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清閑 PERSONAL DIARY

2026年5月の日記31本

2026.5.31(日) 日本語における数字のあつかい

縦書きの日本語においては、例外を除いては、数字はすべて、漢数字で書かれていただろうか。活字中毒ではあるものの、そこまで観察をしながら本を読んでいるわけではない。そして横書きの場合には、例外を除いては、数字はすべて、算用数字で書かれるものなのだろうか。そのあたりが、このところはあやふやになっていた。

一汁一菜、一朝一夕とは書いても、1汁1菜、1朝1夕とは、たとえ横書きであっても書かない。だったら「一回目」は、横書きではどう書くべきか。「一回目」、「三大事件」、「五ヶ国首脳会議」などの数字は漢数字にした方が自然な感じがする。しかし「1回だけ」となると、これは算用数字を用いるべし、という気もする。そのあたりについて、僕を納得させる意見を聞いてみたい。

いつの頃からか、建物の階数の表記を、例えば我が家の食堂に関して言えば「四階」と書くようになった。しかし違和感を覚えつつ変換をしていたことは否めない。そして今日になって、今月2日から読み始めた、東北のある出版社の社員によるリレー日記を確かめてみた。その結果、横書きのウェブログにおいて、彼らは階数の表記に算用数字を用いていた。「そうであれば」と、これからはそれを真似ることにする。

そしてしばらくは、もうすこし気をつけながら、文章を読むことにしよう。


朝飯 生玉子、冷や奴、納豆、ちりめんじゃこ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 グリーンアスパラガスのソテー牛丼、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、プリン、Old Parr(生)

2026.5.30(土) 雨の降りどき

目を覚ましたのは3時49分。4時になる前に起床する。おとといの日記は、きのう北千住から乗った下り特急の中で完成させておいた。きのうの日記は「何時何分に何をした」の形で半分以上は埋められるから簡単だ。土日月は上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の厨房に家内は早くから入るため、朝食は自分で準備をする。今朝の炊飯器にはきのうの夜のごはんが残っていたことを幸いとして、お茶漬けで簡単に済ませる。

今回の旅の初日、つまり21日の日記に、朝の街を歩きながら「あー、気持ちいいなー」と思わず声が出たと書いた。しかし現在の日光も、とても気持ちが良い。ほんの少し前までは、寒さに閉じ込められていた。それが今では窓を開け放ち、暖かく乾いた風を存分に、家の中に通せるのだ。

事務机の上の書類はきのう1時間をかけて処理、整理をしたから、浄机とは言えないまでも、だいぶ片付いた。僕の留守中に溜まった事務係からの仕事の依頼は、すべてきのうのうちに済ませた。店は人員がすこし不足気味だったため、お客様が多くなるたび、手伝いに入った。

さて、とても気持ちの良い現在の気候ではあるけれど、梅雨は、いつごろ訪れるだろう。できれば雨は、夜に降って、昼には晴れてもらいたい。


朝飯 納豆、鮭の日光味噌「梅太郎白味噌」と酒粕漬け焼きほぐし、揚げ玉、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、なめこのたまり炊のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 焼いたブロッコリーを添えた鶏のトマト煮パンチーズChablis Billaud Simon 2018

2026.5.29(金) 帰国

眠っているのか、はたまた目を覚ましているのか、そのはざまを行ったり来たりしつつアイマスクを外す。ウインドブレーカーの胸ポケットから取り出したmont-bellの小さな灯りで腕時計を見ると、2時を過ぎたばかりだった。2時間半の、それも中途半端な睡眠では話にならない。外したばかりのアイマスクを引き上げて、ふたたび目をつぶる。

気づくと朝食を運ぶワゴンは僕の席の脇まで来ていた。「チキンソーセージとオムレツの、どちらがよろしいですか」と訊かれて「オムレツ」と答えるも、口に運べたのは果物とヨーグルト、そしてコーヒーのみだった。

羽田からバンコクに飛ぶ深夜便の朝食は、離陸から4時間を過ぎたころに供される。それに対してバンコクから羽田に飛ぶ深夜便の朝食は、離陸からおおむね3時間後に運ばれる。今日の朝食は2時35分に届けられた。「深夜の2時半に朝メシを食えと言われても、それは無理でしょう」とは思うものの、右手のふたりを見れば、揃って付け合わせのカリフラワー以外はすべて平らげていた。

04:30 TG682は、定刻より25分はやい日本時間06:30に羽田国際空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

06:43 機外に出る。そして長々と、動く歩道の上を歩いて行く。空は晴れている。駐機場には日本航空機の尾翼が立ち並んでいる。
06:54 入国審査場を通過。
07:03 前回にくらべれば、随分と早く回転台から荷物が出てくる。スーツケースの取っ手に何年かぶりに取り付けられた”Priority”の札が効いているのだろうか。
07:05 税関申告書を通過。
07:16 羽田空港第3ターミナルを京成佐倉行き急行の車両が発車。

海外から戻る日が週末であれば、浅草または北千住から日光方面への特急券は、売り切れている可能性が高い。特急券は座席指定券も兼ねていて、それが無ければ特急には乗ることができない。今回の帰国は金曜日ではあるものの、本日の北千住09:43発の特急券は、日本を出る前に買っておいた。しかし今日の荷物は入国から僅々7分後に出てきた。よって特急券の09:43発を、京浜急行の車内から、スマートフォンを使って08:43発に変更する。

08:18 京成佐倉行きの車両を人形町で日比谷線に乗り換えて北千住に着。駅の構内にて朝食を済ませる。
08:43 特急リバティきぬ109号が北千住を発。
10:12 その車両が下今市に着。野山の緑は日本を留守にしていた8日のあいだに随分と濃くなっていた

下今市から会社までは徒歩で戻る。店舗駐車場の紅葉の根元が、ドクダミの白い花で埋め尽くされている。この8日間の季節の移り変わりは、いかにも急だったらしい

四階に上がって荷物整理に1時間。シャワーを浴びて仕事着に着替える。事務室に降りれば机には大量の書類が積み重なっていた。この処理に、また1時間を要する。13時より昼食。14時前に通帳を持って銀行へ行き、売れた土地の代金が振り込まれていることを確かめる。

以降は普段の仕事に復帰して夕刻に到る。夕食の後はすぐに入浴をして、20時30分に寝に就く。


朝飯 TG682の機内食「ドトール」のハムタマゴサラダ、コーヒー
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとベビーリーフのサラダ、豚挽き肉と春雨の中華風炒め、白菜とベーコンのクリーム煮、焼売、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、エクレア、チーズ、Old Parr(生)

2026.5.28(木) タイ日記(8日目)

疲れるようなことは何もしていないにも関わらず疲れたように感じるのは、きのうのマッサージの揉み返しによるものだろうか。きのうは自分のせいとはいえ寝入りばなをたたき起こされ、以降は眠ったり目を覚ましたりを繰り返した。そのため今朝の起床は6時台と、僕としては甚だ遅くなった。

おとといの日記を「公開」し、きのうの日記に目鼻を付けて外へ出たのは8時過ぎ。上出来のメシ屋には、初日から今日までの8日のうち、休業日の週末を除いて6回も通うこととなった

9時をすこしまわったころにプールサイドへ上がる。その西側からは、隣のホテルのプールサイドを見おろすことができる。僕のいるホテルよりよほど高級であることは一目瞭然。しかしそのホテルは高い建物に挟まれている。よって部屋からの眺めは期待できないだろう。

その、隣のホテルのスイミングプールを今日もうかがいに行こうとしてプールサイドを行くと、プールの中にいた、人の良さそうな男の人に「タイ人ですか」と声をかけられた。それだけ僕が日焼けをした、ということなのだろう。「日本人です」と答えてから「あなたは」と問うと、フィリピンの人だった。フィリピンの海辺に行きたい気持ちもあるけれど、しかしまぁ、僕はタイの最北部で充分だ。訪問の範囲を広げれば、経験値が逆に薄まることもあるだろう。プールサイドには正午過ぎまでいて、随分と本が読めた。

さて今日は空港へ行く日であれば、荷作りをする必要がある。きのうクリーニング屋から届いた洗濯物は、まるで真空パックのように固く袋詰めがされている。よってそれは、そのままスーツケースに収める。初日にゲートウェイエカマイで買ったラオカーオは3本。1本はバンコクMGの初日に皆で夕食を摂った店の経営者に贈るつもりだったものの、その人とは会えなかった。

日本からは、前回、飲み残したラオカーオを持参したから、購入した3本のうちの2本は手つかず。残る1本も、ほとんど減っていない。それらの中味は、このホテルで空にしたミネラルウォーターのペットボトルに移した。更にはこれまた初日に買った、社員と孫への土産がある。そうして往路にスーツケースに収めたゴム草履は、復路においてはバックパックにはみ出すこととなった。

旅の最終日の行動については、あれこれと考えるところがある。その結果、今日の午後は、ほぼ何もしないことに決める。汗をかきたくないのだ。よってマッサージ屋はホテルはす向かいの、いつものクリーニング屋が兼業しているところを選び、2時間のオイルマッサージを頼む。

マッサージを終えたのは16時5分。徒歩で1分もかからないホテルへ戻り、部屋で最後の細々としたことをする。チェックアウトは16時56分。フロントに荷物を預けたら、これまたちかくのビール酒場へ行く。ビールはそれほど好まない。しかし帰国日に蒸留酒のラオカーオは危険である。ドアも壁も無い、いかにも南の国らしいビヤホールの料理はなかなか悪くなかった。ビール好きには良い店だと思う。

18:26 預けた荷物を受け取ってホテルを出る。
18:33 徒歩で地下鉄MRTのスクムヴィット駅に着。既にしてかなり汗をかいている。
18:36 MRTの車両がスクムビット駅を発。
18:38 その車両がペッブリー駅に着。

MRTのペッブリー駅からエアポートレイルリンクのマッカサン駅までは、空中回廊とでも呼ぶべきスカイウォークを辿って数分の距離にある。空港行きのプラットフォームには、長蛇の列があった。

18:48 最初に来た車両には乗れず。
18:57 次の空港行きがマッカサンを発車。ふたつ目のフアマークで座ることができる。車窓から見える高速道路は、それほど混んでいない。
19:21 スワンナプーム空港着

プラットフォームには、平たく長いベンチがあった。よってここにスーツケースを開き、Tシャツ1枚と、日本を出る時には必ず複数枚を持つプラスティック袋1枚を取り出し、ザックに入れる。

スワンナプーム空港で階を上下するときにはエスカレータが有利と分かっていながら、地下一階のエレベータの前で長々と待つ。

19:40 出発階の四階にて、タイ航空のオネーサンに手伝ってもらいながらチェックインを完了
19:41 タイ航空のカウンターで荷物預けを完了。スーツケースの重さは11.9キログラム。往路より300グラム重いのは、明らかに、ペットボトルに移し替えたラオカーオによるものだ。

19:48 保安検査場を通過。気に入っているブーツを履いてこないのは、保安検査の際に脱がされるからだ。日本の空港にはスリッパの用意があっても、タイの空港には、そのような気づかいは無い。もっとも世界標準に照らせば、日本人が神経質すぎる、ということになるのだろう。
19:52 出国審査場を通過。この関門を無人化した羽田では、希望をすれば出国と入国のスタンプを押してくれる。しかしこの空港には、その仕組みは無い。寂しい限りだ。

あたりには掃除のオバサンしかいないような物陰にて、汗で濡れたTシャツを、地下一階のプラットフォームでスーツケースから取り出したTシャツに着替える。首に巻いていたインド綿の長いスカーフも、じっとりと湿っている。下着もズボンの胴回りの部分も湿っているものの、こちらについてはいかんともし難い。

