2026年9月の日記30本
2026.9.30(水) タイ日記(7日目)
夜中にいちど目を覚ましたものの、二度寝ができて、5時40分に起床する。洗面と歯磨きを済ませたらコンピュータを起動し、先ずはきのうの画像を整える。
iPhoneの気に入っていたカメラアプリケーションがなぜか変調を来し、以降はデフォールトのカメラアプリケーションを使っているものの、これが使いやすいと感じている人は、どれだけいるだろうか。
きのうの画像の整理を終え、おとといの日記を公開するための、長い命令を書く。ここまでで1時間が過ぎている。窓から見上げる空には鱗雲がある。まるで秋、である。
公開したばかりのおとといの日記を読みつつ、変換違いの訂正、言い回しの修正、読点の追加や削除、行あけなどの命令を、Claude Codeに打ち込んでいく。校正すべきところは山のように見つかり、それらを処理するうち、また1時間が過ぎる。つまりここで時刻は7時40分。部屋は、良く言えば”Poolside View”にあって、そのプールサイドの食堂からは、朝食を準備しているらしいおばさんたちの声が、早朝から届いてきていた。よってスツールから腰を上げて浴衣を脱ぎ、普段着に着替えて部屋を出る。
ところで今朝、税務関係の夢を見ながら目を覚ましたのは、きのうの朝、ホテルの部屋に落ち着くなり、顧問税理士から電話で経費についての確認を求められたことが関係していたのだと思う。それを受けて即、今度は長男に電話で、税理士の疑問について説明をした。今朝は食堂で粥を食べつつ、その事後の報告を長男から電話で受ける。ちなみにホテルのwifiは食堂にいても途切れないから、僕と長男とのあいだには上澤梅太郎商店の館内電話が繋がって、通信費は無料。有難い限りだ。
朝食の後は、きのうの日記の画像と文章をすべて整え、今日の日記のここまでを書いたところで屋上へ上がる。南東の少し遠いところでは、大きな建物が建設中。北東の目と鼻の先では、まるでお寺のような建物が建設中。空は晴れて、いかにも気持ちが良い。
朝の雲こそ秋を思わせたものの、気温はぐんぐん上がる。10時25分よりプールサイドに降り、昼の直前まで本を読む。
タイの北部には、カオソイとナムニャオという、ふたつの汁麺がある。僕はカレースープの前者より、トマトとそぼろ肉のスープによる後者の方が、圧倒的に好きだ。この街には、そのカオニャオの名店が少なくない。しかし僕は、街の中心部にある、ナムニャオでは特に名高いわけでもない「カオソイポーチャイ」のそれで充分だ。目をつぶって食べれば、そのぬめり具合に「納豆か」と錯覚しかねない乾燥花ドークニウが入っていなくても、特には気にならない。
そのナムニャオを食べて部屋へ戻れば必然的に、シャワーを浴びることになる。そして14時前よりふたたびプールサイドに降りる。
しばらくすると、そこに4歳くらいの地中海系の女の子が来た。女の子はなかなか活発で、一人でプールに飛び込んだ。「大丈夫か」と見ているうち、その母親らしい人がようやく来て、女の子には背を向ける形でパラソルの下に入り、スマートフォンを取り出した。
僕としては気になるから、顔の前の本を時折りずらしては、その女の子を見ていた。そのうち女の子はプールの縁に上がり、そこからプールサイドに飛び降りた。その際に女の子は足をすべらせて、背中から落ちた。母親は、女の子には背を向けているから、仰向いたままの娘には気づかない。
するとそのとき、ホテルのロビーからおかっぱ頭の、大きなメガネをかけたオニーチャンが素早く来て、女の子に声をかけた。女の子はやがて立ち上がり、母親のいる方に駆け出した。
このオニーチャンは、ホテルの名入りのポロシャツは着ているものの、いつも何をするでもなく、廊下や階段の踊り場で僕に会うと、背中を卑屈に曲げ、合掌をし、口の中でなにやらムニャムニャと言葉を発して頭を下げる。だから僕は、このオニーチャンのことは薄ボケ野郎と感じていた。しかし、やるときはやるヤツだったのだ。大いに見直した。しかし「普段から、ちゃんとしていろよ」とは思う。
iPhoneのアラームは15時30分に設定をしている。その音に促されたらシャワーを浴び、服を着て、2020年にウドンタニーで、マッサージのオバサンにもらったセブンイレブンのエコバッグにあれやこれやを持つ。そして目抜き通りに乗り出した自転車を”mary smile massage”の前に駐める。
今日の足マッサージは、色の黒い大きなオネーサンよる強揉みだった。しかし痛みは少々を感じさせるくらいの絶妙さ加減で、大いに悪くなかった。ちなみにチップは50バーツ。術後にトイレに行きたい旨を述べると「それは裏手の家にあります」と、オーナーらしいオネーサンは、僕の先に立って店を出た。
後をついていくと、トイレは別の建物の、更にその裏にあって、オネーサンは鍵を開けながら「ここで待っています」と言った。
このオネーサンを、僕は昨年の3月に、ちかくのマッサージ屋で見かけたような気がした。よって用を済ませた後に確かめてみると「それはありえないことです」と、彼女は明言した。
「今のマッサージ屋は4、5ヶ月前に開いたもので、それ以前は妹と、同じ場所でアイスクリーム屋をしていました」
「ホントですか、でもいいお店ですよね」と褒めると「しかし今はシーズンオフなので」と、彼女は顔をしかめてみせた。
「だったらトップシーズンは」と訊けば「やはり11月とか12月ですね」とのことで「まぁ、今は雨季だしね」と、ここまで話したところで店の前まで戻る。
オネーサンには明日の16時にまた足マッサージを受けたい旨を告げて、ふたたび自転車にまたがる。
なじみの「ジャルーンチャイ」では、メニュを入念に読んだつもりではあったものの、席に届いたものはスープだった。スープは肴にはなりにくい。しかし具の肉団子や白菜を、この店の席に着けば必ず出てくるナムチムに付ければ、鍋の具とおなじである。そして二皿目こそは、サヤエンドウと海老の炒め物を取る。
さて今回の訪タイもその中日を過ぎたとなれば、社員に対する土産を考えなくてはならない。よって自転車をナイトバザールの入口に寄せ、奥に進んで、このところは毎年、買い物をしているオジサンの露店を訪ねる。このオジサンは、まとまった買い物をすると、必ずニ割以上を負けてくれる。値切ることの苦手な僕には、つまり良い相手なのである。オジサンには「後日、また来ます」と言って、ホテルに戻る。
今日は時間を確かめることはしなかったものの、時刻は19時にもなっていなかったと思う。それでも構わずシャワーを浴びる。そして空気調整器を30℃の弱風に設定して寝台に上がる。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三
晩飯 「ジャルーンチャイ」の豚肉団子と白菜のスープ、サヤエンドウと海老の炒め物、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.9.29(火) タイ日記(6日目)
00:00 また勝手に発車をされては堪らないからバスの近くに立っていると「なんとか、かんとか、カップ」と、運転手に声をかけられる。「そろそろバスに乗ってください」という意味と解釈をして、タラップを上がる。
00:04 バスがプラットフォームを後退で離れる。それにしても一体全体、ここはどこなのか。Google Mapsを開いても、付近には「メースリー」という飲食店が示されるのみだ。ただしその営業時間は午前7時から午前3時となっているから、このターミナルの食堂には違いがなさそうだ。ちなみにGoogle Mapsの座標は7P82W8RW+2J。
00:20 バスは3月とおなじように、そのターミナルの敷地でしばし待機の後、ふたたび国道に戻った。来年の2月にも、僕はこの便を使うだろう。そのときには、重々、注意をしたい。そしてそのときの助手にはタイ語でターミナルの名を訊けるよう、準備をしておこう。
02:12 目を覚ます。このバスの席のヘッドレストは位置が低く、肩甲骨の上の方に当たる。フットレストはいかにも椅子に近く、脚が収まりきれない。しかし飛行機のエコノミー席よりはよほど楽らしく、何度でも眠ることができている。バスはデンチャイの手前まで来ていた。
02:53 プレーのバスターミナルに着。
04:05 雪というよりも大量のアラレが急に降ってきた夢を見て、驚いて目を覚ます。バスはドイナーン国立公園ちかくの山の中を走行中。どうやら霧が出ているらしい。
04:28 交差点に馬車のモニュメントが見える。ということは、ランパーンのちかく、ということだろうか。Google Mapsのナビゲーションには、チェンライまで144㎞、所要時間は2時間20分と出た。
05:11 パヤオの街のほぼ中心に達する。国道1号線の脇の広場には、既にしてたくさんの露店が明かりを灯している。朝市である。
05:20 パヤオのバスステーションに着。
05:40 東の山の端が明るくなり始める。
06:07 東の山の端に、朝日による紅い色が見え始める。Google Mapsのナビゲーションは、チェンライのバスターミナル2までの距離を37㎞、所要時間は33分と教えているけれど、33分は無理だろう。
06:39 バスは何と、Google Mapsのナビゲーションより1分はやくチェンライ郊外のバスターミナル2に到着。ウドンタニーからの今回の所要時間は14時間と43分だった。今回は3月の便ほど冷房がきつくなく、椅子の具合も、より良かった。隣は空席の時間が長かった。そのお陰か、何度もまとまって眠ることができて、疲れはまったく感じていない。
バスの胴体から、助手にスーツケースを降ろしてもらう。3月には人っ子一人寄り付かなかったバスに、今朝はオジサンたちが集まって、タクシーだのトゥクトゥクだのと、声をかけてくる。その中に「ソンテウ」と発するオジサンがいたため「オレはそれを使うよ」と、目で合図を送る。安全性と運賃とを勘案すれば、ソンテウは最強の移動手段だと思う。
人の良さそうなオジサンは、これまた人の良さそうな別のオジサンに僕を預ける。バスターミナルの端に3台あるソンテウのうち、オジサンは右端の一台に僕を案内した。そのオジサンに予約済みのホテルの名を告げる。「ちょっと分からない」と、オジサンは困った風でもなく答える。「え、知らねぇの」という感じで、ちかくにいたドライバー仲間らしい男の人は、苦笑しつつその場所をオジサンに説明してくれた。
ソンテウとは、10名くらいは座れそうなベンチをトラックの荷台に設えた乗り物で、どこでも停まってくれ、且つ目的地が経路に沿っている限り、どこからでも乗ることのできる乗合自動車だ。
06:45 そのソンテウが、僕を含めた5名を乗せてバスターミナルを発車。
ソンテウは途中、道端で手を挙げた女の人を助手席に乗せた。次は目抜きのPhaholyothin RoadからRuamchittaway Roadに左折をしたから「なになにー」と疑問が生じたものの、慌てることはしない。ソンテウは後席の女の人とお爺さんを、チェンライ病院の入口で降ろした。女の人が助手席の窓を通して運転手に手渡した二人分の料金は、100バーツだった。
06:58 元のPhaholyothin Roadに戻たソンテウは、間もなく僕が指定したホテルの前で停車。
07:02 チェックインを完了。
このホテルのチェックイン時間は正午のはずだ。それが朝の7時から部屋に入れるのだから、そのサービスは500バーツにも値しそうだ。フロントには、見慣れた細くて可愛い女の子がいた。「私はお客様を、覚えていますよ」と言われれば「オレだって、忘れやしねぇよ」ではあるけれど、口に出しては言わない。スーツケースを3階の部屋まで運んでくれたオニーチャンには40バーツのチップ。
オニーチャンが設定してくれた空気調整器の温度を後から確かめてみれば16℃だったから「なにー」と、今度は声に出して言う。
07:50 きのうバスの助手が手渡してくれたチョコレートケーキに、持参したインスタントのコンソメスープを並べて今日の朝食とする。
08:10 シャワーを浴びる。このホテルのお湯は出たり出なかったりの差が激しいものの、今日は朝から熱い湯が出て助かった。
08:15 コンピュータを起動する。
タイではよく経験をするところの、しかし日本人からすれば諦めと失笑を禁じ得ない状況を「タイ、あるある」という。デスクのコンセントが使われすぎて、ソケットがゆるくなっている。そのため差し込んだANKERの充電器は、外れて机の上に落ちてしまう。よって自分の持ち物を総動員し、それらの様々な積み重ね方を検討した結果、ちょうどよい高さに充電器を保つ組み合わせに、遂に到達する。これもまた「タイ、あるある」のひとつである。
そして先ずは一昨日の日記を公開する。次に、きのうの日記の文章を完成させる。ここで昼が近づいたため、洗濯物をひとつにまとめる。それを手に、ホテルから目抜き通りに出て右手に数件先のコインランドリーへ行く。使い方は忘れていたから、今年3月の日記を振り返ってメモに残した。
ところがそのコインランドリー”Otteri”には若い女の子の係がいて「洗濯と乾燥ですか」と訊く。「はい」と答えて、もっとも容量の低い9リットルの洗濯機の上に洗濯物を置く。そして液体洗剤の自動販売機に5バーツ硬貨ひとつを入れて洗剤を買い、それを女の子に手渡す。
次は両替機に100バーツ紙幣を入れて、10バーツ硬貨10枚を得る。そのうちの5枚を「洗濯は50バーツです」と言う女の子に手渡す。僕の洗濯物を洗濯機に入れ終えた女の子に「乾燥も50バーツです。ご自分でなさいますか」と訊かれて「君がしてくれるの」と訊くと、すべて彼女がしてくれるらしい。女の子に10バーツ硬貨5枚を手渡したことは、言うまでもない。出来上がりまでは1時間20分と教えられて部屋に戻る。
ところで昼食に出ながら、驚いたことがあった。2013年に街の人に薦められて以降、今年の3月まで13年のあいだ通い続けたマッサージ屋”PAI”が廃業していたのだ。これまでは、休みの日でも、足のツボのシールなどを貼ったガラス戸は通りから見えていた。今日は、そこにシャッターが降りていたのだ。
横に回って窓から中を覗くと、フットマッサージ用のソファから会計のためのカウンターから、すべてが綺麗さっぱり消えている。経営者とLINEの交換をしておかなかったことが悔やまれる。「自分にとっては」という条件付きかも知れないけれど、惜しい店を見失ってしまった。
