2019年7月の日記31本
2019.7.31(水) ふと気がついて
朝、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への納品を済ませて会社へ戻りつつ、店の正面右手の季節の書が「萬緑」であることにあらためて気づく。「萬緑」は稲畑汀子編の「ホトトギス季寄せ」によれば夏6月の季語ではあるけれど、いつまで梅雨が上がらないため、そのままにしておいた経緯があった。
ホンダフィットを降りて即、2階の倉庫へと向かう。そして保管してある中から「氷水」の書を取り出し、事務室に降りる。「氷水」は夏7月の季語だから、暦に照らせば今から出すには遅すぎる。しかし昨年よりひと月も梅雨明けが遅れたことを考えれば、それも許されようというものだ。
さて書をかけ替えたなら、次は風鈴だ。ひとつでは風向きにより鳴らないこともあるので、ウチは犬走りを支える6本の小屋梁のうちの5本にそれぞれひとつずつ、計5つの風鈴を提げる。それらは折からの微風を受けて、いきなり賑やかに鳴り始めた。
今月の上旬までは、焼酎はお湯で割っていた。しかしこのところはソーダで割ることが多い。夜は夏の野菜などを肴にして、その焼酎のソーダ割りを飲む。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、鮭の焼き漬け、切り昆布の炒り煮、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波と甘唐辛子の味噌汁
昼飯 冷やし和え麺
晩飯 モロヘイヤのたたき、胡瓜と青大豆とうずら豆の浅漬け、天ぷらの盛り合わせ其の一、天ぷらの盛り合わせ其の二、鯛飯、みょうがのたまり漬、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)
2019.7.30(火) ことしのお盆
むかしは「風邪」とひとくくりにされていたものが、実は様々な病気の総称だったことを、このところは知るようになった。ここ数日、社員の子供たちが相次いで罹っているのはヘルパンギーナという、幼児に特有の夏風邪だという。高熱を発している子供たちには、1日もはやく元気になって欲しい。
看病にともなう欠勤により人手の足りなくなった部署は、残った者が補い合って、どうにかやり繰りをする日々が続いている。夏のギフトは最盛期を過ぎたものの、今日はなぜか注文の電話が多い。製造現場には、包装用の大型機械が納品設置をされた。各々の現場は次の山をお盆と見定めて、あれこれの準備に余念がない。
今年のお盆休みは、長いところでは8月10日から18日までの9連休になるだろう。ほぼ2ヶ月におよぶ長梅雨にじれた人たちは、これまでの欲求不満を一気に解消すべく、海山に繰り出すことが予想をされる。夏の好きな僕はせいぜい張りきって、その繁忙に向き合っていきたい。
朝飯 胡瓜と青大豆とうずら豆の浅漬け、牛蒡と人参のきんぴら、切り昆布の炒り煮、鮭の焼き漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、明太子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、大根の味噌汁
昼飯 茗荷と「みょうがのたまり漬」と甘唐辛子の冷やし和え麺
晩飯 冷やしトマ、枝豆、蓮根のきんぴら、厚焼き玉子、冷や奴、ズッキーニの味噌汁、豚の冷やししゃぶしゃぶ、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)
2019.7.29(月) これで梅雨明け
「時刻は17時50分。閉店の準備にかかるべく席を立とうとしているところに、いきなり大きな雷鳴が轟く。それと同時に雨の音も聞こえてきた。」とは、先月5日の日記に書いたことだ。思い返せば、この瞬間こそ、長い梅雨の始まりだった。
昼を過ぎたころから激しく雨が降ってくる。その雨は、強くなったり、あるいは止みかけたりしながら、しかしいつまでも収まらない。17時にいたるころ、事務机に座る僕の視界に、天から地に向けて、太く、ほぼ一直線に雷光が走った。直後に鼓膜を圧するような雷鳴が響き渡る。雷が落ちたのは、そう遠くないところに違いない。その掉尾の一閃を以て、昼すぎから断続した雨はきれいに上がった。
きのうは東海地方に梅雨上げ宣言が出された。今朝は関東地方に梅雨明け宣言が出された。関東地方の梅雨明けは今朝だったかもしれないけれど、栃木県日光市の梅雨明けは、正に、先ほどの落雷の瞬間だったと思う。
これでようやく、日光の畑のらっきょうも収穫できるだろう。塩と酢だけで漬けたらっきょう「夏太郎」の蔵出しは、今年は8月の下旬、遅ければ9月にずれ込むかも知れない。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜と青大豆とうずら豆の浅漬け、切り昆布の炒り煮、人参と牛蒡のきんぴら、明太子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 マカロニサラダ、トマトとキウィのサラダ、蛤の茶碗蒸し、春巻き、SMIRNOFF VODKA(ソーダ割り)
2019.7.28(日) 下手な理由
窓のシェードの角度を変えて、外の様子を覗って、拍子抜けをした。道は濡れているものの、停めたクルマに荷物を積もうとしている人は、傘を差していない。台風は一体全体、どのあたりにいるのだろう。
9時すこし過ぎに外苑東通りに面した「薬樹」の青山オフィスに入る。そして9時30分よりMGの2日目が、ニシジュンイチロー先生の講義により始まる。参加者の各自が自分の会社を持ち、2日間で盤上に5期分の経営を展開するMGの、きのうの第3期には、僕は墜ちるところまで墜ちた。
この期に僕が費消した固定費367円は、42名中もっとも高い売上げを記録したヤマモトジョージさんの372円に次いで2番目の高さだ。それに比して計上した利益はマイナス145円と、42名中の最低だった。第1期初に300円あった自己資本は、第3期末には109円にまで急落をした。
スキップのできない人を「なぜこれほど簡単なことができないのか」と叱りつけても、できないものはできない。吃音の人を「なぜ他の人とおなじように話せないのか」と責め立てても、できないものはできない。四半世紀以上の経験を重ねつつ、いまだ初心者にさえ劣る僕のMG下手も、あるいはそのたぐいなのかも知れない。
さて迎えた第4期。6名で囲んだ卓の、正面に位置するゴトーテッペイさんは強敵に思われたが、性格が優しいのか、あるいは今朝4時まで飲んでいたという酒の後遺症なのか、当方の入札に対して鋭く切り込んでくることはしない。おなじ市場を形成する他の人たちにも、僕の会社と競合するところは少ない。僕はこの期でようやく55円の経常利益を上げた。
第5期には手痛い誤りを入札時に犯して75円の荒利をドブに捨てる。その代わり最後の最後で35円の荒利を取り戻す。期末には更に利益を伸ばし、必ずしもその必要はないものの、長期借入金もすべて返済した。しかしようよう到達した自己資本は206円。振り出しに戻すには、ここから更に2期の経営が必要だろう。
ところで本日の決算はみなおしなべて早く、表彰式から最後の講義を経て感想文の提出を済ませても、時刻はいまだ16時になりかかろうとするところだった。乃木坂から北千住までは千代田線で1本。ここで軽く飲酒活動をし、21時前に帰宅をする。
朝飯 「なか卯」の朝そば温たまセット、つけもの
昼飯 「崎陽軒」の幕の内弁当
晩飯 「つみき」のあれや、これや、それや、チューハイ、それを濃くするためのナカ
2019.7.27(土) 乃木坂あたり
三分坂を右手に見ながら赤坂通りを南西に下る。「下る」とはいえ道は徐々に上っている。やがて乃木坂に至る。このあたりは根岸の寛永寺陸橋の周辺と並んで、東京では僕のもっとも好きな場所だ。坂や橋は、まるでプリズムのように、こちら側とあちら側の空間を一変させる、その不思議さが面白い。
乃木神社の脇の階段から普段は夜にしか歩くことのない外苑東通りに上がって北を目指す。乃木希典の居宅に差しかかると、これまでは閉じていることの常だった門が開いている。庭も含めてその一角は、元勲や貴顕の家にくらべていかにも質素だ。門から玄関先にいたるごく狭い庭の砂利をきれいにならしている園丁のおじさんに挨拶をして、更に奥へと進む。
