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ごはん・味噌汁・漬物という「和食のフォーマット」があり合わせの惣菜を豊かな朝食にしてくれる

ごはん・味噌汁・漬物という
「和食のフォーマット」が
あり合わせの惣菜を豊かな朝食にしてくれる

■プロフィール

1985年、今市市(現・日光市)に生まれる。
今市市立今市小学校卒。中学校から私立自由学園※1に進学、寮生活をおくる。自由学園最高学部(大学相当)卒。

卒業論文のテーマは「森鴎外『妄想』における明治日本人の自我形成ついて」。
大学当時、もっとも衝撃を受けた本は中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)※2

モグリで東京大学のゼミに通わせていただきつつ浪人。
その後国際基督教大学大学院 比較文化研究科 博士課程入学。
修士論文のテーマは「歴史小説への道程ー森鴎外の外的矛盾と内的一貫について」。
前期課程修了後、栃木県内の大手漬物メーカーに就職。原料係に配属後、海外事業部に異動し中国工場に駐在。
2013年より上澤梅太郎商店勤務。

寄稿/取材実績一覧
『婦人之友』「味噌汁がまんなか、質素で豊かな朝ごはん」発売日2017年2月1日 婦人之友社 26~31ページ
『buono』  「ちゃんと、朝食。」 発売日2017年9月6日 枻出版社  110~111ページ、124~127ページ
『vesta』  「漬物は『ケ』の味わいー『インスタ映え』を超えてー」発売日2018年2月1日 味の素食の文化センター/農山漁村文化協会 33ページ
 KitchHike webマガジン取材 公開日2018年2月23日公開 株式会社キッチハイク
 『地域人』「食から始まる地方再生」発売日2018年7月1日 大正大学出版会 73~75ページ
 『月刊ツイン』「ニッポンのトラッドな朝食の風景を支えて。」発売日2018年7月 株式会社ツインズ 18~19ページ

(※1)自由学園とは
幼稚園から大学部までの少人数制一貫教育校。
男子部では特に、「自労自治」による生活教育と教科学習とを通じ、自ら考え行動する「よく生きる人」、よい社会をつくり上げる実力を備えた人を育てることを理念とした学校。

(※2)中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』
世界中の自然環境の比較検討の結果、文明のかたちは、人間の営為の結果ではなく、気候や植生などの自然条件に左右されて決定されたという論考。
1966年に出版され、現在は批判も多いものの、世界中の文明を並列化して考える思考方法や、冒険と研究が一体となったスタイル、自然研究と文化研究とが渾然となった文理融合の知見の広さなどに心が躍る。

上澤家の朝食に受け継がれてきた
「質素だけど豊か」という価値観。

──上澤家の朝食について、佑基さんはどのように感じていましたか?

自分の家のことなので私には普通のことでしたが、大学の友達に「君の家の食生活は特殊だね」と言われて初めて「そうだったのか」と(笑)
大学の友人達は都会のサラリーマン家庭の人が多かったので、皆、父親は朝が早くて夜遅いんです。食事は家族がそろわないのが当たり前。父親は作りおきを1人で温めて食べたり、1人で外食することが多い家庭がほとんどでした。
うちは家と会社が直結しているので、食事の時間には家に帰り、家族そろって食事をするのが当たり前です。とくに朝は、母が作る朝食を囲んで、家族全員が顔を合わせて食事をしながらいろいろな話をします。
そうした環境からか、家族全員、食に対する思いがとても強いです。皆、美味しいものが大好きですが、それは一般的な「贅沢」のイメージとは違います。ひと言でいうと「質素だけど豊か」ということです。食に対する価値観も自然と家族の中に育まれていったと思います。

上澤佑基

──贅沢ではないけど美味しさにこだわるその「価値観」とは?