そのまま目抜き通りを北へ歩き、ふと脇道に入ると、1階には郵便局の出張所があって、かつては重宝していたエジソン百貨店が、取り壊しの最中にあった。街もどんどん変わるのだ。
こちらは変わらず繁盛している食堂「ナコンパトム」では、昼を過ぎたばかりにも拘わらず蒸し鶏は既にして売り切れていたから、カオマンガイを食べることはできなかった。仕方なくチャーシューを載せたごはんにしたものの、こちらはタレの粘度が高く、しかも甘いから、それほど好みではない。しかしまぁ、仕方がない。
昼食から戻ったらシャワーを浴び、いよいよ今日の日記に取りかかる。移動日の情報量は、とにかく多い。そのうち「出来上がりまでは1時間20分」のアラームをiPhoneが発する。
先ほどのコインランドリー”Otteri”に、サンダルを脱いで上がる。すると乾燥はとうに終わっていたらしく、女の子はプラスティック袋に収めた洗濯物を手渡してくれた。中身はすべて、丁寧に畳んである。女の子は「コップンカー」と、愛想の良い顔を僕に向けた。こちらこそ「コップンカップ」である。
再び部屋に戻ってコンピュータに向かう。そして今日の日記のここまでを書くと、時刻は15時25分になった。“PAI”を失った残念な気持ちを除けば、38℃の発熱で落ち込んだ気力も体力も、何やら復活をした感じがする。
タイの田舎へ来たら、飲酒喫飯の時刻から逆算をしてマッサージを受ける。ウドンタニーではオイルマッサージに徹したものの、チェンライでは今年の3月より、それを受けつつ本の読めるフットマッサージを多く受けるようになっていた。そして今日は、昼食から戻る途中で清楚な女の人に気づいた”monmueng lanna massage”を使ってみることにした。
時刻は16時になりかかろうとしているころだった。目抜き通りに出てその”monmueng lanna massage”のある賑やかな方面へ歩きかけて、いつも夕刻になると”PAI”の前に出ていた甘味の露店を、以前の場所からすこし移った場所に見つけた。よって迷わず道を渡ってその店に近づく。そしてその主に”PAI”について訊いてみた。
主によれば、女将は実家に戻り、勤めていた二人、この二人の名を彼は具体的に挙げたが、僕には聞き取ることができなかった。しかしその二人が共同で、今は新しいマッサージ屋を開いたという。その新しい店がどこにあるかを確かめたものの、僕と主であるオヤジのあいだには言葉の壁があって、それ以上を知ることは出来なかった。
ところで先に書いた”monmueng lanna massage”は、施設も人も素晴らしかった。家内を同伴するようなことがあれば、僕はこの店を選ぶだろう。しかし広いマッサージルームや木製の寝椅子に敷かれた民芸調のマット、豪華な壁飾りなどは、僕には必要なものでない。足マッサージの1時間の料金は300バーツ。オバサンには50バーツのチップを手渡した。
マッサージを終えたら次はワットジェットヨット斜向かいのナイスレンタルへ入り、これから4日間の契約で自転車を借りる。1日あたりの料金は100バーツ。デポジットは1,000バーツ。レシートの写しをくれないのは、これまた「タイ、あるある」だろうか。
そこからは自転車に乗って、馴染みの食堂へ行く。オニーチャンたちは僕の顔を見知っていて、笑顔を浮かべつつ、すこし深めに頭を下げてくれる。
ケール菜と薄いトンカツの炒め物は、この店で一番の出来かも知れない。以前、この店で豚ひき肉の玉子焼きを頼んだところ、豚ひき肉と鹹蛋の和え物が出てきて面食らったことがある。よって今日はメニュを指しつつ慎重に、豚ひき肉の玉子焼きを注文する。この店の小さなテーブルで、旧空港に通じる道を眺めつつラオカーオのソーダ割りを飲む時間は、何ものにも代えがたい。そして一人旅を好む僕ではあるけれど、この店であれば、気のおけない人たちと賑やかに食事をしてみたい、そんな気持ちになることも確かだ。
酔っているから、交通量の多いところでは、自転車には乗らずに押す。そして目抜きのPhaholyothin Roadに戻ったところで、午後に”monmueng lanna massage”とおなじく目をつけていた、しかしこちらはカジュアルなマッサージ屋”mary smile massage”で、またまた1時間の足マッサージを受ける。こちらの利点は寝椅子の背後に明かりがあり、だから夕食の前に空がたそがれても本の読めるところだ。料金は250バーツ、オバサンには50バーツのチップ。オバサンには明日の来訪を約して帰路に着く。
部屋に戻った時刻は19時台だった。シャワーを浴びたら空気調整器の温度を30℃に設定して、寝台に上がる。
朝飯 チョコレートケーキ、コンソメスープ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のパッカナームークローブ、カイジャオムーサップ、ラオカーオ“BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.9.28(月) タイ日記(5日目)
3時43分の起床。シャワーを浴び、日本から持ってきたフリーズドライのスープを飲む。朝が早いため、このようなものを用意しないことには、朝食までのあいだに腹が保たないのだ。
一昨日の日記を公開し、きのうの日記を書き終えると時刻は5時20分になっていた。ここで寝台に戻ってひと休みをする。そして気力を取り戻したところで荷造りを始める。
移動日にはこの荷造りが欠かせないわけだが、僕の場合、コンピュータ、その充電器、身の回りのものを除けば残りはすべて機内持ち込みサイズのスーツケースに収まるから、体積も重さも、それほどのものではない。しかし点数となると、何しろ卓上の小物をまとめておくジュエリートレイからコンピュータのディスプレイのホコリを払う除電ブラシまで持つため、常人のそれよりはよほど多い。だから荷造りもいきおい、面倒になる。
きのう一昨日と、朝食の場所は8時を過ぎると混み合った。よって7時55分に部屋を出る。すると今日の朝食の客は僅々3組のみで、食堂の温度も極端には低くなかったから助かった。
部屋に戻ったら、荷造りの最後の仕上げをする。出発のときから減ったものといえば、ラオカーオが300ccとスープの素くらいのものだけれど、スーツケースに余裕があるのは、なぜだろう。
水着も圧縮袋に収めてしまったから、プールサイドへは降りられない。9時を過ぎたろころでiPhoneに11時15分のアラームを設定し、本を持って寝台へ上がる。
バンコク在住の同級生コモトリケー君からは
……
タイ政府は洪水への対応として、バンコク都並びに周辺4県に、28日と29日を特別休日とすることを決定。バンコク都は各地で冠水や住居への浸水が相次ぎ、数万人が被災。バンコク中央を流れるチャオプラヤ川は上流の放流により水かさが増し、街なかの水路は逃げ場を失っている状態。
……
との、ニュースのコピーがLINEで送られてくる。
2011年の秋に、バンコクにいたことがある。コモトリ君と夕食のため訪ねた川沿いの料理屋の、それも川に張り出した席で食事をしていたところ、大型船の立てた波が客席まで押し寄せ、ウェイトレスたちはキャーキャー騒ぎながら椅子の上に膝立ちで逃げた。あのとき以来の、チャオプラヤ川の水の高さなのかも知れない。
今月、月が満ちたのは3日前の夜のことだったら、首都のまん真ん中を流れる川の面も、これからは徐々に低くなるのではないだうか。
11時15分にアラームが鳴る。それに応えるようにして、左手のガラス戸の向こうから雨の音が聞こえてくる。思わず「アウッ」と声が出る。ホテルが定めたチェックアウトの時刻は正午。「その直前になって降り始めることも、ねぇじゃねぇか」と、うらめしさを覚える。
「タイへは、3月と6月と9月に行くことにしているんです」と言ったら「どうしてそんなに悪い時ばかりに…」と笑った人がいる。会社の繁忙期の合間を縫おうとすると、そういうことになってしまうのだ。好き勝手に生きることのできる身分にできるだけ早くなりたいと思っても、それを実現させられる人は、ごく一部に過ぎない。大抵は、体調を崩すまで働いて、以降はボケるか病院送りになるのだ。
それはさておき、きのうは昼食を摂らなかったものの、バスで長距離を移動する今日は、そういうわけにはいかない。昼時には腹が減るよう、今朝はお粥を控えた。そして正午の15分前にチェックアウトをし、スーツケースとバックパックをフロントに預ける。
今日の昼は初見の店へ行くこととして、バンコク病院正面の飯屋に入ってみる。昼どきとあって、席はほぼ満ちていた。焼き飯を食べたらホテルへ戻り、ロビーで本を読みつつ食休みをする。そして12時47分にバックパックを背負い、スーツケースを曳いて外へ出る。来年の3月にも、僕は多分、このホテルを使うだろう。
13時に予約を入れておいたマッサージ屋で2時間のマッサージを終えると「シャワー、使うでしょ」と、女将が気を遣ってくれた。瞬間湯沸かし器の設定温度は何と、35℃だった。日本に旅行して温泉に浸かるタイ人は、一体全体、どのようにしてあの高温に耐えているのだろう。
15:12 馴染みのマッサージ屋を去る。
15:15 バスターミナルの4番プラットフォームちかくのベンチに着く。
地元の人は「センターン」と発音する”central plaza”にほど近いバスターミナル1は、プラットフォームを示す板が、鳥の糞だらけだったそれから、内側に照明を仕込んだプラスティック製に変わっていた。今年3月のチェンライ行きでは、道中に14時間7分を要した。はてさて今回は、どのような具合になるだろう。
15:38 チェンライ行きのバスが4番プラットフォームに入ってくる。
15:41 助手にスーツケースを預ける。日本のように、荷物に付けた札の半券を預り証として手渡してくれるようなサービスは、もちろん無い。
15:43 最後尾右窓際の席に着く。前回は、フロントグラスからの眺望に有利と考えて、最前列右の通路側を選んだ。しかしフロントグラスと客席の間には隔壁があって、前方は一切、望めなかった。今回の席は、前回の失敗を教訓にしてのものだ。
15:56 定刻の16時より4分はやく、ウドンタニー発チェンライ行きの深夜バスは発車。全32席に対して乗客は16名。ちなみに僕の隣席は、いまだ空いている。
16:32 ウドンタニー北バスターミナルに着。ここで隣の席に、人の良さそうなオジサンが乗ってくる。
17:00 最後尾の席とトイレの間の空間で、襟の高い半袖Tシャツの上に、襟の高い長袖シャツを重ね、ダウンベストを着て、最後にウインドブレーカーを羽織る。そして腰と両太ももに計3枚の使い捨てカイロを貼る。今年の3月には、車内の冷やし過ぎにほとほと参った。その経験を経ての、今日のカイロ3枚である。
17:32 MAZDA、NISSAN、ISUZUの3つのディーラーが並ぶ、見覚えのあるノンブアランプーを通過。
17:42 ノンブアランプーバスターミナルに着。このあたりを以て、暮れていく空の暗さに抵抗できず、本を読むことは諦める。
18:45 その中心にセブンイレブンのある小さな集落を通過。Google Mapsを開いてみれば、あたりの公共施設にも、またお寺にも「エラワン」の文字が目立つ。
19:05 国道210号と同201合の交差点でひとりが下車。
19:13 お坊さんひとりが下車。
19:21 薄い雲が紗をかけてはいるものの、大きな月が右手に見える。
19:26 ルーイのバスターミナルに着。ふたりが下車し、6名が乗り込んでくる。
タイで驚くのは、田舎にも巨大な病院のあることだ。ウドンタニー然り、チェンライ然り。しかしそのふたつの街よりはるかに小さなこのルーイにも、街道筋には巨大な病院が、幻ではなく存在している。
20:00 幸いなことに、眠気を感じ始める。
21:15 目を覚ます。
23:15 いつの間にか眠ったのか、ふたたび目を覚ます。Google Mapsによれば、ピサヌロークが近い。臨席のオジサンは、既にしてバスを降りたらしい。
22:22 バスがターミナルに着く。羽田からバンコクまでの便の中で最も嬉しい瞬間は、機がダナンの海岸線からインドシナ半島に入ったときと、この旅の初日に書いた。ウドンタニーからチェンライへの道中の、もっとも嬉しい場所は、夜食のための休憩がある、ピサヌロークのバスターミナルだ。乗客たちは続々とバスを降りていく。僕も彼らについて外へ出る。しかしそこは、3月のバスの助手が「ピサヌローク」と教えてくれたターミナルではなかった。
3月に休憩したところのトイレは無料だったが、こちらのトイレには「5バーツ」の表示があった。よってその入口に机と椅子を構えたオバサンに声をかけて起こし、20バーツ紙幣を硬貨に両替してもらう。
用を済ませて後にあたりの写真を撮りながら、ふと気づくと、ここまで乗ってきたバスが後退を始めている。僕は旅先で進退が窮まると、アドレナリンが噴出する質である。しかしそのような状況は、また面倒なことも確かだ。僕は動き始めたバスに近づき、自分がそのバスの乗客であることを身振りで示す。運転手は怪訝な顔つきと共にバスを停めた。バスのドアに鍵はかかっていなかった。即、タラップを駆け上がって自分の席に着く。
23:36 月は中天に上がっている。バスは国道11号を一路、北上している。
23:42 早くも次のバスターミナルに着く。助手は通路の真ん中あたりまで来て、それほど大きくもない声で何事かを言う。降りてみると、今度は確かに、3月に乗ったバスの助手が「ピサヌローク」と教えてくれたところだった。そこで今回の助手におなじ質問をすると、彼はひと言「ロー」と答えた。何が何だか分からない。停車している時間を訊くと、今度は右手の人差し指と中指を立ててみせた。ということは、休憩時間は20分、だろうか。
その助手に、3月に食事が支給された左手の”VIP”と表示のある食堂を指して「食事…」と訊いてみた。彼は黙って右を指した。そこには左手の食堂のような壁は無いながら、確かにテーブルの並べられた空間があった。
料理を受け取るカウンターには、お粥と汁麺の用意があった。お粥を選んで冷めていたら嫌なため、汁麺担当のオバサンにバスの切符を手渡す。オバサンはミシン目に沿って3分の1ほどを切り取り、既にして麺や具の盛ってある丼にスープを満たして僕に手渡した。