崖地の高低差を活かして建てられた和仏折衷のその建物に沿って、見学者用の廊下が渡されている。乃木と婦人の自刃した部屋は、南西に面した八畳間だった。そのとき乃木の着ていた軍服は、今はどこに仕舞われているのだろう。
調剤薬局を中心として、健康に関しての様々な分野に業務を広げている「薬樹」の青山オフィスにて、この会社の第10回目のMGに参加をする。42名の参加者中21名は社員の方々で、その中に混じって僕も勉強をさせていただく。
初更、乃木坂陸橋から、朝に昇った階段を下ってゆるい坂を東へ向かって歩く。台風はとうに、列島に上陸しているものと思われる。傘は持参しているものの、雨はいまだ落ちてこない。
朝飯 「上島珈琲店」のAセット
昼飯 「日本橋とよだ」の弁当
晩飯 薬樹MGに博多から参加のカワイキブンさん手作りによる焼き餃子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、他あれこれ、Tussock Jumper Cabernet Sauvignon 2017(ソーダ割り)
2019.7.26(金) 食卓の情景
朝日こそ拝めなかったものの、気温は徐々に上がり、店を開けるころには日が差しはじめた。太平洋上から台風が近づきつつあるとはいえ、週明け以降は照る日が続くだろう。午前の早い時間に如来寺のお墓へ自転車を乗り入れる。そして妹の祥月命日である今月13日に供えた花を片づけ、花立てや線香立ての周辺を水とたわしで洗う。
さて今日の午後から週末は東京で過ごす。台風はどれほどの雨を降らせるだろう。トリッペンの革靴には充分に油を効かせてあるものの、今年の5月21日には品川区で強雨に遭遇し、すこし湿り気を帯びることになった。「オレにも雨靴が必要なのではないか」と考え、しかし喉元を過ぎれば熱さも忘れる、雨靴はいまだ手に入れていない。
明日あさっての東京では、また雨靴が欲しくなるだろうか。iPhoneで東京中心部の天気を調べると、土曜日の降雨量は僅々1ミリ、そして日曜日は曇りと出ている。であれば、雨靴は要らない。モノはできるだけ持ちたくないのだ。
夕刻に次男と待ち合わせて、ガラスの銚子で3本ほども冷や酒を飲む。
朝飯 山芋のすり下ろし、なめこのたまり炊、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、明太子、メシ、舞茸とオクラの味噌汁
昼飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛肉のしぐれ煮、明太子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」によるお茶漬け
晩飯 「鮨よしき」のあれや、これや、それや、「白瀑酒造」の純米吟醸Yamamoto Midnight Blue(冷や)
2019.7.25(木) 持ち運びできるのはいつまで
2011年8月4日から使い続けた旧Let’s noteと、先月29日に乗り換えた新Let’s noteとのすり合わせは、きのうのベクトルエイチ行きにより完了した。この日記のための画像加工ソフトは、使い慣れたOLYMPUSのそれからgimpに変わった。以前にくらべて機能の上がったところもあるものの、頭より手の方が先に動く、というところまではいまだ至っていない。まぁ、当たり前のことだ。
あるとき、僕より4つほど年配と思われる人が「人生最後のクルマとしてポルシェを買うことにしました」と語った。人生最後のクルマがポルシェなら、モデルは911が順当との僕の常識に反して、その人が注文したのはカイエンとのことだった。まぁ、カイエンなら鍋釜から布団まで積めるから、便利といえば便利だ。
さて、2019年6月29日に使い始めたLet’s note CF-SVは、一体全体、これからどれほど保つだろう。不慮の事故に遭ったり、あるいは思いもかけない難病、奇病に罹らないかぎり、これが僕にとって人生最後のコンピュータになることはないだろう。そして次のコンピュータも、僕は持ち運びのできる型を選ぶことができるだろうか。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップかけないでね特注)
晩飯 トマトとレタスとモッツァレラチーズのサラダ、茄子とズッキーニと合い挽き肉のスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、西瓜
2019.7.24(水) 新旧の摺り合わせ
下今市10:05発の上り特急スペーシアの車内で本を読んでいるところに家内から電話が入る。新宿でひとつ仕事をしてきて欲しいという。本日の僕の行き先を知っていて「恵比寿から新宿は遠くないでしょ」とのことだが、僕はあれこれの時間の配分を、可能な限り稠密に組む癖がある。「今日が無理だったら金曜日に行くよ」と答えて通話を終える。
恵比寿のベクトルエイチでは、コンピュータを新しくしたことによる、メールの送受信ソフトの動作環境の復旧、また先月まで使っていた画像加工ソフトに替わるアプリケーションのダウンロードおよびその使用説明を受ける。他にも細々としたすり合わせはあったものの、それらは予想したよりかなり早くに完了し、お陰で新宿まで出向く時間も捻出できた。
仕事が済んだら床屋にかかろうと考えていたものの、今日は無理だ。22時前に着いた下今市駅前には、霧雨よりも弱い雨が街灯を霞ませていた。パタゴニアの、丸めればメロンパンより小さくなるウインドブレーカーは、この時期の必需品である。帰宅して家内に聞いたところによれば、雨はつい先ほどまでは、かなり強く降っていたらしい。
朝飯 納豆、鶏のそぼろをのせた煮奴、ほうれん草のおひたしを添えた鮭の焼き漬け、牛肉のしぐれ煮、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「維心」の2種のおむすび
晩飯 「天七分店」のセロリの浅漬け、塩らっきょう、串カツあれや、これや、チューハイ、トマトハイ、それらを濃くするための「ナカ」
2019.7.23(火) 梅雨はいまだ明けず
「あなたはガンです」と、スマートフォンに告知される夢を見て目を覚ます。ちかい将来には「あなたの余命は3ヶ月です」というようなことまでスマートフォンが教えてくれる世の中になるのではないか。「無機質金属的な声でそんなことを知らされるのはイヤだから、スマートフォンの音声はすべて大原麗子のそれに変えよう」などということなら、今の今にもできそうな気がする。闇の中に手探りしたiPhoneに触れると、時刻は2時56分だった。
今日は珍しく早朝の仕事が無い。よって仏壇に花と水とお茶を供えて以降はコンピュータを開き、きのう整えておいたおとといの日記をサーバーに上げる。しかして後にきのうの日記を書き、更に今日の日記のここまでを書く。
「深夜1時30分から2時30分くらいまでの時間が大好きだ」と言った人がいる。僕はその2時30分から5時くらいまでの時間が大好きだ。その2時間30分には、空の高いところを飛ぶ飛行機に閉じ込められて、誰にも邪魔されずにいる時とおなじ安らかさがあるからだ。
日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会から21時ちかくに戻る。先ほどまでの雨がいきなり強くなる。雷は弱く唸ってる。梅雨が明けるには、一段と威勢の良い雷鳴が必要と思う。
朝飯 塩鮭、納豆、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、牛肉のしぐれ煮、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐と舞茸と万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華(1.5玉)
晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ、盛り蕎麦、5種の日本酒(冷や)
2019.7.22(月) 簡便な行い