この価値観はわたしの場合、とくに曽祖母の影響が大きいです。
曽祖母は、いわゆる「おばあちゃん」というイメージの人でした。裁縫が趣味で、歌舞伎と相撲が好きで、おばあちゃんの部屋にいくといつも線香の良い匂いがしていました。
小学生のころは学校から帰ってくるとよくおやつを作ってくれました。きんぴらごぼうや焼きおにぎりなどで、とても美味しかったのを覚えています。今でも私がご飯のおかずで一番好きなのがきんぴらごぼうなんです。

曽祖母は非常に質素な人でした。服も地味でしたし、食事は一汁一菜程度。部屋には物が少なく、いつもきれいに整えられていました。しかし仏壇の花や壁の絵、掛け軸などは、季節ごとに違うものを飾っていました。調度品や茶道具は古いけれどきちんとしたものをそろえていて、長く大切に使っていました。食事も一汁一菜ながら、ちゃんと旬を味わい楽しんでいました。
その質素さは「真っ当さ」とも言い換えられると思います。真っ当とは真面目でまともであること。長い時間をかけて残ってきた本当に価値あるものを引き継いできた文化であり、その中にある確かな豊かさです。
それを大切に思う価値観が上澤の家にはあって、食の価値観にも深く影響を与えています。

上澤邸離れ

学生時代のアルバイトと
中国生活の経験で気づかされた
「本当の豊かさ」

「質素だけど豊か」という価値観を大切に思う気持ちが、私の中でより強くなるきっかけとなった2つの出来事があります。学生時代のアルバイトと、勤めた会社で体験した中国での生活です。

大学時代、私は東京・湯島にある「Arrangiarsi(アランジャルシ)」という店でアルバイトをしました。「アランジャルシ」とは、少ないものの中でやりくりして上手くやる、適当に間に合わせる、というナポリ人気質を表す言葉だそうです。
このお店でのアルバイトをきっかけに、ナポリをバックパック旅行したことがありますが、経済的には非常に貧しく、治安もあまり良くない地域です。けれど漁港があって山があり、畑も多くて食べ物は非常に豊かです。ナポリ料理に凝った調理法はあまりない、というと怒られそうですが、一見単純に見えるひとつひとつの料理が驚くほどうまかったのを覚えています。

アランジャルシの料理もその通りで、1つ1つは素朴だけど、どれもすごく美味しいんです。普通の素材を使った、ただの炒めものやただの煮込み、ただ薪で焼いただけのものが、どんなに手の込んだ料理よりも美味しいということに衝撃を受けました。

おいしさとは、素材の豪華さの中にあるのではなく、むしろ限られた素材であっても、それを食べきる「調理の技術体系」、ありていにいえば「美味しく食べる工夫」のなかにあることに気づかされたのです。

上澤佑基

大学院卒業後は、大手の漬物会社で修業させていただきました。そのなかで、「勉強の一環」ということだったと思いますが、中国の子会社へ赴任させていただきました。長江の南側、内陸の農村で、上海から国内便で1時間半ほどのところです。中国人スタッフと同じ社員寮に住み込み、現地の人達と同じ生活をしました。エアコンもない三畳ほどの部屋に、かたいワラのベッドがあるだけ。トイレとシャワーは共同です。
食事は工場長の奥さんが作ってくれて、社員全員で食べます。メニューは毎日ほとんど同じで、ごはんと炒め物何品かとスープ。食器は各自、丼と箸だけです。まず酒を丼で飲んで、飲み終わったらそこにごはんを入れ、炒め物を白いごはんにぶっかけて食べる、その繰り返しでした。

でもよく見ていると、同じように見える料理の中にもいろいろな工夫があることに気づきます。たとえば夏野菜の空芯菜は茎と葉をていねいにむしって分けて、別の素材として料理します。炒め方の火加減や味つけが違うので、微妙に異なる料理が完成し、その繊細さには本当に驚かされました。その他、高菜は収穫後、一晩天日干しにしてから塩漬けにします。べっこう色になった高菜をまた天日干しにしてから豚の三枚肉と蒸し上げると、なんとも言えない格別な風味が出ます。
脂のうまみを引き立てる高菜の発酵臭、裸電球の下で季節労働者の農民と一緒にワイワイ食べる夜食。