夕刻のバンコクは渋滞に閉ざされる。そのためホテルから空港までは徒歩と鉄道で移動をした。しかし今年は僕も齢70になる。「そろそろタクシーか、ホテルが手配するハイヤーかなぁ」とも思う。しかしそのためには、より空港にちかいところに滞在をするか、あるいはより早い時間にホテルを発つ必要があるだろう。

20:05 ボーディングカードにあるC6ゲートへ降りる階段は遮断されていた。よってその脇のベンチに落ち着く。
21:25 眠くなってくる。ひとり旅に寝落ちは禁物である。
21:28 乗客を遮断していた横断テープが片づけられたため、C6ゲートへ降りる。
22:10 ファーストクラスおよびボーディングカードの1番グループから搭乗が始まる

22:20 後方70Hの席に着く。往路とは異なって、ほぼ満席と思われる
23:00 Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG682は、定刻に15分遅れてスワンナプーム国際空港を離陸。
23:25 眠りかけているところに夜食のパンと水が届けられる。


朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
晩飯 “Beer Garden Sukhumvit 19″のヤムヌアカオパットアメリカン生ビールシンハビール

2026.5.27(水) タイ日記(7日目)

「その日の金銭の出納は、その日のうちに記帳しなくては気が済まない。だからたとえ夕食の前に税務署の調査が入っても、何も困ることは無い」と言った先輩がいる。僕の場合には、特別な場合を除いては、きのうの日記に決まりを付けない限り、朝食の準備に取りかかる気がしない。今朝もそうしてひと区切りの付いたところで外へ出る。日課のようにして通っているぶっかけメシ屋も、今朝で5回目の訪問になった

プールサイドに上がったのは、きのうより遅い9時すぎ。熱帯の朝日を避けられる寝椅子には先客がいた。よって仕方なく、次に日の当たらない寝椅子にバスタオルを敷く。先客の寝椅子からは、スマートフォンが発しているのか、ラップがうるさく聞こえていた。その音が消えたと思って首を上げると、その、顔つきはインド系ながら、膝から下に派手な刺青があったから、インドに住むインド人ではなかろうと感じていた男はいなくなっていた。即、その寝椅子まで歩き、更にはそれを庇の近くまで引き寄せて、自分の場所を確保する。

このホテルのスイミングプールは、最上階の九階から階段を更に上がったところにある。その階段の手前の安楽椅子では毎日、白人のオジーサンが上半身はだかで本を読んでいる。「うらやましい限り」と羨望すれば「オマエだって、同じじゃねえか」と返されるだろうか。しかし僕は、明日には羽田行きの便に乗らなくてはならない身、である。

川本三郎の「荷風の昭和」の前篇は、ことし3月2日にウドンタニーで読み始めた。その全567ページは3月9日にチェンライで読み終え、即、後篇に移った。その後篇の「あとがき」も含めた全590ページを10時53分に読み終える。その余韻にしばらくひたったら、トートバッグから今度は後藤正治の「拗ね者たらん 本田靖春 人と作品」を取り出す。こちらは活字が枯渇したときのための、予備として持って来たものだ。プールサイドからは部屋へは、12時13分に降りた。

それにしても、このホテルのある界隈を僕は気に入った。アソークというバンコク随一の商業街にありながら、窓からは緑も覗うことができ、比較的静かなのだ。次のバンコクMGのときにも、このあたりに滞在したい。しかしホテルは替えても良いのではないか。そう考えて外へ出て、いつものsoi19ではなくsoi15に足を踏み入れる。

ホテル前の道がsoi15に突き当たったとろには、開高健なら「ヴィラ」と書きそうな古い邸宅があった。タイには相続税が無い。だから親が亡くなっても、必要に迫られて土地を売る必要は無い。よってバンコクの中心部には、驚くほど緑が残っている。そのsoi15を南に下って目に付いたホテルのロビーに入り「ここも悪くはねぇな」などと考えたりする。

そこを出て更に南下をすれば、四六時中、クルマの動かない渋滞だらけのスクムヴィット通り。左に折れればロビンソン百貨店、そしてきのう両替をしたターミナル21。その建物に今日も入り、二階のスターバックスでマンゴーとパッションフルーツのスムージーを飲む。暑気は、内側から払うのが、もっとも効果的なのだ

ホテルへ戻ったら、本と共にラオカーオを満たしたペットボトルをトートバッグに入れて外へ出る。アソークからプロンポンまでは歩ける距離と、バンコクMGの2日目に知ったものの、疲れることを避けてBTSに乗る。そして行きつけのマッサージ屋の、かかりつけのオバサンに2時間のオイルマッサージを頼む。オバサンには背中の右側と腰を、特に強く押してもらった。

さてそのマッサージ屋のある短い小路soi37を奥まで歩き、顔を左右に振ると、ふたつの屋台が目に入る。右の方は超繁盛店。しかし左の方も捨てがたいことは、今年の3月13日に確認済みだ。その屋台で飲酒喫飯を済ませても、時刻はいまだ17時35分。たかだか35分のあいだに、僕はしたたか酔った。

プロンポンからはスクムヴィット通りを西へ歩き、soi23を北上。日曜日も歩いた短い道を抜ければ、目の前はぶっかけメシ屋ちかくの交差点。ホテルへ戻ったら届いている洗濯物を受け取り、ついでに明日のレイトチェックアウトについて訊く。その追加の料金は17時までなら600バーツ、18時までなら1泊分の値段と言われて、17時と決める。

部屋へ戻ると窓の外には、いまだ昼と変わらない空があった。しかし僕の今日は、ここでは終わらなかった。

聞き慣れない音に目を覚まされ、枕元の受話器を取る。相手が何を言っているのか分からず「取りあえず、ロビーへ降りるわ」と返事をする。パジャマのままロビーへ急行すると、男のフロント係は、僕も洗濯を頼んだクリーニング屋の伝票を僕に見せる。側には僕と同じくらいの年齢の、白人の大きな男の人が立っている。そこでピンと気づいた僕は部屋にとって返し、灯りを点ける。使っていない方のベッドの上には、僕の洗濯物を入れたマックスバリューのピンク色の袋と共に、トップスマーケットの赤い袋もあった。ホテルに戻った際に、フロント係がその双方と手渡し、酔っていた僕は、何の不思議も感じず、それらを受け取ってしまっていたのだ。

僕はその赤い袋を白人男性に手渡しながら、その男性とフロント係に丁重に詫びた。それにしても、明日のレイトチェックアウトについて相談をしながら、いくら同時に差し出されたからといって、それを何の疑問を覚えず受け取ってしまうものだろうか。ラオカーオによる酔い、恐るべし。白人男性の寛容さには、大いに助けられた。枕元のiPhoneは、20時34分を示していた。


朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
晩飯 「アダージョホテル」前の屋台のソムタムテンコームーヤーンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2026.5.26(火) タイ日記(6日目)

5時に起床して洗面を済ませ、5時10分にコンピュータを開く。鳥の声に気づいてテーブルに置いた腕時計を見ると、時刻は5時16分だった。タイの鳥といえば何と言っても「ホーイッ、ホーイッ」と啼くオニカッコウではあるけれど、今回はなぜか、その声は聞こえてこない。

それはさておきこのホテルでは、7階の部屋まで小さな蟻が上がってくる。宿泊して2、3日目には、サプリメントを入れたピルケースの中にまで、その蟻が入り込んでいた。「安いホテルに泊まるから、そんなことになるんだ」と言われれば、蟻など、それこそ、どこにでもいるのではないか。このホテルが強力かつ大量の殺虫剤を使っていないだけなのではないか。そしてピルケースは、今後は冷蔵庫で保管することとする

きのうの日記を書き終えたらホテルを出てアソークの大通りに出る。そしていつものぶっかけメシ屋でオカズを選び、朝食とする。

ホテルのプールサイドに上がったのは8時30分。東からの太陽を避けるため、寝椅子を少し、建物の庇の側に寄せる。ここでの本読みは、午前中に行うことが最上かも知れない。プールサイドからは正午に降りた。

さて荷物を嫌う僕は、着替えはよくよく考えて、最低の枚数を持つ。しかしコモトリ君との夕食などの際には、昼間に着たシャツを、真新しいシャツに替える。今回はきのうの食事が予定外に発生したため、シャツが1枚、足りなくなった。今朝、袖を通したのは、きのうの夕刻から夜にかけて着たものだ。残りはすべて、洗濯に出してしまっている。

きのう洗濯屋で手渡された伝票には、17時までにホテルのフロントへ届ける旨が記されている。しかしその時間まで、きのう着たシャツは身につけていたくない。何しろ37℃の気温の中で歩きまわっているのだ。

そういう次第にて午後はsoi19を南に辿ってスクムヴィット通りのターミナル21に脇の入口から入り、ユニクロでめぼしいものを物色する。しかしそれは、今日これから洗濯物の届くまでの数時間だけの用途に過ぎず、日本へ持ち帰ればタンスの肥やしになること明白である。よってシャツを買うことはせず、正面の入口から外へ出ようとして、そこに”Super Rich”の両替所を見つける。

カウンター脇の交換率を見ると、1万円が2,045バーツと、今回バンコクに入ってから最高の値が出ている。よって6名ほどの列に並んで、手持ちの1万円札すべてをタイバーツに換える。余談ではあるけれど、ここの係員による紙幣の確認は厳密を極め、12枚の1万円札を、機械が1回、人は5回も数えなおした

昼食は、そこからsoi23まで歩き、なかなかの繁盛店、そしてそこそこの有名店にて汁麺を注文する。加齢によるものか、日本では数年前より、ラーメンには食指が伸びなくなった。しかしタイの汁麺は量が少ないため、いまだ食べられるのだ。

ホテルに戻ったのは14時ちょうど。フロントのカウンターには、僕が洗濯物を出したときのピンク色の袋が早くも載せられていた。「助かった」である

南の国で味わえる楽しみは、プールサイドでの本読みや屋外での食事に加えて、空気調整器による涼しさの中で、寝台に大の字になって休む、というものもある。そうして午後の光で本を読むなどしながら、16時になったところで新しいシャツを身につけ、ズボンを穿き、靴を履いて外へ出る。

昨年のいつごろからか、バンコクの地下鉄MRTは、VISAのタッチ式のカードでも乗れるようになった。よってそれを使ってスクムヴィットからシーロムまで4駅を乗る。駅からスラウォン通りまでは、クラウンプラザやジムトンプソンの本店前を回るよりは、スカイウォークを辿ってシーロム通りから北上した方が近いことを、今日は知った。

きのうも来たマッサージ屋の有馬温泉でタイマッサージ1時間30分の値段を訊くと、2時間の料金とおなじだという。「それじゃぁ、つまらねぇなぁ」と、きのうとおなじ1時間の足マッサージを頼む。今日のオバサンは、きのうとは異なって、大いなる強揉み。今日は耳掃除は頼まなかったから、マッサージの最中は、ずっと本を読むことができた。

今日の夕食はチムジュム。それを食べ終えたら、帰りは地下鉄ではなく、高架鉄道BTSできのうとおなじくナナで降り、スクムヴィット通りを東へ進む。気温は昼より明らかに下がって、心地が良い。ホテルには19時30分に帰着し、20時に就寝する。


朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
昼飯 「アイヤーアロイ」のバミーナム
晩飯 “HAPPY BEER GARDEN”のチムジュムラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2026.5.25(月) タイ日記(5日目)

4時25分にコンピュータを起動して、先ずは長男からのメールに返信を送る。以降は書きかけの、おとといの日記に取りかかる。きのうの日記まで完成をさせると、時刻は7時50分になっていた。