14歳か15歳のころ、宇都宮の豪農を訪ねた。先ずはその、堀に囲まれた屋敷の豪壮さに驚いた。座敷に上がってお茶を出されたときには、そのお茶の温度の低さに驚かされた。年端が行かなくても「なるほど本当の煎茶ってのは熱くないものなんだな」と得心をした。
煎茶には摂氏60度のお湯を用い、茶葉とそのお湯を急須の中に留める時間は90秒と、どこかで教えられた気がする。そしてこれを実行してみると、沸騰したお湯を60度まで冷ますには結構な手間と時間のかかることが分かる。
先日までは夜の仕事が多かった。しかしこのところはその仕事が夜から早朝に移った。起きてティファールの電気ポットでお湯を沸かし、それを仏壇用と僕用の、2客の湯飲みに満たす。その湯飲みが湯の温度を奪って手に持てないほど熱くなったところを見計らって、別の2客の器にお湯を移す。そしてそれをそのままにして製造現場へ降り、作業の準備のみして4階の食堂に戻る。器の湯にタニタの温度計を差し込むと、いまだ温度は70度までしか下がっていない。事ほど左様に、お茶を淹れるとは時間のかかることなのだ。
もっとも昔の人は、お茶を淹れようとすれば先ずは井戸の水を汲み、炭を熾すところから始めたわけで、それを考えれば、僕のしていることなどはそれこそとんでもなく簡便な行いに違いない。
朝飯 獅子唐の炒りつけ、納豆、巻湯波の淡味炊き、牛肉のしぐれ煮、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、若布と油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 茄子の油炒めとみょうがのたまり漬の汁で食べる黒胡麻素麺
晩飯 トマトとレタスとベビーリーフのサラダ、ジャガイモと人参のホカホカ焼きとブロッコリーのソテーと今月13日に仕込んだソースを添えたビーフステーキ、Almaviva 1997、桃、チョコレート、Old Parr(生)
2019.7.21(日) 思いどおりの日本語入力その後
今月17日の日記を目にしたらしいシバタサトシさんがおととい来て、新しいLet’s noteに入れた文字変換ソフトgoogle IMEを、それ以前のATOKに戻してくれた。戻すに当たっては、最新のATOKを22,680円で買う必要があった。きのう、そのATOKを使って18日の日記を書きながら、必要に迫られて1990年代のはじめから使っているデータベースソフトMyToolを開こうとすると、最初からグレーアウトした画面が開きかけて、数秒で消える。いくら繰り返しても、その不思議な状況は変わらない。
それをメッセンジャーで知らせると、シバタさんは数時間後の、きのう10時にふたたび来てくれた。シバタさんの、腰の軽いところは大いに有り難い。シバタさんは僕のLet’s noteを調べながら「そうだ」と、僕を振り向いた。同時に僕も「そうだった」と気づいた。以前にもMyToolはATOKの干渉を受けて、それをシバタさんが何とかやっつけた経緯があったのだ。そして今回の現象は、オペレーティングシステムが最新のものになったことにより、その干渉の具合が更にひどくなったことが分かった。
諦めの早い僕は、最新のATOKに支払った22,680円をドブに捨て、難物のgoogle IMEを我慢しながら使っていくこともやむなしと考えた。そしてそれをシバタさんに伝えた。しかしシバタさんは今回のことをATOKのサポートセンターに伝えてから、またLet’s noteに向き合った。そしてどういう手を使ったかは窺い知れないけれど、とにかくMyToolへの、ATOKの干渉を取り除いてくれた。
そういう次第にて、今朝はまた、文章を書くにおいてはとても快適な環境がLet’s noteに戻った。残るはメールの送受信ソフトBeckyの動作環境の復旧、および以前のLet’s noteで使っていた画像加工ソフトに替わるアプリケーションの導入で、これらについてはやはり外注SEのヒラダテマサヤさんを頼ることになるだろう。
朝飯 獅子唐の炒りつけ、巻湯波の淡味炊き、牛肉のしぐれ煮、納豆、切り昆布の炒り煮、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、油揚げと玉葱の味噌汁
昼飯 “Panification U”のバゲット、紅茶
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、白のスパークリングワイン、ブルゴーニュの2番目に安い赤ワイン、コーヒー
2019.7.20(土) 茉莉花のように白い米
今となってはいつのことか覚えていない、とにかくバンコクでカオホンマリ、つまりジャスミンライスを買った。買って家に持ち帰ったはいいけれど、手をつけないまま幾年もの時が経った。このまま台所の棚に保管をしても、いつまでも使われないだろう、そう考えて、いつのことだったかこれを長男に譲った。
それを今日は長男が分厚い片手鍋で炊いた。東南アジアで多く用いられている、水の分量を量らず取りあえずは煮て、重湯を切った後に追い炊きする方法ではなく、日本式に炊いた。そうして炊いた米に、これまた長男の作ったおかずを載せて食べる。おかずはタイ式に汁の多い、いわゆる「ゲーン」ではなく中華風のものだったから、僕はそこにスープも加えた。
タイではごはんもおかずも左手にフォーク、右手にスプーンを、それぞれ軽く握って食べる。粘り気のない米に汁気の多いおかずをかければ、これはフォークでも食べるのはむずかしい。それゆえのスプーンである。中国人はおなじく粘り気のない米を、左利きを除いては左手に茶碗を持ち、右手には箸を握り、両肘を左右に張り出しつつそれらを口元に近づけ、かきこむようにして食べる。今夜の僕は、その中国式に倣ってごはんを食べた。いと美味し。
バンコクで米を買ったころ、僕はスーツケースにはゼロハリバートンの大きなものを用いていた。しかし2014年からは、リモワの機内持込用を使っている。僕がタイから米を持ち帰ることは、もう無いかも知れない。
朝飯 切り昆布の炒り煮、鮭のバター焼き、納豆、冷や奴の「みょうがのたまり漬」のせ、巻湯波の淡味炊き、胡瓜のぬか漬け、メシ、豆腐と若布と茗荷の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 たたき胡瓜のにんにく和え、蒸した茄子の胡麻和え、烏賊とセロリと塩漬け唐辛子の炒め、茹でた小松菜を添えた滷肉、ジャスミンライス、大根と人参のスープ、SMIRNOFF VODKA(ソーダ割り)
2019.7.19(金) ひとつひとつバグをつぶしていく
叉焼は肩ロースで作ったものが美味い。豚のステーキや豚のコンフィも、肩ロースで作ったものが美味い。なぜ美味いか、それは筋肉と脂肪が複雑に入り組んでいるから美味い。
背骨と右肩甲骨のあいだに痛みを覚えたのは昨年10月下旬のことだ。以降は鍼、低周波、しまいには「手かざし」に至る計9回の治療を受けたものの、それらが効いている実感はまったく得られず、12月25日に至ってついに外科に駆け込んだ。その外科では生まれて初めてのブロック注射を打たれた。しかしそれが効いているのはせいぜい20時間くらいのもので、別途、鎮痛剤の、日に2度の服用が欠かせなかった。
我慢できない痛みが一時的にせよ消えるのは有り難い。しかし劇的に効く鎮痛剤をいつまで飲み続けるのも不気味だ。そんなときにfacebook上の宣伝ではない、実際の経験者の書き込みから、宇都宮にあるカイロプラクティックの整体院を知った。書き込みをした人に親切に教えていただいた、その整体院に通い始めたのは今年の1月11日。1週間に2度の通院を3ヶ月ほど続けて、背中の痛みは綺麗さっぱり消えた。
しかし僕のからだには他にも問題があった。左腕を上げると感じる痛み、および2013年にネパールの低山シヴァプリに登った直後から感じ始めた右膝の違和感である。整体院の先生は初回の診察で「右膝がぶっ壊れかけてる」と、触りもせず見ただけで言った。しかしそのとき優先すべきは何より背中だった。
