宋天目海揚

それぞれの人間にもっとも適した飯茶碗の直径は、その人が左右の手の親指と中指でつくる円の大きさである。我が町の看板屋 「手塚工房」 の直ちゃんに言わせると、そういうことになるらしい。

京都の祇園花見小路を四条から北に上がると、新門前通りとの交差点に行き当たり、これを東に折れると、すぐ南側に 「木村古美術」 という店が見つかる。ここのオヤジには 「あんたんみたいなもん買うんは千人に一人」 とか 「神風連(しんぷうれん)みたいな格好して」 などと軽口をたたかれながら、しかし京都へ行くたびに、僕はこの店へ顔を出す。

ある日、一双の黒い茶碗が僕の目にとまった。顔を近づけると、大きさは直ちゃんが言っていたとおり、僕の手がつくる円にぴたりと収まる。裏を返してみると 「宋天目海揚」 と、小さく書かれた紙が貼ってある。「宋」 とは、あの宋の時代のことなのだろうか、まさか。「海揚」 とは、海から引き揚げたということ?

確かに糸底のまわりには、一双の片方に白い貝が付着し、もう一方にはサンゴ虫のようなものが微細にはりついている。 「海揚」 については本当だろう。

買って帰って、実際に使ってどうだったか?

飯茶碗としては野暮くさい。糸底が鋭くないので、左手によるホールドが不安定だ。重いわりに肌はサラリとした感触なので、落とす心配もある。箸が内壁に触った際の、かさつき具合も不快だ。

気をとりなおして濃茶を喫してみよう。 ・ ・ ・ ところが内側の底の部分が円筒状にくぼんでいるせいか、作法どおりに茶筅をまわすと、この底にお茶の粉が沈んでしまう。

それではいったい、この茶碗を好きなのか、あるいは嫌いなのかと問われれば、それは好きとしか答えようがない。

出自は大したことのない、日用の雑器である。「宋」 の人々は、これを何に用いていたのだろう。

宋天目海揚
1998.0924