その汁麺を食べつつ視線を上げると、鄙にも稀な美人が何かを配っている。しばらくするとその美人は僕の席に近づき、ミネラルウォーターのパックを置いて、ニコリと笑って去った。あれほどの美人がなぜ、こんなところでと言ったら失礼ながら、深夜に働いているのだろう。しかしまぁ、人の選択肢はそれぞれだ。そろそろ席を立つことにしよう。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ
晩飯 ピサヌロークだかローだか不明のバスターミナルのセンミーナム
2026.9.27(日) タイ日記(4日目)
目を覚ましたのは、僕としては遅い4時26分。それから1時間ほどは寝台の中でバンコクの洪水の状況などを調べ、5時55分に起床する。そして6時より「タイ日記(1日目)」の文章の修正、および一昨日の日記「タイ日記(2日目)」を公開する。
その作業が終了すると、Clude Codeは
「お疲れさまでした。タイでの日々、どうぞお大事にお過ごしください。」
と、僕をねぎらってくれた。
「有難うございます。注文以上の、完璧な仕事でした。」
と返すと
「そう言っていただけて嬉しいです。旅の続きの日記も、いつでもお申し付けください。どうぞお大事に、良い旅を。」
と、このAIは締めた。
「あなたの言葉を文字ではなく、大原麗子の声で、スピーカーから出力してください」と頼めば、Clude Codeはことによると、それに応えてくれるかも知れない。
ところで今のホテルが小さな歓楽街の中にあることは、きのうの日記に書いた。そして部屋の眼下には、この街で最大のバービヤ街”Day and Night”がある。昨秋と今春に使った“Banbua Grand Udon Hotel”のように騒音に悩まされないのは、現在の“The Pannarai Hotel”の部屋のガラス戸が二重になっているためだ。
そして今朝も外気を部屋に取り込むためその二重のガラス戸を開けると、いきなり男の叫び声と女の嬌声が届いてきた。バービヤ街は屋根と壁とで密閉されているにもかかわらず、だ。しかも、朝も7時を過ぎている。ここでふと興味を惹かれて、その”Day and Night”まで出かけてみる。白人の男とこちらの女の人、否、それはレディボーイかも知れないけれど、彼らが騒いでいたのは、ひとつだけいまだ開いている店だった。それにしても、いかにも皆、元気である。
9時をまわったところで昨日の伝票を手に”SMILE LAUNDRY”へ行き、洗濯物を受け取る。3月には、朝に出しても仕上がるのは次の日の夕方だった。新しい機械でも入れたのだろうか。あるいは今回に限っては、仕事が暇だったのだろうか。
その帰りに左足に違和感を覚えて足元を見る。するとKEENの「ワイメア」の底が剥がれかけていた。2014年以来、このサンダルでは南の国を数百キロメートルは歩いたと思うけれど、いまだそれほど傷んではいず、捨てるには惜しい。よっていちど部屋へ戻り、靴下と靴を履く。そしてiPhoneの翻訳機に「私は、強力な接着剤が、買いたいです」と日本語を入力して、現れたタイ語を画像に残す。
最寄りのセブンイレブンへ行くと、何とパッケージに靴の写真をあしらったアロンアルファがあった。日の丸に「NO.1 JAPAN」の文字を添えたイラストレーションもある。価格は35バーツ。家にはやはり底の剥がれかけたKEENの「ヨーギ」があるため、迷わずふたつを買う。
パッケージの取り扱い説明はタイ語だったから、部屋ではそれをiPhoneで撮り、その画像をgoogleに入れて日本語に訳す。「接着する面を、先ずは綺麗に拭いてください」は、言われなくても分かっていることだ。だから洗面所でその部分を洗い、水気を乾かすべく、ベランダに出す。
そんなことをしていたから、プールサイドへ降りられたのは、10時も近くなるころだった。脱いだ靴と靴下は、プルメリアの木の根元に置いた。今日は太陽も強く差さず、案配が良い。雨が降っても、それはとても疎らで雨粒も小さかったから、寝椅子では2時間以上も本を読むことができた。
その雨粒が急に大きくなったのは、12時30分のころだった。よって2枚のタオルを畳み、木製の寝椅子の上に敷いたマットはジムに戻す。足の底にはプールサイドの砂だか何だかが付いているから靴下と靴は手に持って、裸足で部屋へ戻る。プールサイドから部屋まではエレベータを使って1分ほどの移動ではあったけれど、ガラス戸の外は既にして豪雨になっていた。
ベランダからサンダルを回収し、googleが翻訳してくれた取り扱い説明書の通りに、というか、それよりも多くの量を使って、剥がれかけの底を本体に接着する。そして接着した部分を3本の輪ゴムで強く固定する。
そんなこんなをするうち時刻は12時を過ぎる。豪雨は止んで空には青い部分が現れて、また雨が降り始めている。しばし考えて、昼食は摂らないことにする。このあたりが一人旅の安楽さ、ではある。
16時が近づいたところで、きのう借りた傘を手にマッサージ屋へ行く。2時間のマッサージが終えたら、眼の前、それはcentral plazaを真正面にした良い場所だけれど、客を待っていたトゥクトゥクの運転手に声をかける。そしてiPhoneに保存したチムジュム屋の画像を見せる。チムジュム屋までの運賃は60バーツだった。
歩道に茣蓙を広げて営業するチムジュム屋には前から来たかったものの、昨秋は休み、今春はその機会がなかった。いまだ時間が早いこともあって、店には二組の客がいるのみだった。いつ雨が降ってくるか分からないため、屋内の席に着く。昨秋の、湖のちかくのチムジュム屋には、大きく”NO ALCOHOL”の看板があったから、仕方なく水を頼んだ経緯があった。今日の店は、まぁ、大丈夫だろう。
持参のラオカーオをソーダで割り、それを一口ふくんだところで「いやー、楽だなー」と、自然に言葉が漏れる。鍋には最後のところでインスタント麺を投入した。麺の袋に入っていた粉スープは日本に持って帰り、にゅうめんの汁に使うことにしよう。
地元の人の使う店は、間違っているのではないかと思われるほどに安い。帰りのトゥクトゥクは往きより数百メートルほども距離が長かったためか、80バーツを請求された。いささか食べすぎたため、部屋では新三共胃腸薬3錠を服用し、シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三
晩飯 “Jae Pha Chim Chum”のチムジュム、ラオカーオ“BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.9.26(土) タイ日記(3日目)
1時台の中ごろに目を覚まし、3時がちかくなるころに起床する。きのう目覚めたときのような、異常なほどの疲れは感じない。熱は多分、下がったのだろう。
この旅の初日の日記は既にして完成していたものの、文章や、文章から画像へのリンクを納得できるまで修正するうち1時間30分が過ぎる。なぜそれほどの時間がかかるのか。
先月28日まで使っていたWordPressは、頭の中に言葉を発生させないまま推敲や校正ができていた。具体的に言えば「ここに読点を入れれば、より読みやすくなるな」と考えるより前に、ブラウザを視る目とキーボードを操作する指だけで読点が入れられていた。しかし先月29日からのClaude Codeでは、いちいち文章で命令をしなければならない。すわなち一昨日の日記で説明をすれば
……
9月24日の日記のテキスト
「TG661は定刻より25分はやいタイ時間04:26にスワンナプーム国際空港に着陸。」
を
「TG661は、定刻より25分はやいタイ時間04:26にスワンナプーム国際空港に着陸。」
に修正する。
デスクトップの「日記の文章と画像」のフォルダの中の「日記のテキスト」のフォルダの中の同じ日のテキストも、同時に修正する。
プレビューの確認はせず、そのまま公開する。
……
と、こうする必要があるのだ。Anthropic社のClaude Codeは、舌を巻くほど頭が良い。毎日の学習により、更に利口になっていく。しかしすべては言葉で命じる必要がある。「初めに言葉ありき」である。
そうして5時45分に体温計を口に含む。体温は36.7℃まで下がっていた。喉の痛みなどはなかったから、きのうの38℃の発熱は、風邪によるものではなく、深夜のエコノミー席に疲れたことが原因と思う。
年齢からして、そろそろビジネスクラスを使うべきなのだろうか。しかし来年2月の訪タイの航空券は、エコノミー席で購入済みだ。
ビジネスクラスは、エコノミークラスと所要時間が変わらないにもかかわらず、運賃が倍もして、どうにも納得がしがたい。「エコノミーよりすこしマシなだけのメシ」も要らない。客室乗務員による、より丁寧な接客も要らない。「放っておいていただきたい系」の僕が求めるのは「ほとんど平らになるシートだけで、他はすべてエコノミーと同じ」という席に他ならない。無理な望みだろうか。
まるで冷蔵庫のような食堂の温度には、きのう懲りた。よって今日はTシャツの首にスカーフを巻き、ウインドブレーカーを着て、足元には靴下を履いて部屋を出る。失われた夏を追いかけて南の国に来ているにもかかわらず、馬鹿な話である。
フロントには初日の朝のオバサンの顔が認められたため「宿泊料は前払いをしました。しかしレシートを受け取っていませんでした」と声をかける。僕の部屋番号を確かめると、オバサンは直ぐに、レシートをコンピュータから出力してくれた。
部屋に戻ったのは7時45分。きのうは念のため避けたシャワーを浴び、浴衣を羽織る。今日はこれまでの洗濯物を洗濯屋に出す日だ。洗濯屋の開く時刻は9時。「熱は下がった。今日は16時に行ける」とマッサージ屋にLINEを飛ばし、以降は寝台に横になって本を読む。
ホテルから歩いて1分もかからない”SMILE LAUNDRY”の女の子が数えてくれた洗濯物の点数は8点。料金は55バーツ。タイではコインランドリーよりも、洗濯屋の方がよほど安い。その足で街の中心部にある旧い方のバスターミナルを目指す。バス会社「ソンバットツアー」には、初めて見るオバサンいた。
「チェンライまで」
「午後4時の便ね」
「次の月曜日」と答えつつ、念のためカウンターのカレンダーを引き寄せて、その28日を指す。
「729バーツ」と言われて硬貨の入った封筒を逆さにし、そこから34バーツを数える。それに1,000バーツ札を加えると、オバサンは「なぜ」という顔をした。オバサンのデスクにある電子卓上計算機に手を伸ばすと、オバサンは「ノー、ノー」と言って1バーツ硬貨4枚を僕に戻し、更に301バーツの釣りをよこした。小銭をできるだけ少なくしようとする日本式のお釣りの計算は、タイでは理解されないことが多い。あるいは「小銭が邪魔なら仏様にもでも喜捨をしろ」ということなのだろうか。
9時35分に部屋に帰り、10時前よりプールサイドに降りる。頭上のプルメリアの枝からは、白い花がポトリ、またポトリと落ちる。プルメリアはタイ語でリラワディー。しかしこの土地ではラオス語を用いて「ツァンパー」と呼ぶ。だから国境のちかくは面白い。余談ながら、鴨志田穣の「日本はじっこ自滅旅」は、未完に終わった「焼き鳥屋修業」と並ぶ傑作だと思う。
10時52分に雨が降ってきて、ひさしの下に逃げ込む。ふたたび晴れて、寝椅子に戻る。雨の降っているあいだの黒い雲が、一瞬ともいうべきあいだに青空に変わる様子は、日本ではなかなか見られないものだ。そのうち日差しがきつくなってきたため、11時40分に部屋へ引き上げる。
昼食は、ホテルの隣の、昨秋も今春も通った”Morning House”で摂る。席はもちろん、外のそれを選ぶ。気温は予報の33℃より数度は高いのではないか。
プールサイドでも部屋でも”Morning House”でも本を読んで、今日はページが随分と捗った。そして15時40分にホテルを出て目抜き通りを西へ歩く。
馴染みのマッサージ屋の女将は、2時間を頼んでも、かならず2時間以上を揉み続けてくれる。チェンライの行きつけのマッサージ屋の女将も然り。初見の、チップを渡す前からそうだったのだから、奉仕の精神が旺盛、ということなのだろうか。
ところでバンコクの南、パタヤでは大雨による洪水で、街は大変なことになっている。そして今朝、バンコクのコモトリケー君から届いたLINEによれば、バンコクにも大雨が降って、首都の全域に警報が出されているという。ウドンタニーは今のところ平穏ではあるけれど、今日はマッサージの最中から、トタン屋根を叩く雨のうるささが尋常でなかった。
女将にはトゥクトゥクを勧められたものの、数百メートルの距離にそれは贅沢だ。よってズボンの裾をめくり上げ、店の傘を借りて、ホテルまでの道をたどる。ホテルに戻ったら、この雨の中を5分も10分も歩く気にはならず、きのうとおなじ、ホテルから数十秒のところにあるイタリア料理屋で夕食を摂る。
ホテルやイタリア料理屋は、小さな歓楽街の中にある。突然、斜向かいのバーで鐘が鳴らされる。それは「この店の中にいるすべての人間に、一杯ずつ奢ろうじゃねぇか」という酔客の意思表示だ。そのけたたましい音を聞いた隣のデーブルの白人は”White wine!”と、高らかに叫んだ。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三
昼飯 “Morning House”の中華ソーセージと豚の挽き肉を挟んだベトナムパン、アイスカフェラテ
晩飯 “da sofia”のグリーンサラダ、スパゲティ・プッタネスカ、グラスの白ワイン
2026.9.25(金) タイ日記(2日目)
目を覚ましたのは2時台だったものの、いかにも疲れている。よってそのまま1時間と少々は、横になっている。
3時台の終わりのころに起床して、4時よりきのうの日記の続きを書く。日記は途中で休みながら、7時15分に書き終えた。文字数は4,200を超えたものの、旅の初日とすれば、それほど長い方でもない。
今回の宿は、2020年3月、そう、新型コロナウイルスの蔓延により国境の閉じられる直前に泊まった。しかし昨秋、そして今春のウドンタニーでは、斜向かいの“Banbua Grand Udon Hotel”を使った。理由は、この“The Pannarai Hotel”より少しばかり部屋が良かったからだ。しかしホテル2階のスイミングプールはいかにも日当たりが良く、特に昨秋は、ひどく日焼けをした。
