと彼女はその瓶をどこかに持ち去り、外した内蓋と共にふたたび現れた。見事な手際である。礼を述べて本館への階段を上がっていくと、先ほどのマネージャーが先ほどの従業員を連れて食堂棟へ戻ろうとしていた。「ウェイトレスが開けてくれたよ。今夜はこれを持ってナイトバザールへ行くんだ」と説明する。「オー、ナイッ、パッサーッ」と、彼らは朗らかに笑い声を上げた。

間もなく落ちようとしている夕陽を真正面に望みつつ、懐かしい感じのする田舎の道を往く。昼でも人の少ないこの道だが、目抜き通りまではそう遠くない。そしてまたまたナイトバザールの奥のフードコートに席を占め、ひとりゆっくりと落ち着いて、飲酒活動に専念をする。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、トーストとエスプレッソ、西瓜とパイナップル
昼飯 「パースック」のカノムジーンナムニャオムー
晩飯 ナイトバザールのフードコートのパッシーユームーサップ、ラオカーオ”YEOWNGERN”(ソーダ割り)

2018.9.26(水) タイ日記(2日目)

チェンライの朝の空気は澄んでいる。このホテルには広い庭にランナー様式を模したいくつかの棟があり、そのうちの、僕は客のほとんどいない旧館に泊まっている。団体客は新館に案内をされているらしく、だからとても静かだ。

部屋のベランダから目と鼻の先の食堂棟の様子をそれとなく覗っていると、きのうからの団体客は、7時30分に大型バスに乗り込み去った。それを見届けてから、朝食を摂るため、その食堂棟に降りていく。

きのうの日記は9時までに完成させようと考えていたが、10時までかかってしまった。移動日の日記は、どうしても長くなるのだ。そしてようやく街に出て、先ずは馴染みの床屋で髪と髭を短く刈ってもらう。料金は、顔剃りと洗髪を含めて210バーツだった。

エジソンデパートのはす向かいに新しいカフェができ、そこでは自転車の貸し出しもしていることを、きのう街歩きの最中で知った。若い女の子に「2、3時間」と伝えて料金を訊くと、60バーツとのことだった。真新しく整備の行き届いた自転車であれば、その値段は妥当だろう。

ハンドルの前の籠に、気に入ったタイパンツと日本から持参した生地、そしてきのう旅行社の親切なオネーサンに書いてもらったタイ語によるメモを入れて、旧時計塔横の市場の前に自転車を停める。

きのう人のいなかった仕立屋には、男の老人と中年の女の人がいた。老人にタイ語のメモを手渡す。老人は老眼鏡をかけて、そのメモをゆっくりと読んでいく。そして女の人に二言三言なにかを言う。女の人は黙って首を横に振る。ここもまた、実は仕立屋ではなく、修理専門の店だったのだろうか。

老人は、きのう2度3度と歩いた、肉売り場を突っ切る通路まで僕を連れて行き、反対の方を指さした。そこはきのう、布地屋の、インド系のあるじが「仕立屋はそちらの方にある」と教えてくれたあたりだ。きのうは足を踏み入れなかった通路まで入ってみると、ミシンを置いた店があった。ふたりいたうちのひとりのオバサンにメモを差し出すと、オバサンは店主らしい、もうひとりのオバサンにメモの内容を伝えた。それを耳にしたオバサンはやはり、首を横に振る。もはやこれまで。

“OVERBROOK HOSPITAL”のちかくに、スーツやドレスを誂える店のあることは知っている。しかしそのような店ならバンコクにもある。タイパンツの仕立てについては、バンコク在住の同級生コモトリケー君に頼ることを決め、一旦、ホテルに戻ってコモトリ君にその旨を記したメールを送る。

次はラオカーオだ。僕の最も好きなラオカーオは”BANGYIKHAN”だ。3月にフアヒンのテスコロータスで2本を買い、今回は500ccのペットボトルに入れて持参したそれは、明日にも尽きるだろう。そして目抜き通りの酒屋に、きのうこの酒は無かった。

ホテルから自転車をこぎ出し、パホンヨーティン通りを一路、南下する。しばらく走ればチェンマイまで延びる幹線道路沿いに巨大なスーパーマーケット”Big C”の看板が見えてくるだろう、そう考えてペダルを踏むも、目指す”Big C”の文字はなかなか現れない。「あまり深追いをすると、帰ってこられなくなるぞ」と、山で遊んでいたころ身につけた赤信号が脳に点灯する。しかし遂に、”Big C”ではなかったものの、タイ人は「センターン」と鼻に抜けるように発音する”Central Plaza”の看板が見えてきた。

その看板にはまた”Tops”の文字もある。”Tops”はタイ人が「ロータッ」と発音する”Tesco Lotus”や”Big C”よりも高級に寄った品揃えで、ラオカーオは置いていない可能性が高い。しかしここまで来たなら行ってみよう。駐輪場に駐めた自転車に鍵をかけ、首に巻いた麻のバスタオルで顔の汗を拭く。

「センターン」の中の”Tops”には、しかしやはり、ラオカーオは1種類しか置かれていなかった。またまた20分ほどもペダルをこぎ続けてホテルやバスターミナルのある旧市街の中心部まで戻り、次男とチェンライに来たとき見つけた小さな道を辿って花市場に出る。そしてそこの、これまた行きつけのイサーン料理屋でトムセーップを頼む。

5年前に家内と来たときには、いまだ子供のようだった女の子が、今は立派に調理場を仕切っている。そのオネーサンが、僕に何ごとか声をかける。多分、米は付けるかと訊いているのだろう。腹はそれほど減っていないので「マイカーオ(ゴハンは要らない)」と答える。すると今度はオネーサンの発する問いに「カオニャオ」という言葉が混じった。先ほどの僕の返事は間違っていたらしい。「マイカオニャオ(おこわは要らない)」と返す。オネーサンはまた、僕に分からないタイ語を発した。辛さについてのことと想像して「タマダークラップ(普通でお願いします)」と頼むと、オネーサンは得心した様子で鍋に向かった。

それにしても、部屋に出入りするたび40段の階段を上り下りし、小さいとはいえプールを何往復も泳ぎ、1日に何キロも歩き、そして今日は自転車を1時間以上もこぎ続けた。いつもの僕からすれば大した運動量だ。それに加えて生姜やレモングラスや唐辛子をたっぷり含むスープを飲んで大汗をかいている。チェンライでの休暇は、健康に良いことずくめのような気がする。

自転車をカフェに返却し、きのうの酒屋でラオカーオ”YEOWNGERN”を買う。30分ほど前に雷鳴の聞こえたときには、頭上には青空が広がっていたから、何も心配はしなかった。しかし気づくといつのまにか涼しい風が吹き始め、日の光はどこにも無い。

ホテルの裏口へと続く田舎道を歩くうち、大きな雨粒が落ちてくる。建築資材屋のトタン屋根は、その雨粒を受けて大きな音を立てている。すんでのところでホテルに戻る。そして水量の極端に少ないシャワーを浴びつつ「明日は休養に勉めよう」と決める。

プールサイドには15時30分に降りた。先ほどのにわか雨はまるで幻だったように、見上げる空はどこまでも青い。「タイパンツの仕立てはどうにかなるだろう」と、コモトリ君から電話が入る。そして17時まで本を読む。

ナイトバザールのフードコートは、きのうにくらべて静かだった。ホテルで330ccのペットボトルに入れ替えるラオカーオは、きのうも今日も、1度では飲みきれない。ホテルには、20時より前に戻った。いつ、どこにいても、早寝早起き、である。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼き、トーストとエスプレッソ
昼飯 花市場にあるイサーン料理屋のトムセーップ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのヤムママー、品書きには”ANGUS BEEF”と書いてあった牛串の照り焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2018.9.25(火) タイ日記( 1日目)

