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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

2021年4月の日記30本

2021.4.30(金) そう感じはしたけれど

池袋の上空に竜巻が発生している。それを、新宿の高層ビルの一室から眺めている。竜巻は、徐々にこちらへと近づいているように見える。「まさかこのビルが壊れることはあるまい」と、それが目の前まで来ることをなかば期待した瞬間に、竜巻は消えた。目を覚ますとあたりは薄明るかった。竜巻は、ビンタン島でいちど目にしたのみだ。

午前、今井アレクサンドルのガーベラの絵を母屋から隠居に運ぶ。そして床の間に掛け、足元には口の欠けた、灰のかぶったところはまるでゴジラの皮膚のような壺を置く。花は、庭の小さなものを、一輪挿しに活ければ良かろうと思う。

—–

と、ここまで書いたのが4月30日の早朝。しかし実際には道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場を掃除して品物を納め、3つの銀行を回り、町内の現金の出納をするうち正午になってしまった。僕は、書けるときには未来のことでも日記に書く。当然のことながら、現実が日記の通りにならないことも、少なくはない。

ガーベラを描いた大きな絵は、空模様のあやしくなりはじめた夕刻にようやく隠居へ運んだ。それを床の間に掛けると、床脇の、紅柄による鯉のぼりと色が重複すると、家内は難色を示した。僕もそのように感じた。感じはしたけれど、それはそのままとして店に戻る。


朝飯 トマトと緑豆のソテーを添えた目玉焼き、納豆、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ズッキーニの味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 炒り豆腐、筍の木の芽味噌和え玉葱とグリーンアスパラガスとアスパラ菜の天ぷら盛り蕎麦、らっきょうのたまり漬、「片山酒造」の純米吟醸「素顔」(冷や)ういろう、Old Parr(生)

2021.4.29(木) 記憶

所用の合間に本屋に入り、併設の喫茶店で持参した「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」を開く。ここに書かれているのは2020年に開かれるはずが2021年に延期をされ、更に開催の危ぶまれている東京オリンピックではない。1964年の、夢と希望の横溢していた東京オリンピックだ。

獅子文六による「開会式を見て」に、以下の一節がある。

—–
ヤレヤレと思った。日本もムリして、こんな大仕事をやって、ともかく、ここまでこぎつけたのかという感慨でいっぱいだった。貧乏人が帝国ホテルで、結婚式をあげたようなものだが、ともかく無事にすみ、関係者のみなさんに、お役目ご苦労さまと、本気で、ごあいさつ申し上げる気になった。
—–

木村治美の「曙のイスラマバード」から言葉を借りれば、オリンピックの開催国は「生きよう、生きようとしている」国にこそふさわしいと、僕は考えている。功成り名を遂げ、今や「死ぬまい、死ぬまいとしている」国は、もうオリンピックなんてやらくていいじゃねぇかと、僕は感じている。

そうしてiPhoneのgoogleに「オリンピック 開催国 歴代」と入れてみる。

「生きよう、生きようとしている」国は、熱帯や亜熱帯に多い。しかし見たところ、そこに含まれるのは1968年のメキシコのみだ。どういうわけだろう。

1964年、僕は小学2年生だった。テレビに映し出されるアベベ・ビキラや円谷幸吉には目を見張った。「あんなに大きなからだで押さえ込みじゃぁ、日本の選手は敵うわけないよ」と、アントン・ヘーシンクへの恨みぶしを唱える大人の様子も、よく覚えている。

僕にとってのオリンピックは、1964年の東京でお終い、という気がする。以降のオリンピックについては、山下泰裕とモハメド・アリ・ラシュワンの決勝戦以外、ほとんど記憶が無いのだ。


朝飯 トマトサラダ、生玉子、干し海老を薬味にした煮奴、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、玉葱と万能葱と揚げ玉の味噌汁
昼飯 「丸亀製麺」のわかめとろろうどん
晩飯 蛍烏賊とセロリのサラダ、ポテトサラダを添えたローストビーフ、白魚とブロッコリーのスパゲティ、TIO PEPE、Chablis Billaud Simon 2015

2021.4.28(水) 好みまたは独りよがり

暗闇に目を覚ます。きのう寝る前に、メンソレータムを塗り込んだことによる手袋が両手にあることに気づく。木綿の手袋をした指では、iPhoneは操作できない。その代わり、外からの情報に妨げられることなく、あれこれと考えることはできる。もっとも「考える」とはいえそれらはすべてよしなしごとにて、直後には忘れてしまうことばかりだ。やがてiPhoneに仕込んだ、5時を報せる音が鳴る。目を覚まさせるためのものではない。「今日は製造現場に朝の仕事があるぞ」ということを思い出させる音である。

着替えて洗面をし、食堂に来てカーテンを巻き上げる。外は雨。と同時に、先ほどまでは気づかなかった、クルマのタイヤが路上の水を切る音が聞こえてくる。

店の、お客様がお休みになる空間には、40年以上も前から長い床机を置いてきた。新型コロナウイルスが日本に上陸して以降、その上には密を避けるため、ひとり分ずつ間を開けるよう注意書きを並べた。きのうはその床机を撤去し、代わりにひとり用の椅子6客を置いた。長野県大町市に工房を構える柏木圭によるこの椅子は、磨き込まれた石の上では滑りやすい。よって午後、そのすべての脚に、シリコン製の覆いを取り付けてみた。結果は上々。その覆いが100円ショップに売っているとは、販売主任のハセガワタツヤ君に教えてもらったことだ。

連休中の隠居の床の間には、今井アレクサンドルのガーベラの絵を掛け、口の欠けた壺を置くことを、夕刻に長男と決める。金銭的価値はほとんどゼロの室礼にて、僕好みといえば僕ごのみ、独りよがりといえば独りよがりの組み合わせである。


朝飯 炒り豆腐、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、グリーンアスパラガスとウインナーソーセージのソテー、塩鮭、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とグリーンアスパラガスの味噌汁
昼飯 「十文字食堂」のモツ炒め定食
晩飯 トマトとキウイのサラダ、ポテトサラダ、餃子スープ、春巻き「紅星」の「二鍋頭酒」(生)

2021.4.27(火) 隠居開業一周年

「誰も読まない社史」という文章を、山本夏彦はかつて書いた。わが上澤梅太郎商店は、とてもではないけれど、社史を編纂するなどはできない。折々、節目節目にそれを記録する習慣が無いのだ。

「汁飯香の店 隠居うわさわの開業日はいつだっただろう」と考えても「ほぼ1年前」としか分からない。親しい方にお客様役をお願いしての練習を経て、徐々に商売を始めたのではなかったか。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお披露目については昨年3月、ご近所や町内役員、友人知人に招待状をお送りしながら、新型コロナウイルスによる世情が急展開をする中で、急遽、中止を決めた経緯があった。以降は弁当の仕出しなど、様々な対策を採りつつ営業を続けてきた。そしてようよう最初の1年を乗り越えた。ひとえに、お客様のお陰である。