それに対してこちらのプールサイドは地面とおなじ高さにあり、プールサイドにはプルメリアの木が植えてある。その日陰に入れば日焼けもしづらいだろうと考えての、今回のホテル替えだった。
そのプールサイドを臨む食堂には7時30分に降りた。ガラス張りの食堂は、いかにも冷房が効きすぎていた。部屋までウインドブレーカーを取りに戻ることも考えたものの、そのまま朝食を摂る。
4階の部屋へ戻ったら、駐車禁止のような丸の中に蚊のシルエットをあしらい、その下に“ALWAYS KEEP THE DOOR CLOSED”の文字を添えたシールの貼られたガラス戸を、構わず開ける。そしてベランダ側に二重になったガラス戸も開く。どこもかしこも寒ければ、せめて自分の部屋だけは常温にさせて欲しい。
ちなみに、きのうの日記のための画像は26枚に上った。その逐一に、文章の各所からClaude Codeにリンクを張らせるべき命令を、外気温とおなじ温度の部屋で書く。ここで時刻は8時50分になった。
僕が南の国で最も楽しみにしているのは、プールサイドでの本読みに他ならない。しかしウドンタニーの気温はいまだ高くない。よって以降は寝台に横になって、きのうの夜の本の続きを読む。
10時すぎにシャワーのような雨が降ってくる。その雨はいつの間にか上がり、やがて日も差してきた。30分のあいだにも、空模様は様々に変わる。東北部の、典型的な雨季の終わり、である。
昼がちかくなるころ、廊下にメイドの行き来する音が聞こえた。部屋の掃除が始まったらしい。とすれば、この部屋の扉も間もなく開かれるだろう。そう考えて本や財布やiPhoneをトートバッグに入れてロビーへ降りる。そして今度は、そこにある背もたれの高いソファで再び本を開く。
そろそろ昼食の時刻だ。しかし何だか体がだるい。風邪の初期の症状のような感覚である。普段の速度で歩くこともできづらい。部屋へ戻ると既にして掃除は済んでいた。そこで薬の袋から体温計を取り出し、その先端を舌の上に置く。
体温は何と、38℃もあった。よって薬の袋から今度はカロナール500を選び、これを2錠、服用する。そして寝台に横になって本を読んだり、あるいは目をつぶって休んだりする。きのうのうちから今日の16時に予約をしておいたマッサージ屋には、断りのLINEを入れる。ガラス戸の外には白い雲を浮かべた青い空が望める。熱を出していなくても、昼にすることは本読みくらいのものだから、残念な気持ち、時を無駄に過ごしている焦燥は覚えない。
17時にふたたび体温計を口に含む。体温は37℃まで下がっていた。しかし僕の普段の体温は、更に低いはずだ。行動しても良いか否かの判断がつかなかったため「発熱 何℃から」とiPhoneのGoogleに入れてみる。そこには「37.5℃以上」とあったから、ようよう決心がついて、服を着替える。
ホテルから出て右手すぐのところにイタリア料理屋がある。ここのラザニアは、まるでマッシュドポテトのように柔らかい。つまりそれほど美味いものでもない。それでもいまだ微熱があれば、消化の良いものでタンパク質を補給しておいた方が良さそうだ。
イタリア料理屋ではもちろん、外の席に着いた。隣のテーブルの、大柄な白人たちが大声で話している言葉は何語だろう。まさかアフリカーンスではないと思う。半藤一利の「新版昭和史戦前篇1926-1945」は、98ページまで進んだ。
部屋に戻ったら新三共胃腸薬を3錠だけ服用し、以降はこの日記のここまでを書く。そして20時を前にして寝台に上がる。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ
晩飯 “da sofia”のグリーンサラダ、ラザニア・アラ・ボロネーゼ、ソーダ
2026.9.24(木) タイ日記(1日目)
00:02 まるで冷蔵庫のように冷えた機内に入り、ラバトリーで使い捨てカイロを腰に貼ったりダウンベストを着たりしてから63Hの席に着く。予約時の航空券の控えには、席は72Jと記されている。変わってしまったのは、機材の変更によるものだろうか。
00:07 プルバックが始まる。
00:35 Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG661は、定刻に15分おくれて羽田空港を離陸。
00:41 「ポーン」という音の合図と共に、椅子の背もたれを最大に倒す。
00:53 チーズとコールスローを具にした丸パンとペットボトルの水が配られる。普段は食べないこのパンを、今回に限ってはすぐに食べてしまう。
旅の初日の深夜便では、これまで、オフクロが遺した大量のデパスとハルシオンを各1錠ずつ服用することにしていた。しかし特にハルシオンは残り2錠まで減ったため、今回はそれらを使わずに済むかどうかを試すこととした。
04:18 いくつもの夢から覚めた後も、飛んでいるところがいまだ台湾の上空などだったら落胆が甚だしいため、目はアイマスクの奥で頑なに閉じ続けていた。しかしいざそのアイマスクを外してみれば、機内は暗いものの、客室乗務員たちは朝食の準備を始めていた。
04:25 機内が徐々に明るくなる。機は海南島に近づきつつある。
04:27 ハラルの人たちから朝食が配られ始める。
05:12 ダナンの海岸線からインドシナ半島の上空に入る。往路においては、この瞬間がもっとも嬉しい。
05:50 ラバトリーで歯を磨いている最中に「スワンナプーム空港まで、あと30分」のアナウンスがある。
06:04 地上の灯りが見え始める。
06:26 TG661は、定刻より25分はやいタイ時間04:26にスワンナプーム国際空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
04:41 この日記には、これまで何度も書いてきたから長くは続けない。バンコクからウドンタニーへ飛ぶ際には、羽田で預けた荷物はウドンタニーまでは運ばれない。バンコクで「入国」をしたら羽田からの荷物を一旦、引き取り、次の便に預け直す必要がある。よっていつもとは異なって、今日はできるだけ早く外へ出ようとして、機内の通路に並ぶ。
04:48 シャトルトレインがサテライトターミナルを発。
04:51 シャトルトレインがメインターミナルに着。
05:01 入国審査場の各ブースには10数名ずつの旅客がいたものの、それほど待つことなく通過をすることができた。今年の5月までは左右10本の指の指紋を登録させられていた。しかし今回は、右手の4本のみで済むようになっていた。
05:06 トイレの個室にてウインドブレーカー、ダウンベスト、襟の高い木綿のシャツを次々と脱ぎ、半袖のTシャツ1枚になる。とにかく一刻も早く薄着になりたいのだ。
05:07 回転台には既にして僕のスーツケースが運ばれていた。羽田でオネーサンが付けてくれた“Priority”の札が効いているのだろうか。
05:13 到着階の2階から出発階の4階へ上がる。そしてはるか遠くのBカウンターに近づいていく。
05:20 係のオネーサンの助けを借りながら、自動チェックイン機でチェックインを完了。
05:22 別のオネーサンの助けを借りながら、荷物預けを完了。
スワンナプーム空港では、階の移動はエレベータよりエスカレータを使った方が、歩く距離は長くなるものの、待ち時間が無いだけ時間を短縮できる。もちろん例外もある。
05:35 地下1階に降りて、エアポートレイルリンクの乗り場ちかくに並ぶ両替所の交換率を見ていく。オレンジ色の看板の「スーパーリッチ」は1万円が2,085バーツ。緑色の看板の「スーパーリッチ・タイランド」の交換率は、1万円が2,090バーツ。それでもオレンジ色のブースには人だかりがあり、緑色のブースの前には僕ひとりしかいない。意味が分からない。ここで1万円札10枚を20,900バーツに替える。
05:40 地下1階のベンチに落ち着いて、腕時計をiPhoneの時計に従って2時間だけ遅らせる。先ほど4階のチェックイン機から出力された搭乗券を確かめてみれば、搭乗時刻は06:30とある。うかうかしてはいられない。
05:49 ふたたび制限区域内に入る。
05:59 保安検査場を通過。
06:02 B2ゲートに達する。夜が明けつつある。雨が降っている。
06:30 搭乗開始。
06:39 最後尾右窓際の54Kの席に着く。
07:00 プルバックが始まる。雨はいつの間にか止んだらしい。周囲に乗客のいないことを幸いとして、バックパックから取り出した財布の日本円を、タイバーツに入れ替えるなどする。本来であれば、羽田空港でしておくべきことだったかも知れない。機内はまたしても寒いため、バックパックからウインドブレーカーを取り出して着る。
07:12 Airbus A320-200(32X/3206)を機材としたTG002は、定刻に12分おくれてスワンナプーム国際空港を離陸。
07:40 眼下には、蛇行する川の作った複数の島や三日月湖が見えている。
07:43 「ウドンタニーまで20分」のアナウンスがある。雨季の雨をしっかりと含んだイサーンの大地は、緑の部分がほとんどを占めている。
08:01 TG002は、定刻より9分はやくウドンタニー国際空港に着陸。「国際」とはいえ、この空港に国際便は発着していない。
08:10 機外に出る。
08:15 回転台の先頭から2番目に、見慣れたスーツケースが現れる。
ロビーに出て右側のハイヤーのブースには、今朝は係の姿が見えない。よって声をかけてきた手配のオジサンに、ホテルの名と場所を告げる。オジサンは「200バーツだけれど、よろしいか」と訊く。その料金はいつものものと同じだから了承をする。オジサンはあたりに立つ別のオジサンにそれを伝える。僕はそのオジサンの後に付いて空港のビルから外へ出る。
08:21 タクシーとはいえメーターなどは備えていない、オジサンの自前ではないかと思われる日産車が空港の駐車場から動き出す。
08:36 ホテルのポーチにタクシーが横付けをされる。即、ロビーからはベルボーイが出てくる。
08:43 ホテルのフロントには、見覚えのある優しそうなオバサンがいた。ことによると、昨年の秋と今年の春に使った、斜向かいのホテル“Banbua Grand Udon Hotel”で働いていたオバサンではなかったか。4泊分の6,534バーツを支払い、且つデポジットの1,000バーツも預ける。オバサンは「チェックインの時間は15時です。部屋の準備が整うまでお待ちください」と、穏やかな顔を僕に向けた。
さて現在の時刻からすれば、15時まで待つのは容易ではない。よってベルボーイが奥の部屋に預かろうとしていたスーツケースとバックパックをとりあえずはロビーのソファへ運び、床に開いて本とトートバッグを取り出す。更には「昼ごろ」と大雑把に予約をしておいた、昨秋から馴染みになったマッサージ屋にLINEを飛ばし、既にして開店してることを確かめる。
この時間から商売を始めているとは、いかにも勤勉な店だ。2時間のオイルマッサージの間に眠ってしまうのではないかと懸念をしたものの、それは杞憂だった。マッサージの代金は、700バーツから800バーツに値上がりをしていた。オバサンには200バーツのチップ。
マッサージ屋の帰りには、遠回りをしてウドンタニーの駅のちかくまで歩く。左手の“FOOD CENTER”に正面から入って左の3番目と4番目のふたつのブースを使っている店は、ことし3月に食べて美味かった、その店も女将も健在であることを確かめる。そしてホテルへ戻り、正午ちかくまでロビーで涼んでから、ふたたび“FOOD CENTER”へ行く。
“FOOD CENTER”では、卓上に置かれた4種の調味料のうちの砂糖を、雀が食い放題にしていた。「なんだか暑くなくて面白くないな」と感じていたものの、食後には汗が吹き出した。それをホテルのロビーで拭いつつ、半藤一利の「日本のいちばん長い日」を開く。30ページまで進んだところでベルボーイに呼ばれる。時刻は13時22分。
通された部屋は、最上階の423号室だった。ベルボーイには50バーツのチップ。およそ30分をかけて、部屋の中を自分ごのみに模様替えする。そして落ち着いたところで机上にコンピュータを開き、きのうから完成しているおととい22日の日記を公開する。
僕は日記を公開をした後も、その文章をこまめに修正する。しかしおとといの日記には、どこにも直すべきところは無かった。多分、旅先での手間をできるだけ少なくしようとして、その下書きに限っては、詳細に読み直しをしたのだろう。
次は、途中まで書いておいたきのうの日記を、50分ほどかけて完成させる。ここでようよう昨夕からの服を脱いでシャワーを浴びる。そして今度は浴衣を羽織り、15時30分からは今日の日記に取り掛かる。
旅の初日の日記は、どうしても長くなる。「23日の夜に羽田空港へ行き、ウドンタニーには翌日の朝に着きました」というような、途中の経過を欠いた旅行記は好まないからだ。その、今日の日記に目鼻がつくころには腹が減り始めていた。時刻は17時40分。そろそろ晩酌の時間である。
ところでこの旅には前述の、半藤一利による「日本のいちばん長い日」に加えて、おなじ著者による「新版昭和史戦前篇1926-1945」を持参していた。それをきのうSNSに上げたところ、既にして2冊とも読んでいた自由学園の後輩ナカヤブノリマサ君が「自分は『日本の…』を先に読んだが、後から『昭和史…』を読んで、むしろこちらを先に読んだ方が良いと感じた」と、返信を付けてくれていた。
確かに歴史の時系列からすれば「昭和史…」を先に読んで、その時代の空気を知っておくべきだ。よって30ページまで読み進んでいた「日本の…」は脇へ置いて「昭和史…」の方をトートバッグに入れる。
街は良い案配に暮れ始めていた。行く店は決めてある。今年3月に見つけた駅ちかくの屋台街である。そのとき機敏に動いてくれたから20バーツのチップを欠かさなかったオバサンは、僕の顔にすぐ気づいてくれた。後はオバサンにお任せ、である。
ホテルに戻ると時刻は19時20分。すぐにシャワーを浴びて歯を磨き、ためらうことなく寝台に上がる。
昼飯 “FOOD CENTER”に入って左手の3番目と4番目のブースを使っている店の豚ひき肉のガパオ炒めライス目玉焼き添え