僕は、間食はほとんどしない。海外へ出れば、その傾向は更に強くなる。つまり腹が減っている。初日、2日目と使ったメシ屋を3日ぶりに訪ねべく、外へ出る。街には朝の光が溢れている。いつものぶっかけメシ屋は、まずメシの盛りが良い。おかずは美味い。そして値段は安い。このメシ屋がある限り、来年もバンコクMGの際には、僕は、この界隈のホテルを予約するような気がする

そのメシ屋へ行きながら、ホテルはす向かいのクリーニング屋が、既にして店を開けていることは確かめておいた。よって部屋へ戻るなり、袋に用意しておいた初日からの洗濯物を提げて、その”Ayothaya Laundry @19″へ向かう。そして店先のオネーサンに声をかける。台秤による洗濯物の重さは1.8キログラム。「アイロンは必要ですか」と問われて「必要ありません」と答えると、オネーサンは複写式の伝票になぜか「1.2×100」と記入し、僕は120バーツを支払った。ちなみにこのクリーニング屋は、半径2キロメートル以内のホテルへならば、無料にて配達をしてくれる。まったく以て、便利な店である。

屋上のプールサイドには、9時30分に上がった。そこには正午までいて、川本三郎著「荷風の昭和」の後篇を読んだり、あるいは泳いだりした。それにしても暑い。タイの最暑期は去ったものと思うけれど、暑さの好きな僕からしても、今日の暑さは格別である。

午後はこれまたホテルから目と鼻の先のフランス総菜屋へ赴き、サラダと飲み物を摂る。昼時を過ぎた店は空いていたため、飲み物を飲み終えてもしばらくは、本を読み続けた

さて今回の旅の初日に戻ってみれば、僕はサラデーンでの食事を終えると、バンコク在住のコモトリケー君に地下鉄MRTのカードを借りた。よって帰るまでに、これを返す必要がある。

MRTのスクムヴィットからアソークまでは4駅。借りたカードの残高は333バーツ。待ち合わせの18時まで1時間15分の余裕をみたのは、それまでにマッサージを受けるためだ。シーロムやサラデーンでの行きつけは、ベタではあるけど「有馬温泉」である。理由は、ここには耳を綺麗にしてくれるオネーサンがいるから。1時間の足マッサージと耳掃除の代金は600バーツ。マッサージのオバサンと耳掃除のオネーサンには、それぞれ100バーツと50バーツのチップ。

コモトリ君との夕食は、バンコクでもむかしの面影を残すスラウォン通りに面した屋外の店で摂った。二次会は、コモトリ君行きつけの店。MRTに乗るためのVISAカードはホテルに置き忘れてきたため、こちらのカードは持っている高架鉄道BTSシーロム線にサラデーンから乗る。

そのBTSをサイアムで東へ向かうスクムヴィット線に乗り換えたら、アソークのひとつ手前のナナで降りる。そしてスクムヴィット通りを東へ辿る。昼にくらべて気温は下がっている。ナナからアソークまでのひと駅分の距離は、山手線の上野と御徒町のあいだよりは広いかも知れないけれど、いずれにしても、大したものではない

スクムヴィット通りからsoi19を北へ辿り、ホテルに帰り着いた時刻は21時30分。そして22時に就寝する。


朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
昼飯 “VIVIN”のサラダニソワーズ、ココナツサワースムージー
晩飯 “Shenanigans Irish Sportsbar & Restaurant”のフィッシュアンドチップスピッツァマルゲリータ、シンハビール(生)

2026.5.24(日) タイ日記(4日目)

きのうビルを退去すべき18時30分までに決算を終えられなかった人のために、インストラクターのタナカタカシさんは、今朝は7時30分に会場を開けると言った。その会場に近づけば、第3期の決算を懸命にする、初心者の姿が見えた。インストラクターのタナカさんにおいては、東南アジアにマネジメントゲームを根付かせるための、渾身の仕事ぶりである。

さてきのうの僕の第3期は、倒産への下り坂を転がり落ちていくところで終わった。はじめあった300の資本金は、56まで落ちている。本日は何としても、起死回生の手を打たなければならない。幸いきのうの交流会では「マネジメントゲームが絶望的に下手な人に与えた助言」の話をスミタヨシタカさんから聞いた。今日はひとつ、それを試してみようではないか。

そうしてその結果第4期には助走の時間が必要なことから自己資本は33に落としたものの第5期にはそれを109まで持ち上げ、次期繰越現金は315円と、借金地獄からも脱出することができた。次の僕のMGは今秋の日光MG、あるいは来春の日光MGになる。そのときには是非、また今回の手法を試してみることにしよう。

僕は、今回のMGにおける「ことがら表彰」には昇り龍と計数力に爪痕を残せたものの、昇り龍は、きのうの交流会でのスミタヨシタカさんからの示唆によるもの、第5期の計数力は、まぁ、偶然だろう

なおマネジメントゲームには「勝者こそ偉い」という考えはないものの、第6期への備えをした上で、自己資本を高く積み上げた者が表彰をされる。今回の最優秀経営者賞は、第5期到達自己資本453のスミタヨシタカさんが優秀経営者賞は初心者ながら314まで頑張ったトキタハルヒコさんがまた次点の優秀経営者賞はフクモトカツマサつさんが307で得た

戦い済んで日が暮れれば打ち上げ。というわけで、今日は参加者11名のうちの8名がちかくの料理屋に集って、楽しく賑やかに歓談をした

散会の後、その料理屋からsoi23を北上し、soi21へ続く道を辿れば、いつも渡る横断歩道は間近にあった。ホテルに戻ったのは20時すぎ。そして20時30分には就寝をしたように思う。


朝飯 “Best Comfort Bangkok Hotel”のトーストとコーヒーお粥その一お粥その二
昼飯 “NIGIRI-TATE”の弁当
晩飯 “Wanakaam”のソムタムタイヤムカイダーオガイトードヤムマクーワコームーヤーンラープムー、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2026.5.23(土) タイ日記(3日目)

目を覚ましたのは1時台。「よく眠った」という感覚を覚えつつ次に目を覚ましたのは2時台の終わりころ。そして3時台のはじめに起床する。きのうの就寝は多分、20時30分のころだったと思う。つまり睡眠は充分、ということだ。

洗面を済ませたら、きのうのうちに完成させておいた、バンコクでの初日つまりおとといの日記を公開する。それを改めて読み直すことにはiPhoneを使う。コンピュータで書いたものを、おなじコンピュータで読むと、なぜか誤字や脱字に気づきづらいのだ。そうして公開したばかりの日記を修正していく。部屋はビジネス向きには設計されていず、いわゆるデスクは備えていない。照明もそれなりで、キーボードの文字はほとんど見えない

修正を終えたところで空腹に気づく。しかし部屋には湯沸かしポットが無いため、持参のコンソメスープを飲むことはできない。予約サイトのレビューによればお粗末らしい、このホテルの朝食を待つばかりだ。

7時を回ったところで二階の朝食会場に降りる。入った右手には、目玉焼きをフライパンではなく、天ぷらかフライに用いるような油の中で作っているオニーチャンがひとりいて、彼が朝食全般を仕切っているらしい。部屋の鍵を確認されるなどは、特にされない。

先ずはカップにインスタントコーヒーを溶かし、それをテーブルに運んだら、今度はトースターで食パンを焼く。生野菜のたぐいは無い。粗末といえば粗末ではあるものの、中華粥で仕上げれば、我慢はできる。それはさておき、カップ麺を持ち込んでいる客がいたことには驚いた。

さて本日は第21回バンコクMGの1日目。僕はバンコクMGには、これが始まった2016年より、世界がコロナ禍に覆われた2021年から、その余波の残る2024年までの4年間を除いては、年に1回の参加を欠かさず続けてきた。会場は、2020年まではトンローのsoi10。それが昨年からはバンコク有数のビジネス街であるアソークの、それも真ん真ん中のインターチェンジ21ビルに移された。

ホテルから会場までは、スクムヴィットsoi21、つまりアソークの大通りの日陰を選んで歩くそこから夜は賑やかなソイカウボーイを抜けsoi23に出て、ビルには裏から入った方が間違いが少ない。今回の研修室は、吹き抜けの天井と大きなガラス窓により、照明を必要としないほどの明るい空間だった

今回の参加者は、バンコクで働く初心者が5名に、日本からの者が6名の計11名。参加の予定だったものの日本に仕事ができてしまった人は仕方がないとして、飛行機に乗り遅れた2名については慚愧に堪えない。

参加者の各自が自分の会社を持ち、二日間をかけて、盤上に5期分の経営を展開するマネジメントゲームについては、その棋譜とでも呼ぶべきものをここに開陳しても、経験者以外の理解は得られないだろうから、大まかに記す。

その第1期はルール説明をしながらの演習。6名がひとつの市場を形成しての激しい入札の応酬を繰り広げるのは第2期から。その第2期を、経験は長いながらゲームの絶望的に下手な僕としては損益分岐比率98パーセントで無難に通過した。しかし陥穽は第3期に待ち構えていた。第3期末の損益分岐比率324パーセントは、倒産への下り坂を一気に転がり落ちていく数字である。これほどひどい展開は、初心者だった1990年代以来のものだと思う。

しかしまぁ「それはさておき」である。第3期の決算を終えた人も終えない人も、ビルの退去時間である18時30分にて解散。以降、希望者はアソークから賑やかなスクムビット通りを東へ歩いてプロンポンに到る。そして先に書いた「参加の予定だったものの日本に仕事ができてしまった人」の経営する店での交流会に参加をする

その店”AT ESAN”には、僕は心底、驚かされた。お店の人たちはすべて清楚で感じが良く、料理はすべて、非常に美味いのだ。来年のバンコクMGの際に機会が得られれば、ぜひオーナーに会ってみたい。

交流会の場所からホテルまでは、タイ人なら決して歩かないだろう距離を徒歩で戻る。いくら鍵を回しても開かない部屋の扉は、フロントへ降りてオジサンを呼び、そのオジサンも苦労をしながら、ようやく開いた。就寝は多分、22時のころだったと思う。


朝飯 “Best Comfort Bangkok Hotel”のトーストとコーヒーお粥その一お粥その二
昼飯 “NIGIRI-TATE”の弁当
晩飯 “AT ESAN”の三品盆サイクロークイサーンコームーヤーンパッタイクンソムタムタイラープムー空心菜の天ぷらガイトード、他あれこれ、アイスクリームビアリオシンハビール

2026.5.22(金) タイ日記(2日目)

目を覚ました時刻は5時48分。昨夜というか、深夜0時を過ぎての帰着からすれば、上出来の目覚めである。起きて身のまわりのことをするうち、早くも空腹を覚えてくる。

7時になりかかろうとするころを見計らって外へ出る。きのうのぶっかけメシ屋は、有り難いことに、営業を始めていた。僕の顔を覚えてくれたらしいオジサンには「茄子」と伝え、次のオカズはオジサンの勧める、オクラに甘く揚げた肉を和えたものにした。今日は目玉焼きは頼まず、料金は50バーツだった。

バンコクではよく見かける、ビルとビルの隙間に雨除けの屋根を渡しただけのこの店には、奧に汁麺屋もあり、また飲み物を売るカウンターもある。だから夜まで開いていればバットのおかずを選んでラオカーオのソーダ割りが飲みたいところではあるけれど、多分、その時間までは、営業はしないだろう。

店からの出しなに明日のことを訊いてみる。オジサンによれば、土曜日と日曜日は休みとのことだった。

部屋へ戻ったところできのうの日記の書き継ぎに取りかかる。旅の初日の日記にはいつも、苦労をさせられる。とにかく文章が長くなって、いつまでも書き終えないのだ。それでもようよう最後のひと文字に到る。総文字数は6,312になった。そうしてしばし、窓の外の驟雨に見入る