その感謝の気持ちを伝えるべく、この連休にはお客様だけでなく、通りすがりや散歩の途中という方にも庭園を開放することとした。広く告知をするためチラシも作った。それを午後一番に、なじみの新聞店に運ぶ。下野新聞に折り込まれるのは29日の朝。忙しくなれば嬉しい。

追記
この日記を遡ったところ「汁飯香の店 隠居うわさわ」の開業は2021年3月28日の土曜日でした


朝飯 榎茸のおひたし、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、じゃこと干し海老を薬味にした冷や奴、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 「十文字食堂」の地獄麺
晩飯 冷やしトマト、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、おでん、キンミヤ焼酎にTIO PEPEチョロリ

2021.4.26(月) 超小盛り

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための緊急事態宣言は、昨年4月から、地域により1ヶ月から2ヶ月半のあいだ発令をされた。これが1回目。2回目は今年1月からお彼岸までの2ヶ月半。そしてより規制の少ない蔓延防止等重点措置の適用を経て、東京、大阪、京都、兵庫の4都道府県にはきのうから5月11日までの17日間において、3回目のそれが始まった。

2回目は、新規感染者が増え続ける中での解除だった。それについては「理解不能」とする人もあれば「経済のことを考えれば、ひと息つかせてくれ」と考える向きもあっただろう。「変異株による新規感染者は指数関数的な増え方にも関わらず、なぜ3回目は17日間という短期間なんですか」と問えば「そのあたりについては国民の皆さんも、忖度してくださいよ」と国は答えたいだろう。

そういう混乱の中においても、商売は淡々粛々と行っていかなければならない。

今月29日より店で売るサラダや軽食の試食を、15時より長男、販売主任のハセガワタツヤ君と行う。僕は感想は述べるものの、基本としては若い人任せだ。

昼にかつ丼を食べていたところにこの試食が加わり、夕刻まで満腹の状態が続いた。よって夜のカレーライスのごはんは「懐石料理のそれくらい」と、超小盛りにしてもらう。


朝飯 榎茸のおひたし、生玉子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとグリーンアスパラガスの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のかつ丼(並)
晩飯 トマトとレタスのサラダスパゲティのオムレツ刻んだ「らっきょうのたまり漬」を添えたカレーライスOld Parr(ソーダ割り)いちご

2021.4.25(日) 適当な壁

藤の花の、つぼみの不気味な姿を知る人はどれほどいるだろう。隠居の庭の藤棚にも、その、センザンコウの頭のような造形が、つい先日まで見られた。それが今日は、三分咲きほどながら、花房を垂らすまでに、季節は進んでいた。

藤の花は、その特徴のある姿により、古くから多く絵画や技芸の主題になってきた。歌舞伎舞踊の藤娘は、大津絵の藤娘からの派生。その藤娘や座頭など、10枚ひと組の大津絵が、オヤジの生前には事務室に飾られていた。それを「仕事場には似合わない」と、外して倉庫へ仕舞ったのは僕だ。悪いものでなければ、どこかに復活させたいと考えながら、いまだできない。掛けるに適当な壁が無いのだ。

ところで絵といえば、額の、ガラスの割れてしまったものが2点ほどある。そのうちのひとつは、もう何年も、ガラスを失ったまま置かれ続けている。先般、遂に宇都宮の画材屋へ問い合わせた。今はガラスではなくアクリルが主流だという。むべなるかな、だ。そういう次第にて、壊れた額は今週中にも画材屋に預けたい。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り豆腐、ウインナーソーセージと緑豆を添えた目玉焼き、榎茸のおひたし、白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、酸っぱくなった白菜漬けとトマトの味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 生のトマト、だし巻き玉子、菠薐草のおひたし、大根と万能葱の味噌汁、若竹煮鰤の照り焼き、芋焼酎「妻」(前割のお燗)、バナナケーキ、Old Parr(生)

2021.4.24(土) サッと一拭き

先月下旬に引き続いて、先週金曜日からおなじ痛みを感じ始めた喉は、おととい朝から急に快方へと向かった。それでもセキネ耳鼻科が開いている限りは毎日、通う。今週水曜日に採られた血液の、検査の結果は「内科的には問題なし」とのことだった。更に詳しい内容は、来週に判明するらしい。

ところで今日は、ふたりの事務係が揃って出勤した。家内は「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ行っているが、長男も事務仕事とあれば、電話受けや来客応対の人員は充分だ。よって4階の和室へと上がる。そしてひと月半ほども前に2階の倉庫から運んだ掛け軸の、箱を拭くことに専念をする。

それらの中には、まるで100年以上も埃を蓄積させ続けていたようなものもあって「サッと一拭き」というわけにはいかない。70数本のうちの33本を拭き上げたところで疲労困憊し、今日の作業は終了とする。

16時前には毎日のことながら、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場へ行く。そして明日の朝までに納めるべき商品を、紙に書き付けて会社に戻る。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、じゃがいもとマッシュルームのグラタン、若布と玉葱の酢の物、生のトマト、白菜漬け、メシ、筍と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
晩飯 コーンクリームスープレタスとゆで玉子のサラダ浅蜊とスナップエンドウと筍のスパゲティChablis Billaud Simon 2015エクレア、Old Parr(生)

2021.4.23(金) 繁忙

今日はすべきことが多い。事務机の左の壁に掛けたカレンダーには、いくつかの用事が書かれている。それに加えて更に、コンピュータ右手に置かれた電子卓上計算機に、”to do”の黄色いポストイットが増えていく。1枚のポストイットには、複数のすべきことが書かれている。それらのひとつを済ませるたびに、1行ずつ赤いボールペンで線を引いていく。

お得意様への夏のギフトのご案内は、5月の最終週に投函をする。その宛先の、顧客名簿からの選び出しを、10時30分より自宅に戻って行う。お住まいの地域を限定してお送りする、百貨店などの催しのご案内よりは、その抽出方法は簡単だ。それでもなお、来客や電話の頻繁にある事務室では、この仕事はできない。

午前中に行くことにしていた銀行から「今日でなくても構いませんが…」と、午後になって電話が入る。カレンダーの、来週月曜日の予定を横目に睨みつつ「いえ、これから参ります」と返事をする。

閉店後にようやく、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の、今夜のお酒の内容を紙に出力する。そしてその紙と冷蔵庫に保管しておいたお酒を持ち、今月の例会場へと向かう。


朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り豆腐、牛肉のすき焼き風、厚焼き玉子、らっきょうの甘酢漬け、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のあれやこれやそれや、他あれこれ、3種の日本酒(冷や)

2021.4.22(木) 苦く笑う

大きな朝食会場を持つホテルに泊まるたび目にする悲しい風景がある。それは、定められた時間より早く来て、入口に長い列を作っている老人たちの姿だ。老人は早起きで、多くはせっかちだ。あまりに早く起きるから時間をもてあまし、腹を空かせ、決められた6時30分や7時よりも前に食堂に来てしまう。あるいは「メシにあぶれたら一大事」という気持ちがはたらくのかも知れない。