今夜の機材は新しく、照明はタイ航空のイメージカラーに合わせたか紫色で、バブル期の遙か以前に流行ったサパークラブを思わせた。通路を進むと、僕の席69Hは最後尾の通路側で、ほぼ言うことは無い。

00:37 “AIRBUS A350-900″を機材とする”TG661″は、定刻に17分おくれて離陸。
00:45 ベルト着用のサインが消えたため、椅子の背もたれを最大に倒してデパスとハルシオン各1錠を飲む。

04:05 機がかなり揺れている。というか、今夜は離陸の少し後からほぼずっと揺れ続けたような気がする。そのため眠りは浅い。
04:45 完全に目が覚める。周囲の乗客はすっかり寛いで、なにやら賑やかだ。
04:48 洗面所へ行くため靴を履こうとしているところに朝食の配膳が始まる。
05:10 3つ並びの席の真ん中の空席に食べ終えたお膳を置き、洗面所で歯を磨く。
05:22 ダナンの海岸線が近づきつつある。ここを過ぎればバンコクには1時間で着く。

“TG661″は、定刻より18分はやい日本時間06:32、タイ時間04:32にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:52 機から出て空港の通路を歩き始める。
04:54 国際線から国内線に乗り換えるためのパスポートコントロールに達する。
05:08 バンコクエアウェイズのカウンターでチェックインを完了。搭乗ゲートはA9。
04:14 パスポートコントロールを抜ける。
04:22 保安検査場を抜ける。

タイの空港の保安検査場では多く、靴を脱ぐことを要求される。靴を脱ぎ、靴下で床に立つと、床の汚れが靴下に付き、その汚れは靴の中底に付く。それが嫌だから裸足になろうとすると「そこまでは…」と係が僕を制止する。”No problem”とか適当に答えつつ靴下を脱ぐ。裸足になれば、床の汚れは足の裏に付く。しかしこのときの足の裏の汚れは、後に履く靴下の内側を汚すのみで、靴の中底は汚さない。僕が更に神経質であれば、専用のゴム草履を用意するところだが、そこまでは流石にしない。

指定されたA9ゲートに向かう途中、バンコクエアウェイズのラウンジが左手に現れる。同社のボーディングパスさえ持っていれば、誰でも入れるラウンジだ。ここの電源付きカウンターにコンピュータを開き、きのうタイ航空機に乗り込んでから現在までの日記を書く。このラウンジのwifiは、羽田空港のそれより格段に速い。

コンコースのトイレを使い、ラウンジに戻ると、入口のオネーサンが僕のボーディングパスを見て「もう搭乗が始まってますよ」と言う。そこに記されている搭乗所時刻は06:45。現在時刻はいまだ5時台。「せっかちもいいところじゃねぇか」と、今度はカウンターではなくソファに落ち着き、エスプレッソを飲む。

いよいよ席を立ってA9の搭乗口を目指す。通路を突き当たりまで進むと、しかしそこはA6だった。スワンナプーム空港で困ったことが起きたときには、薄紫色の上着を着た、タイ航空の職員を頼るべし。ちょうど前から近づいて来たオバチャンに「A9って、どこですか」とボーディングパスを見せると「オーッ」とオバチャンは一瞬、眉間に皺を寄せてから「一旦、A1ゲートまで戻ります。そこを左に折れて、下の階に降りてください」と、もと来た方を指した。それにしても、オバチャンが眉間に寄せた皺の意味は何だったのだろう。

オバチャンの説明は的確だった。A9ゲートに足を踏み入れるか入れないかのところで係らしきオネーサンが近づいてくる。そのオネーサンにボーディングパスを見せる。オネーサンは即、僕をカウンターに案内する。カウンターの係はパスのバーコードを読み取り、外に停まっているワゴン車まで僕を連れて行ってくれた。ワゴン車には僕のほかにもうひとり、中年の男が乗った。ワゴン車は間もなく走り出し、飛行機の下まで我々を運んだ。搭乗者名簿を手にしたオネーサンが外からワゴン車のドアを開けてくれる。僕はザックを背負ってタラップを昇り、機内へと入る。

古くて小さな飛行機の座席に着くと、気分はようやく落ち着いた。それにしても、なぜ皆、それほど急ぐのか。念のため、iPhoneの時刻表示と腕時計を確かめてみる。iPhoneが示すバンコク時間は7時19分、腕時計のそれは6時19分。バンコクに着いて2時間遅らせるべき時計の針を、僕は誤って3時間も遅らせていたのだ。バンコクエアウェイズの係は、よくもまぁ、僕を待っていてくれたものだ。

“AIRBUS A320″を機材とする”PG231″は、定刻に12分おくれて07:37に離陸した。雲の上を1時間ほども飛べば、タイも最北部に達する。眼下に「常春の国」は晴れている。機は定刻より10分はやい08:45にメイファールン国際空港に着陸をした。

タラップを降りて徒歩で空港ビルに入る。乗客たちに混じって通路を往くと、僕の胸の”BAGGAGE CLAIM”のシールに気づいた、唇にピンク色の紅を差したオニーサンに声をかけられる。同じように呼び止められたオバチャンとふたりでオニーサンの後に着いていく。見慣れた回転台には驚くべし、既にして僕のスーツケースが回っていた。国際線からこの国内線に乗り換えた乗客は、どうやら僕とオバチャンのふたりだけだったらしい。

チェンライでいつも泊まる”Dusit Island Resort”に部屋を確保できなかった事情については、7月4日の日記に書いた。はじめて泊まる”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”を、空港を出てすぐ左側にあるタクシー申込所のオネーサンは即、理解して運転手を呼んだ。運転手は僕のスーツケースをタクシーの際まで運び、丁寧な手つきでトランクに収めた。

ホテルには20分ほどで着いた。運転手には50バーツのチップを手渡した。レセプションのある建物からオニーチャンが出てきて僕のスーツケースを持つ。チェックインが済むと、オニーチャンはそのスーツケースを最上階の3階まで運び上げてくれた。このホテルにエレベータは無い。このオニーチャンにも50バーツのチップを手渡す。

部屋は予約時に指定したとおり3階の角部屋だった。デスクの真ん中に置かれたパナソニック製のテレビを持ち上げると意外に軽い。よってこれを箪笥の上に片付ける。4つもある枕は、そのうちの3つを部屋の隅のソファに重ねる。素早く部屋を、自分ごのみのそれに変えていく。

さて今回、僕は木綿と麻の混紡の、紺色の生地を持参した。手持ちのタイパンツは4本。そのうち特に形の気に入っている1本が、この5年間の使用により古びてきた。持参した生地は、この1本とまったくおなじものを、チェンライのどこかで作ってもらうためのものである。

その生地と見本のタイパンツをプラスティックの手提げ袋に入れて街に出る。そして馴染みの旅行社で、バンコクに移動する日のタクシーを予約する。その際、係のオネーサンに、この街でタイパンツを作ることについて話す。色の黒い、愛嬌のある顔つきのオネーサンは、僕の望むことを紙にタイ語で書いて、手渡してくれた。大いに有り難し。

タイの田舎の街は、その中心に時計塔を持つ例が少なくない。旧時計塔の横の市場まで歩いて仕立屋を探す。しかしどうにも見つからない。生地のほかに糸なども売る大きめの店に入ると「何かお探しですか」とでも言っているのだろうか、インド系のあるじに声をかけられた。仕立屋を探していると答えると、紙に何やら書いてそれを僕に手渡し「この先で、この紙を見せれば、誰かが教えてくれる」というようなことなのだろう、なにか説明しつつ通路の先を指で示した。

教わった通り、すこし先の、Tシャツなどを売る店のオバサンにそれを見せると、はす向かいの、調味料などを売るオバサンに何ごとか訊く。オバサンはもと来た方を指して「サイムー」と言う。「サイ」は「左」の意味だが「ムー」とは何だろう。

