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清閑 PERSONAL DIARY

2025年2月の日記28本

2025.2.28(金) タイ日記(4日目)

このホテルにチェックインしたとき、部屋のミニバーにはウーロン茶のティーバッグがふたつあって、1日目と2日目の朝には重宝した。それを使い切ってもメイドは補充をしてくれない。部屋にメモを残そうとしたものの、それを思いとどまって、日中、廊下に留め置かれるハウスキーピングの台車を見ると、コーヒーやミルクや砂糖の包みはあるものの、お茶のティーバッグは無い。「だったらあれは特別なものだったのだろうか」と考えて、催促することは止めた。

そして今朝は朝の散歩の途次に最寄りのセブンイレブンに入り、自分では見つけられなかったから店員に探してもらって紅茶のティーバッグ10包入りを買った。価格は57バーツだった。

いま泊まっているところは洒落たブティックホテルで、こぢんまりとしながら建物には様々な意匠が凝らされている。庭から螺旋階段を昇った上には喫茶室があるらしい。朝食の後に行ってみると、ガラスの壁には”CAFE & WORKSPACE”の文字があった。

部屋でしばらく休んでから、今年の正月に届いた年賀状と、初日に買った絵はがきを手にふたたび庭へ降り、螺旋階段を上がる。喫茶室”common’day”のオネーサンには、冷たいタイティーを注文した。持参した年賀状は7通だったものの、印刷のみのものは脇へ置き、たとえ1行でも手書きの文字のある5通にのみ返信を書く

ホテルから目抜きのパフォンヨーティン通りに出ようとする右側に郵便局のあることは、初日から気がついていた。ホテル2階の喫茶室から、その郵便局に直行する。オネーサンはハガキが5通あることを確かめて「250バーツ」と告げた。一瞬、頭の中には疑問符がいくつも浮かんだものの、オネーサンは確かに50バーツの切手5枚を僕に差し出した。タイの、ハガキによるエアメールの運賃は長く15バーツで、僕の知る限り2016年まで変わらなかった。それが今は50バーツだという。

タイの物価高騰と円安を呪うタイファンは少なくない。その恨みつらみをウェブ上で目にするたび「むかしが安すぎたんだ。そう高い、高い、嘆くな」と僕は腹の中で言い続けた。しかし今日の50バーツには驚いた。小刻みな変更を繰り返したくないための、一気の値上げだったのだろうか

そうこうするうち昼も過ぎたため、今回の初日に場所を確かめておいたカオマンガイ屋へ出かける。チェンライは、タイの最北部にあっては大きな街だが、中心部を外れれば、まるで田園のような空き地が広がる。そのような場所にかなりの面積を占めるカオマンガイ屋は、おそらくできたばかりで、とても綺麗だ。屋内にいた人の良さそうなオニーチャンはすぐに出てきてくれたから、煮鶏と揚げ鶏の盛り合わせを頼んだ。そうしたところオニーチャンは僕が日本人であることを確かめて、iPhoneを取りだした。

オニーチャンの差し出したiPhoneには「普通の鶏は50バーツ、去勢鶏は60バーツ」とあった。どちらが美味いかと言葉で問うと、オニーチャンはふたたびiPhoneに向かって何かを話しかけ、ふたたび見せられたiPhoneには「去勢鶏の方」とあったから、そちらにしてもらう。

それにしても、このカオマンガイ屋は、金持ちの道楽としか思えない。というのは、南の国らしく簡素な作りではあるけれど、広く、清潔で、整理整頓が行き届き、店の周りには、将来は水を張るつもりなのか、空堀まで巡らせてある。それでいて、昼どきにもかかわらず、客は僕ひとりなのだ。

オニーチャンは煮鶏用と揚げ鶏用の2種のソースを僕のテーブルに運び、その説明をしてくれた。タイでは揚げ物には、まるでジャムのような見た目の甘いソースを添える。日本人としては受け入れられないから、これまでは味見をするくらいに留めていた。しかし今日ことそのスイートチリソースを試してみると、揚げ鶏との相性は、決して悪くなかった。

太ったオニーチャンは、とにかく人なつこい。僕がカオマンガイを食べ終えたと見るやすぐに近づいて来て「味はどうでしたか」、「改善するところはありますか」、「チェンライにお住まいですか」と、矢継ぎ早にiPhoneの翻訳ソフトで訊いてくる。口で話してしまった方が簡単で速いだろうに、よほど英語が苦手なのだろうか。

「チェンマイは人が多すぎる。その点、チェンライはちょうど良い。だからチェンライには10回以上も来ている」とiPhoneに日本語で話しかけると、翻訳されたタイ語を読んだオニーチャンは、またまたiPhoneに向かって何ごとかを話しかけた。ディスプレイには「次の機会にも、ぜひこの店にお出かけください」とあった

午後はプールサイドで数時間ほども本を読む。そのページを繰る手が、昨秋ほど捗らないのはなぜだろう。

その昨秋に2度ほど訪ねた食堂については、撮ってきたメニュの画像、またウェブ上にあった更に詳しいメニュを紙に出力するなどして、いろいろと調べておいた。しかし今いるところからその店までは、1.2キロメートルの距離がある。往復2.4キロメートルは歩く気がしない。自転車を使えば酔っての帰路が危ない。しかし往きは自転車、帰りは押して戻れば良いと考えて、16時にフロントで自転車を借り、先ずはマッサージ屋の”PAI”に乗りつける。

僕のかかとに剥がれかかっているバンドエイドに触れて「痛いか」と、今日のオバサンが訊く。「痛くはない」と答えると、オバサンは今度はバンドエイドの剥がれかかっているところを気にし始めた。「切っちゃったらどうかね」と身振りで示すと、オバサンは奥から持ち来た鋏でそれを綺麗に切ってくれた。

カオマンガイ屋のオニーチャンではないけれど、僕もiPhoneを取りだし「日本の冬はとても寒いです。空気も乾いているので、手や足の皮が切れます。でもタイに来てしばらくすると治ります」と翻訳ソフトに打ち込む。オバサンは現れたタイ語を、周囲のオバサンにも聞こえるよう声に出して読んだ。そのオバサンのマッサージは上手かった。料金は1時間で200バーツ。チップは50バーツ。

外の席に着いた食堂の、英語と中国語のメニュに「鸡蛋炒木耳」とあるのはムースーローに違いない。タイ語による料理名をオニーチャンに訊いたものの、そのフワフワした発音は、僕には聞き取れなかった。目の前に届けられたそれは日本のムースーローとは異なって、赤と緑の唐辛子が共に炒め込まれ、とてもタイらしい。味は勿論、良かった。明日はまた、別のものを頼んでみることにしよう。

そうして結局は帰り道も、交通量の少ないところを選んだとはいえ、自転車でホテルまで戻る。空はいまだ、明るい。


朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 「ミーカオマンガイ」のカオマンガイ(トムトーパッソム)
晩飯 「ジャルーンチャイ」のガイサップルートロット鸡蛋炒木耳、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.2.27(木) タイ日記(3日目)

きのうのチェンライの空には、ほんのすこしのあいだしか晴れ間は見えなかった。しかし今日は朝から快晴らしい。「らしい」というのは、部屋の窓からは、空のほんの一部しか窺えないからだ。晴れているなら散歩がしたい。

上はユニクロの半袖Tシャツ1枚、下はワークマンのスポーツブランド”FIND OUT”のゴルフ用パンツ、足元は素足にKEENのサンダルで外へ出る。すこし肌寒い。ということは、気温は20℃そこそこだろうか。

ホテルのあるルアムチッタウェイ通りからパフォンヨーティン通りに出ようとする右側に、コインランドリーを見つける。様子を見てみようとしてサンダルを脱いで上がる。するとオバサンが出てきて熱心に説明を始めた。オバサンは英語が話せたので「あした来ます」と答えると、オバサンはニッコリと笑った。しかし落ち着いて考えて、洗濯は明後日の朝にするのがもっとも合理的と気づく。

南の国に来て嬉しいことのひとつは、植物が大きく育つことだ。戸外で見ることのできるそれは元より、ホテルに戻り、部屋のある2階への階段を上がりきったところに置かれた観葉植物も、しばし立ち止まって観察をする

朝食を終えて10時を過ぎるころ、プールサイドバーにファランの3人組のいることを、部屋の窓から認める。いまだ泳げる気温とも思えないけれど、とにかく彼らは元気だ。滞在しているホテルのプールはこぢんまりとして、置かれているデッキチェアは少ない。部屋着のバスローブを慌てて過ぎ捨てて、Patagoniaのバギーショーツを穿く。そうして午後に到るまで本を読んでからプールサイドを去る

現在はナイトバザールから900メートルほど南に滞在をしているが、来週からはコック川に面した、つまり街の中心から離れた場所に移る。2017年までは、そのホテルにいても、昼食のため3キロメートルや4キロメートルを歩くのは平気だった。しかし次に泊まった2019年にはそれが億劫になり、朝食をたっぷり摂って昼は抜くこととした。今回は、ちかくで昼食の食べられるところを探しておこう。そう決めて、きのうに引き続いて自転車を借りる。

ルアムチッタウェイ通りからサナムビーン通りに出て東へ進む。自転車はプラスティック製のペダルが割れ落ちて、その部分がただの棒になっている。そのせいか、1キロメートルほども走ると疲れてきた。しかし引き返すわけにはいかない。川沿いのホテルにほどちかい、つまりワットプラケオやオーバーブルック病院にちかいカオソイ屋までは、2キロメートル以上の道のりがあった。この街に来てはじめてかいた汗を、尻のポケットから出した手拭いで拭く

ふたたび棒状のペダルを踏んでホテルに戻る。平坦な地形だけが助けである。気温は多分、35℃くらにまで上がっているのではないか。気温のメリハリは嫌いでない。額の汗にできるだけ触れないよう注意をしながらTシャツを脱ぎ、シャワーを浴びる。以降はプールサイドには降りず、部屋の安楽椅子で本を読む。

16時になりかかるころにふたたびホテルを出てパフォンヨーティン通りを北上する。今日こそは、通いつけの”PAI”で1時間の足マッサージを受けることができた。料金は200バーツ。オバサンには50バーツのチップ。