背中の痛みがようやく癒えた現在も、そのカイロプラクティックには2週間に1度の割で通っている。後回しにした、肩と膝を治すためだ。肩には筋肉が複雑に入り組んでいる。だからこの部分の治療は、プログラマーがバグをひとつひとつ潰していくことに似て、一気には進まないというのが先生の意見だ。美味い部分は面倒な部分でもあるらしい。
間寛平や志村けんによる老人の物まねの特徴は、関節を固定してギクシャクと動くところにある。逆から言えば、関節を思い通りに曲げられないのが老人、ということになる。老いてからだの効かなくなることはできるだけ避けたい。左肩と右膝の治療は気長に続けていこうと考えている。
朝飯 ほうれん草のおひたしをのせた玉子の雑炊、塩鮭、なめこのたまり炊、みょうがのたまり漬、牛肉のしぐれ煮、胡瓜のぬか漬け
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわのおむすび、それに付け合わせの筑前煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
晩飯 人参と玉葱とベーコンのスープ、ラタトゥイユ、蒸し焼きにしたジャガイモとソテーしたズッキーニの”neufrank”のコンビーフのせ、”Panification U”の2種のパン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、メロン
2019.7.18(木) マッチ擦る
霧が深い。このような朝はいつも「マッチ擦る…」の、寺山修司の短歌を思い出す。
1975年の、多分3月だったと思う、池袋の文芸地下で「田園に死す」を観ていて、同級生との待ち合わせに遅れた。それからの4年間に、僕は数百本の映画を観た。そのうち海外の映画は覚えている限り3本のみ、あとはすべて日本の映画だった。いま、映画はほとんど観ない。子供のころから動く絵よりも紙に印刷をされた、つまり動かない絵や活字の方が好きだった。その理由はわからない。
長梅雨、だから梅雨寒。そういう日々の中で、きのうは久しぶりに暑くなった。そして今日も、きのうほどではないものの、気温は低くない。昼食には2日つづけて冷たい麺を食べた。
コンピュータの日程管理を見ていくと、その6月20日のところに遠く離れた製麺所の名があって「生冷や麦注文」と添えてある。その日付からひと月ちかくが経つ現在、しかしいまだ生冷や麦を食べる気分にはならない。「関東の梅雨明けは7月の下旬」と伝えつつ、予報は来週もまた、雨続きである。
朝飯 納豆、飛龍頭とほうれん草の淡味炊き、ベーコンのソテーを添えたスクランブルドエッグ、切り昆布の炒め煮、牛肉の時雨煮、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、しめじと三つ葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華(1.5玉)
晩飯 巻き湯葉とほうれん草の淡味炊き、煮奴の「なめこのたまり炊」のせ、鮭のしめじバターソース、胡瓜のぬか漬け、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)、「久埜」の麩まんじゅう
2019.7.17(水) 思いどおりの日本語入力
1995年10月16日から計9台を乗り換え使い続けたThinkPadには、資本がIBMからLenovoに移って以降、その質感の低下に我慢ができなくなって見切りをつけた。そして2011年8月4日に愛機をLet’s Noteに変えた。Thinkpadから離れ難かったのは、キーボードの真ん中にあるトラックポイントが使いやすかったからだ。しかしLet’s Noteのマウスはパッドである。不安がる僕に周囲は「1週間で慣れる」と言った。そしていざLet’s Noteを使い始めると、パッドには3日で慣れた。
そのときのLet’s Noteは、8年後の現在も使える状態にあった。しかし部品の供給が既に途絶えていることを、秋葉原の修理センターに知らされた。であれば、このあたりが潮時と考えて、新しいLet’s Noteを注文し、設定は外注SEのシバタサトシさんに頼んだ。
コンピュータを新調するに際しては、旧の内容がすべておなじ形で新に引き継がれれば、これほど楽なことはない。しかし10年も経れば、いろいろと変わってくることもある。ワードプロセッサーを、これまでのATOKからgoogle IMEに換えることをシバタさんは提案した。不安がる僕に長男は「1週間で慣れる」と言った。僕は10年ちかく前の経験を思い出して、その案を受け入れた。しかしこちらについては、3週間を経てもまったく慣れない。
たとえばきのうの日記の表題「霧の降る山」は「霧の」、「降る」、「山」と、3回も変換をする必要があった。「そんな馬鹿な」と言われれば、今「ふるやま」の変換を試みると「古山」はさておき、次からは「古耶馬」、「古八間」、「古夜摩」と面妖な文字が次々に現れて、どうカーソルを動かしても「降る山」とは決して変換されない。「窓の曇り止め」と書きたくても「くもりどめ」は「?曇度目」と、まるで文字化けのように変換される有様である。
google IMEにつては、僕の使い方がおかしいのだろうか。どこかにgoogle IMEの教室はないか。あれば行って、僕の疑問を教師に質したく思う。
朝飯 「みょうがのたまり漬」を含む5種のおむすび、焼海苔、茗荷とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 葡萄と胡瓜の酢の物、大根と胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、豆腐と南瓜とピーマンの揚げ出し、鶏つくねと茗荷の吸い物、厚焼き玉子、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)、西瓜
2019.7.16(火) 霧の降る山
ウチは「ほぼ年中無休」で商売をさせていただいている。よって社員は交代制で休む。きのう出勤しなかった3名の各自に、今日は10時30分より賞与を手渡しつつ面談を行う。残りの社員は産後の子育てや病気療養のための休職中にて、賞与は口座に振り込んだ旨の連絡をすれば良いだろう。
夜は、旧日光市に住む人との食事会。その人が主賓であれば、まさか旧今市市まで降りてくれとは言えない。席は霧降高原の「山のレストラン」に用意をした。街場の料理屋とは異なってラストオーダーは19時だから、閉店後は速やかに行動しなくてはならない。
川原町から大谷川に沿った道を西北西に進み、霧降大橋を渡る。まっすぐに登ってきた坂を右に折れて、屈曲した山道に入る。あたりが開けると、右手がレストランの駐車場である。
案内をされた窓際のテーブルからは、19時がちかいにもかかわらず、山肌を白く滑り落ちる霧降の滝が、萬緑の隙間に意外に大きく望めた。子供のころから20歳のころまで、何度となく滝壺まで降りた、その道が何年も前から通行禁止になっていることは、今回、はじめて知った。事故があってはいけないという行政の配慮だろうか。あるいは自然保護のためだろうか。
「山のレストラン」は、味よし、ひと皿の量は多め、そして特筆すべきはワインの値付けが異常に安い。1時間と数十分の後、我々は極めて満足をしながら山を降りはじめた。霧は、昼なら大谷川の望める下りの急坂に差しかかったところで晴れた。そして家に帰り着いたら今度は白衣を着て製造現場に入る。最近は早朝よりも、夜の仕事が多い。
朝飯 納豆、牛肉の時雨煮、生のトマト、目玉焼き、切り昆布の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、茗荷のたまり漬、メシ、椎茸と玉葱とズッキーニの味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「山のレストラン」の舞茸とルッコラのサラダ、南瓜の冷たいスープ、サーロインステーキ、Gevrey Chambertin Joseph Drouhin 2013、アイスクリーム、カスタードプリン
2019.7.15(月) 今年の夏太郎は秋太郎