教わったあたりの、やはり布地を売る店の、耳たぶにピアスをした静かなオニーサンに先ほどのメモを見せる。オニーサンは腰掛けから立ち上がり、市場の中心部の、肉や魚を売る場所を横切り始めた。「そっちじゃないと思うけど」などとは言えない、そのまま着いていくと、市場の屋根の尽きるあたりに、異なる種類の3台のミシンを備えた店があった。礼を述べるとオニーサンは特に表情は変えず、自分の店の方へときびすを返した。

その仕立屋には、しかし人はいない。昼食中なのだろうか。当方の旅は、そう急ぐものでもない。わら半紙に青いインクの判を捺した名刺を箱から取り、出直すことにする。

既にして1時間以上も歩き続けている。腹も減っている。いま食べたいのは、何といってもバミーナムニャオだ。市場からホテルに戻る道すがら、ジェッヨッ通りの通い慣れた店に入る。今日のバミーナムニャオは、昨年のそれより隨分と辛い。気温はそう高くないものの、噴き出る汗が止まらない。ホテルに帰ると即、本日2回目のシャワーを浴びた。

プールサイドに降りたのは13時28分。本を読む合間に25メートルほどのプールを6往復する。やがて日差しが弱まって、涼しい風が吹き始める。部屋に戻って本日3度目のシャワーを浴びる。

行きつけのマッサージ屋”PAI”は、ホテルの裏口を出て西に真っ直ぐ歩けば、その道がパホンヨーティン通りと交わる左手前の角にある。そのガラス戸を押し、脚と肩のマッサージを頼む。係は馴染みのジェップさん。1時間のマッサージが終盤にさしかかるころ、テレビに国王賛歌が流れ始める。時刻は18時、ということだ。マッサージ代はバンコクでのそれより隨分と安い200バーツ。ジェップさんには50バーツのチップを手渡す。

“PAI”を出て、この街の目抜きであるパホンヨーティン通りを北上する。間もなく右手にナイトバザールの入口が見えてくる。この街での夕食は大抵、ナイトバザールの奥の、野天のフードコートで摂る。いつものオバサンの姿は見えなかったから、それがオバサンの店かどうかは確かめられなかったけれど、とにかくチムジュムを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。その楽しさ、気楽さは、何とも喩えようがない。

ホテルに戻る道の真正面に、大きな月が見えている。今夜は十六夜だったかも知れない。


朝飯 “TG661″の機内食、“PG231″の機内食
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、3月にフアヒンのテスコロータスで買った残りのラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2018.9.24(月) 空港へは何時に

04:35 起床
04:51 仏壇に花と水とお茶と線香を供える。
04:56 きのうまでの衣類や今朝まで着ていたパジャマなどを洗濯機に入れて回す。
05:14 きのう書いたおとといの日記を「公開」にする。
05:56 きのうの日記を書いて「下書きとして保存」にする。

06:03 東の空の雲の隙間から、やおら、太陽が現れる。
06:10 朝食の準備を始める。
06:48 朝食を食べ終える。
06:50 食器を洗い、シンクを排水口まで掃除し、レンジ周りはアルコールで拭く。
07:10 店舗に降りて冷蔵ショーケースの覆いを外し、シャッターを上げる。

07:28 おとといの朝食を会社のfacebookページに上げる。
07:35 道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場を拭き、本日の納品数を決める。
08:10 定時に5分さきがけて店を開ける。
08:50 道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日1回目の納品をする。
11:20 タイに持参する辛ひしお1Kgをフクダナオブミ製造顧問に詰めてもらう。

13:45 外食にしようと考えていた昼食を、思い直して自宅で摂る。
14:15 タイに持参する荷物の最後の確認をする。
14:43 道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日2回目の納品をする。
14:58 如来寺のお墓へ行き、20日に供えた花を片づけて、花立ても洗う。
16:02 製造係のイトーカズナリ君と、あした蔵出しする商品の数を決める。

16:08 きのうの日記を「公開」にする。
16:17 きのうの朝食を会社のfacebookページに上げる。
18:00 閉店。
18:18 キャッシュレジスターを締め、売り上げ金を金庫に仕舞う。
18:27 4階の自宅に戻り、朝から用意しておいた服に急いで着替える。

18:39 長男の運転するホンダフィットで東武日光線の下今市駅まで送ってもらう。
19:00 定刻に3分遅れて特急スペーシアが下今市駅を発車。
20:49 定刻に4分おくれて特急スペーシアが浅草駅に到着。
20:01 都営浅草線の車両が浅草駅を発車。
21:44 都営浅草線の車両が羽田空港国際線ターミナル駅に到着。

21:57 タイ航空のカウンターでチェックインを完了。
22:05 待機人数19人、待ち時間80分で、シャワーを諦める。
22:13 保安検査場を通過。
22:16 パスポートコントロールを通過。
22:34 夕食。

23:07 105番ゲートに達する。
23:11 サイフから日本円を出して封筒に収め、別の封筒から1,650バーツを財布に移す。
23:40 搭乗開始。
23:42 今日の日記を完成させて「公開」にする。
23:44 今日の朝食を会社のfacebookページに上げる。


朝飯 納豆、「みょうがのたまり漬」を薬味に「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた冷や奴、生玉子、じゃこ、明太子、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 トースト、トマトとキャベツのサラダ、牛乳
晩飯 「魚がし日本一TOKYO SKY KITCHEN店」のばってら鮨

2018.9.23(日) 筆の先も乾かないうちに

家内の作り置いた常備菜は、家内が新宿タカシマヤに8日間の出張をしているあいだに、ほぼ枯渇した。その家内は19日の水曜日に帰宅し、翌20日の夜に成田空港へと向かって去った。以降の朝食は、冷蔵にあるちまちまとしたものを、おかずにしている。おかずが冷たくても、ごはんが温かく、味噌汁が熱ければ、不満は全く感じない。

今朝のごはんは、隨分と地味なものになった。まるで、あるとき銀座で入った小料理屋で、近くに住むらしいお婆さんが食べていた夕食のような風情だ。しかし僕も齢62に達したことを考えれば、食事はこのくらい簡素な方が良いのかも知れない。

このところ続いていた雨は、ようやく止んだ。午前の早い時間から空は晴れ始め、気温も上がった。そのこともあってかどうかは不明ながら、今日は多くのお客様に恵まれた。有り難い限りだ。

店舗入口右側の季節の書は、先々週に「鬼灯」から「秋惜」に掛けかえた。惜しむべき秋は、いつごろまで続くだろう。

「食事はこのくらい簡素な方が良いのかも知れない」などと書いた舌の根も、否、筆の先も乾かない夜にはソーセージやミートローフをフライパンで焼き、それらを肴に白ワインを飲む。


朝飯 「みょうがのたまり漬」を薬味に「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた冷や奴、じゃこ、明太子、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 刻みキャベツと生のトマトを添えた焼きソーセージとミートローフ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2018.9.22(土) 人を一発で納得させる言葉

以前は、きのうの日記を今日の昼ごろにウェブに上げていた。このところは、おとといの日記を今日の早朝に上げることが多い。今朝は、やはりおととの日記を書いて「公開」ボタンをクリックし、続いてきのうの日記を書き上げた。これからの3日間は特に、日記を遅らせるわけにはいかない。

来週月曜日の夜は羽田空港へ行く。翌朝はタイの最北部に着いている。現地のwifi事情によっては日記の公開が遅れる。よって月曜日の日記は当日のうちに、見える形にしておきたい。そのような理由から、日記は遅らせたくないのだ。

「誰が読むでもない日記にそれほど気を遣うことがあるか」と問われれば「趣味だから」としか答えようは無い。

ところでこの「趣味ですから」は、なかなか便利な言葉だ。以前、ダイエットを宣言しながら一向に痩せない人が、SNS上でやんわりとからかわれていた。からかわれた当人は「ダイエットは趣味ですから」と、笑い混じりに返していた。なるほど痩せようとする行為そのものが趣味であれば、たとえ痩せなくても、誰に責められるものではない。