ナイトバザールの両側のお土産屋は、17時ころから商品を外へ出し始める。その奧のフードコートで玉子焼きを肴にラオカーオのソーダ割りを飲んでいると、ガードマンが来て何ごとか言う。ワケが分からずにいると、ちかくの店のオニーサンが「ウイスキーも買ってもらわないと」と、ガードマンの代弁をする。

確かにフードコートのそこここには、食べ物や飲み物の持ち込みを禁ずる張り紙がある。ソーダと氷を買えば問題無しと考えていたが、僕の行いは確かに違反である。仕方なく220バーツで買った”Sang Som”の小瓶を免罪符のようにテーブルに立てて、そのままラオカーオを飲む。ちなみにここの飲み物売場にラオカーオは置いていない。数十年ほど前までの日本では、産地を除いては、焼酎は馬鹿にされていた。タイ人のラオカーオへの視線にも、それとおなじものがある。

フードコートには、きのうよりも長くいた。ふと目を上げると空は随分と暗くなっていた。クルマが移動手段の普段からは考えられないことだが、900メートルの道を歩いてホテルへと戻り、シャワーを浴びて即、就寝する。


朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 「カオソーイタオゲーエック」のカノムジーンナムニャオムーサップ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのカイジャオムーサップ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.2.26(水) タイ日記(2日目)

目を覚ましたのは0時37分。昼寝をしなくても、結局は昼夜逆転になってしまった。

その必要はないから冷房は働かせていない。それでも喉がすこし痛い。しかしその痛みはうがい薬を使うほどでもないと判断をして、水でうがいをする。次いで冷蔵庫のミネラルウォーターを電気ポットで湧かし、日本から持参した粉末のコンソメスープを飲む。

コンピュータを起動して部屋のwifiに繋ぐ。そしてきのうは疲れて書く気力の起きなかった、きのうの日記に取りかかる。「羽田空港から深夜便に乗り、チェンライには翌日の午前に着きました」というような、途中経過を欠いた旅日記は好きでない。僕にとって移動は、旅の楽しさうちのかなりの部分を占める。だから初日の日記はどうしても長くなるのだ。

コンソメスープの後は、部屋のミニバーにあったティーバッグで、ウーロン茶を何杯もお代わりする。そうしてミネラルウォーターの600ccのボトル2本を空にする。キーボードを打ちながら疲れればベッドに横になる。それを繰り返しつつ8時30分に日記を書き終える。エディタに示された文字数は4,757。実に原稿用紙11枚分である。

きのうのバンコクの早朝の気温は25℃だった。タイの最北部に位置するチェンライの朝は、それよりも涼しい。9時を過ぎてから入った朝食の会場には冷房が効いていて、いささか寒い。南の国に来ながら寒いとは、どうにも辻褄の合わないことだ。窓の外は緑の庭で、複数の白人がタバコを吸っている。「南の国に来たら、やっぱり外が気持ちいいよな」と思う。

部屋に戻って雑用をするうち、昼がちかくなってくる。いつまでのんびりしているわけにはいかない。タイは酒にもタバコにも、日本よりはよほど厳しい決まりを設けている。8時から11時、14時から17時までの時間帯には酒類の販売が止められる。そういう次第にてロビーに降り、フロントのオネーサンに自転車を借りたい旨を申し出る。オネーサンは引き出しから鍵を取り出し、僕に手渡してくれた。料金のことは、特に言われなかった。

パフォンヨーティン通りのナイトバザール近くにあった酒屋はオジイサンとオバアサンが引退をして、金色の時計塔からむかしの時計塔のあいだの道に移った。ホテルからは歩く気のしない距離にて、自転車で街を東へ進む。

きのうチェンライから乗ったTG130の機内で配られたミネラルウォーターは250ccだった。日本から持参した昨秋のラオカーオの残りをその空きボトルに詰めて、昨夜はそのほとんどを飲んでしまった。「1日あたり250cc。今日から帰国するまでの日数は10日。とすれば必要な量は…」とペダルを漕ぎつつ計算し、酒屋では”BANGYIKHAN”を4本まとめて買った。これだけあれば、次にタイに来るときのための次期繰越も残せるだろう

帰りはサナムビーンロードを西に走り、ナムニャオが美味いとネット上にあった店を確かめる。更にサナムビーンロードを進み、適当と思われる道を左に折れる。その曲がり具合から「もしや」と感じたが、それは上手いことに、ホテルのある通りだった。途中、賑わっているフードコートを右手に見たものの、腹も限界までは減っていず、また4本の酒を部屋まで無事に持ち帰ることに専念をして、途中でどこかに寄ることはしなかった。

ホテルから徒歩で戻ったフードコートでは、ちかくのチェンライ病院の看護婦さんが大勢で昼食を摂っていた。注文したカオカームーはご飯の量が多かった。よってその一部はスープに沈めててカオトム状にして平らげた。

南の国に来て一番したいことは、プールサイドでの本読みである。その寝椅子に着いたのは13時7分。ドナルド・キーン著「百代の過客」の下巻を15時30分まで読む。

16時から1時間のフットマッサージ、17時から飲酒喫飯、そして早々に就寝、というのが、僕の決めたチェンライでの夕方の過ごし方だ。パフォンヨーティン通りを東へ歩き、きのうは仕事中のオバサンが一人しかいなかったマッサージ屋”PAI”の扉を押す。するときのうとは異なってたくさんのオバサンがいたものの、今日は臨時で早じまいだという。「またあした」とちかくにいたオバサンに言われて外へ出る。

入口に装飾を施し、マッサージ師はみな民族衣装風の制服を着ている、そういうマッサージ屋は高い。そうでないマッサージ屋の外の料金表を確かめ、中に入る。今日のマッサージ屋”CHAMONPOND”のフットマッサージ1時間の料金は”PAI”とおなじ200バーツだった。オバサンには50バーツのチップ。

ナイトバザール奥の、鉄製の黄色いテーブルと椅子を置いたフードコートで食べるものは、特に美味くもない。しかし僕は、この場所がなぜか好きなのだ。飲み物屋で買うソーダとバケツの氷は締めて35バーツ。そこからすこし離れた注文料理屋、これは材料さえあれば何でも作ってくれる店だが、そこで幅広麺の炒めを注文する。料金は予想より安い50バーツだった。

僕の席にその炒麺を運んできた女の人は、小学校低学年くらいの男の子を同伴しながら「お客様には『有り難うございます』と言うんだよ」と教育をしてる。この家の未来は明るいと思う。すこし食べたりなかったため、おなじ広場の何年も前から知っている店のモツ焼きも取り寄せる。

ホテルに帰る道すがらの空は、いまだ夕刻の色を留めていた。そうして部屋へ戻ってシャワーを浴び、20時よりかなり前に寝に就く。


朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 Ruamchittawai Road南側のフードコートのカオカームー
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのセンヤイパッキーマオモツ焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.2.25(火) タイ日記(1日目)

00:01 「ギャレーとトイレからできるだけ離れた左列の通路側」と指定して割り当てられた51Cの席に着き、頭上の荷物入れにザックを納める。また、トイレで使い捨てカイロを腰に貼る。備えつけの枕は腰の後ろに当て、毛布で脚を覆う。
00:50 Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は、定刻に30分おくれて羽田空港を離陸。

03:00 眠りから覚める。いかにも早すぎるため、頑張って二度寝に入る。
04:00 ふたたび目を覚ます。現在の場所をディスプレイで確かめたいものの、ちかくの席の人たちへの遠慮から、そのまままんじりともしないでいる。
04:50 トイレで歯を磨く。タイ航空の深夜便では、離陸のときには無かった歯磨きセットがいつの間にかトイレに置かれる。その数は僅少。勿論それを使わせていただき、使い捨てとは思えない容量のチューブ入りのペーストも、勿論いただく

05:15 機内が徐々に明るくなる。
05:18 機はいまだ海南島の手前を飛行中。そのディスプレイには「バンコクまで1,430キロメートル」の表示が見える。
06:04 バンコクまでの距離が829キロメートルに縮まる。
06:10 朝食が席に運ばれる。「玉子か鶏か」と訊かれて選んだ「鶏」は正解。タイ航空のオムレツとハッシュドポテトの機内食は食べ飽きていて、このところは残すことが多かった。

06:46 「バンコクまで35分。バンコクの気温は25℃、天気は曇り」とのアナウンスがある。
07:15 バンコクの灯りが近づいてくる
07:17 TG661は定刻に27分おくれてタイ時間05:17にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

05:35 機外に出る。昨秋のTG661は沖のサテライトターミナルに着いたが、今朝はメインターミナルに直づけをされた。

海外からスワンナプーム空港に着き、そのままチェンマイ、チェンライ、プーケット、クラビ、サムイ、ハジャイ、タラートへ飛行機を乗り継ぐときには、慌てず騒がず先ずは”Connecting Flights”と”Transfer Desk”の看板の案内する先へ次は”To Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,HatYay,Trat”の看板の示す方へ進めば良い。ふたつの看板は大抵、隣りあっている。

乗り換えの時間は3時間もあるから大余裕。というより退屈することが心配だ。それにしても今回は運が良い。見慣れた”Domestic Connecting Flights”のカウンターには、機を降りてから僅々3分で辿り着いてしまった。

05:38 “Domestic Connecting Flights”の列に並び、羽田からスワンナプーム、スワンナプームからチェンライまでの、2枚のボーディングパスを係に見せてカウンターを通過。
05:46 目と鼻の先の入国審査場に進む。

TG661の機内で左手の人差し指のバンドエイドは剥がしたものの、いまだ左の親指、右の親指と人差し指と中指の、計4本はバンドエイドで覆われている。それを入国審査官に見せつつ”My fingers are Chapped.”と言ってみる。男の係官は黙って頷く。先ずは左手の親指を除く4本、次に右手の親指を除く4本の指紋をガラス板に押しつけて読み取らせる。次は両親指を押しつけるよう指示が出る。バンドエイドが巻かれたままの両親指をガラス板に押しつけると、読み込みは問題なく完了した。「バカみたい」である。