そのいきなりの雨は、小一時間ほどで上がった。そこで七階の部屋から九階のプールサイドへ上がり、寝椅子の角度を調整して、川本三郎著「荷風の昭和」の後篇を開く。

プールサイドで本を読んでいた時間は1時間と少々。14時45分に掃除のため部屋へ来たのはオニーチャンの二人組。「タイ人ですか」と訊くと、どうもそうではないらしい。Phoneの翻訳アプリケーションに「ベッドはバスルームに近い方だけ整えてくれればOKです。バスルームにタオルが無いときは、私がプールサイドで使用中ですので、補充をお願いします」と日本語で書き入れ、そのタイ文字を見せると、オニーチャンは廊下に出て、メイドのオバサンを呼んだ。オバサンは僕のiPhoneのタイ語を声に出して読み、ニッコリと笑みを浮かべた。オニーチャンには枕銭の40バーツを手渡していたものの、オバサンにも40バーツを進呈する。こういう小さな行いが、後に効いてくるのだ。

彼らが去って後にふと気づくと、バスルームにはこのホテルでは用意されないはずの普通サイズのタオルが置かれ、冷蔵庫のミネラルウィーターは、2本から3本に増えていた。

そうするうち、今回のバンコクMGの前夜祭の知らせが、インストラクターのタナカタカシさんよりメッセンジャーを通じて入る。開始は18時。場所はきのうの日記に書いた、昨年も使ったことのある、現在のホテルからなら徒歩で数分のムーカタ屋だった。

以降の時間は、有料のメールマガジンを読み始めて、しかしどうしても寝落ちをしてしまう。よって椅子を離れてベッドで仰向けになり、小一時間ほどを休むことに充てる。

ホテルの前の道は、夕刻の渋滞により、オートバイはおろか人が歩くことさえままならなかった。そうして約束の18時より10分ほど早く扉を押したムーカタ屋には、既にしてタナカタカシさんと、参加者のスミタヨシタカさんが席に着いていた。やがてそこにフクモトカツマサさん、シラチャからバンコクへ向かいながら渋滞に巻き込まれていたトモダヨシヒロさんが到着して、すべての人が揃う。

歓談の内容は、西研究所の旗の下でマネジメントゲームを学ぶ者たちによるものだから、真面目なことに終始した。そして20時に散会。飲食代は「バンコクMGの参加費用に含まれている」とのことでタナカさんが支払ってくれたものの、それは方便で、多分、タナカさんの奢りなのだろう。

部屋に戻って今日の金銭出納帳を見直してみる。本日もっとも大きな出費は、部屋掃除のオニーチャンとオバサンに渡したチップの計80バーツだった。僕の旅行中にはよくあること、である。


朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
晩飯 “LIB STORY Thai BBQ & Local Food”のムーガタラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2026.5.21(木) タイ日記(1日目)

右列最後尾の三席並びには、窓際に白人の男性、そして通路側に僕。真ん中は空いている。羽田からバンコクへ飛ぶ深夜便は、タイ航空のドル箱のはずである。それがこの空き加減とは、やはり、航空運賃の値上がりが響いているのだろうか。

00:04 プルバックが始まる。イヤホンをして雑音を遠ざけ、マスクをする。しかしアイマスクはいまだしない。

03:05 目を覚ましてはじめて、離陸をする前より眠っていたことに気づく。ちょうど3時間の睡眠。爽快感は無いものの、寝不足による心地の悪さもない。恐るべき、オフクロの遺したデパスとハルシオンの威力。機はいまだ、台湾の東を南下中だった

03:45 機内が明るくなって、先ずは特別な機内食から先に、客室乗務員が配りはじめる。

「チキンとオムレツと、どちらがよろしいですか」と訊かれてどちらでも構わなかったものの、チキンを頼む。それは昨年のいつだったかも食べた、鶏の照り焼き餡かけ丼、といった風情のものだった。別途、眠っているあいだにテーブルに置かれたらしい、ポテトサラダとクリームを具にした丸パンも平らげる。

04:35 客室乗務員は好まないことかも知れないけれど、自分のお膳は自分で後方のギャレーに片づけ、ラバトリーで歯を磨く。何年か前の、2週間は使い続けられそうな大きなチューブは使い捨ての普通サイズになり、紙コップも供給されなくなっている。まぁ、経費節減、ということなのだろう

04:50  ダナンの海岸線を横切る。タイ航空機がこの位置に達すると、いつもなぜか「ここまで来ればしめたもの」という嬉しさを感じる
05:25 「バンコクまで25分」のアナウンスが流れる。
05:43 地上の灯りが見えはじめる。
05:50 車輪の降ろされる音が聞こえる。
05:53 Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は、定刻より57分も早いタイ時間03:53にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:10 機外に出る。
04:18 サテライトターミナルをシャトルトレインが発車。
04:20 シャトルトレインがメインターミナルに着
04:26 入国審査場を通過。
04:42 回転台から早くもスーツケースが出てくる。その取っ手には”Priority”の札が取り付けられている。マイレージのステータスが、幾分か上がったのだろうか

04:50 到着階の二階からエアポートレイルリンクの出る地下一階に降りる。あたりのベンチは寝ている人だらけで、座れる場所を得ることに苦労をする

04:58 「始発は何時ですか」と、”Safety Officer”と書かれたカウンターに座っているオニーチャンに訊いてみる。オニーチャンはすこし考えて「10ミニッツ」と答えた。考える必要などあるのだろうか。現在の時刻は4時58分であるところから「つまりそれは、5時10分ということですか」と、確かめてみる。オニーチャンは「イエス」と、なかなか愛嬌のある笑顔を僕に向けた。

このようはときのタイ人の答えを僕は信用しない。信用しないにもかかわらずなぜ訊くかといえば「それでも知りたいのが人情ではないですか」と言う以外にはない。

ところがそのようなやりとりをするうちどちらからともなく人が集まってきて、切符売り場へ向かう下りの坂は混雑をし始めた。オニーチャンの言ったことは、本当だったのだ。ちなみにその奧の両替所”SUPER RICH”の今朝の交換率は、10,000円が2,040バーツだった。

05:14 エアポートレイルリンクの車両がスワンナプーム空港を発車。窓外の景色はいまだ、夜、そのものである
05:36 その車両がマッカサンに着。地下鉄MRTのペッブリー駅へ向かうスカイウォークの上から、アソークの大通りを眺める
05:49 MRTの車両がペップリーを発。
05:51 その車両が次の駅スクムヴィットに着。

今回のホテルは予約をしてから分かったことだが、昨年5月のバンコクMGの際に、皆で食事をした料理屋とおなじ道に面していた。よってGoogleマップなど見ないままアソークの大通りを北上し、間もなく辿り着くことができた。フロントには夜のシフトなのか、年配のオジサンがいた。カウンターの内側に枕があるのは、ここに額をあずけて仮眠をしていたのだろう。

レセプションにあるチェクインの時間は15時。だから空いている部屋があれば、1,000バーツくらい払っても構わないから、早く入れてもらいたい気持ちがあった。しかしオジサンは料金のことも時間のことも言わず、僕のチェックインを受け入れてくれた。

しかしてまた、予約時には「高層階の眺めの良い部屋」と頼んでおいたにもかかわらず、オジサンが手渡してくれたのは四階の鍵だった。「まぁ、しょうがねぇ」とエレベータで四階へ上がり、当該の部屋の穴に鍵を差し入れ回すとドアは開かない。

「そうであれば」とロビーに降りて「高層階を希望したんですけど」と言ってみる。オジサンは「上の方の階はみな、小さなベッドがふたつの部屋なんです」と、すこし困惑した顔をする。確かに僕は、高層階と共に大きなベッドも頼んであった。しかし双方を天秤にかければ、やはり高層階を選びたい。オジサンは四階の鍵を受け取って、代わりに七階の部屋の鍵をくれた。「四階と七階じゃぁ、大した違いでもねぇじゃねぇか」と言われれば、ビルの林立する中心部の安ホテルでは、数階の差が馬鹿にならないのだ。

ちなみに僕の、南の国の都市におけるホテル選びの優先順位は以下の通り。

1.日除けと寝椅子を備えたスイミングプールがあること。
2.高架鉄道BTSまたは地下鉄MRTの駅にちかいこと。
3.高価でないこと。

高価なホテルは居心地が良くても、料金を考えれば良いのは当たり前で、有り難さはあまり感じない。一方、安いホテルは不便を強いられることもあるものの、気楽さも捨てがたいのだ。

さてその1704号室に入ってみれば、セーフティボックスは壊れている、クーラーのスイッチはONの位置を変えられないよう、その上から絆創膏が貼ってあるというポンコツさではあるけど、それをどうにかするのが元バックパッカー、というものだ。「教育は不便なるが良し」と喝破したのは羽仁吉一。僕なら「旅は不便なるが良し」と主張したい。

部屋の椅子と机の関係は、コンピュータを使うには椅子が低すぎるから、椅子の上には枕をひとつ置く。部屋の各所にあれこれの持ち物を配置し終えたらコンピュータを開き、きのうの日記を完成させる。そのまま今日の日記も書き始めようとして、空腹を覚える。

七階のエレベータの前に立って、下へ向かうボタンを押す。白人の中年男性が、やはりエレベータに乗ろうとしてやって来る。九階から降りてきたエレベータの面積の半分は、掃除のオニーチャンと、シーツやタオルを入れた、ふたつの箱が占めていた。オニーチャンの次の目的階である四階でドアが開くと、白人の中年男は何と、その箱を廊下へ出す手伝いをした。

ドアが閉まると同時に「親切だね」と声をかける。白人は右手の親指をグッと突き上げ笑顔を浮かべながら、二階で降りていった。

ホテルから通りへ出て歩きはじめたところで「あー、気持ちいいなー」と思わず声が出る。僕は、薄着で南の国にいることが、心の底から好きらしい。そのまま行くと、間もなくココナツミルクの香りの満ちる一角に出くわした。最高、である。

アソークの大通りは、スクムヴィット通りとの大きな交差点のちかくこそ騒音と混雑が絶えないものの、数百メートルほども北上すると、ぐっとくだけた雰囲気になる。そのちかくにカオゲーン、つまりぶっかけメシ屋のあることは、今朝、地下鉄の駅からホテルへ歩くまでのあいだに気がついていた。

そのメシ屋の前に立つなり「ぶっかけメシね」とあるじに告げる。主は「ここで」と問う。僕は「うん」と頷く。するとあるじはやおら、プラスティックの皿にメシを盛り始めた。僕は先ずキャベツ炒めを「これ」と言って指す。次は「それと、目玉焼き」と言葉で伝える。最後に鳥の挽き肉いためを指すと「オー、ガパオ」と発しつつ、あるじはそれをうずたかく盛った。価格は60バーツ。そのぶっかけメシは中々に美味く、雰囲気も悪くない。明日の朝食も、ここで摂ることにしよう

タイでは何かをするたび汗まみれになる。朝食から戻った部屋のシャワーは、温水を供給しなかった。タオルは大きなバスタオルしか用意されないことを予約サイトのレビューで知っていたから、僕は自前のタオルを持参していた。これは手や顔の水を拭うためのもので、シャワー上がりにはバスタオルを使った。

「こんな安ホテルには、ガウンはあるまい」と、これまた持参した浴衣を羽織る。そして今日の日記のここまでを書く。時刻はいまだ10時7分。時間はジャブジャブと、使い放題である。

ところで僕には原理原則を重んじるところがあり、タイの料理にはタイの酒を合わせたい。贔屓のラオカーオは”BANGYIKHAN”。これは僕の知る限り、バンコクではゲートウェイエカマイのマックスバリューとピンクラオのパタデパートで手に入れることができる。近いのはゲートウェイエカマイ。そういう次第にて外へ出ることにして、高架鉄道BTSのカードを持参し忘れたことに気づく。