晩飯 ウドンタニーの駅に向かって左の屋台街の串焼き屋の豚ひき肉の串焼き、その斜向かいの店のソムタムタイ、ラオカーオ“BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.9.23(水) 深夜便への搭乗
目を覚ましてから布団の中でいたずらに時を過ごすのはいかにも勿体ない。というか「早く起きるべし」と、ここ数日はなぜか気が急く。時刻は3時23分。
服を着て顔を洗うだけに、なぜ5分もかかるのか、それが分からない。茶葉が少なくなっていることは、きのうのうちに気づいていた。よって2階に降りて、備蓄庫から次の茶葉を4階へ持ち来る。
仏壇に花と水とお茶と線香を供えようとして、箱の中のマッチが少なくなっていることを指先で知る。マッチは仏壇の下の引き戸の中に、いまだ数箱がある。そこからひと箱を取り出して、現在のマッチ箱と重ねて置く。食堂に戻ると食器棚の電波時計は3時42分を指していた。起きてから19分も経ってしまっている。「一寸光陰不可輕」とはいえ、窓の外はいまだ真っ暗だ。
販売係が複数になった8時50分に、店から事務室へと戻る。そして先週の月曜日からきのうまでの9日分の売上金を合計し、キャッシュレジスターの記録と照合する。明日の午前には直近10日分の売上金を銀行に入金する。しかしその10日目の今日の閉店後は、僕は忙しくて現金の集計はできない。せめて9日分だけでもまとめておこう、ということである。
明日はまた配達係イザワコーイチさんの休みの日であり、且つ道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への初回の納品時には、僕はスワンナプーム空港で国際線から国内線への乗り換えの最中だ。よって今日の道の駅には、朝から汗牛充棟の品出しをしておく。
10時45分よりテレビの取材が入る。ここ10年ほどの対応は、ほとんどすべて長男に任せている。店舗での撮影は、正午を過ぎて、ようよう完了した。
夕刻が近くなるころ、4階の応接間に広げたスーツケースのほぼ真ん中に、冷蔵庫から出したばかりの、バンコクのコモトリケー君に頼まれた「にんにくのたまり漬」を収めてスーツケースを閉じる。そしてそれを事務室へ降ろす。コンピュータとiPhoneは、事務室にてそれぞれバックパックとボディバッグに収める。
17時30分の閉店時にもお客様はいらっしゃったから、キャッシュレジスターの締め作業も、遅れて始めることとなった。紙幣や硬貨を数える指の動きは、普段の倍ほども速い。
18:10 4階へ戻る。
18:12 入浴。
18:29 外へ出ると小雨が降っている。家内の運転するホンダフィットにて下今市駅まで送ってもらう。
18:49 上り特急「けごん52号」が下今市を発。栃木の手前あたりから春日部の手前あたりまでは、眠ることができた。
20:21 北千住着。
旅に出る日の夕食は、前回より北千住の駅の構内で摂ることとした。それが存外に合理的だったため、今日も同じようにする。
20:37 日比谷線の車両が北千住を発。
20:53 日比谷線の車両が人形町に着。
20:57 都営浅草線の羽田空港行き快特が人形町を発。
21:27 その車両が泉岳寺を経由して羽田空港第3ターミナルビルに着。
21:36 自動チェックイン機でチェックインを完了。
22:14 5月のタイ行きの際には行列のまったく無かったタイ航空のカウンターに、今日は長蛇の列がある。それに38分のあいだ並んで荷物預けを完了。スーツケースの重さは11.4Kgだった。ラオカーオを持っていなければ、ひと桁で済んでいたところだ。
22:19 保安検査場を通過。タイのような道の悪いところではブーツが安全ではあるけれど、保安検査場で脱がされるのが嫌だから、大抵は”trippen”の短靴を履いている。
22:20 出国審査場を通過。
22:45 本を売る店などに寄り道をしながら105番ゲートに達する。
23:40 搭乗開始
朝飯 揚げ湯葉の甘辛煮、胡瓜と大根の糠漬け、スクランブルドエッグ、納豆、らっきょうのたまり漬「こつぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、大根と若布の味噌汁
晩飯 「カレーショップC&C EQUiA 北千住店」の温野菜カレーライス(野菜ハーフ)
2026.9.22(火) ニ度目の訪問
起床は4時27分。
きのうの予報は今日の天気について「台風一過の青空が広がるでしょう」と伝えていた。よって屋上へ上がり、その気配のような景色を眺める。風はほとんどなく、寒さはもちろん感じない。
きのうの日記を完成させるなどの朝のよしなしごとを済ませたら、きのうに引き続いて旅の準備に取りかかる。きのうしたのは、持ち物を揃えること。今朝は、それらを機内持ち込みサイズのスーツケースに、何とか収めなくてはならない。
ホテルは安いところばかりでガウンの備え付けはなく、だから浴衣なども持つことになり、ふたつの圧縮袋は満杯になった。サンダルは、ゴム草履ならかさばらないものの、つま先を守るため、2014年からはKEENの「ワイメア」を履いている。好きなラオカーオは”BANGYIKHAN”で、今年の5月にはバンコクで3本を買った。その余分はガラス瓶から500ccのペットボトルに移して持ち帰った。これが冷蔵庫に3本半ある。
今月19日の日記に書いた一覧表の上から列記をすれば、パスポートや現金などの必需品、現地で使うバッグ類、衣類、薬品類、マスクなどの衛生用品、コンピュータのホコリを払う除電ブラシやジュエリートレイまで持つ文房具、本などの活字関係、前述のラオカーオなどの嗜好品、その他を、まるでパズルを組み上げるようにして”RIMOWA Essential Lite Cabin U”に詰め込んでいく。
そして遂に、バンコク在住の同級生コモトリケー君に頼まれた「にんにくのたまり漬」のための空間のみを残して、荷造りはようよう完了した。ちなみにコンピュータや充電器は、盗難を避けるためバックパックに入れることにしている。
午後は、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日最後の納品を済ませてから、目と鼻の先の如来寺に寄る。そしておととい供えた花の水を足したり交換をしたり、あるいは線香立てを水で洗ったりする。新しい方のお墓の花の水はほとんど枯渇していたから、お彼岸に入ってニ度目の訪問は正解だった。
夜は家族8人で中華料理を食べに行く。
朝飯 法蓮草の胡麻和え、揚げ湯葉の甘辛煮、切昆布の炒り煮、温泉玉子、納豆、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 納豆と万能葱のつゆの素麺
晩飯 「山泉楼」のあれや、これや、それや、他あれこれ、紹興貴酒三年(常温)
2026.9.21(月) 887ページ
枕頭のiPhoneは3時57分。即、起床する。
朝の優先順位の第1位は、仏壇に花と水とお茶と線香を供えること。第2位は「汁飯香の店 隠居うわさわ」にインターネットを介していただいたご予約の承り。しかし今朝のそれは来月にご来店のものだったから、ご対応は事務室に降りてからでも遅くはない。第3位は日記の作成と公開で、今日の日記のここまでを書くと、時刻は6時になっていた。よってここでおととい印刷した旅の持ち物の一覧表をテーブルに広げ、先ずは薬の類から揃えることを始める。
以前の日記にも書いたことだが、1980年代のはじめにバックパッカーをしていたときから、楽品類は充分に持つようにしてきた。旅先の、特に田舎や山の中で具合を悪くしたら、あるいは怪我などしたら、薬だけが頼りになるからだ。2013年にタイ最北部の温泉で転倒し、腰の皮膚に穴を開けたときには、小さなバンドエイドしか持ち合わせがなくて、大いに焦燥した。そういう経験が、薬の類を益々多くしているのだ。
店の運営は、雨によりお客様の出足が遅れたこと、また出社する販売係の人数が充分だっことから、きのうほどの大変さはなかった。よって文房具などは事務机に着きながら脇に置いた紙袋に次々と入れて、旅の持ち物は、昼までにはほとんど揃えることができた。
今回、持参する本は2冊。そのページ数の合計は、解説まで含めれば877ページ。旅程は12日間だから、1日に73ページ以上を読めば、活字はそこで枯渇する。まぁ、大丈夫とは思う。
終業後は日光街道を徒歩で下り、瀧尾神社責任役員の会議に連なる。
朝飯 鱈子、納豆、揚げ茄子、梅干、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」のお茶漬け
晩飯 「幸楽」のあれや、これや、それや、他あれこれ、日本酒(燗)
2026.9.20(日) "The most hard day"
テレビの天気予報は数日前より台風25号の情報を伝えてきた。その調子は、シルバーウイークのすべてが、それによって塗りつぶされてしまう予感を視聴者に与えるような声高さだった。風雨による被害を最小に留めようとするなら、それも止むを得ないところだろう。
早朝の空は雲に覆い尽くされているものの、雨は降っていない。できれば朝のうちだけでも降らずにいてくれと、強く望む。
8時30分の開店を前にして、店の駐車場には既にして5台のクルマがあった。よって定時より12分はやく、8時18分にシャッターを上げる。役所ではないのだから、そのあたりは臨機応変にすれば良いのだ。有難いことである。
販売係がふたり揃った9時に4階へ上がり、家内の用意してくれた白菊30本を抱えて1階に戻る。
このところの墓参りは週末に当たることが多かった。「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日は毎週の土日月曜日だから、家内はその厨房から離れられず、墓参りは自分ひとりで行ってきた。親や祖父母の祥月命日の墓参りは、それほど手間のかかるものでもない。しかしお彼岸ともなれば、話は別である。今日は幸い、仕事に行く前の次男が同行してくれたから、また雨も降ってはいなかったから、随分と助かった。
ところで今日は蔵見学のご予約を3件、いただいている。そのうちのひと組様からは、きのうのうちから予約の時間に3時間おくれるとの電話をいただいていた。今日は別の組の方から、やはりすこし遅れる旨の電話が入った。それにより蔵見学は、昼の前後に集中することとなった。よって昼食は買ってきたものでそそくさと済ませて即、店に戻った。
諸般の事情により、今日がシルバーウイーク中の”The most hard day”になるだろうことは、朝のうちに分かっていた。明日からは、ずっと楽になるだろう。夕刻に開いたスマートフォンの天気予報によれば、火曜日からは天気も回復をするという。大いに期待をしたい。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとキャベツと揚げ茄子と玉子とウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、千本松牧場牛乳
晩飯 焼肉丼、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、夏太郎らっきょう、「渡邊佐平商店」の「日光誉雄町ひやおろし純米吟醸」(冷や)
2026.9.19(土) 「なにもしないこと」の前にすること
目を覚まし、幽と明の境から抜け出たところで枕頭にiPhoneを探す。時刻は4時21分だった。即、起きて服を着て洗面所へ向かう。「なにもしないこと」のできる時間を確保するには、その前に、勤勉に動くことが欠かせない。
「ようやく日常に戻った気分」と、きのうの日記の最後の行に書いた。まったく以て、今朝もおなじ気分を味わっている。事実、今日の日記のここまでも、いわゆる”Real time”で書けている。しかし忘れてはいけないこともある。食器棚の引き出しから剥離式のメモ用紙を取り出し「9/19 8:30 床屋 とけいはめる」と書いてズボンのポケットに入れる。床屋への予約は、きのうのうちに入れておいた。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への本日最初の納品を済ませたら、事務室へ戻るなり手提げ袋に財布を入れて外へ出る。隣の町内の床屋「スティング」には、8時30分に5秒だけ遅れて自転車を乗り入れた。
ひと月に1度の割合で髪や髭を刈る。僕に特定の休みはないから、伊豆へカイロプラクティックの治療に出かけた帰り、また出張のついでなどに、新橋の大衆床屋にかかる。ところが日本橋の銀行へ出かけた今月8日には、髪や髭はいまだそれほど伸びていなかったから、新橋の雑居ビルのエスカレータを上がることはしなかった。「スティング」での散髪は、40分で完了した。
さて5日前および昨日の日記に書いた、町内に住む70歳以上の方々79名にお配りする祝金は、午前のうちに多当袋に納めることができた。年齢により金額が異なるところに気をつけながらの作業には、数十分を要した。これを今夜の役員会議に持参し、各地区委員長に手渡せば、これからしばらくの出金は無いだろう。
しその実と茗荷の、近隣の農家さんからの買入れは今日で終了。事務係のヒロタイクコさんは先月25日から今日までの伝票と現金残高を照合し「ピッタリでした」と笑った。
夕刻に至って、今般の旅行の日程表を2枚、印刷する。2枚とは、ウドンタニーとチェンライの宿の壁にそれぞれ貼るためだ。166行から成る持ち物の一覧表も印刷する。荷造りは、明後日の月曜日から始める予定である。
朝飯 大根おろしを添えた鰯の塩焼き、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、トマトと長葱とキクラゲの味噌汁
昼飯 納豆と長葱のつゆの素麺
晩飯 鱈子、夏太郎らっきょう、豚ひき肉のつゆのうどん、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸」(燗)
2026.9.18(金) スリップ
久しぶりに3時台の起床。きのうおとといは早くに目を覚ますことができず、日記を書くこともままならなかった。