入国審査場を出ると真正面に、食べものや飲み物を売るキヨスクがある。その左手の案内板に僕の乗るTG130を探すも見あたらない。「いまだ時間が早くて搭乗ゲートが決まらないのだろうか」と、ちかくのベンチで休む。するとほどなくして「TG130の搭乗ゲートはB2B」のアナウンスが聞こえた。先ほどの案内板の前に戻ると、果たしてアナウンス通りの表示が出ていた。離陸の時間は8時10分でも、僕はボーディングパスに印刷された”BOADING TIME 07:40″を見て7時台のフライトばかりを探していたから見つからなかったのだ。粗忽、といえば粗忽である。これからは気をつけることにしよう。

05:58 保安検査場を通過。
06:02 B2Bゲートに達する

この搭乗ゲートからは、先ずチェンマイ行きが出るらしい。周囲がイタリア人ばかりなのは、なぜだろう。とにかくとても賑やかだ。やがてチェンマイ行きの便の搭乗が始まる。その列に次のチェンライ行きの一部乗客が混じり込み、係に追い返されたりもしている。

07:11 “TG130 CHIANG RAI”の案内板が、ボーディングパスの読み取りカウンターに出される。
07:35 搭乗開始。沖駐めの機材にはバスで運ばれる。B2Bゲートは薄ら寒かった。バスの車内には更に強く冷房が効いている。そのバスから降りてようやく人心地がつく

08:36 Airbus A320-200(320/3202)を機材とするTG130は、定刻に26分おくれてスワンナプーム空港を離陸。雲の上に出ての飛行はおしなべて穏やか。空はやはり、晴れているに限る

09:25 地上が見えてくる
09:30 馬の背のような山をひとつ越えると、それまでは赤茶けていた農地が一気に鮮やかな緑に変わる
09:36 旧チェンライ空港の上空を通過
09:37 TG130は定刻より3分はやくメイファールンチェンライ国際空港に着陸。
09:52 ボーディングブリッジを伝って空港屋内に入る。海外からの乗り継ぎ客は突き当たりを左へ進む
09:57 回転台から荷物が出てくる。

X線による荷物の検査を終えたら空港のロビーに出て、先ずはちかくのベンチにザックを降ろす。そして貴重品入れからタイバーツ用の封筒を取り出し、昨秋に残した現金のうちの100バーツ札5枚と20バーツ札5枚を財布に移す。

目と鼻の先の出口から外へ出ると、右側にタクシーの手配所がある。ところが今日は左側から声をかけられ、そちら側にも手配所のあったことに気づく。オネーサンにホテルの名を告げると一発で通じた。料金は180バーツ。これまでは200バーツを請求されていた。これからは左側の業者ばかりを使うことにしよう

10:08 タクシーが空港の駐車場から動き出す。タイによくある三車線の道に出ると、運転手は時速を80キロメートルに上げた。そこで安全ベルトを締める。

タイの運転手はクルマを走らせつつ携帯電話で話し続けることを好む。今日の運転手は会話ではなく、LINEに手打ちで返信を送っている。街に入ると、その返信が頻繁になる。前を行く4WDの車両が渋滞で止まる。僕の乗るタクシーは速度を落とさない。「あわや」というところで僕は大声を上げる。運転手は反射的にブレーキを踏んで、追突は免れた。”Sorry”と運転手は笑顔で僕を振り向く。笑っている場合ではない

10:25 ホテルに着く。運転手に心付けは渡さなかった。

僕が差し出したagodaの予約表を一瞥したフロントのオネーサンは「あぁ」と何かに気づいた様子で「もう1、2時間、お待ちください」と答えてからスーツケースを奧へと運んだ。しばらくはロビーの椅子で新聞を読んでいたものの「1、2時間」はつぶせそうもない。タイバーツの残りは2,000と少々。千バーツ札は皆無。というわけでオネーサンにはザックも預け、iPhoneと貴重品入れのみを持って外へ出る。

前回はこのホテルより600メートルほどもナイトバザールに近い”Blue Lagoon Hotel”を使った。便利な場所にあり、価格は安く、プールサイドの寝椅子は最高だった。しかし部屋の椅子は背もたれの無いスツールで、日に数時間ほどもコンピュータを使う僕にはいささか辛かった。「椅子はホテルに借りればいいや」と、今回も予約はしたものの、先月、新たに良さそうなところを見つけてキャンセルした経緯があった。その「新たに見つけた良さそうなところ」が今日のホテルである。その「600メートル」を確かめつつ、ナイトバザールや旧バスターミナルに向かって目抜きのパフォンヨーティン通りを往く

旧バスターミナルちかくの両替屋”SUPER MONEY EXCHANGE”は、僕が調べたところによれば、この街でもっとも交換率が良い。今日のレートは1万円あたり2,217タイバーツ。邦貨7万円は15,519バーツになった。僕がはじめてチェンライに来たのは2009年8月。そのときは1万円が4,000バーツを超えていた。しかし当時の日経平均株価は1万500円台だった。何が良くて何が悪いかは、いちがいには決められないのだ。

旧バスターミナル前の本屋の店先に絵はがきがあったため、6枚を選んで声をかけるも、誰も出てこない。ハガキは仕方なく、また元の場所に戻した

ふたたびホテルのロビーで日本から持参した新聞を読む。やがてフロントの無線機に「オーケーカー」と、メイドさんのものらしい声が入る。フロントのオネーサンは部屋が整った旨を僕に告げる。今回の宿泊料は現地払い。6泊分の14759.94タイバーツはクレジットカードで支払った。予約時の「眺めの良い部屋」という頼みは忠実に守られて、窓の外にはスイミングプールとプールサイドバーが見下ろせた。

それにしても疲れている。しかし腹も空いている。よって両替屋の帰りに目をつけておいた、半屋台状の食堂に出かける。調理中の女の人にナムニャオの有無を確かめると、それは無いという。バミーナムのスープは、タイの汁麺にしてはとても熱かった。そして甘味も強かった。

疲れていても、寝てしまっては昼夜が完全に逆転する。シャワーを浴びて後はスーツケースから衣類を取りだして、セーフティボックスの隣に置く。本や文房具は机の右端にまとめる。ベッドの枕は具合の良いものをひとつ選び、残りは邪魔にならないところに移す。このような整頓は結構、楽しい。

そうして16時を過ぎたところで外へ出る。2014年から通いつけの、そして”Blue Lagoon Hotel”には至近だったマッサージ屋”PAI”までは、今日のホテルからは徒歩で8分かかった。そのガラスの扉を開けるとオバサンがひとりフットマッサージの客の相手をしながら、今日は自分ひとりしかいないようなことを言う。僕は「だったらまた明日」と告げて引き下がる。

ナイトバザールの奥にあるフードコートの飲み物屋が店を開くのは17時だろう。いまだ16時40分であれば、午前に人のいなかった本屋を訪ねる。僕が元に戻した6枚の絵はがきは、そのままあった。それを引き抜き、本屋の店先を借りて甘味屋を営んでいるオバサンに勘定を頼む。絵はがきは1枚が20バーツ。オバサンはとても愛想が良かった。

タイ北部の土鍋料理チムジュムは、チェンライのフードコートにおいては中国人観光客用に豪華化の一途を辿り、ひとり用のそれを売る店は、今や1軒だけになってしまった。昨秋にも使ったその店に注文を通してから席へ戻り、おなじ広場の飲み物屋で買ったソーダと氷で持参のラオカーオを割る。その酒がべらぼうに美味いのはなぜだろう。

いまだ明るいうちに土産物屋が軒を連ねる路地を抜け、目抜き通りに出る。以降の記憶は、無い。


朝飯 “TG661″の機内食、”TG130″の機内スナック
昼飯 パフォンヨーティン通りの名前を知らない食堂のバミーナムモー
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2025.2.24(月) 「オレとしたことが」

起床は2時50分。

手指と足のアカギレに貼ったバンドエイドはすべて、先週の金曜日に伊豆の温泉ホテルの風呂場で剥がした。しかし手の両親指には次の日から早速、またアカギレの兆候が現れた。アカギレは、切れる前にバンドエイドで覆う必要がある。仕事の最中に切れて血が出れば、業務に支障を来すからだ。

今朝は新たに、右手の人差し指にもバンドエイドを巻いた。これにて左の親指と人差し指、右の親指と人差し指と中指の、計5本がバンドエイドで覆われた。タイでは入国時に、両手の指紋を登録させられる。さて、明日のスワンナプーム空港では、どのようなことが起きるだろう。

きのうの日記を書いたり「汁飯香の店 隠居うわさわ」へのインターネット経由のご予約を承ったりしているうち時はまたたく間に過ぎる。東の空が紅く染まりつつある。時刻は5時35分になっていた。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」には、朝のうちに充分以上の納品をしておく。本日の人員は、販売係、事務係ともに極端に少ないということはないから、特に販売においては、11時30分から13時30分のあいだのみ手伝いに入った。別途、蔵見学のご案内もさせていただいた。

16時に小休止のため4階の食堂へ上がり、ついでに今日の下今市18:49発の上り特急の予約をしようとして、スマートフォンから東武鉄道のサイトにアクセスをすると、既にして満席になっていた。次の19:21発も満席。最終の19:54発には空席があったものの、00:20発のタイ航空661便に対して羽田空港第三ターミナルに着くのが22時24分では、流石にまずかろう。

逆に、18:49発より早い便を遡って行くと、17:34発は満席、17:02発には空席がある。しかし今から1時間後では、いかにも忙しい。17時過ぎにしようとしていた長男への引継ぎもある。JR今市から宇都宮で新幹線に乗り換え東京に出る手もあるものの、こちらは多分、宇都宮からの新幹線は立ちっぱなしになるだろう。スーツケースを曳きつつ、そのようなことはしたくない。いまだ冬とはいえ三連休を甘く見ていた。「オレとしたことが」である。

そうして未練がましくもういちど東武鉄道のサイトにアクセスをする。そうしたところ、先ほど空席のあった下今市17:02発は満席になり、しかし満席だった17:34発に空席が出た。間髪を入れず、人差し指を忙しなく動かす。1号車は満席、2号車も満席。最後の3号車を画面に出すと、そこにひとつだけ空席があった。即、その小さな矩形をタップして席を確保する。下今市駅までは家内にホンダフィットで送ってもらった。