アソークの駅で、そのラビットカードを作ってもらう。デポジットは100バーツ。前払い金は500バーツとした。そして東に3駅を移動してエカマイで降り、駅直結のゲートウェイエカマイに入る。

エスカレータを降りてマックスバリューに入り、お酒の棚を見ていくと、しかしそのラオカーオの並んでいるところに”BANGYIKHAN”は無い。よってオネーサンではなく、すこしは商品に詳しそうな、品出し中のオジサンに声をかけ、バンギカーンはあるかと訊く。オジサンは「ここにあるだけですね」と、頼りにならなかった

いくら”BANGYIKHAN”が好きとはいえ、長駆、ピンクラオまでは行く気はしない。しかしアソークから3駅を移動した労力も無駄にしたくないため、棚から棚へと歩きまわって社員への土産を探す。僕のスーツケースは機内持込サイズで、大きなものは入れられない。タイらしく、しかし嵩張らないものを見つけるのは難しい。ようよう選んで社員の数だけそれをカゴへ入れ、キャッシュレジスターの長い列に並ぶ。

そうして何気なく右に視線を遣ると、何と、遠いところに”BANGYIKHAN”がまとまって見えるではないか。何が「ここにあるだけですね」だ。しかしまぁ、タイでは珍しいことではない。社員への土産のお金を精算したら、その右の遠いところの棚へ近づき、”BANGYIKHAN”の3本をカゴに入れて、ふたたび長い列に並ぶ。

今度のキャッシュレジスターにはオネーサンではなく、オジサンがいた。「ラオカーオは、このバンギカーンが一番」と1,000バーツ札を手渡しつつ声をかける。オジサンは「ング、ング、ング」と、嬉しそうに笑った。

果たしてこうして、あろうことか買い物の好きでない僕が、タイですべきすべての買い物を、初日の、それも午前のうちに済ませることができた。怪我の功名と言わないわけにはいかない。

ホテルへ戻り、ロビーからエレベータへ向いながら、宿泊客なのだろうか、僕の後に鍵を受け取ったオジサンが「綺麗」と、フロントのオネーサンを褒める声が聞こえた。今の日本であれば微妙な発言ではあるけれど、ここはタイである。オネーサンの、素直に礼を述べる声も聞こえた。そのオジサンが、僕に続いてエレベータに乗る。ドアの閉まったところで「マジ、めちゃくちゃ綺麗ですよね」と真顔で話しかける。オジサンは破顔、次いで爆笑。そして「コップンカッ」と言って、二階で降りていった。

ここまで用事を済ませれば、僕が南の国でもっとも楽しみにしている、プールサイドでの本読みに時間を割くことができる。安ホテルの、ひとけの無いプールサイドの、すがれた雰囲気は嫌いではない。今日は僕としては珍しく、寝椅子に本を開く前に、ひと泳ぎをした

さて夜は、バンコク在住の同級生コモトリケー君と、食事を共にすることになっている。待ち合わせは、サラデーン駅ちかくのビルの一階に18時。よって15時よりマッサージを受けることとして、馴染みのオバサンにLINEで予約を入れる。

プロンポンのマッサージ屋で受けた施術は、足の角質削りとタイマッサージの2時間のコース。料金は600バーツ。オバサンへのチップは200バーツ。オバサンには「手にも足にもワセリンを塗れ」と言われたものの、僕は手や足を油まみれにしたくないため、それはできない相談である。

サラデーンには約束の30分も前に着いてしまたっため、商業ビルの中のスーパーマーケットを見まわり、またその一階のベンチで休む。

コモトリ君が夕食の場所として予約をしておいてくれた店は、何と行きつけのスナックだった。嬉しかったのは、常連のミャンマー人が持ち込んだ、ミャンマーの漬物によるサラダを食べられたことだ。二次会はおなじくコモトリ君の行きつけの店。コモトリ君は「アソークに帰るなら地下鉄の方が乗り換えなしで便利だろう」と、MRTのカードを貸してくれた。

それからどれほどの時間が経ったかは分からない。気がつくと、僕は見も知らない、大きく、ガランとした、ひとけの無い駅にいた。係に案内されるまま改札口を抜ける。そして駅員というよりは事務員といった服装の男の人に、終電は既にして出てしまったことを知らされる。一体全体、ここはどこなのだろうかと、頭上の駅名”Tha Phra”を画像に残す。

外へ出てiPhoneを取りだし、Googleマップを開く。チャオプラヤ川の西、それもかなりのところまで来ている。東京でたとえれば、日比谷線で六本木から銀座へ行こうとしながら、竹ノ塚まで乗り過ごした感じである。頼みの綱はタクシーだが、駅の下の、大きく複雑な交差点の、どこでそれを捉まえれば良いかさえ分からない。

ごくたまにしか通りかからないタクシーを停めて「アソークまで」と告げて断られること2回。3台目の、すれ違うクルマのヘッドランプにより白髪の無精髭が目立つ運転手は、とりあえず僕を後席に入れてくれた。僕は息せき切って「アソークまで行きたい。ナナの近く。プロンポンの近く」と、たたみかける。

タクシーがタクシン橋を西から東へと渡り始めたときには、心底、安心をした。手持ちの現金は僅々500バーツ。しかし何とか間に合うだろう。タクシーはやがて、スクムヴィット通りを北へ越える。僕はiPhoneにGoogleマップを開いて「真っ直ぐ」と運転手にに告げる。そしてホテルに続く道が近づいたところで「そこを左折」と注文を入れる。

タクシーがホテルの前に停まったときのメーターは143バーツ。タイのタクシーの安さには大感謝、である。運転手には100バーツ札2枚を手渡し「お釣りは要りません」と言葉を添えた。

部屋に戻って歯を磨いたことは覚えている。それ以外については、忘却の彼方、である。


朝飯 TG661の機内食、その前に配られたパン
朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
晩飯 “One Way”の焼き茄子ヤムウンセンヤムカイダーオミャンマーの茶葉の漬物のサラダラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2026.5.20(水) 深夜便

上澤梅太郎商店は月に一度の店休日をいただいている。店は休んでいるものの、社員は休まない。それどころがシフト制による日常とは異なって、ほぼ全員が出社をする。そして全体の会議、部門ごとの会議、また普段はできないことをする。今日は通常の業務と平行して、各部署で大掃除が行われた。しかし僕は、それらにはときおり加わったのみにて、銀行へ行ったり、あるいはお客様への文章を作ったりした。

15時を過ぎたところで四階へ上がり、シャワーを浴びて歯を磨く。ここで仕事着から、明日の昼まで着続けることになる普段着に着替えをする。16時から17時45分までは、本日ふたつ目の会議。時間の余裕は綽々、というところだ。

さて、羽田空港へ向かおうとしていた昨年5月11日の終業後、会社から下今市駅までのタクシーを頼んだところ、その時間なら自分が送れると、家内に言われた。以降、旅の初日には、家内の運転するホンダフィットの世話になっている。

18:49 けごん52号が下今市を発。

いまだ書評を読んでいなかった今月16日の日本経済新聞を開くうち眠くなり、目を覚ますと春日部の近いことをアナウンスが伝えていた。つまり1時間ほどは眠れたことになる。

20:21 けごん52号が北千住に着。

普段は一路、空港を目指すところ、今日は駅の構内で夕食を済ませる。

20:40 日比谷線の車両が北千住を発。
20:58 日比谷線の車両が人形町に着。

21:03 都営浅草線の羽田空港行き急行が人形町を発
21:44 その車両が泉岳寺を経由して羽田空港第3ターミナルビルに着。

21:52 自動チェックイン機でチェックインを完了
21:54 いつもは1時間ちかく並ばせられるカウンターに、今夜は旅客の姿がほとんど見えない。待ち時間ゼロにて荷物預けを完了。スーツケースはいつもより重い11.6キログラム。味噌と漬物によるものだろう。

22:00 保安検査場を通過。
22:01 出国審査場を通過
22:07 105番ゲートに達する。

今夜の羽田空港が、驚くほど空いている理由は何だろう。105番ゲートちかくのベンチできのうの日記を完成させて「公開」ボタンをクリックする

トイレの個室で、腰に使い捨てカイロを貼る。半袖のポロシャツに長袖のセーターを重ね、更に羽織ったウインドブレーカーのジップを首元まで上げる。そのトイレから出ると、いつの間にか搭乗が始まっていた

23:34 搭乗。
23:43 右列最後尾通路側の63Hの席に着く
23:46 薬を服用するための水をくれるよう頼んだ客室乗務員のオニーサンが、席までペットボトルの水を届けてくれる。ただしこのペットボトルは食事と共に運ばれるそれよりは容量が小さく、レッテルもない。僕のような「イレギュラーなヤツ」のためのものなのだろうか


朝飯 茄子とズッキーニのソテー、菠薐草のソテーを添えたスペイン風目玉焼き、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「ドトール」のチーズインミラノサンド、コーヒー

2026.5.19(火) 幾何級数的に

花と水とお茶と線香を仏壇に供え、「汁飯香の店 隠居うわさわ」へのインターネットを経由したご予約を承り、きのうのうちに書けていたおとといの日記を公開し、更にはきのうの日記を書き終えても時刻はいまだ4時38分。まったくもって、早起きは素晴らしい。そしてきのうの日記に書いたように、きのう集めた旅のあれこれをスーツケースに詰めていく。

その作業の最後のところで、バンコク在住の同級生コモトリケー君に頼まれた味噌のための空間が確保できなくなる。よって気の引けることながら、KEENのサンダルと川本三郎著「荷風の昭和」の後篇を重ねてスーツケースの、持ち運びの際には地面側になるところに押し込む。

567ページから成る「荷風の昭和」の上篇およびその後篇の342ページまでは、今年の3月2日から13日までの訪タイ中に読んだ。明後日からのバンコクで「荷風の昭和」の後篇を読み終えて後に活字が枯渇しては焦燥する。そのための予備としては、何か文庫本を持つことにしよう。

午前は特に、ちょうど一週間前に花と線香を供えたお墓を掃除する。午後は下今市12:35発の上り特急に乗り、2時間後に新御茶ノ水に到る。

聖橋を渡るときには、その下流側、つまり秋葉原を望む側を往くことが肝要である。そうすれば文京区側のたもとからすぐに、湯島聖堂への階段を降りることができる

湯島聖堂の敷地内にある斯文会館での、後藤淳一先生による「漢詩のイロハ」の第二回目も、大変に興味深い内容で、自分の知識が幾何級数的に伸びていく感覚を覚える。そして90分間の講義は、それほど長く感じないうちに完了した。

根岸の皮膚科には17時30分の予約を入れておいた。昨年末に処方された塗り薬が枯渇していたためだ。今日の待合室に患者は少なく、診察は17時37分に完了した。そして目と鼻の先の薬局で、処方箋にある3種の薬を買う。

その薬屋からきびすを返し、東京スカイツリーを真正面に望みつつ歩き続けると、上手いことに、左手に地下鉄日比谷線の入谷駅への階段が現れた。北千住は、ここから数分の距離にある。その北千住ではカウンター活動に従い、19時33分発の下り特急に乗って、21時過ぎに帰宅を果たす。


朝飯 生のトマト、目玉焼き、山芋のすりおろし、牛蒡と人参のきんぴら、たらこ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」の2種のおむすび、ルイボスティー
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれやこれやそれや他あれこれ、チューハイ、それを濃くするための「ナカ」

2026.5.18(月) 旅の準備

きのうの日記に書いた旅の持ち物、およびこちらについては書かなかったが旅をするたびに発生した反省すべきことの箇条書きは、きのうのうちにコンピュータから紙に出力をしておいた。そのうちの、持ち物の一覧に従って、今早朝は先ず、薬品類を整えていく。