仏壇に花と水とお茶と線香を供えるなどをしたら、次は釣銭のための種銭がいくらあるかを確かめる。そしてテレビの台に置かれた小さなカレンダーを手元に引き寄せて、タイから戻って次の釣銭つくりができるまでの日数を数える。明日からはシルバーウィークが始まる。テレビの天気予報は盛んに台風の襲来を伝えている。どれほどの釣銭を準備すべきかの予測は難しい。
おととい16日の日記を完成させ、17日の日記に取りかかろうとする5時39分より、朝日が眩しくなった。雨続きの9月ではあったものの、空はきのうから晴れ始めていた。遮光カーテンを降ろすのも、久方ぶりのような気がする。とにかく空が晴れれば文句はない。
ところで僕の手元には、きのうキャッシュレジスターの裏手の棚に置かれていた、本のスリップ9枚がある。「スリップ」とは、売れる前の本に挟み込まれている二つ折りの細長い紙で、次の注文時に役に立てたりするものだ。これが9枚とは、きのうは本を9冊もお買い上げいただけた、ということだ。その9枚を見ていくと、おなじものが4冊も売れている。集団でおなじ本を買われた方々がいらっしゃったのだろうか。発酵の専門書も売れていれば、哲学書も売れている。
本が無ければ生きていけない、ということはない。空気と水と食べ物さえあれば、人は生きていけるだろう。しかしもしも僕が本を欠けば、人生の愉しみの大きな部分が欠落することは確かだ。手も足も出ない、という気もする。だから漬物や味噌や醤油と共に本の売れることは、とても嬉しい。
さて町内の地区委員長からは、先般、回覧板で回した70歳以上の方々の名簿が届いた。これを元にした一覧表を、午後に完成させる。町内の会計係を十数年も続けていられるのは、強力なデータベースソフト”My Tool”があってこそのことだ。明日は祝金を多当袋に納めることにしよう。ようやく日常に戻った気分、である。
朝飯 めかぶの酢の物、キャベツのソテー、豆腐の玉子とじ、生のトマト、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ茄子と長葱の味噌汁
昼飯 納豆のつゆの素麺
晩飯 桃とモッツァレラチーズと生ハムのサラダ、蛸とトマトのスパゲティ、飲み差しの2種の白ワイン
2026.9.17(木) 第48回日光MG(2日目)
木曜日は配達係イザワコーイチさんの休日に当たる。僕は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達以外にもすることがあり、よって昨朝、熱海館までお迎えに行った方々には、申し訳ないことながら、日光MG2日目の今朝は、徒歩で会場まで向かっていただくよう、メッセージをお送りする。
販売係のタカヤマソラさんが出社をし、9時が近づいたところで隠居へ行く。MG会場の方は、事務局を務めつつゲームにも参加をしている家内に、ほぼお任せ、である。
昨夜の交流会は「汁飯香の店 隠居うわさわ」で行った。歓談は22時30分まで続いた。食べたり飲んだりしたものは、参加の皆様に助けられて、大きなところは当夜のうちに片付けられた。しかし細かいところ、たとえば空き瓶を資源ごみの置き場まで運ぶなどは残さている。僕は自分のできる範囲内のことをし、後は隠居係のタカハシリツコさんに任せて普段の仕事に戻る。
8日より東京に出張をしていた長男は、僕がMG会場へ昼のお茶を届けに行っているあいだに帰社していた。14時50分にMG会場の家内から電話が入り、15時30分に片付け要員の製造係タカハシアキヒコ君を、これまた東京から帰ってきたばかりのハイエースと共に来させてほしい旨の電話が入る。
第48回日光MGは無事に終了したらしく、参加をしてくださった方々は、15時45分ころより店に見え始めた。一行の中にはかねてより蔵見学のご希望があったため、僕はその案内を務めさせていただいた。また皆さんは店に戻られると、少なくない買い物をしてくださった。
クルマでいらっしゃった方々は、上澤梅太郎商店の駐車場から次々と、今夜の目的地へと向かわれた。北は秋田県、南は長崎県から飛行機や列車でいらっしゃった方々は、その時間までJR、東武の各駅にほどちかい中華料理屋で、しばらく喉を潤したりされるという。
販売係のササキセイラさんが、今回の研修に参加をしながら、その終了後に店に戻ってくれたことは有難かった。17時30分の閉店後はキャッシュレジスターを締め、18時15分にすべての社員を送り出してから外へ出る。そうしてどなたかはいまだ残っているはずの中華料理屋へ向かう。
怒涛の2日と数時間は、無事に完了した。きのうに引き続き、感謝に堪えない。大いに有難い、2日と数時間だった。
朝飯 炒り昆布、スクランブルドエッグ、納豆、法蓮草の胡麻和え、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
晩飯 「山泉楼」のあれや、これや、それや、他あれこれ、紹興貴酒三年(常温)
2026.9.16(水) 第48回日光MG(1日目)
上澤梅太郎商店が主催する研修「日光MG」は、基本的には毎年の1月と9月に開催をされる。1月のそれは会社を2日のあいだ休む。そして鬼怒川温泉の旅館にほぼ全社員が集まり、また社外からも参加者も迎えて行う。9月は1月にくらべて何かと忙しく、よって店は休まず、社内の若干名に社外からの方々を加えて開催をする。
今回は、新宿タカシマヤの催し「美味コレクション・グルメフェス」が9月10日から16日にかけて入り、既にして決まっていた日光MGの日程に重なってしまった。それによって普段は日光MGの事務局を務める長男が、地元を不在にせざるを得なくなった。
そのことにより、事務局は家内に変更。僕も会社のことをしつつ、いくらかの時間は日光MGに割くこととなった。
今回の日光MGには「日光市歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館」のもっとも広い部屋を借りていた。会場の準備をするための社員4名は、道具類を満載した2台のクルマで9時前に現場へと向かった。僕は自分に割り当てられた方々を旅館にお迎えするため、おなじ時間にホンダフィットの運転席に着く。
JR通りの旅館「あたみ館」にお泊りだったお二人を9時5分に会場へお送りしたら、その足で東武線の下今市駅へ急行する。ここで9時13分に到着されたお二人をお乗せして、今度はJR今市駅で、9時20分に到着されたお一人をお迎えする。そしてそれら3人様を、またまた会場へお送りする。
会場では社員4名が、社外から参加の方々に混じって机の並べ替え、ゲーム版の展開、自己資本グラフ用紙の壁への貼り付けなどに余念がなかった。その最中に、家内の運転するクルマで西順一郎先生も到着をされる。すべてが整ったところで、僕は開会の挨拶をさせていただき、即、会社へ戻る。
15時に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日3回目の配達をする。そこから日光MGの会場へ回って皆さんの様子を見る。16時には日光のビストロ”Girouette”の扉を押して、家内が予約しておいたオードブルを受け取る。雨が降っている。道を行く外国人は、おしなべてカーキ色の雨具を着ている。その色が湿った暮色に溶け込んで、僕の目を惑わせる。ハンドルとアクセルとブレーキを慎重に操作しつつ、ホンダフィットを隠居のちかくに駐め、オードブルを屋内に運び込む。
終業後は、販売係のタカヤマソラさんと事務係のヒロタイクコさんに店の掃除を任せる。僕はキャッシュレジスターを締め、明日の釣銭を準備する。帰宅する社員を通用口から送り出したら即、傘を差して隠居へ行き、交流会の準備に取りかかる。
第48回日光MGの1日目を終え、交流会にもお付き合いくださることとなった20名超の方々は、19時を過ぎるころ続々と、庭の飛び石を伝って現れた。そうして半数くらいの方が席に着いたところで大きな問題が勃発。たとえ2日続きの研修でも、部屋を去るときには完全に元の状態に戻すべし、という決まりが施設にはあったという。それを知らせてくれた、久留米市からご参加のミウラサトヒコさんの呼びかけに、先生の給仕をする数名を残したすべての人員は、もちろん僕も含めて小雨の中を研修の場へと戻った。
その後の皆さんは鬼神の乗り移った如く、机の上から壁からすべてを片付け、また机の位置も今朝の状態に戻した。持ち込んだ長机2客はホンダフィットの助手席を倒して何とか入れた。折り畳めない机は新潟市から参加のシミズタカヒロさんのSUVに載せていただいた。
隠居での交流会は、20時を前にしてようやく始めることができた。夜に至って皆さんにはご迷惑をおかけすることになったものの、終わり良ければ全て良し、という一日だった。感謝に堪えない。
朝飯 ブロッコリーのソテーを添えた目玉焼き、納豆、炒り昆布、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ茄子と万能葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 “Girouette”のオードブルあれこれ、SOLANA DE RAMIREZ RIOJA 2022
2026.9.15(火) 前夜祭
この日記の画像の色は、2022年6月18日の「晩飯」から劇的に綺麗になっている。カメラを”RICOH GR”から、iPhoneにダウンロードした特殊なアプリケーションに替えたからだ。しかしそのアプリケーションが変調を来したことについては、ここ数日の日記に書いてきた。そして今朝に公開した2026年9月13日の日記からは、ふたたび画像の色調が2022年6月17日までの、緑の勝る、鮮やかさに欠けるものに戻った。それは、カメラをiPhoneのデフォールトに変えたからだ。どうにも面白くないけれど、仕方がない。
もっとも1990年代の外注SEマエザワマコトさんによれば「人がどんなブラウザ、どんなディスプレーを使っているかなんて分からないんですから、自分の環境で見えている色に一喜一憂することはないんですよ」ということになる。
それでも気になるから、この4年と少々は必要としていなかった色調補正を、今朝からはふたたび行うようになった。1日あたりの画像が4枚とかの普段ならまだしも、海外へ出かけたときの、1日あたり最高で26枚もの画像を日記に散りばめる日のことを考えてみれば、今から頭が痛い。鮮やかな写真の得られる新しいアプリケーションが見つかれば幸いである。
ところで今日は上澤梅太郎商店が主催する研修「第48回日光MG」の前日にて、閉店後はキャッシュレジスターの売上現金をまとめ、社員を送り出したところで外へ出る。そうして前夜祭の開かれる居酒屋へと向かう。
朝飯 揚げ玉、納豆、鱈子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 すり胡麻のつゆの素麺
晩飯 「陶」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2026.9.14(月) 今のうちにできること
夏の、ことに暑い朝には、仏壇に供える水の器に氷を入れていた。ご先祖様も冷たい水を飲みたかろうと考えてのことだ。今は、もうそれは、していない。しかし未明に起きて食堂に来れば窓を開けることは、いまだに続けている。白露を過ぎ、秋分が近づいているにもかかわらず、虫の声は消えていない。
身につける服の枚数は、少ないほど気持ちが良い。だから必要に迫られない限り、靴下は履かない。その代わり、足温器を用いてテーブルの下のみ暖かくする。そのような環境の下に、このところは朝のよしなしごとをしている。
4時45分までは曖昧だった東の空に、やがて明らかな雲の切れ目が現れる。しかしその灰色を含んだ水色はあくまでも上下に薄い帯であって、それ以外の空は、黒い雲で覆われている。
あたりが徐々に明るくなってくると、街には霧が降りていた。「はっきりしねぇなぁ」と、ウェザーニュースを開き、その右上の窓に”Udon Thani”と入れてみる。僕が彼の地に着く今月24日からしばらくの天気は、雨時々晴れ、晴れ時々雨、晴のち雨。最高気温と最低気温は連日それぞれ33℃と24℃が続いていた。最高気温は、僕にとっては申し分が無い。傘はやはり、持参した方が良いだろう。
早朝こそ冴えなかった天気だが、小中高生が登校をするころには日が差し始め、気温も上がってきた。大いに有難い。
明日の夕刻からは、今週の水曜日と木曜日に行われる第48回日光MGに、参加の方々が集まり始める。シルバーウィークも、間近に迫っている。
午後には「今のうちにできることは何か」と考えて、先ずは「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ先週末に来てくださったお客様の感想カードをデータベース化する。次は町内の会計係として、敬老の日に配る祝金の多当袋70枚に赤で「寿」、黒で「春日町一丁目自治会」の判を押す。15時になったところで道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に、本日3度目の納品をする。そこから会計事務所へ回り、銀行から郵送されたばかりの残高証明を預ける。
朝飯 納豆、揚げ玉、鱈子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 揚げ茄子のつゆの素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、チーズオムレツのカレーライス、ドライマーティニ
2026.9.13(日) 七転八倒の記録
この日記の画像はiPhoneで撮っている。とはいえiPhoneに最初から付いてくるカメラではない。別のアプリケーションを使っている。それがきのうの午前に行ったiOSアップデートによるものか、おかしな具合になった。
早速、外注SEのシバタサトシさんに来てもらって一応の復旧はしたものの、きのう撮った画像を今朝になってコンピュータに移してみれば、やはりおかしい。そこでいくつもの気づいたことをシバタさんにメッセンジャーで送る。