17:34 特急リバティけごん46号が下今市を発車。

海外に行けるとは、僕にとっては盆と正月が一緒に来るようなものだから、その日は飲酒をしない。しかし今日は飲みさしのワインや市販の総菜が冷蔵庫にあったため、それらをいわば弁当にした。

19:02 特急リバティけごん46号が北千住に着。
19:08 地下鉄日比谷線の車両が北千住を発。
19:24 その車両が人形町に着。
19:26 奇跡の素早い乗り換えにて、都営浅草線の急行が人形町を発車。
20:03 その車両が羽田空港第三ターミナルに着。

出発階の3階にエレベータで上がり、タイ航空のカウンターを探すも、その表示はどこにも見えない。「確か、このあたりではなかったか」とうろ覚えのKカウンターには係員の姿も、また乗客の姿も見えない。しかたなく自動チェックイン機の「タイ航空」の部分をタップし、パスポートの僕の顔写真のあるページをガラス板に伏せて読み込ませる。すると羽田からスワンナプーム空港までのTG661便、またスワンナプーム空港からチェンライまでのTG130便の、2枚のボーディングパスが魔法のようにして出てきた。時刻は20時25分だった。

ふと目を上げるといつの間にかKカウンターにタイ航空の紫色のディスプレイが点き、これまたいつの間にか大勢の人が密集している。時刻は20時30分になっていた。ちかくにいた係のオネーサンによれば、現在のチェックインは、個々の乗客が自動チェックイン機を操作して発行させ、荷物の預け入れのみ有人のカウンターで行う形がスタンダードになっているのだという。「三日見ぬ間の歌舞伎町」ということばがむかしあった。羽田空港も「またしかり」である。

21:27 タイ人が95パーセント、日本人は3パーセント、白人は2パーセントという感じの蛇行した列に1時間ちかくも並んだ末にスーツケースを預ける。荷物はチェンライまで運んでもらう旨を確認する。

21:47 保安検査場を通過。
21:52 出国審査場を顔認証にて通過。
22:06 108番ゲートちかくの、プライオリティカードで入れるラウンジ”Sky Lounge South”に落ち着く。そうしてティーバッグの緑茶を飲みつつ諸方への連絡、またきのうの日記の更新を行う。更には昨秋、チェンライのセブンイレブンで買った、効くか効かないかは不明の睡眠導入剤”G nite”を2錠だけ飲む。

23:29 “Sky Lounge South”を出る。
23:40 141番ゲートに達する
23:51 搭乗開始


朝飯 たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、なめこのたまり炊、メシ、サイコロ切りのハムを加えた豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ”RF1″のマカロニサラダ、金谷ホテルベーカリーのバターロール、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023

2025.2.23(日) サラニヨシ

早朝、きのうの日記に書いた、項目数は12で総数は142、という一覧表に従って、タイ行きの荷物を作っていく。「旅にそれほどたくさんのものを持つとすれば、それらを納めるスーツケースはどれほど巨大になるのか、そしてどれほど重くなるのか」と問われれば、スーツケースは機内持込用の小さなもので、ケースを含めた総重量は8キログラム台を目指している。

12の項目を小計してみると、その数字のもっとも大きくなるのは「薬」の26だった。ビタミンB2とB6の複合で1、ビタミンCで1、目薬で1、リップクリームで1と数えていけば、すぐに26くらいにはなる。次に多いのは「その他」で、これは輪ゴムや粘着テープなどの用度品が主になる。次は「服装」の18で、ここにはシャツから靴までが含まれる。

「必需品」の15は、パスポートや現金やカードのたぐい。「容れ物」の14は、スーツケースやポーチやプラスティック袋。「衛生」の13は、ティッシュペーパーから爪切りまで色々。「文房具」の11は、ノートやボールペンから対紫外線用のメガネまで。

「デジタル」の9はコンピュータやiPhone、またそれらの電源コード等々。「活字関係」の5は、出発直前の日本経済新聞の書評欄など往きの飛行機の中で読むものから、行った先のプールサイドで読む本まで。「MG」の4は、今回はその研修を受けに行くわけではないから持たない。

「嗜好品」の2は、前回に余らせたラーカーオと早朝に飲むための粉末スープ。最後は「土産」の2で、これは現地に住む人のための「上澤梅太郎商店」の商品で、締めて計142、になる。

荷作りは朝のうちに完了した。店も道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場も、きのうとは打って変わって忙しくなった。その合間を縫って閉店後の「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ行く。そして床の間から野村素軒の「筑後途上五絶」を降ろし、堂本印象の「更佳」に掛けかえる。


朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と人参と長葱と豚肉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ポテトグラタンブロッコリーのソテーを添えたハムステーキパン2種のチーズ農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023

2025.2.22(土) 旅における楽しい時間

夜が明ける前に、花と水とお茶と線香を仏壇に供える。仏壇の置かれている応接間に灯りは点けない。隣の食堂から漏れる明かりの薄暗さの中でも、仏壇のそこかしこに灰の散っているのが見える。多分、僕が伊豆に行っているあいだに3人の孫が押し合いへし合いしつつ線香を上げたのだろう。

店の床に砂や泥が持ち込まれるのは、お客様がいらっしゃってくださるからだ。仏壇に灰が散るのは、孫がいてくれるからだ。とすれば、いずれも有り難いことではないか。

三連休の初日でもいまだ冬であれば、また天気予報が「寒波のピーク」などと声高に伝え続けていることもあってか、店はそれほど忙しくない。「汁飯香の店 隠居うわさわ」の直近のお客様が記入してくださった感想カードの内容を、コンピュータに打ち込む。タイ行きが間近に迫っていれば、地道な作業は尚のこと、溜めるわけにはいかない。

夕刻、海外へ出かけるときの持ち物を紙に出力する。その項目数は12で総数は142。そのうち今回に限っては必要の無いもの、また減らそうと思えば減らせるものを、青いフェルトペンで消していく。谷口正彦の「冒険準備学入門」をひもとくまでもなく、このような時間が旅においてはとても楽しいのだ。荷作りは、明日の早朝から始めようと思う。


朝飯 納豆、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚肉と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ベビーリーフのサラダパン3種のチーズグリーンアスパラガスのソテーを添えた鶏のトマト煮Chablis Billaud Simon 2018Old Parr(生)

2025.2.21(金) 伊豆治療紀行(33回目の2日目)

人間の、三大欲求を除く欲望は、すべて情報によって喚起される。2009年から探し続けた理想のブーツを見つけたのは今年のはじめ。インターネット上で、だった。以降は機会あるごとにそのブーツについて調べ、そしていよいよ今日、それを買うところまで来た。

きのうの就寝は21時前。日付が変わってしばらくすれば目が覚める。枕元に読書灯はなく、洒落た間接照明のあるばかりだ。よって本は開かずに、コンセントに繋いだままのiPhoneを引き寄せる。

真っ先に開くのはTikTokだ。先ずは「梅太郎」のアカウントの直近の動画の閲覧数をざっと眺め、付けていただいたコメントすべてに返信をする。以降は上から流れてくる「おすすめ」の動画を見ていく。しばらくすると「モノを欲しがる人と欲しがらない人とでは、幸福度においては後者の方が圧倒的に高い、という調査結果が出ている」と、一部では有名らしい人が述べていた。

ウェブ上の「調査結果」がどれほど信用に足るかは不明ながら、そう言われてみれば、そんな気もする。そして、前述のブーツを欲しいと思い始めてからきのうの夜までに幾度となく浮かんだ「別段、そんなものがなくても、一向に困りはしないだろう」との考えが、ふたたび脳に現れてきた。

そのブーツは、新品のときにはいかにも野暮ったく、少なくとも100日ほどは履く必要がある。「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンから「現金に手を出すな」のジャン・ギャバンほどの渋さに育てるには、更に900日ほどは慣らす必要がある。今の僕に、それほどの時間が残されているだろうか。

「伊豆高原痛みの専門整体院」の、今日の治療は背中と腰と膝の後ろ側。きのうの診察により問題なしとされた膝の表側には一切、触れられなかった。この整体院では、電子ペンによる施術が終わると別室の寝台にて患部に低周波が流される。今日はうつぶせになった腰と膝の裏側に電極を貼りつけられた。そしていざ電源が入れられると、右膝の後ろ側に我慢できないほどの衝撃が走った。その旨を伝えると「大丈夫」と、先生は次の患者の待つ施術室に入ってしまった。

それにしても痛い。一度は大声で先生を呼ぼうとしたけれど、それも気が引ける。そうして1、2分のあいだ耐えていると、痛みはやがて我慢できるほどに落ち着き、しまいにはそのまま眠ってしまった。

整体院を去ったのは10時20分。城ヶ崎海岸までの急坂を下る、先ほどまで膝の裏側に低周波を流されていた右のふくらはぎが、好転反応なのか何なのか、引きつったように痛い。今朝、というか午前2時ごろに見た動画の印象に、そのふくらはぎの特殊な感じが加わって「ブーツを買うことは、今日のところは止めておこう」と決める。欲望をかき立てる元が情報なら、欲望を霧消させるのもまた情報、ということだ。

熱海から乗った新幹線を品川で山手線に乗り換えて新橋に到る。床屋はこのところ、予約をしてから訪ねることにしている。雑居ビルの中の大衆床屋には7人の待ち客がいた。予約料の500円は、いわば特急券である。新橋から神田までは銀座線で移動。かかりつけの皮膚科の午後の診察は15時からにて、それまでは遅い昼食を摂りつつ本を読む。

医療関係ばかりが集合したビルの上階にある皮膚科には何と「臨時休診」の札がかかっていた。湿疹のための軟膏は在庫があるものの、服用するための抗アレルギー薬は底を突きつつある。だったら明日、日光の皮膚科にかかってみようか。しかしおなじ薬を処方してくれるかどうかは分からない。

そのまま街を歩いていると、しもた屋風の家の壁に未知の皮膚科のポスターが貼られていた。そのQRコードをiPhoneで読んでみれば、場所はそれほど遠くない。よって電話を入れるとその病院はインターネットや電話で予約のできる仕組みになっていて、初見の患者は長く待つことになるという。それでも面倒なことは、明日より今日のうちに済ませておきたい。