その「趣味ですから」に似た言葉を数ヶ月前に聞いた。その人は敏腕の経営者で、繁盛店をいくつも作る。しかしそれに飽き足らず、難しい条件の下に新しい店を開いて塗炭の苦しみを味わっていた。「儲かっている店がいくつもあるのに、どうしてそんなことをするんですか」と訊いた僕に対する答えが「ビョーキっすねぇ」だった。「あ、ビョーキじゃしょうがねぇ」と、僕は納得をしたものだ。


朝飯 納豆、生玉子、明太子、みょうがのたまり漬、すぐき、メシ、トマトと小松菜と若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 アオキマチコさんにもらった「趣味の店」の3種のフライ、刻みキャベツ、チューハイ

2018.9.21(金) 「温め酒」は秋10月の季語

きのうの夜は閉店前に会社に戻り、社員とのミーティングをこなした。3台のキャッシュレジスターは、そのうちの2台が既にして締められていたため、売上げの計算は、割と早く終わった。そして19時30分に、家内を下今市駅に送った。家内は今日から1週間ほどインドネシアへ行く。中々の忙しさである。

そして今朝は、長男が関西へと向かった。家内も長男もいなければ、僕はひとりで夕食を摂る。きのうの昼の恨みを晴らすわけではないけれど、卓上には日本酒に合いそうなものばかりを並べた。

ところでバンコクでは、2年ほど前から路上の屋台が排除されつつある。屋台は、そこに住む人たちには便利、旅行者にとってはまことに風趣を感じるものながら、中には歩道を占有して人は車道を歩かざるを得ないようなところもあるから、当局の方針も、分からないではない。あるいはまた、裏にはそれ以外の事情もあるのだろう。

屋台街の中でも、トンローsoi38のそれを失ったことは特に痛い。トンローはバンコク中心部の東側に寄ったところで、そこまで足を延ばす機会が僕には無かった。おととし始まったバンコクMGの会場はトンローで、以降、年に一度はトンローで数日を過ごせるものの、失ったものは戻ってこない。

それはさておきそのトンローでおととし、昼日中も内側から鍵をかけっぱなしの骨董屋を見つけた。良いものばかりを扱っていることはガラス越しにも分かる。その骨董屋で僕は、磁器の高台に目を付けた。「清代最後期のもの」と店の人は口を添えてくれたが、そのようなことはどうでも良い。

いま、その器はらっきょうを食べるときの専用として使っている。日光の畑で収穫してひと月も経たないうちに蔵出しする「夏太郎」とは味わいの異なる今夜の塩らっきょうは、今月末にも売り切れるかも知れない。


朝飯 塩鮭、納豆、生玉子、すぐき、明太子、みょうがのたまり漬、メシ、小松菜と若布の味噌汁
昼飯 「成喜」の広東麺
晩飯 ウルメイワシの網焼き、納豆、トマトと胡瓜のサラダ、塩らっきょう、明太子、穴子の佃煮、「浅舞酒造」の「天の戸夏田冬蔵純米吟醸」(燗)

2018.9.20(木) 食べたい気持ちには逆らわない

所用により下今市11:35発の上り特急スペーシアに乗る。東武日光線に限らず、乗り物の席に着き、1時間を超える移動をするときにはいつも、心がとても落ち着く。

終点の浅草に着き、大階段を降りて地下鉄銀座線の乗り場を目指す。途中左手の、何十年もなじんだキヨスクが両替所に模様替えをされている。張り紙には「9月10日にオープンの予定でしたが…」というようなことが書いてある。両替所の面積は、隨分と小さい。ここに人が入るのだろうか。浅草の治安が悪いとは言わないけれど、裏手の通用口からの、毎日の現金の出し入れにはかなり神経を遣いそうだ。

ところでいつもなら小麦粉による麺を好む僕が、今日は珍しく蕎麦を欲している。よって銀座線を神田で降り、すこし歩いてむかしからある蕎麦屋に入る。店内は、ほぼ満員。相席でも構わないかと女店員に訊かれて「もちろん」と答える。案内された席には僕より10歳ほど年長と思われるオジサンがいた。

オジサンの日本酒は常温。肴は銀杏。オジサンは次に飛竜頭を注文した。なかなか渋い。それとなく観察をしている僕も酒は好む。しかし昼の酒はほとんど飲まない。昼には昼の楽しみがあって、酔うと、それを充分に味わうことができなくなるからだ。まして今日は仕事も控えている。

新日本橋から錦糸町を経て北千住に戻ると時刻は14時55分。15:12発の下り特急に間に合う時間ではあるけれど「すこしゆっくりしても良いよな」と自分に許可を与え、駅の中の喫茶店に入って本を開く。

16:12発の下り特急スペーシアが下今市に近づく。雨の勢いは弱くない。時刻は17時38分。この時間は閉店を控えて忙しく、誰かに迎えを頼む気にはなれない。持参したウインドブレーカーを着て駐輪場から自転車を乗り出し、夕刻の日光街道を遡上する。


朝飯 小松菜のおひたし、納豆、生のトマトを添えたベーコンエッグ、明太子、塩鮭、みょうがのたまり漬、メシ、浅蜊と小松菜の味噌汁
昼飯 「室町砂場」の天ぷら蕎麦
晩飯 ジャガイモとケールとホタテ貝と蛸のサラダ、2種のパン、牛タンのオムレツ、鱈子とにんにくのスパゲティ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、レーズンウィッチ、”Old Parr”(生)

2018.9.19(水) この1週間の不思議

先週火曜日の準備日から数えれば、8日のあいだ新宿タカシマヤに出張をしていた家内と長男が午後一番で戻ってきた。この1週間は、本店でも新宿タカシマヤでも、どうにも理解しかねる好調が続いた。

タカシマヤに送り込む商品は、過去の記録を元に計画を立て、その数を記した一覧表が、事務室と製造現場に置かれる。2005年に親父が亡くなって以降、このような催しには出ずに留守を守る僕は、毎日、長男から入る連絡によりその一覧表の数字を書き換え、製造現場に走る。

今回は、来る日も来る日も追加、追加の連続で、しまいには商品だけでなく、包装資材などの用度品まで足りなくなって送ることになった。

お得意様、僕や家内や長男の友人、またSNSをご覧になってご来場くださった方々はもちろんのこと、当方の想像の及ばない理由によりお買い上げくださった方が、たくさんいらっしゃったものと思われる。厚く御礼を申し上げます。

今回の数字は精密に記録し、現在の繁忙が去ったらそれを分析し、またいくつか浮かび上がった反省点は忘れることなく、次回2月の日本橋タカシマヤでの販売に活かしていきたい。


朝飯 酢蓮、塩鮭、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、細切り人参の炒り煮、じゃこ、みょうがのたまり漬、メシ、大根とピーマンの味噌汁
昼飯 じゃこと胡瓜の汁無しうどん
晩飯 白海老とあれこれの野菜のサラダ、2種のパン、揚げパン、人参とズッキーニのスープ煮と安納芋を添えた茹で牛タン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、チョコレートケーキ、”Old Parr”(生)

2018.9.18(火) 虫の声

深夜と明け方のあいだに起きて食堂に来て、先ずは角部屋の、南東に向いた窓を開ける。次に南西に向いた窓を開ける。すると地面から虫の声が聞こえてくる。僕は森羅万象、あらゆることに無知だから、その声がどのような種類の虫から発せられているかについては分からない。そして、夜と朝のあいだの湿り気を帯びた空気の中に身を置きながら、暖房も冷房も必要としない、いまの気温を不思議に思う。