「素朴な美味しさ」というものが確かにあり、それを可能にする豊かな技術があります。

ここでの毎日はすべてが夢のように豊かな生活でした。
もっとも、こういう生活が合わない人ももちろんいるわけで、げんなりしてしまう人も中にはいました。

ありきたりの素材を
美味しい料理にする技術やノウハウ。
それが「文化」であり「豊かさ」なんだ

これら2つの経験を通じて、「本当の豊かさ」というものに気づかされました。
ランク付きの牛肉やブランド野菜などではない普通の食材だけでも、技術によって十分美味しくすることができる。素材の豪華さや見た目の絢爛さではなく、その技術体系こそが大事だということです。美味しく食べる技術やノウハウがあれば、ありきたりな素朴なものがとても特別なものになる。それが「文化」であり、「本当の豊かさ」だと思うのです。

その視点で我が家の食文化を振り返ると、“一汁三菜”に象徴される「和食のフォーマット」があることに気づきます。“一汁三菜”は日本古来の伝統的な食文化ですが、現代の生活の中にもしっかり定着しています。たとえば定食屋さんの食事はだいたいが一汁三菜です。
「一汁」は味噌汁だけをイメージしがちですが、本来の意味では、ごはんと漬物があることが前提です。漬物はそれ自体を味わうだけでなく、口中を清めさっぱりさせることで、おかずをよりおいしく食べさせる効果もあります。この「一汁」にメインのおかずが一品あれば一汁一菜。さらにちょっとした常備菜や新鮮な野菜を加えれば一汁三菜のでき上がりです。

ごはん、味噌汁、漬け物、という「和食のフォーマット」と組み合わせると、おかずがオムレツやハンバーグ、ステーキなどの洋食でも、不思議と「和食」のようになってしまいます。おかずが餃子や麻婆豆腐、タンドリーチキンに変わっても同じ。あきらかに和じゃない食べ物も、和食化できてしまうんです。
でも、逆を想定しようとするとなかなか難しい。フランス人が朝食にクロワッサンとカフェオレとメザシを食べているって…イメージできませんよね(笑)。でも、ご飯、味噌汁、漬物、ハムエッグだったら結構嬉しい「朝定食」じゃないですか?(笑)

朝食

上澤佑基

ごはんがすごいとかパンがよくないとか、そういうことではないんです。精進料理じゃなきゃいけないとか、伝統のお膳じゃなきゃいけないとか、古いものがいいという話でもありません。
和食のおもしろさは、どんなおかずでも美味しく食べるためのフォーマットにあり、さらに「口内調理」によって自分でおいしく仕上げられる繊細さです。
口内調理とは、口の中でごはんやおかずを一緒に咀嚼して、自分で味わいを完成させる和食独自の最終調理プロセスです。味が濃いものはごはんを加えて薄め、脂っこいものは味噌汁でさっぱりさせるなど、自分で味を調整しながら好みのバランスで食べることができます。だから、たとえ一品一品が豪華でなくても、豊かな味わいを得ることができるのです。

世界各国のさまざまな料理が、ごはんと味噌汁と漬物がついた瞬間に「和食」になる。そして自分の好みの味に自分で調節して食べられる。このしなやかさ、寛容さ、フレキシブルさこそが、和食の、日本の食卓のおもしろさであり強みです。
※一汁三菜の詳細については下記コラムを参照ください。

一汁三菜コラム

「和食のフォーマット」は、
どんな料理をも受け入れる
日々のしごとを楽にする

「和食のフォーマット」ならばどんなおかずも合い、満足感もしっかり得られるから、おかずを無理して作らなくても、あるものを組み合わせれば大丈夫です。それを分かってキッチンに立つと、複雑な献立を考える必要がなくなり、日々の料理が実質的にも精神的にも楽になります。だから長く続けられる。毎日の食卓に取り入れられるんです。

ごはんと味噌汁と漬物の組み合わせは質素かもしれない。しかし、だからこそ「真っ当」で、それゆえに「豊か」な技術です。
贅沢に頼るのではなく、和食の文化に込められた技術やノウハウで美味しさを深める。買い物や献立づくりに追われることなく、手軽に「豊かな食事」を手に入れることができる。それを上澤梅太郎商店が提案することで、多くの食卓がより豊かに、楽しくなればと思っています。

ごはんと味噌汁と漬物の組み合わせ、つまり「和食のフォーマット」は、どんなおかずも受け容れる寛容さを持っています。その寛容さに少しよりかかってみてはいかがでしょうか。たとえ残り物でも、ありきたりなメニューでも、そこには豊かな食卓を見出すことができるはずです。

朝食

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