町内の、八坂祭の片付けが9時から予定をされている。しかしてまた今日は賞与の支給日にて、僕は社員ひとりひとりに賞与を手渡しつつ面談をしなくてはならない。よって町内役員のグループラインにその旨を上げる。また、店の軒下に張り渡した注連縄は自分で外し、営業車用の駐車場に置かれた青年神輿を覆うテントについては、その張り紐のみハサミできれいに切っておく。直会のための資金は、おとといウカジシンイチ自治会長に預けた。これで心おきなく自分の任務に当たれるというものだ。
面談した本日出勤の社員は16名。最後のハセガワタツヤ君が現場に戻るころには、閉店の18時が迫っていた。僕や家内や長男も彼に続いて4階から1階に降り、閉店のための作業に従う。3台あるキャッシュレジスターを締め、事務室に戻って一息をつく。iPhoneを手にすると「東京などで記録的な梅雨寒に」の、ニュースサイトへのリンクが現れる。
常連のお客様はもちろんのこと、男子社員もこぞって買う塩らっきょう「夏太郎」の畑は日光にある。昨年は7月3日に収穫をしたそのらっきょうが、今年はいまだ土の中にある。今年の「夏太郎」は、立秋はおろか、お盆も過ぎてからの蔵出しになるやも知れない。
朝飯 きのうのキムチ鍋の残りによるぶっかけメシ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
昼飯 揚げ茄子と茗荷のつゆで食べる黒胡麻素麺
晩飯 本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう”rubis d’or”、マカロニサラダ、ジャガイモのグラタンを添えた”neufrank”のハムのステーキ、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.7.14(日) 子供神輿の巡行
16時からの蔵見学は、インターネットでのご予約だった。うっかり忘れて外出などしないよう、忘備のためのポストイットを、数日前から事務机の電子卓上計算機に貼っておいた。
朝、電話が鳴って受話器を取ると、本日10時から蔵見学はできるか、とのお問い合わせだった。快諾をして受話器を置く。そしてこれまたそれをポストイットに記して、やはり電子卓上計算機に貼る。
「はやくお着きになったということで、蔵見学のお客様が見えました」と、9時15分に販売係のタカハシカナエさんが事務室に顔を出す。まさか「10時までお待ちください」とは言えない。しかし準備はいまだ整っていない。大急ぎで百数十メートルを走って日曜日は作業する人のいない蔵の明かりを点し、その蔵の脇の枝折戸から隠居に入って座敷の明かりを灯す。また、辰巳に面した門を開ける。
御一行は、日光に遊びにいらっしゃったものの雨で行くところもなく、検索エンジンに頼ったところ、ウチの蔵見学に行き当たったとのことだった。2013年に102歳で亡くなったおばちゃんが子供のころに住んでいた、およそ150年ほど前に建てられた建物や、あるいは蔵の最奥部を見ていただいたお客様はずいぶんと喜ばれ、買い物もたくさんしてくださった。
僕は、昼食はすべての社員が昼の休憩から現場に戻ってから摂る。4階の食堂にいると館内電話が鳴る。「16時に蔵見学を予約されたお客様がいらっしゃいました」と、販売係のハセガワタツヤ君が言う。時刻は14時30分。まさか「16時までお待ちください」とは言えない。お客様には店でお茶をお飲みになりながらお待ちいただくよう伝え、即、階下に降りる。そして百数十メートルを走って藏の灯を点し、その脇の枝折戸から… と、朝とおなじことをせわしなく行う。
お客様は、この連休中は鬼怒川温泉に連泊をされながら、日光周辺をお歩きになっているとのことだった。そして来週の日曜日には、長男の作る料理を東京でお召し上がりになるという。僕の知らないところで、あれやこれやが動いているらしい。
さて16時にご予約のお客様が14時30分にお見えになって気が気でなかったのは、今日が八坂祭の最終日で、子供神輿の町内巡行が、その時間に予定されていたからだ。神輿が来れば賽銭を上げなくてはならない。春日町1丁目の、日光街道を隔てて東と西の子供神輿2基は、幸いにして15時をだいぶ過ぎてからやってきた。その子供神輿を担いでいる多くは子供ではなく、日光で働くベトナムの若い人たちだ。
南の国々は「生きよう、生きよう」としている。日本は「死ぬまい、死ぬまい」としている。経済が豊かになると、人はなぜ子供を生み育てなくなるか、それが不思議でならない。
朝飯 蓮根のきんぴら、切り昆布の炒め煮、納豆、牛肉の時雨煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、胡瓜のぬか漬け、鶏レバの甘辛煮、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 「ユタの店」のざる担々麺、杏仁豆腐
晩飯 キムチ鍋、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、胡瓜のぬか漬け、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)
2019.7.13(土) スポーツよりも
前夜、早く寝に就けば、翌朝は3時台に目の覚める調子が戻ってきた。3時30分に起床して仏壇に備えるお茶のためのお湯を沸かしていると、家内が風呂から出てきた。そして誰と誰との試合がすごかったと、つい先程までテレビで観ていたのだろう、ウインブルドンでのテニスについて話した。僕はスポーツよりもステーキのソースに興味がある。そして4時前よりそれを作り始める。材料は既にしてきのうのうちに整えておいた。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」で買った玉葱は2個で100円だった。日光街道を隔てて斜向いにあるスーパーマーケット「かましん」ではレモン2個とマイユの粒マスタード1瓶を計473円で買った。家に戻って「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」と、たまり漬の「刻みザクザクしょうが」と同じく「鬼おろしにんにく」を計1,501円で買った。それらすべてを台所の調理台に並べる。そこからの手順は以下の通り。
・玉葱2個(およそ計600g)を摺りおろしてボウルに入れる。
・レモン2個の絞り汁を加える。
・1瓶100gの粒マスタードを丸ごと加える。
・1パック100gの「刻みザクザクしょうが」を丸ごと加える。
・1パック100gの「鬼おろしにんにく」を丸ごと加える。
・1瓶100ccの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を丸ごと加える。
・「ジョーイチ醤油」100ccを加える。
上記を入念に混ぜ合わせると、全体の容量はおよそ1リットルになる。これをガラスの空き瓶に入れて冷蔵庫に格納する。所要時間は45分。10日ほども寝かせれば、美味いソースになるだろう、多分。
朝飯 蓮根のきんぴら、牛肉の時雨煮、納豆、ほうれん草のおひたし、切り昆布の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、椎茸とズッキーニの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 夏野菜の揚げ出し、みょうがのたまり漬を薬味にしながら「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を注した湯豆腐、胡瓜と生姜の塩もみ、鯛飯、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)
2019.7.12(金) 理解と納得
店は売れるものを売り、売れないものは売らない。これについては、ほとんどの人が理解を示すだろう。しかし多くの人はまた、自分を中心に据えてものごとを考えるから、自分の必要とする品を店が置いていないと「それはおかしい」とか「不親切だ」と、いつまでも納得をしない。
焼いたり炙ったりした肉が好きだ。焼いたり炙ったりした肉には簡素なサラダが似合う。しかしその簡素なサラダを置く店は、たとえステーキの専門店でもあまり見かけない。メニュを開き、サラダのところに目を走らせると、そこにはコンビネーションサラダだのシーザーズサラダだのブルーチーズサラダだのは並んでいるものの、トマトのみ、レタスのみ、トマトとレタスと玉葱のみ、というような簡素なサラダは大抵、見当たらない。