僕が高等学校に通っていたころは、東京にいても、10月の上旬を過ぎるころには吐く息が白くなった。ということは、暖房は10月には必要になって、多分、4月の上旬までは使うと思う。6月には冷房が必要になって、今年は9月の上旬まで使っていた。つまり、暖冷房を使わずに済む期間は、年間で実に、1、2ヶ月しか無いということになる。そういう事実があるからこそ現在の、暑くもなく寒くもない気温を不思議に感じるのだろう。

ことし満91歳を迎えたというニイチさんが昼前に大量の茗荷を持って来て「これで終わりだ」と言った。今日は少し時間があったので、ニイチさんと外のベンチでしばらく話をした。自分の家系で90歳を超えられたのは、自分と奥さんが初めてだという。その長寿には、今の便利な暮らしが大きく働いていることは疑いようもない。

「来年も元気で、また茗荷、持って来てください」と、ニイチさんを送り出す。ニイチさんは買ったばかりの軽トラックを国道121号線に乗り出し、南西の方面へと去った。


朝飯 酢蓮、じゃこ、塩鮭、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、細切り人参の炒り煮、秋刀魚の梅煮、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐とズッキーニの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「大昌園」の並カルビ、子袋とホルモン、もやしナムル、テグタンラーメン、麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)

2018.9.17(月) 秋もなかば

「5連休より3連休ふたつの方が、道は混みづらいのではないか。何となく、嬉しい」と日記に書いたのは、さきおととい15日のことだ。道が混むとなぜ嬉しくないか、それは、折角の休みを利用して日光に来て下さった観光客に多くの落胆をもたらすからだ。「遊びなどは、混雑を避けてすべきだ」という意見もあるだろう。しかし「こんなときにしか休めない」という人が多く存在するからこその混雑でもある。

18時の閉店を前にして、店の中から正面の、南東の空を見る。その空は、ここ数ヶ月のあいだ見慣れた明るいものではなく、すっかり暗くなっていて驚いた。考えてみれば、夏至から既にして3ヶ月が経とうとしているのだ。夕刻の空の、紺と黒のあいだの色も「むべなるかな」である。

販売係のハセガワタツヤ君に手伝ってもらいつつ3台のキャッシュレジスターを締める。売り上げ金を金庫に収めると18時25分。それから電子卓上計算機のキーボードを叩き、この3日間の売上げは、昨年のそれに較べて3割以上も高かったことを知る。


朝飯 酢蓮、じゃこ、塩鮭、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、秋刀魚の梅煮、細切り人参の炒り煮、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐と胡瓜の味噌汁
昼飯 大葉と白胡麻の汁なしうどん
晩飯 トマトサラダ、ハムカツ、メンチカツ、チューハイ

2018.9.16(日) 上町のヨミはカミチョウ

満70歳以上の先輩方に対して、我が春日町1丁目は敬老の日に金一封をお渡ししている。その名簿は、複数の地区委員長が中央、東、西の各組に回覧板を回し、その結果を自治会長に戻す、それが元になっている。

自治会員により記入された数十枚の紙は、おととい自治会長から会計係の僕に届けられた。その内容を1名ずつ確かめつつコンピュータに入力する。「入力する」とはいえ、入れるのは新たに70歳になった方々のみだから、大した手間ではない。

「祝敬老の日 春日町一丁目自治会」と判を押された祝儀袋74枚は、今朝、無事に自治会長に手渡した。昨年の金銭出納帳を見返してみれば、これから年末にかけての万単位の出金は、僅々3度ほどしかない。秋から冬にかけては、町内会の活動が、しばらく静かになる季節でもある。

夜は洋食に飢えて、静かな日光街道を下る。春日町はむかし上町と呼ばれたそうで、確かに、何かをしようとすれば、ほとんどは、下るばかりである。


朝飯 塩鮭、酢蓮、細切り人参の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、秋刀魚の梅煮、ごぼうのたまり漬、生のトマト、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、ドライマーティニ、”TIO PEPE”

2018.9.15(土) 鍵を預ける

販売係のハセガワタツヤ君が出社をしたとこころで呼び止め、現在、新宿タカシマヤに出張中の家内と長男が帰るまで休みを取る予定の無いことを確認した上で、通用口の鍵を預ける。嫁は子供を連れて、明日から実家へ行く。そうすれば僕は家の中にひとりきりになる。そんなときに僕が急死でもしたら、朝、会社を開ける人間がいなくなってしまうからだ。笑いごとではない、学生時代の同級生40数名のうち、既にして5名が亡くなっている、そのうちの3名は急死である。

山で、高さわずか1メートルほどの崖から落ちて死んだ人がいる。歩道の縁を踏み外して地面に頭を打ち付け、死んだ人もいる。人は案外、簡単に死ぬのだ。

それはさておき、世間では今日からシルバーウィークに突入する。2015年は、この期間に土曜日も含めれば5連休があった。今年はやはり土曜日を含めれば、3連休がふたつ来る。5連休より3連休ふたつの方が、道は混みづらいのではないか。何となく、嬉しい。


朝飯 納豆、生玉子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、秋刀魚の梅煮、細切り人参の炒り煮、みょうがのたまり漬、酢蓮、メシ、刺身湯波と茗荷の味噌汁
昼飯 カレーうどん
晩飯 トマトサラダ、揚げだしたぐり湯波、煮込み、チューハイ

2018.9.14(金) 夏が終わったと思ったら

夏が終わったと思ったら、もう年末の準備である。

年末の贈答の季節を前に、お得意様にはご案内の資料をお送りしている。そのお送り先は今月の11日までに特定するよう、事務係のカワタユキさんには頼まれていた。しかし諸般の事情から遅れ、ようやく今早朝に時間を空けることができた。

お客様名簿から資料のお送り先を特定する、という仕事は、多くの会社では出来合いのソフトを使って為されているものと思われる。しかし僕は僕の考えに基づいて、自分の組み上げた手順に従って、いわば手動のようなかたちで行っていく。この作業には非常な精密さが要求されるため、いきなり電話が鳴ったり、あるいはいきなり人の来る環境ではできない。それゆえの「早朝」である。

今年、夏の贈答に向けて春にこの仕事をしたときの所要時間は、記録によれば20分とあった。今朝は21分を要した。春に引き続き、なかなかの能率だった。資料は、10月の末にはお得意様のお手元に届く予定である。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、細切り人参の炒り煮、胡瓜のぬか漬け、塩らっきょう、みょうがのたまり漬、塩鮭、じゃこ、昆布の佃煮によるお茶漬け
昼飯 うどん
晩飯 塩らっきょう、冷やしトマト、煮込み、チューハイ

2018.9.13(木) 懐かしさと待ち遠しさと

仏壇に供える花として、ここ数ヶ月ほどは、白い菊を選んでいる。こういっては身もふたも無いかも知れないけれど、菊は保ちが良いからだ。ところが夏が来て気温が上がると、どうも様子が違ってきた。葉が水を上げず、花を開かないまま萎れることが多くなったのだ。花屋は玄人とし良質の品物を仕入れ、それを売っているはずだから、花そのものに問題があるわけではない。すべては気温のせいだと思う。

いま仏壇に上がっている白菊は、先週までのそれとくらべると、見違えるほど元気だ。その理由はこれまたすべて、気温にあるのではないか。

きのうの夜、外へ出ていくときには数ヶ月ぶりに、半袖のポロシャツの上に長袖のTシャツを着た。それほど急激な、気温の下がりぶりである。

仏壇の花の保ちが良くなったことは喜ばしい。しかし夏が既にして去ってしまったと認めることはいささか辛い。今年の猛暑が懐かしく、来年の熱風が待ち遠しくなるほどの、今週の涼しさである。


朝飯 細切り人参の炒り煮、冬瓜と豚三枚肉の淡味炊き、秋刀魚の梅煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、酢蓮、メシ、刺身湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 冷やしうどん
晩飯 酢蓮、胡瓜のぬか漬け、塩らっきょう、秋刀魚の梅煮、冬瓜と豚三枚肉の淡味炊き、刺身湯波の鶏そぼろ煮、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)

