"Montbell"の傘

野外遊び用の雨具というと、得てしてゴアテックスの上下やポンチョを思いうかべがちだ。しかし低山や湿地、沼沢まわりの徘徊には、実は傘で間に合うことが多い。 そんなときに最適なのが"Montbell"の折りたたみ傘だ。

収納のときの全長は25Cm、重さは250g。これよりもコンパクトな傘は多いが、しかし強度においてはたいてい、心許ない。

僕はオレンジ色のこの傘を、10年来愛用してきた。そして紛失した。1998年4月9日のことだ。幕張メッセで開かれていた"COMDEX"の帰りに仲間たちと浜松町の「秋田屋」へ行ったことが、その遠因となっている。 ・ ・ ・ イケマセンね、お酒のせいにしては。

「秋田屋」は開高健が短編「玉、砕ける」の中で紹介する、老舎が香港の新聞記者に滔々と語ったという、何百年も火を落としたことのない鍋料理屋についての描写を、そのままモツ焼き屋に変換したような店だ。お客はみなゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」みたいな顔をして一所懸命にモツ焼きを口に運んでいる。

何はともあれこの「秋田屋」で楽しく飲んだのち、地下鉄都営浅草線の大門駅から浅草へ向かった。既に雨は止んでいたが、濡れた傘をエディバウアーのスリーウェイパックに入れる気がせず、それとは別に網棚へ乗せたのが、間違いのもとだった。

現在"Montbell"は同型の傘をラインナップはしているが、オレンジ色のものについては生産を中止している。紺色やカーキ色では得心がいかない。夜の雨に濡れて光るアスファルトの路上で僕を常に目立たせていたのは、このオレンジ色の傘だった。弱小の動植物は、自ら目立つことによってか、あるいは積極的に周囲にとけ込むことによって強者から身を守る。

しばらくはつまらない500円傘を使っていたが、その不便さには我慢がならなかった。

ある日、神保町の石井スポーツで、この"Montbell"の傘には紫色のものもあることに気づいた。オレンジ色から紫色への転向は責められても仕方のないところではあるが、10年ものあいだ使い慣れた傘を失った気色悪さは、どうにも払拭できなかった。遂に僕は、この紫色の傘を購入した。

先日の雨の朝には、本郷三丁目駅前ドトールコーヒーで「エスプレッソおっきいの」を飲み、丸の内線で御茶ノ水へ移動して駿河台下まで歩き、交差点角の小諸蕎麦で「イカ天もりソバつゆあったかいの」を食べた。スゴい朝食だ、まったく。

ソバを食べながらチラリと外を見ると、傘立てには紫色の"Montbell"の傘。何だか久しぶりに昔の友達に逢えたようで、僕は嬉しかった。

Montbellの傘
1998.1031