簡素なサラダは売れない、だから店はメニュに載せない。それを僕は理解する。しかし焼いたり炙ったりした肉には簡素なサラダが欲しい。理解と納得のあいだには、広くて深い河があるのだ。
朝飯 切り昆布の炒め煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊合せ、生のトマト、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、揚げ湯波とオクラの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 蛸と胡瓜の酢の物、蓮根のきんぴら、ほうれん草のおひたしを添えた鯛の煮つけ、牛肉の時雨煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)、「綿半」の「日の輪」、Old Parr(生)
2019.7.11(木) ついに購入
羽田空港のパスポートコントロールの先ではちらほらと、そして機がスワンナプーム空港に着陸して入国審査を受け、バンコクの街に出るとかなりの数の、小さなバックパックを背負った、多分ヨーロッパから遊びに来たらしい老若男女に気づく。ケシュアの10リットルである。
グレゴリーのそれこそすこし大きめだが、デイパックと呼ばれるバックパックは、通常は20リットルほどの容量を持つ。そしてその大きさは、財布、携帯電話、メモ帳、ボールペン、文庫本、非常用の薬品くらいの身の回りのものを持ち歩くには、ちと大きすぎる。よってその半分ほどのものを求めようとすると、これまではトレイルランニング用の、一般には不要の機能が満載された品しか選べなかった。ケシュアの10リットルは、それにくらべてとても簡素だ。
「スポーツ用品の黒船」とでも呼ぶべきフランスの会社デカトロンが販売する商品は、これまで日本ではほとんど手に入れることができなかった。それが、今年の3月に西宮に日本1号店ができて、一気に目立ってきた。ウェブショップは2015年から存在していたということだが、僕は気づかなかった。amazonでは、個人輸入をしたらしい人が、今でも現行品を定価の数倍で、旧型に至っては数十倍の価格で出品しているところからすれば、ケシュアの10リットルは、つい最近まで手に入りづらかったのではないか。
それはさておき数週間ほど前にこのウェブショップを知った僕は、早速に、その小さなバックパックを買ってみた。価格は送料込みで390円。そして商品には10年間の保証がついている。不思議なビジネスモデルである。
朝飯 雑炊、じゃこ、胡瓜のぬか漬け、塩昆布、塩鮭、みょうがのたまり漬
昼飯 おとといの晩のおかずによる丼、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、杏仁豆腐
晩飯 茄子とトマトとマカロニのバターソテー、鶏肉の網焼きと夏野菜の素揚げのバルサミコソース、“THE STANDARD BAKERS”の4種のパン、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.7.10(水) きのうの版画
きのう2階の倉庫から発見され、店の奥に飾ることになった版画の画像を同日の日記のために加工しつつ、それに目を凝らす。「栃木懸民藝地圖」と題されていても、そこに明らかにされている土地と産品の数は多くない。それらを書き出してみれば、以下の13町村、21品になる。
栗山 背負袋、こね鉢、くりもの
日光 下駄、漆器
栃窪 木じき仏
徳次郎 石仏
鹿沼 箒
宇都宮 太鼓、かんぴょう、宮染
烏山 和紙
足利 めいせん
佐野 鯉のぼり、ちぢみ、つり鐘
栃木 鬼瓦
茂木 のぼり
益子 手織木綿、陶器
絹村 結城つむぎ
この中で僕の目を引いた随一は、今は日光市に合併された栗山の背負袋だ。検索エンジンに当たると、東京民芸協会が出していた民芸手帖の114号、1967年11月号の表紙に「えじっこ(背負袋)栃木県栗山産」として、その写真があった。栗山の古い家には、いまだその現物が残っているだろう。しかし今もそれを作る人がいるかどうかは分からない。
栃木県に絹村という名の村のあったことも、今回、はじめて知った。こちらも検索エンジンに当たれば、1889年(明治22年)に福良村、高椅村、簗村、中河原村、中島村、延島村、延島新田、田川村が合併して絹村ができ、僕の生まれた1956年(昭和31年)に桑村と合併して桑絹村となり、1961年に桑絹町、そして僕が小学3年生だった1965年に小山市に編入されていた。絹と桑をその名に戴いた村が、かつて栃木県の南部に存在したとは驚いた。
いつ彫られたものかは不明ながら「栃木懸民藝地圖」が僕に教えてくれることは少なくない。興味がおありになれば、ぜひお運びいただいて、現物をご覧ください。
朝飯 生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊合せ、大根おろしを添えた揚げ茄子、納豆、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、若芽と茗荷の味噌汁
昼飯 「丸亀製麺」のとろろわかめうどん、鮭と枝豆のおむすび
晩飯 らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ウォッカマーティニ、胡瓜とセロリと2色のパプリカのサラダ、トマトと浅利のスパゲティ、“PAUL”のアプリコットのパン、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.7.9(火) 長梅雨
家の2階には、骨董屋のような高級なものではない、いわゆる道具屋にも引き取りを断られるたぐいのガラクタ、特に食器が山のように積まれている。それらは、数十人を集めての宴会が旅館や料理屋ではなく、家で行われていた時代のものと思われる。兎に角、道具屋も引き取らない駄物が何十年、否、古いものなら100年を越えるだろうあいだ空間を占領し続けるのはいかがなものかと考え、ここしばらくは、細々と捨てることを続けてきた。
今日も長男とその、ほこりにまみれての作業をしつつ、塗りのお盆数十枚を収めた木箱の奥に、絵の入っているらしい薄いダンボール箱を見つけた。その箱の中の、更に黄色い布袋に収められていたのは川上澄生の版画で、上部には「栃木懸民藝地圖」の文字がある。川上澄生といえば南蛮物が有名で、今回のよう絵地図は初めて目にした。明かりに近づけ見ると、残念なことにカビに侵されている。宝の持ち腐れとはこのことだ。しかしせっかくの出物にて、長男はこれを店に飾るという。
額のガラスのみアルコールで拭かれたその版画は、店の奥の壁に提げられると、大いに悪くない。後悔先に立たずで、今さら嘆いても仕方はないが、つくづくカビが惜しまれる。
夕刻は店の中にいても半袖シャツ1枚では耐え難い気温の低さにて、ポロシャツの上に長袖のTシャツを重ねた。
本日最後のお客様は、バスを降りるなり、その全員がスマートフォンで店の外観を撮り始めた。バスのフロントガラスの内側には、その御一行が中国語圏の、建築関係の方々であることを示す漢字があった。御一行は今夜、鬼怒川温泉の旅館でおつまみになさるらっきょうのたまり漬、それから帰国時にお持ち帰りになる「日光味噌梅太郎」の赤味噌と白味噌をお買い上げくださった。長梅雨の、恨まれるところである。
朝飯 生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊合せ、目玉焼き、納豆、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬、メシ、トマトと茗荷の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 春雨サラダ、厚揚げ豆腐とピーマンと椎茸の牡蠣油炒め、鳥レバーの豆鼓炒め、木須肉、茗荷のたまり漬、芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)、蓮根菓子「西湖」、Petit Chablis Billaud Simon 2016、レーズンウイッチ、Old Parr(生)