バックパッカーをしていたころより、薬は、旅の持ち物のうちのかなりの容積を占めてきた。海外の特に田舎でからだに変調をきたせば、先ずは薬が頼りだ。今般は首都のみの滞在になるけれど、それでも薬はおなじ種類、おなじ量を持つ。そうして持参した薬を使うことは、ほとんど無い。薬はいわば、保険である。

一覧表にある薬が揃えば、次は服の準備にかかる。今回の訪タイでは、二日間の研修には参加をするものの、改まった会食は予定されていない。よって襟の付いたシャツは持たない。日程の関係からクリーニング屋へは頻繁に行けず、よって衣類は普段より一日分だけ余計に持つ必要がある。そしてそれらをふたつの圧縮袋に収める。

その勢いを駆って、文房具や、サングラスには見えないサングラスや、前回に余らせたタイバーツなどを、あちらこちらの引き出しから集める。

入国時に必要なタイデジタルアライバルカードは、コンピュータを事務室に降ろして申請し、それを自分のメールアドレスへ送り、別途、紙にも出力をする。そうしてほとんどの準備は、朝のうちに済んでしまった。

9時を過ぎたところで法務局と市役所を回って会社と個人の印鑑証明書を取る。それらを午後一番に、きのうの日記にも書いた初見の司法書士に手渡す。

明日の朝は、今朝あつめたあれこれを、スーツケースに収めてみよう。スーツケースは”RIMOWA Essential Lite Cabin U”、バックパックは”WEXLEY STEM ULTRA-LIGHT DAYPACK”。どちらも一部の機能を犠牲にしながら軽さを追求した、僕ごのみの道具である。


朝飯 揚げ玉、納豆、たらこ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダコンビネーションサラダカツレツカラフの白ワイン家に帰ってからのチーズ、Old Parr(生)

2026.5.17(日) 600文字くらいがちょうど良い。

鳥の第一声が聞こえたのは3時43分。彼らは、否、彼か彼女か、あるいはその双方かどうかはつまびらかではないけれど、朝の明け始める時を知っているのだ。

それはさておき今日は日曜日により、お客様は多くなるだろう。夏のご挨拶がお得意様に届けられたことにより、事務室では地方発送の承りが増えている。僕は明日は、売れた土地の件につき司法書士の訪問を受け、明後日は漢詩の教室で湯島へ行く。その翌日は店休日で社内は大掃除。そしてその夜は羽田空港と、中々に忙しい。

その、タイ行きの荷作りのことが、頭に引っかかっている。持ち物はコンピュータにデータベース化されていて、現在の総数は159。それらは今日にも紙に出力をする必要があるだろう。今朝は、毎日のサプリメントのみを、8日分が入るピルケースに整えた。残る158の品々は、月火水の未明から早朝の時間を用いて揃えるつもりである。

と、今日の日記のここまでを書いて、時刻はいまだ5時30分。よって事務室へ降りて「汁飯香の店 隠居うわさわ」の昨週のお客様の感想カードを持ち、四階の食堂へ戻ってその内容をコンピュータに入力する。更には「今朝は運ぶものが多い」と家内に乞われて、ふたつのトートバッグを母屋から隠居まで運ぶ。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」では、土鍋によるごはん炊きと味噌汁づくりの教室も、早朝に催している。今朝はそのご要望があったらしく、白衣と帽子を身につけた長男は、準備に余念がなかった

さて、それ以降も、あれやこれやはしたものの、既にして633文字も連ねてしまったことにより、今日の日記はここで終わる。


朝飯 マカロニサラダ、生玉子、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、筍と玉葱と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、刻みキャベツとブロッコリーのソテーと生のトマトを添えた豚の生姜焼き、「山本酒造店」の「白瀧上撰純米」(燗)

2026.5.16(土) 珍しい半日

きのうの閉店後から今未明までに「ぐるなび」を介していただいた「汁飯香の店 隠居うわさわへの」へのご予約は、通常は僕が承って家内に知らせ、また事務室の予約表に記入をする。今朝は出社する社員のために事務室のシャッターを上げるなり、紙に出力しておいた複数のご予約を、隠居の厨房に届けた。

道向こうの駐車場には、成田ナンバーの、このところよく見かけるようになったレンタルのキャンピングカーが、早くから駐められていた。用事があってそのちかくまで歩いた長男は、隠居に朝一番の予約をお入れになった旨を、そのお客様に知らされ、「その証拠」と、お客様がご自身のスマートフォンで見せてくださったそのご予約には、しかし一週間後の日付けがあったという。誤って「来週の今日」にご予約をされてしまうお客様は、そう多くはないものの、しかし皆無でも無い。

9時に開く道の駅で弁当が買えることをお教えすると、お客様は「弁当は食べ飽きた。そろそろ日本のリアルな朝食が食べたい」とのことでいらっしゃったという。しかし本日の隠居は、既にして満席をいただいている。お客様はそれでも道向こうから店側の駐車場にレンタカーをお移しになり、味噌と漬物をお買い上げくださった。とても有り難い

10時を過ぎたところで長男の小さなホンダ車に乗り、宇都宮を目指す。今日は取引先の青源味噌さんで「青源まつり」が開かれるのだ。街の真ん中にある青源さんの新しい店舗は、味噌を使った餃子やラーメンや丼物の屋台に、たくさんの人たちが集まっていた。空は晴れて、絶好のおまつり日和である。

しかし今日の販売係の昼食時間を考えれば、そうゆっくりもしていられない。会社の、修理に出していたiPadを修理屋へ受け取りに行く長男にはJR宇都宮駅まで送ってもらう。そして駅ビルの二階にある、青源さんが運営する物産店「宮源」さんの様子をうかがいながら、12:15発の日光行きに乗り、12:50にJR今市駅へ戻る。

僕は、日常の業務においては、ほとんど日光市から出ることはない。だから今日は、珍しい半日だった。15時には道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ出向いて、明朝に納めるべき商品と、その数を決める。


朝飯 カレーライス、生玉子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
昼飯 「丸亀製麺」の梅とろろ豚しゃぶぶっかけうどん、しそわかめおむすび
晩飯 たたき胡瓜、トマトとキウイのサラダ時菜蠣油玉子焼き蒸し鶏ソイの清蒸生姜の炊き込みごはん、「紅星」の「二頭鍋酒」(生)、八朔の杏仁豆腐、Old Parr(生)

2026.5.15(金) からだの手入れ

今朝の時間管理は綱渡りだった。8時の朝礼を済ませたら、開店の準備を整えてから自室へ上がって着替え、現金の入ったトートバッグを提げて外へ出る。銀行では本日の口あけの客として、種銭を5,000円札と1,000円札に両替してもらう手続きを取る。会社に戻れば即、普段履きを革靴に履き替えて、自転車で下今市の駅へ向かう。09:34発の上り特急には、無事に間に合った。

おとといの午後は行きつけの床屋が混み合っていて、僕の都合のつく時間には空きが無かった。よって今日の12時に、あらためて予約を入れた経緯があった。散髪を終えたら新橋の雑居ビルを出て大井町へと向かう。

治療を受ければ、その瞬間から、一体全体、それまで具合の悪かった歯がどこにあったか分からなくなるほど、ソーマ歯科室の技術は高い。しかしソーマ先生によれば、僕の噛む力は1,470ニュートンと、常人の倍ほど、あるいは大型犬ほども強く、それが歯に負担を与え続けているのだという。

赤坂の、ある割烹のあるじへの聞き書きを読んだことがある。その経営者兼料理人はあるとき、自分が柔らかいものばかりを食べるようになっていることに気づき、60歳であっさりと引退をした。しかし僕は70歳を目の前にしながら、いまだ食感の強いものを、必要以上に強く噛んでいるらしい。「それが良くない」と言われても、長年の嗜好やクセは、そう簡単に矯正できるものではない。

僕が優れた歯科医院に通い続けるのは、好きなものをできるだけ長く食べていたいからだ。2018年に白内障の手術を受けたのは、南の国の眩しい原色を、いつまでも眺めていたいからだ。伊豆のカイロプラクティックでの辛い治療に耐えるのは、できるだけ長く自分の足で旅をしたいからだ。つまり僕の身体の手入れはすべて、長く遊ぶためにのみにある、といっても過言ではない。

大井町の歯科医院から、断腸亭なら「晡下」と書く頃は新橋へ戻って路地を歩き、マッチ箱のように小さなビルの中でカウンター活動に従う。

地下鉄銀座線の浅草行きが上野、次いで稲荷町に停まったことは覚えていた。次に気がつくと、車両はふたたび上野に停まっていた。稲荷町を出たところで寝入り、車両は浅草で折り返して渋谷行きになっていたのだ。よって席を立ってプラットフォームに降り、階段を昇り降り、ではなく降りて昇って反対側のプラットフォームで浅草行きを待つ。

既にして特急券を確保済みだった浅草19:59発の下り特急には、無事に間に合った。そして22時前に帰宅を果たす。


朝飯 生のトマト、ウインナーソーセージと茄子とブロッコリーのソテーを添えた目玉焼き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、筍と若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ゴーゴーカレー」のカレーライス
晩飯 「小料理すみや」の其の一其の二其の三其の四其の五2種の日本酒(冷や)

2026.5.14(木) できるだけ長く

きのうの酒は残っていなかった。起きて食堂に来ると、食器棚の電波時計は2時52分を指していた。東の中天には、旧暦3月28日の月が浮かんでいる。太陽とは異なって、月の居場所は日によって気ままに思われるけれど、どうだろう。

今月4日の日記に書いた、爪と肉のあいだがアカギレにより剥がれかけていた右の人差し指にはバンドエイドのキズパワーパッドを巻き、それが外れて後も、爪を切ることはしていない。自分ごのみに短く切れば、爪と肉のあいだにふたたび赤い肉が見えてくるからだ。アカギレは、南の国へ行きさえすれば起きない。よって伸びたままの爪は、バンコクに着いてから切ることにしよう。

ところで、おじいちゃんの墓参りをした一昨日の日記を書きながら「さて、おばあちゃんの祥月命日は6月の何日だっただろうか」と、位牌の裏側を確かめた。ついでにおじいちゃんの位牌の没した年齢を見ると七十四歳とあった。

僕は、おじいちゃんが亡くなった年齢は72歳と覚えていた。それは、位牌の裏に「享年七十四歳」と記されていたことによる。享年は通常、数え年によるものだろう。しかしおばあちゃんのそれは百二歳と、満年齢の金文字がある。ということは、おじいちゃんの七十四歳も、満の年齢だった可能性が高い。

そういう次第にて食堂へ戻り「明治 申年」と検索エンジンに入れてみる。するとその年の西暦は1908年と出た。おじいちゃんが亡くなった1982年から1908年を減ずれば74。「そうだったのか」と、夜明けの気配を見せ始めた窓の外に目を遣る。

おじいちゃんは太く短く生きた人で、今の僕の年齢のときには、人に手を引かれなければ歩くこともできなくなっていた。「オレは細く長く生きて、できるだけ長いあいだ遊んでいてぇなぁ」と、強く思う。


朝飯 納豆、冷や奴、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、筍と三つ葉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ブロッコリーのソテーウフマヨネーズにするための茹で玉子レタスとベビーリーフのサラダカプレーゼ2種のパン揚げ茄子を添えた鶏のオーブン焼き2種のチーズChablis Billaud Simon 2018「本沢屋」の団子、Old Parr(生)

2026.5.13(水) 伊豆治療紀行(45回目の2日目)

レンタカーを伊東駅前の営業所へ戻し、伊東駅の改札口に近づく。電光掲示板に示された次の熱海行きは10:57発。iPhoneの現在時刻は10時55分。「あと2分」と家内に知らせてプラットフォームへ急ぐ。家内は走ることを必要とする忙しさを嫌う。一方、僕は時間の合理性をとても好む。

