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清閑 PERSONAL DIARY

2026.5.22 (金) タイ日記(2日目)

目を覚ました時刻は5時48分。昨夜というか、深夜0時を過ぎての帰着からすれば、上出来の目覚めである。起きて身のまわりのことをするうち、早くも空腹を覚えてくる。

7時になりかかろうとするころを見計らって外へ出る。きのうのぶっかけメシ屋は、有り難いことに、営業を始めていた。僕の顔を覚えてくれたらしいオジサンには「茄子」と伝え、次のオカズはオジサンの勧める、オクラに甘く揚げた肉を和えたものにした。今日は目玉焼きは頼まず、料金は50バーツだった。

バンコクではよく見かける、ビルとビルの隙間に雨除けの屋根を渡しただけのこの店には、奧に汁麺屋もあり、また飲み物を売るカウンターもある。だから夜まで開いていればバットのおかずを選んでラオカーオのソーダ割りが飲みたいところではあるけれど、多分、その時間までは、営業はしないだろう。

店からの出しなに明日のことを訊いてみる。オジサンによれば、土曜日と日曜日は休みとのことだった。

部屋へ戻ったところできのうの日記の書き継ぎに取りかかる。旅の初日の日記にはいつも、苦労をさせられる。とにかく文章が長くなって、いつまでも書き終えないのだ。それでもようよう最後のひと文字に到る。総文字数は6,312になった。そうしてしばし、窓の外の驟雨に見入る

そのいきなりの雨は、小一時間ほどで上がった。そこで七階の部屋から九階のプールサイドへ上がり、寝椅子の角度を調整して、川本三郎著「荷風の昭和」の後篇を開く。

プールサイドで本を読んでいた時間は1時間と少々。14時45分に掃除のため部屋へ来たのはオニーチャンの二人組。「タイ人ですか」と訊くと、どうもそうではないらしい。Phoneの翻訳アプリケーションに「ベッドはバスルームに近い方だけ整えてくれればOKです。バスルームにタオルが無いときは、私がプールサイドで使用中ですので、補充をお願いします」と日本語で書き入れ、そのタイ文字を見せると、オニーチャンは廊下に出て、メイドのオバサンを呼んだ。オバサンは僕のiPhoneのタイ語を声に出して読み、ニッコリと笑みを浮かべた。オニーチャンには枕銭の40バーツを手渡していたものの、オバサンにも40バーツを進呈する。こういう小さな行いが、後に効いてくるのだ。

彼らが去って後にふと気づくと、バスルームにはこのホテルでは用意されないはずの普通サイズのタオルが置かれ、冷蔵庫のミネラルウィーターは、2本から3本に増えていた。

そうするうち、今回のバンコクMGの前夜祭の知らせが、インストラクターのタナカタカシさんよりメッセンジャーを通じて入る。時間は18時。場所はきのうの日記に書いた、昨年も使ったことのある、現在のホテルからなら徒歩で数分のムーカタ屋だった。

以降の時間は、有料のメールマガジンを読み始めて、しかしどうしても寝落ちをしてしまう。よって椅子を離れてベッドへ仰向きになり、小一時間ほどを休むことに充てる。

ホテルの前の道は、夕刻の渋滞により、オートバイはおろか人が歩くことさえままならなかった。そしうて約束の18時より10分ほど早く扉を押したムーカタ屋には、既にしてタナカタカシさんと、参加者のスミタヨシタカさんが席に着いていた。やがてそこにフクモトカツマサさん、シラチャからバンコクへ向かいながら渋滞に巻き込まれていたトモダヨシヒロさんが到着して、すべての人が揃う。

歓談の内容は、西研究所の旗の下でマネジメントゲームを学ぶ者たちによるものだから、真面目なことに終始した。そして20時に散会。飲食代は「バンコクMGの参加費用に含まれている」とのことでタナカさんが支払ってくれたものの、それは方便で、多分、タナカさんの奢りなのだろう。

部屋に戻って今日の金銭出納帳を見直してみる。本日もっとも大きな出費は、部屋掃除のオニーチャンとオバサンに渡したチップの計80バーツだった。僕の旅行中にはよくあること、である。


朝飯 「クワイジャップアソーク」のカオゲーン
晩飯 “LIB STORY Thai BBQ & Local Food”のムーガタラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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