僕がなぜiPhoneに付属のカメラを使わないかといえば、色が悪いからだ。しかしこれまで使ってきた発色の良いアプリケーションは、拡張子がJPGに正常化されたと思えば、次はまたHEICになったり、サムネイルと開いた画像が別のものだったり、あるいはファイル名が撮った順に振られないから画像が時系列的に並ばないなどの不具合が一昨日の午後より出はじめて、どうにもならない。
よって防湿庫に3台ある”RICOH GR”のうち最も新しいものを取り出す。そしてそのバッテリーを充電器にはめ込んでコンセントに差し込み、またSDカードをスロットに入れる。
午前中のシバタさんとのやり取りによれば、シバタさんが自分のスマートフォンに僕と同じアプリケーションをダウンロードして試してみたところ、おなじ現象が出たという。ということは、たとえ新しいiPhoneを買っても無駄、ということになる。
“RICOH GR”のバッテリーを充電中とはいえ、スマートフォンの他にカメラを持つことは、今やしたくない。持ち歩くものは、できるだけ減らしたいのだ。よってiPhoneのデフォールトのカメラについて、今更ながら勉強する。
この日記も先月の29日からは、デジタル弱者による七転八倒の記録めいてきた。このような蟻地獄からは、早々に抜け出したい気分である。
朝飯 揚げ茄子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚肉とキャベツの味噌汁
昼飯 揚げ玉のつゆの素麺
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、おでん、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸」(燗)
2026.9.12(土) いきなりのHEIC
早朝、きのうiPhoneで撮った画像をコンピュータに取り込む。するときのうの朝食までは拡張子がJPGなのに対して、以降はすべてHEICになっている。ファイル名には規則性がなく、撮った順に並んでいない。そのHEICの拡張子を持つ画像をクリックしてみると、サイズはとても小さく、拡大すると粒子は荒く、またサムネイルで見えていたものとは異なる画像が開く。一体全体、何が起きたのか。困ったときのシバタさん頼みで、外注SEのシバタサトシさんに、状況をメッセンジャーで送る。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」への、お客様のご予約人数変更のメモを持って国道121号線を南へ歩いていた9時20分に、シバタさんはその道をクルマに乗って、僕とすれ違うようにして現れた。よって即、事務室にきびすを返す。
シバタさんは1時間以上の時間をかけて原因を突き止め、HEICの拡張子を持つ画像をJPGに変換する方法を僕に教えて去った。その最新の知識を以て操作をすると、今しがたシバタさんがしてみせてくれた、HEICからJPGへの変換は、簡単に成された。
昼食を挟んで調べたところ、iPhoneで撮る画像の拡張子がJPGからいきなりHEICになったのは、iPhone側のiOSアップデートが関係してたことが分かった。僕は確かに、きのうそれを行ったのだった。
そこでiPhoneのカメラの設定を元に戻したところ、画像の拡張子はふたたびJPGに戻った。しかし実際の画像と異なる絵がサムネイルに示される不具合は、いまだ治らない。よって、新しい修復方法をどこかで手に入れたら、そのときにはまた来てくれるよう、メッセンジャーでシバタさんに送る。
朝飯 豚肉とキクラゲと長葱の炒め丼、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、トマトと大根と若布の味噌汁
昼飯 すり胡麻のつゆの素麺
晩飯 ウフマヨネーズ、夏太郎らっきょう、TIO PEPE、ブロッコリーのバターソテー、パン、ビーフシチュー、Cono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018
2026.9.11(金) なつかしい色
玄関に置かれた花瓶には吾亦紅。
その臙脂色は、昭和20年代からせいぜい第一回東京オリンピックのころまでの女学生が着たら似合いそうなセーターの色、という感じがする。あるいはまた、MGのTシリーズならTFまでの、つまりフェンダー、否、MGは英国車だからアメリカの英語は使うべきでない、英国の英語で言えばウイングがボディから大きく張り出してタイヤを覆っている時代のクルマにも、また相応しそうな気がする。ウイングは黒く塗って、いわゆる”Two tone color”にする手もある。
玄関のその吾亦紅は、何となく枯れ加減に見える。あるいは最初からドライフラワーだったのかも知れない。
相変わらず雨が降っている。今夏の天候について、10日ほど前の下野新聞は「明らかな異常気象」と伝えていた。学生時代までの僕だったら、外で遊びづらい今年のような夏は、大いに呪ったことだろう。
17時を過ぎたところでにわかに日が差してくる。梅雨どきから今に至るまでの日々を思い返してみれば、晴れた空は正に、奇貨とも呼ぶべきものだ。よって屋上へ上がって西の空へiPhoneを向ける。
朝飯 グリーンアスパラガスのソテーを添えた目玉焼き、納豆、生のトマト、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 夏太郎らっきょう、鰻の佃煮、秋刀魚の梅煮、豚肉とキクラゲと長葱の炒め、「渡邊佐平商店」の「日光誉雄町ひやおろし純米吟醸」(冷や)、桃
2026.9.10(木) このところの9月は忙しい
コンピュータの、テキスト専用のフォルダには2026年9月8日の日記が保存されている。それに、画像専用のフォルダに保存した同日の画像を配置し、且つ特定のテキストから特定の画像にリンクを張ってウェブ上へ上げるまでの仕事を、今朝のClaude Codeは2m50s、すなわち2分50秒でし終えた。
各々のフォルダは月が変わるたび追加で新設し、その年と月の名をつけて、より大きなフォルダに格納する。つまり月初には日記に費やす時間がすこしばかり増える、ということだ。
そしてここまで書いたところで、今秋の旅程をディスプレイに出す。10月の初日には、僕はタイの最北部にいることが分かった。
そのとき滞在しているはずの、これまで幾度となく使ってきた安価な宿の部屋には、背もたれを備えた椅子がない。スツールのような椅子で長くコンピュータを使うと腰が痛くなる。よってその宿で日記を書くときには、ロビーの丸テーブルと籐椅子を借りる。
南の国で、最小限の服をまとい、どうということもない時を過ごすほど、僕の心を楽にするものはない。
それはさておき新宿タカシマヤでは今日から16日までの7日のあいだ「美味コレクション・グルメフェス」が開かれ、上澤梅太郎商店も、これに参加をさせていただく。長男はきのう、トヨタハイエースに要冷蔵以外の商品および用度品を満載して出かけていった。出張販売の期間中は、僕は会社と長男のあいだの連絡役を担う。
一方、それに重なる15日と16日には、上澤梅太郎商店が主催する研修「第48回日光MG」に、全国から受講者がいらっしゃる。先月の25日から始めたしその実と茗荷の買入れは、その後まで続く。なかなか気の抜けない9月、である。
朝飯 鰯の佃煮、法蓮草のソテーを添えた目玉焼き、大根おろしを薬味にした納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、天ぷらの味噌汁
昼飯 天ぷらの熱いつゆの素麺
晩飯 夏太郎らっきょう、TIO PEPE、レタスとベビーリーフのサラダ、ウフマヨネーズ、グリーンアスパラガスのバターソテー、ビーフシチュー、3種のパン、イチジクの赤ワイン煮、Cono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018
2026.9.9(水) パスワード
おととい、お金の入ってくる銀行からお金の出ていく銀行に資金を移動させようとして、しかしログインができなかった。きのうは日本橋の銀行へ行く用事があったため、それを再び試すことはしなかった。今日は9時を過ぎたところで一昨日の銀行のサービスセンターに電話をして、ログインの方法を、あらためて確かめた。
すこし前までは、たとえ海外からもできていたことができなくなった理由を電話の向こうの人と突き合わせるうち、原因は、僕がLet’s noteを新しくしたところにあったことが分かった。幸い、旧いLet’s noteは初期化をしないまま、いまだ事務室にある。それを開いて操作をしたところ、資金の移動は無事に完了した。
ここでふと気になって、来春の旅行の日程を調べてみた。すると、それは資金を移動すべき日には重なっていなかったから、ひと安心をした。もっとも、その仕事は長男もすることができるから、いざとなったら、どうとでもなるのだ。
小規模の会社の社長が急死をして困ることに、むかしは金庫の開け方が分からない、今はいくつものパスワードが不明のまま、などがある。ネット銀行のパスワードなどは、個人であっても、相続人には生前から知らせておくべきと思う。
朝飯 スクランブルドエッグ、鰯の網焼き、厚揚げ豆腐と小松菜の淡味炊き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 納豆のつゆの素麺
晩飯 法蓮草の胡麻和え、キャベツの浅漬け、天ぷらあれこれ、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸」(燗)
2026.9.8(火) 秋になっても
横殴りの雨に濡れても屋内に逃げ込めばすぐに乾きそうなパンツを、押し入れの衣装ケースから取り出す。それは化繊による安物で、南の国で自転車に乗るときのためのものだ。上半身には半袖のTシャツを着る。秋になっても、できれば夏の服のままでいたい。そして下今市07:45発の上り特急に乗る。
上澤梅太郎商店の決算月は8月で、その前後には特有の仕事が発生する。紛失を避けるためトートバッグの取っ手に結びつけた小さなショルダーバッグには、会社の印鑑と銀行の通帳が収められている。浅草からは地下鉄銀座線に乗り換えて三越前で降りる。今年は取り交わす書類が多いため、やり取りにはいつもの倍ほどの時間を要した。
外へ出ると、日が差していた。今日の東京の気温は30℃まで上がるらしい。僕にはそのくらいが適温である。
ふたたび銀座線に乗って、次は新橋を目指す。そしてバッテリーを交換すべく入ったビルの中の時計屋は、何と行列のできるラーメン屋に変わっていた。確認のため呼び出した時計屋の電話番号からは「その番号は現在使われていないか…」のアナウンスが流れた。
仕方なく、別の店を最寄りに探す。そして新橋駅構内の初見の店を訪ねる。店長らしい人の複写式の伝票に書き込んだ金額は、金属ベルトの超音波による清掃も含めてではあったものの、これまでの4倍だった。
さて東京に来れば、アウトドアの店や本屋をハシゴして時間を調整し、飲酒活動をしてから帰ることが常ではあるものの、空模様が怪しくなってきた。また、予備として持参した2冊目の本も、朝の特急の車内、銀行での待ち時間、昼の食休みのあいだに能率が上がって残りのページが少なくなった。
僕は、活字を欠いては単独での飲酒喫飯ができない。そういう次第にて今日は早々に帰路を辿るべく、北千住を目指す。その北千住駅の東武線特急プラットフォームには、いつの間にか降り出した雨が、屋根からシャワーのように落ちていた。
雨は、途中で止むところもあったものの、下今市駅が近づくにつれて、また降り始めた。よって朝に乗ってきた自転車は駐輪場に置いたまま、傘を差して会社に戻る。
朝飯 トマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、鱈子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、玉葱と若布の味噌汁
晩飯 厚揚げ豆腐と小松菜の淡味炊き、マカロニサラダ、焼き鮭、キャベツの浅漬け、薩摩芋とうずら豆の蜜煮、肉団子、「齋彌酒造店」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸」(冷や)
2026.9.7(月) ごはん炊き・味噌汁作り教室
目を覚ましたのは3時。起きて食堂に来たのは3時40分。雨の強くなる予報を受けて、地元の小中学校は、きのうのうちから今日の休みを決めたらしい。その予報に逆らうようにして、南東に面した窓を開ける。しかし秋冷により、足元には足温器を引き入れて、リモートコントローラーのボタンを押す。
まるでAIのことを語る日記のようになってきたが、本日も少しばかり。
今朝はClaude Codeが作業中に動きを止めた。あれこれ調べてみると、コンピュータとiPhoneのあいだのデザリングが切れていた。よってwifiを復活させたところ「続行は不可。担当者に要連絡」という意味のことが出た。しばし考えてからコンピュータを再起動し、最初とおなじ命令を打ち込む。するとClaude Codeは2分とかからず日記の整形と公開を完了した。この時間の大幅な短縮には、担当者の適切な対応に加えて、Claude Codeへの、僕の命令がより適切になってきたことが効いたものと思う。
さて雨については「大雨注意報」が5時現在もtenki.jpに出されている。しかしウェザーニュースの方は、6時からの1時間こそ7ミリと多いものの、7時からの1時間では3ミリと、どこ吹く風の雨量を示している。実際に窓から見る雨も、どうということはない。これなら隠居で7時から始められる「ごはん炊き・味噌汁作り教室」にいらっしゃるお客様の足元も、それほど困ることはないだろう。
そして実際のところを調べるため外へ出て、国道121号線を南へ歩き、枝折り戸から隠居に入って勝手口の階段を上がる。座敷の準備は長男により、すべて整っていた。
この教室に参加をされた方はおしなべて、土鍋での炊飯の簡単さ、またご自分でお作りになった味噌汁の美味さに驚かれるという。ご希望のお仲間がいらっしゃれば、ぜひ「モグローカル」までお問い合わせください。
朝飯 揚げ玉、納豆、鰻の佃煮、鱈子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
晩飯 「コスモス」のカプレーゼ、海老ドリア、ドライマーティニ