新型コロナウイルスの流行る前は、年に一度、町内の役員でバス旅行に出かけていた。泊まるのは大抵、大きな温泉ホテルだ。上に書いたようなことを僕は同行の皆に話す。皆は「アハハ」などと笑う。そのうちの何人かは翌朝、きのう笑ったことを忘れて自分もおなじことをしてしまう。ときには部屋まで追い返されてくる。「だから言ったじゃないですか」と顔をしかめても「やっぱりダメだったわ」などと屈託が無い。

きのう留守にしてるあいだに「新型コロナウイルス感染症ワクチン接種のご案内」と書かれた黄色い封筒が届いていた。中味を取り出しながら、封筒に大書してある番号に電話を入れる。混み合って繋がらないだろうとばかり思っていたが、応答は意外や早かった。

「ウワサワと申します。ワクチン接種の書類が届きましたので、電話をしました」と話しかけると「その中の、ピンク色の紙を見ていただけますか」と、女の人は僕をうながした。当該の紙には「予約受け付け開始は5月10日(月)です」の文字。「初日は混雑すると思いますので、すこし日を空けていただいた方が…」と、女の人は、あくまでも優しかった。

そうして「なんだ、オレも温泉旅館のジジーと同じじゃねぇか」と受話器を置きながら気づいて苦く笑う。


朝飯 榎茸と菠薐草のおひたし、厚焼き玉子、独活のきんぴら、薩摩芋とタラの芽の天ぷら、らっきょうの甘酢漬け、メシ、筍と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 “TULLY’S COFFEE”のボールパードッグラタトゥーユ&マスカルポーネ、ロイヤルミルクティー
晩飯 マカロニサラダトマトとキウイのサラダポテトとマッシュルームのグラタングリーンアスパラガスのソテーを添えたハンバーグステーキ、Chablis Billaud Simon 2015、NUITS SAINT GEORGES EN LA PERRIERRE NOBLET MACHARD DE GRAMONT 1983

2021.4.21(水) 夏日

今日は東京での複数の用事により、下今市07:03発の始発特急に乗ろうと考えていた。しかし検査のための採血をすると、きのうセキネ耳鼻科で言われてしまった。セキネ耳鼻科へは9時前に着いて順番を待った。電車は3時間半おくらせて10:35発に乗った。仕事の予定は組み替えた。

開店直後に入ろうと考えていた銀行の昼休みが明けるまでは、こちらも昼食を摂りつつ時間を調整する。新型コロナウイルスの蔓延に伴う緊急事態宣言を受けて、昼休みを設けるようになった銀行は少なくない。というか、銀行の昼休みの導入については、コロナ以前からその動きはあった気がする。

それはさておき、半袖シャツ1枚で歩き回れる季節が、また巡ってきた。とても嬉しい。今日の東京は、夏日になるかも知れない。

国際展示場の青海展示棟では、上澤梅太郎商店の、5月から一新される包装資材を見た。これこれこういう条件でこの器を使うという契約書を、同時に担当者に手渡す。他にいくつかの会社の展示を巡りつつ”FABEX東京2021″の会場を去る。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」で使う食材のうち、地元では買えないものを日本橋で手に入れる。次男とは池袋で待ち合わせて、およそひと月半ぶりに近況を聞く。そして北千住から下りの特急に乗って、21時前に家に戻る。


朝飯 菠薐草と玉子の雑炊、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、肉味噌、明太子、じゃこ
昼飯 「コネクトカフェ」のホットドッグ、コーヒー
晩飯 「男体山」のあれやこれやそれや、チューハイ

2021.4.20(火) いろいろと出てくる

3月21日の寝る前に、喉の痛みに気づいた。風呂上がりに素っ裸でうたた寝をする悪習により風邪をひいたと、そのときは思った。翌日にセキネ耳鼻科で診察をしてもらうと、しかしその痛みは、軟口蓋に群発した口内炎が原因だった。生まれて初めてのことである。完治するまでには10日を要した。

先週の金曜日、つまり16日の夜より、またまたおなじ痛みをおなじ場所に感じ始めた。翌日は何かと忙しく、病院へ行くことを忘れた。週が明けたきのう、セキネ耳鼻科へ行った。「結構、赤いなぁ」と大先生はつぶやいて、患部に複数の薬を塗った上、複数の薬の処方箋を出してくれた。念のため加えれば「大先生」は「ダイセンセイ」ではなく「オオセンセイ」と読んで欲しい。

今日もまたセキネ耳鼻科へ行く。きのう不在だった若先生は、今日は診察用の椅子に座っていた。大先生は先月とは位置を逆転させて、後見人のように立っていた。

僕の口の奥を覗き込むなり「うわっ、真っ赤」と若先生は声を上げた。内視鏡を喉に差し入れ、モニターに目を遣ると、今度は「うわっ、ビラン」と驚いた。直後に紙に出力された画像には、数え切れないほどの、口内炎状のものが写っていた。

若先生は僕に、いくつかの質問をした。僕の答えはすべて「いいえ」だった。それを受けて、明日は検査のための採血をすることになった。「年はとりたくねぇな」である。


朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、若竹煮、アスパラ菜のおひたし、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、酸っぱくなった白菜と蕗のとうの天ぷらの味噌汁
昼飯 「珍来軒」の呉冷麺
晩飯 レタスと人参のサラダベーコンと玉葱のオムレツトマトとアンチョビのスパゲティChablis Billaud Simon 2015“Chez Akabane”の杏仁豆腐、Old Parr(生)

2021.4.19(月) 書をたばさんで

年に1冊くらいは、読みながらページの減っていくことが惜しくてならない本に出会う。このひと月ほどは、そのような2冊が立て続けに舞い込んで幸せだった。

小澤征爾といえば大スターであり「世界のオザワ」である。それに対して山本直純は、今はもう知らない人も多いだろうし、僕からすればテレビタレントの印象が強い。そのオザワをして「僕はいつも彼の陰にいました。でも対抗心なんて全くなかった。彼(直純)の方が圧倒的に上だったんです」と言わしめた山本直純の天才ぶりを、柴田克彦の「山本直純と小澤征爾」は縦横無尽に書いている。

もう1冊について。1970年11月25日、学校から帰って玄関に入ると、真っ先に出てきたのはおばあちゃんだった。「大変なことがあったんだよ、三島由紀夫が切腹して死んじゃったの」と、おばあちゃんは息せき切って僕に伝えた。翌日、今市中学校2年3組の窓際で級友に、前日の出来ごとについて話しかけた。相手が誰だったかは思い出せない。彼は、僕の問いかけにまったく興味を示さなかった。

中川右介の「昭和45年11月25日」は、その日、誰は、どこにいて、三島の死をどのようにして知って、何を感じ、どう行動をしたかの、121人分を集めたものだ。その顔ぶれは当時の防衛庁長官・中曽根康弘から、いまだ世に出る前の荒井由実までと範囲は広く、意外性に富んでいる。印象に残ったのは、椎根和と寺山修司。

