2026.5.23 (土) タイ日記(3日目)
目を覚ましたのは1時台。「よく眠った」という感覚を覚えつつ次に目を覚ましたのは2時台の終わりころ。そして3時台のはじめに起床する。きのうの就寝は多分、20時30分のころだったと思う。つまり睡眠は充分、ということだ。
洗面を済ませたら、きのうのうちに完成させておいた、バンコクでの初日つまりおとといの日記を公開する。それを改めて読み直すことにはiPhoneを使う。コンピュータで書いたものを、おなじコンピュータで読むと、なぜか誤字や脱字に気づきづらいのだ。そうして公開したばかりの日記を修正していく。部屋はビジネス向きには設計されていず、いわゆるデスクは備えていない。照明もそれなりで、キーボードの文字はほとんど見えない。
修正を終えたところで空腹に気づく。しかし部屋には湯沸かしポットが無いため、持参のコンソメスープを飲むことはできない。予約サイトのレビューによればお粗末らしい、このホテルの朝食を待つばかりだ。
7時を回ったところで二階の朝食会場に降りる。入った右手には、目玉焼きをフライパンではなく、天ぷらかフライに用いるような油の中で作っているオニーチャンがひとりいて、彼が朝食全般を仕切っているらしい。部屋の鍵を確認されるなどは、特にされない。
先ずはカップにインスタントコーヒーを溶かし、それをテーブルに運んだら、今度はトースターで食パンを焼く。生野菜のたぐいは無い。粗末といえば粗末ではあるものの、中華粥で仕上げれば、我慢はできる。それはさておき、カップ麺を持ち込んでいる客がいたことには驚いた。
さて本日は第21回バンコクMGの1日目。僕はバンコクMGには、これが始まった2016年より、世界がコロナ禍に覆われた2021年から、その余波の残る2024年までの4年間を除いては、年に1回の参加を欠かさず続けてきた。会場は、2020年まではトンローのsoi10。それが昨年からはバンコク有数のビジネス街であるアソークの、それも真ん真ん中のインターチェンジ21ビルに移された。
ホテルから会場までは、スクムヴィットsoi21、つまりアソークの大通りの日陰を選んで歩く。そこから夜は賑やかなソイカウボーイを抜け、soi23に出て、ビルには裏から入った方が間違いが少ない。今回の研修室は、吹き抜けの天井と大きなガラス窓により、照明を必要としないほどの明るい空間だった。
今回の参加者は、バンコクで働く初心者が5名に、日本からの者が6名の計11名。参加の予定だったものの日本に仕事ができてしまった人は仕方がないとして、飛行機に乗り遅れた2名については慚愧に堪えない。
参加者の各自が自分の会社を持ち、二日間をかけて、盤上に5期分の経営を展開するマネジメントゲームについては、その棋譜とでも呼ぶべきものをここに開陳しても、経験者以外の理解は得られないだろうから、大まかに記す。
その第1期はルール説明をしながらの演習。6名がひとつの市場を形成しての激しい入札の応酬を繰り広げるのは第2期から。その第2期を、経験は長いながらゲームの絶望的に下手な僕としては、損益分岐比率98パーセントで無難に通過した。しかし陥穽は第3期に待ち構えていた。第3期末の損益分岐比率324パーセントは、倒産への下り坂を一気に転がり落ちていく数字である。これほどひどい展開は、初心者だった1990年代以来のものだと思う。
しかしまぁ「それはさておき」である。第3期の決算を終えた人も終えない人も、ビルの退去時間である18時30分にて解散。以降、希望者はアソークから賑やかなスクムビット通りを東へ歩いてプロンポンに到る。そして先に書いた「参加の予定だったものの日本に仕事ができてしまった人」の経営する店での交流会に参加をする。
その店”AT ESAN”には、僕は心底、驚かされた。お店の人たちはすべて清楚で感じが良く、料理はすべて、非常に美味いのだ。来年のバンコクMGの際に機会が得られれば、ぜひオーナーに会ってみたい。
交流会の場所からホテルまでは、タイ人なら決して歩かないだろう距離を徒歩で戻る。いくら鍵を回しても開かない部屋の扉は、フロントへ降りてオジサンを呼び、そのオジサンも苦労をしながら、ようやく開いた。就寝は多分、22時のころだったと思う。
朝飯 “Best Comfort Bangkok Hotel”のトーストとコーヒー、お粥その一、お粥その二
昼飯 “NIGIRI-TATE”の弁当
晩飯 “AT ESAN”の三品盆、サイクロークイサーン、コームーヤーン、パッタイクン、ソムタムタイ、ラープムー、空心菜の天ぷら、ガイトード、他あれこれ、アイスクリーム、ビアリオ、シンハビール













