野点酒器

ドロミテの登山靴が、土に還る前の湿った落ち葉を踏みしめている。こずえ越しに見上げる空は青く、刷毛ではいたような秋の雲も見えるが、いま自分のいる森に満ちる香りは人を快活にさせる種類のものではなく、むしろ心は落ち着いて、耳ははっきりと、いまだ近くないせせらぎの音を感じている。

"pied en canard" つまりアヒルのように開いた足の、土踏まずを地面へ打ち込むようにして小さな隆起を越えようとするが、やがてそのままでは滑り落ちそうな急角度に、両足を揃え、靴の底を斜面と平行にする登行法 "pied a plat" に変える。

カリマーのサブアタックザックには、スベアの123と、日本酒の入ったグランテトラの水筒がある。そしてザックに入りきらなかった木箱は風呂敷に包まれて、僕の小脇へ抱えられている。

たとえ広葉樹に猿の啼く声がこだまする乾いた砂利の三角州にあっても、仲間と飲酒を為すからには、できるだけ好みに合った器を揃えたい。料理屋へ行けば料理屋の器に従うが、山に入れば、すべては自分の勝手だ。

働き者は流木をあつめ火を焚き、子供のころの遊びをいつまでも忘れない者は流れに石を積み小魚を捕らえようとし、そして僕はただ、木箱の紐を解く。

徳利 蔵珍 南蛮銀彩
曽宇 呉須赤絵花文
酒杯 陣内 俵手
土平 白唐津
蔵珍 花巻金彩
蔵珍 南蛮銀彩
蔵珍 呉須赤絵馬上盃
副島 瑠璃硝子
副島 金彩硝子
紫楽 黒楽
青華 呉須赤絵花文
青花 染付長崎文


日用の雑器を特注の桐箱へ納める趣味は酔狂としても、しかし、グロテスクやバロックの様式とは最も離れたところにある、この簡素で、手触りの良い、そして何より愛らしい道具を野外に広げるときの気持ちには、格別のものがある。

やがて小さなステインレス製の寸胴に、酒が温まる。川をせき止めただけの罠に、果たして小魚は首尾良く導かれるだろうか。僕はそれを期待しないまま、種を除いただけの丸ごとのピーマンに、オイルサーディンを何尾か突っ込んで丸かじりにする。

渓谷に暮色が迫る。流木の炎が鮮やかさを増す。水中の小魚は石の隙間に目を見開いたまま、明日の朝までその姿をあらわすことはないだろう。

野点酒器
2003.0901