市ヶ谷のバルコニーから撒かれた「檄」は、死出の旅路の花吹雪。とすれば、その文章は更に彫琢されるべきだった。あるいまた、古今東西の演劇に精通しつつ任侠映画を好み、当日午前、時間調整のため周回した神宮外苑では学生たちと「唐獅子牡丹」を歌った三島なら、あれこそが、実はふさわしかったのかも知れない。著者による239ページ10行目からの2行は、個人としては不要。ただし279ページ末尾2行から281ページ5行目までは、まさに「おっしゃるとおり」だ。

さて、棚には次に読まれるべきものが控えている。「書をたばさんで町へ出よう」である。


朝飯 ベーコンと長葱とセロリの雑炊、ごぼうのたまり漬
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 冷やしトマト、胡瓜のぬか漬け、刻みキャベツを添えた豚カツ豆腐と大根と万能葱の味噌汁、芋焼酎「妻」(前割のお燗)

2021.4.18(日) 小さな滝

「汁飯香の店 隠居うわさわ」の開店は8時30分。「交通事情もあるので、到着は開店から9時のあいだ」と予約をしてくださっていたお客様は、8時50分に漬物の本店にいらっしゃった。その4名様を隠居までご案内し、店に戻る。

「枝垂れ桜の盛りは4月の半ばすぎ」と、いまだ寒いころにお知らせしたお客様のご予約は10時30分。その時間に合わせて、ご挨拶のためふたたび隠居へ行く。数ヶ月前には予想できなかったことながら、その後、桜の開花は全国的に早まった。今日の枝垂れ桜は、きのうに増して花びらを降らせ続けている。「それもまたよし」と、お客様はその、小さな滝のような桜を愛でつつ目を細くされた。

夕刻よりいちじるしく腹が減ってくる。何も口にしないまま町内の役員会に出かけることは耐えがたい。食卓でラスクにバターを塗りながら「そんなものにバターを塗る人がどこにいるか」と家内に言われる。「ここにいるじゃねぇか」だ。

今夜の役員会は、総会を控えてのすり合わせだった。会計係の僕は仮の決算書を配った。日本全国ほとんどの組織がそうであったように、昨年度は新型コロナウイルスの蔓延に阻まれて、集団による行事はほとんど何もしていない。それにより浮いた予算の大部分は営繕積立金に繰り入れることとして、出席者の合意を得る。


朝飯 牛丼、生玉子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、キャベツとピーマンの味噌汁
昼飯 揚げ玉、ごぼうのたまり漬、白菜漬け、塩鮭によるお茶漬け
晩飯 ラスク、チーズ、TIO PEEP、ケールのサラダカレーライス、らっきょうのたまり漬「浅太郎」、みょうがのたまり漬、Old Parr(ソーダ割り)

2021.4.17(土) いつまでも見飽きない

3時すこし過ぎに目を覚まし、30分後に起床する。僕は新聞は昼食を摂りながら読む。今週は外へ出る機会が多く、いまだ読んでいない分が溜まっている。それらを4時前から食堂のテーブルに広げる。鳥の啼く声に気づいて時計を見ると4時13分だった。4時40分よりコンピュータを起動し、きのうの日記は空白のまま今日の日記を書き始める。

午前、何やかやの用事により、店と隠居のあいだを幾度も往復する。日本の庭を座敷から眺めるときには、当たり前のことながら、立ったり椅子に座ったりよりは、正座をしたときの目線こそふさわしい。縁側にちかい枝垂れ桜には、若葉が目立ってきた。その柳のような枝からは、ふたひら、みひらと、絶えず花びらが舞い続けている。その根元はまるで、雪が降り始めたように点々と白い。見飽きない風情だ。しかし仕事中であれば、いつまで呆けているわけにもいかない。

ところで「汁飯香の店 隠居うわさわ」が製造販売する弁当は、4月より2段重ねで2,400円のものになった。名前は当初「花見弁当」とつけたが花見の季節は過ぎた。新聞の折り込み広告には「新緑山見弁当」としてお出ししようと思う


朝飯 めかぶの酢の物、ベーコンエッグ、みょうがのたまり漬、らっきょうの甘酢漬け、干し海老を薬味にした冷や奴、メシ、白菜漬けと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 だし巻き玉子、油揚げと三つ葉の炊き合わせ、トマトと胡瓜の蕗味噌豆腐となめこと万能葱の味噌汁大根おろしを添えた鯵の干物、「岩倉酒造」の芋焼酎「妻」(前割のお燗)、孫が焼いたクッキー、Old Parr(生)

2021.4.16(金) いそいそと

「夜の集まりで遅くなっても、家に戻ればいそいそと仕事場に入る。何より小説を書くことが好きだから」と、林真理子は週刊誌の随筆に書いた。僕の日記もそれに似ている。朝、いまだ暗い時間に起きて食堂に来て、お茶を淹れたらいそいそとコンピュータを起動するのだ。

「日記、見ました。20年以上も続けているんですね、感心しました」と言ってくれる人がしばしばいる。僕が日記を書くことは、蛭子能収が競艇場に通うことと同じく、別段、人に感心されることでもない。

「毎晩、仕事場から帰宅すると着替えてジョギングに出ます。普通の人の晩酌とおなじですね」と笑った人がいた。僕は心の底から驚いた。しかしその人にとっては「好きなことをしているだけ」なのだ。人の「好きなこと」は文字通り「人それぞれ」である。

きのうは22時前に自宅に戻った。早朝の仕事を要求する社員の覚え書きは、裏玄関には貼られていなかった。時間の余裕は充分にて、明日の日記まで書いてしまおうと考えて、しかしコンピュータの電源を落とす。そしていそいそと、味噌汁の準備にとりかかる。


朝飯 生のトマト、納豆、豆腐の玉子とじ、キャベツとピーマンのソテー、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、アスパラ菜の味噌汁
昼飯 みょうがのたまり漬、白菜漬け、塩鰹のふりかけ、明太子のお茶漬け
晩飯 生のトマトとキウィらっきょうのたまり漬を使ったポテトサラダホタルイカとアスパラ菜のスパゲティパンチーズ、TIO PEPE、Chablis Billaud Simon 2015、ウィークエンドシトロンケーキ、Old Parr(生)

2021.4.15(木) マンボー

「洗わなくちゃ、酸っぱくなっちゃうじゃん」
「いーんだよ、酸っぱいの、好きなんだから」
「やだよー」

冷蔵庫の野菜室に大量にあった白菜漬けの、先に漬けた方がいよいよ少なくなった。その充分に、あるいは過度に乳酸発酵した白菜を、味噌汁のための出汁に投入したのだ。

「一番好きなタイ料理は」と、チャオプラヤ河畔の料理屋でオネーサンに訊かれて「トムセーップ」と答えたことがある。トムセーップとは、肉と野菜を煮込んだ熱々のスープだ。味は、酸っぱくて辛い。多分、その風味を、僕は日本にいても求めるのだ。今朝の味噌汁も美味かったことは、言うまでもない。