2019.7.8(月) 梅雨寒
八坂祭を1週間後に控えて、おとといは町内に注連縄を巡らせた。それが済むと、今度はウチの社用車の駐車場で青年神輿を組み立てた。なぜうちの駐車場かといえば、いつも使わせてもらう湯澤歯科医院が新築工事の最中にあるからだ。それはさておき、神輿の組み上がった夕刻には寒さを覚え、以降はウインドブレーカーを着た。
稲橋汀子の「ホトトギス季寄せ」によれば、梅雨寒は夏6月の季語という。しかし今や7月である。7月といえば夏真っ盛りのイメージ、いや、イメージという外来語は自分の日記には使いたくないから、7月といえば夏真っ盛りを想起させるものの、と書き換えよう、とにかく昼日中にあっても、たとえば自転車に乗るときなどは、半袖のシャツ1枚では風邪をひきそうな、ここ数日の肌寒さである。
おとといの夜は町内の会議が家の夕食の時間を過ぎて終わったから、ひとり飲み屋へ出かけた。今夜は家族が留守にしているから、またまたおなじ飲み屋へ出かけた。おとといはほぼ満席だったにもかかわらず、今夜は20時になりかかるまで客は僕ひとりだった。店内の有線放送で、久しぶりに高田みづえの歌声を聴いた。チャンネルは何だろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊合せ、納豆、大根おろしを添えた揚げ茄子、胡瓜のナムル風、塩鮭、らっきょうのたまり漬、メシ、椎茸と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 「和光」のお通しのじゃがいもと烏賊の煮物、胡瓜のぬか漬け、鯖の網焼き、すじ肉のカレー煮、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)
2019.7.7(日) 多分、馬鹿だと思われている。
僕の耳には欠陥がある。会社の健康診断では、小さな音も、また高い音も低い音も聞こえる。欠陥は、すこし変わったところにある。
1980年が明けていくらも経たないころに、カルカッタからカトマンドゥに移動をした。そして現地に住む人の家でダルバーツをご馳走になった。ひとりの女の人が”How is this taste?”と訊いた。その”this taste”が僕には”distaste”に聞こえた。「distaste、distaste、distaste… dislikeの”dis”が”taste”の頭に付くと、一体、どのような意味になるのだろう」と考えあぐねるうち、日本に留学経験のある別の女の人が「味はいかがですか」と日本語で訊きなおしてくれて「あ、美味しいです」と、ようやく僕は答えることができた。
あるいはもう10年くらい前のことになるだろうか、製造係のタカハシアキヒコ君が帰り際に商品を求めた。金額を告げるとタカハシ君は戸惑いの色を顔に浮かべつつ「シャワリー」と言葉を発した。シャワーは風呂場にある、ジョウロのように水の出る装置だ。その”shower”に”ly”が付けば”shower”の形容詞形だろうか、しかしそんな言葉があるだろうか。「showerlyって、何」と訊くとタカハシ君は先ほどと同じ困惑の顔つきで「あの、シャワリー」と、またも繰り返す。
そのときには多分、近くにいた他の社員が気を利かせたような気がする。「シャワリー」とは「社員割引制度」を短縮した「社割」のことと、その社員は僕とタカハシ君のあいだで通訳を務めてくれた。
そういうわけで、僕の耳には欠陥がある。否、欠陥は耳ではない、耳と脳のあいだの回路、あるいは脳そのものにあるのだと思う。人はときどき僕を馬鹿と感じるだろう。まぁ、仕方がない。
朝飯 塩鮭、納豆、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、ほうれん草のおひたし、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、胡瓜のぬか漬け、メシ、大根とのげ海苔の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ラタトゥイユと人参のサラダを添えた鶏もも肉のソテー、ジャガイモのグラタン、“Pain Au Sourire”の2種のパン、2種のジャム、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.7.6(土) 祭りの準備
7月の上旬から中旬にかけては祭りの季節だ。事務机の左手に提げたカレンダーの今日のところには「15:00公民館.会所かざりつけ」の文字がある。文字はあっても、仕事もある。息せき切って公民館に駆けつけたときには、定刻を10分ほど過ぎていた。
総鎮守瀧尾神社のお祭に臨んですることは、色々とある。町内に注連縄を巡らせることも、そのひとつだ。僕の担当は日光街道に沿った部分で、3人いれば何とか可能なところ、今日は4名が揃って助かった。数年前からはこの仕事に頭のオノグチショーイチさんが加わり、すると縄の張られようは一気に美しくなった。店の犬走りの軒下ももちろん、頭に縄を張ってもらう。
町内の縄張りを終え、子供神輿と青年神輿を組み立てると、時刻は18時を回った。その足で本日、祭壇をこしらえたばかりの公民館へと向かい、20時すぎまでお祭に関わる話し合いを持つ。
八坂祭は、今週の土曜日から日曜日にかけて行われる。家に保管した提灯は、本来の意味からは外れるものの、店の外観を賑やかにするため、明日から出すことにしよう。しかし縄に紙垂を取り付けるのは、土曜日の朝にするつもりだ。これから1週間のあいだにかならず降るだろう雨を避けるためである。
朝飯 納豆、茹でた隠元豆と素揚げしたじゃがいもの「日光味噌梅太郎白味噌」和え、ハムエッグ、ほうれん草のソテー、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 揚げ茄子と茗荷のつゆで食べる黒胡麻素麺
晩飯 「和光」のお通しのもやしのナムル風、つぶ貝の刺し身、鰯のフライ、鰹のたたき、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)
2019.7.5(金) 降りてばかり
鬼怒川の旅館に泊まっている。廊下に鉄扉がある。開くとそこは鬼怒川の渓谷で、足元には直径10メートルほどの大きな岩。外の空気を吸いたくなって、その岩の上に立つ。しばらくすると、岩はエレベーターのように下がり始めた。はじめはゆっくりだったその速度は、しばらくするとみるみる上がり、しかしティラノザウルスにそっくりな岩が間近に見えるところで停まった。
自分の乗った丸い岩が、上を目指して昇ることはしない。しかし気づくと岩はもとの高さに戻っていて、ふたたび下降を始めては、恐竜に似た岩の前で停まる。これを何度か繰り返しつつ「自分は同じ夢を繰り返し見ているのだろうか、あるいはひとつの夢をずっと見続けているのだろうか」と考えている。
目を覚ますと6時がちかかった。前夜21時に寝室に入れば翌朝は2時や3時に目のさめるはずの僕が、このところはとんと早起きができない。先月26日の早朝にタイから帰って以降、今朝までの9日間は出たり入ったりの生活だった。しかし出張続きの人の生活を考えれば、これくらいで疲れるわけはない。日に7時間も眠ってしまう原因が奈辺にあるかは不明である。
朝飯 ハムとウインナーソーセージのソテー、納豆、茄子とピーマンの炒りつけ、塩鮭、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 白胡麻のつゆで食べる黒胡麻そうめん
晩飯 らっきょうのたまり漬、ほうれん草の胡麻和え、茹でた隠元豆と素揚げしたじゃがいもの「日光味噌梅太郎白味噌」和え、冷奴、大根おろしを添えた揚げ茄子、漬けマグロ、芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)
2019.7.4(木) 3本のマッチ
