サイトー君のメルセデス

すいぶんとむかし夜遊びをしていたころ、サイトー君とは週に1度くらいは顔を合わせていた。何をするでもなく、こちらもクルマ、あちらもクルマだったからお酒も飲まず、お互いにただ話をするだけの仲だった。

夏のサイトー君はいつも、半ズボンにアロハシャツ、裸足にデッキシューズを履いていた。半ズボンは彼の子供のころを想像させるような短いもので、シャツのサイズもことさらに大きくはなかった。そしてその昔風の着こなしは、サイトー君の悪くない出自を語っているように思われた。デッキシューズはボロボロで、しかしいつ見ても真っ白の洗い立てだった。

サイトー君は何の変哲もない、銀色のメルセデスに乗っていた。そのメルセデスは古く、しかし年式を誇るような特別なものではなかった。エンジンの排気量は3リットルに満たなかったのではないか。ボディのあちらこちらには、植物の枝や硬くとがった葉でこすられたような傷が多くあった。その浅く長い傷を見るにつけ、徒歩で見回る際にうっかり気を抜くと遭難してしまうほどサイトー君ちの山は広いんだと、誰か言っていたことを思い出した。

ある日、女友達のアングリ君が 「おしゃれすぎる男はバカに見える」と言った。夜遊びをしなくなってから20年以上も経っていたが、僕はその言葉を聞いてすぐに、サイトー君のメルセデスを頭に浮かべた。古く、何の変哲もない、2枚ドアの、傷だらけのメルセデス。「クルマなんてのは走って、曲がって、止まりさえすれば用は足りるんだ」 というメルセデス。

あのメルセデスは今も、生け垣の切れ目から数百メートルも奥まったトタン屋根の小屋に、様々な農機具と共にあるだろうか。「こだわらない」 ということの格好良さを僕に最初に教えてくれたのは、サイトー君だったかも知れない。


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2006.0701