2018.9.12(水) 見えないところの掃除

明日の13日から来週の18日まで、新宿タカシマヤ11階催事場で開かれる「美味コレクション」の準備のため、長男と販売係のミヤタマユミさんは三菱デリカで10時すぎに出発をした。一方、家内は下今市11:02発の上り特急で新宿を目指す。こちらの方は、僕が駅までホンダフィットで送り届けた。というわけで、僕は今日から19日の朝までひとり暮らしである。

ところでウチでは年に1度、東京から専門の業者を呼んで、店の冷蔵ショーケースを掃除してもらう。この作業には特殊な技術や道具が必要なため、自前ではどうにもならないのだ。

終業の18時と同時に販売係のハセガワタツヤ君を助けるべく、製造係の3名が店に来て、ショーケースの品を次々と専用の容器に入れ、台車に載せて製造現場の冷蔵庫へと運ぶ。それと時を同じくして、既にして着いていた業者3名が店に入り、先ずは床にブルーシートを敷く。

冷蔵ショーケースの掃除は2時間で完了した。夕食の用意をしているひまは無いため、4階に上がって仏壇の花やお茶や水を片付けると即、1階へ降りて外へ出る。そして日光街道を下る。


朝飯 冬瓜と豚三枚肉の淡味炊き、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、人参の炒りつけ、みょうがのたまり漬、塩鮭、酢蓮、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しのポテトサラダ、ピータン、あんかけ焼きそば、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)

2018.9.11(火) 秋がひとつ

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」にあるウチの売り場は、これまで、平形の冷蔵ショーケースに様々な形のお盆を置き、そこに商品を盛るかたちで、この3年を経てきた。ところがこのところは諸方から様々なご意見をいただくことが多く、その結果、与えていただいた場所にはくまなく商品を置くこととした。専用の台は、ウチとは100年以上の付き合いがある建具屋のオタニさんに注文をした。

その台が完成して、今朝は「ニコニコ本陣」の通用口に、7時30分におもむいた。オタニさんのトラックは既に着いていた。そして長男との3人で、その台をショーケースに設置し、商品を収めてみた。その結果、売り場は見違えるほど良くなった。「なぜ3年ものあいだ、これをしなかったかなぁ」と、すこし後悔をした。当方の、知識の少なさが原因である。今日からはこの売り場で、頑張らせていただこうと思う。

一方、今月の1日から始めたしその実の買い入れは、今日が最終日だった。しその実は、収穫後に放置をすると蒸れて黒変する。それを避けるため、農家から運ばれたそれは即、水に浸け、水槽を変えながら三度洗いをする。その水槽も、夕刻には製造係により片づけが始められた。僕にとっての秋が、ひとつ終わった気分である。


朝飯 細切り人参の炒り煮、納豆、スクランブルドエッグ、小松菜のおひたし、冬瓜と豚三枚肉の淡味炊き、酢蓮、みょうがのたまり漬、メシ、揚げ湯波とオクラの味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」の2種のサンドイッチ、牛乳
晩飯 ポテトサラダ、マカロニサラダ、パンあれこれ、ミートローフ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2018.9.10(月) 眼科の検診

10月の第3週に白内障の手術を受ける。それに先だって行う最後の検査を受けるため、埼玉県の七里まで朝のうちに行く。

子供のころ、海面下に隠れる堤防に素足で上り、右足の親指の付け根を、その堤防にこびりついた牡蠣の貝殻で切った。2針を縫う怪我だった。高校何年のときだったか、スキーをしながらリフト脇の藪に突っ込み、左のすねに骨の見えるほどの穴を開けた。スキー場の救護所で5針を縫われる怪我だった。大人になってから、右手の小指のささくれを歯で食いちぎったところ、ここが膿んで、切開をする羽目になった。

生まれてこのかた、目立つ怪我やからだにメスを入れられた経験は、その3回くらいしかない。そのこともあって、コンピュータに制御されたレーザー光線がいささかの狂いもなく自動的に切れ目を入れるとはいえ、その対象が眼球ともなれば、なにやら恐ろしい。それを告げると「目は誰でも怖いです」と、院長はこともなげに答えた。

眼科から手渡された手術に際しての心得には、術後6日間は禁酒と書いてある。火曜日に右目、金曜日に左目の手術が行われることからすれば、10日間は酒を飲めない。右目の手術の前日に酒を飲むことは差し支えないか、それについては聞き漏らしてしまった。しばらくしたら眼科に電話をして訊いてみようと思う。


朝飯 酢蓮、刻みオクラの鰹節かけ、小さなトマトのソテーを添えた目玉焼き、塩鮭、じゃこ、みょうがのたまり漬、メシ、揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 「エクセルシオールカフェ」の「パストラミビーフ&カマンベール ~大葉の香り~」、カフェラテ
晩飯 酢蓮、人参の炒り煮、「みょうがのたまり漬」を薬味にした冷や奴、冬瓜と豚三枚肉の淡味炊き、小松菜のおひたし、秋刀魚の塩焼き、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、栗の蜜煮

2018.9.9(日) きのうテレビに

いま代わる代わる穿いている2本の作業用のズボンは、来春までは保たないだろう、そう考えて、ユニクロ今市店へ行く。そしてこれまでとおなじもの3本を色違いで買う。色を違えるのは、順番に穿きまわすためである。そのユニクロの店内で、後ろから肩を叩かれた。振り返ると相手は街の顔見知りで「きのう、テレビ、観ましたよ」と声をかけてくれた。

今朝、目を覚ますと思いがけないところからショートメール2通が届いていた。facebookの方は、言わずもがなである。番組は8月11日の取材によるもので、そのときの顛末は日記にも書いた。

放送はきのうの夜だった。僕は朝食を除いては、食事中にテレビは観ない。きのうの夜は更に、外食をした。よってウチが紹介されるらしい番組は、きのう朝のうちに、ビデオに録画の設定をしておいた。

本日の日中に、それを家内が観ようとしたところ、しかし録画はされていなかったという。毎週なぜか録画されてしまう「酒場放浪記」でハードディスクが満杯になっていて、肝心な番組は、それにはじき出されてしまったのかも知れない。


朝飯 納豆、刻みオクラの鰹節かけ、ハムエッグ、「みょうがのたまり漬」を薬味にした冷や奴、胡瓜とツナのサラダ、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁、トマトとキウィの蜜煮
昼飯 ラーメン
晩飯 冷やしトマト、豆腐と若布の味噌汁、長芋の刻み、酢蓮を加えたコールスロー、鶏の唐揚げ、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、“Chez Akabane”のケーキ

2018.9.8(土) 防災訓練

おとといの日記が書けていないと焦燥する。それがきのうの朝は3日前の、火曜日の日記さえ書けていなかった。そこから追い込みをかけ、文字通りの朝飯前に、水曜日の日記の途中までを仕上げた。そして今朝は、きのう金曜日の日記まで書き上げた。

日記を書くとは、崩れやすい砂の斜面を登ることに似ている。休めばたちどころに足元は崩れ、擂り鉢の底へと流されていくのだ。

町内の催しとして、10時より「市縁ひろば」に消防署の人が来て、防災訓練が行われることになっていた。僕はそのことをポストイットに記して事務机の電子計算機に貼っておいたものの、うっかり忘れ、10分ほど遅れて現場に行った。

市縁ひろばには既にして、火災により建物内に充満した煙を体験するテント、および起震車が準備されていた。消防署員の説明に従って、先ずは煙体験ハウスの中に入ってみる。外から見ればそれほど大きくないテントだが、入って人の後に着いていくと、これがなかなか外に出られない。「今回の煙は無害ですが、できるだけ吸わないでください」と言われているから気は焦る。大きな火災現場では、逃げようとする人たちが将棋倒しになることも珍しくないのではないか。

