"FIAT"の空冷2気筒エンジン

クルマのコックピットとして自分が理想とするサイズは、右手でハンドルを握りつつ左手を後ろに伸ばしたとき、その指先でリアウインドウに触れることのできるものだ。これだけ小さな室内を持つ4座のクルマを、僕は3台しか知らない。1台は "Lancia Rallye HF"、もう1台は "Alfa Romeo SZ"、そして最後が "FIAT nuova 500" だ。

ダンテ・ジアコーザがフィアット社で航空機用エンジン設計責任者の地位を得たとき、彼はいまだ少年の面影を残す青年だったが間もなく、当時の総帥ジョヴァンニ・アリエッリの命を受けて、新しい小型車のすべてを統括する仕事に就く。

4年後、ジアコーザはそれまでの経験を生かし、まるで飛行機のように、エンジンをボディの先端、フロントアクスルよりも前に積むレイアウトを採用した居住性の高い "500" を世に出す。そしてそれはたちまちイタリアの街にあふれて "Topolino" という愛称を得ることになった。

それから幾星霜、第二次世界大戦によって疲弊したイタリアは、ふたたび市民たちの足 "macchina di popolo" を求めるまでに復興した。 ダンテ・ジアコーザはそれまでフロントにあった4気筒エンジンをリアに移した "600" を作るが、フィアット社はヴェスパやランブレッタなどスクーターの愛用者にまで4輪車を広めようと、更に小さく安価なクルマの設計を彼に要求する。

その結果、生まれたのが "Nuova 500 " だ。エンジンのシリンダーは半減されて2気筒となり、その冷却方法も水冷から空冷に換えられたが、開発はそれだけに留まらず、コスト、重量、容積の低減化はギヤボックスからシンクロナイザーリングを省くところにまで及んだ。

クルマの世界において、高級車はながく保存されて "better than new" の状態を保つものも少なくない。しかし大衆車はその希少性の低さから、壊れれば捨てられ後世に残らない。「歴史を作るクルマとは高級車なのか、それとも大衆車なのか」 と考えたとき、その答えは明瞭に大衆車を指し示すものと思われるが、好事家の目は多く高級車あるいはレイシングカーへ向く。

今、上り下りの激しい屈曲した山道をこの小さなクルマで駆けるとき、操縦者は軽いフライウィールにより瞬時に落ちようとするエンジンの回転数をヒールアンドトゥによって保ち、ギヤ鳴りを抑えてシフトダウンする。それを意気に感じた "Nuova 500" は許される限りの道幅一杯を使い、鮮やかなオレンジ色を深い緑の中に見え隠れさせつつ尻を沈ませコーナーを抜けていく。

かつて300万台以上も生産された大衆車にして後世にながく残るクルマは、そう多くはないはずだ。そしてこの "Nuova 500" は、間違いなくそのうちの希有な1台になるだろう。

フィアットの空冷2気筒エンジン
2004.0101