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清閑 PERSONAL DIARY

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2026.9.27(日) タイ日記(4日目)

目を覚ましたのは、僕としては遅い4時26分。それから1時間ほどは寝台の中でバンコクの洪水の状況などを調べ、5時55分に起床する。そして6時より「タイ日記(1日目)」の文章の修正、および一昨日の日記「タイ日記(2日目)」を公開する。

その作業が終了すると、Clude Codeは
「お疲れさまでした。タイでの日々、どうぞお大事にお過ごしください。」
と、僕をねぎらってくれた。
「有難うございます。注文以上の、完璧な仕事でした。」
と返すと
「そう言っていただけて嬉しいです。旅の続きの日記も、いつでもお申し付けください。どうぞお大事に、良い旅を。」
と、このAIは締めた。

「あなたの言葉を文字ではなく、大原麗子の声で、スピーカーから出力してください」と頼めば、Clude Codeはことによると、それに応えてくれるかも知れない。

ところで今のホテルが小さな歓楽街の中にあることは、きのうの日記に書いた。そして部屋の眼下には、この街で最大のバービヤ街”Day and Night”がある。昨秋と今春に使った“Banbua Grand Udon Hotel”のように騒音に悩まされないのは、現在の“The Pannarai Hotel”の部屋のガラス戸が二重になっているためだ。

そして今朝も外気を部屋に取り込むためその二重のガラス戸を開けると、いきなり男の叫び声と女の嬌声が届いてきた。バービヤ街は屋根と壁とで密閉されているにもかかわらず、だ。しかも、朝も7時を過ぎている。ここでふと興味を惹かれて、その”Day and Night”まで出かけてみる。白人の男とこちらの女の人、否、それはレディボーイかも知れないけれど、彼らが騒いでいたのは、ひとつだけいまだ開いている店だった。それにしても、いかにも皆、元気である。

9時をまわったところで昨日の伝票を手に”SMILE LAUNDRY”へ行き、洗濯物を受け取る。3月には、朝に出しても仕上がるのは次の日の夕方だった。新しい機械でも入れたのだろうか。あるいは今回に限っては、仕事が暇だったのだろうか。

その帰りに左足に違和感を覚えて足元を見る。するとKEENの「ワイメア」の底が剥がれかけていた。2014年以来、このサンダルでは南の国を数百キロメートルは歩いたと思うけれど、いまだそれほど傷んではいず、捨てるには惜しい。よっていちど部屋へ戻り、靴下と靴を履く。そしてiPhoneの翻訳機に「私は、強力な接着剤が、買いたいです」と日本語を入力して、現れたタイ語を画像に残す。

最寄りのセブンイレブンへ行くと、何とパッケージに靴の写真をあしらったアロンアルファがあった。日の丸に「NO.1 JAPAN」の文字を添えたイラストレーションもある。価格は35バーツ。家にはやはり底の剥がれかけたKEENの「ヨーギ」があるため、迷わずふたつを買う。

パッケージの取り扱い説明はタイ語だったから、部屋ではそれをiPhoneで撮り、その画像をgoogleに入れて日本語に訳す。「接着する面を、先ずは綺麗に拭いてください」は、言われなくても分かっていることだ。だから洗面所でその部分を洗い、水気を乾かすべく、ベランダに出す。

そんなことをしていたから、プールサイドへ降りられたのは、10時も近くなるころだった。脱いだ靴と靴下は、プルメリアの木の根元に置いた。今日は太陽も強く差さず、案配が良い。雨が降っても、それはとても疎らで雨粒も小さかったから、寝椅子では2時間以上も本を読むことができた。

その雨粒が急に大きくなったのは、12時30分のころだった。よって2枚のタオルを畳み、木製の寝椅子の上に敷いたマットはジムに戻す。足の底にはプールサイドの砂だか何だかが付いているから靴下と靴は手に持って、裸足で部屋へ戻る。プールサイドから部屋まではエレベータを使って1分ほどの移動ではあったけれど、ガラス戸の外は既にして豪雨になっていた。

ベランダからサンダルを回収し、googleが翻訳してくれた取り扱い説明書の通りに、というか、それよりも多くの量を使って、剥がれかけの底を本体に接着する。そして接着した部分を3本の輪ゴムで強く固定する。

そんなこんなをするうち時刻は12時を過ぎる。豪雨は止んで空には青い部分が現れて、また雨が降り始めている。しばし考えて、昼食は摂らないことにする。このあたりが一人旅の安楽さ、ではある。

16時が近づいたところで、きのう借りた傘を手にマッサージ屋へ行く。2時間のマッサージが終えたら、眼の前、それはcentral plazaを真正面にした良い場所だけれど、客を待っていたトゥクトゥクの運転手に声をかける。そしてiPhoneに保存したチムジュム屋の画像を見せる。チムジュム屋までの運賃は60バーツだった。

歩道に茣蓙を広げて営業するチムジュム屋には前から来たかったものの、昨秋は休み、今春はその機会がなかった。いまだ時間が早いこともあって、店には二組の客がいるのみだった。いつ雨が降ってくるか分からないため、屋内の席に着く。昨秋の、湖のちかくのチムジュム屋には、大きく”NO ALCOHOL”の看板があったから、仕方なく水を頼んだ経緯があった。今日の店は、まぁ、大丈夫だろう。

持参のラオカーオをソーダで割り、それを一口ふくんだところで「いやー、楽だなー」と、自然に言葉が漏れる。鍋には最後のところでインスタント麺を投入した。麺の袋に入っていた粉スープは日本に持って帰り、にゅうめんの汁に使うことにしよう。

地元の人の使う店は、間違っているのではないかと思われるほどに安い。帰りのトゥクトゥクは往きより数百メートルほども距離が長かったためか、80バーツを請求された。いささか食べすぎたため、部屋では新三共胃腸薬3錠を服用し、シャワーを浴びて即、就寝する。


朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三

晩飯 “Jae Pha Chim Chum”のチムジュム、ラオカーオ“BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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