その皮膚科のドアを押してから僕の名前が呼ばれるまでには、1時間30分ほども待つ必要があっただろうか。先生は意外にも若い女の人だった。「薬さえもらえれば他に用は無い」とばかりにズボンの裾をめくると、服を脱ぐよう言われる。冬の服をすべて脱ぐのは面倒だ。ズボンのベルトを緩め、シャツをめくり上げて背中を見せると「あらー、こんなに」と先生は悲鳴と歓声の入り交じったような声を漏らした。いささか大げさではないか。

促されて入った別室では、これまた小柄で若い、とてもではないけれど看護婦さんには見えない女の人がゴム手袋の上にヘラで大量の軟膏を盛り上げた。「えっ、そんなに塗るんですか」と出かかった言葉を思わず飲み込む。仕事を厭わないその看護婦さんにより、僕の両脚は軟膏でベタベタになった。

外は既にして暗い。できるだけ早く、日光への下り特急の出る駅に移動すべきだ。そう考えて北千住へ直行し、次の特急まではそれほどの間もなかったから、立ったままで飲み食いのできる店の暖簾をくぐる。


朝飯 「ホテル亀の井伊豆高原」の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 「ドトール」のトースト、コーヒー
晩飯 「天七」の串カツあれこれ、日本酒「大関」(燗)、チューハイ

2025.2.20(木) 伊豆治療紀行(33回目の1日目)

月に1度の伊豆での治療にはほとんど家内と二人で通っていた。しかし昨月29日の日記に書いたように、家内はその直前に膝を痛めた。以降、家内には2週間に1度の治療が必要となり、以降は単独での行動となった。

1日目の治療は夕方からにて、その前に温泉に入りたい家内に合わせて、東武日光線の下今市からは09:34発の上り特急に乗っていた。しかし僕は、温泉は夜のみで充分だ。だから今日の出発は10時以降の特急にしようと考えていた。そして今早朝に乗り換え案内を調べてみると、10時以降のそれでは熱海での接続が良くない。よっていつも通りに、下今市09:34発の特急券をiPhoneから確保する。

100キロメートルを越える移動は東武線による日光と東京の往復くらいしかしないため、それ以外の鉄道、特に新幹線はどうも苦手だ。普段は家内の後を着いていくから問題はないものの、今日はひとりである。北千住の常磐線のプラットフォームでは、どのあたりに立てば、東京駅でのあれこれが円滑に運ぶか。東京駅の東海道新幹線のプラットフォームでは、どのあたりから車両に乗り込めば熱海での乗り換えが楽か。それらのひとつひとつを、過去の記憶を辿りつつこなしていく。

「伊豆高原痛みの専門整体院」での、9,000ボルトを発する電子ペンによる治療は、患部の状態が悪ければ悪いほど痛く、状態が良ければ「ただ触れているだけ」くらいにしか感じない。今日の背中と腰へのそれは痛くなく、小さなお灸ほどの熱さしか感じなかった。膝のツボのすべては「ただ触れているだけ」の安楽さだった。

18時から、次は19時30分からの二部制の夕食は、治療が長引いたときのことを考えて、いつも後半のそれを選ぶ。今夕はそのテーブルに本を持ち込んだ。部屋に戻ると21時がちかかった。即、口をゆすいで就寝する。


朝飯 生のトマト、ウインナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、納豆、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 「やまや」の「うまだしおにぎりせっと」、JAVA TEA
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一其の二其の三其の四其の五其の六「澤乃井」の特別純米(冷や)

2025.2.19(水) 見学会

上澤梅太郎商店は毎月、その中ごろの水曜日にお休みをいただいている。外から見える店は休みでも、その内側ではほぼすべての社員が出勤し、整理整頓や大掃除、什器の移動、また研究や話し合いなどをしている。2月の店休日である今日はいつもの例には従わず、他社の見学をさせていただくこととしていた。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に納品を済ませて戻ってくると、きのうの日記に書いた旅行社の手配したバスが、店の駐車場に入っていこうとしているところだった。そのバスに本日出勤の社員たちと乗り込み、8時55分に会社を出発する。

先ず目指したのは館林。正田醤油館林東工場には10時17分に着いた。教室で動画に従って種々の説明をしてくださったのは工場長のモトムラトシアキさん。続いて2階の通路に上がる。75,000平方メートル、つまり22,727坪の敷地にある製造棟は東西に500メートルの長さがあり、まるで軍艦である。その500メートルを往復しながら見たり聞いたりして驚き、感心したことは多々あるものの、日記が長くなるから、また勿体ないからここには記さない。正田さんの工場を出たのは12時8分。たっぷりの見学だった。

足利のココ・ファーム・ワイナリーには予約した時間に40分ほど遅れて13時ちかくに着いた。テント張りの明るい食堂は心地が良く、酒肴を兼ねたランチのセットは品が良かった。代表のイケガミシュンさんによる案内は詳細を究め、歩く先々では異なるワインを勧められて、昼から充分に酔った。ワインの醸造所を備えた農場を出たのは15時15分。午前に続いてこちらでもまた、充実した時を過ごすことができた。

午前の正田さん、午後のココファームさんを見させていただいて特に感じたのは、日々の向上およびその継続、ということだ。ローマは一日にして成らず。これからは折に触れて、今日のことを思い出すだろう。そして来年も、社員たちと良い見学をしたい。


朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、焼き葱、目玉焼き、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 「ココ・ファーム・ワイナリー」のデッキランチ、赤ワイン「農民ロッソ」、白ワイン「農民ドライ」、コーヒー
晩飯 豚肉と白菜と厚揚げ豆腐と椎茸の鍋らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)

2025.2.18(火) 終わり良ければ

きのう大田原で食品衛生指導員の講習を終え、ホンダフィットの運転席に戻ったところで馴染みの旅行社から着信のあったことに気づいた。折り返すと、5月のタイ行きの航空券の、発券の準備が整ったという。よって帰社し次第、届いているメールに返信する旨を伝えた。

そのメールに記された、タイ航空による羽田バンコク間の航空券の明細は以下だった。

エコノミークラス運賃 53,300円
羽田空港施設利用料 3,180円
国際観光旅客税 1,000円
燃油サーチャージ 16,940円
現地空港税 3,760円
海外航空券発券手数料 5,500円
計 83,680円

この83,680円を、今日は午前のうちに先方の銀行口座に振り込んだ。いつもニコニコ現金払い、である。「ウェブで買った方が安いだろうに」と問われれば、指定した座席を確保してくれる他にも、その旅行社とは特別な関係にあるから、多少の金額には拘らないのだ。

昼を過ぎたところでホンダフィットの運転席に着き、きのうとおなじくiPhoneに目的地を設定する。向かう先は宇都宮で、きのうこなしたほどの距離ではない。昼食は帰宅後に摂り、すると時刻は14時を過ぎたから、朝のうちに頼んでおいた釣銭のための紙幣と硬貨を受け取るべく銀行へと急ぐ。

15時のご予約をいただいていた大型バスの団体様は、14時50分にいらっしゃった。僕は添乗員に乞われて「たまり漬」の説明をさせていただく。ご一行は有り難くも少なくない買い物をしてくださって、今夜の宿泊場所である川治温泉へと向かわれた。

17時を過ぎたところで「買うか買わないか分からないけれど、日光からタクシーで向かうから、閉店時間を過ぎても店を開けておくように」との電話をいただいたと、事務室にいた家内より店番の僕に連絡が入る。そのお客様も、結局のところは少なくない買い物をしてくださった。終わりよければすべて良し。悪くない一日だった。


朝飯 干し柿と春菊の白和え、スクランブルドエッグ、切り昆布の炒り煮、白菜漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 カプレーゼ2種のパンエリンギとグリーンアスパラガスのソテーを添えたハムステーキチーズChablis Billaud Simon 2018rindo 2006いちご

2025.2.17(月) 遠出(とおで)

「食品衛生指導員」という資格を持っている。これを維持するには数年おきに「再委嘱予定者講習会」を受ける必要がある。日程表が送られてきたのは先月。日光地区のそれは3月5日の開催となっていた。しかしその日、僕はタイの最北部にいる。もういちど日程表を吟味して、結局は2月17日の、大田原での受講を決めた。

栃木県内ではあるものの、大田原は未知の場所である。そこへ行くなら道の駅「明治の森・黒磯」へ寄りたい。というのは、先月ある集まりでその施設について聞くことがあり、興味を覚えたからだ。

Googleマップによれば、そこまでの所要時間は1時間15分と出た。そういう次第にて11時50分にホンダフィットの運転席に着く。

途中、矢板市の郊外で東北道に乗るようGoogleマップに指示をされ、すべて一般道を使うつもりだったものの、仕方なく進入路に向けてハンドルを切った。するとそこはスマートI.C.という、ETCカードを持つクルマしか入れない乗り口だった。ホンダフィットにETCは設定していない。よってゲートは開かない。進入路は一車線だから、後ろに気をつけつつ延々と後退して進入路を脱出する。後続車がいれば、面倒なことになっていただろう。

道の駅「明治の森・黒磯」には13時13分に着いた。施設内は、ただただ洒落ていた。ダイニングの供する食べものは上質。その窓から望める「旧青木家那須別邸」は大いに見学をしたかったものの、今日は時間が足りない。昼食代を支払うときには「ここの食事は美味しいねー」と、係のオニーチャンに伝えておいた。

その道の駅「明治の森・黒磯」を13時52分に出る。またまたGoogleマップに頼って講習会が開かれる「那須野ヶ原ハーモニーホール」の駐車場には14時25分にすべり込んだ。駐車場からホール正面までは結構な距離があり、2階の受付カウンターに着いたのは14時29分だった。係の女の人は既にして後ろ姿を見せていた。それを呼び止め、本日最後の登録者として階段教室状の会場に入る。

14時30分からの講習は2時間と伝えられていたものの、16時2分に終了した。駐車場を出たのは16時12分。帰りの道のりは40キロメートルで所要時間は59分と、Googleマップは示している。