9時より始めた場長会議が終わったのは11時。急いで着替えて下今市11:35発の上り特急スペーシアに乗る。5号車の乗客は、僕と長男のふたりのみ。新型コロナウイルス蔓延防止等重点措置が、東京ではおとといから実施され始めた。「東京に来ないでください、そして東京から出ないでください」と小池百合子は言っている。しかしきのうに引き続いてデザインについての仕事であれば、遠隔会議の形は採りたくない。打合せの後、渋谷に用事のある長男とは表参道で別れた。

新橋で床屋にかかり、日暮里で買い物をして北千住に至る。カウンター活動のため入った繁盛店に、客は僕ひとり。20時の閉店により、提灯の明かりは19時30分に落とされた。二階俊博がはじめて東京オリンピックの中止に言及したと、ウェブニュースが伝えている。


朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、スペイン風目玉焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、白菜漬けとタラの芽の天ぷらの味噌汁
昼飯 3種のおむすび
晩飯 「ささや」のあれやこれやそれや

2021.4.14(水) 気持ち

「35万円が2億円」と、その骨董商は自宅に戻るなり奥さんに告げた。骨董商の頬には緊張と興奮が浮かんでいる。奥さんは唖然としたまま目を見開いている。小さなオークションで落札した鐔が、その後、2億円の価値を持つものと分かったのだ。金による象嵌などは持たない、傘にも富士山にも見える透かし彫りを施された地味な鐔である。居合わせた僕は許可を得て、朝食の膳の右手に畳まれたナプキンの真ん中に、その鐔を乗せた。

そういう夢を見ながら目を覚ます。時刻は4時すこし前だった。

「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」の瓶の蓋に貼るシールがいよいよ少なくなってきた。馴染みのシール屋はデザイン部門を廃し、現在は外注に頼っている。その外注先は偶然、上澤梅太郎商店が昭和30年代に出した手拭いを復刻するときに使った会社だった。

新型コロナウイルスが流行って以降にわかに勃興した「リモート」という仕事の形態を、僕は好まない。かねてより約束の時間に宇都宮のデザイナーを訪ねる。たたき台ができたらもう一度、顔を合わせてすり合わせをする必要があるだろう。「気持ちこの曲線を緩やかに」とか「気持ち隙間を空けて」というときの「気持ち」の説明は特に、リモートの不得意な部分と思う。


朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、生のトマト、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菜花の味噌汁
昼飯 「タリーズ宇都宮駅東店」の厚切りトーストツナチーズメルト、ロイヤルミルクティ
晩飯 榎茸と菠薐草のおひたし、刺身湯波と小松菜の餡かけ、焼き鮭、刺身湯波、薩摩芋とタラの芽と舞茸の天ぷら、麦焼酎「麦っちょ」(前割のお燗)、自由学園のクッキー、Old Parr(生)

2021.4.13(火) ナミ

本日の日本経済新聞朝刊第40面に、橋田壽賀子への追悼文を内館牧子が寄せている。それを昼どきに読む。読めばすぐに、橋田の大人物ぶりが分かる。

橋田に弟子入りをしてから9年後、内舘はNHKの朝の連続ドラマの脚本を任されるまでに成長する。「長丁場のドラマだから、先々もつまいと恐れて水増し」することの無いよう、橋田はそのとき内舘に注意を与える。水増しなどしなくても「追い込またら、必ず次のいい手が見つかる」との教え得て、内舘は書き上げていた全151回分のあらすじすべてを捨てる。その、師匠への傾倒ぶりは凄い。そして我が身を振り返って「オレなどは、ナミのナミだわな」と思う。思うだけで、反省などはこれっぽっちもしない。

ところで今日の天気は春の嵐と伝えられていた。しかし日光市今市地区の上空は荒れなかった。風は、普段よりいくらか強いくらいのところで収まった。雨も、傘はほとんど必要としなかった。隠居の枝垂れ桜は何とか、次の営業日まで保ってくれるだろう。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、蓮根の梅肉和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、白菜漬け、明太子、メシ、2種のズッキーニと大根と人参と椎茸と万能葱の味噌汁
昼飯 「珍来軒」の呉冷麺
晩飯 トマトとキウイのサラダ、TIO PEPE、チーズグリーンアスパラガスのソテーと人参のグラッセとマッシュドポテトを添えたハンバーグステーキ、NUITS SAINT GEORGES EN LA PERRIERRE NOBLET MACHARD DE GRAMONT 1983

2021.4.12(月) 単機能

「パパは風邪をひくと大汗をかくから」と、男物のパジャマ数十着を、オフクロは買い溜めた。オヤジの死後も新品のまま置かれていたそれらのほとんどは、オフクロが亡くなってから、今は忘れたがどこかに寄付をした。僕専用の背の低い箪笥には、そのとき取り残されたらしい冬用の2着がいまだあった。それらを今朝は新品のままゴミ袋に入れた。

「安い」という理由でオフクロが複数着を買ったダウンコートから外したフードも、箪笥の上で埃をかぶっている。これについては、今朝はいまだ残した。惜しく感じたからだ。しかしいずれ捨てることになるだろう。

僕はなぜか、取り外しによる多機能を好まない。屋根の外せるドロップヘッド型のクルマなどは、その典型だ。多機能、多目的を僕は利便と考えない。このような性格は、どのような経験により醸成されるものだろう。

「だったらスマートフォンも使わないのか」と問われれば、流石にそれは使う。しかしスマートフォンで写真を撮ることは好まない。デジタルカメラは2006年2月からずっと、RICOH GR DIGITALを使い続けている。


朝飯 牛丼、生玉子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、トマトと菠薐草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 生のトマト、春雨サラダ焼き餃子其の一焼き餃子其の二水餃子、「紅星」の「二頭鍋酒」(生)

2021.4.11(日) ハクシン

「4月であれば、もうよかろう」と、冬のあいだ毎朝1錠ずつと決めていたビタミンEの服用を止めた。そのせいかどうかは不明ながら、手指の先のアカギレがにわかに増えた。左足の親指の先にもできた。

アカギレは、そのクレバスのような傷口に、僕の場合には「ハクシン」という、今はもう作られていない軟膏を満たし、バンドエイドのキズパワーパッドで覆えば数日で治る。それは分かっているものの、指先の絆創膏は鬱陶しいからしばらくは何もしない。すると傷口はますます開き、痛みも増す。鬱陶しさと「このままではいつまでも治らないぞ」という気持ちのせめぎ合いが、早く治したい方にいくらかでも傾くと、そこで初めて治療に取りかかる。

