2026.9.25(金) タイ日記(2日目)
目を覚ましたのは2時台だったものの、いかにも疲れている。よってそのまま1時間と少々は、横になっている。
3時台の終わりのころに起床して、4時よりきのうの日記の続きを書く。日記は途中で休みながら、7時15分に書き終えた。文字数は4,200を超えたものの、旅の初日とすれば、それほど長い方でもない。
今回の宿は、2020年3月、そう、新型コロナウイルスの蔓延により国境の閉じられる直前に泊まった。しかし昨秋、そして今春のウドンタニーでは、斜向かいの“Banbua Grand Udon Hotel”を使った。理由は、この“The Pannarai Hotel”より少しばかり部屋が良かったからだ。しかしホテル2階のスイミングプールはいかにも日当たりが良く、特に昨秋は、ひどく日焼けをした。
それに対してこちらのプールサイドは地面とおなじ高さにあり、プールサイドにはプルメリアの木が植えてある。その日陰に入れば日焼けもしづらいだろうと考えての、今回のホテル替えだった。
そのプールサイドを臨む食堂には7時30分に降りた。ガラス張りの食堂は、いかにも冷房が効きすぎていた。部屋までウインドブレーカーを取りに戻ることも考えたものの、そのまま朝食を摂る。
4階の部屋へ戻ったら、駐車禁止のような丸の中に蚊のシルエットをあしらい、その下に”ALWAYS KEEP THE DOOR CLOSED”の文字を添えたシールの貼られたガラス戸を、構わず開ける。そしてベランダ側に二重になったガラス戸も開く。どこもかしこも寒ければ、せめて自分の部屋だけは常温にさせて欲しい。
ちなみに、きのうの日記のための画像は26枚に上った。その逐一に、文章の各所からClaude Codeにリンクを張らせるべき命令を、外気温とおなじ温度の部屋で書く。ここで時刻は8時50分になった。
僕が南の国で最も楽しみにしているのは、プールサイドでの本読みに他ならない。しかしウドンタニーの気温はいまだ高くない。よって以降は寝台に横になって、きのうの夜の本の続きを読む。
10時すぎにシャワーのような雨が降ってくる。その雨はいつの間にか上がり、やがて日も差してきた。30分のあいだにも、空模様は様々に変わる。東北部の、典型的な雨季の終わり、である。
昼がちかくなるころ、廊下にメイドの行き来する音が聞こえた。部屋の掃除が始まったらしい。とすれば、この部屋の扉も間もなく開かれるだろう。そう考えて本や財布やiPhoneをトートバッグに入れてロビーへ降りる。そして今度は、そこにある背もたれの高いソファで再び本を開く。
そろそろ昼食の時刻だ。しかし何だか体がだるい。風邪の初期の症状のような感覚である。普段の速度で歩くこともできづらい。部屋へ戻ると既にして掃除は済んでいた。そこで薬の袋から体温計を取り出し、その先端を舌の上に置く。
体温は何と、38℃もあった。よって薬の袋から今度はカロナール500を選び、これを2錠、服用する。そして寝台に横になって本を読んだり、あるいは目をつぶって休んだりする。きのうのうちから今日の16時に予約をしておいたマッサージ屋には、断りのLINEを入れる。ガラス戸の外には白い雲を浮かべた青い空が望める。熱を出していなくても、昼にすることは本読みくらいのものだから、残念な気持ち、時を無駄に過ごしている焦燥は覚えない。
17時にふたたび体温計を口に含む。体温は37℃まで下がっていた。しかし僕の普段の体温は、更に低いはずだ。行動しても良いか否かの判断がつかなかったため「発熱 何℃から」とiPhoneのGoogleに入れてみる。そこには「37.5℃以上」とあったから、ようよう決心がついて、服を着替える。
ホテルから出て右手すぐのところにイタリア料理屋がある。ここのラザニアは、まるでマッシュドポテトのように柔らかい。つまりそれほど美味いものでもない。それでもいまだ微熱があれば、消化の良いものでタンパク質を補給しておいた方が良さそうだ。
イタリア料理屋ではもちろん、外の席に着いた。隣のテーブルの、大柄な白人たちが大声で話している言葉は何語だろう。まさかアフリカーンスではないと思う。半藤一利の「新版昭和史戦前篇1926-1945」は、98ページまで進んだ。
部屋に戻ったら新三共胃腸薬を3錠だけ服用し、以降はこの日記のここまでを書く。そして20時を前にして寝台に上がる。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ
晩飯 “da sofia”のグリーンサラダ、ラザニア・アラ・ボロネーゼ、ソーダ