それにしても今日の天気はめまぐるしく変わる。場所を移動したせいもあるけれど、雲の低く垂れ込めるところもあれば、青空に白い雲の浮かぶところもあった。日光を目指しつつ塩谷町に入ると、今度は風花が舞い始めた。

上澤梅太郎商店には17時24分の帰着。即、通常の仕事に戻る。


朝飯 若布の酢の物、生玉子、冷や奴、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、白菜とハムの味噌汁
昼飯 経産牛ハンバーグデミグラスソース、サラダ、スープ、ライス
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリのカラシ和えピータン麻婆豆腐鶏の唐揚げエビチャーハンあんかけ焼きそば麦焼酎「二階堂」(お湯割り)家に帰ってからのカステラ、Old Parr(生)

2025.2.16(日) 898グラム

昨年9月30日の、チェンライでの日記に「(午後の日の)直射を受ける太腿から下にバスタオルを掛けて、それ(ドナルド・キーン著「百代の過客」上巻)を読み始める」とある。翌月4日のバンコクでの日記には「百代の過客の上巻は12時12分に読み終えた」とある。平安期から鎌倉期までの有名無名の日記を集めた275ページを、つまりは丸4日間で読み終えた、ということだ。

今月末からのタイ行きの日程は全11日。「百代の過客」は下巻に加えて「続百代の過客」の上巻と下巻が控えている。2冊を持参すれば充分と考えていたものの、上記に照らせば3冊すべてを持つ必要がある。

その3冊を本棚からとりだし、カバーを外してTANITAのキッチン秤に載せると液晶の数字は898グラム。その重さは軽視できない。しかし旅の最中に活字が途絶えれば焦燥は募るばかりだ。

他の持ち物を減らそうにも、僕の荷物はミニマリストを自称する人たちのそれよりよほど少ない。ステンレス製のコップを省いて146グラムの減量。タイのどうしようもない歩道に対して危険性は増すものの、KEENのWINEAをHABANANASのゴム草履に替えて141グラムの減量。レッツノートの電源コードをANKERの充電器に替えれば更に107グラムの減量になるものの、その冒険は避けたい。スーツケースは、本体も含めて8キログラム台に抑えたいのだ。


朝飯 生玉子、納豆、日光味噌「ひしお」を使った肉味噌、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、白菜とハムの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ルッコラを添えた3種の茸とベーコンのスパゲティ干しぶどうと胡桃のパンTIO PEPE

2025.2.15(土) 朝のしごと

早朝に家内を「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ送り、母屋へ戻って自分の朝食を整える。7時40分の直前に事務室に降りて出勤してくる社員のためにシャッターを上げ、8時からは朝礼、次いで道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への本日最初の配達に赴く。8時30分の開店は、長男が8日間の東京出張から水曜日に戻ったから、木曜日以降は楽になった。

9時に販売係のパートタイマーが出社をすれば、僕は店を離れて事務机に着ける。そうしてメーラーを回すと「汁飯香の店 隠居うわさわ」に明日の予約が複数入っている。予約は隠居の電話でも承るから、いわゆる「ダブルブッキング」になってはいけない。即、その予約を紙に出力し、それを手に隠居へ急ぐ。

隠居の座敷には冬の日が溢れていた。床の間の花はレンギョウ、オオデマリ、そしてピンクと黄色がマーブル状に混じったチューリップ。花のまわりこそ春めいているものの、屋内にはストーブが3台も焚かれ、外の気温はいまだ低い。

来週の月曜日には、床の間の室礼をかえたい。しかしその日は既にして満席を戴いているから日中は動きづらい。お客様がいらっしゃる前に、何とか片を付けてみようと思う。


朝飯 生玉子、納豆、日光味噌「ひしお」による肉味噌、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 白菜と厚揚げ豆腐と茸と豚薄切り肉の鍋、、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)

2025.2.14(金) ツバメ

このところの夕刻の日の延び方には驚くほどのものがある。一方、夜明けの徐々に早まっていくことについては、それほどの実感を覚えない。それでも今朝、南東の空へ向けて撮った画像の時間を調べてみると、2月4日のそれが6時10分だったのに対して、10日後の今日のタイムスタンプは5時58分だった。

10日で12分とすればひと月で約30分、ふた月で約60分と、夜明けは早くなる。夏至のころには3時台から明るくなり始めるわけで、僕はそのような日を待ちわびている。できれば四六時中夏至、という場所に住みたいものの、それは無理だ。赤道直下では、年間を通して日の出と日の入りの時刻は一定で、それはそれで、面白いものでもない。

荷風の文章に頻繁に出てくる「晡下」を検索エンジンに当たると「晡は申の刻つまり七つ。下がりは過ぎの意。現在の午後四時過ぎ。または夕暮れ」と出る。この「晡下」の、いまだ昼のように明るい季節が好きだ。ということはやはり、夏を措いて他には無い。燕はいつ来るだろう。


朝飯 生のトマト、玉子焼き、揚げ湯波の甘辛煮、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダ生のトマトと茹でたブロッコリーとケチャップスパゲティを添えたミートローフ、ポテトグラタン、Chablis Billaud Simon 2018、rindo 2006「久埜」のうぐいす餅、Old Parr(生)

2025.2.13(木) 商売っ気

“JAPAN BLUE JEANS”の、ウエスト33インチのパンツが緩くなったため、32インチのものを新たに買ったとは、先月10日の日記に書いたことだ。またおなじく先月27日には、神宮前の”FULL COUNT”でジーンズを買った。このときはウエスト32インチから試着を始め「いかにも緩い」、「まだ緩い」とサイズを落としつつ28インチで落ち着いた。

“JAPAN BLUE JEANS”のパンツはウエスト32インチでちょうどよく、”FULL COUNT”のジーンズは28インチがちょうどよく感じた。その差は4インチ。実に10センチメートルである。はじめてのメーカーの服や靴は、絶対にウェブで買うべきではない。また、たとえばヨーロッパのある有名なメーカーのカットソーなどは、それを売る店の人でさえ「おなじサイズでも時により大きさはまちまち」と言うのだから、どうにもならない。

セレクトショップで靴を買うときには、よほど自分を強く持つ必要がある。セレクトショップの人は、靴屋の人ほどは、客の足の心配をしないからだ。

物を買うときには、売る気にはやる人からよりも、商売っ気の無い人からの方が、後々の結果は良い。値の張るものほど、そんな気がする。


朝飯 切り昆布の炒り煮、菠薐草のおひたし、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 巻き鮨と押し鮨あれこれらっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、「柏露酒造」の「越の四季超特選大吟醸」(燗)、チョコレートケーキ、Old Parr(生)

2025.2.12(水) いつもと変わらず

5月のタイ行きについては、田舎へ飛んでから首都に戻るか、あるいは首都に居続けるかのどちらにすべきかを決めかねていた。航空券は早く買った方が得ということを聞いていたため、先ずは羽田とバンコクの往復を買い、田舎へ行くとなれば、その分は後から買う、ということが可能かどうかを、なじみの旅行社に問い合わせた。そうしたところ、航空券はすべての旅程を決めてから発注した方が圧倒的に有利との返信がきのう戻った。

そういう次第にて、今朝はしばらく考えてから、5月なかばの8日間はすべて首都にいることとした。南の国の都市に滞在するときのホテル選びの基準は、一に日除けを備えたスイミングプールがあること、二に鉄道の駅から近いこと、三に価格の高くないこと、となる。

結局のところ、月曜日から金曜日までは1982年以来、食事を除いては足の遠のいているヤワラーに。研修を受ける土曜日と日曜日はホテルには寝に帰るだけだから、金曜日からはアソークの、交通至便だけが取り柄の安いところを確保した。

ホテルは大抵、agodaで予約をする。たとえば楽天トラベルなら、1泊1万円と表示のあるホテルは決済の金額も1万円になる。ところがヤワラーのホテルの予約を確定させると、決済金額は表示価格の1.27倍、アソークのホテルはおなじく1.20倍になった。税金やら何やらが載せられるのだろう。なお、海外のホテルでも楽天トラベルで予約できるところはあって、どの予約サイトより安く泊まれたりするから、注意だけは払う必要がある。

ヤワラーのホテルに5日のあいだいて何をするかといえば、昼は屋上のプールサイドで本読み、夕方になったらマッサージ屋で脚を揉んでもらいながら本読み、そしていまだ混み合う前のメシ屋で飲酒喫飯。夜は20時には寝て、明け方は日記の作成。いつもと変わらず、である。


朝飯 菠薐草のおひたし、しもつかり、目玉焼き、紅白なます、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “JOHNNEY’S CAFE 638″のお通しのフォカッチャ牡蠣とマッシュルームと舞茸のアヒージョトマトとニンニクのスパゲティ豚タンとサルシッチャと根菜類のボリートミストカラフの白ワインチョコレートとフランボワーズのケーキ、おまかせのウイスキー(生)

2025.2.11(火) 繁と華

日光市今市には節分の季節に「花市」という市が立つ。むかしは日光街道の、西は瀧尾神社から東は追分地蔵尊までの800メートルに露天商が店を連ねた。ウチの前には毎年、瀬戸物のたたき売りが出て、その威勢の良いかけ声に、夜は眠れないほどだった。

日光街道に交通規制が敷きづらくなってからは、南へ2本目の通りに場所が移された。僕は小学生だったから、1960年代なかばのことだ。芝崎新道の、現在は郵便局のある場所は田んぼで、ここには毎年、よしず張りの食堂が作られた。ある年はそこから東へ数十メートルほどのところに机ひとつのルーレット賭博屋が出て、僕は30円を巻き上げられた。

上澤梅太郎商店の、現在は原材料の搬入口になっている近くにはガマの油売りが人を集めた。タンカバイのオヤジの、刀で切ったばかりの二の腕の傷は、その軟膏を塗ると跡形もなく消えた。見物人の中から「適当に指名」された学生は利き腕を訊かれ、その手で瓦割りをさせられて、痛みに悲鳴を上げた。しかしもう一方の手に軟膏を塗られると、今度は見事、先ほどの瓦を真っ二つにした。僕はすぐにでもその軟膏を手に入れたかったものの、小遣いが足らず、諦めざるを得なかった。