起震車には、これは今日はじめて知ったことだが、過去にあった様々な地震の揺れ方が、あらかじめ組み込んであった。僕が乗り込んだときには関東大震災の揺れが再現されたが「なんだ、こんなものか」と、呆気にとられる程度の揺れ方だった。

次の組が起震車に乗り込むと、今度は関西淡路大震災の揺れが再現された。外で見ていた限りでは、それは一瞬、ドスンと動くだけの揺れ方だった。「たったこれだけで、高速道路があんなに倒れちゃうんですか」と訊くと「それが直下型地震です」と、ちかくにいた消防署員はきっぱりと答えた。

怖いのは、やはり本物の地震である。起震車を体験させていただいてこんなことを言っては申し訳ないけれど、起震車は、まぁ、遊園地のアトラクションのようなものだ。僕は既にして62年を生きてきた。本物の地震は、たとえそれが大きなものでなくても、本当に、怖い。


朝飯 塩鮭、納豆、スクランブルドエッグ、牛蒡と人参のきんぴら、米茄子の田楽、たまり漬「超うす切り大根」、メシ、若布と茗荷の味噌汁、トマトとキウィの蜜煮
昼飯 ラーメン
晩飯 “coco’s”のグリーンサラダ、ビーフハンバーグステーキダブル、カラフの赤ワイン

2018.9.7(金) 茗荷の買い入れ

「みょうがのたまり漬」は、ウチにしては比較的新しい商品で、その歴史はせいぜい30年くらいのものではなかったか。原材料はほとんど秋田県能代産のものを使ってきた。ところが能代の茗荷畑は平地にあるのだろうか、盆過ぎに大雨が降ると途端に出荷が止まり、あるいは高騰する。

「みょうがのたまり漬」は、店舗では冷蔵ショーケースの右端ちかくあって、目立つ商品ではない。しかし詳しく調べていくと、これをご愛用くださるお客様の決して少なくないことが分かる。そして前述ような不作により品切れが発生するたび「残念」の声が各方面から聞こえてくる。

そのため2012年からは、日光産の茗荷も原材料として扱うようにした。購入は市場を通じてではなく、農家から直接に、である。そしてその買い入れ量は多分、今日を境として急激に伸びていくはずだ。

茗荷は、持って来ていただければ持って来ていただいただけ、買わせていただく。今年はどれだけの茗荷を集めることができるだろう。今から楽しみな、原材料の調達である。


朝飯 刻みオクラの鰹節かけ、牛蒡と人参のきんぴら、納豆、ハムエッグ、たまり漬「超うす切り大根」、メシ、揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 枝豆のビシソワーズ風、「しいたけのたまりだき」の厚焼き玉子、らっきょうのたまり漬、蛸と刺身湯波のオクラすり流し、米茄子の日光味噌「梅太郎・赤味噌」による田楽、たまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき、牛肉のたまり漬焼き、夏の香味野菜と鶏挽き肉の素麺、トマトとキウィの蜜煮、「片山酒造」の「酒ケーキ」、5種の日本酒(冷や)

2018.9.6(木) 無事の帰還

きのうの早朝、いまだ布団の中にいるとき地震を感じた。「今のこの揺れが、一瞬の後にはとてつもなく大きなそれに変わるのではないか」という恐怖が、3.11の震災を経験して以降は更に強くなった。その、きのうの地震は幸いにもすぐに止んだ。しかし今未明に北海道で発生した震度7の地震は、未曾有の災害を現地にもたらしている。

一方、今週の初めに関西地方を襲った台風21号は、それに伴う高潮により関西空港を水没させ、陸地と空港島を結ぶ連絡橋にはタンカーが衝突して、その橋の片側は完全に破断されてしまった。個々の被害については枚挙のいとまもない。

一方、今朝の日本経済新聞の第1面におけるもっとも大きな活字は「働ける年齢 70歳に延長」だ。列島の各方面が呻吟をしている。「いま何をすべきか」という命題が、大きな黒い傘のように、日本全体を覆っている。2020年に開かれる東京オリンピックは、そんな日本の現代版「ええじゃないか」かも知れない。

それはさておき今朝は、日光MGに後泊をしてくださったタナカタカシさん、カワイリョージさん、カネヒラケンジさんの3名が朝、店にお寄りくださった。タナカさんのクルマは関西空港に預けてあるという。カワイさんは夕方の便で福岡にお帰りになる。タナカさんのクルマの無事なことを、またカワイさんのお乗りになる飛行機が予定通りに飛ぶことを、祈らずにはいられない。


朝飯 刻みオクラの鰹節かけ、牛蒡と人参のきんぴら、鮭の昆布巻き、納豆、たまり漬「超うすぎり大根」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 「みはと」の冷やし中華
晩飯 カレー南蛮鍋、マンゴーの酢漬け(バンコクMGから日光MGに直行してくださったタダマコトさんのタイ土産)、チューハイ

2018.9.5(水) 日光MG(2日目)

MG第4期の経営計画は、通常なら初日の夜に立てる。しかしきのうは進捗の遅れもあって、それは2日目の朝に移された。V字回復を果たさなければならない僕は179円の累積損を取り戻すべく、目指すべき経常利益が通常は50円のところ100円を目標に、固定費と商品の平均単価、そして販売数を決めた。

その第4期に上げた経常利益は、しかし僅々5円に留まった。製造ミスの特別損失があって、税引前当期利益は▲8円。自己資本は第3期末の121円からその分を下げて113円。「いよいよ窮地か」というところだが、第5期へ向けての準備は充分にできている。

シニアルールの説明は、ニシジュンイチロー先生の指名を受けて、バンコクMGの講師タナカタカシさんが務めた。他所でMGを指導する立場になっても尚、ニシ先生のMGを学びに来る。先生ご自身も、生徒に優れた意見があればそれを躊躇なく受け入れて、日々、MGを進化させていく。素晴らしいことだと思う。

第5期で心がけたのは、販売価格を28円に決めて動かさないこと。「青チップを4枚も持って、そんなに安く売るんですか」と同卓の誰かに言われたときには「うん、いいの」と答えた。売価をこの水準に保つと、僕のゲームはなぜか上手くいくのだ。

その第5期の損益分岐比率は74%で経常利益は149円。自己資本のグラフは鋭く上を向いた。しかし資本金の300円には達しない262円で、今回のMGを終える。

MGでは、来期への備えを規定以上に整えた上で、自己資本の高かった順に表彰をされる。勝った人が偉いという考えはMGには無いものの、勝敗はゲームに緊張と面白さを生む。

今回の最優秀経営者賞は、平成では最大と伝えられていた台風21号をものともせず福岡県から参加のカワイリョージさんで、到達自己資本は494円。優秀経営者賞は日光MGの会場「一心舘」の館主ヌマオマリこさんで、到達自己資本は487円。もうひとりの優秀経営者賞は、埼玉県から参加のイタダユージさんで、自己資本は472円。1位から3位までが22円以内にひしめく激戦だった。

番外は、今回で100期を達成した、東京から参加のナカムラマイコさん。「MGの記念日は日光で」と決めていただき、主催者としては、とても恐縮に感じた。おとといからの2日間が、ナカムラさんと、ナカムラさんがお勤めの会社のお役に立てれば幸いである。

鬼怒川温泉駅17:08発の上り特急にお乗りになるニシ先生ご夫妻は、一心舘の玄関でお見送りをさせていただいた。そして当方は、帰りの時間に余裕のある方々と数台のクルマに便乗して今市に戻る。

5期が完了しての交流会は、5.5期と呼び習わされている。ほとんどの方々は、その5.5期を以て駅へと向かわれた。一方、後泊の方々は店を移って飲酒活動は更に続く。僕はしばらくお付き合いをしていたものの、明朝の仕事が気になって中座をした。時刻は22時を過ぎていたかも知れない。