キズパワーパッドは1枚ではすぐに剥がれる。よってひとつのアカギレに対して3枚を巻く。キズパワーパッドは今のところ最強の絆創膏だ。しかしその性能を引き出すため、巻く前に掌と掌のあいだに1分のあいだ挟んで柔らかくする。巻いた後も空いた方の手で秒針がひとまわりするまで握ってより密に圧着をさせる。今朝は3本の指に処置をほどこした。キズパワーパッドが計9枚なら、それを温めたり押さえつけたりで18分もかかる。もちろん実際には18分では済まない。厄介なこと甚だしい。

ビタミンEは、今日からまた飲み始めることにした。夜は、まるで紙やすりのように荒れた手にメンソレータムを多めに塗り、手袋をして寝る。


朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、蓮根の梅肉和え、切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、ピーマンとベーコンの味噌汁
昼飯 「フジヤ」のタンメンバター
晩飯 レタスと水菜のサラダカプレーゼ“POSTE DE BLE”の2種のパンクリームシチューChablis Billaud Simon 2015、いちご、チョコレートケーキ、Old Parr(生)

2021.4.10(土) お祭の催行

総鎮守瀧尾神社の春の例大祭の日だ。お祭が始まるのは9時でも、現地には8時40分までに入るよう、カレンダーには書いておいた。今朝はいつもの仕事の順番をすこし組み替えた。そして着替えて8時30分に会社を出る。

首都圏の1都3県に発令されていた緊急事態宣言は、3月21日に解除をされた。しかしその後も新規感染者の数は増えるばかりだ。そして1府3県には4月5日から、1都2府県には4月12日から、今度は蔓延防止等重点措置が実施中あるいは実施をされる。そのような世情から、今年のお祭も昨年に続いて静かなものになることを予想しつつ数百メートルを歩く。

一の鳥居が見えてくるころ、思いがけずお囃子の笛と太鼓に気づく。更に進むと二の鳥居の前に、きらびやかに着飾った金棒引きと稚児の姿が見えた。「やっぱり、こうでなくちゃな」と思う。

ここ数年に及ぶ「当番町を考える会」で、瀧尾神社のお祭は隨分と簡素になった。時代に合わせなければ、伝統は生き残れない。しかし子供の元気な姿は不変であるべきだ。

猪口に御神酒一杯のみの、これまた簡略化された直会に先だって、責任役員として挨拶をする。子供についても触れたことは、言うまでもない。


朝飯 切り昆布の炒り煮、温泉玉子、牛肉のすき焼き風、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 切り昆布の炒り煮、白菜漬け、明太子、しその実のたまり漬のお茶漬け
晩飯 レタスと人参のサラダ、コーンポタージュスープ、じゃがいもの素揚げと日光味噌のたまり漬によるソースを添えたビーフステーキにんにくのたまり漬と玉葱と玉子の焼き飯NUITS SAINT GEORGES EN LA PERRIERRE NOBLET MACHARD DE GRAMONT 1983ウィークエンドシトロンケーキ、Old Parr(生)

2021.4.9(金) 未知の樹木

朝、食堂から隠居の方角を望む。蔵の屋根に遮られて、認められるのは、左手前の染井吉野に右奥の山桜くらいのものだ。しかし今日は、すこし遠いところに高い木のあることに気づいた。丸く広がった枝には薄桃色の花さえ見える。さて、そのような木が隠居にあっただろうか。

朝の仕事を片付けて早速、隠居の柴折り戸を引く。そして「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日以外は水を止めている池泉の石橋を渡る。これまで知らずにきたその木は、果たして山桜だった。

隠居の庭には木が多い。桜もそのひとつで、オフクロは晩年に植木屋を頼んで幾本も伐らせた。この1本は、そのときには見逃されたのだろうか。山桜は既にして大きな1本がある。とすればこちらの方は、いずれ伐ることになるかも知れない。

事務室に戻ると嫁のモモ君が白衣を着て、長男のシンを抱いていた。これから製造現場で仕事をするのだという。シンは乳母車に寝かせておくとのことで、その乳母車は僕が裏玄関から出してやる。シンは、母親が仕事をするかたわらで静かにしている。その様子を写真に撮ってから、ふたたび事務室に戻る。


朝飯 納豆、菠薐草のおひたし、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、明太子、メシ、大根と万能葱の味噌汁
昼飯 白菜漬け、ごぼうのたまり漬、牛肉のすき焼き風、明太子、塩鰹のふりかけのお茶漬け
晩飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、鮪の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、薩摩芋の天ぷら、筍ごはん、ごぼうのたまり漬、「清開酒造」の「夢ささら55%無濾過生原酒」(冷や)、トマトのゼリークッキー、TIO PEPE

2021.4.8(木) 伊豆治療紀行(3日目)

バンコクのマンダリンオリエンタルホテルやフアヒンのレイルウェイホテルを宿としたとき、もっとも大きな楽しみを得たいとすれば、外には出ず、その敷地の中にできるだけ長く留まることだ。「おちあいろう」においてもしかり。しかし今日は、それほどゆっくりもしていられない。

朝日の差すころ内湯に入りあとは庭を眺めながら本を読む。7時に設定した音をiPhoneが発すると同時に着替えて荷物をまとめる。8時からと決められている朝食は、7時45分からに早めてもらった。食事処の窓からは、東西の匠たちを競わせつつ建てたという棟々が、間近に望まれる。

修善寺駅の駐車場にクルマを駐めたのは9時すこし前だった。駅前にビルを経営し、駅構内に「舞寿し」の店を出すタケシトーセーさんと知り合って四半世紀以上が経つ。タケシさんが「日光MG」に参加をしてくれた回数は、20数回に及ぶと思う。伊豆に来てタケシさんを訪ねないことは考えられない。開店直後の店にはお母さんがいらっしゃり、タケシさんと息子さんも、製造現場からすぐに来てくれた。予約の品を受け取り、挨拶もそこそこに駅を出る。

きのう越えた伊豆スカイラインは、往路とおなじ距離でありながら、隨分と短く感じた。整体院には、指定されていた時間に10分おくれて9時50分にすべり込む。今日の電子ペンは、おとといの治療により半ばほどまで復調していたため、それほど強い痛みは感じさせなかった。

治療院と初日に泊まった赤沢温泉、そして伊豆高原駅は、半径数キロメートルの範囲にある。レンタカーのスズキスイフトに最寄りのガソリンスタンドでガソリンを満たし、駅前のレンタカー屋に返却をする。

予定より小一時間ほども早い、伊豆高原12:30発の熱海行きに間に合う。東京と北千住で乗り換えて、下今市には16時42分に着いた。

夜は昼に続いてタケシさんの弁当を食べる。酢で締めた鯵は日本酒の肴に最高だ。そして早々と寝室に入る。


朝飯 「おちあいろう」の朝食膳、柑橘
昼飯 「おちあいろう」で持たせてくれたおむすび「舞寿し」の「田舎セット」
晩飯 ブロッコリーの胡麻和え「舞寿し」の「あじ寿司」、大根と万能葱の味噌汁、「清開酒造」の「夢ささら55%無濾過生原酒」(冷や)

2021.4.7(水) 伊豆治療紀行(2日目)