1975年の夏、名古屋で新幹線から近鉄名古屋線に、2分間で乗り換えたときの離れ業は、今でも忘れられない。2011年4月2日の初更にサイゴンでホテルから出たら、ベンタイン市場ちかくのターミナルへ向かう88番のバスがちょうど近づいて来て、待つことなくそれに乗ることができた。これまたいつまでも覚えている嬉しかったことだ。

旅はほとんど、タイの最北部ばかりに行きたい。しかしサイゴンに裏を返すことがあれば、そのときにはマジェスティックに滞在し、昼はプールサイドで本読み、夜は同ホテルのスカイーバーで飲酒喫飯、あるいはベンタイン市場裏の貝焼き屋台で飲酒喫飯、そればかりを繰り返したい。

家内とは16時55分に日本橋高島屋の1階で待ち合わせていた。夕食の最中に鋭い雷鳴の一撃があり、思わす振り返ると、外はまるで夜のように暗くなっていた。そうして浅草19:19発の下り特急に乗り、21時すぎに家へ戻る。


朝飯 「セブンイレブン」の2種のおむすび、同味噌汁
昼飯 「ドトール」のチーズインミラノサンド、コーヒー
晩飯 「吉野鮨本店」の其の一其の二其の三其の四「櫻正宗」の「特撰本醸造」(燗)

2026.5.12(火) 伊豆治療紀行(45回目の1日目)

本日はおじいちゃんつまり上澤梅太郎の祥月命日にて、家内と会社を9時20分に出て如来寺のお墓を訪ねる。お墓がとても綺麗に保たれているのは、お寺の職員のお陰だろうか。僕は水を固く絞ったタオルで墓石を拭く。家内は花と線香を供える。今日はそのまま下今市の駅へ行くこととしていたものの、僕の革靴は、お墓の赤い土ぼこりにまみれた。よって時間に余裕のあったこともあって、一旦、家に戻り、ブラシにてその埃を落とす。

家内の希望により、下今市発の上り特急は、僕が調べた列車よりひとつ早いものに乗った。その結果、熱海ではJR伊東線の列車の待ち時間が長くなった。このことは、よく覚えておかなければならない。

伊豆痛みの専門整体院での、9,000ボルトを発する電子ペンによる今日の治療は、幸い、それほど痛いものでもなかった。これまでで最も辛かったのは2024年1月のもので、そのときは特に、左膝の内側に打ち込まれだ電子ペンの痛みがすさまじく、僕は背中を曲げ、身をよじり、額の脂汗は手拭いで抑え、先生の問いかけには一切、答えられず、ただ耐えるのみだった。

月に一度の伊豆がよいは、そのときの痛みをふたたび味わいたくない、ただその一点に収斂する。言葉を変えれば治療のためではなく予防のため、である。伊豆には、僕が足を運べる限り、あるいは僕よりひとつ下の先生が引退をするまで通うことになるだろう。

旅館の、温度を違えたふたつの浴槽のうち「あつい湯」の温度は43.7℃。入浴後に計った体重は54.6キログラムだった。64キログラム台から50キログラム台まで減り続けた体重が、この1年のあいだに4キログラムも増えた理由は何だろう。


朝飯 鮭の「日光味噌梅太郎お城味噌」漬け焼き、牛蒡と人参のきんぴら、ウインナーソーセージと菠薐草のソテー、蕪と胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「鮭ともち麦枝豆塩昆布のおにぎり弁当」、JAWA TEA
晩飯 “Brasserie ChouChou”のグリーンサラダ帆立貝のブルゴーニュ風バター焼き、パン、イベリコ豚のソテー、グラスの白ワイン、クレームブリュレ、サントリー「角」(生)

2026.5.11(月) 小さくても分厚い

夕食を美味く食べるため、その1、2時間前に胃薬を飲む、ということを時々する。その行いを見て「具合が悪いわけでもないのに」と眉をひそめる人がいる。今月3日の日記にも書いたことだが、僕には「メシこそすべて」というところがあるのだ。

先日のテレビのニュースは、その胃薬の会社が今月末からの値上げを発表したことを伝えていた。そういう次第にて、食器棚の引き出しに在庫の払底していた胃薬の錠剤と顆粒を、きのうは日記に書いたノートと共に注文した。注文の合計が3,500円を超えれば送料が無料になるという、amazonの特典を利用したものだ。

「注文の合計が3,500円を超えれば」とはいえ胃薬は胃薬で、ノートはamazonが出品していた古書と共に、つまり別々に届いた。ノートはコクヨのキャンパスノートのA7版に匹敵するくらい小さいものの、200ページちかくもあるから分厚い。いずれにしても、来週の水曜日には、このノートと無印良品の細いボールペンを胸のポーチに入れて、羽田空港へ向かうことになるだろう。


朝飯 メシ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、豆腐と若布とトマトと玉葱と玉子の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 玉葱のすり流しカツ煮、蕪と胡瓜のぬか漬け、メシ、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、豆乳のババロアといちごの甘味、TIO PEPE

2026.5.10(日) 山の緑

朝の空は、日の昇る前の、ある一瞬、せいぜい数分間がもっとも美しい。しかしおなじ朝でも山の緑の深さは、それから数十分を経たころに頂点を迎える。そして今朝は、その頂点のところをすこしばかり逃してしまった。せっかくの緑に紗がかかりはじめるのだ。

さて、きのうの日記に書いた未知のノートは、調べるうちamazonでも売っていることを知り、即、注文した。1冊の定価が1,210円でも「まとめ買い2冊セット」なら1,858円という買い物に心が躍るとは、僕も随分と安上がりな性格である。午後は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への納品のついでに大谷川の向こうまでホンダフィットを走らせて、ダイソーでA4サイズのジッパーファイルを購入する。これは漢詩の教科書とノートを入れるためのもので、安っぽくても110円では文句は言えない。

さて日曜日の閉店後は3台あるキャッシュレジスターを締め、明後日の釣銭を準備した上で、1週間分の売上げ現金を合計して、帳簿上の数字と突き合わせてる。しかし今日は18時より、春の大祭の町内役員の直会がある。そういう次第にて、普段は僕のしているその仕事を今日ばかりは長男に任せ、17時45分に外へ出る。


朝飯 生のトマト、生玉子、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、玉葱と人参とピーマンの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「石和」の其の一、其の二其の三其の四其の五其の六其の七其の八其の九、日本酒(燗)

2026.5.9(土) ノートの選択

業務日報をコンピュータで付けるようになった1992年から、手帳は使わなくなった。しかし旅に出るときには、手帳というか、小さなノートを持つ。メモをするのは、この日記のための覚え書き、および金銭の出納である。

これまで使ってきたのはコクヨのキャンパスノートで、ピンクの表紙のA罫。サイズはA6だった。しかし昨年あたりから、このA6版はホテルに置いて金銭の出納のみを記録し、部屋の外では更に小さなA7版を使うようになった。それは、リコーGRDで撮っていた写真をiPhoneで済ませるようになり、持ち物が減ったことによる。持ち物が減ればそれを入れるポーチも小さくなり、そのポーチに合わせてノートも小さくした、というわけである。

メモのためのノートには興味が尽きず、数年前にはロディアの最小サイズを買ったものの、これは流石に使いづらくて、ただのひと文字も記してはいない。そして今朝は、なかなか良さそうなメモ帳をTiktokで見かけ、静止画に残した。

それを起床してからコンピュータで検索してみれば、売っているのは地方の小さな文房具店らしく、在庫は僅少だった。さて送料をかけてもそのうちの1冊を注文すべきか、あるいはどこでも買うことのできるコクヨのノートを今後も使い続けるべきか。そういう小さな迷いや悩みは結構、楽しい。


朝飯 納豆、牛肉のそぼろ煮・たまり漬「きざみザクザクしょうが」風味、揚げ玉、鮭の「日光味噌梅太郎お城味噌」漬け焼き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「大昌園」のあれやこれやそれや他あれこれ麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)

2026.5.8(金) 緑一色

仏壇に花と水とお茶と線香を供え、上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」へのインターネットを介してのご予約を承り、会社の電子会議室に報告と意見を上げ、きのうの日記を完成させても時刻はいまだ4時40分。早起きは得意な一方、夜の少人数での集まりにおける寝技足技は苦手である。

4時40分からは、今月2日の日記に書いた、東北のある出版社の社長の日記を読む。西暦2000年からの日記を、その初日まで遡って読んでいるのだから、中々に読みでがある。最新の日記に辿り着くまでには、どれほどの日にちがかかるだろう。この日記には週に一度の頻度で書評が載り、それが僕の「読みたい欲」を刺激するのも、また困りものではある。

その日記のひと月分を読んだ後は、月に一度は家族で行く洋食屋「コスモス」の若マスターが、今年の2月に東海道五十三次を歩き通した、その準備から「神奈川の一里塚跡」までをウェブ上に読む。そこから朝食の準備が始まるまでの6時30分までは「本の雑誌」の、日記を特集した2014年10月号を拾い読みする。つまりはまぁ、人の日記ばかりを読んだ、ということだ。その後は活字ではなく、荒木経惟の「センチメンタルな旅 冬の旅」を本棚から引き出して、そのすべての写真を観る。

10時からは隠居で場長会議。座敷の目の前の梅は、実を随分と大きくしてきた。どうやら今年は豊作らしい。その実はいずれ砂糖漬けにされて「東風吹きソーダ」として「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様に供される。いにしえに太宰府で詠まれた歌は春のものだったろうけれど、こちらのソーダは夏にふさわしい涼味である。

夕刻、明日のための仕込みをしている家内を、隠居の厨房に迎えに行く。半袖のポロシャツ一枚で過ごせるほどの気温。空にはツバメが舞っている。「一年中、初夏と夏なら良いのに」と、切に思う。


朝飯 小松菜のソテー、スペイン風目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとベビーリーフとモッツァレラチーズのサラダスパゲティボンゴレChablis Billaud Simon 2018ティラミス、Old Parr(生)

2026.5.7(木) 御の字

応接間のベランダに「キュロキュロ」と、鳥の声がかまびすしい。窓の内側からその様子をうかがうと、1匹のツバメが手摺りにとまっていた。

先日の日本橋丸善の棚には鈴木俊貴の「僕には鳥の言葉がわかる」が目立つように置いてあった。手摺りのツバメも、誰かと意思の疎通を図っているのだろう。そう考えて、ベランダの高いところをざっと見る。ツバメは果たして空気調整器の室外機の、暖気や冷気の通るパイプの上に巣を作っていた。

手摺りのツバメと巣に見えているツバメは、つがいに違いない。厄介なところに巣を作ったものだ。室外機の裏の、いかにも掃除のしづらそうなところはそのうち糞だらけになるのではないか。しかし今その巣を取り除くことは人非人の行いと、普段、獣肉を食らっていることは棚に上げて、思う。糞の状態があまりにひどければ、巣はツバメが去って後に片づけようと思う。

ところで先月、ひとつは会社、ひとつは僕の名義になっている隣りあった土地が、まとめて売れた。しかしその代金を受け取るには、当方の負担による整地や土留めが必要になる。そしてその工事は首尾良く、これまた先月のうちに完了した。会社と僕に宛てた請求書は、今月の1日に届けられた。そのうち会社の分はきのう、長男が送金の手続きをした。僕の分は、休みが明けたばかりの銀行を9時すぎに訪ねて払い戻し、工事を担当した会社に現金で届けた。諸事いそがしければ、早め早めの行動が吉と考えてのことである。