朝飯 「湯けむりまごころの宿・一心舘」の朝のお膳
昼飯 「湯けむりまごころの宿・一心舘」の昼のカレーライス、レタスと生ハムのサラダ、らっきょうのたまり漬
晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダ、ピザ、マカロニグラタン、他あれこれ、生ビール、ドライマーティニ、赤ワイン。「陶」の焼き餃子、焼き鳥各種、梅干しのおむすび、生ビール

2018.9.4(火) 日光MG(1日目)

元旦、1月の日光MG、そして9月の日光MGと、上澤梅太郎商店は年に5日間のおやすみをいただいている。それだけ休みが少ないと、完全無休と考えるお客様の少なくない。日光MGの朝はいつも、ウェブショップに注文をくださったお客様に、出荷日のご案内をメールでお送りすることから始まる。ロビーの照明は、6時になると同時に点いた。

参加者各自が自分の会社を持ち、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGの、今回の参加者は社員が24名、遠くは九州の人も含む社外からは19名の計43名だ。社員だけでするMGにも意味はある。しかし外から来てくださる方々があれば、学びは3倍にも4倍にもなる。感謝の念を禁じ得ない。

MGの第1期は、ルールの説明と共にMGの概略がニシジュンイチロー先生、ヨシエ先生により語られていく。その第1期の決算は、先ずは全部原価を用いて、次は直接原価を用いて行われる。MGを初めて経験する人、また初心者には初日の午前にいきなり訪れる胸突き八丁である。

昼食を終え、参加者全員による販売ルールの読み合わせを経て、いよいよ第2期が始まる。僕はこの期を損益分岐点比率104で無難に通過。

陥穽は第3期にあった。期末ちかくに営業所に大量の商品を積み上げたところで販売能力を高めるため、工場のワーカーを営業所にセールスマンとして配置転換。次に引いたのが「ワーカー退職」のリスクカード。ワーカーはその直前に動かしていたから「オレの予知能力も大したものだ」と鼻を高くすべきところ、なぜか動転して、営業所に移したばかりのセールスマンを退職させてしまった。

次のリスクカードは得意先倒産。ここで時間切れでゲーム終了。7個の販売を2回こなして計14個の商品を売る目論見は一気に崩れた。給料の支払いと長期借入金の1割を返済するために150円の短期借り入れ。一瞬にして債務超過。自己資本は期初の263円から一気に121円まで下がった。

夕食を挟んで「安い材料を買う人ほど儲からない」という、MG初日の夜には必ず行われる講義を経て本日の勉強は終了。席を移して30分後に始められた交流会の乾杯役は、大阪から参加のオータヒデカズさん。夜に弱い僕は、23時すぎまで頑張って入浴して就寝。明日はV字回復を実現させなければいけない。


朝飯 「湯けむりまごころの宿・一心舘」の朝のお膳
昼飯 「湯けむりまごころの宿・一心舘」の昼のお膳
晩飯 「湯けむりまごころの宿・一心舘」の夜のお膳

2018.9.3(月) 日光MG(前夜祭)

明日と明後日は社員全員が参加する研修により、会社は休みになる。それをお知らせするためのメールマガジンを、9時に発行する。本来であれば数日前に済ませておかなければならない仕事だったが、このところメールマガジンは長男に任せていたため、今朝になってようやく気づいたというお粗末である。

この、メールマガジンを発行する仕事は、中々に神経を使うものだ。内容に齟齬があってはお客様にご迷惑をおかけする。発行の際に落ち度があれば、お客様に対して失礼なことになる。ところがこの、中々に神経を使う仕事の最中にも、あれこれの雑事が飛び込んでくる。次からは余裕を以て、すべてを未明に行いたい。

秋に大粒の実の育つ茗荷の買い入れは、お盆過ぎから随時、受けつけている。しその実の方は、9月1日から買い入れ始めた。今日は先週までとは異なって、これを納品にくる近在の農家が少なくない。それは多分、週明けということが関係しているのだろう。

午後の遅い時間から続々と、社外から日光MGに参加してくださる方々が到着し始める。日光MGのすべての段取りは、数年前に長男に引き継いだから、僕はとても楽だ。閉店後は家内とキャッシュレジスターを締め、18時40分に会社を出る。

日光MGの会場としてお願いをしている鬼怒川温泉の「湯けむりまごころの宿・一心舘」には19時10分に着いた。そしてその10分後より、ニシジュンイチロー先生、ヨシエ先生はじめ全国からいらっしゃった方々と、交流のひとときを持つ。


朝飯 酢蓮、茄子と2色のピーマンの日光味噌「梅太郎・赤味噌」炒め、納豆、ほうれん草のおひたし、牛蒡と人参のきんぴら、厚焼き玉子、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、蜆と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「湯けむりまごころの宿・一心舘」のあれこれ、「片山酒造」の「ひやおろし純米吟醸生原酒」(冷や)、”PREDICADOR BODEGA CONTADOR BLANCO 2013″

2018.9.2(日) 英語教師の役割

今朝の下野新聞の第一面に、おばあちゃんの姉の孫が「使える英語 新調査に期待」と題するコラムを書いている。今回の内容は、おおむね以下。

中学3年生を対象とする「全国学力・学習調査」に、これまで含まれていなかった英語が2019年度から加わる。目的は「読む、聞く、話す、書く」、つまり英語による発信力の測定。3年に1度のテストで英語教育が変わるものかと感じる人がいるかも知れないが、テストの内容が受験者や教師、学校に与える影響については信じるに足りるものがある。「自分の考えを英語で発信する」、「英語で相手と意味のあるやり取りをする」授業が行われるようになれば、中学生のうちに使える英語が身につく。来年度から実施される新しいテストが、そのきっかけになることを願っている。

僕は「自分の考えを英語で発信する」、「英語で相手と意味のあるやり取りをする」授業を生徒に対して行える教師が、日本全国の中学校に存在することを願っている。実際には”native speaker”によるビデオが教室では多用されるようになるのではないか。

日本には「英語が話せない」ではなく「ハナから話そうとしない」人が異常に多い。とすれば教師の第一の義務は、英語の必要性、英語が話せることによる楽しさを生徒に納得させる力を持つこと、だと思う。


朝飯 「みょうがのたまり漬」を薬味にした冷や奴、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、茄子と2色のピーマンの日光味噌「梅太郎・赤味噌」炒め、厚焼き玉子、納豆、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトのサラダ、パン、鮭とホタテ貝のグラタン、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″

2018.9.1(土) 忙中有忙

タベタノリヒコさんとは今年5月に大井町で開かれた「東京MG」の会場で知り合った。それからいくらもしないうちに、そのタベタさんが日光市内で図解の研修を催すと知らされた。僕は即、それに申し込んで、事務机の左手に提げたカレンダーの、9月1日に印を付けた。

9月は、むかしはせいぜい近隣の農家からのしその実の買い入れがあるくらいで、それほど忙しい月ではなかった。ところが現在は、そこに日光MGの2日間が加わり、茗荷の買い入れが加わり、更には新宿高島屋での出張販売が加わった。9月は、今や1年の中でも忙しい月になってしまった。

本日の研修、そしてそれの完了した後の交流会には忙中有忙の感があったことは否めない。しかし終わってみれば、参加をして良かったと感じた。タベタさんによる図解の勉強は、これからいくらかでも深めてみようと思う。

帰宅をしたのは22時のころだった。明日の早朝は製造現場に降りなくてはならない。よって早々に入浴をし、早々に就寝をする。


朝飯 人参のスープ煮、鮭の昆布巻き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 街歩きのイベントに供した「日光味噌のたまり」を調味に使った弁当
晩飯 「菜音」のあれや、これや、それや。麦焼酎のお湯割り、白ワイン

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学