きのうの夜、懐石料理だけでは足りずに小さくないおむすび2個を平らげた。にもかかわらず、今朝、風呂で測った体重は普段とそれほど変わらない56.4キロだった。BMIは19.5くらいのところだろうか。炭水化物は僕を太らせない。目の前には伊豆半島南西端の海と空が青く広がっている。

きのう伊豆高原駅前で調達したレンタカーにて伊豆スカイラインを越える。昼食は、天城山を間近に望む丘の上の蕎麦屋で摂った。そこから修善寺の街へ下る。

カンボジアの西バライのような超弩級を除いて、僕は名所旧跡には興味がない。それらを観るための教養に欠けているのだ。しかし湯ヶ島温泉の宿に入れるのは15時とのことで、しばし時間を調整する必要がある。町内役員のバス旅行でこの街を訪ねた際、自由時間にひとり散歩をしながら旧い教会を見つけた。それを覚えていたから、お土産屋にクルマを駐め、その修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂に家内を案内する

それでも時間は隨分と余っている。修善寺に参拝し、修善寺川に面した茶屋で一服をしてようやく14時が過ぎる。

修善寺から湯ヶ島温泉とくれば、なんと言っても川端康成だ。しかし僕はこのノーベル賞作家の作品をひとつも知らない。読んだものといえば「川端康成・三島由紀夫往復書簡」のみだ。一高時代の川端とは異なって、当方のクルマはほんの20分ほどで湯ヶ島温泉に至った。

「おちあいろう」の、幕を垂らした巨大な門の手前には2台分の駐車場があった。そこに後退でクルマを駐めようとしながら、奥まで入るよう手招きをする人の姿に気づく。その人に荷物を手渡しているところに身分は支配人になるのだろうか、満面に笑みを湛えたムラカミノブオさんが出迎えてくれた。ムラカミさんは上澤梅太郎商店が主催する研修「日光MG」に何度も来て下さった恩人である。

香のたきしめられた玄関から先ずは喫茶室に通される。そしてここで種々の説明を、女の人より受ける。そこから部屋に案内される途中には読書室があった。既にして部屋に運ばれていたザックから中川右介の「昭和45年11月25日」を取り出して即、その「大正時代のモダン」といった趣の小部屋に戻る。そして小一時間ほども静かに過ごす。僕にとって旅の一番の楽しみは、本読みを措いて他にはない

17時より、国の登録有形文化財でもある建物の見どころを女将が案内してくれる。特に3階大広間の紫檀による床柱は圧巻だった。これまで自分が見たことのあるものでは、趣味は異なるものの、智頭の石谷家住宅の大黒柱と双璧を為すような気がした。

ところでこの宿の飲物は、特別のものを除いてはいわゆる”inclusive”、つまり飲み放題だ。僕は酒を好む。しかし量としては、それほど飲まない。就寝は多分、21時前だったと思う。


朝飯 「赤沢温泉ホテル」の朝のブッフェ其の一其の二其の三
昼飯 「やまびこ」のサービスの野菜飛竜頭ざる蕎麦(粗挽き)
晩飯 「おちあいろう」の其の一其の二其の三其の四其の五其の六其の七其の八其の九「八海山」の純米大吟醸「ひょうたん」(冷や)、グラスの白ワイン、同赤ワイン

2021.4.6(火) 伊豆治療紀行(1日目)

この日記にはたびたび書いてきたことだが、1998年の秋に感じ始めた背中右側の痛みが、同年の12月に至ると耐えがたいほどになった。整形外科の病院でブロック注射を打ち、総合病院を訪ね、ふたつの治療院で鍼を打ち、それでもどうもならないから「手かざし」まで試して、すべて効かなかった。最後に頼ったのが、facebookで偶然に知った、宇都宮の整体院だった。

ここの先生の言うことには、僕を納得させる力があった。通ううち、外科で処方された、不気味に感じつつ服用していた鎮痛剤は必要なくなった。背中の痛みが去ると、先生が予言をしていた通り左肩が痛くなり、それが収まると右膝の治療に移った。やがてからだの痛みはすべて霧消し「次の来院は2ヶ月後で大丈夫です」と言われるまでに回復をした。

「今後はこの先生、一本だ」と考えていたところ、先生は昨年の7月に治療院を閉め、秋にはあろうことか伊豆に引っ越してしまった。「そりゃぁねぇよ」と言いたいところだが、王侯でもなければ、自分の専属として雇うなどはできない。

そうして今日は、東武日光線、常磐線、東海道新幹線、伊豆急行と乗り継いで、伊豆高原には昼前に着いた。所要時間は実に4時間10分。僕にしてみれば、羽田からウドンタニーへ行くより面倒な行程だった。

およそ9ヶ月ぶりに受けた、9,000ボルトの電子ペンによる治療は強烈だった。痛さのあまり、額に脂汗が滲むと同時に吐き気を催すのだ。膝の、特に上部のいくらか肉のあるところはペン先の形に深く窪んだ。「この画像、facebookに上げるかな」と言ったら「患者が来なくなるから止めてよ」と先生は目を剥いた。先生の腕にやはり感服している家内は、しかし「私は電子ペンは必要ありません」と、あらかじめ逃げた。

今夜の宿は、治療院にほどちかい赤沢温泉郷だった。「だった」とは、今回の日程はすべて家内が決めたからだ。明日はどこかに移動をし、先生には、あさってまたかかる予定だという。「だという」とは、今回の日程はすべて家内が決めたからだ。

宿では夕方のうちに露天風呂に入り、21時前に就寝する。


朝飯 苺のタルト、コーヒー
昼飯 「ミクニ伊豆高原」の其の一其の二其の三其の四其の五ノンアルコールワイン
晩飯 「赤沢温泉ホテル」の其の一其の二其の三其の四其の五特別に頼んだ2種のおむすび其の六2種の地酒(冷や)

2021.4.5(月) 残念な男たち

何年か前に、街の真ん中に道の駅ができた。社員それぞれは、特に朝は、本店の仕事に忙しくしている。よって道の駅に関する諸々は、いつの間にか僕の役割になった。今朝も掃除と検品のため売場におもむくと「朝露」が極端に減っていた。

「朝露」は味噌に微圧を加えつつ気長に抽出する正真正銘の「たまり」で、その製造法から量産が利かない。現在の在庫は100ml入りのビンが数十本というところだろうか。会社に戻って即、道の駅専用のシールを貼って25本を用意するよう、マキシマトモカズ製造部長に伝える。

午前の早いうちに、町内の複数の通帳をたずさえて銀行へ行く。そして自動引き落としされた電気代の同額を現金で補填するやら、2020年度の剰余金を預け入れたりする。

今日の夕食は、家内の、遊びに来た従姉妹や兄嫁と共に摂った。いちばん面白かったのは、見合いの当日から「この相手とは、次は無い」と確信した話だった。

スーツに白い靴下を合わせてきた男。
微熱があると伝えたにもかかわらず、また足元はハイヒールにもかかわらず、お堀端のパレスホテルから上野公園まで歩かせた男。
赤いスポーツタイプのクルマで、会話もなく首都高速道路を回り続けた男。