2026.9.6(日) 片付けどき
ほとんどの人には興味のないこととは思われるけれど、AIに整形と公開をさせる日記については、今日も書かないわけにはいかない。
十数行にわたる命令をClaude Codeに打ち込んだ時刻は5時40分。AIは数千の思考と作業を続けた挙句、30分を経ても9月4日の日記をウェブ上に公開しない。AIから、二者択一の質問が発せられる。それに答えようとしてボタンをクリックする。しかしそれを2度、3度と繰り返しても、質問はなぜか消えてくれない。よって今朝もまた、その状況を画像にし、電子会議室を介して担当者に送る。
早起きの人は有難い。担当者からは6時32分に電話があった。僕に引き渡す前のClaude Codeに、どうやら設定のひとつをし忘れたらしい。そして電子会議室に上げられた新しいコマンドラインをコピーして、Claude Codeに貼り付ける。
9月4日の日記は、やがて無事に、ウェブ上に公開をされた。しかしてまた、明日や明後日の朝に更なる問題が発生したときには、9月8日にふたたび千葉か東京ですり合わせをすることとして、電話を切る。
8時の朝礼を済ませたところで長男と「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ行き、明朝の「ごはん炊き味噌汁つくり教室」のためにテーブルを並べ替える。座敷のそこここに置いた扇風機は、そろそろ片付けどきだろうか。
朝飯 鰯の網焼き、若芽と玉葱の酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、雑炊
昼飯 「カルフールキッチン」の「日光味噌のたまり浅漬けの素『朝露』使用・焼き鳥丼」
晩飯 鱈子と納豆と「なめこのたまり炊」のスパゲティ、チーズ、Chablis Billaud Simon 2018
2026.9.5(土) 秋の麺つゆ
「科学大観」という少年少女を対象とした月刊誌が、かつて家に揃っていた。いま調べてみれば、それは世界文化社から1950年代の後半に、全24刊および別冊2刊が刊行されていた。1950年代の後半といえば僕はせいぜい赤ん坊から幼児のころだから、その26冊は、1945年に生まれた叔母のためのものだったかも知れない。
その「科学大観」、あるいは後に読んだ少年漫画雑誌の特集だったかに「人間の脳とおなじ性能を持つ人工知能を作ろうとすれば、それは丸ビルほどの大きさになる」という記述があった。
直近の1週間は、この日記についてのことばかりをここに書いてきた。だからいささか憚られるものの、今朝もそれについてすこし触れる。
既にして専用のフォルダに格納しておいた一昨日の日記の文章、および画像を用いて9月3日の日記を整え、ウェブ上に公開するよう、Claude Codeに命じる。このときの時刻は5時31分。
そのClaud Codeには、このAIがどれほどの仕事をしているかが刻々と文字で点滅する。そのひとつひとつのトークンが数千回に達したところで
「このまま1~2分ほどで https://www.tamarizuke.co.jp/seikan/ に反映されます。改めて何か直したい記事や、次の日の日記の準備などありましたらお申し付けください。」
と出た。時刻は5時42分になっていた。
僕が手動で行えば、ほとんど何も考えないまま数分で終える作業を、AIは数千もの手順を踏んで、今朝は11分間を要した。AIのデータセンターは、巨大な電力を消費すると言われている。それもむべなるかの、Claude Codeの挙動である。
さてAIから離れれば、きのうの夜より準備を始めた麺つゆ作りを、7時39分に終える。昨年は6月19日から9月13日までのあいだに5回の麺つゆ作りをした。今年は7月14日、8月20日、そして本日9月5日と、3回で終わりそうな雲行きである。
今年の夏は雨続きで気温が上がらなかった。だから素麺を食べたくなる時期も遅かった。今回のつゆが、いつ底をつくかは分からない。4回目を作りたくなるほどの気温の上昇があれば嬉しい。しかしその確率は、随分と低そうな気がする。
昼ちかくに隠居へ行く。そして床の間から「ヒサオさんの緑の絵」を降ろし、高久萬古の「秋景山水乃図」に掛けかえる。
朝飯 若芽と玉葱の酢の物、鰯の網焼き、大和芋のすりおろし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ玉と万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」
晩飯 おでん、鰻の佃煮、夏太郎らっきょう、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸」(冷や)
2026.9.4(金) ようやくの光
きのう断腸亭終焉の地のちかくで上澤梅太郎商店のデジタル部門の担当者と打ち合わせた結果の、以下の命令をClaude Codeに打ち込む。
……
2026年9月2日の日記のテキストを、デスクトップの「日記の文章と画像」のフォルダの中の「日記のテキスト」のフォルダの中の「202609」のフォルダから探す。
同時に、おなじ日の画像をデスクトップの「日記の文章と画像」のフォルダの中の「日記の画像」のフォルダの中の「202609」のフォルダから探す。
おなじ日の画像のうち、一番最後のファイル名を持つものは、テキストの最上部に置く。おなじ日の食事の画像は、朝飯、昼飯、晩飯の最後の料理のテキストからリンクを張る。食事以外の画像があった場合には、使用者にリンク先を質問してから、リンクを張る。画像のファイル名は、「日記の文章と画像」のフォルダの中の「日記の画像」のフォルダの中のものと同じにする。
この記事のタイトルは「のようなもの」とする。
プレビューの確認はせず、そのまま公開する。
……
しかし画面はまたまた僕の予想を外れて、またまたこれまで見たことも無い状態になった。よってそれを画像にして電子会議室に上げる。時刻は5時55分だった。
担当者から電話が入ったのは7時4分。こちらは生憎と朝食を始めるところではあったものの、そして僕にとって食事の時間は大切なものではあるものの、背に腹は代えられない。一頓挫したままのコンピュータを手元に引き寄せて、現状を説明しつつ、10時すぎに折り返し連絡する旨を伝える。
そうして結論から言えば、10時30分からの担当者との質疑応答、試行錯誤により、AIによる日記の整形と公開には、ようやく光が見えてきた。先月の29日から今日までに要した時間は1週間。大げさに言えば「長い戦い」ではあった。
いまWord PressやNoteでウェブログや記事を書いていて、しかしこれからはAIに諸事を任せようとしている人に、僕のこの1週間が参考になれば幸いである。
朝飯 生玉子、玉葱と若布の酢の物、鰻の佃煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、ピーマンの味噌汁
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリのカラシ和え、ピータン、鶏もも肉の唐揚げ、麻婆丼、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2026.9.3(木) 墨東の先
お客様の留守宅に勝手に上がり込み、お客様の部屋着に着替え、寝たり料理をするうちお客様がご家族と共に帰っていらっしゃって大いに焦燥している、というのが前編。今井正の「青い山脈」、鈴木清順の「けんかえれじい」、相米慎二の「台風クラブ」、井筒和幸の「パッチギ」のような世界の中で、若かったころの僕が、その時々には楽しく、しかし今の僕からすればいかにも切なく思われる悪戦苦闘を続けるのが後編。そのような長大な夢を見た後に目を覚ます。時刻は4時1分だった。
さて、Visual Studio CodeとClaude Codeによる日記のウェブ上への公開については、きのうの日記にもある通り、苦労を強いられている。僕は、人に何事かを教えてもらうときには千里の道も、と言えば大げさながら、その人のところに出かけていくことを苦にしない。ひとりで試行錯誤を繰り返し、迷路に行くべき先を失って頓挫をするより、よほど楽だからだ。先月29日に上記の新しい方法を指導するため来社した担当者にも、埒が明かなければ9月3日に、今度はこちらから訪問したい旨を約していた。
そういう次第にて今朝は下今市09:05発の上り特急リバティに乗り、北千住、牛田から京成関屋、荒川を渡って青砥、中川を渡って京成高砂、更には京成八幡と、墨東に杖を曳く。
駅前の喫茶店での、担当者のやりとりは何と、3時間に及んだ。その間に「Visual Studio CodeとClaude Codeの組み合わせは、技術者としての自分の環境を押し付けてしまったらしい」と担当者は結論づけた。そして明日からは、Visual Studio Codeについては放念し、エディタには僕が慣れ親しんでいる秀丸を使う。そしてClaude Codeがテキストを吸い上げ、別のフォルダに格納した画像を当てはめ、リンクを張り、形を整えてウェブ上に公開することとした。
はてさて明日から僕は本当に楽になれるのか、どうなのか。そして来た道を今度は西に辿って北千住、更には北へ辿って日光に戻る。
朝飯 ウインナーソーセージのソテーを添えたスクランブルドエッグ、揚げ湯葉の甘辛煮、鮭の焼きほぐし、大根と胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、他あれこれ、チューハイ、それを濃くするためのナカ
2026.9.2(水) のようなもの
日記を書き、またその日の画像を加工することは、義務や仕事ではなく遊びだから、僕にはお茶の子さいさいである。しかし先月29日以来の、Visual Studio CodeとClaude Codeの取り扱いにおいては今朝も、先月30日の日記にあると同じ、僕には意味不明の画面が出て一頓挫。既にして文章も画像もできているおとといの日記の公開は、今日のところは諦めた。解決法を担当者に訊く、その時間が今日は無いからだ。
今日は月に一度の店休日にて、朝から隠居で上長会議と全体会議。昼食を挟んで事務室で事務係との会議、続いて店での販売係との会議、最後は4階の食堂で経営者会議と、9時から18時までのあいだは、ずっと会議が続いた。
「それだけ会議づくめでは、いかにも疲れるに違いない」と言われれば、僕はいまや傍聴者のようなものだ。また特に事務係との会議では僕だけ自分の机に着いて、皆の会話を聞きつつ普段の仕事をしたりしていたから、特に疲れるということはなかった。
ただし「14時から15時のあいだでしたらお電話ができます」と朝に電子会議室を介して伝えた日記のデジタル部門の担当者とは、電話はしたものの、会話はほとんど交わすことができなかった。
さて仕事を終えればそれまでのことは綺麗さっぱり忘れて、孫たちと賑やかに夕食を摂る。
朝飯 法蓮草のソテーを添えたスクランブルドエッグ、鮭の焼きほぐし、揚げ湯葉の甘辛煮、生のトマト、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜と若布の味噌汁
晩飯 夏太郎らっきょう、人参とブロッコリーのソテーとマッシュドポテトを添えたハンバーグステーキ、TIO PEPE
2026.9.1(火) 伊豆治療紀行(49回目は日帰り)
20世紀までの作家のほとんどは、紙と鉛筆またはペン、あるいはタイプライターで原稿を書いていた。しかしその20世紀も末ごろになると、彼らの多くは、それらの道具をワードプロセッサに替えた。その際に文体が変わる、ということがあったかどうかに、興味がある。
先月29日に記したように、この日記は2000年の9月よりHTMLで書き始め、途中からDreamweaver、更にはWordPressを「書いて整えて公開する道具」としてきた。それぞれのアプリケーションに、それが新しいゆえの違和感を覚えることはなかった。しかし今回のVisual Studio CodeとClaude Codeの組み合わせの、特に「文章を整える」ことをAIに委ねる方式には、大いに戸惑い、また手間取っている。開高健の小説の表題を借りるなら、それは正に「新しい天体」に他ならない。
先月29日からの「書いて整えて公開する道具」の変更を境として、僕の文章の調子が2000年9月からのそれに比べて変わってしまうのかどうかについては、いまだ不明である。そして今日も、何とか新しい方式により、8月30日の日記をウェブ上に公開する。
ところで、ひと月に一泊二日の頻度で通っている伊豆の整体治療だが、今月は繁忙により日帰りで行くことになった。
今年のはじめのころから調子の悪かった家内の左手首は、喜ばしいことに昨月から劇的に快方へ向かい、今日はほとんど完治した。僕の背中や腰や首の具合は昨月よりよほど良く、膝は特に、9000ボルトを発する電子ペンを押し当てられても、熱さも痛さも感じなかった。
症状が軽ければ、治療に要する時間も短くなる。そのお陰で東京へは予想より1時間以上も早く戻ることができ、日本橋高島屋で開催中の「柳宗悦が出会った沖縄の美 琉球の民藝」も観ることができた。
そうしておなじ日本橋で夕食を摂り、地下鉄銀座線の車内にて浅草20:59発の下り特急の席をスマートフォンから確保する。浅草ではほとんど1時間の余裕があったため、僕だけは駅を離れて、あたりを散歩する。
朝飯 揚げ湯葉の甘辛煮、目玉焼き、厚揚げ豆腐と小松菜の淡味炊き、蕪と胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯葉と法蓮草の味噌汁
昼飯 「BECK’S COFFEE SHOP」のB.L.T、コーヒー
晩飯 「吉野鮨本店」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「櫻正宗」の「特撰本醸造」(燗)

































































































