「繁華街の繁は人の多さ、華はいかがわしさ」と言った人がいる。2013年のカトマンドゥには「繁」があった。2018年のハノイにも「繁」があった。長く人口減の続く日本は「繁」に縁遠くなり、「華」もまた、いつの間にか醸成された社会通念により認められづらくなった。堅いことばかり、四角四面なことばかりを言っていては、世は面白くなくなるばかりと思うが、どうだろう。


朝飯 しもつかり、焼売、蕪と胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参とトマトと長葱と油揚げとハムの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 里芋の淡味炊き、切り昆布の炒り煮、干し柿と春菊の白和え、しもつかり、紅白なます、蕪と胡瓜のぬか漬け、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(燗)

2025.2.10(月) 冬の底

長男は日本橋高島屋S.C.での「冬の味覚市」に出張中。嫁のモモ君は3人の子供のうち下のふたりの見守り。家内は膝を痛めている。そういう次第にて、小学2年生のリコを先週に引き続いて、登校班の集合場所へ送る。そこへ行くまでの、春日町交差点の2本の横断歩道を渡っているときには常に、長男や次男が子供だったころのことを思い出す。

小学生にとっての1年生から6年生までの6年間は、とても長い。しかし大人になってからの6年間は、あっという間、である。リコも多分、すぐに大きくなってしまうに違いない。

日中、店の花が桜とチューリップからラズベリーとアマリリスにかわった。小さな花びらの桜も悪くはなかったが、桜はやはり、ある程度の大きさで見たい。日光の桜は東京のそれにひと月おくれて咲く。「汁飯香の店 隠居うわさわ」の枝垂れ桜にテレビの取材が入ったのは昨年の4月16日だった。今年の開花はいつごろになるだろう。

春という季節は特に好きでもないけれど、アカギレと着ぶくれの冬よりはマシだ。「病牀の匂袋や淺き春」という子規の句を、稲畑汀子の「ホトトギス季寄せ」に見つける。


朝飯 しもつかり、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参とトマトと長葱と油揚げとハムの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「大昌園」のあれやこれやそれや他あれこれ麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)

2025.2.9(日) 雪のその後

雪は止んだ。空は晴れた。家内を隠居に送る早朝の歩道は、きのうよりよほど明るかった。二十数時間ほども降り続いた雪は、上空の気温がよほど低かったのだろう、歩くたびキシキシと音を発した。地中の不凍栓を開くには、先ず地面と同じ高さのフタを開ける必要がある。そのフタが雪により凍りついて、鉄の棒でこじってもびくとしない。勝手口に戻って湯を沸かすよう家内に頼み、その熱湯でどうにか氷を溶かす。

8時の朝礼の後、配達係のイザワコーイチさんが道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ納品に出かける前に、ホンダフィットの窓に積もった雪を、給湯室の洗面器に溜めたお湯で溶かす。電気もガスも水道も、まったくもって有り難い。

開店の準備をしながら外に目を遣ると、事務係のカワタユキさんと研究開発係のマキシマアキコさんが雪かきを始めていた。社員全員で取りかかるかかるほどの雪の量ではないものの、これまた有り難い。

その雪かきのお陰と太陽の光により、9時になるころには、駐車場のあらかたには黒いアスファルトが見えてきた。スマートフォンの天気予報は、明日からの1週間の、ほとんどの日が晴れることを伝えている。台風一過と雪の後の快晴は、日本の天気のひとつの頂点のような気がする。

11時前に蔵見学をご希望になったお客様お二人には、外が寒いことから、先ずは店のお茶飲み場で上澤梅太郎商店の歴史についてお話しをさせていただく。次いで隠居、そして蔵の中にご案内をする。隠居でお食事をなさったお客様、また蔵見学をなさったお客様は、一般のお客様とは異なった商品をお買い求めになる傾向がある。それは「たまり漬」というものを、より深く知ることがおできになったためだろう。

日本橋高島屋S.C.で先週の水曜日から開かれている「冬の味覚市」に出張中の長男からは、初日から好成績が伝えられている。最終日が建国記念の祝日であれば、蔵から現場に送る商品の数量も、いつもとは異なってくるはずだ。できるだけ多くのお客様に、ご希望の品物を、お手渡ししたいと思う。


朝飯 しもつかり、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参とトマトと長葱とハムの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、しもつかり、菠薐草の胡麻和え、揚げ春巻き、らっきょうのたまり漬、おでん、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(燗)

2025.2.8(土) 雪

九州から北海道まで大雪のニュースである。僕の住む日光市今市地区の中心部は、天気予報の地図では大抵、雪が積もるか積もらないかの境界線上に位置している。だから雪が降るか降らないか、積もるか積もらないかについては、そのときになってみなければ分からない。

早朝、シュークリームの上の粉砂糖ほどの雪の道を歩いて家内を隠居へ送る。「雪も、このくらいで収まってくれれば良いなぁ」と切に願う。スマートフォンの天気予報には、雪は9時に止み、午後からは晴れとある。

8時の朝礼を済ませ、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達から戻って開店の準備にかかる。8時20分に白いSUVが店の駐車場に入ってくる。僕は8時30分の定時より前に店を開け、クルマの中でお待ちのお二人に、もうお入りになれることをお伝えする。

お二人は案に相違して店の前を素通りされて「汁飯香の店 隠居うわさわ」の方へと向かわれた。「さて、今朝は8時30分にお二人のご予約は入っていなかったはずだが」と、その後ろ姿を見送る。

数分後、お二人は雪の中を戻っていらっしゃった。満席により、お入りになれなかったのだ。僕はお二人に「らっきょうのたまり漬」の試食をお渡しし、奧でお茶をお飲みになるよう促す。

今日の「汁飯香の店 隠居うわさわ」はご予約により、きのう満席になった。つまり2日前までにお電話をいただいていれば、お二人は暖かい座敷から庭の雪景色を眺めつつ、温かい朝食をお楽しみになれたのだ。僕は、たとえ街の焼き肉屋でも洋食屋でも、かならず予約をしてから行く。「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ予約なしでいらっしゃる方は「満席だったらどうしよう」とか「臨時休業だったらどうしよう」などとは、お考えにならないのだろうか。

県外からいらっしゃったというお二人には、他に朝食の摂れる店について訊かれたものの、いまだ8時40分であれば、ファミリーレストランも開いていない。最寄りのコンビニエンスストアをお教えし、イートインコーナーのあることを添える。

前述のように、朝のスマートフォンは9時に雪の止むことを予報していた。しかし9時になると、雪が止むのは12時と、その時間を遅らせた。正午のスマートフォンは、雪が止むのは16時と、またまたその時間を変えた。次の予報では、雪の止む時間は18時になっていた。そしてその18時を過ぎても雪は降り続いている。降る量の多くないことだけが、助けである。


朝飯 しもつかり、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参とトマトとピーマンとウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 しもつかり、沢庵、「鈴木酒造」の「龍蟠純米吟醸」(冷や)、おでん「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(燗)

2025.2.7(金) fabbrica collaboratori

先日、予期せず僕宛に荷物が届いた。荷札の品名にはワインとあった。箱を開けるとビンはブルゴーニュ型で、しかし産地はイタリアだった。その首にはサングラスをかけたエンツォ・フェラーリのおなじみの写真を表紙にした小さな冊子が提げられていた。「親方」はこの赤ワインをこよなく愛し、親しい人への贈りものとしても使っていたという。

即、お礼のメールを荷物の差出人に送った。ランブルスコの農園をたびたび訪れた「親方」は、このワインを飲みつつ、ひと丘を越えたところにあるフェラーリ所有のフィオラーノテストコースから聞こえてくるフェラーリの音を聞いていたと、その方からの返信にはあった。

とても小さなアルファベットだったから読み飛ばしていたものの、その冊子には「親方」の90歳、つまり最後の誕生日に振る舞われた料理のメニュも載っているとのことで、先ずはそれをiPhoneのカメラで撮り、コンピュータに移して拡大してみた。

……
Aperitivo Formula 1
Antipasto di prosciutto,salame.ciccioli,mortadella,
cipalline della nonna con dnocco ingrassato

Tortellini Cavallino alla pannna

Lasagne alla Cardinale

Zampone di Modena con fagioloni

Nodino di vitello con pure e verdure al forno

Torta del compleanno

Caffe

Bianco Malvasia
Lambrusco Ca Berti
Riesling Spumante Martini
……
Colazione in fabbrica collaboratori
della Ferrari S.p.A
per il 90°compleannno di Enzo Ferrari
Maranello 18 febbraio 1988
……
“fabbrica collaboratori”とは、1,740名の社員だという。「流石は親方」のひと言である。


朝飯 スクランブルドエッグ、納豆、菠薐草の胡麻和え、しもつかり、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 じゃがいもと人参の細切り炒めと焼いたズッキーニとたまり漬によるソースを添えたビーフステーキrindo 2006

2025.2.6(木) 初午

本日は初午にて、家内はおとといからしもつかり、きのうの夜からは赤飯を仕込んだ。しもつかりは鮭の頭、鬼おろしでおろした大根と人参、節分の日に残しておいた豆をひたすら煮て、酒粕で味を調える関東北部の郷土食である。ウチでは「しもつかり」だが、一般には「しもつかれ」と呼ばれることが圧倒的に多い。

「しもつかり」は、僕個人の見解としては、海を持たない地方の食生活の貧しさを凝縮したような食べもので、見た目も悪い。その、まるで猫の吐瀉物のような見た目から、僕は27歳のときまで食わず嫌いを通していた。それを開眼させてくれたのは「並木蕎麦」の、今は亡きアオキウイチさんだった。

「こういうものを食わないから身体が弱いんだ」と、ふた月に1度は高熱を発して寝込んでいた僕に、アオキさんはこの気味の悪い食べものを強要した。こんなものが滋養強壮の役に立つわけはないとは思いつつ、しかし父親と同じ歳の人にそこまで言われれば断れない。恐る恐る口に運んだそれは意外や美味かった。以降、冬という季節はまったく有り難くないものの、これが食べられる初午のころだけは、何やら待ち遠しくなった。

