2026.10.4(日) タイ日記(11日目)
長い夢のふたつ目を見ている最中に枕頭のiPhoneが6時のアラームを発する。夜中に目を覚ましたときに、朝の寝過ごしを心配して設定しておいたものだ。
既にして完成していた一昨日の日記は6時10分に、公開の命令をClaude Codeに発する。もちろん、公開されたそれを読めば直したいところは多々あったから、それらを修正する命令も、追って発する。
Claude Codeは日々、頭が良くなって、僕の発した命令に誤りがあるときには、それを訂正することまでしてくれる。よって今日の作業がすべて終わったときには
「有難うございます。また明日、よろしくお願いいたします。」
とねぎらいの言葉を打ち込んだ。すると
「こちらこそ、有難うございました。また明日、よろしくお願いいたします。バンコクへの移動、どうぞお気をつけて。」
と出たから、いささか薄気味の悪い気持ちが湧いた。僕がこれからバンコクへ移動しようとしていることを、なぜAIは知っているのだろう。
07:10 荷造りを完了。
08:05 朝食を完了。
3階から屋上へ上る階段には、毎朝、リネン類の入っているらしい大きく白い袋の脇に、男が座っている。今朝、そこにいたのは、初日にスーツケースを部屋まで運んでくれたり、あるいはロビーで日記を書く僕の背後で扇風機の電源を入れてくれたりしたオニーチャンだった。よって「荷物、ふたつね」と声をかけ、部屋まで入れて、スーツケースとバックパックを手渡す。
ロビーに降りて、やはり初日にフロント係を務めていた女の子にカードキーを返す。既にしてタクシーが待っていることを、女の子は教えてくれた。オニーチャンはそのまま外へ出て、ふたつの荷物を「広州汽車集団」の電気自動車AIONのトランクルームに納めてくれた。オニーチャンには40バーツのチップ。
08:23 タクシーがホテルの敷地から目抜き通りに出る。
08:40 時には時速100キロメートルを超える速度で飛ばしたタクシーが空港に横付けをされる。運賃は250バーツ。トランクルームからスーツケースとバックパックを降ろしてくれた運転手には50バーツのチップ。
08:43 タイ航空のカウンターでチェックインを完了。
08:44 そのカウンターに向かって左側にあるX線のベルトコンベアにスーツケースを自分で載せて荷物預けを完了。
09:05 制限区域内に入る。
09:08 保安検査場を通過。
僕の乗るTG131の出発時刻は10時10分にも拘わらず、搭乗券には”BOARDING TIME 10:50”の印字があって、訝しく感じていた。ところが待合室の電光掲示場を見てみれば、当該の便は10:10発から11:20発に遅延の案内が出ていたから、納得をする。
10:35 TG131の遅延が11:20から更に12:05になったことを、これまた電光掲示板で知る。それでなくても空港には時間に充分の余裕を見て来ている。それが定刻の2時間遅れとは、馬鹿馬鹿しい限りだ。
11:45 ロイヤルシルククラスから搭乗が開始をされる。搭乗ブリッジまでの廊下の窓に貼られた遮光シールが恨めしくなるような好天である。
11:58 最後尾右窓際である54Kの席に着く。
12:04 プルバックが始まる。
12:12 Airbus A320-200(32X/3205)を機材とするTG131は、定刻に2時間2分遅れてメーファールアン・チェンライ空港を離陸。山腹の白い大仏と川沿いのホテル「ザ・リバリーカタタニ」は、機窓からすぐに見つけることができる。今日は更に、中心部の家並みの中にワットチェットヨットも探すことができた。
13:15 TG131は、定刻に1時間35分おくれてスワンナプーム国際空港に着陸。
13:30 機外に出てバスに乗る。
僕がウドンタニーで呑気にしていたころ、バンコクには大雨が降り続いて、洪水が起きた。その混乱により空港作業員の多くが出勤を阻まれ、飛行機が到着をしても、積まれていた荷物はいつまでも出てこない、という事故が発生した。僕が見たウェブニュースには、乗客に怒鳴られ、詰め寄られて、泣き出したタイ航空のグランドスタッフの画像があった。ところがバンコク在住の同級生コモトリケー君からのLINEによれば、荷物の運搬に支障を来したのはタイ航空のみで、そのCEOはとうに更迭をされたとのことだった。
13:46 回転台から早々と荷物が出てくる。つまりバンコクの混乱はすべて、僕が東北部にいたときに起きて、最北部にいるあいだに収束をしたのだ。
