2026.7.21 (火) 玉関西望堪腸断
上杉謙信は鞭の音も粛々と、夜の千曲川を渡った。と、ここまで書いたところで、この頼山陽による有名な詩がしっかり韻を踏んでいるかどうかを、新漢字林で調べてみる。すると、当該の漢字を音読みしたときに薄々感じていたことだが、まったく押韻していないことが分かった。よって次は「日本人のつくる漢詩 韻を踏んでいない」と検索エンジンに入れてみる。「AIによる概要」には「それでいいのだ」という意味のことが出た。
とすれば、日本のある政治家が自作を毛沢東に贈り、毛沢東はそのお粗末さを嗤い、しかし周恩来は紳士だから漢詩についての本をその政治家に土産として手渡したという噂話の、その漢詩は日本式のものだったのかも知れない。
とにかく、僕は夜の千曲川ではなく、14時38分の神田川を、聖橋の上を歩いて南から北へ渡る。そして湯島聖堂への石の階段を降りて、斯文会館の講堂に入る。スマートフォンの天気予報によれば、本日の東京の気温は35℃。講堂には冷房が効いていた。
ゴトージュンイチ先生の講義のあいだに時宜を得て、今月10日の日記に書いた、唐代の中国人は辞書を調べなくても漢字の平仄や韻目が分かっていたのではないかという、かねてからの疑問を質してみた。先生の答えは「それは今となっては不明です」とのことだった。
ところで本日、教材に用いたうちの、岑参による以下を皆で声に出して読み下したときには「僕、行ったことあります」と手を挙げたいところだったけれど、講義の邪魔をしてはいけないと考えて、それをすることはしなかった。
東去長安万里余
故人何惜一行書
玉関西望堪腸断
況復明朝是歳除
それにしても、あのような砂漠の先まで赴任する気分を想像してみれば、「堪腸断」も決して大げさではない。進士の試験に合格してなお、楽でなかった役人もいたのだ。
定時の15時に5分おくれて講堂に入ってきた先生は、しかし16時30分の定時で講義を終えた。来月の教室は夏休み。9月は仕事の関係から僕はここに来られない。よって10月までにどこまで自習してくるべきかを先生に訊き、それをノートに書き付ける。
床屋へは教室の前に行っていたから今日の時間配分は楽だ。17時すぎに北千住へ戻って飲酒活動をし、18時33分発の下り特急に乗って20時すぎに帰宅を果たす。
朝飯 目玉焼き、ピーマンの網焼きと茄子の素揚げ、キャベツの浅漬、胡瓜と大根の糠漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ドトール」のトースト、アイスコーヒー
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、他あれこれ、チューハイ、それを濃くするためのナカ