もっとも、まとまったお金の現金による支払いを好まない業界もある。日光や鬼怒川温泉の旅館や物産店で集金に苦労をした僕からすれば「払ってくれさえすれば、どんな形でも御の字ではないか」と思うけれど。


朝飯 生のトマト、若竹煮、ピーマンのソテーを添えた目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 冷や奴の「なめこのたまり炊」のせお好み焼き焼きそば、「山本酒造店」の「白瀧上撰純米」(燗)、スイートポテト、Old Parr(生)

2026.5.6(水) どうせ着ない

ユナイテッドアスレの半袖ポロシャツに4月30日から重ねていたユニクロのウォッシャブルクルーネックセーターを、きのうからはGood Onの長袖Tシャツに替えた。春の気温が初夏のそれに変わってきたからだ。

Good OnのTシャツは、いささか粗めの肌触りが好きだ。2週間後に迫ったタイ行きに際しては、クリーニング屋へ行ける日取りの関係から、いつもより多い6着を持参することを決めている。その中にはもちろん、Good Onの白い半袖2着も含まれている。

facebookのリール動画やTikTokには、魅力的な服が次々と現れる。それらを時には静止画に残したりする。後で検索をして、ためつすがめつするためだ。しかし買うにはほとんど到らない。クローゼットやプラスティックの衣裳ケースには、着ない服がたくさん詰まっている。その事実を脚下照顧してみれば、とてもではないけれど「カゴに入れる」ボタンはクリックできないのだ。

今月の外出は、12日と13日が伊豆のカイロプラクティック、15日は東京の歯科医院、20日は羽田空港で、翌未明からはバンコク。少なくとも上半身は、Tシャツばかりになるだろう。


朝飯 生のトマト、キャベツのソテー、スクランブルドエッグ、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 手巻き鮨、「天寿酒造」の「鳥海山生酛純米」(燗)、カステラ、Old Parr(生)

2026.5.5(火) 柱のキズ

「はしらのきずはおととしの」という歌を、先日は、三歳と三ヶ月になる孫のカコが歌っていた。

子供のころ、その歌「背くらべ」の歌詞を思い浮かべながら、柱に疵を付けたことがあった。その疵はしかし、海野厚の詞とは異なって、自分の背丈の記録としてではなく、玄翁で面白半分に何ヶ所かを叩いて付けた、半月型の凹みだった。よくもまぁ、大人に叱られなかったものだと思う。

先日は、隠居の柱にも意図して印されたと思われる疵を見つけた。それは大工の毛書き針によるようなもので、床からの高さはいくらもないから、子どもの背を計ったものではないだろう。

日曜日と重なった祝日を次の日に自動的に移すような法律は、むかしはなかった。小学校のころだったか、5月の連休の3日続く年があった。それに子どもたちは前の年から気づき、一年後を心待ちにした覚えがある。東京都港区三田の修業先から戻って以降の黄金週間については、その繁忙のあいだのお客様に満足をいただくこと、また商売上の、より良い数字を得ることのみが、頭を占めている。

黄金週間は明日まで続く。しかし明日の店には平日と変わらない静かさが戻るのではないか、そんな気がしている。


朝飯 生のトマト、菠薐草の胡麻和え、目玉焼き、牛蒡と人参のきんぴら、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 Moet et Chandon Bru Imperialトマトとベビーリーフのサラダ帆立貝と蟹と蛸のグラタンChablis Billaud Simon 2018

2026.5.4(月) より良い成績

起床は2時35分。

右手の人差し指の爪と肉のあいだがアカギレにより剥がれかけている。この指は、スマートフォンやコンピュータを使うときには必須だから、できれば裸のままにしておきたいところではあるけれど、背に腹は替えられないから、バンドエイドのキズパワーパッドで覆うことにする。

キズパワーパッドは、1本の指に3枚を使う。説明書には、貼る前に手で1分間を温め、貼った後もおなじく手で押さえて1分間を温めるよう記されている。3枚を貼り終えるまでに要する時間は十数分。そのあいだの無聊を慰めるためTikTokを開く。

すると何と、曲師の沢村まみが「梅太郎」のアカウントをフォローしてくれていることに気づいた。よってキズパワーパッドの巻かれてない右の薬指でそのアイコンをタップし、彼女がヴィヴィアンウエストウッドのカフェを表参道に訪ねたときの動画などに見入る。ちなみに沢村まみに「さん」を付けないのは、エイミー・ワインハウスやジャック・ディジョネットに「さん」を付けないことと同じ理由による。

ところでTikTokの「梅太郎」のために保存している朝食動画の現在の在庫は7本。動画は2日に1本の頻度で上げるから、16日までは保ちそうだ。それから先の動画については、明日あたりから、また撮っていくことにしよう

きのうは晴れて気温が上がったせいか、夕刻になるころには、いささか疲れを覚えた。そして今日もまた、午後も遅いころになると、おなじ感覚が戻ってきた。今年の黄金週間の混雑の頂点は、多分、今日だろう。より良い成績を、目指すのみである。


朝飯 鱈子、生玉子、山芋のすりおろし、小松菜のおひたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜と若布と揚げ玉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 牛蒡と人参のきんぴら、なめこのたまり炊、キムチ鍋、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、Old Parr(ソーダ割り)、いちご、杏仁豆腐、Old Parr(生)

2026.5.3(日) 在庫ゼロ

昨春以来、およそ1年2ヶ月ぶりに、この日記を書いているWordPressのパスワードを更新する。以前は海外へ出かける前に必ずしていたことだが、このところはいささか無精になっていた。

「夕方まで曇りの予報だけれど、外れて欲しいな」と、早朝の曇天を眺めつつ、次はワインの在庫をワイン蔵で、ではなく、コンピュータのデータベースで調べる。僕には「メシこそすべて」というところがある。そして今夜は長男がステーキを焼くという。そうであれば、このところのコノスルよりすこし高いワインを飲もうか、と考えたのだ。

「だったらサンジュリアンだ」と、そこに並ぶ35本のうちの1本に目を付けワイン蔵へ行く。ところがサンジュリアンに割り当てた棚は、まったくの空だった。

「そんなことがあるものか」と、ふたたび食堂へ戻り、データベースにあるワインの名をこの日記の検索窓に入れてみた。そうしてはじめて、35本のワインは既にして飲み尽くしていたことが分かった。データベースとはいえ、飲むたびその残数を入力してこなかった、それが今朝は祟ったのだ。

そういう次第にてふたたびワイン蔵へ行き、代わりにポーイヤックの棚から1本を引き抜き、北側の廊下、つまり家の中でも気温の低いところに立てて置いた。夕食までには、澱も降りていることだろう。

天気予報は上手い具合に外れて、昼が近くなるころには日が差してきた。同時にお客様の数も、黄金週間らしく増えてきた。多いに有り難い。


朝飯 若竹煮、納豆、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬、メシ、ブロッコリーの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとキウイとレタスのサラダカリフラワーとポテトと人参の鉄板焼きと「たまり漬」によるソースを添えたビーフステーキPAUILLAC 2003

2026.5.2(土) 葉のみを活ける

「充分に寝た」という爽快感は無かった。しかし眠気は訪れない。よって着替えて洗面所を経由して食堂に出る。食器棚の電波時計は2時35分を指していた。睡眠時間の短さを誇示するマウントが、外資系の企業に勤める人たちの中にはあるという。僕がここに起きた時間を記すのは、そのたぐいのものではない。きのうの就寝は20時より前だった。

先月28日の日記にも書いたことだが、上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今月2日から4日にかけては満席を戴いている。予約システムの「ぐるなび」は、満席でもクリックまたはタップできる「リクエスト予約」という仕組みを備えている。今朝もそれによるご予約が、明日の11時30分に入っていた。しかし満席ではどうにもならない。よって、そのお客様にはお詫びのメールをお送りする。

さてその隠居の床の間には現在、堂本印象の「サラニヨシ」が掛けてある。金彩で描かれているのは土筆と桔梗だから、これからもしばらくはそのままでいけるとは思う。しかしそろそろ今井アレクサンドルの「ガーベラ」の出番ではないか。もっとも「花の絵を掛けると、おなじ床に置く活花に苦労をする」と家内は言う。だったら葉っぱだけを活ける、というわけにはいかないのだろうか。

4時15分のころの東の空は黒い雲に塗りつぶされて、昇ろうとしている太陽による紅い帯は、遠い山の端と、その雲の下端の間に細長く見えるのみだった。しかし一時間ほどしてコンピュータのディスプレーから顔を上げると、強く朝日が差しはじめていた。

あたりが明るくなったことにも気づかず読みふけっていたのは、起きる前にスマートフォンの検索エンジンにより偶然見つけた、東北のある出版社の社員によるリレー日記である。更にはその日記にあった本を3冊もamazonに注文し、4冊目にも手を出そうとして、それは流石に止めて「リストに追加」をクリックする。

と、こういうことを連ねているから、僕の日記は朝のことばかりになるのだ。

朝食は、きのう炊いたごはんがたくさんあったことにより、お茶漬け。昼食のにゅうめんには、きのうの夜に残ったカレーをかけた。夕食は、おとといの夜の天ぷらの残りによる天とじ丼。連休のあいだはどこもかしこも混んでいるだろうから、外食は避けるとのことである。


朝飯 納豆、揚げ玉、梅干、鱈子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬によるお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 小松菜のおひたし、若竹煮、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、なめこのたまり炊、天とじ丼、「天寿酒造」の「鳥海山生酛純米」(燗)、いちご

2026.5.1(金) 安すぎる

目を覚ますと胃が痛い。時刻は3時5分。薬を納めた引き出しのある食堂まで行く気はしない。幸い眠れて5時にふたたび目を覚ます。胃の痛みは相変わらず消えていない。しばらくすると右だったか左だったかは覚えていないものの、ヒジの内側に痒みを覚えて「また湿疹か」と、その部分を指先でひねる。そのうちその痒みは両肩から両腕、また両太腿の表裏に広がった。撫でてみると、皮膚がデコボコになっている。「すわ、蕁麻疹か」と、起きて洗面所へ行く。

灯りのあるところで確かめると、皮膚の痒いところはすべて赤くなり、蚊に刺されたような膨らみが広がっている。蕁麻疹という病気のあることは知っていたものの、自分のからだにそれが起きるのは初めてのことだ。

そのまま食堂へ行き、胃薬と、皮膚科で処方された抗アレルギー薬を服用する。だからといって安心はできない。寝室の寝台へ戻って「蕁麻疹 原因」とスマートフォンに入れてみる。そこに出てきたあれこれは、僕には当てはまらないものばかりだった。

胃の痛みは間もなく去った。蕁麻疹に特有の皮膚の状態も、30分後には引き加減になり、1時間後にはほぼ消えた。僕は、1年のうち5週間ほどは海外にいる。今朝と同じことが旅先で起きれば、大いに焦燥をしたことだろう。

ところできのうの日記に書いた撥水性を持つ上着については、長男が良さそうなものを着ていたため、訊けば「ワークマン女子」あらため「ワークマンカラー」の品だという。よって即、郊外にあるその店にホンダフィットを走らせ、僕も手に入れた。思い出の中にある、45年前に1,000円で買ったウインドブレーカーよりそれは遙かに出来が良く、しかも価格は税込で1,490円。「ここまで安くすること、ねぇじゃねぇか。原産国の労働者に、もうすこし報いるべきじゃねぇのか」と僕などは考えるけれど、それでは日本国内の価格優位性が維持できないのだろうか。


朝飯 生のトマト、菠薐草のソテー、スクランブルドエッグ、若竹煮、大根おろしを薬味にした納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根とズッキーニと若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 チーズ、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、トマトとレタスとベビーリーフのサラダブロッコリーのソテーを添えたカレーライス、Old Parr(お湯割り)、チョコレート、Old Parr(生)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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