13:53 到着階の2階から地下1階に降りて、エアポートレイルリンクの改札を通る。切符売り場には長蛇の列がある。一方、エアポートレイルリンクは、タッチ式のVISAカードで乗り降りができる。VISAタッチは、それほどまでに普及が遅れているのだろうか。
14:04 エアポートレイルリンクの車両が空港駅を発車。
14:10 ラートクラバンの手前で、サッカーグラウンドが水びたしになっている。
14:15 バンタップチャンの手前から雨が降りはじめ、やがて雷雨に変わる。あたりはにわかに暗くなり、高速道路を往くクルマはおしなべて、ヘッドライトを点灯させている。
14:31 マッカサン着。駅の鉄傘を打つ雨の音は、耳を聾せんばかりだ。屋根があるにも拘わらず、雨が霧のようにしてプラットフォームに降り注ぐ。そのベンチにスーツケースを開いて傘を取り出す。上半身にはウインドブレーカーを羽織る。
14:45 傘を差してホテルに着。ARLのマッカサンの駅からMRTのペチャブリーの駅までは、スカイウォークを歩き、エスカレータを降りれば到達できる。その地下鉄の駅には1番口から入り、3番口から地上に出る。あとはほとんど建物の軒先を、雨を避けながらホテルまで来ることができた。4階の部屋は、僕にはまったく不足のないものだった。
部屋では傘を開いて床に置き、荷を解き、貴重品は金庫に入れる。そうして気を整えてから身支度をする。財布には、今朝までの5倍ほどの紙幣を入れる。コモトリ君とはサトーンの桟橋から16時10分に出る舟に、共に乗る約束になっている。
15:33 ホテルを出る。MRTペチャブリーのプラットフォームに降りると、シーロム方面への車両は正に、いま扉が閉まったところだった。バンコクの地下鉄MRTや高架鉄道BTSの、特に日中の運転間隔は開いている。ひとつを乗り過ごせば、次はなかなか来ない。
MRTの車両がペチャブリーからシーロムに着くプラットフォームは、地下の深いところにある。気が急いているから少し離れたところにあるエスカレータには目もくれず、階段を駆け上がって地上に出る。地上からスカイウォークへは幸い、エスカレータがあった。早足で歩いてBTSサラデーンの改札を抜ける。しかし車両はここでもなかなか来ない。
16:13 BTSの車両がサパーンタクシンに着く。サトーンの桟橋までは、走れば1分くらいのものだけれど、舟の時間は既にして過ぎている。コモトリ君の住むコンドミニアムの舟は諦めて、アイコンサイアムの舟の切符を買う。運賃は12バーツ。
16:29 定刻は16時30分と思われる舟が桟橋を離れる。
16:34 その舟がアイコンサイアムの桟橋に着く。洪水から何日も経ったせいか、川面は2011年秋のそれほどには高くない。
アイコンサイアムの特に”Sook Siam”は、百貨店の遊園地だ。コモトリ君とは4階の美術展の会場で、無事に会うことができた。
彼が予約をしておいてくれた料理屋は、アイコンサイアムからほど近い、旧い集合住宅にあった。旧いとはいえしかし、靴を脱いで上がったそこは、天井の高い1階と2階をメゾネット式に使っていて、まるで個人の邸宅に招かれたような錯覚を覚えた。
我々の注文が海老に偏りすぎたきらいはあったものの、タイの南方を思わせる料理は、おしなべて美味かった。それにしても、僕の動作は万事、日本風らしく、コモトリ君には「もっとゆっくり食えよ」と注意をされた。おなじことを僕は、タイ人にも言われるのだ。
食後、チャロンナコン通りで声をかけたトゥクトゥクの運転手は、コモトリ君のコンドミニアムまでの運賃を200バーツと告げた。「話にならねぇ」とばかりにその場を離れようとすると、運転手は「待て待て」と我々を呼び止め、料金はいきなり半額まで落ちた。
19:00 コモトリ君のコンドミニアムの浮き桟橋を離れた舟が、チャオプラヤ川を下っていく。
19:15 その舟がサトーンの、これまた浮き桟橋に着く。浮き桟橋を「ポンツーン」と呼ぶとは、石原慎太郎の小説で知ったことだ。
20:02 サパーンタクシンからサラデーン、サラデーンからペチャブリーと、BTSとMRTを乗り継いで、無事にホテルに着く。
シャワーを浴びたら新三共胃腸薬3錠を服用する。そして即、寝台に上がる。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三
昼飯 TG131の機内スナック、コーヒー
晩飯 “Son Charoen Nakon”の其の一、其のニ、其の三、其の四、ジャスミンライス、Signus Sauvignon Blanc Central Valley Chile 2024