しもつかりは家の中で最も寒いところに置いて、冷やして食べると美味い。朝はごはんのおかずになり、夜は酒の肴になる。

今朝はこれを、家内と孫のリコが稲荷社に供えてくれた。僕はセブンイレブンへ行き、カップ酒を売る棚の前に立った。ワンカップ大関にミニサイズのあることは、今回はじめて知った。形ばかりのものであれば100ミリリットルの「ミニ」でも良いのではないかという考えが一瞬、浮かんだものの、これまた瞬時にそれを否定して普通の1合瓶を買う。そして会社に戻り、栓を開けて稲荷社の、しもつかりと赤飯に並べて置く。

夜はようよう、人のためのしもつかりが小鉢に盛られた。それを肴にして冷えた日本酒をゆっくりと飲む。


朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、菠薐草のソテーを添えたベーコンエッグ、里芋の淡味炊き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 しもつかり、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、刻みキャベツと生のトマトを添えたコロッケ赤飯、「鈴木酒造」の「龍蟠純米吟醸」(冷や)

2025.2.5(水) できるだけ長く

「汁飯香の店 隠居うわさわ」の朝ごはんを紹介する本を、店のお茶飲み場に開いて置いている。先般、これをご覧になったお客様が「味噌汁、漬物、こんなに食べて大丈夫ですか? 私の叔父はこんなものが好きで、早くに亡くなったものですから」とおっしゃるので「食べなければ良いと思います」と、お答えをした。そうしたところ、日光味噌の粒みそを1キログラム、らっきょうのたまり漬を1袋、それに土井善晴の「一汁一菜でよいという提案」を買ってくださった。商売は、いつになっても苦手である。

商売は苦手でも、会社は維持していかなくてはならない。そのすべは子供のころからの経験により、自然と身についたものだろう。

5月17日と18日の2日間にバンコクMGが開催されることを、先月の日光MGに広島から参加してくださったタナカタカシさんから教えられた。ゴールデンウイークと夏の贈答の季節の狭間であれば、時間は割ける。そして本日はそれに参加することを正式に、現場では講師となるタナカさんに伝えた。

僕の考えた日程は、5月11日の夜に羽田空港へ行き、12日発の深夜便に乗る。月曜日から金曜日までの滞在先を田舎にするか、あるいは首都にするかは、いまだ決めていない。バンコクMGの会場は以前のトンローからアソークに移ったという。アソークは地下鉄MRTと高架鉄道BTSの交差する便利な場所で活気がある。ただし頭上に高架鉄道が走るから空は狭い。だったらホテルはどこに選ぶべきか。こういう迷っている時間が楽しいのだ。

ところで冒頭に戻れば、僕のおばあちゃんは「こんなもの」を食べて102歳まで生きた。僕もできるだけ健康寿命を保ち、できるだけ長く遊べることを望んでいる。


朝飯 菠薐草のおひたし、スクランブルドエッグ、納豆、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン焼いたブロッコリーを添えた鶏もも肉のトマト煮Chablis Billaud Simon 2018、Old Parr(生)

2025.2.4(火) 立春をすぎても

文章が書けていても最上部に置く画像が無くては日記を更新できない。雪や曇りの日が数日続いて、しかし今朝は晴れた。その明け方の空を撮るべく屋上へ上がる。階段室のいちばん上の踊り場にはおばあちゃんの草履が置いてある。それを履いてドアを開け、屋上に一歩を踏み出そうとして、降りた霜の凍っていることに気づく。うっかり転んで骨でも折ってはシャレにならない。以降は慎重に歩を進めて南東の空をiPhoneに納める。

きのうは立春だった。しかし旧暦では1月7日だから、いまだ温かくなるはずもない。家の中は、人のいる部屋こそ暖かいものの、それ以外のところは寒い。つまり快適ではない。

そういう冬にも良いところはあって、空気が澄んでいることによるのか、空が綺麗だ。もうひとつは、空にくらべれば極めて細かいことだが、仏壇の花が長く保つ。夏の花はせいぜい4日ほどしか保たない。しかし現在の白菊は昨年末に、正月のための花と共に買ったものだという。とすれば既にしてひと月以上も命脈を保っているわけで、驚く他はない。

とはいえまぁ、春にはできるだけ早く来てもらいたいと思う。


朝飯 生のトマト、ベーコンエッグ、揚げ湯波の甘辛煮、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 かまぼこ、薩摩芋の蜜煮、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(冷や)、キムチ鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、ロールケーキ、Old Parr(生)

2025.2.3(月) まるで踊るようにして

活字中毒にも関わらず、どうにも読めないものはある。先ずはビジネス書。僕にとって本を読むとは遊びである。ビジネス書を読むという行為は仕事に他ならないからできない。

地中海地方を舞台にした小説も、なぜか読めない。ロバート・ゴダードの「蒼穹のかなたへ」は文庫の上下を買って、しかし上巻の数ページから先へは進めなかった。ジョン・ル・カレの「リトル・ドラマー・ガール」は分厚いハードカバーを買って、読めたのは数ページ。ちなみに池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」も挫折。どうも地中海地方とは相性が悪い。

もうひとつは幻想小説。稲垣足穂はただの1ページも読めない。しかし内田百閒のその手のもの、たとえば「サラサーテの盤」などは読める。と、ここからは記憶違いかも知れないけれど、僕の頭の中にある情景について書いてみる。

……
サラサーテのレコードをかけながら、ふと長いあいだフタをしたままの古い酒瓶に目が留まった。よく見ると中に蜘蛛がいる。「まさか」と思いつつフタを開けると、その蜘蛛はチゴイネルワイゼンに誘われたかのように、まるで踊るようにして瓶の外に出てきた。
……

さてこの不思議な光景は、百鬼園の「サラサーテの盤」に出てきたものだろうか、それともその小説を原案とした鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」の一場面だったのだろうか。あるいはそれらとはまったく関係のないどこかで僕の脳に擦り込まれた映像なのかも知れない。

夕食後、甘いものを肴にウイスキーを飲もうとしたらそれが枯渇していたため、次の1本を取りに行くべく席を立った。そのときにふと思い出したことが上記である。


朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、人参とピーマンと玉葱とウインナーソーセージと溶き卵の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “THE FLYING-GARDEN”のマッシュルームサラダコンビ「笑顔の名人」カラフの赤ワイン家に帰ってからの「クドウ」の「フロレンツァーミレー」、Old Parr(生)

2025.2.2(日) 山を降りていく

勢いはそれほどではないものの、雪が降っている。その、いまだ暗い国道121号線沿いの歩道を伝って家内を隠居へ送る。

冬の早朝の「汁飯香の店 隠居うわさわ」は冷え切っていて、畳の上でさえ歩けば足の指先が凍える。開店の8時30分までに部屋を暖めるため、6時過ぎから暖房絨毯の電源を入れ、石油ストーブにも火を入れる。不凍栓は地中にあるから、その開閉には地面に膝と手をつくことになる。家内の脚が良くなるまでは、この手伝いを続けることになるだろう。

朝礼を済ませて後はふたたび隠居へ行き、庭の状態を見る。雪景色をお楽しみになれる点において、今日のお客様は幸運だと思う。以前、やはり雪の日に、その雪に四合瓶を埋めて冷やし、お召し上がりになったお客様がいらっしゃった。池田弥三郎も書いたように、朝のおかずは妙に、日本酒に合うのだ。

ところで今日は節分。数年前までは、僕が二宮神社まで豆を受け取りに行っていた。しかし今は嫁のモモ君と孫たちがその役を担ってくれる。夕刻には彼らが家中、会社中に豆を撒いてくれた

齢を重ねるに連れて、自分のすることが徐々に減っていく。とても楽だ。「禅とは山を降りること」と言った禅僧がいた。寺務所の脇にはチェロキーXJが駐められていたから、いまだ物欲からは解放されていなかったようではあるけれど、なかなか良い言葉だと思う。


朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、人参とズッキーニとウインナーソーセージと玉子の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 カビ付きのソーセージ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、”SMIRNOFF VODKA”(お湯割り)、スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2018、「クドウ」の「レーズンクッキー」、Old Parr(生)

2025.2.1(土) ぱーふぇくとまっち

目を覚ましていつもの場所を手探りしても、iPhoneは無い。多分、きのうの入浴後はそれを卓上に置いた食堂に寄らないまま寝室に入って寝てしまったのだろう。現在の時刻は不明ながら、起きて服を着て洗面所へ行く。低い棚に置いた電波時計には”02:08″の数字があった。SNSなら「カッコ苦笑」である。きのうの夜の、ダブルのウイスキーをお湯で割って3杯、が効いたことは間違いない。

払暁に家内を「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ送り、不凍栓を開く。明日は九州から四国、東海から首都圏へ帯状に雪が降ると、テレビの気象予報士は列島の地図上に指示棒を走らせた。週明けからは寒さがぶり返すとも伝えている。不凍栓は今しばらくは、開け閉めを繰り返す必要があるだろう。

9時に植木のカシワギさんが来て、長男と共に隠居の庭を見てまわる。冷蔵庫、とはいえ家庭用のそれではない、人が住めるほどの棟のちかくに育った松の大木を伐ることを、長男にも納得させる。伐るべき木は他にもあって、それが無くなれば寂しくなる。追加で植える木につきカシワギさんに問えば「それは追々」と言うので「そうですね」と答える。

夕刻「なめこのたまり炊」の食べ方を、お客様に訊かれる。ご説明をすると即、それと「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を買い物カゴに入れてくださった。お顔は勿論のこと服装や持ち物からも日本人とばかり思っていたが、海外の方だった。

「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」には、その使い方を記した紙を添えている。そこに「バツグンです」の文字を見つけて、閉店の間際に店に来た長男に「バツグンじゃぁ、文字の画像翻訳はしてくれねぇんじゃねぇか」と疑問を呈する。長男はその場でiPhoneを取りだし、説明書を撮った。ややあって、日本語の活字はすべて英語に訳された。AIは前後の日本語を勘案したらしく「バツグンです」の部分には”Perfect match”の文字が現れたから「あー、大丈夫だ」と、ふたりして笑う。


朝飯 切り昆布の炒り煮、白菜漬け、生玉子、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 蒲鉾、赤魚の粕漬け、薩摩芋の甘煮、沢庵、白菜漬け、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(燗)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学