隨分と駄目な男もいたものだ。しかし何ごとかに打ち込んでいる男に限って他のことには頭が回らない、ということもある。彼女たちが断った男は他にもいろいろといた。すべてを覚えきれず、だからすべてをここに挙げられないことを、しごく残念に思う。


朝飯 目玉焼き、じゃこ、煮奴、生のトマト、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、蕗のとうの天ぷらの味噌汁
昼飯 塩鰹のふりかけ、揚げ玉、塩鮭、白菜漬け、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
晩飯 生のトマトオイルサーディン水餃子、「紅星」の「二頭鍋酒」(生)、3種のいちご

2021.4.4(日) 年度はじめこそ

瀧尾神社の春の大祭は、来週末に催行される。それにむけて今日は、公民館を会所にする仕事が10時から予定されていた。しかし「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日であれば、家内も長男もそちらへ詰めて人員が薄い。事務係のカワタユキさんが休憩から戻った10時30分に、ようよう外へ出る。

公民館へ行くと、役員と若い人の10名ほどが外にいた。祭壇の飾り付けや提灯台の組み立ては、既にして完了したという。会計係の僕は昼食時にふたたび合流することとして、とりあえず会社に帰る。

会計係の仕事は、年度末ではなく年度はじめこそややこしい。種々の理由により前年度分を締められないまま、今年度が始まるからだ。2020年度の次期繰越金は、いまだはっきりしない。2021年度の予算も決まっていない。それはそれとして、本日の供物の代金、10日に必要な初穂料や祝金は、2021年度の出金として金銭出納帳に記録をする。

総会の準備のための役員会は、今月18日に開かれる。2020年度の決算書は間に合わない。代わりに金銭出納帳の写しを持参することになるだろう。


朝飯 牛肉のすき焼き風、温泉玉子、納豆、トマトとレタスのサラダ、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと白菜キムチの味噌汁
昼飯 「金長」のオムライス
晩飯 隠元豆の胡麻和え、松前漬け、冷やしトマト、白菜漬けと厚揚げ豆腐と豚肉の鍋、らっきょうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「麦っちょ」(前割のお燗)

2021.4.3(土) ぜひご予約を

朝、EBエンジニアリングのタシロジュンイチさんに、トヨタハイエースとホンダフィットのスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに戻して欲しい旨をメッセンジャーで送る。そのまま今度はFSEのシバタサトシさんに、会社のコンピュータ1台を買い換えたい旨を、やはりメッセンジャーで送る。

タシロさんからはすぐに、明日10時にクルマを取りに行くとの返事が戻った。シバタさんからは長男に電話で、今朝のうちに来社すると知らされた。おなじころ、明日の「汁飯香の店 隠居うわさわ」への予約を確認したいと、お客様から電話をいただく。

あさっての月曜日は、隠居は貸し切りになっている。18日の日曜日は、朝一番を除いては、眺めの良い席は埋まった。枝垂れ桜も見ごろを迎えつつあれば、お客様には、ぜひご予約をお願いしたい。席数が限られる上に相席を避けるため、すぐ満卓になってしまうのだ。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」は毎週、土、日、月の営業。開店は8時30分、最終入店は13時、閉店は14時。電話番号は0288-25-5844(日光ごはん良し)。営業日、営業時間外は本店の電話番号0288-21-0002(08:30~17:30)で毎日、ぐるなびなら24時間、ご予約を承れます。


朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、鮭の粕漬け、玉子焼き、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 牛蒡と人参のきんぴら、白菜漬け、じゃこ、ごぼうのたまり漬、塩鮭のお茶漬け
晩飯 トマトとレタスのサラダ2種のパン鶏のクリーム煮Chablis Billaud Simon 2015、TIO PEPE

2021.4.2(金) 後世への最大遺物

3月21日の夜、寝るころになって、喉に痛みを感じた。風呂上がりに裸でうたた寝をする悪習により風邪をひいたに違いないと、そのときは考えた。翌月曜日に耳鼻科のセキネクリニックへ行った。痛みの理由は”E.N.T. infections”つまり耳鼻科系の感染症ではなく、喉の奥左下3ヶ所にできた口内炎によるものだった。

以降、セキネクリニックの診療日には必ず出かけた。当該の場所に複数の薬を噴霧し、塗り、薬を処方してもらう日々が続いた。口内炎は、ひとつが治れば別のところにまた複数ができるという群発を繰り返した。生まれて初めての経験だ。あるいは加齢が影響しているのかも知れない。

3月22日から数えて9回目の通院となる今日は、先生の後ろに先生の息子さんが立っていた。息子さんも医者であれば、どこかの勤め先から戻って、いよいよ跡を継ぐのだろう。

「後世への最大遺物」という著作が内村鑑三にある。子供こそ後世への最大遺物と、僕は信じている。


朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、グリーンアスパラガスとスナップエンドウと春キャベツの淡味炊き、明太子、白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 牛蒡と人参のきんぴら、明太子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、塩鰹のふりかけのお茶漬け
晩飯 白片肉、玉子焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、胡瓜のぬか漬け、ラーメン鍋、麦焼酎「麦っちょ」(お湯割り)

2021.4.1(木) 明日の日記を書く人

「明日の日記を書くことを常としている」という人と、むかし席を同じくしたことがある。真面目そうな印象から、その人は日記を目標達成のために使っているように思われた。

明日の日記どころか明後日の日記、更にはその先の日記まで書いてしまうことが、僕にはたびたびある。それは「目標の達成」などという高邁な理由からではない。「書けるときに書いておけ」という気持ちによるものだ。

3月30日と31日の日記は、30日の日中に書けていた。僕は日記を遊びで書いている。とはいえ2日分の日記が書けていれば、気分は楽だ。今朝はそう目覚めが早かったわけでもなく、製造現場での仕事も控えていた。にもかかわらず、気持ちの余裕は綽々だった。今月4日の日記も、また6日の日記も今から書けそうだ。しかしまぁ、そう先走ることもないだろう。

夕刻に食堂に戻ると、まるでタイの市場にいるような匂いがした。様々な香辛料と共に豚の三枚肉が茹でられていた。魚の臭いは、僕が早々と仕込んだ、明日の味噌汁のための出汁によるものだった。

おとといの日本酒は、ひどく喉にしみた。きのうのワインは、それほどでもなかった。今夜の白酒は、ほとんどしみなかった。しみ方の異なりは酒の種類によるものではなく、喉の奥の口内炎が快方に向かっている印だと思う。


朝飯 菠薐草の胡麻和え、焼き鮭、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、グリーンアスパラガスとスナップエンドウと春キャベツとトマトの淡味炊き、白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、大根の味噌汁
昼飯 「丸亀製麺」のわかめうどん
晩飯 ワンタンスープ、春雨サラダ、白片肉、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)杏仁豆腐、Old Parr(生)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

蔵見学