自閉症的作法

東京の中心部にある古い居酒屋や料理屋には、長年にわたって菊正宗を置き続けている店が多い。ところが今や、銘酒料理屋に追随して、安い居酒屋チェーン店も各地の吟醸酒を取りそろえるようになり、果ては部屋を時間貸しするカラオケでさえ、複数の日本酒を冷蔵庫へ備えるまでになった。

これは、このような店を利用する若年層の味覚が鋭くなり、日本酒に対する嗜好が多様化してきたためだろうか? 僕は決して、そうは思わない。

フランス料理屋やイタリア料理屋では、むかしから客が自分好みのワインを選び、それを飲んできた。グラスワインを別とすれば、これらのワインは通常、その容量から、複数の人間によって飲まれることを前提としている。ところが数年前から燎原の火のように広がった吟醸酒のブームは、「美味い酒を飲みたい」 「自分好みの酒を飲みたい」 という嗜好とは別に、「人と同席はしていても、自分ひとりで勝手にしたい」という要求に、時宜を得て呼応したものではなかったか。

通常、1合に満たない吟醸グラスで出される酒は、人に酌をする必要もなく、人から酌を受ける必要もなく、最初から最後まで自分だけのものとしてそばに置くことができる。

むかし玄関や居間にあった電話機はひとり1台の携帯電話にかわり、地方では自動車までもが、いまや個人の占有物だ。文化や習俗の個人化は、排水孔に殺到する残り水のように勢いを増して渦を巻き、とどまることを知らない。

親しい友人と食事をするときにも、ひとりひとりが好みの酒を自分の前へ置き、同席者には決して干渉しないパーソナルなスタイルが、これからの日本のマナーの潮流を作っていくと、僕は考えている。


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2002.0401