2026.10.19(月) いまだ読んでいない本
「アニメーションより活字の方が好きだ」と、先日、孫のリコが言った。「自分も子供のころからそうだった」と、即、同意をした。いわゆるパラパラ漫画が動画になったときには、それは驚くべき新技術と、喝采と興奮を以て世に受け入れたのではなかったか。しかし新技術より旧技術の方を面白く感じてしまうということは、他にもたくさんありそうだ。
いま山手線のようなロングシートの列車に乗ると、まず6人中の5人はスマートフォンを眺めている。僕のような、文庫本を開いている人間は旧人類なのだろうけれど、動画を眺めるより活字を追う方が楽しいのだから、仕方がない。
活字を欠いては生きていけない。というのはまったくの嘘で、水と食べ物さえあれば、僕は生きていけるだろう。しかし人生の楽しみのうちの大きな部分が霧消してしまうことは確かだ。
明日は列車に数時間は乗る。読みさしの本はない。そういう次第にて、応接間から盲腸のように延びた廊下の棚に未読の本を探す。
僕は活字中毒ではあるけれど、図書館は使わない。理由は多分、以下の3つと思う。
1.いまこの瞬間に読みたい本が図書館にあるかどうかは分からない。多分、無い。
2.その本を読み終えるまでにどれほどの日数がかかるかは分からない。しかし図書館で借りた本は、期限付きで返さなければならない。
3.本は飲食をしながら読むことが多い。よってそれを汚してしまうことが多々ある。
そしてようよう関川夏央の「昭和時代回想」を選び、持ち運びに不便なカバーを外す。何十年前に買ったか不明の文庫本だが、その背表紙を目にした途端、読みたい気持ちが勃興したのだ。
そして「しおり」が挟まれているかどうかを調べるため左の親指でページを滑らせていくと、221ページが半分に折られていた。これは僕が、覚えておくべきことの書いてあるページを保存するための行いで、とすれば僕は、この本を1回は読んだ、ということになる。
しかし問題はない。僕は、本の内容は、読むそばから忘れてしまうからだ。そしてこの「昭和時代回想」を、漢詩の教科書やノートと共に、透明のポーチに収める。
朝飯 細切り人参の胡麻油炒め、鰤の照焼、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ茄子と茗荷の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)