仕事にひと区切りをつけたおじいさんは、土手に腰を下ろし、タバコを口にくわえた。そしてふところから取り出したマッチ箱を開け、火をつけようとした。1本目のマッチはおじいさんのヒゲを燃やしてやろうと、いきなり勢いよく炎を上げた。おじいさんは驚いて、そのマッチ棒を放り出した。マッチはかたわらの水たまりに落ちて「ジュッ」という音とともに消えた。
2本目のマッチは仕事をする気がなかったから、炎ははじめから弱々しく、火は軸を黒く焦がしたのみで消えた。おじいさんは落胆をして、そのマッチを石ころの上に捨てた。
3本目のマッチは、おじいさんに心ゆくまで美味しいタバコを吸わせてあげようと考えた。おじいさんは今度こそタバコに火をつけ、待ちに待った、美味しい煙を胸いっぱいに吸い込んだ。そして親切にしてくれたそのマッチ棒を、柔らかい草の上にそっと置いた。
細部の異なっている可能性は否めないが、小さなころに読み、今なお強く印象に残る童話である。道徳訓としても、中々よくできた話とは思う。しかしここ数十年の、世界的な嫌煙禁煙の流れからして、多分、この童話は家々の書架の奥深く、あるいは図書館の片隅に埋もれて、世には二度と出てこないような気がする。
夜、ソテーした分厚いハムを肴に白ワインを飲んだら、妙にタバコの吸いたい気分になった。よって食器棚の引き出しから何年も前に買ったタバコを取り出し、仏壇からマッチ箱を借り、外へ出る。そして多分、ことし2本目と思われるタバコを、店のベンチに座ってゆっくりと吸う。
朝飯 雑炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、万願寺唐辛子とじゃこの炒りつけ、塩鮭
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 胡瓜とキウィのサラダ、パン其の一、パン其の二、夏野菜とウインナーソーセージとハムのソテー、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.7.3(水) 仏花
仏壇に供えた、元気を失いつつある白菊について家内に訊くと、僕がタイに行く以前からのものだという。小遣い帳に「仏花」で検索をかけた結果、6月8日に白菊5本を買っている。生花がまさかひと月ちかくも保つわけはないから、多分、タイへ出かける直前にも購入し、しかしそれについては小遣い帳への記録をし忘れたのだろう。それでも、2週間も保てば上出来である。
行きつけの「花一」で、今回も白い菊を5本、買う。「蒸し暑い天気でねぇ、花も保ちませんでしょ」と女将が言うので「いや、おたくのは保ちますよ」と返事をする。当然のことだろうけれど、花は、買う店によって保ち方は全然、違う。
昼の前後は諸々が重なって大変に忙しく、よって「昼飯、抜こうかな」と、宣言でもなく提案でもなく相談でもなく口を開くと「それは絶対に駄目」と家内は一刀両断にした。「そうであれば」と、検品ついでに道の駅でおこわを買って戻る。それに、たまり漬とフリーズドライ味噌汁を添えて昼食とする。食後はすぐに喪服に着替えて事務室に降り、その姿のまま仕事をする。
下今市14:35発の上り特急リバティに乗る。五反田の駅前で拾ったタクシーは、17時05分に桐ヶ谷斎場に滑り込んだ。その1時間40分後に家内を残したまま外へ出る。そして北千住を経由して23時ちかくに家に戻る。
朝飯 万願寺唐辛子とじゃこの炒りつけ、納豆、鮭の昆布巻き、トマトのスクランブルドエッグ、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」の五目おこわ、たまり漬「刻みザクザク生姜」、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with Love”
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、チューハイ
2019.7.2(火) 環境整備は継続中
丸10年ちかく使ったレッツノートの中身を、先月の29日に、外注SEのシバタサトシさんに頼んで新しいレッツノートに移してもらった。旧の内容がすべておなじ形で新に引き継がれれば、これほど楽なことはない。しかしことはそれほど簡単ではない。10年も経れば、先ずはオペレーティングシステムのバージョンが上がっているから、旧で使っていたアプリケーョンの中には、今や機能しないものがある。そしてそのようなことは、ソフトに限らず、ハードにおいても発生している。
多分、20年ちかくになるだろう、それだけ長いあいだ使い続けたIBMの10キーが、細かいことは省略するが、使い物にならなくなった。数字を扱うときには、僕は左手でコンピュータを、右手で10キーを操作する。右手でハンドルを握りつつ左手はギヤレバーに添えておくクルマの操縦に似て、仕事を素速く行おうとすれば僕に10キーは必須のもので、これが使えないのは非常に痛い。
シバタさんの良いところのひとつは腰の軽いことで、今日は午後一番に来てくれた。シバタさんはアプリケーションのいくつかと共に10キーも調べて、一旦、外へ出ていった。そうして新しい、今や無線で動く10キーを買ってきてくれた。そして早速、これを使って滞っていた作業に取りかかる。大いにありがたい。
朝飯 鮭の昆布巻き、牛蒡と人参のきんぴら、飛龍頭の淡味炊き、納豆、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁、さくらんぼ
昼飯 2種のパン、コーヒー
晩飯 万願寺唐辛子とじゃこの炒りつけ、モロヘイヤのおひたし、厚揚げ豆腐と人参の炊合せ、銀鱈の西京焼き、らっきょうのたまり漬、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの元・朝露」漬け、「指宿酒造」の芋焼酎「赤利右衛門」(お湯割り)、「紫野和久傳」の「西湖」
2019.7.1(月) 雨上がりの権之助坂
むかし「雨の権之助坂」という歌があった。本日13時55分の目黒は、雨が上がったばかりだった。
約束の時刻にはいまだ間があったため、駅ビルのエレベータに乗る。有隣堂の、ちくま文庫の棚には僕の興味を引く本が揃っている。そこから1冊を抜き取り、キャシュレジスターの列に並ぶ。行列には複数の文庫本を片手で鷲掴みにした人もいた。それを目にして「本屋で本を買う人って、意外に多いんだな」と、あらためて驚く。僕は、本はほとんどamazonの古書でしか買わない。お店の人には「カバーも袋もいりません」と伝えて代金を払う。今日に限って新品の本を求めたのは、持参した本の残りページが少なくなったからだ。
権之助坂を下り、目黒新橋を渡った先を左に入ったあたりには土地勘がある。指定されたスタジオでの商品撮影は、優れた集団により小一時間で完了した。「湿度、90%だそうです」と、僕を見送りつつ女の人が言う。「東南アジアの密林にいるようですね」と答えると、女の人は静かに笑った。
予期せず時間が余ったため、新橋に移動して床屋にかかる。僕には決まった休みが無い。また会社にいるかぎり事前連絡なしの来客が相次ぐ。よって散髪は、出先で受けるのがもっとも気が楽なのだ。そして北千住を経由して21時前に帰宅する。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの元・朝露」漬け、巻き湯葉と人参と隠元豆の炊合せ、茄子と3色のピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒め、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、2色のズッキーニの味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」の焼きそば
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、チューハイ。




































































































































